#19 ゴシップガールを追う少年は魔女たちの家にたどり着く

 ◇ハーレムリポート 電子個人誌ジン版 #49◇


 ……むにゃむにゃ、レディーハンマーヘッドはお休み中です。起こさないでください……むにゃむにゃ。

 

 ……でも近日中に大発表があるかも……むにゃむにゃ。次回は記念すべき50回目だし……むにゃむにゃ。


 ◇◆◇


「……なんでこんなことになってんだよう……」

「うるせえ、日頃の行いの結果だろうが」

「何偉そうに言ってんだ、お前も人の貴重なプライベート台無しにしやがった癖に」


 サランの呟きに不機嫌さを隠さないフカガワミコトが被せ、さらにその上に、缶ビール片手のサンオコサメがとどめをさす。時期的に布団を外して座卓として活用している家具調コタツ(天板をひっくり返すとおそらくマージャン卓になる)に座った三人は思い思いの仏頂面だった。

 

 さんお書店の売り場の奥にある、昔懐かしい畳敷きの茶の間で一人機嫌がいいのはノコのみだ。市販のルーを使った20世紀末から21世紀初頭の旧日本ではポピュラーなファミリースタイルのカレーを実に美味しそうに平らげている。そしてさらにもの欲しそうな顔で、にらみ合っていてカレーに手を付けない二人にせまる。


「マスター、あのワルキューレが作ったカレーなかなか美味いぞ。いらないならノコが食う。くれ」

「いや俺食べるから。……なんだかんだ言ってカレーってこういう普通のやつが一番美味いよな」

「そうか……。じゃあぶんげえぶのちんちくりん、お前食わないならノコが貰ってやる」


 普通に腹を減らしていたらしいフカガワミコトはにらみ合いに飽きたのか、自分のカレーを食べ始める。大してサランは出撃前に食事を済ませていたこともあり、ノコの要求に応えることにした。無言でカレーの皿を押しやり、グリーンサラダをフォークで突く。そんな仏頂面のサランにコサメは勿体なさそうに語り掛ける。


「惜しいことしたなあ、後輩。美柔のカレー美味いんだぞ、市販のルーを使いながら素人にはなかなか出せないコクと深みがあってだなあ――」

「寝る前にがっつりしたもん食べると胃が重たくなって眠れなくなるタチなんですよう。──ていうか、さっきから言ってますけどなんでこんなことになってんすか?」

「まだ言うのかよ文芸部! 日頃の行いが招いた事態だっつってんのにどんだけ面の皮厚いんだ?」

「お前も人のこと言えた義理か、急に押しかけてきては飯食ってる癖に。こっちは半年に一度の休暇だったんだぞ、ったく──。久しぶり楽しい我が家に帰って来たとおもったら迷子になってたガキのお守りだなんてついてないにも程がある」


 ヤケになったようにくいっとコサメはビールを煽った。童話から抜け出て来た少女を思わせる外見にマッチしたふんわりひらひらなメルヘン服が泣きそうな振る舞いだった。それ故に妙な迫力があり、フカガワミコトも居住まいを正して頭を下げる。


「すみません、急に──。あの、カレー美味いっす」

「礼なら美柔に言ったげな。半年分、腕によりをかけてくれてるはずだから」


 この街は常に平和な二千年紀ミレニアム旧日本の地方都市であるという夢に包まれている。その夢をみるのはワルキューレだ。

 強力な夢を見る力を持つワルキューレが半年間眠りにつく。その夢を念波にして住民たちに暗示をかけている――。この九十九市は眠り姫に護られた街なのだった。

 その夢をみているものこそ誰あろう、三尾サンオ小雨コサメ中尉である。

 彼女は精神感応方面で非常に強力な力を発揮するタイプのワルキューレである。その能力故に高等部性時代に作戦の基幹を担うものとして白羽の矢が立てられ、

「眠り姫」としての訓練を始めてから現在、九十九市内の一般市民の安全と快適な暮らしを護っている。


 ──そのことをいともあっさり明かした上に不満たらたらの目で、後輩二人を睨む。


「その半年に一度あたしの目が覚める貴重な貴重な休暇の日だったってわけだったんだなあ……っ」

「その辺に関してはもう──すんませんです、三尾先輩」

「今ここサンオ姓が二人もいてややこしいから小雨先輩でいいよ、後輩」


 サケを咥えたクマの木彫り人形とこけしの並んだ四角い箱型テレビからは二千年紀ミレニアム感あふれるなにもかも過剰なバラティー番組がつけっぱなしだ。それを背景に缶ビールを持つ、ピンクのメルヘン服を着たサンオコサメ。色んな意味で九十九市市民を護る極秘任務に就いている、強力な能力を持つワルキューレには見えない女である。

 だがその雑な雰囲気からどうしようもない文化部棟住人臭が漂ってくるのも確かだ。それ故にサランには気安かった。消し去り難い文化部棟臭により自分より何代も前の先輩であっても部室にいるような距離感で話しかけることができる。コサメもしきりにぐちぐち言うがサランの遠慮のない態度を不快がる様子は見せなかった。


「これ一応機密だからな。口外すんなよ、内緒な」

「──そんな大事な情報、下っ端にペラペラ明かさないでくださいよう」


 大丈夫かこの先輩。仮にも将校クラスのプロワルキューレだというのに──と、サランの方が不安に思うほどあけすけにコサメは自身のことを語る。

 

「なんの因果かしんないけどさあ、あたしがたまたま要警戒次元溝そばの出身で、しかも作戦にお誂え向きの能力持ってるってことで眠り姫に特化させられたんだよね。――ったく、こっちは高等部卒業したら予備役になって廃業した実家復活させて古本屋やろうって予定だったのに」


 やさぐれた口調でコサメは説明する。そんなガサツな姫などいるかとつい余計な口を叩きたくなるが、少し前に神秘的な方法で現れた正真正銘のお姫様も半裸で駆け回るようなお転婆ぶりであったのでサランは黙っておくことにした。

 フカガワミコトはカレーを食べつつも真剣な面持ちでコサメの話に聞き入っていた。何か思う所があるようだ。

 コサメは話を続ける。


「美柔はさあ、字は違うけどおんなじサンオって姓のやつが文芸部で一緒になるの面白いねってのがきっかけで仲良くなって。で、卒業したら一緒に古本屋やりたいねー……なんて、初等部からこっぱずかしい夢語ったりしてたんだけどさ、まさかこういう形で古本屋やるとは思ってなかったよ」

 

 特殊任務に就いている間、空にせざるを得ないさんお書店の経営や住居の管理をコサメはミユに任せている。ミユの本来の任務のカムフラージュも兼ねて――どうやらそういうことらしい、とサランは吞む。そうするとミユの任務がなんであるかも容易に予測がつく。

 九十九市、および「眠り姫」の警護、おそらくそんなとこだろう。


 アルコールで口が滑りやすくなっているらしいコサメの左手薬指にはリングがある。この街ではほぼ無用の長物のリングだ。リングを交換するという太平洋校の伝統はミユとコサメの代には既にあったということか。

 自分の左手がなんだか気になって、サランはちゃぶ台の下に左手を隠す。


 不測の事態で左手のリングのことは今まですっかり忘れていたが、一旦意識してしまうともういけない。

 りゅうぐう温泉を出たら宿舎に戻って、そのあとは普段通りの毎日に戻る筈だったのに、何故か消息不明だった観測対象に遭遇して、レトロな住居兼店舗な木造家屋内で初対面の人間同士角をつきあうことになろうとは──。

 そのことを振り返ると、サランはどうしてもため息を禁じ得ない。


「……先輩と九十九市に関する色んなことは分かったけど、だからってなんでこんな意味不明な事態に巻き込まれるのか分からないよう……」

「まーだ言うのかよ、しつっけえ! 日頃の行いの結果だっていい加減みとめろよな」

「だから人ん家に勝手に押しかけてきてデカい顔するお前も目糞鼻糞だっってん……──ってなんだよこのループ! 何ターン目だよ! グダりすぎだよ! ツッコミはどこだー⁉」


 美柔ミユ~っと、風通しを得るため開け放った襖から廊下に身を乗り出したコサメは呼ぶ。が、ツッコミとして茶の間の交通整理を期待されているらしいミユは、三尾家玄関そばで電話中だった。九十九市でも相当レトロなはずの黒電話の受話器を手でふさぎ、ミユは茶の間に向かって返事する。


「今報告中よ、大きな声出さないの! ――ええ、すみません、お待たせしました。先ほど申し上げました通り対象者二名保護しております。見たところ健康状態に問題は……」

 

 骨董品のような電話の受話器を耳にあてて話しているミユの後ろ姿は、一世紀まえのホームドラマ風ではあったが報告先は上層部である。消息を絶ったフカガワミコトを保護したのだから報告・連絡・相談は必須だろう。ええ、はい、それはもう……といった断片的な言葉が廊下の向こうから聞こえるのだ。ともかく茶の間にはしばらく戻ってこれなそうだ。


 パートナーに断られた後、しょうがねえ……と呟いたコサメが場を仕切りだした。


「めんどくせえが仕方ない。充実した休暇のためにこれよりさっさと尋問を執り行う。――なんでまた任務を途中放棄した上にこの街に現れてくれたんだ、深川フカガワミコト?」

「別に――途中放棄したくてしたわけじゃないです」

「あの乙種のヤツがみょうちきりんなヤツだったんだ。なんだかゴニャゴニャってノコたちの心に語り掛けてきたと思ったら、あたり一帯パーッと光って、気がついたらマスターと二人でこの街にいたんだから」


 カレーをほおばりながらノコが拙い口調で説明し、なあ? とフカガワミコトに同意を求める。もそもそとカレーを口に運びながらフカガワミコトはそれに無言でうなずく。


「ノコたち、とっても大変だったんだぞ。リングが使えない、古銭みたいな現金しか使えない、みんなワルキューレのことを知らない、侵略者のことを訊ねたら頭が変になったヤツみたいな目で見られる……こんなへんてんこりんな街に飛ばされて。マスターなんて一時期タイムスリップしたって慌てまくってたんだからな」

「そんなこと言う必要ねえだろ!」


 恥ずかしそうにフカガワミコトは自分のワンドを窘めたが、誰も聞いてはいない。ノコも無垢な顔で続ける。よほど九十九市に来てからの体験が堪えたらしく、声に実感がこもっている。


「本当に大変だったんだぞ。ねーさんに助けてもらわなきゃマスターと一緒に行き倒れてた」

「〝ねーさん″?」

「この街の住人みたいなねーさんだ。やたら短いスカート履いてだるんだるんした変な靴下履いて髪の毛が茶色いマスターと同じ歳くらいのねーさんが、現金くれたり色んなこと教えてくれたんだ」

「ああ、通りすがりの知らない女子が助けてくれたんです。金かしてくれたり、雨風しのげる場所とか教えてくれたり……見た目は怖いけど親切な人でした」


 そう補うフカガワミコトは、ノコの言葉を遮るそぶりも含めてあからさまに不自然だった。


 この場を仕切りだしたコサメはふんふんと頷きつつ、サランにチラシの裏紙を適当に切ってクリップでまとめた束とボールペンを手渡す。どうやら調書を取れということらしい。

 これが噂に聞くチラシの裏というやつか……! という妙な感慨に浸りながらサランは先輩が命じるままその上にボールペンを滑らせた。

 ・妙な乙種

 ・心の中に語り掛ける

 ・パーッと光る

 ・気がついたら九十九市に……。

 ・親切な通りすがりのギャルに助けられた。←なんか触れられたく無さそう。


 「通りすがりのギャル」に無意識に下線を引いてしまってからサランは我に返った。二千年紀ミレニアムで時間が停まっている九十九市に何人ギャルがいると思ってるんだ。

 シモクツチカの残像を振り払ってから、サランはコサメとフカガワミコトのやり取りに集中する。


「乙種とはいえ時空転移能力持ちの上に精神感応力も高い奴か、確かにめんどいな。特級つったって初等部生じゃ太刀打ちできないやつじゃん。――なんで初等部のペーペーに出撃させたんだ、上は?」

「最初は、ありふれた普通の乙種だったんです。海の上に浮かんだ、龍型のヤツで――。俺らも今まで何回もみかけたタイプのヤツだったから」

「ふーん、で、上も判断も見誤ったって訳? 耄碌してんなあ……。で、そいつはなんてお前らに語り掛けてきた?」


 ・時空転移能力+精神感応力

 ・一見普通の龍型乙種

 

 サランはさらさらとボールペンで書き記す手を止めて、ピンクのメルヘン服を着ている先輩を見上げた。童話の世界から抜け出てきたような少女なのに缶ビール片手に雑駁な口をきくコサメの問いかけは一直線だった。

 皿の上のカレーをきれいに攫っていたためか、フカガワミコトは一拍の間をおいた。


「……すいません、おぼえてないです。気がついたらこの街にいたんです」

「……ふーん」


 ・龍型乙種の語り掛け、内容不明

 ・気がついたら九十九市に


「親切なギャルに助けられる前に太平洋校の宿舎に駆け込むことは考えなかったのか? 特殊戦闘地域で遭難した場合の対処法だって習ってるだろ?」

「それは──すんません、うっかりど忘れして」


 ・ど忘れで救援を怠る。


 そのことをさらさらと記しながら、サランは呆れた。呆れるほど嘘の下手な奴だな。


 誰がどう見ても真実を隠しているのが二人にバレているのをおそらくわかっているのに、敢えて笑って強引に誤魔化そうとする雑な態度を前にサランは遠慮なく半眼になった。

 コサメも同様に呆れたようだが、追及はしない。ただ頷いて缶ビールをあおった。


 りゅうぐう温泉で角突き合わせた直後、ノコはサランとミナコを見て「島からの追っ手」云々と叫んだ。そしてフカガワミコトはその口を塞いだ。


 その動作から判断するに、フカガワミコトは本人が明かした通り謎の乙種侵略者の不可思議な攻撃をまともに食らってしまっただけではない、と結論づけないわけにはいかなくなる。太平洋校関係者に対して後ろめたい思いを抱えながらこの九十九市にいる。それがどういう理由によるものかは不明だが。


 サランはチラシの隅にコサメにだけ見えるようにさらさらと書き添える。「島から逃げ出す理由アリ(詳細不明)」。ちらっとコサメはそれを目にした。

 

 しばらく間があき、それを埋めるようにフカガワミコトはスプーンを置いてコサメに向き合った。目がまっすぐコサメを見つめる。

 

「――っ、あのちょっと質問してもいいすかっ?」


 これ以上ないほどフカガワミコトの顔は真剣だった。コサメが頷くと、コップの水を煽ってからやおら尋ねた。


「この九十九市みたいに、ワルキューレの夢の中にいる街ってほかにもありますよねっ?」

「あるよ。何当たり前のこと訊いてんだよ? 現代地理で習うだろ、それすらど忘れか?」

「その中に――2010年代、平成末期の夢で閉ざされた街ってのはありませんかっ?」


 フカガワミコトの表情はこれ以上ないほど真剣だった。冗談を口にしている風ではない。だからこそ、直接質問されたコサメもそれを聞いていただけのサランも一緒に世にもつまらない冗談を聞かされたように眉間にしわを寄せてしまう。今、なんと?


 沈黙に閉ざされた茶の間に、テレビ番組とノコがカレーを食べる際に立てるカチャカチャという音だけが響く。その間にミユの電話も終わったらしい、はいではおやすみなさい、夜分失礼いたしました――という声とともに、ちん、と受話器を下ろした音まで聞こえた。


「……お前、バカか」


 先陣を切ったのはボールペン片手のサランだった。真剣な顔でコサメに向かうフカガワミコトを呆れて見やる。


「特殊戦闘地域は侵略者を拡張現実内に立ち入らせないために設けてんだぞう? だからどれだけ現代に近づけても夢の中の時代設定は二千年紀ミレニアムがギリだ。他の街も80年代とか70年代だぞ。スマホだSNSだ普及しまくった2010年代の夢なんかで囲っても防御壁の意味を為さないよう?」

「そんなこと俺にもわかってるよ! でもあるはずなんだよ、そういう街が……!」


 じれたようにフカガワミコトは声をあげた。その表情と声音の真剣さにサランはたじろぐ。フカガワミコトは決してふざけているわけではないとサランも判断せざるを得ない。

 感情を表に出しすぎたのを誤魔化すように、フカガワミコトはサラダを食べ始める。初めて興味を引かれたように、コサメが身を乗り出した。


「――そんな無意味な街がこの地上にあるはずだって考える根拠はなんだ、深川尊?」

「……」

「そんな街を探すこと、それがお前が行方をくらましこの街に居座り続けた理由か? 上に報告もせず、仲間に安否も知らせず、あたしの休暇を台無しにしても優先したかったことなのか?」


 フカガワミコトは突然無言になる。黙ってぱりぱり音を立てながらサラダを食する。


「まーただんまりか。――じゃあソウ・ツーに訊こう。なんでお前のご主人様はそんな幻みたいな街のことを気にかけてる?」

「マスターは――」


 ノコ! とフカガワミコトが鋭い声で制するとノコは肩をすくめ、その後むっと気合を込めた精一杯凛々しい顔をみせる。


「ノコはマスターのワンドだ。マスターの意に反することはしないぞ。マスターが、『本当に自分がいた街』を探そうとしてここにいることは決して喋らんのだ」


 案の定、ノコの攻略は容易かった。自信満々なノコの発言を聞くなり、フカガワミコトは頭を抱えてうなだれた。

 サランはノコのアホの子ぶりになんとなく既視感を覚えながらボールペンを走らせる。


 ・フカガワミコトの目的→本当に自分がいた街を探す→2010年代の旧日本地方都市?

 

 ――妙な話である。フカガワミコトは旧日本のどこかの地方都市、サランと同じようにこのご時世にそれなりに呑気に平和に暮らせる地域の出身であるはずなのに。


「『本当に自分がいた街』ぃ? なんじゃそりゃ? 自分はこの世界じゃないどこか別の世界から来た選ばれし少年だとかそういうやつか? 孤児妄想とかベタな貴種流離譚にかぶれるとはさっすが十四歳だな」

「……」


 コサメがあけすけにそうい言ってのけたため、フカガワミコトは無言でうつむいた。プロワルキューレの不躾な言葉を真正面から受け取って真正直に傷ついたらしい。

 その間に、報告を終えたミユも台所を経由して茶の間に戻ってきた。麦茶のポットと缶ビール、湯がいた枝豆を載せたお盆を携え、ちゃぶ台のそばに座る。


「またそんな意地悪を言ったりして……。ごめんなさいね、深川くん。小雨は昔っから遠慮ってものを知らない子なの」


 お盆から缶ビールを取り上げようとしたコサメの手をぺちんと軽く叩いてめっと叱った後、サランとフカガワミコトのコップに麦茶を注いだ。この人もコサメとは違う意味で地球と人類の安全と未来を担うワルキューレには見えない。そしてそのほっそりした左手薬指にはリングが嵌っている。

 エプロンとスカートとリブ編みノースリーブのサマーニットが似合うミユに優しく声をかけられて、はあ、いや、その、別に気にしてないっす、とフカガワミコトはもごもごと口にする。怒って拗ねるのを維持しきれなくなったらしい(そしてその隣でぷーっと膨れるノコ)。


「あの……カレーごちそうさまです。急に押しかけてきて、なんつうか、飯まで頂いてしまって……ありがとうございます」

「いいのよ、こちらもはりきって作りすぎちゃったからたくさん食べてもらえると嬉しいの。気にしないで」


 囁くような声と微笑みを向けることでフカガワミコトを挙動不審にしてから(そしてノコを少し不機嫌にしながら)、ミユは片付けの手を止めずにサランへ声をかけた。 


「鮫島さん、宿舎にも連絡しておいたわよ。一緒に外出していた子から詳しいことは聞きました、理由が理由ですので門限破ったことに関しては大目にみます、ワンド不携帯は減点しますけど──ですって」

「……寛大な処置に涙が出そうですよう」


 皮肉を口にしながらも、ケセンヌマミナコが無事に宿舎へ戻ったらしいことに関しては大いに安心したサランだった。

 ともかく、だ。サランはミユに調書がわりにしていたチラシの束とボールペンを手渡し、立ち上がろうとした。


「じゃあうちはもう宿舎に帰っていいですよね? うちまで深川尊のやつといっしょにいる意味なんかありませんし。……ねえもういいでしょう、先輩〜」

「! 待て待て待て待て! 帰るんじゃねえ、文芸部! お前を帰すわけにはいかねえんだよっ」


 腰を浮かすサランをみてフカガワミコトは血相を変える。さっきまで拗ねて俯いてた少年だったというのにその反応は素早い。そしてミユまで自分のために注いだ麦茶を飲みながらサランを引き留める。


「そうよダメよ、さっきも言ったけど鮫島さんは今日はうちに泊まること。宿舎だってもう施錠しちゃったから明日の19時までに帰って来なさいって」

「施錠! 施錠って!」


 その呑気な響きにサランですら呆れる。これではまるで門限を超過してしまったために舎監から締め出されてしまった寮生ではないか。

 確かに自分は低レアで、めんどくさいけどまあまあ安全なルーティンワーク出撃がお似合いなやる気のないワルキューレだけど、いくらなんでもちょっと温すぎやしないか……? と、ワンド不携帯違反をおかしたばかりの自分を棚にあげてサランはツッコみたくなった。

 

 しかしやっぱり一番ツッコんでやりたい状況は、フカガワミコトに遭遇してしまったせいでいつもの自分の日常に復帰できなくなったこの状況に対してなのだが。しかもフカガワミコトはえらく真剣な顔つきで帰すわけにはいかないと息巻いている。

 しかたがない、サランは再度ちゃぶ台の傍にすわって、フカガワミコトを睨みつけ、前世紀末の不良業界でいう所の〝ガンを飛ばす″という行為に出る。


「なんだよさっきっから、うちになんか用かよう?」

「おう、お前ら文芸部には言いたいことが山ほどあるんだよっ」

「苦情なら文芸部宛てに直接メッセージでも送ってきてもらえませんかねえっ?」

「苦情投げつけるだけならお前みたいなちんちくりん引き留めたりせずに法務部にプライバシー侵害で訴えてお前ら完膚なきまでぶっつすわ。 ――さっきから訊きたいことがあるって言ってるんだから黙って聞けよ、頼むから!」


 サランの威嚇まじりの行為にフカガワミコトは応じない。2010年代の夢に閉ざされた街がどこかにないかとコサメに問うたのと同じような真剣さで、フカガワミコトはサランを真正面からじっと見る。

 そこらへんにいる男子にしか見えないフカガワミコトだが、真剣な面持ちになると多少は凛々しさと精悍さが増す。どうやらふざけているわけではないらしいとサランも理解し、威嚇をとりやめた。


「……なんだよう? 訊きたいことって?」


 ぐっと息を飲むような間をおいて、フカガワミコトはずいっとサランに迫った。


「――何もんなんだよ、あのゴシップガール?」


 それはまた、ずいぶんな直球、しかも剛速球だった。

 眩しいほどの一直線ぶりに、サランは目を丸くしてしまう。

 

 はい、それは人騒がせで軟派で古い恋愛小説にかぶれたせいで大人になることといい恋愛することがイコールで結ばれているという古くさすぎる価値観を持つシモクツチカという名のろくでもないお嬢です――と、その勢いに飲まれて危うく答えそうになってしまい、やべっと息を飲む。


 その動揺がわずかに出てしまったようだ。フカガワミコトがサランに迫る。


「やっぱりお前らの部長がその正体かっ? そうなんだろ、なあ?」

「は? なんで鰐淵が?」


 そんなわけ無いよう、サランはうっかり続けてしまう所だがったがすんでの所で口をつぐむ。

 レディーハンマーヘッドの正体は初等部文芸部長の鰐淵珠里、これは太平洋校に籍をおいているワルキューレたちの中では信憑性が高いとされている噂だ。サランだってツチカと再会するまで、その可能性は結構高いと踏んでいた。

 そしてフカガワミコトはシモクツチカの退学の後にやってきた少年だ。ツチカのことは知らなくて無理もない。


 とりあえずツチカのことは黙った方がよい、とサランは判断して質問を返す。


「なんでお前は鰐淵がレディーハンマーヘッドだなんて与太こくんだよう? 場合によっちゃこっちがお前に対して法務に相談もちかけることになるぞ?」

「――星ヶ峰茶寮の松花堂弁当」

「は?」


 突然意味不明な単語をぶつけてきたフカガワミコトへ、サランは思いっきり眉間に皴をよせて応じる。

 星ヶ峯茶寮は旧日本で名を馳せる老舗料亭だ。その支店が太平洋校にある。学園を訪れる理事や軍の偉い人たちをもてなすために使用される料理屋であるため、低レアワルキューレ達には基本的に用がない場所である。中にはその存在すら知らぬ者もいる。


 そんな高級料理屋の名前をなぜ突然口にするのか――? そんな疑問から生じた間を埋めるように、サランがボールペンで記入した調書に目を通しながらミユが呟いた。


「ああ美味しいわよねえ、あそこのお料理……。専科卒業の謝恩会でいただいたお吸い物の味なんて今でも時々思い出しちゃうもの」

「それでもあれ竹コースだったんだよ。……ったく、しょうもねえ理事だ軍のお偉いさんだとかは当然松だっつうのに当のワルキューレの祝いの膳は竹ってさあ。どうなんだよそれ? これから人類と地球を守るワルキューレに対してケチる? 差つける? そういうとこが人類を護る士気に関わってくるって考えないのかなあ? 上はさあ?」

「まだそんなこと根に持ってるの、小雨ったら。仕方がないじゃない、あそこはそういうお話に使うためのお店ですもの」

「――で、そこの松花堂弁当がどうしたんだよう?」


 フカガワミコトは真剣な表情のまま右手を振る。が、当然なにも起こらない。当たり前だ、この九十九市は拡張現実から隔離された街なのだから。

 右手を何度かふってからようやくそのことに気づいたらしいフカガワミコトは、頭を抱えて呻く。


「そうだった~、この街はそういう街だった~。くっそ~、不便極まりねえ……っ!」

「まあこの街に初めて来た人間はだれしも一度はやらかす失敗だから武士の情けで見逃してやるよう。で、だから星ヶ峯茶寮の松花堂弁当がどうしたって?」


 サランの催促に、これ以上ないほど真剣な表情でフカガワミコトは応じた。


「――四月に俺とノコが北ノ方さんに監禁されてたことがあっただろ? あの時に昼飯に用意されたのが星ヶ峯茶寮の松花堂弁当だったんだ」


 だからどうした⁉ 

 

 その思いが強すぎて開いた口が塞がらないサランより早く、そして強く反応したのはコサメである。身を乗り出してフカガワミコトに迫る。


「げっ、お前初等部のペーペーのくせにあんな贅沢もの食ったの⁉ 普通は佐官以上にならないと食わせてくれないやつだぞ? なっまいきー」

「あの時のあの弁当は美味かった。カグラの作った唐揚げ弁当にはちょっと及ばないが、かしわの照り焼きが絶品だった。甘辛くて山椒がぴりっとして……」


 目をとろんとさせたノコがその味を反芻しているが、どうしてキタノカタマコに監禁されていた時に出された昼食を真剣な顔つきで持ち出されなくてはならないのかサランには読めない。


「だからどうしたんだようっ? 北ノ方さんならそれくらいの高級弁当常食していて当たり前だろ?」

「――ったく察しの悪いちんちくりんだなあ! いつだかの『ハーレムリポート』に書いてやがってたんだよ、あの時俺が星ヶ峯茶寮の松花堂弁当食ってたなんてことがしっかりと! なんでそのことがあの時あの場にいなかったゴシップガールに書けたんだって話だよ、俺が言いたいのは⁉」

「そりゃあそれぐらい分かって当然――」


 ではない。

 サランはそのことに気づいて顔色を変える。


 レディーハンマーヘッドのゴシップの種は基本的に太平洋校のワルキューレたちが目撃した情報に準拠している。ということは太平洋校の一般ワルキューレが見聞きした以上の情報が混ざることはない。あり得ない。


「――あの時俺の傍にいたのは北ノ方さんと、各委員長だけだったんだぞ? 高等部の安倉アクラ先輩が関わってくるって話が出てきてから豊玉や三河さんたちに情報がもれないように捨てたゴミすら改めるレベルで情報の漏洩に気使ってたのを、俺は見てたんだ。なのになんでそういう所から昼に食った弁当の種類が漏れる?」

「……うちが知るわけないだろ、そんなこと……」 


 眉間にしわを寄せながら上の空でそう返し、サランは考える。フカガワミコトが不審に思うのも無理はない、これは確かに妙だ。

 

 有象無象の低レアワルキューレに付きまとわれたフカガワミコトを保護するという名目でキタノカタマコが初等部生徒会室に付属する私室に軟禁していたあの一件。あの時キタノカタマコは同じ特級仲間であるトヨタマタツミもミカワカグラも棟に一切近づけず、私室にフカガワミコトを監禁して独占していた。ハーレムメンバーですら近づけなかったその場所に、名もない低レアワルキューレが近寄れるわけがない。

 サランは出撃前に初めて直に接したキタノカタマコのたたずまいを思い出し、ぞくっと身を震わせた。あの生徒会長なら、監禁対象に接触しようとする部外者の徹底排除を完徹することだろう。

 

 監禁部屋にいたのはフカガワミコトおよびそのワンドのノコ、近寄れたのはキタノカタマコとその侍女たちである各委員長のみ。その最中にふるまわれた食事がなんであったかを知っているのは、本来これだけしかいない筈なのだ。

 なのになぜ、レディーハンマーヘッド――シモクツチカはその内容を知っている?


 二人の話を聞いていたミユが動き、雑誌や新聞を刺していたマガジンラックから『ヴァルハラ通信』を取り出して該当するページを開く。電子版から紙媒体に進出した連載三回目、後に弾避けになると評判になったジャクリーンのイラストピンナップ付きの号の「ハーレムリポート」のページを、三人のワルキューレはのぞき込む。


『……高級料理によってノコちゃんを味方に引き入れたマコ様が悠々とフカガワミコトを独り占めしていた時に(その間完全に人払いをされていた密室で星ヶ峰茶寮の松花堂弁当を食べた後何をなさってたかはわかんなーい。何かな〜? ……』


「――あら、本当に書いてあるわね」

「うっわ、現初等部生徒会長様は星ヶ峯茶寮のお食事常食なさってるんだ。っかー、北ノ方の総帥令嬢様はこれだから」


 比較的のんきな声をあげる先輩方の傍で、サランは言葉を失っていた。

 部誌をのぞき込んだまま無言になるサランの様子を前に、フカガワミコトも手応えを感じたのだろう。ぐいぐいと攻め込んでくる。


「――お前んとこの部長は北ノ方さんと同じ小学校に通ってた知り合いなんだろう? 時々、風紀委員長に連れ出されて北ノ方さんと話してるのを見たことがある」

「……つまり、何が言いたいんだよう?」

「委員長から情報を受け取った文芸部の部長がゴシップガールを名乗って俺らのことを書き散らしてる。――違うか?」


 違う、と断言するのをサランは控えた。

 ただ漫然と女子更衣室や女風呂にうっかり迷い込んだりするヤツじゃなかったんだな――と、フカガワミコトの印象をやや上方修正しながらもサランは嘯くことにした。まだこっちのカードは伏せた方がいい。


「さっきも言ったけど、うちが知るわけないよう。レディハンマーヘッドの正体はトップシークレットだ。うちだって知らないしい」

「てめ、ごまかすなって……っ」

「ごまかしてない。大体お前の推理だって穴があるっちゃある。委員長ってあの北ノ方さんの侍女たちのことだろ? あの連中が北ノ方さんを裏切ったりすると思うか? そもそもあのおっかねえご主人様を裏切って文化部棟の鰐淵にそんな情報漏らしてなんの得がある?」

「……それは……っ、ほら、お前は変だとおもわねえのか? 委員長たちだって俺らと同い年なのにあんな風に機械みたいになって一人の女子に集団で仕えてるのって? こういっちゃなんだけど北ノ方さんって人使いが荒いことがあるし、偶にはクッソーってなることもあったんじゃないか、と?」

「ほうほう、つまりは憂さ晴らしのために北ノ方さんの侍女の誰かがうちの鰐淵と内通して情報をもらしていたと? おもしろい話だよう、文芸部副部長として誉めてやるよう」

「……っだよ、嫌味くせー。でもそう考えるのが一番自然じゃねえか」


 フカガワミコトはむくれたが、あの無個性で画一的なキタノカタマコの侍女たちの人格を尊重しようという気構えがある少年であることに関してはサランは感心していた。その一方でふーっと息を吐く。


 フカガワミコト監禁時の情報をどうしてツチカが手に入れたのか、それは確かに妙だ。不思議だ。しかしサランにはもっと引っかかることがある。


 どうしてわざわざツチカはそれをわざわざ「ハーレムリポート」に書き込んだのか? 


 現在九十九市を根城にしているツチカはジュリと今でも連絡を取り合っている。『ヴァルハラ通信』掲載版の「ハーレムリポート」に拙い箇所がみつかれば、適宜修正を指示していることから明らかだ。ツチカが九十九市内にいる以上拡張現実を介したやりとりは不可能だが、旧型の電話回線を使うなどをすれば通信そのものは無理ではないだろう。

 ジュリが得た情報をツチカが受け取ること、そしてその逆も可能だ。フカガワミコトの推理通りの手段で得た情報をツチカに伝えることそのものはあり得ない話ではないのだ。


 しかし、レディハンマーヘッドの正体がツチカだと知っているサランには違和感しかないのだ。


 フカガワミコトが監禁中にふるまわれた食事の内容だなんて、そんなくだらない情報をわざわざツチカは書き入れたのか。そしてそれを読んで意見する立場にいるジュリはそれを見逃し掲載させたのか。

 そこがどうにも引っかかって仕方がない。


 単純にジュリが見落としていたという可能性もないではない。が、キタノカタマコに呼び出されるたびにぐったりするジュリが、わざわざ独裁的な生徒会長の気に障りそうになる箇所をそのままにするとは考えにくい。

 ジュリは訂正を指示した→しかしレディーハンマーヘッド=シモクツチカは拒否した→ツチカの命には逆らえないジュリはそのまま掲載せざるを得なかった。


 これが真相に近いはずだ、サランは当たりをつける。


 であるならどうして、ツチカはこんな挑発的なマネをする……? 

 わざわざ分かる者しか分からない符牒を混ぜ込んで、ツチカは何を考えている?


 考えているうちに、サランの脳裏にツチカの人をコバカにしたあの姿が段々蘇ってくる。初等部一年次の古臭い恋愛小説にかぶれていた軟派な不良ワルキューレ時代、この九十九市で再会したギャルに擬態した今現在――。

 ミノムシミノ子、と歌うような調子が蘇り、サランは一気に不機嫌になる。それにもう一つの気がかりが拍車をかける。


 フカガワミコトの見立ては正しいのか? 監禁中に星ヶ峯茶寮の松花堂弁当を食べたという情報がツチカに伝わったルートは本当に、キタノカタマコの侍女→ジュリの線が正しいのか?

 それが一番自然だというフカガワミコトの意見は正しい。現状そのルートが一番可能性が高い。

 

 それはいい。サランだってツチカとジュリの関係がただの仲良しこよしではない一種の主従関係なのは重々承知している。


 ただ、ツチカが自分の「退屈しのぎ」のためにジュリをまきこみ危険にさらすのは違うのではないか? 


 しだいに高まるイライラは当然サランの面に現れる。フカガワミコトはそれを見逃さなかった。


「! やっぱりお前なんか知ってるだろっ?」

「はあ? 知らねえよう! 大体レディーハンマーヘッドの正体がうちの鰐淵だったとしてお前はどうしたいんだようっ? プライバシー引っ掻き回してごめんなさいって土下座でもしろって話かあ? それくらいならうちが今やってやるようっ」

「誰もそんなこと今は言ってねえよ、土下座させてやりてえのはやまやまだけどな!」

「はいはいはーい、喧嘩はもうおしまい! ……ほらあ鮫島さん、だから先輩はずっと言ってたのよ? 人のプライバシーを弄ぶような連載はおよしなさいって」


 むぎぎ……っと再びにらみ合うふたりを、ミユがいさめて制した。ついでにお小言を頂いたのでサランは唇を尖らせた。


「でも……好評ですし、鰐淵もこれは広く読まれるべきだって……」


 うん? とサランは自分の呟きにひっかかるものを感じた。

 「ハーレムリポート」は広く読まれるもの。

 その中に紛れていた、不特定多数の読者のうち分かる者だけ分かればいいという符牒、そしてそれを受け取ったのが誰あろうフカガワミコト。

 レディーハンマーヘッドのメッセージを受け取って、動揺し、行動を起こしたのは目の前にいるこの少年である。


 ──よもや、まさか、シモクツチカはフカガワミコトにメッセージを発してたということになるのではないか?


「っ……いやいやいやいや、ないないないない……っ」

「! お前やっぱなんか知ってんじゃねえか! だったら教えろ、このゴシップガールについて知ってることを何でもいいから!」


 ツチカが潜ませた符丁に気づいたのはフカガワミコト=ツチカはフカガワミコトにメッセージを送っていた――という、論理の罠にはまりかけたサランは思わず口に出してぶんぶん首を左右に振った。

 その不自然なそぶりにフカガワミコトは食いつくが、それを無視してサランは思考を整理する。正しいのはツチカが何らかの意図を込めた符丁をフカガワミコトが受け取った、とその点に尽きる。


 重要なのはツチカが何者かに対しメッセージを発している、そしてジュリが自ら面倒な立場になるのも承知の上でそれに協力している。これだ。


 ──っのアマ、単なる退屈しのぎでこんな悪ふざけしてるわきゃないと思っていたけど何考えてんだよう……っ。自分のケツも自分で拭けないお嬢の癖に……!


「黙ってねえでなんか言えよ、文芸部のちんちくりん! お前らは俺にあのゴシップガールが誰か教える義務くらいあるだろうが!」


 怒りの為に黙り込むサランを前に、フカガワミコトは苛立ちを露わにする。それを逸らそうとするように、ミユがその肩に両手をそっと添えて抑えた。

 そして顔を覗き込み、優しい声で囁く。


「落ち着いて、ね? ──深川くんはどうしてレディハンマーヘッドのことがそこまで気になるの? あなたの言葉から判断するとただ単にプライバシーを侵害されたことを謝らせたいって訳じゃ無さそうだけど、他に何か大切な理由があるの?」

「……え、いや、あの、その」


 至近距離のミユに質問され、わかりやすくフカガワミコトは狼狽える(となりのノコがムーっとふくれる)。小首をかしげたミユは狼狽するフカガワミコトに畳みかけた。


「あなたがみんなに黙ってこの街に潜んでいた理由、それとさっき言ってた幻みたいな街とレディハンマーヘッド、その二つが関係があったりするのしら?」

「それは……っ、ですねえっ」

「そんな勿体ぶることでもないだろ。どうせさっき言ってた妙な乙種に吹き込まれたんだろうに、お前の探し物はこの街で見つかる~とかなんとかさあ」


 ミユのウィスパーボイスの余韻をコサメの不愛想な声がかき消した。コサメはビール缶をコタツの台にタン! と打ち付け、胡坐をかいて身を乗り出す。

 童話のヒロインのような顔を思いっきり不機嫌そうに歪ませて、さらに追撃する。


「で、お前の探し物は二つだったわけだな、深川尊。レディハンマーヘッドの正体と2010年代で閉ざされてるっていう幻の街。――なんでそれが分かった? なんて顔するなよなあ。今までの話聞いてりゃバカでもわかるわ、それくらい」


 おそろしく不機嫌な表情でコサメは立膝を立てる。ピンクのメルヘン服の裾が乱れて裸足の脚がさらけだされるままに、コサメは気を呑まれているフカガワミコトを痛罵する。


「敵の願望を読んで誘惑する、夢をかなえてやるなんて甘い声で囁いて敵を意のままに操る。精神感応能力を持ってる侵略者の常套手段じゃないか。 ――そーんなベタなもんに何引っかかってんだ、お前は? 素人かっ」

「そりゃ引っかかりますよ⁉」


 フカガワミコトが声を荒げる。ぎりっとまっすぐ、臆せずコサメを睨み据える。

 一旦、感情をおさえようとした努力をフカガワミコトは見せた。が、その声は次第に大きくなる。今まで抑えに抑えていたものが抑えきれなくなったように。


「だってそりゃ……! そうなるじゃないっすか! 誰もきちんとなんにも説明せずに男なのにワルキューレになれつって拉致同然であの島に連れてこられたんですよ⁉ 何回検査されてもまともな結果も出ねえし、なんかしんねえけど話聞かねえ女子達にボコ殴りにされたり強迫されたりロクな目に遭ってねえのに世界各地からラッキーボーイ呼ばわりされるし、それを面白がるこいつらみたいな連中は出てくるし……! なんなんだよって言いたくなりますよ! そもそも、なんだよワルキューレって! なんでそんなアホみたいなもんが実在するんだよ、この世界!」


 おかしいじゃねえか、とフカガワミコトは叫ぶ。


「俺が元いた世界にはそんなもんはいなかった……! おかしいだろ、この世界。なんでこんな妙な世界でみんな普通に暮らしてるんだよ……っ。帰せよ、俺を元の世界に、もといた街に。転生とかほんと勘弁してくれよ……っ」


 声を絞り出すフカガワミコトの背中を心配そうな顔つきでノコがそっとさすった。感情をさらけだしたフカガワミコトは顔をふせる。涙をうかべているのを見られたくないのか。


 世界で一人、ワルキューレ因子を持つ少年として全世界からの注目を否応なく浴びせ続けられていた少年の苦悩を前にして、サランのツチカへの怒りも一瞬鎮火する。なにしろサランは、その注目を高める片棒を担いでいた立場である。反省の気持ちもないではない。

 でもそれより、聞き逃せない一言が耳にしっかりこびりついてはなれなくなっていた。


「異世界?」

「異世界、ねえ――」


 ミユもそれを繰り返して不思議そうに首を傾げた。


「深川くんたら、古い言葉を知ってるのね。今じゃある世代より上の方たちじゃないと使わないのに」

「――俺が元いたところでは異世界の方がメジャーだったんです――。何せ2010年代末で閉ざされていたんですから」


 ぼそっと答えるフカガワミコトの声に、ふーむ、とミユは唸った。これはなんだかややこしいことになってきたぞ、というニュアンスがそこには漂う。

 誰もみていないテレビから空疎な笑い声が漏れ、今でも動いているのが不思議な振り子時計がかちこちと時間を刻んでいた。

 

 間を置いて、あいかわらず不機嫌そうな声のコサメが切り出す。


「つまり深川尊、お前の本当の夢は『自分が元いた世界』――2010年代末の街に戻りたい、これか?」

「……」


 無言でフカガワミコトは頷く。


「レディハンマーヘッドはお前にとってはその夢実現へのとっかかり、そういうことか?」

「……」


 もう一度、フカガワミコトは無言で頷く。


「乙種侵略者はお前のその夢を読んで、この街にくればその手がかりが手に入るとか甘いことを囁いて転移させた――、正解か?」

「……、はい」


 ぼそっとようやくフカガワミコトは声を発する。


 はーっ、とそれを聞いたコサメはため息を吐く。そして無造作にウエーブのかかったロングヘアをかき上げる。

 テレビの音、振り子時計の音だけが静かに響く茶の間の静けさが限界に達した時、コサメが動いた。


 右手をぐっと握りしめ、目の前にいる少年を容赦なくぶん殴る。「アホかあああ!」と無体なことを叫びながら。


 仰向けに倒れるフカガワミコトと悲鳴をあげるノコを前にして、さすがのサランも目を瞠る。ええーっ! と声をあげそうになるが、コサメは目をつりあげて怒鳴りだしてそれどころではなくなる。


「元いた世界に戻りたいだあ⁉ 寝言は寝て言えっ! つうか寝言をほざきたいならとっとと寝ろっ! これからは大人の時間なんだ! ガキは就寝! 以上ッ!」

「小雨ったら、何を言ってるのよもう……!」


 さあっと顔を赤らめながらミユが倒れたフカガワミコトを助け起こす。その拍子に、フカガワミコトの口から黒くてどろりとしたものがあふれ出した。それには一切表情を変えることなく、ミユは片手でそれを受け取める。


「うぇっ、なんすかそれ……」

「精神感応能力を持つ侵略者と接触した時は精神汚染を疑うこと。基本でしょ、鮫島さん」


 ミユが片手でうけとめたどろどろは手の中で、黒いっぽいトカゲの形になった。それを平然とミユは握りつぶした。じゅわっと黒い蒸気をあげて蒸発したその一部始終をサランは見届ける。


「……つまり、深川尊のやつに憑りついていた乙種侵略者の欠片とかそういうやつってことですか。今のは」

「そういうこと。深川くんは自分がどこか別の世界から来たっていうおかしな夢をみるウィルスに感染させられてたってことね。こうしないと彼を宿主にしてパンデミックでも起こすところだったわ。サンプルを採れなかったのは残念だけど、仕方ないわね」


 むーっと唇をとがらせるノコに、気を失っているフカガワミコトの体を預けたミユはパンパンと手を払った。


「それにしてもコサメったら、もうちょっと優しく浄化してあげたらどうなの? いくらなんでも手荒すぎるわ」

「何言ってんの。せっかくの休暇ほとんど台無しにされてガキの与太につきあってやってんだ。十分優しく親切にしてやったよ」


 さっき怒鳴り散らしていた女とは同一人物とは思えない、平然といた声でコサメは言ってのけ、残っていた缶ビールを煽る。


「タダで汚染された魂を浄化してやったんだからさあ、褒めてよ」

「……もう」


 ボーンボーンと振り子時計が十二回、音を鳴らす中、フカガワミコトは軽くうめきながらノコの腕の中で身じろぎをする。


「……さてと、じゃあ鮫島さん。お布団を用意するから手伝ってくれる?」

「それは構いませんけど……」


 ノコの腕の中で、うめきながらぼんやり目を開けるフカガワミコトをサランは見る。


 ──本当にフカガワミコトが言ってたことは乙種が見せた夢が見せた妄言なんだろうか。


 そんなサランの疑問は立ち上がったコサメによって消しとばされる。


「布団敷いたら即消灯だからな、後輩。わかってんだろうな、これからはオトナの時間だ。オ・ト・ナの!」

「強調しなくていいっすよう、先輩!」


 茶の間とは襖で隔てられた仏間の押入れを開けて布団を取り出そうとしていたミユが、赤い顔をしてコサメを軽く睨んでいる。


 今日一番気まずいものを見た気がしてサランは目をそらした。ああもう、早く帰りたい。

 


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