#20 ゴシップガール、目覚めてすぐ大砲を撃つ

「ふっふーん」


 右手を開いて天にかざしながら、サランはニンマリ笑う。薬指には戻ってきた自分のリングがある。

 九十九市の出撃から戻ってきた次の日の部室で、サランは始終ご機嫌だった。


「いいね〜やっぱ慣れ親しんだものは最高だよう、我が家に帰ってきた気がするよう」


 特に用もないのに右手を振って白猫キャラのコンシェルジュを表示させ、その二頭身シルエットを指さきで突きまくる。触れると硬めのゼリーのような感触を返すように設定しているために、ぷにぷにとした手応えを思う存分楽しんだ。


「リングを元に戻してすぐそんなに大喜びされると多少複雑な気持ちがしないでもないな、婚約エンゲージ相手としては」


 ジュリは苦笑しながらいつもの雑コーヒーをすすった。それでも右手にリングが戻ってきてやはりほっとした風ではある。


『ヴァルハラ通信』最新号の編集作業も一息ついた、凪のようなタイミングでいつもの部室に戻れた喜びをサランは心ゆくまで噛みしめる。

 とはいえ、サランが九十九市へ経つ前にやらかしたリリイの大暴れっぷりの痕跡が部室には残されたままになっていた。窓ガラスはひびが入ったままだし、壁にはあの仕込み傘から放たれたBB弾が埋まった跡が線状に残されたままだ。サラン愛用の白猫キャラのマグカップはその際粉々に破壊されたために処分されてしまったとのこと。仕方なくサランは予備用マグカップで甘くした雑コーヒーを飲んでいる。



 部員へ詫びるため九十九市から持ち帰ったベルギーワッフルの箱をシャー・ユイへ手渡す際にお気に入りのマグカップの最期を知ったサランはショックで悲鳴をあげたのだった。


「うちの初任給記念が……!」

「ええそうね、あなたの初任給祝いは残念なことになってしまったわね。でもそれとおんなじタイミングで先輩方から受け継いできた貴重な書籍の一部が蜂の巣みたいにボッコボコになってしもたんやけどなあっ!」

「ごめんなさい悪かった! 悪かったからシームレスにお国訛りになるの怖いからやめて! 謝るから! あとこれつまらないものだけどっ」


 宿舎に戻る際にさんお書店で購入した『枯葉の寝床』の文庫版を手渡し、ペコペコとサランは何度も頭を下げた。その甲斐あってかシャー・ユイはいささか怒りのをおさめてくれたようではある。


「サンオ先輩、シャー・ユイに会いたがってたよ。読ませたい本がいっぱいあるってさ」

「私だって行けるものなら行きたいわ。行ってサンオ先輩とお話してみたいもの。でもそちらへ出撃命令が出ないんなんて。――ほんと、現実ってままならない」


 初等部時代からの親友とパートナー関係を維持しているサンオミユはシャー・ユイにとっては伝説のOGであるらしい。が、ミユにとってもシャー・ユイはある種憧れの対象でもあるようだ。


 宿舎への集合時間が概ね一時間後にせまった黄昏時、森茉莉を読む子ならこのラインはどうかと目を輝かせたサンオミユが進んで店内の本棚から次々と本を取り出してはサランの前に並べてみせたことから察せられた。


「沙唯先生はやっぱり耽美派がお好き? それから森茉莉でも『贅沢貧乏』ラインもお好みかしら? だとしたらやっぱり尾崎翠も要るかしら……。ああそれにしてもこんな時に『花物語』が無いなんて……!」


 まさしくいそいそと様々な本を並べてゆくミユの雰囲気が憧れのスターへのプレゼントを吟味する乙女そのもので、サランは呆れた。


「先輩、お忘れかもしれませんけどウチの沙唯は先輩の後輩でうちと同輩ですよう?」

「もちろんわかってます。わかってるからこそよ、鮫島さん。私は太平洋校文芸部のOGとして沙唯先生の作品世界がより良いものになるためのバックアップは惜しまないつもりなの。沙唯先生こそ太平洋校の文芸部の正統な伝統を受け継ぐ大器だもの。より美しい諸作品に触れていただきたいのよ」


 いつも冷静で落ち着いているおねえさまのミユがいつになく熱心にまくし立てるのを聞いてサランは若干慄く。普段隠していても、こういう所にどうしても太平洋校の文化部棟住民だったころの名残が現れてしまうのは親しみやすくはあるが哀しい。

 それにしてもホントに妙なところに妙なファンがいるよな、シャー・ユイのやつ……とサランは呆れつつも驚きながらミユの申し出を断ったのだった。


「そんなにいっぱい買ったらうち破産しちまいますよう。九十九市ったって紙の本は高いんですから」

「そう? 沙唯先生のためなら割引してあげてもいいんだけど」


 その申し出は大いに魅力的だったが、サランが詫びねばならない文芸部員はシャー・ユイだけではないのだ。趣味が判明している他の部員の気に入りそうな本も見つけてカウンターに差し出す

 その中で気になる文庫本を発見し、すかさず引き抜いた。深い緑色の背表紙のその本のタイトルは『暗い旅』。

 これもお願いします、と購入を決めた本の山の上に重ねた。ミユはそれをみて、あら、と言いたげに少し目を丸くして微笑んだ。甘い匂いのする古い文庫本が誰へのお土産なのか、きっと察したのだろう。



 『暗い旅』は今ジュリの手元にあり、ぱらぱらとめくられている。


「その小説、ワニブチが好きな本の作者が好きなやつだろ? その作者の別の本に出てきた覚えがある。見つけたから買ってきたんだ」

「いいのか? ……ありがとう、サメジマ。悪いな」


 サランがその本を手渡した時にジュリは素直に嬉しかったようで、照れたような笑顔を浮かべた。なにかと張り詰めがちなジュリの雰囲気が和ぐのをみて、サランも無性にうれしくなる。「いいってことよう」と言ってからヒヒヒ~と笑ったのだった。

 シャー・ユイ含む他の部員たちも、ベルギーワッフルとそれぞれの好みに応じた本という実弾攻撃が効いたようでそれなりにゆるゆると許してくれた。とはいえ実行犯のリリイの出禁は解かれないまま。その日は、下であいかわらず二年生たちが繰り広げているバトミントンの様子を眺めている。くるくると時折回す傘は新しいものだ。きっとあれにも何らかの仕込みがほどこされているのだろう。


「……あ~、部室はいいなあ。やっぱ最高だよう~」

 

 わざわざ口に机の上に突っ伏して顔を横に向けた視線の先には、紫外線避け処理の施されたガラス扉のある本棚がある。とういうことは当然、あの濃いピンク色の背表紙の文庫本もある。

 それを思わず見つめるサランの気持ちを見透かしたように、ジュリは声をかけた。


「今回はツチカに遭わなかったのか?」


 部室は最高だとか、わざとらしく声に出したせいで怪しまれたようだ。サランは無言で間を置く。今回の出撃は報告することが多すぎてどこから手をつけていいのか分からないのだ。


「それにしても、九十九市に潜伏していたフカガワミコトと遭遇するなんて一体どういう確率なんだか。新聞部のお歴々が悔しがっていたぞ」

「そうみたいだねえ。拡張現実圏内に入ったとたん、ゲルラ先輩から鬼みたいに取材申し込みの通知が入ってきたし」

「そういう事態に遭遇できるのも〝持ってる″って言うんじゃないのか?」

「……ええ~……いらねえよう、そういうの。低レアには重過ぎる」


 フカガワミコトとソウ・ツー発見の一報は、サランと別れた後のミナコによって太平洋校関係者によってもたらされた。と同時に、巫女としての能力を全開放してこの世界から外世界までくまなく探し回っていたトヨタマタツミによるフカガワミコト発見の報も豊玉家からもほぼ同時に寄せられる。こうしてしばらく行方をくらませていた少年ワルキューレ発見の報せは、島に届くなり瞬く間に学園島を席巻したのだという。

 安堵する教職員、号外を発行する新聞部、噂を伝達しあうワルキューレたち。一人だけこの騒動に参加していないハーレムメンバーのキタノカタマコは静観の構えをとっているのが不気味だというのが文芸部員たちの見解だ。


 太平洋校に帰島する船上、拡張現実圏内に入って直後、パトリシアのひっきりなしの通知に邪魔されながらサランは簡単な報告をジュリにはしている。フカガワミコトとたまたま遭遇したこと、そのままさんお書店で一晩泊まる羽目なったこと。それというのも、ミユの判断であること――等々。


「場合が場合だから仕方がない」


 文芸部員なのにフカガワハーレムと接触してしまったサランへジュリがよこした拡張現実上の一筆箋によこした返事はこの一言のみだ。それにサランの胸は安堵一色に染まったものだ。

 とはいえ、今回のことはジュリの耳に入れておいた方がいいことと保留にしておいた方がいいようなことがありすぎだ。よってまだサランの胸にのみ抱えている事実があった。


 フカガワミコトが自分が元いた世界は2010年代の世界(本当の過去なのかその年代で閉ざされた街なのかは不明)だと思い込んでいること。

 その思い込みにつけこんできた乙種侵略者の心理攻撃によって九十九市に転移されたこと。

 どうやらフカガワミコトはその幻の街にたどり着きたいという思いがあり、そしてその手がかりをレディーハンマーヘッドが握っていると何故だか確信を得ていたこと。


 ここから発展したあの騒動をジュリへどう説明していいものか、サランは考えあぐねていた。

 とりあえず頭の中で順序を組み立てながら、サランはジュリへ報告する。


「……とりあえずさあ、シモクのヤツには遭ったよ」


 一番遭うのがまずいタイミングで、と、サランは心の中で付け足す。




 家具調コタツをあげた茶の間に敷かれた布団二組にはサランとノコが眠るように指示され、仏間に敷かれた一組にはサンオコサメに殴られてからそのまま気を失っているフカガワミコトが転がされた。


「どうしてノコがぶんげえぶのちんちくりんの隣で寝なきゃならないんだ? ノコはマスターのワンドなんだぞ」

「分からないことを言うな、ソウ・ツー。年頃の男女を同じ部屋に寝かせたってなことがバレたらこっちの監督責任が問われる。卒業して何年も経つっつうのに先生方にシバかれる」


 と言ったにもかかわらず、サンオコサメは腰に手を当ててサランとノコ相手に手前勝手な注意事項を垂れた。


「いいか、大人二人はこのまま二階へ行く。お前らを一階に残しておくが監督責任を放棄してるわけじゃないぞ。信頼してるからこそだ。その意味わかってるな、後輩? ──なんだその表情?」


 責任が云々と言った舌の根乾かないうちからの監督放棄発言に、サランは苦虫を噛み潰したような表情になっていた。


「心配しなくたってなんも起こしゃしませんよう、先輩。むしろそういう可能性を一瞬でも考慮されたのがうちには屈辱です」

「おっし、いい答えだ後輩! じゃあそのまま朝まで就寝っ、以上」


 コサメはにんまり笑い、十四、五の子どもを預かり監督する立場としてサランのそばに布団を敷こうとしていた真面目なミユの手を強引に引いて廊下へ出てゆく。ちょっとやだコサメあなたったらもうあの子たちの前で――っ、というミユの抗議になってない抗議が遠ざかる。二組の足音が階段を上り、ぱたんと閉じられたドアの音を聞いてから、サランはやれやれと布団の上に横になった。


 梅雨明け直前の九十九市の夜は蒸す。入れたばかりのエアコンがようやく冷風を送り出して畳敷きの二間が冷えてゆく。こち、こち、と年代物の振り子時計が時を刻む音が響いた。


「お前も寝ろよ、ワンドだって眠るんだろ? 疲れるぞ」


 ごろりと横になってから、名残惜しそうに心配そうにフカガワミコトの顔をのぞき込むノコにサランは声をかけた。白銀の髪に白い肌、ヴィクトリア朝の少女が着るようなクラシカルなワンピース姿のノコはしみじみ工芸品のような少女だった。


「言われなくても寝る。でもお前の隣で寝るのは嫌だ。ノコはこの街に来てからずっとマスターにくっついて寝ていた。いつもはタツミやカグラやマコがいてそういうことができない。だから今日もそうしたい」

「……ふーん、好きにすりゃいいじゃんって言いたいけど、一応先輩方の立場っつうもんもあるしさあ。一宿一飯の恩義って言葉もあるし、お前もカレーを食ったんならこっちで寝るのを一応お勧めしておくよう」


 ふわあ、とサランは欠伸を一つする。とにかくその日は予想外のことだらけで疲れていたのだ。明日以降の速やかな活動のために眠っておきたい。

 ノコはそんなサランを一瞥してから、ちょとちょこと立ち上がってサランの隣の布団にころんと横になった。素直な性質のようだ。


「マスターをぶん殴ったワルキューレは許せんが、カレーが美味い方のワルキューレに免じてこっちで寝てやる」

「うんうん、それがいいよう」


 サランは目を閉じて仰向けに横になる。ゆったりと睡魔が襲ってきたのだ。そのまま身を任せようとしてみるものの、ノコは全く眠くなさそうな声でサランに話しかける。その目はまっすぐ天井を見つめている。


「ぶんげえぶのちんちくりん、お前はマスターの傍で眠らなくていいのか? 眠りたいと思わないのか?」

「は、なんで?」

「ノコが今まで見てきたワルキューレの大半はマスターにベタベタくっつこうとしてきたぞ、お前はそうじゃないのか?」

「……何が悲しくてお前のご主人様なんかにベタベタしなきゃなんないんだよう? つまんないこと言ってないで寝ろよう」


 不快感で一瞬目が覚めそうになったが、サランは睡魔に身を委ねた。年季の入った和室の匂い、布団カバーのさらさらした手触り、骨董品のようなエアコンから吐き出される埃くさい涼風。それらすべてがサランに眠るように促している。

 考えなければならない問題は山のようにある。フカガワミコトはどうしてレディハンマーヘッドを追うのか。そして、レディハンマーヘッドであるシモクツチカはなんの意図があってあのような符牒を混ぜたのか。しかしそのためにも睡眠だ。睡眠不足は頭を鈍らせる。


「そうか、ぶんげえぶのちんちくりんはマスターにベタベタしない。分かった」


 隣にいるノコははっきりした声でそう繰り返したのに対してうるせえなあ、と、サランは心の中で呟く。そこからは急降下で、サランの意識は途絶えた。




『――れ、これ。そこな女童めのわらわ

「……んうう?」


 ぺったりひやひやした感触の何かがサランの顔を軽く叩く。その感触でサランは睡眠の沼から引きずり上げられる。はっきり言ってもう少し眠っていたい。サランが体を丸めたところに再びぺったりひやひやしたものが押し付けられる。


『これというに! 眠るでない、起きよ。もう陽も上る。そちのような立場の者ならばとうに起きねばならぬ時刻であるというのに眠り惚けおって』

「……んうう~……るさい」


 うめきながらサランは夏用の掛布に顔をうずめた。ぺったりひやひやな何かから顔面を護るためだ。大体なんだ、このやんごとなき身分のものに使える女官めいた口調の主は? 声の調子から判断すると三十代といったところか。なんでこんな妙な夢を見てしまうのかとサランがぎゅっと目をつぶった所で、うずめていた掛布を強引に奪われた。摩擦によるショックで完全に目が覚める。


 ちっと舌を打ちながら、ぼんやりと薄目を開ける。縁側にかけられたレースのカーテンの向こうはしらじら明るんでいるが青みの中に沈んでいる。太陽はまだ上っていないようだ。こんな時間に起こしやがって……とサランは自分の正面にいるものを凝視する。

 そして、一瞬で目が覚めた。


「⁉」

『ようよう起きたようじゃな。――全く、躾け甲斐のありそうな女童じゃ』


 大人の男の拳から腕を思わせる頭部および首、頭の両脇についた黒くつぶらな目。飛び起きてあとずさり、衝撃で心臓を跳ね上がらせたサランの目の前にいるのはどうみても人間ではない。

 大き目の座布団くらいある褐色の甲羅、そこからにゅっと生え出たヒレ状の手足、加えてサランの顔をじっと見る頭部。それはどう見てもウミガメだった。


『ではさっそく参ろうぞ。深川様はまだ遠くへは行ってはおらぬはず。追うぞよ』


 ウミガメは両前脚をひらひらさせて畳の上でずりずりと方向転換をしようとしながらサランに命じる。しかし覚醒したばかりのサランにはまだ事態が飲み込めない。ウミガメが何故喋る? それよりウミガメがどうしてこの九十九市のさんお書店にいる? そしてこのウミガメは――。


「か、かか亀さん⁉」


 学園島のビーチで時々目撃されるあのウミガメだ。トヨタマタツミが伝説のオリエンテーションに遅刻するきっかけになった迷いウミガメで現在太平洋校のマスコットでもある亀さん。それが何故かサランの枕元にいて、女官口調で話しかけている。

 この状況から導き出される結論は一つしかなかった。──どうやら昨日、色いろありすぎて妙な夢を見てしまったらしい。サランは布団の上にパタンと伏せた。


『これ! 眠るでないぞ女童! そちにはやってもらわねばならぬことがあるというに!』


 亀さんはベシベシとサランの頭を前脚で叩く。痛い。目から火花が飛び出るような激烈な痛みではなく、子供に面白半分にぺちぺち叩かれているようで鬱陶しくて地味な痛さではあるが、とてもじゃないが二度寝などできそうではない。ていうか、痛い。

 ――そう、痛い。

 サランはむっくり起き上がって、目の前のウミガメと対峙する。さっきより少し明るくなった室内でウミガメは現実感をともなってしっかり存在していた。残念なことに夢ではないようだ。


『──おおやっと目が覚めたか。ではさっそく参ろうぞ。術者がそろそろ眠りにつく、早うせぬと結界が閉じてしまう故』

「あのー、亀さんがなんでここに? つかなんでそういう喋り方? 亀さんって高貴な人の関係者かなんか?」

『時間がないと申しておろう! ……ああなんて手のかかる女童じゃ! ええい、周りを見てみよ!』


 ウミガメはせっかちな性質らしく、いらいらしたようにヒレのような前脚をふってみせた。サランはつられてそっちを見て、そして完全に目を覚ました。

 ノコが寝ていた筈の布団も、その向こう、襖をあけ放った仏間の布団もきれいにたたまれ片隅に寄せられていた。そこで寝ている筈のフカガワミコトもノコの姿も見当たらない。もぬけのからである。

 この状況に夜逃げされた債権回収業者のような気持ちになってしまいながら、サランは立ち上がる。そして仏間の布団の上に一枚の紙切れが乗せられているのを見つける。

 黄色いチラシの裏紙にボールペンで二行、短い文が記されている。



 黙ってすみません。飯と寝床、どうもありがとうございます。

 このお礼は後日必ずいたします。



 深川尊 ソウ・ツー と、記名されたその書置きをのぞき込んで、ウミガメはキエエイ! と苛立ったような奇声を上げた。サランはその声と、ウミガメがふよふよと宙に浮かんでいることに驚いたが今はそれどころではない。


『此方の気配を察したか……! あのヒヒイロカネ娘め、ええい忌々しや!』

「――あの亀さん。できればそろそろうちに自分が何者か教えてくれない?」

『そのような暇はないと申すに!』

「深川尊のいる場所、うち大体見当つくよう? それでも教えてくれないわけ?」


 宙に浮かんだウミガメは一呼吸置いて後、サランの正面にずいと回った。


『妾は八尋やひろ。豊玉家にて女官長を務めておる』

「――ああ~……。豊玉さんのお家の人なのね。ばあやさんとかそういうポジションの人?」

『女官長と申して居る!』


 類まれなる霊力を持つ名門神職のお姫様であるトヨタマタツミの関係者なら、ウミガメの姿で宙に浮かびながら女官口調で話しかけてきてもおかしくはないな。とサランは納得しながら動き出す。

 苛立ったウミガメ――八尋――に急かされながら、サランは一旦ジャージのズボンをぬいでさんお書店売り場でぬいだままになっていたニーハイブーツを縁側まで運び装着する。


『何をしておる! どうしてそのような煩わしい履物をそちは選んだのじゃ!』

「好きでこんな格好してるわけじゃないよう! 文句なら上に言えよなっ」


 脚にぴったりするニーハイブーツの上からジャージを穿き、縁側のガラス戸を開けて外に出た。梅雨明け間近の外は湿気と土の香りが強く漂う。東側の空から黄色い朝日が昇りだしていた。人通りのまだ少ないオフィス街の歩道をサランは駈け出し、その後ろを宙を舞うウミガメの八尋が追う。




 フカガワミコトと言葉を交わしたのは昨晩だけ。それもりゅうぐう温泉で鉢合わせてサンオコサメに殴られて気を失うまでのほんの小一時間。

 それでもサランはフカガワミコトに対してある種の確信があった。

 

「やっぱな、ここにいた!」


 九十九タワーのある中央広場。バスターミナルでもあるその隅には、二十一世紀末育ちには古い映像でみることしかかなわない電話ボックスがある。その上部に白銀の髪をもつ人形めいた少女のノコがいて、サランと八尋の接近に気が付く。ふわりと宙を舞ってアスファルトの上に着地する。


「何しに来た、ぶんげえぶのちんちくりん! ――それからタツミのとこの亀! なんでお前がここにいるっ?」

『八尋と何度も申しておろう、ヒヒイロカネ娘! しょうこりもなく深川様をかどわかすとあればもう容赦はせぬ、お仕置きじゃ!』


 肘から指先までを鋸に変形させたノコがウミガメ相手に臨戦態勢をとり、ウミガメの八尋も何やらぶつぶつと祝詞のようなものを奏上し始める様子から二人はどうやら旧知の仲で且つあまり良好な関係でないことは見て取れたが、サランは無視した。超常バトルは勝手に任せる。


 ボックスの中でどこかに連絡しようとしていたフカガワミコトも、サランと、回転する鋸を飛ばしたりそれをどこからか召喚した大波で叩きおとしているウミガメのバトルに気づいて目を瞠る。そして慌ててドアを開けて外に出てきた。


「だーっ、ノコ止めろ! 八尋さんもなんでここにいんのかわかんねーけどストップ! ……それからなんでここにいるってわかったんだ、文芸部のちんちくりん?」

「お前、先方に電話する時間帯を考えた方がいいぞ? いくら夜遊びしてそうなギャルでもこんな夜明け間際に電話するのは普通に迷惑だ。非常識だよう」


 拡張現実の圏外にある九十九市内。右も左もわからないフカガワミコトとノコを助けたのが、九十九市住人と思われる親切なギャルの少女。

 その少女に可能であれば直接、ムリであれば何らかの形で礼を伝えてからフカガワミコトは街を去るのではないかとサランは読んだ。言葉を交わして小一時間に満たない印象だが、フカガワミコトはそういう気質であろうとサランは見ていた。

 特殊戦闘地域であるこの街の主な連絡手段は電話だ。それに二人は少女からこの街ではなくてはならない現金をいくらか借りたといっていた。連絡先としての電話番号を少女はフカガワミコトに伝えていた可能性は高い。フカガワミコトは一言でも礼を伝えるために、電話を使いにくるはず。

 ――という推理から、サランはさんお書店周辺の電話ボックスや公衆電話の位置たまに思い浮かべて動きだし、幸い一発目で大当たりしたのだった。稀にみるファインプレーだったので調子づきたくなり、腕を組んでヒヒヒ~と笑う。

 そんなサランを忌々しそうに見たあと、フカガワミコトは電話ボックスにもたれてため息をついた。


「――俺も最初はいくらなんでも早すぎると思ったよ? でも、あの子がこの時間いって言ったんだよ。電話するならこの日のこの時間でってさ」

「なんだそりゃ、妙なギャルだな」


 妙な点は他にもある。

 どうしてわざわざ公衆電話を利用しようとしたのか。そしてそのまま、書置き一つだけ残してさんお書店から姿をくらまそうとしたのか。


 導き出される答えは一つだが、その仮説が正しいのかどうか尋ねようとするのを状況が許してくれなかった。

 バトルを中断したウミガメの八尋がつうっと泳ぐようい宙を滑ってフカガワミコトの正面にまでくると、前脚でぺしっとフカガワミコトを叩いたのだ。


『深川様! 見損ないましたぞ! ひい様に連絡一つ寄越さず面妖な結界の街で他の娘どもと相通じておったと聞いた時は八尋は耳を疑いました』

「ふん、今のお前には耳は無いぞ。鏡をよく見るんだな」

『そちは黙っておれ、ヒヒイロカネ娘! ……深川様、この仕打ちあまりにひい様に対して情けないではありませぬか? ひい様に何故かような無体な仕打ちを……っ、仕打ちを……ああ、あんまりでございます……っ』


 ぽろぽろと真っ黒な眼からウミガメの八尋は涙をこぼしながら、ぺしぺしと両前脚でフカガワミコトをはたき続ける。

 それほど痛そうではないが、地味で執拗、かつ鬱陶しい攻撃にフカガワミコトは参ったようで「すんません、あとで改めて豊玉のやつには謝るんでちょっと下がっててください!」とやや強引に押しのける。

 そしてその後、サランをきまり悪そうな目で見て、ふーっとため息をついた。


「……結局俺は誰かから監視され続けるのか……」


 東の空から金色のの光が差しだす。周りの風景も色味をまして鮮やかに輝きだした。日の出だ。始発のバスがそろそろ動きだす頃合いだ。まだ少ないが動きだす人影も見える。

 自分たちはまだ夜遊び帰りの不良中学生で通じるけど、宙にういてるウミガメはどうごまかしたものかな……と自分たちが一般市民に目撃された場合の対処を頭の中でシミュレーションしながら、サランはうなだれるフカガワミコトに呼びかける。


「帰るぞ、深川尊。逃げるとサンオ先輩に迷惑がかかる」

「――」


 フカガワミコトは無言だ。視線をサランからそらす。強情な子供の相手をさせられるような理不尽な気持ちが芽生えたせいで、サランの声に棘が混ざる。


「お前が九十九市にいるって連絡はもう上に通ってるし、今日中に迎えだって来ることになってた筈だぞ。なのにお前が無断でとんずらこいたら、先輩方が逃がしたって形になっちまうだろうが。――だのに『お礼は必ず致します』ってなんじゃそりゃ? ここから逃げたらお礼どころじゃなくなるぞ?」

「――」


 フカガワミコトは無言だ、だんまりだ。サランのいら立ちも募りだす。そのためフカガワミコトへの詰問がかなりきついものになった。


「お前、このまま姿をまたくらませてどこか別の特殊戦闘地域にまた潜り込むつもりだったんじゃないか?」


 世話になった少女に礼を伝えるための電話を三尾家の黒電話を借りるのではなくわざわざ外の公衆電話で行おうとしていたことからしてまずフカガワミコトの行動は怪しい。

 日の出間近の時間に一宿世話になっている家の電話を無断で借りるのは遠慮したという線もあるが、そこから書置きひとつだけ残してさんお書店から立ち去ろうとしていたことはさすがに見過ごせない。世話になったギャルの少女と連絡を取ることだけが目的だったならそのまま戻ればいいのに、フカガワミコトはそうするつもりは無かった。書置きだけ残してそのままこの街を立ち去るつもりだったのだ。


 その理由は考えられる限り一つしかない。フカガワミコトはまた消息を絶つつもりだった。何故か。


「お前、今でも2010年代の街があるって信じてるのか?」

「――」


 フカガワミコトは無言だった。だんまりだ。それが答えということは、きっとサランの言う通りだということなのだろう。

 心の中で派手に呆れたサランは、はーっとため息をついた。

 

「まだそんな夢みたいなこと……。コサメ先輩の浄化が不十分だったのか?」

「それはねえよ。この街にきてからずっと妙な耳鳴りや幻覚も、腹が減ってんのにずっと胸になんかつっかえてるような感触も、あの人にぶん殴られて一晩寝たらなんか全部スッキリしてるから。多分、俺に憑りついていた乙種はあの人に浄化された。間違いない」


 ようやく口を開いたはいいが、まるで嘔吐したように浄化の感想を語られてサランは一言二言もの申したくなった。しかしそんな些末な箇所に引っかかってる場合ではない。

 妙な乙種侵略者に汚染されていた精神を浄化しても、フカガワミコトは未だ自分は2010年代の町から来たと信じ込んでいる。ということはつまり、精神攻撃に長けた侵略者が見せた悪い夢のおかげでありもしない妄想に取り憑かれているわけではない。

 フカガワミコトがずっと抱えていた記憶であり、経験だということだ。


「スッキリした分、記憶が鮮明になったんだよ。――俺やっぱりこことは別の世界にいたんだって確信するしかなくなった」

「おおそりゃスッキリしておめでとうさんだけどなあ、お前、確かワルキューレ因子があるって判るまで旧日本のどこかで生まれて育ったって記憶も記録あるんだろ? それは何か? 誰かに植えつけられた偽の記憶だとか言い出すんじゃないだろうな?」

「――」


 フカガワミコトは黙る。どうも少年には喋りたくないことに関しては黙秘権を行使するという癖があるらしい。サランは苛立ち、その口調が刺々しいものになる。


「アッホらしい。大体、太平洋校に入学するにはお役所管轄の書類が山程必要なんだぞ? 不本意であっても今太平洋校の初等部三年に籍がおいてられるってことは、公的にお前はどういう親の元でどういう風に生まれてどういう風に育ったっていう記録が残されてるってことだ。旧日本圏でその種の記録が一切ない正体不明の怪しい人間が行くとこは太平洋校じゃなくてもっと別のおっかない機関だよう」

「――うるせえな。俺にだって記憶はある。親の顔も、住んでた町も一緒に遊んでた友達のことも通ってた幼稚園も学校のことも全部覚えてるわ。中二になるまで普通にこの世界で生きてたわ!」


 サランの口調に腹を立てたのか、だんまりを維持できなくなったらしいフカガワミコトがむきになって言い返す。それを目を半眼にしたサランは迎え撃つ。


「ふーん、じゃあ何か? 中二になって突然2010年代に生きてた前世の記憶でも蘇ったのか? それと同時に世界で唯一の少年ワルキューレに大覚醒か?」


 二千年紀ミレニアム前後でさかんに物語られてきたジュブナイルやコミックで散見される設定を口にしながら、サランはあまりのばかばかしさに呆れそうになる。ああなんて陳腐さだ。口にすることすら恥ずかしい。

 なのにフカガワミコトは顔を真っ赤にして黙る。触れられたくない真実に接近されるととたんにだんまりになることがあるフカガワミコトの癖を見切ったサランは、それが示す意味に思い至る。


「……ええ~……マジなの、今うちが言ったの図星? お前、前世の記憶持ち?」

「――っ」

「うわぁ~……まさかトラックに轢かれてこっちの世界に転生したとか言い出すんじゃないだろうな?」

「――……っ!」

「え、ちょっと何⁉ 否定しろよう! そんな厨二の塊が実在した上に目の前にいるとか、怖すぎるってもう、こわっ怖怖怖怖っ!」

「――――…………っ!」


 真っ赤になった顔のフカガワミコトがサランを睨みながら悔し気に絞り出す。


「…………悪かったな……っ、そんな厨二の塊で……っ! その上転生先でチートでハーレムだぞっ、どうだ怖いかっ! ていうか俺が一番怖いわ!」


 だんだんに声を大きくしながら、据わった目で、やけになったようにフカガワミコトはふはははっと笑い出した。


「怖えー! マジで怖ええっ! 前世の俺か今いる俺か、どっちの自分が本当の俺なのか自分自身わかんなくてマジで怖えええっ! こんな状態が大体一年続いてんだぞ? 夢なら長すぎだろっ? なんなんだよ、俺は、マジで何もんなんだっ? なあおい、分かってんなら教えろよ!」

「うちに分かるわけないだろ! そんなドグラマグラな悩みぶちこまれても対応できないようっ!」


 二人してパニック気味になる早朝、ふわりと白銀の髪をなびかせたノコがやってきてフカガワミコトにぎゅっと抱き着く。スポーツ用品ブランドのロゴがプリントされたTシャツに顔を押し付けて、幼い声で必死に訴える。


「落ち着け、マスターはマスターだ。世界で一人、ノコを起こしてくれたマスターだ。それだけじゃ不十分か?」

「……あ、ああ……、うん。そうだな。ありがとう、ノコ」


 見るからに人造物だが自分より幼い少女に静かに語り掛けられて、軽い錯乱状態だったフカガワミコトも徐々に落ち着きを取り戻す。

 フカガワミコトの掌で頭を撫でられたノコは嬉しそうにニコッと笑った後、サランを見てむっと睨みつける。


「ぶんげえぶのちんちくりん、よくもさっきマスターにさんざん意地悪を言ってくれたな。ノコはしっかり見ていたんだぞ!」

「ああ~……、まあ、ちょっと言いすぎたよう。ごめん」


 とはいえサランの中ではまだ衝撃が去っていない。フカガワミコトがトラックではねられてこの世界へやってきた前世の記憶持ちな上、この世界でチートなハーレムをやっている、少なくともフカガワミコトの中ではそんなことになっている。

 そんな現実に対応できるほど、サランの経験値は高くない。だってまだ十四年と少ししか生きていないのだから。

 ……やっぱりコサメの浄化が不十分だったのではないか? フカガワミコトの魂はまだ乙種侵略者に汚染されたままなのではないか?

 サランはそんな可能性に賭けたくなった。


「とりあえずさ、先輩のとこに戻ろう。コサメ先輩がまだいたら、もう一発殴ってもらえばいいじゃん。それできっとスッキリするって」


 我ながらナイスアイディアだ、サランは自画自賛したくなった。が、それを何故かふくれっつらのノコが否定する。


「マスターを殴ったあのワルキューレならもうあの店にいないぞ。もう持ち場に戻った。ノコには分かる」

「?」

「タツミのとこの亀がさっき消えた。あのワルキューレが持ち場に戻ったから念波の傘の外に弾かれたんだ」


 そういえば、とサランは当たりを見回した。さっきまでいた筈の宙に浮いていたウミガメの八尋の姿がない。かわりに路上に『深川様江』と表に達筆で記された、和紙の立派な置手紙が落ちていた。

 

 辺りがかなり明るくなり、バスが動きだしている。気づけば車の往来も、人影も増えてきた。あたり一帯はまごうこと無き朝である。

 ノコはくいくいと、フカガワミコトのTシャツの裾を引っ張った。


「なあ、マスター。あのワルキューレが持ち場に戻ったからねーさんも出てきたぞ。多分もうすぐこっちに来る」

「〝ねーさん″?」

 

 誰だよ、〝ねーさん″って? いやまて、ノコは前にも一回、誰かのことを〝ねーさん″と呼んでいた。


 思わず繰り返してしまった直後に気づいた瞬間、サランの背後に近づく足音があった。

 そして、ノコの頭を撫でていたフカガワミコトの視線が、サランの後ろに据えられる。そのまま、目が見開かれた。

 「驚愕」の見本のような表情になったフカガワミコトの視線につられ、サランは振り向く。


 そして、条件反射でゲッと呻く。

 脱色したシャギーの髪、長い脚に限界に近いくらい短いスカート、その足元にあるのはルーズソックスにローファー。眉は細く、派手なメイクを施しているのに、挑むような目つきと挑みかかるような笑みが似合う美貌は相変わらず憎たらしいあの女。

 陽が上ったばかりの時間に姿を見せたにもかかわらず、たっぷり眠ったのかスッキリした表情で、シモクツチカはサランを見て瞬きをする。その後、いつものように人をコバカにするように鼻で笑ったのだ。


「……何やってんのミノムシミノ子? 朝っぱらからこんな場所で?」




「――つまり、九十九市に飛ばされたフカガワミコトを助けた親切なギャルがツチカだったってことか?」

「そういうことだようっ。……うちもひょっとしたらもしかしてって思ったんだよ! シモクのやつが自分の退屈しのぎのためにフカガワミコトにちょっかいかけてんじゃないかって! あいつならやりかねないなって! でもさあ、まさか本当にそんなことが起きるとは思ってなかったよう」


 うう~っとその後の屈辱的な展開を思い出したサランが机に突っ伏したままガリガリと机をひっかくが、ジュリは反対に読んでいた『暗い旅』の文庫本を閉じて机の上に置き、冷静に尋ねる。


「――サメジマとフカガワミコトが一緒にいる場を、ツチカは見たのか?」

「そうだよう。あの恋愛至上主義の軟派お嬢なんかによりにもよって……。ああ~っ。今思い出しても、ああ~……っ、不覚すぎる!」


 口惜しさでのたうち回りたくなるサランの脳内は、自動的にあの日の出来事を反芻しだすのだ。




撞木シモク……っ!」

「ミノ子さあ、竹槍少女コス続けんなら夜のうちだけにしてくれない? 都市伝説の主が朝日の中にいたら全然怖くないじゃん」

  

 いつものように、人をコバカにしまくる台詞を吐きながらツチカはゆっくり視線を滑らせて、フカガワミコトとノコに気づく。そしてタダでさえ大きな目を一層見開いた。


 なんでここにいる、とツチカを詰問しようとしていたサランは、目をぱちくりさせたツチカの表情を見て自分の失態を素早く自覚した。

 しまった……! と脳が危険信号を発令する中、サランがとっさに予感したとおり、ツチカは勝ち誇るようにふふんと鼻で笑った。


 シモクツチカは救い難い恋愛脳。素敵な大人になるために素適な恋が必須で不可欠。そんな古い価値観を信望する少女。

 そんな人間に、早朝、男子と一緒にいる場面を見られてしまったのだ。しかもその男子はあの、フカガワミコトだ。

 これ以上ないほどの大失態に、サランの頭は真っ白になった。

 その段階で勝敗は喫した。



 

 今ここに枕があったら顔をうずめて思う存分「あああああっ!」って叫びまくるのに……! という猛烈な羞恥と後悔に翻弄されるサランの右手薬指の上に、ぽんと白猫コンシェルジュが立ち上がる。


 はーれむりぽーとが更新されたよ~、と教えながら、ルーズリーフに走り書きされたような手書き文章を表示させた。「ハーレムリポート」の電子個人誌ジン版の最新号は、百年前のスクールガールが授業中や放課後にやり取りしていたという手書きの手紙の形式で配信されるのが恒例だった。


 しかしサランには今、それを読む気力はなかった。机に突っ伏したまま、右手で「後で読む」アイコンをタップしようとした。が、


「――サメジマ、今すぐ読んだ方がいい」

「ええ~……勘弁してよう」

「いいから! 早く読め!」


 自分の元にも届けられた「ハーレムリポート」の最新号に目を通すジュリの声は、奇襲をかけられた兵士のようにこわばり震えている。その様子に、サランもただならぬ物を感じないわけにはいかない。

 拡張現実上の手書き手紙を模したゴシップを指先でつまんで、サランは目を通す。

 だらんと机の上にのびたまま、カラーペンを駆使してカラフルに彩られたような手書き風の文字列を読んでいたサランだが、一行を読まないうちにガタンと体を起き上がらせていた。


 みつあみのおさげを逆立てそうにしながら「祝50回目~、どんどんぱふぱふ~」とふざけにふざけた冒頭から始まる、毎度毎度人の神経を逆なですることに長けたおしゃべりなゴシップガールの文章のある箇所から目が離せなくなる。



 ◇ハーレムリポート 電子個人誌ジン版 #50◇


 祝50回目~、どんどんぱふぱふ~。

 やー、文化部棟掲示板限定の落書きから始まったこの電子個人誌ジンもめでたく50回を迎えたってことになるんだけど。その間にまさか世界中のあちこちで読まれるようになるだなんて考えもしてなかったよ。こんなおしゃべりがここまで大きく育ったのもそれもこれもいい年こい……げふんげふん、思春期の瑞々さを失わずに太平洋の真ん中で繰り広げられる少年少女の大騒動に興味津々なみなさんのお陰だよ。感謝感激。みんな大好きー!

 そんなわけで、地下にある秘密のホテルの快適なベッドでぐっすり休んで充電も済ませたレディハンマーベッドだよ。みんな久しぶり〜。あたしのこと待ってた〜?


 ……はーい、待ってたー! ってレスポンスはしっかり聞こえたからー。


 というわけで予告した通り50回目の大発表をしちゃおうと思いま~す。はい、ドゥルルルルルル……じゃじゃん!


 なんと! このタイミングで、この期に及んで、フカガワハーレムに新メンバーが加入しました~。その名もサメジマサランちゃん! 文芸部所属のみつあみの文学少女だよっ。清楚な三つ編みの古式ゆかしい素朴な大和撫子ちゃん! ……え、カグラちゃんとキャラ被ってる? それがそれが、一見地味だけど実はとっても行動派だったりして一筋縄じゃいかない魅力を持つ子だよ? いぶし銀ってやつ~? 


 え? なんだそんな子しらない、太平洋校ワルキューレ生徒名簿でもそんな名前みた覚えない? うーん、それは仕方がないかも。部外者さんにまで閲覧可能なワルキューレ名簿は上級以上のランクにいる子のことしか載ってないから。

 つまりサランちゃんは、色んな意味で伸び代だらけで注目株の女の子ってことだよ。

 だってこの子が行方不明になってたフカガワミコトを見つけて保護したんだから。スゴくない? だってあのタツミちゃんより先に見つけたんだから。


 行き倒れた勇者や王子様を名もない村娘が保護するシチュエーション、お好きな人もいるんじゃない? サランちゃんはだからそういう可憐な女の子ってこと。


 ……えっ、文芸部員ってことならお前はその子のことを直接知ってんじゃないかって? さーてそれはどうかなあ〜。ピピピピー(吹けない口笛を吹きながら)。



 ってわけで、ますます混迷を深めてきたフカガワハーレムから#51以降も目を離しちゃダメだよ! レディハンマーベッドとのお約束。


 じゃあ今日はここまで、ばいばーい。


 ◇◆◇



 開いた口が塞がらないという慣用句通りに肩を震わせてわななくサランは、大きな足音を響かせる何者かが文芸部室に近づいて来るのに気づくのにしばらく遅れた。


「失礼しまっす、サメジマパイセン帰ってますかぁ⁉」


 勢いよくドアをあけ放ったのはメジロタイガで、制服から露出させた腕や脚にところどころ包帯をまきつけている自分のことを後回しにずかずかと硬直するサランの元へ歩みよる。

 タイガも中米から帰ってきたばかりで、本来ならお帰りの一言でもかけてやるべきなのだが、サランもそれどころではなかった。タイガも猫目を大きく見開いたまま、言葉を失って固まるサランの元へ駆け寄り、信じられない信じたくない嘘だとってくれという顔つきでひざまずき、サランの顔をのぞき込むのだった。


「パイセン、嘘っすよね⁉ レディハンマーヘッドの言ってること嘘っすよねっ? パイセンがフカガワハーレムに入ったとか、ありえませんよねっ?」


「――……っ」

「嫌っすよ、オレそんなの! パイセンなんで黙ってんすか、嘘だって言ってくださいよサメジマパイセン!」

「っだああああああ! 嘘だよ嘘ッ! 嘘に決まってんだろうがああッ!」


 涙目のタイガに肩を掴んで揺さぶられてようやく金縛りのとけたサランは架空現実上の紙切れをつかんでくしゃくしゃに丸めると、表示させたゴミ箱に投げつける。


 そこに書かれていた内容が、サランの脳裏でぐるぐる渦巻く



「あああああああっ! あんのクソ女ぁぁぁぁぁああああっ!」


 怒髪天を突くの慣用句通り、三つ編みを逆立てたサランの雄たけびは文化部棟に響き渡り、そうこうしているうちにサランのリングには『夕刊パシフィック』からの取材依頼が次々と舞い込む。

 廊下の向こうから複数の足音が駆け寄ってきてドアに殺到した。


「ちょっとサメジマさん! あなたったらまた文芸部の品位を損なうようなマネしてほんまええ加減にしてもらわんと困るんやけどなああっ!」

「サメジマ氏! 某と別れた後かような愉快なことになっていたでござるか! こうなった以上某もつるぺたロリ絵に挑戦するでござる! 楽しみに待つでござるよ!」

「サメジマせんぱ〜い? 先輩が変な騒動起こしてくれたおかげで私たーちゃんに後回しにされちゃったんですけどぉ〜?」

「ああもううるさーいっ! うちも現状把握中だあ! 訊かれてもなんも答えられねえしっ!」


 複数の声が混ざり合う騒々しさの中、頭を抱えたジュリがつぶやいたのを怒りをたぎらせながらもサランはしっかり聞いていた。


 ツチカのバカっ……! 


 と小さく漏らしたそれは、髪の長かった侍女時代を彷彿とするものだった。

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