僕の村上春樹的な結末

 卒業まで後半年といった冬の気配を感じる10月の終わりに、マミはどこかに旅立ってしまった。



 ほんのボタンの掛け違いだったはずだ。それが別離になるなんて想像できるもんか。



「企業に務めても創作は出来る。安定した収入を得ながら、飛躍するときを待てば良い」という僕に、マミは「人生で挑める期間は少ない。自分が信じる芸術に心血を注ぐべきだ」と譲らなかった。



 一晩を徹してもお互いが譲ることをしなかった。その結果が翌朝だ。



 朝の光が窓から差し込み、僕のアトリエの玄関のドアの前に立つマミの顔に影を落とす。彼女は笑いながら「ここでさよならしよう」と告げた。



 僕は「頭が冷えたら帰ってこいよ」と告げると、マミは少しだけ笑って、伏し目がちに「ありがとう。バイバイ」と返し、青みがかった朝日の中に歩き出していった。


 僕は彼女が徐々に小さくなっていくのを見守っていた。曲がり角の先に消えていくまで、ずっと……ずっと。彼女は一度も僕を見ること無かった。



 日常の光景が幻想になってしまった。マミが消えた。携帯電話も通じなくなり、メールも返ってこなくなった。



 恥を気にせずに、喫茶店のマスターに彼女の行き先を尋ねてみても何も分からなかった。何年か後に、FACEBOOKが出た時に連絡先で検索をしてみたが、彼女の名前がヒットすることはなかった。



 僕は卒業後、おもちゃメーカーに就職しキャラクターデザインを手がけるようになった。そこで出会った後輩の妻と結婚をする。しかし、彼女と恋人になったときも、結婚した後も、僕の心にはマミの影が時折よぎっていた。


 



 彼女は死んだ。いや、僕が彼女の側に居れなくなったのだろうか。





 最早そんなことはどうでもいい。彼女は僕の背中から、左隣から、僕の視界から消えたという事実は変わらない。














「お客さん、終点ですよ」



 車掌だろうか。制服を来た中年男性に揺り起こされる。いつしか眠っていたんだな。窓から差し込む昼下がりの陽射しが、いつもより眩しく感じる。降りた先は、かつてマミと過ごしたアトリエがある駅。



 いつもの通勤駅を通り過ぎたどころか、折返しの終着駅まで来てしまったみたいだ。



 改札に向かう。10年ぶりに見上げた駅舎には、当時のように改札員はいない。ICカードで入退出を管理し、トラブルが合ったときだけのために控えている駅員が、退屈そうにあくびをしている。



 ICリーダーにスマートフォンを押し付け外へ出る。暇と持ち金を潰したパチンコ屋はチェーンのファミレスになっていて、三色パンが売りのパン屋は様変わりして、小難しい横文字のブレッドが名物のカフェになっていた。


 ふと、当時暮らしていた倉庫を見たくなった。バス停の位置も変わっておらず、都合よくバスが待機している。



 時間を確かめるためにスマホを操作する。着信履歴が50件。LINEも100を超える通知だ。ほぼ会社からだが、中には妻からの通知もあった。



 私は苦笑いし、バスが出るのを見届けて駅へ向かった。途中で知らないカフェに入り、新商品だというレモンヨーグルトクリームが入ったロールケーキを買った。


 帰ろう。行ったって何も変わらないし、変わったところで

 今さらどうしようもない。














「ねぇ、どうしたの?なんで無断欠勤したの??」

「時々そんな気分になるんだよ。その気分に今日は負けちゃったね」

「大丈夫? 会社でなんかあったの??」

「何もないよ」

「それならいいけど……なんかあったらいつでも言ってね。抱え込まないでね」

「ありがとう」

「それはそうと、石橋課長に連絡しなよ。心配して私にまで連絡きたんだから」

「わかった。あ、お土産。よくわかんないカフェの新商品のレモンヨーグルトロール」

「ありがとう。ここ有名なとこだよ。あんなとこに何しに行ったの?」

「起きたらそこだったんだよ」

「あぁそう。じゃあ夕飯のあとに食べよ。それまで、ミユキと遊んでて」

「うん」



 そういって妻は気遣ってくれ、キッチンへと戻っていった。私は夫婦兼用の寝室で部屋着に着替え、課長へと連絡する。課長は職務怠慢を責めることなく、ゆっくり休むようにと気遣ってくれた。



 優しい妻と可愛い子供がいて、部下思いの上司がいる。それだけで恵まれている。感謝すべきことなんだ。それを分かっただけ、今日はいい日だったんだ。



 リビングではミユキがタブレットで本を読んでいる。今年小学校4年になる一人娘は、シャーペンを手になにやら難しい顔をしている。



「どうしたの?」

「あ、ぱぱおかえり。星の王子さまを読んでるんだけど、分からないとこがあるの」

「へぇ。どうしたの?」

「なんで王子様は、バラもキツネも大事にしなかったの?行ってって言われたら、そのまま素直にバイバイして、あとあと悲しんでいるじゃん」



 (あぁそうか。そうだったんだ)



 こらえることが出来なくなって声を上げて泣いた。妻とミユキが心配して何度も呼びかけてくれたが、止めることは抑えることができなかった。

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