#49 ゴシップガールついに復活⁉ 8時1時間前にほぼ全員集合‼ ゲリラ生配信で伝説つくっちゃいますからSP
「――えーっとぉ、皆さん何がなんだかついていけてないみたいですからぁ」
この様子が場末のジャンク動画サイトにリンクが貼られて生中継されている。
そんな事態いまさら気が付いて、言葉も何もおいつかないお茶会参加者たちに聞こえるように、リリイは甘く粘っこい声で解説を始めた。
「とりあえず簡単にぃお話しますね~。――そうですねぇ、えっと、まずウチの部にパールちゃんって子がいるんですよぉ。――はいそうです~、黒い肌に銀髪でオッドアイでメガネみたいなのをかけてるあの子ですぅ。パールちゃん、昨日までは卓ゲー研の部長だったんですけどぉ、諸事情あって変わってもらったんですぅ~。……あ、やだー貴重なお時間奪っちゃってごめんなさ~い」
悪びれもせずぺろりと舌を出した後、おそらく多少の脚色と憶測を交えながらリリイは溶けきれないほどの砂糖を混ぜた果汁めいた声と口調で語りだす。
事情に通じている数名の関係者以外が目を丸くしたり忌々し気に睨みつけたりする中、グラビア映えする微笑みを浮かべたリリイが明かした内容は概ね以下のようなものになった――。
――ファンクラブの会報に妙なメッセージが寄こされている。九月三十日早朝、メジロリリイファンサイト管理人のパール・カアフパーハウはそのことにいち早く気づいた。
夜更かしが祟ったの寝ぼけ眼にメガネ型端末を引き下ろして、サイトの様子を確認していた時である。
拡張現実の世界でも文化部棟の立ち入りが禁じられている現在、外部に向けて個人の情報を発信するには教職員や生徒会のお墨付きが必要な、お行儀のよさが必須のオフィシャルスペースにメジロリリイファンサイトは置かれている。
アンチから可燃性の高いコメントが寄せられていないか、似たようなポジションのインディーズアイドル陣営から戦争をしかけられていないか、拡張現実上にある小さな庭の様子に常に目を光らせねばならない義務がパールには生じていた。
それら全てがパールにとって
あの飴食いエセワルキューレ姉妹め今に見とれ……っ、と臥薪嘗胆の一念で電子の世界の箱庭に要した波打ち際を歩きながら、手紙が封じられた透明のガラス瓶を一本ずつ回収する。そして仮想の砂浜に腰降ろして、瓶のコルク栓を一本ずつ引き抜いて寄せられたメッセージを峻別するのがこのところパールの日課になってしまっていた。
通常の管理作業程度ならリングの機能だけでも十分なのだが、パールは専用端末を利用して自分の五感を拡張現実上にいるアバターに直結し、仮想空間にダイブして感覚的に作業する方法になれていた。
今日届けられたメッセージの内訳はほぼいつも通りだった。メジロリリイの容姿やパフォーマンスに魅せられたファンによる無邪気な歓声が半分以上、どんなに愛らしい人柄を装ってもにじみ出るリリイ持ち前の性格の狭量さや凶暴性を見抜いたアンチによる粘着コメントが三割強。後者の慧眼を内心高く評価しているパールだが、ファンクラブ管理人という立場上やむなくスパムの類と一緒に火をつけて砂浜で処分する。
そのあとで、濃い緑色をしたガラス瓶のコルクを抜く。
中身が外から覗けない仕組みになっている緑色のガラス瓶は、送り主が誰なのか栓を抜いた者にしかわからない仕様になっている。よって使用者は概ねリリイに仕事を持ちかける依頼者に限られていた。腹の立つことに、リリイの歌声がヒットチャートをにぎわせているせいで今朝も半ダースほどの緑色の瓶が波打ち際に寄せられていたのだ。
スパムと一緒に燃やしたろか、と、心の中で毒づいたはずのパールだが、そんなバカな真似を実行に移すのを控える分別はあった。
歌番組の出演依頼や新曲リリースイベントに対する返答など、大事なメッセージをより分けては全部宙に放り投げる。するとそれらは羽のついたヴィクトリア朝風フェアリーに姿を変え、その時間には早朝訓練として本物の波打ち際を走っているはずのリリイのもとへ鱗粉をまき散らせながら飛んでゆくのだ。
パールはそれを見るともなしに見送り、そして鼻で嗤う。
コンシェルジュキャラクターのデザインに英国調のフェアリーを選ぶ癖に、ファンサイトのコンセプトデザインは宇宙飛行士と彼のことを慕う魔法の瓶に閉じ込められた美女精霊との間で繰り広げらる
メジロリリイは愛らしいものやきらめいたものを好む美少女として己を演出したがるくせに、こだわりが不足している。所詮そんなものにかけらの愛着もないのだ。だからヴィクトリア朝フェアリーと
心底嫌っているにも拘らず、図らずもメジロリリイのスタッフとしてタレントの課題を見つけてしまったパールは、自分自身を苦々しく思いながら仕事に戻ってその朝最後の一本だった緑色のガラス瓶の栓を抜いた。とり出したメッセージをいつもの様に流し読み、そのあと目を疑うことになる――……。
と、語った所でリリイは一端話を打ち切り、ニッコリ愛らしく微笑んでみせた。
「はいここでクエスチョンです。そのメッセージになんて書いてあったんでしょうかぁ~? ――はい、サメジマ先輩お答えください」
クイズ番組のリポーターを装いながら、リリイは既に答えを知っているサランを指名する。
サランはちらりと伊達メガネ越しに呆然としてサランを見つめるジュリと、袖で隠した口元ではきっと苦虫をかみつぶしているに違いないキタノカタマコをちらりと見やってから、はっきりと答えた。
「――『レディハンマーヘッドの復活SPのため、メジロリリイちゃんおよびスタッフの皆さんにゲスト出演・その他ご協力お願いいたします』」
「ぴんぽん正解~! サメジマ先輩には1ポイント差し上げまーす」
リリイはプレス席に向けて抜群のアイドルスマイルを見せつける。その直後、カメラ映えを十分に意識した顔つきで小首を傾げて無邪気さを装いサランに嫌味を吐く。
「やーん先輩、一門目で正解言っちゃう人いますぅ~? こういう時は二問から三問かるくボケてもらわなきゃあ~。フカガワハーレムのサランちゃんが色々派手にやらかすのは単にバラエティー勘のない単なるポンコツちゃんだからってキャラがついちゃっていいんですかぁ~?」
「うるっせぇな、もー! お前のおしゃべりで尺とってる場合じゃないだろうがよう!」
そうこうしている間にも時の流れは刻々と19時に向かっているのだ。ここの時報が19時を告げれば、ここの様子が世捨て人しか集まらないようなジャンク動画の墓場の外にもここの様子が流されるのだ――。
それをおそらく承知の上で、リリイは一層甘ったるくねばつく声で余裕気にお茶会メンバーのいら立ちを弄ぶ。その中には当然キタノカタマコも含まれている。
それを承知でやってるのだと、リリイは一瞬いつもの凶暴性を口元に浮かべてすぐさま消し、甘ったるい声を出した。
「大丈夫ですよぉ。パールちゃんのお話はもうちょっとで終わりますからぁ。だからもう少しお付き合いくださぁい。ね?」
などと言いつつ、カメラを持つ者が潜んでいるプレス席へ向けてウィンクをして見せるのだった。
そんなフザけた真似してるとそのうち
キタノカタマコも何故にこのような事態になったのか、把握する必要があると判断したのだろう。眉をひそませながらも大人しく耳を傾けている。
――さて、本日、九月三十日の昼休み。
パールを筆頭とする卓上ゲーム研究部員面々は購買で買った昼食を手に修練用具室へと集まった。
放課後、演劇部で華やかなお茶会を催されることは情報通の常としてはきっちり抑えていた。しかしパールたちにとっては所詮住む世界が違う殿上人だけが招かれた華々しい催しものに過ぎなかった。メジロリリイは何かしら手伝いをするように声をかけられているらしいが、自分たちには関係ない。その日、その当日まではそうだった。
その筈だったが、今朝になって急に関わり合いが生じたのだ。
しかもその内容たるや、全世界を混乱に陥れたかどでしばらく沈黙を強いられていたゴシップガール・レディハンマーヘッドが太平洋校を代表する綺羅星のごときメンバーが集うお茶会に乱入することで復活を果たす、よってその手伝いをせよという、突拍子も無いものなのだ。
関係者を名乗りはしたが、匿名のアカウントからもたらされた実に怪しい話を、パールが鵜呑みをしたのはわけがある。
前払いだと言わんばかりに、バド賭場に使用していた外部の口座に匿名の人物によるまとまった金額が振り込まれていたのだ。その金額が少々の面倒ごとを引き受けるには申し分のない額であった。
なお且つ、関係者以外知るはずのないその口座にアクセスしてきた依頼人の能力の高さに恐怖し、パールは要件を呑むことにしたのだ(と言った事情は秩序の番人たる生徒会のメンバーがいる手前リリイも勿論明らかにしなかった)。
この依頼人が本当にレディハンマーヘッドに連なるような人物なのかどうか、パールには確かめようがない。が、確かめるまでもない。
大事なのは、この依頼人が先日まだ立ち上げて間もないメジロリリイファンクラブにアクセスし、売れっ子アイドルになりたくて必死だったあの忌々しい極道女の黒歴史をしっかり収めたデータとともに妙なテキストデータを送り付けてきた人物と同一人物なのはほぼ間違いないという点である。送信元のアドレスや経由したサーバはこざかしく変更しているが、まず間違いない。補助端末で解析した情報がこの二人は高確率で同一人物だと告げていた。
そして、あの妙なテキストデータに食いついた元文芸部副部長のただならぬ様子がパールの期待値を高めた。
見た目はどこからどうみても乳臭いモンゴロイド女子なのに、経歴のうさん臭さにおいては同期一なメジロ姓二人を手名付けたりゴシップ新聞の前でスキャンダルを演じて見せるなど、やることなすこと見た目ほどは平凡ではないトンチキで恥知らずな上級生(←ほっとけ! とサランは言いたくなったが無論黙っている)は、校内ではレディハンマーヘッドの正体だとささやかれ懲罰出撃を食らわされた文芸部部長と
サメジマサランは間違いなく、この依頼人が誰なのかを知っている。
ぬるま湯で育ってきた中産階級出身のつまらない低レアの分際で、カタギではないこちらの事情を察した上に無謀な喧嘩を売ってまでその正体を伏せた、いわくのありまくるその人物の正体を。
その様子から何も嗅ぎ取れないほど、パールの嗅覚は鈍っていない。ゆすり、たかり、悪だくみに関する計算には常時より早く回転するパールの思考回路が、手に入れた情報の断片を前にして連想を閃かせ、片手間に文芸部の過去をより詳細に調べあげる。
そしてまずぶち当たったのが、自分たちの入学前に退学処分となったシモクインダストリアルの令嬢に関する情報だ。彼女は元々文芸部員で、外部のアーカイブでは何者かによって抹消されているが美少女ワルキューレ作家としてデビューした過去だってあるという。
全世界に衝撃をもたらし、太平洋校の情報管理脆弱性を晒すことになったレディハンマーヘッド。その正体がパールの頭にうかんだ通りの人物だったとしたら?
その相手と接触し、直接交渉すれば――?
何分相手はただものではない。返り討ちに遭う可能性は高いが、先祖の代から社会の底辺で蠢くように生き抜いてきた自分たちが陽が当たる場所で真っ当に生き延びることのできる身分にのし上がれる可能性だってなくはない。
パール・カアフパーハウというワルキューレ候補生は、こういう場面で必ず自分が勝つ方にしか賭けることができなくなる性分であった。
視野狭窄と言えばその通りではあるが、その分のし上がる、成り上がるという欲求が人よりも強く貪欲でさらにその上執念深かった。電脳機器だらけの部屋でネグレクトされていた幼児期に生き抜くために身に着けた電脳技師としての腕前とこの上昇志向のおかげで、ただ悪戯に暴力に怯えて搾取されるだけの小娘よりは尊厳を保ってい生きていることができている。
よってパールはこの依頼人との接触を、リリイには伏せて自分たちの地位向上に利用することをためらいなく選択する。
昼休みに修練用具室へ向かいながら、まだ伏せた方がいい大事な情報だけは秘めたまま、悪だくみのラフプランを相変わらず仲間内にしか聞こえない小さな声で語り聞かせる。
仲間たちはというと、その話に心を奪われそうになりながらも、これまでの経験からあまり欲をかきすぎるのは良くないし、そんな得体のしれないヤツに接触したらこっちが返り討ちに遭う可能性もあるのでは? という、気弱であるがもっともな忠告をよこした。
忌々しい慎重論を蹴り飛ばすために、パールは激をとばそうとする。その時に気付いたのだ。
修練用具室前のドアの傍、麗しい上級生が立っていることを。
耳たぶのラインで切りそろえられた黒髪がやや俯いた彼女の横顔を隠しているが、形のいい口元はよく見える。形良い首筋、制服で損なわれることのない細くしなやかで芯のある長身。宝玉細工を思わせる硬質さと滑らかさが同居した流線形のシルエット。
しまりのない烏合の衆まるだしの足音とおしゃべりに気づいた彼女は、軽く顎を上向けてサイドの髪を払ったのち、アーモンドアイが印象的な顔をアウトローガール達へ向けた。
本来ならこんなところにいるはずがない雲の上の存在に気づいて、一斉に足と口を止めて目を見開いたパール以下卓ゲー研面々に向けて、麗しい上級生は薄い唇をほんの少しほころばせたのだ。
「ちいと待たせてもろおてたで。急用ができての、あんたらの手を借りとおなったんよ」
こっち側の話をするぞという合図に訛りを用いて、麗しい上級生は美貌と美声の大安売りを開始する。
視覚は演劇部の男役スターにすいよせられているし、耳は自分たちが本来属していた世界のビッグネームでもある人の命令を聞き漏らすまいと自然と待機の姿勢をとる。そもそも至近距離で聞く麗しい人の声は、先日彼女に骨抜きにされてしまった初等部二年の少女には蜜や飴に等しい効果を発揮する。リングによって
南洋の太陽より温帯の月影の似合うスターである上級生は、笑顔とささやき一つでいっぱしの欲深いアウトロー少女を純朴で純粋なファンの少女に変えた。彼女の傍らに、星と三日月の髪飾りをつけている、あの忌々しい猛毒腹黒極道アイドルがにんまりと微笑んでいたがパールたちの視界には入らなかった。というよりも積極的に無視をする。
素直で無邪気なファンと化したパールたちに、ホァン・ヴァン・グゥエットは訊ねた。
「今朝、サイトを通していなげな仕事が持ち込まれんかったかのう?」
何故それを? という疑問は当然浮かぶ。が、神秘的なアーモンドアイでじっと見つめられると頭がくらくらしてどうにもよくなってしまう。パールたちが頷くと、固く閉じた花びらがほんの少し開いたように微笑んでみせるのだ。ふわりとロータスの香が強く漂う。
「そらあえかった。面倒じゃがその仕事引き受けてくれりゃあせんか?」
それは全く問題ない。もとより引き受けるつもりだった仕事だ。お安い御用だとばかりに首を縦にふると、ヴァン・グゥエットはさらに、ひた、とパールを見つめて「それから」と付け足した。その瞳には有無を言わさない力強さがある。心臓のペースを乱す力も。
混乱、動揺するパールの至近距離で、ヴァン・グゥエットは囁き声で頼んだのだ。
「今日からしばらくリリイをあんたらの部長に据えてもらえんかのう?」
――長いものに巻かれる主義の仲間たちならともかく、通常のパールならだれが相手でも小さな声でひそひそとつぶやきながら即座につっぱねる厚かましい要件であった。実際パールも一瞬たじろいだ。いくらなんでも僭越が過ぎる。
しかし、手を伸ばせば触れてしまいそうな所にロータスの香りをさらりと漂わせた上級生が現れてしまったら、もう駄目だった。
どうやって間合いをつめたのか分からない体捌きに息を飲むより先に、メガネ型端末をかけたパールを見下ろして蠱惑的に微笑みかけられた方に心臓は過敏に反応する。仲間たちのだれかが、唾やら息を飲む音だって聞こえた。
「あんた、電脳絡みの
低く艶めいた声で、星と三日月のチャームのついた玩具めいた髪飾りをパールの銀髪を耳にかけたその指で髪にさす。そして露出させたパールの耳元で甘さをきかせた声で囁く。
「この通りじゃ」
――これがとどめだった。
気が付けばパールは一時的にリリイを卓上ゲーム研究部の部長に据えることをあっさり了承し、仲間たちとともに午後の学科をさぼってワルキューレが本来出入りしてはならないアンダーグラウンドの仮想空間のビルボードに時限式の仕掛けを設置する作業に忙殺されることになった。
その作業と並行して、依頼人によって届けられる計画書通り、先日リリイと元フカガワハーレムのミカワカグラの二人がいちゃいちゃ戯れている画像や動画を会報に貼り付ける。カグラの
――自分は一体何をしているのか、と。
――そもそもどうして、演劇部の上級生が自分の下に怪しい依頼人が妙な仕事を持ち込んできたのを知っていたのか?
推測そのものはすぐに済む。管理人はパールだが、日記や画像をあげるためにリリイにもサイトの書き込みやメッセージの閲覧に関する権限を与えている(というよりも強奪されている)。
リリイは現在、学園創立者の銅像を含む学園の一部をめちゃくちゃにした件でのペナルティのため、メジロタイガとともに早朝訓練に出なければならない身だ。パールがサイトの様子を確かめるほんの少し前にメッセージの様子だけ確認し、あの妙な依頼文を読む。そして何食わぬ顔で瓶を未開封の状態に戻して訓練に出る。それから自分の姉貴分であるヴァン・グゥエットに報告したということだろう。なぜならその麗しい上級生はお茶会の出席者だ。テロじみた何かが起こると予告されているのだから、耳に入れないわけにはいかない。
――これだとどうしてリリイはわざわざ緑色の瓶に入ったメッセージを未開封の状態に戻したのか説明がつかないが、そんなことはもはやどうでもいい問題だった。
どうせあの腹黒い極道女のことだから、くだらない悪戯をしてみたかっただけのことにすぎないに決まってる。そう片付けて、パールはギリギリ歯噛みをした。
この島の19時ちょうど、アンダーグラウンド空間のビルボードや生放送チャンネルをジャックして、とある動画を一斉公開するようセッティングする作業はハッカーとしては十分な腕を持つパールにしても楽な作業ではなかったのだ。別のワイプ画面で流れてくる生放送映像も編集作業にも追われつつあったのだから。
くっそ、あのラフレシアアイドルめぇぇぇ……っ、と作業の煩雑さに根を上げる仲間たちをアニメ声でどやしつけながら、パールは心の中でそう叫んでいた。
「――というわけでしてぇ~、今現在優秀なうちのスタッフちゃんたちが頑張ってレディハンマーヘッド復活SP用VTRを頑張って編集してくれてるんですぅ~」
歌にダンスに芝居、殺人を含む暴力沙汰に加えて人の神経を逆なですることも巧みなメジロリリイが、この経緯を簡単に(もちろん自分の姉貴分の指揮の上であることは伏せ)説明してから、にっこりとキタノカタマコの目の前で愛らしく微笑む。
「あと二分ちょっと後にはいろぉんな人たちが集まってる地下サイトに、さっきまでのお茶会の様子が流されることになっています~。リンクフリーにしちゃってますからぁ世界中の善男善女の皆様方がごらんになる健全なチャンネルに流されるのもすぐですねぇ、すぐ」
それを聞いて、あらぁ、と口に手のひらをあてながらあまり緊張感のない声を上げて驚いて見せたのはマーハだった。あえてのわざとらしい棒読み演技ですら、演劇部の女帝がやってみせればチャーミングで愛らしい。
「まぁ、大変! こんな有様になったお庭や、言い争う私たちの姿が全世界に公開されてしまうなんて、全世界の皆さまのご期待を裏切ってしまうわ。――どうしましょう、ヴァン?」
「大丈夫。現在は報道管制下」
自分の肩をだくパートナーに茶目っ気で輝く黒い瞳を向けるマーハのアイコンタクトを、ヴァン・グゥエットはアーモンドアイでうけとめたのちに答えた。普段の彼女の口調を知っている者なら、パートナーのわざとらしい演技に合わせた空々しいものだとすぐにわかる。そして、リリイの説明では一件に関与していることは巧妙に伏せられていた黒幕は、いつもの表情筋をあまり動かさない彫刻めいた表情で、アーモンドアイである一方を見やる。
その先いたのは、リリイの説明を聞くやいなや各種ワイプやウィンドウを立ち上げて19時リミットの情報漏洩対策チームを素早く立ちあげていたアメリアら高等部生徒会メンバーだった。キタノカタマコの侍女の監視の下で血相変えて現状を分析している高等部生徒会メンバーのあわただしい様子を見た後、ヴァン・グゥエットはまだわざとらしくパートナーの肩をだいて囁く。
「幸い現時点での流出先は打てばあそこのみ。それにわが校は報道管制下。早急に手を打てば情報漏洩の防衛は可能」
「安心しないでちょうだい! ――ったく誰よっ! このタイミングでこんな面倒ごとひきおこしてくれたのっ!」
せっかく整えた髪を振り乱してアメリアは叫んだ。貴方がパニックを引き起こす寸前になる事態の手引きをしたのは、そこにいる麗しい演劇部のスターですよとわざわざ伝える者はいないが、そんな間があっても教えるゆとりがないほどにアメリアの表情は切羽詰まっていた。手を動かしながら早口で喚き散らす。
「大体、報道管制は新聞部や放送部他許可を報道許可を与えている個人や団体にしか効力を発揮しないの! 教員と生徒会が許可を与えているオフィシャルサーバ経由の一般性との情報発信には対応していません!」
「まあ、そうでしたの? 私が申し上げるのもなんですけれど、わが校のシステム、すこし不用心じゃないかしら?」
「不用心よっ! だからそもそもあのパジャマパーティーの大失態がおきたわけじゃないっ! ――ああっもう、だから議題で何度も何度も何度も何度も何度もな・ん・ど・もっ! システム管理権の合理化を提案してきたのに、あの な理事たちが全部全部ぜえええんぶ突っぱねて性善説で運営するからこういうことになるのよ! わが校のワルキューレにはそのような愚かで恥知らずな者はいないとかなんとかっ! ったく情報管理のザルっぷりが世界に明らかになるほうがよっぽど太平洋校の恥だっていうのに大人たちは何っっっにもわかっちゃいないんだからっ! そもそもどこかの士官とデキた初等部生を出したくせに何が恥よ不埒者よ笑わすんじゃなわいよったく……っ!」
余裕ある演劇部の二人に対し、髪を振り乱した高等部生徒会長は喚き声で返した。機関銃のような早口で呪詛めいたものを吐き散らしたその一部が無音になったところから、次から次に降ってくるトラブルに彼女のキャパシティがいっぱいになりかけている様子がよくわかる。
対してマーハはあくまでゆったりとしている、言うまでもない「敢えて」の仕草で。
「あら、報道管制下ということでしたら今この映像を撮影している方は新聞部の方ではないということね。でしたら一体、どなたなのかしら?」
「知らないわよそんなことぉっ! どうせ文化部棟で違法賭博やってたそこの子のお友達でしょうっ⁉ 知ってるんですからね、私は知ってたんですからねえっ」
――マーハは明らかに新聞部を配下に従えたキタノカタマコへの含みを持たせていたのにもかかわらず、パニックを起こす寸前のアメリアやけになったように叫んぶことんで台詞を受け継いだ(聞いたリリイは、なんのことですかぁ? と堂々しらばっくれる)。そんな状態であっても、素早く外部の犯人とつながって情報漏洩に協力している容疑者のリストをまとめあげては背後に控える役員たちに手渡す。今すぐにこやつらを確保せよの指示だ。
そうやって監視下であっても職務をこなす高等部生徒会を後目に、えいっ、とマジシャンのように左手を振ってリリイは大きな砂時計のモデルを出現させた。さらさらと砂が下へ落ちてゆき山を作る。
ドラム缶ほどの大きさの砂時計モデルに頬杖を突くようなポーズをとりつつ、ぱちくりと目を丸くして、リリイは小首を傾げた。
「ん~? よろしいんですか、キタノカタ会長~? リアクション小さくありませぇん? 先ほどかぁなぁり、際どい話をされたようなんですけどぉ、撤回しちゃわなくていいんですかぁ? まずいんじゃありませぇん? フカガワハーレムのメンバーで救国のワルキューレ・キタノカタマコちゃんさんが、お家の為にご学友が危ない目に遭うこと前提のビジネスプランに平気で協力してるのが公になったら全世界炎上とかしちゃいませぇん? 世界のキタノカタの評判どうなっちゃいますぅ? ワニブチ先輩のご実家に圧をかけてる場合じゃなくなったりするんじゃありませぇぇぇん? またウソ泣きスピーチで挽回しちゃうんでえすかぁああ?」
キタノカタマコはリリイのあからさまな挑発には乗らない。ただ眉間の皺を深くさせて、つ、と視線の先をサランへ向けた。先ほどのやりとりから、サランもこの企てに一枚も二枚も噛んでいると見抜いたために、居丈高に命じる。
「サメジマさん、説明を願えますか?」
「先ほどリリ子――メジロさんがした以上の説明をするのは私には無理です。貴重なお時間を食いつぶしてもいいのなら全く同じことを繰り返させていただきますが?」
言いながらサランは視線をジュリへ向けていた。マコの近くでジュリはうつむき、頭を抱えている。表情は見えない。ポーズだけを見る限り、サランたちの企てに呆れたようでも、自分の決死の覚悟を無碍にされて泣いているようでも、事態のバカバカしさにやけになって笑いだす寸前にも見える。
ワニブチ、と、たまらなくなったサランが声をかけようとしたその瞬間、羽虫でも払うようなしぐさでキタノカタマコは右手を振った。その細い指先に虹色に輝く亜空間の入り口が生じ、慣れた仕草でマコは右手をその中に入れる。取り出したのはほぼトレードマークも同然な、鉄扇型ワンドだ。
それで口元を隠し、向けられたものの背筋を凍らせるような視線を浴びせて宣言した。
「ならば結構」
そんなアメリアを冷たくひと睨みするのが、キタノカタマコである。そして、電脳世界のあちこちにしかけられたシステムの解除のために荒ぶる高等部生徒会長に涼しい声をかける。
「フォックス先輩、手遅れになる前にどうぞお早いご決断を」
要はとっととお前の権限でもってとっととこの不埒な計画の拠点となっているメジロリリイファンサイトを他の無害な情報発信サイトごと封鎖してしまえ、と、冷たい一睨みで命じているわけだ。
相変わらずキタノカタマコに対する恐怖心を隠さないアメリアは、作業の手を一瞬停めてびくっと肩をそびやかせる。
「も、もちろんその点に関しては――っ」
そのタイミングでわざとらしく咳払いをしたものがいる。相変わらずその顔に皮肉めいた笑みをはりつかせたナタリアだ。一体何を期待しているのか、さっきまでの退屈そうな様子とは一変して何かに期待して目をきらめかせているレネー・マーセルと背中合わせにのナタリアは、素早くアメリアとアイコンタクトをとる。
一学年下とはいえ、元初等部風紀委員長のサポートは心強かったとみえて、アメリアはそばかすの散った顔に困惑したような笑顔をはりつけ、マーハのそれとは異なる本当にぎくしゃくした棒読みで訥々とわざとらしく台詞を吐く。
「あ、ああーっと、でも、大変。オフィシャルサーバー経由の情報発信にアクセスを禁じるには先生方の承認が必要だわぁ~。でも、先生方は爆発事故の対応で手いっぱいでさっきから連絡がとれないの~。どうしよう~。どうしましょう~。困ったわぁ~」
鉄扇型ワンドの陰で奥歯をぎりぎりかみしめているに違いない、キタノカタマコの絶対零度じみた眼力から目を合わせない為にアメリアは斜め上を向いていた。美辞麗句の下に力なき候補生を犠牲にしたと後の世代から批判される恥より、情報管理がまるでなっていないと謗られるのは必須な学園の恥をとったが故の行動だ。
その心意気に満足したのか、ナタリアがアメリアを防護するようにキタノカタマコへ皮肉を吐く。
「これは見ものだな。先生方を爆発事故の対応へ集中するよう仕向けたのが徒となるとは」
「――」
「しかも一貫して部活動ほか候補生たちの奔放な情報発信を許可なさっていたご理解ある生徒会長殿が、ここにきて自由な言論・表現活動を封じるような行動に出られるとは。元秘密警察長官としては愉快極まりない」
「私はさらなる情報漏洩の恐れからフォックス先輩にお願い申し上げただけです」
「――ほおう?」
ナタリアの目が細められる。マコ相手にもひるまない、嗜虐心のにじみ出たその笑みから感じられる感情は楽しさではない。誰がどう見ても怒りである。
「情報管理の不透明性から文化部棟監査を行った際、風紀委員が文化部棟の浄化作戦を決行する気だとデマゴーグを流してくれたのははたして
「そうそうそうそう! どっかの士官とスキャンダルやらかすような子がまた出てきたら困るからって生徒会がシメあげにくるぞーってデマこいてくれちゃった誰かさんのせいで大変だったんだから、あの時ってば。おかげで文化部棟の子たちを敵に回しちゃったりしてさぁ。――ねー、ナッちゃん」
あっけらかん、と、現園芸部員で現在公職追放中の元初等部生徒会長は、当事者たちに恐怖の記憶をうえつけた二年前の文化部棟浄化作戦の真相をさりげなくバラしてくれた。その真相を初めて知る者の衝撃を消化させる時間を与えず、レネー・マーセルは指先に髪をくるくる巻きつけながら愛らしい唇をとがらせてぶつぶつと文句を口にする。
「たしかにね、あたしは言ったよぉ? 出撃先でどっかの兵隊さんと付き合っちゃうなんてそんなつっまんないことよくできるよねって、侵略者退治に集中してたら楽しくって男なんかに目が言ったりしないのにって。でもさー、あたし別にそういうつもりで言ったんじゃないんだよぉ~。侵略者退治の方がセックスより絶対気持ちいいのに、勿体ないなぁ~ってつもりで――」
「レネー・マーセル!」
「あ、やっちった。――あのね、今のは誇張だよぉ? あたしああいうのは興味ないからー。侵略者退治は多分そんくらい気持ちいいんじゃないかって言いたかっただけで――」
「もういい、お前は黙ってろ!」
律義にプレス席へ向けて叫ぶ金髪のパートナーの口を封じてから、ナタリアは実体のない砂時計の上に頬杖をつくポーズを取ってみせるリリイへ、今のはカットしておけと素早く命じた。さっきぞっとするほどの凄みをのぞかせた笑みは消え、決まり悪さをごまかすものが浮かんでいた。それに、リリイも笑顔で応じる。
「――まあ、とにかくのんびりしてる時間ないんじゃありませぇん? ほらぁ、砂の量がこれだけになっちゃってますよぉ? ぼやぼやしてるとぉ、番組始まってここの様子が全世界のあっちこっちで生配信されちゃいますよぉ? 私は全然平気ですけどぉ」
リリイは余裕気に微笑み、砂時計モデルを指で指し示す。上部にたまった砂の量はごくわずかだ。残りは一分少々というところか。そうこうしているうちにも砂は下にさらさら落ちてゆく。
スポンサーから番組ゲスト件リポーターを任せられているリリイは、動画番組に関して一家言あるように、えらそうぶった表情を作って自説をこれみよがしに説いて見せる。
「どうします~? ここで本当にレディーハンマーヘッドが本当にやってきたら番組的にすっごい盛り上がりますよねぇ~。ちょっとした伝説まきおこせちゃいますよねぇ~? そうなって一番困るのって誰でしょうかぁ? ね、生徒会長? ――それから、ワニブチ先輩?」
にこぉ~っと笑いながらリリイは一学年上の先輩二人を指名する。
より正確に言うなら、視線の先はジュリにある。リリイの笑みは、ジュリへ決断を迫る。リリイの立場としては当然だ。自分が依存するパートナーを独占するために、サランとジュリの関係を盤石なものにする。そのための努力は惜しまない勤勉さがリリイにはあった。
しかしジュリは、どうしても垂れる頭を支えるように額に手をあてうなだれている。相変わらず何を思っているのか見えない、分からない。
催促するようにリリイが言葉を投げかける。
「ねえワニブチ先輩~、不実ふしだらで友達甲斐のないサメジマ先輩がここまで体を張ったんですよぉ~? その点重視なさってもいいんじゃありませぇん?」
自分とタイガの仲から障害を取り除くためなら労力をおしまないリリイは、サランへのアシストめいた言葉を簡単に口にする。
「サメジマ先輩みたいな変な人から好かれるより、自分の好きな人に全身全霊捧げる方が幸せだって言う生き方の方が私は好きだし、できることならそのお気持ち尊重したいんですけどぉ~。――残念ながら無理なんですよね、それ」
リリイの言葉が最後だけ、口調はそのままに持ち前の凶暴な性分を匂わせたものになる。サランの企てに乗る以外の選択肢は最初からないのだと、暴力のプロらしく言葉に圧をかける。
その迫力に心動かされたわけでもないだろうが、今まで無言でことの成り行きを見守っていた者がおずおずと言葉を発した。
「あ、あのさ、文芸部長、さん?」
キタノカタマコの侍女三人によるワンドの結界に囚われた状態のフカガワミコトがうつむくジュリに声をかける。ジュリは無言のままだが、マコが不愉快そうに、つ、と視線を動かす。だれも彼に返事をしなかったが、それでも囚われている少年はできる限りワンドの檻から身をのりだしてジュリへ言葉を届けようとした。
「俺も正直、あそこにいるあんたの友達はロクでもないバカとしか思えねえけど、それでもあんたの為に体張って色々やってたのは、俺、傍でそれだけは見てたから――」
「……っ」
「余計なお世話でしかねえけど、返事くらいしてやっても罰当たんねえんじゃないかなって思うんだけど……っ?」
サランとジュリとシモクツチカ、そしてキタノカタマコ。その関係を詳しくは知らない少年の言葉は、自然と歯切れの悪いものになる。その有様が情けないと言わんばかりに、キタノカタマコは顔を背け、鉄扇型ワンドを広げると傍らの侍女にヒソヒソと耳打ちをした。
囚われながらもどこまでも存在を軽んじられている少年の言葉に心を動かされたわけでもあるまいが、ジュリはやっと言葉を吐いた。
「こっちだって……っ。でも、無理だよ。サメジマ、もう遅いんだ……っ!」
笑っているのか泣いているのかわからない、ただ悲痛な響きだけがある声をジュリはしぼりだした。うつむき額に両手をあてているせいで表情はみえない。
虚像の砂時計はさらさらと下に砂を落としている。たまらなくなってサランは声を張り上げる。
「何が遅いんだよう、ワニブチっ! 黙ってないでなんとか言ってくれって!」
「――っ!」
「うちがお前の事情も考えないで余計なことをしでかしたっていうのなら謝るっ、でも……、それもだってだって……っ」
お前は何も、シモクツチカの秘密に関することはほんの少ししか教えてくれなかったじゃないか。訊かれたくなさそうにしていたから、こっちだってそれを汲んで訊かずにおいてやったのに。
なにもかも事前に教えてくれていたのなら、もっとマシなやり方だってあったのに。
サランの胸に俄かに膨れ上がる恨めしさが、胸に詰まる。そのせいで言葉に窮する。リミットまで時間は失われつつあるのに。
言葉を失くすサランの間合いから何かを読んだのか、ジュリは顔をようやくあげた。でもその表情はぼんやりとしか見えない。今度はサランの方が顔をそむけたためだ。声だけは耳に届く。
「謝らなくていい、サメジマ。お前はよくやってくれたんだ。こうなったのは僕の判断ミスだから――」
リリイが頬杖の土台にしている風に見せている、実態のない砂時計の砂は残り僅かだ。十五秒もすれば下に落ちきるだろう。それを察し、リリイは左手を振って砂時計をおもちゃめいたマイクに変えている。そして自身のワンドである香水瓶の中身をシュッとふきかけた。
長く形のいい脚をみせつけるようにスカートを短く改造した制服と薄手のロングカーディガンに紺のハイソックスを組み合わせた
リゾート先のお嬢さんを思わせるアイドル衣装姿に見えるように着衣の屈折率をリリイは、マイクを握ってプレス席を見る。駆け出しアイドルとして未来を賭けた万全の笑顔を向けて、姿を見せないカメラに対峙する。そうして初等部三年の話はお前たちで片付けろと言わんばかりに背中を向けた。
ジュリはこの状況が目に入っていないのか、自嘲するように呟いた。そしてその左手を振り下ろし、虹色に撓んだ亜空間の入り口を出現させると、そこに手を差し入れた。
「サメジマ、名探偵のお前だったらもう分かってるんじゃないか? どうして僕がツチカの詳細を伏せたのか。ツチカの正体がなんだったのか――」
「ワニブチ――」
「全部先に教えていれば、お前は馬鹿な真似をせずに済んだのに」
ジュリが、亜空間から自分のワンドを引き抜く様子をサランは棒立ちで眺める。
「あんな真似をさせずに済んだのに――」
19時まであと十秒まで無い筈なのに、サランの視覚にはいやにゆっくりと引き延ばされて映った。
伊達メガネごしに泣き笑いめいた表情を浮かべているジュリが口にした通り、サランには分かっていた。というよりも先ほどようやくわかった所だった。
シモクツチカの正体も、シモクツチカがキタノカタマコをほんの小さなころから嫌いぬいて仕方がなかったわけも、ジュリが自分の命を危険にさらしてもツチカを学園から遠ざけようとしていた理由も、どうしてフカガワミコトという曰くのある少年がツチカと入れ替わる様に編入してきたのかも、すべて読み解ける絵がようやく仕上がったばかりなのだ。その図が頭の中にある。
それを眺めて、だからこそ自分がやろうとしていたことにあまり意味がなかったことが分かって、なすすべもなくたち尽くす。
棒立ちのサランが何に気付いたのかを見透かしたように、キタノカタマコはふっと目を細めると、あざけるような一言を発した。
「だから散々申しておりましたのに。全てはもう覆りません、と」
キタノカタマコは、パン、と音を立てて鉄扇を閉じ、左手を伸ばす。
主のその動きに合わせるように、フカガワミコトをワンドの結界に閉じ込めていた三人の侍女がその檻を解き、素早く後退する。
マコは伸ばした左手で、反応がわずかに遅れたフカガワミコトの手を掴み強引に引き寄せる。
主とは離れるまいとしたノコが、すばやく宙を舞ってフカガワミコトの後ろに続く。
そして。
無反動砲の形をしたワンドを召喚したジュリは、素早く狙いをつけていた。――宙に浮かんだノコに向けて。
発射音と噴煙をふきあげながら、砲弾は目を丸くした女児の形をした人造の生命体にすぐさま着弾した。
「っ⁉ ノコ――っ」
和服姿の少女の膂力に引きずられながらも、ほぼ至近距離で砲をを放たれた自分のワンドの名を少年は叫ぶ。
ドンっ、という弾着音と女児型ワンドを吹き飛ばす勢いの爆炎、爆風が19時を告げる時報となった。
◇◆◇
♪ぱららら~ぱららら~らら~……と、レトロなロック調のBGMが流れる中、南洋の海を模したCGのセットが世界各地のスクリーンやモニター、ワイプ上に浮かび上がる。
環太平洋圏の都市部、目抜き通りのビルボード。
端末一つで気軽に出入りできる仮想空間の広告スペース。
何か面白いものはないかと退屈しのぎに立ち寄った、人気動画サイト。
日常になじみすぎたそれらの一部から始まった。
ニュース番組や新製品のCM、封切られた映画のPR。あまりに身近で見慣れ過ぎたそれらの映像が突然切り替わり、ひどくロースペックなCGアニメーション映像に切り替わったことに気が付いた人々はその時点では少ない。今更なんの関心も引き起こさない、ギラギラと眩しくちらちら鬱陶しく耳にけたたましい電子の動画にいちいち気を留める人類はもう少ない。
だからそれは最初、一部の太平洋校初等部ワルキューレ候補生ファンと、さらにごく一部のインディーズアイドルファン、そして息を顰めて今後の成り行きを見守る情報管理に長けた組織の怖い大人たちしか注目していなかった。
外世界から侵略者が毎日のように襲来するという異常な日々に順応して久しい地球人類は、おのおのの生活に適応するのが精いっぱいでありふれた拡張現実上の動画の変化の切り替わりにすぐには気づかなかった。
日付変更線を挟んだ円状、地球の東の果てでは宵の口、西の果てでは日付が変わって数時間後の真夜中だったころにその少女はこの世に姿を現した。ぬけぬけと、堂々と。
沈んだ戦艦の甲板上に珊瑚や大きな貝殻でできた家具を配置したそのセットの中央に、無数の気泡を生じさせながら一人の少女が姿を表した。この世に実在する人間はどうしても見えない、仮想世界だけで生きているCGの少女だ。
メタリックグレーの髪を頭の両脇へせり出すように結ったお団子の髪。それには丸くて黒い樹脂のような髪飾りでかざっているので、巨大な眼玉のようにも見える。そんな奇妙な髪型がデザインされたCGの少女キャラクターが纏うのは、角度によって鈍い青色のメタリックな質感のセパレートの衣装だ。衣装の背中や後ろに向けて長くなるというスカートの裾にに魚類の背びれや尾びれを思わせる装飾が施されていることから、彼女が海洋生物を擬人化したキャラクターであることは一目瞭然だ。
南洋の明るい海の底を模した仮想空間のセットの中で少女が愛嬌たっぷりにポージングを取るたびに、おくれ毛や衣装のすそがフワフワとゆらめき、そのモーションで自分がいるのは海底であるという設定を語る。
視聴者数だけみればそれなりだが、世界規模でみればまだまだ彼女の番組に気づいたものは少ない中、誕生したばかりのキャラクターはにっこり笑い、一番ポピュラーな機械の合成音でしゃべりだした。その口からのぞく白い歯は、全てギザギザにとがっている。
『はーい、心清き地球人類の皆さまこんばんはー。もしくはおはようございます。てなわけでー、さー、ついに始まっちゃいましたよこの番組ー。我ながらいうのもなんだけど、海の底からやってきて地上をジャックしちゃいましたよー。てなわけで、おっかない人たちから逃げる為にしばらく海の底に潜っていたあたしの復活祭が始まっちゃいますよぉ。――え、ってかお前誰だって? ペラペラうっせえなって? お前が番組ジャックしたせいでいいとこ見損ねたって? あはははは、ごめーん。でもでも今あたしに付き合ってる人はラッキーだよぉ、なんたって時代の生き証人になれるからぁ~。将来生まれてくる孫とかひ孫とかに、ワシゃああのレディハンマーヘッドの復活SPの目撃者だったんじゃ~って自慢できるよっ? なんかしんない名作映画とか泣けるドラマとかあとで家庭不和の元になっちゃうかもしれないエロ動画とかみてるより断然お得だよっ。まっ、人類があと五十年無事に文明を維持し続けることができたらってのが前提の話になるけどー』
『改めまして、こんばんは。もしくはおはようございますっ。先日全世界を混乱に陥れた口から災いをまき散らしたかどで世界中から追われまくった太平洋校初等部所属のワルキューレ候補生且つ最悪のゴシップガール・レディハンマーヘッドだよ。本日はそんなあたしの復活SPってことで派手に盛り上げることにして、こんな風に緊急生配信やっちゃってます。生身は見せらんないから仮の恰好でごめんねっ。お詫びにハイ、ほら、おーぷーん!』
レディハンマーヘッドを名乗るCGの少女がサメのヒレを模したグローブをはめた手をふると、セットの中央におかれた巨大なシャコガイがぱっくりと口を開く。そこから現れたのは四角いモニターだ。宵闇せまる南の島のどこかで、様々な武器を手に火花や爆炎をまき散らしながら暴れまわる少女たちの映像が映し出された。
手ブレの激しいカメラが映し出すのは、白銀の髪を逆立てて激高しながら空中を浮遊する少女が回転する何かを投げつける様と、日本刀を携えた太平洋校制服姿の少女が芝生の上を激走して斬撃を放つ様子だ。
なにごとか大声で叫びながら斬撃の一部は薙刀をかまえた無数の少女たちにによって相殺されるが、一部は彼女らを弾き飛ばす。その間隙をぬって黒髪ポニーテールで日本刀を持った少女は疾風のように地をかける。その先にいるのは、涼し気な和服を纏った少女だ。右手には鉄扇、左手には太平洋校略式礼装姿の少年だ。
カメラは日本刀を持った少女の背中を追い、彼女が疾走しながら抜刀する様子と、不敵に微笑む和服の少女が鉄扇でそれを迎え打とうとする様子を映す。鉄扇に刀が撃ち込まれた瞬間、激しい火花が散る。直後、映像が激しく乱れた。ごろごろと回転し、それが止まったカメラが映した宵闇に包まれる寸前の空は、オーロラめいた輝きで明るく美しく、不吉に揺らめいていた。
モニターの映像は、不思議そうに首を傾げるレディハンマーヘッドがシャコ貝のモニターをのぞき込むセットの様子に切り替わった。
『ん? んん? なにか今大変なこと起きちゃってる? やばくない? 予想外のこと起きちゃってない? なーんかどこかの誰かさんのおしゃべりに出てきたような子たちが一瞬見えなかった? 気のせいかなっ? つーわけで現場のリポーターさんにお訊ねしちゃおっかなー? てなわけで、現場のリリイちゃーん?』
再びシャコ貝のモニターが伝える映像に切り替わるが、大映しになったのは白地に鮮やかな南国の花をプリントしたサマードレス姿の美しい少女だった。マイクを片手に小鳥がさえずるような愛らしい声で、世界の一部でしかその存在が知られていなかった美少女は、手を振りながらその名を名乗る。
『はいはーい。お待たせしましたぁ。じゃーん、こちらは環太平洋ワルキューレ養成訓練校、通称太平洋校の校舎から離れた演劇部さん専用寮・
『というわけで本日のSPゲスト、あたしたち太平洋校のニューヒロイン、MV視聴ランキングで一位にもなったことで話題のアイドル、メジロリリイちゃんです。はい拍手~』
『初めましてぇ、胸に咲かせるは一途な乙女の愛の花、太平洋校初等部二年、今宵もヴァルハラに誘っちゃう貴方専属のワルキューレ・メジロリリイです、皆さん応援よろしくまぁす』
『リリイちゃーん、今営業の時間じゃないから自己紹介もほどほどにー。で、そっちで何起きてるか教えてくれない~? なんかさっき、よーく見知った感じの子たちがちらっと映ったんだけど~? ていうかそっち、なんんだかどったんばったんやってない? ほら、今だって』
どががががっ、と何かが発射されるような音、爆発したような閃光、待ちなさいよぉぉー! という女子の喚き声、マスターを返せぇぇぇっ! という女児の金切り声、そしてなぜかどこからか湧いて出る、民間警備会社の制服と防具を着用した集団が、マイク片手の美少女の後ろにせまり暴徒鎮圧用のゴム弾を放つ機銃を構えてかけよった。
くっそあのお嬢キッタねえな人間の壁用意しやがるとかやることがドン黒すぎるぜ、バカこら言葉選べカメラ入ってんだカメラがっ、うわわああんマスター! マスタああああ! ちょ、ちょっと今は静かにしてっ、ねえサメジマさんソウ・ツーが大変よっ、どうしてひきとめたりしたのっ⁉ 行かせちゃだめだそいつは必要なんだ! ってか姐さん姐さん姐さん、空から空から空からなんだ出てきやがりましたぁっ! 侵略者っ侵略者だよナッちゃん、しかもすっごいデカイよ!! っっキャー待ってましたぁぁっ! いやああああっ、もうこれ以上の騒動はおこさないでええええ! どうして私の任期中にこんなことばっかりぃぃぃっ!
――怒号、悲鳴、指示、歓喜、困惑、パニック。様々な声が入り混じるとにかく混乱した現場を映すまいとするかのように、レディハンマーヘッドが中継映像にかぶさる。バストアップの美少女と電子でできた着せ替え人形サイズの少女が同じ画角に収まった図は、妖精と語らう少女のようなファンタジックな絵を作り出し、場の大騒動と大混乱をうまい具合にごまかした。
仮想空間の中にしかいない電子の少女は、巧みに音声を調整してリリイに対して首を傾げてみせる。
『――えーと、とりあえず何が起きてるのかなぁ~? 話によれば今日は太平洋校の押しも押されぬ大スターのマー様主催のお茶会に、フカガワミコトとノコちゃん、よりにもよってキタノカタマコちゃんがお招きされたって聞いてたんだけど~? よりにもよってフカガワミコトと付き合いだしたばっかのタツミちゃんを差し置いてマコちゃんがお招きされちゃうなんてどういうことっ? しかも、マー様だけじゃなくヤマブキさんに、レネーちゃんとお久しぶりのナタリア先輩まで高等部のお姉さまたちが勢ぞろいするって何々なにそれ、フカガワハーレム拡大の兆し! ――って、ゴシップガールの血が騒いだからあたしの復活祭の会場にえらんだっていうのに、なんかちょっとした戦争みたいなことが起きてるのはどうしてかなぁ~?』
『あはは、ちょっと予想外のことが起きちゃったの~。でも大丈夫大丈夫』
実にものものしいその場でも取り乱すことなく、マイクを持つ美少女新人アイドル・メジロリリイはぴょんぴょんと弾むような愛らしい足取りで場所を移動した。カメラも律義に後を追う。棕櫚の木陰にしっちゃかめっちゃかになったパーティー会場を背して、少女たちと警備員が入り乱れる争いの現場をカメラの外へ追いやる。
リリイを追ったカメラが映しだしたのは、なぜか閉じた傘を抱いている、白いワンピースを着た少女を映し出した。自分がカメラにぬかれているのにワンテンポ遅れた可憐な小動物のような少女のそばに、笑顔のリリイがぴょんと立つ。
『はーい、そんなわけでぇ特別ゲストのミカワカグラ先輩でーす』
『⁉ り、リリイちゃんこれ今映ってるのっ? 生配信中っ⁉ うそでしょっ⁉』
『あはは、だめですよ先輩、隠れちゃあ。カメラの向こうには先輩のファンがいっぱいいらっしゃるんですよぉー。せっかくおめかししてるんだからもっと映んなきゃ~。……そんなわけでぇ、ちょっとだけリポートお任せしますね~。はいマイク~。あ、傘持ってきてくださってありがとうございます~、助かりましたぁ。それじゃっ』
『り、リリイちゃんそんな、やだっ。私リポートだなんて無理無理無理……っ。――え、ええとっ、すすすっ、すすっ、すみません、い、いつもお世話になってますっ、太平洋校初等部三年ミカワカグラですっ。あ、あのあたしも正直何がおきてるのかよくわかんなくて――。ていうかあなた誰なんですかぁっ? 本当にレディハンマーヘッドってことは……っ、……え、何? あ、はい、わかりました。え、えーととりあえずここでゲストのリリイちゃんが来月リリースする新曲を紹介するので、いったんスタジオにお返します。ど、どうぞっ』
『はいっ、てなわけでリリイちゃんの天使の歌声を堪能しちゃってください。どぞ~』
CG少女のキューだしに従って画面が切り替わり、文化祭が終わったら好きなあの子に告白するといった他愛もない歌をキュートに歌い上げるリリイの歌声にあわせて制服姿で校舎のあちこちで愛らしくポーズをとりまくるというMVが流れだす。
何気なく見上げた広告、佳境にさしかかり思わず手に汗握ったドラマ、それらが突然けたたましい海賊番組にジャックされ唖然としたまま画面を眺めていた事情を知らない大多数の一般視聴者の混乱した思考回路が、ゆったりしたアイドルポップと確かなリリイの歌唱力によってクールダウンが施される。
一体何が何だったんだ――? と、現実にまだ対応できていない人々が何度か瞬きする前で、十代の女の子のはにかむ心境をうたった曲に合わせ、太平洋校の制服姿の女子がカメラに向かって誘うように手を伸ばしてみたり、隣にいる風に微笑んで見せていた。ぼんやりした頭に、美しい少女の愛らしいふるまいがじわじわと染みとおる。
何が何だか分からないが、このワルキューレはとんでもなく奇麗だし、なおかつ歌がうまい。それだけは確かだ。
後に伝説と呼ばれるかもしれないゲリラ番組をたまたま視聴した人々の多くは、その時その瞬間、メジロリリイの名を海馬に刻んだ。
◇◆◇
ワルキューレは人類に向かってワンドをふるってはならない。
正当防衛時以外、人類に暴力を振るってはならない。
その際の反撃は、徒手空拳ないしバール状のもの以下の鈍器を用いたものではならぬとされている。刃物や銃火器を用いて不必要に傷を負わしめたワルキューレには重いペナルティーが科せられる。
つまりワルキューレを拘束したければ一般人類を差し向けるのが一番である。各国軍兵士は一般人とはみなされないので、派遣するのは警備保障のプロである民間人が最適である。
というわけで、フカガワミコトとワニブチジュリを伴ってこの場から離脱したキタノカタマコは、置き土産とばかりに右手を振って出現させたコンテナからは大手民間警備会社に所属するプロの警備員が現れた。分類的には一般人類にまちがいないが、紛争地帯で特殊工作に従事したりもしていることで有名な戦闘のプロである。マコが最近親しくしているらしい、大西洋校の生徒会メンバーの家が経営する会社の社員であることは明白だ。
であるにも関わらず、マイクをミカワカグラに押し付けてかわりに愛用の日傘を受け取ったリリイはドレス姿で芝生をダッシュする。ドレスの内側から取り出したキャンディのフィルムを犬歯ではぎ取ったのち口の中に放り込み、自分の内側から力をあふれ出させながら、ニイッと凄惨に笑って警備員たちに向け日傘を開いた。
それを見越したのだろう、自由を取り戻したばかりのタイガが民間人であるはずの警備員の前で自身のワンドである手甲を振りかざす。
武装した警備員は戦闘し慣れしていたのが徒となったとみえて、甲から伸びた鉤づめで喉を刺そうとしたタイガの腕を掴んで軽く捻り、地面へ投げ落とした。
痛ェっ! と派手に叫ぶタイガの声に合わせて、リリイは日傘から礫を勢いよく連射した。
「はーい正当防衛成立ぅっ!」
念力で強化した礫を警備員に向けて容赦なく浴びせ続け、ヘルメットやジュラルミンの盾を粉々に打ち砕いてじりじりと黒い人間の盾を後退させる。特にタイガを投げ落とした相手には容赦せず、後ろに倒れるまで礫を浴びせ続けた。
「おどれらたちまち
さっきまでのアイドルぶりっ子をぬぐいすてて、容赦なくリリイは日傘から礫を撃ち続ける。ドガガガガっ! と、プロの装備に罅をいれるほどの弾幕を浴びせる。凄まじいい音のする中、投げられた拍子に地面を転がってサランたちのいるリリイの日傘の内側に戻ってきたタイガが、猫目を輝かせてサランに抱き着いた。
「パイセン、ただいま~。さっきオレぶん投げたやつ、あれ特殊部隊とかいたやつっすよ絶対。どさくさに紛れて関節外しやがっし超痛ぇ~!」
などと言う割にはそんなに痛く無さそうに、それどころかサランに抱き着けて嬉し気にニヤつきながら肩と肱をのばしてしてこきこき音を鳴らし、器用に治す。それを聞いたリリイの方が礫を撃ちながらすかさずアイドル口調になって心配そうに尋ねる。
「やだあ、たーちゃん今の本当? あそこの人、たーちゃんの関節外したのぉ? ――じゃあお礼は念入りにしなきゃあ」
「おう。鼻血ブッシャーって噴く程度には頼むぜ」
「はい了解」
掛け声だけは愛らしくリリイは言って即座に、日傘から放つ礫に一層の念をこめたらしい。警備員たちのもつ武器や防具を粉々に打ち砕く礫の音は鉄の珠を一気に床にぶちまけたような凄まじいものになる。タイガを投げた警備員は念入りな弾幕をあびせられ、ついにはあおむけに倒された。顔面を覆う防具が砕けてそこから血が噴き出す様子も見える。鼻血だけではすんでいなさそうだ。
念力を浪費するとキャンディの消費速度も速くなるのか、新たなキャンディのフィルムをはいで口にいれながらリリイは満足げににんまり笑う。それでい攻撃の手は休めない。礫が切れそうになるとスカートの裾をまくってガーターベルトで止めている棒状のカートリッジを追加する。
そのよどみない手際に護られていながらサランは言わずにいられなかった。
「――な、なぁリリ子。ワルキューレはたとえ警備会社の戦闘屋さんでもな、民間人相手に銃火器向けちゃいけなんだぞ?」
「あははっやだぁ~、何仰ってるんですかぁ先輩。これは日傘ですよぉ? バールなんかよりも軽くて無力でちょーっと仕掛けがあるだけの日傘ですよぉ? 銃火器や刃物に見えますぅ?」
開いた日傘の内側にサランとシャー・ユイ、フカガワミコトを攫われて泣くノコをかくまいながら警備員たちからの反撃に耐えるリリイは再びアウトロー訛りをむき出しにして喚いた。
「分かったら早う部長さんが持ってきんさった菓子折渡しんさい、弾切れおこしたらわしら仲よう全滅じゃあ言うとろうが!」
「は、はいっ」
そんなもん初耳だとどやされてサランが口答えできるはずもなく、どやされて自分が訓練生に手渡した菓子折を取りに戻ろうとしてハタと気づいた。
「なんでそんなもんが今いるんだよう! こんな土壇場で仲良くおやつタイムかぁ⁉」
「――っ、肝心なとこでいっつもすっとろい先輩じゃのおっ、ありゃあ部長さんからわしにあてた置き土産じゃ!」
ちっとキャンディを咥えたまま舌を打つリリイの言葉にサランが立ちすくんだすきに、素早くシャー・ユイが老舗洋菓子店の紙袋をリリイに見せる。
「これでいいのメジロさん⁉」
「! さすがシャー・ユイ先輩じゃあ。すまんがその中身空けてわしに渡してつかあさい」
日頃リリイには厳しいシャー・ユイだが、緊急事態に素早く対応して言われた通り菓子折の包装紙を向いて長細い箱を開ける。中に入っていたのは焼き菓子などではなく樹脂製の玉が詰まったスティック状のカートリッジだ。リリイの日傘専用の弾だ。それをみてリリイはニヤリと笑う。箱ごと引き寄せ、ベルトでつながったカートリッジを太ももに巻き付ける。
「こんだけじゃと持って10分ちゅうとこじゃのう……っ。その間でこのとっちらかった状況なおしんさいや。サメジマ先輩っ!」
「わ、分かってるようっ!」
19時ちょうど、幼い少女の姿をしたノコに向けて自分のワンドである砲を撃ったジュリの姿が頭から離れないサランは大声を出した。顔を平手で叩いて気合をいれた。
とにもかくにも、このでたらめな状況を整理するのが先決だ。
ジュリはもうここにはいない。
ノコに向けて至近距離で砲を撃ち、その後しばらくして、キタノカタマコの後に続きこの場を去ったのだ。
――それは19時ちょうど、この時点からほんの数分前のことになる。
侵略者ならただではすまなかった筈の距離で砲弾を撃ち込まれても、最古のワンドというだけあってノコは無事だった。
ただ、せっかくマーハに借りていたクラシックアニメーションのアリス・リデル風エプロンドレスは無事ではすまない。ところどころに焼けこげをこしらえた、無残な姿に変わり果ててしまった。
「な……っ、ななっ、ななにゃにゃにゃっっ⁉」
完全に初対面、見ず知らずのワルキューレに至近距離でワンドを振るわれたノコの姿が爆煙から現れる。火薬と煙の臭いが風にのって去ったあとに現れたノコは、大昔のコント番組のように顔を煤けさせていた。せっかくの銀髪の毛先までところどころちぢれている。
自分が一体何をされたのか暫く把握できていなかったようなノコは宙に浮かびながらしばらく目を丸くしていたが、ジュリによって砲で撃たれたこと、そのせいでせっかくのおめかしを台無しにされたことなどを一度に理解したらしい。わななきながら顔を憤怒で目を吊り上げた。
「にゃにゃなにをするんだっ、そこの眼鏡ワルキューレ! 貴様ノコになんの恨みがあってそんな不意打ちのような真似を――っ!」
「ソウ・ツー、よくお聞きなさい」
頭に血が上っているノコに言い聞かせるのは、鉄扇で口元を隠したキタノカタマコだった。
その華奢な左手はフカガワミコトの手首をにぎりしめたままである。一瞬、むっとした顔つきになるノコだったが、まず相手にすべきはマコではなく自分に向けて筒先を向け続けている見知らぬワルキューレであると判断した様子だ。
ノコとキタノカタマコは初等部の特級ワルキューレとしてチームを組み侵略者退治に赴くこともあった仲だ。そしてマコは指揮官として作戦の陣頭指揮をとることもあった。『ハーレムリポート』でもたびたび書かれたその関係が、ノコの行動を操る。
「あなたにワンドを向けたのは、私たちのことに関することをあることないこと好き放題に書き散らすことでお金儲けしていた、あの文芸部の部長です」
「なにゃーっ! 貴様があのぶんげぇぶの親玉かっ! だったら容赦せん! おまえとこのちんちくりんにされた非道のお返しもしてやるから覚悟しろぉ!」
語彙は豊富らしいのにあまり賢くはないノコはいともたやすくキタノカタマコに操られ、まず両腕を音を立てて回転する鋸へと変えた。ジュリはまだ砲身を肩に担ぎ、無言でノコに照準を合わせている。
そのそばでキタノカタマコは囁いた。
「それではしばらくそこのワンドのお相手をなさってくださいませ。事が終わるまで。何もなければ直にすみます」
「――」
怒るノコへ砲身を向けるのを明らかにためらうジュリを嬲るような声をだし、キタノカタマコは追い詰める。
「あなたの
「――不確定情報を信じるなんてあなたらしくも――」
「予備で手を打つつもりでしたのに、心変わりをしてもよいとでも?」
つ、と冷酷に目を細めたキタノカタマコは確かにそう言った。それを聞いたジュリが伊達メガネ越しに目を閉じた。何かを諦めた顔つきだ。
サランの位置でも辛うじてキタノカタマコの声は聞こえた。予備、と確かにそう聴こえた。
その予備とは自分であることを気づいていないフカガワミコトが、宙に浮かんで激高するノコへ呼びかける。
「ノコっ、その人へ怒るのはあとだ、こっちへ――」
「なりません」
左手を振ってノコを召喚しようとしたフカガワミコトだが、それは叶わない。キタノカタマコの左手が背後へねじり上げて拘束したためだ。うめき声をあげる少年の表情から判断して、華奢な外見と涼しい表情に似つかわしくない力で動きを封じているらしい。
そのまま背後からフカガワミコトの身に体を摺り寄せるようにして、なにごとかを囁く。サランの位置からは聞こえない。ただ、少年の顔が驚愕に彩られる。
そのとたん、お茶会が始まって以来時々ふきあれる突風が、この場にいる全員の衣類や髪を乱した。演劇部の部品が転倒し、メイド服姿の訓練生たちが悲鳴をあげる中、サランは砲をかまえたままのジュリと、苦痛にゆがむフカガワミコトの胸元へ右腕をまわす。その先に愛用の
少女の拘束からのがれようと上半身をのけぞらせる少年の耳元に唇をつけんばかりにして、今までみせたこともないような徒っぽい表情のキタノカタマコが何かを囁いている。そんなマコの態度を目にして当然ノコは激高して、自分の体を回転する鋸にしてマコへ向けて飛ばすが、それらをジュリの砲が叩き落す。
ジュリに護られるキタノカタマコは、自身のワンドの先で略式礼装に包まれた少年の左胸をつうっ滑らせた。そして心臓のあたりでぐっと、鉄扇の先を押し付ける。
「…………」
じらすような弄ぶような、救国の乙女のイメージにそぐわぬ淫靡な仕草だったが、それは到底痛みをもたらすようなものには見えない。しかしワンドを自分の体に押し付けられるフカガワミコトは、電流でも流されたようにびくっと跳ねさせる。
サランはとっさに考える。プレス席方面から時々吹きつける突風、普段は立ち寄らせないのに例外的に姿を見せる『夕刊パシフィック』所属のタイガ。現在リリイは卓ゲー研の部長の座に収まっているが、昨日までは新聞部員だ。これは報道管制で拘束されるのを逃れるための工作だろうとサランは判断した。
そこまで用意しているリリイとその姉貴分なら『夕刊パシフィック』に何かを潜ませていても不思議ではない。その証拠が我慢の限界に達しそうなこの突風だ。
一か八かの勝負に出て、サランは叫ぶと。
「フォックス先輩!」
いやああー本当に番組始まってるうぅぅー! と、ロースペックなCG少女のキャラクターがぺちゃくちゃとおしゃべりを始めた番組を流すワイプ画面を開き、髪をかきむしっているアメリアに向けてサランはがなった。
「『夕刊パシフィック』の報道管制だけ解除してください! 早くっ!」
「⁉ あなた一体何を言って――」
「いいから早くっ! サメジマサランの言う通りにしろっ!」
サランを後押ししてくれたのはナタリアだ。レネー・マーセルの素行以外のことで珍しく危機感をにじませた表情で皮肉屋の元風紀委員長は鋭い声を出し、上級生へ向けて警護を忘れて怒鳴る。どうやらナタリアの言動に信頼を置いているらしいアメリアは、言われるがままに左手を振った。
一層強まる突風にあおられそうになりながらサランはナタリアへ向けて一礼した。
「ありがとうございます、アクラ先輩!」
「礼には及ばん。――ただ」
ナタリアの理知的な瞳は空に据えられていた。太陽が沈み、酔いの帳が落ちてきた空なのに、みえるのはいつものように瞬く空ではない。空の頂点から七色のオーロラのような光で覆われつつあったのだ。幾重にも重なった虹色のリボンが一斉にたなびくような有様は壮大で美しい分、見慣れない現象はサランの背筋を震え上がらせた。
――なんにせよ異常事態に違いない。そうだとサランにすら備わっている第六感が告げている。世界の外から何かが来ると。ナタリアはそれを案じているのだ。
が、サランには悠長にそれに震えている余裕はなかった。プレス席からバチバチと電光を纏いつかせながらこちらへ向けて疾走してくる一人の少女の姿を認めないわけにはいかなかったからだ。ひい! とマヌケな声をあげてサランは後退する。
その目の前で、彼女自身のワンドを召喚し、居合の型に構え、疾風のように駆け抜けた。青白い電光で彼女自身が発光しているエネルギーの塊めいた少女は、ある一点目指してまっすぐに切り込む。
「フ・カ・ガ・ワ・をおおおおおおおおおおおっ!!!!!」
ドップラー効果まで起こすような勢いで好きな少年の名を呼びながら芝生を駆けぬく少女、トヨタマタツミ――なぜか『夕刊パシフィック』の腕章を巻いている――は、自分自身がほとんど突風になりながら、キタノカタマコにとらわれた少年めがけて一直線に駆け抜ける。
近づくエネルギーの塊にキタノカタマコはいち早くきづく。勿論、薙刀を構えた侍女たちも。しかしプレス席から出現したトヨタマタツミは、自分に向かって振り下ろされ、薙ぎ払われるワンドを足場に宙へ躍り上がり、キタノカタマコへ向け巨大な斬撃を打ち込んだ。
「離しなさいっ、この泥棒猫ぉおおおおおっ!」
閃光が炸裂した数瞬のちに、さっきまでとは逆向きの風がはじけて四方八方に広がった。状況を判断するに、恒星じみたエネルギーを体から放出しながら駆けてくるトヨタマタツミに気が付いたキタノカタマコが、フカガワミコトをいたぶるのを一旦止めて鉄扇を開き、斬撃を相殺したために生じた衝撃だったようだ。
それにしても泥棒猫とはなんだ? そんな台詞実際に口にするやつ初めて見たぞ、と、まったく関係ないことで驚くサランの背中に不埒な人間が抱き着いてくる。
「サメジマパイセン! 怪我はっ、怪我はねえすかっ⁉ ――っつかもー、なんなんすかこの事態っ! なんかよくわかんねーけど裏切りもんワニブチ先輩なんかほっときゃいいんすよっ、パイセンにはオレがいますし!」
「ああああっもうっ、もう一回お前の動き制限かけてもらうぞこの野郎ッ!」
フルーツ香料の匂いと背中に密着する馴染んだ感触でだれかすぐにわかる。だから振り向く必要もない。サランはタイガに一言注意を与えてから、プレス席から息を弾ませてかけつけてくる女子の姿に気を留める。制服姿ではなく、高原のお嬢様が着ていそうなハイウエストのワンピースに、見慣れた日傘を持った女子の腕にも腕章が巻かれている。
「さ、サメジマさぁぁぁん……っ!」
ミカワさん、と彼女に向けて手を振ろうとしたサランよりも早く、タイガの方がサランの背中に抱き着いたまま身を乗り出してぶんぶん手を振った。
「あ、ミカワパイセンこっちこっちー。ねー、サメジマパイセン今日のミカワパイセンのかっこヤバくねっすか? 可愛くねっすか? 白ワンピとかあんなに似合う女子いるってこの現実ヤバくねっすか? あとでメイドのパイセンと二人並んで写真撮りてえんすけどいっすか? いっすか? いいっすか?」
「うるせえなもうっ! 耳元でギャーギャー騒ぐなっ!」
どうやら好きに喋ることすら封じられていた状態から解放されてテンションがおかしくなったタイガは、妙なテンションではしゃぎまくる。そうこうしているうちに、制服ではなく白いワンピース姿のミカワカグラはサランのもとへたどり着き、小動物みたいな黒目勝ちの大きな目を涙で潤ませてまず尋ねる。
「ね、ねえ……っ、リリイちゃんに頼まれてこうして新聞部さんにまぎれてたんだけど、何々っ、何が起きてるの? これ一体なんなのっ? フカガワ君がキタノカタさんに変なことされてるみたいなんだけどぉっ?」
「ごめん、詳しい説明してらんないから頭の中勝手に読んでっ」
「――あ、うん。そうするね」
その瞬間、ぞわっ、と、頭の中が痒くなった。もうこの感覚にもすっかり慣れてしまい、ミカワさんといるときはこれで意思伝達ができるから楽だな、などと考えてしまう。
サランの近くに、めらめらと怒りを燃え立たせた嫉妬の塊がちかづきつつあったからだ。これも振り返って確かめるまでもない。サマードレスのアイドルに擬態したリリイだ。
「……たーちゃん、拘束が解けてすぐ行くところがサメジマ先輩のところなのっ? まずは私のところじゃないのっ? ねえっ?」
「あ、リリイ~。お前すごかったぞ! 演劇部の子に化けてたの、あのお嬢も気ぃついてなくてぜってービビってたぞ。あのツンケンした感じ悪ぃお嬢の鼻あかせられるって大したもんだよ。お前やっぱすげえよ。その恰好もスゲー可愛いし!」
ぴょん、とようやくサランの背中からとびおりたタイガは、持ち前の猫目でにんまり笑い楽し気に笑い、そのままの流れでパートナーを抱きしめる。そうやって、どす黒いオーラをたれながしていたリリイの嫉妬を一瞬で鎮めた。
あげく、こつんと額をぶつけあわせ、幾分真剣な声で言い聞かせる。
「いいかリリイ。これはオレとお前の夢の始まりなんだぜ? この仕事が成功すりゃあ、お前は世界一のアイドルになれる。そのあとは歌手にだって女優にだって、何にだってなれる。世界中の人間に、リリイってスゲエ奴がいるってことを教えられる。そうしたらお前、そのあと一生面白おかしく笑って過ごせるんだぜ?」
「――ん。分かってる。たーちゃんと少しでも一緒に過ごす為に私、頑張るから」
ふてぶてしい癖に実はそれなりに緊張しているらしいリリイの肩をぎゅっとだくタイガの声は、珍しく姉貴分らしい優しさと頼りがいに満ちたものだ。いつもそういう態度をとけばいいのに何故できないのか(そして結構感動的な場面なのにヤクザなセリフはなんだ?)と、メジロ姉妹の面倒係としてついそんな思いを催していしまうサランそばで突然、甲高い声が響く。
「リリイ姉さん、お急ぎくだせぇ。そろそろ出番ですぜっ!」
なぜかリングの翻訳機能が江戸っ子調に変換する言葉でしゃべるその声の主は、どう考えてもビビアナのものだが姿が見えない。ただその声がするあたりでは、不自然な光のブレがある。
タイガから離れたリリイは、不自然に空間が撓んでいるところに自身のワンドである香水瓶の中身をふきつけた。そこからインカムを身に着け、手のひらサイズの中継カメラを手にしたビビアナが現れた。どこかで派手に転んだらしく、制服のあちこちに芝生や泥がくっついているが、構う様子は全く見せない。
お茶会の様子を中継するためにカメラ係に任命されていたビビアナは、右手を振ったのちに自分の頭上を指さした。
そこには、頭の両脇にはりだすような形にお団子をゆった、サメを思わせるメタリックな衣装をまとったCGのキャラクターが浮かんでいる。ぺちゃくちゃとかこのキャラクターは合成音でおしゃべりを続けた。
『ん? んん? なにか今大変なこと起きちゃってる? やばくない? 予想外のこと起きちゃってない? なーんかどこかの誰かさんのおしゃべりに出てきたような子たちが一瞬見えなかった? 気のせいかなっ?』
早く早く! とで、ビビアナが無言で口をパクパクさせ、リリイの他のメンバーをカメラのまえから出るように腕を振り回して指示する。リリイ一人すかさずその前に立ち、非の打ちどころのない美少女の笑顔を浮かべた。その間にシュモクザメを模した拡張現実上の少女はおしゃべりを続ける。
『つーわけで現場のリポーターさんにお訊ねしちゃおっかなー? てなわけで、現場のリリイちゃーん?』
「はいはーい。お待たせしましたぁ。じゃーん、こちらは環太平洋ワルキューレ養成訓練校、通称太平洋校の校舎から離れた演劇部さん専用寮・
ビビアナが持つカメラの前でキュートに手を振りリポートを始めたリリイの為に、というわけでもないがサランは視線を激しくワンドをぶつけあうキタノカタマコとトヨタマタツミ、空飛ぶノコへ砲弾をぶちかますジュリのいる方向を確認した。
火花散る、爆炎とぶ、タツミは吠える、ノコは喚く。戦闘の余波で棕櫚の樹は倒され地面はえぐられる。
キタノカタマコがタツミと切り結ぶ中、こちらに視線を映した。レディハンマーヘッドの番組が始まったと気づいたのか、眉を顰めて開いた鉄扇を閉じる。
「少々遊び過ぎました」
一言そう告げると、キタノカタマコはぱちんと鉄扇を閉じた。急に武装を解いたマコを前に勝機を感じたらしいトヨタマタツミが刀を突こうとする。しかし、それをジュリが撃った砲弾が邪魔をする。
ノコを相手にしていたジュリの攻撃に意表をつかれたタツミの足元で砲弾は着弾、さしもの猪突猛進少女も身を防御の体勢をとる。
「トヨタマ――っ!」
とっさに前傾した少年の胸に、再びマコが鉄扇を突きつけた。否。突き刺した。
ぐっ、と、鉄扇が中ほどまでフカガワミコトの胸に埋まる。誰もが目を疑う光景だった。
タツミすら目を見張るしかないその光景の中で動けたのはキタノカタマコだけだ。今まで見せたことのない安らいだ微笑みをうかべて、鉄扇を少年の体につきたてたまま、全開にした。
肉をえぐられ骨も断たれている筈なのに、フカガワミコトの表情からは一切の苦痛が感じられない。ただ何が起きているのかわかっていない呆然とした顔つきで、それでてい目の前にいる恋人へ手を身を乗り出したまま、少年の体は見る間に変化してゆく。
熟れた果実の皮のように、フカガワミコトの体がそこから捲れ、裏返ってゆくのだ。
体表を裏返しながら、ちょうど今の空を覆う七色の光のような光沢をもつ一枚の、薄い布に姿を変えてゆく。
透き通るように薄く、羽のようにふわりと軽いその姿にフカガワミコトが姿を変えるまでは数秒も無い。手を伸ばしたトヨタマタツミの指先をふわりとその布――まさに天女の羽衣と呼ぶべきもの――が、かすめた。
その先から雫のようなものが零れ落ちる。トヨタマタツミがとっさに受け止めたそれは、どうやらフカガワミコトが左手薬指にはめていたリング、らしい。
直後、どすん、と落下音が響いた。宙に浮かんでいたノコがそのまま芝生の上に墜落したのだ。数メートルは浮遊していたからかなり痛かったはずなのに、構わずにノコは人としての姿を失った主へ向けて叫ぶ。何度も何度もマスターと呼ぶが、羽衣になった少年は返事をせずに夜風を受けてはらんだ。
フカガワミコトを羽衣に変えたキタノカタマコは、それをさらりとショールのように肩にかける。そして、まとめていた髪をほどいた。空で輝くオーロラの輝きをあびて黒髪がなびいた。
正しくその姿は天女としか言いようのないものだ。
「それでは皆様、お先に失礼いたします」
長すぎる羽衣の中ほどを持ち、舞うような動作をみせて羽衣の端で宙に円を描く。そこにできた七色の輝きに撓んだ穴にキタノカタマコは体を入れる。その後に薙刀をもった侍女が三人、続いた。
「天と地が結ばれるまであとひと時、どうぞよろしき夢をご覧になってくださいませ」
ふわりと膨らむ羽衣を口元にあて、背を向けるキタノカタマコは振り向き最後に微笑む。初めて見せる、優美で馥郁とした微笑みだ。
しかし、どんなに優し気にみえてもキタノカタマコはキタノカタマコだった。行きがけの駄賃とばかりに右手を振った。
特級ワルキューレだけが持てる私物を収めることのできる格納庫の収納量は相当量があるらしく、船に積むようなコンテナが、どん、と出現する。
その扉がひらいて中からあふれた出たのは、有名な民間警備会社のロゴの入った戦闘服姿の警備員たちだ。ワルキューレがあまり的にしたくない連中だ。
「それでは皆様、おやすみなさい」
キタノカタマコはまさに天女のように微笑んで、羽衣を使って生じさせた次元の穴へ身を滑らせる。三人の侍女もそれに続く。――その後に、砲を格納庫に閉まったジュリも続く。意を決した足取りで、サランの方をみることもなく。
とっさにどう動くべきか判断しかねて親友の背中を見送ってしまう不甲斐ないサランとは、恋人を奪われたトヨタマタツミは違った。
「待ちなさいよぉぉぉぉぉぉぉ! フカガワを返せぇぇぇぇっっっ!」
ぐっとリングを持つ手を握りしめ、吠えるわ走るわ、およそ巫女の姫君とは思えぬありさまでどこへ通じているのか分からない次元の穴にためらいもなく飛び込んいったのだから。
羽衣を舞わせて生じた次元の穴は、即座に消えた。
その様子を思い返しながら、サランは思わず感心してしまう。姿を変えられ、奪われた恋人を迷わず追いかけられるトヨタマタツミに対し、初めて素直なリスペクトの心が表れたのだ。
揶揄であってもさすが、正ヒロインと呼ばれた女だ。根性の入りが違う。
それに比べて自分はどうだ。
勝手に距離を感じて、親友の後を追いかけることもできなかった。
そして結局、事態を何一つ好転させることは出来ていなかった――。
すん、と、鼻をすすりあげようとした時、がつんと何者かに頭を殴られる。犯人は言わずもがなだ。日傘を持つ右手で礫を連射し、口からキャンディの某をはみ出させた凶悪な表情で、左手を固めた拳をちらつかせながら、歌声とはまるで違う低い声で凄みをきかす。
「先輩~、わしはのお、状況を整理せえて言うたんど? 立ったまま寝んさいとか、ビービー泣いてええとは言うたつもりはイッコもありゃあせんけえのおっ!」
「わ、わかってるよう! ――ったく、お前にビービー泣くなっていわれたくねえようっ、お前にだけはぁ!」
やけくそになって叫び、サランはもう一度パン、と自分の顔をはたいた。それを二度三度、繰り返す。
捨て鉢になるな、自暴自棄になるな、負けたと思い込むな、活路をもとめて悪あがきするのが短気で衝動的で自分ですら呆れてしまう気質であるサメジマサランの数少ない長所だ。
ワニブチだってそう言っていたじゃないか。
「あの、あと三十秒で曲がおわっちめえやすが……どういたしやしょう?」
カメラ係のビビアナがそう確認する。リリイは現在警備員と応戦中だ、リポーター係には戻せない。
サランは、まだマイクをもっているミカワカグラとアイコンタクトをとる。
高度な感応能力をもつカグラは、はあっと、ため息をつきカメラの前で笑顔をつくる練習を始めた。大切な人が奪われたのにためらって後を追えなかった者同士、連帯感情を抱いたらしい。そんあカグラに、心の中でありがとうを伝える。
曲が終了し、電脳世界の中でのおしゃべりが始まる。その開始時刻までの秒読みを、ビビアナは始めた。五秒前、四、三、二――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます