#26 ゴシップガールには出されなかった残暑見舞い

◇ハーレムリポート 電子個人誌ジン版 #56◇


 八月の終わりってどうしてあんなに物悲しいんだろうね? それって私が北半球育ちだから? 極東方面の出だから? ってまたうっかり個人情報もらしちゃったぁ、いや~ん。

 ってわけで秋の気配に切なさを覚えるレディハンマーヘッドだよ。


 ……え、お前亜熱帯の学園島にいるくせに何が季節の変わり目だ……って? やーん、センシティブな乙女はたとえ南の島にいても季節の変わり目には敏感なんだから。

 季節の変わり目とともに恋愛関係のパワーバランスの変化にも敏感だよ。


 学園島の話題はサランちゃんがフカガワミコトに飛び蹴りをくらわした事件以後に起こった、フカガワハーレム内の潮目の変化一色。

 そもそもサランちゃんが飛び蹴りをくりだした現場っていうのが、フカガワミコトが最近元気がなかったタツミちゃんを呼び出していたビーチっていうのがまず穏やかじゃないうえに、すごい顔をしたサランちゃんがビーチめがけて全力ダッシュしている姿を大勢のワルキューレが目撃してるのよね。


 果たしてサランちゃんはどうして、フカガワミコトとタツミちゃんのいるビーチまで全速力で駆けていったのか。

 そしてその後どうしてフカガワミコトは飛び蹴りされたのか。

 その数日後にいきなり野の花のように可憐だったミカワカグラちゃんが、突然あの前髪で可愛いお顔を隠すのをやめて、うっすらメイクして制服もちょっと改造しちゃったりしてみるみるうちにきれいなお姉さんへと脱皮していったのか。

 

 学園島のワルキューレ探偵たちはその謎を解明するのに一生懸命。来るべき九月の新学期から始まるのは学園ミステリー?

 それとも、一人の男をめぐってかつての親友が演じるドロドロの愛憎劇? 


 どっちにしてもハーレムリポート新章、乞うご期待!


 ……ん? あれ、あたしネタばれしちゃった? いやーん。


 え、そこじゃない? そんなことはどうでもいい?

 あのカグラちゃんがみるみるメイクして制服を改造するようになった? お父さんそんなの許しませんって?

 別にいいじゃん。カグラちゃんだっていい子のワルキューレなんてやってたらたまにははっちゃけたくなるなる~。だって十四歳だもん。



◇◆◇


 鰐淵様


 立秋とは名ばかりで連日の猛暑が続く実家よりお便り申し上げます。しばらく顔を見られない日々が続いておりましたが、いかがお過ごしでしょう。

 私には相変わらず部室で雑でまずいコーヒーを嬉しがって飲んでいる貴女の姿しか浮かびませんので、このハガキもいつものコーヒーブレイクを少しは豊かにする一助となれば幸いに存じます。

 さて、拡張現実圏内であればどこにいたって瞬時にメッセージのやりとりが可能なこの現代において、私が残暑見舞いなる手間暇のかかる通信手段にて貴女にお便りするのには些かわけがあります。

 例年通り盆の時期の帰省しましたおり、「おかえり」の挨拶より先に母がこの暑中見舞い用葉書のの束を手渡したのです。なんでもいいから世話になった教員、教育委員会の偉い方など私を太平洋校に入れるために尽力してくださった方への挨拶を書いて送れ、とのことでした。

 さては六月末からのフカガワハーレム騒動が私の地元にまで波及したか、平和でのんきでどちらかといえば兵隊さんの出征先というより調達元である我が地元で「ハーレムリポート」及び『ヴァルハラ通信』の存在を知るような輩は十から二十代の仮想現実依存症気味なヤツだけだからと油断した……ッ、とヒヤリとしましたがなんのことはない、両親の知り合いである郵便局員からノルマ達成のために頼むから買ってくれと泣きつかれて購入した暑中見舞い専用葉書を片付けるのにお前も手伝え、というだけの話でした。

 瞬時に情報がやりとりできる時代に葉書でメッセージを書いて送るなどという現代社会に明らかにそぐわないこの習慣、廃止した方がいいんじゃないか? 大の大人が泣きつくくらい辛いなら尚更……としか私には思えませんが、亜州独立自治区という形態をという立場であっても――いや、で、あればこそ日の本の美しい文化伝統を維持させたいと考える偉い人がトップにお立ちである状況を鑑みれば、無意味だから終わらせたいとうんざりしていても終わらせられない大きな力のようなものがあるのでしょう。

 ともあれ、ここ暫くの私の乱行を知らねども、私が無愛想で無作法で散々手を焼かせた小学生だったことが骨の髄まで身にしみている両親は、葉書の有効な活用も兼ねて私が立派なワルキューレとしての社会性を身につけていることをアピールせんと思い立ったようです。──だからっていったって、長旅から帰ってきた娘に「お帰り」より早く「残暑見舞いを書け」は無いと思う。何考えてんだうちの親。

 そんなわけで、お世話になった先生や教育委員会の人、両親の知り合いなどへ向けたおざなりなメッセージを記す作業に忙殺されなかなかゆっくりできません。盆のことゆえ墓参りや親戚の挨拶まわりもありますしね。

 ぐったり疲れ果て、これじゃなんにも休暇になってないじゃないかちくしょうめ……とベッドに横になっていて閃いたのです。どうせなら鰐淵の残暑でも見舞ってやろう、と。

 というわけでこの葉書を書いています。

 この葉書を我が家の最寄りのポストに投函すれば暫くして太平洋校へ届くはずですが、望んでなったわけではないとはいえ現在はフカガワハーレムメンバーの自分が鰐淵宛の私信を直接送るのは文芸部則に反し




「やべ」


 10×15cmの葉書をびっしり埋め尽くしたボールペンの文字の列──左隅のに配された海辺のイラストを上から書き潰している──を見て、サランは呟く。

 黒いボールペンでびっしり文字が書き込まれた葉書の表からは、まるで常軌を逸しかけている人が認めた葉書のようなおどろおどろしさが醸し出されてしまっている。

 しかもこれからいよいよ本題に入ろうと言う所で、葉書のスペースは尽きてしまった。


 うーむ、と机の前でサランは唸る。やはり物理として存在する葉書にメッセージを認める作業は緊張を強いるものだ。

 自室の机に頬杖をつき、緩くなった乳酸飲料をストローで吸い上げてサランは唸った。とにかく書き直さねばならない。



 例年通り、旧日本出身者にはお盆の期間に休暇が割り振られた。


 あの恥ずかしいワルキューレ兵装ではなく太平洋校の制服で島外に出られるのはいいが、移動用の艦船甲板から飛行ユニットを装着して直接出撃先へ向かうという移動手段は帰省時には許されない。どれだけ自宅まで遠かろうと公共交通機関をつかうことが推奨されていた(太平洋校にはこのように非合理で杓子定規な決まりごとが無数にある。創立者が旧日本出身者で、なおかつ素手で便所を掃除することを強いるような特進名門校出身で精神性を尊び合理性を軽んじる昔気質の持ち主であった為だろうとワルキューレ達は陰で口さがなく批判する)。

 島内にある空港→最寄りのハブ空港→実家最寄りの地方空港→シャトルバスで県庁所在地の駅へ移動→どこまでもどこまでも果てしなく広がる水田の中にある小さな町の駅まで在来線で移動→そこから巡回バスを経て水田の浮島のような小さな町まで来た頃にはサランはぐったり疲れていた。

 帰省時の行き帰りでは必ず着用せよと義務付けられている太平洋校制服──胸部に両ポケットのある半袖シャツにネクタイを合わせたトップスにタックが数箇所入ったややタイトなスカートという女学生というより警官のそれのようなデザイン──姿はどこにいても目立つ。トドメを刺したのが、まだうっすらと明るい現地時間の19時に到着して早々両親からの「残暑見舞いを書け」攻撃だった。


「この前ばったり先生に会ったのよ。砂蘭さんはお元気ですかって。環太平洋域のワルキューレの出撃ニュースには注目しているけれど砂蘭さんのお名前を聞かないから寂しいって。あんた五年六年の時に散々手を焼かせた上に太平洋校入学準備だっていろいろ手伝ってもらったじゃない。安心していただくために、ワルキューレとしてはぱっとしなくても中学三年相当のあいさつ文でも書いてあの時よりは多少は成長してますーって所をアピールして差し上げなさい」

「……ええ〜……」


 長旅で疲れ果てた娘になんで制服から私服に着替える間すら与えずそんなこと言い出すんだ母さんこの人は……、という目で睨んでも、母はダイニングテーブルですき焼きの用意なんかを始めている。娘が帰ってきて歓待のポーズをとってくれているのは、くすぐったく気恥ずかしいのもあって、わざと大げさに嫌そうな顔を作る。


「それよりお前、どうしたんだ、……その、髪は?」

「どうもこうもしないよう。向こうは暑いし、鬱陶しいから切っただけ」


 小学生からずっとみつあみ姿だった娘が突然髪形を変えたことに戸惑いを隠せないらしい父さんは、鍋の上に牛脂を解かし拡げながら、やや上ずりつつ遠慮する雰囲気を出してサランに尋ねる。その気遣いとソワソワ感が、疲れたサランをややうんざりさせた。父さんまで失恋したから髪切ったとか変な誤解してなきゃいいけど。

 そうかそうか、鬱陶しいから切ったんだな。確かに向こうは暑いだろうしな。今年はこっちもひどく厚くって観測史上一番暑いだなんていわれてだなあ……っと父さんがいささか気を遣いながらもりあげてくれようとする気配が却っていたたまれず、サランは二階の自室に数か月ぶりに戻って服を着替えた。


 小学生時代はもうちょっとスムーズにポンポンと言いあえる親子だったというのに、なんだかあの当時のノリが再現できない。それは数か月ぶりに再会したためか、それともサランが十四歳だったからか、しかも親には言えないような秘密を各種抱えた身になってしまったからか。


 ――だからといって、今頃居間で、父さんと母さんが「いつまでたってもへそまがりで偏屈な子だと思ってたけど、あの子も髪を切る理由を内緒にするくらい大人になって……」と愉快そうに、でもちょっと寂し気に笑いながら語り合ってたらどうしよう。そんなホームドラマ空間、居たたまれなさすぎる。


 という恥ずかしさから、サランはわざと私服からファストファッションの店とお気に入りの白猫キャラがコラボしたときに買ったことさら子供っぽいTシャツと半パンに着替え、たんたんと階段を降りた。鍋奉行である父さんが仕切るすき焼きはなかなか美味しいので食事に集中したい。親子間の空気を変なものにしたくはないのだ。



 帰省しても、同県内にある父方の祖父母の家に顔を見せたり、そこで墓参りを済ませたり、お盆ならではの行事が目白押しで休暇といえどもサランはゆっくりとは休めない。

 様々にリノベーションは施されてはいるが昭和初期に上棟した古民家である祖父母宅には父方の親戚が勢ぞろいしていた。皆ワルキューレになったサランを取り囲みざっくらばんとした態度で、危ないことはない目にはあってないか、気は強いけどどんくさいサっちゃんが侵略者退治なんてできてるのか……と、矢継ぎ早に質問を重ねる。それにいよいよ疲れ果て、離れの畳でどたりと横になる。


 網戸から入る空気、古い木造家屋の匂い、その全てにゆったりくつろいでまろどみかけていると、ねえ起きてお姉ちゃん、と幼い声で体をゆすられた。犯人はまだ小さな双子の従姉妹だ。うっすら目を開けると、それぞれチアリーディング風と、ところどころゴスパンク風黒ワンピースのコスチュームを着ている。二人は期待と好奇心に満ちた瞳をサランへ向ける。


「ねえお姉ちゃんっ、お姉ちゃんは太平洋校のワルキューレなんだよねっ」

「太平洋校だと、レネーちゃんやナタリア、それにジャッキーちゃんとも一緒なんだよね。ねえっねえねえっ」

「ねえっ、学校ではレネーちゃんってどんな人なのっ? 漫画みたいにチア部のキャプテンやってるのっ」

「ナタリアが昔はすっごい不良で彼氏もいたってアニメ版の設定は本当なのっ?」


 ねえっ、ねえねえねえねえっ……と、未就学児である二人はサランを遠慮なく激しくゆする。それにも負けずサランは再び目を閉じて無視を企てる。

 と、ぽかっ、とプラスチック的な何かで頭を軽く叩かれた。流石にこれには黙っていられなくなり飛び起きると、さっきサランを殴ったレネー・マーセルのワンドを模したおもちゃを取り上げる。


「やーん、返してよぉ!」

「ワルキューレ憲章は無抵抗の人間にワンドを振うことを禁じている。攻撃の意志を持たない人間にワンドを振ったワルキューレはその場で営倉送りになった後裁判にかけられ最悪退学処分だ。よって先輩権限でお前からワンド使用許可を剥奪する。悪く思うな」

「やだやだ、ごめんなさい~! 返して~」


 シモクトイズファクトリー製「なりきり!ワルキューレ」という子供向け変身セットのレネー・マーセルモデルのコスチュームを着用している双子の姉が本気で泣き出したので、今度これで人を叩いたりしたら承知しないからな、と𠮟りつけた後に返した。


「学校での二人がどんなんかって言ってもなぁ……、姉ちゃんのいる初等部とレネー・マーセル先輩たちがいる高等部は結構離れてるし、あまり接点はないんだ。だからよく知らないよう」


 ステキな美少女ヒロインに憧れる幼い子供の純粋な夢を壊すことはない、サランはだから真実を曖昧にぼかした。


 高等部二年、かつてはワルキューレ憲章を信望し誰よりも人類を愛する模範的ワルキューレにして元初等部生徒会長のレネー・マーセル・ルカン。その親友でともにワルキューレ憲章に忠実な元風紀委員長・安倉ナタリア。

 初等部在籍時代に特級ワルキューレとして頭角をあらわし、その息の合ったコンビネーションで華麗に侵略者を退治してから、環太平洋域で暮らす無数の女児のハートをがっちりつかんでから数年が経過する。

 制服姿ではほっそり可憐なプラチナブロンドのレネー・マーセルが、出撃先で侵略者に対峙する時は髪をハーフアップにしチアリーディングのユニフォームを下敷きにした兵装姿にポンポン型のワンドから渾身のパンチやエネルギー弾を撃ち出す勇猛果敢なインファイター型ワルキューレになる。

 レネー・マーセルの親友で、赤褐色の肌にレザーをあつかったゴスパンク風兵装と鞭型ワンドを振るう姿がクールで格好いいと評判な頭脳明晰・冷静沈着キャラの安倉ナタリアとの二人が、侵略者に出没する環太平洋域各地の都会――バンクーバー、シアトル、L.A、サンティアゴにブエノスアイレス、オークランドにメルボルン、バンコク、ジャカルタ、香港、上海、ソウル、東京、ウラジオストクにハバロフスク……etc――へと舞い降りて、颯爽と華麗に退治するのだ。


 暴虐無比な侵略者から地球の平和と人類の安寧を護る、格好良くて可愛い、素敵に無敵なレネー・マーセルとナタリア。


 そんな二人は実はほんの二年前、文化部棟に粛清の嵐をふかせまくった罪で裁かれ生徒会や委員会などに所属することは禁じられた言わば公職追放処分中の身の二人であると、実際の活躍やそれを元にメディア展開されたコンテンツで接する女児たちは当然全く知らない。

 二人の活躍は、初等部時代に文芸部や漫画研究部等に籍を置いていた太平洋校高等部部員が集結した総合文化企画部主導で様々な形でメディア展開され、各地でアニメ化・漫画化・小説化・ゲーム化・舞台化されている。その収益は演劇部に継いで乙姫基金を潤したが、ワルキューレ活動の二次利用で得た収益は一切二人の懐には入ることはなかった。

 それが恐怖政治を行った当時の生徒会と風紀委員、そして犠牲者を生んだ当時の文化部棟員との和解の形となっている。


 環太平洋域女児の憧れの二人は、今やガラス張りの温室で温帯の花々を育てることに喜びを見出す園芸部員だ。


 ――といった、太平洋校で起きた血生臭い政治闘争の歴史をわざわざ教えてきらきら輝かせた二人の瞳をくもらせる必要はまったくないのだ。


 そんなサランのささやかな気遣いを、小さな双子は汲むわけがなくズケズケと言いたい放題言ってのける。


「なーんだ、そうなんだ。お姉ちゃんったら知らないんだ。つまんなーい」

「せっかく太平洋校にいてもそれじゃあ意味ないよぉ」

「うるせえな。姉ちゃんはお前らに特級ワルキューレの素顔をお伝えするためにあの島にいるわけじゃないんだようっ」

「じゃあなんのためにいるの?」

「そりゃあお前……、アレだようっ。地球の平和と人類の安全を護ったりするため……だようっ」


 地球と人類を護ることに対して不熱心である自覚はあるが、幼い二人の前ではワルキューレとして取るべきポーズはとらねばならないと気を遣う分別はサランにもあった。しかし、自分自身が全く信じてない題目を唱えるのは体中をむずむずさせるものがある。

 サランの歯切れの悪さから後ろめたさを敏感に嗅ぎ取ったのだろう、ナタリアの黒いコスチュームを着た双子の妹が目を細めて疑わし気な視線を向けた。


「……ねえ、お姉ちゃんってなんでどうしてワルキューレになんてなろうと思ったの?」

「なんでって……」


 まさかたまたま基準値を満たす程度のワルキューレ因子が自分の中にあって、地元から伝説になるようなアイドルワルキューレが出てくれば空気が澄んでいて星が奇麗でうまい米と酒のあることしか他自治体に対するアピールポイントのないこの一帯も聖地巡礼等で注目されて観光特需なども見込めるかもと青写真を描いた地域の偉い人たちから「やってみないか」と熱心にお勧めされ、よもやまさか大人たちがとらぬ狸の皮算用をしていることに小六のサランは見抜けずうっかりその気になってしまったからだ――なんてことは言えない。


 その言い淀みが、双子をさらに疑問の淵に立たせたようだが、救いの手は差し伸べられた。


「こら、お姉ちゃんは疲れてるの! お休みの邪魔しちゃだめでしょう!」


 双子達の母親で、サランの父の妹にあたる叔母が双子を軽くしかり、ていていっと二人を離れの外へと追い払ってくれた。サランは体を起こして、叔母に頭をさげると三十をいくらかすぎたばかりでまだ若い叔母はにこにこ笑って手を振った。


「いいのいいの。こっちこそごめんね、サっちゃん。疲れてる所にあの子たちの世話させて。──ところで、読んでるわよぉ『ヴァルハラ通信』」


 それを聞いた以上、サランはぐったり横になっているわけにはいかなくなった。飛び起きて、優しいお母さんではなくサランにさまざまな本や漫画を貸してくれた父さんの妹のお姉ちゃんのいたずらっ子じみた顔になる。


「……っ! 『ハーレムリポート』のこと、みんなどれくらい知ってるっ?」

「今来ているメンバーじゃ私と私の旦那くらいじゃないかな? ホラ、うちってさあ代々中途半端なインテリの小役人家系じゃん。こんな世の中だってのに電脳蔑視気味だし、ワルキューレのことだって『大人たちが寄ってたかって危険仕事を押し付けてる可哀そうな女の子』って考えがちだし。サっちゃんの父さんなんて特にそうでしょ? 今だって砂蘭は太平洋校なんかじゃなく私立の進学校に入れて最低でも旧帝大くらいは通わせたかったのに……って酔うとぶつぶつ言うぐらいだし。『ハーレムリポート』なんて、若いもんが夢中になってる怪しからんちょいエロコンテンツだって見なしてるから最初から見ようともしてないよ」


 それを聞いて、はぁぁ~とサランは安堵のため息を深々とついた。母屋の座敷にあつまった親戚一同が、「ハーレムリポート」を通してサランの乱交を知っていると恐ろしい想像をすると、そのまま離れを走り出て平野を囲む高い連山の一峰に姿をくらませたくなってしまう。


「ところでサっちゃん、あそこに書かれてることは本当なの? サっちゃんはあのフカガワ君って子が好きで髪を切ったのって本当?」

「違う! 髪は別の理由があって切られたのっ。――理由は言えないけどっ、とにかくあのバカのせいで切ったりはしてないっ。うちはそんな湿っぽい人間じゃないし!」


 むしゃくしゃした声を素直に出すと、叔母は結婚してお母さんになるまえのイカしたお姉さんだったころに良く見せたいたずらっ子みたいにニヤッとわらった。


「良かった。サっちゃんがおばちゃんの知ってるサっちゃんのままで。――もぉ~、心配してたんだから。なんであの偏屈サっちゃんが男の子を普通に好きになるわ身を引くために髪を切るわ、そんなつまんない女の子になりくさってるんだって」


 そしてようやく馴染んできたサランのボブの髪をわしわしと乱暴に撫でた。犬猫をそうするような手つきだったが、サランはそれに救われた。サランを培ったのはまちがいなくこの叔母さんだ。叔母さんはもちろんワルキューレではないけれど、懐かしい文化部棟の雰囲気がある。

 が、叔母はサランの耳に口をちかづけ、悪だくみをする悪代官の声で囁く。


「――所でサっちゃん。今度、十二月に演劇部さんの東京公演があるそうだけど?」

「――何? おばちゃんうちの演劇部のファンだった? いつから?」

「昔の同人仲間に勧められてうっかり公演の動画見たらハマちゃったんだってば~。息抜きに……って見てるうちに、いつの間にかヤマブキさんのことが夢にでるようになっちゃって。何あの子っ。あんな矢沢あい作画みたいな人類がこの世にいていいわけっ? 奇麗すぎないっ? ねぇっ。なんなのっ。ワルキューレじゃなくて本当は天使かなんかじゃないのっ。間違って地上におっこちたんじゃないのっ?」


 サランに二千年紀ミレニアムの漫画や小説の類を最初に教えた師匠にあたる叔母は興奮しながら前世紀末に一世を風靡した少女漫画家の名前を出す。

 確かに、ファンから「ヤマブキさん」の愛称で呼ばれているあの人は、化粧を施して二千年紀ミレニアム風の衣装を着ればたちまちあの少女漫画家の作品世界から抜け出たような姿となる。特に、彼女が初等部時代に演じたヴィジュアル系バンドの青年姿は二次元しか存在しない中性的な美青年が受肉して舞台上に降り立ったと、当時の少女の胸を大いにときめかせたことは語り草だ。ちなみに、あだなの「ヤマブキ」はその舞台のヴィジュアル系バンドの青年の役名に由来する。


 確かにサランもあの人が、麗しい男装姿でヒロインを勤めるマーハ相手に愛を囁き、抱きしめ、届かぬ思いに胸を焦がす演技を見学しては、ほぁ~……と間の抜けた声を漏らすことがしばしばだ。美と美が過剰に足し算されまくった光景は脳みそを麻痺するある種の暴力だなと、稽古風景の取材にきたシャー・ユイの夢見心地の惚けた表情を盗み見てかろうじて理性を手放さないようにしていたほど。

 普段のこの上級生が、表情筋を極力動かさず言葉も出し惜しみするのは舞台上で爆発させるために取っているのかも……と約体も無いことを考えてしまう。


 そんな舞台上に降り立った天使のごとき人の名前はホァン・ヴァン・グゥエット。サランの髪を切った張本人であり、いわゆる黒社会の産湯を浴びて育ちまだまだ無名の新人インディーズアイドルを突然アイドルランキングを一気に10以上も押し上げる程度のことなど造作もないと言わんばかりな権力を環太平洋域エンターテイメント業界で行使できる程度には発言力のある幹部級の「その筋の人」であることは、乙女の顔になっている叔母にはだまっていようとサランは心に決めた。


「つうわけでさぁ~、おばちゃんは今太平洋校演劇部ヲタの電子版『ヴァルハラ通信』読者なわけよ~。ちゃんと定期購読もしてるのよ~。そんでもって沙唯先生の『演劇部通信』のファンなのよぉ~。最初はそこしか読んでなかったんだけど、そのうち関係ないページも読むじゃん? 暇だし『ハーレムリポート』も目を通そうかなって気になるじゃん? で、そのうち電子個人誌ジン版読みだすじゃん? そしたらどっかで聞いた名前が出てくるじゃん? いやぁ~……あの時は流石に心臓とまるかってなったわよ。なんでここでうちの姪っ子の名前が出てくるんだって」

「うーん、まあ、話すと長くなる理由があってね」


 それにしてもどこにでもいるな、シャー・ユイのファンってば……と、サランは流石におののいた。まさか自分の身内までそうだったとは。

 そしてそれにより、サランは悪だくみの表情の叔母の顔から意図を察した。


「おばちゃんも悪だねぇ、姪っ子から口止め料もぎとろうとするぅ、普通~?」

「なんとでも言いなさいよ。フカガワハーレムの期待の新人、ミステリアスな追加メンバーのサメジマサランちゃん。推しの姿をこの目でみるためには運営に目をつけられない程度のことはやるわよ、おばちゃんは」


 叔母は悪い顔で囁いてから、一転してぷはっと笑った。


「冗談! ま、サッちゃんもなんだか学園島で大変そうだし、無理はしないで。もちろんサメジマサランちゃんのことはみんなには内緒にしておくから。──でも他のルートから漏れた場合は責任とれないけどね」


 そういってサランの髪をまたわしわしとかき混ぜた。短くなったせいで無性に触りたくなるようだ。

 

「でもさあ、『ハーレムリポート』の方は大変だったみたいじゃない。ワールドワイドな大炎上くらってて。どうだった?」

「大変だったよう、大変なんてもんじゃなかったよう……。つうか叔母ちゃん、なんで『ハーレムリポート』の電子個人誌ジン版まで読んでたわけ? あんな中坊の恋愛に食いついてどうすんだってば」

「ついうっかりバックナンバー読み始めてからちょっと続きが気になって。定期購読契約までしちゃったし。――最近出てこないけど、あの子どうしてるの? 生徒会長さんの人」

「ああ……北ノ方さん? あの人は、今、生徒会の仕事が忙しくってさあ」

「ふうん、そうなの。――おばちゃんあのメンバーではあの子が一番好きなんだけどね。プライド高すぎるために愛情表現が下手っていじらしい所に共感しちゃうんだけど。あのポジションってどう考えてもフラれる枠だから余計に」


 勿論サランは、キタノカタマコがそんないじらしい少女でもなければ、本当はフカガワミコトのことなどおそらく何とも思っていないことなどは伝えずに流すことにする。

 演劇部の東京公演のチケットは既にプラチナ化が確定してるし自分の立場からおねだりは無理だ。その代わり沙唯先生のサインならおそらくなんとかなるのでそこで手を打ってほしい、と叔母とサランは口止め料の値下げを交渉した。



 ――そんなこんなで休暇の大半が過ぎてしまう。


 疲れをとるどころか、余計に疲れに帰ったようなものだ。今だって本当なら心置きなくぼんやりできる時間のはずなのに、葉書を一枚手に取って、ジュリへの私信を綴ろうとしている。

 手紙を書くという原初的な行為が、サランの中になる何かを刺激したことは間違いがなかった。

 




 鰐淵様


 立秋とは名ばかりで連日の猛暑が続く実家よりお便り申し上げます。しばらく顔を見られない日々が続いておりましたが、いかがお過ごしでしょう。

 貴方の顔を見られない日々、あの数週間でよくもまあ……と我がことながら呆れてしまう速度で近辺の状況が変わってゆきました。まるで流れる車窓の風景のようです。

 寮の様子はどうですか? 旧日本以外の地域から来たワルキューレがいるはずなので寂しくはないでしょうけれど。

 取材のために演劇部へ訪れるシャー・ユイが、ゴシップガールに協力することで利を得ることにためらいがないくせに妙な所で潔癖な貴女の現状を教えてくれます。(よくよく考えなくとも文芸部員はフカガワハーレムにお触り禁止という部則に完全に反してますね。まあシャー・ユイのやつは元々『ハーレムリポート』には批判的ですし、あえてこの決まりを無視する心づもりがあるのやもしれません。だいたい私も貴方も互いに簡素であるとはいえメッセージをやりとりしているわけですから、既に有名無実な決まりに堕して久しいわけです)。今年も帰省しないという貴方の予定を聞いて、やっぱりな、と思いました。

 シャー・ユイ、もしくはこの所アイドル稼業に本腰を入れだしたようなリリ子から休暇の前日までの私の状況を報告されていたかもしれませんが一応報告を。

 私は気が付けば私は観察対象だったフカガワハーレムのメンバーと茶飲み友達になっていました。私自身が特に望んだわけではありません。貴方も耳にしている筈ですがビーチで深川尊に飛び蹴りをくらわせたあの日以来、豊玉さんが三河さんを連れて私をカフェだのビーチだのに誘ってはうだうだと茶飲み話をするようになったのです。何故かはわかりませんがどうも彼女に気に入られたようなのです。豊玉さんの心に通じた三河さん曰く「辰巳ちゃんは、その、拳を交わした相手とは仲良くなれるって思想を信じてるところがあるから……」ということでした。確かに手が早い、思い込みが激しい、行動力はあり短慮だけれど裏表はない、情に厚く義侠心にだけは富むというあの人の性格は、ハーレムのヒロインというより乱世の世の武将に生まれて仲間を集め宿敵を倒しながら天下統一に邁進するべきだった逸材のように思えてなりません。生れ落ちる時代と出るべき物語を派手に間違えています。

 ──以下話す情報は所謂インサイダー情報に相当するものかもしれません。当校の無名のワルキューレ達が囁く無責任な噂のみ採用する(!)という「ハーレムリポート」の方針には沿わない恐れがありますが、それでも貴方の耳にお入れします。自分で思うほど潔癖でもなくいい加減なやつなんだから、お前はね。

 先頃どうやら深川尊は豊玉さんに気持ちをついに打ち明けたらしいのです。俺が好きなのはお前だ



「っギャアアアっ!」



 思わず奇声を上げ、サランはボーペンで約1文字分ぐしゃぐしゃと塗りつぶし、そして冷静になった。一呼吸置いて、ぐしゃぐしゃの後から文字の続きを書く。



 失礼、つまり深川尊に気持ちをうちあけられてめでたく二人は両想いとなったそうです。はい! というわけでフカガワミコトが恋人に誰を選ぶかという問題は近日中に片がつきます。トラディショナルな暴力正ヒロインを選んでお終いです。これにて『ハーレムリポート』は終了、フカガワハーレムも解散! この葉書が帰省せず太平洋校にいる貴方のお手元に届く頃には私もようやくフカガワハーレムから解放されます。ざまあみやがれレディハンマーヘッド!

 この以上な一月と数週間は私にとっては異常極まりない期間でした。今まで思いもよらない出来事が立て続けに起きる、嵐のような日々でした。それももう終わりです。来たる新学期を穏やかな心で過ごせそうなことを喜んでいます。

 つきましては


「……」


 サランの手は止まる。つきましては私を文芸部に。

 サランはそう続けたかった。続けたかったのに手は進まない。


 何故ならまた葉書はびっしり文字で埋め尽くされていた為だ。また常軌を逸した人物が認めた禍々しい葉書が一葉、出来上がってしまう。

 サランは反故の葉書の山に新たな一枚を重ねる。




 盆の季節に休暇が割り振られるのは旧日本出身者が多い。だから旧日本出身の仲良したちは、ただでさえ長すぎる道中を少しでも楽しく快適なものにするように二人以上のグループを作って移動する者も多い。

 キャッキャとはしゃいだワルキューレたちの輪から離れて一人で移動するのがサランだったが、今年は初めて傍らで移動する仲間がいた。


「……! すごい、髪形変えてちょっとメイクしただけで誰にも注目されないっ! フカガワハーレムのあのおっぱいの大きい子だて指さされたり、サインくださいって囲まれたり、刃物を隠し持ってる癖にファンですって言いながら近づいてくる怖い人に付きまとわれたりしない……!」

「ちょっと待って。最後の物騒な一言はなんなの、ミカワさん?」

「出撃先でたまにそういう怖いタイプのファンの人に付きまとわれることがあったの。――ああいう人って、何故か私に狙いを定めるんだよね。タツミちゃんとかキタノカタさんには絶対いかないの。フカガワ君にべったりなノコちゃんには近寄れないから、いっつもいっつもいいいっつもも私一人がターゲットになっちゃうの。ワルキューレは無辜の人間に手出しできないからワンチャン自分のものにできるんじゃないかってバカなこと考えながら近づいて来るんだよね、ああいう人たちって! そんなわけないじゃない」

「ミカワさん、心の声が聴けるから各種悪だくみも筒抜けだしねえ」

「悪だくみだけならまだマシよ。中にはすっごい、三日くらいうなされそうになるぐちゃぐちゃしたビジョンを描いて近寄る人もいるんだからっ」

「うえー、つくづくうち特級なんてもんじゃなくてよかったって思うよう」


 興奮のせいかミカワカグラの声は今まで聞いたことがないくらいイキイキと弾んでいた。空港で行き交う人々が、ベンチに座ってジュースを飲みながらはしゃぐ太平洋校制服姿のワルキューレをじろじろと見てゆくが、嬉しくて楽しくてしょうがなさそうなカグラを前に、サランは好きにさせようと思っていた。謝るような場面でもないのに「ごめんなさい」「すみません」をくっつけ卑屈そうにしている以前のカグラより物騒なファンへの悪口を遠慮なくに吐くカグラの方が一緒にいて楽しいからだ。


「あーもう、こんなに快適ならもっと早く髪形変えるんだった! お化粧もお洒落するんだった! 二年も大人しくて優しくていい子のミカワさんやってて損しちゃった」

「おうおう、ぶっちゃけるねえ。ミカワさん」

「だってそうだもん。いい子にしてたらいいことがあるから、自分より周りのみんなの幸せを優先するべきだって神様がご褒美くれるっておとぎ話を信じた結果が大失恋だもん。やってらんない。今まで散々いやな思いして我慢し続けた結果、生まれて初めてできた親友と好きな男の子がくっつくって何よ! 何の罰ゲーム? 私なんかした? 前世で世界を救ってたのに? ってなっちゃう」


 乗り換えの飛行機を待つ空港で、ミカワカグラはリップグロスを塗った形良い唇を尖らせてぷりぷりと怒って見せる。

 そこに、鬱陶しい前髪で顔半分を覆い隠し、やや猫背気味に自信なさそうに歩き、口を開けばなにかというと「ごめんなさい」と「すみません」をくっつけて派手にカミながらしゃべるミカワカグラの姿はそこにはなかった。前髪を持ち上げカチューシャで押え、額と顔面を全開にしただけでミカワカグラは以前とは完全に別人になっていた。もともと整っていた顔かたちを露出し、十五歳相当の派手すぎないメイクを施し、背中をしゃんと伸ばしている女の子をフカガワハーレムの「大人しい家庭的な女の子枠の子」だと気づく人々はおらず、少しおきゃんで可愛いワルキューレがいるなという視線を向けるだけだった。

 

 時折、カグラの右手クスリ指のリングの上にリスをモデルにしたコンシェルジュキャラクターが立ち上がってメッセージの着信を伝えるが、カグラは華麗に無視し続ける。それがどうやらトヨタマタツミからのものらしい。


「無視してていいのかよう? トヨタマさんからみたいだったけど」

「いいの! タツミちゃんは私に罪悪感を抱いていて、それを許してほしいからメッセージを送ってくるだけなの。でもそれって、二人に対して『おめでとう』って笑顔で言えた私に対する侮辱だと思う。私のことを本当に対等の親友だって思うなら、タツミちゃんは辛くても、フカガワ君と付き合うってことを選んで私を傷つけたこととは一生むかいあってほしい。――だからここで、タツミちゃんに『いいよいいよ気にしないで』なんて簡単に言って許してあげない。私はタツミちゃんの友達であってお母さんじゃないんだから」

「っはぁ~、格好いいっすね。カグラ姐さん。今のメモっとってもいいっすか?」

「もう、ふざけないでよ、サメジマさん……っ」


 そこだけ一瞬かつての自分に戻ったのか、カグラは顔を赤らめた。


 

 失恋して髪を切るような奴だとは死んでも思われたくない(そもそも失恋の〝恋″が自分とは生涯無関係なものとしか思えないのに)サランとは異なり、ミカワカグラは失恋すると積極的に髪形を変えようとしたり甘いものを大量に食べたり失恋に関する歌を聴いたり歌ったりするタイプらしかった。


 あ、あのさ、あたしフカガワとその、つきあうことになっちゃって……と、罪悪感の中に抑えきれない嬉しさをにじませたタツミを前に、そそ、そっか、よかった……タツミちゃん、おめでとう……っと泣き笑いで祝福した八月上旬のその日はサランがフカガワミコトにビーチで飛び蹴りを食らわせた二日後になる。

 その日以来、カグラはこっそりサランにメッセージを送っては、ビーチで甘いもののやけ食いにサランを付き合わせたりを夕陽で橙色に染まった代表的な失恋ソングをダウンロードしては大音量で再生したり、実に分かりやすい形で傷ついた心を慰める行動に走っていた。


「……どうしてこの島って、偉い人のための料亭なんてものはあるくせにカラオケ屋さんすらないんだろう……」


 その時はまだ前髪で目を隠していたカグラは旧日本の平和で安全な所育ち丸出しな一言を発する。

 その前日にカグラに付き合わされてカフェで金魚鉢みたいなガラスの器に盛られたパフェのダメージがまだ癒えていなかったサランは、ビーチでしゃがんで棒きれで砂を無意味に突きまくるカグラの後ろ姿を見ている。まさかあのパフェをまた食う羽目になるとは……。


「あのさ、ミカワさん。ミカワさんがフラれて悲しいってことだけは分かるんだけど、なんでそれにうちを付き合わせるわけ……?」

「だって、だって、しょうがないじゃないですかっ。私はタツミちゃん以外に友達がいないしっ、それに、サメジマさんは私たちのことを散々好き放題ネタにしてお金儲けした文芸部さんだったんだから、そのお詫びとしてつきあってくれたっていいじゃないですか……っ」


 手入れがおざなりになってざんばらになったカグラの前髪から、涙で濡れた両目が覗く。悲しみの淵にいるせいで、それまでお大人しくて優しいいい子のイメージをかなぐり捨てたような本音を丸出しにしていた。

 まあその方がサランとしては話しやすくて助かっていた。余計な「ごめんなさい」も「すみません」も無くていい。


 そうこうしているうちに真っ赤に燃え上がりながら地平線に太陽が沈み、空は満天の星に覆われる。カグラは売店で買ってきた線香花火に火をつけ出した。どこまでも失恋した時の行動様式が二千年紀ミレニアムのJ-POPなミカワカグラだった。仕方がないのでサランもそれに付き合う。


 それにしてもこんな短期間で、恋に傷つき涙するを人間を目の当たりにするとは思わなかったな、しかも二人も……と、サランはついついしばらく前のことを振り返る。自分という婚約相手がいるのをわかっていてタイガと割り切れぬ仲になったサランを責めて泣いて凄むリリイのことを振り返る。


 その勢いで、見慣れない髪飾りをつけた婚約エンゲージ相手のことが急に気になり出したのか、「ねえ〜サメジマパイセン。なんか最近リリイのヤツがオレに冷たいんすけど、どう思いますぅ〜?」とサランにべったり体を密着させた状態でぬけぬけと相談してサランを大いに呆れさせたタイガのことを思い出してしまう。


 サランの背中にべったり体をくっつけたタイガの体の感触、匂い、うなじをくすぐる唇、フルーツ香料の匂い、サランの体に回したタイガの腕が抱きしめる箇所手のひらが触れる場所の感覚も、ついうっかり。


 はっと気がつくと、前髪の隙間ごしにカグラがサランのことを見つめていた。それまでのカグラとは異なる汚物でも見るような視線だった。


 ごほんとサランは咳払いをする。


「お見苦しいものをお見せしました……っておかしくないっ? なんでミカワさんうちの心勝手に見ちゃうかなあっ?」

「見たくて見てるわけじゃないですっ。だから今日からは謝りませんっ。……ああもうっ、どうして世の中には〝感応能力者に破廉恥なビジョンを見せつけた″ざいがないんだろう!」


 次々に花火は火を灯し、火花が飛び散る様子を見ながらカグラは呪詛めいたつぶやきを発する。


「大体、なんなんですかサメジマさん。どうして本当の意味で好きじゃない子とそういうことしちゃうんです? 信じられない。軽蔑します」

「うちも自分自身が信じられないよう……」


 それにしても本当の意味で好きでない、とはどういう意味だ? とサランは引っかかる。おそらくlikeではなくloveのことだとかしゃらくさいことを言いたいのだろうが、サランはあいにくlikeよりloveが尊く価値があるという言説に乗れない人間なのだった。


「だからって、泣いてすがられたからってその二年の子と寝ちゃうんですか? その子には婚約相手がいるのに? それってどうなんですか?」

「なんでミカワさんに責められなきゃなんねえんだようっ。それでうちがなんか迷惑かけたっ?」

「かけてます、かけられてます。サメジマさんが私の胸みて、この人おっぱいでけーなーって思う度に二年のあの子と何かなさってたビジョンが諸々頭の中に流れ込んできます。私は全然知りたくもないのにサメジマさんの二年のあの子の身体にまつわる個人情報が流れ込んできちゃうんです。これって立派にセクハラです」

「……っ。それはどうも、すいませんでしたっ」


 ぐうの音も出ない、というヤツだった。はーっと、乱れた前髪のやさぐれた目でカグラは呟く。


「フカガワ君もサメジマさんみたいなおっぱい星人だったらタツミちゃんじゃなく私を選んだかもしれないのに……」

「──あのさ、今の台詞にはツッコミ入れたい箇所がありすぎんだけど、とりあえず誰が何星人だって?」

「私にそんな爛れたビジョンを見せ続ける不潔な人の反論は受け付けません。却下します」


 くうっ……と、サランは言葉に詰まった。心が読める能力者を敵に回した時の恐ろしさを思い知る。

 が、そこまで知られたなら、という気楽さも同時に芽生えるのもまた事実だった。サラン自身が何故にこうなってゆくのか身体の衝動に気持ちと思考が追いつかない状態だったのだから。


 ぱち、ぱちぱちっと松葉状に火花が飛び散る。

 それに照らされたカグラの頰が赤らんでいる。


「本当に……っサメジマさんってばこの前から私にひどいビジョンばっかり見せるんだから……っ」

「だからごめんって……って言いたいとこだけどよくよく考えたら内面の自由を侵害してるのはミカワさんの方じゃないかよう! 感応能力持たない人間に変な妄想ダダ漏れになんないように防御しろとかムチャ言うなって案件でしかないよう!」

「誰もそんなこと言って無いです!」

「はあっ、じゃあ何っ?」


 線香花火の火の玉が落ち、あたりが真っ暗になる。花火が終わる度に火をつけていたカグラは今度はそれをしない。ただ、サランの手を掴んで引き寄せてバランスを崩した瞬間を狙い唇を重ねた。


 とっさに突き飛ばすこともはねのけることも余裕だった。

 が、唇を介してカグラの混乱した感情も塊になって流れてくる。受け止めきれない嫉妬、悲しみ、怒り、苛立ち、身体の昂り。自分の身体の一つでは抱えられないその衝動。

 身体の中に流れ込んだカグラのそれはサランの中に抱え込まれた秘密とも溶けて混ざり合う。髪を切られる前後から激しく変わる状況を、親友にとても打ち明けられそうにない秘密ばかりが増えてゆく流れに逆らえない戸惑いや不安や悲鳴をあげたくなる気持ちと溶け合う。それが不意に軽くなったのは、カグラが吸い上げた為と察した。

 どちらからともなく唇を離した後、二人は黙りこくる。


「……」

「……」


 ざざん、とビーチに波が静かに押し寄せる音がする。それを数回繰り返される。

 気まずい、ただ妙にすっきりした心持ちで星空の下で向かい合う。


「……オリエンテーション……」


 口火を切ったのはカグラだった。ぼんやりした口調で脈絡のないことを呟く。


「サメジマさん、覚えてる? オリエンテーションの時、学園長が言ったじゃない。ワルキューレの士気をあげさせたかったら共学にするか島に男子校作るのが一番だとかなんとか」

「ああ、言ってた言ってた。とんでもねえヤツが来た! あのミツクリナギサってこんなやべえヤツだったのか! ってビビったな」


 で、それがどうした? と問うサランはの心の声を読んだのか、はーっとカグラため息をついたのだ。


「学園長の言うこと、正解だと思う。……私ダメだ。サメジマさんのビジョンにあてられてドキドキしちゃって、私も女の子のことちゃんと好きになったりできるかなって思ったけど、無理みたい。私はどうしようもなく、男の子のこと好きになるように出来てるみたい」

「人をリトマス試験紙扱いしてくれてありがとうなっ」


 服が砂まみれになるのも厭わず、砂浜に仰向けに倒れたカグラのシルエットで、カグラが目の当たりに腕を置いているのが分かる。


「…………彼氏が欲しい…………」


 絞り出すようにカグラは呟く。涙声で。

 秘めた本音を口に出すと、勢いがついたのか、仰向けで目に手の甲を当てた状態でカグラは叫ぶ。


「あーっもう、彼氏が欲しいっ、イケメンでカッコよくて優しくて優しくて優しくてうんと優しくてお金はそこまで持ってなくていいけどちょっと高いレストランでご馳走してくれたり誕生日には最低四桁代の服やアクセサリーをプレゼント出来る程度には困ってなくて服と小物と音楽と好きな映画のセンスがよくて私のことが一番好きで世界と私を両天秤にかけた時に迷わず私を選んでくれる、フカガワくんなんかよりずーっとずーっとずーっと素敵な彼氏が欲しいっ、欲しい欲しい欲しいっ!」


 バタバタと駄々っ子のように手足をばたつかせるカグラを、サランはつい見守る。

 二人いるうち一人が先にパニックを起こすと残された一人は冷静になるという現象が働いたこともあるが、あのミカワカグラがらここまで本音をさらけ出すのが率直に言ってちょっと面白いのもあった。なぜにそこまで彼氏をほしがるのか気持ちは分からんが「すみません」と「ごめんなさい」を連発しなければ会話もままならない、カグラよりはずっといい。バタバタさせていた手足を大の字に開いたタイミングで、サランは呟いた。


「まー、よくわかんないけどさあ、出来んじゃないの? ミカワさん美人だし、前髪上げて顔見せて背中伸ばして服と化粧を男ウケのいいやつにすりゃあすぐにでも」

「……」

「しかもミカワさん、料理上手だしおっぱい大きいし最強じゃん。フカガワミコトより五倍は出来のいい彼氏なんて即効でつかまんじゃないの? しんないけどさ」

「……最悪、また私の胸のことイジるぅ……っ」


 恨みがましい声で呟いたあと、ミカワカグラはむっくり身を起こして立ち上がった。衣服についた砂をぱんぱん叩いて落とす。そして散らばった花火の残骸を綺麗に拾い集めるのだった。


「……ありがとう、サメジマさん。なんだかちょっとスッキリした」

「気持ちが落ち着いたなら、こっちもそこそこ恥かいた甲斐があるよう」


 数日前にサランがダッシュで駆け下りた、ビーチへの坂道をふたりで歩く。


「彼氏……作れるかなぁ? 作っても私たちにはどこまでが許されるんだっけ?」

「ワルキューレにあるまじき不品行さえ起こさなきゃいいんじゃない?」


 この学校を退学になった誰かみたいに、とサランは心の中で付け足す。


 潮騒を後にしながら、二人はてくてくと歩く。空は満点のふるような星。

 涙が出そうなほどまばゆい星空の下を共に歩くのが、どうして最近まともに口をきくようになったミカワカグラなのだろうとサランは不思議に思った。きっとカグラも似たような気持ちではないだろうか。

 それが正解だと言わんばかりに、カグラは呟いた。


「――あ、そうだ。さっきのキスは私の中ではノーカンということになりましたから。私は依然としてファーストキス未経験の清らかなワルキューレです。ご了承ください」

「……まあそういうことにしてくれた方が、こっちも変に気を回せずに済んで楽っちゃ楽だから別にいいけど……」


 泣き喚いて落とした憑き物と一緒にキャラも落とすのはいいが、いくらなんでも唐突すぎるのではないか? という思いを込めて、全身に落としきれない砂を纏いつかせたカグラを見てサランはそう思った。


 翌朝、カグラは前髪をあげて素顔を晒し、その次の朝には背筋を伸ばし、その次の日には眉を整えて……というペースでゆっくり地道に外見を整えていったのだった。




 結局、サランがジュリに顔を合わせられなかった期間のことが官製はがき一枚におさまるわけがなかった。


 窓から見える水田の、実りの時期をまつ青い稲穂の波がそよぐ様子を眺めてサランは書き記す。


 

 鰐淵様

 

 残暑お見舞い申し上げます。

 そちらでは如何お過ごしでしょうか。

 私の部屋の窓からは、水田の稲穂が吹き渡る風にそよぎ波のように揺れる様が見えます。

 美味い米がとれ、水が澄んでいて、空気が甘くて星が奇麗ということしか取り柄がない我が地元ですが、稲穂が波のように揺れる様子は一見に値すると私は自負しております。

 田植え時期に水をはったばかりの水田が青空や夕空を移す光景も。

 いつかあなたに見せてやりたいものです。

 貴方が以前言っていた通り、この地の酒はなかなか美味いもののようですから、その際には供に酌み交わしましょう。




「――」


 ほどほどのバランスにちょうどよく収まった葉書を読み返した後、宛先を書き入れてサランは立ち上がった。

 お世話になった教員や、せっかく一人ワルキューレを輩出したのに思っていたような結果は得られず首を傾げている筈の地元名士あての挨拶状と一緒に、ジュリへの葉書を手にしてサランは家を出た。

 

 最寄りのポストは家を出て少し歩いたところにある、やしろの傍にあるのだ。

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