#21 ゴシップガールは燃えてるか?

 ◇ハーレムリポート 電子個人誌ジン版 #51◇


 はいはーい、なんかあたしの周辺こげくさくない? どこかで誰かが火でも燃やしてる? この暑いのに焚き火は勘弁、な、レディハンマーヘッドだよ。


 さてそんなこんなでしばらく行方不明だったフカガワミコトも学園に戻って来て、行方不明になってた間の補習をみっちり受けさせられてるよ。ワルキューレ養成校なんつってもあたし達は所謂普通の女の子だったり男の子だったりするからお勉強からは逃げらんない。同情してくれる?


 補習のお勉強のお手伝いをつとめるのはこの騒動のカヤのそとに置かれたマコ様。一人ずーっと島の中でお留守番だったんがからそりゃ独占したいよね〜。やだー、マコ様ったら超可愛い〜。生徒会のお仕事も山積みなのによくやるぅ〜。


 ご実家で体調を整えてから島に戻って来たタツミちゃんも同じ補習仲間なのに帰ってくるのが一足遅れたせいでまたマコ様にフカガワミコトを取り上げられておかんむり、ぷんぷんしながら健気なカグラちゃんと一緒にお勉強中。


 こーんな感じでオールキャストが久しぶりに揃った学園島は久しぶりに平和で平穏。レディハンマーヘッドも英気を養った分、気力充実。#100目指して頑張るからこれからも応援よろしくねっ。


 ……え、この前出てきた新キャラのサランちゃんはどうなったって? 


 それがね〜、サランちゃんはカグラちゃん以上に恥ずかしがり屋さんみたいだから注目されるのを恐れてどこかに隠れてるみたい。そういう控えめで引っ込み思案な所が可愛いサランちゃんの応援をみんなよろしくねっ。


 ……まっ、どこに隠れようとしても逃げらんないんだけどね。レディハンマーヘッドの目は獲物を捕らえやすくできてるんだから。


 それに他のハーレムメンバーがサランちゃんを見逃してくれるかな〜? たまたま運良くフカガワミコトを発見してそのまま一夜を過ごしたシンデレラちゃんを。シンデレラといえば血の繋がらないお姉様にいじめられる女の子だし……やだ、考えだしたらちょっと怖くなってきたかも。どうなるサランちゃんの命運? 次号刮目して待っててね。


 ◇◆◇


 コロニアル趣味を今に遺すフランス窓から差し込むレンブラント光線が、緋色の絨毯に飴色に照りかがやく年代物の家具が収まる室内に差し込む。


 棕櫚の葉に阻まれながらようやくこの部屋にたどり着いた南洋の日差しが浮かび上がらせるのは、かつてこの小さな建物の主人だったもの達の記憶。この部屋にいればその残滓が陽炎のように現れそうだ。

 冷たい飲み物を手に来客と談笑するパナマ帽の青年、サマードレス姿の物憂い婦人、影に徹する使用人──。一階に集う来客たちがたてる物音すら聞こえてくるよう。

 この島の名士の一人としてパーティーに招かれた両親に連れられた娘は一階ホールで広げられるパーティーにすっかり飽いている。大人の世界に所属できないが子供ですらない年頃の娘は、この建物の昏がりの気配に誘われて階段を上って探検に出る。

 蓄音機から流れる音楽も届かぬほど奥まった部屋のドアがかすかに開いており、少女はウサギ穴に落ちた女の子の心持ちでその中を覗き込む。

 目に痛いほど眩しい一階がまるで別世界のことのように思われるほど静かなその部屋に足を踏み入れ、少女は吐息を漏らす。昏く沈んだこの部屋にはこんな植民地の小島にはふさわしくない本の並んだ立派な書架があったのだ――。



「気になる本があって?」


 背後から声をかけられてサランはびくっと肩をそびやかせた。

 決まり悪さ一色で振り向くと、ドアのそばには演劇部部長ジンノヒョウエマーハがいた。光量を絞った部屋の中でその姿はくっきりと際立って見える。まるで発光してるかのようだ。


「文芸部の副部長さんですもの、やっぱり本はお好きなのね。文芸部さんの蔵書には劣るでしょうけれど気になるものがあったらどうぞ読んでちょうだい」

「あ、いや、えーと……」

「ただしそれはお仕事を済ませた後、ね?」


 いつの間にか、そばに寄ったマーハは本棚の前で棒立ちになっていたサランに釘を刺すことに乗じてからかう。優しく理解ある令嬢が、雇われてまだ間のない小間使いの少女の小さな失敗を見つけた時の口ぶりだ。

 実際サランの状況はその通りなのだった。令嬢つきの小間使いになった少女、しかもうっかり益体も無い妄想にふけってしまうような粗忽もの。慌てて羽根ばたきを持って清掃作業にもどる。


「すんません、すぐに終わらせますっ!」

「急がなくてもいいのよ。ならうちの妹たちがしてくれるから。──ただ、ね、その姿でこの部屋にいる時はどういう役割を求められているか、それを把握してくれると嬉しいわ」


 マーハは微笑みながらサランの肩に両手を置き、そっと室内に立てかけられた姿見を見せる。

 太平洋校高等部制服姿を令嬢の外出着のように錯覚させる佳人のマーハに両肩を掴まれているサランは自分の姿を見て改めて絶句する。紺色のワンピースにフリル付きエプロンにヘッドドレス姿はどこからどう見てもメイドだった。しかも十九世紀末から二十世紀初頭風のクラシカルなメイドだ。二千年紀ミレニアム後半風でなかったのは幸いだが、それにしたってコスプレ感が半端ない。


 絶句したがマーハの命である、サランは役割を把握して自分なりの解をだしてみる。


「申し訳ねえだ、お嬢様。おらこんなに立派な本をみたことなくてびっくりしちまっただよ」

「やりすぎ。でも農村から出てきたばかりの純朴な女の子という設定の選択は流石ね。私も山出しの女の子に教育としつけを施して人前にだしてもおかしくない立派な小間使いに育て上げるという嗜みを体験できるもの。いい勘だわ」

「――ありがとうございます、マーハお嬢様」


 よもやまさか、本当に頭の下げ方から読み書きの仕方などほ本格的に仕込まれるのではあるまいな? 撞木家に通わされた幼いジュリのように――という疑問と恐怖が抑えきれずにサランの顔面に出てしまうが、マーハはそれを見ても口元をほころばせるだけだった。

 ミルクを注いだ紅茶のような肌の色に、ゆったりと波打った黒い髪を背中に垂らしたマーハは姿見をのぞき込みながら、サランのみつあみの乱れを細い指先で直す。髪からか制服からか、それともその身体そのものからなのか、マーハからはジャスミンを思わせる香りが漂う。


 あてつけでもおふざけでもなんでもなく、ジンノヒョウエマーハは「お嬢様」「令嬢」といった言葉がこれ以上ないほどしっくり似合う人だった。典雅で麗しく俗世の苦しみ浮世の垢ごときでは汚されそうにない、芯からの誇りにより内側から輝くような美しさ。

 太平洋校に来てからサランはお嬢様と呼ばれる階級にいる人種数名に接してきたけれど、マーハほどその言葉に似つかわしいものはいない。


 文芸部を放逐される格好になってしまったサランの身柄を引き取るかわりに、手元においておける愛玩動物としての立場を与える等よく言えば天衣無縫なそのふるまいにおけるまで、マーハは「お嬢様」として申し分のないワルキューレであった。




 かつてこの地で羽振りの良さを誇った実業家の別荘だったという来歴をもつこの小さなコテージは、しかるべき機関に申請すれば次世代へ残す価値のある文化財として即座に認定されてもおかしく無いものだ。

 しかしこの島に太平洋校が建設されてより演劇部のトップスターだけが寝起き出来る特別な寮として使用されて久しく、そのような感心な行動に移すワルキューレは未だ嘗て一人もいなかった。


「私たち以上にこの小さなお家を愛し育む者はいませんから」がその理由である。

 実際に世界中にファンを抱え、お大尽のパトロンを無数に抱え込む演劇部の財布は潤沢で、機関が出す文化財保護費程度なら自腹で賄えているらしい。「小さなお家を愛している」の言葉も偽りではなく、19世紀の終わりに建てられたコテージは調度品にいたるまで隅々まで掃除され、つやつやと磨かれていた。


 専門的な補修や改修は業者の仕事になるが、日ごろの清掃や調度品の手入れを行うのはマーハが言ったとおり、演劇部に入ったばかりのスター候補生である初等部の一年生たちである。放課後になると、黒い練習着を着た可憐な少女たちが入れ替わり立ち代り集団でやってきてはきびきびと掃除してゆく。

 そして初等部一年生たちはメイド服姿のサランを見ると、一瞬驚いたのちに自分たちの仲間へ「ああ」「あれが……」「文芸部の……」「フカガワハーレム……」とひそひそと耳打ちし合う。


 これが地味に堪える。

 この針のムシロの状況を打破するために、サランは無視をしてみたり手を上げて挨拶してみたりヘラヘラ笑いかけてみたが、反応は芳しくない。


「はいっ、文芸部はフカガワハーレムお触り禁止ってルールを破った為に文芸部出入り禁止になった元文芸部副部長、フカガワハーレム地味っ子担当サメジマサラン十四歳、いぶし銀パワーであなたのハートにぎんぎんぎゅんぎゅんズッキュンキュン」

 

 一度など思い切って胸の前で指でハートをつくり、二千年紀ミレニアムが過ぎ去った後に隆盛したというアイドル風の名乗りをあげてみたというのに、可哀想な子へ向けられる眼差しをくれたあと「し、失礼します……」とペコペコ頭を下げられながらそそくさと去られるという惨憺たる結果に終わってしまった。


「……」


 ウケを狙った行動が派手に滑り散らかした時ほど辛く悲しい時はない。往時の学園長のスピーチを思い出しながら、メイド服姿でコテージにいるサランはどはーっと盛大に深いため息をついたのだった。


 清掃をしなくてもいいサランが何故にクラシカルなメイド服姿でいるか、そしてなぜ演劇部のトップスター専用寮でマーハの下にいるのかというと、現在のサランの身分が「初等部文芸部副部長」ではなく「演劇部預かり」になるからだった。つまりは演劇部の食客である。


 文芸部員はフカガワハーレムにお触り厳禁、であるにもかかわらずサランはフカガワハーレムのメンバーになってしまった。

 そのことを『夕刊パシフィック』がとりあげる。『ハーレムリポート』には文芸部の意向が関わっているのではないか、近頃マンネリが著しくフカガワミコトの失踪により話題に上る機会の減った『ハーレムリポート』のテコ入れとして紙媒体掲載元である文芸部が横やりを入れたのではないか。おお、他愛もない少年少女の恋のさや当ては、ここにきて下手な演出によるリアリティーショーと化してしまうのか? なんにせよ裏方が表に出てしまうのは興ざめの極みである――……という風に面白おかしく書き立てる。『夕刊パシフィック』は校外に多くの定期購読者を持つ上に無断転載がくりかえされ、記事は世界中に拡散する。

 おかげで文芸部は太平洋校内外から賛否両論が殺到、SNSが全世界をくまなく覆いつくした時代の用語でいうところの大炎上の火だるま状態に陥る。『ハーレムリポート』がノンフィクションだと信じて疑わなかった層からの激しい反発に、そんなもんフィクションに決まってんだろな的外れな擁護、実際最近退屈だったからテコ入れはかまわないけどなんで新キャラがあんな地味な芋娘では萎えるというブーイング、あたしたちだってフカガワハーレムのメンバーになれなかったのになんであの子なの? という嫉妬まじりの疑問が、関係者外にも閲覧可能な拡張現実上にある文化部棟質問箱に寄せられてパンク状態になるわ、そのせいで文化部全体に迷惑をかけまくる。その対応に追われてまともな活動ができなくなり、滞る『ヴァルハラ通信』編集作業、校内で白い目で見られる文芸部員――。そもそも、風紀委員及び初等部生徒会を牛耳るキタノカタマコが不穏な動きを見せている以上は気をつけようと確認しあった直後に騒動を起こした上、とどめがこの騒動である。


 サランは責任をとって退部届を出し、それを受け取ったジュリがこう言った。



 演劇部へ行け、ジンノヒョウエ先輩がお前の身柄を預かってくれると申し出てくださった。



 ――という経緯でサランは今、演劇部に身を寄せている。

 文化部全体に迷惑をかけ、文化部棟住人たる資格を剥奪されてもおかしくない状況で、一体なんのきまぐれで手をさしのべてくれたのかは不明だが行き場と居場所を失いかけたサランを救ってくれたのはマーハに他ならない。

 というわけでサランはメイド服も着るしお嬢様と小間使いごっこにも興じるのだ、マーハが望むなら。

 


「――そうだ、『演劇部通信』の打ち合わせのために一階に沙唯さんがいらっしゃるの。他にもう一人かわいいお友達がお見えよ。お会いになる?」

「あ、会います会います!」


 サランの三つ編みを直したあと、マーハが優しく問いかける。サランは勢い込んで首を縦に振る。可愛い友達がだれだか不明だが、文芸部の関係者と直接顔をあわせなくなって十日は経とうとしていた。とくにシャー・ユイは騒動の後半から口も利かなくなっていた。話ができるというならぜひともしたい。

 その後で、小間使いがよりにもよってお嬢様を伝令係にしていたことに気が付き、あわてて頭を下げる。


「――っと、失礼しましたマーハお嬢様」

「お構いなく。お話がおわればすぐ戻っていらっしゃいね、子ねずみさん」


 マーハは微笑みながらサランを妙なあだ名で呼びつつ手を振って見送った。その意図が読めないが、サランはいつものようにヒヒヒ~と笑うのをやめて極力お行儀よく可憐に見えるようにっこり微笑んで一礼し、書庫として使用されているかつての持ち主の書斎を後にする。




「やっべ、なんすかパイセンその恰好、超やべえんすけど。ヤバすぎんすけど!」


 マーハの言う「可愛いお客様」とやらが腕に『夕刊パシフィック』の腕章を巻いたタイガだと分かった時はサランは本気でがっかりし、腹立たしくなった。

 キッチンの傍にある、かつての使用人用の小さな休憩室で、つんとすましたシャー・ユイと並びいつものようにキャンディを咥えたタイガが待っているのを見るなりサランは回れ右をして出て行こうとする。


「ちょっ……! なんでオレの顔みて出て行こうとするんすか! 冗談きついっすよサメジマパイセン」

「――客のフリしてろくでもないゴシップ新聞のパパラッチが紛れ込んできたって演劇部の皆さんにご報告に行くんだよう」

「紛れ込んでねえっすよ、ちゃんと取材許可もらってんすから! ――ねえ、シャー・ユイ先輩?」


 ねーっ、と隣にいるタイガに顔をのぞき込まれて澄ました表情のシャー・ユイもついうっかり、という風情で頷いた。久しぶり、とか、みんなは元気か、とか、ジュリは今どうしてる? といったシャー・ユイに訊ねたかった出来事は皆吹っ飛んでサランはつい今までなにも無かったような調子で、シャー・ユイに突っかかってしまう。


「――なんでコイツ連れてきたんだよう? まがりなりにもこいつはこんなアホでも『夕刊パシフィック』の人間だぞ?」

「仕方ないじゃない。タイガちゃんがどうしてもついて来るっていって聞かないんですもの。――演劇部さんは『夕刊パシフィック』の取材はお断りしているのよって言ってるのに、それでもいいからって」


 サランに普段通りの調子で話しかけられたためか、シャー・ユイの方もつんと澄ませた姿勢を維持できなくなったとみて困ったようにため息を吐いた。


「――まさか、『夕刊パシフィック』に取材許可がおりるなんて思わなかったわ。そんなこと異例中の異例よ」


 演劇部は太平洋校の顔だ。ワルキューレの中でも選りすぐった美貌とスター性を持つ乙女たちがあつまり、切磋琢磨してきらびやかな夢の舞台を作り上げる。綺羅星のごとくという月並みの慣用句がぴったりな、美しい少女たちが体現する清く正しく美しい理想的なワルキューレ像のイメージの固辞に演劇部は代々心を砕いていた。

 天女や天使のごとき理想的なワルキューレの仮面を剥ぎ取り暴き立て、彼女らもしょせんただの少女であることを吹聴したがるチャンスを狙っているゴシップ新聞『夕刊パシフィック』は同じ文化部住人であっても演劇部の天敵であり、取材許可を与えないのが通例である。

 なのにタイガには本来おりるはずのない取材許可が降りたのだという。そのせいもあってか、タイガは誇らしげに普通にしていても前へせり出している胸を張る。

 シャー・ユイはふうっとため息をついて、サランの耳にだけひそひそと囁いた。


「マー様のお戯れよ。あの方がタイガちゃんを見て、今日だけ特別よって広報さんを折れさせたの」


 マー様、というのは演劇部ファンによるマーハの愛称だ。それくらいの情報はサランも知っている。サランもそっと囁き返す。


「なんでまた? トラ子が見るからに害のなさそうなアホの子だからか?」

「――真意はマー様にお訊きしないと分からないけれど、あの方はのない女の子がお好きな一面もあるから――」


 演劇部感、というのは太平洋校のみで通じる一種のスラングだ。美しく麗しく乙女の理想像を体現したようなワルキューレというニュアンスで使用される。マーハはそういった所の無い少女がお好みであるらしい。

 自分の周囲にいない珍獣に興味をもつようなものか……と納得しかけたのちに、サランはふと自分も演劇部感がないことにかけてはタイガに劣らない存在であることを自覚する。

 

 そういえば行き場をなくした自分を演劇部に招き入れてくれたのもマーハの一存であったという――。今その点について深く考えるのをサランは避けた。


「なんでもいいけど、シャー・ユイはトラ子にわりと甘い所があるのはなんでなんだよう! リリ子は『メジロさん』呼びなのにトラ子は『タイガちゃん』呼びだし。あんなことしでかした『夕刊パシフィック』の記者だっつうのにここまで連れてくるし!」

「しょうがないじゃない! あなたに一目会うだけだからって土下座する勢いで頼み込んでくるんだもの。いじらしいじゃない。……そもそも元々あなたがあんなことするからでしょう! 責任とってあげなさい」

「あんなことって――……ああ」 


 もうすっかり遠い記憶になっていたが、サランにとってもタイガにとっても互いに始めて唇を重ね合わせた仲なのだった。しかもサランが主導する形で。そこを引き合いに出されるとサランとしては黙らざるを得ない。


「ところでパイセン、ちょっといいっすか?」


 そんなやりとりをしている間、タイガは猫目をぱちくりさせながら取材メモを表示させる。その際に振ったのは右手ではなく左手だ。つまり、リリイは出撃中。学園内に不在。

 こいつめ……とサランはタイガを呆れた目で睨むが、ころころとキャンディを転がしながらタイガはサランに尋ねる。


「演劇部さんの新作のタイトルが大昔の小説が原作だって聞いたんすけど、それご存じっすか? 『女獣心理』っつうの。どういう話っすか? エロいんすか?」

「お前っ――、なんちゅうことを……! ああもうアホの子怖いっ。怖すぎる。読めよう! 著作権フリーになった小説集めたアーカイブとかあるだろ!」

「え~、いやっすよ。オレ小説とか読むと眠くなる方だし」


 ぬけぬけと言うタイガはすがすがしくアホの子だった。これでは演劇部の皆さんも害はないと判断する筈である。それを聞いてシャー・ユイもくすくす笑う。


「タイガちゃんの考えてるような小説じゃないわ。素敵な小説だから是非読むといいわよ」

「にしてもハイブロウな小説原作に選んでらっしゃるんだな、流石だなうちの演劇部――」

「そうよお! マー様は読書家なのよ。もともとうちの二千年紀ミレニアムブームの火付け役はマー様なんだから」

「知ってるよう、それくらい。つか、なんでシャー・ユイがエバんだよう?」


 二年前、サランたちが初等部一年の頃の文化祭における演劇部の講演が太平洋校内における二千年紀ミレニアムブームの先駆けとされている。前世紀末の旧日本東京で繰り広げられるロリータファッションの少女とヴィジュアル系バンドのギタリストという孤独な二人が繰り広げる傷をなめあうような恋愛模様を描いたオリジナル脚本の芝居がかけられた途端、太平洋校のワルキューレたちはすっかり魅了された。トップスターの二人が演じる恋模様に夢み心地になったものも多かったのだが、演劇部美術スタッフが潤沢な資金を糧に当時のファッション誌や映像をもとに細部まで拘って再現した二千年紀ミレニアムのストリートファッションやカルチャーがモチーフの衣装や小道具・大道具に魅せられたワルキューレ達はことのほか多かった。

 その参考資料となった当時の雑誌や映像の殆どが、当時初等部三年だったジンノヒョウエマーハの個人の蔵書及びコレクションだったというのは文化部では語り草だ。


 かつてなら女神として祀られていたほどの強い力――ワルキューレ因子――をもって生まれた少女だったマーハは、世界の屋根といわれる山脈の麓にあるとある宗教都市の生まれであり本来ならユーラシア校に籍を置くはずの少女だった。しかし、どうしても太平洋校の演劇部に入部したいという本人の強い意志のもと、故国と強いかかわりを持つブッディズム系宗教団体の長であるジンノヒョウエ家の養女となった後に晴れて太平洋校に入学する。以降、本人の宣言した通り演劇部に入り、努力と才能で初等部在籍中からトップスターの座に君臨し、ワルキューレとしても特級でい続けていることは太平洋校のワルキューレにとっては半ば常識となっている。

 

 サランがついつい見入ってしまった二階の書庫の本たちも、きっとそのほとんどがマーハの蔵書だろう。文芸部さんの蔵書にはかなわない謙遜してみせたマーハだが、背表紙から見て取れる装丁から判断してそのほとんどが20世紀に刊行されたほんものの古書ばかりだった。拡張現実上のデータを私家版サービスで製本したものが多い文芸部の蔵書とは格と価格が全く異なることは嫌でもわかる。


 嫋やかで美しくそして文化的造詣も深いマーハを、20世紀前半文化をリスペクトするシャー・ユイが心酔しない道理がないのだった。うっとしした眼差しで次回公演について語る。


「悲運の女性芸術家を演じるのが勿論マー様でしょ、彼女を愛する青年を演じるのはもちろんヤマブキさん。――きっと素敵だわあ~、ああもう今から楽しみ」


 すっかり演劇部の一ファンの乙女になってうっとりと宙を見つめるシャー・ユイにはスイッチが入ってしまいそうになっており、サランはごほんと咳払いを一つする。

 

「所で、文芸部のみんなは元気か? 変わりはないか? ワニブチはキタノカタさんに呼び出されたりしてないか?」

「──、そうね。なんとか炎上も治ってそろそろ次号の編集に取りかかれそう。生徒会からの召喚も一度だけで済んでいるわ。先んじてあなたが退部した以上、これをきっかけに文芸部の及び文化部の監視強化を行うのは難しいって判断されたんじゃないかしら?」

「……そっか」

「そんな状況だから、次号で『ハーレムリポート』を扱うべきか扱わざるべきかは今議論中。今回ばかりはワニブチさんも掲載は見送る方向に傾いているわね。生徒会を刺激したくないもの」

「……だよなあ」

「次号からの売り上げ低下は避けられないけれど、仕方ないわね。まあ今期は乙姫基金への上納分はすでに稼いでいた点が幸いね。──この六月七月は色々ありすぎたけれど、これで本来の『ヴァルハラ通信』のあるべき姿を取り戻せると考えれば悪くなかったと思うわ、正直な話」


『演劇部通信』担当で、古式ゆかしいエス小説でカルト的な人気を博する作家のシャー・ユイは、元々『ハーレムリポート』の掲載には反対だった部員だ。炎上の対応にお国訛りを炸裂させていた姿が記憶に新しいけれど、結果として彼女の希望する方向に事態が進んでいるためか声が晴れ晴れとしている。

 

 それでも、シャー・ユイはサランを手招きして顔を近づけるとそっと耳打ちする。


「……ねえ、レディハンマーヘッドってシモクさんでしょう?」


 どうやらタイガの目を気にしているらしい。シャー・ユイはタイガがすでにレディハンマーヘッドの正体を知っていることは知らないのだから態度は自然とこうなるわけだ。

 サランは無言で頷く。


「やっぱわかるよなあ」

「私たちの同期の文芸部員や文化部棟の子ならうすうす察してるわよ。確信したのはサメジマさんのことでだけど──ねえ、あの人何が目的であんなことやってるの?」


 シャー・ユイが怪訝そうな声にうっすら嫌悪感を滲ませている。

 これまでシモクツチカに対してどことなく距離を抱いていたような印象しか見せなかったシャー・ユイにしては珍しい感情的な反応をやや以外に思いながら、サランは本音を一言で吐き尽くした。


「……うちが知りたいよう、そんなこと」





「ミノ子さあ、竹槍少女コス続けんなら夜のうちだけにしてくれない? 都市伝説の主が朝日の中にいたら全然怖くないじゃん」


 六月末の九十九市にて、一番遭ってはいけないタイミングで再会したシモクツチカはそう言うなり、ただでさえ大きめの目をみひらいて驚いた表情を見せたのだ。


 そこにいたのは、サラン、フカガワミコト及びソウ・ツー。


 梅雨の中休みの朝日が照らす中、十四、五歳の少年少女が二人並んでいるという嫌でも誤解を生みだしやすい状況のまずさに気づいたサランを煽る様に、ツチカはニヤアっと勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

 

 へ~、お子ちゃまなミノ子も男子と朝帰りするようになったんだ~。おめでと~。……ほーらね、だから言ったじゃん。一生恋愛しないなんてそんなの無理だって。あたしの言った通りじゃん。誰もかれも、そうやって大人になるんだよ、ミノ子。それが当たり前なんだよ。なのに無駄な抵抗してバッカみたい。


 脳裏に瞬時にツチカが言いそうな言葉が閃き、サランは無意識に防御の構えをとった。


 これは違うぞ、こいつとはたまたま遭遇しただけでなんも関係なくてサンオ先輩の所に世話になってただけで……!


 しかし、頭の中でとっさに反論を用意したサランの予想を裏切るように実際のツチカはサランから視線をそらせた。そしてさっき浮かべた底意地の悪い笑みをひっこめ、ぱっと明るく微笑みかけた。サランに向けてではない、フカガワミコトに対してだ。


「電話、ありがとね。――キミ、いいヤツだね。わざわざお礼の電話なんかくれたりして」

「――っ、ちょっと待って。え、二人、知り合い?」


 驚愕の表情のまま固まっていた、フカガワミコトだが目の前にいる二千年紀ミレニアムギャルとサランが知り合いのように口を効いていた様子にまた言葉を失っていたようだ。

 サランも同様だ。電話で呼び出されたということは、やはり、フカガワミコトに親切に世話を焼いたという心清きギャルはシモクツチカということになる。


 そしてこの場で一人、余裕があるのもシモクツチカ一人ということになる。

 ツチカはにこっと笑って右手をかざし、フカガワミコトへ向けて薬指のリングを見せつける。


「あの時のキミに気づける余裕があったかどうかわかんないけど、あたし、実はこういうもんなんだよね。そこにいるみつあみの子とは顔なじみ」


 フカガワミコトの目も開かれる。自分を救ってくれたのがただの一般住人ではなかったと今ようやく気付いたらしい。九十九市に飛ばされて困惑していた時に、その右手のリングには気づけなかったのか。


あたりからあたしのこと聞いたことない? 問題おこして退学になったワルキューレがいるって。それが、あたし。びっくりした? 深川くん」


 かつての部室では一度もみせたことがない笑顔とからかうような口調でツチカはフカガワミコトの傍まで歩み寄る。などと本来絶対するはずのない呼び方でキタノカタマコのことを呼ぶツチカのことを訝しむサランのことなど視界にない、そんな態度を見せつける。


「――なんで、あんた俺の名前――」

「知ってるよ。だってキミ、有名人だもん。『ハーレムリポート』の深川くん。最古のワンドを目覚めさせた、世界でただ一人の少年ワルキューレ。……あの時、道端でしゃがんでる君とノコちゃんを見つけて、ひょっとしたらって思ったんだ。そしたら案の定大当たり!」


 流れるような自然な動作で、ツチカはフカガワミコトの右手を両手でとる。そして狼狽するフカガワミコトの目をいたずらっこのような顔つきでのぞき込むと、リングに人差し指を添える。そしてからかうように微笑みかけた。


「――キミのここにリングがあった。遅くなったけれど初めまして、かな? 深川くん」


 何かを企んでか、小悪魔と評されそうなコケティッシュな女の子としてぬけぬけとふるまうツチカと、それにまんまとからめとられて見るからに戸惑っているフカガワミコト。


 うへえ……と、その一部始終を間近で見せつけられるサランは閉口する。

 文芸部で人をコバカにしまくっていた我儘尊大なあのシモクツチカが、見え見えの小悪魔ぶりで少年の心を弄んでいる図に呆れてものも言えなくなったのだ。


 なにやってんだコイツ、いくら男好きの色ボケだからってこんなその辺にいる男子にも媚び売るのか? ええ~……お前ってそんなやつ?


「ねーさん、マスターから手を離せ」


 妙なことになった場の空気を、ぷーっと頬を膨らませたノコが破る。フカガワミコトの右腕を引っ張り、とられないようにぎゅっと抱きしめて軽く睨みつける。


「ノコたちはねーさんに世話になった。そこに関しては礼を言う。正直とても助かった。ありがとう、ねーさん。――でもマスターは渡さない。マスターはノコのだ。ねーさんのじゃない」

「こら、ノコ。変なこというもんじゃないって……」

「あはは。いいのいいの。――本当にかわいいね、ノコちゃんって。『ハーレムリポート』に書いてあった通りだ。こんな妹ちゃんがいたら楽しいだろうなってあたしいっつも思ってたんだよ?」


 軽く腰をかがめて、ツチカは自分を睨みつけるノコの髪を撫でた。(なにが『ハーレムリポート』の通りだ、自分が書いてる癖に白々しい……と、サランは鼻白む)。

 その一見ほのぼのしたやり取りに、フカガワミコトも落ち着きを取り戻したのか、ツチカをまっすぐ見つめて尋ねる。


「――俺が来る前に退学になった不良ワルキューレの噂、聞いたことがある」

「うん、だからそれがあたしね。名前はそこにいるみつあみちゃんが知ってるから」

「――丸投げすんなよなあ」


 ようやく口を挟めるチャンスが回ってきたので思いっきり不機嫌な声をサランは出してやったのに、ツチカはふふんど鼻先で軽く笑っただけだ。ああ、腹立たしい。大体何が「みつあみちゃん」だ。さっき堂々と「ミノ子」って呼んだくせに。


 いらいらするサランを平然と無視して、ツチカは再度フカガワミコトに笑いかけた。胸の中をくすぐるように。


「もしくは帰って真子ちゃんにでも訊いてみて、あたしがなんて名前の何者か。本当に君と初めましてなのかどうか。――ね、?」


 そろそろサランは限界に達して、目を三角につりあげながらツチカに挑む。


「撞木お前いい加減にしろよう! なーにが『尊クン?』だよ、見てる方が恥ずかしいわ! ――だいたい、にまで媚び売るとかお前なに考えてんだ! そこまで飢えてんのかっ?」


 ようやくツチカの視線はサランに向けられたが、それはすっかりキャンキャン吠えたてられた子犬を見るような五月蠅そうなものだった。それがサランの苛立ちをより煽る。おそらくそれを見こしたうえでのそういう表情だと分かっているのでより腹立たしい。

 このラウンド、どうあがいてもシモクツチカからはポイントを奪えてないことはサランが一番自覚していた。


「――飢えてるって、何言ってんの、ミノ子? ひょっとして焼いてんの?」

「んなわけあるかあ! 誰が誰に何を焼くっつーんだようっ!」

「はいはいツンデレおつー」

「じゃねえし! つうかこの時代だと『ツンデレ』って言葉まだ出てきてねえし! 時代設定まもれよなあっ」


 何がツンデレだ、何が時代設定だ、そんな礫未満の言葉ではツチカにとどめを刺せないのをわかっていながらサランはいっそう吠えたてる。

 それを涼しい顔で無視し、ツチカはフカガワミコトへ「じゃあまた、ね」と声をかけて始発のバスが待機するバス停へ向けて歩いてゆく。脱色したシャギーの髪をさらさらなびかせて。

 スタイルがよすぎるせいで無駄に颯爽としてみえる後ろ姿は振り返りもしない。むかっ腹が収まらないサランは、ツチカの後ろ姿を見送っているフカガワミコトの手首を乱暴につかんで引っ張って歩き出す。


「先輩んとこに帰るぞ! ったく、お前がちゃかついたせいで朝っぱらから気分が最悪だっ……!」

「ちょ、こら手ぇ放せよ! 人目も増えたしもう逃げねえからっ」


 フカガワミコトが手を振りほどこうとするのでサランはリクエスト通りに手首から手を離した。宣言したとおり、フカガワミコトはもう逃げようとせずに大人しくサランのあとをついて歩く。


「――今の人、知り合いなのか?」

「まあな! 撞木シモクっていう男好きで恋愛脳で人騒がせな不良女だよう!」


 シモクってどこかで……と、フカガワミコトが小さくつぶやいたのをサランは気にも留めなかった。フカガワミコトの本当の故郷がどこなのかは不明だが、太平洋校に一時でも籍をおいていたものが一度も撞木姓を耳にしていない筈がないからだ。

 



 ……あの時そのまますんなり別れたりせず、きっちりトドメでも刺してやりゃあこんな目に遭わずにすんだのか……?


 過去のふるまいを悔いながら、サランはタイガに言われるがままにポーズをとる。

 トップスター専用寮の裏口付近、棕櫚の木陰で言われるがままにスカートの端をつまんで膝をかるく曲げてみせたりにっこり微笑んでみせては、目線ください……はいいーっすねマジぱねえっすね超かわいいっすよサメジマパイセン萌え萌えキュンってやつっすよ、等、聞いてるだけで脳細胞が死滅しそうな言葉を連発しながらカメラのシャッターを押すタイガに付き合う。

 タイガの画像フォルダがいっぱいになったタイミングで、メイド姿のサランの撮影会は終了した。ほくほく顔でタイガは画像を確認する。


「やー、いい写真いっぱい撮れました~、あざっすパイセン!」

「――お前、覚えてろよ本当に……っ。リリ子が帰ってきたらこのこと言いつけてやっからな……っ」

「大丈夫っすよ。これあくまで『夕刊パシフィック』の仕事っすから。フカガワハーレム新メンバー・サランちゃんの写真撮ってこいってゲルラ先輩からのお達しに従っただけっすから」

「――っ、肖像権の侵害……っ」

「? でもさっきパイセンが言ったんじゃないっすか。この前の詫びになんでも言うこと聞くって」


 そうだった。

 シャー・ユイが演劇部通信の取材のために席を外した途端、ずいずいと厚かましく距離をつめてくるタイガを追い払うためにそんな口約束をしてしまったのだ。

 そのせいで蒸し蒸しと暑い屋外で、メイド姿の撮影会をするなんていう羽目になってしまったのだ。メイドに関するタイガの基礎知識が二千年紀ミレニアムのアキバ系で固定されていたため、せっかくのクラシカルな正統派メイド服が泣くようなポーズを取らされたのが、サランの敗北感に拍車をかける。


「やー、でもメイド服っていいもんっすね~。マジやべーっすね」

「――おまえの好きなセシルのなんとかに出てくるアユパイセンは言ってねえのかよう、ギャルたるものメイドなんぞにうつつをぬかすなとかなんとか!」

「『セシルの覇道』っすよ、サメジマパイセン。それにアユパイセンはそんなケツの穴のちっせえこと言わねえっすよ。そもそもセシルも逆襲のアキバ編での宿敵だったメイドのえるたそと拳を交えたあと仲間になって――」

「ああああっ、もういい! ギャルドラマの話はもういいっ!」


 自分から振っといてなんなんすかもう~……、と、口ではむくれてみせながらもタイガは機嫌のよさを隠そうとしない。弾むような足取りでちょこちょことサランの後ろをついて歩くその距離が近すぎる。

 しかも、用がないのに「サメジマパイセン」と呼びかけたり、ふりむいて返事をすれば、「いや呼んでみただけっす」と妙に上機嫌でぬけぬけと答えたりする。気のせいでなければ、タイガの台詞の語尾にはハートがついているような気すらする。

 これがいかにまずく、面倒な事態であるかサランにだってよくわかる。

 はっきり言ってこれ以上、面倒事を背負いたくない。


「……トラ子なあ、左手にリングつけてるやつが見せていい態度じゃないんじゃないか、そういうのは。リリ子が泣くぞ? つか、泣くだけじゃすまなくてまた大暴れするぞ?」 

 

 大事な妹分で婚約エンゲージ相手であるはずのリリイの存在をちらつかせてみせると、さすがに少し気まずそうな表情で足取りを止める、の、だが。


「――そういうのはずるいです、パイセン。リリイがああいうヤツだって分かってたくせに手ェ出したのはそっちじゃないすか」


 妙に拗ねた、それでいて真剣な声で、人の罪悪感を突いて来たりする。


 うう、と、口ごもりながら振り返ると、タイガは猫目をまっすぐにサランに据える。咥えていたキャンディ口から取り出すと、さっきまではしゃいでいたアホの子とは思えない怒ったような口調でサランに詰め寄る。

 気おされてサランは後ずさる。そういえばコイツは中米から毎回きっちり戦果をあげて帰ってくる上級相当の実力を持つワルキューレなんだったな……と、距離を詰める間合いと妙な光を宿した猫目に射すくめられながらサランは亜熱帯で冷や汗をかく。実力勝負になったら絶対に勝てない相手だ。

 

「ああいうことされて無かったことにするのは無理っすよ」


 じりじりにじり寄られている間に背中が壁にぶつかる。いつの間にか、間合いを完全に詰められていた。タイガは手を伸ばせばサランの命や体をどうにかできる距離にいて、劣勢に置かれているサランをタイガはじいっと見つめる。背丈はそれほど変わらないのに猛獣めいた雰囲気を漂わせた猫目の圧に飲まれそうになってしまう――。

 ここで視線を逸らせたら負けだの心意気で、サランはタイガの目を睨み続けるがタイガはそれを見切ったみたいだ。


「オレのこと、怖いっすか? サメジマパイセン?」

「はぁっ? ふざけんな調子こくなっ、アホの子の癖に――っ」


 以前の様に頭突きでもくらわせてやる、サランは頭をのけぞらせようとして気が付いた。背中が壁にぴったり張り付いているのでのけぞることが出来ず威力が出せない――。

 まさかこいつこれを見こして壁まで追い詰めたのか、とサランが焦った時にはタイガの顔が真正面にせまる。うわっ、ととっさに声をあげたその瞬間。


 ざばっ、と頭上から大量の水が浴びせかけられた。


「……っ? なんだこれっ? 何が起きたっ」


 全身から水を滴らせたサランはとっさに状況が把握できず、前後左右をきょろきょろ見回す。そして、頭上にある二階の窓から逆さになったバケツが引っ込められたのを目撃した。

 目の前のタイガも全身ずぶぬれで、動物じみた仕草でぷるぷる水を振り払っていた。


「……だーっ、もう、どこの誰だてめえ降りてきやがれ――っ⁉」


 二階の窓へ向けて叫ぶタイガを嘲るように、裏口のドアが大きな音をたてて開いた。そこから現れた人物が律義にスチール製のバケツを持っていたことから、二人に水を浴びせかけた犯人であることが分かる。


「――」


 高い身長、すらりと無駄のない肢体、さらさらの黒髪を耳とうなじが出るよう短く切った少女は、特徴的なアーモンドアイで二人を見つめる。というよりも無言で一瞥する。

 染み一つないアイボリーの肌が丹念に磨き上げられた宝玉細工を連想させるこの少女は情感を一切込めずに、呟いた。


「春でもないのに猫が五月蠅い」


 感情をこめなくとも、演劇部の素養故かやや低めの艶やかな声は二人の耳にまっすぐ届く。

 そしてアーモンドアイでびしょ濡れのタイガをじっと見る。ただ見る。瞬きもせず、感情も込めず。水をかけられていきりたっていたタイガだが、感情も込められずにただ一瞥されただけで戦意を失くしたようだ。自分に水をかけたのが誰なのかを悟って、分が悪いと判断したのもあるだろう。制服から水をギューッとしぼってから口にキャンディを入れるとぴょんと飛びずさる。


「んじゃあまたくるっすね。サメジマパイセンっ」

「うるせえっ、もう二度と来るなっ! お前も新聞部のデカいヤマでもおっかけてろ!」


 同じように慣れたメイド服のスカートを絞りながら、ぴょんっと身軽に去って行くタイガの後ろ姿へ向けて叫んだ。その目の前に、スチールの空バケツが突きつけられる。


 その先を辿れば、サランをアーモンドアイで睥睨する演劇部トップスターがいるのだ。サランは慌てて空バケツを受け取った。


「す、すみません、お手を煩わせちまいまして……っ」

「──」


 ジンノヒョウエマーハとならぶ現演劇部のトップスター、ヤマブキの相性で世界中の乙女のハートを盗んでいるワルキューレであるホアン・ヴァン・グウェットは、ずぶ濡れでペコペコ頭を下げるサランをやはりただみる。ひたすらただただじっと見る。そして最後にぽつりと呟く。


「濡れ鼠」

「?」


 何が言いたいのか、演劇部らしくないふるまいを非難したいのか、小言を呈したいのか、ただサランの現状を見たまま口にしただけなのか? サランを困惑させたままヴァン・グウェットはさっと身を翻し、ドアを開けて寮の中に入る。

 ……と思ったらドアを開けて、乾いたタオルを投げてよこした。それで全身を拭けということらしい。

 親切な人だな……とペコペコ頭を下げながらそのタオルを受け取り髪や体を拭くサランによく通る声で言う。


「場をわきまえない鼠は害虫のたかった野良猫を招き入れる」

「っ?」


 判じ物めいた一言を口にし、ヴァン・グウェットは今度こそ寮の中に入ると、今度こそ姿を現さなかった。とんとんと足音が遠ざかる。


 三つ編みをほどかぬままごしごし頭を拭きながら、サランはヴァン・グウェットが言い放った一言について考え、うすうす察しはしていたがどうやら自分は歓迎されてはいないのだな……と痛感する。



 人様の善意と厚意にすがらねばならない立場がこんなに心もとないものだとは。


 サランは自分の右手にあるリングに目を止めて、ふーっと息をつく。


 ジュリとはひさしく顔を合わせていない。

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