#38 ゴシップガールからお手紙着いた

『もしもしぃ、サメジマ先輩~? 例の記事見ましたよぉ』


 16時を数分過ぎた頃、サランのリングに着信が入る。ポップアップしたのは案の定見覚えのある可憐なフェアリーのアイコンで、ねっとり語尾を伸ばしたいつもの声を伝えるのだった。機嫌がいいのか言葉の端々に含まれた笑いにはいつものような陰湿さがない。


『だから今朝の訓練中様子がおかしかったんですねぇ。急に妙なお願いもされて何かなぁ~? って思ってたら、なぁるほど~』

「悪いな、妙な事頼んじまって」

『やだぁもう、先輩ったら水臭~い。こういうことなら私、喜んで先輩にお力お貸ししますのにぃ?』


 鼻歌まじりの声は、映像でその姿を見せなくても十分伝わるほどに喜びに満ちていた。

 無理もない、リリイは今は幸せの絶頂にいるのだ。高揚感で心にもないサービスを口にしたっておかしくない時期なのだ。

 そう言い聞かせて、サランはフェアリーアイコンの向こうにいるリリイへ声をかけた。


「――トラ子もみたか? 新聞」

『ええ~、そりゃあもうしっかりと~。『ぐ! むしる! 畳む!』って宣言して修練用具室から出ていっちゃいましたからぁ。――ふふっ、先輩ご存知ですかぁ? たーちゃんは笑顔が一番可愛いんですけどぉ、でもって本人にそういうこと教えてあげると一生懸命否定してオレはカッケェ担だしって挙動不審になっちゃうところが本当に本当にもうこれ以上ないってくらい可愛いんですけどぉ、標的をぶちのめすって決意したときの表情なんてあの子の一番、格好良い一面が浮かび上がってゾクゾクするくらい素敵なんですよぉ~。ご存知ないですよねぇ、先輩はたーちゃんのそういう所~?』

「あーまあ、よくは知らないのは確かだけど。お前な、そういうことをペラペラしゃべんじゃないよう」


 削ぐ、毟る、畳む、とほとんど死刑宣告された者がいる同じ空間で――と付け足そうとしたとき、リリイのアイコンの傍にメッセージが入った旨が通知された。プロバスケチームのマスコットを利用したアイコンの下に、短文が矢継ぎ早に表示される。


 ――お前いまどこ?

 ――つかこの子何? 合唱部の子だろ?

 ――四月にやたら付き纏われたんだけど?

 ――なんでお前なんかと関わりあんの?

 ――なんでトヨタマに蹴り入れた子にボコられる宣告受けるハメになってんの?


 クエスチョンマークの後ろにもれなく、こめかみに浮かぶ血管を模して激怒を示す古式ゆかしい満符発祥の絵文字をくっつけたメッセージへの短文を用意しながらサランはリリイへ話しかけた。


「とにかくだなぁ、今回の件はすでにジンノヒョウエ先輩にもホァン先輩の耳にも入ってる。その上で『お好きになさい』って許可いただいた。つうわけでだ、リリ子、お前のやることは分かってんな?」

『フカガワ先輩を匿ぉとったらええんじゃろ? 姉さんからも伺っとりますけぇ皆まで言わんでも結構じゃ。幸いパールちゃんらもおもしろがってくれましてのう、オトナの社交場ゴッコでもてなしましょうやぁいうて盛り上がってました所じゃ』

「余計なことはしなくていいようっ!」

『冗談じゃ。――やだぁもう先輩ったら本気にしちゃってぇ、私がそういうことする女の子に見えますぅ? 私がサービスするのはたーちゃんだけですぅ、好きじゃない子と関係持っちゃうようなふしだらな誰かさんとは違いますぅ~』


 リリイが口調を変えたとたん。新たな短文が飛び込んでくる。


 ――マジでこの子何者?

 ――カタギの子?

 ――つかこの状況で豊玉に見つかったら死ぬぞ? 俺もお前もこの子らも全員。


 自分の周囲の人間関係にふりまわされてばかりでその外の人間模様に疎く、そしてついでにインディーズアイドル業界に興味がないらしいフカガワミコトはリリイの特異なキャラクターに怯えつつも若干の気遣いをみせている。そういう所はこの少年らしいが、会話しつつメッセージのやりとりをするという作業はなかなかに面倒だ。


 ――いいから豊玉さんから連絡あったら「今は詳しい説明はできないけど俺を信じろ」とかそういうことを送っとけ。

 ――それからそいつはお前のことなんか全然好きじゃないから安心しろ。

 ――もっといやそいつこの前創立者の銅像破壊した犯人の一人だし。お前のことボコるって言ったのもそうだけど。


 マジか、という返信が入ってきたがサランの耳の上を浮かれたリリイの声が滑ってゆく。


『それにしてもたーちゃんたら、フカガワ先輩がことに気づかないで飛び出ていっちゃうなんてぇ、おっちょこちょいさんですよねぇ~。そういう所もほんと可愛い~。可愛い~……。――ああっ、可愛すぎてたまんないっ。やだもー、どうしよう先輩っ、きゃああああっ』

「……リリ子? おい、どうした?」


 赤らんだ顔を両手で覆っている様子が目に浮かびそうなくらい、リリイの声はふわふわと夢見心地に酔いしれている。その声を聞きながら、サランは早朝訓練時に出くわしたメジロ姓二人の様子を思い出した。

 リリイは世にも幸せそうな表情でタイガの腕に抱き着きベタベタと甘えた上に「おはようございまぁす、先輩。今朝もいいお天気になりそうですねぇ」と嫌味を一切まぶさずに挨拶をして怯えさせ、いつもサランに向けてはニイッと満面の笑顔をみせてくるタイガはというと気まずそうに目を伏せ「あ……はよっす」とぺこんと頭をさげてみせただけだった。


 そういう様子を見てしまえば、察しないわけにはいかなくなる。


 あの派手なケンカをやった後なにかあったんだな、雨降って地固まる方式で――……と。


 とりあえずサランの望んでいた方向でなにごとか進展したことは浮かれたリリイの調子で明らかではあり、その点では安堵を覚えたものの、意地悪で陰険で凶暴なのがデフォルトだった後輩にここまで舞い上がられるとサランとしては不安をおぼえてしまうのである。

 第一、状況から判断してタイガが飛び出したのは16時配信の『夕刊パシフィック』第一面を目の当たりにしてフカガワミコトを加害しようとしたわけだからサランへの感情は維持し続けているわけである。にもかかわらず、そんな様子すら可愛い可愛いとで狂ってはキャアキャアと声をあげて身もだえしている。正に恋する乙女だ。嫉妬という感情をきれいさっぱり忘れたかのようだ。

 そんなメジロリリイの声にサランは戸惑わずにいられない。


「……リリ子? お前、本当にリリ子かっ?」

『やだぁ先輩ったら何言ってるんですかぁ、私ですよぉ。――ところで先輩、聞いてくださいますぅ? あのね、あのね、たーちゃんがね、この前、本当は私のことが一ば…………やだぁ、やっぱり言えない~。きゃあ、もう、ふふふふふふ……』


 戸惑いを通り越してサランは恐怖を覚えた。メジロリリイの頭の中には今、脳内麻薬を養分にして咲くピンクのお花畑が広がっているらしい。メジロ姉妹の仲が深まったのは歓迎すべき事態だが、こんな調子で悲しみと嫉妬に狂うトヨタマタツミやタイガからフカガワミコトの身を護れるのかとどうしても不安になってしまう。 

 それはそこに身を隠すことになったフカガワミコトにとってはより深刻なようで、メッセージがまた追加された。


 ――信用しても大丈夫なのか?


 ――こう見えてそいつは暴力のプロだ、大丈夫。


 多分、と付け足すのはサランは控えた。ただでさえ不安であろう少年を無駄に怯えさせてもいいことはない。


『ところで先輩は今どちらにお隠れなんですぅ?』

「言えるわけあるかようっ」

『私のこと信用してくださらないんですかぁ、やだぁ~。――ま、フカガワ先輩をここに隠したって所から考えてどうせって場所なんでしょうねぇ~。浅知恵~』


 ふふふ……と笑ったリリイの声は、サランの聞きなれた陰険で凶暴ないつものものだった。完全に頭の中が浮かれ調子になっているわけではないことが分かって安堵はしたが、やはりタイガがサランへの感情を維持し続けていることは見過ごせないらしい。

 面倒さと恐怖は覚えたが、頭の中すべてが幸福で酔っ払っているわけでは無いと安心してサランは通話を切った。


 そして、ベッドの上から床にすとんと降りて、憮然とした表情を隠さずに黙々とテーブルセッティングを始めているミカワカグラの前で正座の状態から深々と頭をさげた。


「――というわけでしばらく、お世話になります」

「――」


 カグラは無言でローテーブルの上に生成りのクロスを敷き、その上にケーキの乗った白い皿を二つ並べた。薄茶色のクリームが蕎麦状に絞られ重ねられたその上に白い粉糖がかかったモンブランだった。亜熱帯で季節も何もあったものじゃない学園島だがこのテーブルの一帯だけ一気に秋めく。

 頭を下げるサランを無視して、カグラは位置に拘りながらカップやティーポットをセッティングし、右手を振ってカメラを起動しカシャカシャと今にも和やかなお茶の時間が始まりそうに演出されたテーブルの上の写真を撮りだした。


 最近女子読者数が増えてきた個人誌ジンにアップするための画像を用意しているカグラの背後に、つつ、と寄り添って囁いた。


「このモンブラン、ミカワさんが作ったの? いやぁ~さすがっすねぇ」

「――」

「ところで最近小耳にはさみましたよう? ミカワさん総合企画部の先輩方主導でティーン向けライフスタイル本出すとかなんとか。いやぁ最近ご活躍めざましいことで」

「――」

「ファッション誌で読モやりませんかって話も出てるらしいじゃないすか。ご存知の通り、ごく普通の十代女子っつうのが太平洋校ファン層の一番のウィークポイントでしたからねえ、新たなファン層を開拓するミカワさんは期待の星っすよう。よっ、次代のニューヒロイン!」

「……こんな見え見えのおべっか使う人、初めて見ました」


 沈黙を維持できなくなったカグラはついに振り向いて、サランをじろっとにらんだ。その視線にありったけの軽蔑が滲んでいる。

 非常に高感度の精神感応能力を有するカグラは、何の目的があって昨晩サランが何をしでかしたのか口にせずとも察してくれて、その上こうして寮の部屋にかくまってくれているわけだ(まことに便利な能力を有するワルキューレである)。

 しかしやはり、それはそれとして、かつて片想いをしていた少年と唇を触れ合わせた相手を感情のこじれは解消できない模様である。特に扇情的な煽りと写真が一面を飾る『夕刊パシフィック』を目にしたばかりとあっては。


 『夕刊パシフィック』は毎日16時に配信される。その騒ぎが生み出される直前の高まった空気が学園一帯に高まりつつある。窓から下を見下ろせば候補生たちが扇情的なタブロイド誌を表示させて噂し始めている。


「タツミちゃんはああいうゴシップ記事を嫌う人だから、この件に気づくまでは少々のタイムラグが生じるかと思います。それでも今日中には気づくことになるはずです。その時、フカガワくんを問い詰めにいくかそれとも私の所に泣きつきにくるかははっきり言って賭けです。私のところにやってきたらあなたのこと、遠慮なくつきだしちゃいますからね。サメジマさん」


 私はこれでもタツミちゃんの親友なんですから、と憮然とした顔つきでカグラは宣言した。そうやってでもサランの身をかくまってくれるカグラの前でサランはぺこぺこと頭を下げたのち、その体に抱き着いた。


「ありがとうミカワさん~! ミカワさんこそ人類愛を体現したワルキューレの鑑だよう~! 模範だよう~! 勲章授与に値するよう~!」

「模範だっていうなら私の行動をお手本にしてくださいませんかっ? まず人を巻き込まない、人の能力をあてにしないっ、人の性格につけこまないっ、この三点だけは死守してくださいっ!」

「うんうん、次からそうする」


 憤りからつけつけと物申すカグラの言葉をサランは右から左へと聞き流す。その軽薄な態度に呆れを隠さずため息を吐いたあと、しぶしぶといった態度を隠さずに断りをいれるのだ。


「――言っときますけど、長い目で見ればフカガワくんの悩みのためになると思ったからこうして協力してあげてるだけです。本当はすっごくすっごくすっごおおおおく嫌なんですからね、この部屋にサメジマさんをかくまうの! だってタツミちゃんを裏切るのも同然じゃないですかっ」


 二段ベッドで部屋を中央で区分けし、左右それぞれ空いたスペースに勉強用の机やクローゼットに本棚など最低限の家具や収納が設置されている。こうすることで一部屋を二人一組で共有するというのが寮の部屋の基本的な造りになっている。部屋の中央にある扉から見て左がカグラ、向かって右がカグラのルームメイトで現在この場にいないタツミのスペースとなっている。スペースを仕分ける二段ベッドの上段がタツミで、下段がカグラとなっている模様。ベッドの足元にはドアがあり、靴はそこで脱ぐようになっている(各々の部屋は土足厳禁という旧日本方式)。

 そもそも二人が親友になったのはルームメイトになったから、というのが大きいようだ。

 そして夏休み中には失恋からタツミに対してあえて壁を作り、今でも別の友達と一緒にいることの多いカグラだが心の中ではまだタツミに対して親友であるという意識があるらしい。サランはそのことにしみじみ感動する。


「ミカワさんて……いい人だよう……」

「そんなおべっかはいりませんてばっ」


 右手を振り、各超現実上にスクラップブックを模した電子個人誌ジンを表示すると、方眼罫のページの上に先ほど撮ったばかりのモンブランの画像をはりつけレースやカラフルなマスキングテープ、秋を思わせる栗や茸、リスなどのスタンプでページを飾り、細かいペンで文章を書きつけてゆく。《もうすぐ十月! 秋ですね。といってもここじゃ当然秋を感じるのって難しい……。せめて気分だけでも秋を感じたいな~、というわけで今日授業の空き時間を利用してつくったのはモンブランです。》等とちまちました手書きの文字でちょっとしたレシピなどを書き込んでゆく様子をサランは見守る。

 かわいらしいページを作成してゆくカグラの手腕にサランは素直に感嘆する。


「すごいな、ミカワさん。こんな可愛い電子個人誌ジンやらお菓子も作れるし、優しいし、つうかそもそもミカワさんが美人だしおっぱいでかいし、無敵じゃん」

「最後のは余計ですっ! それにさっきから言ってますけど本当におべっかは要りませんってば。あんまり繰り返すと却って嘘くさいんですけどっ!」


 自分がいま作っているページに反するとげとげしい声をカグラは出す。


「いやいやおべっかじゃないって。――前も言ったけど、ミカワさんもともと『ハーレムリポート』でも隠れ人気高かったしモテんじゃないの? その中にフカガワよりいい男なんて山ほどいるんじゃないの、正直?」

「――」


 自分がまた迂闊な発言をしたな、と気づかずにいられない目をカグラはサランへ向けた。げっ歯類を思わせる黒目勝ちの大きな目がサランを睨んで、唇をかみしめる。パン、と音を立ててスクラップブックを閉じ右手を振って一旦作業を中断する。その目にじんわり涙が浮かびつつあるのを見て、サランは焦った。


「ごめんごめんっ、今のは本当に悪気はなくって……!」

「――いないもんっ」

「はい?」

「フカガワくんより素敵な人とまだ出会ってないもん!」


 黒目がちの大きな目からカグラはつうっと涙を垂らして、言葉をぶつけるように吐き出す。


「おかげさまでぶっちゃけ私、モテてましたよっ! 人気高いなって自覚だって実はありましたよっ! でも夏に言ったじゃないですか、フカガワハーレムってことになってるメンバーの中であえて私を選ぶ人ってロクな人がいないんですっ! この子は気が弱そうだから自分でもワンチャンあるかなー、グイグイ行けば落ちるんじゃないかなーで近寄ってくるタイプばっかりなんですっ! こうやって電子個人誌ジンを更新したときにタメ口でコメント寄こすような人ばっかりなんですっ! そんな人たちにモテたってしかたないと思いません⁉」

「――う、うーん。うちからはノーコメントってことにさせていただくよう」

「何それ、卑怯じゃないですかっ、私たちでさんざんお金儲けしておいてっ」


 ティッシュで涙をぬぐい、鼻をかみ、フカガワハーレムの〝家庭的で大人しい女の子″から「私もがんばればカグラちゃんみたいになれるかも」という身近さと親しみやすさから同世代の女の子から支持される等身大の可愛いアイドルにキャラを移行しても清純派であるという路線だけにはブレを生じさせなかったカグラなのに、勢いがついたのか口からどろどろと心の澱をを吐き出す。


「……ううっ、やだぁ~。好きな人にはお転婆なお姫様っていう運命の相手がいて、隠れハイスぺで性格もいいけど庶民出の親友は三角関係を演出するだけに登場しただけで、二人がくっついたらポッと出の男の子と適当にくっついてめでたしめでたし、みたいな少女漫画ヒロインの当て馬みたいな役回りは嫌ぁ~……。大体私だって前世はお姫様だったのにぃ~……。世界を護ってたのにぃ……」


 心に秘めた本音をぶちまけながら、ぐすぐすべそをかくカグラにサランはおののく。本音を吐き出すのは心の健康のためには必要だろうけども、いくらなんでもぶっちゃけすぎだろうさっきから。自分で自分のことを「隠れハイスぺで性格もいい」とか言ってるのがバレたら大変な目に遭うぞ――。

 と、心配してしまうがサランは現在カグラの好意にすがっている身だし、それに想いを未だ断ち切れずにいる相手と情のない接触をしたばかりである。カグラに対してかける言葉などない。

 が、カグラは勝手にサランの心を読むのである。


「――なんなんですか、さっき私のこと無敵だなんだって持ち上げたくせに『そうです私はハイスぺで無敵です』って自覚したら引いちゃうんですかっ? 『そんなことないよ、普通だよ』って縮こまっていなきゃだめなんですかっ。そうしないと私らしくないっていうんですかっ?」


 居酒屋で絡み酒をする会社帰りの勤め人のようなありさまをさらけだしながら、ぐしゅっ、ぐしゅっ、と鼻をすすりながらカグラはローテーブルに突っ伏す。


「大体、ついこの前まですごく好きな人がいたのにその人に彼女ができたからって『はいそうですか』ってすぐに新しい人なんてつくれませんよっ、そんなの無理だってこの一月でよおくわかりましたっ!」

「そ、そういうもんですかねぇ。やっぱり――」

「そういうもんですっ! ――わかんないでしょうね、サメジマさんにはっ」

 

 サランへ悪態を吐きながら、がばっとカグラは面を起こす。

 そしてテーブルのうえに自分がつくったばかりのモンブランの乗った皿を引き寄せ、おもむろにフォークを突き刺す。ばくばくとやけになったように口に運びながら、いよいよ泥酔したようににカグラは次々に本音を口にした。


「私だって……私だって……出来ることならフカガワくんと……――したかったのに! なんでサメジマさんがやっちゃうんですかっ? フカガワ君のことなんて全然好きじゃない癖に! 信じられない」

 

 キス、の部分が蚊のなくような声になるあたり、前髪で目を隠していたころの名残が現れるが、口にしていることは実にあけすけである。

 お店に売っているのと遜色のない手作りスイーツを遠慮なく突き崩す勢いで口に運ぶカグラを見守りながら、サランは気おされてふと呟く。


「――ああ……、元々はフカガワハーレムを引っ掻き回してシモクを挑発するのが目的だったんだからキスの相手はうちじゃなくミカワさんでもよかったんだ。あの時呼べばよかった。ミカワさんなら作戦伝達一瞬で済むし。しまったな」

「〝しまった″って何っ? 自分からフカガワ君を罠に嵌めるようなことしたのに、しまったって⁉ やりたい放題やっておいて後から悔やむようなこと言わないでくださいっ」

「! ってミカワさんがフカガワとキスしたかったって言ったから、じゃあこうすりゃ良かったって言っただけじゃん! それでうちが責められる流れになるんだようっ」

「そりゃあ責めますっ。――ったくもう、サメジマさんのこういう所が理解できないデリカシーの無さがこっちには全然理解できない」


 ぷりぷり怒ってカグラは紅茶を煽るように飲む。シンプルな白い磁器のカップをクロスの上に叩くように置いて、ふんっと荒い息とともに吐きだす。


「大体、そういう状況になっても私、フカガワ君とそういうことはしませんからっ!」

「? はい? さっき散々したかったって言ったくせに、なんだようそりゃ?」

「したいよ、そりゃすっごくしたいもん。なんならフカガワくんと付き合いたいもんっ、デートとかしたいもんっ。――でも、しないのっ。我慢するのっ」


 そういうのサメジマさんには絶対分からないんだから、と、憎まれ口をたたいた後カグラはモンブランの最後の一かけを口に入れた。それを紅茶で煽って嚥下したあとにこう口にした。


「そんなことしたら、フカガワくんもタツミちゃんも悲しむじゃない」


 クリームで汚れた口回りをティッシュで拭ったあと、サランをぎっと睨んでからカグラは付け足す。


「――今『さんざん本音さらけだしといて今更いい子ぶるのかよう?』って思ったでしょう!」

「お、思って――てか、そういう妖怪さとりみたいなマネしないでほしいんだけど、さっきっからっ⁉」

「しょうがないじゃないですか、勝手に声が聞こえちゃうんだから! ――それに、私を勝手に家庭的で大人しくて芯はしっかりしてる女の子って頼まれても無いのにキャラつけたの、レディハンマーヘッドだし。本当の私はこの通り前世の記憶なんてもってる不思議ちゃんなワル子の上、暗くて友達の少ないいい子ぶりっこの卑怯者だし」


 くいっと、カップに残った紅茶を煽る様にのみきってからカグラは、もう一つあったモンブランの皿をサランの前に突き出す。え、と目を丸くしたサランへぼそりと付け足した。


「――食べちゃっていいですよ?」

「え、いや、でも……」

「さっきから美味そう美味そう美味そう美味そう……ってサメジマさんの想いが頭の中がグルグルしてるんです。奮発して上等のマロンペースト使いましたから我ながらいい出来です。食べちゃってください」

「え、ええ~……、でもぉ、うちそんな物欲しげなことを言ってたぁ?」

「キャラでもないくせに遠慮なんてしないでください。気持ち悪いです」


 憮然とした口調ではあるが、心の毒素を吐き出してすっきりしたような声音でカグラは言った。

 いそいそとフォークを持つ、サランに聞かせるようにつぶやくのだ。


「私はね、卑怯なんです。悪者になりたくないんです。タツミちゃんやフカガワ君を困らせてまで思いを貫く勇気だってないんです。――だからこうやって愚痴吐いてやりすごすしかないんです。二人を困らせるくらいなら、サメジマさんにケーキごちそうしながら愚痴吐いた方がマシです」

「なんじゃそりゃ、素直にありがとうって言いたくなくなるなぁ……」


 フォークをもって両手を合わせ、いただきますと言いかけた手を止めてサランは返した。しかし、だ。

 以前のように目を前髪で隠して、何も悪くないのにしきりと「ごめんなさい」と「すみません」を」繰り返してばかりいるかつてのカグラより、人のないところで色ぶちまけているカグラの方が一緒にいて楽しいという夏からの印象に変化はない。だいたいこのバージョンのカグラはきちんと話が通じるのが大きい。

 それに本人は、卑怯ものだ勇気がないだと卑下してみせるが、親友と好きな人の幸せのために身が退けるというカグラにサランとしてはいくばくかの崇高さを感じたのだ。その自制心は自分にはないものだ。


 サランの心の中に湧きいでる自分へのリスペクトを読み取ったのか、カグラの頬がほんのり赤くなった。顔をぷい、と背けてサランを急かす。


「――別に無理して褒めてくれなくたっていいです。さっさと食べちゃってください」

「無理なんかしてないのに。――じゃあま、とりあえず」


 いただきます、と口にして粉糖をつもらせたモンブランの頂にフォークを突き立てようとしたその瞬間。

 ふと、閃くものがあり、サランは右手にもったフォークでモンブランを切り分けようとする瞬間のポーズをとった。カグラはそんなサランの行動をいぶかしむ。


「ミカワさん、この角度の写真撮って電子個人誌ジンに載せることができる? お部屋に遊びにきたお友達と女子会しました~とかなんとかキャプションくっつけて」

「――」


 サランの考えを読んだカグラの顔は露骨に嫌そうな、渋い表情が浮かぶ。


「サメジマさん、私さっき言いませんでしたっ? 人を巻き込まないでって!」

「頼むから~。長い目で見ればフカガワのお悩み解消にもつながるからぁ~!」

「――フカガワくんが一番じゃない癖に……」


 ぶつくさいいながらも、かぐらはパシャパシャとモンブランにフォークを突き立てる寸前に演出されたサランの手元の写真を何枚か撮りためた。

 そしてサランはようやく手を合わせる。いただきす、と改めて口にしたところ、また、カグラはサランの前に手を指し伸ばして制止を支持した。


「ちょ、何っ?」

『誰か来ます』


 ぞわっ、とサランの頭の中が擽られるようにかゆくなった。前触れもなくカグラが思念による会話に切り替えたせいだ。表情はいくぶんか真剣なものになり、唇の上に人差し指を立てて静かにしろという合図をおくる。サランがその指示に従うと、指先で頭のなかをかき回すようなぞっとする感触がかけぬけたあとに一つのビジョンが浮かんだ。

 それは見慣れた寮の廊下だ。出撃中でなくても忙しい放課後には候補生たちはそれぞれの課外活動にいそしんでいるのか、それともカグラのように寮の個室で休んでいるのか、廊下は無人だ。

 

 そこを足音一つ立てずに歩くものがいる。


 脱色したショートボブに、限界まで短くしたスカートとルーズソックスにソールに厚いスニーカー。口元からはみ出したキャンディの棒。いつもはぱちくり見開かれて愛嬌のある猫目の眦を吊り上げた、それはタイガだった。後ろには神妙な顔つきのビビアナがいる。


 なんでこの二人が――! という驚きでサランが金縛りにあっている間、心の声でカグラが話しかける。


『え、ええと――、探してる人はフカガワハーレムのメンバーが匿ってるんじゃないかしらぁってアドバイスされたみたいです、あの、傘もってる二年の怖い子から……』


 ――やはりメジロリリイはメジロリリイだった。頭を呆けさせてもサランへの嫌がらせは忘れない。頼もしいがシンプルにピンチである。カグラの能力越しにみえるタイガからは怒りがオーラとなって揺らめいている。

 

 スニーカーなんてものを履いてる癖に本物の猫のように足音一つ立てないタイガはあるドアの前に立つ。豊玉辰巳、三河神楽の名札がかかったドアの前で――。


 つまりタイガは今そのドアの外にいる! と判断してからのサランとカグラの行動は早かった。フォークをおくとさっとサランはベッドの下に身を潜らせる。

 その直後、金具を吹き飛ばして木製のドアが部屋の内側へ勢いよく倒れ込んだ。がん、とベッドに支えられる形で斜めになったドアの上を、ダン! と大きく音を立てた撓んだ直後にカグラの悲鳴。落下音と衝撃でローテーブル上の食器達がガチャンと揺れる中、倒れたカグラの上に馬乗りになるルーズソックスとスニーカーの足元が見えた。

 二段ベッドの下段の下と床との間に挟まれたサランは、カグラが送り込んでくるビジョン経由でタイガがドアを蹴破り、倒れたドアを踏み切り板にして跳躍、宙返りのちに天井を蹴って勢いよくカグラの上に舞い降りたことを知る。素早く動くタイガはカグラ視線だと小柄な猛獣のそれにしか見えず、殺気に反応して最低限の防御をとるしか叶わなかったようだ。


 カグラの上に馬乗りになったタイガは振りかぶった拳を振り下ろそうとしてようやく、自分が組み敷いているのがターゲットでは無いと気づいたらしく、殺気を漲らせていた目を大きく見開いた。それを見ていた自分の視覚を恐怖で硬直するカグラはサランへと中継する。


「──ッ?」

 

 ベッドの下で息を顰めるサランの視線のわずか数十センチ先、カグラに馬乗りになりカーペットを踏みしめるスニーカーが見える。どうやらそこにいるのが自分の探しているフカガワミコトではなく突然の後輩の闖入に怯えたミカワカグラだと知って、振り上げた拳を戻せないままに間の抜けた声を上げる。


「――あ? あれ、フカガワミコトはっ⁉」


 突然の乱暴狼藉で怯えて混乱し、気弱な少女然とカグラは振舞う。大した演技力だとサランは舌をまくサランの数十センチ先で、咳き込んだのちにうめく。


「とりあえず……降りてっ、苦し……っ」

「フカガワハーレムのミカワ先輩すよねぇ? 初めましてぇ、二年で新聞部所属のメジロっつうもんです。ちょおっと怖い目にあわしちゃいますけど我慢してくださ〜い」


 タイガは適当に自己紹介を終えてカグラの上から降り、むりやりカグラを立たせた。そして普段聞かせない深く低い声を響かせた。


「フカガワぁ、十数える間だけ待ってやる。それ以上待たせたらサメジマパイセンにした以上のことをオレがミカワ先輩ぶちかます! 二号だか三号だか知らねーけど明日うちの新聞の一面をヨメが飾るのマジ勘弁っつうならさっさと出てくんだな!」


 なるほど、こういう声を出すときがリリイの愛するタイガの一面だったりするのだろう――と、ベッドの下と床の間で感心している場合ではない。

 いーち、にーい、さーん……とタイガはカウントを始め、タイガに首を腕で固められているカグラは必死にSOS出す。


『どどど、どうしようどうしたらいいのサメジマさん……っ!』

『落ち着いてミカワさんっ、トラ子はしょせんアホの子だっ! 可愛い可愛いって連呼してりゃ何とかなるっ!』

『そ、そんなこと言っても暴行予告されてるこんな状況でどうやって⁉︎ 無茶言わないでぇ!』


 各種侵略者との戦いにはなれているくせに、暴力になれた人間を前にするのは勝手が違うらしく、思念の声まで涙声になる。それは表情にまで現れたらしく、う、ひっく、とカグラは実際に鼻をすすりだした。さっきまで愚痴りながら派手に泣いていたばかりであり、涙が出やすい状態でもあったのが幸いした。


 それに、よーん、ごーぉ……とカウントしていたタイガの声が一瞬止まった。

 ん? とサランはそれを奇妙に思う。が、すぐに理由がわかった。


「――や、あの、先輩っ?」


 さっきまでの威嚇まるだしの声をどこかにやって、タイガの声は上ずり腰が引き気味になっている。ここしばらくの付き合いでサランにはピンとくる。

 黒目勝ちの大きな目をもつ、一見おとなしそうな雰囲気の上級生がおびえて涙ぐみながら上目遣いで自分のことを唇をかみしめて精一杯睨む。――いかにも可憐で儚げだ。そんな有様に反応しないわけがないではないか、あの異常にときめきやすいアホの子がっ!


「……こ、怖いならっ、泣くくらいなら、出しゃいいんすよっ、フカガワのバカを⁉︎ それですぐ終わるんすからっ!」


 気を取り直すようにタイガは、ろーく、しーち……とカウントを再開するが声にさっきまでの覇気がない。サランは必死で念を飛ばす。


『ミカワさん、そのままウソ泣きしてっ! 出来るだけ夏までのミカワさんみたいにびくびくした感じでッ』

『りょ、了解っ』


 応答と同時に、くすんくすん、と可憐なすすり泣きをカグラは始めた。サランも驚くほどにタイガはそれに戸惑い怯えた声をあげる。


「っつか、恥ずかしくねーのかよ、てめえが出てこないせいでミカワ先輩泣いてっし! とっとと出てこいっつの!」


 ――よし。

 サランはベッドの下でぐっと拳を握りしめた。小動物じみた上級生に怯えた上目遣いを向けられて、タイガはあからさまに戸惑っている。困っている。それが声に露骨に出ている。カグラもそれを読んだのだろう。ウソ泣きをしながら怯えた声で反撃を開始する。


「な、泣いてるのはあなたが突然やってきて、急に脅してきてきたからだもん! ていうかなんなのこれぇ⁉︎ 意味がわかんないぃぃっ!」

「いやだって……! 先輩だって隠してないで出しゃいいじゃないですか、あんな浮気野郎! 優しくしてやる必要なんてねえじゃん⁉︎」


 どの口が言う! と、言いかけた口をベッドと床の狭間でサランが慌てて塞いでいる間にカグラは涙声で反撃を開始する。


「フカガワ君がここにいるわけないじゃない、だってここは女子寮だよ? 男子禁制だよ?」

「いや、ま、そりゃそうなんすけど……。ええと、その」

「それなのに変な言いがかりをつけてドアを壊した上に土足で……やだぁ、もう」 

 くすんくすんと可憐に鼻をならしてミカワカグラは泣きまねを続ける。その隙にそろそろとサランはベッドの下を這って移動する。今は無人であるトヨタマタツミのスペースへ移動して、そこから逃げる魂胆だ。

 タイガはというと、小動物めいた雰囲気の上級生で涙目で見上げられてもフカガワミコトがここにいるという信念を捨てられないのだろう。取り繕うように再度いかつい声を出す。


「嘘はよくないっすよミカワ先輩~。そこにケーキ食った跡があるじゃないっすか。皿が二枚、カップ二つ、ケーキは一個、誰かと一緒に食べてたってことじゃあねえんすかぁ?」


 つまりその相手がフカガワミコトだろうとタイガは言いたいわけだ。ベッドと床の間でサランは少々驚く。アホの子のくせにいっちょ前に推理めいたものを披露するタイガに感心したのが何もこんな時に普段見せない知性を発揮しなくてもいいだろう。

 けれどもカグラは即座に否定する。


「違う、違うの! それは今日お昼休みに私がつくったのっ! 久しぶりにお菓子を作ったから電子個人誌ジンに載せようと思って写真を撮ってたの!」

「⁉ お菓子を作った?」


 なぜかタイガが声をひっくり返してそこに食いついた。


「え、あの机の上のモンブランってミカワ先輩が作ったんすか? マジで? 売りもんじゃなくっ?」

「そ、そうだけど――」


 どたたっと想像しくタイガが移動し、テーブルの上に膝をついた。サランの目にルーズソックスとスニーカーを履いた膝下とひざがぺったり床についている様子が見える。

 膝をついたタイガは興奮を隠さずにカグラへまくしたてる。


「マジすかこれっ、こんなん作れるんすかっ? ミカワ先輩本当にこういうの作っちゃう人なんすかっ? え、マジで美味そうなんすけどっ? すごくないっすか?」

「え、えーと……言ってもペーストは市販のものを使ってるしそこまで難しくはないかな……て」

「いやすごいって、マジスゲエって。うっわスイーツ手作りする女子ってマジでいたんだ~。やっぱ世界ってスゲエわ。尊いわ」


 相変わらず貧弱な語彙でタイガはまくしたてた。その声の調子から一瞬でフカガワミコトのことが頭の中から綺麗に追い出されてしまったらしい。本人もそれに気づいたのか声の調子を切り替えた。


「っいや今スイーツがどうとか関係ねえからっ! フカガワがいたんでしょって訊いてんすけどオレはっ⁉︎」

「だからフカガワくんはここには居ません! 本当に電子個人誌ジン用に撮影してたんだから。ほらこれが証拠っ!」


 カグラはあのスクラップブック調の電子個人誌ジンを表示してみせたらしい。少しの間が空き、それを見せつけられたのかタイガが、え、うそ、うわ、マジ、と細切れに感嘆の声を漏らしている。


「うっそやっべ、超かわいいっすよ。ええ、マジか。やっべ。どこ見てもむっちゃ可愛いし。え、ここに載ってる菓子とか全部ミカワ先輩が作ったんすか? えー、なにそれマジか。こんなん作れる人がマジで世の中いるとかあり得ねえし。こんなんふっるい漫画にしかいねえって思ってたし。やっば。すっげ、ハンパねえ」

「そ……そんなこと……ないと思うけど」


 攻撃の意志丸出しの猛獣のようだった下級生が一転して目をキラキラさせ、貧弱な語彙で自分の手作業をを褒めたたえだす。心や思考が読める分、それがまじりっけのない真意であると判った分カグラの中の戸惑いが多いに膨らんだらしい。サメジマさ~ん……と思念の声でサランへ救いを求めた。

 しかしこれはサランにとってはこの状況から逃げ出すためのまたとないチャンスである。さすが異常にときめきやすい驚異のアホの子、黒目勝ちで可憐で小動物みたいでおまけにお菓子を作り乙女チック電子個人誌ジンまで作るというなにからなにまで愛らしい上級生という可愛いものの波状攻撃で当初の目的を一瞬で彼方へ吹き飛ばしたようだ。


『ミカワさんごめん。そのままソイツ引き止めといてッ』

『引き止めるったってどうやって……っ?』


 サランを非難するようなニュアンスを声に滲ませながらも、あのよかったら食べる? とカグラは本来サランが食べる筈だったモンブランを勧めだした。タイガはとうと、いいんすかマジでっ? と大げさに驚いて喜んだ。

 ああ、自分が食べるはずだったスイーツが……と惜しんでいる場合ではない。サランはずりずりと床下を移動しながら念を送る。


『トラ子は可愛いものにアホほど弱いし、自分が可愛いって言われるのも慣れてないっ。困ったら可愛い可愛い言っとけばなんとかなるし!』

『って言われても、私さっき言いましたよねえっ⁉ サメジマさんの人間関係に私を巻き込まないでって、もう……ッ!』


 心の中でカグラがそんな悲鳴を上げているの隙に、タイガがふと気配でも感じたらしく後ろを振り向く。そしてベッドの下を覗き込む


「さっきここ、なんかゴソゴソっつってませんでした?」


 ひぃっ、と息を止めて、タイガが蹴破ったドアの陰で体を硬直させた。基本的に反射と直観で生きていると思しきタイガはベッド周辺になにがしかの気配を感じたのか、下段のベッドのへりに足をかけて上段を覗き込もうとする。

 高いところから見降ろされたら一巻の終わりだ。とっさに、ミカワさーん! と心の中で助けを求めるサランに応じてくれるのが、ミカワカグラという少女の特性だった。美しい言葉でいえば慈悲深く、端的に言ってしまえば押し切られやすい。

 

「ま、待って! そっちはタツミちゃんのベッドなの。勝手に覗かないであげて、お願いっ」

「――ってことはやっぱここにフカガワのバカが隠れてたり……」

「してないっ! してないか……っらぁ⁉」


 どささっ、と少女二人ぶんが床の上に折り重なって倒れた振動でローテーブルも振動でゆれて皿とカップがカチャカチャ触れ合う。

 二段ベッドの上段を覗き込もうと、下段の縁に足をかけ爪先だったタイガにカグラが抱き着いてそれを阻止しようとする。そうやってもみ合った拍子にバランスが崩れて二人して床の上に倒れこむ――という事態が生じたらしい。タイガをベッドから引きはがそうとしたカグラがタイガの下敷きになる形になったことをドアの陰から折り重なる二人の脚の状態からサランは判断しつつ、その隙にサランは二人部屋の沓脱へと移動する。

 幸い二人とも怪我はしていないようだが、倒れてもつれ込んだ体勢のお陰で自然と体の各部が密着することとなり、数瞬の間を置いて二人がカーペットの敷かれた床の上をずざっと滑って距離を取りあうような気配があった。


「すすすっすんませんミカワ先輩、そのあれすよ、わざとじゃないすよイヤマジでっ」

「こここここっちこそ、えーとあのそのあの……っ、ととととりあえずあれだっ、お茶にしようお茶にっ」

「そっすね、いーっすね、ナイスアイディアっすよミカワパイセンっ!」


 妙に上ずった二人の様子から嬉し恥ずかし気恥しなアクシデントが起きたらしく、さりげなくタイガのカグラの呼称がミカワ先輩からミカワパイセンへとランクアップしていたのが気にならないでもないけれど、そんな悠長な時間はサランには無いのである。この浮ついたハプニングに乗じて自分の靴をつかんで四つん這いのまま素早く室外に出た。


 の、だが。


「――……」


 九死に一生を得た気持ちサランの目の前には、キャンバス地のデッキシューズを履いた足がある。そのままつうっと上を見上げれば、サランを冷たく見下ろすビビアナの顔があった。


 そうだった、タイガはこの後輩を連れて襲撃してたんだった。と思い出したサランは即立ち上がり、大声でタイガを呼び出そう大きく息を吸い込んだビビアナの口を手のひらで塞いだ。

 そしてそのまま、モガァモガモガ! と叫ぶビビアナを引きずるようにして寮の廊下をダッシュで移動する。




「――全く、今回のこればっかしは姐さんを見損ないやしたぜ」


 寮の外に出て、人目を避けながら修練用具室へ向けて歩いていると自由になったビビアナはサランへの呆れと怒りを隠さずにぷりぷりと批判を始めた。アウトロー集団の舎弟として日々まめまめしく駆けずり回っているわりに保守的な価値観を披露する


「いっくらタイガ姉貴とのあれこれが諸々割り切った末のアレっつっても、筋っちゅうもんがねえのは感心しませんや。それじゃあまるでケダモノじゃねえですかい。しかもなんでェ、左手の指にリングはめてるくせに、そのお相手の涙で今日の月が曇ってもあっしは知りやせんぜ?」

「おっ、ビビはなかなか粋な言い回しするじゃないか」

「混ぜっ返さねえでくだせえよ。あっしは怒ってるんですぜ? あれは流石にタイガ姉貴が可哀そうだ」


 安心させるわけではないが、サランは付け足した。


「うちの婚姻マリッジ相手も諸々承知済みだよう、――事後承諾だけど」


 昨晩のうちにジュリには今回の概要だけはメッセージで知らせておいた。それに対する一筆箋に認められた文字は「馬鹿」のみだった。達筆すぎて感情が読めないのが口惜しい。

 事後承諾、という言葉にいよいよ呆れたらしビビアナはこれみよがしにため息をつき、十字を切りながら説教めいたことを口にするのだ。


「この件に関してはリリイ姉貴の仰る通りだ。こんなに不実ふしだらで人の情ってものを軽んじるサメジマ姐さんと婚姻マリッジしようなんて酔狂な人はその御方ぐらいなもんですぜ? 大切になさらなきゃあ罰がくだりまさぁ」

「――大切にしてるからこそだってのによう……」


 ジュリがここから飛ばされずに済むように動いているのに、とこの小生意気な後輩へ教えてやりたくなったがそうもいかない。だから口の中でぶつぶつとつぶやく。

 中庭、裏庭、渡り廊下、そこかしこでおしゃべりに花を咲かせる候補生たちの集団を避けるように二人は移動する。どうしても彼女らが『夕刊パシフィック』に目を通し、予想外のところから新たな展開を迎えたフカガワハーレムの物語で盛り上がってるのではないかと意識してしまうのだ。自分でやらかしたこととはいえ無駄な注目をあびたくない。

 傍らのビビアナは未だふくれっ面である。機嫌を取るわけではないけれど、サランは話を振ってみた。


「前から気になってたんだけど、なんでビビは自分とこの部長や先輩よりトラ子やリリ子を優先してんだよう?」

「だってそりゃあ、あっしは姉貴に憧れて太平洋校に入ったようなもんすから」


 歩きながらビビアナはえへんと胸を張り、サランへお説教する気持ちを一旦横へ置いて、ビビアナはとくとくと自分の過去となぜ太平洋校入学を決めたかを語りだす。――きっと一度思い切り語って聞かせたいネタだったに違いない。狙った通りだ。


「あっしの暮らしてた所なんて、姐さん、マフィアと土着化した侵略者が葉っぱの農場めぐってバチバチしてるわ、おまけに山ん中にゃあ侵略者との間に生まれたハイブリッドの村があってうっかり足踏み入れたら山刀マチェーテで脳天ぶち割られるわっつううような、まあお恥ずかしい話快適なリゾートにゃあちいっとばかし不向きなとこでして――……」


 自分を保護してくれた教会運営の施設の修道女は、ビビアナに立派なプロワルキューレとなり、せめて侵略者の脅威からだけでもこの地の治安を守ってほしいという期待を抱いていた。ビビアナもそれを汲んでいたが自分の気質的にエリート育成校のイメージが強い大西洋校は合っていないのではないか――と、迷っていたところを山猫型の丙種侵略者に襲われうっかり食われそうになった。もはやここまで、と覚悟した瞬間、天から舞い降りてきたかのように見える小柄なワルキューレが侵略者の頭を蹴り飛ばし、鉤づめのばした手甲型ワンドで八つ裂きにしたのだという。やたらスカートの短い女子学生の制服のような趣味の悪い兵装で、そのワルキューレが太平洋校所属だということが分かる。そしてそれがワンドを支給されて本格的にワルキューレとして活動し始めたタイガだった。

 それがきっかけで太平洋校への入学を決めたんだ……と、サランがすでに聞き流すモードになっていることにも構わずとくとくと語って聞かせる。


「――絶対あの姐さんの下で恩返しさせていただくんだって気持ちで入ったものの、こちとらロクに情報も知らねえ状態でガッコに入っちまったでしょ? 入学してしばらくウロウロしてる時に文化部棟でバドミントンやってる現場に出くわしたのが、いやー、神様の思し召しだったのかそれとも運の尽きだったのか!」


 文化部棟の二年生を中心に評判を呼び始め、ビジネスパートナーとして手を組みだした卓ゲー研のメンバーとあの時のあこがれのワルキューレが親し気に談笑している現場を目撃する。そのワルキューレは日傘をさしたやたら別嬪のワルキューレに手を引かれてどこかに去ってしまった。あの二人と仲良さそうに談笑していた先輩にはなしかけた所、どういうわけか入部希望者と間違われて卓ゲー研にはいることになってしまったのだ――……という己の来し方を懐かしそうにビビアナは語り、サランはそれを右耳から左耳へと素通りさせているうちに、二人は修練用具室の前にいる。

 神妙な顔つきのビビアナが決められた回数ノックすると、内側からまた特定の回数のノックが返る。そんなやりとりを数回繰り返したのちに、ドアが内側から勢いよく開いた。


 そこからビュン、と風切り音を立てて飛び出したのは回転する刃である。ドアを開けたビビアナが叫び声をあげて素早く躱したが、二つに結んだ髪の毛先が断ち切られた。サランにとってはすっかり見慣れた回転鋸を飛ばしたのは、用具置き場の中から白銀の髪をわななかせて怒るノコだった。

 戻ってきた刃を右腕に戻し、素早く用具室の中に体を滑り込ませたサランの前に宙を滑空して罵り倒す。


「やい、ぶんげえぶのちんちくりん! お前ノコが寝ている間にとんでもないことをしてくれたらしいなっ! 前にマスターのことなんて興味はないって言ったくせに嘘つきめ! ノコは嘘つきが大嫌いだっ!」

「あーもう、悪かった悪かった! 色々事情があるんだよう、許せ」

「許せるわけあるかぁ! さっさとこっちに来い! ノコはお前を挽肉にしてやるんだ! そして史上初のワルキューレのハンバーグにして食ってやる」

「お前な、仮にもレディーがカニバリズムを推奨するようなことを言うんじゃないようっ」


 着脱可能、それぞれが回転式の刃になる四肢を鋸に変形させてノコはサランに迫る。その声に狭く埃っぽい修練用具室の空気が騒然とした。この中にはみっちり卓ゲー研のメンバーがそろっている上に、女王然として平均台の上に器用に寝そべっているリリイの他にもう人お客様がいるはずなのだが姿が見えない。

 収容人数が過剰なせいで、隅っこのマットの上に追いやられている卓ゲー研メンバーが悲鳴を上げた。


「ちょっと姐さん、そいつ押さえてくださいよ! 姐さんの呼んだ客なんすからっ!」」

「さっきからぎゃんすか暴れて作業がはかどんねえしっ!」

「つかワンドのチビも、こんな狭いところで解体バラすとかやめろってマジで!」


 みれば狭苦しいなりに普段はそれなりに整理されいている用具置き場は混乱を極めていた。そんな中、騒動に背を向けてパールはメガネ型端末を光らせながらなにかしらメジロリリイのファンクラブサイトの立ち上げ作業に邁進している。様々なデータを浮かび上がらせるメガネ型端末のおかげでその表情はむっつり結ばれた口元しか見えないが、相当不機嫌なのは雰囲気でわかる。


 そんなパールよりずっと不機嫌な人間がここには一人いる。サランに対する加害の意志を隠さない女児型生命体の主だ。すなわちフカガワミコトだ。姿はみせないが、マットの傍にいくつか並んでいる跳び箱の中からひとつ、どよどよと淀んだ気配を放出するものがあった。

  サランはその怪しげな跳び箱の最上段を取り外して中をのぞく。案の定、そこにはノコの主が体育すわりの姿勢で不機嫌を垂れ流していた。


「――よ、よう。トヨタマさんから連絡あったか?」


 つとめて明るい声をだしたサランを、フカガワミコトはむすっとサランを無視する。しかしその場で立ち上がると、放せ放せと暴れるノコを静かな声で諫めた。


「やめろ、ノコ。ここで暴れたらこの子たちに迷惑がかかる」

「で、でもマスター。あいつはマスターのことを――っ」


 しんと静かで、それでいて冷え冷えとした声だった。

 やかましくわんぱくなノコも、しゅんとした顔つきでしぶしぶ手足を普段の形状に戻してうなだれる。自分の命令を聞き入れたワンドを床に下ろしてからそっと頭を撫で、椅子の代わりにあてがわれているらしい跳び箱の中に身を隠した。姦しい女子集団との間に壁を作って黙りこくる。その背中が全体で「今は何も訊くな」と語りかけていた。サランは気を使って跳び箱に蓋をした。

 ピリピリと圧を放つ少年一人いるだけで、修練用具置き場の空気の居心地の悪さは最高値に高まっていた。


 そんな中一人上機嫌なのが、器械体操用の平均台の上でまるで優雅な猫のよう寝そべり、爪をやすりで整えているリリイ一人だけだった。


「おかえりなさぁい。サメジマ先輩~。無事生きてらしたんですねぇ~。たーちゃんにめっきめきに折りたたまれずに済んだんですかぁ~? やだ~、ざんねーん」

「ああ、お陰様で元気だようっ。――おかげでミカワさんの作ったケーキ食い損ねたしっ」

「あらぁ~、仮にも新進気鋭のアイドルに殿方との接待をお命じになったくせにお友達と優雅にティータイムをお過ごしだったんですかぁ? いいご身分~」


 猫がネズミをいたぶるような声音でリリイはサランをからかう。四月にはスキャンダル狙いで自分からフカガワミコトに接触してきたくせにコイツ……っ! という思いをサランは飲み込んでいると、当のフカガワミコトが不機嫌さのポーズをわすれたように跳び箱の上段を持ち上げて食いつくように尋ねた。


「ミカワさんの部屋にいたのか、お前⁉ トヨタマは――っ?」

「いなかったよう。ミカワさんの見立てじゃトヨタマさんはこの種のスキャンダルが嫌いだから気づくまでタイムラグが生じるはずだってことだったけど? ――なんだよう、お前んとこに連絡まだないのか?」

「ああ。いっそこのまま気づかないままやり過ごしてくれたら……――」


 何気なく言葉を継いでから、はっと気づいたようにフカガワミコトは跳び箱の中に潜って「私は怒っています」のポーズを取る。めんどくせー、と卓ゲー研のメンバーの一人がぼそっとつぶやいた。

 しかし、一介の繊細な少年よりめんどうな生き物がこの場にはもう一人いた。


「! ちょお待ちんさい」


 物音に気付いた猫のようなしぐさでリリイが体を起こす。さっきまでの笑顔を消えて、虚を突かれたという顔付になるやいなや身軽にとびおりるとサランの肩をつかむ。その目からすっかり余裕が失われている。


「サメジマ先輩、あんたミカワ先輩の部屋でたーちゃんにうたんじゃな?」

「ああ。つうか何を今気が付いたみたいな顔してんだよう? お前がトラ子をそそのかしたくせに――」

「つうことは、なんじゃ! たーちゃんは今ミカワ先輩と二人きりでおりなさるっちゅうことにならんかいのぉ……⁉」

「なんだよう、今それに気が付いたのか?」

「……策士策に溺れる」


 ぼそり、と、しかし愉快そうに呟いたのは今まで黙っていたパールだ。めずらしくそうはっきり呟いて、メガネ型端末の下でグロスでつやつやした唇をゆがめて笑った。こういうチャンスは見逃さない気質らしい。


 自分が現在配下に置いている少女から嘲笑されても、リリイは何も言わない。ただ、ひく、と口元をひきつらせる。フカガワハーレムで一番可憐で清楚で控えめな愛らしさにあふれていた上級生とやたら気が多くてときめきやすい自分のパートナーが二人きりでいるという危険性を立ちどころに理解できたらしい。その瞬間、決して手放さない傘を握りしめ、ドアの外から出ていこうとしたその体をサランは抱き着いて引き止める。


「待てこら、行くなっ! お前は貴重な戦力なんだぞ。襲撃された時困るだろうが……!」

「やかましい、放さんかいっ! そがあなことわしの知ったことかあっ!」


 行かせはしないと必死で引き止めるサランを、余裕をすっかり失くしたリリイは引きはがす。しかしここで凶暴で戦闘力だけは図抜けているリリイを行かせてしまってはこの場の防御力が激減する。予想されるトヨタマタツミの来襲からフカガワミコトを護るためにもリリイにはいてもらわねば困るのだ。滅多に見せない根性を見せている時サランのわき腹を、何者かが遠慮なく擽った。ひゃはぁ! と妙な声を上げながら両腕を放してしまう。隙だらけになった胴体に抱き着いているのはビビアナだ。


「リリイ姉貴、お行きになってくだせぇ! これ以上タイガ姉貴に姦淫の罪を重ねさちゃあなりやせんやっ」

「でかしたビビ公! 礼ははずんちゃるけえのっ」


 ああまて、こら行くな――ッ、とサランの制止など軽く無視して傘をもったリリイはドアをバンっと開け放ち、タタタタタタっと機関銃の射出音めいた足音を響かせて修練用具室を後にした。疾風のごとき勢いで。

 

 きい……と、そろそろたてつけが悪くなってきたアルミサッシ製の扉がゆっくりと閉まる。もうそのころにはリリイの気配はみじんもそこにない。

  

「――……っ」


 サランの背中を冷たいものが伝った。

 

 サランによって仕組まれたスキャンダルに付き合わされたフカガワミコト。

 大好きなマスターが仇敵である文芸部員に嵌められたノコ。

 尊敬する先輩に不貞を働いたサランへの憤りが昇華できないビビアナ。

 自分たちよりはるかに恐ろしい同級生の命令で、渦中の人をかくまう羽目になった卓ゲー研メンバー。

 

 以上がこの修練用具室にいるメンバーである。

 そして、サランが今もっとも恐れなくてはならない相手は、愛する恋人のスキャンダルへの激しい怒りと悲しみが予想されるトヨタマタツミである。常時ですら思い込みが激しく人の話をなかなか聞かないあの特級ワルキューレのMAXの怒りを想像したサランの脳裏に浮かんだのは、娘道成寺の清姫だ。適当な甘言で騙した僧侶の安珍を大蛇になって釣り鐘ごと焼き尽くした、パワーが溢れすぎる伝説上の少女だ。

 

 ――終わった。


 自分たちの命はトヨタマタツミが此度のスキャンダルを知った段階で潰える。あの霊力満タンなお姫様のことだ、本気を出せば修練用具置き場に隠れている自分たちのことなど即効で見つけ出すことだろう。

 このスキャンダルがもう既にレディハンマーヘッドシモクツチカの目に留まっていたなら状況は異なってくるが、一手を指すにはいくらなんでも早すぎる間だ。

 

 ――詰みだ。もう詰みだ。

 

 と、思わず自分の走馬燈を見かけた時に現実に戻したのは、慌てたような少年の声である。跳び箱の中から声をとばしてくる。


「おいサメジマ、さっきの二年の子、ミカワさんのとこに行くとか言ってたけど大丈夫なのかっ?」

「! 大丈夫じゃないっ。あーくそ、もう~……っ! なんでこんなことに」


 叫びながらサランは左手をふり、ミカワカグラへ向けてできればすぐさま逃げるようにとだけ記したメッセージを送りつける。助けてもらったたというのに、凶暴で陰険で暴力慣れした女がそっちへ向かってる旨を伝えなければ人間がすたる。

 そんなサランへあてつけるように、この事態を招いたビビアナはちゃっかり十字を切り、してやったりとばかりにこう付け足した。


「ほら御覧なせえ。世の中ってのは大きい目で見りゃ悪いことは出来ねえってしくみになってるんですぜ、サメジマ姐さん」

「うーるーせーえーなっ、お前さえあそこで余計な事しなきゃあなぁ……っ!」


 サランは勝ち誇るビビアナのそばかすのちった頬っぺたをつまんで左右に引っ張り、ビビアナは痛い痛いと喚き、ちょっともー、さっきから何が起きてんのか全然わかんねーんすけどー! と、蚊帳の外の卓ゲー研メンバーはブーイングをあげる。

 そんな烏合の衆も同然なメンバーの前で、サランはすうっと息を吸い込みぺこんと頭を下げる。


「すまん! 今からしばらくしたらここは怒り狂ったトヨタマさんが襲われる。うちはトヨタマさんに斬られて死ぬ。巻き添えくいたくなけりゃあお前らは今の内に逃げるんだ!」

「――ってサメジマ姐さん恰好いい風に言ってますけど、ここはうちらが確保したシマなんすよっ」

「どう考えても出てくのそっちじゃん! うちら逃げる筋合いねえじゃん!」

「そーだそーだっ! 大体なにがどうなってそうなってんすかっ?」

「なんでうちらがフカガワミコトかくまう羽目になってんすかぁ? リリイちゃん全然説明してくんねーしっ」


 ――あああああっ。


 リリイがいなくなったとたん、俄然勢いづいてきた卓ゲー研メンバーがサランにずいずいと迫る。その姦しさがただ事ではない。せっかくすべての責任を引き受けようというサランの殊勝な気持ちもそこで潰える。それを煽るのが、宙に浮かんで勝ち誇るノコだ。なぜかあのアンティークの携帯電話を見せびらかしながら小鼻を膨らませつつサランを煽る。


「ふふん、呆れかえるほどの人望の無さだな、ぶんげえぶのちんちくりん。このマヌケな一件はぜひともねーさんのお耳に入れておかねばなるまい」

「あーもう入れとけ入れとけっ! ついでにお前のねーさんにこの状況なんとかしろって頼んどけっ!」


 やけくそになってサランが喚いた時だ。


 ぷー、くすくす……と、この通りに表記するしかない音を噴き出して笑うものがこの場にいた。

 ベストなタイミングで発されたせいで、その笑いは狭い修練用具置き場で必要以上に響き渡り、その場にいた全員がくすくす笑い続けるものへと注目することになる。


 くすくす、くすくす……と絶妙に人をイラつかせる調子で笑い続けるのは、「策士策に溺れる」と言い放って以来一言も発していいないパール・カアウパーハウだ。

 口を右手で覆ってクスクスと見るからに聞くものの神経を逆撫でする気満々で笑う。そこで自分に視線が集中していることにようやく気付いたらしいが、慌てるでもなくメガネ型端末を額の上に押し上げる。モカ色の肌の中で抜け目なく光るオッドアイとサランの視線がぶつかった。

 すると一層、パールは愉快そうに目を細めて例によって例のごとくひそひそとつぶやいた。


「――なんてっ?」


 とにかく同じ空間にいるものをイラつかせることには長けている卓ゲー研部長の言葉の通訳を、サランはビビアナに命じた。解放されたビビアナは頬っぺたをさすりつつ、憮然と所属部部長の言葉をサランに伝える。


「えっと『逃げることないです、サメジマ先輩』っておっしゃってやす」

「ちょっと先輩に訊きたいことができましたさかい、まだまだ帰らんとゆっくりしたって下さい~」


 にい、と笑いながらパールは舌ったらずなアニメ声でアウトロー訛りを全開にした。訛りをオープンにするということは、つまりこれからそういうジャンルの話をするという合図である。

 思わず身構えた瞬間、サランのリングに着信が入る。ポップアップした白猫キャラが画像データとテキストデータが送信されたとメッセージを告げた。


 マットの上で胡坐をかいていたパールはサランを見てニヤニヤと笑う。オッドアイが欲深そうな輝きを放っていた。


「ちょうど先輩とビビが来た頃やったかなぁ~、こないだ立ち上げたばっかのリリイちゃんファンクラブのサイト通じてメッセージが届いたんですわぁ。――いやぁ~うちには全然分からへん、なんやけったいなデータやわぁ、イタズラかしらん、ごみ箱に放ったろか~思いましてんけど、ひょっとしたら先輩やったらよぉお分かりかも知れへんし」


 どおぞ、とばかりにパールはサランに手でお促す。つまりさっき転送したデータがリリイファンクラブあてに届いた奇妙なデータであるということだろう。

 とにかく不快な後輩のすることではあるが、言われるがままにサランはまずテキストデータを開いた。

 

 テキストデータはサランの右手の中に和綴じの薄い冊子の形で現れる。手すきの和紙のような質感まで再現するその表紙に毛筆で認められた冊子の題字を読んだ途端、サランの背筋をぞわっと駆け上がるものがあった。


 『天女とみの虫』、その冊子はそのように題されている。


「――なんですかい、こいつぁ? 童話の本ですかい?」

 

 サランの傍にいるビビアナが手元を覗き込んで不思議そうに首を傾げた。

 習字の手本のような美しい楷書の毛筆で認められたそのタイトルは、たしかに日本語を習いだした幼い子供でも簡単に読めそうな易しい童話を連想させた。新進気鋭のアイドルのサイトにおくりつけるメッセージにしては奇妙すぎるものだ。


 しかし、それだけでサランには十分だった。手の中にある冊子を持っているだけで、安堵と賭けに勝ったという高揚感がしだいに体の中からふくれ上がる――。

 衝動に突き動かされるまま、サランはパールに向けて親指をたてる。グッジョブ! の、つもりだったのだが、とにかく欲深い卓ゲー研部長は抜け目なく『ヴァルハラ通信』バックナンバーを流すように注文を出した。


 ――とにかく今はまあよい。


 中身を改める前に、サランは、和綴じの冊子の表紙をじっと見つめる。

 

 ったく早くしろよなぁ……と、世界で唯一サランのことをミノムシ呼ばわりする女へむけて心の中で悪態を吐いてから、和紙の手触りを再現したその表紙を捲る。

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