#29 ゴシップガールの叶えられた祈り

 あれはまだシモクツチカが学園にいた頃の話。

 サランも文芸部の空気に慣れて、部室でツチカとよく喋ることが多くなった頃のことだから初等部一年の五月後半か。


 一年生たちが集められた実践演習の開始前、場の空気が少しざわつく出来事があった。

 見分けのつかない侍女たちに傅かれたマコがその一人に鋭い言葉を投げかけたのだ。

 激しい運動の邪魔にならないように、と髪を整えていた侍女がささいな失敗をしたらしい。髪を梳かす際に強めに櫛を動かしてしまい、マコは小さく「痛い」と声をあげた。


 たったそれだけ。

 しかし髪を梳かしていた侍女はまだ日も浅かったようで、マコの不機嫌そうなその一言にすっかり怯えきってしまいその場に土下座をして申し訳ございませんと謝り倒し始めた。──思えばこれが、サランが目撃した範囲で唯一キタノカタマコの侍女が感情をみせたワンシーンになる。


 マコはそれを無視した。愛用の扇子で口元を隠し、土下座の侍女などまるで見向きもせず別の侍女に髪の手入れを当たらせていた。

 ほんの小さな理由で、同世代の女の子が同世代の女の子に土下座を強いている。脅えてかしこまる侍女、もう興味を無くしたように視線を他の侍女たちに向けるマコ。場を同じくする者たちにとって、その光景はひたすら気詰まりで、居心地が悪く、端的に言って辛いものだった。

 そういう場面で率先して動き、土下座する少女に手を差し伸べて立ち上がらせながら、それを強いた少女を昂然と非難できる胆力のある人物はサランの同期では一人しかいない。無論トヨタマタツミだ。

 髪ぐらい自分で梳かしなさいよ、バッカじゃない? 等、タツミはいつものように猪突猛進にキタノカタマコにむけて怒鳴った筈だ。そしてキタノカタマコも、やれやれうるさい犬に吠えられたという顔つきで華麗に無視をする。

 

 そのあたりまではいつもの光景だった。


 いつもと違ったのはそこからだ。よく通る半笑いの声が、無視するマコに挑みかかろうとしたタツミの動きを封じたのだ。


「髪ぐらい自分で梳かせって~」


 はっきりとマコを嘲ったその声の主はわざわざ確認するまでもなかった。マコとその侍女の斜め後ろの位置にいた、ツチカのものだった。

 ツチカはマコたちの脇を通りすぎながら、軽やかにマコを貶めてみせたのだ。


「神武東征以前まで遡れるお家のトヨタマさんがそう仰ってるのに、勲功華族のご息女は腰元をはべらせてのお姫様ごっこ。たっのしそ~」


 サランの位置からはその時のマコの表情は見えない。ただ、侍女の一人がすすっと歩みをつめようとしたのにツチカの後ろを歩くジュリが気づいて対処した。

 ツチカは振り向きもせず、軽やかにマコを嘲りながら遠ざかった。


「ああごめーん。所詮、織機メーカーあがりの成り上がりがいうことだから気にしないで。系図さかのぼっても応仁の乱がギリな代々平民の娘が言うことだし、聞き流そうね~。お姫様なら」


 生まれてすぐ消えたのに、あたり一面に砂煙を巻き上げるつむじ風のように場を荒らしたツチカはそのまま通りすぎてゆく。

 その時のサランは、ツチカにバスケットボールをぶつけられて派手に鼻血をふきながら昏倒し、なおかつ部室ではおこちゃまだのミノムシのミノ子だのと散々に罵倒される日々を過ごしていた。よってツチカに対して敵意しか抱いていなかったにもかかわらず、この日のふるまいには悔しいことに、胸がスッとするような爽快感を覚えずにはいられなかった。

 耳慣れない言葉と教科書で聞き覚えのある言葉がまざったツチカの台詞の意味は一度聞いただけではよく分からなかったが、侍女へ対してパワハラを行うマコの鼻っ柱をへしおったことくらいはわかる。


 んだよう、アイツ。大人ぶりっ子のお嬢の癖にカッコいいことしやがって。


 気分を害しましたとばかりに、マコも回れ右をしてツチカとは反対方向へ立ち去る。その後を侍女たちは続いた。ツチカのふるまいをジュリへ抗議した侍女も、タツミに手を差し伸べられた侍女もその後に続いた。 


 御一新の折の勲功から男爵というかたちで爵位を授かり華族の末席に加えられ、そして持ち前の商才と才覚から世界に冠たる財閥の基礎を築いた旧日本商工業史には欠かせない偉人を祖とする、マコはそういう一族の娘だ。世が世なら華族の令嬢でほんもののお貴族様のお姫様だったのだ。

 そんなマコを、応仁の乱で一切合切の焼かれてしまったからそれより以前の系図をたどる家とは不可能であるけれども、かつては都と呼ばれていた土地で質の良い織物を手掛けていた職工の血筋であり、明治期に画期的な織機を生み出したことから様々な工業品を手掛けることになる現シモクインダストリアルの前身である撞木工業創家の娘であるツチカが、「せいぜい二百年と少ししか来歴をもたぬ成り上がりが、ああも粋がるとはこれは滑稽」とばかりに嗤ってみせた。


 サランがかつて立ち会ったあの一瞬の嵐のような現場は、そういう意味をもつものであったと気づいたのは、ツチカが学園を去って以後のことである。

 もはや連邦の独立自治区としてなんとか存続している状態であるにもかかわらず(というよりもかつての栄耀栄華を封じるためか)、昭和の中ごろより醸造された「一億総中流」意識を頑なに維持し続ける旧日本の地方出身の庶民であったため、この島に来るまでサランにとって殿上人なる存在はほとんどフィクションの登場人物も同然だったのだ。


 お姫様やお嬢様だなんて、ワルキューレよりもお話くさくてリアリティがない。



◇ハーレムリポート 電子個人誌ジン版 #59◇


 うーんと、あれ、なんだっけ~……、ほら、映画やドラマにアニメなんかでタイトルロゴやオープニングテーマが流れ出す前にちょっとした小芝居を用意してたりする、あれ、なんていうんだっけ? うーん……。

 ――あ、「アバンタイトル」だ。



 やー、お蔭様でスッキリ。やっぱこういうのって自力で思い出せた気持ちよさって格別だよねえ。そんな気持ち良さを皆さんと分け合い難いがためにこうしておししゃべりなゴシップガールの思考の一端を披露してみたわけだけど、偶にはこういった趣向はどうだった? てなわけで、今回は久々に語ることが多くて腕が鳴るレディハンマーヘッドだよ。


 だってもう、こっちはもう大変! 

 こんなゴシップガールのおしゃべりに付き合うくらいワルキューレ達に興味深々な皆さんならとっくにご存じだろうけど、わが校で行われた毎年恒例初等部生徒会のパジャマパーティーで各養成校よりすぐりのエリートワルキューレちゃんたちが話し合った結果、前代未聞の大作戦が展開されることになったんだもん。

 先生の支持を仰がず、専科卒のお姉さまたちの手も借りずに行う、完全にあたし達の手だけで行う大作戦。


 せっかくジャッキー姐さんが学園島にお帰り遊ばしたその騒動も喋りたくてうずうずしてるんだけど、それを話す前にはまずパジャマパーティーのことを説明しなくちゃならないし、そしてその前にはまずニューヨークのワルキューレ最高司令部にある神殿でお眠り遊ばす予言特化型ワルキューレのお姉さまが、とっても怖くて恐ろしい夢をみたってことからお話しなくちゃならないの。だからちょーっとガマンして聴いてねっ。


 深い眠りにつきながら極めて精度の高い予知夢を視ちゃう――それも決まって地球が壊れちゃうような不吉な夢! ――前世紀末の女の子が好んだような漫画や小説に出てくる姫巫女みたいなそのワルキューレが、やっぱりとっても怖い夢を視たんだって。

 

 どんな夢かって? ん~……、これ対外的には一応機密にあたるんじゃなかったっけ?

 でも、ま、いっか~。この世界と人類を愛して、生命財産を守らなければならないワルキューレとしては皆さんの益になる情報もお伝えしなきゃ。なんたってとっても恐ろしい予言なわけだし。それに太平洋校新聞部さんの主要誌を購読なさってる方のいらっしゃる中情報漏洩に気を遣うだなんて、ゴシップガールの名が廃る。

 

 というわけで、地球人類の生命を護る為にもその不吉な予知夢からお話するね。もう本当に怖いんだから心して聞くように。レディハンマーヘッドとのお約束だよ。



 てなわけで姫巫女ワルキューレが寝汗びっしょりで目覚めて、御付きの方たちにすぐ書き留めて司令部に、さらにそこからさらに電光石化で各地の養成校に伝えた夢の内容が以下の物。



 死海のほとり、もっと範囲を広めてアラビア半島北西部、聖書にも書かれる由緒ある土地柄でありつつも、二十世紀後半からの「自分たち世代ではどうにもならなかったから次の世代の人がなんとかして!」とばかりにバトンが回されるばかりでなんら解決にいたっていないあの火種の燻る一帯に、未だ嘗てない震度の次元震が起きる。そして生じた次元溝から侵略者の一軍が出現するというもの。


 しかもそれを率いる軍勢の王は、今までこの世界にやってきたことのある侵略者の中ではけた違いに強くて、最悪なまでに厄介なヤツ。

 そいつが降臨した一帯は確実に火の海になるってヤツ。


 そういう侵略者はやっぱ魔王と呼ぶべきなのか、いやいや世界を七日でお創りになった方の怒りに触れた都市国家が天から降り注ぐ硫黄と火によって滅ぼされたこともある土地柄なんだからやっぱり神って呼ぶべきんじゃない? とか、なんだと神の子に住まう土地に攻め入ろうとする者を神と呼ぶとはなにごとか、これだから信仰をもたぬ者は――……等々、気たるべき災厄をなんと呼ぶかだなんてどうでもいいことを喧々諤々しながらも、しっかり作戦を練っていたのね。最高司令部のお姉さま方は。


 その結果、もちろん、出来る限り有能なワルキューレをこの地に集結させたいと、お考えになるわけよ。

 

 当然招集するのは専科を卒業した士官以上のワルキューレが中心。

 だって、ワルキューレはまだまだ数が少ないもの、特級や上級といった優秀なワルキューレであればなおさら。だって養成校のルーキーを失うことによる損失ってバカになんないよ? だから今までの国連指揮による大型作戦決行時だって、養成校の候補生たちを現場に駆り出すことはめったたにない。お疑いの人は調べてみてね。

 あったとしても後方支援の予備人員で、それも高等部生限定。ほとんど現場の空気を肌で知ってもらうための研修みたいなものだから危険な任務には当たらせない。

 だから基本、ヤバいレベルの大型作戦に初等部生はお留守番があったりまえ。だって経験値の足りないペーペーの初等部生にこられたって足手まといだもん。現場だって困る。


 まして死海およびアラビア半島北西部は、大西洋校とユーラシア校が合同で担当する地域で、あたしたちの太平洋校にしてみれば、言っちゃなんだけど完全に「対岸の火事」なエリアなわけね。だから、太平洋校初等部生にとっては正直、「へー、遠い所で大変なことが起きちゃうんだぁ」でしかなかったの。


 ――え? お前、ワルキューレの癖になんだその不真面目さはって? 人類の未曽有の危機に深刻に対処しろって? あはは、耳がいたーい。


 そこへ行くとあたしたちの偉大な生徒会長・キタノカタマコ様はやっぱり違うわけだけど、それを説明するにはさっきから言ってる通り、夏休みの間に各養成校のワルキューレちゃんたちが来たパジャマパーティーでのマコ様のご活躍を皆さんのお耳に入れなきゃいけないとね。


 さっきも言った通り、最高司令部のお姉さま方はあたちたちみたいな意識の低いひよっこたちはこの作戦には参加させない予定だったわけ。それでも一応念のため、こういう趣旨の通達だけは出しておいたの。


『状況次第では候補生の召喚を余儀なくされる場面もでてくるかもしれない。そうならないように力を尽くすが、養成校でもその旨覚悟はしておいてほしい』


 それがこの八月上旬で、でもってそこから教職員、さらに高等部・初等部の生徒会にも伝えられたのね。それがタイミングよく、夏休み恒例の初等部生徒会のパジャマパーティーサミットの直前だったりしたものだから、当然おしゃべりのネタにもなったみたい。

 カラフルなナイトウェアを纏ったワルキューレたちが、寝具にねそべり枕を抱き、お菓子をかじりながらこんな風に話し合ったんだって。


 お前たちは邪魔だから来るな。偉い方々はそうおっしゃるけれど、私たちもワルキューレの端くれ。未曽有の危機に何もせず見ているだけというわけにはいかないのじゃないかしら。

 たとえ戦闘には参加できなくても、なんらかの形でお役にはたてるはず。たとえばそうね、非戦闘員さんの日常生活をサポートするとか……。


 ――ほーんと、生徒会なんかに入っちゃうくらい意識の高い人たちは違うよね~。あたしみたいに、たまたま因子アリって判定されただけのなんちゃってなワルキューレとは格が違うんだから。

 特に、プライドがお高くていらっしゃる分ワルキューレとしての職務や使命に誰よりも忠実で誇り高い我らのマコ様はあたしみたいな不純で怠惰で破廉恥なワルキューレが恥ずかしさのあまり穴に入ってしまいたくなるような崇高で慈愛に満ちた作戦を立案なさった次第。それが次のようなもの。


 もし招集があれば各養成校の初等部生からも作戦従事者を送り出すことに喜んで応じる。

 そしてその準備として激しい戦闘が予想される一帯に暮らす現地住民の疎開を各養成校の初等部連合で受け持つ。



 ね? あたしのおしゃべりにつきあってくれていた読者の皆さんなら、どれだけ表向きはツンツンしていても本当は全世界と人類へ深い愛情と慈しみの精神を持つとっても優しい女の子だってよおおくご存じの筈だけど、今回の出来事ほどそれを感じさせることはないんじゃない?

 だって、何もしなくていいっていう司令部のいうことを聞いた方がいいんじゃない? とか、あたしたちだけでそんなことできるかなぁ、とか、住民移動に対する予算や人員はどう確保するの? とか、弱気になったり現実的な態度をみせる他校のワルキューレさん達のまえで、ライラックのパジャマの袖から細い指先を覗かせながら大きな枕を抱いたマコ様はこう仰ったんだから。


 人類に夢を見せられないワルキューレに存在価値はあるのか、って。

 

 きゃー! 格好いい~! 素敵~! 

 可愛くて格好良くてちょっとセクシーで、そんなワルキューレ第一世代の女の子達が侵略者を追い払ってくれる映像やお話に慣れ親しんで、あの子たちがこんなにがんばってくれてるんだから、それにあの子たちを応援している人がこんなにいるんだから、いつか必ずこの世界は平和になるはずだ。

 そんな風に、一度でも信じて夢見たあたしたち世代の胸にぎゅんぎゅん来ちゃう台詞じゃない?


 だからパーティーのメンバーだった皆さんも一律キューンとなっちゃって、各校初等部生徒会立案による戦闘予定地域一帯の住人の皆さんを安全地帯へ疎開させる作戦を展開することにみんな一気に乗り気になっちゃったんですって。

 なーんか文化祭のノリでちょっと微笑ましいけど、予算に関しては心配むようかなぁ。マコ様のご実家は言うに及ばず、大西洋校やユーラシア校にもミリオネアに王侯貴族、民間警備会社に顔が利く方もいらっしゃるはずだから人材豊富♪


 ――というわけで、今年のハロウィンからクリスマスにかけて死海のほとりにおすまいのみなさんの所に、みなさんの新しい街はこっちです~って避難誘導しに、あたしたちの同級生が順次やってくる予定だよっ。その時には優しくおもてなししてあげてねっ。いじめたりするのはダメ絶対! レディーハンマーヘッドとのお約束。


 ――え? 肝心のマコ様は来るのかって? 自分はファンなんだけどって?

 

 さあて、どうかな~。クリスマスに握手会くらいはなさったらいいと思うけどねっ。


 っとお、お話がながくなっちゃったせいで肝心のフカガワハーレムのことは次回に回さなくなっちゃった~。てなわけで次号は必ず久々登場のジャッキー姐さんが嵐をまき起こす様子を報告する予定だから、乞うご期待っ。


◇◆◇



 文芸部部長ワニブチジュリの出撃命令はサランだけではなく初等部生——特に文化部棟民――を慄然とさせた。

 

 というのも、本来太平洋校の担当エリアの外にある西アフリカへ不可解な出撃を命ぜられた者たちがいたという二年前の記憶がまだまだ生々しいせいだ。


 あれは誰がどう見ても某国軍士官とワルキューレにあるまじき不品行な関係を持ったシモクツチカのスキャンダルを面白おかしくかきたてた新聞部を狙い撃ちにした懲罰出撃だったのは、その当時太平洋校に属していた者なら皆知る事実である。もちろん太平洋校教職員も理事もその事実を認めないが。


 二年前のあの出撃命令と、ジュリに下った今回の辞令。

 ツチカのスキャンダルに端を発する文化部棟の大粛清とその結果の不透明極まりない懲罰の横行。

 文化部棟の低レアワルキューレだったた為、その記憶も鮮明なサランはどうしてもこの二つを重ねて見ないわけにはいかない。



 そして同時に見えてくるのは、二年前の懲罰を行った者の正体だ。



「お久しぶりの文化部棟の空気はいかがなもんで、元副部長さん?」


 新聞部は文化部棟三階の殆どのフロアを占有している。

 保守系・革新系・中庸系・経済や文化に特化した専門系――それぞれのカラーごとに異なるメディアごとにパーティションでしきられた部室の中、低俗ゴシップ誌である『夕刊パシフィック』は数台の机と奥まった場所にある応接セットを置ける程度のスペースは確保していた。新聞部内の力関係がそのまま占有スペースに影響しているのかどうかは分からないが、保守系メディアのスペースが一番広く周辺の海洋生物の研究を専門にした日刊紙がデスク一つおけるスペースしかないことから鑑みてある程度の相関はあると見なすべきだろう。

 久しぶりに直接前にした『夕刊パシフィック』記者のパトリシア・ニルダ・ゲルラは、あいかわらずぬるっとした空気を纏ったままニヤぁと笑う。赤い花を思わせる赤い痣が何かを語り掛けてくるようだが、口では相変わらずパトリシアはチンピラぶった口調で余裕を漂わせるのだ。


「ずいぶんぴりぴりしてやしたでしょう? 文芸部部長さんの出撃の件が知れ渡ってからこっち、宣戦布告されたような状態でさぁ。さーてあの初等部生徒会長がしかけて来やがったぞってなもんでして――。ま、お掛けんなってくだせェ」


 泰山木マグノリアハイツから文化部棟までの間で一か所たちより、さらに階段を三階までかけあがったサランに文化部棟の空気を察する余裕なんてない。パトリシアが衝立にしきられた向こうにあるおんぼろのソファへ座れと促すがそれに応じるより先に、荒く息をして整える。

 この状況を楽しんでいそうなパトリシアは愉快そうな顔つきで立ち上がり、人数分のお茶を用意しはじめる。お盆にのったばらばらの湯飲みやカップのうち一つが、非常に見覚えのあるものだったせいで息が詰まってしまう。各国の言語の「ありがとう」をプリントした出入り業者の粗品、ジュリがいつも雑コーヒーをのんでいた懐かしいカップだ。

 それに安物の緑茶のティーバッグを投げ入れてポットで湯をどぼどぼそそぐパトリシアを見て、なんとか息を整えたサランはとにかく食えない先輩を睨む。


「――先輩……っ、またそういう嫌味なことをして……っ!」

「さーてなんのことだか。――所で、どうなすったんで? 珍しいお友達もご一緒で」


 サランの背後で体をビクつかせたのはミカワカグラだ。パトリシアのただならぬ雰囲気に当てられたのか、すっかりまた以前の無闇矢鱈おどおど震えたカグラに戻っている。


「あ、あああのあの初めましてっ、私は初等部三年のミカワカグラと申しまして……!」

「先輩ならご存知でしょう? うちら最近仲いいんです。ねー、ミカワさんっ?」


 合わせろ! というサランのアイコンタクトを受け入れてカグラも慌てて態とらしく、ねーっ、と微笑みあう。その直後にサランに心の声で訴えかける。


『なんなんですか! 無理やり私をこんなところに連れてきて何させるんですか!』

『ごめんっ、この先輩が嘘言ってないかどうか探って! 今度なんか奢るから』


 表面的にはいつものモンゴロイド女児感全開な笑顔のサランが必死に訴えたせいか、カグラも新しい友達とカフェで語らう楽しい放課後を奪われた腹立ちを引っ込める気にはなったようだ。ジュリの出撃に動揺するサランの必死さに打たれたようでもある。基本的にミカワカグラという子は本質的にはお人よしの優しい子なのだろう。まさにワルキューレの鑑。

 

 パトリシアに促されるまま、中古の家具を拾って用意したような応接スペースのスプリングのゆるんだ合皮のソファに座り、差し出されるままに緑茶をすする。ジュリと同じカップは無造作にカグラの前に渡され、そのカップがサランにとってどういう意味を持つのかをしらないカグラは一礼してから雑な緑茶に口をつけた。

 サランも自分に差し出された湯飲みを手に取り、口をつけて一口すする。実家で入れて飲むのと大差ない、雑な家庭の味がした。

 パトリシアもマーライオンがプリントされた土産物らしいカップに口をつけながら、正面のサランを笑って見やる。


「わざわざ副部長さんがあーしに連絡をなさるってことは、ようやく答えにたどり着きなすったってことでよござんすか?」


 この期に及んで、やっと、この真相にたどり着いたのか。

 カグラとは違い、人の心が読めず聞こえないサランには、ぬるっとしたパトリシアの挑発的な瞳の輝きがそう嘲っているように思えてならない。それに怯みそうになりながらもサランは堪えて尋ねた。


「先輩に西アフリカへ行けっていったの、――キタノカタさん?」


 サランのまっすぐな眼差しを受けて、パトリシアはニタァと笑って見せる。

 そこに人をからかって弄ぶような所なニュアンスを漂わせるのはいつものことだが、ゲームの展開を面白がるような楽しさも見せだす。


「ようやっと真相に到達なすったんですかい、元副部長さん?」

 

 パトリシアはそうやって、サランの答えが合っていると告げるのだ。

 その意味を噛みしめていると、ここ最近で慣れてきた、中に声が響く特有の感覚がさっと頭蓋の内側を撫でる。


『正解みたいです。先輩は嘘を仰っていません』

 

 カグラもやや前のめりになったような念をサランに送った。

 精神感応能力をフル活用したカグラは、サランが何故に自分を無理やり連れてきたのかの理由を自主的に察したらしい。その過程で二年前の混乱に関する真相に不意打ちで関わりあってしまったことから動揺しつつも興奮している様子がその念から伝わった。

 その余波か、ツチカのスキャンダルが学園中を騒然とさせた時期の記憶のビジョンがサランの内側になだれ込んできた。某国の士官と関係をもったというツチカを軽蔑すると言い放ち、その数日後に下された退学処分に「それはない」と怒りくるうトヨタマタツミに関する記憶で占められていたが、その端々で下界は騒がしくてたまらないとばかり一人涼しい顔をしているキタノカタマコも姿を見せている。

 まだフカガワミコトと会う前のカグラは、うっかり「化け物が」という発言を耳にして以来、大いに恐れながらもマコのことを気にしていたらしい。あの二人はどういう関係? という、純然たる好奇心は抑えられなかったようだ。


 カグラが高い精神感応力を有することは知ってはいても、目の前の二人が言葉を介さずに情報を共有しあっていることに気づいているのかは不明なパトリシアは、サランを見てやはりどこかぬるりとした雰囲気の笑みを浮かべる。


「元副部長さんなら答え合わせにお見えになるのももうちょっと早いんじゃないかとあーしは睨んでおりやしたが……。ま、しょうがありやせんか。夏からこっち、やることやんなきゃいけなくってお忙しかったようですし」

「――まあご存じの通りすったもんだありましたんで――」


 嬲るようなパトリシアの視線にサランはぐっと堪えた。目の前のやたらぬるっとした先輩の言う通り、今はとにかく答え合わせが先だ。

 クラシカルなメイド服姿のサランを上から下からじろりと眺めまわしたパトリシアは愉快げにニヤアっと笑う。放課後の泰山木マグノリアハイツからそのまますっ飛んできたことをしめすその姿が愉快極まりないらしい。


「確かに大したすったもんだでございやしたねぇ、まさかフカガワハーレムに参加されるとは流石のあーしも予想もできやせんでした。あん時ゃ爆笑しましたよゥ。――ああ、所で今度うちのメジロと会う機会がありやしたらリリイちゃんから目を離すなって仰っていただけやせんかねェ? うちが今じゃあリリイちゃんの窓口ってことになってる都合でボチボチ芸能仕事が舞い込むようになってきてんですが、いやー本当に手の届かない高いとこまですっ飛んでっちまいますぜ?」

「――っ、直接仰ってくださいよう、そういうことは……っ」

「いや、どうもあーしより元副部長さんから仰っていただく方がよく効くようなんで」


 ニヤニヤと笑いながらパトリシアは相変わらずサランを転がして弄ぶ。ゴシップの扱いに関してはサランたちより一枚も二枚も上なこの先輩がサランとタイガと、そしてリリイの関係を把握していないわけがない。

 パトリシアが右手を振ると、その手には黒い厚紙の表紙で綴じられた資料が表示された。芸が細かいことに、ぺたりと張られた白いラベルには「西アフリカ懲罰出撃疑惑取材資料」とものものしく毛筆で記され、他にも新聞部共有だの部外者閲覧禁止などものものしいラベルが貼られていた。


「あーしらに出撃命令を出すように仕向けたのは正確にはキタノカタ系列の理事でさァね。シモク系の理事もそれに賛同してやすが、どちらかというキタノカタ系理事の声の方がでかかったとみるのが自然なようで」


 新聞社の資料室の棚に何年も放置されていたような資料を思わせる体裁で整えたのは古風なチンピラぶりたがるこのワルキューレの趣味なのかなんなのかは不明だが、部外者の閲覧を禁じる旨が忠告されているのもかかわらずそれをサランに手渡する。

 サランの手の中に移動した資料は勝手に開いてぱらぱらとページがまくられ、ところで停止した。それは当時、理事会で行われた議事録のようだ。文面とともに複数の大人たちが話し合う音声が再生される。

 

 西アフリカでの状況は依然芳しくないが、我々も他の区域に出現する侵略者に手を煩わされておりなかなか手が回らない。つきましては各校のワルキューレにも応援がほしい。かの地は言わずともがなレアメタルの産出エリアでもあり太平洋校・ユーラシア校のワルキューレにも当地を護る義務と責務がある――というのが大西洋校理事の主張だ。よって当校も力を貸すべきだろう。彼らの言う通りかの地は私たちにもなじみの深い場所だ。エリア外だから参加しないという言い訳は通用しまい……、そういった趣旨の主張をあるものが繰り広げている。これがキタノカタ系列の理事のものか。

 ほかの理事たちは、だからって経験のあさい初等部生までメンバーに入れるのはどうか、やりすぎではないのか、そもそも我々には候補生たちの出撃先を決定する権利はない、あまりにも専横である、と渋る理事たちの声を威勢のよいキタノカタの理事は張りのある声で言い含める。

 この出撃は初等部生にとっては実践を積むよい経験になる。大西洋校と歩調を合わせることは人類に地球を守護するためには当然だ。それにかの地は我々の知らぬ問題や事象も多い、取材能力にたけたワルキューレを出撃させて太平洋でゴシップに花を咲かせる当校の候補生たちにワルキューレの本分を思い出させるのもよいのではないか、ねえ撞木さん――と、声の大きな理事は語る。


「確かにいい経験させてもらいやしたねェ。授業料はちいと高くつきやしたが」


 そうやって愉快そうにわらうパトリシアの顔をちらっと見たカグラが気まずそうににそこから視線を逸らす。サランはその気配を察した。

 初等部生、それもサランのような低レアワルキューレが本来耳にするはずのないなまなましい音声に思わず全身を粟立たせてしまう。話の流れからするとはりのある大きな声がをもつ理事が北ノ方姓をもつ者ということになる。


 まさに何から何まで、だ。

 厚紙の表紙と紙の束に触れているという触覚を与えるデータの塊を思わず引きちぎりぞうになりながら、サランは唸った。


「芸が無いな、キタノカタ一族のやり口は……っ!」

「もう少しそれに早く気づきなさったら最高に恰好いい一言でやんしたね、それ」


 茶をすりながら、パトリシアはサランに遠慮のない一撃を食らわせた。何も言い返せないサランは、ぐうの音も出ないという慣用句の見本となった。



 初等部合同で、大型作戦の展開地点でくらしている現地住民の避難や疎開作業にあたる。パジャマパーティーサミットの結果、そのような決定が下されたと保守系メディアのニュースサイトで知った時のサランは、ただただ呆れただけだった。

 

 ――なんっじゃこりゃ。頭の中に花畑でも広がってんのか、今期の初等部生徒会の皆さま方は。



 各校の代表がパステルカラーで彩られたパーティールームで思い思いのポーズをとる集合写真に添えられた記事を読み、サランは大いに鼻白んだものだ。

 現地住民の疎開、それを受け持つのは国連の通常軍か現地政府だ。侵略者退治が専門のワルキューレが担うべき仕事ではない。大体、複数の都市に暮らす全住人の大移動なんて想像するだけでストレスで胃に穴があきそうな難事業、ワルキューレとはいえ中学生相当の女子に任せるのは無茶が過ぎる。


 それにワルキューレには人間相手にはワンドを振ってはならないという不文律がある。正当防衛以外の理由で人類には暴力をふるうことは厳禁なのだ。

 あんた達が暮らしてる一帯、これから侵略者の軍勢が攻めてくるって予言があるから速やかに強制移動してね、と呼びかけられて、ハイ喜んでーと速やかに応じることのできる現地住民はまずいまい。予言だなんてあやふやなものに振り回されて長年住み慣れていた土地を追われることとなった現地住民のストレスが、「人間に暴力をふるえない」ワルキューレへ向けられる。これは自然に考えの及ぶことだ。まして生徒会長を務めるほどのワルキューレならば、この危険性に思い至らねばならない。生徒会長はワルキューレを厳しく律する者でもあるが、同時に安全を確保する責務も担う者でもあるからだ。


 ワルキューレにとって本当に怖いのはワンドを遠慮なく振える侵略者ではないく、守るべき対象である人間たち。

 これは決して表ざたにはならない、してはならないとされている真実だ。



 記事では大西洋校、ユーラシア校の代表も、その案に当初懸念を示している。

 上から指揮されたこと以外はするべきではない、そもそもその事業の費用はどこから出す、現実的ではない……云々。


 しかし、初等部連合による疎開作戦を提案する我らの太平洋校初等部生徒会長・キタノカタマコが、以下のように語り掛けたときに場の流れが少しずつ変わったのだと、保守系メディアの記者は議事録を引用して伝える。



「人々の平和な日常を護れなくして、何がワルキューレでしょう?」

「いずれ戦火に惑うことになる方たちなのに、『命令がないから』という理由で手を差し伸べない。ならば私たちはなんのためにいるのか――? そういうことになりませんか?」

「そもそもワルキューレとは、本来『愛すべき人たちがいるこの世界を護りたい』という切なる願いの元に集まった少女たちを起原とするものです。しかし、今の私たちは第一世代の少女達に『これがあなた達の思いを引き継ぐ今のワルキューレの姿です』と胸を張れますでしょうか。利に走り、命を失うことに脅え、時には人間同士の争いに加担することもある。侵略者という危機を前にしても団結できない人類に追従するような今の姿を、第一世代のワルキューレの活躍に純粋に胸を焦がし、憧れた幼いころの私たちにみせることはできるのでしょうか?」


 

 卒業生に政財界で活躍するエリートを多数輩出することでも有名な大西洋校の生徒会メンバーの中に「悪いけど、マコ。それって詭弁よ?」と指摘する者はいたらしい。

 金勘定に厳しい遣り手のユーラシア校のメンバーも、「理想ばかりを追い求めた結果、兵站を無視した無茶な作戦を立案し、そしてそれに固執してしまうのはあなた達民族が近代化を果たした時からの宿痾だと歴史から学びましたけれど、それにしてもマコ? あなたまで砂上に楼閣を建てようとする一人だったなんて」と、かなり手厳しく批判したらしい。


 が、最終的にマコの立案が認められたと保守系ニュースサイトの記事は伝えている。

 ユーラシア校生徒会メンバーの現実的な意見を、この一言で斬ってすてたのだという。


「最初から砂上に楼閣を建てようともしないワルキューレに存在価値はありましょうか?」


 ワルキューレたるもの人々に夢物語は実現可能だと語って聞かせずしてどうする? とマコは組織として統括され様々なリスクが回避されはしたが、反面かつてのように人々へ「ああ彼女たちがいるから未来はきっと明るいはずだ」というシンプルな夢を見せることが難しくなっているワルキューレをとりまく現状を批判したのだ。

 そしてそれは、先にジャブとして放たれた『第一世代のワルキューレに見せて恥ずかしくない姿をしているのか』の合わせ技で効果を発揮した。なにせこの世代は、生まれた頃に活躍していた第一世代のワルキューレたちの人生を物語化したコンテンツにたっぷり親しみ夢を見た世代だ。

 泣いたり笑ったりケンカしたり、そんな日常生活を護り謳歌しながら、外世界からやってくる侵略者と闘う素敵で可愛いいヒロインたちの結末の決まっている物語に声援を送った経験を持つ少女達だ。

 子供たちに見せられるワルキューレの物語なんて多分に脚色されたものであり、その実態は相当に過酷で悲惨で報われないものばかりだったと骨身に染みている者ばかりがその場に集っていた筈なのに、かつて自分がああなりたいと夢見たヒロインに恥ずかしくない姿をしているのか? と問われてたその時、多数の少女たちがハタと立ち止まってしまったのだ。


 地球と人類を護るために、人種・民族・宗教・出自その他さまざまな遺恨をのりこえて手を結び協力するワルキューレとはいえ、外の世界の現実に翻弄されることは少なくない。ワルキューレに夢見ても、様々な理不尽に心潰えた者も少なくない。やがて、純粋にワルキューレに憧れた自分を幼かったと苦笑して、崇高でも美しくもない現実に対処することをよしとしていた十四、五の少女達にその言葉はかなり深く響いてしまったのである。

 この島を訪れた初日に、礼装を纏い颯爽とした佳人に化けて見せた接客モードの学園長・ミツクリナギサによる挨拶を受けていたのも少女達がキタノカタマコの夢見がちな作戦を受け入れる、地ならしの役割を果たしていた。恋愛がらみのエピソードの豊富さと凄絶な過去を持つミツクリナギサは女子層の人気が一番高いことで有名だ。


 かくして、初等部生徒会連合が取り仕切る現地民の速やかな疎開と避難をサポートするというキタノカタ生徒会長の発案の人道作戦がパジャマパーティーで通り、わが校は養成校の中で存在感を発揮することができた――と、新聞部刊行のメディアでは親生徒会の立場をとる保守系ニュースサイトは伝えるのだが、後半の記述をサランは斜めに読み飛ばしてしまう。


 サランがやらかしてリリイが大暴れしたことから仮の生徒会執務室に呼び出されたあの日、乱入してきた学園長を前にした時のあの態度。おぞましい毛虫がはい回るのを目にしたようなキタノカタマコの姿はまだ記憶に新しい。 

 あの態度から察するにキタノカタマコが第一世代のワルキューレに素直に憧れているとは考えづらい。少なくとも、ミツクリナギサのことはかなり嫌悪している。


 ひょっとしたらミツクリナギサ以外の第一世代のメンバーの中に憧れの対象がいるのかもしれないが、それでもあの日の執務室の様子やそれまでの合同授業の様子などから時々みられた様子からキタノカタマコは決して『人々の平和な日常を護りたい』などというシンプルで愛らしい祈りに価値を見出すワルキューレなどではない、とサランの脳が告げていた。


 あの人は、人々の平和な日常どころか、下々の命すら屁とも思わない側の人だ。

 灯りが欲しいのであの家に火を放て、それも戦に勝つためだ。それくらいのとこは平気で命じる側の人だ。

 そんなキタノカタマコがなぜにどうして、このように見え透いた、甘ったるく、ふわふと地に足についていない夢見るような作戦を立案してみせたのか――。

 

 サランは大いに首を傾げ、また非常に不気味に感じていたにも関わらず、サランは自分の日常に専念していた。泰山木マグノリアハイツに通い、シャー・ユイに文芸部の近況を聞き、タイガに甘えかかられるのを許していた。


  

 死海の畔で展開される、史上初の作戦に出撃が決まったとジュリからの一報が寄せられた瞬間、殴られたような衝撃を伴い全身を貫れたサランはそのまま放課後の泰山木マグノリアハイツの床にへたり込み、呆然とたたずむことになった。


 やりやがった! その一言を体中に響かせて。


 混乱しながらサランは考える。落ち着け、落ち着けと念じながらサランは情報を集める。ここ数日配信されてきた主要新聞のバックナンバーや斜め読みしていたパジャマパーティーに関する記事に目を通し、そしてある結論にたどり着いた。

 そうするといてもたってもいられなくなり、パトリシアに自ら連絡を取っていた。ここしばらく不義理を致しております。実はあなたにお話したい仕儀がありよろしければご都合のつく日取りとお時間がございましたお教えくださいとメッセージを送ると瞬時に返信は届いた。ちょうど合わせたい方もいるので部室まで来られたし、というものだ。

 

 資料を出しっぱなしで退出する非礼を詫びながらサランは演劇部員に断りをいれて泰山木マグノリアハイツを後にして、カグラを連れて、こういう形でここに足を踏み入れることになろうとは――と自嘲する間もないサランはパトリシアに答え合わせを行い、そしてそれが正解であると知らされるも全てが遅きに失した事実を突き付けられる。

 ぐうの音のでないサランへ、パトリシアはとりなすようなセリフを口にはした。


「まあそう悔やむこたァありゃしやせんぜ。元副部長さんがあのパジャマパーティーの段階で初等部生徒会長の目論見に気づいたとしても、所詮あーしら低レアのワルキューレにはどうすることもできゃしません。大体あの文芸部部長さんならご自身でとっくにお気づきなさってたでしょうに。パジャマパーティーの閉会時点で」


 分かっているのか分かっていないのか、パトリシアは自分を責めるサランへの追撃の手を緩めない。

 目の前のどことなく爬虫類や隠花植物を思わせる先輩の言う通り、小学生時代からキタノカタマコという人間に接していたジュリがその段階で自分の命運を悟っていた可能性は高い。それがサランをより打ちのめす。

 俯きだまりこくるサランを慰める気にでもなったのか、パトリシアは悪ぶった口調でとりなすだけだ。


「ま、あーしらにできることはせいぜい満月と泰山木マグノリアの女神様に文芸部長さんの武運長久をお祈りすることだけでさァね」


 潮の満ち引き、珊瑚の産卵、満月の力は生き物に不思議な影響を与えるがごとくこの学園島では満月の夜には不思議な出来事が起きる。例えば、泰山木マグノリアの女神が姿を表してワルキューレ達をからかったり、過去と現在が交錯しあうような奇跡が――というのはシャー・ユイがかつて生み出した『演劇部通信』で語られる幻想である。あまりにロマンティックなのでいつしか由緒ある伝説のように語られだしたが、所詮は小説内に出てくる根拠のないファンタジーだ。

 サランを慰める意図があったのかは不明なパトリシアの柄にもない乙女な台詞は、サランをより無力感の淵へ追い詰めたことだけは確かだ。



 罪のない農民の家に戦に勝つためだから火を放てと命じるように、お前は忠告を無視したから危険で面倒な作戦に従事させると平然と命じるつもりなのだと気づけていいたら――パトリシアは所詮結果は同じだったというが、サランは口惜しくてたまらない。


 どんよりと沈んでしまった応接スペースの空気に耐えられなくなったのか、カグラが手にしたカップをテーブルに置いて疑問を口にする。


「――でもどうして……? シモクさんの親友で私たちのプライバシーを弄んだ文芸部部長のワニブチさんに仕返しするのは筋が通るけど、でも、その、先輩の件は……? 大体、キタノカタさんとシモクさんはすっごく仲が悪かったのに、シモクさんのスキャンダルを取り扱った先輩たちに仕返しするのは筋が――……」

「おやァ? フカガワハーレムの人気メンバーだったミカワさんの見解とは実に興味深い。是非お聞かせいただきやしょう?」


 パトリシアからぬるんとした視線で見られてカグラは身をすくめたあとサランにぴったり身を寄せた。どうもカグラはパトリシアの放つ食虫植物めいた雰囲気が苦手なようだ。 

 いつまでも悔やんで落ち込んでいても仕方がないし、この場に付き合わせている義理もある。サランはカグラを庇うために口を開いた。


「先輩ほどの人ならとっくにご存じかと思いますけど、うちらの学年じゃあシモクの奴とキタノカタさんの仲がとんでもなく悪いってのは常識だったんですよう。なんでも名門学校の幼稚舎・初等部時代から〝とっても難しい仲だった″って噂されてたらしいんで」


 帰省中、カグラがみせたビジョンの中でキタノカタマコはツチカを一瞥して「化け物が」と吐き捨てている。

 幼い頃のジュリがツチカの侍女となるための勉強にめげそうになった時、ツチカに「小学校にすごく意地悪で大っ嫌いな女の子がいるから」その子に負けない為にツチカに力を貸してほしいと何度も頼んだと語っている。

 幼いツチカの言う意地悪で大っ嫌いな女の子こそキタノカタマコとみてよいだろう。そしてキタノカタマコもツチカを化け物呼ばわりだ。

 そこに横たわるものは「犬猿の仲」という言葉では言い表せないほどの、嫌悪と憎悪だ。


 ――そしてそここそ、カグラが指摘した通り、ねじくれていてよくわからい。


 マコはジュリを度々呼び出し、『ハーレムリポート』について警告していた。六月にはサランやメジロ姉妹が引き起こした事件も絡めて最後通牒をつきつけていた。

 神殿の姫巫女の下した託宣とパジャマパーティーを利用して、キタノカタマコはジュリに制裁を下した。ああこれはちょうど良い、あの生意気なゴシップガールの侍女にお灸を据えるのはうってつけ、とばかりに。

 詭弁を弄し、理ではなく情で各養成校の生徒会長を言いくるめてまで不自然で危険な作戦を立案し、初等部三年の上級ワルキューレに死海の畔へ出撃する辞令を下したのは、経緯からみて非常に筋の通った行いだ。ある意味当然の帰結とすら言える。


 だが、マコが宿敵ともいえるツチカを退学へ追いやることに繋がったスキャンダルを面白おかしくかきたてた『夕刊パシフィック』の記者を含む新聞部数名を、理事に働きかけて懲罰を与えた理由と意図は読めない。

 だってキタノカタマコはシモクツチカが大嫌いなのだ。それも化け物呼ばわりするくらいの激しい嫌いっぷり。並みの憎悪ではない。

 視界にすら入れたくない化け物女が、とんでもない不品行を行って学園を去った。なのにそれを寿ぐどころか、ツチカを貶め嗤った者たちへ理事の親族であるという強権を駆使して懲罰を与えている。


 ――なんだこの矛盾。おかしい、すっきりしない。


 泰山木マグノリアハイツの書斎でサランがその時、ツチカのスキャンダルとパトリシア達への西アフリカへの出撃を連想したのはどちらも「懲罰出撃」そして「シモクツチカ」という共通項目があったためだ。

 それにパトリシアは言っていた。自分たちに懲罰を与えたのは、ツチカの属する撞木シモク姓の理事ではないと。と、なれば残るは北ノ方しかない。

 そしてそれを先ほどパトリシア本人が正解だと認め、部外者には見せられない筈の取材結果まで披露して証明してくれた。


 でもやはり、筋が通らないものは通らない。故にどうしてもサランは腑に落とせないのだ。これが答えでないかと自分で口に下にも関わらず。


 思わずぎゅっと眉間に皴を寄せてしまうサランとは正反対に、パトリシアはニタァっと愉快そうに笑った。それはそれは心底楽し気に。


「なるほど〝″とは、上流階級は典雅な言い回しをなさる。確かにお嬢様二人のご関係は一言では言い尽くせないやつじゃござんせんか。実にあーしら好みなヤツですよ」

「……いやいやいやいや……」


 ゴシップに関しては一日の長があるパトリシアがニヤニヤと楽しそうに語る〝好みなヤツ″がなんであるか、サランには察しがついて思わず首をぶんぶん左右に振った。

 しかし、サランと同じ結論に達したらしいカグラはというと顎に手を添えてじっと考える。


「確かに……キタノカタさんがシモクさんをだって考えたら色々と辻褄が――」

「合うなっ、確かに! 辻褄はなっ、けはっ!」


 ぎゅんッと音が鳴りそうな勢いでサランに睨まれてカグラは気弱に悲鳴をあげた。


「ちょっ、やだぁ。なんでそんな怖い顔するのぉ。サメジマさんってば~っ」

「ミカワさんがアホみたいなことを言うからだようっ」


 カグラが何をもってしてサランと同じ結論にたどり着いたの明解だったからこそ、ムキになってサランはカグラの論拠を否定した。なぜならそれはサランが自分の存在と尊厳にかけて認めてはならない概念だからだ。

 しかしカグラは意外なことに引き下がらず、ぷうっと頬をふくらませてからサランへ反論する。


「私はそう考えたら辻褄は合うって言いたいだけだもんっ。それに、世の中にはなかなか好きだって本心が言えない人がたくさんいるのだって私は知ってるもん。そんな子の親友を二年ばかりやってたんですからねっ!」

「トヨタマさんとキタノカタさんはどう見たって同一カテゴリに入れていい人間じゃないだろうがようっ。同じ犬だからってチワワとマスティフを同じケージに入れたりするっ?」

「で……でもでもっチワワとマスティフは両方とも犬ってことに違いはないもんっ! ――きっとね、キタノカタさんもシモクさんと本当は仲良くしたかったんだけど、愛情表現がタツミちゃんよりずーっと下手だったって話なんだよ。うんうん、そうなんだよ、そっかそっか」


 早合点したカグラはなにかに安堵してニコニコと微笑んでいる。どうやらカグラは誰かが誰かに好意を抱いているという状況にほんわかと心浮き立たせるのが好きな性分のようだった。どうやらただひたすらに怖いだけだと思ていたキタノカタマコへの親しみを急にた高めているようでもある。


「……対人関係の不都合でネジくれてこんがらかった部分を全部『あの人のことが好きだから』ってことにすれば片付くってんなら、警察も探偵もいらねえって話になるじゃないかよう」

 

 己の尊厳にかけてでもカグラの案を否定せねばならないサランは、苦虫を噛み潰した顔になり口を思いっきり歪ませて唸る。


「大体、百歩譲ってそれが真相だったとして、キタノカタさんの度を越したツンデレの結果でゲルラ先輩たちは懲罰くらって、ジュリも死海の傍の大型作戦に参加しなきゃなんないってわけっ⁉ アホか、そんなもんっ。みとめらんねえわ!」

「――ま、そいつもひっくるめておもしれえ話じゃござんせんか。手前らお戯れに下々の民はなんぼでも巻き込んだって屁とも思わねえのはリッチ・アンド・フェイマスな階級に属する方々の特権でさァ」


 二年前に危うく命を落としかけたのは自分自身なのに、パトリシアは心底愉快そうに舌先で唇を舐めるだけだ。どこか恍惚としたような光を宿した黒い瞳の輝きを見ていると二人の関係に強烈な関心を抱いているのは確かななようだ。


「――いいねェ、たまりませんねェ~。久しぶりにゾクゾクするヤマじゃあござんせんか。上流階級のお嬢様たちによる爛れた人間関係。全体、雲の上に住むスターやセレブのお戯れだからこそ燦然と輝きあーしら庶民を引きつける。神様方のご乱行が神話になるオリュンポスみたいに。ゴシップっつうのは本来そういうもんでなくっちゃなりやせんや」

「上流階級ったって、シモクのやつ絹織物職人の出だしキタノカタさんだって勲功華族の男爵様の末裔だよう。――それ以前に、ふたりともここじゃあ単なるワルキューレだっつうの」


 むしゃくしゃした気持ちを継続させながらサランは呟いた。それを聞きとがめたようにパトリシアは目を細める。


「おや、お詳しいじゃあござんせんか。元副部長さん」

「――別に、うちら世代では有名な話なだけですよう」


 ねえ、と視線を向けるとカグラは無言で深々と頷いた。その目つき顔付きにはサランと同じ実感が籠っている。

 あの時は本当に怖かった、とビジョンを共有されるまでもない表情に合わせてサランも再び頷いた。カグラもあの時の実習演習開始前の場にたちあったのだから。


 土下座する侍女を無視するマコ、そんなマコにくってかかるタツミ、マコを痛烈にやりこめたツチカ。瞬間的に高まるお嬢様たちによる緊張――。


 二人してあの瞬間の思いでに浸ってしまった時、パトリシアがふと衝立の外を見やりその場から立ち上がった。これはこれはようお越しで――と、挨拶を始める。

 そういえば合わせたい人物がいると前もって告げられていたことを思い出したサランも何気なくつられて視線をむけた先で驚くサランは、隣でカグラが「ひっ」と小さく喉をつまらせて脅えたことに気が付かなかった。


「ハイ、パティ。元気そうじゃない。でも女の子達の人間関係だけで満足してるような人じゃないでしょ、あなたは? そろそろ大物を狙ったらどう」

「それをちょうど話していた所で、――さすがスターのオーラってのは違いまさァね。スペンサーさん」


 緩いウエーブのかかった見事なブロンド、理想的な8の字を描くプロポーション。短いスカートから伸びた脚はすらりとした長身の四分の三を占めているのではないかと錯覚しそうに長い。小さい顔にバランスよく収まった目鼻立ちはどこまでもキュートで、ちょっとまくれた唇がセクシー。

 いつもステージ上から観客を魅了する声はどこまでものびやかで、ただの日常会話をこなしているだけでも芝居の台詞のような趣を与えてしまう。そのせいか、新聞部の部室内にいる部員たちや、それどころか新聞部の外からも野次馬が遠慮なくじろじろと興味津々に彼女を見つめる。


 全世界の歌姫にしてパレスチナのマシンガンガールの二つ名を持つジャクリーン・W・スペンサー、久しぶりのご登校とあれば注目を集めるのも当たり前。

 おまけにこの場にはフカガワハーレムの新旧メンバーが勢ぞろいしている。注目を集めるのも無理は無かった。


「……ああ」


 一応同じ学校に籍を置き、世界各地で何千ものファンを魅了する歌姫や、歌声やアンプを模した大型ワンドで侵略者を撃退する特級ワルキューレ、それから『ハーレムリポート』のジャッキー姐さんという様々な形式でジャクリーンに接しているサランではあるが、至近距離で目にするのは初めての経験だ。

 やばい、セレブだ! スターだ! 本当にいたんだ! と、芸能人を直接目にした一般人そのままに上ずり、緊張し挙動不審になるサランを前に、ジャクリーンは青い瞳のしばたたかせるのだった。


「パティが言ってたあたしに合わせたい子って、あなた? 元文芸部のダークホースのサランって」

「ああああの、その、えーとサメジマですどうもその。文芸部の時には随分お世話になりまして……っ」

「そうみたいね。あのイラストのお陰で助かったって声が各部隊の兵隊さんから届くんだもの。文芸部さんの懐を潤したらしいじゃない。――うちの著作権管理してるアダムはカンカンだったけど、肖像権侵害以外の何物でもないからいますぐ訴訟に持ち込むべきだって」


 くすっと、ジャクリーンは蠱惑的に微笑んだ。が、それを前にしたサランから全身の血の気が引いていく。

 訴訟大国からやってきた大スターの口から放たれる、肖像権の侵害や訴訟という響きは、魂の部分では未だ文芸部員であるサランの心胆を寒からしめたのだ。


「ああああ、あれはあくまでも当部誌で連載されている『ハーレムリポート』に登場する〝ジャッキー姐さん″なるイメージキャラクターをモデルにしたイラストでありますので……」

「でもそのモデルはあたしよね? ということは〝ジャッキー姐さん″をモデルにしたイラストで得た利益の何割かは当然あたしも手にする権利があるわけよね? 尚且つ無断でイラストにされた迷惑料、イラストで過度にセクシャルなポーズをとらされたことによるイメージの悪化に伴う損害賠償、なにより胸部臀部を強調して異性に迫るニンフォマニアとしてのイメージを世間に対して定着させられたことに傷ついたあたしに対する慰謝料、その他もろもろ徴収するべき権利はあるってわけよね? ご意見きかせてもらえる? 文芸部のサメジマサラン?」


 体を折り曲げるようにしてサランを見下ろし、ぐいぐいと顔をちかづけ理路整然と畳みかけてくる。ケセンヌマミナコがいつも絶賛していた肉体美の迫力と香水の香りにくらくらしながら、サランは気おされまいとなんとか体勢を整えた。ここで下手な発言をしたら文芸部に大迷惑が被ってしまう。

 咳払いをしてからサランはとにかく逃げを打つ。


「残念ながら、私はもう文芸部員ではございませんのでお答えすることは出来かねます」


 今答えられるべストな回答はこれしかない。文芸部の面々に御免と答えながら、営業用のモンゴロイドの幼女スマイルをみせながらサランは堂々と言い放つ。

 それが功を奏したのか、怖い顔でぐいぐいと睨みつけていたジャクリーンは不意にぱっと破顔すると、背中をのばしてアハハハ! と大笑してみせた。


「嘘ウソ、冗談! そんなビビらなくったっていいから。実際あのイラストのお陰でファンになったって人も多いし、兵隊さんの守護女神だなんてそんじょそこらの女の子に務まらない光栄な存在になれたんだからあんた達には感謝しかないわ。ニンフォマニアってのもあながち外れでもないしね。――それにしても、あなたか。ツチカが言ってたミノムシミノ子は。ふーん……なるほど」


 しげしげとサランの顔を見ながらジャクリーンは呟く。それに気おされそうになっていたサランは、あることに気づくのに一瞬遅れた。

 ――ミノムシミノ子?


 それはツチカしか口にしない、対サラン専用の罵倒の筈だ。何故それを知ってる? とサランが尋ねようとした瞬間、ジャクリーンの関心は速やかにこの場から立ち去ろうとしていたカグラに据えられていた。


「ああタツミの友達の幽霊ゴーストちゃんじゃない? 最近新メンバーのサランと仲がいいっていうのは本当だったんだ? それにしてもミコトにフラれたんだって? 残念だったわね、でもあまり引きずらないことよ? 男なんて星の数ほどいるんだから」

「ひ、ひいいいい……いやぁぁぁぁ……来ないでくださいぃぃぃ……」


 ジャクリーンの方は親し気にカグラへ話しかけるのだが、なぜかカグラは白目をむいてか細い悲鳴をあげている。明らかに同じ少年をめぐってさや当てを演じたとされる上級生を前に尋常じゃないほど恐怖しているのだが、ジャクリーンは全く考慮せず、むしろ親しみをこめて朗らかに話かける。


「こらこら、そんな風にびくびくおどおどしちゃダメって前にも言ったじゃない! せっかく綺麗になったねって褒めてあげようと思ったのに。もう!」


『助けてくださいぃぃぃ。私この先輩ヒト苦手なんですぅぅぅ』

 

 息もたえだえなカグラの念とともに、凝縮されたビジョンが一気に流れ込んできた。どれもこれもジャクリーンがフカガワミコトに馬乗りになったりのしかかったりもたれかかったりマッサージをしろと命令したり手が届かないからドレスの背面ファスナーを下げてと甘えたり、そういった助平な場面に逐一律義にカグラが立ち会って悲鳴をあげて逃げだした場面ばかりだった。

 これぞフカガワハーレムなビジョンの奔流に呆れながら、ニンフォマニアっていうのは嘘ではないと自ら宣言したジャクリーンに一目を置いた。


 今にも卒倒しそうなカグラの前にずい、と、立ってサランは一つ上の先輩を見つめる。


「し、質問よろしいですかっ? 先輩は――シモクツチカとどういったご関係でっ?」

「ツチカ? ああ、一時期一緒によく遊んでたんだけど、それが?」


 耳を疑うサランの前で、けろりとした様子でジャクリーンは答えた。


「し、シモクとっ? 先輩がなんでっ? どういったきっかけでっ?」

「んー、あの子のプレ出撃先とあたしのライブ会場が重なったから、じゃなかったっけ? まあそういうごく当たり前な出会いがきっかけだけど。――ほら、あの子太平洋校の子っぽくない所があるじゃない? そこが面白くてさ、夜のパーティーに連れていったりしてあげたの。そしらたらツチカってば、大はしゃぎしちゃうし、こっちも可愛くなっちゃうじゃない? で、一緒に遊ぶようになったんだよね~。楽しかったな~。パーティーをはしごしたり、大人たちをからかったり、どっちがたくさん男の連絡先ゲットできるか競争したり……」

 

 あの時はほんと、楽しかったな~……とジャクリーンの目が空を見つめて追憶に浸るが、サランは腕を掴んで現実に引き戻した。なぜなら、サランはツチカがジャクリーンと仲がよかったなんて全く知らない。寝耳に水の新情報だったからだ。


「そ、そんな話うち聞いたことないですようっ! ワニブチのヤツだって一言も……っ」

「だってそりゃそうでしょ? ツチカは文芸部の子たちはガキ臭くて一緒に遊べないって愚痴こぼしてたし。仲良くする気のない相手に自分がプライベートをどう過ごしているかなんて馬鹿正直に語ったりする?」


 キュートなジャクリーンの真顔から放たれる完全なるど正論に、サランは黙りこくる他なかった。その隙にジャクリーンは言葉を継ぐ。


「特にあの時のツチカ、同期の文芸部員の中で一番チビで一番ガキ臭くて一番クソ生意気なミノムシミノ子って女子にお気に入りのサイドキックを盗られたって荒れに荒れてたから」

「――サイドキック――」

「ほら、今回騒動の中心になってる子。可愛そうに、マコに目をつけられてる文芸部長さん。――実はさぁ、あたし、こうなったのもともとの原因はあたしなんだよね……」


 その時、その場にいた新聞部部室にいた全員のリングの上で、それぞれのコンシェルジュキャラクターが立ち上がる。サランの右手の上には白猫キャラ、カグラにはリアルな赤リス、ジャクリーンのそれは自分自身を象ったカウガール風のキャラクターで、パトリシアはグロテスクな蠅の王だ。パーティションの向こう側がにいる他部署の部員たちにも一律通知が入ったようで、空気が一新する。


 ハーレムリポートの更新があった、と各々のコンシェルジュはそれぞれのコンセプトに見合った口調で告げた。

 

 パーティションの向こう側の新聞部員たちは休憩がてらそれに目を通すことにしたらしい。が、『夕刊パシフィック』のスペース内でそれを開いたのはパトリシアだけだった。ちいと失礼しやすぜ、と断って#59にあたる最新号を読みだす。


 が、サランもジャクリーンも一旦それを後回しにした。

 ジュリの出撃に、ジャクリーンが関わっている。しかも目の前のジャクリーンは、さっきまでこっちを存分にからかいまくっていたのに、今は少ししゅんとしたような、申し訳なさそうな顔つきをしている。

 今はゴシップガールのつまらないおしゃべりなんかよりそっちが大事だ、サランんはジャクリーンに迫る。


「どういうことっ、ワニブチの懲罰出撃に先輩が関わってるってどういうこと……っ!」

「っていうかまあ、バタフライエフェクト的にそうなったっていうか、そもそもあたしの為にツチカが自分がその時付き合ってる彼氏とのことを『夕刊パシフック』に流したのがそもそものきっかけなんだよね……。――ね~、パティ?」


 呼びかけられたパトリシアだが、しかし、返事はしなかった。二十世紀末のスクールガールが授業中に回してくる、ノートを破いた手紙を模した電子個人誌ジンの表示を右手を振って消すなりさっと移動を始めたからだ。その表情がいつになく真剣だ。


「すいやせん、今からミーティングが入りやすんで失礼」

「構わないわよ。こっちも好きに過ごさせてもらうから」


 ジャクリーンの気楽な声に反して、大股で去るパトリシアの向かったパーティションの外側ではがらりと空気が変わり新聞部員たちが続々固まりだした気配があるが、ともかくサランにとって今は同でもいい。

 ジャクリーンも同様だったらしく、話を続ける。はあっとため息をついたのち、意を決したように口を開く。


「実はね~……、あの時本当はヤバいネタ掴まれてアーティスト生命もワルキューレ生命も同時に失いかけてたのはあたしの方だったの」

「⁉」

「一応言ったんだよ? これはあたしの問題だし、あんたがそんなことしてほしくないって。どうせ一兵卒レベルの最底辺までランクは落ちるにしたってワルキューレはやめらんないし、あたしが歌い続ける限りは生涯アーティストなんだしって。でもね、ツチカがいいからいいからって。こういうのも面白いし、世間が大騒ぎすると思うとワクワクするって?」


 で、当時つきあっていた某国士官の交際情報を『夕刊パシフィック』に流した。

 ジャクリーンはそう言いたいようだが、サランは納得がいかない。


「シモクがっ? あのシモクが他人のために自らを犠牲にする……っ?」

「そういう辛気臭い自己犠牲精神はツチカに似合わないわね。多分、半分面白がってたのは確かだと思うけど。――でも、サラン? あなたどうしてツチカが私のためにひと肌ぬいでくれたって考えてくれないの?」


 ジャクリーンはまっすぐ、サランを咎めた。その目がまっすぐ、私の友達を悪くいうなと責めている。

 その真摯さに、サランの知らないところで二人が友情を育んでいたことを示すなによりもの証拠である。うう、と口ごもったあと素直に頭を下げた。


「――すみません」

「反省したならいいわ。ま、あなた達お互い大嫌いだったって耳にはしてるもの。――それにね、ツチカは誤解されやすい子だけど優しい子でもあるから」


 ――は?


 世にもつまらない冗談をきかされた、という気持ちを一切隠さず眉間に皴を寄せるサランを前に、ジャクリーンも顎に手を当てて軽く唸った。サランがそうなるのも無理はないと思ったらしい。

 そして、まだ蘇るトラウマにびくついてるカグラの手を掴んで引き寄せると命令した。


幽霊ゴーストちゃん、今からあたしのビジョンをサランへ転送!」

「――!」


 同じフカガワハーレムメンバーだけあって、ジャクリーンはカグラの精神感応能力のとこを知っていらたらしい。そのうえで、有無を言わさず使いこなす。本心からジャクリーンのことが苦手らしいカグラは無言で硬直したが、言われるがままに命令をこなしたらしく、頭の中がまたむず痒くなった。


 サランの脳内にある映像がいっぱいになる。

 芝生の上を、二歳ほどの小さな子供が駆け寄ってくる。全く天使のように愛らしい幼児だ。


――ジャッキーママ、おかえりなちゃい。


 舌ったらずにそう言って、今視点の主になっているジャクリーンの足元に絡みつく。

 それにしても背中に翼のユニットまでとりつけて、本当に天使みたいだな……。とその無垢であどけない様子にサランも目を細めたのち、ふと気づく。


 ジャッキーママ?


 ビジョンの中では姿を見せないジャクリーンも、ただいま~いい子にしてたぁ? とデレデレした声を出しながらその子を抱き上げた。そしてさらなる異変に気付いた。

 抱き上げた子供の両脚が、オパールのように輝いたのだ。うん? と目を凝らすと、子供らしいぷっくりした両脚は細かい鱗に覆われていることが分かる。

 歩きながらジャクリーンは子供の背中を愛情こめて擽る。肩甲骨から本物白い羽が生えている背中を。よく見ればそれは鳥類のそれではなく、トビウオの背びれを思わせる白く透明の羽根だった。


「――っ?」


 手入れの行き届いた芝生の生えそろった庭のある家はジャクリーンの私邸なのだろう。なれた足取りで庭を歩き、水色のプールの傍まで歩み寄る。日差しを浴びて明るいプールの中にいたそれは、ジャクリーンを見て嬉しそうに微笑みかける。

 

 それは、少年か少女かはっきり区別はつけられない、中性的な面立ちの美しい人間、のように見えた。

 海獣の肌のような黒杜松色の髪に覆い隠された白く上半身はほっそりとしなやかな肢体の持ち主であることが判明するばかりで、やはり性別はわからない。

 ただ、その美しい人の下半身がオパールのように輝く鱗に覆われた魚そっくりの形状をしていることは分かった。

 人間そっくりの上半身、魚そっくりの下半身。そのような形質をもつ生き物をなんと呼ぶか、サランの頭に浮かぶのは二つだけだ。


 一つは人魚、一つは侵略者。

 物語に登場する獣人や精霊に似た生物は一律外世界からの侵略者であると定められた昨今では、人魚ではなく侵略者と呼ぶのが普通だ。人魚は物語に登場するもの、現実にいるのは人魚によくにた侵略者。


 つまりこのビジョンに登場し、ジャクリーンを見つめて水中から顔をだし、大きく背中の羽根状の鰭を拡げて見せるのは侵略者にほかならない。


 ――おかえり・じゃっきー・あいた・かった。

 ――あたしもよ、セイレーン。


 片言でジャクリーンに愛を伝える侵略者に、我が子を抱きながらジャクリーンはプールサイドにひざまずく。そして近づけられた侵略者の美しい唇に口づけする



 ここでカグラの意識が限界に達し、ビジョンはぷつっと途絶えた。泡を吹いて昏倒するカグラをソファに寝かせる作業に追われながら、今見た光景についてジャクリーンに問い詰める。


「今の、侵略者っ、子供……っ⁉」

「はいそーよ、今のはあたしのパートナーのセイレーンと可愛い我が子のローレライ。二年前に世界的歌姫にして特級ワルキューレのスーパースターのジャッキーは、丁種侵略者と関係を持っている上に一児を妊娠してるってネタをつかまれちゃったの、パティに!」


 やけくそ気味にジャクリーンは告げたが、サランは言葉を失った。とりあえず口をパクパクさせるので精いっぱいだ。

 世界になだたる少女歌姫が、実は一児の母だった。

 侵略者を退治するワルキューレが、よりにもよってその侵略者とパートナー関係を築いている。その上子供までもうけている。

 

 スキャンダルの渋滞ぶりに絶句するしかないサランへ、ジャクリーンは弁解のように早口で言葉をつなげた。


「ワルキューレが侵略者と夫婦になってるなんて知れ渡ったら誰がどう考えたって大ごとになるでしょ! まず間違いなくセイレーンは繁殖欲に突き動かされてワルキューレを襲った丁種として殺処分されるのは間違いないし、あたしは侵略者に襲われた可哀想な性暴力被害者のワルキューレってことにされてしまう。そうなったらダメだからって、一肌ぬいでくれたのがツチカ! OK?」

「……お、おっけえ……」


 怒涛のように明かされる二年前の真実に対し、サランはそれだけ答えるのが精いっぱいだった。

 酸欠になった金魚のように小刻みに呼吸を繰り返す。



 死海沿岸に大規模な次元溝が開きそこから侵略者の大群が攻めてくる。よって激しい戦闘が予想される一帯の住民を強制的に立ち退かされる。これは既に決定事項。

 混乱を避けるため、ワルキューレと一部の人類にしか明かされていたなかったその情報が全世界に定期購読者を持つゴシップガールの電子個人誌ジンから堂々と漏洩している。


 自分たち以外のワルキューレがそのことで騒然となっていることに、サランとジャクリーン、そして気絶しているカグラが気づくのはもうしばらくあとのことである。


 なにしろサランは二年前のスキャンダルの真相を消化するのに精いっぱいだ。

 ゴシップガールのおしゃべりなんて、頭の片隅にだって浮かぶ余地はない。

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