THE WORLD IS BLACK

 ―― 20XX年3月1日。 近いが遠いになった日。 友達が敵になった日。 その日に私は私を奪われた――


 テレビに映し出された映像を見終わったとき「これからどうなるんだろうね」と母さんが言った。 小さな輸入会社をしている私たち家族にとって、久しぶりの団欒の時間だったが、日本と本国が断交すると決議されたニュースのせいで重いものになっていた。 テレビのアナウンサーは重々しい口調で事実を告げたが、コメンテーターの一言の後には明るい口調でバラエティーコーナーに進行した。


「ねぇ父さん、これから会社はどうなるんでしょう?」

「分からない。 状況を見るしかないな」

「もしも私たちがこの国に入れなくなったらどうするの?」

「それは大丈夫だよ。 我々の同胞は強い結束力があるから、もしもの時は日本政府と掛け合うさ。 まっとうに根差している我々に、そんな最悪のことなんて訪れるはずもない」


 父さんは力強くそう言った。 母さんは不安そうな顔をしていたが、何も言わなかった。 そんな両親に対して、私は何を言うべきか分からなかった。 楽しいはずの夕食に会話はなく、時計の針が進む音が響いていた。


 6月、霧雨が続く毎日。 湿気で髪型が決まらないことにうんざりする季節だったが、今年の私は違うことでうんざりしていた。 日本政府が同胞の人たちを強制送還させ始めたからだ。 父さんは会社に出社しなくなり、家で誰かに指示を飛ばすだけになっていた。 指示と言えば聞こえはいいかもしれないが、現実は怒鳴っているだけだ。 豹変した父を見て最初は戸惑っていた私だったが、すでに慣れてしまった。 明日この国から追い出されるかもしれないのに、私は違うことで心を痛めていた。 それは私に対しての学校での扱われ方だ。 

 机には「お前も早く帰れ! 不法滞在者!」などと落書きがされ、話しかけてくれる友人もいなくなった。 守ってくれるはずの教師は見て見ぬふりをし、支えてくれるはずのボーイフレンドは強制送還させられた。 バイト先からは、シフトの入り時間前よりも早く来て不当な時給を要求したと言いがかりをつけられて解雇させられた。


 私は何も悪くないのに。 周りが面白半分で悪者に仕立て上げる。


 孟夏が過ぎて肌寒さも感じるようになった10月。 状況はすでに最悪となっていた。 テレビを付けたら、前月に私たちの同胞を送還させた総計を紹介するコーナーが出来ており、コメンテーターやアナウンサーたちが、治安維持と名目を飾って私たちを排除するとこが美徳であると語っている。 

 驚いたのは本国への還され方だ。 コンテナに詰められて、クレーンで吊るされて、港ギリギリまで来ている旅客船に積み込まれる。 なんとも非道なやり方だが、接岸した段階で不法入国扱いされるらしく、それしか日本にいる私たちを本国が回収する方法がないらしいのだ。ふざけている。 だが、そんな怒りも向ける相手もいない。 父さんも母さんもすでに強制送還されてしまったからだ。 私は高校3年生になっていたから、特例で残留を許されていたが来年の4月1日には帰らなければならない。 すでに私が持たされているのは、留学ビザに切り替えられているからだ。 本国の様子を調べようとネットを開いても、断交した国のサーバーへの接続は拒否されており、ページを開くこともできない。私は両親が残してくれた本国の住所とメッセージを見て泣く日々となった。


 春待ちの冬、1月。 今年の冬は私の人生においても冬だ。 大部分の同胞が去った街中はガランとしていた。 大好きだったチキン屋も閉店し、パチンコ屋はチェーンのスーパーやコンビニに変わっていた。 これは私たちの街だけじゃなくて全国的に同じ現象が起きているらしい。 それに伴って、日本経済は落ち込み、多数の失業者が生じたそうだ。 それもそのはずだ。 両親のように会社を興した人も本国に強制送還させたのだから。 日本人だけが経営者ではない。 未来を共に歩めなくなった末路が、お互いに大打撃なんて皮肉な話だ。 そんなことは今やどうでも良くなっていた。 この国にいたくなくなったからだ。 制服の右腕に縫い付けられた腕章を隠すように握りながら歩く帰り路。誰にも見つからずに、早く春がくれば良いのにと願いながら独りで歩く私の気持ちが同胞以外に分かるだろうか。 

 

 家まであと少しのところで、違う高校に通う幼馴染の健司に会った。 彼は私を見ると、悪意を浮かべた表情で近寄ってきた。

「よう。 お前まだいたの? 早く帰れよ」

「……どいて」

「まぁ待てよ。 久しぶりに会った幼馴染に冷たいじゃん。 お前んち寄ってくわ。 どうせ誰もいないんだろ?」

「キモイ。 話しかけないで。 じゃあね」

 そう言って立ち去ろうとするが、健司は揶揄いながら家までついてきた。


 この世界は真っ暗だ。 空には月も星も消えた深夜のように寒くて暗い。 私はそんなことを考えていた。 勝手に家に入ってきた健司は、私を組み倒して「なんでお前があの国の人間なんだよ! ずっといろよ!」と泣きながら腰を振っている。 どれだけ彼が甘い言葉を囁いても嘘に聞こえる。 たとえ彼の兄が、私の国で同胞に叩き殺されている事実があったとしてもだ。 そして、15歳のころに好きだった男に抱かれている事実があったとしても、何もかもが空虚だ。 健司は事が終わると「4月まで時間はあるから、また来る」と言い残して帰っていった。 私は下腹部の痛みをごまかすように天井を見ている。 国が決めたことに、私がいくら言っても変わらない。 そんなことを考えている人は世界中にいくらでもいるだろう。 そんな人たちが団結したら変わるのかもしれないが、絶対に変わらない。 誰しもが言っても無駄だと思っているから言葉にしないし、誰かが先陣を切ったとしても保身に回って部外者でいたいからだ。 私は涙を流していた。 幼馴染に犯された悔しさなのか、痛みによるものなのか分からない。 だけど分かったことがある。 


 

 この世界は真っ暗だ。 光を求めすぎると、私のように泣く人間だっているんだ。

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