#34 ゴシップガールは月夜に何を見ている?
「人っていうのはぁ、自分の気分次第で壊せるものをそれぞれ持ってるんですってぇ。おもちゃだったり、ペットだったり、恋人だったり、家庭だったり、国だったりぃ~」
こういう言葉知ってます~? と、予鈴が鳴る直前にサランにジュリからのメッセージしたためた付箋を手渡したリリイはいつものように可憐な微笑みを浮かべてサランにささやく。
「生徒会長とか先輩がこだわってるシモクさんって人とかはさしずめ、国や世界を壊せる側の人ってことですねぇ。――よくそんな人に食って掛かれますよね、サメジマ先輩ってば。私には無理~。とてもできなぁい」
人命を奪うレベルの暴力には慣れてる癖に、という目でサランはリリイを軽くにらんでみたがやっぱり陰険で凶暴で純情な後輩にはその程度の反撃は全く刺さらない。
ずずっと甘ったるくしたコーヒーをすすってからサランは尋ねた。
「――なんだっけその言葉? 聞いたことある。出典は?」
「知らないんですか、やだぁ~。先輩、古い小説には詳しいのに漫画に関する知識は甘めですよねぇ? バランス悪ぅい~。――あと気になることはご自分でお調べください」
「前から不思議だったんだけど、リリ子はなんで
「さぁ~、どうしてでしょう?」
リリイの反応は案の定だった。
素直じゃないひねくれた反応にいつもの日常を感じることをまるでどこか他人ごとのようにサランは感じていた。リボンやレースやお花やフェアリーなどひらひらした可憐なものを好む女の子に見せたがるくせに、リリイが不意に話題に出てくる漫画はなぜかいつも百年以上昔の超人的な身体能力を駆使して殴り合う系の少年漫画ばかりだった。そこに的をしぼれば簡単に作品は割り出せるだろう。
屋外だったらいつもの日傘をくるくる回していただろうが、今は屋内だ。きれいにたたまれたその柄を、爪の先まできれいに磨かれたリリイの右手が握っている。それを持ち替え傘の本体をきゅっとつかむ。
「それでは先輩、ワニブチ先輩とは末永くお幸せに。――しょせん人間を壊すのが関の山なちっぽけなワルキューレよりお祝い申し上げますね」
「――ああもう、分かったわかった! 無駄に脅すなっ!」
取り外せば刃物しても活用できる傘の柄をサランの首筋に添えて、耳元でリリイはささやいてから予鈴に合わせてしゃなりしゃなり去ってゆく。それを見送りながらサランも飲み干した甘ったるいコーヒーのカップを握りつぶして屑籠に捨てた。
コーヒーなんて飲むのは文芸部に籍があったころぶりだ。
砂糖やミルクをたくさん入れたって、苦みと酸味が舌を突き刺すばかりでまるで美味しくない。曲がりなりにも豆を挽いて抽出する自販機のコーヒーですらそうなのだから、売店で売ってる一番安いインスタントコーヒーなんて何をどうしたって人が飲めるようなものになるはずが無い。
そんなものを湯に溶いただけで飲みやがって、絶対美味しく無いはずなのに。無理しやがって。ワニブチのやつ。
付箋にきっと走り書かれただけなのに、いやに達筆な「了解」の二文字をもう一度見つめてからサランは教室にむかった。
睡眠不足と疲労でへばりそうになりながら、帰島して初めて訪れた放課後の
来客が来たときに招かれるサロンでは、見慣れぬ高等部生がいてお茶の用意がされたテーブルについている。その向かいにはマーハがいて、女主人然と来客をもてなしている。普段なら練習時間であるこの時間帯にマーハがいるのは珍しい。ホールを覗きこんだサランに気づいてからいつものごとく微笑んでみせたが、すぐさまお客様のもてなしに戻った。
「――でも、私、演劇部の活動で精いっぱいですもの。とても生徒会長だなんて務まりそうにはありませんわ」
「そんなことないから! 生徒会なんて演劇部まとめるより絶対楽だからぁ~! 私なんかでも務まるような仕事だからぁ! お願い~」
ゆるいウェーブのかかった色の濃い金髪をヘアバンドでまとめた青い瞳の上級生はずいぶん騒々しかった。太平洋校の選ばれし乙女ばかりが集う
お茶とお菓子、そして園芸部の厚意で贈られる花を生けた花器が華やかなテーブルの上に両手をついた上級生は今にもマーハにすがりつかんばかりだ。そんな上級生をマーハの背後で無言無表情なヴアン・グゥエットがいつものごとく感情をこめない目で見つめている。普通の神経があればたちどころに居住まいを正してしまうような無感動なまなざしにさらされても、彼女は態度を改めなかった。
「次期生徒会長はあなたに指名させて~! それから私をすぐさま引退させて~! お願い~! この通り~! 人気も実力もカリスマ性も申し分ないあなたにこそふさわしい役職だからぁ~、大体もともと私は生徒会長なんて器じゃないんだからぁ~!」
「まあ、そんな悲しいことをおっしゃらないでくださいな、アメリア先輩。実直でこまめで誠実な先輩のような方が代表として前に立ってくださるからこそ、こうして部活動に励めますのよ? 先輩のような方でないと務まりませんわ」
「――! 騙されないっ。騙されないからっ。そうやって優しい言葉と甘い声でいい気にさせて私に厄介ごとを押し付けるつもりなんでしょうっ? もうわかってるんだから! 私はそうやって去年生徒会長なんて誰もやりたがらない役職にうっかり立候補してまんまと選挙に勝ってみんなが陰で笑ってることにも気がつかないまま面倒ごとを押し付けられて、今こうして死にそうな目に遭ってるんだからぁっ! どうせみんな私のことを、おだてにのりやすくて実務能力だけの影の薄い地味女って思ってるんだからぁ! 私は知ってるんだからぁ」
うぇぇ~、と恥も外聞もなく上級生は白いクロスのかかったテーブルに突っ伏して泣いている。その背後に控える、腕章をまいた数名の高等部生徒会メンバーがその背中をさすったり、マーハに向けてぺこぺこと頭を下げたりして忙しい。
すみません、会長はこのところの激務でお疲れで……、疲労の極致で……と、上級生の無作法を弁解する彼女らの前で、マーハは微笑みながら頷き、立ち上がってその肩を抱く。
「アメリア先輩、どうかご自身をそんなふうに卑下なさらないで? 先輩は選挙で皆から選ばれた生徒会長なんですからどうぞ胸をお張りになって? わが校のワルキューレが先輩のお人柄や能力を見抜き、認めて、信頼してこその今のお立場なんですから、そのことをどうか思い出してくださいまし。――ね?」
「……そうよ……っ、見抜かれてたのよ……! こいつ適当にほめとけばつまんないデスクワークも教職員との仲介も予算の配分もバカなことばかりする文化部連中の尻拭いも全部やってくれる便利なやつだからって、自尊心が低くてコツコツコツコツ努力するしかない働きアリ気質の万年会計主任気質だって見抜いてみんな半笑いで一票入れたに違いないわ……っ! そんなことも気づかないで心血そそいで生徒会長なんてものになって各方面にへいこらして文化部の連中には堅物の地味女あつかいされて、挙句の果てに今回の件でところで太平洋校の高等部生徒会長って誰なの、うっわなにこの地味女、バンパイア小説のファンフィクション書いてそー、田舎のハイスクールのガリ勉くせー、とか、一般人に陰口叩かれた挙句メガネちゃんなんてあだ名つけられて……っ、生まれてこのかた一度もメガネなんてかけたことないのによっ! それだけならまだいいわよ! 『見える! この子の顔には無い筈のメガネが見える』『百年に一度生まれるか生まれないか、まさに奇跡のメガネ相』とか分けわかんない崇め方をするメガネ教信者から大量のメガネを贈られてっ! ……なによなによなによなによもー、やってらんないっ!」
「……あらあら……」
「メガネ狂信者だけじゃないわよ、北米あたりから歯の矯正器具狂信者からはご丁寧にサイズまで調べた前世紀モデルな金属製の矯正器具まで送りつけてくるんだから! 『どうぞこれをつけてあどけなく無邪気に笑ってください』って! 言っときますけど赤ちゃんの頃から歯にだけは細心の注意を受けて育って来たのよっ? 他のパーツはともかく歯並びだけは同期一って自信だってあるのよ? そんな私にアンティークな矯正器具つけろってどういう趣味なのっ? なんなのようもおおおっっ」
「……まあまあ……」
さしものマーハもかける言葉を失くしたのか、フルーツケーキのブランデーが効きすぎたのかしら、と後ろに控える生徒会役員へ微笑みかける。乱心中の後頭部生徒会長をなだめ探すのに忙しい役員たちはいよいよ恐縮して頭をぺこぺこさせた。
その中、ヴァン・グウェットはやっぱり感情の見えないアーモンドアイで見下ろし、よく通る声で端的に言い放つ。
「演劇部も文化部の一部」
「……っ、すみませんすみません! 失言でした!」
嘆き続ける会長にかわり、腕章を巻いた役員達がペコペコと頭を下げる。
「〝バカなことをする文化部連中の尻拭い″」
「……っ! 本当にすみませんっ、この通りです……っ!」
「あらあらヴァン、ダメよ? 生徒会さんたちを怖がらせたりして──」
なかなかのゴタゴタが起きているホールからサランはそっと離れた。
来客は高等部生徒会長だ。会話の内容から察せられたそれを基にサランは記憶を漁ってみたが、彼女に関するものになかなかヒットしない。
確か、なんか動物っぽいファミリーネームだった筈……アメリア……アメリア……、そうだ! アメリア・フォックスとかそういう名前だった。そんな風にしてやっとなんとなく思い出せたくらいだから、影が薄いことや地味なことを気にしているらしい激しい独白を耳にした後では申し訳なくなってしまう。ちらっとみた感じでは、控えめで真面目そうな先輩だった。そしてたしかに必死にマーハに縋っていた彼女の顔を思い浮かべると、脳が自然に無かったはずのメガネを付け足していて慄然とする。
「どうして私たちが初等部のやらかしの窓口業務をこなさなきゃなんない上に対応策まで講じなきゃあいけないのよぉ〜っ。私が何をしたっていうのよぉ〜っ」
アメリアの嘆きに背中を押されるようにしてサランは階段を上る。
嘆く高等部生徒会長を交配であるはずのヴァン・グゥエットが感情をこめずに叱咤するのも聞こえた。
「我が校の性質を鑑みると発言の優位性は高等部生徒会にある。初等部生徒会に意見を通すは会長の務め」
「ほっらあ〜そうやって面倒ごとをみんな私に押し付けるぅ〜! あんな怖い女の子にどうやって意見しろって言うのよっ」
「面談ないし面会。要は直接会って言う」
「できたら苦労しないわよっ、私はあなた達みたいにクソ度胸がある特級じゃあないんだからっ」
ゴワアッと高等部生徒会長は叫んで嘆く。──サランとしては、ヴァン・グウェットの前でここまで堂々と素の姿を晒せるなら大したものだという感想を抱いてしまうのだが。
「私はねっ、兵站に関する能力だけは特級ねってイヤミ言われてるコツコツ愚直女なのよっ。先祖代々事務方なのよっ! そんな人間が生まれてからずーっと帝王学で育ってきたようなあんな子に意見できると思うっ?」
「出来なくてもするが長たる者の務め」
「……っ、マーハさんヤマブキさんが私をいじめるぅぅぅぅ〜っ。どうせならいつかの公演で見せた戊辰戦争時の土方歳三スタイルでいじめてって言ってぇぇぇ〜っ」
「あらあら……ヴァンももう少し親身になって差し上げないと。先輩は私たち皆がお慕いする生徒会長なんですから。──とにかくアメリア先輩のお見立てでは初等部生徒会の作戦は棄却するべきだということでよろしくて?」
「当たり前じゃない、私なんかの意見を聞くまでもなく誰だってそう思うでしょ? 死海沿岸に白骨街道でも通すのかって、まともな人間ならそう考えなきゃおかしいわ。──ああっもう、専科や国連のお姉さまから怒られるぅ〜、あんたがいて何やってんだ、なんで初等部のひよっこのいいなりになってんだ、指示系統乱れるだろうが、これだから太平洋校出身者はバカばっかだって笑われんだぞって吊し上げられるぅ〜、もう嫌ああ〜……」
「それほどの確信があるのに伝えないのは職務怠慢」
「一度は言ったわよっ! でも賛同者にご協力をいただくことになっておりますのでご心配なくでおいかえされちゃったんだからっ!」
もうあんな怖い思いをするのいやぁ~……っ、と、自己評価は限りなく低そうなのに、兵站に関しては自信があると自己申告したも同然な高等部生徒会長の悲鳴と嘆きが響き渡る。廊下を歩く訓練生たちがびくっと肩をそびやかせていた。三つも年上なのにやはり彼女までもキタノカタマコが怖いという。
そのことをサランは重く受け止めざるを得ない。
国連所属のワルキューレたちがマコの専横を許すわけがない、だからジュリは出撃することはない。
ツチカの見立てはそうだった。でも本当にの通りに行くのか? サランの抱えている疑問はアメリアの悲鳴で余計に膨らむばかりだ。
憂鬱な気分で書斎の前に立つと、ドアの内側からなにやら声がする。
先日のように客人がいるようだが、それにしてはその声がどうにも幼い。きゃっきゃとはしゃいだ笑い声も混じっている。それでサランはドアの内側にるのが誰なのか検討をつけ、ノックしようとドアに近づけていた拳を下して予告もせずにばっとドアを開いた。
書斎の猫足長椅子に腹ばいになって寝そべっていた先客は、闖入してきたサランに目を丸くする。が、それがサランだと気が付くとぷうっと顔を膨らませた。
「――なんだぶんげえぶのちんちくりん、レディーのいる部屋にノックもしないとは無礼なやつめ。話し中だぞ」
「長椅子に寝っ転がって電話ごっこするような行儀の悪いレディーがいるかようっ」
ピンクを主体にイチゴとリボンの模様をあしらった、甘ロリ系老舗メゾンのアンティークなサマードレスをまとったノコがそこにはいた。
アクラナタリアとレネー・マーセル・ルカンに拾われる形で
ここにきてからのノコに、マーハは秘蔵のアンティークのロリータドレスを着せたりして目いっぱいに楽しんでいた。今着ているボタニカルアート調のイチゴとリボンがプリとされたベビーピンクのサマードレスもマーハが着せたものだろう。くるんとまいて二つに結んだ白銀の髪、足元には幼さのひきたつ三つ折ソックスにつま先のまるっこいストラップシューズを履いている。もともとが人形のように愛らしい美貌の女児型生命ただから、こういった格好をさせると童話の国から抜け出したようになる。お行儀さえよければこの書斎の雰囲気とさぞかし相まって、それこそ薄暗い夢のような世界が演出できていたことだろう。
しかし、長椅子の上に腹ばいになって肘をつき、耳に前世紀末モデルの携帯電話を耳にあてていては台無しだ。ストラップシューズをはいた足を天井に向けて、プラプラ動かした。
「なんでもない。ノコのいる部屋に気の利かないちんちくりんが入ってきたんだ。気にしないでくれ、ねーさん」
――よしよし、そういう気なら――。
サランは近寄り、パールピンクの携帯電話を取り上げる。ああっ、とノコは悲鳴を上げた。
「何をするっ、ねーさんと話し中だったんだぞ!」
演劇部が
少し不安になる風景ではあったが、ワンドだってイマジナリーフレンドとおしゃべりしたいときでもあるのだろう、とサランはゆるく受け止めることにしていた。見えない友達の名前が〝ねーさん″というのが気になったが(サランはノコが〝ねーさん″と呼んでいただれかのことをよく知っている)。
――ともかく今はロールプレイの時間である。
「お嬢様の無作法をみのがすと私が旦那様や奥様にしかられてしまいます。ノコ様もレディーとしてのふるまいを心がげくださいませ」
「むぅっ、急に妙なごっこ遊びに人を巻き込むのは卑怯だぞ、ぶんげえぶのちんちくりんめっ」
長椅子の上に座りなおしたノコはサランの仕打ちにぷうっとほおを膨らませて怒るが、サランがこう言い返すと言葉に詰まる。
「そんなんじゃフカガワミコトはふりむいてくれないぞう。それに、せっかくの可愛い恰好だって泣いちまうよう」
「――うううう……おのれ、人の泣き所を攻撃するとは小癪な……っ」
人形のような顔をコミカルにゆがめて、ノコは悔し気にうめいた。
なぜにノコがマーハの着せ替え人形さんをやっているのか。
それは先日のお茶会のおりにフカガワミコトが構ってくれなくなったことをさんざん愚痴ったことに始まる。
出撃命令がないとき、学科の授業がおわればノコと一緒に放課後をすごすのがフカガワミコトのいつもの習慣だったのだという。学校奥地の密林を探検したり、海に潜ったり、トヨタマタツミのことが心配でトーテムであるウミガメに憑依しては大切な姫様の様子を伺いに来る豊玉家の女官長・八尋と思う存分喧嘩をしたり――と、女児型ワンドであるノコの毎日は出撃命令がなくてもそれなりに充実していた。フカガワミコトが面倒見のいい兄のように相手をしてくれていたからである。
たまにはトヨタマタツミに追いかけられたり、なんのかんのと差し入れを持ってくるミカワカグラがまざることもあったが、概ねフカガワミコトはノコをメインに相手をしてくれていたのだという。
「だのに、マスターったら、最近はタツミとべったりだ。もちろん、ノコを無視したり、どこかに置いて行ったりそういう薄情なマネはしないぞ? でも、今までとは空気が違うんだ。前まではマスターの隣はノコの場所だったのに、今はそこにはタツミがいる。ノコがマスターのワンドなんだからノコが隣にいるべきだってノコがいっても、マスターは笑って頭をぽんぽんするばっかりだ」
お菓子のくずをほっぺたにいっぱいくっつけ、両手を添えてもつティーカップからお茶を飲みながら憤慨するノコのお行儀は「なってない」の一言であったが、ともあれ幼く愛らしい少女の言葉が、深刻な話を語らっている世界的ヒロインと演劇部のスターというきらびやかな四人の高等部生たちが囲むテーブルの空気を和ませたのは確かであった。
特に無責任にレネー・マーセルがノコに同情して、細くしなやかで、時に侵略者を一撃で粉砕するようには見えない右手で銀髪の頭をなでていた。
「そっかぁ~、ノコちゃんも大変だねぇ。可哀そうだねぇ。寂しいねぇ~。……フカガワくんもちょっと緊張感欠けてるなぁ、ワンドのノコちゃんを一人でほうっておくなんて。特級ワルキューレとしての自覚不足かもぉ」
お茶会の最中、給仕を仰せつかっていたサランはそれを聞いて思わず総毛立たせた。けぶるような金髪にぬけるように白い肌、通常姿はアニメーションのプリンセスのようだし出撃時の姿は華やかで勇ましいチアリーダー風兵装。環太平洋域の女児のあこがれをかき集める天下無敵のヒロインワルキューレの片割れであるレネー・マーセルはかつて文化部棟に粛清の嵐を吹かせまくった、前初等部生徒会長である。
一見、お城の外から出たことはない、世間知らずでぽやんとした美しいお姫様のようであっても、だ。
シュー菓子を考えなしに二つに引きちぎって、お菓子のくずをぽろぽろゆかに落として、指に付いたクリームをちゅぱちゅぱ舐めるような人だからそのことを忘れそうになるけれど、「スーパーヒロインでアイドルでスターであるべきワルキューレがスキャンダルなんてあり得なくない?」の一言で、淫らで不品行な部活動は全面禁止するという通達を出した当の本人なのだった。サランはそのことを思い出したせいで、あやうくヴァン・グゥエットが見せていたお茶のおかわりのサインを見逃しかけた。
「どうしよっかぁ、ナッちゃん。フカガワくんにもう一回言うべきかなぁ? フカガワくんは男の子でもワルキューレなんだからぁ、そのことを忘れちゃ困るってぇ。あたしたちがまず第一に考えなきゃいけないことはぁ、侵略者をやっつけることなんだってぇ」
「――今は止した方がいい」
「なんでぇ? 『ハーレムリポート』はお休み中だよぉ、今回は前みたいにナッちゃんごしじゃなくあたしが直接あの子に注意したっていいと思うんだけど~?」
「今はただ沈黙しているだけで、あの忌々しいおしゃべりはまだ終わっていない。なのにお前がフカガワミコトと接触して言葉を直接交わす様子を第三者に見つかりそこから漏れでもしたら、あのおしゃべり女は機をみてあることないこと言いふらすのは必須だ。そうなれば今度はお前がフカガワハーレムの一員にされてしまう。太平洋校のスーパーヒロインがそんなことになったら我々の支持層である女児層とその保護者の幻滅と反感を買う羽目なり、各所にも迷惑をかける。――少し考えればわかるだろ」
冷たいと言えるほどの目でアクラナタリアがパートナーであるはずのレネー・マーセルを見やったが、氷柱で刺し貫くような視線を向けられてもプリンセスのような元初等部生徒会長はけろりとしていた。
「ふーん、ナッちゃんがそういうならやめとく~。……でもノコちゃん可哀そう~……。ねえ、どうしたらいいかな、ナッちゃん?」
「――なぜ私に訊く?」
冷たい声とさすような目つきでナタリアは問い返したが、レネー・マーセルは取り合わなかった。だってナッちゃんなんでも詳しいしぃ、とうたうような調子で答える。ナタリアはあきれたように息をつき、カップのお茶に口をつけて興味なさそうに投げやりに語る。
「要はフカガワミコトを振り向かせたいということだろう。女ぶりでもあげればいいんじゃないのか?」
「女ぶりをあげる、ってどういうことだっ?」
「お行儀のよい素敵な
お菓子そっちのけで食いつくノコの言葉を受けたのは、発言者のナタリアではない。牡丹の花めいた華やかな笑顔を、マーハはノコへ向けた。慈愛に満ちた優美な微笑みではあったけれど、あとから思えばこの時点でマーハはノコを愛玩物として手元に置いておこうという気になっていたのだろう。ほうほう……、と神妙な顔をつくるノコにむかってこう言った。
「よかったら、また遊びにいらっしゃい。
「レディーになったら、マスターがノコを前みたいに一番に相手してくれるようになるのか? なら、やる!」
はしゃぐノコは、自分にヴァウン・グゥエットのアーモンドアイが据えられていることに気が付いていなかった。知っていたのはカップに紅茶を注いだばかりのサランとくすくす微笑むマーハだけである。
――こういった経緯を経てノコは放課後にひょいひょいと遊びにきては、マーハの淑女教室という名の着せ替えごっこにその身を差し出している。マーハが練習でいないときは、
ノコ本人も(少なくとも)人当たりは優しい奇麗なお姉さんたちに、可愛い可愛いと褒められながらきれいに着飾ってもらった上にお茶やお菓子まで振舞われるこの境遇が気に入ったらしく、弾んで
そんなノコを長椅子に座らせたまま、サランは資料の整理を始めた。
とはいえ作業中の部屋に第三者がいると落ち着かないので、世間話のつもりで雑談を振ってみる。
「――で、フカガワミコトはお前の女っぷりにどんな反応をしめしてるんだ?」
するとノコはふふん、と偉そうに鼻を鳴らした。本棚にむきあっているサランからは姿は見えないが、ドヤ顔をしてみせるノコの姿は容易に想像できた。
「まだ見せてない。しかるべきタイミングで女っぷりが爆上がりしたノコの姿をみせて驚かせるつもりなんだ。そうするべきだって、ねーさんが言ってた」
「ふーん、ねーさん、ねぇ……。ロクなこと教えねえな、そのねーさんは」
もうとっくに使用できなくなってるアンティークの携帯電話ごしに喋っているイマジナリーフレンドは一体この女児型生命体に何をふきこんでいるのやら、サランは少し意地の悪いことを呟いたせいで機嫌をそこねたノコが言い返す。
「ノコのねーさんの悪口を言ったら承知しないぞ。ノコのねーさんは、ノコよりうんと強いんだぞっ、お前なんかコテンパンだぞっ」
「あー、ハイハイ」
「ノコたちシリーズの中で一番最強だったねーさんの血を引いてる至高のワンドなんだぞっ。強くてきれいで格好いいんだ! ノコみたくマスターと契約しなくても自立稼働できる特殊なねーさんなんだ」
「へぇ、そいつはすごいな」
詳細な設定のついているイマジナリーフレンドなんだな、とサランは適当に聞き流す。ノコの外見は十一、十二といったところだ。通常の人間であれば架空の友達やフィクションを参考にしたキャラクターを創作しはじめてもおかしくない年齢だ。
そんなサランのいい加減なあしらいにノコも気が付いたのだろう、ちらっと長椅子へ視線をむければ形良い眼を三角に吊り上げてむくれていた。嘘じゃない、ねーさんはいるんだ、そう言いたげな目だ。
機嫌をそこねて面倒なことになってはかなわないのでサランはねーさんについて質問をする。
「でも、お前の同シリーズのワンドって
「そうだ。ノコみたくマスターと出会って目覚めるのを待っている」
「じゃあ、お前のねーさんとやらは
「無論だ! さっきも言っただろう、ノコより先にマスターと出会って目覚めて外の世界に出たねーさんの血をひいてるねーさんなんだ」
「……血を引いてる……?」
ふと引っかかってサランが振り向くと、ノコは長椅子の上に座りなおしてえへんと胸をはっていた。
「驚いたようだな、ぶんげえぶのちんちくりん。ノコたちシリーズは人間との交配が可能なんだ。子を為すことだってできるんだぞう! 造物主によってそういう風につくられたのだ!」
「――エバっていうことじゃないよう。生々しいなっ」
甘ロリファッションを着こなした女児姿で人間との交配だの子を為せるだの、そんなことを言うもんじゃないとサランは注意してやりたくなる。が、聞き逃せない情報がノコの言葉には含まれていた。
「ということは、だ。お前のねーさんとやらは人間とワンドの間に生まれた子供ってことか」
「そうに決まってるじゃないか。ノコのねーさんは、ノコより先にマスターと出会って起動したねーさんとそのマスターとの間に生まれたって人なんだぞ」
「つまり、お前のねーさんの母親はお前と同シリーズのワンドで、父親はそのワンドの使い手だったマスターだったってことになる。これで合ってるな?」
「合ってるも何もノコはそうだとしか言ってないぞ」
お前が「ねーさん」を「姉」と「名前と帰属がわからない年上の女性」の二重の意味で使うから混乱するんじゃないか、と言いたいのをサランはぐっと堪えた。
「ワンドっていうのは基本的にワルキューレ因子を持ってる女子にしか起動できないはずだぞ? だからワルキューレは普通女子しかいないってことになってる」
「ノコたちシリーズは例外なんだ! マスターみたいに男でも起動する」
「それはなんでだ?」
「そんなことノコが知るものか。造物主がそういう風に作ったからそうだとしか言えん」
足をブラブラさせながらノコは自信満々に言い張った。その様子を見ながらサランは考える。
例外的に男子でも起動できているワンド。
そしてノコ曰く子を為すように作られているという。
うえー、こいつのシリーズ作った造物主とやらは何考えてるんだ……と、嫌悪感から全身を震わせてからサランは慌てて首を左右に振った。ノコのねーさんは今のところ通信機器としての機能を完全に失ったアンティークの携帯電話越しに会話しているイマジナリーフレンド的存在だ。実在していない可能性の方が高い。
よって今ノコが語ったものも、イマジナリーフレンドに纏わる設定の一部である可能性も高い。しょせん、女児型生命体の戯言、あまり真剣に受け止めるのもものではない。
しかし、サランの胸には俄かにノコのねーさんについての疑念が膨らみだしていた。
くるくるに巻かれて二つに結ばれた、ノコの銀髪がレンブラント光線を反射していつもよりもちらちらと眩く輝いたせいだろう。サランは二度ほど、誰かの髪が銀髪に代わる様子を目撃している。そしてその人物を、ノコはねーさんと呼んでいた。
資料整理の手を止めて、サランはノコの銀色の髪を凝視する。その視線があまりに強かったせいか、ノコがいぶかしそうに眉間にしわを寄せる。
「? なんだ、ぶんげえぶのちんちくりんめ。怖い顔をして――」
「ちょっと、おまえのねーさんについて教えてくれないか? どんなやつなんだ、ねーさんは」
なぜサランが真剣な顔になったのか、その事情にはとんちゃくせずにノコは無邪気に語りだした。
「人間の性質が混ざってるから、耐久力は落ちるけれどマスターなしでもワンドとしての力がつかえる。それにマスターに起こしてもらわなくたって、一人でどこへだって行けるんだ。格好いいんだぞ。ノコの知らないことをなんだって教えてくれるんだ」
ノコにとっては、自分の姉妹にあたる同型のワンドも「ねーさん」であり、自分より年上で名前や帰属の判別しない年上の女性も同様に「ねーさん」である。サランはさっきまでそう考えていた。
根拠は六月末の九十九市でのこと、ギャルのいでたちであらわれたシモクツチカを「ねーさん」と呼んでいたことによる。あの時点、フカガワミコトとノコにとっては行きずりの九十九市民に過ぎない筈だったからだ。
でも、そうでなかったら。ノコにとっての「ねーさん」は自分の同型ワンド、あるいはそれに連なる存在のみに限定されていたとしたら――。
不意に書斎の窓の下が騒がしくなる。会長しっかりしてくださいよぉ、もう~……という嘆きに、ほっといてよぉ、私なんかどうせどうせ……という悲鳴じみた泣き声聴こえた。どうやら高等部生徒会のご一行がお発ちになったらしい。長椅子から立ち上がって窓辺に駆け寄ったノコはその様子を窓ガラスにおでこをくっつけて見下ろした。
「やれやれ、うるさい連中だったな。せえとかいちょうとは言うが、マコとは全然趣が違うな。あれで人間の上に立つ長がつとまるのかどうかノコは甚だ疑問だ」
そんなつぶやきを漏らしている間に、さっきノコから取り上げたばかりの携帯電話をエプロンのポケットから取り出す。カラー画面だって表示できない小さな液晶にボタンがいっぱいくっついているアンティークな携帯電話はみるからに死んでいる。ただのモノとしてそこに在るのみだ。それをみて思い出すのは、九十九タワーの鉄骨の上で誰かと電話越しに会話していたシモクツチカの姿だ。
日付が変わる直前に、好きだった男を別の女にとられたことを嘆いている女友達の話を聞いていたシモクツチカ。
そこでサランは我に返る。
この携帯電話はもう電話としての機能を失って数十年になるのだ。あそこから電話ががかかるのはあり得ない。ということはノコはノコだけに見える秘密のおともだちとしゃべっているのだと見なすのがどう考えても筋だ。
――まったく、我ながらつまらない思い付きに固執するところだった……と、頭を左右振って考えを振り払っていたところ、書斎のドアが開いた。入ってきたのはマーハだ。サランは立ち上がり、ノコもぴょんと長椅子の上から飛び降りる。
「お疲れ様です、お嬢様」
「ありがとう、子ねずみさん。――聞いたわよ、貴女ったら出撃先で門限を破ったんですって?」
いつものように耳の早いマーハが甘い声でサランをからかいだすが、それは長く続かなかった。長椅子に腰をおろし、背もたれの上に腕を載せてそこに頭をあずけるような、普段のマーハならみせないぐったりしたポーズをマーハはとってみせた。それだけ高等部生徒会長の話が堪えたらしい。小間使いらしく、サランはグラスに水さしから冷えた水を注ぎ、マーハに差し出す。
「マー、疲れたのか? ずいぶんやかましい客だったものな」
すっかりマーハになついているノコも心配そうにその背中をさする。サランの用意した水を一口飲んでから、マーハは微笑みノコの髪を撫でた。
「――アメリア先輩のお立場の難しさには寄り添いたくはあるのよ? でも――」
それ以降はお嬢様らしく口をぼかして濁す。演劇部の部長と生徒会長の兼任は不可能だと言外に匂わせる。
サランが差し出したお盆にグラスを戻してから、マーハはサランの顔を見つめた。一瞬驚いたように少し目を見開いたのは、それだけサランが思いつめた表情をしていたためだろうか。そのあとはいつもの、典雅で秘め事を好むお嬢様の表情になった。
「子ねずみさん、何か心配事があって?」
「高等部生徒会長、兵站に関する能力は特級だとおっしゃっていましたけど、その点お嬢様のお見立てはいかほどですか?」
お客様のお話を盗み聞きするなんていけない子、と茶目っ気を交えつつマーハは答えた。
「あの方はもう少しご自身に与えられた能力に自信をお持ちになれればよろしいのだけれど……。私たちのような人間をまとめて上手く高等部を運営されてるんですから」
つまり、マーハはアメリアの能力を高く買っているということだ。そのアメリアは、キタノカタマコのぶちあげた大作戦は無茶で無謀であり棄却すべきであるとさっき泣きながら叫んでいた。そのことを一応マコにも進言したがけんもほろろにはねつけられた、とも。
現実的な見通しを立てることに秀でた人間が、無茶だから棄却すべきと断言する作戦に、ジュリは従事することになっている。
いてもたってもいられず、サランはマーハにすがった。
「――国連の方から、あの作戦は撤回しろって通達が来ますよねっ? だって、あんなの、高等部の生徒会長が言ってた通り、だれがどう見たってムチャクチャな作戦じゃないですかっ。うちにだってわかりますようっ」
「そうね。本来ならそろそろあってもおかしくない筈だけれど――」
マーハの顔もやや浮かないものになる。おかしい、妙だ、と思っているのだろう。それをごまかすように、いつものように騒動をおこしてばかりいるメイドを見守るお嬢様の態度で張り詰めた表情のサランを見つめる。
「文芸部の部長さんとはもうお話を済まされて?」
腕の中にあるお盆のへりにかけた指先に、サランは力を込めた。マーハはずっと、サランに絶対というものはないと語り続けてきた上級生だ。六人もの
この人の言葉が自分を少しずつ変えたという意識がサランにはある。お礼の意味を込めてサランは勇気をふりしぼる。
「今度の中秋の名月に会おうと打診して、今日同意の返事を得ました。先輩のアドバイスに従って
小間使いのふりをするのを忘れてしまう。お盆のへりをつかむ手に力がこもりすぎて、その上にあるグラスの水が細かく揺れている。グラスを倒してしまうのではないかとサランは気になって、長椅子のへりにある小さなテーブルにそれを置いた。
マー? と長椅子のノコは不思議そうな声を出す。マーハが急に立ち上がったためだ。そのままサランの肩をそっと抱く。身長はマーハの方が高いのでサランの額がマーハの鎖骨がぶつかり、柔らかい胸にだきとめられるような塩梅になる。制服の匂いとジャスミンとスパイスの混ざったようなマーハ特有の香りに包まれて、サランは抱き寄せらるまま背中をそっと撫でられた。短期間で年上の人二人に甘えさせてもらってることをぼんやり考えながら、サランは泣きたくなるのをこらえた。
「――あんなことを言っていたのに、なんのお手伝いもできなくてごめんなさいね」
「いえそんな、こんなことでお嬢様の手を煩わせるわけにはいきませんから」
小間使いのふりをする余裕ももどってきて、目をとじながらマーハに抱き寄せられているという状態について冷静に考えることもできるようになってきた。よい香りのする佳人にやさしく抱き寄せられるというのは幼児退行を起こしそうなるほど快いものだ、と泣きそうになるのを防ぐためにあえてそんなふうに自分を茶化してみせる。
が、そんな努力をする必要もなかった。カッカッと、明らかに誰かに聞かせる目的の鋭い足音が廊下のあたりで響いた。次いでよく通るが感情をあまり感じさせない硬質な声が響く。
「鋸娘に迎え」
体言止めを多用する判じ物めいたしゃべり方、そして頑なにマーハ以外の名前を呼ばない姿勢を貫くこの口調、だれのものかがわかるより先にサランは慌てて身を寄せていたマーハから距離をとる。
あわてて気を付けの姿勢をとって、開け放ったままだったドアを見るとやはりそこにはすっくと立つヴァン・グゥエットがいた。象牙細工のような怜悧な顔に表情というものが伺えないが、やっぱりサランに寄せられた視線がいつもよりやや鋭い気がする。
大いに気まずさを味わうサランとは反対に、ノコはいたって無邪気だ。長椅子からとびおりて怜悧な顔つきも表情をものともせずにヴァン・グゥエットにまとい付く。
「迎えっ、ノコを迎えに来てくれたものがいるのかっ? 誰だっ⁉」
「お前の主」
「マスターが来てくれたのかっ⁉ どこどこっ」
「玄関」
「了解したっ。ここまで呼びに来てくれことはありがたいがしかし、ノコギリ娘とはなんだっ。ソウ・ツーないしノコと呼べというにっ」
文句を言いつつ全身から喜びを発散させたノコは、去り際にマーハへ向けてひざを折ってお礼をしてゆく。一応レディーとしてのお作法教室はちゃんと行われている模様だ。マーハも楽し気に、せっかくだから今の姿をあなたのパートナーにお見せなさいなと笑顔でアドバイスをしている。
とたとた……と廊下を駆け抜けてゆくノコの足音を追いかける形で、サランもつつつ、とマーハのそばから距離を取り書斎を後にした。ヴァン・グゥエットの視線の意味を読み取ったが故の光景だ。感情のうすい眼差しながら、明らかにマーハから離れるように命じていたのだ。
マーハにとってヴァン・グゥエットは七人目の
書斎の外に出ると、サランは頭を下げてノコのあとを追いかける。階段の手すりを滑り降りるという古典的なお転婆お嬢さん仕草を披露したノコはいち早く玄関までたどり着いていた。
普段の恰好とはまるで異なる、ピンク色のサマードレス姿になったノコを一旦下におろしてからフカガワミコトは目を丸くする。
「お前……っ、どうしたんだその恰好っ?」
「ふふん、どうだ参ったか。ノコはずいぶん可愛く奇麗になったと思わんか? マスター」
しかるべきタイミングで爆上がりした女っぷりを見せつけるつもりではなかったのか? とあきれるサランの目の前で、ノコはくるりとその場でスピンしてから、スカートのすそを気取ったしぐさでつまんで見せた。レディーと呼ぶにはおきゃんなしぐさだが、ノコの雰囲気にはよく似合うおませな仕草にフカガワミコトの表情もほころぶ。
「うんうん、ずいぶん可愛くしてもらったな。ノコ、お姫様みたいだぞ」
お姫様、の評価はずいぶんノコを有頂天にさせたらしく頭をなでられながら、この上なく幸せそうな表情でニコニコしている。しかしフカガワミコトは腕組みをするサランに顔をちかづけ心配そうな表情で囁いた。
「――なあおい、演劇部さんってどうなんだ? 変なことしてんじゃねえよなっ?」
「変なことってなんだよう? 気になることがあるならジンノヒョウエ先輩に直接訊くといいようっ」
「ばっ、……聞けるかよそんなもんっ」
あいさつ代わりにフカガワミコトへ軽い意地悪を放ったサランではあったが、フカガワミコトがノコの身を案じているらしいことには少し安堵めいたものを感じた。夜な夜な美と退廃の宴が繰り広げられているという根も葉もない(ことはない)噂の付きまとう
この辺の感覚もやはり、フカガワミコトはその辺の男子なのだった。良くも悪くも健康的だ。
サランは腕を組み、ノコにじゃれつかれるフカガワミコトを一睨みする。
「付き合いたてが一番楽しいって聞きはするが、あんまりそいつをほったらかしにしてやるよなぁ。なんだか知らないけど、寂しかったみたいだぞ」
そこまで自分がくちばしを挟むのは余計なお世話が過ぎる気もするものの、ノコがいることで
意味を理解したのだろう、フカガワミコトは顔を赤らめつつも自分に非があるのを素直に認めて頭を下げる。
「――まぁ……それは、確かに。悪かったな、ノコ」
頭をぽんぽんしながら、明日は一緒にビーチにでもいくかと声をかける様子は優しい兄さん然として微笑ましい。それにほだされたせいか、サランは余計なお世話を一つ追加する。
「それからワンドの不携帯はワルキューレの自覚不足だから一度シメてやろうかっておっかない先輩がおっしゃってたぞ。注意しろよな」
「! ――それ、アクラ先輩かっ?」
サランの一言にフカガワミコトはあからさまにびくついた表情をみせた。電流でも流されたような態度だったのでサランの方が驚く。自分でも大げさに驚ぎすぎたのが気まずいのか、フカガワミコトは自主的に弁明を始めた。
「ああ、あれだよっ。去年、ここに来てからちょっと経った頃にアクラ先輩に呼び出されて厳重注意くらったことがあったんだよっ。元風紀委員として目が余るって……――ってああああっ、あの時お前らのゴシップガールが嘘八百なこと書き散らしやがってたけどな! 密室で怪しい拷問くらってたとかなんとかっ!」
「それでも密室で厳重注意くらってたのは事実だったんだろう⁉ 嘘八百ってことはねえようっ」
弁明のついでに苦く不名誉な記憶まで思い出したらしく、サランにその時の怒りをぶつけだす。不当な怒りの矛先を向けられて、図らずもツチカの盛りすぎたかつての文章を庇う羽目になってしまった。屈辱だ。
しかもついつい大声を出してしまったせいか、階段を降りてきた誰かにくすくすと笑われてしまう。
振り向くと、口元に手を当てたマーハが玄関へ向けて歩いてくるところだった。後ろには相変わらず怜悧な面差しのヴァン・グゥエットを従えている。
演劇部のトップスター二人が階段を降りてくる様子に、サランよりもフカガワミコトの方が度肝を抜かれていた。ちょうど天窓から差し込む光がスポットライトのように二人を照らしていたのだ。容色もふるまいも美しい人を舞台やステージ上ではなく同一次元で接すると人はどうしても硬直する。
ゆったりと歩み寄るマーハは、まずサランへ、それからフカガワミコトへと微笑みかける。
「子ねずみさん、そこで立ち話はお行儀が悪いわ。フカガワさんを中までお招きしてちょうだい、お茶をお出ししましょう」
「――えっ、いやいやいいですいいですっ、ていうかあの、ノコがお世話になりまして本当すみませんっ、なんか服まで貸していただいて……っ」
「いいのよ。私もノコちゃんと一緒に楽しい時間を過ごさせていただいたから、そのお礼がしたいだけ。遠慮なさらないで」
太平洋校のえりすぐった乙女がいるそのへ入れと誘うマーハを前にして、玄関ポーチの端まで後退して、フカガワミコトはペコペコ頭を下げた。住む世界の違うスターを前にしてどうしていいのかわからない一般人そのものの様子を披露したのちに、ノコを背中におぶって回れ右をした。
「すいません、あの、トヨタマを待たせてますんでっ。――失礼しますっ」
脱兎のごとく、そんなスピードでフカガワミコトとはかけ去ってゆく。その様子は明らかに何かに怯えていた。演劇部のスターのオーラに気おされたのか、付き合う前からところどころで爆発させていたトヨタマタツミの嫉妬心を恐れたのか。とにもかくにもフカガワミコトの姿はあっという間に棕櫚の木立の向こうへ消える。ノコが呑気に、ばいば~い、と手を振る声が後に残った。
後にはサランと、演劇部のトップスター二人がそこに残される。最初に口火を切ったのは、珍しいことにヴァン・グウェットだった。
「要警戒」
二人はサランの背後にいる。いつものようにあまり感情を感じさせない声に振り向いて、慌てて目をそらす。
ヴァン・グゥエットはマーハの手を握ってドアの影に引き寄せて、その背中に手を回して支えていた。少し背中をそらせたマーハを抱き寄せたその姿はちょうどダンスのワンシーンのようにも見えた。美しく波打ったマーハの髪が揺れる。
男役を演じるうえで申し分のない身長を持つヴァン・グゥエットが、アーモンドアイでマーハの黒い瞳を見下ろす。いつもより感情がこもっているのは情熱的なその体勢のせいか。リングのないのアイボリーの右手が、リングのはまったミルクを入れた紅茶のような左手と絡み合う。
「元風紀委員も言っていた通りおしゃべり女は今はただ黙っているだけ」
「あら、じゃあ私が『ハーレムリポート』に登場することになるんじゃないかって心配してくれたの? ナタリアさんの二の舞にならないようにって」
「あの少年と過剰な接触は危険。マーが醜聞に汚されるより屈辱的な目に遭わさる様子を見るのは不本意」
あなたはいつも心配性ね、と濡れた声で囁きながらマーハはヴァン・グゥエットの首に両腕を回す。目のやり場がなくて床を見ていたサランの視界の片隅で、マーハの足がつま先立ちになる。いよいよどこを見ていいのか分からなくなり、サランは天井を見ながらそろそろと傍を離れた。
廊下を行き交っていた黒い練習着姿の訓練生たちは、ドアの陰で抱き合うトップスターをみてもさっと視線をそらしてその場をはなれていく。よく訓練ができているらしい。
夕焼けで赤く燃え上がる空を天窓越しに見上げながら、サランは階段を上る。玄関ドアの脇にいる二人のことから頭をそらすためにも、書斎の資料整理やその他のことについて頭を切り替える。あと数日後の満月の夜についても――。
そうするとさっき見たばかりの、ヴァン・グゥエットのリングのない右手がマーハのリングがある左手をつかんで引き寄せる姿がフラッシュバックしてしまう。書斎のドアの前でサランは一人小さくギャアっと声をあげた。
いやいや自分たちはただリングを交換するだけだ。ジュリが無事帰ってこられるよう、そしてこれからも一緒にいられるよう、もっとご利益が期待出来ればこの作戦そのものがワヤになるよう、ただただロマンティックで雰囲気があるだけの伝説にかけて祈るだけだ。
それよりなにより、ちゃんと二人で会って話がしたいだけだ。だって夏休みの前から全く口をきいていない。
気持ちをおちつけるためにメイド服のスカートをエプロンの上から撫でおろしていると、手が固いものに触れる。ノコからとりあげたままになっていた、アンティークの携帯電話だ。特に意味もなくエプロンのポケットから取り出して眺めてみたが、やっぱりそれは今では息をしていない大昔の通信機器だ。適当にボタンをおしてみても、光りも鳴りもしない。無論、ねーさんなるものから着信があるわけでもない。
当たり前だ、ねーさんはノコのイマジナリーフレンドなのだから。
――それをもう一度ポケットに入れて、サランは書斎に入り資料整理をして数日後の夜、
煌々と明るい十五夜の下に現れたワニブチジュリは、
「――何やってるんだ、お前は?」
「――約束の時間より三十分も前に来てしまった。これじゃあワニブチにリングの交換ごときをめちゃくちゃ楽しみにしてるって誤解されてしまうって恥ずかしさに襲われて死にかけていた」
目の前にあるジュリの靴を見ながら、今にもはじけてしまいそうな体を押さえてそう答えた。多分、夏休み前にはこんなふうにしゃべっていたはずだと、頭の中でリハーサルしながら口にした。
頭上から、はあっとため息が降る。
「人を呼び出しておいて、とんだ言い草じゃないか」
「うるせえな、それに怖かったんだ! ――お前にすっぽかされたらどうしようって」
挑発に乗ってサランは顔を上向ける、そこにあったのは夏までは毎日放課後にみていた、あの懐かしい顔だった。
雑なショートカット、伊達メガネでも隠せない整った両眼、それを引き立つ硬質な美貌。
月光に照らされたワニブチジュリはサランを見下ろし苦笑していた。
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