#43 ゴシップガールが嘯く異世界転生、或いは怖いお姫様に見初められた王子様のお話

 ――ああ、お懐かしいこと。ミコト様。


 親睦会の現場、それ以前に言葉を交わしていた業務連絡上でのやりとりでは全く見せたことのない親し気な表情と柔らかな言葉遣いでキタノカタマコはフカガワミコトに近づく。水面がゆったりと波立った。

 湯の中で、少年の手に己の手を重ねる。柔らかい指の腹で手の甲に浮き出た骨をなぞる。指先から手首の方向へ向けて。

 マコはもう片方の手で広げたタオルを胸元から腹部にかけてを隠していたが、濡れている為に肌の上にぴったり張り付いている。そのせいで制服からで華奢で清楚だという印象の強い体の稜線が意外になよやかであることが強調されていた。おまけに湯の動きに応じてタオルの端がゆらいで肌が覗く。


 湯船の縁まで追い詰められたフカガワミコトは、ことさら集中して月を見つめ、クレーターの形が餅をつくウサギ以外の何に見えるかを検証しはじめた。そうでもしないととんでもないことになってしまう、という確信があった。喫煙・飲酒・違法薬物の摂取、それ以上の罪状が被せられるようなことが起きるのは避けねばならぬ。


 だというのに、キタノカタマコはより距離をつめてくる。胸元から腹部を辛うじて覆い隠すにタオルの端が太ももをくすぐるほど近くに。強い集中力を要しながらもはや月を睨んでいるフカガワミコトの耳元に、少し寂し気な声で囁くのだ。


「月ばかりご覧になっていては切のうございます。――ようやく貴方と巡りあえましたのに」

「せ、生徒会長はさっき、そちらを見てはいけないと仰いましたので――。つうかその、お話があるのなら、俺、先に上がりますので、どうかその後に――!」


 しばらく離れてくださいますか、とひっくり返りかけた声による慣れない敬語でなんとか訴えかけた。この状況でまともな応対ができるわけがない。ただでさえ長風呂で茹りかけている頭に、こっちを見るなと警告した端から今度は自ら肌を見せたり触れたり、こっちを見なければ寂しいと悲し気な声をだしたりといった一貫しない行動の意味を考えているゆとりなどない。

 頭の中でエンドレスでぐるぐる回り続けているのは、ヤバいの一言しかないというのに。

 普段薬指にリングをはめている右手はマコに抑えられている。というよりリングは外して脱衣所に置いたままだ。手を振れば呼び出せるはずのノコを召喚できない状態だ。そもそもそれ以前に禁止薬物の匂いに目を回しているノコを呼び出しても戦力になっていたか――。


 やばいやばいと頭の中がその一言一色になる中、この場から無事逃げ出すためのシミュレーションを組んでみても体の内側を血が高速で駆け巡るような状態でいい策など浮かびようがない。

 とりあえずここは、この生徒会長に見苦しいものを見せることになっても湯から上がるしかない。と、覚悟を決めて湯舟の底についていた手のひらをぐいとおして立ち上がろうとしたが、その手の上に置かれたマコの手がまかりならぬと押さえつける。


 それどころか、上半身に何か柔らかいものが押し当てられる。濡れたタオルの感触ごしに、温かくふわりとしたものが――。右手を押えていた手の感触がようやく離れたと思ったら、首の後ろに腕が回される。

 誰の腕か? もちろん、タオル越しに体をぴったりと密着させたキタノカタマコの細い腕しかない。そして、マコの顔はフカガワミコトの視界を覆う。


 普段なら冴え冴えと冷たい印象を与える黒い瞳が、こっちをひたと見つめていた。覚悟をにじませながらも潤んで濡れた瞳に自分のマヌケ面が映っていたのが耐えがたい。はぁっと、花びらめいた唇から甘い息がもれて頬を擽った。

 タオル一枚で上半身を密着させた生徒会長は、恥じらいからか白い肌を上気させながらも及び腰の少年の目をしっかり見つめてしっかり尋ねたのだ。


「こうすれば余計なものを見ずに済みましょう。――どうかよく御覧になって思い出してくださいませ、私を」

 

 さきの世から強い縁で結ばれた、私のことを。


 キタノカタマコは耳元でそう囁いた、という。




「……、っ」

「――――」

「――……」


 すっかり夜になり、天からの星と大きく形を変えた月、そしてサランが表示したライトが照らす一帯は沈黙が覆いつくしていた。ぎちぎち、ギャーギャー、と夜行性の虫や獣が蠢く旺盛な音や、あいかわらずフカガワミコトの膝の上で大人しく眠るノコの寝息が響く。


 都合のいい妄想めいた思い出を口にしている割に苦い丸薬を口の中に入れられたような表情のフカガワミコト、少年の語ったあまりに陳腐な出来事に思わず無表情になるサメジマサラン、せっかく持ち直した機嫌がまた急下降したのか自分の周囲にパチパチはじけるプラズマを纏いつかせながら怒りをこらえるトヨタマタツミ。三者三様の感情による沈黙が場に満ちる。それを破ったのは嫉妬にかられるタツミである。


「へーぇ、へーぇ、へぇ~え! そーんなことになってたんだ、あんたたちってばっ! 最っ悪っ」

「………………、うわぁ~…………」


 フカガワミコトを見るサランの視線も汚物を見るようなものになる。同世代の異性にやたらと冷淡な思春期女子の感覚を突然蘇らせたサランは、自分のことは棚に上げて遠慮会釈なく斬って捨てた。


「――風呂場でって、何やってんのお前ら? うっわきっも。あーもうきっも。きもきもきもきもきっもぉっ!」

「だーかーら、言いたくなかったんだよ! こういうことになるからっ! 絶対痴漢野郎扱いされるって分かってたから! この学校のあの状況で俺の言い分が通るわけねえって身に染みてたから!」


 膝の上にノコさえ寝かせていなければきっと立ち上がっていたに違いない勢いでフカガワミコトはがなりたてる。そして、顔を真っ赤にしながら二の腕に浮かんだ鳥肌をがさがさとこするサランを睨んで言い返した。


「つうかサメジマ、いくらなんでもお前にだけはキモいだなんだ言われたくねえぞ、っ!」

「はぁ~? うちは露天風呂でいちゃこくような風俗壊乱を招きかねない振舞におよんだことはありませんけどぉ~?」

「いちゃこいてねえっ! っていうかお前なぁ、よくもまぁそういうこと言えたもんだな……! ……今日色々聞いたぞっ、二年のあの子らからっ。俺はお前とは違うからキモいまでは言わねえけど、お前のやってることも結構最悪だぞっ? 二股とかやっちゃいけねえことだろうが!」


 どうやら修練用具室で卓ゲー研の誰かがサランとタイガの関係をほのめかしでもしらたらしい。パール以下アウトローな後輩たちの顔を思い浮かべてサランはちっと舌を打った。あいつら、余計なことを――。

 とはいえ舌戦となると、礼節と倫理観をわきまえるが故に強い言葉が使えず図々しいふるまいに出られないフカガワミコトなどサランの敵ではなかった。痛いところを突かれたことは面には出さず、口喧嘩相手を煽る時にやる極めて真面目腐った顔で言い返す。


「偏狭な倫理観で他者の人間関係を断じないでくれまっすぅ~?」

「っ! ……ああいえばこう言う……っ!」


 あーもうお前嫌い! 本当に嫌い! と、言いたげな表情でフカガワミコトはぎりぎり奥歯をかみしめた。怒りを抑えるのに精いっぱいの少年は、サランに対して「その言葉をそっくりそのままお前に返す」と言えばいいだけでポイントを取り返せることに気づいていない。

 こうして校内において品のある行いとは言い難いふるまいに及び・及ばれた点では五十歩百歩のふたりの罵りあいは、卑劣であると批判されても仕方がない詭弁が決め手となってサランの勝利に終わった。 


 が、くだらない勝利の余韻に浸るゆとりはサランには無い。すぐそばには身の内から荒れ狂う霊力を放出させるトヨタマタツミに注目せざるを得なかったからだ。


「だーかーらぁぁぁぁ〜ッッッッッ‼」


 黒髪をを逆立て、プラズマ状の何かを周囲に纏いつかせてタツミ自信が淡く発光しているようにさえ見える。すらり、と日本刀型のワンドをぬいてサランのようなちんちくりんの減らず口に言い負かされた悔しさを隠さないフカガワミコトにその切っ先を向ける。


「ど、お、し、て、あ、の、と、き――っ!」


 二千年紀ミレニアム直前の時代から全世界で人気を博したあの少年漫画に登場する戦闘に特化した宇宙人のように、膨大すぎる気の力を放出しながらタツミは恋人に武器をむけて詰る。血相を変えたフカガワミコトが、落ち着きを取り戻すように声をかけるが焼石に水だった。目の色を変えたタツミは一音一音、はっきりと口にしながら詰め寄る。


「そ、れ、を、い、わ、な、かっ、た、の、よぉぉぉぉぉ!!!」

「そ、それこそさっきから言ってるだろうがっ! あの時あの状況でだれが信じるんだよ、キタノカタさんの方からそういうことをしてきたって――っ!」


 猛る恋人を前に、やけくそになったような口調でフカガワミコトは言い返した。


「あの時もお前ら全然人の話きかねーし、そもそもお前に至っては酒が抜けてなくていつもより荒ぶってたし、施設長さんだってかけつけてきたからめんどくせーしそうことにしたんだよっ! そうした方が八方丸くおさまるだろうが!」

「…………っ!」


 親睦会での酒の飲み比べのことを持ち出されては、どんなに気が荒ぶっていててもタツミは口をつぐまざるを得ないらしい。むぐぐ、と唇を結んでワンドの切っ先を少し下げた。それでもまだ体から霊力をあふれ出させている。一触即発、暴発寸前。

 この首席ワルキューレが絡みだすと話が終わるのが冗談抜きで深夜になる――! 明日もまた早朝訓練に出なければならないサランとしてはその事態は避けたかった。焦って、フカガワミコトに続きを話すように促す。


「そんでっ、キタノカタさんは風呂の中でお前なんかにおっぱいくっつけた後何したんだ⁉」

「……お前な……っ、ちょっと言葉選べよ、マジでっ。これは親切で言ってやってんだぞっ」


 赤い顔で少年は言い返し、話を再開した。憤りから霊力をどうどうと放出している神職名門の姫は自ら発光し眩しすぎて照明がいらないくらいだ。サランは左手を振って懐中電灯の形をした照明を消した。

 そして少年は少女二人が見つめる中で、この場にいない少女と密着しながら混浴するに至ったスキャンダルの真相を語らなければならないハメに再度陥った。




「だからまぁ……キタノカタさんは言うわけなんだって。自分のことを思い出してくれって」


 ――さきの世から強い縁で結ばれた、私のことを。


 濡れたタオル一枚隔てただけの状態で、しなだれかかるように抱き着いたキタノカタマコはフカガワミコトの耳元で、自分のことを思い出してといった意味のことを、大胆な行動とは正反対のしとやかな声で囁いた。

 至近距離で少年の目を見つめる黒い瞳にも、乙女らしいひたむきさがあった。

 畳の上で酒を食らってひっくり返って寝ていたアイツより、よっぽどお姫様らしいとのぼせそうになりながらフカガワミコトはそんなことを思って思考をそらす。――そうしないとやはり大変なことになるという確信があったから、だという(この件を差し掛かった時にトヨタマタツミがまた何か口を挟もうとしたが、サランが目配せして続きをとっとと話せと指示を出す)。


 さきのよ? と、キタノカタマコが口に出す言葉の意味がとっさに理解できず、フカガワミコトはつい繰り返した。

 すると、首の後ろに回されたマコの腕がつるりと滑った。と同時に背中になんとも言えない感触が走る。キタノカタマコが指先で背中をなぞり戯れている。


「前世、と申せばよろしいでしょうか?」


 マコの指先はくぼみの連なる背骨の感触が物珍しいと言わんばかりに、ゆったりと下へむけてなぞる。尾骶骨をわななかせることに気づいているのかいないのか、仙骨周辺までおりた指はそのままするすると上へ滑らせる。


「どうか思い出してくださいませ、青い松の林に遮られた白い真砂の浜が鮮やかな、ある鄙びた海辺のことを――」


 緊張と禁忌に縛られた意識によって暴れる獣性を押し殺すも、息をこらえるのも辛くなってきた少年を見つめる瞳は、戯れる指先とは違って無垢で真摯なのだ。

 その上、見つめられることに耐えられなくて苦し気に目を逸らす少年の耳元に唇を近づけて、どうなさいました? と、涼やかに尋ねる。そして指先で責めを与えておきながらぬけぬけと問を重ねる。


「なぜそのような苦し気な顔をなさいます?」

「――そ、その……、背中……っ、やめてもらえませんかっ!」


 絞りだすような声で、そうせがむのが精いっぱいだった。余裕の無さから怒ったような口調になってしまうのを多少悔いたが、それと同時に柔らかな指の戯れが止まったことに安堵する。

 が、それもつかの間でキタノカタマコは今度は力をこめて抱きしめた。その為に、さっきよりも密着度が増す。そのせいで、あっ、ちょ、待っ……っ、等、途切れ途切れの声が漏れてしまったが、しどけない行動とは正反対のしおらしい声で生徒会長は囁き続けた。


「申し訳ございません、ミコト様。――どうしても貴方のお体に障りがないか確かめねばという気持ちが先走りました。――ああでも良かった……、五体も揃い、肌にはあの時の傷跡もない――」


 だきついたキタノカタマコの頬がフカガワミコトの頬に密着する。ここには肌と肌を隔てるものは何もない。しっとりとした肌に頬が吸い付く。

 そのせいでフカガワミコトはいよいよ銀色の満月を睨まざるを得なくなる。そのまま視線を下に降ろすと、月光に照らされる少女のうなじや背中に細い腰、その他諸々みてはいけないものが見えてしまう。たとえ揺らぐ湯の下であっても、キタノカタマコの背面を隠すものはなにもないのだ。

 

 一体何をどうすればいいのか、生徒会長は何がしたいのか、そもそもこれは現実なのか、自分は恥ずかしすぎる夢でも見てるんじゃないのか、と混乱し、いっそもう夢ということにしてしまおうかと、少年の気持ちが邪の方向へと触れた時、キタノカタマコのささやきが耳朶を打った。


「ミコト様は私の目の前で、事故にお遭いになりましたので」


 さっきまで甘かった少女の吐息が、突然薄荷のそれに変わったように感じられる。ひやりとしたその言葉が鼓膜を震わせると同時に脳裏に浮かんだのは、夏から繰り返し見ているあの夢だ。


 海辺の産業道路の真ん中に現れた、陽炎を思わせる白い服を着た少女。

 とっさに彼女の前に飛び出した直後に耳をつんざくトラックのクラクション――。


 それが脳裏に浮かび、少年の口はかってに動いていた。あのときの、と呟いていた。

 するとキタノカタマコは体を放し、もう一度少年の目を見つめた。その顔には微笑みが浮かんでいる。


「思い出して頂けましたか? 前の世でミコト様は悪しき輩のはかりごとのために輪廻の輪に乗る身となられました。――本来でしたらとは先の世で私と結ばれ、筈でしたのに」

 

 ああそれにしても嬉しいこと。五体満足の貴方とこの島で巡り合えるとはなんとめでたきこと。私の瞼にはあの時、車に轢かれた貴方の恐ろしい姿が焼き付きどうしても消えぬのです。眠れば貴方の無残な御姿が蘇る。であればこそ、お体の無事を確かめずにはいられませんでした――。


 キタノカタマコは、本人が言う通り喜びを隠すことはしなかった。とまどうフカガワミコトに身を摺り寄せたまま、どうやら凄まじい光景が繰り広げられたあの夢の続きを語り聞かせる。

 少女の語る、俄かに信じがたい物語のせいでフカガワミコトの昂りがやや収まる。それよりも、あの奇妙な夢のことを知っている生徒会長をまじまじと見つめる。


「前世と仰いましたよね、先程……?」

「俄かには信じられぬと仰いますか?」


 ぎこちない敬語による質問に、キタノカタマコは問いで返す。フカガワミコトは沈黙を返事に代えた。


 ──その夢はひょっとしたら君の前世と呼ばれるものかも知れない。ワルキューレ因子保有率の高い女の子の一部には、そういった夢を見ると報告する子がいる。輪廻転生のシステムは未だ解明されてはいないので、自分たちは現状、因子が作用して見せる幻覚のようなものだと説明するのが精いっぱいだ。

 ──しかし外世界研究家にとっては違うらしいよ? 前世の記憶の多くがおそらく外世界のどこかで生きていた時の冒険物語だからね、彼女らの夢の内容を些細に調べて外世界体系の解明に役立てようとしているらしい。

 だから、医者としての私は君のその奇妙な夢はワルキューレ因子が突然顕現したことを示す代表的な諸症状だと言うほかない。夢が気になって眠れないのなら睡眠薬を出そう。


 夏休み入院していた病院にて心療内科の医師に相談した時の回答がこれだった。 故に前世などという突拍子のないものが信じられなくて沈黙したのではない。ただ、その日まで半信半疑だったものが事実であると宣告されたも同然な事態に、とっさに言葉がでなかったのである。


 それにしても嗚呼、夢として蘇る前世の記憶。なんと陳腐な。それこそ、あの夢の中の時代ですら相当語りつくされた筈の物語の形態の筈だ。

 しかし自分が夏の事故以来その夢を繰り返し見るのは事実だ。それも、白い砂浜と見目のいい松林のコントラストが鮮やかだが、少年の目にはどうにも冴えない田舎臭いものの象徴として映る海水浴場が観光資源の鄙びた海辺の町で生活している名もない少年の短い一生という地味極まりないものを。

 入院中、フカガワミコトが前世らしき夢を見るという報告を受けてやってきたという戦略ナントカなる何やら大層な機関に所属するワルキューレの研究家も一通り聞いて困った顔を見せた後、それから姿を見せなかった。外世界攻略に役立たないと判断でもしたのだろう。


 奇妙であるが凡庸極まりない退屈な前世の影らしきもの。

 しかしそれがかつてあった本当の出来事であると知らしめるように、目の前の少女はあの事故に立ち会った者でないと知りえないようなことを口にするのである。

 

 旧日本の地方都市に現れた侵略者とそれを追討するワルキューレの戦いに巻き込まれて負傷し脳震盪を起こした日から毎夜のように見続けている妙な夢は、どうやら本当に自分の前世と呼ばれるものらしい。――このようにフカガワミコトが確信したのは、昨年の十月某日、太陰暦の九月十五日の夜ということになる。


 それにしても生徒会長は、何十年も昔におきたありふれた交通事故をのことをわざわざ口にして、どうして前世などと陳腐な物語をほのめかすのか。


 そんな疑問が当然胸の中で膨らむが、温泉に茹り、生まれて初めて少女に素肌を押し付けられている状況でそもそも冷静な判断ができるわけがないフカガワミコトは、諸々の疑問の中で一番大きなものを少女に直接ぶつけることにした。


「ええと……、どうして生徒会長は、その、どうして俺の、前世? のことを御存じで――?」

「前の世で、私と貴方は一つの大役を担う運命にありましたので」


 キタノカタマコは再び頬を擦り付けるように体を密着させる。そのため表情は見えない。耳たぶの産毛が少女の吐息を受けて震える。


「しかし不埒者の悪戯により、ミコト様はおいたわしい身となられました。それも私の目の前で」


 自分の体に身を寄せながら運命の相手と巡り合った喜びを伝えるキタノカタマコの声がその時、一滴の憎悪をはらむ。背中に爪が立てられ、思わず「ゥッ!」と声をあげた。マコは素早く謝ったのち、憎悪を取り払った優しい声で嬉しそうに囁く。


「しかしこの世でこうしてミコト様と巡り合えました。前の世での役目はこの世で果たせ、それが天の思し召しなのでしょう」


 背中に爪を立てられたその鋭い痛みのおかげで頭ののぼせが少し収まり、考えごともできるようになる。しかしフカガワミコトの思考はマコが語る謎かけめいた言葉の意味を分かろうとするより、すっかり見慣れた夢の光景を浮かべることを優先する。


 あの夢の中、産業道路沿いの歩道を歩いていたのは自分一人だけだった。事故の目撃者となったのは、白いワンピース姿の車道の陽炎めいた女の子だけのはず。

 では、自分が事故にあった瞬間を見ていたように語る目の前の少女は、あの白いワンピースの女の子だったのか――と、少年の考えは当然そこに及んだ。


 そう思うと、体からなんとも言えない安堵があふれ出た。

 (半信半疑ではるが)慕わし気に身を摺り寄せるキタノカタマコが前世の自分の無残な死にざまを目撃していたと記憶をもつという。つまり、あの車道の中央に立っていた女の子は助かったのだ。助かってそして今、生まれ変わって自分の体に身を寄せている――。

 

 よかった、とフカガワミコトの口から息と同時に言葉が漏れた。気が付けば、両腕が勝手に動き、キタノカタマコの華奢な体を抱きしめる。

 その動きを読みそこなった少女の口から、あっ、と儚い悲鳴があがった。その声はあまりにも微かで、あの夢の中で繰り返し見ている白いワンピースの少女が助かって目の前にいるという喜びでいっぱいになる。


「……生きてたんだ……っ!」


 湯の中で抱きすくめられた少女がしばらくその身を固くする。その状況のまずさにフカガワミコトが気づいたのは、脱衣所が俄かに騒がしくなってからだ。ドタドタドタドタという複数の足音に、なにやら泣き声も混ざっている。


「ダメだってばぁ! タツミちゃんほら使用中って札が……っ!」

「使用中がなによっ、ここになんかロクでもないものが居るって言ってるんだからあたしのカンがぁっ!」


 まだ呂律が回り切っていない少女の声がどすどすという荒々しい足音と同時にこっちへ近づく。月を前にしてたフカガワミコトはガラスの引き戸を背にしていたせいで音声のみでその気配を察するしかなかったが、さっとキタノカタマコは少年から体を引きはがし、タオルで胸と下腹部を隠す。そして、それまでの雰囲気をきれいさっぱり一変させ、普段通りの高貴な雰囲気の生徒会長としての佇まいを現わした。


 ようやく少年も闖入者がこの現場に近づきあると悟りつつあって、今更ヤバいと気づいた時にはもう遅かった。ピシャン! と、ガラスが割れそうな勢いでガラスの引き戸が開き、中からドヤドヤとジャージ姿でワンドをかざしたポニーテールの少女が駆け込んできた。


「鎮まり給へ荒魂ぁっ! よっくもノコノコとこの島に入り込んで…………、っ⁉」


 酒気はあらかた抜けたようではあるが、それでも完全に酔いが醒めきっていないジャージ姿の巫女姫が、自身のワンドを手に浴室に入り込んでくる。どろんとよどんで座った目つきだったのが、目の前の光景を見て大きく見開かれた。


 ――研修所の露天風呂がその後しばらく使用不可となり、修復が終わるまでの間、来島する客人をたいそうがっかりさせることになる原因不明の大爆発が起きたのは、その数瞬後である――。




「だぁりゃああああああああああっっっっっっ!!!!!」


 裸で混浴する少年少女を目撃したことに混乱したために放ったという伝説の斬撃を再現してみせるかのように、猛々しい気合を放ちながらトヨタマタツミは海辺へ向けてワンドを抜いた。

 青白く輝く光線に見えるその斬撃は、亜熱帯の密林を斬り開きながら海へ向けてまっすぐ駆け抜ける。ねぐらを追われた鳥や獣に虫たちが騒ぎながら地をかけ空へ舞い上がり、一直線の進路沿いに伐採された樹木は地響きを立てながらズシンずしんと倒れた。


 あまりに騒々しかったためか、フカガワミコトの膝の上で大人しく眠っていたノコが跳ね起きる。きょろきょろとあたりを伺って、逆立てていた髪をようやくすとんとまっすぐ降ろしたタツミが日本刀型ワンドを鞘に納める様子を見て立ち上がり、臨戦態勢を取ろうとする。


「な、なんだタツミ! お前まだマスターに歯向かう気かっ⁉ 受けて立つぞ!」

「何よ、ソウ・ツー。よく見なよね。あたし、海の方に向けて撃ったじゃない。フカガワをどうこうしようと思ったらあんたの方に向けて撃つでしょ? ったく、そんな生ぬるい状況判断しているようじゃまだまだね」


 毒気がすっかり抜けたのか落ち着いた声で、タツミは応えた。さっきまでの荒々しさがまるで別人のようだ。悪感情を斬撃に乗せて吹き飛ばしたようだ。はた迷惑なストレス解消もあったものだと、できたばかりの道をみてサランはあきれる。

 しかしノコは素直に悔しがり、それでもしっかり気になることは問い直す。


「む、むうっ……っ、じゃあどうしてそんな無駄にデカイ斬撃撃つような馬鹿な真似をしたんだっ⁉」

「別にっ。――ちょおっと思い出したくないものを思い出しただけ……っ! それで少し腹立っただけだから……っ!」

「なるほど、ノコは理解した。しかしだ、立腹した程度のことで大砲のような斬撃を放つとは感心せんな。そんなふうに軽はずみなマネばかりするせいで、お前のとこの亀がいちいちこっちにきてはマスターやノコに迷惑をかけるんだぞ!」

「ヤヒロったらまた来たのっ⁉ 前にあれだけもう来ないでって言ったのに……! ……いつまでもあたしを子ども扱いするんだから……!」


 腰に両の拳をあててちょっぴりむくれながらプンプンと怒ってみせるトヨタマタツミの様子は珍しく年相応の女の子らしさが滲んでいたが、それを目の当たりにしているサランには、その様子を微笑ましく感じる余裕などありはしなかった。

 豊玉家の女官長が、トーテムの力を借りて本家から遠く離れたお姫様の様子を確かめにくるのもこう言った事情があるからであろう――と、さっきタツミが斬り倒して作ったばかりの密林をまっすぐにつっきる道をみてしみじみ納得する。

 

 少年少女が混浴している様子に混乱して斬撃を放ち風呂場をしばらく使用不能にする、食堂にGのつくあの黒い虫を目撃して混乱して斬撃を放ち食堂をしばらく(以下同)、バレンタインデーにお菓子作りに挑戦した調理室で斬撃(以下同)。

 考えてみれば成績だけみれば優秀なこの姫様は、ありあまる力をとにかく爆発させては学園に迷惑をかけまくっていた。

 家格でいえば旧日本では上流も上流に属する豊玉家だが、経済力では北ノ方や撞木に遠く及ばない。力があまりまくるお転婆姫様がもたらす損失に対する補填はばかにはならないはずだ。


 ――もしや豊玉本家の女官長である八尋が先日フカガワミコトを本家に連れ帰って祝言を上げさせようとするような強引なマネにでたのも、タツミが純粋に心配だったこともあるだろうが、なにかと危なっかしいお姫様とその伴侶に家督を継がせて本家のあるという神域の島にこもらせたいという意図があったのかもしれない。

 

 ややっ、ぶんげぇぶのちんちくりんめっ、なんでそこにいる⁉ ――と、サランの存在に驚くノコに生返事をよこし、サランは腕を組んだ。とりあえず、仏頂面のフカガワミコトが語ったことを順に整理する。


「とにかくだ、『ハーレムリポート』でレディハンマーヘッドは先に風呂に入っていたのはキタノカタさんで、お前が後からうっかり入っちまったっていう風に書いてた。けど本当はその逆だった、そういうことだな?」

「――ああ」

「風呂場にいたのはお前とキタノカタさんだけ。後から乗り込んできたトヨタマさん、ミカワさん、スペンサー先輩はその現場を見てない。酒が抜けきってない上にワンドもって臨戦状態のトヨタマさんはお前とキタノカタさんが混浴しているところを見てブチギレて斬撃ぶっ放した。派手な音がしたから間違いなく施設長さん他スタッフさんが飛んでくる。このままいくと大ごとになるのは必須だし、頭に血が上った猪みたいなお姫様相手に説明するのも手間だから、『自分がキタノカタさんが入浴中だってことに気付かずうっかり入ってしまった』ってことにした。――そういうことで構わないな?」

「だから、さっきからそうだっつってるだろ。いい加減にしろよ」


 仏頂面でフカガワミコトはサランの言葉を校訂した。改めてその時の状況を確認するだけで、不快な想い出が蘇ると言わんばかりだ。――繰り返し見る夢の中で出会う白いワンピースの少女だなんてしゃらくさいものと時空を隔てて再会したのかもしれない場面だというのに。

 頭に血が上った猪ってだれのことよ⁉ と、さっそく言葉に怒りをにじませるタツミを無視して、サラン腕を組み目を閉じて話を整理した。



 月の女神の水浴を目撃してしまった若い猟師、あるいは渚であそぶ天女の姿を偶然見かけて松の枝にかけた羽衣をこっそり奪った若者ののように、太平洋校随一のお嬢様のご入浴中にうっかり迷い込んでしまい、その玉の肌をみてしまった世界で唯一の少年・フカガワミコト。

 十四になったばかりの少年少女が突然の事態にもたついている間に、トヨタマタツミ、ミカワカグラ、ジャクリーン・W・スペンサーの三名が二人がいるとも知らずに風呂を浴びにきてしまい、この状況が露見する。少年少女の嬉恥ずかしなハプニングを前に悪ノリするジャクリーン、卒倒するカグラ、そして激高してワンドを召喚し斬撃を打ち放ち露天風呂をしばらくの間使用不可にしたタツミ――。


 これもまた二千年紀ミレニアム少し前から、旧日本のコミック業界でさかんに制作されていたようなラブコメ漫画のようなスラップスティックなエピソードは人口に膾炙されて久しい。言わずもがなであるが、レディハンマーヘッドが『ハーレムリポート』で言いふらしたかからである。


 『ハーレムリポート』で語られている事象はノンフィクション、つまり実際にフカガワハーレムの面々が起こした騒動ではあるが、語られる際にはゴシップガールのが入っている。

 この件に関してレディハンマーヘッドを名乗るシモクツチカが騙ったのは、二人が風呂に入った順番だ。本当はフカガワミコトが先に入っていたのにキタノカタマコが故意に入ってきたのが真相なのに、『ハーレムリポート』ではその順番がひっくり返っている。

 どうしてそんなことになったのかは、フカガワミコトが場の混乱を収拾するために間違って風呂場に乱入したのは自分だと名乗り出たためであるに違いない。その情報がそのままゴシップガールの耳に伝わった。


 こうして事実がねじ曲がって伝わり、結果的にこととなったのか――、と考えてサランはかすかに違和感を感じた。


 なにかが引っかかるのである。


「――なぁ、フカガワ」

「んっだよ。今お前の屁理屈につきあってらんねえからな」


 サランの呼びかけにすさまじく不機嫌であることを全く隠さず、フカガワミコトは吐き捨てるように答えた。それには構わず、サランは尋ねる。


「その日研修所には誰かいたのか? 島の外から来た利用者さんとか、部活の特訓だとかで使ってるやつらだとか先生たちだとか――」

「さっき言っただろうが。研修所の露天風呂を候補生が使用してもいいのは、娘の顔をみにきた保護者さんだとか他校の方々だとか利用客がいないとき限定だって。つまりはそういうことだよ」

「客はいなくても、スタッフさんはいたんだよな? 施設長の他にも食堂の調理師さんだの守衛さんだの――」

「そりゃ当然だろうが。――実際、風呂場ぶち壊した音聞きつけてすっとんできたのは施設長さんだけだったけど」


 いよいよ触れたくない過去を覗き込まねばならない人間の渋い顔つきになり、フカガワミコトは愚痴るようにつぶやく。反対にタツミは口を結んで目を泳がせる。憤りが収まったわけでは無いが痛いところを突かれてぐうの音も出ないと言った顔つきだ。

 はーっ……と、ため息交じりに少年は吐き出す。


「あんときは散々だった――。風呂はぶっ壊れるし、トヨタマとスペンサー先輩は酒臭いし、ミカワさんは泡吹いて脱衣所の手前でぶっ倒れてるし、俺とキタノカタさんは、まあ、なんつうか、そういう格好だったし――」


 眺望のいい露天風呂を破壊したのは人類の模範であることを求められるワルキューレ。しかも未成年。その体からはおびただしい酒気。そのほかには飲酒者はもう一名。原因は分からないが気を失っている者一名。浴場内で裸でいるものが二名(うち一人はこの学園にたった一人だけいる男子生徒)――。その状況を想像したサランの背中にも寒気がかけあがった。親睦会の様子も大概だったが、それすら足元に及ばない地獄も地獄な有様だ。

 そんな現場に立ち会うはめになった研修所施設長の心境についつい思いをはせてしまうサランの前で、少年は続けた。


「キタノカタさんが頭をさげてくれたから、ミカワさんを除いた全員が廊下で正座させられて小一時間ばかり説教されただけですんだけどな。今回だけは黙っとくけど、もしまたこんなことあったら遠慮なく先生に報告するから――って」

「……ふうん……」


 修学旅行で羽目を外した生徒かよう、お前らは……と、ツッコミたいのをサランはこらえてサランは重ねて尋ねた。


「じゃあ、誰がそのアホみたいな一件をレディハンマーヘッドの耳に入れたんだ? お前の話を鵜呑みにするなら噂になんてなりようがないじゃないか」


 その不自然さに今になって気が付いたのか、フカガワミコトは「……あ」と小さく声をあげた。そしてサランに対する悪感情をほんの少し忘れて、思案深気に顎に手をあて考えだす。


「言われてみれば……。や、でもスタッフさんから漏れたとか、露天風呂が使用不可になった状況とかから怪しむ人がいても少なくない、ような……」

「お前らがクラカケ先生に呼ばれてそろって説教されたの、『ハーレムリポート』が出てからだろ? てことは、施設長さんたち研修所の業者さんはみんな口をつぐんでたってことじゃないか。キタノカタさんに頭を下げられたから先生に報告しなかったってんなら、施設長さんはキタノカタ系の業者に所属する人なんじゃないのか? その可能性はかなり高いぞ」


 学園内の備品や施設に纏わる業者の多くはキタノカタやシモク等、学園の理事たちが携わる企業が関わっている。研修所の運営にキタノカタ絡みのスタッフが関わっていた場合、総帥令嬢から直々に緘口令を敷かれてたらそれに服す筈である。調理・清掃・リネン類の洗濯等の業者も同じく。


 そのことを確かめようと、太平洋校公式サイトを開いて関係業者を調べようとしたサランはリングを起動しようとして振った左手を宙で止めた。

 ――ゴシップガールに情報を漏らした内通者が誰か、分かった為である。


「――なんだよ、急に変な顔して?」


 左手を振り上げたまま目を見開いたサランをみて、怪訝そうな表情になるフカガワミコトは尋ねた。サランは勢いに任せて口にしようとしたが、慌てて息を吸い込んだ。

 ジャクリーン・W・スペンサーが、前代未聞の不品行が原因で退学になった現在唯一の不良ワルキューレのメンターで友人だった。そのことをまだフカガワミコトに説明をしていない。そして傍には、とにかくすぐに話の腰を折るトヨタマタツミがいる。

 そんな状況で、この一件をであることを説明するのは骨が折れると判断したためだ。


 一年前の十月某日、陰暦九月十五日に起きた少年少女の混浴事件をゴシップガールの耳に入れたのはジャクリーン。サランはこのことを確信するに至った。



 ――そういう辛気臭い自己犠牲精神はツチカに似合わないわね。多分、半分面白がってたのは確かだと思うけど。――でも、サラン? あなたどうしてツチカが私のためにひと肌ぬいでくれたって考えてくれないの?

 ――それにね、ツチカは誤解されやすい子だけど優しい子でもあるから。


 

 新学期の初め、現在最後の『ハーレムリポート』が公開されたその日に新聞部の古ぼけた応接セットに座ってそう言ったのはジャクリーンだ。


 ニンフォマニアと呼ばれても面白そうに笑って否定せず、抜群のプロポーションと小粋に着こなした制服からイメージされる享楽的なキャラクターを楽し気に肯定してみせたあの先輩は、サランがツチカを貶したときには真剣な表情で抗議した。

 ツチカと夜な夜な遊び歩いていた時を懐かし気に思い出していた時の口調、そして世界中に潜むパパラッチも臆せずに侵略者との間に子供をもうけたという度量と気風のいいあの先輩はツチカに対する友情を大切にしている。


 ならば、今でも連絡をとりあっていたとしても不思議ではない。

 友達ならば、自分の近辺でこんなことが起きただなんだと雑談に興じる場面もあったことだろう。

 現状、世界でたった一人の少年ワルキューレが世界に名だたる財閥の令嬢で生徒会長とご混浴あそばしたという愉快なゴシップを胸に秘めたままでいられただろうか――?

 特に、ジャクリーンが、ツチカがキタノカタマコをとにかく嫌っていることを事前に知り尽くしていたら――?


 フカガワミコトが語って聞かせたことから浮かび上がる親睦会会場でのジャクリーンの態度から考えると、その可能性は低くない。それどころかかなり高い。

 自分の友達がとにかく嫌っている、おすまし屋で気取り屋の優等生がそのようなトラブルに遭ったとしたら報告したくなるのが人の性というものだろう。


 ――思えば、『ハーレムリポート』には昂ったジャクリーンがフカガワミコトにセクハラじみたちょっかいをかけ、その現場にたまたま遭遇したタツミが激高して辺り一帯が灰燼に帰したり、カグラが気を失ってぶっ倒れたりというシチュエーションが頻出していた。「毎度おなじみ」という使い古された惹句をかぶせたくなるほど定番の流れだった。

 これもジャクリーン本人が、こういうことがあったああいうことがあったと自ら面白がって離れた所にいる友人に聞かせれば、起きたことのみは事実に即したゴシップ文が出来上がる。

 つまりジャクリーンは「フカガワハーレム」のメンバー且つ内通者だったわけだ。

 基本的に、学園に集う一般の候補生の口に上った噂を典拠にしている『ハーレムリポート』に時々混ざる、一般候補生たちのいない場所でおきたゴシップはこうしてゴシップガールの下に届けられていたのだ――!

 


「? おい、どうした?」

「な、なんでもないっ。ちょっとくしゃみが出そうになっただけ!」


 難しい謎々の答えが分かったときのような快感に痺れるサランの短い髪がふわっと広がる。誰がどう見ても何かに気づいたという様子だったのに雑にごまかすサランを、フカガワミコトもトヨタマタツミも怪しげな目で見る。なんでもない、の一言でごまかされてはくれなさそうだ。とくにタツミはひときわきつい視線を向ける。


「何? またあたし達に隠し事ってわけ?」

「別に、そういうわけじゃ――」

「それで、この話聞いて何かわかったの? フカガワの前世の手がかりでもつかめたっていうの? フカガワはキタノカタさんの秘密と弱みを探るカギになるかもしれない一件を教える、サメジマさんはあのゴシップガールとフカガワが前世にいた町や記憶について教える、そういう条件でああいうお芝居をうったんでしょお~?」


 特大の斬撃を放ったせいである程度のストレスは発散されたはずのタツミではるが、腕をくんでサランを見下ろす視線はいつまでたっても剣呑だった。口調もひたすら当てつけがましい。まあ仕方がない。落ち着いてサランは応えた。


「そんなの、まだ全部わかるかようっ。まだなんかパズルのピースが足りないんだ」


 引っかかることはまだいくつかあるのだ。確認のため、サランは尋ねる。


「結局のところ、前世のお前が交通事故に遭う原因になった白いワンピースの女子なんてアホみたいなものはキタノカタさんじゃなかったんだろ?」

「――なんでわかったんだよ?」


 またもむすっとした声でフカガワミコトは答えた。六月末に九十九市のさんお書店でサランとミユから〝白いワンピースの少女″というモチーフに否定的な意見を寄せられたことを根に持っているらしい。それに応えるようにサランもジト目で言い返す。


「そのワンピース女が本当にキタノカタさんだったなら、うちとサンオさんに夢のこと教えた時にあんなあやふやな話し方をする訳ない。仮に本当にキタノカタさんだったとしてあの時そのことをうちらに伏せて語ったとしても、その線は無い。お前嘘が上手くないからな、『なんか隠してるな』って雰囲気をまず出すはずだ。あの時そういう下手な嘘をついている様子はなかったから、ワンピース女の正体は六月末までは分かってない。それどころか、この前お前が離したキタノカタさん評から考えると今この時まで目星がついてない。未だなぞのまんま。――普通に考えたらそうなるよう」


 サランの長口舌に、仏頂面のままフカガワミコトはぐうっと押し黙った。本当に嘘が下手だ。

 ――昨年の混浴事件も、フカガワミコトのとっさの嘘を信じたのではなく、あからさまな嘘にキタノカタマコとジャクリーンはアドリブで乗ったのが真相だろう。おそらくそれを信じたのは、飲酒と混乱で正常な判断ができなくなったタツミと、その当時あられもない光景を目撃して気を失ったカグラと布団の中で目を回していたノコの三人だったはずだ。サランはそう読む。

 喋るサランを、相変わらず目を三角にしてタツミが見下ろす。一応耳に入れてやろうという態度をみせている。話の腰をおらないのならありがたい、サランはそのまま続けた。


「そもそも、ろくにしゃべったことない男子と一緒に風呂入った上に平気でべたついてくるんだぞ? そこまでサービスするんなら、前世のお前は何者で何があったか一緒に何をしてほしいか、キタノカタさんの方から説明するのが圧倒的に早いじゃないかよう? 昔のゲームやジュブナイルでよくあるじゃないか、異世界から転移させられた主人公に現地の神官みたいなのがやってきて『あんたは勇者だから魔王を倒せ』っていうの。風呂の中でキタノカタさんはやったことは神官のそれだけど、でも神官が主人公に教えなきゃなんない情報を故意に伏せてる。――お前は何者で、なんで転生して、男子なのになんでワルキューレ因子なんてものがあるんだってことを、だ」


 フカガワミコトの膝の上でノコが退屈しはじめたのか、膝をぶらぶらさせながらあくびをした。二人は黙ってサランの推理に耳を傾けている。


「キタノカタさんがそういう不親切なことをするから、どうしたってお前は疑心暗鬼に囚われる。だから、侵略者の精神汚染にあえて乗っかってまで夢のことを調べようとするような無茶なマネに出たり、自分が何者なのか分からないのが怖いっつってぶちまけたりするハメになる。――つうことは、だ。ワンピース女のこともお前自身のこともまだ謎のまんまってことだ。わかるのは、そういうキタノカタさんがそういう色仕掛けめいたことをしたって惜しくないくらいのものをお前が持ってる、そういうことじゃないか?」


 静かすぎてなんとなく落ち着かないなか、サランは左手をふってテキストデータを表示させる。和綴じの冊子の形をした『天女とみの虫』の物語だ。少年がわずかに表情に変化を見せたことをきづいたが、かまわずサランは冊子のページをめくる。


「お前が何者かについては教えなかったキタノカタさんだけど、さっきの話だと『何をしてほしいか』については教えてる。『天とこの地を結ぶ』ってことだ」

 

 『天女とみの虫』の該当ページを開くと、サランは聴衆二人の前に差し出した。


「今日、フカガワがずっと読んでた所、ここじゃないか?」


 サランが指で挟んで広げたページに、フカガワミコトとトヨタマタツミは顔を寄せる。

 そこにはこう記されている。


『眠りの世界でみの虫は不思議な夢と戯れた。


 自分が男の体を持ち、殿上人のような美しい女にささやきかけられる夢だった。

 二から三歳年上の男になったみの虫は、美しい女に命じられている。お前は妾と夫婦になる宿命であるから天の国へ帰ることはまかりならぬ。この地に留まれと美しい顔を嵩にきたような口で命じるのである。


 女のけんつくな口の利き方と猛々しい美しさに恐れをなしながら、おかしい、と、みの虫は冷静に思う。』



 正解だったのか、ふーっ、とフカガワミコトは深々と息を吐いた。そしてなぜか悔し気に、しぶしぶと言った口調でつぶやいた。


「だってそりゃあ、そこだけあからさまにおかしいじゃないか。そこだけ不自然にエピソードが浮かび上がってる。これがヒントだっていってるようなもんだ。――それ書いた奴、あんまり小説書くのに向いてないんじゃないか?」

「おうおう、もっと言ってやれ言ってやれ」


 『天女とみの虫』の作者がレディハンマーヘッドを名乗って自分たちをさんざんいじりまわしたゴシップガールだとは知っていても、まさか十三歳でマルグリッド・デュラス風の小説を発表してして作家デビューしたこともある天才少女作家だとは知る由もないフカガワミコトによる意趣返しを含んだ感想に、つい思わずサランはヒヒヒ~といつものような笑顔を浮かべてしまう。

 意味の分からないタイミングでご機嫌になるサランにフカガワミコトは怪訝な表情をみせた。タツミはというと、ちょっと貸して、と一方的に言うなりサランの手から冊子を奪い取ると最初からページをめくりだした。

 

 相変わらず一方的な態度だが、構わずにサランは続けた。話の腰を折られるよりこうして静かにしてもらった方が助かる。

 サランは語りを再開した。


「そのヘッタクソな物語で悲運の天女に准えられてるのがキタノカタさん、そんでもって『天とこの地を結ぶ』ってのがキタノカタさんの目的、具体的にそれが何を意味するのかよく分からないけれど、作中の天女が人間に恨みを持っていること、それから天に帰りたがってることから察するにワルキューレ憲章に相反する性質のものって可能性が高い。――太平洋校の初等部生徒会長で世界のキタノカタの総帥令嬢、でもって現在全世界から注目されてらっしゃるニューヒロインのワルキューレが実は心の奥で世界を呪って地球や人類の転覆を謀っていらっしゃるんだとしたら?」


 口から言葉を吐きながら、ぞくぞくと全身が震えてくるのをサランは抑えられなかった。

 恐怖ではない、興奮でだ。

 語りながら徐々に目を輝かせるサランに、フカガワミコトは戸惑いを隠さない。かすかに眉間を寄せる。なんだよ、おい、どうした? という少年の呼びかけを無視して、サランは続けた。


「何にせよフカガワ、お前はキタノカタさんの目的に必要な何かを持ってるってことなんだよう。お前が鍵ってことだ『天とこの地を結ぶ』ってことのさぁ」

「――はぁ」


 いまいちピンと来ない、と言いたげにフカガワミコトは首を傾げる。トヨタマタツミはサランの話には構わず、冊子に目を通し、ぱらりぱらりと適度なスピードでめくる。ノコはというと退屈であると言いたげに、フカガワミコトの膝の上で膝をプラプラさせながら、例の古い携帯電話をいじりだした。イマジナリーフレンドと連絡をとって退屈をやりすごすつもりなのだろう。

 

 サランの語りにきちんと耳を傾けるとのはたった一人、それも今一つ信じがたいという態度を隠さないがそれでもサランは構わなかった。


 それは単なる推理で推論にすぎなかったのに、サランの中ではだんだんとこれが真実のような気がしてきたのだ。

 ひょっとしたら、もしかしたら、いかにもあり得そうな物語を口にして全身を襲うのは快感に近いものだ。あのお高く取り澄まし、人を人とも思わない少女の化けの皮を剥いだような興奮に酔いそうになる。


 ――シモクのやつも、こんなふうにぞくぞくすることがあったのだろうか――。


 ふと、サランの脳裏にあの忌々しい不良お嬢様がよく見せる人をコバカにした笑いが浮かんだ。噂をもとにゴシップガールとしてノンフィクションと称しつつも全世界を巻き込んで自分の演出通りのストーリーを描いて、今頃このように快感に酔いしれているんだろうか。世界の創造主めいた気持ちで。


 ふっと、エアポケットに落ち込んだように感情がくらりと傾きかけた瞬間、冷や水を頭からかけるような声が発せられた。

 

「バッカバカしい!」


 サランの頬をはるように大きな声を出したのは、トヨタマタツミだ。ぱん! と乱暴に冊子を綴じ、押し付けるようにサランへつき返すと、また腕を組んで身長に物を言わしてサランを見下ろし、無駄に大きくはきはきとした口調で切り捨てた。


「あのね、この世界にあるものは現実なの、物語じゃないのっ! 現実と物語を混同するなんてさっすが元文芸部さんね、妄想働かせすぎ! ――全くもう、なーにが勇者よ、なーにが神官よ! 聞いてて恥ずかしいったらなかったわ」

「――ッ!」


 ざっくり、きっぱり、一刀両断。


 トヨタマタツミはそのシンプルな舌鋒で、サランに容赦ない一太刀を浴びせた。

 それは痛かった。サランにとっては夏休みに食らわせられた峰打ちよりもはるかに痛かった。物語を語る快感にはまりかけたその態度そのものを否定されたのだから。

 ひと呼吸間を置いて、身の内に湧きあがるのは「正しい物語」を語る快感に酔う自分に強烈な羞恥心を覚えたのだ。心の中で調子に乗っていた分、反発の様に襲い来る恥ずかしさはなかなか耐え難いものだった。


 しかもそれを指摘したのが、「誰もかれもがフカガワミコトに恋をする」というサランからすればあり得ないストーリーに固執して手放さない物語を妄信しているトヨタマタツミだったのだから、そのショックはなかなか回復しない。


 衝撃と羞恥心から絶句し硬直するサランに構わず、腕を組んだトヨタマタツミは歯切れ良い口調でとうとうと説明する。


「サメジマさんのお話じゃあ、キタノカタさんはフカガワの前世が何なのか、どうして男子なのにワルキューレになれるのか、それを知ってるのにわざと黙ってるってことになってるみたいだけど、そんなんじゃないったら。もっとシンプルな理由で教えてない、というよりもだけ!」


 ふんっ、と鼻息あらく、力強くタツミは断言した。

 ようやく硬直のとけたサランは、きまり悪いのをごまかすために咳ばらいを一つしてからタツミに促す。


「御説、賜ります」

「だからぁ、キタノカタさんは教えられるわけないんだってば! だって、あの人知るわけないんだもの、フカガワが何者でどうして前世の記憶があって男子なのにワルキューレになれたのかなんて。そんなのだーれも知らないの! 分からないの! だからいくらキタノカタさんがフカガワが何者かなんて、自分でもわからないことは教えることは絶対に不可能ってわけ。わかった?」 


 太陽は東から上って西に沈む。火には水をかければ消える。そういった当たり前の事象を口にするような力強さでもってタツミは断言した。

 ぐうっと黙りながら、サランはタツミの言葉に気おされる。それが多少悔しくて、口答えを試みた。


「――なんで、フカガワがこうしてここにいる理由をだれも知らないし分からないなんて断言できるんだよう?」

「じゃあ訊くけど、サメジマさんはどうして自分がワルキューレ因子を持ってるか、フカガワやカグラとはちがって前世の夢なんてものをみないのか、どうして旧日本のある場所で生まれたのか、そもそも今この瞬間ここにどうして存在しているのか、説明できる?」

「――、う」

「ほら、出来ないでしょう? あたしだって自分がどうして豊玉本家で生まれたのかなんて、説明できないもの。そうなっているからそうだとしか言えないわけ」

「――、うう」

「もちろん、哲学者さんや思想家さん、ウチみたいのじゃないよその宗教家さんがやってらっしゃるように『現実がこうなっているからそうだ』と結果から原因を求めることはできるわ。でも現状それを検証する術が無いんだからそれが正解だとは断言できないの。時空間観測分野の技術が発展すればいずれ検証可能になるでしょうけれど、今の段階じゃ『これが真実に近いのでは?』って推論を述べるのが精いっぱいね。サメジマさんがさっき語ったのも推論の一つには違いないけれど、キタノカタさんへの先入観が邪魔してまっすぐ事象をとらえていない。すると必然的に、そこから導かれるものは真理からは大幅にずれてくる。どう? 理解できた?」

「――、ううう……っ」

「フカガワがどうして前世の記憶があってワルキューレになれるのか、それを説明できないし原因はわからなくたって目の前にはそういう現実がある。そこを受け入れなきゃお話にならない。――これ、あんたにも言ってるんだからね!」


 最後の一言だけは髪を翻しながらフカガワミコトをみて、つんと怒ったような口調で付け足した。

 お、おう……と気おされつつもフカガワミコトは返事をしたが、サランはたじたじとなったまま口ごもっていた。

 学年首席とは名ばかりで、思い込みの激しいお転婆じゃじゃ馬お姫様だと思い込んでいたトヨタマタツミの反論は、サランを容赦なく羞恥心の沼に突き落とした。

 自分は今真実を探り当てたんじゃないかという興奮が、一気に後悔へ転じる。調子に乗ってしまった分、身を焼くように羞恥心に責めさいなまれて激しく穴があったら入りたくなる。

 ――と同時に、トヨタマタツミが名ばかりの学年首席じゃないことをようやく実感して、素直にに感じ入りもしていた。伊達にこの世界の外にまで意識をとばしあらゆる世界に意識を飛ばせることができるわけではないのだ。

 照れ隠しを含んでいるのか、まだつんつんとした口調でタツミは付け足す。


「――ま、おかげで六月末にあんたとソウ・ツーだけが行方不明になったのか、その因果が見えたのはよかったわ。要はあの時、あんたはそんな風にしてキタノカタさんにまじなわれていたってわけね。通りで妙な気配がしたわけだわ」


 因果、呪う等、トヨタマタタツミは旧日本の一般家庭育ちには耳なじみのない言葉を用いる。神域で一般家庭とは異なる育ち方と能力を持って育った人間らしい、特殊なロジックかタツミの中にはあるらしい。


「 まじなわれたって? キタノカタさんがフカガワミコトを呪ったってこと?」

「そうとも言えるわね。お風呂に急に入ってきて、そんなふうにヤラシイことしながら『私、あなたの過去知ってますけどー。あなたが時々みてるおかしな夢の秘密知ってますけどー』って意味深にちらつかせながら囁いたら誰だって気になるじゃない、フカガワじゃなくたって……! そうやって自分の意のままになるようにフカガワの行動に制限をかけたの、自分のことを気にするようにって、あの人! ――ああああっもう、汚い! ずるい! なんなんなのもうっ! 生徒会長が! しかもワルキューレが! そういうことを! やって! いいわけっ⁉」

 

 言ってるうちからトヨタマタツミの中から怒りが噴き上がったらしく、文節ごとにエクスクラメーションマークをくっつけながらシンプルに憤りを表明する。

 ヤラシイことってなんだっ⁉ マスターは誰かにセクシャルハラスメントを食らったのか⁉ と古い形態電話を片手にノコが甲高い声をはりあげ、またあとで話すからとフカガワミコトはおざなりにいなす。


 怒るタツミ、状況が読めなくて騒ぐノコ、それの相手をしないとならないフカガワミコト。ぎゃあぎゃあと三者三様に騒ぎ出すフカガワハーレムメンバーを見てサランは速やかに場の進行係に躍り出ることにした。そうでもしないと本当に話が終わらない。


「じゃあさ、結局フカガワにそんな呪いをかけるような真似をしたんだようっ⁉」

「そこはサメジマさんが言ったことが近いんじゃない? あの人、フカガワの力が欲しいのよ」


 手をあげたサランの問いに、タツミはあっさりと答えた。


「――はい? トヨタマさん、さっきうちの推論全否定しませんでしたっけ?」

「否定したのは『キタノカタさんがフカガワが何者なのか知っていて、あえて伏せている』っておそまつな陰謀論じみた所だけのつもりだったんだけど? 正しい形は『キタノカタさんはフカガワがなにものかは知らない。でも前世の記憶を持っていて最古のワンドを目ざめさせられるくらい特殊な男子ってことは知ってる』ってこと。――その違い、分かる?」


 太陽は西に沈む、夜が明ければ朝が来る、当たり前の摂理を説くような顔つきで、さきほどサランを羞恥の沼に嵌めたばかりのタツミは語った。

 目が点になっているサランの理解が追い付くのをまっていられないとばかりに、タツミは左手を大きく振った。


 タツミの指の動きにそって、太陽の沈み切った暗がりに、星屑のような小さく無数のきらめきが生まれてた。拡張現実上の流れ星たちはそれぞれ所定の位置まで飛び散る。そして、あるものはその場にとどまり、あるものはゆったりと大きく円や楕円の軌道を描きだす。

 簡易のプラネタリウムを出現させたのかとサランは考えたが、授業でよくみる宇宙のモデルとそれは微妙に異なっていた。


 宇宙なら真空であるべき空間に小波のように蠢く波動が見える。それに合わせるような規則正しく不思議な旋律も。いくつかの鐘を鳴らしたような和音が、タツミが出現させたモデルでは鳴り響いていた。一つ一つの小さな星と、波動と、和音の調和は整い、それに包まれたサランは思わずため息を漏らす。


「ピタゴラス派の流れを汲む教団さんがお創りになった以前の世界のモデルをお借りしたわ。現状わかってるこの世界と外世界の情報を手掛かりに創った概念モデルってわけ。ほんの数十年前までこの世界はこんなふうにすべてのものはあるべきべき場所にあるべき形で収まってずっと安定して調和がとれていたの、すべての歯車がかみあった精密機械みたいに。――でもね」


 タツミがとある一点を指さす。そこに針の先のように小さな星が生まれる。星と星の間を満たすオーロラのような波動に乱れたが生じた。それは鏡面のよう静かだった水面に指先ほどの小さな小石を投げたために波紋が生じて乱れる様子に似ていた。円状に乱れは生じ、無数の星たちがその波に乗って揺れる。和音の旋律が不協和音を奏でる。


「あんたたちもよく知ってるように計都けいと星――彗星が現れて、世界全体の調和を乱したの」


 生まれた小さな星は、静かだった宇宙をまっすぐ一文字に切り裂いてどこかへ消えさる。それはほんの一瞬だったが、世界を満たしていた波動のパターンは波となって荒々しく揺れ、大小さまざまな星々を拡販した。ゆったりとした和音の旋律もピアノの鍵盤をめちゃくちゃに叩きつけたような耐えがたい騒音を奏でだす。

 みるも無残な状態になった世界全体は、彗星がはるか彼方へ消え去ってももとには戻らない。星たちは回転し、渦を描き、耳をつんざくような不協和音は残響を残す。

 そんな中でタツミ一人は冷静に、このモデルの意味を解説した。


「こうして、予想外の彗星の出現一つで世界の調和が破られて、本来接触しちゃあいけない世界と世界が混ぜ合わさってぶつかりあった結果、あたしたちのいる世界もこんなふうに侵略者があちこちからやってくるデタラメな世界になったってわけ。――ま、この辺は授業でさんざんやってることだから今更だったわね」


 ガラスをひっかくような音が鳴り響く中、サランは耳を抑えてタツミを睨んだ。授業でさんざん聞かされたことはわざわざ教えてくれなくてもいいという抗議をこめたつもりだ。

 ともあれ、目を回すような星々の旋回も、目が回りそうになる波動の波立ちも、不協和音もしばらくたてばその全てがゆったり落ち着いてゆく。激しくかき回した容器の中の水も、時間がたてば元通り静かになように、世界も元の状態に戻ろうとしているのだ。

 プラネタリウムの解説員のようにタツミは語る。


「こんなふうに、いずれ世界全体は元に戻る。何百年、何千年かかるかわからないけどいつかは必ず世界は元に戻る。あたしたちが今いるこの時代は、混乱しながら世界が元通りになろうとしている期間にあたるわけ。そういう時代にはそれまでにはありえなかったことが起きる。侵略者もワルキューレも、全て世界が元通りになろうとする現象の一つ。――それが今一番、信憑性が高いとされてる説の一つね」


 伊達に首席ワルキューレではないのだということを示しながら、タツミはサランの方をいぶかしげに見つめた。


「サメジマさん、あんたジンノヒョウエさんとよく一緒にいたんでしょ? あの方は因果の専門家だし星詠みの心得だってあるはずよ? 計都星のことをなにも聞いてはいないの?」

「――そんな高尚なお話をしていませんよう。残念ながら」


 お嬢様とメイドごっこに興じていいただけだとは言えず、サランは適当にごまかした。ともあれ、元女神様と巫女姫さまというサランからすれば似たようなジャンルに属する二人であっても、得意ジャンルは違うらしいと判断する。

 自分から尋ねておいて、タツミはそのあとあっさり「ああそう」と興味をなくしたように答えて、解説に戻った。


「世界は混乱中だから、予測もつかないことが起きるのが当たり前なの。時空も乱れる個所もあれば科学の定理が覆る箇所も生じる。それがどのタイミングでどんな風に起きるか、世界がもとに戻るため力のひずみがどんなふうに現れるか、誰だって予想できない。全て起きてから観測して考察するしかない。情けないけれど、それが現実。――でもってあたしができるのは、起きてることをただ見ることだけ」


 最後の一言を付け足したトヨタツミの一言は、いつも怒鳴り散らしている少女とはおもえない寂しげで繊細なものだった。

 ふだんドカドカ斬撃をぶっ放しているくせに妙なことを言う――と、サランはあやうく突っ込みかけたけど、まがいものの星を見つめるトヨタマタツミの横顔を見て口をつぐんだ。黙っていれば学年首席のワルキューレは、家柄ゆかしいお姫様にちゃんと見える。


 ピタゴラス派の流れを汲むというなにやら怪しげなモデルが、未だ揺らめき、七色のオーロラめいた波をゆったり動かす。それが一点に押し寄せる。

 

 ぼんやりと自分の恋人をの横顔に見入っていた、フカガワミコトのもとにだ。


 視覚モデルのオーロラに頭からのまれたところで痛くも痒くも無さそうだが、まぶし気に目を細め、ひときわ甲高く鳴り響いた金属音に顔をしかめた。うわっと呻いて耳を抑える少年を見る少女の顔は、いつものタツミに戻っている。


「だから、フカガワが前世の記憶とワルキューレ因子なんか持ってるのも世界が元に戻ろうとする力のしわ寄せが運悪く集中した結果ってわけ。でもって、なにかっていうと更衣室に迷い込んだり、人の体触ったり、キタノカタさんなんかに目をつけられる変な体質になっちゃったのもその影響なの!」


 あいかわらず、ツンツンとした口調でそう告げるとタツミは左手を小さく振った。不協和音と乱れた星空のモデルは消え、あたりは本物の星明りだけに照らされる。

 

「俺だって、別にこんな体質に変わりたくて変わったわけじゃねえし……」


 暗がりに閉ざされた中で、ぶつぶつときまり悪そうにフカガワミコトはつぶやいた。歯切れが悪いのは、さきほど恋人の切なげな横顔に魅入ってしまったがための照れ隠しらしい。ぶっきらぼうなタツミの口調だって言わずもがなだ。ああ甘酸っぱい。うんざりするほどに。


 こういう空気はやっぱり嫌いだ、と苦々しく思いながらサランはタツミに確認した。


「つまり、キタノカタさんが知ってることはフカガワミコトがなんの因果がわからないけど変な力を持ってるってことだけだってことかよう。――なんだよう、それじゃうちらと条件同じじゃん」

「でもないわよ。少なくとも、あたしたちがそれを知るより先にフカガワの体質のことを早く知っていたことは確かだもの。でなければ研修所のお風呂で呪うなんて、フザケた真似にでることはできない」


 腕を組んだタツミの答えに、サランは頷かざるを得ない。確かにその通りだ。なんにせよキタノカタマコは、フカガワミコトの因果な体質の情報を先に知っている。一般候補生の中ではだれより早く。


 ――うん? とサランはその時になってようやく何か、星と星が銭と結び合って像を作り上がるようなひらめきを得た。


 混乱する世界の隅々を見通せるほどの稀なちからを持つ巫女姫であっても、トヨタマタツミは人の心は覗けない(それができるのは彼女の親友だけだ)。

 にもかかわらず、サランのひらめきを読んだようにタツミは言った。


「さっきサメジマさんが持っていた昔話みたいなデータ、あれ書いたの誰? 何者よ?」

「え、えーと――」


 すっかりいつもの些細なことで激高する、短気で人の話を聞かない普段のトヨタマタツミの態度にもどった彼女を前に、サランは本当のことを語るのをためらった。まさかあれを書いたのは、あなたたちを散々おちょくり倒したレディハンマーヘッドなるゴシップガールです、だなんて言えるわけがない――。

 そこでいつもの営業用の笑顔を浮かべてサランはごまかすことにした。


「うちの知り合いのところに寄せられた怪文書だよう」


 嘘は言っていない。何も間違ってはいない。怪しげにタツミはサランは睨んだが、嘘ではないので動揺は現れない。しばらくタツミは胡散臭げな視線をむけてたものの、サランの厚顔ぶりに根をあげたらしくさっさと視線をそらした。そしてふうっと息を吐く。


「――さっき、フカガワが何者でどうして前世の記憶があって男子なのにワルキューレになれたのかなんて。そんなの誰も知らないし分からない、たまたまたそうなっただけって言ったけど、ひょっとしたら世界でたった一人、その理由を知る人がいるかもしれない」


 世界のすみずみを見渡すことのできる巫女姫は、サランの左手薬指にはめられたリングを視線で示した。 

 それがさす答えを、サランは瞬時に理解する。サランだけでなくフカガワミコトも。


 そうだとい言うように、トヨタマタツミはこう告げた。


「そのお話を書いた人、何者よ? ――なんでフカガワがこの世界に生まれた因果を把握してるの? そんなことできるのは一般人じゃない、ワルキューレかそれに準ずる能力を持つ人じゃなきゃあり得ない」


 鈴を貼ったようなきらきらした眼で、タツミはまっすぐに尋ねた。

 あまりにその眼が力強いので、その正体がかつての同級生で、何度も彼女のそのまっすぐな気質を堂々と揶揄った不良ワルキューレだと気づいているんじゃないかと、サランはヒヤリとしたがしれっと小首をかしげて知らないふりをした。


 なー、もう話は済んだかー? ノコはそろそろ夕飯が食べたいぞー? と、退屈を持て余したノコが場の空気をのんびりと乱す。




 ――こうして、それを書いたのは並みの人間ではないとタツミがお墨付きを与えてしまった『天女とみの虫』は、九月二十九日の昼休みにサランによって消去された。


 九月三十日のお茶会当日には数名の記憶に残るだけとなり、お茶会会場のセッティングを監督するマーハはそれを聞いて残念がってみせた。


「あらそうなの……。ヴァンから話を聞いていたものだから、ちょっと読んでみたかったんだけど、残念だわ」

「す、すみません。お嬢様。――バックアップくらいのこせば良かったのに気が利きませんで――」


 今日はサランは可愛い子ねずみさんとして勤めをはたす日なのでメイド服を着用し、黒い練習着姿の訓練生たちが放課後のお茶会会場をてきぱきと整える様子を見守る。

 女主人として美しく装ったマーハは、恐縮サランを見つめてふっくりと微笑んだ。


「気にすることなくてよ、子ねずみさん。データを消去するように指示したあなたの婚姻マリッジのお相手の判断は間違ってはいない。――本当に良い方とリングを交換なさったわね」


 そう言って、サランがつい目を泳がせてしまう様子を楽しんだのち、小説だけではなく星の運行から物事の因果を読むことすらできるという、元女神の演劇部スターはこう言った。

 

「天才少女作家さんが長い沈黙を破って発表された新作だったんですもの、読んでみたかったのよ。――私、あの人の書いた小説が好きだったの。背伸びしたところが面はゆくて、可愛らしくて、瑞々しくて――。少女期のほんの一瞬にしか書けない小説ってプロフェッショナルの作家には書けないきらめきが詰まっているでしょう?」

 

 ――要は、シモクツチカの処女小説は未熟で稚拙であるところに味わいがあるとジンノヒョウエマーハは評しているわけである。


 その感想じかに告げたら多分アイツは発狂すると思いますよう? とサランは告げかけて、やめた。

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