#27 ゴシップガール、巨人を退治する。

◇ハーレムリポート 電子個人誌ジン版 #57◇


 九月、新学期。

 

 この文字の並びに、イヤアー、気が滅入るぅ! 学校何て始まらなきゃいいのにって……った過酷な戦場にお勤め中の皆様は久しぶりに学生気分を取り戻してくれたかな?

 過酷な戦場にお勤めでない皆様、夏休みはどうだった~? 何かいいことあった~? こっちは久しぶりに友達に会っちゃったりしたそういう夏休みをすごしたレディハンマーヘッドだよ。


 久しぶりにあった友達がうんと大人っぽくなってたりしたらどうしようって焦ったけど、ぜーんぜん、記憶通りのカワイイあの子でほっとしちゃった。本当あの子ってば期待を裏切らないんだから。って、ごめんねー。自分の話をしちゃってー。


 ま、仕方ないじゃん。夏休み後半はフカガワハーレムのメンバーもほっとんと帰省しちゃってロクな噂もきけなかったんだもん。せっかくの新章突入って期待させといてそりゃないぜって話よね。


 ま、それでも晴れてフカガワミコトと両想いになったタツミちゃんはご実家に一緒に帰省して大変だったみたいだけど。ほら、タツミちゃんは神職の名門のお姫様でしょ。一般家庭育ちの男の子がそんな女の子と付き合おうとしたら、格式だのなんだのいろいろあるわけよ。


 夏休みなのにちっとも休めてないフカガワミコトの元を離れたカグラちゃんは、すっかり夏休みデビューも果たしてキャラ変大成功だし。勇気を出してメイクしたりお洒落の勉強をするところに共感する、いままで分からなったけどすごく可愛いくて憧れる、あんな顔になりたいなんて急に女性ファンが増えだしてるし。

 そこに目をつけてるのが高等部の総合文化企画部のお姉さまたち。何せ、太平洋校のファン層部ってばちょっと特殊っていうか、マニアックっていうかナードっていうか、普通の十代の女の子からの支持が少ないのがネックだったんだよねー。ぜひともカグラちゃん人気を盛り立てて、普通の十代女子人気も取り付けたいみたい。あの人たちってあたしなんかよりずーっと貪欲なんだから。


 スターになりつつあるカグラちゃんとは逆に、パワーダウンしちゃった気のあるタツミちゃんは恋をしてすっかり物憂い乙女だし、ノコちゃんは大好きなマスターの一番大事な女の子じゃなくなってご機嫌斜め。サランちゃんはどういうわけか、夏休み中にカグラちゃんと仲良くなったみたいで、一緒にいるところを目撃されがち。二人で何をしゃべってるのかな~?


 マコちゃんは生徒会のお仕事が忙しくてこの騒動には参加できず。でもきっと何か思う所があるんじゃないかなー。このまま大人しく静観してるだけの女の子だとはとても思えないんだよね、マコちゃんは。

 

 新学期はマコちゃんの行動に要注意って、ゴシップガールのカンが告げてるよ。信じるか信じないかはあなた次第~。そんじゃあねっ。


◇◆◇


「さーちゃん?」


 懐かしい声、懐かしい仇名だった。

 だからそれを耳にするなり体が一瞬固まり、その拍子にポストの口に差し入れた手から投函するべきかどうか迷っていた葉書は離れて四角いポストの中に納まった。

 水田に浮かぶ小島めいた鎮守の杜、その前を走る産業道路の向かいにはサランの地元では生命線でもあるコンビニがある。声はどうやら、道を挟んだそこからかけられた模様。


 無視すればできたのだが、相手がそれを許してくれなかった。


「さーちゃん、さーちゃんでしょー? おーい! 私のこと覚えてる~っ?」


 視線をそちらにむければ無邪気に手を振る元クラスメイトの姿があった。このあたりの中学生が赴く最寄りの都会にでも遊びに行った帰りなのか、潮田流羽華るうかは頑張りすぎないことに頑張るカジュアルな装いを身にまとっているというのに、サランはというと白猫キャラプリントのTシャツと半パンという部屋着丸出しの格好だった。おまけに足元はつっかけサンダルだ。

 どうしようもなく気を抜いた格好でいる時になぜ、久しく顔を合わせていない幼馴染なんてものに出くわすのか――! と悔やんでいる間に、流羽華は車の流れが絶えたタイミングを見計らって道路を堂々と小走りで横切りサランの元に駆け寄るのだった。これで逃げ出すのは不可能になった。


 流羽華は駆け寄り興奮で目を輝かせて、サランの手を取る。


「やっぱりさーちゃんだ……! 髪型変わったから一瞬焦っちゃったよ。ねえ、どうしたのその髪? 結構似合ってるけど」

「……ええと……」

「いつこっちに帰ってきたの? ていうか、去年も一昨年も帰ってきたの全然私に教えてくれなかったよね? 正直ちょっと寂しかったよ、さーちゃん!」

「……まあそれはその……」

「――ひょっとして私のこと、忘れちゃった? さーちゃん」


 忘れるわけがない。サランの記憶力はご町内限定ではあったが神童と呼ばれるレベル相応にある。それ以前に、一番古い付き合いの元友人のことを簡単に忘れてしまえるほど薄情でもないのだ。

 諦めてサランはため息を吐いた。


「元気そうだね、ルカちん。遊びに行った帰り?」

「うん。──山内さんとか平川さん達と」

「そっか。あの辺とまだ仲いいんだね。よかったよかった」


 流羽華は黙ってしまった。どうやらサランの言葉にある種の含みを感じ取ってしまったらしい。

 しまったな、と自分の失策に対して舌を打ちたくなると同時に、だからこの幼馴染とは極力顔を合わせないようにしていたのにという忌々しさが胸の中でせめぎ合う。

 ざわざわ、と稲田が敷き詰められた平野を駆け抜ける風が青い稲穂を渡る音と蜩のセッションを聞くともなしに聞きながら、二人はまっすぐな産業道路の歩道に沿って歩く。


「蜩っていいよね、夏って気がする」


 先に口火を切ったのは流羽華だった。サランがさっき葉書を投函したポストの奥にある社の森に棲まう蜩たちの大合唱は辺り一帯に響き渡る。


「だね。向こうでは聴きたくても聴けないから、なすすべもなく魂をゆさぶられちまうよう。やつらにはさ」


 それを受けてサランが応じると、幼馴染は安心したように笑った。


「そういう言い方、やっぱりさーちゃんだ。──安心した。太平洋校ってどう? やっぱり暑いの? 侵略者退治って怖い? 演劇部さんとかジャクリーンとかああいうスターと一緒の生活って緊張する? ワルキューレの友達できた? それから──」

「ちょ、ちょっと待って。そんないっぺんに答えられないようっ」


 気まずさを埋めるような矢継ぎ早の質問に、同じく気まずさを埋めるようにおどけた風に答えて、そのしっくりこない感じにサランと流羽華は違いに黙り合う。カナカナという蜩の声が沈黙を引き立てた。


「──ごめんね、さーちゃん」


 再度、口火を切ったのは流羽華だった。


「あの時、さーちゃんはうちのこと庇ってくれたのに私は何にもさーちゃんに返さなかった……」

「別に庇ったつもりなんかない。うちがシンプルにあいつらのことムカついただけだし。だから変に気に病んだりしないでほしい」


 しかし口ではそう言ってはみても、幼馴染の流羽華といると、気分が一瞬で小学校時の教室に引き戻され、ざわざわと胸が波立ってしまうのも認めがたい事実ではあった。

 きっかけは、本当にとるにたらない些細なことだ。流羽華が五年生の時から仲良くしだした同じグループの女子達に執拗にイジられだしたのだ。

 流羽華がひっそり想いを寄せている男子がそばを通ると意味ありげに目くばせしたり、告っちゃえば? 等と本人の気持ちを無視して勝手に盛り上がる。流羽華はそうされる度に恥ずかしそうに俯いたり、もうやめてよ……っと苦笑まじりに頼むのみで、案の定まったく効果がない。それどころか、クラスでも華やかな部類のその女子たちは一層盛り上がる。

 その空気を当の男子が察し、気まずさからか流羽華にわざと無視をしたり意地悪な口を叩いたり、幼稚なふるまいに出だす。流羽華は涙目になり、グループ内の女子たちは「潮田さんかわいそ~」なんてやりだす。


 そんな茶番に沸き返るクラス内の空気が限界に達し、サランはぼそっと呟いたのだった。あほくせえ、と。

 行儀のいい国民的名子役みたいな外見に反した、小さいながらにクラス一の秀才で偏屈な孤高の一匹オオカミとしての立場を築き上げていたサランのその声は、そのタイミングでおもいの他はっきり響き渡ってしまったのだった。


 その直後に流羽華をいじっていた女子たちが、すかさずサランに詰め寄ってきたのだ。鮫島さん、今のそれどういう意味? 

 あほくさいからあほくさいって言っただけだよう、などとサランが真正面から反論した結果、どうやらサランのことを前から快く思っていなかったらしい女子たちはサランを取り囲んで、やいのやいのと難癖をつけだす。ちょっとばかり勉強ができるからってうちらのことをバカにしてるとか、そのくせみんな力をあわせてがんばらなきゃいけない運動会の練習は平気でさぼる、何様だと思ってんの? とか、まあその程度のことだ。


 うるせえな、本当にこいつら面倒だなあ。このままいくと中学もこいつらと一緒になっちゃうし、受験勉強とかだるいけど親が勧める通りに県下一の進学校でも受験してみるかなあ……と、窓の外に広がる水田を眺めながら意識をさ迷わせているサランにダメージを与えるつもりだったのか、サランに詰め寄る一人が勝ち誇ったように言い放つ。


 ――そうやって誰より賢くて大人だって顔してるけど、あんたなんてうちらの中で一番ガキなんだからね! 六年にもなって誰も好きになったことがないくせに!

 ――本当に、鮫島さんって変なヤツ!



「……今思い出しても、意味不明過ぎてはらわた煮えくりかえる理屈だようっ……! なんで六年にもなって好きなヤツがいないだけで奇人変人認定されなきゃいけないんだっ」


 その声を浴びせかけられた瞬間、サランはリーダー格の女子の胸倉つかんですぐさま渾身の頭突きを見舞って床に沈めた。騒然とする取り巻き女子たちを肩幅に足を開いた仁王立ちで睥睨し、眼力で「自分に対して再びこのような舐めた口を叩くやつは同様の目に遭わせる!」と宣言するサランは、背の順で毎年最前列になる女子には似合わない威圧感を漲らせ、王者の風格でクラス内に瞬時に君臨したのだ。

 が、サランの叛乱はクラス担任によってあっけなく鎮圧された。その後、両親呼び出しの末厳重注意を受け、頭突きをくらわせた女子の家に謝罪に赴くという処分をくらうこととなる(ふてくされたサランに太平洋校受験の話が持ちかけられうっかりその気になってしまった後、今に至る)。


 筋の通らない因縁で侮辱されたのはうちだったのにこっちがどうして一方的に悪者扱いされてるのか納得いかない――……という、当時の純粋な怒りを身の内によみがえらせながら、サランはぶつぶつと怨嗟の声を吐いた。が、隣を歩く流羽華がじっとこっちを見ているので我に返った。

 サランも太平洋校に通って三年目になるのだ。流石に小学生だった時よりいくらかはマシな人間になっている所をこの幼馴染には見せておきたいというなけなしの見栄が働いた。部屋着とつっかけ姿だから余計に。


「というわけでさあ、あの時のあれはうちが本当に勝手にあいつらにムカついただけで、ルカちんが可哀想だから代わりに仕返ししたとかそういんじゃないよう。だからうちになんも返してないからって、変に気に病んだりする必要ないから」 

「――じゃあ、これもうちが勝手に気に病んでるだけだよ。本当はあの時、さーちゃんがあの人に頭突き食らわせてくれてスッとしたんだから。なのに関係ない顔しちゃったのが自分の中でずーっと許せなかっただけ」


 流羽華は自分の足元を見て、サンダルのつま先で小石を蹴り飛ばす。

 日暮の声はあたり一帯にしんしんと広まりようだった。

珍しいことに産業道路を走る車も現れず、まるでこの稲田で敷き詰められた平野が世界の中心で、幼馴染と二人世界に取り残されたようなそんな錯覚すらしてしまう。

 昔はそうだった。初めてできた遊び友達の流羽華と近所や校区内をかけまわり、こんな風に蜩を聞いたり、夕焼けを見たり、世界で流羽華と二人しかいないような感覚におちいることが度々あったのだ。


 蜩の雨の中で蘇る思い出に囚われることは、サランにくらくらと眩暈を引き起こす。なにせ、流羽華がサランではない別の友達を作って遊ぶようになっる五年生より以前のことなのだから。

 今更そんな感傷に満ちた思い出に囚われたことがひたすら恥ずかしくて、サランは頭を振った。


「そんなこと言う割に、今でもあいつらと付き合ってるみたいじゃん。山内さんと平川さんってあんときのグループのメンバーじゃなかった?」

「そうだけど、今でも付き合いがあるのはその二人だけだよ。いい子たちなんだから。偶にはさーちゃんのこと喋ってるんだよ? 元気かな、何してるのかなって――」

「――あんまり気にかけなくてもいいよう――」


 サランの最後の呟きは流羽華には聞き取れなかったようで「ん、何?」と小さく問い返した。それをサランはあいまいに笑っていなす。どうやら流羽華たちは幸い、『ハーレムリポート』のことも知らなければ『ヴァルハラ通信』も読んでいないらしい。サランはそのことに安堵する。

 安堵したのは流羽華の方も同じだったようで、隣で緊張が解けたような笑顔を浮かべていた。それと同時に張り詰めたよそよそしい空気も溶けてゆく。


「――よかった。パッと見は変わったけど、やっぱり根っこは昔のさーちゃんだ」

「? どういう意味だよう」

「こんな辺鄙な町からワルキューレになんかなっちゃって、近寄りがたくなっちゃったなあ。もう遠い世界の人なんだな……って思ってたけど、子供っぽいキャラもののTシャツ着て平気でウロウロしてるし、相変わらず偏屈だし、思い切って話しかけたら私の知ってるさーちゃんのまんまだった。太平洋校でも気に入らないことがあったらワルキューレ相手に頭突き食らわせてそう」

「――そんなこと流石に……」


 あるわけない、と言えないのが苦しい所だった。流羽華は愉快そうに笑いながらサランの傍をぴょんぴょんと飛び跳ねるような足取りで回り込み、顔をのぞき込む。


「あ、そういえばさ。さーちゃんの学校には例のナントカくんっていう男子ワルキューレがいるんでしょ? どうなの、その子。格好いい?」

「いや、この辺にいそうなフッツーのしょうもないやつだよ」

「あはは、そういうキツイ言い方、相変わらずだ。懐かしい」


 はしゃぐ流羽華につられてサランもヒヒヒ~と笑ううち、胸の中の強張りが溶けてゆく。

 この幼馴染は、自分にとってはもう隣り合った席に座り駅から駅の間ほんのすこしおしゃべりを楽しんだ行きずりの旅人のようなものに代わってしまったのだろう……と漠然と思い込んでいたものが、温まって溶けて流れてゆく。


 これだけでも今回、帰省した甲斐があったなとサランが素直な心持になった時、稲穂を倒す勢いで突風が吹き抜ける。ざわっ、と強い風にあおられて流羽華が小さく悲鳴をあげながらよろめいた。


「……何、今の? すごい風だったね」

「――うん」


 くしゃくしゃになった髪をサランも直しながら、風が通り過ぎてゆく方向をサランは見送った。稲穂の波が平野の果てへ向けて遠ざかってゆく。それを見送るサラン足が停まった。

 

 突風のあと、ぱったりと風は止む。風だけではない、さっきまで平野中に響き渡った蜩の鳴き声まで止んでいる。痛いほどの耳鳴りがサランに異変を告げていた。

 不自然な静けさ、不自然に凪いだ空気。時間の流れすら停まってしまったようなこの感覚。サランのような低レアワルキューレの脳ですら、それをある予兆として受け取る。

 とっさにサランは流羽華の手首を左手で掴み、元来た道を走って引き返す。


「? どうしたのさーちゃんっ」

「さっきの神社まで戻るよっ!」


 えっ、何、どうして――? という流羽華の当然の戸惑いを打ち消すように、右手のリングからけたたましいベルの音が響き渡った。その音があまりに大きくやかましいので、走りながら流羽華が悲鳴をあげた程だ。

 サランも初めて聞く緊急警報の音に驚きながら、右手を振った。目の前に白猫のコンシェルジュキャラクターが現れる。いつもは舌ったらずな幼女のキャラクター設定を遵守してしゃべるキャラクターは、デフォルトのオペレーターめいた声で事務的に告げる。


 ――大型次元振動、感知しました。今から一分から三十秒後に侵略者が此界へ顕現します。当地にいるワルキューレは至急迎撃準備を始めましょう。


「了解っ!」


 え、ちょっと何今のどういうことさーちゃん! と、サランに引っ張られながら走る流羽華への説明を後回しにして、サランは白猫の後ろに浮かぶ無数のアイコンのうちから眩しく明滅する「転送」の文字を拳で殴りつけるようにタップする。

 その右手から細かな粒子が現れてサランの全身を包んでゆく。ものの数秒で、サランの姿はセーラー服とスクール水着を組み合わせたようなあの忌々しい兵装姿に変わった。ここは特殊戦闘地域ではないので兵装の転送が可能なのだ。

 目の前で幼馴染の着衣が変化する現象を目の当たりにして目を丸くしている流羽華をサランは抱き上げる。忌々しい兵装だが、これを着ていると身体能力を数倍にあげてくれるのだから緊急時に文句は言っていられない。人命保護はワルキューレが最優先事項だ。


「へ、変身ッ! さーちゃん変身したの今⁉ すごい、ワルキューレっぽい!」

「正確にはちょっと違うけどね!」

「でもその服——言っちゃなんだけどすごく変だし恥ずかしいよ? どうして太平洋校のワルキューレは欧州校のワルキューレみたいにお洒落な格好になれないの?」

「頼むから今度それをウチの学校に意見してやってよお~! 生徒の人権剥奪するかのような兵装はどうかと思うって」


 流羽華を抱き上げた状態でサランは鎮守の社に向けてダッシュを始める。打って変わった猛スピードに流羽華がサランの首にかじりついた時。


 ずうん、と、どこかで地面が静かに鳴り、震えた。そろそろ予告された侵略者の顕現時間だ、サランは走りながらあたりを見回す。前方には侵略者の姿は無い。

 が、何あれ! と、サランの首に抱き着いた流羽華が裏返った声を出した。

 

「ほら、あそこ、さーちゃん!」


 身を乗り出して流羽華がサランの肩越しに何かを指さすので、走りながら振り向いた。そして思わず、げえっ、と声を出す。


 産業道路の数百メートル後方、円柱状に歪んだ空間が歪んでいるのが見えた。陽炎か、蜃気楼か、そう思ったのも束の間。そこに次第に色がつき透明感が失われ見る間に色がついてゆく。赤黒い鋼で出来た歪な形の円柱を思わせるそれはすうっと上空へ持ちあがってゆく。円柱の根本には全体的に平べったい小山のような底がついていた。大きすぎてあまりピンと来なかったが、先が五つにわかれたそれは人間の脚をつま先側から見た姿によく似ている。ただしその親指だけで大き目のトラックくらいはあった。

 すうっと持ちあがったその巨大すぎる足は、サランたちを余裕でまたいだ。巨大な人間の足の裏が雲の下を横切る。形状からして右足だ。そして、数百メートル前方に降りてゆく。そこはサランが向かおうとしていた社と流羽華がいたコンビニのそばだ。二人の目には巨大なかかととくるぶし、アキレス腱とそれにつらなるふくらはぎが見える。ちょっとしたビルほどもある人間の足がゆっくり地面におろされる。


 サランは進路を変えた。舗装された歩道を垂直に曲がり、あぜ道へ飛び込む。


 ずうんっ、と地面が震え、衝撃で社の杜の木々が揺れた。そこをねぐらにするつもりだた野鳥たちが一斉に飛び立つ。向かいのコンビニのガラスが砕け散る音が聞こえた。


「な……何あれ……っ?」

「侵略者だようっ!」


 遠ざかる巨大な右足を見送りながら、流羽華がサランの首にかじりついたまま呆然と呟くがサランにはのんびりしている暇はなかった。産業道路をたどって巨大な右足が向かう先には、管理水田が殆どをしめるこの平野の中心地があるのだ。行政、商業の中心部だ。

 あの大きさ、速度、計算するまでもない。ものの十数分であの脚はこの街の中心にたどり着く。ぼんやりしていれば大惨事だ。

 右足があるということは左足もおそらく在る。その上にある胴体も腕も頭もあるはずだ。右足以外の部分はまだ次元の向こうにあるのか膝あたりまで顕現していないがじわじわとゆっくり膝がしらのあたりが見え始めている。

 膝だけで五階建てビルに相当する高さがある侵略者が全身をこの世界に顕した場足の人的被害に経済的損失は右足一本の時より深刻なことになることはわざわざ考える間でもない。


 ルカちん、ごめん! と謝ってサランは乱暴に流羽華を地べたに下ろすと右手を振って、地元市役所への通話アイコンをを押してから保留音が流れている間に、市のサイトを表示する。ようこそ日の本の米蔵へ――と牧歌的でのんきな観光客むけの呼びかけが腹立たしいトップページを焦る気持ちでくまなく探し、目立たないようにデザインされていた「緊急」のアイコンを見つけて舌打ちまじりに殴りつけた。

 

 するとトップページ全体に、この命令は市民の生命財産を危うくする時でなければ実行はできないし市長もしくはワルキューレの権限をもつ者以外がこの命令を実行すると刑事処罰の対象に云々――といった警告文が表示される。


「だからそのワルキューレだっつってんだよう!」


 まだ保留音が鳴り続けることにいらだって、サランは警告文をなぐりつけると、数秒間を置いてあたり一帯から女の悲鳴を思わせるサイレンがなり響いた。平野の中にある小さな、それでいて無数にある集落から次々となりだす金切り声じみたサイレンの大合唱に、流羽華は不安になったのかサランの体に身を寄せた。


「い、今のさーちゃんがやったの……?」

「ああうん緊急時だしねっ」


 ――ただいま侵略者が出現しました。皆さん、指示に従って速やかに避難を初めてください。

 ――ただいま侵略者が出現しました。皆さん、指示に従って速やかに非難を始めてください。


 サイレンに続いて避難誘導のアナウンスも平野一帯に流れ出す。警察と消防、自衛隊へは緊急時アイコンをタップした段階で通報されている筈だからいいとして、問題はまだ出てこない市の偉いさんだ。

 いらいらしているとようやく保留音が鳴り終わり、壮年らしい男の声が聞こえる。


『はいもしもしぃ?』


 とはいうが、誰かが緊急避難指示命令を自分をさしおいて勝手に発令したこの糞忙しい時期に――と続けそうな不機嫌な声を無視してサランは一方的にまくしたてる。


「どうもお世話になってます、そちらのご推薦で太平洋校に入学した鮫島ってワルキューレですけど東部新田新道沿いで侵略者の接近、遭遇致しましたので手っ取り早く緊急避難指示を出させていただきました。なおあともう少しで侵略者は市中心部に到達します。こちらは他ワルキューレに応援を頼みますので市長さんは消防・警察・自衛隊と連携して住民の皆さんの避難誘導に当たって下さい。あとあんな目立たないとこに緊急アイコン設置しないでくださいっ! お陰で数秒ロスしましたんで!」


 早口でまくしたてながらサランは今、旧日本に帰っている筈の太平洋校ワルキューレの連絡先一覧を表示する。緊急避難指示命令が出た段階で近在にいる予備役ワルキューレには出撃要請が発令されたはずだが、あの大きさをみたサランは不安で仕方がなかった。あの大きさだと間違いなく侵略者のタイプは甲種だ。上級から特級ワルキューレが最低でも二から三人はいないと対処できない。


 サランが今直接連絡がとれる特級ワルキューレが一人いる、その相手への通話ボタンおすと、即座に彼女は返事を寄越した。サランの目の前にリアルなリスの姿をしたコンシェルジュキャラクターが現れる。


『はいもしもし三河です~。どうしたの鮫島さん? 今何してる~?』


 ミカワカグラの故郷はサランの故郷からやや離れている。お陰で侵略者の出現情報が伝わっていないのだろう。やたらのんびりした声が帰ってきた。


『あ、そうだちょうどよかった。今からしゃべってもいいかなぁ。あのね、実は私……』


 ああもう! と気を急かしながらサランは叫んだ。


「悪いけどそんな時間無いから! 詳細はそっちで調べて欲しいんだけどうちの地元にちょっとヤバめの侵略者が出たんで応援に来て欲しいんだけど! 」

『……え? 侵略者? どれくらいの?』

「目視と被害状況からみて甲種相当なのは間違いないようっ。特級から上級がいないと太刀打ちできない。でもってざっと調べた感じここら辺の予備役ワルキューレにそんな上等なのいないっ」

『もおおおおっ、どうしてこんな時に、侵略者ってばああっ! せっかく合コンに誘ってもらえたのにぃぃぃぃっ! 初合コンだったのにぃぃぃぃっ!』


 リスのコンシェルジュキャラクターはミカワカグラの声で叫んだ。どうやらカグラは楽しい帰省を過ごしていたようだなとサランは思わず呆れてしまいかけるが、鳴り響くサイレンと非難を指示するアナウンス、そして定期的にずうん、と地面をゆるがす地響きに気をひきしめる。キャラ変したカグラの順応の速さにあっけにとられるのは後でよいのだ。


「休んでるところ悪いけどごめん! 大至急飛んできてっ」

『了解しました。仕方ないなあもうっ』


 盛大にぼやきながらではあってもカグラは腐っても特級ワルキューレだった、口調をきびきびとしたものに変えるとサランへ告げる。


『私の現在地から鮫島さんの街までどれだけ急いでも数分かかるから。それまでは皆さんでもたせて! そこからは何とかする!』

「了解っ!」

 

 ぱっと宙返りをしてリスのコンシェルジュキャラクターは消えた。そのあとサランは再度、流羽華を担ぎ上げて車道に出る。

 平野の中心地から伸びてゆく碁盤を思わせる遠くの道路には車の列ができ始めているのが確認できた。どれも中心地あたりから慌てたように平野のはずれへと逃れてゆく車ばかりだろう。しかし流羽華をかついだサランが走る目の前の車道には車の影はない。理由はすぐにわかった。コンビニのそばでアスファルトが粉々にひび割れた箇所があったのだ。先ほどあの巨大な右足に踏み割られた箇所だと容易に分かる。

 ずうん、ずうん、と足音が平野中に轟く。見れば右腿の半分あたりまで侵略者は実体化しながら農林水産省の支部や市役所、ちょっとした商業施設などが立ち並ぶビル群に足は向かう。まるで積み上げた積み木を面白半分に蹴り倒そうとする子供の足を思わせるような、どことな無邪気で鷹揚な足取りにサランには見えた。

 橙色の混じりだした夕暮れ近くのそらを切り裂いていくつもの影が侵略者の傍に飛来する。おそらく予備役のワルキューレが到着したのだ。サランは右手を振って彼女らの通話グループに参加しながら、社に到着し、さっき葉書を投函したばかりのポストの傍を通り抜けて鳥居をくぐり参道をまっすぐ走る。


 青い葉を茂らせた古木にこんもり覆われたこの社は、昔からある地域の氏神で鎮守の社だ。管理水田が作られ、百年前から地形や集落の形は随分変えられてしまったがそれでもこの社は昔からここにあった筈だ。


「い、いいのっ? さーちゃんは侵略者退治に行かなくても……っ!」

「ワルキューレの最優先項目は人命と財産の保護っ、侵略者殲滅はその後! まずはルカちんを安全な場所に運ぶのが先っ」


 サランは神楽殿に流羽華を降ろすと、右手を振ってワンドの格納庫を開ける。ぐいっと右手を突っ込んでワンドを取り出すと、栞を一枚取り出して念を込めた。それをこの事態についていくのが精いっぱいであろう流羽華に手渡す。


「これ、もってて!」

「?」

「盾になってくれるから、絶対その栞を手放ないで! あと絶対迎えにいくからこのお社からも離れないこと! 昔から信仰されてる場所ってワンドと相性がいいから力を何割か引き出してくれるんだ、だから他の場所よりここの方がぶっちゃけ安心だし!」

「……あ、ああ、これ、ワンドなんだ……。へぇ、これが……」


 手渡された栞を見て流羽華は信じられないような面持ちでしげしげと見つめる。気持ちは分かるが構っていられない。じゃあ行ってくるから、と流羽華に言い残してサランは参道を駆け戻る。 


 そして、絶句した。


「……げ」


 稲田の向こうのビル群傍まで到達した侵略者だが、右足の腿の付け根あたりまで顕現している。

 それどころか視界をこらすと、左足らしきものも出現しはじめそのあたりの空間が妙に撓んでいる。予備役ワルキューレたちがおのおののワンドをを振って侵略者の行動を抑えようとしており、右足の表面でときおり電光や爆発による光が炸裂しているのが見えたが、あまり効果を発揮していないのは通話の緊迫したやりとりからもよくわかる。


『効かない! やっぱり倒すのは無理ですよ!』

『とにかく中心部に進ませないようにはしないと……!』

『わかってるけれど、でもこれ以上稲田を踏み荒らしたら面倒なことになっちゃいますよぉ!』

『だったらどうしろって言うのよ!』


 予備役ワルキューレ達もあせって感情をむき出しにしている。このあたり一帯は統計からも侵略者の出現確立が著しく低い場所だとされていたこともあり、予備役ワルキューレの練度は高くない。聞いていられなくなって、サランは叫ぶ。


「すみません遅くなりました。今回緊急避難指示令を出しました、太平洋校初等部三年鮫島砂蘭です。現在特級ワルキューレに応援を頼んでいますが到着まで数分かかります。うちらでそれまでなんとかもたせましょう! とりあえず左足がまだでてこないうち……」


 ずしいん……、とひときわ大きい地響きが平野全体に轟いた。サランのはるか先の市内中心部ににょっきり生えた右足の傍に、休息に色づき形を成し始める左足が見え出す。


『遅かったわね。左足が出てきちゃったんだけど』

「見ればわかるよう!」


 走りながらサランは叫んだ。予備役ワルキューレはサランにとって先輩にあたる存在でもあるが、敬語を忘れてしまう。その直後だった。

 

 通信に、ぷっ、と噴き出す笑い声が混ざったのだ。不測の事態に慌てる予備役ワルキューレらしくない、余裕とからかいに満ちた音声だ。そのあと、あはははは……とどこまでも陽気な笑い声がからからと響いたのだから余計にそれは浮き上がる。

 そしてその笑い声は、サランの神経を、個人的にピリピリと刺激した。この人をコバカにしまくった笑い声は反射的にサランを不愉快にさせるのだ。


『何今のミノ子、さっきのツッコミあんたにしてはいいタイミング過ぎー!』


 けらけらけら、と通話を阻害する勢いで笑い声はサランをからかう。そして、サランのことを「ミノ子」呼ばわりする人間はこの世に一人しかいない。

 

 どうしてあいつがこのグループの中にいる……! という腹立ちと疑問がサランの現状を迷わせた。平野の中心部で暴れまわろうとする侵略者のことすら頭から飛び去ってしまう。予備役ワルキューレたちも、突然割り込んできた笑い声に戸惑い、攻撃を忘れているようだ。今の何、妨害? 誰? とヒソヒソとやりだす予備役ワルキューレを挑発するように、笑い声の主は攻撃的な声をだす。


『すいませーん、先輩方~。ぼーっとしてないでワルキューレ退治の手とめないでほしいんですけど~? ぼんやりしてると、先輩方お困りになっちゃうんじゃないですかー? こういう田舎だとショボいモール一つでも侵略者に踏みつぶされて粉みじんになっちゃったりしたら遊ぶ場所なくなってヤバいんじゃないですかー?』


 サランの耳には、カチーン、という音が聞こえる思いがした。通信に割り込んできた無礼なアイツは、田舎者コンプレックスを少なからず抱えているこのあたり一帯の予備役ワルキューレの感情を的確にエグったのだ。

 うっさいし、あんたに言われなくたってやってやるし、ていうか急に割り込んできてあんた誰よ! さっき呼び出したっていう特級の子? と通信の向こうで予備役ワルキューレたちが次々に姦しく叫びだし、各々のワンドをふるいだす。ふたたび侵略者の巨大な足は爆炎や電撃に包まれた。


 それを見ながらサランはつい呟く。あの腹の立つ女の名前を漏らしている。


「――撞木のヤツ……っ!」

「呼んだ? ミノムシミノ子」


 あまりに衝撃が大きかったせいで、声すら出ない。ただ、サランは息を吸い込む。

 そして、声が降ってきた頭上を、首を傾けて見上げた。


 居た。

 サランの神経に触って仕方のないあの不良ワルキューレが、そこに。


 相変わらずの茶髪のシャギーに限界まで短くしたスカートにだるんだるんのルーズソックスという90年代ギャルスタイルで、何故か魔女よろしく竹ボウキに横座りして宙に浮かんでいるシモクツチカがそこにいたのだ。

 九十九市を拠点にしているはずのツチカがどうしてここに、しかも竹ボウキにのってここにいるのかと、サランの思考はなかなか現状に追いつかないがそれでもツチカへの敵意が作動してなんとか気持ちは妙な状況にくらいつく。


「やっほー、ミノ子。あんたの地元ってこんなとこだったんだ。あんた初めて見た時からこいつ田舎で美味しい空気吸って甘い水飲んでホタルの幼虫みたいにのびのび育ったんだろうなーとは思ってたんだけど、何ここ、予想以上の田舎じゃん。そっこらじゅう田んぼばっかりとか超ウケる」

「ううう、うるせえなっ、田んぼバカにするなよう! ここの管理水田があるおかげで旧日本はこのご時世に白米の完全自給が達成出来てんだぞうっ!」


 竹ボウキの上でルーズソックスの足をくんでは余裕気にぷらぷらさせるツチカを前に、普段意識もしないサランの郷土愛が爆発したが、すぐにそんな場合ではないと頭が切り替わる。それはツチカが珍しく、真剣な表情をしているせいでもあった。

 手慣れた様子でホウキの柄を傾けて、サランの目の前まで降下すると後ろに乗る様に顎で示した。

 癪ではあるが、サランは竹ボウキの後ろに跨る。


「じゃあ行くよっ」

 

 ツチカは多くを説明せず、サランに声をかけるとホウキを上昇させる。ある程度の高さにまで達すると、そこからぐんっと一気に加速させた。絶叫マシンを思わせる乱暴なその速度にサランは振り落とされそうになるが必死に柄を握りしめてスピードと風圧に耐える。

 ツチカの暴走運転のおかげで二人は侵略者の傍まで一気に到達する。すでに疲労困憊している予備役ワルキューレのお姉さんたちの前で、ツチカがホウキの柄の上で足を組みながらシャギーの髪をふってなびかせ、思いっきり尊大に胸をはって名乗りを上げた。


「どうもー、流浪の名無しワルキューレでーす。甲種とはいえ全体顕現してない侵略者相手に何人かかっても苦戦中の先輩方見かねて参上つかまつりましたー」


 ライフル、ボウガン、剣に杖など、ワンドを抱えて飛行ユニットで宙に浮かぶ予備役ワルキューレたちは、突然乱入してきた二千年紀ミレニアムギャルスタイルのワルキューレの出現に気色ばむ。

 これはヤバい、と空気を察してサランはツチカの背後から何とか挙手する。しかし、ホウキの高速移動に振り回された後でサランはまともにしゃべれない。


「す……すみませ……っ、先ほど連絡した……っ、太平洋校初等部三年の鮫島……」

「じゃあこの子がさっき言った特級の子なのっ?」


 サランの傍にいたゲームキャラのような大きな剣を抱えたワルキューレがボロボロのサランにつっかかる。


「さっきうちらの会話に割り込んできたのもこの子だったよね? なんなのこの糞生意気な子っ?」


 いやこいつは本当に糞生意気で腹の立つ女だけど――と、喉がひりついて何も言えないサランに代わってツチカはてきぱきと行動を開始する。


「ですからさっき言いましたよね? 流浪の名無しワルキューレだって。ちゃんと聞いといてくんなきゃ困るし、それにここでそんなおしゃべりしてる時間もないんじゃないですか? あーほら、民家数軒つぶしちゃってるし」


 確かに侵略者の足がみしみしとと霜柱を踏んで壊すように住宅数軒を踏みにじっていた。げっ、とワルキューレ達の顔が青くなる。

 あの家の人、侵略者保険とか入ってたらいいんですけどー……と火に油を注ぐようなことを呟きながら、ツチカはサランの方をふりむいて尋ねた。


「ミノ子、あんたが呼んだ特級の子って珠里?」

「は? 鰐淵はまだ上級だし、そもそも呼べるわけないだろ? あいつは毎年帰省はしないんだから」


 ワニブチが帰省しない理由はお前が一番知ってる癖に――とサランが続けようとしたのを封じるように、ああそうだったそうだった、珍しく動揺したようにツチカが大声で言ってからサランへ向けて手を付きだした。


「ん」

「んって、なんだようその手――」

「あんたのワンド、貸せって言ってんの。察しが悪いなー、相変わらず」


 あからさまに話題を変えるその口ぶりにむかっ腹をたてながら、サランは反射的に言い返す。


「なんでお前に貸さなきゃいけないんだようっ。大体お前にうちのワンドは使えない――」

 

 細く整えた眉間に皴を寄せて忌々しそうにツチカは舌を打った。


「本当に察しが悪いな、いいから貸せっつってんの! あんたにあたし直々ワンドの使い方を教えてやるって言ってるっつーのに。あーもう面倒くさいっ!」


 ツチカはホウキの柄から手を離し、サランが抱えていた栞と本をひったくる。抗議の声を上げようにもワンドを奪い取られた拍子に竹ボウキからずり落ちそうになり必死に両手で柄を掴んで墜落しないように必死に耐える。

 そんなサランの状態を無視して、右手に栞を持ち左手でぱらららっと本を捲ると適当なページで本を開いた。その間、ツチカは宙に浮かぶホウキの上でつま先を上下に振りながらあいかわらず生意気な口調で人の神経を煽りに煽る。


「ミノ子はどうせ本ばっか読んでてゲームで遊んだことが無い、知識先行型の頭でっかちちゃんだったんでしょ? だから自分のワンドの特性気づけてないんだよっ。いいっ? こういうモンスター図鑑みたいなワンドはさあっ、こうして――っ」


 右手にもった栞の一枚で、開いたページを一撫でする。するとぼんやりと栞が発光した。それはサランのワンドである栞と本がツチカの念を受けたという合図でもある。サランは目を瞠る。普通はワンドは原則、持ち主にしか使用できない筈なのに――。それにあわせて、ツチカの茶髪が根本から変色してゆく。銀色にちらちらと輝く白い髪に。

 サランの驚きも、髪の変色にも頓着せず、ツチカは発光した栞を指の間で挟んで地上に向けて投げ打った。


「こう使うに決まってんじゃんっ!」


 栞は地上に到達するまでに大きく膨らみ、質量を伴って実体化した。ずうううんっ、と地響きを伴い着地したそれは、サランがいつか大陸の砂漠でミナコと共に遭遇した巨大な蠍型の侵略者に他ならない。蠍型のワルキューレは尾を振り立てて、ひとしきり住宅地域を踏みにじったあと小さな商業ビルを蹴倒そうとしていた巨大な足の裏を一刺しする。

 それは侵略者にとっては相当痛いものだったのか、どすん、ばたん、と乱れたテンポでそのあたり一帯で激しく足踏みを始めた。まだこの世界に顕れていない上半身が悲鳴を発したのか、空気がびりびりと強烈に震える。それが突風となって平野一帯を駆け抜ける。


 侵略者の足はサランのワンドが変化した巨大さそりを踏みつぶそうと足の向きを変える。蠍は稲田に向きを変えてすばしこく移動を始めていたのだ。青い稲穂の海を泳ぐように蠍は移動する。


「よーしよし、ハイ、これで中心街の財産と生命は概ね護られたってわけで、任務ほぼ達成。ちょろすぎー」

 

 唖然とした予備役ワルキューレたちの視線をものともせずツチカはサランに本を返した。が、サランはそれを受け取る前に我に返って食って掛かっていた。


「バカかっ、ここの田んぼ一帯は自治政府が管理してんだぞっ! いくら侵略者退治のためつっても下手な損害出したらワルキューレだって大目玉くらって賠償する羽目になるんだっ!」

「っはぁ? そんなビンボくさい理由があって先輩方も本気ださなかったって訳? あーもうだっさ。人命よりお米が大事ってあんたら江戸時代の水呑百姓かよ、この二十一世紀末に慶安の御触書に縛られてるとか超笑えんだけど?」

「なんとでも言えっ、大体明日食う米が無くなったらみんな困るだろうがっ!」

「困りませーん、あたしパン党だし」

「米党の人間のことを考えろおっ、そもそもお米一粒には七人の神様がいてだだなぁっ……!」

「うっわ、何それミノ子。あんた今時おばあちゃんでもそういうこと言わないんですけど」


 そうこうしているうちに巨大蠍は青々とした稲田に一本の筋を引きながら移動し、両脚が腿あたりまで顕した侵略者がどすんどすんと駆け足で踏みつぶそうとおいかける。秋がきて収穫を待つばかりの稲田が踏み荒らされる光景に、サラン含むこのあたり一帯で育った予備役ワルキューレの顔が青く染まった。


 度重なる侵略者の襲撃にあっても、そして万が一人間同士で戦争を始めることがあっても、旧日本国民が飢えることが無いよう自治政府のキモ入りで作られたこの管理水田の大切さをこの地域一帯で育った子供たちには幼い頃からみっちりと、半ば洗脳じみた執拗さで教え込まれていたのだった。偏屈な子供のサランにとってもその教えは絶対なのである。飢えは侵略者より忌むべき敵であり、田を荒らすのは大罪なのである。


 やっちまった――、と顔面蒼白になるサランの耳に届いた救いの声が金縛りを解いた。


「あの……鮫島さん? 三河神楽、到着したけど?」

「っ⁉ 三河さんっ!」


 振り向くと、妖精の羽根を思わせる飛行ユニットを背中に装着したミカワカグラがその場にふわふわと浮かんでたたずんでいた。水色のワンピースに白いエプロンを組み合わせた上に、黒と白の縞々のソックスにストラップシューズという童話から抜け出したようなメルヘンでサランのそれとはまるで違いすぎる兵装姿で、カグラは竹ボウキに座っている二人を不思議そうに見つめる。手には一メートルほどある金色の大きな鍵を握りしめていた。これがカグラのワンドだ。

 カグラの目は大きく見開かれたまま髪を白く変色させたツチカに据えられていたが、サランは構わず手を差し伸べた。


「ありがとう、助かったよう。ミカワさーん!」

「ちょうどよかった。あんたのワンド、次元干渉系のやつだよね?」


 突然現れたミカワカグラに全く動じることなく、ツチカは当たり前の顔をしてカグラに尋ねる。というよりも詰問する。

 有無を言わさないツチカの迫力に、カグラの瞳がキャラクターを変更する八月上旬時のように自信なさそうにおどおどとまたたいた。キャラ変に順応したように見えてまだ馴染みきってはないらしい。


「え、ええっとあの、そ、そうですけど……っ」

「んじゃあ、ちゃっちゃと外世界にあのデカイ両脚追い返してほしいんだけど? できるよね?」

「で、ででっできますっ! やりますっ! やってきます!」


 我に返ったらしいミカワカグラは大きく何度も頷くと、背中の半透明な羽根を動かしてついっと空を滑空し、侵略者の進行方向の前に躍り出た。

 そして手にした鍵を、えいっ、とばかりに宙へ突き刺す。

 

 童話に登場する女の子じみた外見に相応しい迫力に欠ける仕草に反して、鍵を刺したカグラを中心に空中に様々な光線が走り幾何学文様を高速で描きだす。半径十数メートルに及ぶ円を基とした紋様が描きあがると、ゆっくり力を込めてカグラは鍵を両腕で回す。


 ぎいい……っ。


 さび付いた門が動くような音をたてて空間が軋んだ。そしてカグラが描いた円の中の風景が一変する。宇宙を思わせる真っ暗な空間が口を開けたのだ。それを確認と飛行ユニットを素早く羽ばたかせて円の真上へ移動する。しかし侵略者の両脚は急には停まれなかったのかそのまま真っ暗な円の中へつま先から吸い込まれた。

 右足から、左足。するするしゅるんと、二本の足ともいともあっけなく吸い込まれる。

 それを確認すると、再びもと居た位置に戻ったカグラは再び、えいっとばかりに鍵を突き刺してゆっくり反対向きに鍵を回した。再び、ぎいい……っと軋む音をたてて、次元の扉が閉まる。宙に浮かび上がった幾何学文様はそのまま解けるように消えた。


 あとに残されたのはサランの栞が変化した巨大蠍だ。それも平然といた顔つきのツチカが右手の中指と人差し指をたてると元の栞に戻る。

 そして、ひゅんっと宙をとんで指の間に収まった。ツチカはいたって何でもない表情と態度を崩さず、本に栞を挟んでサランに返す。


「はい、終了~。――あの子腐っても特級だね、あんたとは大違い」


 余計な一言込みで、無言でサランはそれを受け取った。


 終了~、の宣言通り、侵略者は次元にある外世界へと吸い込まれた。一呼吸置いた平野の上空は静寂に包まれる。足元を見下ろせば救急車や消防車のサイレンで騒々しく、侵略者たちが踏みつ潰した民家や踏み荒らした稲田の被害も確認しなければならないが、それでも危機の大元が去ったことは確かだ。


 ゆるゆると自然に風が吹いた。痛いほどの耳鳴りも止んでいる。


「あの、終わりましたけど……」


 また気弱な少女に戻ったカグラがサランではなくツチカの前に現れておどおどとした視線を向けた。竹ボウキの上で足を組み、両手をついてややふんぞり返ったツチカはかつての同級生におびえたような視線をむけられても全く臆しない。


「三河さん、だったよね? あんたの友達にはよく突っかかられたけど直接しゃべるのは初めてか。久しぶり~。――あたしのこと、覚えてる?」

「――え、ええと……。撞木、さん」


 そう言ってから、カグラは視線をサランへ向ける。どうしてこの人がここにいるのか、どうして髪が白いのか、思念を介してサランに問いかける。

 

「正解~。まともに学校にいなかったやつのことを覚えてくれたんだ。ありがとうね。んじゃあ――」


 どん、と背中を押されたサランは当然、一瞬、自由落下の恐怖を味わう。素早く反応してくれたカグラが数メートル下でサランを受け止めてくれなければ間違いなく稲田の上にぺったりつぶれたワルキューレになっていた。


「なっ、なななっ……っ、撞木、お前こら何を――っ!」

「あはは、ごめんねー、ミノ子~」


 竹ボウキに横に座ったツチカを、カグラに抱き留められた状態で見上げながらサランは口をパクパクさせる。今のは本気で恐ろしかったのだ、カグラの反応が一瞬でも遅れるとサランの命はは無かったのだから。

 なのにツチカは一切悪びれもせず、竹ボウキに乗ったままぐんと上昇する。


「侵略者退治も済んだしさー、あたしそろそろ帰らなきゃななんないんだよね。このワンドも借り物だしー。んじゃあ、学校に帰ったら珠里によろしく言っといてー。……あ、そうだ」


 そのままくるっと方向を変えて、ツチカは人をコバカにする時に見せる意地の悪い笑みを浮かべて言い放った。


「あんたどんな髪形にしても相変わらずミノムシっぽいよね、ほんとに」


 んじゃねー、西の空が赤く染まりだした夕空を切ってツチカは来た時と同じように一方的に飛び去った。サランがようやくホウキから突き落とされそうになった怒りを言葉に乗せて吐き出せそうになった時には西の空の輝く星になってる。


「……ミノムシっぽいてどういう意味だよう……っっ!」


 カグラの腕の中でサランはギリギリと歯噛みをして、西の空に向けて拳を振りあげる。お前なんか大嫌いだからなあっ! と叫んでやりたい気持ちで胸が煮えたぎっていたが、すんでのところでその衝動は抑えた。


 何を思ってやってきたのかは分からないが、ツチカがいたことでゼロではないにしても少々の被害で侵略者を駆除できたのは疑いのない事実だ。低レアのサランと練度の足りないこのあたりの予備役ワルキューレ達だけではきっとここまでスムーズに侵略者を駆除できてはいない。カグラがやってくるまでに、市の中心域が踏み壊されていた可能性は高い。


 それになにより、サラン自身も知らなかったワンドの機能を目の前で使いこなされたことに自分でも驚くほどのショックを受けていたのだ。ワルキューレとしての使命に不熱心で、兵装をもうちょっとマシな程度のものに変えたいからレベルを上げたい程度の意識しかなかったサランなのに、この世で一番嫌いだし人格も思想も何もかも認められない女にやすやすと自分の武器を使いこなされたことが、悔しくて不甲斐なくてたまらなかった。


 何より、人を上空数十メートルから突き落とすようなふざけた女は、この街を救うのに大きな働きを示したのは動かしがたい事実なのだ。

 生意気で傲慢で人を人とも思わない女のくせに、ワルキューレとしては間違いなくトップの資質を持つ少女なのだ、相も変わらずシモクツチカは。


「ねえ、ちょっと。あの子って何者――? 明らかに普通のワルキューレじゃないよね?」

「本人が言ってた通り、名無しで流浪の不良ワルキューレですようっ」


 一件落着したお陰で三々五々帰路につく予備役ワルキューレ達のうち一人が残って尋ねたが、怒りで鼻息のあらいサランは詳しい説明を避けた。二年前に太平洋校を不品行により退学になったワルキューレのスキャンダルは外の世界では何者かによってもみ消されている。一から説明するのは面倒だ。

 サランの怒りと不機嫌に気おされたのか、おつかれー、の一声を残して彼女も帰路につく。

  

 あとに残されたのはサランと、サランを抱き上げるカグラだけになる。


「撞木さん、まだ自分のワンドを持ってないんだ……」


 サランとは別の思いを抱いているらしいカグラは、同じ方向を見上げながらぽつりと呟いた。


 ツチカが退学になったのは初等部一年時、生徒たちにそれぞれのワンドと兵装が支給される前だった。その後も自分自身のワンドを手にしてはいないのだろう。

 あの竹ボウキも借り物だと言っていた。その持ち主が誰なのか、サランは当然知っている。六月末にサンオミユがあの竹ボウキでノコが飛ばした回転する鋸を打ち返す様子をサランは見ているのだから。


 ツチカは相変わらず九十九市にいて、さんお書店のミユにあの竹ボウキ型ワンド借りサランの元に飛んできたということになる。


 何のために? という疑問は当然湧き上がるが、あんな女の考えることなんかうちが知るわけない、で、相殺し強引に終わらせた。

 薄暗くなる夕暮れの社で一人待っている流羽華を迎えるというミッションがサランにはまっている。明日以降は第一避難指示発令者としてやることも無数に控えている。


 シモクツチカなんぞにいつまでも構ってはいられないのだ。

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