#52 ゴシップガールとその元侍女、夜の博物館で殴り合う

「見てわかる通り、最古のワンドたちS.A.Wシリーズは私たちの世界でありふれた重機や工具の形をしています。それはなぜでしょう?」


 それは入学式を終えて一週間ばかりたった頃のこと。

 大平洋校に籍を置くワルキューレならば、在籍中に一度は必ず博物館ミュージアムに詣でる。一番最初の機会は、入学してすぐの施設案内の際に訪れるのが通例だ。

 亜熱帯の容赦ない光を適度に和らげ、薄暗い回廊に神々しい演出効果を高めるように考えを重ねた末に作られたのであろうこの空間に初めて訪れたワルキューレたちは思わず私語を止め、背をしゃんと伸ばし、精緻な計算の末に生み出された神聖な空気によって日ごろ意識しない敬虔さを取り戻すのが常であった。この場に神など居はしないのに。


 二年前の四月某日、当時から学年主任だったクラカケマリが、サランたちを引率しながら学年首席という立場から生徒たちの先頭を歩くトヨタマタツミへ代表して問いかけた。


「トヨタマさん、あなた、答えられる?」

「はい。今この現状から分かる限りのことになりますが」


 如何にも礼儀ただしく返事したタツミは、ハキハキした口調でこたえてみせた。

 長い髪をすっきりとしたポニーテールにまとめたタツミは、すらりと高い背に目鼻立ちの端正さ――特に形良い目から放たれるまっすぐな視線の圧が強い、いかにも清く美しい少女でああった。文武両道で清廉潔白、洗って糊をきかせた白布を思わせる澄み切った少女を思わせたのだ――少なくとも入学当初は。


「ここに展示されてあるワンドは皆、明らかにこの世界、しかも二十世紀に端を発する技術の影響を得て作られています。そんな遺物が一番新しいものでもたかだか紀元前後の遺跡から発見されること事態、言うまでもなく非常に不自然でおかしいことです。おまけに、外世界の連中とあたしたちが関わり合いを持たざるを得なくなったのは十年――いえ、計都星が観測された二十年近く前から始まっている筈です。そもそも、これらの遺物が発見された遺跡や遺構も計都星観測以後に発見されたというのがそれまでの常識ではありえないものでした」

  

 高名な建築家の某が古代の神殿をイメージして設計したという、広々とした回廊の両脇に三本ずつ設置された円柱状のアクリルのケース。当時はその中にノコを含む最古のワンドが一体ずつ、計六体が展示されていた。元々は七体あったと考えられるが、残り一体は未だ発見されていないとクラカケマリは説明したばかりだ。

 最古のワンドであるS.A.Wシリーズと称され恭しく展示されている割に、それらはずいぶん俗っぽい形状をしていた。


 後にフカガワミコトからノコと呼ばれることになるワンドのの姿はどうみても森林を伐採するときに使用するかB級ホラーの殺人鬼が振り回しそうな電動鋸だし、他のワンドたちも油圧プレス機、電磁カッター、ドリル、ショベルやローラーのついた重機などにしか見えない。トヨタマタツミが言ったように『明らかにこの世界、しかも二十世紀に端を発する文化の影響を得』ているとしか考えられない、どうにもこうにも大昔の遺跡や人跡未踏の洞窟で発掘されたという経緯を無視するような、夢やロマンというものを一切感じさせない形状をしていた。


 しかし、二十一世紀中ごろになって既知の場所から突如新たに発見された遺跡に、二十世紀の建築現場に必要な機材にしか見えない遺物が発見されたという一報は各学界だけでなく一般社会をも大いに騒がし、時間軸の分岐点および外世界という概念を広く浸透させる出来事となった。人類史はここで新たな局面を迎えたとすらいえるのだ。


 そんな貴重な遺物なのだから、メッセージを書き込んだ石板だとか聖杯だとか剣と鏡と宝珠だとか神秘性をかきたてるデザインをしてしかるべきではないのか。だのになんだ? この、いまから地ならしをして家でも建てますよと言いたげなラインナップは……と、サランなどは初めて博物館ミュージアムを見学で訪れた際にはあくびを噛み殺しつつ心の中でそんな注文をつけていた。

 古代遺跡で発見されるより、ホームセンターの売り場で展示されているのが似合いそうなワンドたちを見て目を輝かせる機械や重機マニアらしきワルキューレたちがはしゃぐ様子も遠巻きに感じたが(今振り返れば「うひょ~、合体でもしてロボになってくれれば最の高でござる」等と言っていたのはどう考えてもケセンヌマミナコだっただろう)、サランはこういったものの類にはまるで興味がもてない性質だったのだ。


 そんな不熱心なサランとは違い、栄えある〝学年首席のトヨタマさん″は歯切れよく持論を口にした。


「外世界の遺物がどうして二十世紀の建築機材に酷似しているのか、それは外世界とは即ちあたし達が今くらすこの世界のありえた可能性であるから。それが現在、一番信憑性が高いとされている説です。言い換えるなら、あたし達の世界とこのワンドが居た世界は非常に近かった。もしくは一つの世界だったものが二つ以上に分かれたからだ、と。あたしたちの世界から分岐した外世界に生息していた存在が、それらのいた世界ではめずらしくない重機や建築資材をワンドに作り替え、あたし達のいた世界のさまざまなポイントにばらまいた。まさしく種のように。しかしその種は発芽せず発見されなかった。もしくは発芽しても花開き実を結ぶことにはつながらなかったんです。――計都けいと星という大嵐に会うまでは」


 私語を控えるようにという言いつけを守っていた大人しい生徒たちに囲まれていたサランの近辺では、古代神殿のような空間でのタツミの言葉はよく響いていた。

 アクリルの円柱に収まったワンドは、見れば見る程単なる機材や小型化した重機類である。そんなもの見たって仕方がないと早々に飽きたサランは聞くともなしにタツミの言葉を耳に入れていたのだ。――当時は全く意味が分からなかったのだが。

 教員用制服をぴっちりと着こなしたクラカケマリが、学年首席の言葉を耳にして振り向きメガネの奥を光らせて興味深そうにタツミへ、続けてちょうだい、と促した(この時のサランは、この教師がかつて新体操の強化選手で華やかなアクションで侵略者を倒していた第一世代のクラカケマリだという事実が受け入れられていなかった)。


「計都星はまさに嵐でした。土壌が合わなかったのか、どれも発芽せず何千、何万年と眠っていたワンドの上につもった土や砂を押し流し、露出させたんです。何事も無ければそんなものがあたしたちのこの世界に眠っていることさえ気づかれなかった種はこうして発見されたんです。――先生たち、第一世代のワルキューレによって」

「はい、よくできました。――熱心に予習なさってるみたいですね、トヨタマさん」

「予習だなんて。ワルキューレとしてこの程度のこと、知っていて当たりまえじゃありませんか?」


 その時は前髪で目を隠したただの地味な同期でしかなかったミカワカグラが、とうとうと語るトヨタマタツミの後ろで、はぁ~っと感心したようなため息をついてた様子が今になって蘇る。そしてサラン自身はちょっと、学年首席の優等生然とした発言に軽い反感を覚えたことも。

 サランが幼少期から動画番組や児童向け漫画で「難しい話は三分と耳にしていられない少女」として演出されていたクラカケマリが、興が乗ったような口ぶりでタツミへ問い返していた。


「少し質問していいかしら? あなたはさっき『外世界に生息していた』と言ったようだけど?」

「はい、間違いありません」

「現状、外世界で誕生しこちらの世界に干渉する存在は全て侵略者と定義されていますから、私たちのこの世界にこのようなワンドを撒いた存在はそのまま侵略者と呼んでも差し支えが無い筈です。だのにあなたはそうしなかった。それはどうして?」


 退屈な展示に大人しいワルキューレたちも次第に飽きてきたのか、あちこちでひそひそと私語を始めだした。時期的にちょうど席順や生徒番号の近いもの同士が即席のグループを作り出すころだ。サランはその集団から距離を置いていた。――小学生時代の不愉快な思い出がまだ色濃くて友達というものにうんざりしていた時期だったのだ。

 あくびを押し殺しながら、サランは聞き取りにくくなる優等生の持論を耳に入れて時間をやりすごすしかなかった。


「先生に仰る通り、これらS.A.Wシリーズをこの世界に設置した存在は間違いなく侵略者と言えるものです。――現にこの世界にこうして干渉してるんですから。でも、その存在がこれらを設置したのは少なくとも侵略者の定義が固まる以前ですから。遺跡の一つにはあたしたち現行人類がいたかどうかすら定かじゃない時期のものだってあります。現行人類の存在しないこの世界にその存在が外世界からやってきたその当時、されたという意識を持つ者がいたのかどうか――。あたしには見当がつきませんでしたので」

「――なるほど、ね」

「もちろん、二十一世紀に生きるワルキューレとしてそれらの行為は間違いなく侵略であるといえます。ただ、あたしからすると先の理由によってちょっと違和感を覚える言い回しだったので。――すみません、ワルキューレとしての立場を鑑みるべきでした」

「いえ、いいのよ。ちょっと気になっただけだから、気にしないで。――できればそういう違和感を大事にしてちょうだい。そういう気づきは大事だから」


 児童文学の古典に出てくる家庭教師みたいな教師に変わり果てていたクラカケマリは、首席の回答が気に召したのかにっこり微笑んだ。その後候補生たちのおしゃべりのボリュームが大きくなっていたことに気付き、ぴしゃりと小さな雷を落としたのだった。――皆さん、私語は慎みましょう!




「――……」


 二年前の四月、厳かだった空間にすっかり瓦礫が積み重なっている。

 あの時、時空を捻じ曲げて出現した古代遺跡から発見された遺物とは思えない俗っぽい形状をしたワンドを納めていたアクリル柱は、全て破壊されていた。中の展示物は影も形もない。


 フカガワミコトと出会う前のトヨタマタツミは、オリエンテーションに大遅刻をするという失態を犯しはしたものの、学科も実技も完璧にこなす所作の整った美人だった。背中をのばして颯爽と歩く姿やきりっと引き締まった横顔も凛々しい、学年首席の称号も納得がいく、意識の高そうな生徒であった。半裸で男子を追いかけまわす日常のインパクトが強すぎてすっかり過去の記憶の中に埋没していたが。

 変わり果てた博物館ミュージアムを崩落寸前の天井からのぞき込み、サランは昔の記憶をよみがえらせつつ日本刀型ワンドを構えるタツミの姿を確認した。


 ゆらめくオーロラとただならぬ気配が漂う夜空の下、日本刀型ワンドを構えたタツミの睨みつける先にいたのはキタノカタマコではなかった。

 

 無反動砲型ワンドを構えた、ジュリだった。

 積み重なった瓦礫の山の上から狙いをつけ、その下にいるタツミへ向けてトリガーを引く。気合とともにタツミは抜刀し、自分を狙った弾を左右に一瞬で斬り裂く。二つに分かれた弾はタツミの両脇をかすめながら斜め後ろの地面に着弾した。かっ、と閃光が燃えて爆炎がたちのぼり崩れ残っている博物館ミュージアムの屋根の一部がまたがらがらと崩れた。そこにいたサランたちはあわてて数歩後ずさる。


 ノコの体に宿ったツチカは、飛行能力を活かして大きく空いた天井の穴から、神殿めいた展示室の成れの果てを見下ろしている。もうもうと立ち上る砂煙にもかまう様子は見えない。

 工廠の事故現場を調べるライトの照り返し、そして侵略者退治による力のうねりが生み出す風を受けて、砂煙は宙に散る。人形のような女児型生命体の体をのっとったツチカは、サランとカグラの二人に気付くとこちらをぎゅっと睨んだ。愛らしい顔にシモクツチカ特有の憎たらしい表情を浮かべる。


「――っとさぁ、ミカワさんはわかるんだけどなんであんたまでついてきたのミノムシミノ子ぉ? 足手まといなだけじゃん」

「! うるせえなぁっ、うちが呼ばなきゃこっちにこれなかった癖にっ!」


 腹をたてたサランが吠え付くと、ツチカは本来ノコのものである愛らしい顔面を忌々しそうにゆがめて睨み、怒鳴り返した。


「あのタイミングになるまで呼び出せなかった愚図なんか、ここにいたって意味が無いっつってんのっ! 帰れっ、邪魔っ!」

「はぁああっ⁉」


 ツチカにあまりかみ合わない罵倒をぶつけられて反射的にいきりたつサランを、カグラがいさめた。今ケンカしてる場合じゃないという意志が、触れた手から伝わってくる。

 実際、サランとツチカが怒鳴りあう声を下にいるタツミがいち早く気づいたようだ。さっとふりかえり、宙に浮かぶエプロンドレスの女児の姿に気を取られた。その為に隙が生じる。

 瓦礫の上のジュリはその状態のタツミへ向けて再度、砲を放つ。発射音とともに弾が砂煙を切り裂きながらタツミを襲う。さしものタツミも先刻のように斬撃で弾を切り裂く態勢が整わなかったのか、日本刀を前に防御の姿勢をとった。しかしタツミのワンドは攻撃特化型だ、砲弾を防ぎきれない。


 とっさに動けないサランとは反対に、そばにいるカグラの動作は機敏だった。身長ほどにのばしたままだった状態の自身のワンドを鋭く前へ突き刺す。

 その動きに連動して、タツミの正面に現れた光線が魔法円めいた幾何学紋様を一瞬で描き上げる。そこにジュリの撃った砲弾は着弾し、どうっと音をたてて爆発した。その場にまたもうもうと新たな爆煙がたちこめた。

 日ごろおどおどしがちでも、侵略者を退治するために踏んだ場数が同期トップのカグラの迷い無い動作に驚いているサランをしり目に、白いワンピース姿のカグラは足元の親友へ呼びかけた。


「タツミちゃーん、怪我はないー⁉」

「カグラ⁉ あんたなんでそんな所――……っ」


 爆煙をはらうタツミの顔は驚愕に彩られていたが、一瞬顔をしかめて後、全てを把握した表情で何度もうなずいて見せた。ワンドを持つのとは反対の手で頭を掻いていたところをみると、カグラにビジョンを転送されたらしい。


 その間、サランは爆炎の彼方に目を凝らす。その先にはジュリがいるのだ。


 風に煽られて消えた煙のあとから、瓦礫の山の上に立つジュリの姿が見える。ところどころ煤けて汚れた制服姿で、肩の上に砲身ワンドをのせたジュリの視線が崩れた天井の上に立つサランの姿を認めている。

 左側にうけるサーチライトの照り返しのせいで、伊達メガネごしの瞳は右目しか見えない。あっけにとられたように大きく見開かれていることから、感情は読める。サメジマ、と小さく口が動いたのが読めた。サランは前に出て声を張り上げた。


「ワニブチーっ! ほら本当にきたぞ、シモクのバカがっ!」


 ジュリは一層驚いた顔になり、砲をおろす。そして上空を見上げる。

 そこでようやく宙に浮かぶノコの姿に気が付いたのだろう。大きく表情を変えた。戸惑いと焦りが大いに入り混じった表情だ。そこにいるのが自分の見知ったかつての主のそれとはまるで違うのに、そこに宿った人格が誰のものかを一瞬で見抜いたのか、呆然とした顔つきになる。


 ここにツチカがいる状態を望んでいない、ジュリの表情はそれを物語るものだった。


 サランはそれに気が付いても、続けざまに声をはりあげるしかなかった。サランの望みはジュリをキタノカタマコの望むままに危険な任務に征かせないことである。


「実際こっちに来ちまったんだから、もうなにもかもこいつに任せちまえ! キタノカタさんの期待する通りにお前は動かなくていい、あとはしょうもないお嬢同士、素手で殴り合わせりゃいいんだ!」


 ジュリの視線はすでにサランには向けられていない。ただ茫然と、宙に浮かんでるノコの体に宿ったツチカに据えられている。

 ――どうしてここにいる? と、伊達メガネのレンズごしにツチカへ問いかけている。そこに浮かぶ感情は、懐かしさや喜びではない。

 なぜここに来てしまったんだ? という、問いつめる意思のみが浮かんでいるのだ。来るなといったのに、という戸惑いの声すらサランの耳には聞こえてきそうだ。

 

 ジュリの視線はただひたすら、オーロラが蠢く空を背景にサーチライトの照り返しを乱反射させる白銀の髪をなびかせたツチカに据えられている。

 

 それを受け止めるかつての侍女を見下ろすツチカの視線は、冷え冷えと無表情だった。主だったツチカの傲慢な視線、侍女だったジュリの呆然とした視線、それが一直線に交わる。蚊帳の外のサランはそれでも声を張り上げた。


「戻るぞワニブチっ。あとはこいつに任せてうちらは演劇部さんのとこに戻ってまず後片付けの手伝いだ! 派手に迷惑かけたんだからな、それぐらいやんなきゃ申し訳が立たないようっ!」


 ジュリの視界にサランは入っていない。おそらくサランの言葉も耳に入っていない。それでもかまわないからと、サランは開き直って道化めいた空疎な言葉を吐く。

 宙に浮かぶ自分に視線をすえたままのジュリを見下ろして、ツチカがようやく表情を変えた。傲慢な印象を与える冷え冷えとした無表情から、同じ傲慢さを与えるものでもぬけぬけとした余裕を感じさせる笑みへと変化させる。


「――元気そうだね、ジュリ」


 ジュリの形良い唇が動く。おそらく、ツチカと名を呼んだのだろう。それをみて、ノコの体に宿ったジュリは人を小バカにするとき特有の笑みを浮かべた。


「つか、何それ? 今本当にそんな格好してたんだ? それがあんたのしたかった恰好とか、ほんと勘弁してよー、ショートは似合ってるけど伊達メガネって! いくらなんでもそれ恥ずかしすぎるし、すっごい笑える……っ!」


 ウケるー、とツチカは笑った。相変わらず人のプライドを平気で踏みにじる嘲り笑いだったにもかかわらず、それはサランにむけるものよりはずいぶん柔らかい。ヒヤヒヤする言葉を投げつけても互いに冗談ですまされる関係性であることが第三者の目からでもわかる、そんな声だ。

 反対にジュリは信じられないとばかりに俯き、頭を左右に振る。額に手をあて頭を抱える。


「――ッ……」


 その口から何か声が漏れたが、ようよう絞り出されたようなそのつぶやきはサランの耳には届かない。距離がありすぎて聴こえないのだ。

 ただ宙に浮かぶツチカは、笑いを引っ込める。それをキャッチしたのか指先に白銀の髪をくるくるとまきつけながら、ジュリへ問いかける。


「で、あの人はどこ?」


 小さなノコの体に相応しくない、冷めきって冷酷な表情を浮かべる。そして指に巻き付けた髪を払い、さっと後ろを振り返る。その視線の先には現場検証が始まっているはずの工廠だ。かなりまえに鎮火はされても、無残な姿を晒している。


「お家のことは心配しなくていいよ~。うちのおじい様もこの工作に関してはあちらのおじい様と直接お話訊くって仰ってるから。――大体さぁ、図々しいんだよねー? ワンド製作はシモクうちの領分だのに勝手にああいうマネするとかがさぁ~」


 嘴はさむとかマジ勘弁して欲しい、と、ノコの姿のツチカは吐き捨てる。


「つうわけで、鰐淵製作所さんとはこれからも仲良くやりたいってのがシモクインダストリアルの意向。それに添えないってんなら、あの人の各種危険な発言をゴシップガールがいますぐ世界中に流しちゃうってだけの話だし」

「――」

「あんたの後輩たちがよく動いてくれたおかげで、いいネタおさえられたんだからさ。これ、使い方次第であのバカみたいな作戦の見直しくらい簡単だし。それどころか、あちらさんの理事さんを入れ替えることも余裕だから」

「……っ」

「それにさ、わかってるでしょ? それでもまだゴネたりしらばっくれるなら、国連に直接ご注進するだけだけって。どこかのお家が侵略者と相通じてる恐れありって」


 それを聞いた瞬間、ジュリが血相を変える。ツチカは反対に、初めて親し気に微笑んでみせた。


「――だからさ、ジュリ」


 ふわふわと宙に浮かびながら、ツチカは無言のジュリへ呼びかける。その声は思いのほか柔らかい。


「おりといでよ、そこから」


 シモクツチカのそれとは思えない優しい声にサランの背筋は鳥肌をたてる。呼びかけられた


「今ならギリ、カフェくらい開いてるでしょ? 久しぶりにさ、一緒にお茶でも飲もうよ。――そこにいるミノ子があたしをさっさと呼んでくれなかったせいでお茶会に大遅刻したんだもん。そのせいで紅茶が飲みたい気分なの。あんただってたまにはまともなコーヒー飲みたいんじゃない?」


 この状況を一切無視した呑気ともいえる発言を、ツチカはかつての侍女へなげかける。我儘で勝手で一方的で、聞いているだけで文化部棟の記憶をサランへ蘇らせるお嬢様然とした口調で。髪が長くて伊達メガネを掛けていなかったころのジュリは、それを聞くとため息をつきながらツチカのお願いを叶えるために席を立っていた。

 けれど今日は違った。勢いよく面を起こすと砲身を素早く肩の上に乗せる。狙いをツチカに定めるや否や、即座にトリガーを引く。


 どうっ、という射出音と同時に砲弾は放たれた。自分が狙われたとわかっても、ツチカは逃げなかった。両手を開き着弾に備える。右か左の手のひらが回転する刃となり、そのまま盾へ変化したところに砲弾は飛び込む。どん、と音を立ててに砲弾は爆発する。

 宙にホバリングするツチカへむけ、ジュリは立て続け気に砲弾を放った。二度、三度、四度――。


 その光景にサランは目を見張る。歯を食いしばりながら、ツチカへむけて砲を撃ち続けるジュリのその姿は、サランが羽目を外しすぎたときに文芸部長として大目玉を落とすときそっくりだったから。サランが知る限り、ジュリはツチカへ対してストレートに怒りをむけたり説教したりといった、こういった態度に出たことは一度もない。

 それでもジュリは、どう、どう、と何度も砲弾をを撃った。通常の砲からは不可能な連射を可能にするワンドのトリガーを、ジュリは何度も引いた。それでも無限に撃ち続けるのは不可能だったのか、カチカチ、とトリガーが虚しい音を立てるのを聞くとすぐにジュリは乱暴に砲身を下した。

 筒先が傷つくのも恐れない乱雑さで砲を瓦礫に山に突き、細い眉を逆立てて感情をむき出しにジュリは怒鳴る。


「ツチカのバカっ! どうして今、こんな勝手なことするの⁉」


 本人が冷静沈着だと思い込んでいるらしい僕口調をかなぐりすてて、髪が長かったころと同じ口調で感情的に声を張り上げる。


「こっちに来ちゃダメなことも、あっちで大人しくしてなきゃいけないことも、私が片をつけることも、このままいけば丸く収まったことも、全部分かってたはずでしょう⁉ なのに、なのに、どうしてこんな、わざわざ――」


 伊達メガネを持ち上げてジュリは眼元を乱雑にこする。サランの知るジュリとはまるで違う聞き分けの無い子供のような口調で怒鳴る今のジュリに相応しい、取り繕う余裕のない年相応の仕草で怒る。

 その間、ツチカは一度も逃げなかった。自分の用意した盾を展開し身を護るだけで、ジュリの攻撃を全て受け止める。感情をたかぶらせるジュリの駄々も、冷静な顔つきで受け止める。


 ジュリの砲撃による爆炎が消えたあと、つうっと髪をなびかせてツチカは移動した。目を拭うジュリの傍へ。ただし目線は上にある位置でふわふわと宙に浮かんでいる。

 うつむいて涙をおとすジュリを見下ろして、ツチカは念を押すように問いかける。


「〝片をつける″? あんた今、〝片を付ける″って言った?」


 そう問いかけた癖にジュリに頷く間すら与えず、ツチカはジュリの頬を平手ではたいた。ノコの小さな体と手のひらによる平手打ちだからそんなに威力は大きくなかったようだが、パン! とそれなりの音は鳴る。

 はたかれた手に頬をあて、目の前で浮かぶ女児型生命体の中に宿った少女を睨むジュリの襟首をツチカはつかんで引き寄せた。そして菫色の瞳を爛々と燃え立たせながら、かつて侍女だった少女を痛罵した。


「自分だけで片を付けるって言った結果がこのとっ散らかった瓦礫の山ってわけ? へー、何それ、あたしがいない間に随分冗談が上手くなったねー、ジュリってば? お片付け上手のジュリちゃんが、タツミちゃんと一緒になって博物館ミュージアムをここまでぶっ壊したとかすっごい笑えんだけど、マジで。」 


 あはははは、とけたたましい女児の声でツチカはこれ見よがしに笑う。

 襟首をつかまれたジュリは伊達メガネ越しにツチカを睨む。ぐっと拳をにぎりしめているあたりから察するに、憎たらしい表情を浮かべてあざけるツチカへの怒りをたぎらせているようではあるのに、手をあげることは必死にこらえているのだ。この期に及んで。

 そんなジュリの自制心をためすように、ツチカは幼い女児の声でこれでもかと挑発した。


「あたしがいつそんなつまんない冗談吐けって言いましたか~? ねー、ジュリちゃんっ? そこまでしてくれってあたしいつ頼んだ? 頼んでないよねえっ? もうあたしのパートナーでもない癖にさ。――自分からパートナーを降りるって言ったくせにさぁっ……! 勝手に先回りなんてしないでよ! あたしが望んでないことまでしないでよ!」


 ジュリの襟首を乱暴に引き寄せたあと、足場の悪さを考慮しない乱雑な手つきで押し戻す。ジュリはよろけ、がらがらと建材の破片が転げ落ちたが、その場に踏みとどまる。

 そのままジュリはツチカを睨み、怒鳴り返した。


「放っといて! これは私が選んだことなの! 私がこうしようって決めたの! これが私がやらなきゃいけないことだって自分で選んだんだの! 人の選択にとやかく言わないで!」

「っ! そうやってあんた自身が勝手にだっさいヤツになったくせに――ッ」


 ジュリに金切り声をぶつけられて、ツチカはノコの顔に怒りを宿す。不愉快で仕方ないという表情で手を振りあげ、目をそらさないジュリの顔面に向けて振り下ろした。


「あたしのせいにしないでよッ!」


 ばちん、と先ほどより強い音がしたがしょせん小さなノコの体から繰り出される平手打ちだ。瓦礫の山の上でジュリはまた、倒れることもなくそれを受け止めた。睨み返すが打ち返しはしない。

 代わりにサランが、足元に転がっていたこぶし大の建材のかけらを拾った。カグラが止めるのも無視して、ツチカめがけて投げる。

 緩い弧を描いたサランの投擲は、ツチカの元に届かないどころか、触手のように動かした髪の先によって叩き落される。虫の居所の悪さを顔面に表して、ツチカはサランをねめつけた。


「――何、ミノ子? 邪魔だってあたしさっき言わなかったっけー?」


 その視線にはジュリに対して見せる情のようなものはない。ただうるさい羽虫かなにかを見るようにサランを疎まし気に睨んでいる。

 他人からそういう目で見られることはすっかり慣れっこになったサランはがなった。勝手なことを言うこの不良女がやっぱり大嫌いだという感情のままに声を張り上げた。


「シモク、お前なぁ……っ! 『ハーレムリポート』に最初からワニブチのやつを巻き込んどいてその言い草ないだろっ⁉ ワニブチが頼まれなくても自分の思う通りに動いてくれるの見越して勝手にやり始めた計画だった癖し……ッ⁉」


 ぶぉん! とかなりのスピードでサランめがけてツチカは回転刃を放つ。真横に飛びのいてかわしたが、本気でサランの体を傷つけるつもりで放った一撃だったことが分かる速度でブーメランの軌道を描きながら刃は返った。それはツチカの右手に戻る。

 その瞬間、ぱん! と平手打ちの音が鳴った。ツチカがジュリの頬を打ったのではなく、ジュリがツチカの頬を打った音だ。

 髪をを乱すツチカは慣性に従って宙を滑っり、コンマ数秒後にはその場に停止する。きっとしたまなざしでジュリを睨むが、ジュリもジュリで気色ばんで叫んだ。


「……ツチカ……っ! やっていいことと悪いことが有るよ⁉」


 ただ「黙れ」の意味で手加減なしにサランを攻撃したことをジュリは責める。今までジュリにほぼ無視されていたように感じていたサランだったが、そこで思わずほっとしてしまった。――サランだって、五歳の時から関係を築いていたというジュリとツチカの中に立ち入るのは勇気を要していたのだ。たとえジュリにとってサランの行動が有難迷惑だったとしても。


 ツチカはというと息荒く髪を払い、すこし腫れた頬を夜風にさらしてかつての侍女を嘲る。


「やっていいこと悪いことね~? ――そっか、ミノ子は今あんたの婚姻マリッジ相手だったか。そっかそっか、ごめんねー、あんたの大事なパートナーをぶち殺そうとしてさぁ」


 本来の持ち主であるノコの人格を有していたなら喜怒哀楽を素直に表現する愛らしい顔が、今はただかつての侍女を尊厳を踏みにじるためだけに尊大な笑みを浮かべて見下す。距離をおいてすら聞くに堪えない悪罵を、至近距離からツチカはジュリにあびせた。


「ミノ子と永遠の友愛だかなんだかを誓っておきながら、そのくせあたしのためになんて言い訳用意して、頼んでも無い自己犠牲精神を発揮する! 女二人の間に挟まれて気持ちよくなるとか、はっきり言って今のあんたってキモすぎて最っ悪! ――あーあー、フリーにしてあげたとたんベッタベッタ気持ち悪い女子校文化にそまっちゃうとかさぁ、ほんと勘弁して?」


 二年前には常に行動をともにして、どんな我儘もムチャもさせてきた相手にあびせるにはあまりに無体な言葉のラッシュをツチカは繰り出す。瓦礫の山のすそにいるタツミすら、自分に砲撃を浴びせ続けたジュリではなくツチカへの嫌悪感をむきだしにして宙に浮かぶ女児を見上げるほどだ。

 それでも、この期に及んで拳を震わせているジュリに変わって、サランはもう一度握りこぶし大の破片を拾ってツチカめがけて投げた。今度もまた髪によって叩き落とされが、ツチカはもうこちらを見ることすらしなかった。

 目の前のジュリを怒らせるためとしか思えない態度と口調で、軽々と嘲って見せる。


「――ひょっとしてさぁ、そうやって、女の子同士の優しくてじめついてだらしない関係に逃げ込んじゃうくらい、幼馴染の野球少年に振られたショック長引かせてたとか? あはは、か~わい~……っ⁉」


 ツチカを宿したノコの体は、弾丸のような速度ではじき飛ばされ一階の床に叩きつけられる。轟音とともに砂煙がもうもうと舞った。

 砲弾を充填していないことをいいことに、ジュリが自身のワンドでもってツチカを打ったのだ。無反動砲を野球のバットのように使っていいのかその是非はサランには見当つきかねたが、堪忍袋を切らした親友の姿にホッとしたのは事実である。

 いくらかつての主だからって、無遠慮にひとの古傷をえぐっても良い理由にならない。


 ジュリは右手をふり、亜空間のゲートに手を突っ込むと砲弾をいくつか取り出し、砲の中に詰めた。その作業を手早く進めながら、ツチカへ告げる。


「――ツチカ、とにかく帰って」

「――……」


 床にめりこんだまま、ツチカは無言のままでいる。瞬発的に怒りを発揮したジュリは、淡々とした口調で告げる。


「一度くらい、私のいうことを黙って素直に聞いてよ」

「――は、何それ? 命令?」


 がらがらと、ひび割れた建材をくだきながらツチカは起き上がる。あいかわらずその口ぶりは挑発的で憎たらしい。それでもジュリの声は冷静だった。ため込んだ感情を発散させたが故だろうか。


「違うよ、。――ツチカならわかるでしょ、今あなたがいる状況は今までで一番最悪なんだって」

「へぇ~、最悪ねぇ? あたしがこの学校退学になった時より? 情報漏洩した時より?」

「――そうだよ? 分かってる癖に」


 砲の調整を終えてから、ジュリは平然と答えた。がらがらと音を立て、並みの人間であったなら全身の骨が粉みじんになっていないとおかしい状態で、ノコの体に宿ったツチカは身を起こす。ふてぶてしい表情はいまだジュリに据えられたままだ。

 しかし、嘲るツチカが呼んだのはジュリではなかった。


「ねー、ミノ子ぉ? 聞いた~? ジュリってば、あたしに帰れだって!」


 この世で一人、シモクツチカしか使わないあだ名でサランのことを呼ぶ。それが気に障ってサランも投げやりに言い返した。


「――聞こえてるよぉ、うるせーな」

「笑えるよねぇ、あんたが一人散々バカみたいにちょろちょろ動いて、征かなくていい場所に征かずに済むために道化になって骨も折ったのに、それ、ぜーんぶ余計なお世話だったんだってさぁ~。ほんと、こんなバカみたいな話そうそうないよ? マジで傑作!」


 お茶会が破綻する前にサランが自覚したことを、ツチカは無遠慮に繰り返す。先刻ジュリの古傷をえぐってみせたのと同じように、サランを羞恥心の淵に立たせる。相変わらず攻撃の上手い女だ。

 それを聞かせながら、ツチカは同時にジュリを言葉で殴るのだ。


「ジュリさぁ、さっきあたしにやっていいことと悪いことがあるって言ったよね? でも、具体的になにをどうしてほしいか伝えずに、ミノ子にしたい放題させておいてその土壇場になってから『実はあれ余計なお世話でした』って言いだすの、それはあんた基準ではやって悪いことの範疇に入らないんだ?? へー」

「……っ」


 ぐッ、とジュリは黙った。サランの位置から俯いたジュリの後ろ姿のみが見える。

 聞いているサランの胸から鳩尾にかけても燃えるように熱くなる。自分がジュリを思ってやったことが全部無駄だったというショックと、どうしてそれを自分に教えてくれなかったのかというジュリへの恨み言めいた感情が蘇ったのだ。

 それをなんとかのみくだし、サランはジュリへ向けて呼びかける。嘘を吐く。


「いいからワニブチ! そのことはもううちは気にしてないからっ! とにかく演劇部さんのとこに戻ろうっ!」

「――ッ」

「うちだってお前の気持ちを確認せずに先走ったのは悪かったんだ! だから本当に気にすんなってば!」


 ――フカガワハーレムに文芸部員はお触り厳禁。あの決まりをジュリが順守したせいで意志の疎通が十分に行えなかったのだけれど――。

 そう言いたい気持ちをこらえて、サランは声を張った。無理していつものようにヒヒヒ~と笑う。


 それを見て、ツチカは立ち上がる。ノコの姿でボロボロになった服の汚れを叩き落としながら、俯き何かに耐えるジュリをさらにいたぶる。


「あーああ、ミノ子なんかに気ぃ使われちゃってさ。落ちたもんだね、ジュリ。――ほんとがっかりしてんだけど。あたし」


 最後の一言を口にする時だけ、ツチカは口調から嘲りを消す。


「言ったよね? あたしの目の届かないところでダサいやつになったら許さないからねって」

「――」

「シモクツチカの元親友の肩書きにふさわしい女になってなきゃダメだよって、言ったよね? あたし!」

「――……」


 生の感情を覗かせたツチカのその言葉をきいて、俯いていたジュリが少しの間のの後に声を発した。ははっ、という乾いた笑い声だった。さっと気色ばむツチカの顔をみないまま、淡々とジュリは言い返す。


「繰り返さなくたって覚えてるよ、ツチカ。そのあと『でないとあたしの格が落ちる』って言ったことも。――本当にあなたらしいよ」

「――今更文句があるってわけ?」

「そんなの無いよ、あるわけないじゃない。私はあなたと五歳の時から一緒にいたんだよ? きっと私が傍にいなくても、一人になっても、きっとツチカはツチカのままだなって安心しただけ」


 二人の関係性を一通り把握しているだけのサランにはジュリからツチカへの皮肉や恨み言に聞こえかねない内容だった。にもかかわらず、ジュリの声は柔らかく懐かしさに満ちている。さんざんなじられた後であるにも関わらず、ジュリがツチカへ向ける感情は優しいのだ。

 その優しさがツチカをいらだたせているにも関わらず。


 ジュリは俯いた状態から顔を起こす。ノコの顔に不機嫌さをにじませたツチカを真正面から見る。その表情はサランの位置からはは良く見えない。


「ツチカ、――これはね、本当に言いたくなかったんだけど――あなたずっと思い違いしてるよ? さっき元親友って言ったけど、私とあなたは親友だったことなんて一度もない。初めて出会った時からずっと、ご令嬢と侍女だったんだよ?」


 間近でそれを聞かされたツチカの表情に変化はない。苦い笑いを口調の端々に滲ませて、今度はジュリがツチカを刺す。


「ツチカは現状認識が得意な方なのに、そこだけずっと誤解し続けてるのが本当に不思議だった。――正しい友情の形なんて私が知るわけないけれど、私とあなたみたいな関係は世界中のだれが見たって友達って言わないよ? まして親友だなんてあり得ない」

 

 柔らかく落ち着いた声で、それでもジュリはきっぱり伝えた。

 それは決して、ツチカを絶望させようという趣旨で発した言葉ではなかった。

 ツチカが絶句した隙に、ジュリは淡々と言葉を打ち込む。


「私はジュリの親友じゃなくて侍女だから、多分このままずっとツチカの侍女だから、私はいま自分で選んでここにいるの。私が居たくてここにいるの! ダサくてもなんでもそれが私のしたいことなんだから!」


 砲を再度構えてツチカへ狙いをつけるジュリを見て、ひぇえええ……、と、サランの隣でカグラが小さな声で悲鳴のようなものを上げた。そんなはっきり言わなくても、という怯えのようなものがそういう形に結実したらしい。

 それも、ほんの小さなころから常に一緒にいた相手に間近で友情を否定されたツチカの心情を想像すると、サランだってそんな反応をとってしまいたくなる。

 でも、圧倒的に正しいことを言っているのはジュリだ。

 

 同期のワルキューレ候補生も、文芸部員含む文化部棟住民も、ツチカとジュリの二人を直接見知っていれば二人の関係が対等でないことくらいすぐに感づく。そういえば、アクラナタリアは二人の関係を共依存と呼んでいた。


 実際、二人の関係を正確にどう呼んでいいのかはわからないが、ツチカはあの傲慢な口を叩けなくなっていた。

 それでもジュリが自分を撃ち落とそうと砲の狙いをつけるやいなや、ツチカはノコの体で、素早く後ろへ後退しつつ、白銀の髪を孔雀の尾羽のように広げ、憎々し気に叫んだ。


「ああそう! 侍女だっつうなら聞きなよね、こっちの言うことをさぁっ!」


 ――当然、されだけのことを言ったジュリがツチカの命令を聞くはずが無かった。


 帰って! とジュリは叫んで砲のトリガーを引く。

 下がれ! とツチカは吠えて髪から幾枚もの回転鋸を放つ。


 砲弾と防護壁の勤めを全うした回転鋸がぶつかって、爆炎が宙に広がった。それを掻い潜って数枚の小型の鋸がジュリを襲う。ジュリは素早い身のこなしで瓦礫の山を駆け下りる。その軌跡にそって回転鋸が突き刺さり、瓦礫の山は音をたてて崩壊した。


 ――派手なケンカだ。


 幼いころから一つ屋根の下で暮らしてきた、ご令嬢と侍女、親友、義姉妹、共に依存しあう間柄……正式に分類される関係は何か判断つけにくい間柄のふたりの女子が、しばらくぶりに直接顔を見合わせてとんでもない喧嘩を始めている。それは一種のコミュニケーションであることは、サランには理解できる。

 ツチカとジュリは、とかく面倒な仲だ。二人にしか分からない絆があることだってサランには承知できる。


 それでも一番の仲良しを奪われたような心細いくやしさに胸がふさがれるのを防げない。なぜならジュリは、サランの存在に気付いていても一向に声をかけてくれなかった――。


 砲の筒先を向けるのも、叩くのなじるのも、酷い言葉を浴びせるのも、全てツチカに対してだけだった。

 サランのしたことが全て余計なお世話だったのだとしても、お茶会会場を去る寸前にわびと弁解らしきものを口にしただけだった。まだサランへの本当の気持ちを明かしていないのだ。サランとしてはそれが知りたいのに、穴の開いた屋根から見下ろせるジュリは完全にツチカのことしか頭にない。


 ――くそっ、と小さく吐き捨てたそのタイミングで、頭の内側で棍棒を振り回されるような激しい衝撃がサランを襲う。


『何一人で不貞腐れてんのよ! 本当に水だけさしに来たのならさっさと帰って! シモクさんじゃないけどあんた本当に邪魔なんだから、邪魔ァ!』

「――っ!」

『あたしはさっさとフカガワのバカをとりもどすた為に、一刻も早くキタノカタさんの後を追いかけなくちゃならないんだけどぉぉぉぉおおおおおっ!』

「……っ!」


 頭の中で直接ぐわんぐわんと鳴り響く思念の声は、サランの三半規管を激しく揺さぶった。空気を震わせないその声の主が誰なのかはイヤでもわかる。

 崩れた瓦礫の山裾で、日本刀型ワンドを手に腕組みをするトヨタマタツミが、目を三角に吊り上げてサランをしっかりねめつけている。


 ジュリとのバトルの邪魔をして、どういうつもりなのかとその表情が雄弁に語る。

 眩暈と頭蓋の内側をかき回すようななんとも言い難いかゆみに襲われながら、サランは隣を見る。人の頭の中に直接他人の声を響かせるような芸当ができるのはたった一人――ミカワカグラしかいない。

 カグラはサランの視線を受けて、申し訳なさそうにぺコンと頭を下げてから自分も思念での会話にまざる。


『む、無断でごめんなさいっ。タツミちゃんがどうしてもサメジマさんに訊きたいことがあるっていうから――』

『最終確認よっ! サメジマさんっ、あんたは結局何がしたいのっ? 人の足止めをして何が面白いわけっ、ねえっ?』


 いちいち乱暴で圧の強いタツミの声が、サランの脳内でワンワンと響く。かゆみをとおりこして既に頭が痛い。うう……っと実際声に出して呻くサランがじれったくなったのか、タツミはだんっ、と癇性に足をふみならしながらより大きい思念の声を響かせた。


『あんたがさっさと答えてくれれば、こっちだってこんなイライラしなくて済むんだけどっ⁉』

「あーもう分かったからぁ! マジで大きい声でぎゃんぎゃん言うのやめてっ! 片頭痛みたくなるようっ」


 耐えかねて悲鳴のような声をあげながら、サランも思念での会話へ切り替えた(つくづくミカワカグラは便利な能力を持っていた)。


『で、何? うちが結局何がしたいのかって、それ、トヨタマさんに関係――』

『大アリだっつってんでしょ⁉ いい加減にしなさいよっ』


 ごわあっ! とまたタツミの思念が暴れ狂った。どうやら思念を中継しているカグラにとってもダメージは深刻らしく、ひぇ~ん、と情けない悲鳴をあげる。

 サランのことはどうでもよくても親友の身を案じたのか、タツミはやや思念のボリュームを下げて、サランへ語りかけた。


『サメジマさんがフカガワ巻き込んで変なお芝居しかけたり散々馬鹿な真似してたの、文芸部長を疎開任務につかせない為だったんじゃないのっ? 違うの⁉』

『! 違わない――違わないようッ!』


 通常ボリュームの思念の声で、サランはようやく目が覚めた。本当の意味で頭をぶたれたのだ。

 胸の塞ぎも霧散する。ジュリが一向にこっちを気遣ってくれないだの、本当のことを教えてくれないだの、誰かのようにサランのことを二番目扱いするだの、そんな子供じみた悔しさと悲しさに浸っている場合じゃないのだ。


 そもそもの目的は、ジュリをストレスを抱えた一般人民の前に晒させるような危険極まりない任務に征かせないことなのだ。そのためにサランはシモクツチカなる世にも最悪な女を変則的な形で呼び出しもしたのだ。


 ここまでやった自分がそれを見失ってどうする――!


 自分で自分の顔面をはたいて、サランは気合を入れる。その様子を見て、タツミは満足したのか、こっちを見上げてニッと笑って見せた。いつもきらきらと無駄に澄んで輝いている瞳がいつにない頼り甲斐がやどる。これぞ学年首席、という安定の力強さだ。


『よしっ、気合入ったね。――いい、状況の把握と作戦の確認をするよ? 訂正箇所があるならその都度言って』


 てきぱきてきぱき、と、タツミは頭の中で声を響かせる。それは入学時の完全無欠の優等生だったころを思い出させる、特級ワルキューレとしての貫禄を感じさせるものだった。サランのような低レアはそれ気圧されるしかない。とまどいつつ、こくこく頷く。下のタツミも頷いた。


『まずあたしは、キタノカタさんの手に落ちたフカガワを取り戻したい。サメジマさんは、ワニブチさんをあの任務に征かせたくない。なんなら作戦ごと御破算にしたい』


 正解、の意味をこめてサランは頷く。それを受け取ったという合図の積りか、タツミは一回瞬きをした。そして質問を続ける。


『ソウ・ツーの中にいるのは、何がそうなっているのかわからないけど、シモクさん。で、やっぱり何をどうしたらそうなるのか知らないけど、シモクさんを呼び出してソウ・ツーに憑依させたのがサメジマさん』

『あー、その辺の事情は一言じゃ言えないけどその通りだよう』


 答えるついでいに、サランはツチカを呼び出した経緯をイメージした。

 ノコがアンティークの携帯電話を介して〝ねーさん″なるイマジナリーフレンドと遊んでいたこと、しかしその〝ねーさん″はイマジナリーフレンドではなくこの世界に実態を持つ者で、おまけに自分の姉にあたる存在の娘にあたる上、ワンドと人間の形質を受け継ぐ非常に稀な生命体であること、よりにもよってそれがシモクツチカであることなどを、自分が見た光景や五感を元にした情感、感情などを介して伝える。

 圧縮されたビジョンを受け取ったタツミは頭を掻いた。俄かに信じがたそうな表情はしているが、目の前で起きているのだから受け止めざるを得ない、とその表情が語る。


『サメジマさんは、シモクさんをキタノカタさんと直接合わせれば、少なくともワニブチさんは任務に征かなくて済むと考えている』


 サランは頷く。タツミへ伝えるためのビジョンを思い浮かべながら。


『でも、あの様子からすると――、ワニブチさんはシモクさんをキタノカタさんに会わせたくない。そんなことするなら、自分が危険な作戦に参加した方がマシだって考えている』

『ああ。でも、本当はそうじゃない筈なんだ。アイツ本当は大人になって出版の仕事がしたいて言ったんだから。本当はあの作戦に参加するのも怖くてびびってる筈なんだ。――わかりにくいけどあいつ恰好つけだし、見せたがらないけどさ』


 自然と、サランの脳裏に数日前の夜の記憶が蘇る。泰山木マグノリアの樹の下で雑にリングを交換し、久しぶりにビーチで語って、笑いながら夜道を駆け上がったことも。ジュリが満月に攫われそうだと感じたことも――。


 はっ、と我に帰ったのはサランに寄せられる思念が、何かしらぽやぽやと温かいものに変化していたからである。隣をみると、なぜかカグラが涙目になって激しく感激していた。


『サメジマさん……! サメジマさんにそんな、人を人として素直に慕う感情があっただなんて……っ! 私、ずっとサメジマさんのことを誤解してた……っ!』

『あたしも。あのゴシップ新聞の一件以来、あんたの血って何色だろって思ってた。ごめんね』

『っ! なんだようっ、人のプライバシー侵してホンワカするんじゃないようっ! そんな間なんかねえんだしっ!』

 

 思わず声に出しそうになってる隙に、下は爆炎と粉塵の大嵐だ。ツチカもジュリもお互い折り合いが付けられず、ワンドを振るい回転式の刃であちこち切り刻む。カグラを介した思念のやりとりはリングを用いた音声通話より時間を大幅ロスできるとあっても秒刻みで博物館ミュージアムは瓦解してゆく。

 とはいえ無駄なことに費やしている間などないというのはタツミにとっても同意見なようで、二人が感情をぶつけ合っているその隙間を縫うように素早くある一点へ向けて駆けだしている。それと同時に思念を発信しつづけた。


『まーともかく、要はあんたとあたし、キタノカタさんの邪魔をしたいって点は共通しているわけねっ!』

『そういうことになるな、うん』

『じゃあこれからあたしのすることの邪魔はしないで! 場合によっては援護しなさいっ!』


 忍者めいた素早さで物陰と物陰の間を駆けぬけるタツミの向かう先は、回廊の奥のつきあたりだ。七段の階段ででそれまでの区画とは別の意味が込められていることを示しはしているものの、実際は何もない吹き抜けの空間だ。しかし、日の出から日の入りまで必ず日の光がそこに差し込むように設計されており、感受性の鋭いワルキューレなら涙をこぼすこともあるほどの独特の神々しさを演出している間でもある。 

 タツミはそこめがけて一散に駆ける。


 その間にもタツミはビジョンを寄こす。


 フカガワミコトを変化させた羽衣を使った通路を追いかけてやってきたのは、七色に輝く空の光に照らされた博物館ミュージアムだ。六人の侍女とジュリを連れ厳かな回廊へタツミより先に降り立ったマコが、こちらを疎まし気に睨む。

 主のその態度だけで命令を察した侍女が表情を変えずにこちらへ薙刀をふるってくる。めまぐるしく視界が変化するたびに、侍女が一人ずつ倒されてゆく――という状況から察するに、タツミが迷わずにキタノカタマコを追いかけた後での体験を凝縮したものだろう。

 タツミの相手を侍女にまかせたマコは、自身のワンドである鉄扇を回廊を歩きながらひらひらと舞わせた。それだけで最古のワンドを展示したアクリルの円柱は砕け散る。

 工事現場で必要になる建築機材の形をしたワンドは、外気に触れるとそうなるという性質でもあるように、それぞれぐにゃりとほどけて細かな繊維状の物質に変化した。侍女たちを峰打ちで叩き伏せるタツミの内面に、自分の面倒を焼き続けたヤヒロの言葉が蘇る――ワンドの素材にして計都星があらわれるまでこの世界にある筈のなかった物質、ヒヒイロカネ。

 あの繊維がそれか! と、目の端で確認している間に幾筋ものきらめく糸になったワンドはマコの纏う羽衣に織り込まれてゆく。マコの鉄扇の動きに沿って。

 あの羽衣はもともとフカガワミコトだ。形質を変化させられたとはいえフカガワミコトの体がどうしてヒヒイロカネなる外世界の物質を拒否せず取り込めるのか、その点を頭の片隅にとめおきながら、タツミは六人の侍女を立ちどころに無力化した。

 そして自分より先へ行くマコとジュリの距離をつめる。

 いつものごとく、フカガワを返せ! と叫んだタツミをふりむいたマコはうるさそうに見つめ、鉄扇で口元を隠しながらジュリに何事かを命じた。

 真面目そうないでたちの癖に自分たちを散々からかってくれた――タツミ目線ではどうしてもそうなる――文芸部長のワニブチジュリは、一瞬ためらうように眉を顰めた。何か言いたげな表情を浮かべるも、再度マコに何かを囁かれて意を決したように左手を振った。虹色に輝く亜空間への扉を出現させると迷いなく無反動砲型のワンドを取りだす。

 攻撃の意志を確認したタツミは迷わず斬撃を撃つ。ジュリも迷いもなく砲のトリガーを引く。放たれた二つのエネルギーは宙でぶつかり爆散した。その衝撃を割け、爆炎に身を隠したジュリの気配を探しながらタツミはマコの動向を追った。

 タツミの対応をジュリに一任したマコは、振り返ることなく回廊の奥へと歩を進めた。そして突き当りの寸前で閉じた鉄扇を突き刺すようなしぐさをみせる。――ちょうどフカガワミコトの胸に突き刺したの同じように。

 爆発の残響とは性質が異なる、グラスの淵を指でなぞるようなキィィィィン……という音が一帯に響いた。異変が起こる気配に引かれてそちらを見ると、キタノカタマコの正面の空間がみるみる変化してゆくのだ。見えない鏡でも出現したように、輝き見知らぬ風景を浮かび上がらせる――。

 空色と紺碧、二つの青で出来上がった懐かしく明るい景色を。

 展示されていた五つのワンドを合一させた羽衣の一部を、天女のような装束に変えながらキタノカタマコはその景色の中へ体を滑り込ませる。

 どこか別の空間へ、世界へ、移動しようとしていると、キタノカタマコの企みを察したタツミは迷わずその跡を追おうとする。タツミの目的はフカガワミコトをとりもどすことだから。

 しかしそれを許してくれない者がいるのだ。伊達メガネなんて意味の分からないものをかけ、わざわざ悪目立ちしている文芸部長が死角から迷いなく引き金を引く――。


「ぷはぁっ!」


 水面から顔を出して空気をむさぼる子供のようなカグラの声によって、サランの頭からビジョンと思念は消えた。隣ではぜえぜえはあはあと、カグラが肩で激しく息をする。


「ご、ごめんなさい……っ、ビジョンの中継って結構力を使っちゃうんです……」

「ううん、いいよう。状況は大体わかった。ありがとうミカワさん」


 不意に軽くなった頭を振り、サランはタツミが送った情報を整理した。マコたちがお茶会会場を後にする寸前に仕上がった頭の中の図面に、タツミが転送してきたビジョンによる情報を加えて彩度をあげてゆく。


 キタノカタマコはフカガワミコトを羽衣の形に変化させた。そのうえで、トヨタマタツミが見ているにも関わらず、他のワンドをほどき一枚の羽衣にまとめ上げた。

 キタノカタマコはフカガワミコトの特殊な素質の核をいち早く見抜き、それを手に入れようとかなり強引な手段に出ていた。それは好意といった感情に根差すものではない。ただ、羽衣に変えられるような特殊な素質の根幹にかかわるものが必要であっただけだ。

 

 キタノカタマコがほどいて羽衣にしたS.A.Wシリーズは、現在、シモクツチカが乗り移っているノコを含む最古のワンドのシリーズだ。もし、タツミが目撃したあの現場にノコがいたなら、一緒に繊維状にほどかれて羽衣の一部になっていた可能性は高い。

 そんなノコの〝ねーさん″であるシモクツチカは、最古のS.A.Wシリーズの長女にあたる存在と人間の間に生まれた娘である。


 キタノカタマコは最古のワンドを己の羽衣に変えてしまった。なら、あの羽衣こそ天女であるマコの真のワンドであり、そしてあの俗な形状をした最古のワンドは七つそろって一枚の羽衣が正しい形だといえる、の、では、あるまいか。

 

 もしそうなら、シモクツチカが自分の体ごとこの現場にいたなら、他のワンド同様羽衣の一部に変えられていた可能性はかなり高いのではないか。

 

 だからこそ、ジュリはツチカとマコを見合わせるのをひどく怖れているのだ。

 

 ――なぜならツチカは本来、だったから。



『! ああっ、ああ! ああ~ああっ! あ、それで、だから、ああ~っなるほどぉ……っそうだったんですねぇ~、はぁぁ~……』


 再び大きく伸ばした自分の鍵に横座りし、タツミの傍へむけて飛びながら、ミカワカグラはサランの頭の中で驚嘆している。呼吸が整って再び人のビジョンに触れることが可能になったらしい。

 穴の空いた天井の縁を注意しながら走りつつ、サランはこくこく首を縦に振る。


『だからあいつ、小さい頃からキタノカタさんのことが嫌いだったんだ! ――あんな唯我独尊な性格のヤツがキタノカタさんみたいな人の道具になんてなれっこないようっ!』


 このことをタツミへも転送するように頼みながら、サランはジュリが放つ砲の着弾点めがけて走る。

 万が一のことを考え、左手を振って兵装の転送を要請した。借り物のメイド服では、ワンドの攻撃から身を防ぐこともできない。それにメイド服は既にあちこちほつれて酷い有様だ。忌々しいが非常にスクール水着とセーラー服の上着を合わせた上にニーハイブーツを合わせた兵装に身を包む。粒子に包まれながら、タツミのサポートのために駆けつけるカグラへ向けて頭の中にある相関図を届けた。



 キタノカタマコは、ワルキューレでありながら天女侵略者の魂を宿した女だ。

 シモクツチカは、ワルキューレでありながら最古のワンドでもある女だ。


 ともに人間でありながら、現状の規格では人間とは断定しづらい境界の存在だ。

 ともにワルキューレ産業の中核を担う一族の娘でなければ、侵略者と認定され駆除対象にされていてもおかしくない存在だ。


 だからキタノカタマコはかつて、学校ですれ違ったシモクツチカを心の中で「化け物」と罵った。本当は人間ではないものが人間のふりをしているから。しかもツチカは本来マコの道具になるべき存在だった。

 だからシモクツチカはキタノカタマコのことが幼いころから大嫌いだった。天女の魂を宿していても肉体は人間のマコはツチカをワンドとしてしか見なかったから。

 

 だからこそ、ジュリはツチカのパートナーに選ばれた。マコのパートナーになることを嫌がったツチカが望んだオーディションで自ら選んだのがジュリだ。。

 選ばれたジュリは周囲と、ツチカの期待に沿うため、侍女としての努めを全うした。パートナーとしてあろうとした。

 

 ――でも、無理だと悟った。


 せめて侍女の務めとして、フカガワミコトがマコの手に落ちるのを黙認した。

 ノコを攻撃し、フカガワミコトをマコに捧げた。それもこれもフカガワミコトが、ツチカのスペアとしてだ。


 サランはフカガワミコトはヒロインに位置付けていた。本人がその使い方を知らない物語の鍵となる秘宝のかけらや記憶の断片をもって、空から降ってくる役どころのキャラクターに。ヒロインを執拗に狙っていた悪漢が本当に欲しがっていた秘宝のかけらや記憶の断片に位置するキーアイテムこそシモクツチカだったから。



『フカガワがシモクさんのスペアぁぁっ? 何よそれっ⁉』

 

 とにかく圧の強いタツミの声が、カグラを介してサラン脳をゆすった。が、すぐに収まる。


『――って言いたいけど、まあ、つじつまが合わないことはないわね。なんでそうなのかはしらないけど、フカガワがS.A.Wシリーズと合一化することは可能なわけだからなんらかのつながりがあるのは確実でしょうしっ! サメジマさんの言うことが確かならって但し書きはつくけどっ』

『我ながら妙な説だけど筋は通ってると思うよう、筋は⁉』


 ジュリが本来無関係なフカガワミコトを犠牲にするほど、ツチカとマコを合わせるのを避ける理由も、ツチカがここに来たことを知って不意を突かれたような表情を浮かべたのも、そう考えれば理由が着く。

 ジュリはきっとサランがなにをしようと学園を去ったツチカが、大嫌いなキタノカタマコと殴り合うために戻ってくるわけがないと踏んでいたからサランを放置していた。

 まして、キタノカタマコの挑発に乗ることもないと見なしていたから、覚悟を決めて疎開任務につくことを決めた。それが侍女の考えるジュリの努めだから――。


 だがここで番狂わせが起きた。あろうことか、サランの呼びかけに応じてツチカはやってきてしまったのだ。

 


 瞬く間にサランの脳内で以上の図が一瞬で立ち上がる。サランが立ち止まった天井の縁から真下をみれば、宙に浮かぶツチカめがけてワンドを打ち続ける。ジュリが見える。ワンドの起動には精神力もモノを言う。博物館ミュージアム中を駆けまわりながらだから、ジュリの呼吸もかなり上がっていた。

 空に浮かぶツチカの方はというと、体力が落ちた様子はない。ただ、あの小憎らしい表情を消して、ああああっ、と喚いて癇癪をおこした子供のように宙で足を踏みおろす。


「ジュリの分からず屋! 昔のあんたはもっと素直だったしいい子だったし、もっともっと可愛かった!」

「そりゃあ……っ、そうだよ……っ。ツチカのお願いをなんでも聞いてあげてたんだから……っ」

「あっそ! あんたあたしの今でもあたしの言うこと聞くだけの小間使いならとっと帰るべきじゃないの? それからそこにいるミノ子と一緒に演劇部さんの現状回復につとめてろっつーのっ!」

「――っ⁉」


 エネルギーが突き掛けているジュリは、サランの存在に気付くのが少し遅れた。砲を下ろさず、ひび割れた伊達メガネごしに屋根の上にいるサランに目を止め息を飲む。


 サメジマっ、と口を動かしたジュリめがけてサランは屋根から飛び降りる。気合のかわりに、ワニブチィィっ! ととりあえず叫ぶ。

 無謀な行動に出たサランの行動に対応できず、形良く整えられた目を丸くするジュリの顔が一瞬で近づく。その足元は瓦礫の山だ。打ちどころが悪ければ、兵装姿ではないジュリは怪我を負うかもしれない。


 ――いやきっと大丈夫だ、ワニブチジュリは上級相当の能力を持つワルキューレだし、傲岸不遜で我儘勝手で天上天下唯我独尊な女の侍女を長年つとめてきた、並大抵ではない忍耐力を有する女だ。だから大丈夫。


 根拠のない思い込みに力を込めつつ、サランはジュリの体の上にダイブする。

 サランの見込んだ通り、ワニブチジュリは大した女だった。砲を足元に投げおろし、両腕を前に出してサランを受け止めようとしたのだから。


 しかし、いくらサランが万年背の順では先頭にたつ小学生なみの小柄さであるとはいえ、三階建て相当の建物の屋根から飛び降りる少女を同年代の少女が受け止めきれるわけがない。

 二人の体は折り重なって、ずざざぁっと、瓦礫の山を滑り落ちる。兵装を纏っている者の務めとして、ジュリの体に抱き着くととっさに体の位置を入れ替えてサランが下になる。背中や臀部に尋常じゃない衝撃が走ったがいちいち痛いだなんだと騒いでいられない。


 ようやく瓦礫の山裾まで滑り降りると、まだ何が起こったのか判断で来ていないジュリを再び下に組み敷いた。そこまでくるとジュリもサランを取り除けようと暴れだすが、悪趣味であるとはいえ多少は筋力強化もしてくれる兵装を纏っている者の勝ちである。

 ジュリをなんとかおさえつけて、サランはツチカめがけて叫んだ。


「シモクっ、キタノカタさんは回廊の突き当りだ! そっちにトヨタマさんとミカワさんもいるっ。二人にはごく簡単に経緯を説明してるからな、目的が同じ者どうしケンカすんなようっ!」

「――誰に向かって指図してんのよ、ミノ子のくせにっ!」


 ジュリとのケンカの結果か、シモクツチカはノコの外見が似合う非常に子供っぽい捨て台詞を残し、さっと身をひるがえす。

 抵抗する気を失くしたのか、サランに組み敷かれたまままぐったりと手足を伸ばすジュリに何か言いたげな様子を浮かべたものの、口から出てきたのはこの一言だった。


「――じゃあねっ!」


 そしてそのまま、回廊の奥へ向けて飛んで行く。振り向くことを一切せずに。

 振り返るなど自分の矜持が許さぬとでも言いたげな、妙な意地を垣間見れる後ろ姿が遠ざかる。


 それを見送ってから、やれやれ、とため息をつき、瓦礫の傾斜の上にあおむけに転がった。親友の上にいつまでも乗っていたくなかったのだ。

 背中や臀部の痛みを感じながら、サランはオーロラに覆われた空を見上げた。翼竜型侵略者の数はかなり減っている。それでも次元は不安定だ。


「――ワニブチ、ごめん。痛いとこないか?」


 直接隣を見る勇気が出せなくて、サランは空をみあげたまま訊ねた。ジュリは無言だ。かすかに身じろぎはしているらしく、小さな礫が転がる音が聞こえる。

 重ねてサランは訊ねた。


「怪我とかしてないか? 腕が折れたりとか?」


 少しの間をおいて、はあっ、とジュリが息を吐く音が聞こえた。これはかなり呆れたときにつくやつだな、と、サランは親友としてアタリをつける。

 そしてそのまま、感情の赴くままに言葉を口にした。


「――ごめんな。お前の事情も聞かずに勝手なことをして。――でもやっぱ、うち、お前が死海の方に行くのはイヤで……。ていうかだなぁっ、お前だってうちのやったことが余計なお世話だって言うならちょっとは教えてくれたって――……っ!」


 ジュリの沈黙に耐えきれなくて、サランはつい口喧嘩のような口を叩いてしまう。これではさっき、どんなに詰っても黙って受け入れるだけのジュリにいらだっていたツチカと一緒ではないかと気が付き、ゴホンと咳ばらいをする。


「悪かったよう。つい心にもないことを言っちまった……」

「嘘つくな。お前が心にもないことを言ったりするものか」

「⁉」


 サランはその声に反応し、がらら、と音を立てて瓦礫の山から身を起こした。

 何をぅ⁉ と、とっさに言い返そうとしてすぐに、ジュリの口調がサランと普段喋る時と同じ、僕口調に戻っていることに嫌でも気が付く。

 

 仰向けになったジュリは、両方の腕で自分の眼元を隠していた。そのせいで今どんな気持ちでいるのか、顔の下半分と口調で判断するしかない。

 

 いつもの僕口調は淡々として、いつもの落ち着いた文芸部長ぶりを見せている。しかしジュリはさっきまで、ツチカあいてにかつての口調で感情を随分むき出しにしていたのだ。あの一部始終をサランに見られた上で、好きな小説に影響された僕キャラの仮面を平然とかぶって見せるのは相当恥ずかしいのではないかとサランは気づく。両腕で目元を隠しているのはそのためだろう。


 だからサランはいつもの様に、軽口を叩こうとした。そういうのこっちが見ていられないほど恥ずかしいんだからな、と釘をさしてやろうと思ったタイミングで、ジュリが何かを口ずさんだ。


「『シ、シ、シ、シ、あたしの名前はシンシア。シンチアじゃありません。』」


 童謡かなにかかと耳を疑ったサランだが、すぐになにが由来の言葉か気づき、――そして呆れた。それは今、このような時に口にするものではなかったから。


 サランがあっけに取られていると、ジュリは子供のような高い声を出し、もう一度同じセリフを口にする、『シ、シ、シ、シ、あたしの名前はシンシア。シンチアじゃありません。』。そして一人、つまらない冗談に受けたようにぶっと噴き出し、肩を揺らしてけらけらと笑った。

 普段のジュリを知っているだけに、サランとしてはやや心配になる振舞ではあった。


「頭でも打ったのか? ワニブチ」

「――なんだサメジマ、『クローディアの秘密』は読んでいても『魔女ジェニファとわたし』は読んでないのか? カニグズバーグが好きなんだろ?」

「知ってるよう! ふざけんな、巡礼の衣装と、マクベスと、玉ねぎサンドとひきがえるの名前はヒラリエズラだ」


 ムキになってつい、実家で繰り返し読んだ二十世紀中ごろのニューヨーク郊外ば舞台の児童文学の断片を口にする。勿論、ジュリがさっき口ずさんだ呪文のようなセリフの意味だって知っている。

 ともだちのいない主人公・エリザベスが一方的に嫌悪感をつのらせている、大人うけ抜群の綺麗な女の子の名前がシンシアだ。シンシアは大人がいなくなると、どうしてもシンチアと呼んでしまう小さな男の子にこう言ってからかうのだ、『シ、シ、シ、シ、あたしの名前はシンシア。シンチアじゃありません。』。

 

「――ツチカはシンシアみたいだなって、実はこっそり思ってたんだ。いじわるでネコッカブリだろう?」


 どうして今、児童文学の話を始めるのかとサランはいぶかしむが、それを置いてつい会話に乗ってしまう。好きな本の話と共通する知人の悪口の話は楽しいものだ。


「あいつがいじわるって所には異論はないが、ネコッカブリかどうかについては同意しかねるよう。うち、シモクが猫かぶってるところ見たことない」


 いや、一度あったな。

 サランは思い出した。九十九市でフカガワミコトと角突き合わせたときに、小説に出てくる魅惑的な小悪魔少女のようにふるまってみせていたものだ。「尊クン」などと呼んで。あの仕草は猫かぶりと呼んでいいだろう。

 ――その時の情景を思いだして身震いするサランの隣で、未だに眼元をかくしたままジュリはつぶやく。


「ツチカはああみえても筋金入りのお嬢様だからな、子供達の中では暴君として君臨しながら、大人の前では躾の行き届いた小さな淑女として振舞うことなんてお茶の子さいさいだったんだ。可愛くないだろ? だから小学校時代からずーっと敵の作りどおしだった。僕らが通っていた学校の初等科にもエリザベスとジェニファみたいなはみ出し者の友達同士がいたんだが、ツチカは彼女らがあの学校で生き抜くのに必要な仮想敵にぴったりだった」


 あー……、とサランは頷いた。

 たしかにツチカのような傍若無人なくせに大人の前ではこれ見よがしに行儀よく利発な優等生として振る舞うような女が同じクラスに居れば、さぞかし忌々しかったことだろう。サランは顔も見たこともない名門校のはみ出しもの二人に共感を寄せてしまう。

 そもそもサランはつい夏ごろまで現役でツチカのことが忌々しかったのだ。視界に入らなくなってすら、サランの意識に居座って実に目障りだったのだ。


「お前だから打ち明けるが、はみ出し者のクラスメイトがツチカのことをこそこそ陰口叩くたびに、僕はな、腹が立ちもしたけど感心もしてたんだ。ああいう気質の連中は、批評家精神が無駄に旺盛だろう? 結構気の利いた陰口もたたくんだよ。その二人が、ツチカのことをくすくす笑いながら二人で言い合っていたのがこれだよ」


 『シ、シ、シ、シ、あたしの名前はシンシア。シンチアじゃありません。』――今度はサランも唱和した。

 くすっと笑ったジュリは、そのまま語り続ける。


「純粋に気になったから、二人に尋ねたんだ。『今の何? ツチカに何か用?』って。慌てた二人がしらばっくれながらこう答えたんだ。自分たちは好きな本について話してただけだって。――それが僕が、カニグズバーグを読むことになった切っ掛けってわけだ」

「へぇ……」

「まあ、僕も陰でその二人からドロレスって呼ばれてたことを知るハメになったけれどな」


 ドロレスはいつもシンシアの隣にいる女の子の名前だ。まさに小学校時代のジュリを現わすにはピッタリの名前だっただろう。うっかりサランもぶっと噴き出す。

 ジュリはそれを聞いて気を悪くした様子でもない。自分でも楽しくなったように笑いながら打ち明ける。


「自分とツチカがシンシアとドロレスだなんて――! って初めて読んだ時はムッとしたんだけど、どうしたってツチカはエリザベスでもジェニファでもないだろう? 次第に現実を受け入れざるを得なくなった。そうすると、逆にドロレスとしての誇りやシンシアの良さも見えてきたんだ」


 ジュリは片腕だけ、パタンと伸ばした。リングをつけた左腕だ。伊達メガネの左側のレンズが手の下から覗く。度の入っていないレンズに罅がはいっているのが見える。


「シンシアはジェニファにスナップを外されて穿いていたチュチュを落とされても、騒いだり泣いたりしなかっただろう? 平然とチュチュを身に着けて、一部始終を目撃したエリザベスをいらだたせる。ツチカも大小嫌がらせは受けてきたけれど、それに対して卑屈になることは無かった。そういう時こそああやって憎たらしいほど堂々と尊大に振舞って、相手に劣等感を植え付けるのがツチカのやり口だった。――キタノカタさん相手には特に尊大だった。廊下ですれ違っても道は譲らない。呼び出されると無視をする、報復されても無視をする、しまいに親が出てきて頭を下げなければ収まらなくなった時には、いかにもやれやれと言いたげにしてから、とびきり丁寧に頭をさげて見せる。そうして相手に勝利の快感を与えないどころか、器量の小ささを思い知らせた上に羞恥心を浴びせて返すんだ」


 すごいヤツだろう、ツチカは。

 

 ぽつんとジュリは呟いた。


「だから僕は、ツチカがキタノカタさんのモノになるのが許せないんだ。あの人の鉄扇の代わりになって真意を隠す覆いに貶められたようなツチカをこの世で一番見たくないのが僕なんだ。ツチカがキタノカタさんの手に落ちるような可能性すら排除しないと気が済まないんだ」

「――」

「こういう僕が、ツチカをワンドとして使用することなんてできると思うか? 僕ごときに使われていい奴じゃないんだよ。私の自慢のお嬢様は」

「――……」

「なんだこれ? 恥ずかしいな。というよりも全く気持ち悪いやつだよ、我ながら。ツチカの言った通りだ」


 そこまで呟いた後、ジュリは苦笑する。自嘲めいた笑いに誘われて、サランもいつものようにからかってやろうとしたものの、舌が乾いて上手く動かなかった。


 返事のかわりに再度、ツチカの傍に転がる。こういう行為は気障ったらしい気もしたが、右手を伸ばしてジュリの左手を握る。固いリングの感触を感じつつ、ぎゅっと力を込める。しばらくたったあと、ジュリもサランの手を握り返した。


「――気持ち悪いな、うん」

「だろう?」


 サランはつぶやき、ジュリは返す。

 今はそれでいいや、と、サランはただ空を見上げた。


 ミカワカグラは次元干渉に関する能力を持っている。トヨタマタツミもシモクツチカもすぐさま三千世界のうち一つの世界へ旅立ったキタノカタマコに追いついて、派手にバトルをくりひろげてくれることだろう。


 ――自分の役割はここまでだ、と、ジュリの手のぬくみを感じながらサランは空を見上げた。


 そして、そこで起きている異変に気付く。


 未だ右腕で目を隠しているジュリが、サランに何かを語りかけようとしたが、無視して飛び起き、細い体を無遠慮にゆすった。


「ワニブチ、見ろっ! あの空! ――なんかヤバいぞ、ほらっ!」


 自分の言葉を無視されたジュリは一瞬唇を尖らせたものの、うるさそうに右腕を額の方へずらして後、伊達メガネの下にある形良い目を今度は訝し気にぎゅっと細めたのだった。


 サランは左手を急いで降って、動画配信チャンネルを開いた。番組内では今何が起きている?

  


 ◇ゴシップガール復活SP 00:44:02◇



 カメラは先刻まで無数の翼竜型侵略者が群れなして舞っていた虹色の空の彼方に据えられている。そこに一筋の切れ目が現れる。

 

 水たまりに落ちた鉱物油のような被膜を切り裂くようなその切れ目からをこじあけるように、現れたのは巨大な両手だ。地上からですらそれと視認できるほど巨大すぎて現実感のない、仏像のそれのような両手。

 音は絶てず、ただ夜空はめりめりと引き裂かれる。敗れた夜空からあらわれるのは両手に見合った巨大な顔だ。仏像、あるいは神像のように表情のないそれは人工物めいていて生理的な危機感をよりあおる。


 ――ここまで押し流されるように配信を見ていた概ね環太平洋圏主要都市にくらす人々が多かった。

 太平洋校のワルキューレがすぐかけつける圏内でくらしていた彼ら彼女らにとって、非現実的な怪物である侵略者もそれを退治するワルキューレもすっかり見慣れて日常のものになっていたはずだった。


 それでも夜空をグイグイと引き裂きながら、こちらへ突っ込むように無機的な顔面を近づけてくる様子は根源的な恐怖と嫌悪を呼び覚ますのに十分なしろものだった。


 ――外の世界から、皮膜一枚をやぶってなにものかが、こちらの世界を見下ろしているのだ――。


 屋外で配信を見ていたものたちはビルボードから視線をそらし、屋内でみていたものは窓を開け、本当の空を見上げ、すぐさま気が付いた。

 ネオンの照り返しで明るい空が、無数の星でまばゆい空が、明け方の、たそがれどきの、晴天の、曇天の、そらの片隅が、虹色に揺らめいていることを。


 環太平洋圏に住む人々が、今地球に何が起きているのかを本能で察した時、カメラの位置が再び動いてCGで出来上がった海底を模したセットを映し出す。


『ねー、なんかすごいの映ってましたけど? なんなんでしょーかね、あれ、侵略者にしてはヤバすぎませんでした~?』


 ねー、高等部生徒会長さん? と、シュモクザメの擬人化少女が顔を盛大にひきつらせたアメリア・フォックスに話をふった。哀れな高等部三年生は水色の瞳を泳がせて上の空で呟く。


『い、いったんしーえむです』



 ◇◆◇



『はーい、CMですっ。メジロリリイファースト写真集、ただいま鋭意制作中ですっ! ただいま各ストアでご予約承っております。ファンクラブ会員も随時募集してますので、こちらまでお越しくださいませっ。お待ちしてまぁす』


 急いで左手を振って開いた四角いワイプの中で、これ以上ないほどぴかぴかした極上のアイドルスマイルを浮かべたリリイが、指先でファンサイトのアドレスを書いてゆく。ネオン管を模した文字を浮かべたリリイは、最後にカメラに向かってウィンクまでしてみせた。


 ――調子を取り戻したのはいいが何をやってるんだ、アイツは……と、サランは大いに呆れた。CGのセットの片隅でぬかりなく自分を売りこむリリイは、これまでで一番キュートにふるまってはいるものの、それにしたってあの空の巨大な顔をごまかすのは難しいはずである。マイクもしっかり、もうイヤぁぁぁぁ~……! 誰か私を今すぐ穴掘って埋めてぇぇぇぇ~! と嘆くアメリアの声を拾っていて、あいかわらず騒々しい。



 自分たちのほぼ真上で今まさに空を破き続ける、巨大な顔と体をもつ何かは物音ひとつたてない。

 それが却って不気味であることは言うまでもない。

 

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