#30 ゴシップガール、盤を挟んでヒロインと対峙する

 ジャクリーンの妊娠・出産がパトリシア以外のマスコミにバレなかったのは、実質妊娠期間がほんの二ヶ月であったためだという。体型の変化は無いに等しく体調も「なんとなくだるい」程度で済んでいた。


 そんな時期に入浴中に尋常ではない腹痛に襲われ、うずくまった拍子にころりと半透明をした球状の卵が腿の付け根から滑り落ちたのだという。通常、人体では起こりえない出来事に危うく卒倒しかけたジャクリーンだが、落ち着いてその柔らかく透明な球をよく見ればその中でひよひよと震えるように動く幼生がいるではないか。

 手のひらに載るほどの卵は生きている。自分の胎から出てきたということはまちがいない以上、自分の遺伝子を引き継いだ何かである。何かというか、我が子である。

 そう素直に現実を受け止められたのは、ちょうど一月ほど前にガラパゴス近海で侵略者だと分かっていながら非常に美しい人魚と関係を持ったという心あたりがあったためだが(ワルキューレと侵略者、狩る者と狩られるものという構図が行きずりの恋を燃え上がらせるほどよい燃料となった)(ちなみに人間と人魚型侵略者の交合は想像を絶するものでそのビジョンを仲介させられたミカワカグラは意識を取り戻した途端また泡を吹いてぶっ倒れることとなった)、薄皮にくるまれたゼリーを思わせる卵のなかで鼓動を撃つ幼生の姿があまりにいたいけで愛らしかったことが大きい。

 この子は私が守り、育てねば! とバスルームの中で決意した彼女はそうっと卵を掬い、卵が浸るほどの大きさの容器のなかに安置するとそうっと水を満たした。

 しかし人間と人魚型侵略者の恋愛の産物である。どうやって育てていいのかまるで見当がつかない。水棲生物に詳しい研究者に質問すればそれなりの答えは返ってくるかもしれないが、何故そんなことを訊くのかと怪しまれる恐れがある。

 まがりなりにも時に政治的メッセージも発することのアーティストである。ただの妊娠出産ごときで食いつくマスコミなら蹴散らした上で、一般聴衆を味方にしてやる自信はある。現在までに稼いできた大金も信頼できる筋に託し、息している間にも着々と増やしている唸るほどの財産を持つ身であるから養育の心配もしなくてよい。

 しかしながら、自分はアーティストでもありワルキューレでもある。ワルキューレである自分が侵略者の子供を授かっていたことが今露見するのは思わしくない。ていうか、まずい。

 ――そこからジャクリーンは素肌にガウン一つ纏い、ここから数日の仕事をキャンセルし、プール付きの手近な別荘を急遽買い上げたのち、身支度を整えてあの美しい侵略者と出会ったガラパゴス近海の海へと飛んだ。もちろん卵を入れた容器も一緒に。

 地元の民も怪物が出るからと言って恐れて近寄らない入り江で歌を歌うと、黒杜松色の長い髪で全身を海獣に擬態させたあの美しい侵略者が姿を見せる。ジャクリーンの姿を認めて心から嬉しそうに無邪気に微笑み両腕を伸ばすセイレーンと跪いて再会の抱擁を交わした後、ジャクリーンは卵を見せた。

 その時点では人語を介さない侵略者だったが、卵を見て全て一瞬で悟ったらしい。ぎざぎざに尖った白い歯を見せて背中の背びれを開いて羽ばたかせ、嬉しいという感情を全身で表現する。水しぶきを浴びてずぶぬれになりながら、二年前のジャクリーンは決意した。

 

 私がこの二人を護らねば。


 かくして急遽買い上げた別荘のプールを海水で満たし、口の堅いスタッフを動員して海辺からセイレーンを引き上げてプールへと移動させた。セイレーンはそこで卵が孵化するまで卵を抱えて過ごしたらしい。ちなみに卵は最終月経開始時から約四十週で人間の新生児と同じ大きさで孵化した。そこは人間の形質を受け継いだらしい。鰭と鰓と鱗を持つ愛らしい赤子だった。新生児はローレライと名付けられ、肺呼吸も出来る月齢になってからプールサイドに上がって自らジャクリーンに抱っこを求める。

 


「あらぁ~、それはそれはおめでたいお話でぇ~。──でもぉ」


 久々に学園島に戻ってきたリリイはにっこりと微笑んで見せるも、すぐさま容赦なく日傘の石突をぐりぐりと棕櫚の樹の幹に背中をつけたサランの額に突きたてる勢いで突き付ける。痛みに悲鳴をあげるサランの顔の前で端正な顔を歪ませたリリイが迫る。


「わしが今先輩にお訊きしとるんはジャクリーン先輩のスキャンダルでも、種を越えた崇高な愛の話でも、異種間で交配は可能かっちゅう生物学上の疑問でもありゃせんのじゃあ。なんで初等部の生徒会長はあがぁなわけのわからんことをしよんのかっちゅうことじゃあ。――のお先輩。ふざけるときは場とタイミングを弁えなさった方がええど? 手元が狂うて目ン玉串刺しにしてしまうかもしれんけえ」

「だから落ち着いて聞けって! この件もそれなりに繋がってるんだってば……!」

「そういう持って回った話を聞いとられるほどわしは辛抱づよう無いんでェ。大体侵略者と人間のダブルとか珍しいも無い話をな~にを大層に!」

「め、珍しくないことは無いだろうがよう……! つかもう痛い痛い痛い痛い痛たたたたっ! 痛いんだってば! いい加減にしないとお前のアンチコミュにメジロリリイは学園で暴力ふるいまくってる陰険ワルキューレって匿名で書き込んでやるぞ!」

「ほう、そらぁ好都合じゃあ。先輩を外洋に放り込む時に良心の呵責を感じんで済みますけえの。……やれるもんならやりんさいや!」


「五月蠅い」


 ぎゃあすか罵りあう二人を、離れた所で見守っていたヴァン・グゥエットが一言で制した。その声音と、やや伏せがちにしていたまつ毛の長い瞼から二人のやりとりに気分を害したようなニュアンスをにじませる。その声に打たれて、二人は同時に黙りこくった。


「マーの耳に聞き苦しい音を入れるのは耐え難い」


 ――だったらこんな場所で尋問なんか行わなきゃいいのに……とサランは思ったが口にはしない。やっぱりめったなことで表情を変えないアーモンドアイの先輩が恐ろしかったからである。無名のアイドルのランキングを一気に跳ね上げさせる権力を有する人であると知った後では猶更。

 忠実な妹ととしての契約を交わしているリリイもその一言で「はあい」と愛らしく返事をよこし、日傘を降ろしてにっこり微笑んだ。今日もサイドの髪を月と星の髪飾りで留めている。

 ここはいつもの泰山木マグノリアハイツから少し離れた棕櫚の木立だ。あの日以来、気もそぞろなサランがメイド姿で資料整理に当たっていたところでリリイから呼び出しがあったと思ったら予想していた通りの事態が待っていた次第だ。


 リリイの日傘の石突にやられた額を撫でさすりながら、サランは恨みがましい目でヴァン・グゥエットを睨む。


「うちが見聞きしたことを先輩に話すだけなら、こいつにこんな拷問じみた真似させなくてもいいんじゃないですかねえ? うちだって先輩に訊かれたことはちゃんとお伝えしますよう」

「妹の恨を晴らすに付き合うのも姉としての務め」


 表情筋を動かさずに淡々と怜悧な美貌の上級生は答えた。つまりはサランとタイガとリリイの関係を把握しており、タイガに執着するリリイの恨みを晴らさせてやるのを黙認することで舎弟となったリリイを手名付けているということらしい。大した人心掌握術で、と嫌味の一つも返したくなるがサランも後ろめたくないわけではないので結局リリイの暴力を受け入れている。

 ――ひょっとしたら、マーハの可愛い子ねずみさんをやってるサランへの個人的な嫉妬もふくまれているのでは? という疑問もあったが怖かったのでそこまでは訊けなかった。


 ともあれさんざん突かれて痛む額を押えながら、サランは新聞部部室で起きたことを全て伝えた。黙っていたところで仕方がない。というよりも、ジュリの窮状をなんとかするには積極的に情報を共有した方がいいという判断もあった。サランは所詮、実力もなければ人脈も無いただの低レアである。一人でできることなどたかが知れている。

 反対にヴァン・グゥエットは黄家なる物騒なファミリーの一員であり、そこそこの権力を有する。そのパートナーのマーハを養女として迎え入れたジンノヒョウエ家は旧日本の宗教界では名前が轟かせる旧家であるし、それ以前に出自は生きた女神様だった人だ。キタノカタマコとの家格同士の殴り合いになった時にはこの上なく力強い二人だ。這いつくばっても、リリイに突きまわされても、体のどこかを失っても、とにかく協力関係を維持するのが最善だ。

 初等部三年になってから恥のかきどおしなのだから、今更それが二つ三つ増えたところで恥ずかしいことがあるものか。


 

 キタノカタマコはシモクツチカにある種の執着を示している。

 次元溝の出現とそこから現れる侵略者集団の襲来予定地域の住民疎開を養成校のメンバーが率先して行うという提案をしたのは、シモクツチカへの意趣返し的な意味が強い。

 レディハンマーヘッドことシモクツチカが『ハーレムリポート』でその一件をわざと漏らしたのはキタノカタマコへの宣戦布告とみるべきである。

 そしてそれ以前から、幼少期からにわたる二人の仲の悪さに起因するものであるが、それにしてはシモクツチカの退学騒動においては宿敵を退学に追いやった新聞部に懲罰出撃を働かせるなどいまいち割り切れず、不可解な点も多い――、とサランはありのまま全てを伝えた。

 

「……ふうん、上流階級には色々あるんですねぇ~。想像もつかなぁい」


 ともにそれを聞くリリイは耳を澄ませながらも肩に柄をかけて開いた日傘をくるくる回してみせるなど、興味があるのかないのかよくわからない風情で微笑みながら甘ったるい声で皮肉を囀る。


「たかだかお友達との仲の拗れで何万単位の人間を動かせるなんてぇ〜、そういう所から見える景色ってさぞかしいい眺めなんでしょうねぇ。見てみたーい」

「そがあな可愛いらしいもんやない」


 独り言のようなヴァン・グゥエットの呟きに訛りが加わったのをみて、リリイは日傘を回す手を止める。待機の姿勢だ。姉が口調を変えるときは、聞け、の合図でもある。


「あれがそんなその辺の女学生みたいな奴じゃったらうちも構うたりせん。こっちも暇やないけえ放ったるわ」

「──だらあ生徒会長は相当可愛らしいないお嬢さんやぁ言うことで? 確かに正面に立った時、何食うて育ったら『自分は親指一振りでおどれらを天国行きと地獄行きを選別する側じゃあ』言う空気を出せる人間に育つんかぁとは思いましたがのぉ」


 サランも連座した生徒会執務室(仮)への召喚の場で目の当たりにした第一印象をリリイはうっすら笑みを浮かべて語る。あの時タイガのアドリブに合わせてGのつく虫に驚いて暴れたという大嘘をぬけぬけとふてぶてしく吐き通しながらそんな風な感想を得ていたらしい。

 確かにキタノカタマコにはそんなところがあるな、と蚊帳の外に置かれるサランはつい頷きかけた時、ヴァン・グゥエットは微かに首を左右に振る。リリイの評は違う、と言いたいらしい。


「あれは自分は選別する側やとは思うとらん。選別される側や思うとる筈じゃ。じゃけえ根が深い。あらぁ相当腹ん中に毒抱えとる」


 見た目だけは愛らしくリリイが小首を傾げると、姉貴分は淡々と語る。


「キタノカタは男系相続じゃけえ、あれがどんだけ本家の血を引く優秀な奴じゃ言うても長に立てる順番は相当後ろの方じゃ。あれより阿保でも見た目の安心感がある年長者の男を長に立たせえ、こまい女がトップに立って喜ぶんは変態だけじゃあ、まともな人間は誰も喜ばんしついてこん。ああいう家ではそう言う声の方が必ずデカい。――漢字つこうとる文化圏は未だにそういうとこがあるけえの」


 アーモンドアイをかすかに潜めたあたりに、とにかく彫刻のように表情に乏しい上級生になにかしらの思いがあることを匂わせる。しかし訛りながらも口ぶりはただ客観的な事実を述べるように淡々としているのだ。


「ただでさえ家督相続の順位は低い、その上ワルキューレ因子なんぞをもって生まれてしもうたがせいでこんな島に来る羽目になってしもうた――。そう思うとるとしたら?」

「文字通り、島流しィ言うとこですか。左遷でワルキューレになりにきたァ言うんはそらおもろい話で」


 リリイはニイッと唇の両端を吊り上げて微笑む。本気で面白いと思っているのかどうかはやはり不明だ。


「そういう状況でこがぁな島まで来る羽目になったァ思うとるとしたら、相当ハラワタ焦げついとることやろうのぉ。あの姫さん気取りのお嬢さん。――腹の中真っ黒こげにしながら『第一世代のワルキューレの名に恥じない活動を』~たら、きれいごと演説しよったぁ思うとしみじみ笑えて来よりますわ」


 『第一世代のワルキューレに恥じない活動を』の部分だけ凛々しく澄み渡った口調に変更して、数日前に全世界に向けて配信された演説の一場面を再現してみせたリリイは、その後ほんとうにクスクスと笑ってみせた。



 ――本来女子しかいない筈のワルキューレ因子をもつ唯一の少年、彼をめぐる少女達の恋のさや当て模様をおもしろおかしく無責任に伝えるだけの『ハーレムリポート』の外部読者は、太平洋校新聞部が発行する保守系新聞の外部読者数をはるかに上回る。しかも後者は限られた情報精査能力を持つ限られた層にしか購読を許せれてはいない。

 レディハンマーヘッドが「ハーレムリポート」で近いうちに訪れる大災厄とそれに伴う当該地域の住民大移動計画を故意に漏洩したのは、各校初等部生徒会メンバーによるパジャマパーティーの結果を伝える新聞内容を保守系新聞の外部読者たちがこの新聞が伝える内容は実現性が高いのか否かと今後の的確な判断を下す為にもその内容を慎重に精査していた折である。特殊な環境下にあるラブコメ模様を期待していた層に突然投下されたその情報は、あっという間に地球上に拡散して炎上しながら地上を覆いつくした。特に、次元溝が出現し火だるまにされるのは避けられないとされた当該地域の住民の混乱と怒りは当然はげしく凄まじかった。

 外部のメディアは連日、各地のワルキューレ派出機関に押し寄せるデモの様子を伝え、パニックに陥り暴動や略奪が繰り広げられる当該地域の映像も繰り返し配信され、知識人たちは果たしてこの情報は本当なのかどうかと喧々諤々論じ合う。


 世界規模の炎上、パニックを鎮めるために表に出たのはキタノカタマコである。


 あのどこまでも声が朗々と響く講堂の壇上に立ち、いつも口元を隠している鉄扇型ワンドを侍女に預け、ハーフアップの黒髪に嫋やかさと凛々しさの混ざった形良くそれでいて強い眼力を持つ眼が強い印象を残す楚々とした面持ちの美しい少女は可憐であるからこそ人の心をまっすぐに打つ声を涼やかに伸ばして全世界の聴衆へ向けて語りかけた。



 この度はお騒がせして申し訳ありません。初等部在籍のワルキューレの身をわきまえず、で過ぎた発言をした私の落ち度に他なりません。人類の平和と安寧を護らねばならぬワルキューレでありながら、皆様を今までにないほど不安な気持ちにさせてしまったことが慚愧に耐えません。心よりお詫びを申し上げます。

 しかし皆さま、予想だにしない形で漏れてしまったこの情報は全て本当のことです。間違いはございません。私たちの敬愛するお姉様ともいえるワルキューレが夢見た恐ろしい予言、――ああ、これが回避できればどんなにいいことか。

 私達、初等部生のワルキューレはお姉さま方の優しいご配慮により本件にはお手伝いという形で参加してくれれば良いということになっていました。しかし、私達がそのお心配りを踏みにじるようなふるまいに及んでしまったのは、どうしてもワルキューレとして侵略者の暴虐により不幸な目に遭う人々の数を減らしたかったから――その一心だったことに嘘偽りはございません。

 実力も経験も足らない若輩とは言え、私達もワルキューレの一人です。当学園長、箕作渚のように、時にその身をすてて平和に貢献してきた第一世代のワルキューレに恥じない活動を。その憧れ、情熱、何よりもこの愛おしい地上世界に暮らす皆さまの営みをできうる限り護りたい。微力であっても恐ろしい予言を回避できるように努めたい。その為には身を捧げても惜しくない。その思いを形にせずにいられなかったのです。

 浅はかな子供の短慮、現実を知らぬ少女の戯言、この稚拙な作戦への批判の全ては私がお引き受けします。

 しかし皆さま、思い出していただきたいのです。ワルキューレの歴史はただひたすら地上の平和と人類の明るい未来へを夢見た少女達がつないだ歴史でもあることを――。憎み、争い、声を張り上げ拳を振り上げる前に、地上に平和を人類に希望をもたらすためには何が必要が、私達はともにどうするべきか、考えて頂きたいのです。



 時に涙を浮かべつつも、毅然とした態度で自分の意見を述べきったキタノカタマコの映像はあっという間に地上に拡散された。『ハーレムリポート』に登場するあのプライドが高くて素直になれないツンデレお嬢様がこの子か(ついでにうっかりフカガワミコトと混浴したりビーチバレーの際にポロリした子か)……という下世話な好奇心がエンジンになり、その速度は一時期音速を越えたと揶揄された。

 しゃんと伸びた背に細身ですらりとした体形、そして散々ゴシップガールによって気位が高くてなかなか素直になれないとそのキャラクターを喧伝されていた少女が、涙を浮かべつつも頭を深々と下げて遠回しに「貴様らも本件に協力せい」と訴える演説は大勢の人間の心を打った。そもそも可憐な少女が頭を下げながらお願いをする映像である。多くの人間が「大人は何をやっている」と憤り、あんな女の子を矢面に立たせる太平洋校教職員や理事に非難の声を向ける。

 その事態に、演説内でも名前を出されたミツクリナギサの書面による回答はよりにもよってこれだった。


「当校では生徒間のやらかしは生徒間で片をつけさせる方針ですんで」

 

 つまり教職員は一切関知せずと宣言してみせたも同然なこの回答は無責任の極みであると批判され、かつてその身を挺して地球を救った救世主であるとはいえその投げやりな態度はいかがなものか、自分のことを慕ってくれる後輩に対して不誠実極まりないと今度は怒りの矛先がミツクリナギサを筆頭とした太平洋校教職員および理事たちへと向かった。かつて太平洋校は集中砲火を浴び続けてはいたが、キタノカタマコは一躍世界のスーパーヒロインの座に躍り出たのであった。


 高飛車で高慢ちきなお嬢様だって語られていたけれど、実物はなかなか清楚で可憐で純粋そうな女の子じゃないか。あの気高いプリンセスのようなたたずまいも「世界のキタノカタ」の令嬢たるわけか――。


 あの娘は結局形だけ頭を下げて見せただけではないかという至極最もな意見も無いではないが、それは「女の子に意地悪を投げかける大人げないやつ」として扱われて大きな意見になることはなく、地表を覆いつくす意見の殆どはキタノカタマコを筆頭とする可憐で純粋な初等部所属ワルキューレを支持するものに傾きつつあった。



 それがあの日から今日までの主な状況である。


 リリイが皮肉りたくなるのももっともで、一度でもキタノカタマコの正面に立ったことがあるものなら、あの演説で見せた溢れる涙をぬぐいながらも黒髪をさらさらと流しながらの深々と垂れて見せたお辞儀の美しさに、白々しさを覚えないわけにはいかないだろう。毛虫か何かのような目つきで学園長を見ていたマコがぬけぬけとミツクリナギサを慕い尊敬しているかのような口を叩いてみせたことも。サランもライブで配信を目撃しながら開いた口を塞げなかった。

 そしてその後、瞬く間に自分の支持者を増やしたキタノカタマコに恐怖も覚え、このような慨嘆を抑えずにはいられなかった。


 シモクのやつ、こんなヤツ相手に張り合ってたのか。小学生になる前から。



 それを振り払う意味もあってサランはややコミカルさを意識しながら挙手をした。


「先輩っ、質問いいですかっ!」

「認めよう」


 ごく自然にヴァン・グゥエットは訛りを切り替えた。訛りを用いる相手、用いない相手を厳密に区分する主義らしい。許可を得たことでサランは上級生が口にした推量への疑問点を並べる。


「確かにさっき仰った話──、キタノカタさんのご実家が男系相続主義のせいで家督相続の順位が後ろの方だとか後継者レースから遠ざけるためにワルキューレにさせられたとか、確かに頷いてしまうものはありますけどでも根拠はっ? 失礼ながらそれ、先輩の推論ですよねっ?」


 サランの問いに、じ、と、ヴァン・グゥエットはアーモンドアイを向けることで返す。訛りで喋るときは微かに表情や感情らしきものを覗かせるくせに口調をきりかえると途端にいつもの象牙の細工物のような雰囲気を漂わせ、口数まで惜しみだす。それが相変わらず読めなくてサランを怯ませるが、ここで引き下がってはいられない。とにかくジュリの身がかかっているのだ、当て推量では動けない。

 

「推論もなにもぉ~、まぁ珍しい話じゃないんじゃありませんかぁ~? ――ほら、実際に北ノ方本家は代々男性相続みたいですしぃ」


 姉の口調に合わせて普段の甘ったるくねばっこい口調に切り替えたリリイは左手をを振ってある家系図を表示させる(出撃先から帰還したにも関わらず、リングの位置が左手薬指にあるということはまだタイガと顔を合わせてないということだ。サランとしては気まずい)。

 爵位を賜った初代から約二百と数十年にわたる北ノ方家の系図を指でなぞって示しながら、当代総帥の姉にあたる人物の名を指さす。目白某氏との婚姻関係を示す二重線で結ばれた「輪子わこ」という名の人物の名にリリイが触れると、丸顔のおっとりした人柄がしのばれるご婦人のホログラフが浮かび上がる。その背後に北米の有名大学を出たという最終学歴に有名病院に籍を置いていたという華々しい経歴、生涯に取得した博士号や発表した論文のタイトルがずらりと並ぶのにサランは思わず息を飲む。


「あ、ホラこの方この方。私がお世話になったメジロのお家の施設長さんにあたる方なんですけどぉ、元々お医者さんとして海外で実績を積んだのちに当時傾きかけていた目白のお家に嫁いで病院経営にのりだしてぇ往時の栄華を取り戻したって言う、生徒会長ほどじゃなかったにしても優秀な方だったんですよぉ~? そんな方でも総帥候補から早々に外されてよそのお家にお嫁に出されちゃってますしぃ」

「そんなもん、企業経営と医療は畑違いってことで自分から出ちゃったとか――」

「それにしたってこの家じゃあ自分の実力は発揮できないって判断されたってことでしょお~? それにワコさんは経営能力は十分にある方だったんですよぉ~? メジロの病院も建て直したんですからぁ。普通ならよそに嫁がせるよりキタノカタの医療機器か製薬部門を任せようって考えてもおかしくないような方ですけどぉ~?」


 北ノ方一族にいたこともある人物を気安く名前で呼ぶ後輩に一瞬戸惑ってる好きに、語尾をもったりのばした甘ったるい口調ながらも姉の説をリリイはアシストする。


「――つまり、生徒会長も北ノ方の実家ではその人と似たよう扱いを受けてた可能性は高いってこと?」

「ん~、分かりませんけどぉ、格式を重んじるお家って家風を急に変えるのに抵抗を覚えるって所が多いんじゃありませんかぁ~?」


 いつの間にか二人の傍に近寄ってきたヴァン・グゥエットも北ノ方一族の華麗なる系図をひたと見つめ、細い指先で創業者の妻の名を突く。「まな子」という変わった名を持つ女のホログラフは、セピア色の写真を基にしたものだった。写真館で撮影したものか紋付姿の北ノ方男爵の前で洋風の椅子に座った和装の女性は、当時とは美人の基準が異なるであろう二十一世紀末のサランたちがみてもはっと息を飲むほど美しい人だった。どことなくキタノカタマコと通じる面持ちがあるのは気のせいか。

 しかしその「まな子」なる人物の詳細は記されず、ただ出身地が丹後の在であると記されていただけだった。


 一体何が気になるのか、ヴァン・グゥエットは「まな子」という女性の像を指でつつく。表情は読みづらいが、何かを思案する風ではあった。

 どんな考えがあって上級生が創業者の妻を気にするのかは読めないが、サランはとりあえずまだ納得できない点を挙げた。


「優秀なのに家督相続の順位は後ろの方。おまけにワルキューレ因子なんてもって生まれたがために学園島に流されたって話、面白いのは確かですよう? でもさぁ、あの人は相当早いうちからワルキューレになることは決まっててた筈ですよう」


 その情報が興味深かったのか、無言無表情でサランをアーモンドアイでじっと見降ろす。続けろ、というつもりなのか瞬きをせずサランを凝視する。

 その視線の圧力にたじたじとなりながらも、サランはかつてジュリから聞いた話を伝えた。


「学園島に入ることが決まっていたシモクの侍女にワニブチが選ばれたのは五歳の時です。その侍女修行が相当きつくて音を上げそうになった時に、シモクが何度も引き留めたらしいですよう、小学校にはすごく意地悪で鬼みたいな女の子がいるから力になって欲しいって――。ワルキューレ因子を持つワニブチに力を貸せって頼むんだからその『意地悪で鬼みたいな女の子』との付き合いは小学校で終わるだけでなく学園島でも続くってことは決定してたんじゃないかと」

 

 そして、たった五歳の時とはいえあのシモクツチカが頭を下げてまで力を貸してくれと頼むくらいだから、相当に意地悪で鬼みたいな女の子がよほど大嫌いだったのか、それともその力を驚異にみていたのか――。そのあたりの感慨はサランは胸に仕舞った。

 なんにせよ、彫像のような上級生が瞬きもせずにサランの話に耳を傾けているその様子に気おされる。耳を傾ける価値があると判断されてはいるようではあるが、誇りに思うより先に緊張と落ち着かなさに襲われる。


「えーと、つまり、その、キタノカタさんらしき女の子もワルキューレになることは五歳の時には決定事項だったって考えるのが筋じゃあないですか? 通常、旧日本じゃワルキューレ因子が発見されるのは三歳児検診って時が多いみたいですし、キタノカタさんが将来この島に来るって決まったのはこの時期じゃないかと――」

「違いまぁす。もっと早い時期でぇす」


 ふふーん、と小憎らしく鼻を鳴らしながらいままで黙っていたリリイが口をはさんできた。しかもどことなく自慢げに。


「委員長さんたちは生徒会長の侍女になるべく遺伝子デザインされた方な上にご誕生年月まで調整されて生まれた方たちですからぁ、生徒会長はお母様のお腹にいらっしゃったときから既にこの島にくる筈だったって考えるのが自然でぇす~」

「⁉ ちょっと待てリリ子……! お前今かなりとんでもないこと口走ってるぞ? キタノカタさんの侍女が何で何だって? ってかなんでお前がそんなこと知ってるんだよう……っ?」

「さぁ~、何故でしょう~?」


 狼狽するサランの表情が面白かったのか、あからさまに留飲をさげてみせるかのようなリリイの表情に素直にムカつきながら、サランは落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせた。

 リリイは人造ワルキューレ開発の都市伝説発信源でもある目白児童保護育成会なる怪しい施設で育った少女だ。そしてそこは現北ノ方総帥の姉だったような人物が創設した所だ。一般社会に漏れてはまずいやり取りが交わされていたとしても不思議ではない。そしてメジロリリイなる女は陰険でねちっこい、攪乱や工作の得意な少女だ。外に出してはまずい情報の一つや二つ、押さえているのが自然と考えた方が筋だ。


 リリイの発言はヴァン・グゥエットにとっても興味深いものだったらしい。そこでようやく瞬きをした。ぱち、ぱち、と無言で瞬きをすると、形良いあごに手を添えて思案するように目を軽く伏せた。そしてそのまま無言で北ノ方一族の系図を、ひた、と見つめる。ひたすら、無言無表情で。ひた、と。


 その先にあるのはやはり、初代の北ノ方男爵の妻「まな子」の像だ。その怜悧な美貌を上級生はひたすら見つめる。また瞬きを忘れたように。

 ――とにかく色んなことが読みづらい上級生が傍にいる緊張感に耐えられず、サランはおずおずと切り出す。


「あ、あの先輩? この人が何か――?」

「異類婚姻譚」

「はいっ?」

「だとしたら確かにあれは流されてこの島にきたわけではない。説の修正が必要」


 象牙彫刻めいたヴァン・グゥエットの頭の中で何かが閃いていることは分かるが、特にサランたちへ聞かせる意図も無さそうな判じ物めいた独り言は傍にいるものを悪戯に緊張をしいた。

 この人は何をおっしゃりたいのかとサランはリリイにアイコンタクトで尋ねてみるが、小癪な後輩は仮面めいた笑みで小首をかしげるだけである。妹分をもってしても訛りを使わないときの姉の言葉は掴みづらいらしい。


 ただ雰囲気で、キタノカタマコがかなり早い段階でワルキューレになるべく決定されて生まれた子供であったという説に推論を修正したことはわかった。

 つまり、キタノカタマコにはもとからキタノカタ家の後継者から外された娘であった、と。


 ――あれ?


 そのことに気づいた瞬間、サランの頭に何か呼応するものがあった。

 最初から家督争いに参加できなかったお嬢様、それは確かシモクツチカも同じだった筈――。


 パズルのピースが嵌るような手応えを感じていたサランを、現実へ引き戻したのはいやにはっきりしたヴァン・グゥエットのシンプルな一言だった。


「気に食わない」


 微かに、だが、眉間と目の間に皴が寄っている。象牙細工のように硬質な表情のこの上級生が見せるには破格の感情表現だ。

 舞台上や稽古上以外でめったに表情筋を動かさないこの先輩がそこまで言うのだから、内心では相応の不快さと対峙しているのだろう。と、サランは当たりをつけた。

 ――それにしても。

 なぜに演劇部のスターあり、外の世界では特殊な業界でその名を轟かせる名門一家の一員である上級生が初等部生徒会の動向を警戒しているのか? 何かと生意気な後輩が目障りだから、というには強すぎる敵意をキタノカタマコへ向けている節がこの先輩に見られる点がサランには気になった。

 

 しかし案の定、一体何が気に食わないのかを、ヴァングゥエットはサランに詳しく説明するようなことはしなかった。つ、待機しているリリイに視線を向ける。


「さっきあんたが言うたキタノカタの侍女の話、詳しいことを今度教えてくれんか?」

「あがぁな話でもええんやったらナンボでもお耳に入れてさしあげます。もっとおもろい話もありますけぇ」

「ありがとう。――やっぱりあんたを妹にしたのは正解じゃ」


 手入れされた芝を踏みしめる足跡が近づく気配があり、ヴァン・グゥエットはそっちに顔を向けた。その間にリリイは北ノ方家の系図を左手を振って消すと、ほとんどトレードマークのような日傘をさしてみせる。棕櫚の木陰から黒い練習着姿の演劇部員が姿を見せる。奇妙な組み合わせの三人の顔を見比べながら可憐な下級生はおずおずと先輩に声をかけた。


「あ、あのヴァン先輩、お茶の用意にしましょうってマー様がお呼びです。それから、サメジマさんも……」

「了解。ただねずみにはまだ用がある」


 日傘をくるくるまわしてみせるリリイにだけは微かな敵意を込めた目を向けながら、愛らしい下級生は美しい上級生の手を引いた。神聖な絆で結ばれた演劇部のスターを妙なアイドル風情から引き離して守ろうという純粋さがほの見える仕草ではあった。いじらしい下級生に大人しく手を引かれながらヴァン・グゥエットは大人しく泰山木マグノリアハイツへと向かった。


 その後ろ姿を見送ってから、下級生がみせた敵意などリリイは痛くも痒くもない口調で呟いた。


「あらぁ~、嫌われちゃってるんですねぇ。私~」

「当然だよう、マー様とヤマブキさんの仲に割って入る問題児アイドルだぞ? 好かれる要素ゼロだよう」

「いいんですぅ~。別に誰に嫌われたっていいんですぅ~。地上の人類のほっとんどに嫌われたって私は屁でもないんですぅ~」


 歌うような口ぶりで囀ってから、リリイは笑みを消し去って、陰険でじっとりした恨みがましい目をサランに向けた直後、メイド服の襟首をつかんで再び棕櫚の木の幹へ押し付けた。結構な勢いがあったため背中が痛む。


「私にはたーちゃんさえいればいいんですぅ~」


 日傘の柄を持つのとは反対の手で、リリイはサランの襟首をつかんで押し付けて、ぎらぎらと憎悪のこもった目でサランを睨む。気道をふさがれているせいでくらくら眩暈に襲われながら、とりあえずしばらくサランはリリイの暴力に身を任せることにした。されるがままになるととりあえずは後ろめたさが減る。

 ぼうっと視界がかすむかわりに、リリイが身に着けている淡い香水とやっぱりあの棒付きキャンディのフルーツ香料の匂いがふわっと近づく。顔を近づけてきたらしい。

 唇や鼻にかぶさる呼気は、もうきっと染みついてとれなくなっているフルーツ香料の匂いで彩られているのだ。

 

 襟首を締め上げる手が緩んだタイミングでサランは、かはっと咳混じりに息を吸い込んでかすむ目で至近距離にあるリリイの目を見つめる。


「――トラ子はキスだけはやんねえよう? 飴の毒がきついからって」

「へぇえ、それはええこと教えてもらいました」


 ようやく焦点が合ってきた視界の全てを覆いつくすほど近くにいるリリイは笑って、食らいつくように唇にむさぼりつく。そのまま息を吹き込むように舌を差し入れて動かし、じゅうっと唾液を送り込んだ。ねっとりとぬるい液体が舌の上を滑って喉まで滑り落ちる。サランの後頭部を掴んで上向かせる為、日傘がそのまま足元に転がった。

 フルーツ香料の匂いの染みついた唾液はそのまま喉の中でひっかかり、むせかけたサランの抵抗をリリイは力づくで抑える。そしてそのまま並みの人間にとっては毒だという薬で汚染された唾液を飲ませ続ける。

 だが大半は喉を通らず、堰きとめられた唾液が口の端から漏れ、サランがむせたことによりあたり飛び散る。


「やだぁもぉ〜……きたなぁい」


 自分のやったことを棚にあげて、唾液の跳ね返った顔をしかめたリリイはハンカチを取り出して顔や髪を拭きはじめた。

 がほごほと激しくむせこみながら息を整えるサランの前で、あらかたの唾液を拭き取ったあと自分の唇にそれをあてる。そして涙をこらえるようにきゅっと眉間に力を込めると、唇をぐいぐいこする、擦り切れそうなくらい激しく。


 自分からしかけた癖にその態度はなんだ? と、汚物扱いされたサランはさすがにムッとしたけれど呼吸が整わないこともあってまだ何もいえない。

 すんっと鼻をすすりあげたあとリリイは膝を抱えてうずくまった。膝に頭を埋め、そのままくすんくすんとすすり泣きを始めたこともあって、いつものごとくついつい放っておけなくなるのだった。


「……ああ〜、リリ子? 気が済んだか? 分かってる分かってる、今のは報復だ暴力だ、拳で殴る代わりに口使っただけだ。うちはお前に毒飲まされただけだよう」


 服毒の被害者がなんで加害者のフォローに回らなきゃならんのかという割り切れない思いを抱えながらも、サランはリリイのそばにしゃがんでとりあえずすすり泣く背中をさすろうと手を伸ばす。

 が、それを制する勢いでリリイはさっき使っていたハンカチを差し出した。顔を膝に埋めたまま、ぐいっと腕だけ伸ばす形で。


「それ使ってください、先輩。顔や服がビチャビチャですから。返さなくていいです。先輩が使ったものなんかもういらない。触りたくない」

「……そりゃどうも」


 本当に勝手なやつだな! と腹を立てながらシンプルなハンカチでべたつく唾液を拭き取る。ほのかに甘い花の香水を染み込ませたハンカチにフルーツ香料の匂いが染み付く。

 それでもやっぱり膝を抱えて体を丸めて、グシュグシュと鼻を鳴らしてすすり泣くリリイがやっぱりこの場に捨て置けず、サランはそばにいることにする。


「……先輩なんて嫌い。死んじゃえばいい」


 泣き声で相変わらず捻くれたことをいうが、それくらい言われても仕方がないので聞き流す。

 そのまま震えた涙声でリリイは続けた。


「……でも今の私はもっと嫌い。最低。最悪。世界で一番汚いヤツ……便所虫の方がまだ清潔」

「何も自分をカマドウマ扱いしなくたってなあ」


 自己嫌悪を隠そうとしないリリイへの慰めの言葉が思いつかず、とりあえず開いたまま転がった日傘を拾ってパチンと閉じて手渡す。リリイはそれをひったくるように受け取ると、しゃがんだまま抱きしめて、そのまま「ふぇぇぇぇ」と情けない声をあげて泣き出した。まるで子供だった。丸めた拳を目元に当てて、「え」の形で口をかためて、見た目だけは天使みたいな外見を歪ませてみっともなく素直に泣くのだった。――こういう所があるせいで、サランはリリイに手を焼かされても見捨てられないのだ。

 

「……なんでっ、なんでっ、一緒に頑張って二人で幸せになろうって言ったのに……っ。リリイはきれいで可愛いから最強のワルキューレになれるって言ったのに……っ。だから、私、ワルキューレになったのに……っ。バカッ、たーちゃんのバカっ、ああああ~……」

「んだよう、トラ子のやつってここに来るまでそんな調子いいことまで言ったのかよう。ったくしょうがねえなアイツは……」


 ほら、よしよしと慰めようとするサランの手を号泣のリリイはさっと跳ね除け、リングの翻訳機能が対応しない母語で罵り、そのあとまた、ああんああんと声をあげて泣き出すのだ。小さい子供のようなその様子を目の当たりにすると、ついついタイガとの逢瀬に溺れたサランの良心の疼きも激しくならざるを得ない。多少の暴力を受け入れただけでは収まらないやつだ。

 ずきずきと胸を痛ませながら、サランはリリイへの慰めに全力を傾ける。


「……あ~、でもホラ、トラ子もお前のことはかなり大事に思ってるぞ? お前を託す相手は地球全体絶対破壊ミサイルが飛んできてもお前の為に受け止められるようなやつじゃないとダメだって――」

「だから私はそれをたーちゃんにやってほしいの! たーちゃんが私の為にうけとめてくれなきゃ意味ないの!」

「……ですよね~……」


 涙目で睨まれながら、サランはそう返すしかなかった。全く持ってその通りだろう。

 大泣きして感情の堰が決壊したせいか、泣きはらした酷い顔でリリイは呪詛めいた言葉を次々と吐き出すようになる。


「私のためにたーちゃんはミサイルを受け止められないっていうなら、じゃあもうそんな地球なんか爆発しちゃえばいい。サメジマ先輩のために受け止めるっていうなら、私が全力でたーちゃんを妨害してミサイルを地上に落っことしてやる。地球も人類もみんな死んじゃえばいい。そんな地球、この世に存在する価値なんてない」


 人類と世界を愛せよと定められているワルキューレにこれ以上相応しくない暴言を吐きまくるリリイを、サランは聞かなかったことにした。他に対処の仕様がない。そしてリリイの呪詛はしゃくりをあげながらもぶつぶつ続く。


「大体なんで私よりサメジマ先輩がいいの? 先輩なんてただのちんちくりんだし、体臭が赤ちゃんみたいだし、産毛の手入れも甘いし、趣味も子供っぽいし、そのくせ口悪いし、恋愛に興味ないとかいってる癖にやることはやるとか性欲だけはあるのって卑怯で最悪だし……っ、好きになれる要素が一つもないっ」

「お前なぁ、そういう疑問や恨み言は直接トラ子へ言えって!」

「言えないもん! 言えませんもん! 言ったらたーちゃんに嫌われちゃうもん。オレのパイセンの悪口言うなってなっちゃうもん!」


 気が昂ったせいか、リリイもポケットを探っていつも舐めているあのキャンディを取り出してフィルムを剥いた。いつものように棒をつまんで、赤い球状のキャンディを舌先を伸ばしてゆったり舐る。タイガはこのところずっと口の中にキャンディを放り込んだままにしているが、リリイの場合はこうしてゆったり舐めることが多い。口の中にキャンディを入れていない期間もタイガに比して長い。自分なりに調節しているのだろう。

 グルーミングのように飴を舐めるリリイを身ながら、サランはため息をつく。

 サランの知る限り、今日はタイガに出撃任務は下りていない。

 しかしリリイのリングは左手にある。

 ということはお互い顔を見合わせていない。互いに気持ちのこじれがあるということか。


 そして二人のこじれの中心にいるのは、よく考えるでもなく自分でもある。


 仕方ねえ――と、心の中で呟きながらサランはタイガを通話で呼び出した。向こうへ着信がつながったと同時に食い気味な声を飛ばすタイガに、リリイを迎えに来いと言づける。


「お前のせいでリリ子が荒れまくって大変なんだぞっ。責任もって迎えに来てやれ」

『リリイ⁉ いんすかそっちに!』


 サランの右手の上に立ち上がったのは、白い花びらのドレスを纏った愛らしいフェアリーだ。ヴィクトリア朝の絵本の挿絵を転用したそのコンシェルジュキャラクターは明らかタイガ好みのそれではない。リリイのリングをおそらく左手に嵌めているタイガの嬉しそうに跳ね上がった声を聞いて、サランは少しほっとする。

 ――しかし声に混ざってジャラ、ジャラと何か硬くて小さなものを動かしたり、たん、たんと何かを叩くような音が聞こえるのはなんだ? それに混じって人の声もする。


 その声と音にリリイも素早く反応し、涙をぬぐって乱れた髪を整えてサランの右手を掴んで自分の顔に近づけた。


「もしもし、たーちゃん⁉ 私よぉ。今、どこで何やってるの? ひょっとして卓ゲー研さんの人たちと一緒っ?」

『――やぁ……それはその、アレだ。とにかくお帰りリリイ。つかなんだよ、帰ってきたんなら顔みせろよなぁ、水くせえ……。せっかくランキングトップ10入りおめでとうって言おうと思ったのにさぁ。動画チャンネル登録数も増えてっし。お前やっぱすげぇよな!』


 はしゃいだ声を上げるタイガだが、明らかにそれは焦って何かを隠そうともしていた。そもそもジャラジャラという音がとりあえず不穏だ。リリイもそこに何かを感じたのだろう、さっきまで子供っぽくゆがめて泣いていた顔に危機感をにじませながらも粘っこい口調で問い詰める。


「ねぇ、たーちゃん。さっきからジャラジャラいってるんだけどぉ、これなんの音ぉ?」

『――大丈夫大丈夫! 今日のツキは今から来る! お前は心配しなくていいから!』


 どう聞いても大丈夫じゃない声でタイガが言い繕う隙に、リリイの左手の上でトラジマの猫耳カチューシャと尻尾をつけた二千年紀ミレニアムモデルの黒ギャルというサランには理解しがたいデザインのコンシェルジュキャラクターがぱっと顕れ音声通話の着信がはいったことを知らせた。リリイがギャルに触れると、それはレモンから手足を生やしたようなカートゥーンのキャラクターへ一変した。落書のような口から放たれるのは、最近よく聞くようになったはしっこい下級生の生きのいい早口だ。


『お久しぶりです、リリイの姐さん。あっしです、卓ゲー研のビビアナです。タイガ姐さんちいと今手が離せやせんのであっしがお話させていただきやす。――実はですねぇ、バドミントン賭場の収益の配分がちいとこじれちまいまして、卓を囲んで決めるってことになっちまったんでさぁ』

『ばか、ビビ公お前余計なこと言うんじゃ――』


 サランの右手の上に浮かぶフェアリーがレモンのキャラクターへむけてがなった時、この会話に参加してない人間による、栄和ロン、の声が聞こえた。その直後にタイガの怒号が飛ぶ。


『はぁぁぁ、テメこらなんで今のは普通通るだろうがよ! おっかしーだろ、イカサマこいてんじゃねえ!』


 ――このやりとりだけで、バドミントン賭場に関する件では完全に蚊帳の外にいるサランにも状況が読めた。何がなにやら分からないが、おそらくメジロ姓の二人にとってかなりの危機的状況であることは、完全に涙が引っ込み口にキャンディを放り込んだリリイの表情で掴む。


『ビビアナちゃん、とりあえず今までの経過を教えてくれるぅ? それからそちらの部長さんとおつなぎしてぇ~』


 はいっ、というビビアナの元気な声とともにサランには何が何やら分からないこの勝負一連のデータがリリイの手元で表示された。案の定麻雀をやってたらしいが、ルールや配点現在の状況、そしてタイガ以外のメンツを確認してみるみる変化してゆくリリイの表情で予想にたがわず相当ヤバい状況であることは麻雀に関して全く無知なサランにも掴めた。

 ほどなくしてリリイの右手の上にもう一体のコンシェルジュキャラクターが現れる。トランプのクイーンを象ったそのキャラクターは、余裕ぶった声で語り掛けてくる。


『お久しぶり~、リリイちゃん。アイドル活動ご苦労様~。トップテン入りおめでとう~。』

「ありがとうございまぁす。皆さんのご声援のおかげでぇす。──挨拶はここまでじゃ、わしのおらん隙におもろい話進めてくれとるみたいじゃのう」

『ええええ、おもろい話ですわぁ。――うちら相手に卓で勝てるわけがないのに勝負を挑んできたそっちの姉さんの無謀さは下手な芸人以上に笑えますわぁ。お蔭さんでボロ勝ちさせてもおて、笑いもとまりませんわぁ』


 ――この太平洋校にアウトローなワルキューレは何人いるんだろう?

 この件に関しては完全に蚊帳の外なサランは関係のないことを考えた。


『言うときますが、そっちの姉さんが持ってきなさった話やで。うちらとの勝負に勝ったらメジロさんらの言う配分で金を分ける、負けたらこっちの言うことを聞いてもらう。――そもそもそっちがこっちの条件にノー言わはったんがきっかけや』

『たりめーだろうが、元々オレとリリイで始めたことに後ノリしてきやがったくせに、あつかましーんだよ、手前らはよぉっ』

『そらそうですやろ? 賭場一つ開くにも場所や人手や色々かかる。その諸経費分が欲しいいうのはなんか間違ってますやろか?』

『あれが諸経費って額かぁ! 儲け根こそぎもってくどころか、オレとリリイが卓ゲー研に入る条件になってたじゃねえか!』

『ああそらぁ……お二人とも今のまま新聞部所属っちゅう形よりもうちらと仲よぉやった方がええおもただけですさかい。リリイちゃんかてアイドル活動これからも続けやはんのやったらちゃんとした部活に所属した方その後も後々やりやすいんちゃいますかっちゅう、親切心ですわぁ』

『嘘こいてんじゃねえ、リリイがやっとこさ売れてきたからその汁だけ吸い上げようって魂胆だろうが。――くっそ汚ねえぞ、手前ら』


 風紀委員が本格的に動きだす前にあのバドミントンを止めさせて本当によかったと、蚊帳の外のサランはそんなことを考えながら、手の甲の上で拡張現実上のキャラクターたちがヤクザな言葉を交わしあう様子を眺める。


『いいかっ、リリイはなぁ! お前らみたいなコバエがたかっていいような女じゃねえんだよっ! こいつは必ず天下獲るんだよ! コバエはコバエらしく糞かラフレシアにでもたかってろ!』

『せやから遠慮のうたからせてもうとりますやんかいさ。――沿海地方の小戚シャオチーの評判はうちらも小耳に挟んどりますさかい。ほんまに糞かラフレシアそのものっちゅう人やないですか、リリイちゃんは』


 ガツっ、と何かを蹴り飛ばす音、そして、ジャラジャラと何かが床にぶちまけられる盛大な音。おそらく麻雀牌が床に雪崩を打ったのだ。ビビアナのコンシェルジュキャラクターであるカートゥーンなレモンのキャラクターが、ひえっと悲鳴をあげる。


『――あ、テメ今なんつった? ああっ?』


 タイガの音声を伝えるノーブルなフェアリーは、剣呑な声でトランプのクイーンのキャラクターの主へとすごむ。トランプのクイーンは言葉を口にできない状況にあるらしく、無言だ。

 じゃら、じゃら、と音がなる。足音のようなリズムで。


『誰が、糞でラフレシアだっつってんだ! リリイって名前の意味も知んねーのかよ? だったら教えてやっけどなぁ、〝百合の花″っつーんだよ!』


 なんとも言葉にしづらい音が数発続き、トランプのクイーンのコンシェルジュキャラクターからくぐもった悲鳴のような声が聞こえた。他にも数名の悲鳴が。


『リリイは百合の花なんだよ、雪みてえに真っ白でこの世で一番きれいな! てめえら銭勘定得意な癖にこんな簡単な英単語もしんねーのかよ、じゃあ頭蓋骨ブチ割って脳みそに直接刻み込んやっから頭出せ頭ァ!』

『あああああっ、姐さんっ、ダメダメダメこれ以上の流血沙汰はご法度でぇぇ!』


 ビビアナの悲鳴、タイガの怒号、何かを何かが打擲するような音。なにやら狭苦しい空間が修羅場になってる音声が手の甲の上で伝えられる。

 映像通話に切り替えなくてよかった――と、ひたすら場違いな感想を抱いている中、サランはそっと隣にいるリリイを見た。とりあえずこの件に関しては自分はまったく出る幕が無いので、どうするつもりだ? という意味を視線に込めた。


 そして、わかりやすく高揚し、目までキラキラ輝かせたリリイの表情に目を瞠った。

 さっきまでぴいぴい泣いていたのが信じられない、歓喜に打ち震えるがごとき表情をリリイは浮かべて恍惚としていた。


 相当ダーティーかつバイオレンスなことが繰り広げられてるこの状況でその表情っ? と、サランが戸惑っている間にリリイはさらにゆっくりと顔を綻ばせた。蕾がゆっくりと花開く様を思わせるそれは、サランがこれまでにみてきたリリイの表情の中で一番素直で愛らしく、そして美しいものだった。

 さっきまで泣いてた名残の赤らみが、リリイ元々の白い肌に溶けて官能的な雰囲気すら放つ。

 

 何がリリイをそれほどの高揚感に襲わせたのか──それは言わずもがなだった。


 リリイを護るために無茶な勝負に出たタイガ。

 リリイを侮辱した相手を全力ででぶちのめすタイガ。

 そしてタイガの美しさを、アイドルとしての資質を全力で肯定するタイガ。


 音声のみであるとはいえそれに接したリリイはさっきまでの絶望から一変、天にも上る喜びに舞い上がる心境にいるらしい。それこそ目の前で地球全体絶対破壊ミサイルを受け止められたに等しい程の喜びに──。

 輝くような微笑みを浮かべたまま、リリイはビビアナのレモンのキャラクターに呼びかけた。


「ビビアナちゃーん、卓ゲー研の皆様は今どぉお? お元気ぃ〜? たーちゃんに脳みそぶち割られちゃったあ?」

『ああ、えーと……幸いそこまでになってねえです。部長がちいっとえらいことになっちめえやしたが』

「あらそお、じゃあ今からそちらさんで面子を三人ばかり揃えてくださる〜? 私今からそっちにに向かいますからぁ。──遺恨を残すんはたいぎぃけえ、わしが今からたーちゃんの代打ちして負けた分取り戻したるて、あんたとこの先輩らぁに言うときんさい」


 ひっ、とコンシェルジュキャラクター越しにビビアナが息を飲んでる間に、リリイはすっくと立ち上がった。

 口の端からキャンディの棒をのぞかせ、敵を屠る直前の捕食者めいた笑みを浮かべたリリイは全く似てない筈なのにどことなくタイガと共通するものがある。


「卓ゲー研さんらの方でわしのことをよぉお調べになったみたいやけど、だらあ当然ご存知でぇ? わしが偶に兄さん相手と卓囲んで小遣い稼ぎしとった言うんも? ──知っとるじゃろうなあ! わしの留守中にたーちゃん相手にそがあなフザけた真似すんのがええ証拠じゃ」

『ああ、ええーと……うちの副部長が、姐さんたちの言い分通りに配分しますんでと仰っとりやすが……いかがしやしょう?』

「いけんのお、そちらさんが原因じゃあ言うても卓ひっくり返したんはたーちゃんの無作法じゃ。今から詫びに入れに寄らせてもらいますけえ、そっちの人らぁに伝えてくれんか? 急なことじゃ、菓子は用意できん代わりにそっちのいう通りのルールと条件でナンボでも相手したるけえ、首あろうて待っとりんさい言うてな」

『あ、あのえーと、副部長がお気遣いなくって言ってやすが……どうしやしょう?』

「三対一で遊んだらあ言うたってるんど、こっちはぁ! あんたらはわしがそっち行くまでに大人しい牌集めて卓の用意しとりゃあええんじゃあ! ビビ、おどれは今からそっちの皆さんが逃げたり隠れたりせんよぉ、よお見張っとけ。──聞こえとったら返事ィ!」


 が、合点でさぁ! と、震え上がったビビアナが返事を寄越す。それを聞いて満足そうににっこり微笑むリリイの表情をサランは慄きつつ見つめる。


『けど姐さん、場所ご存じで? 文化部棟は昨日閉鎖されちまいやしたし――』

『修練用具置き場だぞー。──悪いなリリイ、お前の祝勝会代くらい稼いでやる予定だったんだけどさ……』

「いいのよ、ありがとうたーちゃん。その気持ちで十分。お陰で私、今ぜーんぜん負ける気がしなぁい〜。今ならミサイルどころか、お月様が落っこちてきても受け止められそう〜」


 ふふふ……と含み笑いをしながら、リリイはキャンディの棒をつまんで一旦口から取り出した。


「じゃあ私今から急いで行くからぁ。……ふふっ、牌持つのも四年ぶりかなあ〜? リハビリには持ってこいね、楽しみ〜。それじゃあたーちゃん後でね〜」

「って、リリ子が言ってるから通話切るぞ。じゃな」


 あちょっと待ってパイセ……っという声が聞こえたが、サランは無視をして右手を振った。修練用具置き場で繰り広げられている法の埒外にある策謀の世界に触れられるのはここまでが限界だ。

 全く、学園島の内外でどえらいことになってるというのにコイツらは……というサランの眼差しを、幸せの絶頂にいるリリイは完全に無視してくれている。


 簡単に身繕いを済ませると、満面の笑みを浮かべて日傘をくるんと回してみせる。


「というわけで先輩、私ちょっとたーちゃんの所に行ってきますね〜」


 そしてサランの反応をみることなく、スキップをしながら棕櫚の木立をすり抜けて行く。


 ──勝ち目のないギャンブルに挑むバカが繰り出す実のない言葉にあれだけ有頂天になれる。ああいうチョロい所が、つくづくあいつのタチの悪い所なんだろな。


 サランはそんなことを思いながら、ゆっくりと立ち上がる。一瞬立ちくらみを覚えたのは、十数分前にリリイにのまされた毒のせいか。

 棕櫚の幹き背中を預けながら、サランは眩暈が治るのを少し待つ。



 『ハーレムリポート』での情報漏洩以降、太平洋校はもちろん各養成校の拡張現実上の窓口は当然様々な攻撃に晒され、今もまだ閉鎖中。外部からの門戸を固く閉ざした学園の中では、文化部棟専用の掲示板は使用不可にされた。そして昨日、住民たちの抗議も虚しく文化部棟そのものが教職員の手によって閉鎖されてしまった。

 あの日から数日で、学園島の様子はここまで一変していた。住処を失った文化部棟住民の怒りはもちろん、文芸部に注がれる。矢面に立たされているのはまたしてもジュリだ。


 レディハンマーヘッドの正体はワニブチジュリだと信じている生徒達の数は少なくない。

 学科の授業の教室で、遠巻きに眺める廊下の端で、自分にぶつけられる揶揄と批判と抗議と好奇心など痛くもかゆくも無いという風情で超然と佇むジュリの姿をサランは遠くから見ているだけだった。


 形良く化粧を施した目元を隠すあの伊達メガネが、サランにはあまりにももろい盾に見えてしまう。


 夜になると何通かメッセージをやりとりしたが、ジュリからはツチカもキタノカタマコも恨む発言は返って来なかった。



 かつての侍女を窮地に立たせた時以来、おしゃべりの場を取り上げられたゴシップガールは沈黙を貫いたままである。




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