#35 ゴシップガールは孤独な月の女王

 潮の満ち引き、珊瑚の産卵。

 満月の光はこの島に住まう生物に何かしら影響を与える。それは科学で説明がつくものであり、なんら不思議でもありはしない。

 ではこの学園島、満月の夜に泰山木マグノリアの樹の下で永久の友愛を誓い合いながらリングを交換したワルキューレたちに悪戯好きな女神が姿を現し一時の幻や奇跡をみせるのも何かしら合理的な説明のつくものなのか――。

 そして女神の加護を受けた少女たちの絆が来世まで続く確かなものになることも、地上の定理に沿うものなのか――。



 もともとあったリングの交換という習慣と、泰山木マグノリアの樹とそこにすむ女神という少女趣味な存在を付け足したのはシャー・ユイが『演劇部通信』で発表した掌編が基になっている。

 シャー・ユイ自身が泰山木マグノリアの女神と満月というシチュエーションを気に入ったのか数作で使いまわしたことも拍車をかけ、二年足らずで「満月の夜に泰山木マグノリアの樹の下でリングを交換するとその絆は永遠のものになる」という伝説はまるでこの学園の創立時がら語られ続けていたかのようにある種の風格を漂わせながら太平洋校の候補生たちの間に伝播するようになっていた。


 つまり、候補生たちに非常に愛されている伝説なわけだ。

 まして、中秋の名月ともなれば、である。

 

「――」


 約束の時間通りにやってきたジュリは、自分の右手からリングを抜き取る。なんの感慨も無さそうに無造作に。それどころか、未だどういう顔をしていいのか決めあぐねているサランに向けてせかすような口までたたく。


「お前もさっさと外せ。後がつかえてるぞ。さっき見ただけでも最低でも十組ぐらいは並んでいた」

「――お、おう」


 落ち着いて設定作業を進めるジュリに引っ張られる形でサランも自分のリングの設定を婚姻マリッジ用に整える。バタバタと事務的に作業を終えてから、声もそろわないままにうろ覚えの請願文を唱えた。


「『固き友愛、永久の絆、再び一つとなった戦乙女の魂を、かの地にて我らを見守りし泰山木マグノリアの女神に捧げん』……で、よかったっけ? つか、婚約エンゲージの時の請願文と一緒でいいんだっけ?」

「僕が知るか、そんなこと。そういうことは誘った方が前もって調べておくもんだぞ、サメジマ。段取りが悪いな」


 何をぅ? と思わず言い返そうとした瞬間、自分の右手薬指から抜き取ったリングの上に白猫のコンシェルジュキャラクターが立ち上がり、見知らぬ候補生の声であと30秒だと告げるたものだからサランは焦った。


「やべ! 延長料金とられる。早く嵌めろ嵌めろっ」

「延長料金……話には聞いていたが本当に阿漕だな」


 まずはサランの左手をとり薬指にリングを通す、そして次はジュリがサランの左手薬指にリングを。時間に追われながら最終設定を済ませて二人は泰山木マグノリアの樹の下から去った。すると即座に新たな二人の候補生が木の下に滑り込む。

 かくして、太平洋校ワルキューレの胸を焦がすリング交換の儀はあわただしく過ぎてしまった。指定されていた五分間にすべての式次第を終わらせられたことに安堵したサランは、ジュリとならんで歩きつつふーっと息を吐いたあと、ハタと気が付いて足を止めた。


 ――なんだこの、風情も情緒もへったくれもない婚姻マリッジの儀は?


「どうした、サメジマ? そんな所で立ち止まったら邪魔になるぞ」

「――いや、なんかこう――これでいいのかって気になって……っ!」


 左手薬指になじまないリングの感触があるというのに、なりゆきでジュリとリングを交換する羽目になった婚約エンゲージ時の数十分の一にまで下がった緊張と落ち着かなさにサランは戸惑った。それよりも決められた時間内に儀式を全部終えられてただただ安堵しているだけの自分に戸惑いと、そんな自身の即物性に対して軽く失望を覚えたのだ。

 その思いを、立ち止まったサランは縷々と述べだす。 


「――あのなワニブチ、うちはこの日を迎えるにあたって結構緊張もしたし迷いも戸惑いもしたんだ。色々考えた末になんとか腹くくって、どうせやるなら、そりゃあもう恥ずかしいくらいベッタベタにロマンチックにしてやろうと思ったんだ、シャー・ユイの小説みたいに……っ! だのになんだあっ! 何が延長料金だこの野郎っ!」

「あまり大きい声出すなサメジマ。今、樹の下にいる人たちの迷惑になるぞ?」


 憎らしいほど冷静なジュリは自分に対して憤るサランの手をつかんで引き、移動を促す。


「リングの交換に興味なんてまるでなかったくせにわざわざ十五夜を指定してくるとは? と思ってメジロ妹に確認しておいて正解だった。この日の泰山木マグノリアの樹の独占権は相当な価格になるはずなのに。地下だとそれこそ給料の三か月分くらいにはなるんじゃないのか?」

「――っ」


 わかりづらい冗談を交えながらジュリはサランの無知と不手際をからかう。そうされても反論できないサランはふくれっ面でジュリに従った。



 満月の夜、泰山木マグノリアの樹の下に二人の絆が永久に続くことを祈れば女神がそれをかなえてくれる。そんな伝説がある以上、どうせなら太陰暦八月十五日の夜に――と、考えるものは東アジア出身の候補生たちが多くいる太平洋校では当たり前のことだった。

 どうしてもこの日にリングを交換したいという候補生たちが集中する。集中するということは樹の下にいる時間の奪い合いということになる。なんとしてでもその日にリングを交換したい、できれば泰山木マグノリアの樹の下から月がよく見える絶好の時間帯に――という強い気持ちを抱くものが複数いれば血みどろの争いも避けられないことになる。


 ――今まで自分が婚姻マリッジなる慣習に参加するとは思っていなかったサランは、そんな事情を全く知らなかった。

 何人かワルキューレたちはいるだろうが、まあ順番に並んで待てばいいか……と、弛緩した気持ちでいたところに冷や水をかけた者がいたのを幸運というべきか。たとえそれが陰険で凶暴で極道な後輩であったとしてもだ。


「先輩~、ワニブチ先輩から聞きましたよぉ~。十五夜の夜に泰山木マグノリアの木の下で婚姻マリッジすることになさったんですってぇ~。まずはおめでとうございまぁす」

「なんでリリ子がそのこと知ってんだようっ?」


 付箋紙の返信を届けた日の翌日、呼び出されて向かった体育館裏でリリイが普段通りの営業用の笑顔でとりあえず寿いでみせたあと、すぐさま暴力のプロのそれに切り替えた顔をグイっと近づけてすごんで見せたのだった。


「ワニブチ先輩がなぁ、心配なさっとったんじゃあ! 『サメジマがこのタイミングで泰山木マグノリアの木の下に呼び出してきたんだが大丈夫か?』ってのぉ。まさかと思おて調べてみたら案の定じゃ、予約も手続きも入れとらんってどういうこっちゃあ⁉ あァっ⁉ ……いやぁ~肝冷やさせてもらいましたでぇ。まさか十五夜の泰山木マグノリアの木の下に飛び込みで並ぶつもりじゃったとはのぉ~……」

「――え、そのつもりだったんだけど……、まずいの? つか予約だ手続きだなんだよう、それ?」


 ガツン、とリリイが傘の柄でサランの頭を軽く殴った。いつもの攻撃からすると威力は落ちていたが痛いものは痛い。そしてリリイの目にはあまり余裕がなかった。ふざけるな、という思いがギチギチにこもった眼でサランをねめつける。


「のう先輩……っ、笑えん冗談もその辺までじゃあ。先輩は学科はよお出来なさる方やぁ聞いとりますけど、そらあガセやったんかのお? 年に一回のお月さんが奇麗に見える日ぃの泰山木マグノリアの木の競争倍率が大体ナンボになるのかちいっと考えたらわかると思うんじゃがのぉ……っ」


 リリイの後ろに控えた卓ゲー研のメンバーまで、怯えるまでもなく心から同意だという表情で、うんうん、とうなずいた。皆一様にサランを非常識な生き物でもみるような目で見ている。

 

「まー、十五夜の泰山木マグノリアの木は分あたり円だと三ケタ、下手すりゃ四ケタって世界っすよ?」

「投機目的で予約入れやがるヤツもいっから二年後三年後の十五夜までギッチギチだっつうのに」

「飛び込みでぼーっと並んでたりしたら、フォークロア研究部のやつらにつまみだされちゃいますよ? 泰山木マグノリアの木は連中が仕切ってますし~」


 ――リリイ、および卓上ゲーム研究部の皆の言うことを総合するとこういうことになった。

 満月の夜にリングの交換を速やかに行いたいたければ分単位の予約が必要である。

 その窓口になっているのがフォークロア研究部であり、日時と時間によって決められた代金を支払う必要がある。

 そしてこれは一部の太平洋校の候補生の間では半ば常識であったということだ。


 極めつけは、ロマンチックな伝説がまつわるものと場所であればあるほどそこに発生する利権は大きくそれに群がるものがいるという事実である。現実はとかく世知辛い。この伝説を生み出すのに貢献したシャー・ユイの懐にはおそらく一銭も入っていないであろう事実にもサランは憤りを感じたが、もう十五夜まで日にちはないのである。今更そんな悪習に従う義理はないとゴネたって通らない頃なのである。

 ヤベエ……! と、事態を把握して顔を青くしたサランだがすぐに頭を切り替えた。サランとしては婚姻マリッジを済ませるのが第一なのだ、雰囲気は犠牲になっても仕方がない。


「んじゃあ日にちを改めることにするよう。六日の菖蒲十日の菊の理屈で満月以外の日じゃなきゃあ予約だ手続きだなんてそんなバカらしいもんはない筈だ――……っ痛だだだだだだっ!」


 さっきは傘の柄でサランを殴ったリリイが今度はいつものように石突で額につきつけてぐりぐりしてくる。普段は綺麗に澄んでいる白目が血走っている。


「十五夜の日ィっって一旦決めたんやったらやり遂げるゥ、そこは初志貫徹しんさいやぁ。わしはもうこれ以上待てんのんじゃあ~! 今まで散っ々人の顔に泥なすってくれましたんじゃけぇ、ええ加減安心させてもろおてもバチはあたらんのと違ういますかいのぉ~? あァ~ん?」

「んなこと言ったってお前さっき……っ痛い痛い痛いいだだだだだっ!」

「中秋の満月にリングの交換なんて先輩のお決めになったことにしてはロマンチックで素敵じゃないですかぁ。ですから私応援してるんですよぉ~? ――じゃけぇ前言撤回だけは勘弁してほしいんじゃああああっ。なんぼわしが辛抱強い言うても限界っちゅうもんがある言うとりませんかいのおぉっ?」

「だから話聞けって痛い痛い痛い痛ぇなぁもおおおおおおっっ、今からは無理だって言ったのおまえらだろおおおおっ⁉」

「安心しんさい。ちゃんと手ェ打っとりますけぇ」


 サランの額に日傘の石突をつきたてながらリリイは後ろを向いて顎をしゃくる。そこからにゅっと姿を現したのは、まだ包帯が解けないパールだ。メガネ型端末をかけたまま不敵に笑い、アニメ声でぼそぼそ囁きかけてみせた。


「あーえっと、『幸いフォー研の連中とはバド賭場で貸しがありましたさかい融通きかせてもらいましたわ。優待券ご使用やと五分間無料、一分延長につき時価の十割追加いうことで。――これでもだいぶ勉強させたりましたんで』って言ってますよぉ」


 ビビアナが不在のために後ろに控えた卓ゲー研の内一人がパールの言葉を伝えてみせる。それにあわせてパールは、ニッ、と、どこか勝ち誇った笑みを見せながらパールがサランの前で一枚のチケットを突きつける。

 パールはちらっとリリイを見やってからサランに視線を移し、オッドアイに演出した眼を細めて笑ってみせた。その口からサランにも聞き取れる音量まで引き上げられた言葉が漏れた。


「リリイちゃんたってのお願いやっちゅうのもありましたが、うちらも先輩とは仲ようやっていきたい思うとりますさかい、遠慮のうお納めください。――ほならこれからもよろしゅうに、サメジマ先輩」


 パールのオッドアイに演出された目がギリギリと、メジロ姓の二人と揉めた時には何かしら働きをしろ、緩衝材になれと条件をつきつけていた。念のために視線を移した先にいるリリイは当然にっこり微笑みながら受け取れと指示する。リリイとしてはサランがジュリとの仲を固めさえすればなんでもいいのだから自然そういうことになる。

 

 サランは口惜しさに歯噛みした。想像以上の悪事に手を染めているアウトローたちとは距離を取りたいが、乗りかかった船だ、今更予定変更もできるかというやけっぱちな気持ちもあった。そもそも自分の準備不足が悪いのである。

 断腸の思いでサランはパールからチケットを受け取る。


「すまねえな。恩に着るようっ」

「いえいえ、今後ともご贔屓に」 


 ご贔屓に~、とこういう時の団結力はいいらしい卓ゲー研の面々もパールのセリフに続いて唱和した。



 ――自身の下調べの甘さが原因とはいえ、法と規律に触れることを平気でやらかす無法者の手を借りて入手した時間と機会をこんな風に味も素っ気もなく使い果たしてしまったことが過ぎ去ってから悔やまれて仕方がない。ぶつくさ言いながら夜の中庭を歩く。

 せわしなくて、あの疎開任務そのものが撤回されること、それが撤回されないとなればジュリの武運長久を祈る時間がなかった。それが一番悔やまれてならない。たとえ、卓ゲー研の連中に負けず劣らずな銭ゲバ集団に牛耳られているジンクスとはいえだ。

 そんなサランへジュリは声をかけた。


「それでどうだ? 門限破った罰の訓練の様子は。毎朝早くから大変だな」


 ひと夏直接言葉を交わさなかったのが嘘のような、何気ない調子で。

 だからサランもその調子にあわせて返す。


「まったくだよう……日の出とともに起こされて延々その辺走りまわされるわ、基礎訓練ばっかさせられるわ、そのお陰で昼間眠ってしかたねえ。学科でいねむりしちまうし。このままいくと順位落としちまうよう」

「じゃあサメジマ、このまま帰って寝るか。明日も早いんだろう?」


 中庭を囲む校舎の外に出て、二人はビーチへ向かう道に出る。海に背を向けて緩やかな坂を上りながら歩けばそのまま寮へ向かうことになる。

 隣のジュリを見れば特に感慨も無さそうな表情で、それでも足を止めて身長の低いサランを見下ろしていた。

 お前はどうする? と、言いたげな表情だ。それを見上げてサランは無性に癪に障る。それが顔に出てしまい、むっと膨れた顔を慌ててそむけた。これはちょっと、いくらなんでも、振舞いが幼すぎる――。

 と思ってはいても、結局いつものごとく衝動の赴くままに子供っぽい不機嫌な行動に出てしまうのだ。


「ワニブチはどうしたいんだよう?」


 顔を背けてむすっとふくれたまま吐き捨てるサランを見て、ジュリは噴き出し、明るく笑ったのちにこう答える。


「そうだな。せっかくの十五夜だからこのまま寝るのは惜しいな。――ビーチまで行ってみるか。そこで月見と洒落込むとしよう」

「洒落込むって、お前また年寄くさい言い回し仕入れたもんだな。格好いいと思ってんのかもしれないけれど、そういう不自然な言葉遣いしてるの、後から思い出して絶対後悔することになるからな」


 サランの憎まれ口に笑い声で答えて、ジュリは先に歩き出した。 

 いつもの道から海を臨めば、ちょうど道の真正面に満月があった。煌々と輝き浮かぶ満月は、海の水面に光でできた道を生み出している。


 自分より先にビーチへ向けて緩やかな坂を下りだしたジュリは満月へ向けて歩く形になり、それを見てサランの足が止まる。

 色素がやや薄いため、自然と茶色がかっているジュリの髪が月光でより明るく輝いている。まだ制服を着ている細身の体の縁も明瞭に浮かび上がって見えた。

 

 特級相当の能力を持つツチカと常に一緒にいたジュリのワルキューレとしての身体能力が自分とは比較にならないほど上にあることはいやほど理解しているサランであっても、胸がつまるほど華奢な体だった。無駄なく筋肉のついている、ただ細身なだけの体ではないのはわかっていても、そのまま羽衣でもまとってふわりと空に浮かび上がりそうなほど見た目は軽やかに儚く見える。


 そういえば旧暦八月十五日といえば竹から生まれたお姫様が月に帰った日でもあった。


「――? どうしたサメジマ」


 とりとめもない空想に憑りつかれて足が止まったサランがついてこないのを不審に思ったのだろう、ジュリが振り向く。首の角度のお陰で伊達メガネに隠されない端正な横顔が一瞬あらわになる。

 息を飲んだけれど、でもそれはほんの一瞬で、サランに視線を据えたジュリはさりげなく指で伊達メガネの位置を直した。それでとりとめもないイメージの連鎖から解き放たれた。

 だからわざと、以前のようにヒヒィ~と笑ってジュリの後をついて歩く。


「いや、お前が十五夜の月に攫われそうに見えたんだよう」

「それを言うなら〝桜に攫われる″だろう。それにそういった魔性の類に魅入られるのは線が細くて若い男だ。お前も人のことを言えないな、どこでそんな古い言い回しを拾ってくるんだ」


 遠回りに奇麗だと褒められたことに気づいたのだろう、ジュリはそうやって露骨に話を脱線させながら足早に歩きだした。照れくさかったらしい。さっきされた軽い意地悪の仕返しをしたくなったサランはそのままヒヒィっと笑ってついて歩く。


「月は綺麗な女を攫うんだよう、きっと。なんたってかぐや姫の帰っていったところだし。今日はちょうどそんな日だし」

「――、ふん。アレだな。サメジマ」


 まだ照れくさいのか、歩くテンポを少しあげて振り向かずにジュリはつぶやくように言う。


「しばらく会わないうちに、お前もなかなかこまっしゃくれたことを言うようになったな。――メジロ姉との付き合いで口八丁のレベルでも上げたのか?」

 

 最後に振り向いたジュリは伊達メガネ越しにニヤッと目を細め、からかうように言ってのける。サランへの意趣返しだったのは、サランが言葉を失って立ちすくんでいる間にはじけるように笑いだしたところから明らかだった。


「何だお前、その顔……! 僕にバレてないと思ってたのか……っ⁉ 残念だったな。夏休み中に突然メジロ姉がぼんやりしてるかと思えば急にニヤニヤして浮かれ出すし、反対にメジロ妹が不機嫌になって僕にお前から目を離すなとツケツケ言い出すし、どうにも様子がおかしくなったんだ。よくよく考えたらそれがお前がトヨタマさんに峰打ちくらった日で、あの後メジロ姉にお前が医務室に運ばれたところまで目撃証言があったとあれば、まあ、大体はピンとは来るさ」

「――っちょ、まっ、な……っ⁉」

「そりゃあゴシップの取り扱いに関してはゲルラ先輩に一日の長があるのはいなめないが、僕もツチカの傍らで上流階級の方々の人間関係には注意してきたんだ。痴情めいた関係にはそれなりに鼻も利くさ」

「ちっ……痴情言うなっ、馬鹿っ! くそっ! こらぁっ、ワニブチぃぃぃっ!」


 猫がそうするようにボブの髪を膨らませて怒るサランが走り出す寸前に、ジュリは笑いながら坂道を一気に駆け下りる。地味な文系女子を装っているが身体能力は学年トップクラスのジュリが奇麗なフォームで坂を駆け下りる。あははは……と、珍しくはしゃいて軽やかに駆け下りるその走りに、坂道であってもサランは追いつけない。くそお、だの、待てぇ、だの、わめいて息を切らしながら、そのうちサランも無意味に愉快になって笑いながら坂を下った。その向こうのビーチからは潮騒が聞こえる。坂を駆け下りる体に加速がつくほど、潮の香と波の音は大きくなる。



 泰山木マグノリアの樹であの有様だったのだから、ビーチもそれなりに人がいるのではないか。永遠の友愛を誓い合った候補生たちが集まって気まずいことになってるのではないか。

 実はそんなことを心配していたサランだったが、杞憂に終わったようだった。


 ビーチには様々な器具や調査票、様々な器具を手にした候補生たちのグループがすでにいた。聞けば海洋生物研究部だという。

 砂浜に迷い込んできた二人をじろっと見て、きつい口調でつっぱねる。


「ビーチは今私たちが借り切っていいます。この浜にいる生物の満月の様子を観察しておりますので。いちゃつくのならどうぞ別の場所で」


 息を切らしている上に、いちゃつく、というワードにダメージを食らってしまったサランとは違ってジュリは冷静だった。憎らしいことに息も切らしていない。


「ちょっと月を見て話をしたいだけだ。そちらの邪魔はしない」

「本当ですか? ――お話以上のことをすると追い出しますので」


 海洋生物研究部の候補生は二人を軽く睨んでから、くるりと背を向けて波打ち際へ歩いて行った。二人が渦中の文芸部部長とフカガワハーレムの地味娘だと気づいたかどうかは不明だが、まったく興味をもっていないことは明らかだ。


 ベンチ代わりにしている流木の上にジュリより先に腰をおろして息を整えるサランの隣に、ジュリは腰を下ろした。二人してサンゴの産卵の様子を記録している海洋生物研究部員たちがいる波打ち際を眺める。


 ――どうしてこう、自分がやることなすことはなにもかもしまらないのか、と、息が整ったサランが考えだした頃にジュリがぽつんと呟いた。


「ありがとう、残暑見舞い」

「あ、ああ。無事届いたんだ。こんな所まで。なんか感動するな」


 めったに利用しないアナログな通信手段の成果に思わず気分が高揚するのと同時に、どうにも迂遠な話題から話を切りだしたジュリの態度にサランはかえって緊張する。なぜにジュリはそんなところから話を始めたのかと軽く隣を見る。隣に座っているのだから、サランには当然ジュリの横顔がよく見える。伊達メガネの影響をあまりうけない端正な横顔が月光に照らされた。

 海を見つめたまま、ジュリは長い脚を前に伸ばし夏休み中の出来事について尋ねる。


「甲種が出たのは残暑見舞いを出した後か? そのことに一切触れてなかったが」

「ああ。ちょうどポストに投函した直後で。――いやもう、あれは本当にびっくりしたよう。知ってるかどうかしらないけど、うちの地元は向こう百年侵略者は出ないって太鼓判押されてたところだから余計に。それに、それに……」


 文化部棟にいたころの調子が戻りかけていたのに、サランの舌が引っかかった。あの夏の日にサンオミユのワンドに乗ってやってきたツチカの姿を思い出すとどうしても口が重たくなる。

 本来なら持ち主しか使えないはずのワンドをを使用しながら、侵略者退治に貢献してみせたシモクツチカ。

 それでいて、目的の見えないゴシップガール活動にジュリを巻き込んで居直っているわがまま勝手な不良娘。


 やっぱりサランの胸の内は、ツチカのことを思い出すとざわざわととどろくようにできているのだ。静かに夜の海と月を眺めているジュリの横顔を見ていると余計に。その感情が、つま先で無意味に砂浜をほじくるという行為に現れる。

 そこからサランの心情を読んだのか、ジュリが言葉を継いだ。膝の上に肘をつき手のひらでかたちのよい顎を支える。


「ツチカがそっちに行ったんだってな」

「――知ってたのかよう」

「本人から直接聞いた。この前の出撃での門限破りもツチカが原因か?」

「訊くなんて嫌味なことするんじゃないよう。どうせそれもシモクから連絡があったくせに」


 むくれたサランに、いや、とジュリは首をふってみせた。


「お前が規則をやぶるだなんて無駄で面倒なことをするときは予測不能なことが起きたか、他人に舐めてかかられて逆上してる時ぐらいしかない。行方不明になっていたフカガワミコトと遭遇するのと匹敵するほどの異常事態に遭遇したと考えるより、ツチカとまた出くわしたと考えた方が自然だろう。――ツチカはまだ九十九市にるんだな」


 そうか……と、ジュリはつぶやいた。その目が一瞬満月を見上げる。

 餅つきをするウサギ、カニ、美人の横顔、いろんなものに喩えられる月のクレーターがくっきり見える満月。


「ツチカは全然連絡を寄こさない」


 あれから、とは『ハーレムリポート』で情報を漏洩して大規模の炎上を引き起こしたときのことを指すのだろう。

 レディハンマーヘッドを名乗るゴシップガールは文芸部部長のワニブチジュリだと信じている者が少なくない太平洋校内で、かつての主人に罪をかぶせられるような真似をされているにもかかわらずジュリの声は淡々としている。それにサランはむしゃくしゃしてしまう。


「お前に合わせる顔がねえんじゃねえの?」

「それはないな。ツチカは自分に反省すべきことがあるときは謝りたそうな雰囲気をこれ見よがしに出してくる。そのくせ自分から頭は下げない。誰かがアクションしてやるまで謝れないんだ」


 あくまで事実をのみを述べるようにジュリは答えた。


「今回の沈黙はそれじゃない。ゲームは続行、待機の指示だ。キタノカタさんの一手を受けて長考に入ったってところだろうな。そろそろ次の手を指してくれなければ困るが。僕は盤の外に飛ばされてしまう。そうなるともう、どうすることもできない」


 腰の後ろに手をついて、ジュリは伸ばした足をピンと伸ばして砂浜から浮き上がらせた。そうして上半身をやや斜めに傾ける。そうして月の輝く夜空を見上げた。

 その視界に自分が入っていないことがサランは気にかかる。

 危険な任務に就かされることを〝盤の外に飛ばされる″など、まるで人ごとのようにジュリが表するのも気になった。

 もうツチカの侍女ではないのにどうして未だ駒か何かのように自身を語るのだ、と、サランはどうしたってむしゃくしゃしてしまう。


 だというのに、サランの脳裏には先日あったツチカの様子が浮かび、わんわんといらだった声が鳴り響く。九十九タワーの鉄骨の上、メンソール煙草の匂いをさせながらツチカからサランへいらだちの混ざった反論が。


――珠里があたしと何年一緒にいたと思ってんの? 分かってるから、自分が疎開任務への出撃命令が出たのは北ノ方さんがあたしをリングの上に引っ張り上げるためだってこと、あの子はちゃんと分かってるんだから。

――ねえ、珠里ジュリが嫌だって言った? あんたに助けてって言った? そうじゃないよね? あの子は自分のやるべきことがどういうことかわかってるもん。だのに何あんた勝手に怒ってんの? 珠里のこと可哀想な子扱いして何キレてんの? バカなの?


 自分を駒のように語るジュリの言葉は、ツチカのとがった声をの内容が正しいことを何より証明するものだった。そしてジュリは自分がツチカの意をくみながらどう動くべきなのかを把握し、納得済みでこうどうしていることがサランにだってわかる。

 ツチカのもたらす沈黙の種類を分析してみせたジュリの態度で、サランはそれを痛感させられる。二人が令嬢とその侍女として過ごした年月の深さを感じさせずにはいられなかったせいだ。


 それはサランが迂闊に立ち入れない類のものだ。


 ざざん、と潮騒が大きく響いた。波打ち際にいる海洋生物研究部員たちがはしゃいだ声をあげた。テンポを乱した大波がくるぶしあたりまで濡らしていったのだ。

 背中をそらせるジュリとは反対に、サランは自分の膝の上で頬杖をつく。きゃあきゃあとはしゃぐ他部の候補生たちをなんとなく視界にいれながら、ふと呟いた。


「うちのそばにいる女はみんな、平気でその場にいない女の話をする」


 ぶはっ、と、隣でジュリが噴き出してバランスをとって浮かせていた足をパタンと砂浜の上におろした。睨むようにサランは頬杖をついたまま面白そうな顔つきになって自分の方を覗き込むジュリを横目で見る。


「――うちはお前とシモクがいたような階級の人間じゃないんだ。うちまわりの人間関係探ったって、他人の人間関係に興味津々な下世話な奴って評判立つだけでいいことないぞ?」

「構わないさ。僕も年頃というやつだから他人の色恋にはどうしたって興味が湧く。ましてそれが日ごろ恋愛なんて嫌いだと公言して憚らなかったお前の話となれば、だ」


 ジュリも膝の上に方肘をついて、サランに顔を向けながら完全に話を聞く態勢に入った。形よい眼を好奇心で輝かせている。その顔つきを唇を尖らせたままじっと見つめながら、サランはいつかの部室のことを思い出した。部室で初めて感情を爆発させてタイガの気の多い体質を暴露したリリイの話にジュリはかなり食いついてみせたものだった。

 こういう表情だと本人が自己申告した通り十四、五の、年相応の女子の表情になる。侍女時代の張り詰めた表情も、文芸部部長として硬派な文系女子らしき謎のキャラを演じている時の超然とした佇まいも消える。


 自分の周囲の惚れた腫れたの話についつい好奇心がかきたてられてしまう、これはワニブチジュリの持って生まれた性質なのか。伊達メガネごしにニマニマ笑っているジュリの顔を見つめてサランは考える。

 シモクツチカの侍女になることなく、昭和平成の風情を残した工業地帯の下町で家族とともに育ったなら、誰と誰が付き合ってるだの別れたのといったうわさ話に直に目を輝かせてはしゃぐ女子に育っていたのかもしれない。サランがかつて頭突きで床に沈めた同級生の女子のように。

 そうなればきっと、今こうして渚で満月を見上げることも、リングを交換することもなかっただろう。


 ――どういうめぐり合わせで今ここにこうしているのか、と、そんな風に思考は一瞬流れたせいなのか、一瞬、満月で明るい夜の空に落ちてゆきそうな浮遊感に全身が襲われる。

 不意に恐ろしくなって頭を振り、ぎゅっと全身に力を込めた。そうすることで地上に自分を縫い留める。運命だの縁だの二人が今ここにいる確率だの、そんな途方もないことは今考えたくない。 

 泰山木マグノリアの樹の下では覚悟できていた情緒と雰囲気だけれども、その身構えから解放されていた今ここでそれに攫われるのはどうしたって恐ろしい。

 だからサランはわざとぶっきらぼうな口調で喋る。下品で下世話な打ち明け話になるように。


「とにかく、だ。うちとリングを交換して永久に続く絆ってやつを誓ったばっかだっつううのにお前はシモクの話ばっかりするし、トラ子はトラ子でうちとやりながらリリ子の心配ばっかりする。どいつもこいつも微妙に失礼なんだよう、そろいもそろって」


 どいつもこいつも、そろいもそろって――。

 よくよく考えてみれば、失恋でやけになってなってるミカワカグラとノーカン扱いになったキスを交わしたのもこのビーチだったし、リリイにはメジロ姓の二人以外の人間にとっては薬効がありすぎて毒に等しい唾液を口移しで飲まされるし、周囲からの自分は決して良い扱いをされていないなととサランは今更気が付いて憮然としてしまう。タイガともカグラともましてリリイともパートナーになりたいという感情がまるでないとはいえ、これではなんだか体のいい性欲処理道具のようではないか。せめて人として尊重はされたい。


 ジュリの傍だから、夜空を見上げながらそんな情けない悩みも素直に口にできる。ほかの誰にも言いづらい、弱弱しい本音も。


「――ワニブチ、うち、お前と会わない間にすっかり変わっちまったぞ。男子三日遭わざればどころの話じゃないぞ、お前と部室にいたころとはもう全然別人だ。シモクの馬鹿が『ハーレムリポート』に出してから、ジンノヒョウエ先輩のペットになるし、トヨタマさんにしばかれるし、だれとも付き合う気がなかったのにトラ子となんかそんなことになってるし、リリ子に殺されかけるし、ヴァン・グゥエット先輩に髪も切られるし、地元じゃ甲種に遭遇するし、ミカワさんと友達になってるし、卓ゲー研のアウトローに姐さん呼ばわりされてるし、学科だけできる地味な低レアだったのに、今や門限破って朝帰りの問題児だ」

「改めて聞くとつくづく凄まじいな。たかだか二か月の間にお前の身辺に起きたことは」

 

 聞く態勢を取り続けているジュリはシンプルに答えた。言葉はそっけないが、目つきでサランの話に依然興味を持っていることはわかる。

 それにサランは安堵する。サランはずっと、このことをジュリと分け合いたかったのだから。これからもあまり変化はしないはずと思っていた自分の周囲が、特急列車の車窓のようにめまぐるしく変わりだした不安と戸惑いについて打ち明けたかったのはジュリだった。

 解決策もアドバイスも求めてはいない。ただ、こういうことやああいうことがおきた、こういうことについてなやんでるのだと、ジュリ相手に直接伝えたかった。あの文芸部で、お互いまずい雑なコーヒーを飲みながら。

 

 二か月足らずの間に文化部棟まで立ち入れなくなってしまったが、それでも今この瞬間だけあの放課後のような空気がよみがえる。部室でもなければ雑コーヒーの入ったカップもないけれど。


「なあ、ワニブチ。恋とか愛とかの感情がもてないと人はまともなヤツとして扱われないんだろうか?」

「詳しい状況がわからないなりに意見してみるが、お前が尊重されないのは性的指向じゃなく衝動的すぎるその性格が主な原因じゃないのか?」

「誰にもキューンとしないくせにエロいことには応じることはできるうちは人として欠陥品なんだろうか?」

「少なくともお前はメジロ姉妹の世話は焼いてるし、部に迷惑をかけもするがその分骨も折ってくれる。無鉄砲ではあっても義侠心はあるし、現に夏休み中甲種を倒すために出来る限りの手は打っていたじゃないか。倫理観がマス向きじゃなくて個性のきつい方ではあったとしても欠陥品なわけがない。大体人類はネジや部品じゃないんだからもっと規格のゆるいものでないと。そうでなければ少なくとも僕は困る」

 

 場の空気に甘えてぽろぽろと弱音をこぼしてしまうサランへ、ジュリは淡々と回答めいたものを律義に返し、そのあとやや柔らかい声で、いつのまにか膝を抱えていたサランへ笑いかける。


「何が『部室にいたころとは全然別人』だ、サメジマ。お前が今話していることは四月に部室でこぼしていたことと全く変わってないぞ。相変わらずお前はお前のままだ」


 それはこれだけ怒涛の経験を踏んだにも関わらず全く成長が見られないということではないか、とサランは反射的にむっとしかけたがすんでの所で引っ込める。ジュリが柔らかな声で、安心した、と付け足したからだ。

 泰山木マグノリアの樹の下で再会して以降、やっと緊張が解けたことをほのめかすようなそんな声だったから。

 サランをからかったりはしゃいで笑い声をあげながら坂を駆け下りたり、ここにくるまでのジュリの様子をサランは思いうかべる。ジュリの方もサランと二か月ぶりに会うことに変な具合に力を込めていたのだ。それに気づいて胸が暖まる。

 

――ああ、こいつのことがやっぱり好きだな。


 胸が痛むことがないまま、サランは意識する。

 押し寄せる多幸感が涙腺を刺激する気配を感じたので、慌ててサランは夜空を見上げた。いつもは降るような星空も満月のせいで星の輝きはやや眠たげだ。

 さっきジュリがしていたように、腰の後ろに両手をつき、両脚をそろえてぴんとのばしV字のバランスを取りながらサランは夜空を見上げた。


「お前の方はどうだったんだ、この二か月?」

「炎上の後始末に追われていただけだ。シャー・ユイを宥めたりメジロ姉妹のご機嫌をとったり、ユーラシア校の代表さんと商談を進めたり、キタノカタさんに呼び出されたり、残念だがお前ほど面白い毎日は過ごしていない」


 ――そうだった。

 よく知っていたことをわざわざ訊いてしまった決まり悪さから、サランは黙った。何より〝キタノカタさんに呼び出された″の一言が堪えた。

 ジュリはまたキタノカタマコに呼び出されていたのか。普段のようにたった一人で、あの生徒会長の冷たい視線に晒されていたのか。


 しばらくV字でバランスをとったまま、サランは意を決する。ワニブチ? と、極力何気なくなるように気を使って。

 ジュリはシンプルに、ん? と返事を寄こした。それに応じてサランは口を開いた。


「シモクはなんで『ハーレムリポート』なんてやってるんだ? どうしてキタノカタさんと仲が悪いんだ? 仲が悪いにしてもどうしてあんな面倒な形でしか殴り合いができないんだ? お前はもう侍女じゃないのにどうしてシモクに付き合ってるんだ? それに大体――」


 そこまで一息に尋ねるつもりはなかった。問い詰めるような真似はしたくなかった。しかし一度口を開くと訊きたいこと、知りたいことが矢継ぎ早にあふれてしまう。質問攻めに戸惑ったような表情をジュリが浮かべたお陰で、サランは踏みとどまることができた。

 

 シモクツチカは何者なのか? と尋ねる直前で。

 だのにジュリの方が、サランを先回りして確認する。


「〝ツチカは一体何者か″とか?」

「――」

「〝ワンド支給前に放校になったワルキューレなのにどうして他人のワンドを使えるのか″とか?」


 持ち上げていた両脚を、サランは降ろした。となりを見るとジュリは、伊達メガネごしに真剣な表情をしている。侍女としているときの張り詰めたものではないが、何かを打ち明けようとしている気配をは感じる。

 ジュリもきっとこのことを明かしたいのだ、サランになら共有してもいいと認めてくれているのだ。

 その視線からサランはそう判断する。だから、続けた。

 

「それだけじゃない。ワンドの力を解放するときに髪の色が変化した。――フカガワミコトのワンドみたいな白銀にだ。それって……」


 それでも、その先は口にできない。


 かつてなら超能力や霊能力、魔法だのなんだのと呼ばれていたであろう不思議な力を有するワルキューレではあるけれど、素体は人間の少女だ。今でもつくられるアニメの類のように外見まで変化する者はいない。せいぜい兵装転送時に髪型が変化する者がいる程度のことだろう。

 外世界から侵略者が飛来するこの世の中であっても、髪の色が変化する人間はフィクションにしかいないのと同じだ。もしこの世にいるとすれば、それは普通の人間ではないということになる。

 

 今の基準ではそれは侵略者ということになるはずだ。

 

 それは先月、ミカワカグラにかつてのビジョンとも一致する。トヨタマタツミをやりこめるツチカを見たキタノカタマコの「化け物め」という嫌悪に満ちた心の声と。

 

 ジュリはサランが何を言いとどまっているのかを読んだのだろう。しばらく間を置く。

 その視線の先には部活動にいそしんでいる他部の候補生たちがいる。ごく普通の大きさの声で会話をしていれば会話の内容を聞かれるはずのない距離だが、侍女としての習性からジュリは警戒しているようだった。ぐるりと辺り一帯を見回す。

 ツチカの正体はここで明かすのは難しい、そういうことなのだろう。サランにとってはそれだけで十分だった。


「シモクの正体について今答えられないならいいよう。別にワニブチを困らせたいわけじゃないから」

「事実のみを口にするが、ツチカが撞木の血を引いてることは確かだ。父上が僕に目のお化粧を勧めた方だってこともまぎれもない事実だ。本当によく似た父娘だからな、あれで血のつながりがないことを疑うのが難しい」


 ツチカの戸籍上の母親は元女優だ。美しい人だがその見た目にはツチカと共通する要素が一つもない。そしてツチカには直系の血筋であるにも関わらず頭首候補からあらかじめ外されている。そのことから出自に関して云々する声は以前からあった。どこの世界でも珍しくない類のゴシップだろうが、その母親が何者かであるかに関してはおそらく厳重に口が封じられている。


 サランの目の前でジュリが一旦、伊達メガネを外した。何が気になったのか、眼の間をほぐしてかけなおす。そうして間を置いてから、ジュリは月に目を据える。ビーチに来たときより高いところへ移動した月を見あげるジュリは、めずらしく膝を抱えるような姿勢をとる。背中を丸めているように見える格好をすることは、ジュリにしては珍しいことだった。


「――さっきのお前の質問に今答えられそうなのが、〝どうしてツチカに今でもつきあってるのか?″しかないんだ。それだけでも構わないか?」


 そりゃあもちろん。サランは答えて頷く。ジュリの視線は満月にある。


「僕はもともとツチカのパートナーになる予定だったんだ。二人で一つのワルキューレとして侵略者を派手に倒す。そしてシモクインダストリアル産のワンド製作技術をアピールする。そういう広告塔としての役割を期待されていたんだ。ちょうど今のルカン先輩とアクラ先輩みたいにだ。――馬鹿らしいだろう」

「まあ……バカバカしいっちゃバカバカしいけど、ヒロイン業やらアイドル業もワルキューレが第一世代の時からやってたことだから卑下することでもないよう」


 事実のみを告げてみたが、ジュリは自嘲するように笑った。


「ツチカはああいう規格外のヤツだから、生まれてすぐのうちから侵略者退治に従事しなければならないことは決まっていたらしい。本当はその時にはもうツチカとパートナーを組む相手も決定していたんだけれど、小さいくせにあの気性を発揮してパートナーは自分で決めると言い出した。で、ツチカじきじきに選ばれたのが五歳だった僕だ。――ツチカは小さいときから言ってたよ。本当はワルキューレになんてなりたくないし大嫌いだけど、ジュリがいれば我慢できる。ジュリがいれば怖いものなんてないって」

 

 そうまで言われたら頑張らなきゃならないだろう、とジュリはつぶやく。

 膝の上に置いた腕に一度顔を伏せたせいで、伊達メガネの位置がずれる。すぐに顔を起こしたジュリはすかさずその位置を直す。


「ツチカにとってもシモクの首脳陣にとっても計算外だったのは、僕の受けた教育のせいでツチカのパートナーとして不適格な存在になっていたことだろうな。僕はツチカの侍女にはなれたけれどパートナーにはなれなかった。ツチカの前か後ろに立てても隣には立てない。それに気が付いたから、僕からツチカに断りを入れたんだ。自分は侍女だからパートナーになれないって。ツチカの隣に立つワルキューレにはなれないって」


 それが一年の夏だった、とジュリは告げた。

 ツチカがスキャンダルを起こして退学、放校処分をくらったのはサランたちが一年だった時の二学期の途中だ。ジュリからパートナーになれないと告げられたあとの一~二か月あたりがジャクリーンと一緒に遊びまわっていた時期になるのだろう。

 その頃のことを思い出したように膝に顔をうずめるジュリを見ていると気が引けたがサランは尋ねた。


「なんで隣に立てなきゃダメなんだ。前や後ろに立つのとは何が違うんだ?」

。――これだけは私とツチカにしかわからない」


 私、とうっかり口にしてしまったせいか、それともサランをはねのけるようなことを言ってしまったせいか、ジュリは早口で打ち消そうとする。


「気を悪くしないでくれ、サメジマ。こればかりは感覚的なことで、説明が難しいんだ。とにかく僕じゃ求められた役割は果たせないことをツチカも理解せざるを得なかったから、かなり荒れたけれど最終的に承知してくれた。パートナーにはなれなくても、僕を侍女として留め置いてくれたまま一人で学園を去ったんだ」


 ふむ、とサランは唸った。

 ジュリの実家はシモクインダストリアルの下請け業者だ。ジュリがツチカの侍女をやっている恩恵を十二分に被っているという。侍女としての地位が維持されているのは大きいことだろう。しかも主が去ってもジュリは太平洋校に籍がありワルキューレ訓練を積みながら勉学も続けられている。

 ツチカのパートナーにならねばという義務をひどく感覚的な理由で蹴った侍女に対して、破格の好待遇であることはサランにも飲めた。その分、当のジュリにとっては却って負担だったのではないかということも。


 サランは空を見上げて記憶を掘り返す。


「確か――、お前が髪の毛を切ってメガネかけて、キャラを迷走しだしたのが去年の十月だったか。お前が文芸部の部長になって、フカガワミコトが学校にきて一月くらい経って、その前後に『ハーレムリポート』が始まった頃だ」


 なんの因果かワルキューレ因子を顕現させた世にも珍しい男子として二学期の開始と同時に島に放り込まれたフカガワミコトは、島に来て早々トヨタマタツミに出合い頭にぶつかった拍子に押し倒して馬乗りになるわ、なぜか知らないが更衣室に迷い込むわ、怒り狂って斬撃撃ちまくるトヨタマタツミから逃げ惑ううちに工廠にまぎれこんでノコを目覚めさせるわ――といった騒動を立て続けに起こしていたので否が応でも噂のまとになる。

 その噂をもとに、レディハンマーヘッドを名乗る匿名のゴシップガールが文化部専門の掲示板に『ハーレムリポート』を書き出したのがそのしばらくあと。

 それが読者を増やし、前世紀末の女子中高生のようにノートの切れ端に書き込まれた手紙を装ったたわいもないゴシップ文を配信しだしのがその暫くあと。いよいよ評判が呼び『ヴァルハラ通信』の連載を決まったのは二年の三学期。


 今までの経緯を整理して、サランは確認する。


「去年の二学期あたりにシモクのやつはお前に言ったとか? 鰐淵製作所の関係は維持したままお前を侍女の役から解放する。これからはお前のしたい恰好をして、なりたいものになればいい。そのかわり今から始めるプロジェクトに協力しろ、とかなんとか」

「――なんだお前、名探偵か」


 顔を膝に埋めたまま、茶化すようにジュリはつぶやく。概ね正解だということだろう。


「一応、ツチカの名誉のために断っておくが、あいつはお嬢様だけあって気前はいいから〝侍女の任をといてやるかわりに協力しろ″だなんてケチ臭いことは言わない。何も言わなくても僕は協力してくると踏んで、勝手にさっさとゴシップガール活動を始めだした。好きな格好をしてなんにでもなれと一方的に命令した後にだ」

「――結局お前が自分の計画に協力することを読んでるなら、ケチ臭いより悪質じゃないかよう、それ」


 サランは大いに憤慨するが、ジュリは膝から顔をあげてゆるく首を左右にふる。そしてずれたメガネを直すふりをして、額を支えた。


「そういう所だよ、僕がツチカの前か後ろに立てても隣には立てないというのは。ツチカの意図を組んで先回りして、望むように行動するのが習い性になっている。侍女じゃなかったら自分はどうなっていたんだろうと夢想することはあっても、いざ自由にしていいと言われれば悩んで身動きがとれなくなる。結局ツチカの言いなりで動くのが楽だって人間になっていたんだ。それじゃダメなんだよ、サメジマ。それじゃツチカは救ってやれない。あいつが望む大人なる手伝いをしてやれない」


 膝に肱をつき、頭をかかえるジュリは何かに打ちひしがれている。

 ツチカに対して自分がいかに無力であるかを、サランがそれを理解できるかどうかを構わず呟く。

 サランに分かるのは、ジュリがやむを得ない事情からツチカのパートナーになれないと判断したことに負い目を感じていること。ジュリの中ではそれをツチカを救うことにつながっていたこと。そしてそれはツチカ自身が望む大人なるのと同義であること。

 そしてなにより、ジュリとツチカの間には未だに強い縁の糸で結ばれているということだ。


 それを自分は断ち切るべきなのか、ジュリをツチカのわがままから本当の意味で解放して自由にするべきなんだろうか。サランは迷って臆した。


 仮にもさっき、婚姻マリッジという形で絆を結んだばかりなのだからその権利はあるはずだ。でも自分はそんなものはたわいもなく根拠もなく、銭ゲバ連中が群がる利権が発生するロマンチックなだけの習慣だと思い知らされたばかりだ。ワルキューレの共有する泰山木マグノリアの女神の加護にすがるには信心が足りなさすぎる。

 それではツチカとジュリの縁は切れない。


 そもそもサランもジュリとツチカの縁は切る必要は感じなかった。あの作成が棄却されてジュリの身の安全だけは保障されてほしいことは切に願うが、ジュリ自身がツチカを大人にしてやりたいという形でつながりを維持しておきたい告げているのだから。


 それを聞いてもサランの胸は痛まなかった。ジュリの心の一番大きな位置を占めているのがおそらくツチカだとわかっても拍子抜けするほどショックを受けなかった。

 代わりにあったのは喜びだ。ツチカが一人でおそらく今まで抱えていた思いをようやく吐露してくれた、その相手に自分を選んでくれたという嬉しさだ。

 また涙腺が緩みそうになったから、また空を見上げた。満月のせいで存在がどうしてもかすんでしまう星空を見上げる。


「ワニブチぃ」

「――何だ?」


 侍女としての精神修養の成果なのか、気持ちをもう立て直したらしいジュリが膝から顔をあげてメガネを掛けなおす気配がした。その声はいつものワニブチジュリだった。

 こういうことはどういう顔をして言ったらいいのか分からない、いかんせん初めてだから――という理由で、かすんだ星空をみあげたままサランは告げた。


「うちはお前が好きだぞ」


 ぶっ、と隣でジュリは噴き出していた。その風情のない反応がおかしくて、嬉しくて、サランはそのまま続けた。


「お前のことが好きだから、ずっと関係を切りたくない。高等部に行っても、卒業しても、できるならこうして一緒に話ができる仲でいたい。ワルキューレの友情が一生続くわけないじゃん、無理に決まってんじゃんってシモクのヤツがいいそうな関係をずっとずっと維持したい。で、今わの際にあいつにうちらの仲を見せつけて、ほえ面かかせてやりたい」

 

 隣でジュリがどんな表情をしているのか見るのが気恥ずかしくて、サランは空を見上げ続ける。ジュリはさっき噴き出したのにそのまま笑う様子はみせない。身動きでもしているのか、制服の衣擦れが聞こえる。

 空を見上げ続けて首が着かれ始めた頃、ジュリが呆れた声で呟いた。


「――サメジマ、お前も大概だな。さっき自分といる女は別の女の話を平気ですると言ったくせに、お前は僕に好きだとぬけぬけと言った端から嫌いな女の話をする。タチの悪さはお前の方が上だぞ?」


 聞き捨てならないセリフにおもわずムキになって顔を下した先にいるジュリは、膝の上に片肘ついて声と同じ呆れた表情でサランを見ている。伊達メガネごしに醒めた半眼でサランを軽く睨んで、憤慨するサランに言ってのける。


「初めて貰った〝好きだ″のセリフだったのに、これでは台無しだぞ。お前はどうも雰囲気ってものを軽視しすぎるきらいがある。――喜びもときめきも、胸の高鳴りも半減だ」

「と……ときめかすな、高鳴らせるなっ! 別に好きってもアレだからな、胸がキューンってなる類のアレじゃなくて、もっとこう広範囲の好意みたいなやつで、シモクとかトラ子が好きなそういうのじゃ……っ!」

「お前の真意がどこにあっても、好きだと言われればどうしたって胸は高鳴る仕様にできている。僕はなんといっても色恋の話には過敏になる年頃だからな」


 今になって慌てるサランをその場において、ジュリは立ちあがりスカートを叩いて砂をはらった。もう帰るぞ、の合図だった。

 ジュリの口ぶりからサランをからかっていることは明白だったが、その効果で二人の雰囲気もいい具合に茶化されて息がしやすくなったのも確かだ。サランも立ち上がって制服の砂を払う。


 行くぞ、とジュリが先に歩きだしたのでサランもそれに続く。結局こうしてグダグダしてしまうのか……と、満月に背中を照らされながら、なんとも言えない気持ちで坂道を歩き出したサランに聞こえるようにジュリは言った。


「――こういうのは所謂フラグになりそうだから黙っていたけど」

「?」

「僕はな、将来できれば出版に携わる仕事ができれば……と思っていた。今やってる文芸部の延長で、読むものを世の中に送り出せればな、って。道楽になるが紙の書籍を出版したりするのも面白そうだ」


 しょせん子供の見る夢だけれど、と、振り返らずにジュリは照れくさそうな口ぶりで言う。


「いいんじゃないか? ていうか、いいと思うよう。うちも将来、本とか小説に関係する仕事がしたいから大学じゃ文芸関係の勉強しようと思ってたし」

「そうか、それは好都合だ。――それじゃあ大人になっても一緒の仕事をして一緒の時間をすごすことは可能なわけだ」


 振り向かずに歩きながら、ジュリは背中を伸ばした。そのわざとらしいしぐさをサランは後ろから見つめた。足が自然と立ち止まる。

 サランが立ち止まることを見越したように、ジュリは振り返り人ごとのように笑って見せる。


「よかったな、サメジマ。何事もなければお前の夢はかなうみたいだぞ」

「――っ!」


 ジュリの言った意味を理解して、湧き上がる感情に突き動かされサランが無言で駆け出したと同時にスタートを切ったジュリはすでに数メートル先にいてそのままサランをぐんぐん引きはがす。坂道だからその距離はぐんぐん広がる。わにぶちぃぃぃ! と叫ぶサランを、ジュリは笑って引きはがす。相変わらずほれぼれとするような走りっぷりだった。


 満月が照らす坂道を駆け上がりながら、サランはジュリの言葉を反芻する。

 ジュリは「フラグになりそうだから黙っていた」と言っていた。おそらくフィクションの類で、帰ったら故郷の恋人と結婚するだのと将来のことを口にした者から先に死ぬ現象のことを指しているのだろう。つまりジュリは、そんなつまらないジンクスを心の中では気にかけている。

 疎開任務のことはまるで他人事のように言っていたジュリだが、本当はやはり怖いし怯えているのだ。

 それが伝わって、走りながら初めてサランは胸の痛みを感じる。親友のそんな心情を思うとたまらなくて泣きたくなる。


 それをごまかすために、純然たる実力差で追いつけない親友の背中へ向けてその名前を呼ぶ。


 うちがそのフラグ絶対へしおってやるから……! というセリフは、全力疾走中で口にするのは難しくて断念した。




 そんなことが起きた次の朝でも、サランは日の出ともに起きて基礎訓練に励まねばならない。それが規則を破ったものに課せられた罰である。


 学科の授業中の睡魔の闘いは熾烈を極め、コーヒーを買う余力もないまま休憩時間は机に突っ伏してやり過ごしていた。眠れなくてもいい、ちょっとでもせめて目を閉じておきたかった。

 いい具合に神経が休まり、ふうっと意識が遠のいた瞬間、よりにもよって隣の席に誰かが座った気配がある。しかもガタガタと騒々しい、かなり行儀の悪い者の座り方だ。


 ――なんだコイツうっせえな……と、舌打ちしたくなった時に鼻孔はなじみある香りを嗅ぎ取る。

 あまったるいフルーツ香料のそれだと脳が気づくより先に体が自然と跳ね起きていた。もう全身から睡魔は飛び去っていた。


 短く改造したスカートから伸びた脚を組み、口からキャンディの棒をはみ出させたタイガは、驚きで椅子からずり落ちそうになっているサランの手をとっさにつかみ床に尻もちをつくのを防ぐ。


「毎朝毎朝、お疲れっすねパイセン。ごくろうさんでーす」


 ネコ目をじとっと半眼にしたタイガは、驚きで心臓をどくどく鳴らせるサランが椅子の上に座りなおしても、その手をつかんだまま放さなかった。

 

 薬指にリングが嵌った左手をじっとみて、タイガは口の中でキャンディを無言で転がす。

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