匿名希望

―――波風もなくつまらない人生だ。  ケチャップを絡めて焼いた見切り品のソーセージに齧り付き、レモン味のストロングゼロで流し込んでいたときにそう思ったんです。人間関係に耐えきれなくなって会社を辞め、暇を埋めるようにギャンブルにのめりんで、それがバレて親に絶縁を下され……失ってばかりで勝ち取ったものがない。 かといって成し遂げたいものがあるわけでもなく、なんとなく働いて払うもの払って、安い食い物(炭水化物多め)で腹を満たし、隙間風が忍び込む暗い部屋で、ゴロゴロしながらネットを見ているだけの日々。 大きな幸せも不幸もないが、傷つくこともない。 負け犬と言われるような生き方かもしれないが、頑張らなくても生きられる。 いや、これが今の主流の生き方になっているはずだ。 生存することが最大の目標ならば、頑張りなんて富裕層と学生の余暇みたいなもんだ。 賢い生物は、満ち足りたらそれ以上は求めないもんさ―――



「そう思えば、僕の人生って普通だと思いませんか? ねぇ?」

「もうわかりましたから! これ、期日までに払って下さい! 失礼します!」


 役所から来たという女性は、赤い封筒を置いて階段を駆け下りて行った。 拾い上げてみると「住民税催促状」と書いてある。 知ってた。 むしろ俺に下さい生活保護。 不労収入バンザイ。 



「さぁて、BBQしよっと」



部屋に戻ってクロームでヤフーリアルタイムで「炎上」とTwitterを開く。 叩かれまくっている対象がズラズラと流れている。 ソーセージはもうない。だが、ストロングゼロはおかわりも含めてまだまだある。 明日もあさっても仕事はない。 やる気になるのを待っているのだ。 いつ来ても良いように、就職サイトに登録はしている。 パスワード忘れて5年位ログインしてないけど。



「不作だなぁ。 弱いよどれもこれも……あぁ! そうだ! 今日は嘘つきヒゲダルマの日!」



そう今日は水曜日。 デブで気持ち悪い芸人が出演するテレビがあ

る日。 やつは叩かれて嫌われることで収入を得ているようなプロ・ヘイトだ。 みんな飯を食うために好かれようとしているのに……許せん。天誅を与えてやる。 今日こそはやつの心をえぐれるような煽りをしてやる。 なんて書けば泣くかな? 


「浮かばないなあ……ヒゲダルマのTwitterでも見るか」


放送までまだまだ時間は半日くらいある。 腐るほどある。 うんざりする。 でも、他に思いつかない。 他の奴らのコメントを見て、ヒゲダルマが泣きそうな傾向と対策を練るか。


――――クソ! クソ!! クソ!!!! なんだコイツは!!!! 悔しい! 悔しい! 悔しい!!!!


ヒゲダルマが「あーん! なんでそんなこというの―(;O;)」と悲しみのツイートを綴っている。 その原因はリツイートだ。 ヒゲダルマがツイートした出演情報に、リアルちゃんと名乗る奴が「50kg痩せたら見てやるよ」と書き込んでいる。

ただそれだけだ。 切り取った画像を悪意を込めて加工したものでもなく、文学的な比喩を使ったセンスが良い皮肉でもない。 只々、上から目線の言葉なだけだ。 強いて言うなら具体的な数字を絡めているだけ。


何が一番悔しいかって言うと、コイツがこれからの煽り文句の方向性を決めるってことだ。 コイツのスタイルがしばらくの間トレンドになる。 何のひねりもないじゃないか。 それはダメだ! ふざけるな!火付け師としてのプライドが許さない。 俺はリアルちゃんをフォローし、「おい、何のひねりもねぇじゃねぇか!」とダイレクトメッセージを送った。 そしたらすぐに返事は返ってきた。「何のこと?」と。


「惚けんなヒゲダルマだよ!」

「あぁ、嘘ばっかり言ってんなアイツ」

「もっと上手い言葉あんだろ! お前の言葉で流れが出来るって自覚あんのか!」

「しらねーし。 つーかお前何なの?」


なんなんだろう。 いや、本当俺になんなんだろう。 なんでこんなことで怒ってんだ?


「そういうこと言うなよ冷めるわー。 熱くなれよ」

「知れねぇよ卍。 もう連絡すんなし」

「お前だって暇なんだろうが。 一緒にヒゲダルマ煽ろうぜ。 俺とお前が組んだら、すげぇ放火魔になれるはずだ!」

「は? 暇じゃねーし。 やることあるし! ひとりでやってろし!」

「俺もそういうときあったわー。 暇じゃねーしって枕詞で使ってったわ―。 ナツイわー」

「一緒にすんなし! テレビ見てて思ったこと呟いただけだから! ひとりで親指叩いてろ!!」

「親指?」

「情弱乙。 今日の放送見れ」



なんだこいつ? 親指?わけわからん。




――クソ! クソ! クソ! チクショウ!!――


放送を見て親指の意味が分かった。 人気女性タレントがヒゲダルマの外見を親指と評したのだ。 その指摘は的を得ており、スタジオだけでなくネットも「親指w」とウケていた。 これで流れは親指に決まりだ。 その証拠にヒゲダルマのアカウントが「親指」で溢れかえっている。 


「それはズルいだろう! 影響力を考えろよ自分のさぁ! 親指はズルいだろう!」



イラつきが収まらない。 髪を掻きむしる度に、パラパラとフケが舞い降りる。 なんでこんなに良いフレーズが生まれるんだ。 俺はこんなに集中しているのに、なんでヒットする言葉が出せないのだ。 俺とコイツらで何が違う? 俺の方が面白いはずだ! 許せない! 早い! 早いよ!


気持ちが落ち着くまで机の上のネコのぬいぐるみを力いっぱい壁に投げつける。 何度も。 何度も。 壁から跳ねて窓ガラスに当たるが、ガラスは揺れもしない。 俺だって学習能力はある。 ぬいぐるみだったら大丈夫なんだよ。 ちなみにネコは大好きだ。 



肩で息をしながら天井を見つめる。 運動は良い。思考の全てを「疲れた」「キツイ」に統一してくれるから。 背中に痛みを感じ寝返りを打つ。 俺と同じ体勢のネコのぬいぐるみと目が合った。


「そんな目で見るなよ……」


ネコのプラスチック製の眼球が俺に語りかけるようだ。「何やってんの?」と。 そんなの俺にもわかりゃしねぇよ。 何やりたいかも分からない暇つぶしの毎日なんだから。 あぁ爪に血が付いてる。 そろそろ頭洗わないとなぁ……あれ? あれあれあれあれ???



「……あいつなんで放送前に知ってんの?」



PCでTwitterを開き、リアルちゃんのメッセージログをたぐり、感情に任せるまま「お前なんで放送前に知ってんの?」と送る。




返信が来ない。 何やってんの? ねぇ?お前何やってんの? 高校生時代に告白した女から返事が来ないことを思い出した。 恋かこれは? 違う!はずだ。 親指の画像を加工したリアルちゃんのアイコンが忌々しい。 腹いせに何度もクリックしてやる。 この矢印がナイフならお前は死んでいるんだ。 分かってんの、ねぇ ?死んじゃうんだよリアルちゃん。


クリック連打が楽しくなり始めた頃、唐突に返信が来た。 待っていたはずなのにビックリする。 これは恋か? 違う!


「ていうかお前一日何やってんの?」


言わせんなよ恥ずかしい。 聞かないのがマナーだろうが。 お前も感づいてんだろ? その通りだよチクショウ。


「質問に答えろ。 なんで放送前に知っていたか、だ」

「それは言えねぇな……」

「思わせぶりにすんじゃないよ。 大体わかってんだよ」

「あぁそう?」

「えぇ、そうです。 お前は親指の関係者だ。 そうだな……制作会社のスタッフか、マネージャーか…違うか?」


返事が途切れた。 俺の指摘は、ヤツにとってクリティカルだったようだな。 勝った。 何に勝ったのかは分からないが、非常に満足だ。 行き過ぎた多幸感は、危ないレベルの脳内麻薬だって思い出したよ。


「ふっ。 どうやら図星みたいだ……最初からヒゲダルマと合わせてたんだろ? あいつも身内には弱かったようだね。 ただ、俺は失望したよ。 俺に勝ちたいからって、それで流行を捏造するのは違う。 流行というのは新しい価値観であり、世の中に生まれた妖怪みたいなもの……そう思わないか?」

「あ、ゴメン。 風呂入っていたわ。 違うから」


悔しい悔しい! なんなのぉ!! 落ち着け、落ち着け、ネコを撫でて心を鎮めるんだ……やっぱ悔しい!! ネコを投げる。 壁に跳ね返って頭に当たる。 くやしい!


「ていうか、親指は追いかけてんのに、番組Twitterはフォローしてねぇんだな」

「はい?」


というわけで番組Twitterを遡ってみる。 3日前に「僕、親指王子じゃないしん!」とツイートしていた。 親指、言ってんなぁ。


「なんか言うことは?」

「へぇー」

「ねぇ、今どんな気持ち? 情弱っぷり晒して、『ふっ。 どうやら図星だったようだな……最初からヒゲダルマと合わせてたんだろ? あいつも身内には弱かった、それが分かっただけで充分だ。 ただ失望したよ。 俺に勝ちたいからって、それで流行を捏造するのは違う。 流行というのは新しい価値観であり、世の中に生まれた妖怪みたいなもの……そう思わないか?』とか言ってたのに、3日前に番組がツイートじゃん? 今どんな気持ちなのねぇねぇ?w 教えてwwwww」

「黙れ!」


くやしい! 恥ずかしい! 恨み節をつぶやきながら部屋中を転がり続ける。 メッセージの通知音がするたびに俺を突き刺しているようだ。 うるせぇんだよ!!!……OKサトシ。 落ち着け、クールになれ。 何ならアイスを食うといい。 糖分は脳の栄養になるし……オーケーこれでいい。 だいぶクールになれたわ。 思えば大したことない。 ミスは誰にでもある。 それをどうやってリカバリーするかが、出来る男と出来ない男の違いだ。 慈悲の心で、寛大な心で、ヤツの煽りを受けてやろう。 大丈夫、俺の器はブラックホールくらいは広い。 さぁリアル! お前はどんなことを言ってるんだ!



「どんな気持ちで『へぇー」とかいっ・たっ・のぉおおおおおおwwwwwww」

「うるせええええええええええええええ!!!!!!!!!!」


ネコを思いっきりディスプレイに投げつける。 香箱座り状態のネコが頭から突き刺さるように。 もちろんネコは弾かれて床へと落ちたが、ディスプレイと壁では安定性も強度も違った。 ネコの衝撃に耐えられなかったディスプレイは、少しだけ前後に揺れて、やがてネコを追うように床へと吸い込まれていった。 俺はなんとか守ろうと駆け寄ったが、たるんだ体が畳に与える揺れは薄いディスプレイの運動エネルギーを増長させて終わりだった。 


――パリン


ガラスが割れる音がしたから電源プラグを抜いて窓を開けた。 今は煙が上がるディスプレイを見下ろしている。




――いつも思うんです。 自分は爪が甘いし、熱くなりやすいんだって。 それが上手くいかない理由だと思うんですよ。 えぇ、それはそれは人にも言われますし、自分でも思います。「ギャンブルに手を出すなよ」って言う人もいますが、今思えばそういうことでしょう。 ただね、ポジティブに考えましょうよ。 爪が甘くて熱くなりやすいって、言い換えれば母性本能をくすぐる少年みたいなヤツってことでしょう? 違う? 違わなーい! 俺がそう思うんだからそうなんですぅ―! ……はい、すいません。 えぇ調子乗っちゃいましたね。 こういうとこっすよね、えぇ。 これが良くないんですよ。すぐ楽しくなっちゃうから。だからね、俺思うんです――


「まぁ分かった。 自分でやったんだったら良いけど、お隣さんとか大家さんのことも考えなよ」

「はい、すいません」

「本官だってね、忙しいんだから。 こんなことで呼ばれたらたまんないよ。 出動報告書書かなきゃいけないんだよ? 分かってる?」

「はい、すみません」

「隣の人も怖がってたよ。 何かあったんじゃないかって。 で、とりあえず仕事は?」

「無職です」

「ふーん……無職、ね。 まぁいいか。 それで君がもしね、その芸人さんを煽ってたら名誉毀損とかで現行犯逮捕。 書き込んでないのは不幸中の幸いだからね。 分かってる?」

「……ちょっと待て。 現行犯逮捕になるソースは? ねぇ、名誉毀損って原告からの申し出があって始めて成立するよね? ねぇ? ヒゲダルマが訴えるならわかるけど、おまわりさんは名誉毀損されてないよね??」

「まぁ、本官は帰るから。 さっきから、スマホが鳴りっぱなしだから出なさい」

「ちょっとソース出せよ。 ねぇ、なんでおまわりさんが名誉毀損で現行犯逮捕できんの?」

「公務執行妨害だったら簡単にしょっぴげるけど!?」

「ご公務お疲れ様でした! お気をつけてお帰り下さい!」



稲川の野郎、警察呼ぶんじゃねぇよ……それにしてもなんなんだアイツは!? 無職で悪いのか!? 俺は少し休んでるだけなんだよ! お前みたいに太った銀縁眼鏡の犬と一緒にすんじゃねぇ! アッタマきた! 今のやりとりネットに晒してやんよ!


スマホを手に取りディスプレイロックを外す。 すると、通知アイコンがすごいことになっている。 俺のTwitterがいいねとか、コメントとか、リツイートとかバンバンされてる? なんだこりゃ? この間呟いた「保護猫カフェを非難している奴は脳死してる」が今更バズったのか?? 通知アイコンを開くと、知らないやつらが「どんな気持ち?w」とコメントしているようだ。


「まさか……」


Twitterを開いたら答えは一目瞭然だった。 リアルちゃんが、俺のアカウントを引用して「キモいヤツに絡まれたんだけどw」というコメントを添えて、俺のメッセージをスクショしたものを晒している。 あぁ、こりゃあ……いい燃料になるな。 その間も、ドンドンコメントが寄せられている。 正義感を振りかざした奴が説教をしてくるパターンもあるが、大半が「どんな気持ちw」だ。 どんな気持ちかって? 一言で表すとこうだ。


「あ~ん、なんなのぉ……僕、気持ち悪くないしん!」




                                    了

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