#48 ゴシップガールの侍女と愚者が演じた空騒ぎの果て

「――、え?」


 ちょっとまて、おい。


 自分がいまメイド服を着ている立場なのをギリギリ思い出し、その言葉を飲み込むサランへジュリは紙袋を押し付けるように手渡す。

 いつかリリイに持たせた(ヴァン・グゥエット曰くマーハもお気に入りだという)老舗洋菓子屋の菓子折で、ちらりと見えた箱の形状と包装紙の色から季節限定品の品であることが見て取れる。急な事態の間に合わせにしては気の利いた手土産を用意していた。相変わらずそつのない侍女ぶりを発揮するやつだ――とうっかり感心してしまった隙に、サランの後にいたキタノカタマコの侍女が、美しく澄んではいるが感情のこもらない声でジュリへ告げた。


「お待ちしておりました、ワニブチさん。会長は奥で皆様とご一緒にあなたをお待ちです。さぁ、こちらへ」

「では、失礼いたします」


 棒立ちになっていたサランを差し置いて薙刀を携えた侍女が勝手知ったる態度でくるりと後ろを向き、慣れた動作で案内を始める。ジュリはそれに従うように泰山木マグノリアハイツの中へ足を一歩踏み入れる。その際にサランへ儀礼的に目礼してみせたが、あとは無言でマコの侍女の後に従った。

 うっかり気をのまれた隙に部外者に場を仕切られるという失態を犯してしまったサランは慌てて後を追い、ジュリの隣に並んだ。そして小声で呼びかける。


「こらワニブチ、お前なんでここに……っ、てかなんでキタノカタさんに呼び出されんだようっ⁉」


 ジュリは無言だ。

 伊達メガネをかけた横顔をキタノカタマコの侍女の後頭部に向けているばかりで、サランの方は見ようとはしない。ただその表情は固く、度の無いレンズで邪魔されない端正な横顔はツチカと一緒にいた時のように張り詰めている。

 それをみてサランはあれこれ問いただすのはやめた。どうせ何かしらの密約が無言で交わされたのだ、そういうことだ。


「――あーあーわかったようっ。でもそうやってお前がのこのこ命令に従っちゃうから、あの人も調子こいて――」

「サメジマ様、少々お言葉をお控えになさいませ」


 小声でぶつぶつ言うサランを腕章を巻いたマコの侍女が振り向き咎めたが、サランは一言「うるせえ!」と返した。

 表情には出さないもののサランのこの無作法さは大いに不愉快ではあったようで、侍女は無言でふたたび前方を向きサロンへと進んでゆく。しかしかまわずサランは噛みつくように小声で吠えた。


「あんたらも仲間の一人が手に穴開けられたってのに、文句も言わないでそうやって唯々諾々ってやってるからあの人も増長すんだようっ!」

「――増長なさってるのか、キタノカタさんは」


 答えたのは隣のジュリだ。視線は正面にすえたまま、そうポツンとつぶやく。

 少し茶色がかった瞳は、前を行く腕章を巻いた侍女の薙刀に据えられた。彼女がワンドを装備しているという事実から何事かを察した風ではある。


「せっかく足掻いてくれたのに、我ながら不甲斐ない」


 サランの隣を通り過ぎる際に感情を極力押し殺したような声でそう告げて、ジュリはサロンへ足を踏み入れた。

 開け放たれたテラスから地続きの庭に設置されたお茶会会場が散々な有様になっているのを見て、いったん歩みを止める。惨状を前に言葉を失ったようだ。


 ひっくり返ったテーブル、芝生に散らばるお菓子にスコーンにサンドウィッチ、粉々に砕けた高価な磁器のティーセット。


 薙刀の形をしたワンドを携えた侍女たちに制圧された風にしか見えない上級生たち。特にマコへ不信感を隠さなくなったフカガワミコトと涙目でふくれっ面のノコは三人の侍女により薙刀の柄を三角に組み合わせた中に閉じ込められている。


 レネー・マーセルによって手を傷つけられた侍女に、メイド服姿の訓練生の一人包帯を巻くなどして手当をしている。この期に及んで声を上げるのを必死でこらえている彼女の息づかいの他、場に流れるのはあの甘く優雅なミュージカルナンバーだけだ。それはもうすっかり場違いなものに変わり果てていた。


 この状況で悠々と、マコは残りの侍女に身支度を任せていた。一旦お茶会の場から離れてしまった目で見れば、この会談で誰が勝者なのか一目で知らしめる図でもあった。

 その光景を前にした動揺が、ジュリの横顔と様子から感じ取れる。

 そこはまだ美しく華やかなお茶会会場を保っていたサロンの中で足をとめたジュリの様子から、サランは悟った。


「――出撃準備で忙しい中こちらまでお呼びして申し訳ありません、ワニブチさん」


 身支度を整えたマコは絽の着物の袖で口元を隠しながら、涼やかな声で告げた。

 ジュリの姿を認めたマーハも、自身の肩を抱くパートナーと怯えたような表情の小柄な訓練生とともに刃を向けられながらも微笑みを湛えたままで呼びかけた。

 

「あら、キタノカタさんがお呼びになったのは部長さんだったのね、ごきげんよう。ちょっと散らかっていますけれどどうぞおくつろぎになって」


 マーハこんな状態でも女主人然とした姿を崩さない。

 椅子を用意してお茶をお出ししてちょうだい、給仕用のワゴンの傍でかたまり震える侍女たちに声をかけた。ジュリはそれに対し淡々と、お構いなく、と告げる。

 そして行儀作法の教師が矯正した様子がうかがえるような完璧な仕草で一礼する。


「御厚意に甘え挨拶に参りました。急なことで代わり映えのないものしか用意できませんでしたが、後程、皆さまでお楽しみくださいませ」


 頭をもたげる際にさっとサランへ目配せした。玄関で受け取った紙袋をマーハへ手渡せ、の合図だ。

 それを汲んでサランは後ろに薙刀を持った侍女を張り付かせながらマーハの元へ歩み寄る。

 あら、お気遣いいただいて申し訳ないわ――と、マーハが朗らかともいえる声を、サランとは反対方向の位置にいるキタノカタマコの下へ歩んでゆくジュリへ声をかける。


 もう事は済んだと言わんばかりな態度を見せつけるキタノカタマコの様子を横目で見ながら、サランは演劇部のスター二人の元にたどり着き、紙袋をマーハの方へ渡そうとした。

 しかしそれを薙刀を持つ侍女が許さない。中身を改めるまではマーハに怪しい荷物を渡してはならぬ、ということらしい。サランは心の中で遠慮なくむかっ腹を立てたが、微笑んだマーハがその表情と目線で指示に従えと命じる。仕方なくしぶしぶと、美しい部長の背中に身を寄せて怯えた表情で縮こまる可憐な訓練生に手渡した。それが済むとサランは侍女によって、シャー・ユイとタイガがいる元々の場所へ戻される。

 

 パイセン大丈夫っすかっ⁉ と、こんな時のこんな場所だというのに緊張感を欠いた態度でタイガが馴れ馴れしく抱き着いてきたが、されるがままになった。

 

「んっだよ、まだ死ぬって決まりもしてねえのにこれ見よがしに覚悟決めたツラしてさ……」


 サランの耳元だというのにタイガがキャンディの棒をぴこぴこさせてジュリへの毒を吐いた時だけは軽く頭をはたく。既に諸々の覚悟をすませているタイガを気遣ってやれる余裕は今の所サランには無いのだ。


 わざわざキタノカタマコがジュリをここに招いた、という点から反撃が始まることは予測される。それに対する心構えが必要だ。


 侍女を従えたキタノカタマコの前に出て、ジュリは正しく一礼する。そして面を起こした時、まっすぐにマコを正面から向かい合った。

 サランの位置からは後ろ姿しか見えない。かわりに、ジュリを前にして余裕を取り戻したようなキタノカタマコの落ち着きはらった顔がみえる。白檀の扇子を奪われたために袖で隠している口元より上の部分は良く見えたのだ。

 やや低く、そしてよく通る落ち着いた声でジュリは訊ねる。


「当初の約束を違えて私をこの場に召喚なさった理由をお教え願ってもよろしいでしょうか?」


 ――話が違う、とジュリは言っている。

 侍女としての体面を保った声にも固い不信感がまとわりついていることから、サランは判断した。

 問われたキタノカタマコが浮かべた表情の変化は微かなものだ。つうっと目を細めただけ。弧の形になった眼をみて、どうしても優越感に浸っている様子を感じないわけにはいかない。

 

「私も約束を反故せねばならぬのは本意ではありませんでしたが、この作戦は無効である、即刻取り下げよと先輩方が仰いますので――。ならば、これはあなたのご意志でもあるのだとあなたご自身の口からお話していただこう、そのように判断いたしました」


 その際、つ、と、キタノカタマコがサランへ針を刺すような視線を向けたのは気のせいだったか。

 確かなのはサランが一瞬、マコが何を言ったのかが理解できなかったことだけ。しばらくの間をおいて理解した瞬間、ぞわっと内臓が焼けただれるような熱が身の内で燃え上がっただけ――。


 、とキタノカタマコははっきり口にした。

 この作戦にジュリは参加する意思がある、つまりそれはジュリの自発的な意志だと言い張っているのだ。長いまつ毛を生えそろった目を細い月の形にした生徒会長は。


 そんなことは有るはずないことを、サランは知っている。

 物語が染みついている人間らしくジンクスなんてものを恐れ、いつかは本の編集に携わる仕事がしたいと語ることすら躊躇するくらい、本当はこの任務に怯えているのだ。


 マコが微笑みを象ったのもほんの一瞬で、すぐにいつもの超然とした面立ちになり、それなりに衝撃を受けている上級生たちにも聞こえるように涼し気な声ではっきりと口にする。その視線はサランへ据えたままだ。

 その視線に、非力で臆病な癖に舐められるのを嫌う、サランの無鉄砲な気質が反応しないわけがないのだ。気が付けばサランの口が勝手に動いて吠え付いていた。


「嘘こくなよう、ワニブチ! お前この前、将来本に纏わる仕事がしたいっていてたじゃないか⁉」


 黙れ、とばかりに侍女がサランの喉に薙刀の切っ先をつきつけるので、護衛を気取るタイガが前に回り込んで侍女を睨む。そういった小競り合いに押されながらもサランはジュリに向かって声を張った。下げている頭を上げろという思いをありったけ込めて。


「それをうちに言う前、フラグみたいだから言いたくなかったって躊躇った癖に! 本当は怖いくせにっ、ビビってる癖にっ!」

「ちょっとサメジマさん――っ」


 ぐい、と後ろからシャー・ユイがサランの肩を掴んで引っ張る。そこまでここまで人の目がある中で恥を暴露するようなことを言うなという気遣い故の行動だったらしい。それでもサランは前のめりになって叫ぶ。


「大体お前はなぁ、うちらはまだまだイキって調子こいても笑って許される年齢だからっつってるけど、そうやって予防線張った上でやらかしてることのピントがとんでもなくズレてんだからなっ! 一人称が〝僕″とかなんだそのキャラっ、しかもまっずいコーヒー飲むとかそういうの近くにいると真剣にこっぱずかしいんだぞ! お前もともとセンスがなんかちょっと妙なんだからやめろようっ、そうやって無理して格好つけんのはっ!」


 ――しかも今やってる格好つけの方向では、いつもサランがジュリの芝居がかったクサいふるまいを指摘してやったときに気にしてませんよとばかりに口にする、「寝る前に枕うずめてワーっと喚く」ことすらできなくなるのに。


 そういうことを伝えたかったのに、ジュリは故意にサランの言葉を無視するような態度を取り続ける。

 その代わりにキタノカタマコが、醜態に及ぶ泥酔者をみるようにサランに非情すぎる蔑視をくれた。恥知らずなのはお前の方だろうと、その視線が刺す。


 それを見たサランの感情にいよいよ火が着く。

 何がなんでも自分の親友をこっちにふりむかせてやる、そのためにはとにかく自分探しの果てに迷走している数々の行為を言いふらしてやる――という気持ちですうっと息を吸い込み、そしてそれを吐き散らそうとした。まさにそのタイミングだった。


「心外だぞ、サメジマ」


 もともとよく通る声のジュリの声が、サランの気合と挑発を打ち消した。


「お前も僕に散々恥をかかせたきた癖にその言い分はなんだ? 相変わらず勝手な言動ばっかりするやつだ」


 挑発が空ぶって口をあんぐり開けた格好になるサランのマヌケ面がおかしかったのか、こちらをみたジュリの表情には笑顔が浮かぶ。憎まれ口とは反対に、強張りのとれた優しい笑みだった。それだけに、向けられた方の胸も痛まずにはいられない澄み切った笑みだ。


「でもお前の気質のお陰で今までずいぶん助けられたのは事実だ。ありがとう」

「――っ」


 開けっ放しのの口を閉じる際に呼吸をし、サランは霧散した言葉を継ごうとする。でも体から気合が抜けてしまい、言葉に力は籠らない。覚悟を決めた人間のきれいな笑顔による拒絶が、サランから胆力を奪ってしまったのだ。

 ぱくぱくと、金魚のように口を開け閉めするサランを見てキタノカタマコが目を細めた気配を感じたが、打ちのめされたサランにはそれに反応する余裕はない。


 ジュリはそのままサランから一旦視線をそらし、三人の侍女が造る囲いの中に囚われている、フカガワミコトを見つめた。


 泣かされた後のふくれっ面で、ノコは自分たちを閉じ込めている薙刀の檻を掴んで揺さぶっているが、細身の侍女は外見にたがわぬ力を蓄えているのかびくともしない。下から掻い潜る、上からとんで逃げようとしても侍女たちは巧みなワンド捌きでとらえた二人を中に閉じ込める。

 ある種の結界ともいえる狭い空間の中で、ギャーギャー暴れるノコを抱いて大人しくさせようとしているフカガワミコトとジュリの視線がぶつかった。


「っ、何だよ。文芸部長――……さん?」


 の施されているジュリの目は、たとえ伊達メガネをかけていたとしても正面からまっすぐ見つめられると胸をざわつかせずにはいられないものがある。野暮ったいナリはしていても、背筋のぴんと伸びた姿勢からくりだすさりげない所作すら洗練されている。

 そのせいか、自分たちにただならない迷惑をかけた集団の首魁とも言える少女であっても敬意と礼節をもって対応すべきと判断したらしい。フカガワミコトは迷うような間をおいて、結局「さん」をつけてジュリを呼ぶ。


 ジュリもジュリで、さっとフカガワミコトへ一礼する。

 今日まで頑なに接触を避けていた、フカガワハーレムのその中心メンバーへ向けて。


「『ハーレム・リポート』での件、そして先日のサメジマのしでかしで君と友人方にはご迷惑をおかけした。謝って許されるものではないことは承知の上だが文芸部としてお詫びを申し上げたい」


 申し訳ありませんでした――、と謝るジュリを見て、フカガワミコトはあからさまに動じる。


「い、いやそんなの別にいい……ってことはないけどもだなぁっ、あんたもなんやかんや大変だったみたいな事情は聞いてるし、それにやっぱり――。俺は別に、いい気味とかは思ってねえから」


 ジュリが頭を上げたタイミングで、薙刀の囲いに手をかけたフカガワミコトは少年なりにまじめで凛々しい顔になり、初めて顔を合わせた敵の首魁ともいえる存在だった同級生へ言葉を送る。


「そりゃあんたらのことはぶっちゃけムカついてるけど、でもあそこにいる元副部長に比べたら全然ちゃんとしてるし、俺やトヨタマやミカワさんたちに迷惑かけたとは事実にしても、だからって下手すりゃ死ぬかもしれない場所に飛ばされていいとまでは思ってないから、俺は、全然!」

「――」


 前のめりになるフカガワミコトを押しとどめるように、侍女が薙刀を捌いて後ろへ下がらせる。お静かになさいませ、という侍女の注意にムッとした表情を隠さない少年へ向けてジュリは目礼をした。

 その一部始終を、キタノカタマコは冷ややかに見ている。底冷えをもたらす寒風めいた視線は、好意などひとかけらも持ち合わせていないのに決して手放そうとしない少年へも等分に向けられている。


 そうしてジュリは再び、サランに視線を向ける。自分に対するフカガワミコトの無礼な発言に気を悪くする余裕すらなく、ただ言葉を失って棒立ちになるサランをみて微笑んだ。

 そして、一筋縄では行かない少女たちの世話を焼き続けてきた経歴で獲得した、頼りになる姉のような笑顔で声をかけるのだ。


「そんな顔をするな、サメジマ。忘れてるのかもしれないけれど、向こうへはお前も征くことになってるんだぞ。向こうですぐイヤでも僕とは顔を見合わせることになる」

「そ、そう、だけど……っ! でも……っ!」

「どうせ征くなら最善を尽くそうじゃないか。そうすれば開ける道もあるだろうさ。大体、どうしても了承できなシナリオ相手に最大限悪あがきするのがお前だろう」

 

 冗談めかしたような明るい口調で、ジュリらしくもないがむしゃらで無責任なセリフを吐く。それでいてサランのことを信頼していると言わんばかりな、キザったらしい言葉を口にする。

 侍女として自分より他者を優先するその性質がそうさせるのか、と、この場で親友にそんな態度をとらせる自分の不甲斐なさにサランは言葉を失くす。伝えたい言葉が形にならず、譫言のようにあぶくのような言葉を漏らすほかなくなってしまう。


「やめろよう……っ、そんな……っ、そういうこと……っ!」


「お話はもうお済みですね?」


 力のないサランの言葉を、キタノカタマコの涼しい声が断ち切った。

 そして、つ、と視線をジュリへ向ける。その瞬間にジュリの顔も侍女としての表情に切り替わった。二人の視界からサランは排除される。それを痛烈に意識せずにはいられなかった。

 やれやれ待たされた――というニュアンスを間合いで漂わせながら、袖で口元を隠したマコはジュリへ命じた。


「それではあなたの口から仰ってい下さいまし、当作戦に従うのはあなたの意志でもあると。ふしだらな読み物の陰で漏らしてはならない情報を面白半分に漏らし、全世界の人々をいたずらに不安にさせた責任を取るのだと。――これ以上先輩方をお待たせするわけにはまいりませんので早急にお願いします」

「かしこまりました」


 機械的にジュリは応えて、くるりと回れ右をする。そして一度、おどおどしたアメリアの方を見る。

 伊達メガネ超しとはいえ、やたらと眼力の強い下級生にまっすぐ対峙された高等部生徒会長はすくみ上り、指と目線で自分ではなくマーハの方を向けと指示を出す。

 素直にジュリはそれに従い、パートナーの腕に肩を抱かれて護られた格好のマーハへ向けて深々と頭を下げた。


「先ほどキタノカタ会長がおっしゃった通りです。今回の疎開任務には私自ら志願いたしました。我々の身を案じてくださった先輩方のお気持ちはありがたく頂戴いたします。――まことに、感謝申し上げます」


 ジュリはなかなか面を起こさない。その態度に、マーハも困惑を隠さない。苦笑しつつジュリへ呼びかけた。


「お礼なんていいのよ、ワニブチさん。私たちもこの案件とお姉さま方の動向が見逃せなかっただけなんですから。――でも、あの作戦に参加するのはあなただけの問題ではないのよ? この学校だけでも経験の足りない初等部生が何人も出撃することになっているんですから」

 

 ねえ? と含みを持たせながらマーハはサランをみる。それにサランは無言で首を何度も縦に振る。それでもジュリは頭を下げたままだ。

 その様子の何がおかしいのか、くっくと喉を鳴らすような笑いをもらす者がいた。

 自分が痛めつけた侍女から取り上げた薙刀型ワンドをくるくるとバトンのように回転させて遊んでいるレネー・マーセルの後ろにいるナタリアだ。


「お前の忍耐と自己犠牲精神に朋輩もつきあわせるというのはいささかグロテスクじゃないのか?」

「――サメジマも含め彼女らの生命は私が責任を持ちます」

「ほう? 万一のことがあれば菓子折程度のことではすまんというのに、よくもそこまで大きな口を叩けるものだ。調査資料によれば君は慢心には程遠い堅実な性格だとあるが」

 

 ナタリアの口調は依然小意地の悪い皮肉めいたものだが、それでもどことなく声がジュリの身を案じるような気配を感じてしまう。かつての初等部風紀委員長は、問題児のシモクツチカに振り回されるようにしか見えていないジュリには同情的である。以前、ナタリアがジェイン・オースティンの小説に関する独特な感想を語って聞かせた時の感想に引きずられてそのような印象を持ったのだ。。 

 サランのその印象を強めるように、皮肉の響きをやや弱めてナタリアが尋ねた。


「無謀な賭けとは縁遠い君が達成できるかどうか誰にも判断できないことを成し遂げて見せるなどと言い切るとは――。まるで人質でも取られているようだな」


 頭をさげたままのジュリは微動だにせず、否定も反論もしない。マコの手前、リアクションを見せるのを避けたとみるべき態度だった。

 であるからこそ、何かがあると睨んだ者がナタリアの他にもいた。さっと二人は視線を交わしあう。


「会長」


 高等部の役員たちと身を寄せ合い不安げに震えているアメリアへ問うたのは、マーハの肩を抱いて守っているヴァン・グゥエットだ。

 アウトロー業界に身を置くもの以外に訛りは聞かせないというポリシーを思い出したのか、いつもの様に表情筋と言葉数を惜しむ態度にもどり、少ない言葉で素早く尋ねた。


「工廠の爆発の原因は何か」

「あ、あああの、そのっ。 ――ワンド製作用の機材が突然動作不良に陥って、そのまま爆発、炎上したとあるわ。幸い死亡者、重体・重傷の怪我人は出ず、負傷者は数名で済んだそうだけど」


 自分たちに刃を突きつける侍女の気配に怯えはしたが、アメリアは右手を振った。そうすることによって、爆発事故に纏わる最新情報を書面の形で出力すると、その文面をきびきびと読み上げる。

 それを聞いたヴァン・グゥエットは小さく頷き呟いた。


「成程。不幸中の幸い」

「――まったくだな。工廠にお勤めの方々は素早く迅速に避難されたわけか。日ごろの避難訓練の賜物か」


 どうしても皮肉にしか聞こえないナタリアの言葉を耳にしても、ジュリは頭をあげない。そのジュリの背中を見下ろすキタノカタマコの視線には疎まし気なものがかすかに混ざる。ジュリがこうして無言で頭を下げ続けているせいで帰れない、と、言わんばかりの間を放つ。 

  

 ――つまり、ジュリが頭を下げ続けることそのものが何等かのメッセージである――。


 そのことようやく気づいたサランは状況を素早く頭の中で整理し、そして思わず声をあげそうになりながら、頭をさげ続けるジュリをみる。

 やられた、やりやがった! という思いで全身を焼かれながらサランは忠孝の塊のようになったジュリの頑なな態度をただ凝視する。


 ジュリが自分の意志で作戦に参加すると決意したこと、そして不可解な爆発事故、そしてなによりキタノカタマコが上級生たちに外世界から来たものの魂を有する侵略者として告発されそうになっても退かなかった理由が、一本の線でつながる。その衝撃にサランはあっけにとられた。ただ衝撃に翻弄されて口をぽかんとあけるしかなかったのだ。


 ――なるほど確かに、だったのだ。キタノカタマコは――。


 しばらく前にヴァン・グゥエットが呟いた、判じ物めいた言葉の意味が解けてうっかり感心してしまうサランの耳に、上級生の低く掠れたの声が鋭く飛んだ。

 指示を出したのは笑みを引っ込めたナタリア、その先にいるのはアメリアだ。


「会長、報道管制を!」

「え、あ、はいはいっ。そうね――っ!」


 かつて秘密警察と恐れ荒れていたこともある下級生から指示をとばされたアメリアは、あたりまえのようにその指示に従い慌てながらも素早く右手を振った。


 すると、新聞部員が集められたプレス席を囲むようにフェンスでできた箱状の檻が出現する。その周囲を取り囲むようにぐるりと黄色い規制線が。

 サランの傍でもタイガの周囲に黄色い規制線があらわれ、ぐるりと体にまきついた。黄色と黒の警告色でできた拡張現実上のテープの表面には、高等部生徒会の権限において新聞部の活動を一時的に禁じます、といったメッセージが電光掲示板の文字のように流れていく。

 突然のことに面食らったタイガが、驚いて何やら叫んでいるが、その言葉は翻訳されずに無言だ。面食らったタイガが、盛大に何か喚き散らすが勿論静かなままだ。規制線のプログラムの効果か、タイガのリングの機能をオフにし、音声すらけしてしまったらしい。

 それはプレス席の新部員にとってもおなじようで、フェンスにつめよりアメリアに向けてなにやらわめいたり罵ったりしているが、それらは一切音声にならないのだ。中には右手や左手を振ってリングの機能を起動しようとしているものもいたが、なにも起きずに悔し気に地団駄を踏んだ。


 太平洋校の名を冠した報道機関であるという許可を得ている新聞部の活動は、緊急時にはこのようにして力づくで封じることができる。

 必要とあらば、高等部生徒会長と数名の教師には報道管制をしくことができる。モブワルキューレのサランにはそのような権限の行使が実行される現場にたちあったのは初めてのことだ。

 大技を振るったアメリアは一仕事を終えた様子でため息を一つ吐いたが、その直後になにかに気づいたらしく自分に命令を下したナタリアに向けて怒鳴った。


「ってちょっと待ってアクラさん! 今更こんなことやったって遅いわよっ、新聞部さんたちはもう――っ!」

「衝立でも障子でもないよりはマシだ。向こうだって情報の精査には時間を要する

「だからこそ事故に関する情報には共有義務があるんですけど――っ」

「落ち着きんさい! 太平洋校工廠の事故の原因は鰐淵製作所の製品の動作不良じゃあいう確定情報を外のマスコミに流すんをちいと遅らせえいうだけじゃ」


 ナタリアに変わってヴァン・グゥエットに突然訛りで吠えるように言い返され、気の弱い高等部会長はひいっと肩をそびやかした。普段、無表情で無口な美貌の下級生の変わりように怯えた様子を隠さない。それをとりなすように、マーハが微笑みかけた。


「驚かせてごめんなさい、フォックス先輩。でもヴァンが公の母語を使う時は大事なお話をする時ですから、お許しくださいましね」

「だ、大事なお話って、それって――」

「堪忍してつかあさい。――こっから先、初等部に無駄死に強いるようないなげな作戦無ぁするには家業の話もせにゃあなりませんけえ」


 この訛りがどういった種類のものかを熟知しているらしいアメリアは片頬を引きつらせていたが、アーモンドアイにやや寂しげな表情を浮かべたヴァン・グゥエットに謝られて何故かしまりのない笑顔になっていた。無責任に、いいのよいいのよを連発する。

 訛りが出ると急に表情のバリエーションが増える演劇部のスターは、そんなアメリアへ少し微笑みを返してから、アーモンドアイを鋭くすがめた。――人を威嚇する方の表情も増えるらしい。


「こん学校で家業の話をするんはみっともなあが、あちらさんがあがぁな態度とる以上は無視するのも不細工じゃ。のう、キタノカタさん」

「――」


 ヴァン・グゥエットの視線のその先にあるのはアメリアではなく、キタノカタマコだ。

 今更ではあっても報道管制を敷かれて身動きを封じられた新聞部員の集積所となったプレス席を忌々しそうに見ているが、余裕気な態度は崩さない。勝負は決まったのに何故足掻く? と言わんばかりに眉間に皺を寄せる。


 そんなマコを、ヴァン・グゥエットを睨みがなら低い声で答えた。


「うちみたいなんと口ききとうないいう気持ちはよう判るが、あんたンとこ黄家ウチとことは祖父さんの代からの付き合いじゃ。あんた賢いじゃけ、今後の商売も考えたらどうせにゃならんか、理屈は飲んどろうが」

「――」

「キタノカタがワルキューレ不足解消のために次の一手を打ってるいうんはこっちの耳にも入っとる。近いうち、どうせ黄家ウチもそれに協力せにゃならなんことになる。来年以降のアンタがどこにいなさるんかはうちは知らんが、理事さんに代わってこん学校の志願者増えるような策まで練っとるくらい祖父さん想いのよお出来た娘のアンタやったら、自分がどうせにゃならんかお分かりじゃろ?」


 不愉快気に眉を顰めるマコの前に、ヴァン・グゥエットは右手を指し伸ばす。

 すらりとした長身を活かし見下ろすようにやや尊大な態度をとってみせたその姿は、ステージ上で凄みと貫禄を兼ね備えた美丈夫を演じるのを得意にする男役スターの面目躍如といった趣がある。


「――お互い面倒な家の長姉どうしじゃ。仲ようしましょうや」


 ステージ上で幾度も血煙をあびてきたヴァン・グゥエットが、宿敵と出会った決闘者のような笑みを浮かべて手を伸ばす。挑発的ともいえるそれは、一昨日の放課後で自分に無礼を働いた後輩へのカウンターにも見えた(が、こんな事態であるというのにシャー・ユイが押し殺しきれない歓声をもらしていたのが聴こえた)。


 眉間に微かなしわを寄せ、マコは傍にいる総務の腕章を巻いた侍女の一人にヒソヒソとささやく。どうやらマコが信頼しているらしい総務の腕章を巻いた侍女は、絽の着物の袖で隠した主の口から何事かを聞き取り、笑顔で頷いた後に一歩前へ出る。


「ホァン様、ここから私が対応いたします。ご了承くださいませ」

「ほうか。残念じゃけど、かまわんで。そちらさんにしたら、人の目がある所で反社と口きいとるところを見られるんは都合悪かろうて」


 素直に右腕を引っ込めたあと、外部への接続、リングの機能を使う権限を奪われた新聞部員が一網打尽にされたプレス席へとヴァン・グゥエットはあてつけがましく視線を送る。それを浴びせられた侍女は人形じみた笑顔で受け流した。後ろに控えるキタノカタマコは、煩わし気に視線をそらす。

 ヴァン・グゥエットもキタノカタマコと視線を合わせる気はないのか、工廠のある方向の空を見上げる。真っ黒だった煙は水蒸気の混じった白いものに変わりつつあり、爆発直後より空気はおちつきつつあっても外はまだ騒がしい。感情が浮かぶ表れるようになったアーモンドアイには呆れめいたものが浮かんでいた。


「――それにしてもまぁ……、あんたんとこのお嬢さんはムチャクチャしよるの?」


 薙刀を手にした侍女に語り掛けるのを装って、自分とは真逆の方向へ視線をそらすキタノカタマコへ語り掛ける。


「太平洋校工廠が事故起こしたら関係の深いシモクインダストリアルの評判は悪うなる。ましてそこの下請けで直接の原因に仕立てられた鰐淵製作所の市場評価はどがあなる?」

「――」

「そこにおる聞き分けのええ娘が身ぃ張ったお陰で首つないでるようなこんまい町工場が世界規模で信用失ってしもうたら、まあちいとは肉やら骨やら切らんならんことになるのお? 切られるんは従業員か身内か、さすがにそこまでは分からんが」


 訛りを用いた婉曲な語りに、侍女は仮面めいた笑みで応じる。マコは相変わらずそ知らぬ表情で、ジュリも無言だ。

 当事者はなにも答えないが、それがヴァン・グゥエットが示唆した企てが正解だとサランは理解して手のひらに自身の爪を食いこませるほど手を握りしめた。


 現在、ワンド開発や制作の最大手はシモクインダストリアルだ。

 シモク姓をもつ人物が理事をつとめていることもあって、学園に併設された工廠でもシモクから出向した技術者が多く、工廠内の製造環境もシモク準拠で整えられている。


 そしてシモクインダストリアルのワンド開発工程に必要な機材を製造しているのが、下請けである鰐淵製作所だ。

 となると工廠で動作不良、爆発事故を起こした機材も、鰐淵製作所が出がけたものとなる。つまり、ジュリの実家である町工場が製造したものの筈なのだ。


「――っ!」 


 拳をただ握りしめるしかないサランは、悔しさといら立ちから、涼しい顔で誰からも目を逸らしているキタノカタマコを睨む。


 この事故の件が外の世界に報じられれば、ワルキューレ産業に影響を与えるのは必須だ。

 ワンド製作で世界トップクラスのシモクインダストリアルに製造環境に問題があると発覚すれば、市場経済はその信頼の度合いを正直に表すだろう。その場合、より大きなダメージを食らうのは、ヴァン・グゥエットが語った通り直接の事故の原因となった機械を製造した鰐淵製作所ということになる。ジュリの実家がいままで築きあげた信頼が不意になるおそれがあるのだ。


 鰐淵製作所とシモクインダストリアルのつながりは、ジュリがツチカの侍女を務めることを担保にされていたことが保障となっていた関係だ。それが解消され一年近く経つ今では、ツチカ――シモクインダストリアルの厚意でつながっているようなものだ。

 今となってはすっかり心もとなくなった繋がりと信頼を、事故といった形で裏切る。その時にジュリの家族が、鰐淵製作所の工員が被るダメージはどれほどのものか――。

 

 辛いこと屈辱的なことがあってもジュリがツチカの侍女を務め上げたのは、ツチカへの協力の意志だけではなく家族や工員の収入を保証する意味もあった。

 そして、自分からツチカにパートナーにはなれないと申し入れて侍女の身分を捨てた負い目から、学園内の醜聞をまきちらすゴシップガール活動に協力していた。 必要以上に責任感が強く、義理堅すぎる。それがワニブチジュリの性格だ。


 ――その性格を自分の目的の為に利用する者がいた。

 

 例えばあらかじめ工廠内で事故が起きるように工作し、家族に恥をかかせた上に路頭にまよわせたくなければ自分に協力せよともちかけるものがいたとしたら。

 それがあの爆発事故とジュリの結論だ、サランの思考はすんなりとそれをたどる。

 事故の件で責任を取らねばならない立場の家族を、ワルキューレ産業ではシモクインダストリアルと歩調をそろえているキタノカタが口をきくことで助けてやろうと囁いたとしたら。


 そもそもこのような工作を仕掛けなくてはならなくなったのは、ゴシップガールなどとうそぶいて面白半分に自分たちの個人情報をまきちらすだけでは飽き足らず、機密まで漏洩するようなあの不良娘のせいではないのか。

 あの娘をきちんと監督できず世界に不要な混乱をもたらした上に、外世界の軍勢の襲来に怯える一般住民の避難に関する作戦には参加したくないと恥ずべきわがままを主張するのか――。

 本来そんな者は捨て置いても構わないのだが、同窓のよしみ、家族と工員だけは救ってやろう。

 そのため、取るべき行動は一つである。

 それはすなわち、人類を愛しこの世界を護る、高潔で崇高な少女の模範たるワルキューレとして作戦に参加し太平洋校のアピールをしてくることである。


 ――そのような取引を持ちかけたものがいたとしたら――?


 そしてジュリはその話を受け入れざるを得なかったとしたら――?

 

 脳裏に閃いた図にサランの髪がふわっと膨らむ。持ち前の短気がワルキューレとしての力を増幅させたのだ。

 こんなに人を舐めた話があるか! という思いに突き動かされたサランの口から、怒号が飛び出す。頭をさげることでしかメッセージが伝えられない、不甲斐ない親友にむけて叫ぶ。


「ワニブチ! こらあ、そんなムチャクチャな話に従うヤツがあるかあっ! だいたい滅私奉公とか格好悪すぎるぞ今時っ⁉」


 傍目にはだしぬけに叫んだようにしか見えないサランに、侍女の一人が薙刀を突きつけてきたので、上半身を拘束されているタイガに代わってシャー・ユイが羽交い絞めにする。

 頭を下げつつづけるジュリは微動だにしない。サランの声を綺麗に無視する。それがいよいよサランの気質に火を点ける結果となった。


「なんっでお前はそんなに親やアイツに義理立てするんだ! そいつらがみんな、お前にによってたかって侍女教育とか無茶なことを強いたせいで、今お前は伊達メガネかけたり僕ッ子になったり、みょうちきりんな自分探しをする羽目になってるんだぞ! 判ってるのか⁉」


 無視しきれなくなったのかジュリの背中ぴくっと反応する。手ごたえを得たサランだが、それより汚物を見る目になったキタノカタマコが侍女に視線で素早く命じるのが早かった。

 ヴァン・グゥエットと対話を始めていた侍女は、慇懃無礼な笑みで会話を邪魔したサランに警告する。


「サメジマ様、少々お静かに願います。現在私共はホァン様とお話中です」


 そのあと侍女は、精巧な人形めいた笑顔をヴァン・グゥエットへ向ける。


「申し訳ありません、ホァン様。会長も私も、あなたがお話になった事柄に心当たりがございません。失礼ですがお考え違いをなさっているのでは?」

「――まあええ。今ここではそういうことにしといちゃる。あんたらもつくづくええ根性したお嬢さんにお仕えしてるもんじゃの」


 含みのあるその言葉を、キタノカタマコはうるさそうに無視し、交渉係の侍女は人形のように作りものくさい笑みを浮かべて黙する。

 ヴァン・グゥエットはそのまま、頭をさげたままのジュリへ話しかけた。ジュリはピリピリと全身を緊張させている。その様子がサランには分かった。きっと俯いたその顔は、あの張り詰めた表情をしているに違いない。


「のう文芸部部長、あんたんとことウチの部の付き合いも考えたらえろう長い。せやけ、言うというちゃる。――うちはあんたみたいな生き方する子は嫌いやないが、そうやってなんでもかんでも尻ぬぐいしよるんは却ってあんたの大事なお嬢さんの格を下げよることに繋がっとるんど?」


 訛りを用いるといたわるような優しい声もだせるようになるアウトロー業界のビッグネームな上級生の言葉に、ジュリの背中が反応する。ぴくっと、動揺を隠しきれなかったように。

 それを見越したのか、ヴァン・グゥエットの声は厳しいものに変わった。


「自分一人我慢したらなんでもかんでも八方丸うおさまるいうんはの、単に自分に酔うとるだけじゃ。恥ずかしいて見とられんけえ、早よ目ェ醒ましんさい」


 自分の選択を批判されたジュリはばっと勢いよく上半身を跳ね上げる。珍しく気色ばんだ顔と、伊達メガネのリング越しに輝く眼を向けて、上級生に向けて声を荒げた。


「勝手なことを言わないでください! 何もっ、ツチカのことを、知らない癖に――っ!」


 その悲鳴じみた声は、久しぶりに聴くものだった。


 まだジュリがツチカの侍女だったころ、正式に侍女の任を解かれて自分探しの挙句の果てに突然髪を短くしたり、一人称を「僕」にしたり、伊達メガネにしだす前の、シモクツチカとよく似た印象だった人目を引く張り詰めた表情の侍女だった時の。

 十四、五歳ばなれした自制心を持つジュリが珍しく感情をむき出しにする。その際にジュリが口にした名前にサランの胸はざわつくが、それを意識するより早くにジュリは自分自身を取り戻す。わずかに頭を左右に振ってからもう一度さっと頭を下げた。

 

「――すみません。皆さまの前だというのに――」

「かまわんで。実際、あんたのお嬢さんについてはわからんことが多すぎるけえの」


 そして失態に顔を赤くしたジュリを越えて、マコの方を意味ありげに見つめる。化粧で彩った目を細めて、刃物のようにきらめかせて。


「分かってきたんは、あんたがあの人騒がせなお嬢さんをここに引っ張り出したない、キタノカタのお嬢さんの前に連れ出したない、それくらいやったら腑に落ちんことは一切合切丸のみにして自分が危ない目に遭った方がええ。――そがあな横着な考えに嵌りこんでしもとるいうだけじゃ」


 その目と同じくらい鋭く、上級生の言葉はジュリをまっすぐに批判する。そして同時にサランにも落雷じみたショックを与えた。

 与えた痛みの深さを自覚しているかどうか、まるで見えないかのようにヴァン・グゥエットは容赦なく続ける。

 

「そのせいで他の子らが気色の悪い作戦を飲まんならやら全体の状況が悪なってしもとるが、あんたそれどう考えとりんさる?」

 

 ぶん! と、総務の腕章を巻いた侍女の薙刀が空を切った。切っ先がヴァン・グゥエットの形良い鼻先へ突きつけられる。

 侵略者も、また錯乱状態に陥ったワルキューレにも向けていとされる武器を前にしても上級生は眉一つ動かさず、それを持つ侍女の表情には変化はない。

 ただ、キタノカタマコの瞳には激しい嫌悪感が浮かんでいる。眉間に刻まれた皺が、見たこともないほど深い。「気色の悪い作戦」という台詞が彼女の逆鱗に抵触したらしい。ともあれ、気分を害したことすら令嬢は侍女に代弁させる。


「ホァン様、少々お戯れが過ぎます」


 侍女は感情が見えない澄んだ声をやや大きく、そして滑舌をより際立たせてその短い一言を口に下だけに過ぎない。だが、キタノカタマコとシモクツチカの中の悪さを知る者には、この一言でどれほどマコが不愉快さを感じたのかがたちどころに伝わった。

 普段は表情も言葉も惜しむのに、高慢な下級生の地雷をわざと踏み抜くような道化ぶりを演じてみせた演劇部のスターだが、薙刀が円弧をえがくように振り下ろされる数瞬前には自分の腕の中にいたマーハを背中の後ろへ移動している。ぬかりなくパートナーを危険から遠ざけながら、芝居がかった仕草で薙刀の刃の根元をつかむ。


「すまんの、口が滑った。――ほうじゃが」


 それはしばらく前にレネー・マーセルの動作を完全にコピーした所作だったから、侍女の表情には警戒が浮かぶ。やや性急な動作で彼女が獲物を掴んだ細い手を振り払おうとするが、ヴァン・グゥエットがやったのはブロンドのプリンセスじみた同級生がやったのとは別の動きだ。侍女が薙刀を振り払う動作に沿って動かして不意にぱっと手を放す。結果、自分の力に振り回された格好になった侍女は数歩よたよたとたたらを踏むことになった。

 バランスを立て直し、再び薙刀を構えて見せた時には、マーハはふんだんにフリルのついたスカートの裾を翻しくるりターンしながらパートナーの腕の中に戻っている。クラシカルなワンピースとブラウス姿のパートナーの肩を抱いていた。

 ダンスのような体捌きを見せた後、ヴァン・グゥエットは口に凄みをきかせ、もてあそばれた侍女とその主に向けて警告を放った。


「うちにはええが、マーにワンド向けんさるなら相応に腹くくってからにしんさい」


 ――ッッッッ! と、こんな時だというのに、推しの華麗な舞を目撃したシャー・ユイが声にならない歓声をあげながらサランの肩をばしばし数回叩いたが、その痛みをサランは受け流す。シャー・ユイには悪いが付き合っている余裕などあるわけがない。


 もてあそばれた侍女の後ろに控え、眉間の皺を深くして嫌悪感をむき出しにするキタノカタマコとは違い、ジュリは伊達メガネ越しに瞠目している。まるで予想していないタイミングで平手打ちをくらったように、大きく狼狽していたのだ。

 

 隠し事をばらされてしまった。ジュリをそんな表情にさせたのは間違いなくヴァン・グゥエットの容赦のない言葉だ。


 ――そして、ジュリに負けず劣らずショックを受けたのはサランだって同じだ。


 サランはずっと、夏休み後半から世界中を騒がせたこの事態を進展、解決するためには、そもそもの発端であるツチカを引っ張りだすことが近道だと信じていた。

 膠着し、本来なら許可されるはずのない作戦が実行されるような理不尽極まりない状況を打開するにはそれしかないと考えて、散々馬鹿な振舞を演じてきた。


 だというのに、ジュリの方はそれを全く望んでいなかったというのだ。

 ツチカをこの場に引っ張り出すくらいなら、自分の命を危うくした方がいい。少なくとも、ヴァン・グゥエットの言葉とジュリの表情を関連付けるとそういう関係ことにしかなりようがない。


 そのことをようよう自覚したサランの全身から、血の気が一気に引いてゆく。


 ジュリを危険な目に遭わせないために、あの不可解で不条理な作戦を棄却するために、サランが駆けずり回ってやったことが全て無駄だということになるのか? なってしまうのか――? 

 なってしまうよな――? 


 ああうん、なってしまうよな。

 なぜなら良かれと思ってやっていたことが全て余計なお世話だったんだから。認めたくないけれど。


 足元が不意にぐらつく中、一分の期待を込めてジュリの方を見たものの、九分九厘サランが覚悟した通りの解答がジュリの表情に浮かんでいた。隠し事がバレてしまったときの決まりの悪い表情だ。


 それがとどめだった。

 猛烈な羞恥心が眩暈となってサランを襲う。くらりとよろめいたせいで視界が大きく回転した。


「    !」


 音声を消されているがおそらくパイセンとでも叫んでいるはずのタイガが、いつものごとく真っ先に反応し、自由にならない上半身の代わりに素早く片膝を持ち上げてつっかえた。続いてシャー・ユイが背後から抱き起してくれなければ、サランは真正面から地面に伏し倒れて顔面を強打するところだった。


 サメジマさん大丈夫っ? と、シャー・ユイが呼びかける声、音声が封じられているが猫目を開いて心配そうに口をパクパクさせるタイガ。

 自分のマヌケさ加減に打ちのめされそうになるサランの体を、二人の気遣いが素通りししてしまう。それを申し訳なく思う余裕がサランにはなかった。


「! サメジマ、違う! 違うんだ!」


 バスケットボールやスクールバッグをぶつけられたわけでも、ワンドで切り伏せられたわけでもなく、ショックによる眩暈で昏倒するサランを目の当たりにしたジュリの声から余裕が失われる。一人称を「僕」にしている時はわざと声を低くしているのに、自分を取り繕う余裕をなくすとメゾソプラノ程度の地声に戻る。そんな親友の癖をサランは発見したが、かといって強烈な羞恥心が消えたりはしなかった。

 十四、五歳らしくない自制心を持つジュリが自分の為に狼狽してくれている。それやはり、自分の為に本当の気持ちを伝えなかったというその証左に他ならない。

 ジュリは、サランの企てもなにもかも承知した上で、そんなことはなにも望んでいないという本当の気持ちを明らかにしてくれなかった。つまりはそういうことになる。

 要らないプレゼントを前に困惑しても、期待に満ちた相手の顔を前にして本当のことを何も言えなくなり、ただただ笑顔でそれに喜んだふりをしてしまう、気を使いすぎる子供のような真似を強いてしまったことになるのだ。


 よりにもよって、ジュリに、親友に、婚姻マリッジ相手に――。

 小さい頃からの侍女としてのふるまいが身に着きすぎて、見ていられなくなるほどつらくなる親友に。

 自分相手にはある程度は素になってくれているはずだと信じていた親友に、気を使われていたのだ。 

 親友の気持ちを慮り、本当のことは伏せたまま好き放題暴れさせていてくれたというジュリの心配りががサランをほんの少し喜ばせたものの、その数倍大いに辱めもしたのだ。


 ――なんだこれ、空回り? 独り相撲? 骨折り損のくたびれもうけ?


 この状況にしっくりくる慣用句を検索し始めるサランの脳みそが、勝手におもいだしたくもない記憶をも引きずり出す。

 満月に少し足りない月が照らす九十九市のタワーの上、煙草の煙を吹きかけながらいらだったようにシモクツチカが吐き散らした言葉がワンワンと脳内に響く。



 ――ねえ、珠里ジュリが嫌だって言った? あんたに助けてって言った? そうじゃないよね? あの子は自分のやるべきことがどういうことかわかってるもん。だのに何あんた勝手に怒ってんの? 珠里のこと可哀想な子扱いして何キレてんの? バカなの? ちょっとは頭使って欲しいんだけど~、ねえ、鮫島砂蘭~?



 ちくしょう! と、サランは頭の中で喚く。ツチカに向けてじゃなく、自分自身に向けて。

 まったくもって、あの忌々しい不良お嬢様が人をコバカにしたムカムカする口調で仰った通りだ。ジュリは何も嫌だとは言わなかった。助けてとも言ってなかった。自分がやるべきことをわかっていて、そのように行動していた。そしてサランは、好き勝手でわがまま放題なツチカのために未だ行動してしまうジュリのことを哀れなやつだと見ていたのだ。


 すかさず貸してくれたタイガの背中に寄りかかってなんとか立ちながら、気づけば両手を握りしめている。自分で自分をぶんなぐりたくなる。

 あの憎たらしい不良お嬢様に何も言い返せない情けなさに、そしてツチカの方がジュリのことをよく理解していた悔しさに、自分よりも数倍価値のある人間だと思っていた親友を哀れみを込めてみていたという己の思い上がりに、打ちのめされて奥歯をかみしめる。

 

 生涯最大の羞恥に焦がされをうになったサランは、タイガの肩のあたりに額をくっつける。安いデオドランドの匂いよりもいつも舐めてるキャンディの人工香料のフルーツの香の方がすっかり体に染みついているタイガ独特の匂いに集中し、鼻の奥がツンとしてくるのをやり過ごす。


 この状況で涙を出すのは、あまりに恰好悪い。情けなさいにも程がある。だからただただ奥歯をかみしめる。

 報道管制のせいでリングの機能を制限された新聞部員の一人であるタイガは、体をひねってサランの様子をなんとか見ようとしているのが筋肉の動きでさっすることができた。接している額のリズムから、サランに向けて何かを伝えようとしていることだけは分かる。どうせジュリへの悪口だろう。基本的にだれにだって人懐っこくあけっぴろげなタイガだが、ジュリにだけはあたりがキツかったのだから――。


「サメジマ、これだけは誤解しないでくれ! 僕は別にお前の行為をありがた迷惑だなんて思ってない! 本当だ!」


 タイガの背中によりかかり、なんとか立っていられるサランの耳にジュリの訴えが聴こえた。必死な、真摯な声だっただけに、羞恥のどん底に居るサランへ容赦のない追い打ちとなって作用するのだ。

 ジュリは自分の気持ちより他人の感情を優先し、場や集団の損益を第一に考えるのが習い性になっている女だ。

 ならきっと、自分を気遣って本音を伏せているのだ。わざわざありがた迷惑だなんて思ってないだなんて口をするってことはつまりそう思っているという何よりもの証拠だ。語るに落ちたな、ワニブチジュリめ――。

 そういう疑いが、サランを思い上がりによる傲慢の沼に落とすのだ。


 奥歯をかみ、涙をこぼさないですむように耐えながら、サランはどよどよと淀んでゆく自分の心を目の当たりにして慄然とする。


 ――今、うちワニブチのことを信じられなくなってないか?

 ――それってやばくないか?



「お話合いは終了しまして?」


 混乱した場の空気を刷新するように涼やかな声があたりに響く。そう言って場を仕切りだしたのはキタノカタマコだ。顔をみたくても、ああやっとこの埒のあかない茶番も幕引きだ、と言わんばかりに清々した表情をしているはずだとタイガの背中から顔を上げられないサランにも予想がつくような声だった。


「ジンノヒョウエ先輩、アクラ先輩、そしてフォックス先輩、これで本作戦への参加は何よりワニブチさんのご意志でもあることを確認していただけたかと存じます。よってなんども申し上げている通り、状況は変わることはあり得ません」


 これで一体何度目か、マコはそう宣言した。


「ワニブチさんとサメジマさんは作戦に参加して、ワルキューレの模範になっていただく。それからシャーさん、および新聞部の皆様は当校のPRにつとめ、小さな乙女の皆さまによるワルキューレ志願者を募っていただきます。そして、ワルキューレ不足解消と優秀なワルキューレの育成に尽力する。――これが今後、当校の掲げる目標となります。心してくださいませ」

 

 しなる鞭をぴしりとうちつけるような鋭さで、マコは一方的に高圧的にのたまっている。その声に相変わらずの皮肉で返すのはナタリアだろう。


「やれやれ、もう学園を掌握した気か初等部の独裁者様は――? ワルキューレの無駄遣いを推奨するような作戦を立案した君がワルキューレ不足を憂うというのは面白い冗談だな」

「そーだよぉ。それにいくらちっちゃいファンを集めたって、ワルキューレになれる子は限られてるんだから増やそうったて増やせないよぉ? 常識じゃん。ねー、ナッちゃん」


 ジュリが来て以降、侍女の一人から取り上げたワンドをカラーガード隊のように振り回しもてあそぶことで退屈を紛らわせていたレネー・マーセルがしばらくぶりに声を発し、それまでと同じようにナタリアへ同意を求めた。

 実際、レネー・マーセルですら知っている通り、ワルキューレになれる女子はでたらめな遺伝やランダムに顕現する、とにかく気まぐれな特質を持つワルキューレ因子を持つ女子にしかなれないのだ。増やそうと思ったら因子を持つ女子にかたっぱしに声をかけ、根こそぎかき集めるしかない。現状、その方法しかない。


 だが、ナタリアは答えなかった。タイガの背中に額をくっつけてやりすごしているサランには気が付かなかったが、ナタリアは不敵に笑ってパートナーの問いかけに無言で答えた。それが不思議だったのか、ナッちゃん? と小声で尋ねるレネー・マーセルの声も聞こえる。きっと見た目だけは愛らしく、小首でも傾げたのだろう。


 ナタリアの沈黙は、慢性的なワルキューレ不足を任意で増やす方法があると断言しているも同然だった。

 だからサランにも見当はつく。確かにワルキューレを増やす方法はあるのだと、タイガの背中に額をくっつけているサランはそのことに気が付いてた。シャツにすら染みついてしまっている、あの真っ赤なキャンディのフルーツ香料の匂いを嗅ぎながら。


 メジロタイガ・リリイの二人は、人造のワルキューレを開発しているなどという噂話が絶えない目白児童保護育成会なる施設の出身だ。そしてその噂の通り、恐ろしくまずいという見た目はキャンディの形をした薬を服用しなければならない身になっている。

 そしていつかリリイが語っていたことによれば、目白児童保護育成会なる団体の長は元北ノ方一族出身の才媛で、キタノカタマコの大叔母にあたる人だったという。


 ――ということはつまり、キタノカタ主導によるワルキューレを任意で増やす方法は実用一歩手前まで来ているのだ。サランはその証に今、人造のワルキューレにぺったり寄りかかってい。


 そのことに気が付いて、サランはぱっとタイガの背中から離れて背筋を伸ばした。背中が軽くなって驚いたらしいタイガが振り返る、口をぱくぱくと開閉させた。背後にいたシャー・ユイもサランの背中を支える。


「大丈夫サメジマさん? 立てる?」

「うん、もう平気――。心配かけて悪かったな、トラ子。シャー・ユイ」


 キタノカタマコ、および太平洋校の理事でもある北ノ方一族が考えるワルキューレ産業今後の方向性を把握するついでに、サランは頭をふって思考を切り替える。そうすればさっき受けたショックや、ジュリへの不信感も振り落とせるような気がしたのだ。


 動揺を鎮めるよう胸に命じながら、サランは状況の整理に努める。


 キタノカタマコが無意味で甘美な美辞麗句を弄しながら無茶な作戦を実行したがる目的は二つ。

 慢性的なワルキューレ不足の解消を目的とした人造ワルキューレ開発事業、その発展への下地作りだ。美しく儚く可憐な少女戦士の物語で、因子を持たず本来ワルキューレになる必要などない女の子だってワルキューレになれるという夢を撒き、そして人造のワルキューレに作り替えるのだ。しょっちゅう怪しい薬を服用しなくてはならず耐用年数だってひくい、大量生産可能な即席品のワルキューレへと。


 そのぞっとする計画こそ、人類もこの世界のことも何一つ愛してはいない特級ワルキューレのキタノカタマコが自分の魂を連綿とこの時代まで受け継がせてきた一族でもある北ノ方家へのだ。

 ツチカが物語を通し、天女から鬼女に貶められ、いずれ自分とこの世界を結びつけると呪いめいた言葉を吐いたこの世の外からきた女の魂を宿す者であると明かしたキタノカタマコは、それが確かならば外世界に属する者だ。現状、そのような存在は以下のように規定せざるを得ない――侵略者、と。


 ――すなわち、条件が整いさえすれば侵略者として駆逐対象となるような存在だったのだ。透き通った涙と心打つスピーチで一気に世界のヒロインに躍り出た、全世界で注目を集める凛としたご令嬢ワルキューレは。


 そして、そんなマコを小さい頃から嫌っていたのがシモクツチカだ。

 鬼みたいに怖くて意地悪な女の子として、徹底して嫌いぬいていた。 

 そして侍女だったジュリは、当然そのことを知っていた。


 ――ジュリがツチカをこの作戦から遠ざけようとするのは、そこに理由があるはずだ。

 ツチカとマコ、この二人を出会わせてはならない。ジュリはそう考えている。ではなぜそのように考えるのか――。


 それは、二人がであうとからではないか? ツチカが望んでいない、何かが。


「――!」


 ぱちり。

 サランの頭の中でパズルの最後のピースが嵌るような手ごたえを感じた時だ。不意の突風が棕櫚の木立をすりぬけてゆく。芝生の上に散らばったペーパーナプキンや花びらを巻き上げて吹き飛ばす。その強さもさながら海の方から吹いたのに、潮の気配の少ない不自然な風だった。


 その風に煽られたキタノカタマコの着物の袖や裾がたなびき、侍女たちが整えた髪がまた乱れた。風が通り過ぎた後、不快気にほつれたまとめ髪に白い指をあてるとまた侍女がさっと近寄り素早く整える。


「――このような事情ですので」


 身だしなみの整えが済んだキタノカタマコは、涼し気な声を再び響かせた。すっかり勝ちを確信している声でマコは告げる。


「先輩方にもご納得いただけたかと存じます」

「そうね。キタノカタさんが何をどのようにお考えだったのかはよく伝わりました」


 上級生を代表してお茶会の主催者であるマーハが、いつものごとく慈愛に満ちた微笑みを見せた。それを見やるマコの瞳は冷たい。敗者にあびせるような酷薄な視線をむけたがマーハは一切反応しなかった。


「お互いのことをよく知るにはこうしてお茶を囲んでお喋りするのにまさるものはないわね。そう思わないこと、キタノカタさん?」

「――ええ。私も皆様のことを知るよい機会となりました。ではお先に失礼いたします。諸々準備がございますので」


 マコが目配せするだけで、侍女たち十二人のうち九人がが音もなく持ち場を離れた。レネー・マーセルによって手を傷つけられた侍女も、治療をしてくれた訓練生のそばから立ち上がると自分のワンドをくるくる回して遊んでいるレネー・マーセルの手から奪い取ると最後尾に着く。


 ただフカガワミコトのノコを囲む三人の侍女だけは、相変わらず薙刀状のワンドの柄でつくった三角形の囲いの中に二人を閉じ込めていた。そこから二人を自由にしてはならないというマコの強い石を感じる。羽衣の手がかりを秘めたヒロインは手放せないというわけか――。


 マコは、つ、と傍にいるジュリを見る。眩暈から脱して前を見ると、ジュリもさっきまでのサランと同じように居たたまれなさに打ちのめされていたのか顔に手のひらをあててその場に立ち尽くしていた。


 感情を隠さずあらわにするジュリに、キタノカタマコは涼しく爽やかで情の感じさせない声をかけた。


「ワニブチさんもいらっしゃい。あなたがここにいてもしかたないでしょう」

「……」


 呼吸を整えるような間を置き、ジュリは顔を抑える手のひらを額の方へ動かした。指先がそろそろ切り時なショートカットの髪をさっと梳く。そうして気持ちを切り替え、いつもの張り詰めた表情をのぞかせたジュリは「はい」と返事をする。その筈だ。


 そのタイミングを見計らってサランはよびかけた。


「ワニブチ、シモクのやつはここに来るよう」


 すこし俯いた伊達メガネのレンズ越しに、ジュリが瞬きをした。サランの言った意味がすぐには理解できなかったのか、顔をあげるまでにもう一拍の間を要する。

 ジュリより素早い反応をみせたのはキタノカタマコの方だ。むしろサランが口を開くと条件反射で眉間に皺を寄せ、嫌悪感をむきだしにする癖がついたような素早さでサランをぎゅっと睨む。

 それを無視して、サランは言葉を継いだ。


「ごめんな、ワニブチ。うちの勝手な判断でそういうことにしちまって――。とにかくシモクのバカはこっちに来るって言ってる」

「いいかげんになさいませ!」


 ジュリの発言権を封じてマコがぴしゃりと言葉を放った。


戯言たわごとで私たちを引き留めるのはどういった魂胆によるものですか、サメジマさん?」

「戯言なんかじゃないよう! うちはありのまま事実を告げてんだっ! シモクの奴はお茶会にくるっていってたんだようっ、――現状、大遅刻してるけどな」


 ツチカが……! と目を見開いたジュリからこわばりが解け、純粋な驚きに打たれた表情が現れた。それより先に、いら立ちを隠さなくなったキタノカタマコが頭を左右にふり、うんざりとばかりに吐き捨てる。


「またそのような――! あなたという人はどうしようというのです、そのような嘘を口にしてまで! 見苦しい!」


 いつももっている鉄扇型のワンドも、その代わりに使用していた白檀の扇子ももたないマコの右手がわなないている。気を鎮める為に扇のような何かを求める指がいら立ちを如実をに表している。


 そのいら立ちを煽るように、人を完全にバカにしたようなねっとりとした甘ったるい口調がその場の空気を完全に塗り替えた。


「嘘じゃありませぇ~ん。生徒会長さん。シモクさんとかいう方はお茶会に来ますので~って、伝言預かってますぅ~」


 人の神経を必ずいらだたせるふざけたその声は、サランにとっては忌々しいが心強くもあるものだ。それは、マーハとヴァン・グゥエットのいる方から聞こえる。もちろん二人のものではない。

 サランがジュリから預かった老舗洋菓子屋の紙袋を手渡した訓練生が、フフン、と小悪魔めいた微笑みを浮かべてぴょんと前へ躍り出た。その拍子にくるりと華麗な足さばきでターンをする。ふわりとメイド服のスカートが舞った。


 さっきまで可憐に震えていたメイド服姿の訓練生は、ターンの後にキタノカタマコの正面に向き合うと、クラシカルなメイド服のスカートの裾をつまんでお辞儀をする。


「ともあれまずはこちらをお読みになってくださいませ」


 よりにもよって演劇部の先輩、しかもスターの二人の前で無作法な振舞をしてみせる妖精めいた訓練生は、リングのはめられた左手をふった。それだけでキタノカタマコの手元に薄っぺらい冊子が現れる。

 はーい、皆さんにもぉ~、と、いう能天気な号令に合わせて訓練生がマジシャンのように気取った仕草で再度左手をふるとこの場にいた全員の手元に同じ冊子が現れた。

 その冊子には、愛らしいワルキューレ二人が戯れるオフショット画像や動画が数点とテキスト類が添付されている。隙間を埋めるのはエキゾチックな瓶から煙とともに現れるリリイらしき女の子のイラストだ。


 そして一番目立つ場所に堂々記されている文字列がある。それは誰がどうみても「メジロリリイ オフィシャルファンクラブ通信」としか読みようが無かった。



 ◇I Dream of Ifrita 〜 メジロリリイ オフィシャルファンクラブ通信 〜 vol.2◇


 はーい、愛しのmasterたち。元気にしてた? 太平洋の砂浜に打ち寄せられた魔法の小瓶の中で貴方達を待っている、可愛いIfrita リリイちゃんの忠実なる使い魔兼管理人のPearlです。

  

 おかげさまでmasterも十万人を越えました~! ぱちぱち~。

 いつも我がご主人様リリイちゃんが閉じ込められた瓶をこすって応援してくれる、master達にリリイちゃんからプレゼント。


 先日、同じ島の小さなお城に住んでるMagic princessミカワカグラ先輩とリリイちゃんが遊んだ時のオフショットを大公開しちゃいます。どーん。どれもここでしか見られないよ。


(以下、十数枚にわたる画像と動画がレイアウトされている)

 

 うーん、どれもこれもso cute!! 


 リリイちゃんもカグラ先輩も、ここはとっても退屈だから素敵なmasterに迎えに来てもらいたいって盛り上がってたみたい。というわけで早くLunar orbitから迎えに消えてね! 優しくてすてきなmarterたち! あたしたちの自由もあなたにかかってるんだから hurry up‼︎‼︎ だよ! Please! Please!! Please!!!!!!!!!!!!


 退屈してるリリイちゃんへのメッセージはこの瓶に投げてね。


(以下、コメント欄。紙切れにメッセージを書き込みコルク栓のついた小瓶のアイコンをタップして蓋をするとこちらに届くしようになっている)


 ◇◆◇



「はーい、というわけでぇ〜」


 ポップさを装いつつも端々に管理人の魂の叫びがにじみ出てる気がしないでもない冊子を一方的に配布した可憐な訓練生は、愛らしく左手を振ってワンドの格納庫を開く。取り出したのは一見瀟洒な香水瓶だ。

 それを自信の体に吹き付けると、メイド服姿の訓練生の姿がぐにゃんとたわんだ。一瞬ののちに現れたのはサランにはよーく見慣れたあの姿だった。


 肩を越すあたりで切りそろえられた髪に、翡翠色がかった黒い瞳。亜熱帯の空の下でも一切焼けない白い肌を持つ、薄手ロングのカーディガンに短いスカートにハイソックスという二十世紀末のギャルスタイルで制服を纏った外見だけは抜群に美しい後輩は、世にもくだらぬものを読ませられたという顔つきのキタノカタマコの前で天使のように微笑んでみせると、二千年紀ミレニアムよりずっと昔のアイドルのように敬礼のポーズをとってみせた。


「お久しぶりです、生徒会長〜。初等部二年、本日付で卓上ゲーム研究部の部長に就任いたしました、メジロリリイです。──覚えてますかぁ、私のこと?」


 俄かに振って湧いたリリイの出現に、驚きはせずただ白けた顔つきになっただけだ。古びた芸を見せられた観客のようにため息をついてからおざなりに言葉をよこす。


「ええ、覚えております。六月に害虫の出現に驚いて教室を使用不能にしたメジロさんですね」

「あはははっ、やーん、その節はお世話になっちゃいましたぁ〜」


 恥ずかしそうに手のひらで顔をおおうふりをしてから、チラリとこちらに視線を送る。タイガにはにっこり微笑んで、サランには訛りを覗かせる時に見せる凄みを見せつけた。

 仕方なしに協力してるだけだから誤解するなと、とその目つきが告げている。

 サランも頷ずくと、再度リリイは天使の顔に愛らしい微笑みをうかべ、自分のファンクラブ通信をわかりやすく広げると、メッセージフォームになっている小瓶をタップした。そして小さなコルク栓を引き抜く。


「はーい、じゃあですねぇ、この面の上から七つ目のメッセージ、開いてみてくれますぅ~。そこにびっくりするようなことが書いてありますからぁ~」


 このような汚らわしい紙切れ、たとえ拡張現実にしか存在しない実体のないものであっても触れたくはないという態度をみせつけながらも、キタノカタマコは上から七つ目の小さなガラス瓶に触れた。この場にいた全員も大人しく指示に従う。

 なんとなくほのぼのとした場違いな空気が流れた間を置いて、全員の手に宝島の地図でも記すのがふさわしいような古びた紙切れが現れた。


 そこに記されていたのはたったの一行。どこかのサイトのアドレスだ。触ると古いブラウン管を使用していた時代のような古いテレビジョンの形になる。ガラクタのような動画を投げるときに使用される如何わしい動画サイトのアイコンだ。


「はいっ、ではそこのリンクから先へたどっちゃってくださーい。れっつらごー」


 ようやく売れ出してきたアイドルの仮面をかぶったリリイがナビゲートする通りにアイコンに触れると、二十世紀中頃に出回っていたような古いテレビが大きくなる。ぶうん、と音までアンティーク家電そっくりな音を立てて画面に明かりがともり、最初はぼんやりと、そして徐々にゆっくり映像が映し出されるだした。

 

 無駄に再現度の高いテレビ画面に映しだされた光景は、この場にいる全員がよーく見知ったものだった。


 どこかの南国らしい風景に、コロニアル趣味の小さな洋館。

 ドレッシーに着飾った美しい乙女たち。その中の一人は涼し気な絽の和服を纏っている。

 クラシカルなメイド服を纏った愛らしい少女たちもいれば、毎日毎日ずっと見ている制服姿の女子もいる。制服姿の女子のうち一人は薙刀のようなものを持ち、この場で一人の少年を三人で取り囲んでいる。

 大勢の少女たちが角突き合わせている芝生のうえは、カラフルなお菓子や草花、磁器の破片が飛び散り、散々な有様だ。

 そして異様なのがこの画面に映し出されているものたちが見な、各々の手のひらの上に浮かび上がった古いテレビに見入っているということだ。


 動画の中のテレビの映像は小さすぎて確認できないが、この場にいる者全員、目の前の動画に映し出されている少女たちが見ている動画の内容が一瞬で想像できた。

 自分たちとそっくりおなじものを見ている筈である、と。


 なぜならこの映像は、今この時点の泰山木マグノリアハイツの庭に集まった自分たちを映している映像であるからだ。


 何故このような映像がこのようなジャンク動画ばかりが集められる場末の動画サイトに、といぶかしんでいる間に、テレビ画面の上部には右から左へメッセージが流れる。


 現れた文字を目で追ってしまうのは人間の習性だ。そこに流れるはずのメッセージを把握しているサランですら。それを確認してしまう。


 LIVE と、まず頭に記し、ゆったりと左へ流れてゆく文章の中に、久しく見かけなかったあの名前があるのを何故かみな固唾をのんで見守っていた。



《は~い、お久しぶり。現在潜伏中のレディハンマーヘッドだよ~。ここしばらくお休みしちゃってごめんねっ。その分こうやっていつもと違う場所から違う形式で『ハーレムリポート』をお送りしちゃってます。生放送だよっ。フカガワハーレムのメンバーも演劇部さんのトップスターのマー様とヤマブキさんのお二人も、みんな大好きレネーちゃんとナタリアも、いまみんな大注目のアイドル・リリイちゃんまでゲスト大集合の特大SPだよっ。……え、ちょっとマジ? 今視聴者数たったこんだけ? げ、やっべー、しょっぱいなー。せっかくあたしの復活祭だってのに、もー。ま、でも仕方ないかー、こんなジャンク動画の墓場にはりついてるのなんて曰くつきの映像あさってる動画マニアか、自分が小さい時に見ていたマイナーなテレビ番組が見たいっていうおじいちゃんおばあちゃんくらいじゃん。あたしのことなんて知らない人ばっかじゃーん。ショボーン。――ってわけで~うちの学校のある島が19時になっちゃったら、一気にいろんな動画屋さんにリンク張って拡散しようと思ってるんでよろしくぅ。てなわけでチャンネルはそのままね、ひょーっとしたらみんなが見たがってるあの子が姿を表すかもよ? ん? あの子って誰? さーてだれかな~。それも含めてお楽しみ♪ 打ち上げる花火はでかくなければ意味がない、レディハンマーヘッドでしたっ。そんじゃあ、また後でっ》



 ひたすら静かなテレビ画面の上を、いろんな意味で五月蠅い白いテロップによる長すぎるメッセージが流れ、そしてしばらくするとまた、LIVE の文字に戻った。そこから流れるのはそっくりそのまま同じメッセージだ。


 姿を見せないゴシップガールの視線に晒されている一同は、皆無言で振り返る。


 自分たちを撮影しているカメラがあるはず場所は、どうかんがえてもあの位置しかなかった。

 そこには今、自由な報道を封じられた哀れな新聞部員たちが一網打尽にされている。

 実体のないフェンスと規制線で囲まれたプレス席を、全員無言で凝視した。


「……今何時だったかしら?」

「18時57分」


 お茶会の主催者であるマーハがまずその口を開くと、すかさず彼女のパートナーが端的に答えた。もう口調を訛らせるつもりはないらしい。

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