#28 ゴシップガールには刺激のたりない平穏無事な新学期

 ◇ハーレムリポート 電子個人誌ジン版 #58◇


 はいっ、じゃじゃん!

 この「一緒に帰って友達に噂されると恥ずかしいし」って言いだしそうな美少女ちゃんは誰かな〜? サメジマサランちゃんに次ぐ新キャラかな〜? 残念、この度めでたくフカガワミコトと両想いになったトヨタマタツミちゃんでした〜。


 いやー恋は女を変えるっていうけど、ポニーテールでの剣道キャラでラッキースケベな事態に遭遇したら半裸でも全裸でも必ず反撃する女の子だったタツミちゃんが下ろした髪にカチューシャで好きな男子のことを伝説の木の下でじっと待つような子に激変しちゃったのか、流石に読めなかったわ〜。

 反対に親友のカグラちゃんはどんどん同性から支持されるお洒落アイコンになりつつあるし、うーん、女の子って摩訶不思議。ほんと、見てて飽きないんだから。

 

 だけど激変してしおらしくなったタツミちゃん、超可愛くない? 正統派国民的ヒロインって感じしない? 特に東アジア出身の方にはたまんないんじゃない? みてよこの姿……って、この個人誌ジンは画像は添付できないんでした〜。わざわざ説明しちゃうのは野暮いけど皆さんご存知の通りクラスに回ってくるお手紙モードでやってるから。


 でも皆さん元気だして、キャラ変しちゃったタツミちゃんやメイド姿のサランちゃんの姿は次回の『ヴァルハラ通信』で確認できるよ。みなのぬまこ先生に新規イラスト描き下ろしてもらえることが確定してるから〜。


 というわけでこの個人誌ジンも『ヴァルハラ通信』での連載もまだまだ続くよ! ファンの皆さんは安心して、アンチの皆さんは吠え面かいてみせて。あたしずーっと吠え面ってどんな表情か気になってたんだよね。



 ところでところで、しばらく生徒会のお仕事で忙しかったマコ様が他校生徒会の皆さんを招いたパジャマパーティーの様子を本校新聞部が報道してくださったみたい。シンプルなストライプのパジャマをぶかぶかさせて大きい枕を抱えたマコ様のあざとかわいい姿はめったに見られないからオススメだよ。他校生徒会さんたちも美人と美少女ばかりだから眼福眼福〜。


 ところでワールドツアー中だったジャッキー先輩がそろそろ学園島にお帰りみたい。ご自分の知らないうちにフカガワミコトが別の女の子と付き合うことになっちゃったその心境はいかばかりかな〜。

 ──ね、やっぱりまだ終わるわけにはいかないでしょ? 残念でした〜、誰かさん♪


 ◇◆◇


「楽しい里帰りになったようね、子ねずみさん」


 予想外の出来事のせいでサランの帰島が予定より数日遅れた、八月末のこと。マーハの声に振り向いたサランは、その姿を見て絶句した。

 泰山木マグノリアハイツの書斎でいつものように猫足の長椅子に座るマーハは新聞を読んでいたのだ。この部屋の雰囲気に似つかわしいように、という美意識によるものかわざわざ新聞紙の形で表示させた地方のニュース一覧がサランの故郷限定のローカルニュースサイトのバックナンバーであると分かって、あわてて立ち上がる。日付や見出しから楽し気なマーハが読んでいる記事がなんなのか簡単に察せらられたのだ。

 資料整理の手を止めて立ち上がり、ぱたぱたとマーハの元に駆け寄る。


「だっ、ダメです! 読まないでくださいお嬢様っ」

「あらどうして? いち早い通報と的確な行動により被害を最小限にとどめた太平洋校初等部三年のワルキューレを表彰——とても名誉なことだわ。なのにそんなに恥ずかしがったりして、子ねずみさんは相変わらずはにかみ屋さんね」


 新聞を奪い取ろうとするサランをマーハは優雅にあしらいながら、リングの嵌った左手を振って新聞を消してみせた。そして微笑みつつ顔を赤くするサランに隣に座るようそぶりで命じる。帰省を終えて学園に帰って以降、マーハ付の小間使いという演劇部食客としての日々を再開させたサランは、大人しく従う。

 秋の文化祭、そしてそれ以降の環太平洋域主要都市をめぐるツアーに向けて演劇部の活動は熱気を帯びている。書斎で茶を飲みサランをからかう時には稽古中の激しさを一切見せないマーハだが、熱を帯びた稽古でかいた汗をシャワーで流しみだれた髪を整え居住まいを完璧に整えながらこの場に戻ってくることからそれくらいこの部屋でゆったりとしたひと時を大切にしていることが嫌でも察せられた。

 マーハお嬢様が心からくつろげるように、野育ちのメイドとして書斎の調度品の一つとしての役割を全うするのがサランの務めである。


 ちょん、と、従順に長椅子に腰をおろしつつもちょっと不服そうに唇を尖らせたサランの「機嫌をそこねました」という顔つきがマーハはしっかりお気に召したらしく、優しい口調で語り掛ける。


「子ねずみさんのお父様お母様はお喜びになったんじゃなくて?」

「――まあ、わざわざプリントアウトして額に入れたりしてましたから――」


 お陰でサランの実家にある和室には、地元メディアに囲まれた市長室で緊張故に仏頂面で表彰状を受け取るサランの写真を添えた新聞記事が飾られることになってしまった。ワルキューレとして当たり前のことをしただけだし、恥ずかしいから外せと言っても両親は聞かないのだった。

 うちの家系で初めて帝大を出て末は博士か大臣かと嘱望されていたらしい父さんのご先祖様が戦死したって所の近くにある学校でずっと何をしてるのかと怪しんでたんだけど、ちゃんと世の中を救うなんて。この偏屈娘が――……と、母親に涙ぐまれたりするのは決まり悪さったらなかった。


「でも、被害はゼロってわけじゃありませんでしたし。家の倒壊、農地への被害、踏み壊された道路の補修――……。緊急アイコンの位置はデザイナーに確認して変更させましたから、次回はもう少し損害をおさえてくれると助かりますなとか、カメラが回ってない場所では市長には嫌味言われるくらいでしたから」

「現地の首長さんにそういうご不満を口にされる余裕があるというのは、被害がそれだけ軽微ですんだということの証。立派な戦績だわ、胸をお張りなさいな」


 涼やかな微笑みを湛えたままマーハはさらりと口にする。特級ワルキューレのマーハは、破壊につぐ破壊に不満を口にするほど疲れ果て打ちのめされた現地の首長を幾人も見てきたのだろう。

 さりげない一言に改めてこの美しい高等部生の言葉に、つい背筋を伸ばしてしまう。

 しかしサランにはどうしても、マーハの言う通り胸を張ろうという気にはなれなかった。それどころか、太平洋校に帰還して日が経つにつれて悔しさと敗北感ばかり募ってゆく。



 ――結局、あの虚空から出現した甲種巨人型侵略者の一部を追い返せたのは、どうみたって面白半分に首をつっこみにきたとしか思えないツチカのお陰だった。

 サンオミユのワンドである竹ボウキに横ずわりし、魔女のごとく飛来してはやはり魔女のように去っていったシモクツチカ。

 我儘勝手で傲慢で、サランのことをミノ子ミノ子とコバカにするだけでは飽き足らず、予備役の先輩たちもからかい挑発ばかりしていたくせに、サランのワンドの持ち主で知らない機能を瞬時に読み取って使いこなしてみせたあの女。髪を白銀に変えながら、栞を指に挟んで地上に向けて撃ったツチカ。


 ツチカが赤く染まった西の空へ飛び立った直後からサランはツチカと自分への怒りといら立ちを爆発させていた。あやうくホウキから落されて、うっかりすればぺちゃんこになりかけていたのだから怒りも収まる訳がない。サランを抱き留めたミカワカグラが身長ほどの長さに伸ばしたワンドの鍵に跨って、ぶつぶつ怒りを発散する。

 妖精の羽根のような飛行ユニットの比翼を引っ込め、ツチカと同じようにホウキにまたがる魔女のように空を飛ぶカグラはサランのリクエストにしたがって、流羽華を待たせている社まで運んでくれいていたのだ。


「撞木さんて、ずっと怖い人だなって思ってたけどやっぱイメージ通りだったんですね……」


 ツチカに気を呑まれたショックを引きずっているのか、カグラの口調がまた気弱な丁寧語に戻っている。


「怖くなんかないようっ。恋愛にかぶれて早く大人になりたがってるくせに自分のケツも拭けないし、一人で便所に行ける程度のことで偉そうぶるしょうもないお嬢ってだけだようっ」

「――私たちの同期であの人のことをそうやってメッタ斬りできるのって、多分鮫島さんと北ノ方さんだけだと思う――」


 呆れたようにカグラは呟いた。それと同時にサランの頭にあるビジョンが流れ込んでくる――……。

 まだ二千年紀ミレニアムのギャルの格好になる前、太平洋校の制服を着ているツチカが振り向く。きらきらと眩しいが向かい合ったものを確実にたじろがせる力の強い二重瞼の眼に、急に呼びかけられた不愉快さが隠されることなく浮かび上がる。その隣にいた、頭の高い位置でポニーテールにしている侍女時代のジュリも振り返る。やはりこの当時の二人は一見、双子のように似ているのだ。


 カグラは自身の能力を知っている相手には、説明を簡略化を狙ってこうしてビジョンを相手の思考に投影するというワザをみせることがあった。確かにてっとり早くはあるのだが、頭の中が痒くなるのが困ったものだった。

 ともあれサランはカグラの後ろでカグラが見せるビジョンに集中する。


 ビジョンの世界でカグラは誰かの後ろにいるようだった。結んだ髪の根本に幅広の布をリボンのように結んだポニーテールの後ろ姿から、どうやらタツミの背後にいるのだとわかる。

 

 どうしてそうやって毎回ふざけるの⁉ いい加減、本気出しなさいよね! とタツミは振り向いたツチカへがなる。それを見て、ふうっと息を吐いたあとのツチカは眼力漲る二つの目を細め、いきりたつタツミを半笑いで見下すのだ。

 出た出た、シモクツチカが人をコバカにする時に必ず浮かべる、思わず引っぱたきたくなるあの笑み——。むかつきながらサランはうっかり和んでしまった。実技の訓練や演習の後、能力は高いくせにふざけてばかりで本気をだそうとしないツチカに熱血屋のタツミがくってかかるのは、二年前には毎度おなじみだったのだ。

 ビジョンには登場しないカグラが、やめなよタツミちゃん、と声をかけている。視線の向こうではジュリがツチカ相手に、行こう、と呼びかけて腕を引く。

 しかしツチカはやめなかった。髪を払って腕をくみ、てかさあ、と向かい側にいるワルキューレを見下してふふんと鼻を鳴らした。


「トヨタマさんって言ったっけ? 髪形変えて欲しいんだけど。ジュリと被っちゃってるし」

「――は、はあっ⁉」

「大体、剣道キャラだからってポニーテールにするっていうのがベタすぎると思うんだけど? よく平気でそういう髪形やれるよね。ツラの皮厚すぎてマジで引く。トヨタマさんのそういう所、せっかくの顔面偏差値相殺してるよ? もったいな」

「それって、どういう……っ」

「ああ、意味わからなかったぁ? ごめーん。トヨタマさんってせっかく美人なんだんだからそうい暑苦しい性格どうにかした方がいいよって、あたしなりに忠告してあげたつもりだったんだけど。わかんなかった? 学年首席さんにこうしてくどくど説明しちゃうのって失礼かなぁって思ったんだけど、そっかあ。意味わかんなかったんだぁ」


 ――ああ、これこれ。本当にこれだ。これこそシモクツチカ――。

 思わずしみじみするサランの頭の中で光景が目まぐるしく展開する。ビジョンのカメラであるカグラがタツミを取り押さえているためだ。ワンドがまだ支給されていなかった初等部一年時代、練習用の仮のワンドとして携帯をゆるされている木刀を手にしたタツミに抱き着き、落ち着いてぇタツミちゃん! と叫ぶカグラ、その視界の向こうではジュリも、ツチカもその辺でやめな、とたしなめている。

 

 その時、当時のカグラの視点がある一点で停まる。四人が言い争う廊下のそばの階段を、下からしずしずと上ってくるものがいたのだ。

 ハーフアップの長い黒髪、ほっそりすらりと伸びた肢体。口元に凝った細工の扇をそえたキタノカタマコだ。後ろには同じような顔の侍女たちを数名引き連れている。

 入学してまだ間もない頃のカグラがうっかりマコの視線を奪われたのはサランにはよくわかった。マコ自身が高貴さを纏わせた美しい少女だったこともあるが、それも含めてとにかく異様だったから。手にもった扇で口元を隠し、似たような顔立ちの侍女を大名行列のように引き連れている。こんな少女はサランやカグラの育った公立校にはまずいない。頑張れば通えるレベルの私立にだっていないはずだ。


 突然あらわれた非日常に目を奪われるように、カグラは一瞬、マコに注視したのだった。

 キタノカタマコはその階で一瞬歩みを停める。そしてトヨタマタツミとシモクツチカという同級生が言い争ってケンカになりつつあるのだと把握したらしく、つうっとその目をすがめたのだ。ああ醜いものを視界に入れてしまったとでも言いたげに。


 扇で隠された唇を動かし一言何かを呟いてから、マコは何もなかったように四人を無視して階段を上ってゆく。同じ顔の侍女たちもそれに従う。

 マコの呟きは小さくて、扇より外には漏れない音量で放たれた。しかし、高レベルの感応能力者であるカグラにはその呟きを耳ではなく心で拾ってしまったのだ。恐怖につつまれたままタツミの体に強くしがみついてしまう。


 ――化け物が。


 マコはしっかりそう呟いたのだ。

 カグラの能力はツチカの呟きを拾うと同時にそれが誰に対してのものなのかも拾い上げてしまったのだ。

 条件反射でカグラは、マコに「化け物」と罵られた者に視線を移した。そこにいたのはシモクツチカだ。


 ツチカはタツミをからかう時には一切見せなかった、怒りと憎悪をその目に湛えてキタノカタ一向が去った階段を睨んでいた。その表情から、すでタツミもカグラも眼中にないことは察せられた。察していないのはタツミだけだった。

 行こ、と傍らのジュリに声をかけてから、ツチカはさっさと一人廊下を歩きだした。半歩おくれてジュリもそれに倣う――……。


 カグラのビジョンはそれで終わった。頭の中をくすぐられるような痒さがさり、サランはほっと息をついた。周囲の風景を見渡すかぎり時間は数秒も経っていないらしい。つくづく便利な能力だ。


「まぁ……あいつは昔っからあんなだし、北ノ方さんはこの時から既に怖かったんだな」

「本当……。特級グループってことで北ノ方さんと同じ作戦に参加する時って怖くて怖くて……。緊張して固くなる私をフォローしてくれるのが深川くんで……三河さんはすごい力があるんだから落ち着いてやればなんでもできるってはげましてくれて……」


 うっかり要らないことを思い出してしまったせいかカグラは、それを振り払うために明るく跳ね上がった声を出した。


「ところで鮫島さん、撞木さんとそのまま別れてよかったの?」

「なんでっ? いいに決まってんじゃん。あの腹たつクソお嬢とあれ以上一緒にいたらこっちのはらわた煮えくりかえって体内でモツ煮が出来ちまうようっ!」

「でも、だって――、撞木さんがレディハンマーヘッドなんでしょう?」

 

 なんでそのことをカグラが知ってるのだ――? と思わずカグラの背中を凝視してからサランはすぐさま気が付く。ミカワカグラは特級判定が下されるほど強力な精神感応能力者なのだ。カグラの感情を受信するうちにそのことに自然と気が付くのは道理である。

 それでも分からないことがある、とばかりに首をかしげながらカグラは不思議そうにつぶやくのだ。


「『ハーレムリポート』のせいで鰐淵さんと自由に会えなくなったってずっと憤ってるのにどうしてあのまま行かせちゃうんだろうって……。鮫島さんのことだから撞木さんにもうあの連載は終わらせろってくってかかるものだとばかり思ってたからちょっと意外で……——あ、ねえ、さっき言ってたお友達が待ってるお社ってあそこで正解?」


 その通り、カグラが指さすこんもりと生い茂った小さな杜は日の暮れる非常事態の神社でそろそろ心細さを感じている流羽華が待っている筈の鎮守の杜だ。サランはそうだと返事しなければならない。

 だが、サランはそのことをすっかり忘れてしまった。ただ、カグラの言った言葉を頭の中で響かせていた。数秒後おのれの迂闊さに気が付き、打ちのめされる。


 もっともだ。どうして直接ツチカに言ってやるのを忘れていたのだ。もうフカガワミコトはトヨタマタツミを選んでくだらないハーレムラブコメは終了。それにともない『ハーレムリポート』も終わらせろって、一番重要なことを何故自分は――!


 激しい後悔に突き動かされたサランは上空で「わあああああ!」と叫ぶ。その声の大きさにカグラだけでなく鎮守の杜に帰ってきていたカラスや雀たちも驚いて飛び立ち、またサイレンが鳴ったのかと思ったと、境内で大人しく待っていた流羽華も二人が姿をみせると安堵しながらしみじみと呟いていた。

 

 

 ――故郷の街を襲った甲種巨人型侵略者の一件はそういった事情によりサランにとっては苦い失態と敗北の記憶でしかなく、どれだけ親や親戚に喜ばれてもかつての親友に感謝されてもマーハに褒められても、どうしてもピンと来ないのだ。


 マーハもそんな心境をお見通しなのだろう。サランのヘッドドレスを直しながら柔らかな声で語り掛ける。


「執着が苦しみを生むと釈尊はおっしゃられているけれど、子ねずみさんはどうしてもシモクさんのことを気にせずにはいられないのね」

「……それ、似たようなことを以前ワニブチのやつにも言われました。嫌いなヤツに拘り続けるのはバカみたいだぞって」

「ふふ、そうね。――でも執着を断つのってとても難しいことよ? それに気づいて実践した方の教えがこうして二千年と少しに渡って受け継がれてるほどなんですから」


 果たしてマーハはツチカに囚われるサランを受け入れて甘やかしたいのか、それともそうみせかけて窘めたいのか、いやいやただ単にいつものようにサランの奇行を面白がっているだけなのでは……? 

 サランをいつものように翻弄して、ミルクを入れた紅茶のような肌を持つ先輩はサランのほっぺたに触れた。ついつい触れてしまいたくなるらしい。


「――それに、ちょっと不思議ね。子ねずみさんのご実家近辺は予言特化型ワルキューレも向こう百年は次元溝や次元震が発生しない一帯だって太鼓判を押されていたところの筈ではなかったかしら?」

「あ、はい」


 いつも優しく優雅な微笑みでサランの話を面白がっているマーハが、めずらしく特級ワルキューレとしての表情になっている。それにつられてサランも真面目に頷いた。


「百年は安全だって理由を根拠にあそこに管理水田が設けられたくらいですから。――お陰で大変でしたよう。さっきの市長から『ここには絶対侵略者は出現しないって聞いてたのに!』ってうちが責められましたし」

「あらあら、それは災難。――でも、少し気にはなるわね。世の中に絶対なんてあるはずがないと分かっていても――」


 一瞬もの憂い表情を浮かべたマーハは、左手の薬指をそっと見やった。今、ヴァン・グゥエットと交わしたリングが嵌っているそこにはかつて六人分のリングがはめられてきたのだ。

 サランはそのことを想像せずにはいられない。


 向こう百年は侵略者は出現しないと太鼓判を押されていた故郷にも侵略者(それも甲種)は顕れた。

 普段はともに机を並べて、授業を受けて部活に励み、笑ったり泣いたり怒ったり普通に生活していた友達が、きっと明日も明後日もこうしてずっと一緒にいるのだろうと漠然と感じていた相手が、出撃先から無言で帰島することも珍しくない。

 特級ワルキューレのマーハの婚約エンゲージ婚姻マリッジ相手は、そろい揃って実力者だった。演劇部の華やかなスター候補生だったものもいる。

 必ず元気でかえってくると約束したのに冷たくなって帰って来たもの、自分がそうなるとは分かっていなくて、帰ってきたらあんなことをして遊びましょうと他愛ない約束を交わして見送ったものもいたはずだ。

 自分たちは絶対死ぬわけがないと信じていたって、絶対なんてものはやっぱりないのだ。



 ――絶対、その二文字を考えるとどうしてもジュリのことを考えてしまう。


 有名無実な決まり事に堕して久しいのに、ジュリもサランも未だ直接的な触れあいは断っている。

 侵略者騒ぎで配達が遅れ、サランが学園島に帰ってきたのとほぼ同時に残暑見舞いが届いたことを知らせるメッセージが相変わらず一筆箋に認める形で届いた。サランの貢献が侵略者退治に貢献したことに関しても「ご苦労」と一言で労っていた。

 相変わらず几帳面な達筆で、必要最小限のことしか書かないメッセージを寮のベッドに寝ころびながらサランは読んだ。いつものようにヒヒヒ~と笑ったら、何故か視界が滲んだ。


 ときおり演劇部に取材に訪れるシャー・ユイの報告によれば、ジュリはそれまで通り『ヴァルハラ通信』編集に携わっているようだ。

 夏休み後半、世界各地のワルキューレ養成校初等部の代表メンバーが集まったパジャマパーティーサミットの日にはサランに代わってユーラシア校の代表との商談も進めたらしい。

 

 気だるい八月末が過ぎさり心機一転の九月が始まるも、季節の変化に乏しい亜熱帯の島ではどうにも心理的なメリハリを書いてしまう新学期開始後のとある日に、サランが帰省していた時期のあれやこれやをシャー・ユイが教えてくれたのだった。


「え、あの時のユーラシア校の特級さんってむこうの生徒会メンバーだったの?」

「私たちの学校で言うなら文化部代表って役職の方だったそうよ。一身上の都合で、サメジマは退部いたしましたって告げたら随分残念そうにしておられたわ」


 いくら建前であっても文芸部員とフカガワハーレムメンバーが大っぴらに接触しているのはまずいという理由で、演劇部の取材に訪れたシャー・ユイとは泰山木マグノリアハイツの元使用人控室で行うのが習慣になっている。

 そこでサランは自腹で購入したシャー・ユイの紙製同人誌にサインを強請りながら、文化部棟住民の近況を確かめまくる。

 それを聞きながら、シャー・ユイは乾燥地帯の地雷原で巨大蠍型侵略者に襲撃して逃げまくっている所を助けてくれたヒジャブ姿のワルキューレのことを頭に思い浮かべていた。話を聞くと今回訪れたのはスケボー型ワンドにのっていたのではなく、馬上から弓矢を射った方のワルキューレらしい。丁寧な口調から垣間見られた商魂の逞しさをサランも懐かしむ。


「うちもあの人ともう一回話したかったなあ。面白い人だっただろ?」

「そうね。随分抜け目ない方だったわ。海賊版根絶のために『ヴァルハラ通信』の販売と安全な販路の維持には務めるけれどそれには『ハーレムリポート』の掲載が絶対ですって。あちらはこちらより特殊戦闘地域が多くて、紙版じゃないと読めないって地域が多いから、事情があったのはわかるにしても休載は今回のみにしてほしいそうよ。にこにこしながらはっきり仰ってくださったわ」


 ユーラシア校ワルキューレへの印象は、サランとシャー・ユイの間には若干の差があるようだった。やはりシャー・ユイの中にはこのまま『ハーレムリポート』を終わらせたいという気持ちがあったのだろう。

 それを聞いて、サランも考えてしまう。


「それは難しいな……。つか、もうフカガワのバカはトヨタマさんとくっついたじゃん。アホみたいなハーレムラブコメはこれ以上引き延ばしようがないだろ。近々終わらせるしかないよう」

「――それをあの人に直接言ってほしかったものね。貴方の口から」


 くさくさするような顔つきでシャー・ユイは呟いた。その口ぶりから、ジュリはユーラシア校ワルキューレとやや不利な(少なくともシャー・ユイにとっては面白くない)条件で折り合いをつけたのだろうと察するほかない。


「でも、ワニブチは交渉ベタじゃないだろう。むしろうちなんかよずっと上手じゃないか、シモクなんて七面倒な女の世話をずっと焼いてただけのことはあってさ」

「ええ、ビジネス面では双方納得のいく形で話は済んだわ。ただ私が耳を疑ったのは『ハーレムリポート』はもうしばらく続きますのでご安心をってワニブチさんの言葉だけ」


 はい、とサインを書き入れた自身の同人誌をサランに手渡したシャー・ユイの言葉を聞いて耳をうたがったのはサランの方だった。

 今なんと?


「続くっ⁉ なんであれが……⁉ フカガワミコトはトヨタマさんを選んだのにっ?」

「お金を生み出す人気コンテンツは読者が飽きるまでは引き延ばされる、そういうものだってあなただってご存じでしょう? それ以前に現実は神様の前で永遠の愛を誓い合った二人がやむを得ない事情で離婚するのが当たり前な無粋でだらしのないものよ。『二人は末永く幸せに暮らしました』が出来るのは物語だけ」


 自分自身に言い含めるようにシャー・ユイは呟いた。


「『ハーレムリポート』はゴシップガールの騙りが入っているとは言え、素材そのものはノンフィクションだもの。他のメンバーがフカガワミコトのことを諦めさえしなければゲームは永遠に続行され続ける。――まぁ、ミカワさんは完全に降りたみたいよね。あなた最近仲良くしてるんでしょう?」


 サランは頷く。

 新学期、すっかりあか抜けた姿を皆の前で披露したミカワカグラは夏休みデビューと口さがない候補生たちの陰口を叩かれながらも新しい自分生活を満喫している。サランの他にも新しいワルキューレ友達をつくって、笑いさんざめきながら校内のあちこちを歩く姿がよく目撃された。その友達に影響されたのか、空や海やカフェのスイーツを写真に写してはポエムのようなキャプションをそえた電子版の個人誌を作りだした。

 スタート時には購読者にはフカガワハーレムのカグラちゃんを応援していたファン層が多かったものの、自撮り写真に初心者という立場からメイクのテクニックやコスメのレビューを添えるようになってから同世代の女子ファンの人気をじわじわ集めだしている。

 ごく一般的な十代二十代の女子層という、太平洋校のワルキューレ達を応援してくれるファンで一番すくない層のハートをつかみつつあるカグラの活動は文化部棟では注目を集めており、『ハーレムリポート』の人気を食うのも時間の問題と見なされていた。

 好きな男子の告白を受け入れたトヨタマタツミはというと、これもまたどういった心境の変化なのかポニーテールにしていた髪を降ろしてカチューシャをつけ、なにかというとフカガワミコトの隣をニコニコ笑いながら歩く姿が目撃されるようになった。半裸になって日本刀型ワンドを振り回しては斬撃を撃ちまくっていたお転婆で物騒な少女の面影はそこにない。そんなタツミの隣に立たれて顔を真っ赤にして照れながらも、ビーチで何やらむつまじく語らったりバスケットボールで遊ぶ姿があちこちで見つかる。


 どこからどうみても「めでたしめでたし」、そう断言できない不穏な気配が漂っているのは、フカガワミコトの後ろを白銀の髪と白い肌をもつヴィクトリア朝の少女めいたワンピース姿のノコがぷうっと頬を膨らませながらついて歩いているせいだろうか。

 何にせよ『ハーレムリポート』は当分続くという決定にサランはため息を吐いた。


「……どうすりゃあのゴシップガールのおしゃべりを止めさせられるんだよう……っ」

「終わりどころを失った長期連載作と同じ経緯をたどらせるのが一番なのかしらねえ……」


 シャー・ユイも憂鬱そうにため息を吐いた。元使用人控室にはどんよりとした空気がよどむ。それを一新する狙いでもあったのか、シャー・ユイが深刻な声音で突然話題を変えた。


「ところで、メジロさんとヤマブキさんの間に何があったのか、あなたご存じじゃない?」

「なっ、なんだよ急に……っ」


 怖い顔でサランに声を近づけるシャー・ユイは、あたりの様子を確かめてからさっと右手を振った。

 浮かび上がるのは環太平洋圏のどこかで制作・公開されているアイドル専門の歌番組だ。最近注目のインディーズアイドルとして、愛らしく歌い踊るのはメジロリリイだ。相変わらず天使のそれのような声で初恋をテーマの歌を歌いあげる。むすっとむくれた顔で一旦動画を停止にしたシャー・ユイは笑顔のまま硬直するリリイのこめかみのあたりを指さす。そこにあるのは月と星をぶら下げたおもちゃめいたデザインの髪飾りだ。あれ以来リリイはヴァン・グゥエットから手渡されたこの髪飾りを常に身につけている。


「メジロさんがこの髪飾りをつけだした途端、この子のアイドルランキングが上昇し始めたの」

「――お前、リリ子のこと嫌ってたくせに芸能活動応援してやってんのかよう?」

「まさか! そうじゃないわよ、この月と星の組みあわせってヤマブキさんが好んで用いるモチーフなの。それにこの子がこれを身につけだしたことからアイドルランクがあがったことから、メジロさんと黄家との間に密接なつながりが生じたと考えるのが自然だわ」

「ちょ、ちょっと待って――シャー・ユイってホァン先輩がどういうお家でどういう人なのか知ってるのかよう?」

「芸能界と黒社会が密接に結びついているなんて、芸能の発生となりたちを考えれば普通じゃないの。そんなことより私が言いたいのは、どうしてメジロさんがよりにもよってヤマブキさんの妹になってるのかってことよ! ――マー様とヤマブキさんの神聖な絆に割って入るなんて、どれだけ厚かましいのかしらこの子ったら……!」


 忌々しそうにシャー・ユイは虚像のリリイを指でつつくが、もちろん指先はそれを素通りする。愛らしい笑みを浮かべたまま一時停止しているリリイの映像からは今にもあのねっとりした口調によるあてこすりが聞こえてきそうだ。

 自他ともに認めるマーヴァン過激派のシャー・ユイが、リリイの髪飾りを気にするのは無理もない話ではある。


「だいたいあれだけタイガちゃんのこと一筋みたいなことを口にしていたのに、他の方と姉妹の契りを交わすだなんてふしだらの極みよ! 性格が歪みきってる上に手のかかって面倒な子だけど、好きな子に対して一途なところだけは評価していたのに……見損なったわ」

「ああ、その辺は安心していいと思うよう。リリ子は相変わらずトラ子一筋でめんどくせえし、ホァン先輩との姉妹契約はなんちゅうか、純粋にビジネス上の契約みたいなアレだよう」

「――随分詳しいわね?」


 はっと気が付くとシャー・ユイが取材用のメモ帳とペンを表示させてサランにぐいぐい迫っていた。物語の種をみつけた作家の眼差しと熱意がその全身から放つ。


「サメジマさん。あなたやっぱりこの件の中心にいるのね。おかしいと思ったのよ、あなたがトヨタマさんに斬られてからすべてのことが一変してゆくんだから……! それじゃあ詳しく聞かせてくださる? どうしてあの件以降、あなたが髪を切ることになって、タイガちゃんがあなたが文芸部に復帰するのはいつかってしつこく訊かなくなって、メジロさんがヤマブキさんと義姉妹になったのかその一切合切を……!」

「お、教えたくても教えるわけにはいかないんだようっ! いろいろ事情があって他言するとうちは目と舌と片腕がない体にされた上で外洋に放り捨てられることになるんだから」


 ファンの愛情故かヴァン・グゥエットが何者であるかを把握ずみなシャー・ユイは、それだけで何かを察したらしい。非常に残念そうな顔つきではあるが右手を振ってメモ帳とペンを消した。


「その言葉で、いつものあなたらしく衝動的にバカなマネをしたんだなってことだけは理解したわ」

「さすがシャー・ユイ。持つべきものは頭がよくて気遣いのできる友達だようっ」


 流石にまだ死にたくないサランはシャー・ユイに対して下手に出て、へこへこと胡麻をするジェスチャーまで付け足してみせる。その見え透いた態度が不愉快だったのか、机の上に頬杖をついたシャー・ユイはサランを一瞥した。


「正直言って『ハーレムリポート』よりサメジマさんのやらかしの方がスキャンダルに満ち満ちていて面白そうだから私が小説にしましょうかって、今度のミーティングで提案してみようかしら? うかうかしていると『夕刊パシフィック』に先に取られそうだからって」

「そ……それだけは勘弁を……っ!」

「冗談よ。――でも、そろそろ『演劇部通信』とは異なるタイプの小説にも挑戦したい意欲が高まってるし、サメジマさんには今まで迷惑のかけられ通しですからね――」

「……っ」

「読者のお姉さま方にも満足いただけるような、月光や薄暗がりで読むのが似合いそうなな物語が書いてみたいわね……って。ケセンヌマさんの影響かしら?」


 不穏な口ぶりでシャー・ユイはサランへ釘を刺す。

 冗談と言い切りはしたが、『ハーレムリポート』の連載には一貫して批判的なシャー・ユイが連載を終了に運ぶために新たな作品を立ち上げる――。そう企てるのも無くはない流れである。何かあったらサランのしでかした不品行を麗しい乙女たちが繰り広げる耽美で官能的な物語に虚構化しかねない。


 そのことを見るからに恐れるサランをみて満足したのか、シャー・ユイはようやく少し楽し気な笑みを浮かべて立ち上がった。


「そうだ、シャー・ユイ。今度のワニブチの出撃がいつか知らないか?」

「? あなたたちメッセージはやり取りしてるんでしょ? 直接訊いたらどうなの?」

「訊いたけど、まだ命令がないの一点ばりなんだ」

「そういえば夏休み中はいつも部室にいたわね、ワニブチさん……。確かに待機しつづけるには長すぎるかも。でも、そういうことだってなくはないんじゃないかしら」


 首を少し傾げはしたけれど、シャー・ユイはそれ以上頓着することはなかった。一応訊ねてみるわね、といって元使用人控室を出てゆく。



 世の中には絶対はない。

 向こう百年は侵略者に襲われることはないと宣言されていた故郷に巨人型甲種が現れたし、今日は元気に生きていたワルキューレも出撃先から無言の帰島を果たすこともある。

 マーハの説得がじわじわ効果をあらわしていたのか、サランもじわじわジュリと婚姻マリッジの儀を交わしてもいいかなという気になりつつあった。

 九月にはちょうど中秋の名月も控えていることだ。さすがにそのころにはジュリも出撃の命がくだるだろう。泰山木マグノリアの木の下で永久の仲を請願する――想像するだに全身が蕁麻疹で覆われそうだが、ジュリと大っぴらに話せる機会だと思えば我慢もできよう。



 サランの中ですらそういう心境の変化が芽生え始めていたのに、タイガはというと未だにこんなことを言う。


「だってサメジマパイセン、オレ、絶対リリイより先に死ぬんすよ? だからこそ嫌なんすよ~。オレがいなくなって一人ぼっちになるリリイとか、見たくないんすよ。だからオレじゃない誰かいいヤツ見つけて一緒になってほしいんすよぉ……」

 

 九月某日の放課後。

 どうやら最近お気に入りの甘え方らしく、タイガはサランの背中にぺったりくっついてぎゅうぎゅう抱きしめたり肩や項に顔をうずめながらそうやって愚痴り気味に甘えるのだ。

 リリイより先に死ぬというのはタイガの中では既に決定事項であるらしい。どうやらこのアホの子な後輩が自己申告の通り長生きができない身であるのは確からしいとサランもその現実だけは受け入れざるを得ない気にはなっていたが、それにしたって言動不一致が甚だしいではないかと憤慨したくはなる。隙あらば制服の上からサランの胸元をまさぐろうとする手の甲をつねりながら、サランは増長するタイガに釘をさす。


「――で、お前のお望みどおりリリ子はホァン先輩っていい人見つけてアイドル街道ばく進してるわけだな」

「……うううう……っ」


 のし、とタイガはサランに体重をかけた。髪が項をくすぐるし、耳元では相変わらず咥えている棒付きキャンディを口の中で転がす音が聞こえる。至近距離で漂う香料の匂いは相変わらずフルーツ臭くて味の甘苦さを全く連想させない。

 胸の下で両腕をまわして体を密着させる程度のことは許して、サランは突き放した口調でつぶやく。

 

「全てお前の望んだ通りに行ってるのに何をゴニャゴニャ言ってんだよう、このアホの子は?」

「――でもぉ、ホァン先輩って本命はジンノヒョウエ先輩じゃないすか。つうことはリリイは二号になっちまうじゃないすか。それはダメなんすよ、リリイが一番ってやつじゃないと預けたくないんすよぉ……っ」

「……へぇ~……」


 客観的にみると、いつか部室でジュリに言われた通りタイガの二号という立場になってしまうサランがそれを聞いたところで面白くはない。いくら諸々割り切った仲だといえども、だ。

 サランに抱き着きながら、タイガはごにゃごにゃと自分から去り行くリリイへの未練を縷々呟く。


「あんだけ可愛くて綺麗なヤツが二番目とか許されねえって思いません? もっとこう……全人類の命かリリイかって局面で迷わずリリイのことを選んだり、地球全体絶対破壊ミサイルが飛んできてもリリイの為に受け止められるってヤツじゃないとイヤなんすよぉ、姉ちゃんとしてはぁ~……」

「あの性格極悪アイドルにそこまでの愛情さらけ出せるやつ、正直お前くらいなもんだよう」

 

 小説は読まないくせに二千年紀ミレニアムの漫画はそれなりに読んでるらしいタイガにすこし感動した隙にまた、体格に比して大きい上に形良く前に突き出している胸をサランの背中に押し付けるし、サランの肉の薄さを確かめるようにさわさわ指をうごかすのだ。

 口ではこの世に一人残して逝かねばならない妹分を想うような言葉をぬけぬけと口にするくせに、肋骨をなぞりながらたまらなさそうに香料に染まった息を吐く。


「サメジマパイセン、ちっこくて細いから……潰しちまいそうで怖い……」

「またお前は気色の悪いことを……! つうかちっこいってなんだよっ、身長はそんな変わんねえだろうがようっ」

「いやオレの方がちょびっとだけ高いっすよパイセン」

「嘘こくなっ、お前の靴のソールが厚いからその分高いだけだしっ」


 別の女の行く末を堂々と案じながら、なんで違う女を抱くことができるんだコイツは。好きな男に抱かれながら別の男の夢をみるって大昔の流行歌にはあるが、その歌詞に出てくる女よりよっぽど悪質だな……と、サランは大いに呆れつつもされるがままになる。

 帰省前のビーチでミカワカグラにおっぱい星人と不名誉な認定をされてしまったが、徒手空拳の強さと俊敏な動作に定評がある者に相応しい引き締まった体を持つくせにに胸だけ元気に前へせり出しているタイガにぴったりくっつかれるのは、悔しいことになかなか悪い気がするものではない。残念ながらそれは事実だった。


 太平洋の離れ小島にもある体育館裏、修練用具置き場に挟まって目立たないその場所で時々こうして逢引するのが習慣になってもうすぐ一月になる所だったが、タイガはそれから少しずつ増長しだして、こうして堂々とリリイ想いをさらけ出すことが多くなった。

 まともな神経を持つ人間なら、まがりなりにも惚れたはれたといった感情を持つ相手の体をまさぐりながら別の女の未練をぶちまけたりしないのではないのか? と疑問に思う余裕があるということは、自分は大してやっぱりこのアホの子の後輩がそういう意味では好きではないのだろう。と、サランは冷静に考える。


 結局はタイガに対して執着をみせつつも操はたてるリリイの方がまともで、自分たち二人は異常ということになるのだろうかと考えている間に、タイガはサランを壁に押し付けている。こういう時には口から取り出すキャンディをサランの体にまわした移して、右手をスカートの下に潜ませる。

 ちょっとコイツの頭をさましてやろうと、サランはふりむいて冷静な目でタイガをひたと見つめる。

 

「……なあ、やっぱりこういうことはリリ子としろよ。それで万事丸く収まるだろうが」

「嫌っす」


 聞き分けがなくサランの耳たぶを軽く噛む。くすぐったさに体を強張らせるといい気になったことを隠さないタイガがフルーツ香料の匂いを漂わせながら一人前に捕食者の声で囁くのだ。


「パイセンとじゃないとこういうのは出来ない」

「……っ、お前本当に……っ、最悪っ……!」


 調子づくアホの子に制裁を加えてやろうとするとそのタイミングで力の抜けてしまう場所を触れてきたりする。学業の成績はさっぱりなようなのに、ケンカにしろ戦闘にしろ愛撫にしろ体を使うことに関してはタイガの物覚えは異常に早かった。サランが主導権が握れたのは最初の方だけで、回数を重ねるごとにやることが巧みになってゆく。

 再びキャンディを咥えると、コンクリートの壁に手をついて体を支えられないほどの波に襲われているサランが声を殺しているサランの口に左手の甲を差し出す。遠慮なくそれに歯をつきたてて思いっきり噛みついてやったにも関わらず、右手の動きはより丹念に、執拗になる。

 それに伴い左手の指をサランの口腔に差し入れて右手と連動させるように動かす。溢れる涎で濡れる唇をタイガの左手の親指の腹がなぞる。

 他の箇所は平気で舐めたり吸い付いたりするようになった癖に、タイガは自分から唇を重ねることはしようとはしなかった。サランにも、残念だけどという顔つきを隠そうとせず二度と自分にキスをすることはしないほうがいいと断ったほどだ。それくらいいつも舐めている飴の成分は強いということらしい。


 その埋め合わせのせいか、タイガの唇への愛撫はいつも執拗で未練がましい。


「……ッ」


 口の中をかき乱す指にも歯を立ててからサランはふりむき、口の中を空にしてタイガを睨む。


「二股するヤツはギャルの風上に置けないとか、セシルのなんとかに出てくるアユパイセンはいってないのかようっ」

「言ってねえすよ。でも、好きな相手には誠心誠意つくしてぶつかれって言ってます」


 本当に好きなヤツには誠心誠意つくしてないくせにどの口が……っ、という思いでサランがタイガを睨みつける。その目が堪らないと言いたげに、猫目に猛獣めいたものが輝きだした。ブーストかけるぞ、という合図でもあるのでサランもそれに備えた。

 そのタイミングで、体育用具置き場の向こうからあっけらかんとした声がとんできた。


「タイガの姉貴~、今お邪魔っすかぁ~」


 ただれた空気を一瞬で台無しにする、元気であけっぴろげなな声だった。

 

「卓ゲー部のビビアナ・リモンでやんす~。賭けバドに関してウチの部長からタイガ姉貴かリリイ姉貴と話したいってんでお迎えにあがりやしたぁ」

「りょーかい、もうちょっと後で――」

「いいっ、ビビ、そこで待ってろ。もう終わる」

「! やっぱいらしたんすかサメジマ姐さん。ならあっしはちょくらグランドでも走ってきやしょうか?」

「いーから! そうやって気回される方が恥ずかしいっ」


 タイガの口を封じるようにサランは声を張り上げる。そしてさっとタイガからだを離し、ずり下げられた下着をひっぱりあげて制服を整えた。飴を咥えたタイガは思いっきり不服そうな顔をしたが無視である。無視。

 いいよう、と合図を送ると、ほどなくして一人の候補性が顔をのぞかせた。


 小柄なサランやタイガよりさらに小さく、ほとんど小学生と見分けのつかない体格。それにみあった大きくつぶらでどうしても幼い印象になりがちな目と、うっすらとしたそばかす。輪切りにしたかんきつ類のチャームがついたゴムで黒髪を二つにぴんと結んだ少女だった。


「すいやせん、姉貴っ。お楽しみのところ邪魔しちまいやしてっ」

「そうだよ、ったく。気ぃつかえってのビビ公はよぉ……」

「けど大丈夫ですかい? こんなのがバレたらリリイ姉貴がまたこれもんですぜ?」


 中米出身のビビアナが一体どこでそんなボディランゲージを覚えてくるのか謎だが、左右の一指し指を両こめかみに立たせてニヒヒと笑う。そのおでこをタイガはぴんとはじいいた。さっきまでベタベタに甘えてたくせに急に先輩ぶりだしたタイガがおかしいせいかおでこをさすりながらも悪びれもなくへへっと笑う。

 この少女の名は、ビビアナ・リモンという。初等部一年生で、本人が名乗った通り卓上ゲーム部の部員だ。つまりは文化部棟のメンバーで、一学期までメジロ姓の二人が始めたバドミントンを盛り上げた一人ということになる。

 

 文芸部部室の窓から見えた初等部二年生たちによるバドミントンブームは九月にはすっかり沈静化していた。というのも、サランが生徒会のパジャマパーティーが始まる前に終わらせろとタイガに忠告していたからでもある。他の養成校生徒会のみなさんがお見えになる前に生徒会はかならず浄化作戦を決行するはずだから、と。

 それを素直に受け入れて、メジロ姉妹とともにバドミントンを盛り上げていた卓上ゲーム部メンバーはさっさとブームを終わらせたのだった。――かくして、初等部二年生の血を燃え滾らせ様々な悲喜こもごもを生んだバドミントン賭場は閉められたのだった――。

 

 リングの翻訳機能が何故か口調を下っ端の渡世人口調に換えてしまうビビアナは、所属する部の先輩とともに賭場の胴元として暗躍していたメジロ姉妹を尊敬していたらしく舎弟のような働きをしてみせる。

 大事な情報をを横流ししてくれた先輩としてサランも一応尊敬してくれてるらしくサメジマ姐さんと呼んでくれていた。

 ビビアナはタイガの腕を取ると、サランの方へぺこっと頭をさげる。


「つうわけで姐さん、タイガ姉貴ちょっとお借りしやすぜ」

「構わないよう、連れてけつれてけ。……つかそのアホの子に賭場の後始末に関する話なんかつけられんのかよう?」

「話の内容によっちゃあ、リリイ姉貴よりタイガ姉貴のが丸く収まるってことがありやすんでさ。じゃあ失礼しやす」


 ぺこんと最後に勢いよく頭を下げてから名残惜しそうなタイガの腕をとって歩きだした。


「タイガ姉貴、リリイ姉貴が一人っきりなるの寂しいんならあっしが面倒みてさしあげやすぜ! あんな天使様みたい人の妹分やれるんなら本望でさぁ」

「あん? バーカ。お前みたいなガキんちょにリリイが預けられるわけ……ってお前なんでそれ知ってんだよ?」

「へへ、タイガ姉貴がサメジマ姐さん相手には子猫ちゃんみたいになるのが可愛くて可愛くて――うぎゃぎゃっ!」

「ガキんちょが大人の会話を盗み聞きしやがって……! お仕置きだ、お仕置き!」

「ひだい! ひだだだだっ、ごへんははい……っ!」


 快活にませた口をたたくビビアナのほっぺたをタイガは左右に引っ張る。

 後輩の手前だと格好つけようという意識が働くらしく、タイガは文芸部部室ならば名残惜しそうに何度も振り向いて手を振ったりするのだが、今回は一度もそういうことはしない。その代わりにサランが手を振ってやる。


 じゃれあいながら二人は遠ざかってゆく。そのやりとりから、タイガは後輩からもしっかりアホの子と見なされているもののその分慕われている様子にはほっとする。

 そもそもタイガはアホであけっぴろげで、ガサツで行儀作法や言葉遣いが粗く対人関係に節操がなさすぎるという致命的な弱点があるわりにめったに嫌われないという得な性分を持っていた。リリイのことは嫌っているシャー・ユイもタイガには甘い。

 純情で一途すぎるがゆえに性格がねじ曲がっていて無駄に敵を作り勝ちなリリイとは正反対だ。タイガがリリイのその後を気にするのもそこなのだろう、とサランは考える。 

 

 全く、手を焼かせる二人だな……と心の中で呟きながらサランは制服を整えた。そろそろ泰山木マグノリアハイツへ向かわねば、遅刻の理由をマーハに説明しなければならなくなる。



 フカガワミコトとトヨタマタツミが両想いになったにも関わらず『ハーレムリポート』は続く。

 サランはジュリと会えないまま、タイガとの関係はつづき、リリイは着実にアイドルとして知名度をあげている。カグラは日に日に同世代ファンを集め、演劇部の稽古は熱を帯び、フカガワミコトとトヨタマタツミはカップルとしての距離を縮める。依然として生徒会は沈黙を守っていた。


 新聞部の保守系誌の報道により、夏休み中のパジャマパーティーの議題の一つが「安全とされていた場所で甲種侵略者の顕現が相次ぐのはなぜか?」だったと知る。サランの故郷で起きたような事態が世界各地でも頻発しているというのだ。

 どうやら外世界でなんらかの動きがあったのが原因であり、国連所属の予言特化型ワルキューレが新たに未来を垣間見て数件の託宣をくだしたのだという。その一つが今なお人類にとっても厄介な場所の一つである死海沿岸で近々巨大な次元溝が出現するというものだ。


 わ~、こりゃ面倒だな。


 ある日の休憩中、配信されてきた新聞に目を通したサランはその時心の中でつぶやいた。人類同士がまだまだ元気にいがみあってるあの土地に巨大次元溝かあ……。考えるだけで胃に穴があく。


 この段階ではサランにとってそれは他人事でしかない。そもそも太平洋校の生徒にとって死海沿岸は管轄外のエリアだ。大西洋校の要請を受けた北米出身のワルキューレが作戦に参加するような、太平洋校所属する多くの候補生には基本的に縁のない場所だったから。


 いろいろしっくりこない状況のまま、日々は淡々とすぎる。

 サランが文化部棟に戻れないのも日常となりつつあった日に、その通知は入った。


 おてがみがとどいたよ~、と、リングの上に白猫キャラクターが立ち上がってメッセージの着信を教えてくれる。泰山木マグノリアハイツの書斎で古い『ヴァルハラ通信』にうっかり読み入っていたサランは手をとめてそのメッセージを受け取った。それが見慣れた、一筆箋だったから。


 ジュリがメッセージをよこすのは大抵就寝時間の前後なのに、珍しいこともあるものだとおもいながらも封を開く。


 そこに書かれていたのは、相変わらずシンプルな文面だった。


 十月初頭から開始される、国連主導の大型作戦に参加することになったと伝えるものだ。

 出撃先は聖書にも記される有名な聖地だ。


 

 人類が未だ元気に力いっぱいいがみ合っている場所の一つで行われる大型作戦に、ジュリは出撃せよと命ぜられたのだ。


 その事実が段々と体に沁みとおってゆくにつれ、サランの体から血の気が引いてゆく。

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