#16 ゴシップガールのステキな元クラスメイト
◇ハーレムリポート 電子
#20! 20回ですって文化部棟の皆さま、ちょっと聞きまして?
文化部棟の皆さんでしか読めない落書がもう20回! 学園唯一の男子生徒を追いかけまわしている様子を逐一ちくちくチクってるこの連載が20回! やばくね? まずくね? ま、なんでもいいけどおかげさまで固定読者もついているみたいで嬉しいレディーハンマーヘッドだよ。
つーかこの前はちょっとヤバかったね。学食のG出現による特級ワルキューレ大暴走事件。うちの学食は年季が入ってちょっとボロイのは確かだけど、さすがにGはないよね~。でもそれ見た瞬間半狂乱になってワンド召喚して斬撃出しまくる方もどうかと思うけれど。しかもその時、恐怖に駆られて学園唯一の男子生徒に抱きついたことに後から気が付いて、羞恥と混乱でとどめの一撃を食らわせるってものもなかなか、出来たことじゃないよ? 普通こういう古典的なラブコメの正ヒロインみたいなことはしたくても出来ないよ? タツミちゃんのこういう所ってすごくない?
……ま、そんなお陰でしばらく学食は使用不可になっちゃったけど、これを機会にリフォームするって話だから災い転じて福となすってやつう? このあたり、この前生徒会長になったばかりのマコ様は仕事が早いよね~。さっすが有能であらせられること。
そんなマコちゃんったら、学食が使用不可になったフカガワミコトの為に星ヶ峯茶寮の松弁当を用意なさったみたいなのにお腹を減らしたノコちゃんに全部食べられてショックをお受けになったとか。しかもそのあと現れたカグラちゃんが状況を知らないのをいいことに、手作り弁当をしれっと手渡されて、しかもその中身に唐揚げが入っているのを聞いてフカガワミコトがことのほか大喜びしたのを見て倒れそうにおなりだったとか! あの毅然としたマコ様がそれほどのまでのショックをお受けになるなんて……! その現場に立ち会えたみんなはラッキーだったね。
次の日には指に絆創膏巻いたマコちゃんが、風呂敷に包んだお重をフカガワミコトに手渡した現場を目撃したワルキューレはさらにラッキーだったんじゃない? なかなか見れないよ、そんな光景?
それで運を使い果たしたってことになんなきゃいいけどね~……ってことで、じゃ、バイバイ。
◇◆◇
「では、事の経緯を聞かせてくださいますか」
風紀委員長に連行される形で生徒会執行室(仮)に招き入れられた四人は一律気をつけの姿勢をとる。
デスクに座った初等部生徒会長を前にすると、自然と体がそのように動いたのだ。
生徒会執行室は現在改築中であるため、仮の生徒会執行室は初等部校舎の一階の空き教室に置かれている。しばらく前まで物置として使用されていた簡素な部屋から浮き上がった立派なデスクセットの椅子に座り、キタノカタマコは四人へ向けて静かに問うた。
決して詰問する風ではない、暴力の気配のまるでない静かで品のいいい問いかけであった。それ故にサランの背中は震え上がった。
マコの口調こそ物静かだったが、四人に向けられる眼差しは人権を有する者に向けるそれではなかった。小動物か虫、なんなら路傍の石やありふれた雑草をみるのと大差ないものであった為だ。
初等部生徒会長キタノカタマコ。
赤ちゃんのおくるみから無人戦闘機まで、なんでも手掛ける北ノ方グループの総帥令嬢にして特級ワルキューレ。ワルキューレ因子の保有率から主席の座はトヨタマタツミに譲りはするものの、初等部生のほとんどは彼女こそ真の主席だと見なしている。
憂い気味で常にもの問いたげな瞳は長いまつげに縁どられ、彼女の特徴であるハーフアップの黒髪には一筋の乱れもない。特別に携帯を許可されている鉄扇型のワンドを閉じた状態にして親骨で口元を隠している。
お嬢様故に気位が高いが、しかし、幼少期からの英才教育の結果か大人の世界で通じる常識や知識一般を身に着けており、フカガワハーレムメンバーの突飛な行動を窘めることもあるしっかりものとして描かれる。
その一方で下々の文化に疎く、所属階級の異なる生徒と行動を共にする時に見せる浮世離れっぷりを愛らしいギャップとして強調して描写される「お嬢様キャラ」である。
そして何より第一に、口調はきついが根はワルキューレの理念や世界平和に対してだれよりも深く考えている真摯な少女である。
とりあえずそういうことになっている。「ハーレムリポート」の中では。
ただし、サランはキタノカタマコの人格や人となりを直接知らない。同学年であるとはいえ接点が皆無だったためだ。
同じ学校、同じ学年、合同授業などで遠目から接することはあっても本当の人となりはまるで分らない。噂や評判、そしてこの島にいない無責任でお騒がせなゴシップガールの書いた戯れ文でキタノカタマコという少女の人格を知った気になっている。その不自然さを、彼女の前に立たされて初めてサランは自覚する。
事の次第を説明せよ、というマコからの命令を視線から受け取ったジュリがまず反応した。説明するつもりだったのだろう、半歩足をふみだそうとする。
が、マコはそれを無視する。そして、気をつけの姿勢のままキャンディを口の中で転がしているタイガに、つ、と視線を据えた。タイガはこの状況に飽きたのか、生徒会執行室(仮)内のさまざまな調度品に視線をさまよわせていたのだ。完全に上の空の様子だ。
「メジロタイガさん」
「えっ? あ、ハイ」
あ、ハイじゃないだろう! 流石アホの子、緊張感のない奴め――、とやきもきするサランをよそにタイガは弛緩していた姿勢を正す。
そのような無作法に動じることなく、マコは静かに命じる。
「あの教室で何が起ったのか、貴女たちが何をしたのか説明なさい」
「え? オレがっすか?」
「ええ貴女です」
ひえっ! と、サランは悲鳴をあげそうになった。この初等部生徒会長様は迷わずこの場で一番アホそうなやつに白羽の矢をお立てになられた。
同じことを察した筈のジュリが身動きするが、マコは視線を鋭くタイガからジュリへ移動させただけだった。その速度に圧が込められている。命じられるまでお前は口を開くなという圧が。
ジュリはそれに従う。踏み出そうとした足を元の位置に戻した。
アイコンタクトのみ、高速で意思の疎通を果たしている二人を隣で見ながらサランは口の形を、ヒエエエ……のままで固める。マコを上位にした階級・序列があり、ジュリはそれに従わざるを得ないのが一目瞭然だった。
あからさまに横たわる階級差、幼いジュリに叩き込まれた上下の則。このご時世、運よく呑気に平和に暮らせてきた地方の公立校育ちのサランには肝の冷えるような光景であった。
事の次第を説明するよう命じられたタイガはしかし、この場を支配する生徒会長の圧に全く臆した風ではなかった。「……ああ~」と天井を少し眺めてから、おもむろに答える。
「アレが出ました」
キタノカタマコの虫けらをみるような目つきになんら怯まず、キャンディを咥えたままの口で棒の先をぴこぴこと上下させ、身振り手振りを交えながらぺらぺらと下手くそな嘘八百を述べ立てる。
「アレが出たんすよ。黒くて羽があってこんくらいの大きさでカサカサカサカサーって動く、アイツです。アレが出たら誰だってビビッてワーってなって錯乱するじゃないすか。――なあリリイ?」
「ええ、たーちゃん。私アレを見てびっくりしちゃってえ。気がついたらあんな風になってたんですぅ。だって私本当にアレが大嫌いなんですものぉ。ごめんなさあい、生徒会長さん」
メジロ姓の二人は息を合わせたアドリブでぬけぬけと嘘を報告する。キタノカタマコの前にしてもタイガは口の中にキャンディを入れたままだし、リリイは数刻前の狂乱と不安定さが嘘のようにいつもの仮面のような笑顔で謝罪する。
鉄扇型ワンドで口元を隠したマコは、うるさそうにタイガの説明を聞いていた。
メジロ姓二人の強引すぎる嘘を聞くマコは長いまつげに縁どられた瞼を少し下ろし、それこそ虫けらでも見るような眼差しを作って虚偽報告を行う二人の二年生を見下す。柔らかいと思って歯を立てた腹が思っていたより固かった、そのことに自分自身腹を立てている風でもある。
ともあれそれを見るサランの方がヒヤヒヤしていた。
あのキタノカタマコにこんな視線で見つめられて、しれっと大嘘こいた上に平然としていられるものだな、メジロ姉妹のやつら。
反面その一方でメジロ姓二人の肝の太さに感心もしていた。タイガが見せたこの状況で真相を伏せる豪胆さとぬけぬけと嘘をついてみせるそのふてぶてしさに、伊達に中米に何度も出撃しては無事生還してきたわけでは無いという実力の片鱗を見た思いがした。パトリシアが言う通り、ただ強運なだけのアホの子ではないのだろう。
「――ワニブチさん」
一通りタイガとリリイの報告を耳にしたマコはゆったりとした口調でジュリに向けて尋ねる。サランはきれいに無視された。まあいいけど。
「メジロさん達が言うことは正しくて?」
「私はそれを目撃していませんが、彼女達がそう言うのならそれが真実なのでしょう。あくまで私は錯乱したリリイさんを取り押さえただけですから」
さっき自ら説明しようとしていたジュリは、しれっとメジロ姓の二人の虚偽報告を援護する。おおう、とサランは心の中で小さく声をあげた。
そういう方向で話を進めるのか。あとキタノカタさんの前ではさりげなく一人称を「私」に戻すのな。
マコはつっと目を閉じて、耳あたりのよい柔らかい声で怜悧に問う。
「先日、清掃業者を呼んだばかりでしたが?」
「業者の努力を蔑ろにするわけではありませんが、ああいった害虫は人の営みとは切っては切れぬものです。駆除しきれなかった虫が侵入するのも無いことでは無いでしょう」
「――あの虫が出た程度のことで部員が教室を酷い有様にするのを許すとは。貴女らしくないこと」
「私もあの虫を見れば正気を保てません。ある意味あの虫は侵略者より恐ろしいものです。――特級ワルキューレであってもそうではありませんか?」
その時初めてキタノカタマコの眉が微かに動く。不快である、という神経質そうなニュアンスをにじませる。
特級ワルキューレ――フカガワハーレムのメンバーにはいつぞやカサカサ動いて不意に飛ぶこともある黒いあの虫を見て半狂乱に陥り、やたらめったら斬撃を撃ちまくって食堂を数日間使用不可にしたという派手な前科を持つ者がいる(犯人はその際にフカガワミコトに抱きついている。その一部始終は「ハーレムリポート」の
キタノカタマコの機嫌をそこねても、ジュリは怯んでいなかった。伊達メガネごしにまっすぐ生徒会長を見つめる。
各委員会を擁する生徒会はワルキューレの自治の象徴でもあるが、校則およびワルキューレ憲章に反した活動やワルキューレを監督し時に指導するのも重要な仕事でもある。その性質上、好き勝手にのびのびと活動することを良しとする文化部棟との住人との相性はあまりよろしくない。
先代初等部生徒会長の在任時には、ワルキューレ憲章に忠実であるのを良しとするのが信条の先代風紀委員長・アクラナタリアの大粛清が行われて文化部全体があわば解散させられる危機にまで陥った。現在サランの代より上の文化部棟住人にはその時の恐怖が骨身にしみている。
シモクツチカの恋愛事件という太平洋校始まって以来の大スキャンダルがきっかけとなって吹き荒れた、先代生徒会長が旗振りし当時の風紀委員が尖兵となり行われた粛清の嵐、それ幸いと便乗してきた理事会の口出しによる学園始まって以来の退学者の出現や懲罰出撃による戦死者重傷者を生み出したクリーニング作戦の恐怖は、平穏さを取り戻した文化部棟の空気に漂っている。
よって、この時代のことをしらないサランたちの下級生にも文化部棟の住民であれば「風紀委員と生徒会に気を許すべからず」という空気を肌身で察している。
現初等部生徒会長キタノカタマコは、先代生徒会長のような恐怖政治は行っていない。
自身の登場するゴシップ連載で荒稼ぎする文芸部を黙認する、生徒会や理事会につきまとう黒い噂を追求する新聞部の活動に表立って口を挟まないなどの態度から、比較的文化部棟の活動に理解を示し、好意的だとすら見なされてはいる。
しかし、その手腕は自身が生徒会長に就任するやいなや副会長以下生徒会役職のみならず通常ならば選挙で選ぶはずの各委員会委員長選出の手順をとらず自分の一存で更迭し、独断で自身の侍女たちに就任させるなどその手腕は極めて強引で独裁的であった。
よって文化部棟の住人たちはキタノカタマコに対しては警戒を怠らない。
委員長全員を挿げ替えたような強引な大ナタが、自分たちにいつ振るわられるか分かったものではないからだ。
そんな折にサランとリリイという文芸部員が中心となっておこした、ワルキューレとして外聞の悪すぎる「痴情のもつれ」による教室を半壊させるほどの騒動だ。これほど生徒会の文化部棟介入にもってこいな案件はない。
「痴情のもつれ」なるワルキューレにふさわしくない不品行があったと生徒会長の前で認めてはならぬ、そのためには見え透いた嘘でも吐き通さねばならぬ。
太平洋校で起きてよい不品行は、なぜかワルキューレ因子を顕現させた少年・フカガワミコトをめぐる選ばれし特級ワルキューレ達のスラップスティックなさや当てのみ。
全く、ジュリがサランに鉄拳制裁をくらわしたのも無理からぬ話なのだ。
マコの後ろにはずらりと腕章をまいた侍女たちが並んでいる。
そのうち一人、四人を案内したばかりの風紀委員の腕章を巻いたものがそっとマコに耳打ちをする。それを聞いたマコは小さくうなずいた後にジュリに話しかける。
「教室の記録が数日分消去されていたと風紀委員長が申しております。システムに介入した痕跡がみられた、と」
お前の仕業だろう? と、その視線と口調で伝える。
「学園のシステムに干渉するのは校則違反、あなたならそのことをよくご存じだったのではありませんか? ワニブチさん」
「ええ、存じております」
「随分大胆なこと」
「おっしゃる意味がわかりません」
「――ワニブチさん。
「ええ、ですので私の知る範囲のことを正直に申し上げています。私はあくまで錯乱したメジロさんを取り押さえただけにすぎません」
あくまで白を切りとおすジュリに向け、マコは小さく息を吐く。明らかにジュリを見下げている態度だった。
「――同窓の友の真心に偽りで応じる、それはあの人のご指導によるものかしら?」
「――」
「答えたくないのなら答えなくてもう結構。どうぞご自由になさって。あの人が去って以降奇矯なふるまいが目に余るけれど本質は変わらず誠実な人である、何もかもがいい加減で不埒で淫らなあの人とは異なる──私が今まであなたへ抱いていた印象が変わったにすぎませんので」
「――」
「人を見る目、それを養うのも一朝一夕ではなりません。此度のことで私はそれを学びました。その機会をくださったことを貴女に感謝いたしませんとなりませんね。ワニブチさん」
おわわわ……、と、サランはほんの数メートル離れたところにいるキタノカタマコの態度にすくみ上る。慇懃無礼にお前を見限ったと本人目の前に言ってのけるマコに恐怖する。
真実のキタノカタマコとはこのような女だったのか。フカガワミコトなんてその辺にいるしょうもない男子を他の女子と取り合って大暴れするような少女とは全く思えなかった。
そして同時にジュリの横顔も見上げる。
ジュリの横顔に動揺はない。シモクツチカの侍女時代を思わせる張り詰めた表情で伊達メガネごしにまっすぐにマコを見つめていた。そして美しい動作で頭を下げる。それにならってサランも、メジロ姓ふたりもぺこんぺこんと頭を下げた。
「報告は済みましたので。では、失礼します」
そのまま速やかに退室――という訳にはいかなかった。回れ右をしようとしたところをマコは呼び止める。
「――そうそう。先ごろ亜州軍より苦情を頂戴しました。国境内にユーラシア校のワルキューレを無断に招き入れるのはどういうことか、説明を求める、と。詳しい事情を聞かせてくださいますね、文芸部長?」
サランの足もジュリの足もそれで同時に止まる。マコが言わんとすることはサランとミナコが甲種の侵略者と遭遇したことをきっかけにユーラシア校のワルキューレと接触をもち、そこから『ヴァルハラ通信』の販路を切り開いたことを指しているのだと容易にわかる。
ジュリの呼び方がワニブチさんから変更される。これよりは同窓生としての手加減はせぬ、という合図だろう。
あの出来事は先月のことなのに、今更持ち出すとは……。この手の苦情ならもっと早く出されていたはずだ。きっとマコは今まで寝かせていたのだろう。
振り向くとマコはワンドで口元を隠し、目で語りかける。お前たちの生殺与奪を握っているのは自分だと言わんばかりに。
「報告はすませている筈ですが」
「ええ、ユーラシア校への部誌販売許可を求める旨の書面は預かりましたし許諾もいたしました。両校の文化的交流は歓迎すべきことですから。――しかし、亜州軍の師団長様はご気分を害されておいでのようでした。乙種に遭遇したので致し方ないにしてもその場合は我々にまず打診するべきであった。おまけにワルキューレでありながら我らの領土内であのようないかがわしい冊子の売買契約を結びつけるのは如何なものか、と。貴女方が提出してくださった書面にはその旨が伏せられておりましたけれど」
「──っとお、事後承諾になっちゃって申し訳なかったです。生徒会長」
とっさにサランは口を開いたいた。
キタノカタマコの視線にはついサランの舐められることを非常に過敏になる神経に障るものがあった。それになによりサランはあの一件の当事者だ。
「んでも、あの時出撃していた太平洋校のメンバーじゃあ束になかってもあの乙種は相手できませんでしたよう。ケセンヌマさんがユーラシア校の皆さんに応援を呼んでくださったおかげで被害がなかったんです。師団長さんにそのようにお伝えください。――あと、そのいかがわしい冊子は師団長さんとこの兵隊さんたちの評判も上々です。あの時持ち込んだ冊子はおかげさまで完売いたしましたし」
ヒヒヒ〜……とサランは笑って見せたが、キタノカタマコはサランをつまらぬ芸人でも見るような眼差しをサランに据えるだけだった。
誰に断ってお前は口を利いているのだ、下郎。下がれ。そんな風に言われてる気にすらなる。
恐ろしさにすくみあがりそうになったが負けるわけにはいかないので、サランはつとめて口を両はしに引いて笑った。表情筋が痛い。
「副部長さん、私は部長に質問しました。貴女に、ではありません」
「聞いてました。しかしうち――私は当事者でありましたので部長が説明するより適任であったのではないかと」
「私は部長に尋ねています」
キタノカタマコの表情は全く変わらない。言葉も最小限、それに込められた迫力と圧力は尋常ではなくサランの心は降参を宣言したくてたまらなくなる。
サランのことなど記憶にとどめる価値もないと言わんばかりに、マコはジュリに視線を移す。
「文芸部長、私は何も当校での自由な部活動を妨げようとしているわけではありません。太平洋校の部活動は先行き不透明なこの世界を照らす希望の輝き、一般の方からそのような勿体ない言葉を頂戴いたします故、前生徒会長のように活動を制限するような愚を犯さぬよう私自身常に心掛けているつもりです。――貴女方はそう受け取ってくださらないようですが」
「いえ、そのお心遣い常に感謝しております」
「ならば、誠意には誠意をもって応じるのが道理ではありませんか? 周辺国軍の方から不品行だと見なされ、太平洋校の評判を著しく汚すような活動を保護するのも簡単なことではありませんよ?」
「……痛み入ります」
「そうまで仰るなら、あのような事務的な書面ではなく、このようなことがあったと貴女の口から直接私へ報告していただきたいものでした。亜州軍への通達があった時、少なからず驚かされ言葉を継げなくなった私へ師団長様はこうもおっしゃいましたもの。――『生徒会長だかなんだか知らないがお嬢ちゃんじゃあ話にならない。先生を呼んでもらえるかな?』と」
キタノカタマコの眼差しが冷え冷えとしたものになる。その目を見たものを凍りつかせてしまいそうな程、静かで冷たい怒りを湛えたものだった。
お前らが自分の頭を飛び越えて好き勝手やってくれたおかげで軍の連中に舐められ屈辱的な扱いを受けた、その落とし前はつけてもらう、キタノカタマコの視線を翻訳するとおそらくそうなるなとサランはアタリをつける。
「貴女がきちんと報告していただけへばワルキューレとはいえども所詮は女子供風情と侮られるような事態になりませんでした。初等部生徒会長である以前に同じ学び舎で机を並べた友である私を信じて下さりさえすれば。──おわかりいただけますね? 文芸部長」
お前らの所の部誌でしょうもない男子と混浴しただのビーチバレー中に水着が取れて半裸になった等普通ならもみ消せる醜聞を載せるのを見逃してやっているのもこちら側のの誠意故である。それに応えられん所か外部の人間に軽んじられるきっかけまで与えたというのならば、よろしい、こちらにも考えがある――。
マコの冷たいまなざしを言語に翻訳すればこうなるだろう。サランはヒヒヒ笑いのまま口を固め、そのままジュリの横顔を見上げた。
まっすぐひたむきにマコを見つめるジュリの顔は、やはり侍女時代と同じく硬く引き締まっている。ぴんと張り詰めたその雰囲気がサランには不安だ。
ジュリは先日、直々にキタノカタマコに呼び出されてツチカのことで警告を受けている。仏の顔も三度までの諺にならうなら、これは二度目である。
やべえな、という視線をジュリに向ける。そしてそんなやべえ状態を生み出すきっかけを作ったのは言うまでもなく自分である。サランは冷や汗を流す。
どうしよう、ここでリカバリしなければ今後ジュリに合わせる顔が無い……。
その思いからサランはふたたび口を開く。説得できる自信はないが大人しく黙りつづけているわけにはいかない。自分のせいでジュリが嬲られているのは見たくない。
気づけば勝手に口が開いていた。
「ええとですね、『ヴァルハラ通信』は当校の品位を決して貶めてなどおりません。それだけははっきり申し上げることができます。戦地で戦う兵隊さんの心を慰め、誰が誰を恋い慕うといった他愛もない日常の尊さを思い出し、国土・郷土を護る心を鼓舞する
最後にリップサービスを付け足してみたが、マコはやはりサランには虫けらを見るような視線をあびせかけるだけである。
「副部長さん。貴女には訊いてはおりません。私がこれを言うのは何度目ですか?」
「――三度目です」
「お耳に不調があるわけではないようで安心しました。それから貴女が品位を云々なさらぬこと。貴女のなさる様々な不品行はこちらの耳にもとどいております故、率直に申し上げて滑稽ですよ?」
渡り廊下でセックス十回連呼するような、委員会方面にまでサランの諸行動は評判になっていたようだ。まあ当たり前ではある。ただ、滑稽だというならせめて笑ってほしいものだ。
再びサランからそれきり関心をなくしたように、マコはジュリに視線を戻した。この場にはサランの他にも、すでに退屈を持て余している風なメジロ姉妹もいるのだが、そちらの方も見ようとはしない。この場に話せるものはジュリしかいないと言わんばかりの態度である。
「私どもはあなたがた文化部棟の皆さんに寛大に、誠意をもって接したつもりでしたが、そう受けとっていただけないのは極めて残念。そう申し上げる他ありません」
これからはこれまでと同じように接するわけにはいかないから覚悟するように、マコはその視線でそう宣告する。サランは横目でジュリを見上げる。文化部全体のことを考えるなら這いつくばってでも謝って、今までと変わらない関係を維持してくれと訴えなければならない事態だ。しかももともとは自分のやらかしたことだ。
だがジュリはすでにメジロ姓二人の狂言に話を合わせている。事の真相は伏せるという方針を示している以上、今更サランの短慮とリリイの嫉妬が生み出した事態だと白状するわけにはいかない。それではこの生徒会長の思うつぼである。
どうする……っ。
サランはジュリの横顔を見上げる。やはり侍女時代の張り詰めた表情だ。ツチカのやらかしのお陰で何度も何度も菓子折りをもって謝りにいったと述べていた時代の表情だ。
それを見ていてサランの腹が決まった。おっかないがキタノカタマコは所詮は同学年の女子だ。怖がってもしかたあるまい。
要は文化部棟への介入を先延ばしにすること、それが目標。それぐらいのケツぐらいふけなくてどうする。自分はあのお嬢様と違うのだ。
ぐっと、拳を握ってサランは口を開き、なるべく普段喋っているのと変わらない気楽な口調で尋ねる。
「質問でーす。生徒会長は結局何を仰りたいんで?」
すうっとマコは目をすがめた。また貴様か、下がれと申したのに聞こえなんだか、と視線が訴える。
ジュリも横目で黙れと合図を送るが、サランは無視をしてうつけた口調で付け足した。
「生徒会長ほどご聡明な方なら、どこぞのアホな低レア生徒個人の問題行動をきっかけに文化部全体の取り締まろうとするといった、前の生徒会長とそっくりそのままな愚策をくりかえすようなバカな真似をしないとうちは信じておりますがあ? 実際そんなことをやっちまいましたらそれこそ当校の評判を地に落としちまいますよう? 二十位一世紀末期にもなって思想信条の自由を大否定、恐怖政治の大粛清! ――いくら歴史は繰り返すっつってもそれはいささか早すぎですよう?」
マコの眉間に皺が強く寄った。なんて煩い羽虫か、とでも言いたげなニュアンスがその周囲に漂う。この時点でようやく生徒会長はサランというちんちくりんの低レア文化部棟住民の存在を強く意識することになったらしい。
おそらくキタノカタマコは先代生徒会長と一緒にされるのを嫌う。サランのその読みは当たっていたようでちょっとした快さに酔ったがそれに浸っている間はない。文化部棟には介入しないという言質を取り付けねばならない。
「――副部長さん。貴女の質問をそのままお返しいたしましょう。何が仰りたいんです?」
「ですからうちは生徒会長を信じてるってことだけですよう。キタノカタ生徒会長は文化部の行動に口出しするような野暮で無理解で短慮なことはなさらない、寛大で話の分かる素敵な生徒会長であると。まさに我が初等部の誇りですよう」
「――」
見え透いた世辞を、お前の目的は分かっている――とでも言いたげにマコの視線に不快さが滲む。彼女の中で自分の印象が最悪なものになってゆくのをビリビリ感じたが、普段特に接点のない生徒だから構わない。ヒヒ~と笑ってサランはマコに向かい合う。
マコはつうっと目をすがめた。サランの相手をしたくない、口もききたくないわんばかりの表情になる。そしてそのままだんまりだ。サランごときの思惑にのるつもりは無いとその視線で語る。
そんな二人のにらみ合いがしばらく続いた後に、部屋の沈黙を打ち破ったものがあった。コンコンと、ドアをノックする音だ。ノックはしばらく続く。
マコの侍女の一人がドアへ向かおうとする。おそらく招かねざる客を追い払うつもりだったのだろう。しかしその向こうから聞こえたのは、呑気でおおらかな大人の女のものだった。
「お~い、初等部生徒会長、いるか~? 学園長のミツクリだ~。入るぞ~」
その声を聞いたとたん、今までにないほどマコの表情は激変する。汚いもの、見苦しいものがこちらに近づきつつあるというような脅えと憤りの混ざったような表情に。
そんな表情をされているとは知らないであろう学園長は、無神経にドアをどんどん叩く。
「さっき初等部校舎であったやらかし事件の関係者一同集めて話を聞いているそうじゃないか。面白い。自分も混ぜろ~」
「聴取は先ほど終了しました。詳細はあとで報告いたします。お引き取りください」
「そう言うな~。――全く、こっちが行方不明になった特級どもの対策に追われてる間に愉快そうなスキャンダルを起こしおって、君らはまったく気が利かんなあ」
ンギャー! ドア越しに聞こえる学園長の台詞にサランは悲鳴をあげそうになる。自分たちが必死に伏せようとしていたというのに、あの大人げない空飛ぶサムライガールの奴!
しかし学園長はドアの向こうで呑気さ丸出しで続ける。
「文芸部の問題児と元合唱部の問題児が愉快な問題を起こしたと小耳に挟んだから急いであらゆる掲示板を確認しまくったというのに、ぜーんぶきれいさっぱり削除された後だったぞ~。どういうことだ~? 聴取をしたというなら今スグ全部報告しろ~。生徒会長~」
全部きれいさっぱり削除された後……。学園長のその言葉にサランは勿論、ジュリの張り詰めた表情も少し和らぐ。拡張現実上にあったサランとリリイの起こした騒動の証拠は一旦消えたということになる。
キタノカタマコはドアの向こうにいる学園長への嫌悪感を隠さず、「総務」の腕章を巻いた侍女を招くと扇子型ワンドを開いてこそこそと耳打ちをする。
主の命を言付かった侍女は滑るように床を歩き、ドアの前に立って美声で告げる。
「学園長。本件は害虫をみて動転したメジロさんを取り押さえようとしたために起きた事態であることが判明いたしました。詳しい内容は書面にて報告いたします。ではごきげんよう」
深々と、キタノカタマコの眉間にしわが寄せられていた。ここまで深いしわが彼女の顔に浮かんでいるのをサランは初めて見た。苦渋の決断であることを隠さずに、マコは四人が連携して着いた嘘こそ真実であると学園長に報告する。
それほどまでにマコは学園長を苦手としているらしい――。サランはそのことを察するより先に、生徒会長が一旦今回の件を見逃してやるという判断を下したことに安堵と喜びを感じた。
とりあえず助かった。この場限定ではるけれど、とにかく助かった……。
それはそうと「速やかに立ち去れ」というお嬢様界隈でなら通じるであろう符牒を無視して、学園長は食い下がる。
「害虫みて動転しただと~? まーた下手な嘘をつきおって。お前ら全員何か隠してるだろう。真実を話せ」
「先ほどお伝えした内容が真実です。どうかお引き取りを」
「バカモノめ、ここでおめおめお引き取りできるわけあるまい。そもそも自分は行方不明になった特級どもの報告もかねてわざわざ初等部校舎くんだりまで来てやったんだぞ。――全く、生徒会長のもとに自ら赴くような腰が軽くて低い学園長は地球広しといえど自分ぐらいなものだぞ? もっと敬わんか」
「私は学園長に対する敬意を失したことはないつもりです」
「ならばとっととこのドアを開けろ~。――あとドアの外から聞こえてきたんだが、亜州軍師団長のオッサンがつけてきた因縁なら無視しとけ~。人類全体の安全と平和に関するワルキューレの奉仕活動に文句がおありなら今後一切当校の生徒は寄越さぬ、各種作戦と並行しながらご自分たちのみで侵略者退治に邁進されたしとユーラシア校の学園長と連盟で打診しておいたからな」
ギリィっ! と何かを噛みしめるような不穏な音が聞こえた。発生源はマコの口元とであるはずだが、そこはいつのまにか全開にされた鉄扇型ワンドで隠されており、サランたちには彼女の取り澄ました顔の上半分しか見えない。
そんなマコへ、ジュリが伺いをたてる。
「学園長があのようにおっしゃられておいでですが、私たちも立ち会いましょうか?」
「結構です。――ご足労かけました。もう下がりなさい」
では失礼します、とジュリは品よく一礼する。サランも、メジロ姓の二人もそれに倣う。
はあ、やれやれ……と、緊張から解放されて息を吐きながら、颯爽とドアへ向けて歩くジュリの後へ続く。その直後だった。
「ワニブチさん」
再びキタノカタマコがジュリを呼び止める。振り返ったその目は既に、冷静さを取り戻していた。
振り向いたジュリへ、マコは柔らかではあるが怜悧な声で告げるのであった。
「
その視線はジュリの左手に据えられている。サランはとっさにその手をスカートの影に隠したが、ジュリは冷静に一礼したのみだ。
「恐れ入ります」
「貴女がリングを交換なさる相手はあの人だけだと思っていましたけれど……。まあいいでしょう。貴女のような方がわざわざお選びになった方だからきっと素晴らしい方なのでしょうね」
視線はつうっとサランへ据えられ、そしてやはり細かい脚が無数に生えた地べたをはいずりまわる虫でも見るような眼差しに変化させた。
おまえのことはしかと記憶した、と言っているようにサランには思えて、ぞくりと背中をふるわせる。
キタノカタマコ。やっぱりおっかない女だ。
ドアの向こうでは学園長が騒々しく騒いでいた。いい加減ドアをあけろとやかましいことこの上ないが、ともあれ文芸部員および文化部面々はこの大人げない大人の闖入で救われたことは確かなのだ。
「――つうわけでさあ、本当に怖かったんだってば~。生徒会長のやつぅ」
九十九市りゅうぐう温泉の脱衣所で、ことの経緯をケセンヌマミナコ相手にひとくさり語りながら、扇風機の風にあたってフルーツ牛乳を飲んでいた。
今の状態は湯上りの裸にバスタオルを巻いた状態だ。せっかくこざっぱりした体に、今日の出撃任務で身にまとっていた兵装を身にまとうのは心理的な抵抗感があって先延ばしにしているのだ。泥や血しぶき、汗や各種体液も時間が経つと自然にとれるので常に清潔な状態を維持できる特殊な繊維で兵装は作られているとは聞いているが、湯を浴びたばかりの体に洗濯したての衣類を身にまとえないのはワルキューレの体験する小さな不幸の一つであると思う。
隣に座るミナコも同じように裸にバスタオル一枚の姿である。ブルマを愛好する彼女でもサランと同じような抵抗感があるらしい。
りゅうぐう温泉女湯の最後の客はサランとミナコの二人のようだったから、タオル一枚で涼みながらフルーツ牛乳片手に雑談をするという無作法なリラックスが楽しめる。まだ客がいるらしい男湯の方からはときおりざばざばと水音が聞こえるのだが。
サランの話に一通り耳を傾けたミナコは、眼鏡型ワンドなしでも十分に大きい目をぱちくりさせて感想を述べた。
「それは災難でござった――と言いたいところであるが、某の見る所そもそも鮫島氏の自業自得が招いた事態でござらぬか?」
「……んー、まあ。そうなんだけどね……」
ミナコの甲高い声と、他意のなさそうな顔つきでずばりと真実を指摘されるとダメージが大きい。「ぐうの音も出ない」という感情がより強くなることをサランは思い知った。
「まあ、傍で聞く範囲では面白い話でござるし、風紀委員も生徒会も文化部の活動に口を出さぬというのであれば某としては不満はないでござる」
フォローのつもりなのか、ミナコはそう付け足してくれたがサランの気は晴れない。
左手にはジュリのリングがある。意識しないでおこうとしても薬指にはなれないリングの感触があるままである。九十九市内ではこのリングは使用不可なので、知らない者がみれば「恋人がいる中学生」ということになってしまう。
そういった事情も含めて、サランはどうしても左手を見つめると自分の迂闊さを思い知って頭をかきむしりたくなるのだった。
「……鰐淵はさあ、誰ともリングを交換したくないって言ってたんだよお、あんな面倒なものはないって。だのにさあ……。ああああ~っ」
左手を見ているとどうしてもジュリの思想信条を捻じ曲げてしまったことを意識せざるを得ず、サランは呻いた。呻くしかない心境だった。
男湯からはざばざばと湯を流すような音が聞こえる。
そういえば自分たちの話が筒抜けになっているのではないかとサランはやや気になったが、永遠の
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