詩的なヤツ

母を想う~母の日のメッセージ~

気持ちが不安定になると母親を思い出す。



1日に1回は必ずだ。それだけ綱渡りの毎日なのだろう。



人生の課題は目の前にあり、それに取り組まなければならないのは分かっている。



しかし、思い出すと止められない。



義務にも似た強制力に抗うことは出来やしない。やっても徒労だ。



大人しく母を想おう。


会えるけど会えなくなった母へのラブレターを一方的に残そう。だいぶ遅れた母の日のメッセージだ。




母は70を過ぎた。まだ児童館で嘱託職員として働いているのだろうか。



6年前、俺は「もう辞めればいいじゃん。ババアなんだから消化試合でいいだろ。余生楽しみなよ」と、冗談交じりに軽口を叩いた。



母は「働くのがすきだから。体は動くし。求められる内は華だと思って頑張るわよ」と笑っていた。



なんとなく作った笑顔に見えた。



俺が生まれる前、母は田舎の高校教師だった。その杵柄を活かして、未だにガキの面倒を見ているのだろうか。



おそらく働いているだろう。父と一緒に居たくないと昔言っていたしな。



今思うと、職務に没頭するという言い訳を得て、自分の人生から目を逸したかったのかもしれない。



宮城の片田舎で産まれた田舎者の母は、同郷の幼馴染である父親に連れ添って東京に来た。



好景気に浮足立っていたバブル時代。父はサラリーマンを辞め起業し、経営者として上京した。金貸しというヤクザな稼業だったが、その恩恵は俺たちにも充分に与えられた。



少し一例を挙げれば、1台しか止められない駐車場に、毎日違う車種の高級外国車が並んでいた。当時、父はヨーロッパ車にハマっており、ロールスロイスをはじめフェラーリやポルシェなどを乗り回していた。



俺はジャガーを気に入っていたと思う。立体的でリアルな造形のエンブレムを撫で回し、見惚れていた記憶があるから。



母親は働かなくてもいいのに「統計局時代の友達に頼まれたから」と、介護会社の事務のアルバイトをしていた。



小学校5年生の頃。バブルが弾けて、我が家の経済状況も破綻した。



高級住宅街に構えた輸入邸宅は二束三文にしかならず、俺達は一家は京王線沿いの日当たりが悪いボロ屋に転がり込んだ。4日に一度しかトイレの水も流せない生活に。



厳しくも男気があってかっこよかった父は、荒れ狂いながら毎日のように債権者を捜し回っていた。大学生の兄は、父の見栄でアメリカに留学中で、金が無くなったときにしか連絡を寄越さない。高校生の姉はグレて、不良仲間と遊び回って家に帰ってこない。



夕食はいつも母と2人。食卓には白米とわかめだけの味噌汁、それにコロッケと申し訳程度のキャベツの千切り。


母親に「なんでコロッケないの?」と聞いたら、彼女は「私は会社でいっぱい食べているから」と、務めている会社にバイキングがあるなどと雄弁に語ったのを覚えている。



子供でも分かる嘘だ。



太るどころか、やせ細っていく一方だったからだ。


だから「僕も給食食べ過ぎたから半分食べて」と10センチほどの薄いコロッケを、箸で割って母に譲っていた。



それを母は「しょうがないわね」と、目元をほころばせながら食べていた。


その顔がとても好きだった。



育ち盛りで食べ盛りのころに、そんな量では到底足らず、寝付くまで枕の裾を噛んで空腹をごまかしていたけど、母の喜ぶ顔が好きだった。中学校を卒業したら、すぐに働いて母親が好きなものをたくさん食べさせてあげたいと決めていた。



一方で、母や姉を壊したのは父や兄だと思うようになり、ふたりを忌避するようになった。それは成人しても消えることはなく、苦手意識は嫌悪に変わり、すべてが理解できるようになった今では憎悪になっている。



俺が犯罪者にならなかったのは、母が強い女性だったからだ。



貧しさと運命に抗う姿を見せ、頼りない男どもを叱咤激励し、子供には弱さを見せずに慈しむ優しさがある女性だったから、子供のころから母を困らせることはすまいと誓えたのだ。



もし、彼女がもっと弱い女性だったら、俺は間違いなく闇で生きる人間になっていただろう。



生きるために誰かを傷つけ、下手を打って野垂れ死ぬまで、自嘲と緊張が切れない日々を過ごしていただろう。



どっちがいいとは言えない。今ですら明日をもしれない生活を暮らしているのだから。


しかし、少なくとも明日を変えたいと挑むことは許されている。きっと闇社会で生きる以上に。



俺はマザコンだ。理想のタイプを問われれば、気分によっては姉と答えこともあるが、大抵は母と答えている。



しかし、もう彼女らに会うことはない。自ら家族を捨て、何者かになるために飛び出してきたのだから。



なにも残せない男ほど魅力がない生き物はいない。俺はそう思う。



何も成さないで顔を見せてしまったら、彼女はガッカリするであろう。



彼女が作り上げた作品である俺は、社会に必要な者であると証明しなければならない。


それこそが母に対しての最高の恩返しだ。



それを成した時に会いに行こう。そう決めている。



もしも、間に合わずに母が逝ってしまったら、呼ばれたときに困らないようにたくさんの話を用意しよう。


母が羨むくらいの話を誇らしげに語ってやるんだ。


そのときは、あのときのように目元をほころばせながら笑ってくれるだろう。


俺は母に会うために生きるのだ。

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