#39 ゴシップガールが目撃した百合営業という名の茶番劇

『天女とみの虫』


 その夜、村の長者の屋敷に忍び入ったわらしの呼び名をみの虫という。


 海にほど近いその一帯で鬼と怖れられる夜盗の手下として身を立てる、幼いながら一端の盗人であった。

 狙いをつけた屋敷に数日物乞いとして歩き回り、下女や下男と顔なじみになってから軒下や床下に寝起きする許可を得る。戦で親兄弟をなくした哀れな子供として十分に憐憫を売ってから、隙を見ては床下を破って財貨宝物を持ち出して煙のように姿を消すのが主な手口だ。

 そこかしこに戦の炎が燃え上がりそのようにして生き抜く童などまるで珍しくないそのような時代に、月が見ていた物語である。


 夜盗のかしらの命により、みの虫が村の長者の屋敷から持ち出したのは自分の胴体程ある葛籠つづらである。童の懐に収まるような小さくて軽くてしかし高価なものを盗って来いと命じるのが常だというのに、みすぼらしい童には持ち運ぶことすら苦労する葛籠を盗めと言われるのは非常に珍しい。見た目ほどには重くはないが、それでも嵩張り持ち運びに難儀する葛籠を背負いながらの逃走に気を焦らせつつ、みの虫は朔の夜道を走る。

 

 これはよほどの宝物であるに違いない、みの虫は確信していた。

 

 高価なものであるならば早く自分の手元から手放したい。宝物など自分の手に余る。それどころか、宝を盗まれたことに気づいた屋敷からの追手やまた別の盗賊を引き寄せる元にもなる。長々と手元に置いておいても碌なことにはならない。

 これを欲しがっている鬼みたいな頭にとっとと渡して今回の仕事の報酬である一杯の粥を貰う。みの虫の頭にあるのはそれだけだ。なにしろ腹が空いている。いかな金銀財宝も腹を満たさぬのなら無用の長物だ。


 ――みの虫がその時葛籠の中の声を聞いたのは、その中に一切の興味が無かったせいかもしれない。物語では幸運は得てして無欲なものに舞い込むものだ。


 葛籠がなくなったことに長者の家の者がいつ気づくかと怯えながら走るみの虫の耳に、その声はするりと入り込んだ。


く逃げたいのであれば、妾をここから出すがよい」


 秋に鳴く虫のように涼やかな女童の声である。

 みの虫は最初、驚いて足をとめて振り返ったが追手の姿は見えない。そこで気の迷いだと断じて再び走りだす。そうするとまた涼やかな声で葛籠の中身は告げる。


「疾く逃げたいのであれば、妾をここから出すがよい」

「疾く逃げたいのであれば――」

「疾く逃げたい――」


 みの虫が足を進めるたびに葛籠の中身は同じ事を繰り返す。

 さすがにもう気の迷いと断じるのが難しくなり、その場に葛籠を下ろし、封印を剥がしておそろおそる蓋を取る。

 一体何がこの中に入っているのかと、固唾をのみながら中を覗き込む。そこにあったのは非常に精巧な女童の人形だった。


 黒い髪、殿上人がまとうような絹の衣をまとった幼い姫君の人形だ。朔の夜空の下がそこだけほうっと明るくなったように思えるほど、輝くような白い肌を持つ美しい人形。

 見るからに高価な品であることはみの虫にもわかった。しかし自分の頭が少々の危険を冒してまで手に入れたがる財宝にしてはいささか奇妙ではある。首を傾げたみの虫の前で、人形の目がつと動いた。つくりものの瞼が開き、からくりの瞳がみの虫を見つめる。


 わっ、と悲鳴をあげ腰を抜かしそうになるみの虫の前で、姫君の人形はからからと音を立てながら立ち上がる。市で見かける傀儡人形めいた動きではあったが、姫君人形を動かすものはいない。人形自らが動いて立ち上がり自分を収めていた葛籠の外に出る。そして葛籠を蹴り飛ばした。いかにも忌々しいと言いたげに。

 かしゃかしゃと地面を歩きながら、腰を抜かしていたみの虫に手を指し伸ばす。


「あのようなものを背負うより、妾とともに歩けば早う動けよう」


 一体この人形は何だ。なぜ動き、なぜ喋れる。

 さては鬼神にでも誑かされているのか――。


 腰を抜かしたみの虫を、姫様人形はからくりの目で一瞥し両の腕で抱え上げる。木でできているのか、それとも焼き固めた土くれか、なにでできた人形なのかは定かではないが、ともあれそこまで重たくはなかった人形は軽々と子供を一人抱き上げては月夜の下をするすると滑るように移動する。明らかに妖の類の動きであった。


 人形の腕のなかでみの虫は暴れた。自分を食うてもうまくはないと言っては暴れた。それでも人形の腕からのがれられないと悟ると、今度は昔ほどこしを授けられた寺の坊主の説教を思い出して御仏に祈った。今までの悪事を悔い改めるので本物の鬼の腹に収まるような死にざまだけは勘弁してくれといって初めて手を合わせて祈った。

 すると人形は足をとめないまま、涼やかな声で告げるのだ。


「面白いことを言う。妾は鬼ではない。人どもは妾をかつて飛天と呼びならわしておった。天から降りてきたからの」

「鬼ではないならおれを食わないのか?」

「食わぬ。ただ力を貸してもらう。それが妾をあの葛籠の外から出したものの定めである」


 忌々しい方士によって人形に魂を入れられた上に葛籠に封ぜられた数百年、妾はそう決めていたのだ、と、飛天と名乗った人形は告げた。

 

 食われない、そのことにまず安堵したみの虫は、しかしすぐさま飛天が勝手なことを口にしていることを素通りしてはいられない。力を貸せとは何事だ。


「そんなことできるわけがない。お前をお頭のところへつれてゆくのがおれのしごとだぞ」

「頭は何者だ」


 この辺りでは鬼と恐れられている夜盗の頭目である、とみの虫はやや胸をはりながら答える。傍若無人に暴れまわり、ここいら一帯の殿様の頭すら悩ませる夜盗の名を借りることのできる立場であることが幼いながらにいっぱしの盗人として生き抜いていたみの虫には誇らしかったのだ。

 しかし飛天はそのようなものを一顧だにしないのだ。


「盗人の頭に仕えた所で先は長くない。世の理とは盗人風情が長く栄えぬようにできている。それよりも妾に力を貸した方が賢い、見返りに願いを叶えてやるのだから」


 人形風情がたわけたことを。

 当然みの虫も一顧だにしない。いくら面妖であるとはいえ人形である。そのようなモノになにができるというのだ。


 ――少なくとも、自分を逃さないようにしっかり抱き上げ地べたの上を滑るように動く程度の神通力は兼ね備えているようではあるが。しかし腹を満たしてはくれていない。

 盛大に鳴いたみの虫の腹を見下ろすように、飛天は面の角度を変えて腕のなかにいるみの虫を見下ろす。


「腹が減っているのか」

「ああ。お前を頭のところへ持ち運べば椀一杯の粥を食わせてもらう約束だった」


 ほう。と、飛天はうなずいた。

 空腹のみの虫はそこで茶目気を起こした。それがこの奇妙な人形と切れぬ縁を結ぶきっかけとなった。


「なあ人形。おまえ何でも願いを叶えるというならそれを信じさせてくれないか。聞いての通りおれは腹を空かせている。このままおれを運べば頭は椀一杯の粥を食わせてくれる。それよりもっといいものを腹いっぱい食わせてくれることはできるのか」

「椀一杯の粥よりいいものとはなんだ」

「そうだな。頭はいつも塗膳にぴかぴかの白い米をたらふく食っている。百姓から奪った年貢米だ。おれもいつかはあんな風に米を食いたい」


 ふむ。と、飛天はうなった。

 その腕のなかでみの虫は目を閉じ、つやつやの白飯を瞼の裏に思い描いてよだれをすすった。自分の言葉が腹の虫をより切なくさせたのだ。

 夜盗の頭は夜な夜な宴会を繰り広げている。酒を飲んで酔っ払う頭は気前よく焼いた魚だの鳥だのを手下に振舞うが、みの虫のような下も下のものにおさがりがゆくころには魚も鳥もしゃぶりつくされた骨になり、米など椀の底にこびりついた一粒二粒が関の山だ。


 死ぬまでにおれも椀一杯の白い米を食いたい。それがみの虫の願いである。到底かなえられぬと諦めていた夢である。


 飛天はしかし、いとも容易く言ってのけた。


「承知した。お前に白い米をたらふく食わせてやろう」


 その代わり妾に力を貸すのだぞ、と飛天は念を押した。


「妾は人の体が欲しい。元の体はおそらくもう土に戻っておろう。この魂を収める新たな体がいるのでな」


 みの虫に飛天の言葉がわかろう筈もなかった。ただ、白い米をたらふく食わせるという飛天の言葉を、人形風情が軽々しい口約束を、と、鼻白んだだけである。空腹は人の気を立たせるものであるからして。



 ◇◆◇



「げぇっ!」


 『天女とみの虫』と題されたテキストデータと一緒に送られてきた画像をみてフカガワミコトはうめき声を発した。几帳面に新聞の切り抜きを模して表示された数枚の切り抜きは、今年の四月にフカガワハーレムの一員となって名を売ってやろうと目論む野心家の候補生たちに囲まれる自分の図であったから。

 特にその時、地下でくすぶるインディーズアイドルに過ぎなかったメジロリリイが、お弁当のおかずをとなりにいるフカガワミコトに食べさせようとしている場面を見事に抑えた写真だった。「はい、あーんして。あーん」という声が聞こえてきそうな一瞬を切り取ったものだ。――おそらく四月の『夕刊パシフィック』の切り抜きだ。


 つまり、テキストデータと画像を送りつけてきた主は『夕刊パシフィック』をチェックしているというメッセージである。和綴じの冊子を捲りながら、その点に関してはサランはよしよしと頷く。


 あいつはちゃんと、こっちのメッセージを受け取っている。


 ――というサランを捨て置いて、サランから手渡されたねつ造スキャンダル写真の切り抜きを前にフカガワミコトは肩をわななかせて怒る。


「なんだこれっ! いつの間にこんな写真撮ってやがったんだあのゲス新聞っ!」

「いつの間にって、なにトロくさいこと言ってんすかフカガワ先輩~。これ完璧リリイちゃん撮らせにいってんじゃないすか。ホラすっげえ写りいいし」

「アホの方のメジロは新聞部だしね~、絶対仕組んでるよね~」

「そーだそーだ。つかこの新聞四月のだよ? 撮られてのっけられてたの気づかなかったの? 先輩鈍すぎ~、やばーい」

「俺はあんな新聞いちいち読まねえんだよっ」


 からかわれてもいなす余裕もないらしく、フカガワミコトはリリイとのスキャンダル写真を目にして真正面から腹を立てている。が、海千山千のアウトローガールである卓ゲー研の二年生たちは、車座になって切り抜き数枚を覗いてはニヤニヤと笑いあう。


「この頃のリリイちゃん、売れたくて必死だったしね~。――ほーんと、この時のこの苦労、今はきれいさっぱり忘れたみたいな顔してるの笑える~」

「だよねだよね~。やっぱこういうものは万一の時の為にしっかり保存しとかなきゃだよね。ねー部長~」

「(ひそひそひそひそひそ)」

「さあっすが部長~、新聞部さんとこに侵入して元データのアクセス権押さえとくとか手際いい~」

「これでリリイちゃん、ウチらに対してデカいツラできなくなりますよね~」


 自分たちを痛めつけた上で支配者として君臨するリリイの黒歴史の証拠を手にし、アウトローガール達はヒヒヒ……と笑いあう(人望が無い者はこういう時にしっぺ返しをくらうのだな、と冊子をくりながらサランは人ごとのように思った)。

 そんなどす黒い根性をのぞかせる少女たちの集団を前に、フカガワミコトはドン引きでもしたらしい。軽く眉間にしわを寄せた。


「ちょっと待てって。あんた達さっきのあの子の友達じゃないのか?」

「は~? 先輩、うちらとリリイちゃんが仲良しこよしに見えてたんなら眼科いった方がいいっすよ?」

「あたしらそんな平和な仲じゃないしぃ~。食うか食われるかのバチバチした仲だしぃ~」

「そーだそーだ。先輩みたいな特級グループとは違って底辺ワルキューレに友情なんてないんだから~、ねー部長~?」

「(ひそひそひそひそひそ)」

「おっ、やる気じゃん部長~。やっぱあいつらにちびらされた礼はしないとなんないしね~」

「! だからそれ言うなっつってんじゃん! せっかくお前らの為にあのラフレシア女に土下座させてやろうって策練ってやったっつーのに、もうしんねーしっ」


 恥ずかしい過去を暴露されると声を張り上げるらしいパールも参戦し、ぎゃんぎゃんと醜いやり取りで騒ぎだす卓ゲー研メンバーに一瞥をくらわすフカガワミコトは嫌悪感を隠さない。


「――ったく、最悪だなあんたらっ。何がワルキューレは人類の模範たれだよ……っ!」

「んな悠長な御託真に受けてこのガッコ来る奴なんていないっしょ。このご時世~」


 卓ゲー研の一人のつぶやきが耳に入っているのかいないのか、とにかく怒りを隠さないフカガワミコトは手元の新聞の切り抜きをくしゃくしゃに丸めて床に投げつけ、左手を振って表示させたごみ箱に投げ捨てる。


 が、その瞬間ドサドサっと大量の切り抜きが天井から滝のように降ってきた。大量の画像データにフカガワミコトの肉体まで埋もれて見えなくなる。それを見て、血相を変えたのは今までアンティークの携帯電話相手ごしに何かを語っていたノコだ。マスター! と叫んで宙を舞い、データに埋もれて手首だけをのぞかせるフカガワミコトを引っ張りだそうと奮闘する。

 質量のない画像データから肉体を引き上げることは容易であったようだが、ノコによって引っ張り出されたフカガワミコトの周辺の空間が乱れる。大量のデータをぶつけられて処理が追い付かないらしい。急になにするんだよ! と、大量の切り抜きを降らせたパールに向かって抗議したが、薄情なアウトローガール達はそれを無視する。


「おおっ、やっぱ元データ押さえとくと最強っすね! 流石部長、ぬかりな~い」

「今度リリイちゃんがあたしらのこと顎で使ってきたら、これバラまくしーって言っちゃお、言っちゃお。楽しみ~」

「そーだそーだ。あの時の屈辱倍にして返してやんなきゃね~」


 イヒヒヒ……と絵にかいたような小悪党丸出しで、卓ゲー研のメンバーは笑いあう。マスターに何をしてくれたんだ! と健気に怒るノコを無視し、簡単には処理できない量にまで増やした画像データを前に結束力を固める。


 

 ――そんなコントじみた目の前の光景をとりあえず無視して、サランは冊子に目を通す。

 

 『天女とみの虫』と題されたそれは、昔話を題材にしたような掌編だ。 

 主要人物の名前を「みの虫」にしたところからみて、送り主はシモクツチカに違いない。みの虫がやたら米に執着するところもおそらく自分への当てこすりだ。

 四月中旬以降の二面三面で取り上げられたにすぎない小スキャンダルの切り抜きを送り付けてきたのも、サランの仕掛けたメッセージを受信したという符丁かつ嫌がらせだろう。


 シモクツチカは今『夕刊パシフィック』が受け取れる場所にいる。そして、サランが勝手に進めたフカガワハーレムの物語の読み手に回った。

 そこまではいい。計算通りだ。しかしだ。


「――っ」


 和綴じの冊子の形でまとめられたデータを捲りながら、サランはギリギリと歯噛みする。

 本を読みなれたものであれば、十分もなく読み終えられるその掌編は目を通す限り昔話を題材にした出来の悪い幻想小説だ。

 みの虫と呼ばれる盗人の子供と、かつて空から舞い降りたため飛天と呼ばれたものの魂を封じた不思議な人形が出会った物語の序編に過ぎない。何かしらのメッセージは込めている筈ではあるが。

 

 ある筈、なのだが――。


 リリイが器用に寝ころんでいた平均台を椅子がわりにして冊子を捲るサランの前で、卓ゲー研メンバーとフカガワミコトたちは各々勝手に寸劇を演じている。悪だくみをしている己の所属する部の先輩たちに、ビビアナが忠告した。


「ちょっとお待ちなせえ先輩方、あっしから言うのもなんでやすが、おやめになった方がよろしいんじゃねえんですかい?」

「んっだよビビ。つか前から気になってたんだけどお前メジロの二人に肩入れすぎだぞ?」

「そーだそーだ、お前何部員だっての?」

「そ、そりゃああっしは確かになり行きで先輩方のお世話になってやすが――。けど、頭を冷やしてくだせえ。リリイ姉貴の後ろには黄家がついてるんですぜっ。そいつをお忘れになっちゃいけませんや」 


 ああ~そうだった……、な、一瞬白けた空気がアウトローガール達の場に流れる。ホァン金月ヴァン・グゥエットの実家は法の埒外の世界で相当に名前を響き渡らせているようだが、とりあえず今のところサランにとっては後回しである。

 サランが冊子の中身に集中している間、黄家の名前に臆してしらける卓ゲー研メンバーの中唯一部長のパールだけがニヤリと笑う。


「黄家がどないしたん? ここは太平洋校や。人類と世界を愛するワルキューレの学び舎や。人種民族国家宗教思想信条出身階級、そういう垣根を取っ払って等しく人類を護れって教え込んどる学校やで? そういう場所で外の世界のルールを持ち込んだらあかん。そういうとことちゃうんかいな?」

 

 部員だけで聞こえる音域の声ではなく訛りを全開にしたアニメ声でそう語り、不敵に笑う。つまりは法と秩序の埒外の世界の話をするぞということである。メガネ型端末を光らせたパールの顔はなかなかにあくどい、アウトローの名に恥ない凄みを増したものになっている。


「極東の裏社会で名前轟かせとった人豚娘のリリイちゃんもここでは売れる為に必死でアイドルなんかやっとるその他大勢のワルキューレや。その姐さんも、そらぁうちらとは天と地ほどの知名度と実力の差がある演劇部のスターで黄家の若頭やいうてもや、ここでは言うても高等部の二年生や。単なる別嬪の上級生や。怖がることあらへん。――むしろこれ、チャンスやないか」


 チャンス、と、卓ゲー研の一人が唾を飲み込んだ音が響く。


「せや、チャンスや。うちらみたいなしょうもないおやッさんに毟られるばっかりのペラッペラな低レアがのし上がれる千載一遇のチャンスや。黄家の若様連中まとめて再起不能にしたっちゅう極東のドチンピラ女やガラガラ持つより先に鉄砲握っとったような島嶼部のパルチザン崩れとおんなじ学校に入ったんも神さんの思し召しや。それきっかけでのし上がったれ、毟られる側から毟る側に回れ、下剋上したれ、ジャイアントキリング見せたれ。神様はそない言うたはるんや」


 パールが何やら物騒な野望を口にしているが、サランはそれどころではない。積極的に無視をする。聞き流す。


「――あんたらもようわかってるやろうけどな。うちらこのまんまぼやーっとワルキューレやっとってもな、アガリをほとんど身の丈合わん借金こしらえた親やらうちらのこと買うたオヤジやらに全部吸い上げられるだけや。うちらに懐には一銭にも入ってこん。命削って怖い思いして、心も体も使いもんにならんレベルで酷使されて人類護った所で使い捨てられてポイされるだけや。うちらが人類護って稼いだ金で親やらおやッさんやらは酒飲んだり女買うたりキンキラキンのスーツ買うたりするんや。そんなんアホくさいやないか。命削って怖い思いする分の見返りはきっちりもらわなあかんやろ。そういうもんやろ? なあ?」


 パールの言葉に、ビビアナのぞく卓ゲー研のメンバーは神妙な面持ちで頷く。


 ――ああ、なるほどこいつらそういう事情があってやたらと銭ゲバなんだな……と、ついうっかりパールの演説に耳を傾けてしまったサランはそんな感想を得る。


 ワルキューレの侵略者退治には、基本給にプラスして危険度や回数レベルに応じた報酬が支払われる。それはもちろんワルキューレ本人に支給されるわけだが、たまたまワルキューレ因子を持って生まれたまだ十代である彼女らの生育環境に問題があるとパールたちの保護者のような真っ黒い団体の収入源になってしまう。

 この点はワルキューレ活動が有償化した時から生じた頭の痛い問題で、偉い人々が対策をたてどもたてども必ずその法の穴を掻い潜って彼女らの得た報酬をかすめとるものが出てきてしまう。

 かといって現在、第一世代のワルキューレのように無報酬で侵略者と戦う時代に逆行しろというのは恐ろしく非現実的である。人類愛とこの世界を護りたいという純粋な願いだけで少女たちを危険任務に駆り立てるのは各方面から少女たちへの搾取だという批判が噴出することは必須だし、そもそもワルキューレ活動の有償化は第二世代第三世代のワルキューレが声をあげて獲得した権利なのだから(手足を失ってまで人類を護った所で一銭も保障されないだなんて、やりがい搾取どころの話ではないだろう)。


 ルーティンワーク出撃で得た報酬を進学資金として貯めることができる階層に生まれたことをつい意識してしまったサランは、慌ててて冊子を頭から読み直す。ツチカがここに込めたメッセージを解読しなくちゃならない。


 あえて無視するサランを捨て置いて、場は勝手に進む。メガネ型端末を光らせてパールはいかにも何かをたくらんでますよという笑いを放つ。


 平均台の上でサランは足をくみなおした。そんなタイミングで通信状況がやっと回復したらしいフカガワミコトがサランに話しかけてくる。まだサランに対する怒りを解消したわけではないが、この状況に関する疑問符を放置することが難しいのだろう。


「なぁ……さっきから気になってたんだけど、何もんだよあの子たち?」

「卓上ゲーム研究会」

「――あのさ、ワルキューレって世界と人類を護ってんだよな?」

「ワルキューレにも色々あるんだよう? お前だって至近距離でそういう人達みてきたんじゃねえのかよう?」


 いやまああそうだけどなっ……と、何かしら言い募ろうとしていたがサランはとにかく無視して繰り返し手元の冊子に再度目を通す。


 

 ◇◆◇



 夜盗の根城は峠の中腹にある洞穴だ。そのそばまでくると飛天はだしぬけに普通の人形となった。

 腕のなかにあったみの虫はそのまま飛天の上にどさりと倒れこんでしたたかに体のあちこちをぶつけた。文句をいってやろうとしたが、さっきまで動き口をきいていた人形はすっかり木偶に変わり果てている。

 仕方なしにみの虫は今度は自分が飛天を背負って洞穴の傍まで歩く。


 かがり火を焚いた見張りに、頭の命に従い長者の家から宝を盗んできたことを告げると頭の待つ奥の間へ向かうよう指示を受けた。見張りは背中に背負った人形を奇妙そうに見つめた。それが宝か、とあきれた眼差しを寄こす。


 乱雑に投げ出された金銀財宝が蝋燭の灯を乱反射して洞窟の中とは思えぬほどまばゆい奥の間で、夜盗の頭は飛天を背負ってきたみの虫を見るや、雷のような笑い声を響かせてその労苦を労った。

 酒をくらっているので赤らんだその顔、強い髭に覆われたその面はまさに鬼であった。手下も頭より少々図体の小さな鬼にしか見えず、みの虫はひたすら地べたに額を擦り付ける。里からさらってきた娘たちに給仕をさせている頭たちは上機嫌だったがとにかく恐ろしかったのだ。いつ機嫌が悪くなり、金棒でうちすえられるのかと考えると身がすくんで仕方がない。


 早う解放してくれないか、と怯えるみの虫の前で、漆塗りの大杯から酒をのみほした頭はぐあらぐあらと笑った。

 そしてすっかり木偶と化した飛天の後ろ頭を無造作につかんで持ち上げる。からくりの瞼はうっすら開いたが面は下を向いていた。


「葛籠の中にあったのはこの人形だというお前の弁を信じるとしよう。この人形は童に用意できるような代物ではない」


 給仕をする娘たちが飛天がまとっている殿上人のような衣を物珍し気に、うっとりと見つめる。頭の膝の上に座っていたものなどその指先で衣に触れる。絹の手触りを楽しむように指の腹で擦る。

 

 ――飛天は機嫌をそこねたのではないか。


 額を地面にすりつけたまま目だけを上に向けてその様子を見ていたみの虫はそう思ったが、八つ手の葉のような頭の手にこうべをつかまれた飛天はやはり魂の失せた木偶に過ぎない。


「褒美だ。お前にこの人形が、というよりあの長者が葛籠の中に何を封じていたか、儂がなぜそれを求めたか教えてやろう」


 そんなことより早く椀一杯の粥が欲しい、とみの虫は言わない。酒に酔うて機嫌のよい頭の気の向くままに任せる。正直、みの虫もほんの少しはどうして葛籠の中身をほしがったのかは知りたかった。

 

 ぐびり、と注がれる酒を飲みほして頭は言った。


「あの長者の家は、昔むかし、儂のじいさまのじいさまのそのまたじいさまの生きていたころから長者として栄えていたらしい。何故かといえば、天女を嫁にしたからだという」


 貧しい漁師の若者があるとき松林に隔てられた入り江を訪れた。そこでは若い女たちの笑いさざめく声が聞こえる。松の陰から入り江を覗くとそこにいたのは七人の乙女たちで水浴びをしてはしゃいでいる。

 松の枝には七枚の薄絹の衣がかけられ、潮風にそよいでいる。若い漁師はそのうち一枚を懐に入れる――。


 頭が語ったのは、みの虫ですら知っているここいらでは有名なおとぎ話だった。


 羽衣を奪われて天に帰れなくなった乙女は、自分の羽衣を奪った漁師と所帯を持つ。天の世界に帰属していた乙女はさまざまな御業で若い漁師に富を授ける。子供も設ける。その家は天から来た乙女のお陰でずいぶん栄えて長者になる――。


 しかし乙女はある時、自分の持ち物であった羽衣を見つけて子供たちを連れて天に帰る。残された男は天に去った妻と子を恋しがり、いつまでも天を見て泣き暮らし、せっかく栄えた家も跡形もなく崩れ去った。それがみの虫の知っていた物語だ。


 ところが頭には違う形で物語は伝わっていたらしい。


「羽衣を見つけた嫁は天に帰ろうとした。が、男はそれを許す訳が無かった。当然だ。天女の嫁の技で大きくした家だ。嫁がいなければまた元のしがない漁師風情に逆戻りだ。今更そんな身分に戻れるわけがない。であるから、男は一計を案じた。わかった、次の満月の夜にお前たちを天に帰してやろう。おれと夫婦になってくれた礼もしよう。だからどうぞ待ってくれ――というわけだ。天女の嫁も餓鬼までこしらえた夫の言葉だ、最後の情けのつもりで耳を傾ける。さて満月の夜に待ち構えていたものは何か」

「なんでしょう。おれには見当もつきません」


 ほんの少し地べたから面をおこして、みの虫は頭にへつらう。

 その実、人形の顔を見ながら、天女は方士によって葛籠の中に封じ込められた、そういうわけか、と心中で独りごちた。


 うなずくように、かすかに開いた飛天のからくりの眼球がかたりと動いてみの虫を見つめ返した。ような気がした。慌ててまた地べたに額をすりつけ、見なかったふりをする。


 上機嫌の頭が語った内容は、みの虫の予想と概ね一緒だったが最後が大きく異なっていた。

 天女を娶った男は方士を招き、天女を封じ込めた。村に災いを為す鬼女であるとして救いを求めて封じさせた。裏切られたと悟った天女の狂乱はまさしく鬼女のそれであり、男や家族を手にかけようとしていた天女を物の怪退治の方士は粛々と葛籠に封じた。

 そしてこれを代々拝むがよい、そちらの祟りを封じその通力をそちらの家名の繁栄の助けおするにはそれがよい、といいおいてまた別の場所へ旅立ったのだという。

 男の家は子供たちに引き継がれ、みの虫たちが生きる今の世まで大いに栄え、今では立派な長者様である。


「可哀そうだ」


 それを聞いたみの虫は思わずぽつんと呟いた。

 騙された天女があまりにも哀れだ。悪いのは羽衣を奪った漁師ではないか。

 遊行の坊主の語る説教節ならば非道を行ったものには罰がくだるのに、夜盗の頭の語る物語では奪われたものは奪われたままである。なんと胸糞悪い話か。


 頭はぐわらぐわらと手下たちと一緒になって笑った。


「――つまりだ、お前の忍び入ったあの屋敷はとんだ非道で成り上がった家で、儂は哀れな天女を解き放つことで善行を施した、そういうことになるわけだ」


 これで極楽浄土行は確約された、と頭は笑う。


「極楽浄土ってところは金銀珊瑚で埋め尽くされたような場所ってことで間違いありませんかい」

「三途の川を渡らずに行ける極楽であればいうことありませんや」


 鬼の手下たちも給仕をする女たちも、声を揃えてがらがらきゃらきゃらと笑う。

 

 みの虫は思う。飛天と名乗った人形はとんでもない神通力を秘めている。しかし頭たちは飛天が神通力を振るうところは見てはいない。神通力などというあやふやなものを信じていては夜盗なんぞで成り上がれない。

 おそらく、みるからに高価そうな人形である飛天をどこぞのお大尽に売り払うつもりか、それとも守り神を盗まれて顔色を失くしているはずの長者に家屋敷や金蔵、年ごろの娘のどれか、もしくはそのすべてを要求するつもりなのだろうと考える。夜盗の生業とはそのようなものだ。


 もう下がれ、褒美の粥はすぐに食わせてやる。頭はみの虫に命じた。

 みの虫はそれに従った。立ち去る際に、女たちに腕を動かされて下手な舞を舞わされる飛天を振り返って見つめた。


 飛天は変わらず木偶のままであった。


 

 ◇◆◇



「ええか。これはチャンスや。うちらに回ってきたええ目や。悪いおっさんらに絞りとられるだけやった可哀そうなうちらのことを助けたろと思って神さんがくれはったプレゼントや。神さんがサイコロ振るんはこのタイミングやでって言うたはるんや。――このデータ、うまいこと使つこおたらあのドチンピラアイドル地べたに這いつくばらせんのも夢やないで……っ」


 パールは私怨を大量にまき散らしながらククク……と含み笑いをする。完全にその有様が小悪党を通り越していっぱしの悪党だ。だからさっきまで大人しく演説を耳にしていた卓ゲー研メンバーも不安を覚えたらしい。このメンツでは一番神様に一過言を有するものであろうビビアナがおずおずと忠告する。


「――いやあの、重ね重ね申し上やすがやめた方がいいと思いますぜ、部長? どちらかというとあっしにゃあ悪魔サタンの誘惑に思えまさァ。ここは一つ気を引き締めなさるべきですぜ」

「そうだよ、部長。あんたいっつも余計な欲かいて失敗するじゃん。こないだもそうだったじゃん」

「下手こきゃこの前の二の舞だよ? ここはさ、慎重に慎重に……」

「何言うてんねんな! ここで勝負せんでいつ勝負すんねんな! あんたらいつまでも毟られる側でええんかっ! うちは嫌や! うちはこのまま毟られどおしの雑魚ワルキューレで一生終えるんは嫌や! 毟られる側から毟る側に回ったるんやぁ~! 手始めのあのメジロの二人の全財産から毟ったるんやぁ~!」

「あーっもう、わかったわかった! わかったから!」

「ったくうっせーなあもう、普段ロクにデカイ声出さねえくせにこういう時ばっかり……」


 卓上ゲーム研究部メンバーの姦しいやり取りをBGMに、平均台の上でサランはいらいらと足を組みなおす。そしてツチカの手によるのであろうへたくそな幻想小説を読み直す。


 語られているのは羽衣伝説をモチーフにした昔話風小説だ。

 舞い降りてきた天女は羽衣を奪われ天の国への帰路を断たれた状態で、人間の若者と夫婦になる。そして富をもたらす。

 巷間語られる物語とは異なり、羽衣を奪い返いして天の国に帰ることもなく、故郷に帰りたい思いを胸に秘めたまま、夫であった者の差し金で天女ではなく鬼女に貶められ人形の体の中に魂を封じ籠められる――。


 天女というモチーフにツチカが何を仮託しているのは明らかだ。この世の外からやってきて、人間の解釈次第で神とも怪物とも区別されるもの。それはすなわち侵略者だ。――そしておそらく――。


「それ、例のが送ってきたデータだろ?」


 頭の中にひらめいた考えに背中に寒気を這わせた瞬間、フカガワミコトがサランに話しかけた。興味深げ和綴じの冊子を覗き込む。読んでいいか? と真剣な顔つきで頼むので、サランは一部コピーして少年に手渡した。これからは情報を共有する必要がある。

 いぶかしむ顔つきで和綴じの冊子の表紙をフカガワミコトはめくる。ふわりと宙を舞ったノコも神妙な顔つきで覗き込んだ。


 サランは平均台の上で足をくみかえ、ふうっと息を吐く。


 『ハーレムリポート』という自分の設計した物語の登場人物が、自分の監督下から逃れて勝手に動きだしたことに腹を立てたレディハンマーヘッド――シモクツチカが即座にマウントを取り返しにくる。サランの書いた筋書きではそうだった。ツチカは余裕ぶった不良お嬢様だが、その分自分より下にみているものが予想外の動きをすると機嫌を損ねる。自分の思う通りにならないと癇癪を起す。コケにされると激高して手を出す。大人ぶりたいが煽り耐性の低い短気な女である、今までの付き合いでサランはシモクツチカの人柄をそうとらえていた(自分のことを棚にあげて)。


 特に一等ムカつく相手であろう自分が好き放題に動けば、ムカっ腹をたて、釣りだとわかっていてもすぐにアクションを起こすはずだ。それがサランの読みであった。


 そこは概ね正解だったのだろう。ツチカはこうしてアクションをよこしてきたのだから。しかし忌々しいのは、サランの予測した通り大慌てでレディハンマーヘッドの口からおしゃべりを再開させることはせず、こうして遠回しに世界をとりまく現状を切りつけたくてたまらないという意志だけを漂わせる、妙な小説を送り付けてきたわけだ。しかもメジロリリイのファンクラブの窓口に――(ということはツチカはサランとリリイの関係を把握しているということだろう。連絡をとりあっているジュリ経由から耳に入ったのかもしれない)。

 

 その反応からサランは、ツチカの意志を感じ取らずにはいられない。あのコバカにした笑みを浮かべ、さらさらのシャギーの髪をさっとゆすって腕を組んで顎をもちあげ、自分より身長の低いサランを見下す。あんたなんかの予想した通りに動くわけないじゃん、バッカじゃない? というような声がサランの耳の奥で響く――。

 そんなイメージに、短気さにおいては並ぶもののないサランの神経も刺激される。


「だああああああっ!」


 急に奇声を発したサランに修練用具室内にいた全員の視線が集中した。それに関わず、手にした冊子を床に投げつけてやろうとして、サランはすんでのところで踏みとどまった。拡張現実上のデータであっても本の形をしたものに八つ当たりするのは主義に反する。たとえその送り主がシモクツチカであってもだ。

 ぜえぜえと息を整えながら、心の中で毒づく。畜生あの余裕ぶった不良お嬢め、この土壇場でこんななぞかけめいたことしやがって……、とイライラ歯噛みするサランを見てニヤリと笑ったものがいる。


 パールである。

 ぐいっともちあげたメガネ型端末の下から現れた、人為的なオッドアイは部員たち相手に演説をぶったあとの興奮できらめいている。マットの上に立ち上がると、いらだちを隠さないサランを挑発するようにねめつけた。

 サランもそれに真正面から受け止める。普段のパールなら真正面から視線を合わされるとさっと目をそらすのに、今はそれをしない。唇の端を上へ吊り上げてわらってみせるなど余裕があることをほのめかす。


「あ? なんだよう」

「先輩、さっきうちの話聞いてましたやろ? うちらの明るい将来のためにちょっとご協力お願いできませんやろか?」

「――さっき『ヴァルハラ通信』のバックナンバー渡してやるって言っただろ」

「それはそのデータをお渡しした際の礼としてありがたく受け取らさせてもらいますわ。せやけど、十五夜の泰山木マグノリアのお代をまだ頂いとりませぇん」


 ちっ、とサランは舌を打つ。こういうことがあるからアウトローの力はなるべく借りたくないというのだ。

 

「一応聞くよう、何が欲しいんだ?」

「そのデータ送ってきたん、どなたですのん? 教えてもおても構しまへんやろか」


 ――ほい来た。

 ある程度予想していた返答だったが、ニヤァと笑うパールをサランは仏頂面で睨み返す。今は余裕があるようだがパールは対人面で深刻な問題を抱えているワルキューレだ。メンチの切りあいなら小学校時代に裏ケンカ番長で名を馳せていたサランの敵ではないことは把握済みである。


「なんでお前がそんなもんに興味持つんだよう?」

「そらぁ、リリイちゃんファンクラブのサイトになんやケッタイなデータ送りつけられましたんやで? 管理人としては気になりますわぁ。しかも表向きリリイちゃんとの関係はオープンにはなってへん先輩あてのメッセージやってなったら、好奇心が騒いでも無理ないのとちゃいますぅ?」

「――お前が知ってても何にもなりゃしねえよう。出過ぎた好奇心は身を亡ぼすぞ? 『青髭』ってペローの童話でも読んどけ」

「それはお互い様やないですかぁ? ――文芸部やった先輩がフカガワハーレムに接近しはるとか、なんや思惑のあってのこととちゃいますのん?」


 文芸部はフカガワハーレムにお触り厳禁なんとちゃいましたっけぇ? と、パールは歌うように付け足す。人為的なオッドアイはサランに向けたままだ。


「前の部長総会で文芸部の部長さんがそない言うたはりましたけどぉ? ――ところで、新聞部さんのアーカイブのぞかせてもおたらなんやえらい面白い記事が読み放題やないですか。うちらが入学してくる前にあったスキャンダルとか。いやぁ、この学校であんなことがあったやなんて知りませんでしたわぁ」


 にやりと笑いながらパールはツチカのことをほのめかす。

 ツチカの起こしたスキャンダルは新聞部のアーカイブで保存されているが、作家としての受賞歴もあるシモクインダストリアルの令嬢が前代未聞のゴシップを起こして退学処分を食らったというスキャンダルは外部では一通り報じられただけでもみ消されている。外部マスコミのアーカイブでも削除済みだ。

 

 伝説の不良ワルキューレとフカガワハーレム、そして極道なアイドルとかかわりを持っている一見地味な上級生。このピースからパールはパールで何かしらの青写真を描いたのだろう。さっき自分が宣言した通り、毟られる側から毟る側へ、搾取される側から搾取する側へ回るための。

 

 サランは顎を持ち上げて、極力尊大にパールを見下ろした。平均台に座っているので視線の位置はサランの方が高いのだ。それを利用しないわけにはいかない。


「さっき新聞部さんの画像のアクセス権盗ったとかいってたよな? 一応言っとくけどあそこの先輩はお前ら泳がすほど甘っちょろいもんじゃねえぞ。高い見返り要求されても知らねえからな」

「忠告どうも。――せやけど、話そらすのやめてもらえませんやろか?」


 グロスをぬった唇からパールは舌先を覗かせた。サランが眉間に皺をよせてみたが退く気配はない。勝負に出ているのだ。

 柄にもない怖い顔を作りながら、内心ではサランは苛立っていた。ジュリを死海のほとりへ出撃させる前に、ツチカの面倒なメッセージを読み解いてキタノカタマコに作戦を撤回させる作業がある。野心にかられたアウトローたちの相手をしてる暇はないというのに。

 オッドアイですごむパールが指先を動かすと同時に卓ゲー研メンバー達もたちあがった。いつもはただやかましいだけの下級生たちが顔つきを変えた。こうするとアウトローガール達らしい貫禄が滲みでる。その輪に加わらないビビアナだけが、突然火花を散らしあう両者をい見比べておろおろと慌てていたが気にするものはこの場にいない。


「先輩にそのデータを送ってきたんはどなたで?」

「お前が知る必要はねえよう。十五夜の泰山木マグノリアのお代なら別のもんで支払ってやる」

「――へぇ、面白いこと言わはる。うちは先輩が持ったはる秘密以外のもんは欲しいない言うてますんやけど?」


 校則無視して平気で非合法サイトに出入りするようなアウトローにレディハンマーヘッドの情報を流すのはサランにしてもリスクが高すぎる。適当にあしらいたいサランがぎりぎりと睨みつけても、それでもパールは一歩も退かない。


 一気に緊張が高まる修練用具室内の空気を一変させたのは、サランの左手のリングだ。白猫のキャラが立ち上がり音声通話の着信が入ったことを伝える。

 空気を乱されたパールが舌を打つ中、サランが白猫をつつくとそれは三日月を背負った仙女となる。そのアイコンから放たれた言葉は非常に短かった。


『迎えに来た』

「――えっ?」


 夏からすっかり耳になれた――耳になれるほど耳にした覚えはないのに独特の間合いもこみて肌身に染み渡ってしまった――その上級生の声にサランの体は勝手に動き、平均台から飛び降りると床の上で気を付けの姿勢をとっていた。

 その声はいつも通り、感情を出し惜しみしているとしか思えない上級生の声だった。


「え、あの、ホァン先輩っ? む、迎えに来たって誰をっ⁉」

『ねずみを。それから例の一人と一体』


 ホァン先輩、とサランの口から飛び出したと同時に卓ゲー研メンバーの表情に衝撃が駆け抜けていったが、無情にも着信はそこで切れる。三日月を背負った仙女のキャラクターはぱっとサランの左手上から消えた。

 しん、と修練用具室は静まり返る。


 さっきまで挑みかかるような顔を見せていたパールはその顔をひきつらせて、すがるような目でサランに向けた。


「だ、誰が……っ、今、どなたが来やはるて……っ?」

「――聞いてただろう。ホァン先輩だようっ」


 どうしてヴァン・グゥエットがわざわざサランとフカガワミコト達を迎えにくるのか。トヨタマタツミの襲撃からのがれるためにここに隠れるのがそもそもの計画だったではないか。どうしてここに来て計画が変更されるのか。何か緊急事態でも起きたのか――?


 読めない展開に焦り、頭を抱えるサランの傍で卓ゲー研のメンバーはさっきまで見せた凄みはどこへやらバタバタとわかりやすく右往左往をし始める。マットの下に潜り込もうとするもの跳び箱の中に隠れようとする者――。その輪に唯一加わらないビビアナがやはり十字を切る。


「ほら言ったじゃねえですか。悪事ってのはいずれ露見するように、世界ってものは神様がそのようにお創りになってンですぜ?」

「うるせえよビビ! お前ひとり余裕ぶっこいてんじゃねえっ」


 跳び箱の中身を取り合いしてもみくちゃになる卓ゲー研の一人が叫んだと同時に、アルミ製のドアがトントンの武骨にノックされた。すりガラスごしにすらりとした細身のシルエットが浮かぶ。それだけでノックの主がわかる。それに卓ゲー研メンバーは声をげない悲鳴をあげて隠れ場所の奪い合いを始める。ほんの数分前ヴァン・グゥエットなどしょせんは別嬪の上級生にすぎないと啖呵をきったパールまでその仲間に加わっていた。

 トントン、トントン、トントン、ノックは繰り返される。

 

 演劇部と食客として無視はできなサランがドアに向かうと、声にならない悲鳴をあげた卓ゲー研のうち誰かがガラッと窓を開けた。そこから逃げ出そうと下級生たちが団子になってるのを無視してサランはドアをそおっと開いた。


「お、お待たせしました――」


 そこに立っていた演劇部所属の上級生は、サラーを、つ、とアーモンドアイでサランを一瞬見下ろしてから相変わらず無駄のない体捌きで修練用具室の中に入る。ほこり臭い室内に満ちるのは蓮を思わせる涼やかで甘い香りが漂った。そんな場合ではなかったが、いつもマーハの香に惹きつけられて意識が向かわなかったヴァン・グゥエット好みの香りを知ることになった(かすかに嗅ぎなれたジャスミンの香が混ざっていることにも)。

 窓から逃げようとしていたもの、跳び箱やマットの下に隠れようとしていたもの、不埒な卓ゲー研メンバーは界隈では相当怖れられらているファミリーの一員である上級生のアーモンドアイにい射抜かれたためかその場で硬直した。ビビアナだけは目端の利く下っ端らしく、開け放たれたままのドアを素早く締めて施錠した。


 そこに立つのがさも当然と言わんばかりに、ヴァン・グゥエットは空間の中央に陣取る。そこですっくと立ち、腕を組み、金縛りにあったように動けずにいるアウトローガール達を見下ろす。

 そして、よくとおる声で一言、発した。


「集合」


 たったそれだけで少女たちは上級生の前に駆け足で集まる。ビビアナと、なぜかサランもそれに混ざった。表情筋と言葉をとにかく出し惜しむ上級生の命令には従うべし、演劇部の食客生活がサランをそのような体質に作り替えていたのだ。

 冊子に読み入るフカガワミコトとそれに従うノコだけは命令に従わなかったが、二人には構わずヴァウン・グゥエットは続ける。


「整列」


 ずざざっ、とよく訓練が行き届いた新兵のように一列に少女たちは上級生の前に並んだ。そのまま番号でも呼ばせるのかと思ったが、それはせずヴァン・グゥエットはサランに視線を向ける。


「妹は何処」

「――あ、あのえーと。リリ子はですねぇ……っ」

 

 やたら気の多いアホの子の浮気にを阻止するために持ち場を離れて行きました――という報告を、引け目のある先輩の立場からつい躊躇ってしまう。

 そんなサランの顔つきで、大体の事情を察したのか長いまつ毛のそろった瞼を僅かに下ろす。その微妙な角度だけで「しょうのない奴だ」という表情を作りながら、左手を振った。その手元に表示された三日月を背負った仙女になにかを命じた。指示を受けたコンシェルジュキャラクターが電脳の世界に潜って見えなくなるなると同時にヴァン・グゥエットは左手をおろす。


 そして、一列にならばせた少女たちをアーモンドアイで、じ、と見る。

 ひたすら、無言で、すらりと高い身長が有するが故の高い視点から、下剋上をもくろんでいたアウトロー少女たちを見下ろす。

 しぃん、と静まりかえる中、卓ゲー研メンバーはそれぞれ下を見たり斜め上を見上げたり、ヴァン・グゥエットと視線を合わせるのを露骨に恐れる。部長のパールはというといつのまにかメガネ型端末を下ろして視線を遮り、口元のにひきつった笑顔を浮かべていた。

 

 ――さっきまであれだけ威勢のいいことを言ってたのにこいつ……と、サランは思うが口にはしない。そんな暇はなく、演劇部のスターは良く通るアルトの声で端的に命じたからだ。


「代表は挙手」


 矢のような視線がパールに集中する。さらにひきつった笑みを口元でこわばらせてから、パールは声にならない悲鳴でもあげでもしたのかぱくぱくと口を開け閉めさせた。が、こういう時は一斉に薄情になるらしく部員たちはささっと視線をそらす。ビビアナだけが十字を切って目を伏せた。

 覚悟を決めた顔つきで、震えるパールがゆっくり手を挙げるとヴァン・グゥエットは無駄のない動きで前に立つ。そして無言で冷や汗をしたたらせたパールをアーモンドアイで睥睨した。

 

「――あんたか、卓上ゲーム研究会の部長いうんは?」


 怜悧な表情から放たれた言葉はリリイと同じ系統の言葉で訛っている。訛りを使うということはこれからそういう業界の話をするという符丁である。つまりワルキューレの規律の埒外にある世界のルールを適用するということでさる。それにプラスし、なお一切の異論反論は認めないとその視線で高圧的に宣言する。

 同じ世界の常識をわきまえているものとして、死刑宣告でもうけたような顔つきったパールは蚊の鳴くような声で、それでも部員以外のモノにも聞こえる声ではきり名乗った。


「……はいぃ、あの、初等部二年で籍おかしてもおてます、パール・カアウパーハウちゅうもんです……っ」


 ふうん、とまた瞼を傾けて表情に陰影をつけたヴァン・グゥエットは細い指先を伸ばして怯え切ったパールの顎をつかんだ。

 恐怖でこわばる下級生の顔をやや上向かせた上級生は、その後に繰り広げられるであろう怖ろしい現場を想像して目を伏せる少女たちの予想に反した動きをしてみせた。

 

 結んだ唇をそっとほころばせ、訛ってはいるが柔らかな声でパールの傍で囁きかけたからだ。


「そがあにかとおなりんさんな。うちはあんたらに礼を言いたいだけじゃ。――いっつもうちの妹と仲ようしてくれてありがとの」


 事態が把握できずにこわばるパールの顎を持ち上げ、片方の手でメガネ型端末を押し上げて素顔を露出させてからヴァン・グゥエットはかすかに微笑みつつオッドアイに演出したその瞳を覗き込む。サランの位置からは繊細な象牙細工めいた上級生の横顔がよく見えた。形良い耳にかけた短い黒髪が幾筋か重力に従って丸みのない頬にさらりとかかる所さえ見なければ、まるでそれは一服の絵画のようだった。

 精緻な人形が動き出して少女を蠱惑する、そんな瞬間を切り取ったような――。


 息をひそめる演劇部のスターである上級生の挙動に少女たちは魅入られる。そこがほこりくさい修練用具室であるということも忘れて、親指の腹ででパールの唇の下をそっとなぞるその挙動を見守る。

 当ののパールはというと、自分の置かれている状況が理解できないのか、え? ええと? と切れ切れの声を上げ続けるが、言葉にならないらしい。

 そんな下級生を見つめるヴァン・グゥエットの表情はいつになく柔和になる。演劇部の訓練生たちですら目にしたことはない、おそらく舞台上の登場人物を演じているときにしか見せない筈の、優しく甘い微笑みだった。


「あんたらもよお知っとろう。うちの妹はああいう気質じゃけえ、それでも愛想つかさんと仲ようしてくれる子ぉがいてくれる聞いとってうちは安心しとった。なんでもファンクラブまで作りんさったと聞いとるが?」

「――は、はい、ええと……それくらいお安い御用で……」


 中性的な美貌の上級生に至近距離から微笑まれたためか、パールのアニメ声がより高さと甘ったるさを増す。ダメ押しのようにヴァン・グゥエットはパールの髪をさっと撫でた。


「ありがとう。妹の友達もうちにとっては妹みたいなもんじゃ。――あれはああいう難しい奴じゃけ、あんたらが仲よう支えてくれとる思ったらうちも安心じゃ」


 泰山木マグノリアハイツでの怜悧で寡黙な上級生ぶりや、リリイを前にしたときの冷徹な姉貴分ぶりになれたサランには俄かに信じがたい、優しく甘い言葉をふんだんにパールに囁きかけたあとそっと顎から手を放した。パールはそのまましばらくぼんやりと顔を上向けたままでいたが、数秒後にモカ色の肌をさあっと赤らめてうつむく。しばらく前の小悪党ぶりがみじんもなく、そこにははにかんだ一人の少女がいた。

 自分たちのリーダーを骨抜きにされても卓ゲー研のメンバーは反撃にでるでもなく、それぞれれに放心したような顔つきで硬質な美貌の上級生に魅入る。ヴァン・グゥエットはそれぞれに目を合わせたあと、ほんの少し唇の端を持ち上げたあと、最後に微笑みかけたビビアナに数枚のチケットを手渡した。


「うちからの気持ちじゃ。――今度の秋公演のチケットじゃけ、もうこの時分やからええ席やないで堪忍の。うちも出さしてもろうとるけぇ、あんたらみんなで見に来んさい」

「は、はいそりゃもう喜んで――っ」


 そばかすの頬をぽっと染めてはにかみニヒヒとあどけなく照れ笑いを浮かべるビビアナの周囲に、卓ゲー研の二年生たちが素早く集まる。行きます絶対見に来ます親を質に入れてでも行かせてもらいます――っ、と顔を上気させ目を輝かせてアウトローガール達は上級生に黄色がかった声をあげる。

 それに艶やかな微笑みで応えたあと、柔らかであるが重たい芯を潜めた声でヴァン・グゥエットは答えた。


「うちの妹らぁはそんなことはせんとは信じとるが、転売はせんこと。演劇部は清く正しくをモットーにやっとる。その看板に泥を擦り付けるようなことはせんように」

「しませんっ、いたしませんっ。誰がそんな勿体ないことしますかいなっ! 姐さんの舞台、うちらかならず見に行かせてもらいますさかいにっ!」


 アニメ声を盛大に上ずらせて、パールは答えた。訛りながら姐さんと呼んだ。

 ということは即ち、黄家なる一家の一員であるヴァン・グゥエットの配下に下るという宣言でもあるのだろう。さっきまで下剋上だジャイアントキリングだのと威勢のいいことを言っていた腹黒い少女の面影はそこに無かった。

 ダメ押しのように美貌のスターは蠱惑的に微笑む。


「ほうか。ほいじゃうちもあんたらが来てくれるの楽しみにしとるけえ。――リリイとはこれからも仲ように」

「もちろんですっ。うちらこれからもリリイちゃんのスタッフとしてきばらしてもらいますっ!」


 軽々しくパールは宣言するが、黒目にハートを浮かび上がらせた卓ゲー研メンバーに特に異論はないようだった。もともと下剋上をもくろむような野望を秘めているような気骨ある者はパールひとりくらいで、他のメンバーは長いものに巻かれるのをよしとしていた節がある。名のある一家の一員の上に見目麗しく甘い言葉もささやいてくれるような人間になら喜んで巻かれよう、といった心境なのだろう。

 故に全員、いともたやすく曰くある上級生の命令に軽々と従った。


「――ほいたら今から何をせんないけんのんか、よおわかっとるが?」

「そ、そらぁもちろんで――っ!」


 パールはいさんでリングを嵌めていた右手を振ると、リリイの画像を一括表示しては山にすると同時に表示したマッチを擦って火を点ける。こうしてリリイとフカガワミコトにとっては不都合な画像は拡張現実上から隠滅された。


 かくして妹分と対立しかけたアウトローガールたちをたやすく配下に従えたヴァン・グゥエットは、すっといつもの彫像めいた表情に戻ってサランの顔に、じ、と視線を据えた。

 目の前の茶番に気を飲まれて弛緩していたサランは慌てて姿勢をピンと伸ばす。この上級生はなにかのポリシーがあるらしく、サランには決して訛った口調ではなしかけないし表情筋を使うことはしない。怜悧なアーモンドアイを向けられるとサランはつい待機の姿勢をとる体質になっていたのだった。


 いつものように無言のヴァン・グゥエットの左手のリングから着信音が鳴り、三日月を背負った仙女のコンシェルジュキャラクターが現れる。先ほどの命令を実行して戻ってきたのだろう。仙女の三日月部分から展開されたアドレスに触れると、それは一冊のスクラップブックになった。


 それをみてサランは声をあげそうになる。レースやカラフルなマスキングテープ状のスタンプで飾られたそれは、数十分前にサランが眺めていたもものだ。ミカワカグラの電子個人誌ジンだ。そういえばサランはカグラにリリイが向かったことを伝えたもののそれきりになっていたことを思い出し、慌ててサランも左手を振ってアドレス帳からカグラの電子個人誌ジンを表示する。

 同じものを先に眺めていた上級生は、乙女ちっくな電子個人誌ジンのあるページを開いてかすかに眉間に皺を寄せた。該当する最新ページを眺めてサランはあんぐり口を開いた。

 

 クラフト紙を模したページの上にレイアウトされたポラロイド写真風の数枚の写真には、頬を寄せ合って笑いあったり、ぬいぐるみやクッションを抱き合ったカグラとリリイのツーショット画像が飾られていた。マーカーで猫耳やハートが落書きされたその写真は、事情を知らないものが見れば二人の美少女がじゃれあっている眼福写真に見えない。一件ある画像は、リリイが恥ずかしがるカグラにモンブランを食べさせるものだった。

 小悪魔的に微笑んだリリイがケーキを掬ったフォークを上目遣いで照れるカグラに近づけ「はい、あーんしてください。先輩」なんて言っては生意気な後輩風に迫っている。カグラは困ったように目を閉じて、リリイの指示に従いぱくっと自分の作ったスイーツを口に入れては恥ずかしそうに顔を覆う。――そういった、あざとくキャッキャウフフなじゃれあい動画が二人の真横から撮られていた。

 やべー超やべえって今のすっげえ可愛いし――と、姿は見えないが聞きなれたアホ丸出しの音声が動画にはしっかり記録されている。それを聞いて唖然とするサランの見つめる動画の中で、カグラは恥ずかしそうにクッションに顔を埋め、リリイはこちらに向けて(つまりはこの動画を撮影していたのであろうタイガに向けて)にっこり微笑んで小さく手を振った。


 ――何をやってるんだ、この三人は――。

 

 そもそも明らかにタイガを奪い返す気まんまんで向かっていたリリイが、なぜに和やかにカグラとケーキを食わせあってる仲になってるんだと、脱力と混乱に頭の中を揺さぶられながら、手書きで記されたカグラのキャプションを読んだ。


《今日は後輩のメジロリリイちゃんが仲良しのお友達と一緒に遊びにきてくれました。

 モンブランもまだ残ってたからみんなでお茶会に。

 こうやってお話するのは初めてだから緊張したんだけど、話してみるととってもいい子で楽しかったぁ~。

 それに近くでみると本当にきれいな子で、もう、はぁ~ってため息ばっかりついちゃいました。

 二人ならんだ写真みちゃうと、顔の大きさの違いが丸わかりで恥ずかしいよぉ~》


 絵文字でデコレートされたカグラのキャプションを読んで、サランの疑問は解消されなかった。それどころか疑問が一つ増える。「話してみるととってもいい子で楽しかった」? 一体どこの誰が?


 ともあれ愛らしく美しい二人がじゃれあっている画像はカグラの電子個人誌ジンの定期購読者以外にもリリイのファンやそれ以外の野次馬を呼び寄せたとみえてとんでもない量のコメントが寄せられていた。しかも見ているうちにコメントは増えてゆく。文化部棟のサーバーが閉ざされ、太平洋校ワルキューレたちの日常に関する情報を求めているファン層は、教職員のお墨付きを得て活動しているカグラの電子個人誌ジンをチェックしていたらしい。フカガワハーレムメンバーでニューヒロインとして頭角をあらわしてきたカグラと太平洋校所属の新進気鋭のアイドルワルキューレのリリイのツーショットは、太平洋校ファン層にとっては降ってわいたご褒美で祭りとなっている模様。


 可愛い、素敵、といったコメントが流れてゆく様を見つめるヴァン・グゥエットが果たして何を思ったのかは思ったのかは分からない。ただ、妹分の所在を把握すると満足したのかスクラップブックを閉じて表示を取り消した。

 サランはもうしばらくカグラのレイアウトした愛らしいページを眺める。

 頼んだ通り、画像の一つにはサランがモンブランをフォークで切り分けようとしている瞬間を収めたように見えるスナップ風の写真が混ざっていた。皿に添えられた左手の薬指とリングがしっかり画像に収まっている。

 頼んだ通りに画像を電子個人誌ジンに掲載してくれたことをサランはカグラに感謝しながら、増え続けるコメント欄にざっと目を通す――。


「では行こう」


 そんなサランにヴァン・グゥエットは呼びかける。もう少し待って欲しいと頼む猶予を与えずにその後、つ、とサランから視線を移動する。

 その先に居るのは和綴じの冊子に読みふけるフカガワミコトと、主人が黙って読み入る本を覗き込んではいるが退屈を一切隠さないノコだ。


「鋸娘と少年も同行」

「だからノコと呼べというのに!」


 何やら意味不明な冊子を読む作業はひたすらつまらなかったのだろう、抗議しつつもうれしそうにふわりと宙を舞ってヴァン・グゥエットの傍に着地した。


「ヴァン、お前ぶんげえぶのちんちくりんの主なのだろう? ならばちょっとあいつを折檻してくれ。あいつはノコのマスターにとんでもないハラスメントを働いたんだぞ」

「自分にその権限はない。ねずみの主はマー故」

「何っ、ならば一刻も早くマーの耳にこの件を報告せねばならんっ」


 マスター早くっ! とノコはせかした。どうやらノコはこのほこり臭い一室での潜伏生活が不愉快でしかたなかったらしい。

 しかしフカガワミコトは、跳び箱にもたれて冊子に読み入るばかりで「ああ」と生返事を寄こすだけだ。気が急くノコが何度も呼んでも、気のない返事を口にしてはページをめくる。


 この出来の悪い幻想小説に少年を惹きつける何があるのか? サランは気にしつつもカグラの電子個人誌ジンのコメント欄から目が離せない。そこに新たな符丁のようなものが無いかと目を皿のようにする。とにかくおっかない先輩がそばにいるせいで気ばかり焦るが、増え続ける文字列にこれぞというものは見つからない。


「マスター、いい加減にしろっ! ノコたちはマーのところへ行くんだっ」


 ノコが再び主人の元に舞い戻り、少年の手から拡張現実上の冊子を奪い取ってヴァン・グゥエットの傍にふわりと浮かぶ。我に帰ったフカガワミコトがノコを叱るが、退屈と不満で反抗的な気分になっていたらしい女児型生命体は主に向けてあかんべーをする。

 その手から、ヴァン・グゥエットはひょいと冊子をかすめ取った。少年が一心不乱に読みふけるこの冊子はなんなのかと好奇心が騒いだのだろうか、心の片隅で気に留めながらパラパラと和綴じの冊子を繰る上級生の姿を視界の片隅に入れつつ、カグラの電子個人誌ジンのコメント欄の上に目を滑らせる。


 活字を読んで培ってきたカンを最大限にとがらせて、ぴんとくる単語を見つけ出すことに集中する――。

 

 果たしてそれは見つかった。各国語で可愛いだのなんだのと二人をほめそやす文字列にまぎれて、そのコメントはあった。


《お友達のミノムシちゃんに伝えてもらえる?

 手紙の返事はいらないから。あと、次のお茶会には私も行くから楽しみにしててねって》

 

 ぞわっとサランの背筋を総毛立たせたコメントは、次々に書き込まれるコメントに押し流されてゆく。あわててブックマークを挟もうとしたサランだがそれは叶わなかった。


「いい加減にしろっ、ノコたちはマーのところへ行くんだっ! ノコはもうこんな狭い所でわけもわからずじいっとしてるのは飽きたんだあっ!」


 白銀の髪を逆立たせたノコが、癇癪を起して十本の指を小さな刃に変えてぶんと投げ放ったせいだ。狭苦しい室内を自由に舞い飛ぶ小型の鋸の一つがサランの目の前をかすめ飛ぶ。


 これにはサランもスクラップブックを閉じ、ひゃあっと悲鳴をあげて頭を下げざるを得ず。巻き添えを食らった卓ゲー研のメンバーやフカガワミコトも小さな回転鋸の襲来に逃げ惑う。


 どたばたと悲鳴をあげて騒ぎ出すそんな中で、ヴァン・グゥエットは一人表情を変えることなく『天女とみの虫』のページをぱらりと捲った。

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