#37 ゴシップガールにお手紙出した

「お茶会! 外でやるお茶会⁉ ということはガーデンパーティーってやつだな⁉」


 再びフカガワミコトに構ってもらえるようになりすっかりご機嫌なこのところのノコは、風流にも封蝋がされた招待状を受け取りぴょんと飛び跳ねる。夕暮れの泰山木マグノリアハイツ玄関ホールでのことだ。


 美しいお姉さまたちの手によって愛らしく変身させてもらえた上においしいお茶とお菓子を頂きながらテーブルマナーを学ぶという遊びがすっかり気に入ったらしく、自分の主との仲が良好になっても二日に一回は泰山木マグノリアハイツに顔だしていた。きっとお姫様ごっこのようなつもりなのだろう。

 その日も甘くて愛らしいエプロンドレス姿に着替えさせてもらった上に、淑女講座の一環としてクロテッドクリームを添えたスコーンとビクトリアンサンドイッチケーキというトラディショナルな英国調スタイルのお茶の時間を楽しんだ後だから、すべすべと滑らかな紙質の封筒を手渡された時にはノコの全身からあふれ出る歓喜と興奮が目に見えるようだ。


 S. A.W. - Ⅱ Electra 様 と、サランが宛名を書いた招待状を胸に抱く様子は微笑ましく、見たものをついついほのぼのと優しく和ませる。

 ノコと同じ目の高さの位置になるまでかがんだマーハがその様子をみて微笑む様子などはまさしく優しい絵画のようだった。


「何しろ急ですからそこまで大掛かりにはできないけれどそれでも日ごろお世話になっている皆さんやこれからおともだちになりたい方々をお招きしたパーティーにしよう思うの。素敵な淑女になったノコちゃんを皆さんに知っていただく絶好の機会になるといいけれど」

「なるほど、ノコもついにデビュタントにデビューするというわけか!」


 あいかわらず語彙だけは豊富な女児型生命体は気合のあまり小鼻を広げる。せっかくの人形めいた顔も愛らしい装いも台無しだが、微笑ましさは倍増する。あらあら、と、マーハはくすくす笑い、同席しているサランですらうっかり苦笑してしまう。その場で表情筋をぴくりともさせないのは、マーハの後ろですっくと立っているヴァン・グゥエットくらいだった。お嬢様付のメイドとして同じようにマーハの隣に立っているサランとしては、隣に立つ硬質な美貌の上級生から尋常じゃない威圧感が放出されているのが気が気じゃない。


 気が小さい者なら見つめられただけで背筋を震え上がらせるのは必至なヴァン・グゥエットの視線に晒されてもノコは無邪気な調子を一切崩さないし、マーハも楽し気にノコのヘッドドレスを直しながらノコのませた口ぶりを面白がる。


「あら、じゃあ、ノコちゃんのご主人様にどうぞご一緒にってお声をかけてくれるかしら? デビュタントにはエスコート役の殿方が不可欠ですもの」

「いいのか! マスターも呼んでいいのか!」

「ええ、もちろんよ。舞踏会は用意できないけれど可愛いノコちゃんのお披露目の場ですもの。晴れの姿は一番見せたい方に見せなきゃいけないわ」

「……! 感謝するぞ、マー! ノコが造物主ならマーの願いを全て叶えてやるところだのにそれがかなわぬのが口惜しい」


 独特の言い回しでありったけの感謝と感激を伝えながらノコはマーハの胸に抱き着く。マーハはあらあらと微笑みながら抱き留める。

 美しい姉と幼い妹の抱擁にも見えるほんわかした場面の真後ろで、ヴァン・グゥエットはひたすら無言で立っている。ただし、マーハがフカガワミコトもお茶会にどうぞと誘った時、一瞬だけ瞼をすがめたのをサランは隣で目撃している。以来、アーモンドアイから放たれる視線はマーハの背中に据えられていることも。


 ――うわぁ……。


 サランは気づかないふりをしようと、視線を斜め上に向けた。それでも一見無邪気にノコと戯れるマーハがそうやってパートナーを翻弄していることも気づいてしまうとなかなかに無視がしづらい。

 泰山木マグノリアハイツに出入りするようになって約二月、なかなか感情を表さないパートナーをこうやってからかうお嬢様お戯れの現場を大なり小なり目撃していた。その過程で、舞台の外では感情表現を惜しんでいるかのようにふるまう男役スターの上級生が内面になかなか激しい感情を秘めていることも自然に気づいてしまう。

 愛玩物としての自分の存在意義もおそらくこの辺りにあることにも。


 じ、と、ヴァン・グゥエットが黒い瞳だけをサランへ向ける。その表情だけであの鋸娘をパートナーから引き剥がせの意だと読む。伊達に髪を切られたり、真の姿を見てきたわけではないのだ。

 メイドとしての範を守ったまま、サランはととっとノコの後ろに回った。


「ささ、お嬢様。そろそろおかえりの時間ですよう。本日は私めがご主人様がお待ちの場所までお送りいたしましょう」

「ああ、ちょっと待ってくれ。ねーさんにこのことを報告したいんだ」


 エプロンドレスのポケットからアンティークの携帯電話を取り出すノコを見てさらんは慌てて止めた。す、とヴァン・グゥエットのまつ毛の角度が数度下に傾いたのだ。それだけで宝玉細工めいた美貌を持つ上級生の表情は一気に剣呑さを増す。


「携帯電話のご使用はお家の中だけにいたしましょう。レディーはそうなさいます!」

「むぅ……、だがしかし、ノコはもう帰るんだぞ? このけーたいはえんげきぶのものだ。借りて帰るわけにはいかん」

「そんなに気に入ったのならそちらはノコちゃんに差し上げるわ。この時期の携帯電話ならまだあるはずだから。――その代わりお姉さまとはお部屋の中で静かにお話なさいね」


 私とのお約束、と、淑女講座の講師としてマーハはお気に入りのおもちゃを手に入れてはしゃぐノコと指切りをする。マーハもノコのイマジナリーフレンドについてはある程度把握しているようだ。

 指切りげんまんがすんでようやく、サランはノコを連れて泰山木マグノリアハイツを後にすることができた。扉の前に立つ二人の方を何度も振り返っては手を振りたがるノコの手を引いて、亜熱帯の島に息づく植物の旺盛な繁殖力を人の手でねじ伏せた、コロニアル趣味をとどめた庭を後にする。


「あんまり振り向くんじゃないっ、行くぞっ」

「むぅっ。なんでだ、ぶんげえぶのちんちくりん?」

「大人の事情っつうもんがあるんだ、察しろ」

「それは何か? お前の急なごっこ遊びが始まるのと関係しているのか?」

「まあそういうことだ。――さすがレディーだ。賢い賢い」


 サランの適当な褒め方にややむくれつつも悪い気がしないでもないといった面持ちのノコと一緒に歩いているうちに、棕櫚の木立の中ほどまで来ている。ここまでくればふりむいても泰山木マグノリアハイツの扉は見えないはずだ。

 緊張から解き放たれて安堵するサランの脳裏には、先日の美しい上級生が抱き合う光景がよみがえってしまう。アイボリーのしなやかな手がミルクティー色の手が逃げぬように強く握りしめる――。


 それ以上先のことを思い出さない為に、サランは手を引きながら歩くノコに話しかけた。


「それにしてもお前の本名、エレクトラっていうんだな。ギリシャ神話みたいな名前が本名だったなんて意外だったぞ」


 実際にそれは招待状のあて名書きをしていて知って少なからず驚いた事実だった。ノコのワンドとしての型番がソウ・ツーというのは知っていたが、エレクトラだなんて神話的ロマンを感じさせる名前を持っていたとは。

 しかしノコ自身にとってはどうでもよいのか、あまり興味を示さない。


「そんなインセストタブーをほのめかすような名のことなど知らん。七人姉妹の二番目だからとかいう理由で工廠の人間が便宜的につけた名前だ。ノコは承知してない」

「? 七人姉妹の二番目はマイアじゃないのか?」

「? なんで急にそんなことを訊くんだ?」

「エレクトラがいる七人姉妹といえばプレアデスの姉妹だ。エレクトラ、マイア、タイゲタ、アルキオネ、ケライノ、アステローペ、メローペの七人。オリオンって狩人に追いかけられて鳩に姿を変えて空に逃がされて星団になったんだ。日本じゃ昴って呼ばれてるぞ」

「……、ふーん」

「なんだその反応、お前の姉妹のことだぞ? そもそもたな、『風に乗ってきたメアリー・ポピンズ』では、末っ子のメローペの世話をしてる長女のエレクトラにかわってクリスマスの買い物にやってきたのが次女のマイアだったんぞ? 空からやってきメアリー・ポピンズやバンクス家の子供たちとハロッズでクリスマスの買い物をするん――……」


 ふと気づくと、二人の周りを沈黙のみが包んでいる。

 そして、ノコは眉間にギュッとしわを寄せてサランを見上げていた。お前はさっきから一人で何をペラペラ語ってるんだ? という顔つきで。

 訊いてもないのに突然妙なうんちくを滔々と語りだした胡散臭い年長者を見上げる女児の遠慮のない眼差しがサランを我に帰す。数年ぶりにうっかり表に出してしまった児童文学育ちな一面にサラン自身大いに狼狽えた。まさかこんなことで、ライムジュースコーディアルに憧れた小さい頃の自分が出てくるとは!


 激しい決まり悪さの中でサランは咳払いをした。


「ま、まあアレだよう。お前にエレクトラって名前をつけたのはきっと星座に造詣のある人だったんじゃないかってことだな、うん」

「なんでもいいがノコはマスターが付けたノコという名前が気に入っている。一番しっくりくるからな」


 確かにそうだな、とサランもうなずいた。十一、二歳くらいに見える外見よりもやや幼い精神性を持つこの女児型生命体には「ノコ」というシンプルな愛称がふさわしいように思えた。きっと「本体が電動鋸デンノコだからノコ」というシンプルかつ無粋な理由でつけられているにしてもだ。

 この世界の人間の都合でつけられた自分の名前に一切興味を示さず、ノコは不意に小道を駆け出してゆく。棕櫚の木立を抜けた先に愛する主人の姿を見つけたからだ。よほどうれしいのか、ワンドの能力を生かして宙を滑空していた。


 マスター! と叫んでフカガワミコトに抱き着いた。しかしその実態はほとんど体当たりも同然だったから、空飛ぶ女児型生命体を受け止めた中学三年相当の男子は砂利で舗装された道に仰向けに転倒する。さすがにまずいとサランも駆け寄って、ノコの体を引きはがした。後頭部でも強打されていては大変なことになる。


「大丈夫か、フカガワミコト!」

「だ、だいじょう、ぶ……っ!」


 仮にも特級ワルキューレなだけはあったらしく、小学校高学年相当の女児の体当たりを受けて転倒してもなんともなかったようだが体を起こしながらしばらく激しくむせこんでいた。みぞおちにダメージをくらったらしい。

 自分の主人の咳が落ち着いてから、ノコは嬉しそうにその体にまつわりついた。


「マスター、今のはすまなかった。しかし朗報だぞっ! ノコのデビュタントが決まったんだっ。マスターはノコをエスコートするんだぞっ」

「ちょ、ちょっと待てっノコっ。何が何やらわかんねえ。もう一回頭から説明しろ」

「だから、マスターはレディーとして招待されたノコをマーハのお茶会にエスコートするんだ」

「演劇部のジンノヒョウエ先輩が九月三十日の午後にお茶会を予定されていらっしゃる。ノコは正式に招待されたお客様だ。そのエスコート係としてお前もお招きするからどうぞいらっしゃいってことだ」


 ノコのさっぱり要領を得ない助けを求めたフカガワミコトに応えて、サランは説明する。それを聞くなり少年の顔面が見る間に蒼白になる。


「――え、マジか?」

「マジだよう」


 ん、とサランはノコが持っている招待状を指さした。一目見るだけで手触りの良さがわかるような上質な封筒を目にして、東アジア一帯にごろごろしていそうなモンゴロイドの少年にしか見えないフカガワミコトは正直にゲッと呻いた。砂利道から立ち上がるのも忘れて顔を引きつらせる。


「なんでっ⁉ 嘘だろ、勘弁してくれって。あんな住む世界が全然違う人がいる場所のお茶会って――っ、無理無理無理無理っ、無理だって!」


 見た目どころか、その中身までサランの地元で育った男子と大差ないらしいフカガワミコトはお茶会の話を聞いてわかりやすく怯えていた。そもそもサランがノコ連れてここまで出向いたのは、彼が泰山木マグノリアハイツの雰囲気とそこに住まう演劇部スターのオーラに完全に呑まれて臆したせいである(フカガワミコトがマーハに接近するのを警戒するヴァン・グゥエットの無言の圧を勝手に読んで先回りしたことも第二の理由に含まれはする)。

 フカガワミコトが、住む世界が違うと判断した人間の下には近寄れないという奥手な気質の持ち主であるのは口を利く前からある程度は察しはしていたことではあるが、しかし演劇部の女帝の命は絶対である。それに、だ。


「――そんな……っ! マスターは来てくれないのかっ。ノコをエスコートしてくれないのか……っ?」


 ご主人様の腰の引けた態度をみてノコが不安そうなふるまいを隠そうとしない。瞳の大きな目を潤ませ、口をぎゅっと結んで涙が零れ落ちるのをぐっとこらえる女児の姿を前に、フカガワミコトはさらに狼狽した。助けてくれ、とサランに目で訴える。

 うろたえられた所でサランの今の立場は演劇部の食客で、女帝たるマーハの愛玩物である。ご主人様の言いつけには逆らえないのだ。とりあえず同情を寄せながらサランは砂利道から立ち上がるタイミングを失くしているフカガワミコトに手を指し伸ばした。


「まあ、ノコはデビュタントだなんて大げさなことを言ってるが、要はちょっとだけ畏まったお茶会だよう。とりあえずピシっとした身なりで行儀よくしときゃなんとかなる。――こいつもせっかく頑張ってたんだから、エスコートくらい付き合ってやれって」

「んなこと言ったって――。エスコートなんてどうすりゃいいんだ?」


 サランが差し出した手を、悪いな、という目つきを向けて断ってから自力で立ち上がり、少年は途方に暮れたようにため息を一つ吐く。 


「それに演劇部さんなんて接点が今まで一つも無いっつうのに、なんで俺まで――」

「そこまで緊張することないって。お客様にはアクラ先輩やキタノカタさんだとか、もいるんだから」


 つまりこのお茶会はただのパーティーではなく、とニュアンスを込めたのをフカガワミコトは読み取ってくれたのか顔つきがやや変わった。驚いてから、憂鬱そうだった表情が一気に真剣になった。そういう顔付になると東アジアのそこかしこにごろごろしていそうな少年の顔つきも多少は引き締まって見える。

 元世界の山脈のふもとで崇敬された女神様で現演劇部のスターかつ文化部の女帝が率いる乙女のお茶会に誘われて完全に腰の引けていた様子を消し去り、フカガワミコトはその名前を繰り返した。


「キタノカタさんも来るのか?」

「ああ。正式にお招きされてるよう」


 サランはうなずいた。その直後、ふと気が付く。


 今現在、フカガワミコトはトヨタマタツミと付き合っている。彼女は両想いになった余裕からかここ一月ばかり随分丸くなったとはいえ、活発で勝気で正義感にあふれた女子というと聞こえはいいが短気で人の話を全く聞かない直情径行猪突猛進ガールだ。二十世紀末の旧日本産アニメに詳しいケセンヌマミナコなら「典型的な正ヒロインでござるな」と称するに違いないような女子なのだ。

 そのような頭に血が上りやすい気質の恋人が知らない中、かつてヒロインの一人であった(ケセンヌマミナコなら「これまた典型的なツンデレお嬢様でござる。実にベーシックなフォーメーションでござる」と言いそうな)女の子が来ることが決まっているパーティーに招かれる。


 自ら手引きしたその状況を頭なの中で俯瞰したところ、二十世紀から二十一世紀にかけての娯楽小説になじんだサランの脳が告げたのだ。


 ――これって、まずいやつではないのか?


 メインヒロイン抜きの場で主人公がサブヒロインと会う。それはまるで、ラブコメやメロドラマの第二部開幕にもってこいなエピソードではないか。『ハーレムリポート』という名前の、まだ幕を下ろすことが許されていないスラップスティックなジュブナイルの――。

 レディハンマーヘッドを名乗るおしゃべりで皮肉屋のゴシップガールの装うあの不良お嬢様の筋道通りに歩まされている。これではまるで駒だ。いやすでに自分は駒だった。サメジマサランはフカガワハーレムの謎多き新メンバーだったのだ。


 そんなことを頭の中で閃かせた直後、亜熱帯の島にいるにもかかわらず不意に寒気に襲われる。頭上にのゴシップガールの気配を感じた気がして、思わず背後の空を見上げた。そこにあるのはやや欠けてはいるがまだ太っている月だけだ――。


 がさがさ、と、不意にフカガワミコトの背後に広がる密林で葉擦れのような音が聞こえた。その音でサランは我に帰る。

 うっそうと茂る木々の中に鳥か獣か虫でもいたのだろう。その類の音がするは珍しいことでは無いのに、ノコがやおら真剣そうな顔つきになって密林の中をじいっと凝視しだす。

 

 道端にいる野良猫の様子を見守る子供のような様子をみせるノコのおかげで、サランは現実に帰還した。額に手をあててサランは一回深呼吸し、おかしな妄想を振り払った。ここは現実、レディハンマーヘッドが噂を元にかたる物語の世界ではない。

 額に手をあててうつむき、ゆっくりと首を左右にふるサランへフカガワミコトは心配そうに声をかけた。


「どうした急に?」

「なんでもない、立ち眩みだよう」


 ああそう、無理すんなよ……とフカガワミコトはいたわりの言葉をかけた。そういえばミカワカグラはもじもじしながらこの少年のことを優しいといつもはにかみながら評価していたことをサランはふと思い出す。

 その間にフカガワミコトはきっぱりと宣言する。


「――わかった。出るよ、お茶会」


 え? と、思わず戸惑うサランの前で真剣な顔つきでフカガワミコトはもう一度、念を押すように口にした。やはり真面目な雰囲気になると多少は精悍な少年に見える。


「演劇部の部長さんに伝えてくれないか? いつもノコによくしていただいてありがとうございます、お礼に伺いますのでって」


 急な展開についてゆけないサランのポカンとした顔へ向けてフカガワミコトはややいらだったような顔つきになる。


「――なんだよ、さっきまでお茶会に出ろ出ろって言ってたくせに、いざ出るって言ったらその顔は? 意味わかんねえなぁ」

「あ、ああ。ってかそりゃお前、ついさっきまであんなに無理無理言ってたくせに急にやっぱ行くって言われても頭は切り替えらんねえよう。――なんなんだよう、その急な心境の変化?」

「別に。ただちょっと、キタノカタさんと話がしたいだけだ」


 ――キタノカタさんと話がしたい――?

 

 それをどのように受け止めるべきか混乱するサランの表情がよほど妙なものになっていたせいか、フカガワミコトは顔を赤らめてブンブンと激しく首を左右に振った。


「ご、誤解すんなよっ! 別に何も、お前んとこのゴシップガールが食いつきそうな話がしたいわけじゃねえからっ! ――キタノカタさん、最近忙しいだろ? 訊きたいことが山ほどあるんだけど、そのせいで全然つかまらねえんだよ。だから――……」

 

 フカガワミコトは早口で弁解する。疑り深い人間ならば、これはきっとやましい隠し事があるはずだとに疑心暗鬼に憑りつかれそうな態度であったが、幸い別にサランはフカガワミコトにはそういった悋気とは無縁でいられる。おかげで却って冷静になれた。

 それでフカガワミコトの落ち着きを欠いた態度に引っかかるものを覚えたのだ。

 真っ赤だった空が西側から陰ってゆく。太陽のほとんどが水平線に没する時間だ。手短に、と意識しながらサランは尋ねた。


「フカガワ、単刀直入で悪いが訊くぞ? ――キタノカタさんってお前のこと好きなのか?」

「はぁッ⁉ はぁあああああああああっ⁉」

 

 盛大に声をひっくり返したフカガワミコトは、さっきより激しくブンブンブンブン首を左右に振った。目を見開いてサランに接近して両肩をつかんで熱弁する(が、別にサランの胸には些細なざわめきすら起こらない)。


「おま……っ、そんなことあるか……! あるわけねえだろっ! あの人はなぁっ、お前んとこのゴシップガールが好き放題言いふらしてるようなあんなチョロい女子じゃねえぞっ! もっともっと――」

「怖い人だろ? 分かってるよう。――つか、唾かかってる。顔近づけんな」


 サランより上背あるフカガワミコトの額を手のひらで押えて、ぐい、と向こうへ押しやる。


「一応確認したかったんだよう。――どう考えてもありやしないけど、もし万一キタノカタさんがお前のことが本気で好きだって線も無いじゃあないからな。お前から、その可能性がゼロってのは聞けて安心したよう。ありがとうな」

「お、おう。本当のことが分かってくれたんならそれでいいんだよ、それで……」


 口ではそう言うが、サランが強引に押しやったせいで少し傷めたらしい首筋をさするフカガワミコトは若干複雑そうな表情を浮かべている。キタノカタマコから恋愛感情を向けられているわけではないという自覚はあってもその事実を第三者からわざわざ告げられるのはなんとなく面白くはない、そんな顔つきだ。

 そのあたりの割り切れない感情というものに直面することが最近やたらと多いサランは、そのことを流した。訊いておかねばならないことがもう少しある為だ。

 しばらく前に元風紀委員長のナタリアが披露したカマをかけるテクニックを頭に浮かべ、サランは意を決する。自分は真面目である、という顔をつくって真正面から同い年の少年を見つめる。

 サランの態度に気を飲まれたらしいフカガワミコトが、不思議そうに目を合わせたタイミングで尋ねだした。


「じゃあ何がどうしてキタノカタさんはお前の入ってる風呂に入って来たり、お前を生徒会執行室に拉致監禁したり、ビーチでおっぱいポロリしてんだ? なんのメリットがあってお前なんかにそんな大サービスをする?」

「――ッッ!」


 薄暗がりの中でもわかるくらい、フカガワミコトの顔は真っ赤になった。先ほどまで夕焼けよりも真っ赤に。サランの淡々とした口ぶりにとっさに言葉が出せないらしく、口をパクパク開け閉めさせる。その態度で、サランは一つの確証を得るしかない。

 

 フカガワミコトとキタノカタマコの間には、二千年紀ミレニアムジュブナイルのラブコメじみた接触が実際にあった。それは確かなのだ。


「――ふうん、そっか。じゃあ『ハーレムリポート』にあったあそこの記述は根と葉がある噂だったわけじゃなく、本当の本当にノンフィクションだったってわけか」

「――待て待て待て待てっ! あれはお前んとこのゴシップガールが盛って騙ったところでなぁ……っ!」


 自分の失態を悟ったらしいフカガワミコトが慌てて露見した事実を未確定なものに戻そうと目論む。しかし落ち着きを欠いているせいで結局それは叶わない。むしろ信憑性を高める結果となった。だからサランは冷静に接する。


「うちも今の今までそうだと思ってた。あのおっかないキタノカタさんが、二千年紀ミレニアムのジュブナイルみたいにうっかり可愛いドジ踏むキャラだとは考えにくい。つうかこっちもあの人がそんな可愛い人だなんてとてもじゃないが信じられないし信じたくない。でもお前の態度で、なんかしんねえけどそういうラッキーでスケベなことが起きたのは事実だったんだなって確信するしかなくなった」

「――な、何を根拠にお前……っ⁉」


 赤い顔して目玉をグルグルさせるところが何よりもの証拠じゃないか、とツッコミたくなったサランだが拾わずに続けた。怖い人だとわかっていてもキタノカタマコの名誉をそうやって守っているのであろうフカガワミコトへのせめてもの情けと敬意のつもりだ。

 しかしサランは確かめねばならぬのである。キタノカタマコは何の目的でフカガワミコトに接触しているのか、そこをどうしても明らかにしておきたいのだ。

 上からのお達しが無い以上、ジュリが参加するあの作戦を棄却・撤回させるにはこちらが動くしかない。それをするにはキタノカタマコの狙いを明らかをする必要がある。

 ――まあ白状すると面白がる気持ちが皆無とは言い切れなかったが、ともあれサランは心を鬼にする。


「だってフカガワ、お前は事実じゃないことは必死こいて嘘だって言うだろうがよう? アクラ先輩に拷問されたのは嘘だ、あれはレディハンマーヘッドが盛って語ったことだって。でもさっきはそうじゃなかった。黙って顔真っ赤っかにさせただけだった。――サンオ先輩のとこで見せた態度見たってお前どう考えても嘘つくのヘタな奴だって判断するしかないし、じゃキタノカタさんがお前の前で裸になったのは本当だったんだなって考えるのが筋だ」

「……そそそっ、そんなもん、根拠が薄すぎるだろ! 証拠になるかあっ⁉」

「カミすぎだ、落ち着けよう。マンガのキャラクターだって今日日きょうびそこまで泡食ったりしねえし」


 確実にキタノカタマコはフカガワミコトに関して恋愛感情は抱いていない。

 しかしキャラクターに合わない色仕掛けめいたことをしでかしている。

 まるで読めないがそこにはなんらかの意図がある。

 

 でなければツチカもきっと書きはしない。


 ――いや、性格の歪んだあの不良お嬢様なら大嫌いな相手をそうやって中傷する線もあるかもしれない。が、編集者としてのジュリがその記述をそのまま掲載するのを許している。ただの中傷であったなら記事そのものを引き下げさせるだろう。キタノカタマコを極力刺激したくはないのがジュリの意志だ。

 しかし、キタノカタマコのラッキーでスケベなシーンに関しては一切そういう動きはみせなかった。遠回しに警告を何度か受けていたにも関わらず。

 

 ――そこにはツチカの狙いがある。ジュリはそれを汲んで警告を承知で掲載を許している。その筈だ。


 それが何故なのか明らかになればもしや――、という思いが先走り、サランの口調はやや尋問めいたものになっていた。何かに怯えているかのように、目を泳がせている少年の腰が引けているにも関わらずぐいぐいと問い詰める。


「お前と二人っきりの時にキタノカタさんは何をやってるんだ? ジャクリーン先輩みたいにヤリたいけど適当な相手が手近にいねえしとりあえずお前で我慢しとくかー、的なアレか? それならそれで別に構やしねえんだけど……――え? ちょっと、待て? どうしたっ⁉」

「――……」


 サランの目の前で、フカガワミコトはその場でしゃがみ込んだ。しおしおと擬態語を背後に書き込みたくなるような、打ちひしがれた態度だった。それにサランは焦るが、顔をふせたままぼそぼそと少年はつぶやいた。


「――お前、サメジマって言ったっけ?」


 初めて〝文芸部のちんちくりん″以外の呼び方をされたので一瞬戸惑っているすきに、少年は顔をふせたままはっきり告げた。


「俺、お前嫌い」

「うるせえなっ! こっちだってお前に好かれようだなんてこれっぽっちも考えちゃねえようっ! どいつもこいつもお前のことを好きになると思ってんじゃねえぞったく。たかだがなんかぶら下げるだけで偉そうに――っ」


 ――あ。

 

 思わずムキになって言い返した直後、例によって例のごとく感情が爆発するままろくでもないことを口にしてしまったこといまさら気づいたところでもう遅い

 サランの目の前でフカガワミコトはどよんとしおたれまま、顔を伏せ間を置き、力がこもらないがはっきりした口調でぼそりと告げる。


「――別に俺も誰もかれも俺のこと好きになってくれなんて思ってねえし――」

「あ、えーと……今のはつい、なんつうか勢いで……」

「……つうか別に好きになられてねえし……、お前の言った通りジャクリーン先輩とか俺のことなんて喋る棒かなんかとしか思ってねえし……」

「そ、そうか……。ご、ごめんな、嫌なこと思い出させて……」


 新学期が始まってしばらくたった日に乗り込んだ新聞部で見せられた、ミカワカグラ視点による世界的歌姫とハーレムの主とされる少年のあられもない様子の数々をサランは思い出した。侵略者退治直後で興奮状態の半裸か全裸のジャクリーンに密着されたり体をまさぐられたりベッドの上に押し倒されたりしている少年は大概怯えていた(この様子を目撃した直後のカグラは大概倒れるか悲鳴をあげて逃げるかしているので以降の詳細はサランは知らない)。

 そういった経験は本人にとってはゴシップガールが面白おかしく語っていたほど楽しいものではなかったらしい。

 どよどよと黒いオーラをまき散らしながら沈んでゆく少年を前に、サランは短慮と短気を心から反省したが謝った。が、時すでに遅く覆水盆に返らない。フカガワミコトは陰にこもりながらぶつぶつと心の澱のようなものをつぶやく。


「――別に見せてくれって頼んだわけじゃないし……。風呂入ってやっと一人になれたってくつろいでた所に勝手に入ってこられた上に、『私の不注意による事故で済ませるかそれともここで悲鳴をあげるかはそちらの返答次第だ』って脅されるし……」

「⁉ マジかそれっ? ハニートラップってやつじゃないかようっ?」


 新情報にサランは前のめりになるが、見るからに心がぼっきり折れているフカガワミコトはサランのことなど眼中になくぶつぶつと力なく呟く。


「……嫌だ……本当にもう嫌だ……、こんな奴にセクハラかまされなきゃなんねえようなどんな悪事をしでかしたっつうんだ、前世のオレは……?」

「マスター⁉ マスターしっかりしろっ!」


 セクハラ、の一言にサランがガツンとショックを受けている間に密林を凝視していたノコが素早く反応し、文字通り飛んできては。ぐったりうなだれるフカガワミコトの肩をゆすって呼びかける。が、大好きなご主人様はぶつぶつと壊れたように力なくふふふふ……と笑いながらつぶやきを漏らし続けるのだ。


「……本当になんで……っ、トラックに轢かれそうになった女の子助けようとして転生した先がこんな意味わかんねえ世界で、怪物退治させられたりセクハラの言いがかりつけられたり逆にセクハラされたりしてんの、俺……? なんも悪いことしてないのに……? つうか、むしろ良いことしたのに……?」

「そうだそうだ、マスターは前世でとてもいいことをしたんだ! だから造物主に選ばれて今世でノコを目覚めさせることができたんだぞっ。それは誇るべきことだぞマスター! ――やい、ぶんげぇぶのちんちくりんっ! お前のせいでマスターが大変なことになったぞっ。どうしてくれるっ」


 眦をきっと吊り上げてノコはサランを責めた。今回ばかりはサランもそれに応じるしかない。


「わ、悪かったよう。フカガワの精神状態がこんなにイッパイイッパイだったとはこっちも――……、⁉」


 しゃがんでぶつぶつと力なく今までの憤懣ややるせない思いを吐き出し続けるフカガワミコトの背後に、ぬうっと黒い影のようなものが現れたのだ。それは段々と色を着けだし姿を表す。

 まず真っ先に袴の緋色から彩づき、その上の白衣の白さがしだいに不透明さを増してゆく。幽霊めいた形でそこに現れたのは、卵型の顔かたちに整った目鼻立ち、黒髪をまとめた巫女装束をまとった三十代ほどの女性だ。亜熱帯の島には相応しくない巫女姿の女の出現に息を飲んだのはサランだけで、ノコは即座に反応して現実に対し裡にこもるご主人様を背中に担いで宙に浮かんだ。その行く手の空間が水面のように撓み、ノコはそこからの逃走が図れなくなる──。

 悔しげにふりむいたノコは足元に向けて負け惜しみを怒鳴る。


「わざわざここまで出張ってストーキングとは、しつこい上に気持ち悪い奴め!」

『ヒヒイロカネ娘はそこで大人しゅう待ちやれ。そちへの仕置は後じゃ。まずはこの──』


 巫女姿の女は形良い一重の目を吊り上げて、サランをきいっと睨みつけるなりどこからか取り出した祓串でサランの頭を叩いた。幽霊めいた現れ方をしたくせに巫女の攻撃はしっかり物理的だ。痛ぁ! と悲鳴を上げるサランを巫女はキリキリと怖い顔で見下ろし続ける。


『女童よ、先からきいておれば深川様相手に賢しらな口を叩いておったのう? じゃがそちのおつむはしょせんうつほ、こぉんと鳴った良い音がなによりもの証じゃ』

 

 紙垂をいくつも垂らした祓串をばさりと音をたてて振り、巫女はサランにそれをつきつける。頭をさするサランは飛び退った。――この声としゃべり方には記憶がある。六月末の明け方の九十九市での出来事がさっとサランの頭の中で閃く。


「亀さんっ?」

『この姿をみてまだそのように呼ぶか! 八尋とあの時もうしたであろうに、エエイこのうつほ頭め……っ!』


 サランをに視線をすえたま豊玉家の女官長はばさっと祓串を振った。が、今度はその先はサランにはない。ヒュンヒュンと音をたて背後から飛来する回転するごく小さな五つの刃の攻撃を防ぐための障壁をはったのだ。水面のように空間が揺れ、指ほどの大きさの回転刃は宙に居る持ち主の下へ跳ね返される。フカガワミコトをおぶったノコの指先に刃は戻った。ちっと舌をうつノコの背中からフカガワミコトが消える。これには驚かずにはいられないノコの体は、ぷくん、と揺らめく気泡のような球体にすぐさま囚われた。


 突然の異能バトルの開始に面食らってるサランの目の前に、まだぐったりしているフカガワミコトが現れる。八尋と同じように白衣に緋袴の巫女装束に身を包んだ黒髪おかっぱの童女三人にかつがれる形で、だ。八尋のそばにいる童女が澄んだ声で淡々と告げた。


『ふかがわさま、おつれしてございます』

『ようやったのう、お手柄じゃ。――ヒヒイロカネ娘が逃げぬよう見張っておれ、灸をすえるのは本家でじゃ』

『あい』


 ノコをとらえた気泡のような球体の上には、フカガワミコトをとらえた三人の童女とそっくり同じ巫女姿の童女が、ちん、と座っていて返事をする。

 その下のノコは気泡の内側からその膜を拳でどんどん殴り着けるが膜が撓むばかりでやぶれそうにない。悔し気に地団駄を踏むノコとは対照的に、童女は無表情。そして八尋はぐったりするフカガワミコトを抱きかかえ、心配そうにその顔を覗き込む。


『深川様、深川さま、ああおいたわしや。――もはやこの島を覆う俗世の穢れはひい様の婿となられる深川様にとってはもはや重荷じゃ。早う本家にお連れせねばなるまいのぉ……』

「ちょ、ちょっと待てっ! 何考えてんだあんたはっ」


 白衣の袖でわざとらしく涙をぬぐってみせる八尋を見て、サランもようやく金縛りがとけて動けるようになった。白い袖のなかにうつろな目つきのフカガワミコトを書き抱く巫女姿の女にサランは食って掛かりつつ、背中の後ろで左手を小さく振った。そうして気づかれないよう、ある人物へメッセージを送る。


「そいつをどこに連れてくってぇ⁉ カメさんだけに竜宮城かあ!」

『亀ではないというに! 決まっておろう、豊玉本家じゃ。ひい様が選んだ婿どのには祝言の儀までに審神者として祭祀秘伝から作法一式、当家のなりたちから一門の御方々のお顔お名前にいたるまで学んで頂かねばならぬことが山のようにある。豊玉の審神者にお育てするには時間はいくらあっても足りぬのじゃ。埒もあかぬ物の怪退治などそちらがいたせ』


 ふん! と八尋は鼻を鳴らした。明らかにサランのような一般ワルキューレを下に見てバカにしていた。

 先刻自分の短気を後悔したばかりにもかかわらず、その態度にサランの舐められるのを嫌う性分が反応する。


「えらっそうに何言ってるんだよう! フカガワミコトは一応うちの候補生だぞっ、学校の許可はおりてんのかっ? フカガワの親御さんはっ? それにそもそもトヨタマさんはなんて言ってんだ⁉」

『エエイやかましいうつほ頭じゃ、ひい様が婿にと見初められた時より深川様の御身は豊玉家が預かることになっておる! 次の代の審神者をお育てする事柄の前には人の世の則など塵芥ちりあくたに同じじゃ』

「……ふーん、そういう言い方するってことはさてはカメさんの独断だなっ⁉」

『八尋と申しておろうに! ――それにのう、ひい様のお気持ちを受け入れたところからすでに深川様はカミの世に属される御方、そのようなヒトの世の則が縛るはそちらのようなヒトのみじゃ。許しなど要らぬ』


 ほほほほ……と高らかに笑う八尋と三人の童女の体が徐々に半透明になってゆく。振り返れば気泡に包まれたノコの体もだ。どうやら何かしら霊力的なものを使って八尋は遠く離れたフカガワミコトを旧日本の豊玉本家へ連れてゆくつもりらしい。

 が、それをみすみす見おくってはいられない。ノコとフカガワミコトをマーハ主催のお茶会に招くはサランの仕えるお嬢様の命である。


 というよりも、フカガワミコトに今去られては困るのは誰でもない。サラン自身だ。


「フカガワぁ!」


 消えゆく八尋の腕のなかでまだどんよりした目つきでぶつぶつと現実を拒否し続ける、因果な宿命を背負った少年へ向けてサランはがなった。絶対に無視できなハズの一言をだ。


「取引だっ! お前がうちに協力してくれたらレディハンマーヘッドの正体を教えてやるっ。それからお前がなんのためにどこから来たとか知りたがったことを全部だっ! ――だから持ってる情報こっちに寄こせっ。それからノコを連れてお茶会に出ろっ!」

『何を面妖なことを申す、うつほ頭の女童め!』


 嘲笑う八尋の白衣の中から伸びた腕の先の指がピクリと反応する。サランの言葉が耳に届いたのだろう。それを悟った八尋の姿もいよいよ透き通って行く。一刻も早く本家へ戻りたいという意思を隠さない八尋へ向けてサランはびしりと人差し指をつきつける。そして鋭い口調で言葉を継いだ。


「動くなカメさん! うちは今ジンノヒョウエ先輩のメイドだぞ。それからフカガワは先輩主催のお茶会に正式に招かれたお客様だ! そいつを連れてくならうちはこのことを先輩に報告しなきゃなんなくなるぞ」


 それを聞いて八尋の顔にかすかではあるが動揺が走る。それをしっかり確認し、してやったりの思いに浸る間も無くサランは畳み掛ける。


「ご存知だろうがなっ、ジンノヒョウエ先輩のお家はお寺業界の名門だぞ! ジンノヒョウエ家のお嬢様のお誘いをトヨタマ家のお姫様の御婚約者様がぶっちぎったってのが世間に露見したらどうなるっ? 下手すりゃ旧日本宗教界に消えない遺恨を残しちまうぞっ、いいのかっ」

『──それで脅したつもりか、空頭の女童。所詮浅知恵よのう? そもそも甚兵衛家ごとき唐渡りの教えを尊ぶ成り上がりなど豊玉に敵うはずもない!』

「ふん、そんな飛鳥時代の認識で二十一世紀末を生きてるとは驚きだなっ! 大体、ジンノヒョウエ先輩はちょっと前まで世界の尾根の麓で現役の女神様をやってらした方だぞ! しかも今は我が校演劇部の大スター様だ、同じように女神様の力を受け継いでるにしても旧日本の片隅で氏子さん相手に細々やってのびのび育ってパンツ覗いた男子相手に日本刀ぶんぶん振り回して斬撃打ちまくるお姫様とは信者と支持者とファンの数が段違いだっ! 真正面から喧嘩して勝てると思ってるならおめでたすぎだようっ、この絶滅危惧種のウミガメ脳!」

『キイイっ、言わせておけば小癪な口を――ッ』


 読み通り、八尋はサランの雑な挑発にやすやすとひっかかかる。神武東征以前にさかのぼれるという古い家柄と慈しみ育てたひい様を愚弄されて、あっさりと八尋は頭に血を上らせた。サランへ向けて、勢いよく祓串を振る。その瞬間、力なくぶら下がっていたフカガワミコトの左腕が大きく振り上げられた。

 一瞬気をそらしたせいで腕のなかにとらえていた少年が予想外の動きをしたために生まれた八尋の隙をつき、拘束から逃れつつ振り上げた左腕をフカガワミコトは下に勢いよく振り下ろす。

 フカガワミコトはトヨタマタツミと婚姻マリッジを済ませていいたらしい、リングは薬指にある。

 そして特級ワルキューレは緊急アイコン経由でなくても自身のワンドを召喚できる特例が認められているのだった。


 宙に浮かぶ気泡のなかに閉じ込められていたノコの姿がぱっと消え、すぐさまフカガワミコトの腕のなかに現れる。それも全長一メートルほどの白銀のチェーンソーという本来の姿になって。白いハンドルを両手で持ち、体の正面でやや腰だめに構え、ブォン! と、音を響かせながらギザギザの刃を威勢よく回転させる。そしてそれを巫女姿の八尋と三人の童女に向ける。

 それを見て驚愕するのは八尋のみだ、八尋の後ろにいる三人にノコを逃したた一人の童女も合流して計四人なったおかっぱ頭の童女たちはひな人形のように表情がない。


 ブォォォォォ……と自身のワンドを起動させながら、見るからに剣呑なその先を白衣緋袴の五人へ向けるフカガワミコトの目には怒りが浮かんでいた。


「――ヤヒロさん、俺、言いませんでしたかね……っ? そういった件に関してはトヨタマとちゃんと話し合いますからって、返事はそれまで待ってくださいって……っ? ――聞いてもらえなかったんですね……っ⁉」


 唸りながら回転するチェーンソーを前にするつきつけられては半霊体の巫女も落ち着いていられないようだった。高速で回転する刃は人としての恐怖を呼び覚ますものがあるのだろう。四人の童女たちも八尋の後ろにすっと隠れる。

 最古のものとされ、どんな侵略者をも肉片に刻んできたワンドを手にした少年はどうあっても隠せない憤りを声と全身から立ち上らせながら、静かに、しかし回転刃のたてる音には負けない声で八尋を問い詰めた。


「……あの時、トヨタマとも約束してくれましたよね……っ? わかった、答えが出るまで本家で大人しく待ってるって言ってくださいましたよね……っ? あいつ、喜んでたんですよ? あなたがやっと自分のことを信じてくれたって。いつまでたっても子ども扱いしかしてくれなかったけど、大人として認めてもらえたみたいだって……っ。――その約束、破ったんですね。ヤヒロさん……?」

『や、八尋がひい様との約束をたがえるなどそのようなことが――』

「だったら、トヨタマは知ってるんですよねこのこと? 今言っても大丈夫なんですよね、ヤヒロさんがここにいるって……?」


 『ハーレムリポート』休止中に繰り広げられたドラマの一端を明らかにしながら、フカガワミコトはワンドをかかえたまま一歩前へ出る。すると八尋たちは一歩後退する。もう一歩前進すればさらに一歩後退する。そんなやり取りを繰り返す。

 狼狽しながらも八尋は怒りを隠さないフカガワミコトへの説得を試みる。


『落ち着きなされ、深川様。八尋にそのようなものをお向けになってもどうにもなりませぬぞ。カミに仕える身であっても八尋はヒト、ヒヒイロカネを向ける相手をお間違えじゃ!』

「なんだよう、さっき自分たちはヒトの世の則には従わないとか言ってたくせに、ワンド向けられたらこうなると自分は人だから急にワルキューレ憲章の適用を要求するとかムシが良すぎじゃねえかよう」

『女童は嘴を挟むでない!』


 金切り声を発したあと、八尋は猫なで声でフカガワミコトへの説得と泣き落としを試みる。


『ああ、あんまりじゃ深川様。誰よりもひい様とあなたさまを案じております吾に、ヒヒイロカネなどを向けて物の怪扱いなさるとは、あまりに情けのうござりまする――』


 白衣の袖を目元にあて八尋はよよと泣き崩れてみせる。その隙にこそこそとサランはフカガワミコトの傍に近寄るとこれ見よがしに左手構えて威嚇した。


「フカガワ、とりあえず先生に連絡しとくか? トヨタマさんのお家の人が非正規のルートからお見えのようですって」

「ああ、頼む。そうするとトヨタマにも連絡いくはずだし」


 それを聞くなり、八尋はヒイイイ! と悲鳴ををあげた。どうやらトヨタマタツミに自分がいま島にいるということを知られたくないらしい。それはあまりに無体な――! と金切り声で叫ぶがサランは無視をした。


「ついでに登録されてるかされてないか定かじゃない外世界産っぽい神霊系生命体を四体伴っていらっしゃる、侵略者の可能性もあるから検証お願いしたいとも伝えた方がいいか?」

「それはいい、あの子たちはトヨタマん家の眷属だ。ちゃんと登録はされてる筈。――それはともかくヤヒロさんが来てるってことだけを速やかに」


 ほい、と気軽に返事をして左手をふろうとした瞬間、キイイ! と八尋は金切り声をあげた。そして四人の童女を背後にひかえたまま膝をつき頭をさげる。


『わかり申した! 此度は辛抱の足らなかった八尋の負けじゃ、どうかどうか、お許したもう。速やかに本家へ戻ります故どうかひい様のお耳に入れることだけは何卒、何卒……っ』

「あー……もう、いいです、いいです。黙っときますから」


 チェーンソー型ワンドの刃の回転切って、投げやり気味にフカガワミコトはこたえた。一帯は急に静かになる。


「その代わりこれからは絶対、約束を守ってください。今日みたいなことは最後にしてくださいっ。本当に、マジで、くれぐれもっ!」

『なんと……さすがひい様がお認めになった御方じゃ、懐の深くお優しゅうあらせられる……』

「許すことないんじゃないか、絶対またカメさん姿でビーチあたりをウロウロするはずだよう? あの人」

『そちは黙っておれ! 今度会った時はその賢しらな口を縫い閉じてやるほどにおぼええおれ……!』


 フカガワミコトへはわざとらしく涙ぐみ、サランへむけては小悪党の捨て台詞めいたものを吐き捨てながら、座して頭をたれたまま八尋と四人の童女はあたりに姿を溶け込ませた。

 しん、と静まったころにはもう、あたりは一体良いの闇に閉ざされていることに気づく。太陽はとっくに水平線の向こうに沈んでいたのだ。


 このあたりはビーチからは離れているけれど、それでも潮騒はよく聞こえる。


 フカガワミコトの腕のなかでチェーンソー形態をとっていたノコの姿がもとの女児姿にもどった。愛らしいエプロンドレス姿で、お姫様のようにくったり抱かれている。長いまつ毛にふちどられた瞼がおりてあどけなく眠っていた。なれた動作でフカガワミコトはノコを背中におぶう。

 何度かその体をゆすってベストなポジションを探りながら、まだ怒りが去らないらしいフカガワミコトは憮然とした口で呟いた。


「――覗いてなんかねえし」

「はい?」

「お前さっき、俺がトヨタマのパンツ覗いたみたいなこと言ったけど、そういうことはいっぺんもねえから。……結果的にそういうことになっただけだし」

「あ、ああー……。うん、ごめん。なんちゅうか、言葉のアヤだよう」


 どうやら八尋への挑発目的の言葉が、繊細な気質の少年の心をえぐっていたらしい。面白おかしく騙られた『ハーレムリポート』の裏で相当傷ついている少年の苦悩を目の当たりにしたあととなっては、サランも詫びるしかない。


「許してくれなくてもいいよう。多分、これからもお前のことムカつかせること言っちまうだろうし」


 サランは何気なく左手を振って、メッセージの着信記録をチェックする。泰山木マグノリアハイツに戻る時間が大幅にずれている、マーハたちに心配をかけているかもしれない。

 その様子を、まだ不機嫌さを隠さないフカガワミコトは見ようとしない。しかし、その場にとどまり続けている。サランがもう一度左手を振り終わったタイミングで、ぼそっと少年は尋ねた。


「――ゴシップガールの正体、お前らのとこの部長じゃないのか?」

「違う」


 サランはその場で伸びをする。一種の準備運動だ。

 フカガワミコトは重ねて尋ねる。


「お前らが面白がってゴシップまきちらした上に情報まで漏らしたから、怒って部長を今度の作戦に就かせた。そういうことじゃないのか?」

「違う」


 にゅ、とサランは左うでを伸ばす。そしてフカガワミコトに薬指を見せつける。リングの嵌ったその指を。


「文芸部部長はワニブチっっていう。うちの婚姻マリッジ相手だ。変なヤツだけど真面目で有能で綺麗な女だ」


 そのまま左手を振り、一年のときに部室で写した写真を表示させる。今高等部に進級した先輩や、シャー・ユイほか同輩の部員たちにまじってまだみつあみだったサラン、伊達メガネをかけておらず頭の高い位置でポニーテールにしている張り詰めた表情のジュリがいる。そしてウェーブのかかった髪を背にたらし挑むような挑発するような視線でカメラのこちら側を見返すシモクツチカも。


「ポニーテールにしてるのが一年の時のワニブチだ、綺麗さが分かりやすくなるだろ? その隣にやたら目力の強い、美人だけどみるからにわがままそうで絶対クソ生意気だなコイツってのが一目でわかる女がいるはずだ」

「お、おう」


 あれ、ちょっと待てこの人どこかで――……と、フカガワミコトはつぶやく。きっと六月末に迷い込んだ不思議な街で出会った印象的な行きずりの少女とそっくりなことを思い出しているのだろう。

 それを遮るようにサランは続けた。


「そいつの名前がシモクツチカ。シモクインダストリアルのお嬢様でこの写真を撮った数か月後に大スキャンダルやらかして退学になった不良ワルキューレ。で、こいつがお前が知りたがってたゴシップガール。――レディハンマーヘッドの正体だ」

「……、え?」


 サランへの嫌悪と憤りを吹き飛ばしてしまったらしいフカガワミコトは、素直に驚いたという顔をサランへ向ける。軽く混乱しているらしく、目をぱちくりさせていた。


「え、ちょ、待てって。シモクって本当にあのシモクインダストリアル? そのお嬢様? が、なんでゴシップガール……っ? え、はいぃっ?」


 二年の二学期から編入してきたフカガワミコトには消化しきれない情報の集積に混乱を隠さない。眠ったノコを背負ったまま、サランの方を向く。

 サランはその前にずいと迫った。

 フカガワミコトはノコを背負っているため、やや前かがみになっている。身長の順で並べば必ず一番か二番、よくて三番なサランと顔が近くなる。

 

 情報の整理に戸惑っているフカガワミコトの顔をサランは至近距離で見上げる。


「あのな、フカガワ。うちの目的はさっき言ったワニブチをこんなわけのわからないムチャクチャな任務から外させたいだけ。もっと言えば、キタノカタさんの考えた、この作戦を御破算にしたいだけだ」

「お、おう」


 サランの名子役顔で真剣に迫られて、自分の質問を後回しにしてしまっている。こういうところがこの学園に集った様々な少女たちに付け入る隙を与えることにあっているのだろう、とサランは頭の片隅で分析する。


「うちの推測では、シモクのゴシップガール活動とキタノカタさんの妙な作戦、それからなんでお前がこの世界でたった一人の男子のワルキューレをやるハメになってるのかは何かしら関係がある。それを知ってるのはシモクとキタノカタさん、二人だけだ。二人だけがそのを共有してる。うちらにはその全容がわからない。なぜならうちらはの為に必要なパーツだからだ」

 

 初めて耳にする情報にさらされて混乱ぎみの少年がどこまで把握できたかはわからない。それでもなにかしら心当たりはあったのだろう。少年は神妙な顔つきになり、確認を求めた。


「『ハーレムリポート』っていう妙な物語の登場人物に仕立てあげられてるってことで正解か?」

「まあ正解。物語の登場人物は作者と同じ視点からはものを見られない――お前、嘘は下手だけど頭は悪く無いよな」


 ヒヒ~とサランは笑うと、ちょっと決まり悪そうに視線をそらした。女子に目の前で笑顔を向けられるとちょっとソワソワするらしい。たとえサランのようなちんちくりんの女子であっても。

 そこでサランはもう一度表情を真剣なものにする。


「で、だ。今、シモクのバカはキタノカタさんの一手がきいて沈黙中だ。このままいくと時間切れでキタノカタさんの手が決まってあの作戦が決行される。うちは、それが困る。とりあえず状況の打開のためにはとりあえずシモクのバカに次の手を打たせるしかない。――それにはこっちがあのお嬢を挑発してやるのがてっとり早い。アイツ煽ると面白いくらい食いついてくるからな」

「――……、おいおい。お前、なんのつもりだ?」


 背伸びをしたサランがフカガワミコトのほおに両手を添えている。ノコをおぶっているフカガワミコトは両手がふさがっているのでサランのされるままになるしかない。

 ふーっと深呼吸したあと、決してふざけてない、という意志表示のために終始真面目な顔つきでサランはつづけた。


「いいか、フカガワ。これは演技だ、仕込みだ、お芝居だ」

「ちょ、ちょっとまて、おいっ」

「トヨタマさんは絶対ガチ切れるだろうけど、うちも一緒に怒られる。峰打ちでもなんでもくらってやる。場合によっては胴体だって斬られてやる」

「いや、だから――やめろって、そこまでする必要ねえだろっ。お前が好きなの、文芸部の部長なんだろっ? こういうことは好きなやつと――」


 両手を振り払おうとして顔を左右に振るフカガワミコトを許さず、サランは尋ねた。


「フカガワはトヨタマさんともう済ませたか?」

「――っ、バッ、なっ、そんなことお前にいう必要……っ!」


 嘘が下手な少年は、顔を赤くすることで真実を露呈させてしまう。どういう関係でいるのかはわからないが、それなりに距離は詰めている。サランは判断する。

 自分が初めてではなさそうなことにとりあえずはほっとして。ぐいっと少年の逃げられない顔をこちらに近づけた。


 サランは背伸びをして、顔に両手を添えて固く閉じられた唇にそっと自分の唇を重ねる。体裁を整えるために目も閉じる。

 唇が触れ合ってる時間、フカガワミコトは唇をひき結んでいる。その固さに猛烈な罪悪感を覚え、少年の頰からこめかみへ向けて手を斜め上に滑らせた。少し伸びてきた短い黒髪をすくようにして頭を撫でる。伝わるわけが無いと分かっていても、詫びを形にしたかった。


 時間にするとほんの十秒そこそこか、目を開いて頭を撫でていた手を離す。そのとたん、はじかれたようにフカガワミコトは飛び退った。暗闇でもそれとわかるぐらいに顔が赤い。ちょ、おまえ、本当に、何考えて――……等、混乱して何かを喚き散らすフカガワミコトをその場において、サランは声を張り上げた。


「ゲルラ先輩っ、フカガワミコトとサメジマサランちゃんの密会現場は撮れましたかぁっ?」

「――はい、そりゃあもちろんバッチリでさァ」


 逢魔時の薄暗がりに、チンピラめいた口調が響いた。


 ガサガサとしげみを揺らせながら、ぬるりとした雰囲気の高等部生が現れた。その出現が妖怪か幽霊じみていたせいか、フカガワミコトが奇声をあげている。そんな少年をその場に残し、必要もないのにわざわざ望遠レンズつきのカメラを表示させているパトリシア・ニルダ・ゲルラのもとにサランは駆け寄った。


「一応写真チェックさせてもらいますようっ! せめて写りのいいのを選びたいっ」

「おンやァ、わざわざスキャンダルしこみなさる食えない元副部長さんにしちゃあ乙女じみた発言で」


 面白がるパトリシアが表示する画像一覧から、メイド服姿の自分がいちばんそれなりに可憐で可愛らしく見える一枚をチェックして適当な一枚を選ぶ。その間に顔に赤い痣のあるゴシップ誌の記者は、事態の把握が追いつかないフカガワミコトの前にスタスタ歩んでニイと笑い、名刺を表示します。


「お初にお目にかかりやす。あーしはこういうもんでして」

「ああどうも……って、ええこらおい、ちょっ、どういうつもりだサメジマぁっ!」


 今度は怒りで顔を赤くしたフカガワミコトはパトリシアに指をつきつけてがなりたてた。


「この人あのゲスいゴシップ新聞の記者じゃねえかっ! 俺はな四月にここの新聞が好き勝手書きやがったせいでだなあ……っ」

「しかたねえだろう、文化部棟は拡張現実込みで閉鎖されてんだ。学園の外にまでストーリーを発信してバズるくらい拡散させるには専用サーバー持ってて外部読者抱えてる新聞部さんの協力仰ぐしかねえよう」

「ウチが取り扱うのは可愛く素敵なワルキューレ達のゴシップに限定してやすんでねェ、一般読者さんがお読みになっても問題ありやせん。おかげで定期購読者数は部内イチでさァ」


 ニィィと笑いながらパトリシアは親指と人差し指でマルを作ってみせる(というわけで新聞部内でそれなりの地位を保っていられるわけだ)。


「シモクは『夕刊パシフィック』とは悶着あったからな、目は通してる可能性は高いしコケにされたらまず間違いなく何かしら反応寄越す筈だ。状況打開するにはとりあえずそうするしかねえ」

「そ、そんなことないだろっ? 何か他にもっと穏便な……っ」

「じゃあその穏便な策っての、お前は提案することができるのかっ? あるなら教えろ。今すぐそっちを採用してやる」

「――……」


 諸々の真実を今日しったばかりの少年にそんなことができるはずが無い。沈黙している間にサランは、ほい、とベストな一枚を選んでパトリシアに手渡す。それをニヤァとした笑顔で受け取ったゴシップ誌の記者は背を伸ばす。


「ンじゃあ、あーしはこれから作業にかからせていただきやすんで。――さーて今日は徹夜だ徹夜」

「頼んます。明日の一面期待してますんでぇ~」


 去ろうとするパトリシアにわざとらしい営業用の子訳らしい笑顔を満面に浮かべてヒラヒラと手を振る。しかし立ち去る前に最後にこういうのを忘れないのがこの食虫植物めいた雰囲気をもつ上級生なのだった。


「徹夜作業にゃあメジロの奴も手伝わしてやりやようかねェ?」

「――ははははは……」

「冗談でさァ。傍に乳尻ぷりぷりした可愛い後輩が応援してくれりゃぁあ仕事に熱が入るのは確かだが、火急の仕事にあいつはまるで役に立ちゃしねェ。――それにようやくリリイちゃんとも仲直りできたみてえだ。可愛い二人をいちゃつく様子を眺めながら新進気鋭のアイドルに関するゴシップの芽を育てるのもまた一興」


 一層物騒な冗談を囁いてからニヤァと笑い、それじゃああーしはこれで、と言い残して去ってゆく。ぬるりとした雰囲気の上級生はすぐさま薄暗がりに溶けて見えなくなる。

 

 星が瞬きだした亜熱帯の島の小道で、サランとフカガワミコトは今度こそ二人きりで残される。ノコは深く寝入って目覚めない。

 ざざん、ざざん、とかすかな潮騒がここまで響く。


 こいつにはとにかく一言モノ申さねば気が済まない、という強すぎる意志を感じさせる眼差しを、フカガワミコトはサランに放った。

 

「――、さーて、うちはそろそろ戻るかな……」


 きっと先輩が心配なさってるころだよう……と、うそぶきながら泰山木マグノリアハイツへと回れ右をするサランに向けて、強くはっきりした声で少年は告げる。


「サメジマ。――俺は正直まだことの次第がつかみきれてないし、俺が本当に知りたいことを知るためにはお前と足並みそろえなきゃならねえんだろうなって事情は、まあ、呑み込むことにする」

「そっか。……ありがとな」

「二人きりのときにキタノカタさんが何したのかも、お茶会までには教える」

「悪いな。――お前そういう所いいヤツだな」


 振り向いてヒヒ~っと笑って見せたところで、眉と眦を吊り上げた少年ははっきりきっぱりと必要以上に大きな声で宣言した。


「だけど、俺はお前が本当に大嫌いだ!」


 そう言い捨てて、ノコを背負ったまま校舎の方へとずんずんと砂利道をふみしめながら歩き去る。


 その背に向けて、サランは手を振り、その後ではーっとため息を吐き泰山木マグノリアハイツ向かった。

 帰還が遅くなった理由を報告すればきっと、演劇部の女帝は喜んでくださるだろう。それのみが救いだ。

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