ある小説家の死

 これが最後のチャンス、そう思って送信ボタンを押す。 数えるのを辞めたコンクールへの出品。 返事が返ってこないのは分かっているが、今回こそは違うと送る。 そしてHPを見て、一次にすら通ってなくて落胆するのだ。 一方的な片思い、偏愛ゆえの絶望……それを乗り越えた先に虚無があった。


 小説を書いて公募に応募することが作業と化してしまい、選んでもらわなかったとしても心が動かなくなる。 かつては有名になって、物書きとしての大成を夢見ていた。 しかし、そんな生活も20年を過ぎてしまっている。 キーボードを叩く手には、去年よりもシワが深くなった気がする。 それが「壮年と呼ばれる年になっているぞ」と脅してくるようだ。


 缶ピースを一本取り出し唇で咥え、穂先をライターで炙る。 白い煙を吐き出し、そいつが消えるのを眺めながら考える。 どうやったら人並み以上になれるのかと、ガキのころから答えが出ないテーマについて考える。 いや、答えは出ているはずだ。 小説からは足を洗ったほうが良いと。 実家に戻って年老いた父母の面倒を見る代わりに、自分の飯と人生を面倒見てもらう方が建設的だと。 しかし、それが出来るのであれば50歳近くまでこんなチンピラ稼業を続けていない。 夜間警備員をしながら、小説を綴る生活を続けていないのだ。 

 缶ビールを開けて呑むが、味はしない。 色と匂いが付いた水みたいなもんだ。 昼夜逆転生活と無軌道な食生活のせいで、すでに味覚は失われている。 何かのキッカケで味覚を取り戻せたら、ビールを新鮮に思えるのであろうか。 興味はあるが、どうでもいい。


 アラームが鳴る。 20時30分、そろそろ出勤しないと電車に間に合わない。 黒いナップザックに、内張りを替えたばかりの警備帽とヒートテックの股引、替えの下着を2日分入れる。 残っていた缶ビールを一気に空けて、ナップザックを背負って玄関へと向かう。 しかし、構内通行許可証を入れ忘れたことに気が付く。だけど、ソイツをどこにしまったか忘れちまった。 コタツの中にも紛れていない、書類が入っている引き出しにもない。 焦って時間を見る。 20時55分。 俺は上司に電話を掛けることにした。 いくら探しても見つからないなら、さっさと謝ってしまった方が楽だ。


「あ、すみません。 俺です。 入館証家の中で失くしちゃって。 探してるので出社遅れます」

「見つかるまで来なくていいです。 見つかったら連絡ください。」

 電話を切られた。 なんだよ、予備を貸せばいいじゃねぇか。 くそ、今日の稼ぎが失くなっちまった。


              ※ ※ ※ ※


 あれから半年後の冬、俺は小さな出版社のHPを見てる。 主宰する新人賞の一次通過者が発表されているが、そこに俺の名前はなかった。 「またか」という落胆よりも「ほらね」という確認作業。 そこに何の感情もなくなった。 一体俺は何をしているんだろう? 何を伝えたくて書いていたんだっけ? 面白いがなくなった作業は、ただの苦行にしか過ぎない。 それでも続けているのは惰性なだけじゃないか? それでも俺はネタ帳を繰って、書き込んだネタをプロットに起こしている。 気がついたらいつもこうだ。 今日くらい何もせずに落ち込んでりゃいいじゃねぇか。 でも、すでに馴染んだ行為は体を動かす。 脳の命令を無視してだ、心の重しを投げつけるように、キーボードを叩く。 叩く。 叩く。 体が疲れ切って止めるまで叩く。 その時、脳は体がしたいことに従うだけの都合の良い女みたいなもんだ。 叩き疲れて机に伏すまで、その作業は終わらない。 脳が逆らわないのは、達成感を知っているからかもしれない。 叩く、叩く、紡いで編む……


 薄い壁越しから隣の部屋の屋主が起きる音がする。 窓の外は暗いけど朝が来たんだ。 稲川さんはいつも6時には起きるからな。 眠くはないが夜からの仕事のために眠る。 やりたいことのために働いているのが、働くためにやりたいことをやれないでいる。 疲れてしまってやりたいことがやれない。 本末転倒でもどかしい。だが、現実だ。 現実を生き抜かなければならない。 誰だってそうだろう? でも、今日の俺は違った。 なにかが弾けてしまったような、止めていた欲望のタガが外れてしまったような、寝ている場合じゃない、そんな風に思った。 俺は寝床を抜けて、パジャマにダウンジャケットを羽織っただけの軽装で、玄関を飛び出した。



――「ハーーーーーイ!!!! ドウモーーーーー!!!! ダメ人間ですぅうううう!!! いええええええい!!!」



 中天に差し掛かる頃、俺はニコ生で配信を始めた。 ドン・キホーテでマイクセットを買って、気が狂ったようにディスプレイに向かって話し続けている。 俺の話なんて誰も聞いてはいない。 だが、俺は話したかったのだ。 無償に、誰も俺を知らない人に知ってもらいたくて、1秒を惜しむように話し続けている。


「いやー! 小説家になりたくて28歳で脱サラしてバイトしながら書いてるんですけどね! この度! 中島敦賞! 22回目の落選いただきましたー! みんな知ってる!? 中島敦賞って10回目からはお祈りメールも来ないんだよ! でね、おかしいなって電話したの! 出版社に! そしたら『間違いなく落ちてます』って! 電話しなきゃ良かったよー! HPと合わせて二回も『貴方はつまらないです』って言われてるんだもんねー! ふざけんなよって! アハハハハ! でもね!俺平気! 落ちて凹むことなんて3回目以降からないもん!」


 俺は何をやっているんだ?と、思う。 誰も聞いていない中で、砂漠の真ん中でひたすら独り言を言っているような、はたまた水の中でずっと話しているような、無為な時間が流れていく。 虚しさを感じるが、その虚しさを埋めるようにただただ話し続ける。 分かっている、俺は病気だって。 でも、こう話し続けることで心の澱が失くなっていくような気がした。 それに、この動画は残り続ける。 だとすれば、明日や明後日に反応があってもおかしくない。 俺の話に反応が返ってくるかもしれない、それ自体何年ぶりのことだろうか。 そう思うと、言わなけばならないことがたくさんあるような気がした。 小説家を目指し始めてから友人がいなくなったこと、親からも三行半を突きつけられたこと、彼女を作りたくてもスタートラインすら立てないこと……小説家を目指すことは、一般的な人の営みを捨てさらなければいけないと伝えなくちゃいけない気がしたのだ。 


「いやあ50近くなってね、2勤1休の生活はきっついよー! 48時間徹夜して1日休みって言ってもね、帰ってきたら寝るだけだからね! だからと言って貯金が貯まるわけじゃないからねー。 たまに元気なときは競艇やパチンコに行くし、酒もタバコも飲まなきゃやってらんないからね! でも、つくづく独りで良かったわー。 嫁さんや子供いたらこんな生活できないもん! 家族の反対を押し切ってもなりたいって思ったからさ、そんときはマジでロックンロールだと思ったし、今もそう思ってるけどね! まぁ創作しようと思ったら守りに入っちゃダメだよね! 転がった石は自分の意志じゃ止まれないんだぜ? やべぇっ! 少しかっこよすぎねー俺!?」


 閲覧者が1人入ってきた。 間違いなく誰かが俺の話しを聴いているのだ。 それがたまらなく嬉しくなった。 


「初めてのお客さんだ! どもー! いらっしゃい! 何もないけどゆっくりしてって! あ、ねぇコメントとかもらえる!? 男の人? 女の人? あれ、なんか言ってよー! 寂しいじゃん!」

(ゲストが退出しました)


 唯一のゲストがいなくなった。 なんだよ、だったら最初から来んなよ。 タイトルで興味持ったけど、実際に見てみたらくだらなかったってわけだろ? 出版社だけじゃなくて、一般人からも俺は否定されんのかよ。 なんだよ、来んじゃねぇよ。 俺を面白いって言えよ、嘘でもいいから。


「なんだよ! 少し絡んだだけじゃねぇかよ! 戻ってこいよ! 俺の話を聴いてよ! 頼むからさぁ!」


 俺の怒鳴り声が空虚な部屋に響く。 薄い壁の部屋だ。 きっと外まで聞こえているんだろう。 大家さんが心配しなければ良いけどな。 俺以外に誰もいない部屋。 俺以外に誰も居ないアカウント。 世界には俺以外に誰もいない、ずっと俺は独りで生きていかなければならないのか。 ハハハ……何でだよ。 俺ってそんなにいらないのかよ。


「ねぇ? 俺って世界にいらないのかな? 誰にも必要とされない50男の気持ちって分かる? ガキの独りとは違って、物理的に誰も居ないし、誰の声も聞こえないんだ。 友人も家族も失い、同僚と話せる仕事でもないんだぜ? 今日俺がリアルで発した言葉何だと思う? コンビニでビールとつまみ買ったときに『すいません、一万円しかないです』だけだぞ。 なぁお前ら、かまってくれよ。 おもちゃでもいいからさ、かまってくれよ。 寂しいのは辛いんだ。 頼むよ」


 なんの反応もない。 俺がこんだけ頼んでも、誰も反応しない。 耳に聞こえるのは俺の声だけで、それが俺に言い聞かているような気がして、ますます寂しさが募ってくる。 鏡に向かって話しているのと何も変わらない。 なまじっか反応があった分だけ余計に辛い。


「お前らがそんな反応するなら、じゃあ俺、死ぬわ。 もう分かったよ。 そんなにいてもいなくても変わらないんだったら死んでやるよ。 良いんだな!? 死ぬからな!」


 反応はない。 俺はタオルを縄状に丸め、輪っかを作ってドアノブにかける。 その輪の中に頭を通して首にかける。


「これが最後だぞ! 止めるなら今だぞ! おい! お前ら俺を止めてみろ! 止められないんだろ! いいかマジだからな!……分かった、じゃあな!」


 両足を宙に放り投げて、重力に体を預ける。 数秒後、首に強い衝撃がかかり、何かが潰れる音がした。 そこから先は記憶が曖昧だが、結果、俺は俺を見ている。 だらしなく舌を伸ばして、失禁をしている俺を見ている。 それを見ても不思議と何も感じないし、首にも何の違和感もない。 俺は悟って、パソコンの前に座り直した。 小説家ってもんは、つくづく業が深くて嫌になる。


「ネタできたわ」

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