御曹司の実家


 国の貴族の中で他を圧倒的に凌駕する家が三つある。

 シモンズ公爵家、ノークレス公爵家、グラマン公爵家だ。

 彼らは当然国の都の外に広大な領地を持っており、政治的に強力な発言権を持つ傍ら、一年のほとんどをそれぞれの領地で過ごす。

 クラウスはこれでその一つ、シモンズ家の嫡男なのである。


 ジゼルはどうせ首都に戻るついでだと彼の父親から手紙をもらっていた責任と、見つけてしまった責任をもって彼をシモンズ家に連れ戻すことにした。

 クラウスが乗り気ではなかった少々ごねたが知ったことではない。


 シモンズ公爵家が統治を任される土地は来る際にも端の方を通ってきたから、少し寄り道すれば事足りる。

 どうして実家に帰らずにあんなところに来たのかクラウスに言いたいことはあったけれど、望む言葉は返ってきそうにもない。

 彼の父親がたまに出る魔物退治に自ら赴くほどだったのだから。


 ところでシモンズ家といえば、他の国や遠い海を眺めてもちらとも見えない大陸との貿易業で領地を繁栄させていることで有名だ。

 領地が海に面しているため、隣国との取引にしても陸路よりそちらの方が速く楽なのだとか。港に大きな船を何隻も所有している。


 そんな潮のかおりがする土地にあるシモンズ家の邸。


 魔物討伐のため率いてきていた兵は先に首都に戻らせておいて、ジゼルがクラウスを連れて――クラウスの実家なので連れてというのもおかしいが――シモンズ家の邸を訪ねた。

 交流あるもので慣れた様子の門番が手早く中に知らせを向かわせつつ、夜が舞い降りた時刻にも関わらず門を開き入れてくれた。

 クラウスがいるので当然とも言える。

 ギイィと音が鳴るのは、年代物だということは疑うべくないが錆びていることもないので手入れ不足なのではない。

 門が開いても邸そのものまでは距離があるので続けて馬で駆けて行く。

 陽が沈み、見えたなら見事なはずの庭は姿を隠している。

 ただ、離れたところの植木のシルエットだけで手入れが行き届いていることは分かるもの。


 ど真ん中に敷かれた道を通っていくことしばらく、建物に近づくとぼんやりした灯りを持った者が一人。その隣に灯りは持たない人影が一つ。

 まだ服装も何もはっきりと見えないがシモンズ家の使用人としか考えられない。

 終始緩やかな足並みで進ませていた馬を止め、降りるとその灯りは近づきジゼルの足元をもわずかに照らす。


「馬はお預かり致します」

「ありがとう」


 灯りを持たない方がジゼルの手から手綱を、同じようにクラウスの手からも手綱を預り馬が歩いていく。


「どうぞ中へお入りください」


 言葉を待っていたかのようなばっちりのタイミングで邸の扉が開く。

 中からは灯りが洩れる。


「どうぞ、お入りください」


 二度目の同じ言葉はクラウスに向けられたように思えた。

 なぜならにこやかな笑顔の二十代前半くらいの男はそのときばかりは完全にクラウスに顔を向けていたから。言外に感じる何かしらの圧力があるような。

 ジゼルもまずはこの家の息子であるクラウスが入るべきだと手で促す。

 ぞんざいにはしていない。丁寧に手のひらをすっと扉の中の方へ動かしたのだ。

 顔はもう覆う必要ないので全体が露な顔が露骨に嫌そうな顔をした。

 彼の実家なのだけれど。


「おかえりなさい、クラウス」


 暗にもう入れば? とジゼルが言うとクラウスは仕方なさそうにけれどさっきまでの嫌そうな態度はなんだったのかというほどに、すぐに足を踏み出し、数歩で中に入った。

 結局は潔い性格だからなぁ、とジゼルも続いて中に入る。

 中は何度も目にして見慣れた光景だ。

 等間隔に壁にかけられている灯りで照らされた玄関ホール。

 いやそれにしてもジゼルの視界では素敵と称するべき玄関ホールの前に汚れた旅装束姿のクラウスがあるという構図であり、なんとミスマッチなと思わざるをえな――


「本物だ! 本物の若様がお帰りになったぞー!」

「旦那様にお伝えしろ!」

「クラウス様だと!? 走れ! もう人はやったのか! いやむしろ自分でいく!」

「本当だと伝えるんだ!」

「クラウス様だ!」

「クラウス様!? クラウス様だー!」

「おいよせ」


 入って数秒、しん……としていてまだ寝る時間ではないのに寝静まっているのだろうかと思えたほどの静寂がこのような具合に破れた。

 一声が響き違う声が響き、重なり合い大合唱。

 その中でも次々と遠くへ伝わる軍の伝令のように正確かつ素早い伝達が行われている。見事。

 原因であるクラウスがさっきに負けず劣らずこの上なく嫌そうな顔で制するがもう遅い。

 見える範囲では幽霊でも出たみたいな反応が混じりながらももう伝わってしまい、それより先へ走った使用人が一人見えた。


 それにしても入ってきたその瞬間はそんなに人はいなかったはずなのに一気に増えたように思える。

 そそと玄関ホールの両側で待っていた使用人だけでなく、階段で繋がる上の階からも顔を出している。

 少し行ったところの左右に伸びる通路からも覗く顔、奥にあるドアからも。

 あと、静寂からの一気に玄関ホールに満ちた声にはそれまで全員息でも止めていたのかとジゼルは思った。

 驚きに、声は上げないが目を何度も瞬いた。


 静けさが似合う時間帯にてんやわんやとなっているその中で静かに側に立っていた者がいることに、ジゼルは瞬きが落ち着いた頃に気がついた。

 深く刻まれた皺で歳が窺えるが背筋がしゃんとした白髪混じりの髪をきっちりしている一人の男性だ。

 シモンズ家の使用人の統括をしている執事である。

 執事は手を胸にあてジゼルに頭を下げ、騒ぎの謝罪をする。


「お見苦しいところをお見せ致しまして申し訳ございません、ジゼル様」

「いいえ、見事な伝達ね」

「恐縮でございます」


 もう一度執事は一礼した。

 そして背筋を伸ばして、少し収まったもののまだ声が落ち着かないこの場においてはまったくもって落ち着いた印象の声と態度で、


「失礼を承知で、よろしければこちらをお使いくださいませ。お顔に旅のお疲れがおありのようですので」

「え、……あぁ、気がついていなかったわ。ありがとう」


 門にはじめに着くまでは、邸に行くという先触れも何も出していなかったのにこの短時間で思い立ち用意したというのか、適度に湿らされた布が差し出されたので受けとる。

 風が酷い山道も経て来たので顔が汚れていたらしい。恥ずかしい限りだ。

 服も汚れているし……。

 と、自身を見下ろしたときにピカピカに磨き抜かれた床が一緒に視界に映って、使用人たちが磨き抜いていることを考えると汚していないかなとジゼルが足元を見たのは、土とかではない汚れを思い出したからだ。

 魔物の血というべき液体は乾いているようで、それに関しては大丈夫のようだった。

 見下ろした床には灯りのオレンジ色が映っている。


「クラウス様、お帰りなさいませ」


 ジゼルに布を渡した執事は続いてクラウスに一礼しそう言っていた。

 普通自分に布を渡すことと順序が反対ではないのだろうか。

 ジゼルは元より化粧も何もしていなかった顔を拭き拭きしつつ思うものの、他に疑問に思う人はいないようだった。

 あれ? と気がつき周りを見ると玄関ホールはすっかり閑散としている。人が失せた。


 クラウスの帰りを邸中に伝え回っているのだろうか。遠くで微かに声が聞こえないこともない。

 当のこの家の若様であるクラウスはといえば、執事に雑に応じている。


「お久しいお帰りで、再びお元気そうなお顔を拝見することができたこと嬉しく思います」

「おう」


 執事の言葉の端々に棘があるように聞こえるのは気のせいなのだろうか? 

 クラウスは何も気にした様子はないので、別にいいかとジゼルはついでに手も拭かせてもらったあとの布を折り畳む。

 意外と汚れていた。


「――ですって旦那様!」

「……?」


 さっきとは異なり近づいてくる大きくなってくる音をジゼルの耳が捉えた。

 引き寄せられるようにジゼルが音の方、上の階に繋がる階段を見上げると。


「クラウス!」

「危ないだろう親父殿」


 姿が見えたと思うと瞬く間に、滑ったのかと思うほど速く階段を降りきり、とんでもない速さで走ってきた人物がクラウスに蹴りを放った。

 その飛び蹴りを難なく受け止めるクラウス。

 パシィと小気味いい音が鳴った。


 どういうやり取りだと思わなくもないが、これは似たような流れを見たことあるのでジゼルは驚きはしない。

「本当にクラウスか」

「俺以外の誰かに見えるようじゃそろそろ目がまずいな」

「お前一体何年……」

「別に遊び惚けてたわけじゃ……」

 とか続いているやり取りを尻目に布を畳み終える。


「お預かりいたします」

「ありがとう」


 すかさず申し出る執事に改めてお礼を言って布を返す。いやはや気が利くことこの上なし。

 それより顔を拭かせてもらっておいて何だけれど、さっさとおいとましようかとジゼルは言い合いしている「親子」に目を止める。


 まったく似た者親子だ。

 ああでもそういえばクラウスの目の蒼にはいつ気がついたか少し違う色が混じっている、陽に当たるとすみれ色がうっすら透けるのだ。母親から受け継いだのだろう。

 それ以外は完全に父親似に違いない。


 言い合いの内容はさておき声だけを耳に通らせてジゼルが様子を見て眺めていたところ、親子の内鬼の形相だった親の方の顔がジゼルに向く……と分かった間ににこりと人の良い笑顔に変わる。

 目を疑いたくなるほどの変わり身だ。


「ジゼルいらっしゃい」

「遅くにごめんなさい、デレック」


 夜だというのに。

 見事な変わり身を演じた男こそ、シモンズ家が当主兼クラウスの父親、デレック・シモンズ。

 いくらジゼルが生まれ直しているとはいえ、元々知り合いの人物とまた知り合ったかのような態度を取るのは中々骨が折れる。

 まあそうする努力をしなければならないような人はこのデレックの他にはいないのだけれど。

 骨が折れる理由は彼自身が何を知っていても使用人たちに大手をふって知らせるわけにはいかないもので、ジゼルも六度目をはじめてから最初にここに訪ねてくることになったときは「シモンズ公爵」とでも言ってみたものだ。

 すぐに「同じ顔でそう呼ばれるのは落ち着かない、砕けた口調でやってくれ」とフォローが入り今に至る。

 家の構造を知っていたりする面は大人しく案内に従っていればバレない。

 デレックのおかげでジゼルは「前」と遜色なく振る舞えるのだ。


 そんな前の生からの友人は後ろの低い位置でまとめられている長めの黒みを帯びた青髪を翻し、息子と違ってきっちりとした格好で大股二歩でジゼルとの距離を適当にする。

 肩を旧友にするそれでばんばんと叩きデレックは朗らかに笑う。

 けっこう痛いから力加減をしてほしい。ジゼルとて女子なのだ。


 慣れてもう言うことを止めたのでジゼルが叩かれたときにうわっと前のめりになりかけたことなど露知らず、デレックは笑顔のままで言う。


「いやいやありがとう本当にありがとう。この馬鹿息子がさすがに野垂れ死んだのでないかと思い始めていたころでな、助かった」

「いいの。クラウスから現れてついでだったから」

「クラウス! お前はまたジゼルに変なことを言っていまいな!」

「変なことってなんだよ」


 くわっと後ろの息子に向く顔がまた鬼となり問いただす口調はほぼ決めつけている。

 取り残されていたクラウスは心底何のことだよ、と言わんばかり。


「言っていることといえば嫁になって欲しいって言ってるだけだろう?」

「それを止めろと――」

「なんでだよ」


 おや、これはデレックが沸騰しそうな構えになっていると予備動作でわかったジゼルは、これは黙って帰る他なしとその瞬間判断した。


「クラウス、お前に話がある」

「無理」


 ほらみろ。親の沸騰は静かな沸騰だったのに、息子の即答の内容が悪い。


 帰ろう帰ろうとジゼルは思い、執事にだけ言って帰るためにさっそくきょろきょろと探すと、気配と姿を見事に背景に溶け込ませた執事はひっそりと少し離れたところに下がっていた。

 この親子は止めずにやらせておいた方がいいと知っているのだろう、ジゼルも学んだことだから知っている。

 うんうんと同意しつつブーツの踵で音を立てずに滑るようにそちらへ――


「――クラウス?」

「どっか行こうとしてたから」


 どんな視界をしているのだ。腕を何者かに掴まれた、正体は辿ればすぐなのでなぜ止めると言外に問うとちらりと落とされる視線と答え。

 もちろんのこと彼の父親を無視しての行動であり、クラウスに向かって口を開いたデレックが見えて目で止める。

 口が閉じられたことに目だけで謝り、仕方のないその息子に戻る。

 えらく不服そうな目になっていた。


「首都に戻るに決まっているでしょう」

「うちに泊まればいいだろう? もう夜遅い」

「報告があるのよ」

「先に戻った奴らがいるだろう?」


 それは言うとおりだ。けれどここで泊まっていく理由もまぁない。それにもれなく今宵は彼の説教時間がはじまるだろう。


「俺のことここまで連れてきた責任とれよ」

「責任って何よでっち上げないの。ほら、放して」


 それでも離す様子見られないので、自分から振りほどく。元々それほどきつく掴まれているわけではなかったのだ。

 つまりそんなに止める意思もないということで、クラウスの悪ふざけだ。

 案の定そのあとは再度止めようとする素振りはなし。

 こうなると言って帰ることができる状況になったわけでデレックに話しかける。


「デレック、遅くにお邪魔してごめんなさい」

「いいや、感謝している。近い内にまた会おう」

「そうね」


 単にそのうち会うときもまたあるだろうとそれだけ思いジゼルが応じると、眉をあげられる。何を言っているんだ、というふうだ。

 ジゼルは原因を図りかねて首を傾げる。何かあったろうか。


春のお茶会ティーパーティーだ」

「――あぁ、もうそんな時期」


 これから戻る都にて春に行われる催事。

 通称『ティーパーティー』。

 春か。そうか。

 と玄関ホールに飾られている花に証を求める。

 ふむ、綺麗に咲き誇ってはいるが元から花には詳しくないので季節を確かめることはできない。まぁデレックが言うのなら春だ。

 咲き具合で細かい時期を読み取ろうとするも種類によって異なると思われ、花に詳しくないのでこれこそ無理だ。

 話題を耳に挟んだついでに尋ねておく。


「いつ?」

「一ヶ月後だ」

「もうすぐね。そうね、会ったら会いましょう」

「会ったらか?」

「そう、会ったら」

「では招待すれば屋敷に来てくれるのかな? 我が友人」

「喜んで。――クラウス、もう家出しないようにね」

「……たぶんな」


 そんな言い方をするから信憑性がまるでない。


 首都での再会を約束して、ジゼルはシモンズ家をあとにした。





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