#31 ゴシップガールの分別と多感

 学校施設として旧日本の規格で建てられた文化部棟。


 四角い箱に等間隔の窓を並べた壁、非常階段、渡り廊下と一階の出入り口があるだけ、クリーム色がかった白に壁面を塗られたその外見はまさに学校の敷地内にある建物でしかなく建築物としての面白さや美はまるで認められない。


 それでもまじまじとみてしまうのは、規制線で閉ざされた出入口や、ぴっしりと閉ざされた窓、そして異様な静けさがあまりに文化部棟らしくなかったせいだろう。ほんの数か月前まで毎日通い、低レアのワルキューレ達の騒動であれほどにぎわっていたのが嘘のようだ。無人の文化部棟は見知らぬ建物のようによそよそしい。


 学科の授業が終わり、放課後が始まるとマーハの待つ泰山木マグノリアハイツへ向かう前に一旦文化部棟を眺めるのが、教職員によって強制的に閉ざされた日から始まったサランの習慣になっていた。

 全世界をまきこんだ炎上騒ぎの大元はそもそもは文化部棟発信の電子個人誌ジンである。大体わが校のワルキューレは、自主性とワルキューレの権利の名のもとに人類と地球を守るという命題をおざなりにしてまで部活動にうちこむなので軽佻浮薄で真摯さに欠けるものが多すぎる。おまけに破廉恥な創作物で荒稼ぎをするおおよそワルキューレらしからぬ者も多い――という所から、苦々しく文化部棟を眺める理事や教職員の一派もいたわけで、これ幸いと一方的に一時閉鎖を宣言したのだった。

 もちろん大半の文化部棟メンバーは反対し、立ち退きの強制執行当日には部の壁を乗り越えて一致団結したメンバーと教職員の激しい攻防が繰り広げられたが、ワルキューレではない一般人類の警備員相手に全力は出せず、低レアたちは自分たちの巣から叩きだされたのだった。


 こうして住処を追われた文化部棟の住民たちは太平洋校のあちこちへ離散した。あるものは勝手に空き教室を占拠し、あるものは廊下や階段の踊り場を独占し、気合の入ったものは木材を入手して小さな小屋を建てるなど、傍若無人にふるまっていたのであちこちで風紀委員との衝突が見られたが、文化部棟員たちはしぶとかった。そして楽観視もしていた。

 なんといっても部活動は太平洋校の華である。

 世界情勢を左右するレベルのエリートを育成・輩出する大西洋校、名門大学に匹敵する研究機関を備え外世界研究の拠点の一つともなっているユーラシア校、そんな中いつしか「好き勝手ばっかりやってるお調子者の巣窟」という三の線でイメージで語られがちになっていた太平洋校。しかし時に憧れの眼差しで見られることも多く越境入学を希望する者も絶えないのは、商業活動が認められるほどにおのおの自由な表現活動を保証した部活動の華々しさにある。


 部活動なくして太平洋校は成り立たない。ほとぼりがさめればいずれ閉鎖も解かれていつもの日々が舞い戻ると楽観視するワルキューレが少なくないのはむしろ当然と言えるが、危機感を抱くものも少なくない。

 

「サメジマ氏~」


 不意に声が降ってきたので見上げると、閉鎖されている筈の文化部棟の屋上から手を振る者がいた。どういうわけかヘルメットをかぶって「文化部の分断を許すな!」と独特の書体でレタリングされたプラカードを持っている。1970年代にタイムスリップしたようないでたちでいるその子は、声で簡単にケセンヌマミナコだと察しがついた。見るとその周囲に数名の有志がいた。ただし、ヘルメットをかぶったりプラカードを持ったりゲバゲバした扮装までしているのはミナコだけである。

 手を振り返すと、一体どこで入手したのやら、ガーガーうるさい手持ちの拡声器でサランに呼びかけてくる。


「お久しぶりでござる~。しばらくぶりであるがお元気でござったか~」


 サランは右手を振ってミナコに音声を伝えようとしたがうまくいかない。何度か試みてから、現在文化部棟一帯で拡張現実にアクセスできない処置がとられていることを思い出した。それどころかこのエリア一帯、通常の音声通話すらできないようにリングの機能を制限しているようだ。きっと単純なメッセージのやりとりや、画像や動画の撮影といった機能にすら使用制限がかかっている。そんな厳重さにうんざりしながらも、サランは屋上に向けて怒鳴り返す。


「久しぶりー! 夏からこっち、ずーっと迷惑かけ通しでごめんねー!」


 構わんでござる~、と、ガーピーガーピーとノイズがうるさい骨董品の拡声器ごしに呑気にミナコは返した。ミナコと同じ漫研のメンバーか、屋上にいる面々が雑談を始める仲間を窘めている。スイッチの入った拡声器は、やめなよ、とか、あの人文芸部の……といったミナコ以外の者の声も混ぜて届ける。

 現在の文化部棟メンバーの中で文芸部員のへの風当たりが強いのはサランも察している。それは致し方ないと諦めた上、サランはミナコへ問いかけた。


「でー、そっちは何やってんのー?」

「文化部棟有志による当局の横暴への抗議行動でござる~」

「ああ~、それでそういう格好……」

「立て籠もりといえばこれでござろう~、一度やってみたかったでござる~」


 そういうなりミナコはえへんえへんと咳払いをしてから、口元に拡声器を当て徐にスピーチを始めた。


「〝静かにせい、静かにせい! 話を聞けっ! 男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ″」

「ケセンヌマさーん、うち一応元文芸部だから忠告しとくけど、それ違うようー。思想がその恰好と多分正反対だようー!」

「? そうでござったか、ご忠告感謝でござる~」


 1980年代二次元文化には詳しいのに昭和文化史についてなにやらうっかり基本的な誤解をしていたらしいミナコがヘルメットごしに拳をぶつけて「てへっ」と舌を出している間に、屋上の有志は横断幕を手際よく用意していた。白地に荒々しい毛筆で、「文化活動に貴賤なし‼」とものものしいフレーズが書かれていた。


 サランの位置からはよく見えないが、ときおりギターの音色が届くあたり軽音部の有志もまざっているようだ。彼女らのファンなのか、フライヤーを握りしめたファンらしきワルキューレのグループのサランの近くにいた。

 いつのまにやらサランの周りにも、新聞部の腕章を巻き本物の骨董品であるフィルム式の望遠カメラやディスクに保存する式のハンディカムを構えたワルキューレのグループがちらほら集まりつつある。腕章からリベラル系新聞の記者だということが分かった。

 

 あの人たちにつかまると面倒くさいことになりそうだ。

 サランはそう判断して、ミナコへ向けて声をかける。

 

「んじゃあ、うちはもう行くね~。とにかく頑張れ~」


 そしてさっと離れたサランは、何気なく目にした非常階段を目の当たりにして目を瞠った。机や椅子でぎっちり屋上への出入り口は封鎖されていたのだから。閉鎖されている屋上にどうやって侵入したのか、そしてどうやってバリケードをを築いたのかには興味が湧いたが注目を避ける方が先だ。

 ほどなくして背後から軽音部のものによる、ぎゅいんぎゅいんと荒々しくやかましいギターが鳴り響く。そしてミナコ以外の誰かが拡声器を受け取ったらしく、ものものしくスピーチを始める。


 煽情的な女性キャラクターを描くのを得意とするケセンヌマミナコが文化部棟閉鎖への抗議活動に参加するのも自明の理だな、と泰山木マグノリアハイツへ向けて歩き出しながらサランは納得する。

 抗議活動に参加している文化部棟の住人たちは、ほとぼりがさめれば文化部棟の閉鎖は解かれる、と、楽観視している者たちということになる。つまり危機感を抱いている。

 理事会と教職員、そしてこの件に関しては風紀委員を差し向けるだけで一切なにも言ってこない初等部生徒会の総意は「文化部棟の浄化」、それに違いないと抗議行動に参加しているワルキューレ達はそう考えている。


 世界規模でファンを持つ演劇部、乙姫基金のみならず学校全体の基調な収益源かつ宣伝媒体でもあるヒロインワルキューレを生み出すノウハウに長けた総合文化企画部は特例で現在も活動を続けている。文化部棟に本籍があるとはいえ演劇部の拠点はほとんど泰山木マグノリアハイツのようなものだし、総合文化企画部は多目的教室を使用する許可を体よくとりつけていた。新聞部も保守系とリベラル系は拠点を移して活動中だ。

 そのほか目立った業績はあげていなくても茶道部華道部吹奏楽部合唱部歴史研究会といった伝統的文化系活動は文化部棟の閉鎖が解けると同時に問題なく部活動再会の許可はおりることだろう。

 しかし、ワルキューレは人類の模範たる乙女たれといった規範を手放そうとしない理事や教職員たちが、あられもない姿の美少女イラストを描くミナコや、時に侵略者ではなく非戦闘員に暴力を振るわれそうになるワルキューレに関する実態をメロディーにのせて告発する軽音部、出撃先でみかけた世界のさまざまな実態を訴え活動する系のサークル、かつてなら超能力や霊能力と称されたであろうワルキューレたちが迂闊に近寄ったらとんでもない事態を引き起こすかもしれないと懸念されている黒魔術研究会他、大人たちからみて好ましくないと判断される部活動に所属するワルキューレの活動再開の許可がおりるかどうかは限りなく不透明である。

 

 不透明どころか、これ幸いに排除されるはずだと見なされている。


 故に同じ文化部棟民であっても、楽観視するものと出来ない者との間に大きな温度差がある。文化部の分断を許すな! という横断幕もこの処置が予想されるが故に用意されたわけだが、現状、大人たちの目論見通りに文化部は真っ二つに分かれている状況といえる。

  

 文化部棟は低レアたちの寄り合い所帯だ。好きなことを好き放題やりたいというもののオアシスだ。資質的に一致団結に向いていない者たちの楽園だ。

 お前たちは安全圏にいるよと示されているものが、わざわざ危険を冒して危険水域にいるものを助けようとするだろうか。


 ――これをあのキタノカタマコが見越していたとしたら。


 歩きながらサランは考え続けた。

 おそらく文化部棟に対しては好印象を抱いていない、しかし先代中等部生徒会のように力づくで浄化作戦を決行するような愚は侵さない、文化部活動の価値は十分に認めていると宣言していたキタノカタマコが理事会と教職員のこの行動までみこしていたとしたら。


 歩きながら、サランはぶるっと身震いをした。


 何にせよ、文芸部に対する風当たりは強さに変化はない。

 世界的炎上の火元と深いつながりのある文芸部が大っぴらに活動できるわけがなく、部員たち面々は、文化部棟に災厄をもちこんだという誹りを甘んじて受け入れながら苦境を耐え忍んでいる。

 シャー・ユイもしばらく公開できる目途の立っていない小説やエッセイを書き続けてはいるようだが「マー様達に合わせる顔が無い」といって演劇部の取材にすら現れない(「そんなことで気にしないで今迄通りお顔を見せにいらっしゃいって伝えてちょうだい」というマーハの伝言をメッセージに託してはみたが、それでもシャー・ユイは姿を見せない)。


 後ろ指を指されるものの地位に転落した文芸部員の中で、当然部長のジュリへの風当たりは一番強いものであった。

 一般生徒のためのおしゃべり用掲示板ではあることないことが書かれているし、本人だけは見えない設定になっている悪口や揶揄の言葉がペタペタと張り付けられている。

 無造作に切った髪にわざわざ伊達メガネなんてかけ、校則の規定どおりに制服を纏い、自分の容姿をサイズダウンさせているジュリは、シモクツチカの侍女だった時代を知らないワルキューレにはたんなる野暮ったい先輩でしかない。ツチカが去って以降は不必要な社交を避けるようになったせいで、一人で物静かにしていることが多い。そのせいで何をやっても怒らない相手だと認識するタチの悪い者も湧いて出て、チキンレース間隔で悪口の書かれた拡張現実上のポップを張り付けている者まで出てくる始末(そういう後輩をたまたま見かけたサランはリーダー格を見抜いて有無を言わさず頭突きを食らわせて泣かせた)。


 当のジュリはというと、自分の全身が見えなくなるほど悪口のポップや吹き出しが溜まってようやくすべてを削除することを繰り返すくらいで、外部の情報が一切届いていないような涼しい態度で過ごしていた。

 寮の食堂、学科の教室、廊下の片隅で一人でいるジュリをサランは遠巻きから見つめるしかない。


 ――あの人、大型作戦に参加することになってるんだよね。かわいそ~。

 ――でもしょうがなくない? 今の今まであんな連載でお金かせいでいたんだもん。そりゃ生徒会長だって怒るって。

 ――罰が当たったんだって。

 ――でもさ、ちょっと怖くない? 私怨だけでああいうことする?


 さざなみのような陰口などまるで耳に入らないように、ジュリは席に着き、窓の外を眺めるか愛読している古い文庫本を読んでいた。


 その様子をサランは歯がゆく見つめていた。

 時折、わざとらしくジュリの傍をうろうろしてみたり、小物をおとしては拾わせようとしたり、わざとらしい行動に及んだが、ジュリはあっさりと無視を決め込んだ。サランがそういう行動に及んだ日は必ず一筆箋状のフォームを使ってメッセージを寄越す。「文芸部員はフカガワハーレムにお触り禁止」。


 有名無実になっているというのに、ジュリは頑なに言い張って接触を断つのである。

 ああもう勝手にしろ! とサランはむしゃくしゃしながら寝入る幾日をすごしていた。

 全くもう、次の満月までもう間がないというのに。

 折もよく、中秋の名月の日だというのに。



 気が急くも事態は進展せず、ただひたすらに重たい気持ちのままメイド服に着替え、泰山木マグノリアハイツの階段を上って書斎へ向かう。その日は非常に気が重くなる仕事がサランを待ち受けているのだから。

 控室ですっかりなじんだメイド服に着替えた所で、演劇部の訓練生に小さなお菓子とお茶を淹れた三組のティーカップを乗せたお盆を渡される。書斎にいるお客様にお出ししてください、と頼まれた。


 さあいよいよ気の重くなる放課後の幕開けだ、という思いを隠さずサランはため息をつきつつお盆を受け取った。その前にティーカップとお菓子の数に首を傾げる。


「今日のお客様は二人って聞いてたけど?」

「それが、急遽もう一人お客様が増えたんです。それがまた以外な方で」


 訓練生の説明を聞きながら、サランはため息を吐いた。

 今日はマーハの主催で演劇部外からのお友達を招き、ちょっとしたお茶会を行うとは聞いていた。そのお客様が誰であるかを事前に耳にしていた為にサランは憂鬱で仕方が無かったというのに、その上さらに予想外のことが起きるのか。

 訓練生は気の重さを隠さないサランを窘める。ダメです、笑顔ですよ笑顔! と、演劇部じこみなピカピカの愛らしい笑顔を浮かべて見せたのでサランもそれに倣ってぎこちなく笑顔を浮かべた。

 その笑顔のまま、お茶とお菓子を乗せたお盆を支えつつ階段を上り、書斎の扉の前に立つ。そして深呼吸を一つしてコンコンとノックをした。


「どうぞ」


 ドアの向こうから低いがよくとおる声が聞こえる。その迫力に身震いしたあと、サランは脳天から妙に甲高い声をだして応対していた。


「失礼します。あの、お茶をお持ちいたしましたぁ」

「分かった。入り給え」


 入室の許可が出たので、片腕でお盆を支えつつサランはドアをゆっくり開く。

 失礼致しまぁす――と、緊張から妙に上ずった声で断りつつそろそろと慎重に入りなれたはずの書斎に足を踏み入れた。表情はぎこちない笑みを浮かべたままだった。


 書斎にいる来客は三人、二人はマーハがいつもゆったり腰をかける猫足の長椅子の上で休息中。もう一人はマーハの蔵書が並んだ本棚の前に立っている、赤褐色の肌に一つにまとめたカーリーヘアの高等部先輩だ。そこまで大柄ではないにもかかわらず、制服姿でもわかる筋肉質で無駄のない肢体からは尋常ではない迫力が滲み出ている。

 初等部前風紀委員長で現在は園芸部員のアクラナタリアは、お盆をもったまま直立するサランに黒い瞳だけを向けてちらっと見やった。


「気遣い感謝する。そこに置いておいてくれ。後でいただこう」


 内容はサランを労うものだったが、いかんせん低くよくとおる声と軍人めいたものものしい言葉遣いと二年前に文化部を恐怖のどん底に陥れた張本人であるという印象から、ナタリアの発した言葉はサランを不必要に震え上がらせた。 

 はいぃ、と、裏返った声で返事をしてから客人二人が並んで座っている長椅子のそばにある小さなテーブルにそっとお盆をおこうとして、目を丸くした。


 長椅子の上に座り、ひじ掛けにもたれるようにしてすやすや眠っていたのは金髪に白い肌のレネー・マーセル・ルカンだった。それはいい。マーハから直々に、レネー・マーセルとアクラナタリアの二人を招いたとサランも既に聞いていたから、その点に関しては心の準備が出来ていた。

 しかし、そのレネー・マーセルにくっつく形で、幸せそうに口を半開きにしながら眠っている銀髪の小さな少女——フカガワミコトのワンドのソウ・ツーノコ――がここにいるとはサランは予想だにしていなかった。

 

 長椅子の上で折り重なるように眠る金髪と銀髪の二人の少女を、窓から差し込むレンブラント光線は優しく照らしている光景はまさしく絵画のようではあったが、そんな様子をまじまじと見入る余裕はサランにはない。

 一瞬言葉を失っている隙に、ノコはひくひくと小さく鼻を蠢かせた後、むくっと跳ね起きた。


「いい匂いがする! お茶会が始まったのか!」


 小さなシュー菓子の匂いでここまで目をきらきら輝かせるノコの食欲旺盛ぶりを久しぶりに目の当たりにするサランは、あわてて我に返ったとりあえず聞きたいことがある。


「ちょっと待て、なんでお前がここにいるっ⁉」

「むぅ、お前こそなんでここにいるんだ、ぶんげぇぶのちんちくりん。そんな変な格好までして、一体なんの遊びだっ?」

「うるせえな、お前らと出くわしてから色々あったんだようっ! それよりお前なんでここに――」

「そんなことより今お前が持ってるお盆の上のお茶とお菓子はなんだっ? お茶会が始まるのかっ?」

「お茶会はお嬢──ジンノヒョウエ先輩がお戻りになられてからだようっ、練習が終わるまでしばらくかかるからっていうお計らいで……って、それよりお前なんでここに――っ」

「貰っていいのかっ、お菓子、貰ってもいいのかっ」

「あーもうそれより人の話をきけっ! なんでお前がここに――っ」


 メイド服のスカートにまとわりつく、しつけのなっていない子犬のようになったノコに手を焼いている間にナタリアが冷静に答える。


「ここに来るまでにたまたま見つけてな、こいつ一人つまらなそうにしていたから連れてきてやったんだ。ジンノヒョウエも客が一人増えたところで構わんと言っていた」

「――は、はあ」


 とにかくようやくテーブルの上にお盆を置き、待ちかねた様子のノコにお菓子のお皿を手渡しながらサランは頷いた。が、状況はよく読めない。


「こいつが一人って……フカガワミコトは何やってんだ? 自分のワンドほったらかして」

「ノコはもう、マスターのことなんて知らないんだ」


 菫色の砂糖衣で飾られた愛らしいシュー菓子に被りつく。口の周りをクリームまみれにしながら、ぷりぷり怒った口調でサランに告げた。


「マスターはタツミとばっかり遊ぶようになって、ノコのことなんてお構いなしだ。カグラはカグラで最近は新しい友達と一緒にいる。誰もノコのことを構ってくれない。ノコはここのところずーっと一人で寂しかった。ビーチに行っても、タツミのとこの亀すらいない。こういう時に限って出撃命令もない。ノコは一体なんのためにこの世にいるのか、どうして地球人でもワルキューレでもなくまして侵略者ですらなく、意志を持つワンドとしてこの世界の片隅にいるのか、思わずレゾンデートルについて悩んでしまった」

「――ああ……ったくしょうがねえなあ、お前のご主人様たちは……」


 確かに、両想いになったとたんすっかり大人しくなったトヨタマタツミと照れくさそうに並んであるくフカガワミコト、その後をふくれっつらでついて歩くノコの様子は頻繁に目撃されてはいた。初々しい恋人の造りだす「二人の世界」からのつまはじきにあってしまい、相当面白くない日々をすごしていたらしい。意志を持つ存在であれば当たり前だな、とサランは一応納得はした(あとついでにレゾンデートルなんて言葉をよく知ってるな、やっぱりただの食い気が勝ったガキんちょってわけではないのだな、と妙な所で感心もした)。


「あんまりくさくさするもんだから、ヤシガニでも捕まえて焼いて食おうとしていたところにナタリア達に出会ったんだ。これからお茶会に行くからお前もくるかと誘われたからついてきた」

「お前とは縁が無いわけでもないからな。一応これでも〝フカガワハーレム″のメンバーだ」


 本棚を見つめたまま、ナタリアは答えた。どうやらナタリアなりの冗談のようだったが、元文芸部員のサランにはパンチの効きすぎた皮肉として響く。


 サランたちが初等部二年の時に編入した当初から、なぜか知らねど更衣室に迷い込んでしまったり、うっかり転んでしまった拍子に押し倒したり体に触れてしまったりといったトラブルをフカガワミコトは連発し、なぜかその被害者になりやすかったトヨタマタツミを激怒させては追いかけられて斬撃を放たれるという日々を過ごしていた。

 高等部に進級し、初等部の運営に携わらなくなったはずにも関わらず学園の風紀を乱す不穏分子であると同時に世界で唯一ワルキューレ因子を持つ男子」としてのフカガワミコトに多大なる関心を抱き、ときに尋問にかけることもあったとほのめかす、氷のように怜悧でサディスティックなかつての鬼の風紀委員長。それが『ハーレムリポート』に登場する際に描かれるアクラナタリアのキャラクターである。

 それは、レネー・マーセル・ルカンと二人ペアで世界各地の大都市に現れる侵略者を華麗に退治するヒロインワルキューレとしての姿と「クールな女の子」という点を覗いてあまりにもキャラが違いすぎる故に、一体どっちが本当のナタリアなのかとファンの間で物議を醸しだしたこともある。そういった事情から、ナタリアとレネー・マーセルのプロジェクトおよびマネジメントを担当し、文芸部の直接のOG達も多い総合文化企画部からクレームが入ることも度々だった。

 それが関係したのか、単に接触機会が少なかったからなのかどうかは不明だが、『ハーレムリポート』の「クールでサディスティックでセクシーな先輩」枠でナタリアが登場する頻度は著しく低い。それでも、「フカガワミコトを尋問にかけたことがある」という動かしがたい事実があったが故に、ナタリアはフカガワハーレムの一員としてレディハンマーヘッドに扱われている。


 これは文芸部に対して何かしら腹に一物かかえていらっしゃることだろうなぁ……、とサランとしては身構えずにいられない。


 故にサランはアクラナタリアに対して過剰に緊張してしまうわけだが、その心境を知ってか知らずか、ナタリアはシュー菓子をあっという間に平らげるノコに話しかけた。


「しかしお前のご主人様もずい分呑気なものだな。側室の一人が世界のヒロインに躍り出たという形で派手にやらかしているのに放置したままか?」

「一応、なんで特級の自分たちを差し置いて上級メンバーにばかり出撃命令が出てるんだ、それは変だから俺たちも出るってタツミと一緒に直訴してたぞ。でも、マコがそれを却下したんだ。あなたがた二人は太平洋校の貴重なエースだから私には護る義務があるって。それでタツミとマコがまたケンカになった。あいつらはいっつも顔を合わせると喧嘩ばっかりする」

「そうか、成程。ハーレムの主というのも哀れなものだ、側室達の管理やご機嫌取りも一筋縄でいかんといういわけか。――よかったら私の分の茶菓子も食え、ソウ・ツー。腹が減ってるんだろう?」

「! いいのかっ!」

「ああ、構わん。ただしレネー・マーセルの分まで間違って食ったりしないこと。いいな」

「勿論だ! ――ノコはずっとお前のことを鬼みたいなヤツだと思ってたけど本当はいいやつだったんだな、ナタリア!」


 ぱああっと分かり易く顔を輝かせるノコと、一見優しく微笑むナタリアを見比べて、サランはひええ……、と声を失いつつ同時に感心していた。なるほど、情報収集というのはこうやるのか。

 そして、今回のお茶会の理由と、はぐれてさみし気にしていたノコをなんの魂胆もなくお茶会に誘ったわけでもないことをサランは悟った。

 初等部時代、秘密警察長官だなんて陰口を叩かれていただけのことはある。──そして同時にお菓子一つで簡単に口を割ってしまうノコの短慮も心配になった。六月末に九十九市のさんお書店であった時から察しはしていたが、レゾンデートルなんて言葉を知っている割にノコはあまり賢くはないタイプだと見なさざるを得ない。


 ともかくお茶は運んだ。

 

 今日の書斎は、マーハ主催のお茶会の控え室として使用中。サランはお客様のお世話をすることになっているが、ナタリアは本棚の本が気になるらしくずっと眺めているし、レネー・マーセルは眠り姫のようにお昼寝中、ノコはお菓子とお茶があればとりあえずご機嫌そうだ。


 ナタリアといるのがひたすら気詰まりなサランは、恐る恐る声をかけてみた。


「それではアクラ先輩、何かしらご用命の際にはなんなりとお申し付けください。私は別室で控えておりますので」


 では、とそのままさりげなく退室しようとするサランを本棚から一冊の本を抜き取りながらナタリアは呼び止めた。


「まあ待て、私はもうただの園芸部員だ。そこまで怖れる必要もないだろう、元文芸部員」


 パラパラと本のページをめくり、そしてピン来なかったのかそっと元の位置にしまった。


「私とお前は一応フカガワハーレムのメンバーだ。正室争いに負けた側室同士、傷を慰めあうのも悪くなかろう。妬心を忘れたハーレムのメンバー同士が友情めいたものを築く展開を喜ぶ読者も多いと聞く。違うか?」

「──イヤなタイプの冗談を仰いますね」

「よし、その表情、その態度だ。さっきソウ・ツー相手にしていたように今から普段のお前通り普通に話せ、サメジマサラン。何も構えることはない、私はお前と本の話がしたいだけだ」


 フカガワミコトの側室扱いされて思わず本気でムッとしてしまったサランが悔やんだ時にはもう遅く、それがナタリアの計略だと知った時にはもう退室を許されない空気になっている。

 何しろ口さがないゴシップガールには「クールでサディスティック」と書かれたこともある先輩がランと本の話をしたいと言っているのだから。


「ほ、本の話──ですか」

「ああ。ジェーン・オースティンは好きか?」

「ジェーン・オースティンですか? すんません、うちの専門は二十世紀の児童文学と二千年紀の旧日本大衆文学で大人向けの英米文学の方はちょっと」

「そうか。──意外だな。本が好きでたまらんという旧日本出身女性は多感な時期に『赤毛のアン』に親しんだ後にブロンテ姉妹を経由してシェイクスピアでも論じ出すものと思っていた」


 それはちょっとデータが古いんじゃ……と、サランは思ったが口にはしなかった。ナタリアの意図が読めなかったからである。

 その代わり、とりあえず質問はしてみる。ペースを握られっぱなしだと不安にるからだ。


「えーと、アクラ先輩はお好きなんですか?」

「ああ。高等部生になって暇になった時、レネー・マーセルが勧めてきたんだ。『高慢と偏見』をな、本を読むとすぐ眠くなるのに珍しくすごく面白いから読めと言って。──それまで小説だなんて絵空事を書き綴った文字をひたすら追いかける行為に意義がさっぱり見出せなかったが、なるほど、あれは確かに面白い」

「はあ」


 サランはというとナタリアがどうして好きな作家について語り出すのかがさっぱり分からない。それでもなんの意味もなく本について尋ねているわけではないだろうことは、さっきのノコのあしらいかたを見てもわかる。

 なにかしらサランと情報交換をしたいという意図がある、というあたりをつけてサランは腹をくくった。

 とりあえず命令通り、普段の自分らしい口調で話題をナタリアに合わせてみる。


「でも『高慢と偏見』ってあれって訊きますよう? ロマンティックコメディーの元祖とかなんとか。うちどうも恋愛ってやつが苦手なんでどうしても食指が動かないんです」

「確かにそういう面もある。が、あれはもっと、どうしようもできない理が支配した世界の物語だ。女に家督相続権が無かった時代、一時的な恋にのぼせ上って下手な男と夫婦になれば家名は貶められ没落は免れず経済的に破綻するという容赦ない世界で、名誉と生活レベルを維持しつつ生き抜かんとする人間たちの愚かしくも愛おしい営みが描かれている。――そこが素晴らしい。家族氏族すら解りあえず、油断をすれば寝首をかかれる、そのような苛烈な戦乱の世の様相を真上から見下ろす心地すらしていしまう」


 横から見つめるナタリアが初めてにんまりと笑みをこぼしてみせた。

 ヴァングゥエットほどではないにしてもあまり表情が豊かなほうではないナタリアが笑ってみせるのだから、この先輩がオースティンの小説を愛しているのは確かなのだろう。しかし、うっすらと唇をなめるような笑い方は「サディスティック」というゴシップガールによって一方的につけられたキャラクターを肯定しているようでサランは脅えた。


 そもそも、こんな風な笑みを浮かべて楽しむような小説なのだろうか、ジェーン・オースティンって。世間の評判と全然違うんだけど。


「私は『分別と多感』が一番好きなんだ。――あれはいい。最高だ。分別のある姉がどうやって今いる階級から転落せずに済むかを慎重に考えて実行に移し自分の感情も冷静に制御して行動しているにもかかわらず、妹は自分の感情の赴くままに好き放題生きている。姉が盤上に駒をおき家族や家柄という玉を護るという防戦を必死に展開しているにもかかわらず妹は全くそんなことを考えもせず感受性のおもむくままにロマンスに突き進む。下手な相手と結婚すれば自分たちは今いる階級から転落するのは必至、不労所得を得られる身ではなくなるというのに、だ。まるで間諜まみれでボロボロの城塞を持ちこたえさせろという指令を課せられた上に自軍にはバカしかおらん一軍の将になったような気さえする。読んでいてスリリングで実に堪えられん」

「はあ……」


 とりあえず、この先輩の『分別と多感』評はかなり独特なのではないか。

 押さえきれない興奮を滲ませているナタリアの非常に楽し気な感想を聞きながら、サランはその思いを強くするだけだった。


「この小説の主人公で分別のある姉の名前はエリナー・ダッシュウッドというんだ。妹の多感でロマンスに正直な妹はマリアン・ダッシュウッド。分別をわきまえた女と恋愛に感応しやすい女の二人組だ。――お前には心当たりがあるんじゃないのか、元文芸部員のサメジマサラン?」


 今まで並べられていた本のタイトルを眺めていた本棚に背を向けてサランの正面を初めて見たアクラナタリアは、黒い瞳に力を込めてまっすぐに問うた。

 ナタリアのブックトークの意図が読めず怪訝さだけを募らせていたサランに不意打ちを浴びせるような、突然の問いかけに面食らい、言葉を詰まらせる。


 ナタリアがサランに口に出させたい二人は、明らかにジュリとツチカのことだ。

 元鬼の風紀委員で、取り締まられる側と取り締まる側として少なからずツチカと因縁のあったナタリアが、かつての侍女だったジュリとの関係について尋ねているのだ。

 そのことをサランは理解した。ふうっと息を吐いてからサランははぐらかすように答える。


「――……そう、ですね。うちの知ってる誰かと誰かによく似ている気はしますよう」

「二人と同じ部にいたお前から見てもそういう関係だったというなら安心はした。――それにしても哀れなのは分別のある侍女の方だな、主のため家族のため、冷静に状況を見極め中心を演じ、小うるさい道化の役まで引き受けさせられた挙句、またこうやって多感な主人が引き起こした短慮の尻ぬぐいをさせられる」


 ナタリアは本棚に軽くもたれた。形良く突き出た胸の下で腕を組み、戦いに挑む寸前の武者めいたどことなく好戦的な雰囲気をその表情に漂わせる。全世界の女児の憧れを集めるクールな知将ヒロインワルキューレをやっている時にはなかなか見せない表情だ。

 今にも血を浴びたそうにしている表情に反して、ジュリに寄せる同情は皮肉でもなんでもないらしく本心のようだ。


「ワニブチジュリの家族関係については調べはついている。実家の稼業は未だにシモクインダストリアルとおんぶにだっこのようじゃないか。髪を切ろうが伊達メガネをかけようが、あの女と物理的な距離をおこうが、あの娘は未だにあの女の侍女のままだ。実に実に、哀れな娘だ」


 あの女。ツチカらしき人物を口にする時、ナタリアは棘と嫌悪を隠さなかった。

 風紀委員長だったナタリアと、不品行な不良ワルキューレだったツチカの因縁は浅くない。文化部棟の浄化作戦も、ツチカの退学騒動に端を発している。

 ワルキューレ憲章を信望する当時の初等部生徒会長レネー・マーセル・ルカンとその友で風紀委員のアクラナタリアは、主義思想からしてシモクツチカとそりが合わないと見るべきだ。


 やはりこの先輩はシモクツチカのことが嫌いなのだな、という確信を得るためにサランは訊ねた。


「さっきお話になられた小説に出てくる妹の方――、アクラ先輩はあんまりお好きじゃないようで?」

「――そうだな。だがオースティンの小説に登場するヒロインにもっと我慢がならないやつがいる。エマ・ウッドハウスという女だ。多少機知には富んではいるが、そのせいで男女の仲をとりもとうとするなど自分が周囲の人間関係をどうにかできると思い上がっている、救いがたい女だよ」

 

 我慢ならない、救いがたい。

 小説の登場人物を介したシモクツチカ評を得て、おもわず頷く。やはりこの先輩はかわらずツチカのことが嫌いなようで。


「オースティンの小説で騒動に巻き込まれるのはせいぜい数家族だ。だが、今回あの女がやらかしはどうだ? 世界規模の混乱を引き起こした上にそうなると判った上に侍女を窮地に立たせている。――実に愚かで最悪なワルキューレだ」

 

「でもないと思いますよう?」


 自分の口からぽろりとこぼれた一言に、何より誰より驚いたのはサラン本人だった。

 口走ってから、目を丸くして口に手を当ててしまう。

 それに合わせたように、ナタリアも微かに目を見開いた。サランの反応が予想外だったのだろう。秘密警察とまで揶揄されたこの先輩のことだから、サランが現在はジュリの親友にして婚約エンゲージ相手であり、そしてツチカを蛇蝎のごとく嫌っていることぐらいは押さえていたはずだ。

 それなのに、親友に何度もトラブルのしりぬぐいをさせた上に窮地に立たせようとしているツチカをなぜ庇う――? という純粋な疑問がその表情に浮かんでいる。


 しかしやはり、一番わからないのはサランなのだ。

 唯一判っているのは、一方的にツチカを救いがたい愚か者と断じる先輩にうっかり反感めいたものを抱いてしまったということだ。要は少しカチンと来たのだ。

 ただし今となっては、カチンときてしまったことに後悔せずにいられなくなる。

 おろおろ、わたわたと慌てながら、サランはうっかりツチカを庇ってしまったことへの弁解を試みた。


「え、ええとですねっ。確かにアクラ先輩が仰ってるであろうアイツはうちも嫌いだし、恋愛脳の大ボケ女だと思いますけどっ、でも、そこまで単純明快なバカじゃないといいますかですねえ……っ」

「成程、では複雑奇怪なバカというわけか?」

「いやその……っ、バカではない、と言いますか。何を考えてるヤツなのかはわからないけれど、バカだけではないことは確かと言いますか……っ」


 しどろもどろになりながら、サランは、ああああっと空をかきむしる。何故にどうしてツチカの名誉回復に手を貸しているハメになっているのかまるで分らないのだ。

 分からないけれど、でも、シモクツチカをバカで愚か者という評価にとどめておくのは何かしら本能が許さないのだ。


 ワルキューレの才能に溢れていて、特級入りは確実と見なされていて、それなのに性格は最悪で、誰彼構わず毒舌を吐いてバカにして、校則どころかワルキューレ憲章すら足蹴にしまくって、スキャンダルを起こして退学を食らった不良ワルキューレ。

 学園から遠くに離れているくせに、学園で交わされるゴシップを低俗な読み物に仕立て上げて、当事者たちのプライバシーを侵害しながら全世界にまき散らしたはた迷惑なゴシップガール。

 そんなクソみたいな人格の癖に、人知れずスキャンダルの肩代わりをしていたり、低レアが対処できないような侵略者退治に駆けつけて、持ち主で知らないようなワンドの使い方を教えてみせたあの女。

 

 嫌いで嫌いで仕方が無くて、目の前にいなくっても頭の中にどっかり居座っているあの目障りで鬱陶しくて、あの濃いピンク色の古い背表紙の文庫本に書かれた二千年紀ミレニアムより昔の東京で少女達が繰り広げていた放課後が舞台の小説に関する記憶とともに頭のなかから一掃できればどんなにすっきりするかと今でもイライラさせる程度には、ただ一言「バカ」で片づけられる軽い存在ではなかったのだ。

 サランの中では、シモクツチカはそういう存在に膨れ上がっていたのだ。


 そのことを認めねばならない悔しさを目の当たりにして、サランは絶句した。


「――……っ!」


 そこまで自分の中で大きい存在だったのか、あの忌々しいお嬢様が!


 掌を上向け、指で空をかきむしる形で硬直したサランをナタリアは数度瞬きをして見つめ返した。


「どうした、サメジマサラン? せっかくだからお前のあの女の評を聞かせろ。いささか興味深い」

「――いや、なんでもないです。前言撤回します。先輩のおっしゃる通り、アイツは恋愛ボケで自分のケツもふけない馬鹿でバカでどうしようもないヤツですよう」


 はーっと息を吐きながら、全身から力を抜いて肩を落とすサランをナタリアは却って興味深そうに見つめてから「ふうん」と呟いてみせた。


「本当ですようっ、シモクの奴が外に出しちゃいけない情報もらしたおかげで文化部棟は閉鎖だし、ワニブチは針の筵だし……っ。そもそもなんであんなゴシップガール活動なんてやってんだって話ですし、全然意味が分かりませんよう、あいつのやることは!」

「……ふうん、ではやはり『ハーレムリポート』の主犯はワニブチジュリではなくシモクツチカか。元文芸部副部長の発言なら間違いはないな」


 ――あ。

 

 さあっと全身から血の気が引く音が聞こえるきがした。うすうす勘づく者がいるとしてはも、レディハンマーヘッドの正体をシモクツチカだということは明かしてはならぬ秘密であった。公然の秘密であっても、絶対認めてはいけないものであり、言質を取らせてはいけないものだったのに。

 青ざめるサランの顔をみて、憎らしいほど平然とナタリアは告げる。


「真っ青になる必要もないだろう、サメジマサラン。お前はもう文芸部員ではないのにどうして文芸部のくだらぬ規範に縛られ、そしてシモクツチカを庇うような真似をする? あの女の不品行を正してワニブチジュリと縁を切らせれば、お前の親友も柵から自由になれる。そうじゃないか」

「――っ、部誌の売り上げと、読者の期待と、兵隊さんの安寧と平和を思い出す縁の供給に――」

「それらは全て侍女を窮地から救うことより優先されるべきことがらなのか、お前の中では? ワニブチジュリの身の安全を後回しにしても保護するべきものなのか、あの女の身柄とあの忌々しくうるさい破廉恥なおしゃべりは?」


 真顔でナタリアは畳みかける。正論で抉ってくる。 

 サランですら矛盾がうずまいてどう対処していいのか分からない部分をシンプルに解体して突きに突く。

 

 確かにサランが第一に考えたいのはジュリの身の安全をいかに確保するかについてであるし、そのためならナタリアの言うようにツチカの意図のさっぱり読めない企てなんて無視した方がいいのだ。

 サランは正面にいる先輩の顔を見つめる。現在真顔の先輩は、その表情を見る限り、ツチカが嫌いでもジュリには同情的であることに対しては嘘はついていないようだ。

 おそらくマーハがナタリアたちをお茶会に招いたのも初等部を震源としたこの大問題について何かしらの策を講じる為であろう。かつては文化部棟を危機に陥れた当人であっても、制裁をうけたあとは園芸部として文化部の一員となっている。

 ツチカのことははっきり嫌いであり、かといって現在の初等部生徒会に対しては思う所がある(でなければお茶会には参加しないだろう)。そしてジュリの境遇には同情的。サランが整理したナタリアの現状の立ち位置はこうなる。

 それを裏付けるように、ジュリを助けるために力をかしてくれ、と頼めば力になってくれそうな、そんな表情でナタリアはサランをまっすぐ見つめてくる。


 ――本当に、そう頼んでみようか。 

 サランの胸にその考えがよぎった。放っておけばジュリはそのまま、一般人の疎開任務を担当させられる。強制移住という理不尽へのストレスの塊になった人類の保護と安全を担うという、侵略者退治よりよほど危険な任務に就かされる。

 

 それなのに、何かがサランを躊躇わせた。

 この期に及んでツチカのやらかしに涼しい顔で耐えてきた、ジュリを傍でみていたのだ。

 『ハーレムリポート』の様々なやらかしの矢面にたち、何度も何度もキタノカタマコに呼び出されても、止めるともツチカとの関係を断ち切るとも言わなかったジュリなのだ。


 その二人の関係にサランは立ち入れない。踏み込めない。

 親友で一応婚約者の筈なのに。


「――ワニブチの意志を確認してませんので――」


 辛うじてサランはそう口にする。


「うちからはこれ以上のことは言えません。ただせめて、うちが今やりたいことはワニブチと会ってちゃん話をする、それだけです」


 すうっとナタリアの目が細くなった。サランの回答が期待はずれだったのか、興が削がれたようや表情になる。


「それでいいのか? お前の目にあの二人の関係が正常なものに見えるのか? 主従を嵩に来た共依存にしか私には見えん。あれでは侍女が潰される。お前はそれを手ぐすね引いて待つのか?」

「それは……! それはうちだって嫌ですけど、でも……!」


 思わずムキになってサランは言い返した。


「あいつら二人、五歳の時から一緒にいて二人で色々何かと戦って来たんです。ワニブチだってシモクのやつに結構派手に文句言いながらそれでもあいつに協力してきたんです。うちはそういうワニブチの努力を無下にするのはイヤだし、シモクはシモクであいつはオオボケの大バカにしたって――悔しいけど、何考えてるかわからないけど、それはうちなんかよりずっと物事を知ってるからデカイ図が描けるだけで……っ」


 意地悪で根性がねじ曲がってる女のくせに、ジャクリーンのスキャンダルの肩代わりをしてなんの未練もなしに学園を去れる器を持った人間で、サランの学年では唯一キタノカタマコを嗤うことの胆力を持つ女であることは確かだ。シモクツチカという女は。


 嫌いで嫌いで仕方がないが、それでも背丈も見えている世界も小さすぎる自分に比べて圧倒的にスケールの大きな奴なのだ。

 出なければこんなにいつまでもいつまでも人の頭の中に居座らせたりするものか。

 

 そんな思いが強まって、サランは声を張り上げていた。


「とにかく、あいつがスゲエ奴ってことは確かなんです。あんな規格外の女が一年以上も学校の外でこんな無意味でくっだらないことをやり続けるわけが無いんです!」


 ――予想外に大きな声を出してしまった。

 シモクツチカの為なんかに。


 サランの体にそんな後悔が訪れたのは、猫足の長椅子で幸せそうにお昼寝していたレネー・マーセルが小さく唸って体をゆすったからだ(たった一つ残ったシュー菓子をこっそり食べるという誘惑に負けかけていたノコが体をびくつかせる)。


「……はれぇ? ナッちゃん、あたし、寝ちゃってたぁ?」


 乱れた髪を耳にかけ、澄んだ空色の瞳をこすりながらむっくりと起こしたレネー・マーセルは寝起きの頼りない口調でうにゃうにゃと呟いた。

 お休み中だったお客様の邪魔をしたという失態を利用して、サランは今の心の動きをみなかったことにする。


「す、すみません。大きな声をだしてしまいまして……、あのえーと、お茶とお菓子がございますのでどうぞお召し上がりください。ルカン先輩っ」

「お茶? お菓子? ……あ、ほんとだ~。すごーい、可愛い~。えー、どこのお菓子だろう~、島のパティスリーのじゃないよねぇ? 島外から取り寄せたのかなぁ。さっすがマーちゃん、素敵なお店よく知ってるんだから~」


 サイドボードのお茶とお菓子に気が付いたレネー・マーセルは笑顔を浮かべてぽやぽやした口調でお菓子に対する所見を述べる。そして、じいいっとそれを物欲しげに見ているノコに気が付くと、ニッコリと微笑んだ。


「ノコちゃん、食べたい? じゃあ半分こしよっか」

「いいのか!」

「いいのいいの。美味しいものはなんだって、わけっこするともっと美味しくなるんだから~」


 歌うように言いながら、白く美しい指でそっとお菓子を摘まみ上げると、遠慮なく半分に引きちぎる。菫色の砂糖衣で飾られた工芸品のように美しいを、である。

 さっきまでまるで宝石細工のように美しかったお菓子は、一瞬で中からクリームをあふれさせた見るも無残な姿に変わり果てた。レネー・マーセルのスカートの上でシューと砂糖衣の欠片ばぱらぱら砕け散る。しかし本人はにっこり微笑んで、大きい方をノコに手渡し、自分は小さい方を口にいれた。そして幸せそうに指先についたクリームを舐める。


 無邪気なお姫様のようなその天衣無縫な仕草がレネー・マーセルの美しさを損なうことはなかったが、引き立てもしなかったのは確かである。サランの目にはやや異様に映った。

 中等部時代に浄化作戦を決行した生徒会長のイメージからはとにかくギャップがあった為だ。


 目の前のナタリアが、はーっとため息をついてポケットからハンカチを取り出して、サランの前に差し出した。


「悪いが渡してやってくれ」

「いいよぉ、ナッちゃん。ハンカチくらいあたし持って――……なかった」


 制服のポケットに手を突っ込んだあとガックリと肩を落とすレネー・マーセルの傍に歩み寄って、サランはハンカチを手渡した。しゅんとした、レネー・マーセルは汚れた指先を拭い、スカートに散ったお菓子の屑を毛足の長い絨毯の上に払う(後で掃除を念入りにしなきゃな、とサランは心の中で思う)。


「ごめんね、ナッちゃん。あたしったらいつもこんなんで……」

「気に病むのは私がいない場所でお前のそのだらしない姿を人前に晒し、ワルキューレの威厳を地に墜としたときだけにしろ」


 そっけない口調でナタリアはレネー・マーセルへ告げた。サランにはいささか冷たすぎる気はしたが、告げられた方は全く気にしていない風情で、平気でぐしゃぐしゃに汚したハンカチを笑顔でサランへ手渡す。ナタリアへ返せということらしい。

 そのままハンカチを受け取り、軽く畳んでからハンカチを手渡すと何事もなかったようにナタリアはポケットにそれを戻した。


 ――レネー・マーセルのお昼寝からの覚醒で、書斎の空気が一変してしまった。


 ナタリアもそれを居心地悪く思っているのか、カーリーヘアをひっつめた頭に手を当てて、やれやれと言いたげに苦笑した。それは思いのほか親しみの寄せやすい柔らかな表情だったが、それを浮かべたのは一瞬だった。ナタリアはかつての風紀委員長の表情でサランをじっと見降ろす。


「――なんらかの目的があってあの女はわが校の評判を地に墜としただけに飽き足らず、今なおワルキューレの品位を貶めるくだらぬゴシップを世界にまき散らしている。そして侍女はそれに自ら進んで協力している。それがお前の見解か?」


 話は元に戻された。

 眠り姫を目覚めさせるほどの声で宣言してしまった以上、サランは頷くしかない。


「で、その目的とは?」

「それが……わかれば、こっちもイライラモヤモヤしませんよう」


 おそらくキタノカタマコとの幼少期に端を発する因縁が深くかかわっていそうだという見当はついていたが、それを馬鹿正直に披露するのは避けてはぐらかした。きっとこの先輩は悪い冗談の一言で片付けてしまうだろうと予想がついたので。

 サランの返答に、ナタリアは薄く笑う。 


「シモクツチカは自分の想像もつかないような大それた女でないと困る、だから一連のバカげた行為にも意味がある筈。――そんな希望を持ったお前が事実を歪めて見ているとしたら?」

「そりゃあ、そういう可能性もありますねってお答えするしかないです」


 そんなこと言い出したら、そちらはシモクツチカは多少機知に富んでいるのを鼻にかけた短慮で愚かな女でないと困るって目で見ているってことになるじゃないかって反論も成り立つのに、という思いを視線に込めたサランの不服を読み取ったらしく、ナタリアは再び腕を胸の下で組んだ。


「『ノーサンガー・アビー』というタイトルの小説ではな、ゴシック小説に夢中になるあまり現実世界の平凡な事象もゴシックホラーのように見えてしまう主人公が出てくる」

「またジェーン・オースティンに話が戻るんですか」

「まあな。言っただろう、私はお前と本の話がしたかったんだと。――その主人公の名前はキャサリン・モーランドだ。お前はキャサリンほど素直で純粋な気質ではなさそうだが、それでも暗がりで目にした奇妙な文書の解釈で無駄に頭を悩ませそうな所があると思ってな。陽の光の下で読めばただの洗濯屋の請求書だと分かるのに」


 シモクツチカを買いかぶるな。

 目の前の先輩はそう言いたいのだと解釈したサランは、黙ってマーハの蔵書に視線をさまよわせる。そして、以前から目を止めていた本を抜き出した。旧日本の二十世紀に刊行された文芸書のコレクターであるマーハの本棚にあったその本は、実物が欲しくてもなかなか手に入らない小説の単行本だった。


「ジンノヒョウエ先輩のお許しが出てからになりますが、是非お読みください」

「――どういう小説だ?」

「一か所だけお話しますと、とある女子校が舞台でとなりの男子校の文芸部員に『源氏物語』の登場人物にあてはまるなら誰かと勝手に判定されることにクソむかつく女子が主人公です」


 ナタリアはジェーン・オースティン以外の小説や文学に親しんでいるようではなかったが、『源氏物語』に関する最低限の知識はあったらしい。サランの返答をきいてから、愉快そうにカラカラと笑った。裏表も含みも感じさせない、のびやかな笑いだった。


「わかった。ジンノヒョウエが戻ってきたら借りていいか頼むとしよう」


 コンコンと書斎の扉がノックされ、間を置いてから静かに訓練生が姿を見せた。

 マーハとヴァングゥエットも稽古を終えて戻り、一階のサロンでお茶会の準備が整ったのでそろそろ降りられたし、と要件を告げた。


 いち早く反応したのはとにかく食い気が勝るノコで、レネー・マーセルもその手を握って立ち上がる。

 一旦、単行本を手渡してからナタリアも二人のあとに続いた。


 サランも一緒に来るようにと訓練生は告げたが、サランはしばらくあとで降りると答えた。

 

 レネー・マーセルが絨毯の上にまきちらしたお菓子の屑を掃除したくて、うずうずしていたのである。

 

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