#25 ゴシップガールよ知るや君が髪を切りし理由

 ◇ハーレムリポート 電子個人誌ジン版 #55◇


 『ヴァルハラ通信』連載版がしばしお休みってことになっちゃって、拡張現実の圏外での過酷な戦闘に従事してる読者のみなさんへお悔み申し上げたくても申し上げられないレディハンマーヘッドだよ。

 これを読んでる兵隊さんの中に、二千年紀ミレニアム以前で時が停められてる特殊戦闘地域にいる戦友がいるんだよねって人がいたら「落ち込んだりもしたけれどレディーハンマーヘッドは元気です」ってお手紙でもおくってあげてね。

 ……いや、本当はそんなに落ち込んでないけれど。だってサランちゃんがいろいろやらかしてくれてるお陰で、フカガワハーレムも動きが目立つ目立つ。


 しかもサランちゃんは意味ありげに髪を切ったりして、タツミちゃんは気が気じゃないみたい。

 お転婆でやんちゃで手が早い子だけど、タツミちゃんは世間知らずなお姫様だから。ワルキューレになるまで、ご実家の敷地内から一歩も出たことが無く、この太平洋校が初めて通う学校ってくらい特殊なお育ちをされた子なんだから。


 ……え? にしては言葉遣いも動作も雑だし、全然お姫様らしくない? まるっきりその辺の女子でしかない?


 ま、そうかもねぇ~。学校に通っては無くても、同じ年頃の女の子は普通にいたみたいだから。ご実家の敷地内に。

 言ってなかったっけ、タツミちゃんのご実家はどこかの旧日本某所の小さな島全体。そこに代々暮らしてる島民の皆さんから神子さまと敬われてるような女の子だったんだけど、普段の暮らしは島の子どもたちとそんなに変わらなかったんだって。神子の掟で島外に出てはいけないだとか、たとえ親兄弟であっても七歳すぎて男子に接してはならないだとか、不自由を強いられることも多かったらしいけれど、普段の日には島にいる女の子や女官さんと遊んで結構俗な知識やなんかも蓄えていたみたい。

 神子っていったって、そこはやっぱりお年頃の女の子だもん。男の子にだって興味もっちゃうもん。


 そういう環境で育ったもんだから、自分がワンドで峰打ちをくらわせた数日後にサランちゃんが髪を短く切っちゃったことに対してもやもやドキドキしちゃうのも無理ないんだってば。インプットされてきた情報が古いんだもん。女の子が髪を切る時=失恋という法則がきっちり植えつけられてるんだから。

 暑くて鬱陶しかったから、とか、伸ばしっぱなしにしていたせいで毛先がいたんだから、とか、そういう即物的な理由を考えられない、抒情的なストーリーに惹かれやすいなんていかにもタツミちゃんらしいトラディショナルな正ヒロインぶりじゃない?


 ――ここのところ大型新人サランちゃん推しばかり続いていたから、初心にかえってタツミちゃんを推してみたよ。どう?


 それにしても一体どうして、なぜになぜなぜサランちゃんは髪を切ったのかな~。学園島じゃみんな興味津々だけど、サランちゃんは今日も姿は今日も単独行動中。真相を知るは棕櫚の木だけ。


 やっぱ追加メンバーはミステリアスじゃなきゃあね~。そんなわけでレディハンマーヘッドは今後もサランちゃんに注目してゆくから、今日もこのことを拡張現実圏外のお友達に伝えてあげてねっ。そんじゃね。


 ――っとお、最近マコちゃんのことを放置気味だった。そろそろマコちゃんのターン、来る?


 ◇◆◇


「――でェ〜   で   な      なサメジマ先輩はァ、医務室でたーちゃんの体を揉んだり擦ったり好き放題弄んでくださったそうですけどぉ~? しかもたーちゃんには私ってものがあるってご存知の上で~?」

「あー……、まあ、そうなるな………………、ごめん」

「あはは、やだあ~。ごめんですんだら警察は要らないって諺ご存じありません~? ねェ? 語彙の豊富な元文芸副部長様ァ?」


 リリイの言葉がいつかのように、一部翻訳されず無音になる。おそらくまた母語のスラングでサランを詰っているのだ。


 いつもの仮面のような笑顔と怒った時の般若顔とも違う、目をよどませ、キャンディを咥えた口を歪ませた凶悪な表情のリリイは棕櫚の幹にもたれ、閉じた日傘を持った腕を伸ばしてその先をサランの額に付けてぐりぐりと押し付けた。かなり痛いが大人しくサランはされるがままになる。ごめんで済んだら警察いらないは諺ではない、などと余計なことは決して口にはしない。


 泰山木マグノリア館の庭から少し離れた棕櫚の木立、人影の少ないその場所までサランを引っ張ってきたリリイは突然今まで見せたこともない新たな一面をさらけ出してサランを思う存分詰るのだった。

 日傘でサランの額を突き、ところどころ言葉を乱しながらリリイはねちねちぐちぐちと呟く。


「っていうか……なによぉ。なんで私じゃなく地味で   で   な      なそこのちんちくりんなんだよぉ……たーちゃんのバカバカ……っ。あの時たーちゃんが『可愛い』って褒めてくれたから頑張って綺麗になったのに……っ。これじゃまだまだ足りないの……っ」

 

 ここにいないタイガへの愚痴が涙混じりの恨み節へと変わってゆく。


 そこから判断するに、スラングのまざった上品とは言い難い言葉遣いで喋る激昂しやすいキャラクターこそが地のリリイであり、日傘をくるくる回してしゃなりしゃなりと歩き語尾をねっとり伸ばしながらしゃべる外面のいいアイドル姿は後天的に獲得したキャラクターなのだろう、とサランは推測した。 ちょっとやそっとブチ切れた程度では馬脚を現さなかった程度には堅牢だったそのキャラクターを身に着けるにはたゆまぬ研鑽と血のにじむような努力が必要だったはずだ。

 それを引きはがし、みっともなくすごんで怒鳴り散らした末に、唇をかみしめて手の甲で溢れる涙を拭いながらめそめそと泣くリリイの姿はどうしようもなく切なくいじましかった。

 

 そんな姿を前にすると、サランとしては土下座で平謝りするほかない。


「悪かった、リリ子。こればっかりはうちが全面的に悪いっ。本当に――っ痛だだだだっ」

「ゴメンですんだら警察ポリいらないってのを二回も三回も聞いたところでどうなるっつうんですかァ? たーちゃんの体が元通りまっサラに戻るっつうなら喜んで四回五回とお耳に入れて差し上げるんですけどぉ~?」

「ご……ごもっともで」


 ほんの数十秒前のいじらしい姿をかなぐりすてたリリイは、サランのみつあみをつかんで乱暴に引っ張りあげて棕櫚の幹に押し付ける。その顔の側に日傘の石突きを突き立ててた咥えキャンディのリリイは下からサランを睨みあげる。淀んだ涙目による凶悪な視線ですごまれて、サランはそのように答えるしかない。

 天使のように愛らしいアイドルではなく、修羅場を二つ三つくぐってきた暴力のプロになった目つきに切り替わると同時に表情も一変。次に放たれたリリイの言葉は完全に訳されはしなかった。無音で口がパクパクと開閉する。

 それにリリイ自身も気づいたのだろう。もどかしいせいか顔をしかめて舌打ちすると、それまでとがらっと口調を変更した(正確にいうと、ガラッと変更した言語に合わせてリングの翻訳機能が口調を一変させた)。

 

「――ごもっともとまで仰りなさるとは、エエ心がけじゃのう。だらぁ人の婚約エンゲージ相手に手ェつけた落とし前どうつけるつもりか聞かせてもらいますけェ遠慮のう言うてみんさいやァ?」

「それはまあ……お前の気のすむようにしてくれとしか言いようがないけどなんで口調がいきなりそんなんになるんだよ、リリ子――っ痛ぁぁ!」


 がつ、と今までに一番力強く額に日傘の石突を突き付けられてサランは呻いたがリリイはかまわず日傘をぐりぐり力を込めてゆく。


「リングがのお、わしが生まれ育ったとこの言葉が上品すぎてよお翻訳せん言いよるからまだ分かりやすい言葉で喋っとったるだけじゃア。自分で言うと台無しじゃけどよお気ィ利きよりますやろ? たーちゃんに振り向いてもらおういう一心でメジロの施設ではエエ女修行に精出しとりましたけェ。わしゃアこう見えて健気な頑張り屋さんなんでェ、誉めんさいやァ」

「う、うん。すごいなリリ子。お前トライリンガルか? やるなあっ。でもキャラ激変すると訛る奴は既にもう一人いる――」

「ほんなこと悠長に謳っとる余裕はありゃせん筈じゃがのう、先輩? どうやって落とし前つけなさんのんじゃってさっきから訊いとろうが。なァ? そろそろ教えてもろうてもええ頃じゃろう? いくらわしが辛抱強いいうても限度っちゅうもんがあるんど?」


 ごつっごつっ、とリリイは日傘の石突でサランの額を思いっきり突きながらすごんでから、リリイは目の前に冷や汗垂らしておびえきったサランの顔を近づけ睨むと、チッと舌を鳴らす。

 

「――遊んどっても仕方ない、たちまち手ェ出しんさい」

「手?」

「そう、手じゃあ」


 リリイは片手で日傘の取っ手を器用に外す。鉤状に曲がった黒い握り手にはまだ仕込みがあったらしく、音を立ててナイフの刃が飛び出す。それを構えてリリイは凄惨にニィッと笑った。


「よお落とし前の案を出せん先輩に代わって仕切らせてもらいますわ。今からたーちゃんの体を弄んだ方の手ェ一本、落とさせてもらいますけェのう」

「──、手っ⁉︎」

「先輩の利き腕は右腕じゃったのう? ほいたら右手首出してもらいましょうやァ? ――ベロ切り落としてスライスして焼いてネギ巻いてレモンかけて食うてもええんど、こっちは?」


 リリイの口も元から覗く、咥えたキャンディの棒が噛みしめすぎたせいで曲がってしまっているのが見える。


「――手か舌の二択?」

「たーちゃんの体見つくした目も追加せえゆうことかのう?」

「すんません、手でお願いします」


 入学時に強制的に加入させられるワルキューレ傷病保険には、戦闘中の負傷により義手義足が必要になった際にはその手術費用と以後数十年にわたるメンテンナンス費用の補填が含まれていた筈――と頭の中で計算しながらサランは右腕を差し出す。ワルキューレの私闘もカバーできるかどうかは不明だが。

 サランは大人しく右手を差し出した。


「極力痛くしないでもらえないと嬉しいです」

「は~い、素直ないいお返事~」


 くるりと仕込みナイフを手の中で回転させ、リリイは普段みせる満点の仮面のようなアイドルスマイルといつもの甲高く甘い声でしゃなりと微笑んだそのすぐ後に、すぐさままた凶悪な表情になって切っ先をサランの目元に突き付けた。


「だらまあ目ェから、その次にベロ、最後に右腕といかせてもらいますけえ覚悟しときんさい」

「⁉ ちょっと待って、話が違うっ! なんで制裁三点盛りになってんのっ?」

「おンやぁ~、誰が三択言いましたァ? 体一か所どうにかした程度のことで晴れると思われるとはわしの怒りと悲しみも軽う見られたもんじゃ」


 眼球から数センチの所にナイフを突きつけられて、サランもさすがに血の気を引かせた。手首はなんとか覚悟はきめられたが、舌と目はこの短時間ではまだ無理だ。

 全身から冷や汗を滝のように流しながらサランは早口でまくしたてる。


「待て、リリ子っ。目はともかく舌は死ぬっ! 前科持ちではアイドル業で天下とりは不可能だぞっ! せめて手、目、舌の順で始めてくれっ。後生だ!」

「やだぁ先輩〜、きっちり三つとも制裁お受けになるつもりなんですねぇ。ご立派ぁ〜。……でも失血死やショック死のリスク考慮なさってますぅ? 手斬られるのだって相当痛いんですよぉ? 先輩威勢がいいわりに臆病で痛さの耐性なさそうなのに厚かましく生き残るお積りだったんですかぁ。あははおっかし〜……。──そもそも先輩、この島をどこやァ思とるんでェ? 太平洋の孤島ど?」


 生命の危機に対応できないサランは、リリイが右手でくるくると弄ぶナイフのきらめきをただ見つめる。よどんだ目はサランに据えられているのにナイフを扱う手つきに危なげは無い。どういう育ち方をしてきたんだとサランは今更リリイの生い立ちに思いをはせた。


「周りはサメやらなんやらがウヨウヨ泳いどるラグーン、崖から一発下に放りでもしたら土左衛門になる前に肉やら何やらは魚の腹の中、骨は波に洗われて砕かれいずれビーチの星の砂と混ざってくれますけェ、右手と目ん玉とベロのない不審な死体はあがりやせん。書類上では自主訓練中に事故死したどんくっさいワルキューレが一人生まれるだけゆう寸法じゃ。――ちゅうわけで先輩は浜の真砂に宿る英霊の一柱ンなってわしら後輩ワルキューレの大成をヴァルハラから見守りんさいや」


 見守れるかぁ! と震え上がるサランを助けたのは突如この場に降って湧いたように感じられさえする、低く艶やかでよく通る声だった。


「その計画には穴がある」


 さほど大きいわけでもなければ感情があまり乗っていない、淡々とした声にもかかわらずそれはまっすぐ二人の耳に入る。

 リリイの手が素早く動き、仕込みナイフの刃をサランから遠ざける。

 声は淡々と続く。二人の視線の先にあるのは、棕櫚の木にもたれてこちらを見る、稽古着姿のヴァン・グウェットだった。

 やはりあまり感情の機微のみられないアーモンドアイを二人にむけてから、無駄のない体捌きでこちらへするすると歩み寄る。


「崖の下は岩場。断崖から投げ落とされた骸は岩礁に乗り上げ引っかかり十中八九外洋へは運ばれず人目にさらすがオチ。骸の隠滅を優先するその案を実行するには環礁の外側まででる必要がある。ならば船と協力者の調達が不可欠。しかし船の調達は悪目立ちする上そもそも人望のないお前に協力者はいない。計画は返上するが最善」


 歩み寄りながら息継ぎも感じさせることなく一定のリズムと抑揚を乱さずヴァン・グウェットは非常に物騒な長い言葉を口にする。そして気がつけば二人の前に立ち、感情が無いような視線で睥睨する。そしてやおら、サランのみつあみに右手を伸ばし、リングを嵌めた左手を振った。

 その手には一瞬で、三日月の形をした金色の短剣が現われる。特級ワルキューレのみに許されるショートカットされたワンド装備過程に目を丸くしているあいだに、サランの三つ編みは襟足からばっさりと、断ち切られたのだった。

 

 ざっくりと、無造作に、有無を言わさず。声をあげることすら叶わなかった。


「――っ⁉」


 うなじが涼しくなった感触が先に来てとっさに事態がのみこめないサランがおそるおそる首の後ろに手を回し、小学生のころから自分と共にあった髪がそこから突然なくなった事実を確認して声をあげそうになったのに、犯人であるヴァン・グゥエットの表情はやっぱりぴくりとも動かない。

 ただ、あっけにとられたように目を丸くしているリリイへむけて断ち切られたサランの三つ編みを突き出す。


「ねずみは今マーの所有物。故にこれで満足するのがお前の身の為でもある。醜聞屋の猫」

「――……あらぁ」


 仕込みナイフを持つ凶悪なリリイを前にしても表情筋は動かない。そのせいか、リリイも即座にいつもの仮面めいた笑顔を浮かべナイフの刃を収めて、切り取られたばかりのサランのみつあみを受け取る。スカートのポケットからハンカチをとりだしてさっと包んだ後リリイはにっこりと可憐に微笑んだ。物騒な顔と口調で凄んだ様子が一瞬で搔き消える。


「初めましてぇ、ご活躍とお噂はかねがね伺っております〜。ホァン先輩」


 声もいつもの脳天から出すような甲高いもの、そして口調も不必要に語尾を伸ばすいつものものに戻る。


「私、初等部二年のメジロリリイですぅ。今は新聞部でお世話になっていますが、しばらく前まで文芸部に籍を置かせていただいてました縁により、文芸部部長のワニブチの使いで参りましたぁ」


 つまらないものですがぁ〜……、と、リリイはにっこり微笑んで提げていた菓子折りを表情の読めないトップスターへ丁寧に差し出した。

 ヴァン・グウェットがその時、大きいアーモンドアイを瞬きさせる。非常にかすかな一瞬であったが。サランがほぼ初めて見るこの上級生の表情の変化だった。


「メジロ?」

「……ええ、メジロですぅ~」


 ふうん、と意味ありげに頷きながら菓子折りの入った紙袋を受け取ったヴァン・グゥエットからはかすかな表情らしきものが消えていた。


「成る程。沿海地方のシャオチィーが今やメジロの薬漬け猫か」


 それでもいつもの、判じ物めいたわかりづらい一言を口にする。リリイはそれには言葉で応じず、咥えたままのキャンディを口からだして噛みしめすぎて折れ曲がった白い棒をいつものように指でつまんだ。


「すみませえん。先輩の前で失礼しちゃいました~」


 リリイの一見殊勝な態度をヴァン・グウェットは今までとかわらず無表情なアーモンドアイでひたと見つめる。

 しかし口調はがらっと変わった。


「──ええけ、咥えとりんさい」


 はい⁉︎ とサランは耳を疑い目を見開く。

 何故急に訛る⁉︎ という驚きを無視してヴァン・グウェットは受け取ったばかりの紙袋を改めた。


「ここの菓子は美味しいし、マーも好きじゃけきっと喜ぶわ。あんた流石ええ趣味しとる、ありがとうってにうちが礼を言うてたて伝えて貰えんか?」

「――はい、そらもう。しっかり勤めさせてもらいます」

「悪いなあ、使おてしもて。その分の礼はしちゃるけえの」


 二人は唐突に訛りでやり取りをする。当たり前のように。それにサランはついていけないが、共通言語を使うことで二人の間で何か密約めいたものが言外に交わされていることは察する。

 第一、ヴァン・グウェットはジュリのことを撞木の侍女と呼んだ、文芸部部長ではなく。


 ともあれ、表情は相変わらず固いままだが口調を訛らせたことでそれまでに感じなかった柔らかで有機的な雰囲気が鉱物めいたこのスターに生じたことは間違いない。たかが言語されど言語。


「この学校ではうちと同じ言葉で喋れる子ぉはあんまり見よらん。故郷ふるさとの訛りが懐かしいなってもここは太平洋の真ぁ真ん中じゃ。停車場ちゅう気の利いたもんもありゃあせん。じゃけ、あんたみたいに気兼ねのうこの言葉でお喋りできる子ぉがうちはずっと欲しかった。偶にはこうやって、慣れた言葉で心おきなく喋りたなることがうちにもあるけえの」


 そう言いながら、ヴァン・グゥエットは稽古着にしている繻子のような素材のパンツから何かを取り出す。

 銀色の三日月と星のチャームのついたヘアピン状の髪飾りだ。ほんの数分前まで冷たい鉱物のようだった上級生は、リリイの髪に触れサイドの髪を細い指で掬ってわけると髪飾りをそっと刺す。

 心得たようにリリイもその間、長いまつげの生えそろった瞼を閉じて、アイボリーの肌をした中性的な面立ちの上級生の成すことを受け入れる。

 幼い子供好みなおもちゃめいたデザインの髪飾りが普段のイメージからは正反対なリリイの清楚な可憐さを引き立す。さっきまでのすごんだ様子が一掃されたその頬にほっそりした指をそえて、舞台上では美男子を専門的に演じるトップスターはアーモンドアイでまっすぐリリイの目を見降ろしながら静かに囁く。


「うちがリングを交換する相手は生涯に一人、マーだけて決めとる。じゃけ、これがうちがあんたを妹にしたいう証や。——言うとる意味、分かるな?」


 ――ああ、姉妹の契りというやつか。シャー・ユイがいたら泣いて喜んだろうに――。


 見た目だけは大昔の少女雑誌の挿絵のように麗しい一コマをみて、サランはそんなことをぼんやり考えてしまったが、目の前に繰り広げられているこの麗しい光景が見た目通りほのかで清らかなだけのものでないことは明らかだ。

 ヴァン・グゥエットの視線をうっとりと受け止めたようなリリイだったが、すぐさまサランを脅した時と同じ、暴力のプロそのものの凄惨な笑みで返す。


「わしもリングを交換する相手は一生に一人と決めとりますけェ、先輩みたいなそういう筋の通った生き方する人は好きじゃ。――喜んで姐さんと呼ばしてもらいます。以後、仲ようしたってつかあさい」

「うちも飲み込みが早おて賢い、なおかつ根性の座った子は好きや」


 咥えてもいいと許可を出されたが、指に摘んだままにしているキャンディーを持つ手をそっと取って持ち上げる。令嬢の手の甲に伊達男が口づけようとするような一瞬にも見えたが、ヴァン・グゥエットの言葉は静かで剣呑だった。


「――初等部の生徒会が高等部の連携無視して妙な動きを見せとるのが気になっとったとこじゃけ、キタノカタとつながりある娘との縁が欲しかった。あんたはメジロ育ちでシモクの侍女とも醜聞屋の蠅女ともつながりがある。うちに言わせたら願っても無い子ぉや。──ほんまにようこの学校に来んさった」


 キャンディーをじっと見つめるヴァン・グゥェットのアーモンドアイに初めて感情が乗ったようにサランの目には映る。

 それも、怒り、激情を思わせる秘めたるが荒ぶるものだった。低く抑えているにも関わらずよく通る声にも今までまるで見せない感情の片鱗が現れる。


「こがあな飴食うてまでワルキューレになりに来たいうあんたの気概と根性、今後うちが全部買うちゃる。じゃけ、よう気張りんさい」


 たったいま姉になった上級生の独り言の意を汲んだらしく、三日月の髪飾りを刺したリリイは微笑みを浮かべる。やはり見た目だけは可憐だ。

 ヴァン・グゥエットはそれを見ても表情は変えない。しかし口調は一変した。サランの方を向いた時には、既に有機的な雰囲気は掻き消え鉱物めいた怜悧さをその体全体に湛えている。そして感情のこもらないようなアーモンドアイで今迄おきざりにされていたサランへ淡々と告げる。

 

「ねずみ。分かってるとは思うが今のことは他言無用」


 ヴァン・グゥエットが無表情に他言するなと警告するのはどの点に関してだろうか。マーハの見ていないところでリリイと姉妹の関係になったことか、それともいつもの判じ物めいた口調から一変した言語を使って人間臭さをにじませたことだろうか、それともどうやらキタノカタマコの動向を気にかけていることだろうか。

 きっとそのどれもがそうなんだろうなとアタリをつけつつ、念のためにサランは確認してみた。


「も、もし、うっかり他言しちまったら――?」

「マーハを悲しませるのは本意ではない。なれどねずみがこの件を口外するというのなら我が手でお前の目をくりぬき舌を切り右腕を落とし外洋の魚の餌とせねばならない。妹の受けた屈辱をはらすは姉の務め故に」


 じ、と瞬きしないアーモンドアイでヴァン・グゥエットは淡々と語る。感情が垣間見られないがために、この上級生は本気でやるな、脅しではないな、とサランも本能で納得することができた。きっと各種凄惨な暴力に従事するときも、この上級生は表情を変化させないに違いない。


「だ、黙ってます。うちが髪の毛切られた後のことは見てませんし、言いませんっ」


 サランは引きつった笑顔でそう言うと、満足したのかヴァン・グゥエットは静かにうなずいた。そしてくるりと踵をかえす。


「長居をしすぎた。そろそろ部員が不審に思う頃合い故先に戻る」


 そう言って静かな足取りで、棕櫚の植え込みの向こうにある泰山木マグノリアハイツへ帰ってゆく。その間こっちを振り向くことは一切なかった。

 さっき姉妹の契りをむすんだばかりのリリイは、にっこりほほえんで小さく手を振っていた。サランの視線に気づくと、いつものような仮面めいた笑顔を向ける。般若の顔でも暴力のプロの顔でもなかった。


「ホァン先輩、もっと近寄りがたい方かと思ってましたけど話してみたら案外人情家のお優しい方なんですね〜。ふふ、素敵〜」


 でも私はやっぱりたーちゃんが一番ですからあ、と分かりきったことをわざわざ念を押してからリリイはサランに視線を据えた。


「――さて、と」

 

 そして日傘をぱっと開いて、いつものように柄を肩にかけるようにしてさす。しゃなりと音がなりそうな愛らしい美少女アイドル姿にもどったリリイは、ダメを押すようにサランへダメ押しするようにもう一度微笑みかけた。


「先輩、その髪型よぉく似合ってますよぉ~。やっぱり先輩には昭和の子どもみたいな雰囲気がいちいちしっくりきますよねえ~。か~わいい~」

「――そりゃどうも。これでお前の気が済んだなら安いもんだよう」

~、その辺はぁ~? 今後は調子に乗らずにいてくださると助かりますぅ~。でないと今後、ホァン家の皆さんを敵に回さなきゃいけなくなっちゃいますからぁ。……旧日本の米作地帯で市役所職員やってらっしゃる先輩のご両親には荷が勝ちすぎると思いますよぉ、黄家の方々に対処するのは~」

「――黄家って?」

「気になったらご自分でご検索くださぁい」


 リリイの陰険さのレベルが普段通りになってきた。棒の曲がったキャンディをいつものように舌先でゆったり舐りだす。

 サランはリリイのふるまいがいつも通りになったことに自分でも驚くほどの安堵を覚えながら、スッキリしたばかりのうなじを撫でて払った。無造作に断ち切られた髪の切れ端が肌にはりついてちくちくすることが急に気になったのだ。


「――いいよう、ナントカ家とかナントカファミリーって呼ばれるような所はやんごとあろうがなかろうが、うちみたいな呑気で平和な中流家庭と極力関わり持つもんじゃないってことくらいは掴めるよう」


 それより、とヴァン・グゥエットの台詞の中からサランは気になっていたことをリリイに尋ねた。


「お前の本当の出身地って沿海地方なの?」

「――ええ〜、しがないちっちゃな田舎町ですけどぉ~」

「ふうん、寒そうなとこ出身なんだな……。――所でホァン先輩って、名前からしてインドシナ半島出身だよなぁ?」

「それも検索なさった方が早いんじゃありませぇん?」

「まあ聞けよう。なんでインドシナ半島出身なホァン先輩がユーラシア大陸の北東出身のお前の昔の名前知ってたんだよう、しかも隣の市内の有名なヤンキー感覚で? 仮にホァン先輩の出身地がホーチミンだったとしてお前のいた沿海そばの田舎町まで何百キロはなれてると思ってる?」

「――……、さぁ~? だからそういうのはご自分でご検索くださいなぁ」


 リリイはいつもの仮面のような笑顔を浮かべて、しゃなりと瀟洒で繊細な作りの日傘を回してみせた。

 構わずにサランは続ける。


「育ってきた場所がそれだけ離れているのに、なんでお前とホァン先輩は同じ言語で喋ることができる? 英語スペイン語アラビア語ってんならまだしも、リングが勝手に日本語山陽方言かシチリア訛りの英語に訳すタイプの共通言語で?」

「……ふふふ、やだぁ~先輩ったら探偵ごっこですかぁ? ――一つ考えられることはこのリングの翻訳機能の設計をなさった方があるタイプの映画がお好きだったんじゃないかしらってことくらいかしらぁ~? 嫌ですよね、そういうステロタイプを振りかざす人ってオリジナルの方言話者の感情を一切考えないんですから〜」


 天使のような甘く愛らしい声で、リリイはあるメロディーを口ずさむ。チャ~チャ~チャラララ~チャラララ~……という、前世紀後半の旧日本で作られた有名な映画のテーマ曲である、胸に銃弾を撃ち込むようなあの物騒なメロディーだ。それすらアイドルの仮面をかぶったリリイの口から放たれると小鳥のさえずりに聞こえてしまいそうになる。

 それ以上、リリイはヒントを与えるそぶりも正解を教えるそぶりは見せなかった。それでいい。それでこそメジロリリイだ。

 

 それに、これだけヒントがあれば大体のことは分かる。リングが山陽方言に変換したあの言語は、同地域、同一民族、同宗教で共有されるものではない。環太平洋域である種の職業に従事している人々の間で使用される職業言語だ。

 タイガが自ら志願して出撃してゆく中米が特に顕著だが、昨今、反社会的勢力と侵略者が手を結んでいることは珍しくない。ワルキューレたるものそういった勢力の言語を理解する必要もあるのだ。


 ――つまり、そういうことだ。

 メジロ児童保護育成会なる施設に身を寄せる以前で既にリリイはある種のある階級においてユーラシア大陸北東部からインドシナ半島までの名を轟かすような存在であり、初等部生徒会の動きを警戒しているヴァン・グゥエットはリリイのその素質を見抜いて舎弟にしたというわけだ。であればこそ、リリイが初等部二年らしくない異様な戦闘力を有するのもわかる。

 サランが目撃した、ヴァン・グゥエットとリリイの間に交わされたのは姉妹の契りというより盃を固めるといった行為に近いものなのだろう。おそらく。


「――どうかしましたぁ? 先輩~」


 サランが改めてリリイを見ると、仮面の笑顔でリリイはにっこりと微笑む。うすく開いた眼が、サランの顔をしっかと見つめてサランの推測が正解であるといわんばかりに念を押す。

 今度もし、タイガとああいうことになれば今度こそ命はないものと思えと言外に警告する。


 きっと、リリイもヴァン・グゥエットもやるといった以上は躊躇なくやるタイプなのだろうなとサランは心に刻んだ。第一、リリイに対して自分が大規模管理された米作地帯の出で両親はともに市役所職員だと伝えた覚えはサランには全くない。そのことを伝えたのは侍女時代のジュリのみだ。

 おそらくリリイは自分でしっかり調べて押さえていたのだろう。だからサランは一言、別に、とだけ返した。


 太平洋校はワルキューレになる素質をもつ少女なら、係累経歴人種民族生育環境何一つ問わず受け入れる。

 お姫様にご令嬢もいれば、平民庶民もおり、かつてなら不可触民と呼ばれ蔑まれた階級の出身者だっている。その点だけは等しく平等な場所だ。何とは言わなくても極めの道を歩む者もいたって不思議ではない。


「――さて、と。私もそろそろ文化部棟に帰ります~。先輩、何かワニブチ先輩にお伝えしたいことってありますぅ?」


 くるりと日傘を回したリリイは、ねっとしりた視線をサランへ向けた。ありますよねぇ、ねぇ~? ……と、その視線で訴えかける。

 勿論サランにはジュリへかけたい、かけなければならない言葉が山のようにあった。

 それなのに、何故か、その言葉が浮かんでこない。サランはすっきり涼しくなったうなじに手を当てる。


 右掌に細かな髪のくずがくっつく。それを払いながらサランは自分の薬指に目を止める。そこには勿論リングがある。自分自身のリングだ。


「そうだな……。次の出撃はいつで、どこだとか」

「はいはい~。……それに?」


 もっと伝えねばならない大事なことがお前にはある、と、きれいな弧を描いているにもかかわらず一つも笑っていない眼差しが語る。そんなことはリリイに言われなくてもサランには分かっていた。


「それに、あれだ……ごめんって。うちはあいかわらずアホで、心配かけちまって」

「で・す・よ・ねぇ~。……ああ本当、ワニブチ先輩ってお可哀想。こんな不実不誠実なサメジマ先輩の為にここまでしてくださる方ってワニブチ先輩だけなのに」


 清々したようにリリイはサランに言い捨てて、くるりときれいなターンを決めた。そして短いスカートの裾をゆらしながら文化部棟へ向かって去ってゆく。

 サランはその後ろ姿が棕櫚の木立に紛れるまで見送った。


 


 こういった経緯でサランの髪は短くなった。


 髪の長かった者が突然短くすると世間はざわつく。それがサランのような本来地味な少女で注目されない側の少女であるといっても。

 二十一世紀末期になっても人類は、彼女が髪を切った理由を気にしてしまうものらしい。人類ってのは嘆かわしい、と寮の食堂で食事を摂りながらサランは思う。


 切られて気づいたが、短い髪というのはなかなか快適だった。何よりこの亜熱帯の島では首筋が涼しいというだけで利点は大きい。毎朝きっちりみつあみを編むという手間から解放されたのも大きい。――ただし、下手な眠りかたをした時に出来た寝ぐせを直すのはみつあみをあむのと同程度からそれ以上の手間がかかる。


 髪を切られたことは自分の中で折り合いがついたのに、周りはそう受け取ってくれないのだった。

 

「――ごめん!」

「……、はぁ?」


 八月上旬、寮の食堂で朝食中、いつものようにご飯とみそ汁という和風朝食を食べていると、むすっと膨れた顔つきの首席ワルキューレが勝手に正面の席に座った。峰打ちのトラウマが蘇り、とっさに顔をしかめたサランの前でがばっとトヨタマタツミは頭を下げたのだ。額をテーブルにぶつける勢いで。


「あの時、カーっとなってしまってつい、ワンドで峰打ち食らわせて悪かった。ごめん!」

「――はぁ」

「後でカグラに詳しいことを聞いて、そこから叱られたんだ。あの時自分が泣いたのは自分にも原因があったのに、話をきいてくれなかったって。よしんば、サメジマさんが全部わるかったにしてもだからってワンドを携帯してないし錯乱もしていないワルキューレ相手にワンドを振うなんて絶対やっちゃいけなかったって……。それ聞いて、反省したんだ。確かにあたしは人の話を聞かないところがあるって」

「――はぁ、うん」


 首席ワルキューレのつむじを見つめながら、サランは朝食のおかずである鮭を口に運んだ。何が言いたいんだろう、この人……という思いでトヨタマタツミの頭に視線を据える。いくら美人でも他人んのつむじって、食事中にみたいものじゃないなとサランはそんなことを考える。


「で、このことについて謝ろう謝ろうとしてるうちに、あんた髪切ってて――。どうしたのっ? ってびっくりして。もしかしてあたしの峰打ちで反省してそんなことになっちゃったのって、カグラに相談したら、とりあえずあんたに直接きくべきだって言って――」


 ねえ? とタツミは隣に座って俯くカグラに向けて首を傾げてみせた。カグラはサランの顔を見ようとはせず、居た堪れなさそうに身をもぞもぞさせている。


 その様子でサランはぴんと来た。とりあえず表面的に冷静にジャガイモの味噌汁をすすって、心の中で声を出す。


『ミカワさん……あの時うちとトラ子が保健室でああなってこうなってんの、気づいた?』

「っ⁉︎」

「カグラ? ちょっとどうしたの? 急にビクッとして……?」

「ご、ごめんねタツミちゃんちょっとなんか急に首筋がピキって引きつってびっくりしちゃってー……」

『あああああっ、ごめんなさいごめんなさいっ。覗くつもりは無かったんですぅ。ただサメジマさんの夢の中にダイブした後、しばらく経ってからサメジマさん元気になったかなって保健室の前まで来たら、あのっ、そのっ、二年の上級の子の心の声が聞こえてきちゃってそれでそれで……っ。あの本当にそういうつもりは無くて……っ、ごめんなさいごめんなさぃぃ』

「あー確かに急に首の筋肉とかひきつることあるよね、あれ痛いよね〜」

「そ、そうなのっ。すごく痛くてびっくりしちゃって……!」

『本当にごめんなさいいいっ! とりあえずドアの前にいた委員会の子にキタノカタさんが呼んでたって声かけて遠ざけるので精一杯で……』

『いやそれ超ファインプレーだよう。ありがとうね、ミカワさん』

「ね、カグラ。あんたがサメジマさんに髪を切った理由を聞くべきだって言ったんだよね?」

「そ、そうなの……っ、そうなんです……!」

『いくらなんでも私の口からサメジマさんが髪を切った本当の理由を話すわけにはいかなくて……! だからこうやって丸投げしちゃって……またご飯中にお邪魔しちゃって本当にごめんなさいいいっ』

『いやいいよ。寧ろこっちが気いつかわせちゃって申し訳ないよ。口と心の中双方同時に別の会話するのって大変そうなんだけど、その辺どうなの?』

『大変ですううううっ!』


 ひし、と縋り付くようにサランへ向けた神楽の顔面、乱れた前髪から涙目になったカグラの大きな目が覗く。その目が無言で助けてくれと縋っているのでサランは頷いてみせた。この状況はサランにとっても大変だ。


「……あのねえ、トヨタマさん」


 真面目な話をするよという合図のために、サランは食器をトレイの上に置き手のひらの上に膝を置いた。

 それに応えて、タツミも真剣な表情でサランの顔を正面からまっすぐグイグイ見つめる。その眼力に押されそうになりながらも、サランは応えた。

 眼力の圧が強い美人を相手にするのには慣れている。


「うちはね、小学生の時からずーっとおんなじ髪型してたの。で、それも飽きてきて、そろそろ髪型変えようかなって思ってたんだわ」

「──それで?」

「でさあ、六月末から思いもよらないことばっかり起きたでしょ? そりゃトヨタマさんやフカガワミコトをいじりまくるうちらが悪くて因果応報だって話になるんだけど、でもやっぱりこうも立て続けに面倒なことが起きるとさあ、鬱陶しいし凹むんだよね。だからちょうどいいし髪でも切って運気でも変えてみるかってなったんだよう」


 じーっ、と身じろぎもせずにタツミはサランを凝視する。あまりに真剣なせいでまるで怒っているように見える。よもやまさか、この理由で納得いってないのか? サランは不安に思い「……それだけだよう」と付け足した。


 トヨタマタツミはしばらく間を置いて、テーブル越しにサランに顔を近づけた。


「──サメジマさん」

「何? 本当にそれだけだってば」

「あたしなんかのために、気を使わなくていいよ」

「はい?」


 トヨタマタツミは首をかしげるサランを無視して立ち上がった。どういった理由によるものか、タツミは自嘲気味な笑いを浮かべている。


「いいよ、全部言わなくて……。あたし、サメジマさんのこと誤解してた。人の気持ちなんた考えない下衆なヤツだと思ってた。でも違うんだね、こうやって悪者買って出てあたしなんかの為に気を使ってくれる人だったんだね……。なのにあたしってば、話も聞かずにワンドで峰打ち食らわしたりして本当バカ。……そりゃフカガワのヤツもこんなやつ嫌いになっちゃうよ……」


 タツミは形良い眦からポタポタと涙をこぼした。美しい少女が大粒の涙を流す姿はまるで絵のようではあったが、問題はサランには何故にタツミが泣き始めたのかわからないことである。

 分かることは一つ、おそらくサランの話を耳にしてはいるが聞いてはいない。そして何やら大いに誤解してる。


「あ、あのさあトヨタマさんっ。本当にそれだけの理由なんだってば。別に気なんか使ってないったら!」

「ありがとうサメジマさん、あたしなんかの為にそんな嘘までついてくれて……。ごめん、食事の邪魔しちゃって。もういくねっ」


 サランは慌てて言い募るが、タツミは自嘲気味に笑って立ち上がり、居た堪れなさそうに食堂の外へ駆け出す。カグラも慌ててそれに倣うものの、オロオロと二人の顔を見比べる。


『ど……どうしよう! タツミちゃんたら変な誤解しちゃってます……!』

『変な誤解してるってことは見たら分かるよう。とりあえずフォローしてあげて、うちのことはもういいから』


 再び味噌汁を啜りながらサランは目線でカグラへ後を追うように促した。カグラは立ち上がってサランへぺこんと頭をさげて親友の後をおった。

 ようやく静けさをとりもどしたサランは、あんなに人の話を聞かないトヨタマタツミの評価が特級というのは本当だろうかと疑いを高めた。ワルキューレ因子保有率が並外れて高いのは確かだろうが、円滑な意志疎通がここまで難しいヤツがいるのは現場では危険すぎるだろう、どう考えても。

少なくとも自分はあの人が指揮する部隊に放り込まれたくはないな、とサランは心の中で呟いた。ミカワカグラはこの声に気づいただろうか。



 それから数日、平穏な日々が過ぎた。


 各ワルキューレ養成校の生徒会長の会談——という名のパジャマパーティーが突然企画されて生徒会長や生徒総代たちが太平洋校に集まることが決まったり、リリイのアイドルランクが急上昇したり、タイガが出撃先から無事生還したり、大小様々な出来事が起きる中、サランはマーハの小間使いとして平穏に過ごした。


 そんな中、サランのリングに通話の着信が入る。


 完全に無視するつもりで書斎の資料整理に励んでいると、立て続けに二度三度とメッセージが入る。その都度白猫コンシェルジュがポップアップして着信があったことを伝える。しかしサランはしっかり無視をした。

 着信の感覚は最初、三十分に一回だった。そのうち十分に一回になり、五分に一回、そして三分に一回なる。

 整理作業に集中し始めたタイミングで、ちゃくしんがあったよ~と、白猫コンシェルジュが右手の上でポップアップされてサランにいちいち報告する。


 サランはそれでも鉄の意志で無視をしていたが。ついに一分おきに着信が入るようになる。もう我慢の限界だった。

 こういう状況だといつも逆立ったみつあみがもうないため、短くなった髪を猫のように膨らませたサランは通話アイコンを殴った。そして、泰山木マグノリアハイツの住人が使ってはいけない言葉遣いで怒鳴る。


「るっせえな! 出ないっつってんのに何べんも通話かけてきやがって! そっちはどうか知らねえがこっちは暇じゃないんだ。かけてくんじゃねえ、もう切るぞ!」

『そっちこそるっせえ! こっちだって好きでお前なんかに連絡かけてんじゃねえぞ、文芸部のちんちくりん!』


 白猫コンシェルジュが約ひと月半ぶりに聞く少年の声で怒鳴る。


『――っと、お前今文芸部じゃないんだっけ?』

「どうだっていいよ今そんなことは。ただおしゃべりがしたいだけならもう切るようっ。こっちは暇じゃないんだっていっただろ!」


 怒りにまかせて通話を切ろうとするサランを、慌ててフカガワミコトが引き留める。


『待てよ、待てって――っ。……なんかさ、トヨタマのやつがついこの前、泣きながら意味わかんねえこと言ってきたんだけどよ……。なんか、お前とキチンと話し合えって』

「……ふーん、あの話の通じない人がなんて?」

『まあ、確かにアイツそんな所ありまくるけど、そんなはっきり言うなって。根はまっすぐなヤツだし』

「何っ? 惚気るなら他の人相手にやれようっ」

『の、惚気てなんかねえしっ。ばばばっ、バカじゃねえのお前っ。……つうか、だから、そのトヨタマがお前の話を聞けってそればっかり言うんだって。だから、しゃあなしにだなあ……っ。俺だって別にお前になんか……』


 白猫コンシェルジュの向こうで少年の口はなにやら言い淀んでる。もじもじと、決まり悪そうなニュアンスがその歯切れ悪い口調から漂っていたが、サランはそれを聞いてもただイライラを募らせるだけだった。


「用がないなら通話かけてくんなって言いませんでしたっけ、うちは⁉」

『わ、わかったよ。……あのさ、これ言うとお前絶対ブチ切れると思うけど、言うぞ?』

「? なんなのだから。持って回った言い方するなよなぁ、本当にこっちはイライラしてんだから――」

『念をおすけど、これをお前に訊けってせっついたの、俺じゃなくトヨタマだぞ? トヨタマがなんかここしばらくずっと調子落としてるから一応訊くだけだぞっ? 分かったな』


 まだるっこしいったらないな、この「本当はなんとなくお互いのことを気にしてる癖に口を開けばケンカばっかりしてる」ラブコメ糞野郎どもは……っ。


 と、サランの堪忍袋の繊維が一本一本ぶちぶちと切れ始めたころ、リングの向こうですーっと息を吸い込む気配があった。そして一拍、間をおく。


『……あのさあ』

「だから何っ、とっとと言えって」

『お前が髪切ったのって、本当は、俺が、あー、アレだ、……好きだから……、だったりする? で、身を引くために切ったとか、そういうこと、ある?』


 サランの頭が一瞬真っ白になる。


 その呼吸すら忘れているその間がリング越しにフカガワミコトにも伝わったらしい。すっきりさばさばした声てフカガワミコトはまくしたてる。


『だよなー! なわけねえよなー! ったく、トヨタマって本当思い込み激しくってさー、何度も何度もそんなこと天地がひっくり返っても西からのぼったお日様が東に沈んでもありえねえって言ってんのに聞く耳なくってよぉ~。あげくこんな妙な話勝手につくって不安になってっし。あいつ勉強の成績いいくせに、なんかどこか間が抜けてんだよなぁ~。……悪かったな、変なことで時間取らしちまって。じゃ、仕事がんばれよ』


 通話は一方的に切れて、サランの右手の上から白猫コンシェルジュのポップアップは消えた。


 その時、サランの中で堪忍袋の緒がぷつりと切れる。


 ただ無言でフカガワミコトの現在地を確認。あのビーチにいることを確認するとゆらりと立ち上がる。

 黒い練習着姿の演劇部初等部生に少し出てくると断ってから、やおら泰山木マグノリアハイツの外に出た。


 そして、ゆったり深呼吸するとビーチに向けて走り出す。

 最初はゆったり、徐々にスピードをのせ、そして持てる全力を出して疾走を始める。


 クラシカルなメイドスタイルでサランは走る。ビーチへ向けてひた走る。砂煙をたてて、冷たいものを食べるか駄菓子でも買おうかと売店へむかうワルキューレ達をごぼう抜きにしてサランは走る走る。ほどなくしてビーチが見えてくる。


 白い砂浜の上、少女と少年が何やら向かい合って真剣な表情でお互い見つめあっていたが、堪忍袋の緒が切れて血が上ったサランにとっては知ったことではなかった。


「フ・カ・ガ・ワ・ミ・コ・トぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~!」


 ビーチへはゆるい坂になってることもあり、走るサランは加速する。十分な勢いがのったところで地面を蹴った。メイド服のスカートがふわっと膨らむ。

 自分にかぶさってきた影が宙に躍り上がったサランだとフカガワミコトが気づいたかどうか、サランには分からない。

 ただ、生まれて初めて跳び蹴りというものを放ち、そしてそれはものの見事にヒットした手応えに酔いながら着地した。


 こうして、サランの怒りを乗せた渾身の飛び蹴りは、少年を白い砂浜に沈めたのだった。


 砂浜に昏倒する直前、フカガワミコトが涙目のトヨタマタツミへむけて顔を真っ赤にし意を決して口にしていた台詞は「俺は、お前が……っ」だったことを勝利の快感に酔うサランは知る由も無かった。

 

 呆然と目を丸くするトヨタマタツミをその場に残し、メイド服についた砂を払ってゆうゆうと泰山木マグノリアハイツへ帰還する。

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