#46 ゴシップガール、喧喧諤諤の軍議に遅刻(つきあってあげられるほどこっちは暇じゃないんだよね、そんなの)

「ん~? あたし、そんな変なこと言っちゃったぁ~?」


 会話の邪魔にならないようサランは半歩後ろに下がる。


 敵を殲滅せよと言ったも同然のレネー・マーセルは小首を傾げた。その顔は野の花で花冠を編む乙女のようであった。穢れなどない無垢な顔つきで、自分に向けて熱線のような視線をむけるキタノカタマコの憤怒をものともせず、冷静に紅茶を味わうパートナーの方を見つめるのだ。


「だって、言うんでしょ? ほら、攻撃は最大の防御って。何かの授業で先生も仰ってたよぉ? ねー、ナッちゃん」

「そのような慣用句があるのは確かだが、お前の頭に授業の記憶が刻み込まれていることに驚きを禁じ得ない」

「だって! ほら~、どーよっ⁉」


 ナタリアの口調も中身も冷酷そのものだったのにも関わらず、レネー・マーセルはえへんと胸をはった。

 どうやらこの美しく強く頭の中身が色んな意味で危なっかしい上級生は、傍目でみているとヒヤリとするほど自分を厳しくたしなめもするパートナーのことを強く頼りにしているらしい。


 単なるパートナーというよりは複雑な事情を感じさせる二人の関係にややひきつつも、余裕気に紅茶に口をつけるナタリアをサランは見た。


 見た目だけはプリンセスじみたパートナーの無作法をなにかと見とがめて小声で窘めていたナタリアなのに、レネー・マーセルが敵である侵略者は問答無用で殲滅すべしとほぼ宣言したのを半ば黙認したからである。――侵略者の中には地球人類と対話をのぞむ友好的な種族もいることや、虐殺を思わせる単語は過去に人類が行ってきた各種愚策を連想させるために非常に印象が悪くなるため、大っぴらにするワルキューレはあまりいない。本来ならばなにより慎重にならざるを得ない発言なのだ。まして、レネー・マーセルのような広報活動をも担当するワルキューレの場合、致命的な結果を招きかねないのに。


 なんにせよ、けぶる金髪の妖精の王女めいた上級生はは無邪気に胸をはってみせた。


「えーと、確か大昔の中国の本に書かれてたんだよ? 『孫子』か何か。違う?」

「違うわね!」


 即座に答えたのはナタリアではなかった。なぜかアメリア・フォックスがいやにかっちりした口調で返す。

 かけていない筈のメガネのレンズをきらんと光らせるように、とうとうとした口調で一気に語った。一体何が彼女のスイッチを押したのかとおののくほどの流れるような口調で――ほんの少し前まで半泣きだったのに。


「『孫子』にあるのは〝勝つべからざるは守るなり。勝つべきは攻むるなり″。要するに勝てる条件にないときは守りを固めるべき、勝てる条件が整った時こそ攻撃するべきで、むやみやたらに攻撃すればいいっていう考えとはまるで正反対のことを説いているのよ。つまり――……ちょっと、聞いてるルカンさん」

「ん、聞いてま~す。んじゃあつまり、外世界の侵略者に勝てる条件が整った時にこっちからはい、ッドーン! って攻め入ればいいってことですね? なんだ、楽勝らっくしょお~」

「――聞いてないわね? 聞いてなかったわねっ。というよりもあなた、今回の概要をそもそもちっとも理解してないわね……っ! 予言された侵略者の一軍の侵攻に対して予想される防戦への準備に関わる作戦について話し合いをしてるのよ、私たちは……っ! つまりは外世界に攻め入れるだけの力なんて私たちには元々ないって言ってるの!」


 さっきまで涙目だったのが嘘のように、アメリアは突然やや声高の早口でテーブルに手を突き斜め前のアメリアに語り聞かせる。その水色の瞳の輝きが多少マッドだ。彼女の後ろに控える高等部生徒会の面々が慌ててアメリアを座らせようとする。

 しかし無垢な口ぶりで、レネー・マーセルは真正面からアメリア・フォックスを見つめた。


「じゃあじゃあ、アメリア先輩。あと何年経てばあたしたちワルキューレが外世界の侵略者たちをまとめて   ……あ、やば。また消されちちゃった。それじゃあえーと、侵略者を根こそぎまとめて、ッドーン! ってする条件が整うのか、計算できます?」 


 無垢で無邪気なプリンセスそのもののきらめく笑顔で、レネー・マーセルはまたしても extermination みなごろしと口にしたらしい。その部分はまた無音で口がパクパクと開閉するだけになる。

 

 ――つまりは。

 ミントグリーンのふんわりしたドレス姿がよく似合う妖精の王女様めいたこの上級生は、人類の敵には一切の慈悲は必要なし、女子供でも老人でも病人でも赤子でも妊婦でも、人類の敵はすべからく抹殺せよ、と、やはり笑顔でこのように宣っているわけだ。


 そんなスターワルキューレに、円卓のメンバー及び、プレス席のメンバーの視線が集中した。案の定、プレス席はざわつきフラッシュをたきつける。

 これはまずい状況では、と、冷や汗をかいてしまうサランだが、それでもナタリアは落ち着いていた。パートナーの不適切な発言を拾おうとする新聞部たちの不躾なフラッシュもものともせず、悠々と紅茶を味わう。


 ナタリア以外の高等部生たちの表情にも驚きはない。おそらく、レネー・マーセルのこの気質を既に知っていたためだろう。マーハは過激な同級生の言葉に苦笑し、ヴァン・グゥエットはアーモンドアイを油断なくキタノカタマコに向けていた。

 落ち着いた様子の高等部生とはちがい、ぎょっとした顔つきでプリンセスじみた高等部二年生の顔を見つめるのは初等部生に限られていた。その中でもとりわけ、フカガワミコトの驚愕の度合いは大いようにみえた。なんの因果かワルキューレ因子などが顕現するまでは、太平洋校の強くて綺麗で可愛い環太平洋圏のヒロインとしてのレネー・マーセル・ルカンの印象が強い身であれば呆然とした顔つきになるのも無理ないな――と、サラン自身も驚きながら納得した。


 レネー・マーセルとナタリアが行った文化部棟の浄化活動に遭遇した為、見た目通りふんわりふわふわした人じゃあないぞという心構えのあった元文化部棟住民のサランやシャー・ユイだって、一点のくもりもないパトリオティズムな考えにぞっとしないわけにはいかなかったのだから。地球と人類の平和と安寧のためには外世界の侵略者を殲滅すべし、浄化せよ、はあまりにもシンプルすぎる。


 しかし、そのような初等部勢の中で一番激しい感情をあらわにしたのは誰あろう、マコだった。ぱちんと音を立てて閉じた白檀の扇子をもう一度開き、口元を隠すも、炯々と輝く双眸をレネー・マーセルへ向けている。


 見つめられた方はというと、またしても行儀悪くテーブルに頬杖をついて、自分が意見を求めたアメリア・フォックスの話に耳を傾けている。主計係殿と新聞部に揶揄されていた高等部生徒会長は、存在しない筈のメガネのレンズをきらめかせてレネー・マーセルの問いにとうとうと答えていたのだ。


「計算するまでもないわよ。大体私たちには外世界の深奥まで航行できる技術も、それに耐えうるワルキューレだって育ってないんですから。現状のままだと攻めに出られるまで最低でも百年はかかるわ。それ以前にそんな自殺めいた策に打って出てもいいことは何一つもないわね。どうしても防衛線を拡大したいというのなら、やはりここはあせらずじっくり兵力の育成に手間暇をかけるべきです」

「え~、そんなに時間がかかっちゃうんだぁ。ぶーっ。――じゃあじゃあ、その期間どうすれば短くなるんですかぁ?」

「〝って直となし、患を以って利となす″というでしょう? やみくもな戦線拡大に打って出ても疲弊するだけ、着実に外世界深奥にたどりつけるまでの体力と友好勢力との信用を高めるのがやはり最大の近道でしょうね」

「友好勢力ぅ~? んーまぁ、お友達になってもいっかなぁ~って侵略者がいるなら、ま、アリかも~。そんなのいるかどうかわからなけどぉ」

「いないんなら作るんですっ! 今のこの世界の技術だけじゃ外世界深奥になど絶対たどりつけないんだから外世界諸文明の進んだ技術を学び、取り入れることは大切なの! 特にワルキューレの育成、ワンドの開発、より地球に対して高圧的な侵略者への抵抗等々こういった最重要課題の解決のためには外世界の友好勢力と同盟を組み、安定した資源の供給源を確保することが必須です。最新技術を同盟諸国の友好かつ平和的な交流から取り入れ、そしてそののちワルキューレでなくても侵略者に対抗できる術を持つ――……」


 語るうちに勢いづいてきたらしいアメリアの口調が早口になる。どうやら、なにかしらの戦略を語らせることが数字に強いが気が弱い高等部生徒会長のスイッチらしい。会長っ、フォックス会長! と、焦った声でしっかりものの副会長が焦った声で囁いてもアメリアは気づかず、レネー・マーセルに尋ねられたことに対して自分なりの見解を述べ続ける。おそらく、キタノカタマコが炯々とした目をで睨んでいることに気が付いていない――。

 それでも、扇子の後ろからこのようにはっきり告げられて気づかないわけでは無い。

 

「御説傾聴いたしました、フォックス先輩。しかしそのご計画、あまりにも先輩のご気質を反映しすぎてルカン先輩のご期待には添え無さそうにお見受けしますが?」

「……っ!」


 眼光するどく一睨みされただけで高等部生徒会長は震え上がる。


「とはいえ、その慎重さに重きを置く方もいらっしゃる筈です。ですからどうぞ、その案を国連の戦略局のお姉さま方にお聞かせ遊ばせ」

「ご、ごめんなさい私なんかが差し出がましいマネを……っ」


 顔を真っ赤に染めて上ずった声でむやみやたらと謝罪しながら席に着くアメリア・フォックスをキタノカタマコは一顧だにせず、レネー・マーセルに視線を移す。傍にいるサランまで思わず姿勢を正してしまう鋭さだった。

 戯言を、と口にしたときよりも傾いた眉の角度を急にして、強いきらめきを放つ双眸を前に、またクリームやジャムをごってりぬりつけたスコーンを口に運んだレネー・マーセルは「ふぇ?」と見返す。


 現初等部生徒会長と前初等部生徒会長の視線がぶつかり合う。火花が飛び散るかという瞬間には、キタノカタマコはいつもの涼しい表情にもどっていた。扇子で口元を隠し、さきほど強いきらめきを宿してた瞳にまつ毛で庇をつくり、涼やかな声で問うた。


「ルカン先輩の先ほどのお言葉、あれは偽りなく本心から口にされたものなのでしょうか?」


 その問いかけに、レネー・マーセルは紅茶を口に含んでナタリアをちらと見やる。ナタリアはさっきと同じように小さく頷いた。行け、という許可を得てから天衣無縫なプリンセス風のワルキューレは口の中のものを嚥下し、下級生からの質問に答える。

 

「そうだよぉ? 外世界から侵略者がきれいさっぱりいなくなったら地球は平和~、これって当たり前じゃん。だからあたしはね、ワルキューレってこんなせっまいとこに閉じこもってないで、ガンガン外に出てがっしがっし侵略者を」


 以下、レネー・マーセルの口が無言でぱくぱくと開閉するのみとなる。またワルキューレが口にするべきでもない言葉――おそらくgénocide大虐殺ぐらいのことを言っているのだと誰にも理解できる。

 そのタイミングで言葉を引き継いだのはナタリアだ。そうするのが当たり前だという態度で、パートナーから言葉を奪う。


「だが、そういったことは先ほどのフォックス会長のご意見を賜るまでもなく、おおよそ実現不可能で非現実的なものであることキタノカタ会長もご承知だろう。あくまで机上の空論、砂上の楼閣だ」

「ええー、でもさっきフォックス先輩が時間がかけて態勢ととのえればなんとか――」


 レネー・マーセルが、不満げな表情をみせたが、テーブルの下で軽くナタリアに足をけられて口を尖らせつつもしっかり黙った。

 ナタリアはテーブルの下でそのようなやり取りをしていた様子を表情には一切見せない。足だけのコミュニケーションをサランだけが目撃している。


 しかしキタノカタマコはそれを見透かすように目を細め、ナタリアを一瞥した。レネー・マーセル相手ではまともな会話が成り立たないと判断しだのだろう。その表情にさっき受けた挑発の返礼をするような意志が見える。


「ルカン先輩にお茶とお代わりをご用意しなくてもよろしいのですか?」

「心配無用だ。そこの給仕係がさっきからよく面倒を見てくれている」


 自分の息のかかった新聞部の前でレネー・マーセルに好き勝手見解を述べさせても構わなかったのか?


 と、遠回しにナタリアへ訊ねることで脅しつけるキタノカタマコを、ナタリアはなんなくかわす。レネー・マーセルの危険な発言くらいどうということもない、という意志表示だろう。

 白檀の扇子で口をかくしたキタノカタマコの瞼がゆっくり瞬きをした。黒い瞳に強いきらめきが宿っている。


「――ルカン先輩の先ほどのお言葉、アクラ先輩のご判断では問題はないと?」

「当たり前だろう。言葉が足りんのはみとめるが、あれはルカンなりに人類の生命財産と地上の未来を護りたいという感情の発露だ。わが校の誇り高い新聞部の面々は、あの発言の真意を理解せず大げさにに書き立てるようなイエロー・ジャーナリズムには堕していないと私は信じている」


 飄々とした態度でナタリアはメディアを掌握したメディアを牽制する。


 キタノカタマコはうっすらと微笑んだ。一見するとやはり美しい笑みえではあるが、サラン含むテーブルを囲む面々にはその笑みの真意が見抜けた。


 大弾圧を試みて失脚した元委員長風情がぬけぬけと、という嘲りがその笑みの後ろには漂っている。


 ――そんなやりとりを間近で目の当たりにして、ひええ、と声をあげたいのをこらえていた。白いクロスと色とりどりのお菓子とお花と、アンティークの磁器製ティーセットで彩られたお茶会の空気は、再び剣呑さを増してゆく。

 その空気をどこか楽しむように、ナタリアも笑みを湛えながら話題を変えた。


「そういえばキタノカタ会長、君は先月のパジャマパーティーで面白いことを口にしたようだな。『砂上に楼閣を建てようとはしないワルキューレに存在価値はあるのか』云々。せっかくの機会だからお伝えしよう。それを知ったときは実に感心したんだよ、私は。君の言う通り、ワルキューレはまず人々に夢をみせねばならん。侵略者を退け、この地球は安泰だ平和だと信じさせてこそのワルキューレだ。――正直、君がそれを理解しているとは思っていなかったからな、驚いたんだ」


 キタノカタマコは答えない。あえての無言を貫く。そこを挑発するように、ナタリアはニヤリと笑う。面白い、というように。


「しかしだ、砂上に楼閣を建ててこそのワルキューレという君の価値観に准えれば、先ほどルカンが口にしたの机上の空論も同様にワルキューレの本質を突いたものと言えるのではないか? なにしろ君が立てた作戦案もルカンの口にした戯言も、だ。どちらもワルキューレの本質を的確に言い表したものだと私などはそう感じる」


 ナタリアの挑発にキタノカタマコは乗らない。ただゆっくりと瞬きをしてみせたが、それだけでは感情が見えてこない。そこへナタリアはぐいぐいと攻め入る。


「そのせいかな、キタノカタマコ。君の案も、ルカンが口にした戯言も、私にとっては大差あるようには思えない。――故に、君がルカンに対して先ほどあそこまで激高した理由がわからないんだよ。いくらまともに話し合うのも愚かしい戯言と言えどルカンが口にしたのは、フォックス会長が用意してくださった万全な修正案を押し切ってまで君が固執する、ワルキューレの殆どを捨て駒にするという君の作戦を不備を補ったものであることは確かだ。それがどんなに馬鹿げたものであってもだ」


 そこで間を置き、先代の初等部風紀委員長は鋭い三白眼でキタノカタマコに切り込む。


「君は先ほどからどうも、朋輩の生命を守ることに関してはいやに不熱心であるように見えるが、気のせいか? ただの杞憂であればよいのだが」


 懐まで剣先をつきつけるようなナタリアの問いかけだ。

 息をひそめる周囲とは異なり、キタノカタマコの表情に変化は見られなかった。ある程度予測していたのだろう。


「私はただ、優先すべきは朋輩の安全より力なきの皆さまの生命と財産であると申し上げているだけですので。朋輩の生命を蔑ろにしているようにみえたのなら、私の不徳の致すところでしょう」


 そうは言うが、扇子で口元を隠したマコは目をつうっと細めただけで終わる。不徳の致すところ、といった殊勝なセリフを口にしたときに見せる表情ではない。

 そう簡単に刃をつきたてられてたまるか、という意志がそこからほの見えた。しかしナタリアは追撃する。肉食獣のような獰猛さを目に浮かべて。


「――朋輩の生命をないがしろにするわけでは無いというのなら、フォックス先輩の案を受け入れるべきではないのかな?」

「残念ながら、先ほど申し上げております通り大西洋校さんから私どもの立てた案を国連に提出した後でしたので。――もう少し早くご提案くださいましたなら、どうとでもなりましたのに」


 扇子を小さく仰いだため、キタノカタマコの前髪がさらさらとそよいだ。

 アメリア・フォックスを今月中さんざん脅かせ苦手意識を植え付けておいてから、ぬけぬけとそのようなことを口にする。キタノカタマコによるしらばっくれぶりにサランは開いた口がふさがらなくなる。。


 ――そうまでして、なぜ、どうしてジュリを含むワルキューレを危険な任務に就かせたがるのはなぜか。

 ――そうまでしてジュリの後ろに控えるシモクツチカを表に出したいというわけであるなら、なぜに、どうして、そこまで?


 相変わらずツチカとマコの確執の核が見えず、口を開けっ放しにしたサランの耳に、耳慣れた咳払いが飛び込む。みると、お菓子を品よく切り分けているシャー・ユイが目配せを寄こした。みっともないマネをするなと言いたいらしい。サランは慌てて口を閉じ姿勢を正した。


 その際に、だ。


「あ、あの~……」


 小さく、ささやかなのに、この場ではひとり質が異なるのこの場では必要以上に響き渡る声がおずおずと初めてこの場で放たれた。


 円卓を囲むお茶会のメンバー、その給仕係のメイド服の少女、初等部高等部の生徒会員たち、プレス席の新聞部員たち、そこにいた全員の目が右手をゆっくり挙げる礼装姿の少年に集中した。手をあげたのは勿論、フカガワミコトだ。


「俺、その、疎開任務に出ましょう、か?」


 予想していたよりもたくさんの視線が集中したのに臆したようではあるが、少年はおそるおそるといった風情の頼りない様子ではありながら、そうはっきり口にした。そんな自分に矢のような視線が集中したせいか、軽く後ろへのけぞったが、隣の女児型生命体は無邪気に手を挙げて、口いっぱいにお菓子をつめたままモゴモゴと何かを主張した。――マスターが出るならノコも出るぞ、といったことを口にしているらしいが発音が不明瞭でよく聞こえない。


 今の今まで場違いな場所にいるといった風情で大人しく行儀よくノコの世話を焼きながらお茶とお菓子を愉しんでいたフカガワミコトを、円卓の傍にいる者たちは思い思いの顔つきで眺める。せっかく閉じた口をまたあんぐりと開くサラン、いぶかしむような眼で一つ挟んでとなりを見るシャー・ユイ、何が起きたと言わんばかりに目をぱちくりさせるレネー・マーセル、面白そうににやりと笑うナタリア、いつものようにアーモンドアイで唯一の少年客をじっと睨むヴァン・グゥエット。

 この場の女主人であるマーハは、初めて発言したフカガワミコトの緊張を解くためか、優雅に微笑みかけてみせた。


「あら、フカガワさんたらいけないわ。そういった勇敢なご提案は堂々と胸を張って最後まで仰ることよ?」


 ぎくしゃくとした円卓上周りの空気を和らげる効果をもたらすマーハの微笑みに、却ってフカガワミコトははにかむように、ど、どうも……と口ごもりながら舌を向く。主人の反応に素早く反応したノコはお菓子を口につめたまま唇を尖らせ、マーハの動向には敏感なヴァン・グゥエットの視線がこの学園に唯一の少年へ据えられるが、女主人の計らいで和んだ空気を維持したまま場は進む。


「でもよかった、フカガワさんたら何もお話しなさらないから退屈なさってないかしらって心配していた所だったの」


 お茶のお代わりは如何? と尋ねてふりむき、自分の背後に控えていたメイド服姿の訓練生に小さく目配せをしてみせる。よく訓練されたメイド服の演劇分訓練生はティーポットを手にフカガワミコトの元へ向かった。

 彼女の持つポットから紅茶が注がれたのはフカガワミコトのカップではなかった、隣にいるノコのカップにまず琥珀色の液体が注がれる。

 なぜなら、を、語るのなら原因は二つになる。ノコはお菓子をほおばりすぎて喉につめてしまったらしく目を白黒させていたこと、そして、フカガワミコトがティーポットを持った訓練生に手振りで断り、隣にいるキタノカタマコに改めてむきなおったからだ。

 佳人の上級生から優しく声をかけられたはにかみを振り切った表情には緊張がみなぎっている。

 必死な表情ではあったけれど、それでもしっかり扇子で口元を隠している少女を怯まずにまっすぐ見つめている。

 しかしキタノカタマコは正面から受け止めはしなかった。少年ヘは自分の横顔をみせるだけ、ちろりと視線のみを少年へ向けていた。


 サランの立ち位置ではキタノカタマコが横目でフカガワミコトを見やったようにしか見えないが、当の少年の角度ではかなり恐ろしい表情に見えるらしい。また焦ったような顔つきで椅子の上をずり下がり、背もたれに受け止められる。


 それでも、キタノカタマコをまっすぐ見てはっきり言った――少なくとも前半は。


「キタノカタさん、この前も言ったけどやっぱり、俺とノコだけでも出撃した方がいいと思う、んだけど――……」

 

 基本的に女子しかいないこの場所で、少年の声は今回も無駄に良く響く。そのせいかフカガワミコトの声は尻すぼみになった。


 薄化粧したせいで言外の圧が増したアーモンドアイでフカガワミコトを見つめるし、マーハは何が楽しいのか口元に指先をあてて微笑を浮かべる。わぁ~お、フカガワ君ってば王子様っぽーい、とお菓子を齧りながらレネー・マーセルはからかうような声をあげるし、ナタリアもフンと馬鹿にするような鼻で嗤う。

 美しく華やかな上級生たちの様々な反応を前に、この場で唯一の少年の顔はさあっと赤らむが、それでも視線の先にはキタノカタマコがいる。そこからは外さない。真剣だというように口を結ぶ。


 意図が未だに不明だが、少年が先に湯を浴びている風呂場に自ら入り込んできたうえに自ら肌を合わせに行ったというキタノカタマコは、それが礼儀だというような気持の入らないおざなりの視線をフカガワミコトをみやる。

 

「お戯れを、フカガワ様」


 その声にはひとかけらの好意も親しみもない。少なくとも素肌を半ば無理やり重ねた相手に向けるには感情が籠らなさすぎる声で淡々とキタノカタマコは告げた。


「貴方はそこにいるS.A.Wシリーズを起動させることに成功した唯一のワルキューレです。今後の戦局を有利に展開するための切り札です。ですのに御身にもしものことがあればどうします? そのような事態が起きれば私はこの地上に住む皆さま方に顔向けできぬ身となります」

「いや、でも、そんな――⁉ こういうみんなが危ない目に遭うって時になにもできないんじゃ、俺もノコもここにこうしている意味が――」

「意味ならあります。あなたはソウ・ツーとここにいる。そして御身を危険に晒す好意を控え安全に保つこと。貴方がとソウ・ツーの力が必要となるその日まで。此度の件であなたがすることはそれのみです」


 フカガワミコトの言葉を打ち蹴って、キタノカタマコはそう言い切った。前線に出るなと命じたのだ。ただ軍略を述べただけにも思える冷淡で事務的な声で。

 それにムッとしたのか、フカガワミコトがやや前のめりになった。


「っ、いやいやでも、やっぱおかしくない? それって――⁉ そんな危険な任務なら最低限俺らみたいな特級がいかなくちゃ筋が通らないっていうか、あそこのサメジマみたいな低レアだって征くことになってるのに、俺らが出ないってそれこそ恥ずかしいっていうか……」

「予言された外世界の一個師団はおそらくただの先遣隊です。これを退けてもおそらくさらに強い軍勢が控えています。貴方がその秘められた力を振るうべきはそこから、今この時ではありません」

「そんな買いかぶられるような奴じゃないって、俺は……! 大体なんでキタノカタさんが作戦を仕切って…………――――、あ、あの?」


 マコへ詰め寄っていたフカガワミコトは、何かに気づいたらしく首を回して円卓の方を見る。その先に居たのは自分を、じ、と見つめるアーモンドアイのヴァン・グゥエットだ。

 薄化粧を施し、伝説の舞台で観客の乙女たちの心をざわつかせた役を彷彿とさせる中性的な美貌から圧を放った上級生が無言で自分の方を見続けることに強烈な居心地の悪さを感じる、そんな体裁だった。


「お、俺……なんかマズイこと言ったりやったりしました?」

いや


 薄化粧をほどこしても表情筋を動かすのと言葉を出し惜しみする喋り方はそのままで、ヴァン・グゥエットは答えた。それでも視線は、じ、とフカガワミコトを見たままである。

 紅茶を飲んで口の中を空にしたノコが、ふーっと息を吐き、無邪気に声を張り上げた。


「マスター、気にすることはない! ヴァンのやつはあれが普通だ」


 そうはいっても……と、落ち着かなさそうに口ごもるフカガワミコトの視線を受けてヴァン・グゥエットは、つ、と長いまつ毛を軽く伏せた。それだけで表情にニュアンスが加わる。――キタノカタマコへ向けた挑発へ。



 相変わらず判じ物めいた言葉を、アイボリーの肌を持つ彫像のような上級生は口にする。何が言いたいのか相変わらずわかりにくい。その中で、ナタリアはからからと愉快そうに笑う。


「お前の冗談は相変わらず直截だな」


 と言ったからには判じ物めいた発言の中身を正確に把握したということだろう。言った本人の表情はまたいつものように感情の伺えぬものにもどっていたが。


 それでも、羽衣、という単語を耳にしたサランにはピンとひらめくものがある。ツチカが送り付けた『天女とみの虫』を読んだ後ではどうしてもそういった言葉には過敏になる。


 その為、ツチカが綴った昔話風の小説を読んだ際に浮かべた光景が脳裏にひらめく。羽衣を奪われ、天に帰れなくなった天女。いいように人間に利用され、挙句に鬼女として封ぜられ、そして本物の鬼女同然になった天女。

 限りある人間の体を奪い、子々孫々まで命をつなぎないでも、いずれこの地と天を一つにしてみせると呪いめいた言葉を吐いて去った、飛天という名の天女――。


 あの小意地の悪いゴシップガールが、この物語で天女に准えた人物は明らかだ。

 となれば、ヴァン・グゥエットが口にした天女の羽衣が誰を指すのかも明らかだ。

 サランと同じく『天女とみの虫』を読んだ当人も、それに思い至ったのか顔色を変える。


 しかし、ツチカが悲運の天女に准えたはずであるキタノカタマコは、上級生のその言葉にかすかに眉を顰め、つ、と扇の角度を変えただけだった。それだけで何かを心得たように、副会長の腕章を巻いた侍女が僅かに身をかがめ扇の陰で何事かをささやいたマコの託をを耳に入れる。そして、人形のように感情を見せぬ顔のままで澄んだ声を響かせた。


「ホァン様、風趣に富んだお話も時と場所を選ばねばただの無粋である、と、会長が申しております」


 要は扇子の陰で、なんのことやらさっぱり、とキタノカタマコはしらばっくれたというわけだ。

 唖然とするほかないが、それよりもサランの衝動に火を点けそうになった個所がある。


 侍女を通して言葉を伝えるのは、キタノカタマコがヴァン・グゥエットとは直接言葉を交わすことを忌んでいることの意志表示ならない。サランがキタノカタマコに頭突きをしそこなった先日の放課後同様、キタノカタマコは明確に、ホァン・ヴァン・グゥエットだけ明確に差別している――これはもう、間違いない。

 そういう現場を目の当たりにするのは、二十世紀末期から二十一世紀前半の旧日本の空気を意図的に残した風土でそだったサランには、非常に見苦しく映る。


 不遜な下級生から侮辱された上級生は、先日とは異なり平然とカップをソーサーの上に戻す。それとは反対にサランの方がおもわずメイドとしての立場を忘れそうになったその瞬間、自分のものではない感情的な声が飛んだ。


「ちょっと今のはどういう――っ⁉」


 ガタン、と、椅子を倒す勢いで立ち上がったのはシャー・ユイだ。今まで行儀よい佇まいを崩さずに上品な振舞を維持していたのに、御贔屓のスターを侮辱されて一気に怒りが沸点に達したらしい。

 が、元来エレガントにふるまうのが好きな少女なので、視線が自分に集中することに気づくと赤面して、コホンと咳ばらいをした。


「失礼しました。――キタノカタ会長のふるまいはこの場に相応しいものとは思えず、ついこのようなはしたないマネに……」


 倒れた椅子を直そうとした候補生を目で制して、サランがシャー・ユイの背後に駆け寄り椅子を元通り立て直した。取り繕うように済まして腰を下ろす同輩の耳元に、なにやってんだようっ、と小さく囁く。振り返ったシャー・ユイは視線で素早く、仕方ないじゃない、と返した。ヤマブキさんへのファン心理が暴走したのだろう。

 その気持ちを汲んだのか、庇われた格好になるヴァン・グゥエットはシャー・ユイに少し柔らかい眼差しを向ける。その表情を見慣れたものにしか分からない感謝の意が込められたものだ。表情の変化に乏しい上級生からのファンサービスだったのだろう。それを受け取ったシャー・ユイの白い頬がぽっと朱に染まる。


 そんなシャー・ユイを見つめるキタノカタマコの視線は冷淡だ。ただ、いたのか、というような感情だけが見える。


 乱れた空気を柔らかくまとめたのは、やはりマーハだ。侮辱されたパートナーのために立ち上がった知己の下級生へ優しく微笑む。


「いいのよ、沙唯さいさん。いつも楽しいおしゃべりを聞かせてくださる貴方の声が聴こえなくて少し寂しかったところですもの。――そうそう、お友達と素敵なご本を制作されているんですって?」


 優しく細められたマーハの瞳が、意味ありげに瞬く。それを受けとめたシャー・ユイが待ち構えていたように背をピンとのばした。サランも同じように背を伸ばす。――シャー・ユイとケセンヌマミナコの同人誌に言及するということは、マーハがいよいよキタノカタマコに切り込むという合図だ。この作戦を撤回させたいサランとしては、これから明らかにされる情報を手掛かりに次の一手を打つ必要があるのだ。


「え、ええ……! そうなんです。でもどうしてそれを……? 出来上がったらぜひお二人に献呈しようと内緒にしていましたのに……!」

「そこのサメジマさんからサンプルを見せていただいたの。――ふふ、怒ってはだめよ? 良かれと思って私に教えてくださったんだから」


 どうやらシャー・ユイはケセンヌマミナコと二人で作った本をマーハとヴァン・グゥエットへサプライズで手渡す計画だったらしく、振り向いてから知らずにそれを台無しにしたサランを軽く睨んだ。サランは視線を背けてしらばっくれてみせた。その態度に同輩は眉間に皺をよせて見せたものの、サランより自制心のあるシャー・ユイは深くは追及しなかった。この状況ではやむなし、と大人の判断をしたのだろう。

 二人のコミカルな様子が楽しかったのか、マーハはくすくすと品よく楽し気に笑い、そしてあくまで世間話の体でゆったりと尋ねた。


「電子のサンプルでも十分胸のときめく素敵なご本だったわ。そういえばいつか沙唯さんがよく御覧になるっていう夢のお話してくださったわね、いつか読みたいと思っていた本ばかりが並んでいる薄暗い図書館の本棚から一等読みたかった古くて美しい本を手に取って、胸を高鳴らせながらいざ表紙をめくるといつも目が覚めてしまうっていう夢――」

「や、やだ。マー様ったらそんな昔の話、覚えてくださったんですかっ? 恥ずかしい……っ」

「だって、私もよくそういう夢を見てしまうもの。――沙唯さんとお友達がお作りになった本はまさにその夢でしか巡りあえない幻の一冊のようだった……。これはぜひとも購入しなければって決心したのよ? ――それだけに、ストアでは注文も受け付けられない状態だったのはとっても残念……」


 優雅に夢の話を始めたマーハのカップに新しい紅茶が注がれる。ミルクを入れた紅茶のような肌をした女主人は、なんの他意もないと言わんばかりにカップを持ち上げ唇をつける。

 しかしキタノカタマコは、そんな女主人を目の当たりにして、す、と目をすがめた。迎撃態勢を整えているのだ。二人の様子に神経を張り巡らせるサランは気づかれないよう唾をのむ。


 マーハは一切の事情を知らないと言わんばかりの表情で、シャー・ユイを見つめて困ったような顔つきでたずねた。


「ご本の予約が可能になるのはいつ頃かしら? 目途はおわかり?」

「――その件ですが」


 シャー・ユイもひと呼吸の間を置く。キタノカタマコを一顧だにせず、マーハをまっすぐに見つめる。


「お恥ずかしい話ですけれど、私たちからは何とも申し上げることができないのです」

「まあ、それはどうして?」


 演劇部の女帝に相応しい、一級の茶番をマーハは続ける。そうして円卓のメンバーにキタノカタマコの企みを共有させる。

 それを汲んだシャー・ユイは、わずかながら敵意を込めた目でキタノカタマコを見やった。


「その件についてはキタノカタ会長がお詳しいはずです。――私たちも、この事態をどう申し上げていいかわからないので――」


 マコは、扇子をそよそよと動かす。隠されない目元が、シャー・ユイを煩わし気に軽く見つめた。今この場でこの話を引っ張り出すのは不快であるし、自分たちで解決できぬ問題を権力を有する先輩を巻き込むというやり口への軽蔑をむき出しにしてみせる。

 が、サランもシャー・ユイもそれを無視する。みっともないのは確かだが、現状、そうしないとキタノカタマコには太刀打ちできないのだから。


 一応の事情を既に知っているマーハは、いかにも初めてそのことを耳にしたと言いたげに小首を傾げた。演劇部の女帝らしからぬ、わざとらしい演技で。


「どういうことなのか、お訊ねしてもよろしくて? キタノカタさん」

 

 いよいよ女帝が動いた。御自ら飛ぶ鳥落とす勢いのニューヒロインを締め上げにかかったぞ……という空気は、プレス席を中心に高まる。今年度初めには乙姫基金の不正流用を洗うキャンペーンを張っていたはずの新聞部は今やキタノカタマコの御用新聞だ。マーハが下手を打てば、太平洋校演劇部のトップスターという花形イメージにも瑕がつきかねない場面だ。

 マーハのことには過敏な、ヴァン・グゥエッドが紅茶のカップをソーサーの上に降ろした。今度はいつも通り音はたてない。しかし、その目をキタノカタマコに据える。


 緊迫する中、キタノカタマコはふう、と息を吐いた。その動作一つで、うんざりだ、という感情を乗せて。

 逸れには構わず、正しく鈴を振るような声と、茶目っ気を含ませた優しい声音でマーハは問いかけた。


「あなたはどうして、個人が趣味で制作した本の販売に介入するなんてことをなさったの? 独り占めしたいくらい沙唯さんの小説がお気に召したということ?」

「――ええ」


 その場にいる誰もが嘘だとわかる、簡素な返答をキタノカタマコは返した。その木で鼻をくくったような返事に、作者であるシャー・ユイ自身が不快そうに息を吐く。

 それが端から耳に入らないというように、キタノカタマコは淡々と事実のみを語るように告げた。


シャー雨依ユーイーさんが沙唯名義で発表なさる小説の数々には、ワルキューレのみならず、一般の皆さまの心を打つ要素が多く含まれていると当方の広報係の進言にのっとり精査しいたしました。その結果、地上に住む多くの皆さま方が私たちワルキューレをより親しみを感じ、憧れ、いっそうの信頼をお寄せいただく一助になると判断にするに至りました」


「ええ。とっても美しい物語ですものね」

「全く。麗しい泰山木マグノリアの女神や扶桑花ハイビスカスの乙女だの、美しかろうが麗しかろうがこの地上にいてもよい存在だと登録されていない侵略者モノどもを狩るワルキューレの学び舎にそういったものが真実いるとしたら、まず真っ先に駆除にあたらねばならぬという点を無視している点が看過できないので個人的には評価しづらいが。――おっと失礼」


 ナタリアの個性的な小説評に作者として気を悪くしたシャー・ユイがじとっとねめつけることに気づいて皮肉めいたしぐさでおどけて見せる。それで余計にクリエイターとして腹がたったらしいシャー・ユイが立ち上がる。慌ててとりおさえようとするサランを振り切って、頑固な美意識を持つ同輩は主張した。


「私の書いたものはフィクションです! 幻想です! いけませんか、こんな世界でも夢をみてはならないというのですか⁉」


「そんなことは言っていない。自分は君らと違ってフィクションを愉しむ才覚に欠けた野暮天だというだけの話だ」

「ん~、神霊型侵略者ってあたしあんま好きじゃないんだよねぇ~。手ごたえ無いくせにしつこいし~」


 どうにもカルチャーというものに関心を持ちにくい性質であるらしい現園芸部の二人は、意識しているのかしていないのか、シャー・ユイの美意識の粋をおちょくってみせる。

 びき、とサランはシャー・ユイの顔面がひきつる音を聞いた気がした。

 サランは慌ててシャー・ユイの口を押えて耳元で囁く。この場で訛りをむき出しに激高されても困る。


「シャー・ユイ、落ち着け~……っ、ほーら、マー様とヤマブキさんがみてるぞ~、落ち着け~落ち着け~」

「……っ、……っ、――っ⁉」


 興奮していてもマー様とヤマブキさんの名前は絶大だった。

 憧憬・敬愛・崇拝・思慕といった感情を込めた対象である二人の麗しい上級生が、自分を見つめているのに気が付いて分別を取り戻す程度の自制心をシャー・ユイは維持していた。口をふさがれたままサランの目を見て、うんうんと頷く。

 興奮を鎮める為に深呼吸を繰り返すシャー・ユイを楽し気に見ているマーハは、そんな様子が楽しそうにくすくす微笑んでから、自分たちを慕う下級生に慈愛のこもった声で語りかけた。


「アクラさんはああいうけれど、私はあなたのお書きになる世界が好きよ? それにあなたのおかげでこの学園に集う候補生たちが祈りをささげる対象ができたんですもの。あなたが悪戯好きな女神を生み出してくれなければ、この島にいる皆が胸に抱えた想いを託すことができなかった。中にはその重みでつぶれてしまう候補生だっていたかもしれない。――あなたはそういった心を支えたの。それはとっても素晴らしいことよ」


 私の立場では本来こういったことを口にしてはいけないのだけれど、と、旧日本ブッディズム名門の養女であるマーハはお茶目に舌先をペロリと覗かせた。

 元女神でそれこそ信仰の対象であった経歴がだてではないと思わせる微笑みを伴って自分の作品を讃えられた、シャー・ユイがそれでもまだ正気を保っているのがサランには奇跡に思えた。

 マー様……! と感極まった声を発して瞳をきらめかせたままその場に立ち尽くしていたが、理性をとりもどしたのはナタリアのこういった皮肉が耳に響いたからである。


「――まったく、あの女神信仰は現在 大した猛威をふるっているようじゃないか? 満月の夜に泰山木マグノリアの下で女神に請願の句を捧げながら朋輩とリングを交換するとその絆が永久になるだのいう儀式のおかげで泰山木マグノリアの利権に目をつけた香具師どもが抗争をくりひろげていると聞くが?」


 なァ? と、ナタリアは意味ありげにサランを見てニヤリと笑う。秘密警察と呼ばれたこの上級生は、サランの婚姻マリッジの経緯を素手に把握していたらしい。

 空っとぼけようとしたサランに気づかず、シャー・ユイがムキになって自称野暮天の上級生に反論した。自分の書いたものを貶されたような気持になったらしい。


「あ、あれは……っ、私の生み出した小説とは関係ないことです! 私はただ、作品を演劇部の皆さまをモデルにした虚構として発表しています。あくまでフィクションです。皆さんがあの物語を愛して、心のよすがにしてくださるのは作者冥利につきますが……」


 言葉尻を濁すシャー・ユイの言葉を引き継いだのは、皮肉屋のナタリアではなくマーハである。柔和な笑顔で言葉を引き継ぐ。


「つまり、あくまで虚構だと了解した上で女神様を愛していただきたい、そういうことかしら?」

「――ッ、はい、それは勿論――!」


 再び感極まってシャー・ユイは激しく頷く。そして勢い余ったのか、堰を切ったように一気に内面を吐露した。


「あれは私が生み出した小説です! キャラクターです! この世界に実在すると信じるに至るまで愛してくださるのは誇らしい反面、とても恐ろしいんです。ただの物語りなのに、いつしか本当にあったことのように語られだして。しかも、その上――……ッ!」


 胸が詰まったのか、シャー・ユイの言葉は途切れる。テーブルの上に置いた手の指先で軽くクロスを掴む。持ち前のプライドと美意識が作用したのか、怒り顔を見せまいと顔を伏せる。細かに震えた指先が、自分の書いた小説を奪われた悔しさを如実に現わした。

 憧れのお姉さまの前で訛りを出したくないという同輩の心意気を汲み、サランは挙手する。そして許可をえないまま言葉を継いだ。シャー・ユイとケセンヌマミナコの本を取り戻すことも自分のなすべきことの一つだ。

 上級生の目が集まったのを待ってから、サランは口火を切った。


「この後は私が説明します。彼女、シャーさんは初等部生徒会長に取引を持ち掛けられました。本を返してほしければ、広報委員に入る様に、と。そして、自分たちの形に添うように泰山木マグノリアの女神や扶桑花ハイビスカスの乙女の物語を語るように、と。その信仰が伝説が、この学園の創立直後に生まれたように語りなおせ、と。つまり――」


 ドライアイスを押し付けられたように、極度に冷たいキタノカタマコの視線をサランは感じたが振り切った。恐ろしいが構っていられない。

 幸い、マーハが演劇部の女帝とは思えないあえてのあざといしぐさで小首をかしげてみせた。


「あらあら、ではキタノカタさんは沙唯さんに学園の偽史を語りなさいと、そう仰ったの? ――それでよろしくて?」


 マーハは白々しく何もしないふりを装って、口元を隠す開いた扇子を小刻みにふるマコに尋ねた。前髪をわずかにそよがせる少女の瞼を伏せた目元に、いら立ちが滲んでいる。

 反対にマーハはあくまで柔和さ失わず、独裁者とも陰口を叩かれるキタノカタマコを追い詰めるための一手を指す。


「どうしてそのようなことを?」

「――宣伝に効果的と判断したまでのことです」


 煩わし気に眉間に皺をよせ、マコは慇懃に口にした。それをナタリアが皮肉で一蹴する。


「ふん。つまりプロパガンダか。麗しくも美しくも無いことをする」

「アクラ先輩、私は宣伝に効果的と申しましたのですが?」


 慇懃さに不快さを隠さずにまぶして、マコは上級生を臆せず睨んだ後に淡々と続けた。

 

「シャー・ユーイーさんの生み出した、あの麗しい泰山木マグノリアの女神や扶桑花ハイビスカスの乙女の神話、戦火の絶えぬこの地上で少女としての日常を捨て、いずれ召される運命さだめの戦乙女たちが刹那の友愛を慈しみ尊ぶ物語。それらはどうやら、人々の心をとらえると精査の後に結論を出しました」


 ぴく、と未だ俯くシャー・ユイの方が反応したのはサランは目撃した。そばにいるせいでその口からと小声で繰り返したのをしっかり耳にして青ざめた。

 サランは同じ文芸部仲間だったから、シャー・ユイが『演劇部通信』にどういう思いを込めているのかよく知っている。疑似恋愛という言葉をきくと即座に訛りをむき出しにすることも嫌というほど知っている。自分の書くものにこめているのは同性同士の一時のなれ合いではなく永久の絆、決して切れぬ縁に持てうるだけの祈りを込めているのだとあきれるほどよーく知っている。

 つまり、キタノカタマコによるシャー・ユイの『演劇部通信』評は盛大ななのだ。


 ――解釈違い・即・斬。


 いつかリリイが口にした二千年紀の少年漫画をもじったフレーズがなぜか脳裏をかすめ、シャー・ユイ専用のそれが浮かぶ。実際、シャー・ユイの口から不穏なつぶやきがしっかりこぼれ落ちた。


「……刹那の、友愛ィィィ~?」


 リングがしっかりその言葉に普段とはちがうイントネーションをつけている。そのせいか、ヴァン・グゥエットがアーモンドアイをシャー・ユイへ向けた。サランは慌てて朋輩の口を塞ぐが、火に油を注ぐようにキタノカタマコは言葉を継ぐのだ。

 冷酷に冷徹に冷静に、無慈悲に。


「ええ。人々の生命財産とこの世の未来を信じて、侵略者を倒すという使命に殉じる戦乙女同士の友愛は、儚い刹那のものであるからこそ人々の胸を打つ。時に涙を誘いもする。中にはこれこそワルキューレの模範であると熱狂、陶酔するものもいるでしょう? とくに現実世界の醜さに絶望し、幻想とともに生きたいと願う若年層の中には」


 憧れの上級生の前だというのにテーブルクロスをぎゅっとつかんで怒りをこらえる、シャー・ユイに煩げな一瞥を食らわせながらキタノカタマコは淡々と告げた。


「皆様ご存知の通りワルキューレは慢性的に不足しております。その上、この太平洋校は先輩方のように少女の模範たるべきワルキューレも在籍するのは確かですが、人々の平和よりも己の欲望を優先するあさましく愚かな候補生が他の二校に比べて多いのもまた事実。――このままでは当校を希望する候補生の数が減少してしまうとある方から相談を受けた思案した結果、シャーさんにご協力願おうとした。それが当方の不首尾でこのような問題に発展した。それだけのことです」


 虫けらをみるような目でシャー・ユイ、およびその体にだきついて怒りを抑えるのに腐心するサランを一瞥し、キタノカタマコは涼し気な口調で踏みつける。


 ご理解いただけましたでしょうか、ジンノヒョウエ先輩? と、マコは視線をマーハへ向けた。しかし、答えたのはマーハではなかった。しきりに皮肉めいた茶々を入れていたナタリアでもない。

 不意に席を立ったヴァン・グゥエットだ。


「成程。置き土産か」


 立ち上がり、席に着いたままのキタノカタマコへ見下げるような一瞥を食らわせ、いつものように判じ物めいた言葉を食らわせる。

 その意味を理解したためか、それとも蔑視している存在から見下されたことでプライドを刺激されたのか、なんの理由か判別できないがキタノカタマコの顔面には不愉快さが浮かんだ。意趣返しのようにそれを無視したヴァン・グウェットは立ち上がりこちらへ歩みよる。

 薄いロータスの香が近づくとシャー・ユイをなだめるサランの肩を叩いて、下がる様に指示した。


 相変わらず表情筋のを使うことを惜しむ上級生の彫像めいた美貌から意志を読み取り、サランは大人しく引き下がる。ロータスの香水が誰のものか既に知っていたのだろうシャー・ユイは驚いて振り向いたが、普段は大人びた印象の与える切れ長の眼に涙が盛り上がっていた。自分の精魂込めた作品を悪用されそうになった、その怒りと口惜しさからの涙だろう。

 いつものように無言のヴァン・グゥエットは、シャー・ユイの肩を抱き胸元へ引き寄せる。そして下級生の肩にそっと手を添えてささやいた。


「先刻の礼」


 それが合図になったのか、感情の堰が切れたのか、自分の物語を取り上げられて意に沿う形に書き換えよと命じられたシャー・ユイは声をあげて泣き出した。憧れの上級生の一人の胸の中だという自覚はあるのかどうかは不明だが、悔しくてたまらないというように、ヴァン・グゥエットのシャツに顔を埋めるようにしてわあ、わあ、と泣いた。その背中を、細く長い指を持つ下級生の手がやさしくそっと叩く。


 泣きじゃくる声に、隠せない訛りがまざる。違う違う、うちの小説はそんなんやない。そんなんやないのに……っ、と姉に甘える妹のように同輩は訴えた。

 部内ではしっかりもので通っているし大人びた振舞を好む同輩が、小さな女の子のように泣きじゃくる様子はたまらないし、傍にいてなにもできないサランの不甲斐なさを煽る。結局自分は何も出来ていない。

 

 作戦を撤回させる、ジュリを取り戻す、シャー・ユイとケセンヌマミナコの本を取り戻す、そういったのにまだ動けない自分への羞恥でいたたまれなくなりそうなサランにまた蔑視が浴びせられた。

 泣くシャー・ユイと慰めるヴァン・グゥエット、棒立ちのサランをまとめて見下し、語るに値しないとばかりに吐き捨てた。


「――それにしても、シャーさんのご協力を得られないのはこちらとしても残念です。あなたの物語は語り方を変えればもっと多くの人の心を動かすことができましたのに。少年少女が大義のために命を散らす物語、それはうんと昔から人々の心を動かしてまいりましたでしょう? 歴史に影響を与えるほどに」


 文芸部さんには釈迦に説法でしょうけれど、と付け足しながらキタノカタマコは、つ、と横目でシャー・ユイを見やる。見苦しい虫けらが這いまわっていると言わんばかりの目つきで。


「あなたには予定だったのですけれど残念です。――さぞかし多くの人々の心を打ち、欲得を手放すことが出来ずいがみ合ってばかりなこの地に住まう方々もおのずとこの世界の恒久平和と安全を希求するようになる、そのような美しく哀れな物語が誕生したことでしょうに」


 キタノカタマコの口元は扇子で隠されて見えない。

 それでもその陰で、形良い唇がうっらほころんでいる様子が、サランには見える思いがした。


 瞬間、頭の中で一枚のイメージ図が出来上がる。電光石火で様々なイメージがひらめく。それは啓示と呼ばれるものかなんなのか、言葉は追いつかない。

 ともあれそれはサランが求めていたものには違いがなかった。


 ジュリが危険な任務に就かされると聞いた時から、躍起になって掴もうとしていたシモクツチカの描いた物語の全体像だ。


 ――そうか、これか……!


 頭の中に浮かんだイメージが逃げぬように集中するサランの神経をかき乱すような声が、その場に響いたのはこの時である。


「あ、あの~……」


 おずおずと、自信なさげな少年の声がその場の雰囲気をかき乱す。それがした方へ皆の視線が集中した。

 この場で唯一の少年であるフカガワミコトが、周囲の雰囲気を伺うように右手をあげている。


「すみません、割り込むみたいになりますけど。いいでしょうか?」


「まあ! ごめんなさい、あなたのことを後回しにしていたわね」


 お茶会の主催者であるマーハがすかさず茶目っ気を漂わせつつ謝罪し、自分の後ろに控えていたメイド服姿の訓練生にお茶のお代わりを用意するように指示したが、慌てたフカガワミコトはそれを止めさせた。


「いいですいいです! お茶はもう大丈夫ですんで。――あの、ええと、さっきの話を一通り聞かせてもらったんですけど――」


 自分に視線が集中することに慣れていない、サランのよく知っている少年らしい無防備な姿をその場にさらして、おずおずとフカガワミコトはもう一度宣言した。

 今度はそれなりに、きっぱりとした口調で、なにがしかの決意を秘めた顔つきで。

 礼装姿がそれなりに板についたように見える様子で。


「そういうことならやっぱり、俺とノコだけでも出た方がいいと思うんです」


 その視線の先には、扇をそよそよと動かすキタノカタマコがいた。

 マコはうるさそうに無言で少年を見つめる。やはり路傍の石か虫でもみるような目でぎゅっと睨むように見つめる。これからフカガワミコトが口にする言葉など耳に入れる価値などないとばかりに目を伏せた。

 あからさまに邪険にされても、フカガワミコトはキタノカタマコへ向けて語りかけた。ただひたすら真摯に不器用に。


「その、俺は確かにノコを目覚めさせてることは出来たけど、それは偶々としか思えませんし、特級って言ったってまだワルキューレやって一年しか経ってないんだから実力なんて全然だし……、戦力って意味ならここにいる先輩たちの方が純粋に上です。温存させるべき戦力はやっぱり俺なんかじゃない」


「だから、自分が征くのだと?」


 呆れてなにも言えないとばかりに、キタノカタマコは首を左右にふる。そして、ぎっと、眼球だけを動かして対外的には自分が想いを寄せていることになっている少年を睨む。

 その迫力に少年は怯んだが、今度は息を吸い込み精いっぱいに力んで、キタノカタマコに向かって頭を下げた。


「俺とノコがそうすることで、今度の作戦に参加する子たちの生きて帰れる率が高くなるっていうなら――、せめてそうするべきだと思う。それが、俺みたいな、わけのわかんないヤツが、今ここにいる場所なんじゃないかって、そう、思う。だから――」


 お願いします。


 体ごとキタノカタマコへ向け、両の拳を両膝において、フカガワミコトは頭を武骨に愚直に頭を下げた。

 お茶会に始まってすぐ、マコの命令で音量を絞られた蓄音機型のステレオから流れる微かな音量のミュージカルナンバーがはっきり聞こえるほど、場が静まる。


 なんの因果か運命のいたずらか、世界でたった一人の少年ワルキューレというものになってしまい、少女たちと意図しない接触をもってしまった少年が、不器用にも物語の主人公のようにヒーローとしての役目を果たさんとしてみせたその態度には同席者の胸を打つものがあったのだ。

 そういったものへの批判精神が旺盛な文化部棟の住民であるサランすらつい見入ってしまうほど。それはまるで本当に、物語のような一場面ではあった。


 それこそ、『ハーレムリポート』でレディハンマーヘッド――シモクツチカ――が演出しようとしていた、平成末期のジュブナイルのようなごくありふれた物語のような。


 でもそれはすぐに打ち破られる。


 ノコが、小さな手のひらでぱちぱちと拍手をうち、自分の主へ渾身の賛辞を送ったために一瞬だけ停止していた時間が再び進みだした。そしてその拍手に重なるようにぱらぱらとまばらな拍手が立ち上った。それはどう考えてもプレス席から聞こえてきたもので、サランは一瞬、おや? と思う。『夕刊パシフィック』以外の新聞部にも、キタノカタマコの意見に右を倣えをばかりではないということか?

 しかしその拍手の音は、騒々しい声にかき消されて聞こえなくなった。


「すごいっ、偉いぞマスター! 自ら進んで力及ばぬものの盾になる、さすがノコの見込んだご主人様だっ。世界一のマスターだ!」


 とっくにレディーとは言い難い有様さらしていたノコだが、ここにきて最後のすべてをかなぐり捨ててしまう。椅子から立ち上がってふわりと宙に舞い、フカガワミコトの膝の上にのってその首にかじりついたのだ。

 女児を膝の上に乗せる格好になったフカガワミコトは狼狽したが、ノコは構わずにことの成り行きを見守っていたアメリアをびしっと指さす。


「やい、こうとおぶせえとかいちょう、お前さっきから話から聞いておったらどうやらストラテジーやタクティクスについていっちょ前に一家言があるようじゃないか! ならば問うぞ? マスターとノコがその作戦に参加した場合そこにいるぶんげぇぶのちんちくりんどもが生きて帰れる率はどれほど跳ね上がる?」

「え、ええと……っ、そんな急に言われても……っ!」


 存在しないメガネの下で眼球を泳がせるアメリアが、癖になってるようにマーハへ救いを求める。マーハはにっこり微笑んで頷いた。試算せよ、の合図である(ついでにノコへ「ダメよ、ノコちゃん。レディーは人を指さしたりしないものよ?」とやんわりたしなめる)。

 マーハがいれば不安もとぶのか、それとも案を練るのが根っから好きなのか、アメリアはぱっと表情を輝かせると右手を振って様々なワイプを表示させて様々なパターンを試算する。思わしい結果が出たのか、そばかすの浮かんだその肌が明るくなった。


「フカガワ君が参加すれば、候補生たちの生還率は五割近く上がります!」

「あらあ、そんなに?」

「当たり前だ! ノコとマスターがいれば百人力なんだからなっ!」


 マーハが大げさに目を丸くさせた。それに対して何故かノコがえへんと胸をはる。が、それは長く続かなかった。アメリアがおそるおそる、申し訳なさそうにこう続けたためだ。


「――というよりも、避難民のストレスがフカガワ君へ一極集中する結果、他の候補生たちの安全が確保されるという形で生還率があがるという結果が出てるんだけど――」

「にゃんだとおっ⁉ その場合マスターの生還率はどれくらいだっ⁉」

「き、聞かない方がいいわよ⁉」


 目を泳がせたアメリアが、既視感のある回答をよこした。つまり、フカガワミコトとノコが疎開任務に同行した結果、二人が生きて帰れない率がうんと高くなるというわけだ――。

 その無情な結果に、少年らしいヒロイズムを発揮させたばかりのフカガワミコトも顔をひきつらせた。そういう事態はあまり考えてなかったらしい。


「――マジか」


 着たものを三割近く凛々しく見せる効果のある略式礼装も泣くような表情で、あくまでもその辺の少年でしかないというありきたりな言葉をフカガワミコトは口にした。そうするのが精いっぱいだったのだろう。この状況で、ふん、と笑ったのはサデイスティックな雰囲気を隠さないナタリアぐらいのものだ。

 キタノカタマコにいたっては、下らぬ三文芝居に付き合わされたといういら立ちを全面に出し、パチンと扇子を音を立てて閉じた。

 

「茶番ですこと!」


 感情をむき出しにしたキタノカタマコは吐き捨て、ゆっくりとかぶりを左右にふった。

 その態度には隣の席に着く少年への愛情や思慕の念は一切見られない。この世で一番愚かしいものを見るような、氷よりも冷たい一瞥を向ける。そんな視線に晒された為か、フカガワミコトは椅子の上で後ずさる。


 その情けない姿に幻滅したと言わんばかりに視線をそらし、淡々と楚々とした和服姿の少女は淡々と告げた。先ほど口にしたのと同じ言葉を。


「フカガワ様、先輩方と私の話をちゃんとお聴きになっていれば、今のあなたのご提案はなんの意味もなさないとご理解いただけた筈です。、手遅れです。事態はもうなにもかも決定しています。先ほど述ましたことを繰り返し申し上げますが、今のこのが状況が全てです」

「――っ」


 ゴシップガールのおしゃべりではトヨタマタタツミに次ぐ二番手のヒロインとされている少女であり、何度となく艶っぽいトラブルを重ねた相手だと事実を根拠に演出された少女は、呆然とする少年を捨て去るような眼差しを一つくれた。

 送風機の人工的な風には出せない、極寒の冷気めいた感情がその目には込められている。それに名をつけるとしたら、サランには軽蔑の二文字しか浮かばない。


「あなたにはこの流れをせき止め、流れを変える権限は最初からございません」


 それをかつて自ら肌を重ねた相手であるという少年に向けて、キタノカタマコは涼しい声で淡々と口にした。

 以前からキタノカタマコのことを「怖い」と評していたフカガワミコトは素直に殴られたような表情を浮かべるが、膝の上に乗ったノコは大好きなご主人さまをまもると言わんばかりに少年の首をかき抱く。


「なんだマコ! そこのおかっぱ頭だけじゃなくまたマスターをいじめる気かっ⁉ そのつもりなら今度は容赦せんからなっ! 大体お前はいつもいつも――……っ!」

「いえ、ソウ・ツー。私はあなたのご主人様に身の程をわきまえていただこうと思っただけ。――フカガワ様、勘違いなさっては御身のためにはなりませんのでお耳にお入れいたします」


 冷たくきらめく瞳をもつ少女が無慈悲に宣告する。


「あなたは主人公ではございません」


 よく通り、そして冷え冷えてとした声を耳にしてサランは背中を総毛立たせた。が、その反面、反射的にこう思う。――何をあたりまえのことを?


 さっき頭に浮かんだ物語の図が消えないようにつかみ、サランは状況と重ね合わせる。


 フカガワミコトは自分が巻き込まれた状況に振り回されるだけで精一杯の少年だ。ゴシップガールが勝手に物語るヒロイック要素のあるラブコメから逃げだしたがっている少年だ。付き合いの短いサランだって、そのくらいわかる。しかしキタノカタマコはフカガワミコトがが世界を護るような華々しい物語に憧れているように決めつけ貶めている。つまり誤読をしている――。


 ツチカが描いた物語の全体像と、キタノカタマコが読み違いに気づいた時である。


 ざわっ、と、突然の旋毛風が吹き抜けた。


 潮と棕櫚の香りを伝える風はテーブルクロスとメイド服姿の訓練生たちのスカートを巻き上げ、髪を乱して通りすぎる。

 突然の突風に髪を乱されて不快気な顔つきになったキタノカタマコだが、頬にかかった横髪を払ったのちに、言葉に詰まった表情の少年へ冷たく告げた。


「一時の衝動だけで安易なヒロイズムに突き動かされても迷惑です。そういったお振舞はぜひお控えになってくださいませ」 


 少年のプライドをへし折るような言葉を口にするときでも、キタノカタマコの声は涼し気で美しかった。冷酷な言葉であるほど、冷たい金属をぶつけた時なる音を思わせる声はよく澄んでいた。


 これを屈辱とうけとったのは当のフカガワミコトではない。ノコだ。むっと膨れてもちまえの能力で宙に浮きあがり、白銀の髪を四方八方に広げてうねらせマコを威嚇する。


「こらマコ! お前はまたマスターをいじめたなっ⁉ この際だからぶちまけてやるがノコは前々からお前には言いたいことが山のようにあるんだ――ッ⁉」


 暴れるノコの足首を掴んで自分のもとに引き寄せたのはフカガワミコトだ。何をするマスター、放せ! と大騒ぎするノコを羽交い絞めすると、少年は和服すがたの少女をみた。さんざん自分を翻弄してきた相手を、だ。

 そして、照れくさそうに苦笑した。


「うん……。俺も別に自分が主人公だとは思ってないし。さっきはなんか、らしくもないことを言ったりやったりしたなとは、思う。でもじゃあ――」


 苦笑の下から困惑と切実さを覗かせて、少年は何事かをつぶやいた。フカガワミコトと席が隣り合うシャー・ユイの席のそばにいたサランはそれをしっかり耳に入れた。


 ――俺は一体なんなんだ、とフカガワミコトは口にしたのだ。


 これは少年がずっと知りたがった謎で、そして自分が協力を要請するために必ず教えると約束した答えでもあった。サランの背中がぞわっと総毛だつ。――ギリギリでそれが手に入ったのだから。

 

 咳が隣遭っているにもかかわらずキタノカタマコの耳にはそれが聴こえなかったらしい。容赦なく少年へ冷たい視線をあびせかけて言い捨てる。


「お立場を弁えていらっしゃるのならそれで結構。ならばそこのワンドと以後の精進にお励みくださいま――」

「フカガワぁ!」


 怜悧冷酷な生徒会長最後まで言い終わるのを待たずして、サランは声を張り上げていた。

 メイド服姿の小柄な給仕係が珍妙な声を張り上げたのに、場の視線が集中する。


 名指しされたフカガワミコトは平凡に目を丸くし、ノコは邪魔するなとばかりに三角に吊り上げた目で睨み、マーハも珍しく瞬きをくりかえし、ヴァン・グゥエットはシャー・ユイの肩を抱いたままいつものアーモンドアイを向け、シャー・ユイは赤くなった目で怪訝そうに見つめ、ナタリアは皮肉めいた笑みを浮かべて腕を組み、この事態にすっかり飽きた様子のレネー・マーセルはあくびをしながら一応サランを見やり、アメリアはサランの声に不意でも打たれたのかえ、え、何何っ? と生徒会メンバーに尋ねる。

 

 キタノカタマコはいよいよ不愉快そうに眉間に皺をよせながら、背後に忍び寄った侍女へ耳を傾けることを優先し、この場で唯一サランを無視した。


 まあいい、と、いてもたってもいられないサランは自分が急に名指しされる理由がまるでわかっていない顔つきのフカガワミコトの肩をがしっとつかむ。


「やっと、やっとだ! お前が何者かわかったぞ!」

「――お、おう。……でも、それ今言わなきゃなんないことか?」


 あからさまにとまどう少年をサランは怒鳴りつけた。興奮のままにまくしたてる。


「言わないとだめだ、出ないと忘れる。せっかくあの糞ったれお嬢が何考えたのかわかったのに忘れちまう! ――いいかお前はなぁっ!」


 サランがそれを発したタイミングで、どーん、とどこかで爆発音がした。


 しばらく後に、棕櫚の木陰の向こうからもくもくと煙が立ち上る。その方向からどうやら爆発したのは工廠の方だと知れたが、その場の誰もが慌てることはなかった。

 フカガワミコトの編入以後、爆発騒ぎに慣れっこになってしまっていたのである。


「――ひっさしぶりだねぇ、ちょっと大きかったぁ?」


 サランの言葉にかぶさった爆発に対する感想は、フルーツケーキを齧るレネー・マーセルのこの言葉だけだった。


 一世一代の見せ場だったかもしれない場面が謎の爆発によって台無しにされてしまったサランに羞恥がおそいかかる様子を見たのか、キタノカタマコが口元を白檀の扇子で隠したまま目を弧のようにして笑ったことに気づいたのは果たして何人いたことか。


 朱にそまりつつある空に黒煙がたなびく

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