#13 ゴシップガール、敢えて虎の尾を踏む

 ◇ハーレムリポート 電子個人誌ジン版 #45◇


 ……#45?

 #45てどういうこと? 前号は#43じゃん? #44はどこに消えたの?

 

 幻になっちゃった#44を見逃しちゃってざわざわしてる不運な読者の皆さんこんにちは、レディハンマーヘッドだよ。ただいまどこかに潜伏中~。

 そして#44を無事読むことができた熱心で優等生な読者の皆さんありがとうね。できれば#44がどうして消えちゃったかその理由を考えてみて~。何故かな、なぜかなどうしてかな~?


 答えはコメ欄にも書いて送ってね、正解した人にはレディハンマーヘッドから何かあげちゃうかもだよ。

 

 そんなわけで今回は、一件記事を削除しちゃったお詫びのご報告をしただけでした~。変に期待させちゃってごめんね。


 ◇◆◇


 「黄昏の町」から汲み取れることは数々ある。

 ワニブチジュリがごく自然な様子で異性に胸をときめかすこともある少女であるという点もそこに含まれる。

 そして現時点でジュリの親友であり、文芸部を運営するパートナーという立場にあるサランは異性はおろか同性相手にも恋愛というものがまるでピンとこない少女である。

 故に、好いた腫れたといった関係になりようがない。

 従ってリングの交換もしない。あれは多少なりとも恋やらなにやらが絡んだ関係のものがするものだ。ビーチでパトリシアに完敗を喫した五月下旬のある日、サランはそう伝えたかったわけである。

 それに対するチンピラぶりっ子な先輩の返答が「」という皮肉だった。


「──ところでやっぱり部長さんとの婚姻マリッジ及び婚約エンゲージのご予定はねェんですかい? 副部長さん」

「無いったら無いですようっ。しつっこいなあもう」


 あの日、ビーチでパトリシアに茶化すように質問されサランはやや本気でムッとしてしまう。ツチカと再会して以降、サランはその種の問題には相変わらず過敏になったままだった。


「リングの交換なんざ、大方『自分たちは一番の仲良しですー』ってノリでやってるようなもんでガチでやってる連中の方が少数派でしょうが。遊びですぜェあんなもん。青春期のメモリアルっちゅうやつじゃあござんせんか?」

「その遊びに乗れんって言ってるんですようっさっきから!」

「はーん、そいつァ部長さんと副部長さん双方の合意に基づく見解ってやつですかい?」


 苛立って隙の生まれた心に冷静に打ち込まれ、うっかりサランは一瞬考えてしまった。

 確かにサランはジュリとリングを交換するかどうか、遊びや冗談でも尋ねたことがない。

 自分を探しすぎて妙な行動に走ったり惚れた腫れたの話に食いついたりするものの基本的には大人びて落ち着いた性格で、ほのかな初恋だったとはいえ昔好きだった男子がいたような過去をもつ、同性同士のじゃれあいを一段も二段も下に見てバカにするシモクツチカと長年いたという経歴から察するに、他人のリングの位置には関心があっても自身が誰かと交換することにはサランと同じように興味がないだろうと無意識に頭から決めていた。

 しかし、ジュリとリングを交換するかしないかの意思確認をしたことは言われてみれば一度もない。


 一瞬、エアポケットに落ちたような思いにサランはとらわれる。


 だが、すぐに我に帰る。サランもジュリも今までリングの交換になど興味が無かったから一度も話題に出さなかっただけじゃないか。それで全く構わないじゃないか。何一つおかしいことはないじゃないか。

 むしろおかしいのは、親友なのにリングの交換はしないなんて変だと言ってるも同然なパトリシアの方ではないか。


 考えるにつれてサランの中でむしゃくしゃした怒りが膨れ上がる。うっかりチンピラぶりっ子な先輩の言葉を受け入れてしまったのも屈辱だし、ただ自分が自分としてあるがままでいるだけなのを第三者から変わり者扱いされることはサランにとって我慢のならないことだった。


 ちくしょうこの先輩、色気づいた小学生みたいなこと言いやがって……!


 不機嫌さを隠せず、サランは隣のパトリシアを睨む。


「まるでゲルラ先輩はうちらをリング交換する仲にしたてあげたいみたいじゃないですかあ?」


 当然のようにサランの攻撃はやはり刺さらない。パトリシアはぬけぬけと言い放つ。


「火のない所に煙をたてるのがあーしらの仕事ですんで」

「ネームバリューのない低レアのリング事情なんかおっかけてどうするんですか? その労力でメジロなんとか会と人造ワルキューレの都市伝説でもおいかけたらどうなんですかねえっ?」


 刺さらないとは分かっていて嫌味を口にしつつサランはふと気づく。

 ジュリがシモクツチカの侍女だったことは学園島のワルキューレなら殆ど皆知っている。そして目の前にいる顔に赤い花のような痣を持つチンピラぶりっ子の先輩はそれなりに文芸部及びツチカには遺恨のある仲だ。

 そこには何か思惑があるのかもしれない。


「目白児童保護育成会については、ま、ボチボチ。ネギしょった可愛いカモが向こうからやってきたと思ったんですが、あれでアイツも中米から何遍も生還してる奴ですからね。脳みそ全体までカモってわけでもないらしい」


 鳥頭カモ呼ばわりされているとも知らず、メジロタイガはリリイとともに波打ち際で戯れている。子供っぽい砂山作りにはひと段落してリリイとともに砂浜に落ちてる形のいい貝殻でも探しているようだ。


「紛争中のあんまり治安のよくねェ場所で兄貴分と一緒に浮浪児狩りに遭って保護されたとかいう経歴やら、施設に一緒にいた子供の名前にそいつらの特徴やら、施設にいた大人のあだ名やら、ありとあらゆるネタをポロポロこぼすわりにはこっちの欲しいネタに関しては一切口を割りゃしねェ。事情があってあの飴を舐めていることは気前よく教えるがそこから先に関してはいっちょまえに隠匿しやがる」

「単に最初から知らないってだけじゃないですかねえ。あいつアホの子だし」

「──ま、その線も無くはない。ただそれだけで浮浪児上りがここまで生き延びたんならとんでもねェ強運の持ち主ってことになる。それでもかまやしませんが」


 にやあっとパトリシアは笑った。


「なんにせよ、ぷりっぷりした可愛い女子二人ががああやって無防備に海辺で遊んでる所を先輩特権で合法的に眺めていられるんですからねェ。メジロのやつがうちの部に入ってくれて感謝しかありやせん」

「……言うことがいちいちオッサンくさいですよう、先輩」


 砂遊びの最中からタイガはずっと跪いたままで時には四つん這いになる。そうすると角度によっては胸元を強調しているかのように見えてしまうのだ。サランは呆れて隣にいるパトリシアを軽く睨む。


 アイドル活動をしているためか婚約中のパートナーより視線には敏感なリリイ自然に移動して、タイガと二人の間に入る。そして背中から振り向き、久しぶりに営業用の仮面じみた笑みをこちらに向けた。


「おっと、リリイちゃんがお怒りだ」

 くわばらくわばら、とふざけたようにパトリシアがつぶやいた。




 気をつけていたけれどやっぱり太陽の下に居すぎちゃったかも〜、やーん焼けてるぅ〜……。

 と、ビーチから帰った次の日には、相変わらず胡粉を塗ったように白くてすべすべな肌を鏡で覗き込んでは嫌味な愚痴をこぼしていたリリイは今日は大人しくタイガ共々中庭にいた。あいかわらず二年生たちとのバドミントンに興じているタイガのことを機嫌良さそうにくるくると日傘を回しながら眺めている。ビーチで一緒に思う存分はしゃいだので独占欲が満たされたらしい。

 神経質に日焼けを気にする妹分とは違って小麦色になったタイガは、跳んだり跳ねたりしながら鋭くラケットを振ってシャトルを打ち返し、いつも以上に活発に見える。

 まだまだバドミントンブームは継続しているらしく、人だかりが出来ていた。どちらかがシャトルを打ち込むごとに歓声があがる。


 サランは窓からその様子をちらっと見てから、緊張高まる部室の様子に意識を集中する。


 余っている小さな机とそれを挟むようにして椅子に座り向き合うのはきょとんとした顔つきのミナコと、普段の大人のような佇まいをかなぐりすてる寸前のシャー・ユイがいる。

 頭が痛そうにぐりぐりとコメカミをもみほぐすシャー・ユイをミナコは独特の口調で気遣う。


「どうしたでござるか、沙唯先生。ご気分でも悪いのでござるか?」

「──っ。いえ、大丈夫よ。お気遣いありがとう」


 明らかに本音を押し殺した様子でそう告げると、ミナコから見えない机の下で右手を小さく振った。するとサランのリングからシークレットモードの白猫コンシェルジュが現れて、サランの耳元で囁く。


「サメジマさん、私やっぱり無理! ケセンヌマさんと何をどんな風に話したらいいのかわからない! 耐えられない!」

 

 シャー・ユイの声でそう告げた忍者装束のコンシェルジュはそう言って消えた。

 見ると、いつもは冷静なシャー・ユイがサランの方を見て、切れ長の目からSOSを発している。

 仕方がないので、サランは椅子を運んでミナコの隣に座った。


「あー……悪いんだけどさあ、ケサンヌマさん。その『ござる』付けずにしゃべることができる? 無理?」

「? それがしのこの口調がなにか問題でも?」

「そうそれ、実はさあ。ウチの沙唯先生は美意識が高い分偏屈なところがあってさあ、キャラの濃い口調が苦手なんだわあ。ワニブチの僕口調がギリってくらいで。了見のせっまいやつでごめんねえ~」


 シャー・ユイがじろっとサランを睨んできたが今は無視をする。抗議はあとで受けつけよう。

 キャラを否定して傷つくかとサランはヒヤヒヤしたが、ミナコは斜め上をちょっと見上げて「ふむ」と頷いた。


「この口調で生活するようになってから数年、もはや某を構成する一要素となって久しいが沙唯先生のご気分を害するのは本意ではない。挑戦してみるでござる」

 

 そうして大きな目をぱちぱちさせると、甲高く素っ頓狂な声で切り出す。


「はわわわ、この喋り方ならどうですかあ、沙唯先生~? みーたんとお話してくださいますかあ?」

 

 ガタっ、と無言でシャー・ユイは立ち上がり、サランの腕をつかんで部室の外へ引きずってゆく。


「ご、ごめん待ってて、ケセンヌマさん! すぐ戻るから~」

「はう~、二千年紀ミレニアムのアマチュア女性絵師をイメージしてみたですがやっぱダメですかあ~? みーたん、しゅーん」


 部室から離れた廊下のつきあたりで、目を三角にとがらせたシャー・ユイはサランを壁際に立たせると顔の傍に手のひらをドンとついた。


「なんなのあの人っ! ふざけてるのっ? おちょくってんの? ちょっと文芸部に貸しがあるから言うて図に乗ってんとちゃうん? なあっ? なあなあっ?」

「それはないない。ケセンヌマさんはあれで真面目な人だから、おちょくってはいない。――つうかシャー・ユイ、訛りが徐々に出てるよう?」


 リングの翻訳機能が何故かいつも関西弁に変換するシャー・ユイのお国訛り、これが出る時は普段理知的にふるまうのを良しとしている同輩の自制心がかなり限界に達しているという合図でもある。サランはだから廊下で必死になだめる。


「ねえシャー・ユイ、ここはちょっと、うちの顔を立ててやってよう。ケセンヌマさんの判断でうちは甲種侵略者のいる地雷原の砂漠から生還できたわけだし、結果的にユーラシア校の皆さんとお知り合いになって中央アジア圏への販路も切り開けたわけだしぃ~」

「ほんでエロ絵のピンナップで増刷して売り上げザっクザクのウっハウハっちゅうわけやしなっ。最新号の売り上げだけで今年度の乙姫基金への上納金ノルマも達成できる見通しやし、そらあ文芸部としてはみなの先生のお顔を立てなあかんわなあっ!」

「――えっ、最新号そんだけ売れてるの? マジか」

「売れに売れとるわっ。――なんやねんこれ、わしらの書いた駄文よりゴシップとエロ絵の方が勝つっちゅうんかい! わしらが出しとるんは部誌や言うたかて一応文芸誌やないんかい。それがエロとゴシップに頼らなあかんて……あーあほくさっ、情けなっ、やってられへんわっ」


 会計係の報告に驚いている間にシャー・ユイのやさぐれは酷くなる一方で、目を据わらせて腕を組み、ちっと舌を打つ。エレガントにふるまうことを好むシャー・ユイからかけ離れた仕草だ。これはまずい。サランはフォローに回る。

 元々シャー・ユイは『ヴァルハラ通信』の今の編集方針に不満を抱いている部員だ。部の雰囲気や仲間のことが気に入っていてくれているお陰で思う所がありつつも籍をおいてくれているが、本来ならいつ退部してもおかしくないのだ。しかしそれは文芸部としては困るのだ。

 シャー・ユイはサランなどよりはるかに有能な部員だし、それになによりの「演劇部通信」と時代錯誤な少女小説にはカルト的なファンも多い。そして「乙女の読み物」としての体裁を保てなくなってはせっかく切り開けた中央アジア方面へのビジネスがすべてパアになる。

 

 ああここにワニブチがいてくれたら……!


 あせりながらサランはほんの十数分前までは部室にいて、昔の自分が書いた掌編にうなされていたジュリに縋りたくなる。我儘で傍若無人なお嬢様の侍女を長年務めていただけのことはあって、ジュリは人をなだめるのが上手かった。『ヴァルハラ通信』の方針への不満を抱くシャー・ユイを説得したのもジュリの手腕だ。

 しかしそのジュリは今ここにはいない。突然久しぶりにやってきたキタノカタマコの侍女に呼び出されて、そのまま文化部棟を後にしたのだ。


 だからサランは廊下で必死になる。手を合わせて拝んでみせる。


「お願いだよう~、シャー・ユイだってケセンヌマさんのイラストを見て、一旦は話してもいいって言ったじゃんかよう~」

「――まあ、それは、なあ」


 シャー・ユイの態度が少し軟化する。サランはそこを見逃さず右手を振り、是非参考にしてくれとミナコから預かっていたポートフォリオを表示させ、シャー・ユイに良く見えるようにパラパラとめくって見せる。

 綴じられたイラストは、みなのぬまこ名義で発表している煽情的で肉感的なイラストとは全く異なる世界が繰り広げられていた。

 太平洋校の制服を着たほっそりとした妖精のようなシルエットの少女二人がマグノリアの花咲く木の下で互いのリングを交換しあう一場面がアールデコ調に描かれている。イラストの周囲を囲むアラベスク紋様の懐古趣味がいちいち小憎らしく麗しい。


 つくづく同一人物が描いたとは思えない可憐で華麗なイラストだった。パラパラとゆっくりポートフォリオを捲りながらサランは呆れるような感心するような不思議な心持になる。シャー・ユイもイラストを眺めているうちに次第に態度を和らげてゆく。

 組んでいた腕をほどき、ふうっとため息をついた。


「――どうしてこんな世界が描けるのに、普段はあんなイラストばかり描いているのかしら? あの人――」

「それはさあ、シャー・ユイが化石呼ばわりされてもエス小説書くのをやめないようなもんだよう、きっと。シャー・ユイにとってのエス小説がケセンヌマさんのエロ絵なんだよう」

「……一緒にしないでほしいんだけど」

「でもどっちも自分にとっての美に忠実でいようとする行動の発露であることは同じだよう? そこには違いは無いはずだよう? シャー・ユイだって嫌じゃないのかよう、なんでこのワルキューレはこんな古臭い疑似恋愛妄想小説ばっかり書いてんだ、女しかいない環境にいるとこうなちゃうのか、まともな恋愛もできないなんてあーワルキューレって可哀想~っとかなんとか言われたらさあ……っ」

「疑似恋愛ぃっ? まともな恋愛ぃっ? 可哀想っっ?」


 設置した地雷にねらった通り反応するシャー・ユイが目をとがらせていきり立つ瞬間を見こして、サランは畳みかける。


「ケセンヌマさんだってさあ口にはしないけど、お行儀よく可愛らしくないといけないうワルキューレうちらなのにあのエロエロ肉肉した作風じゃあ影では色々言われてる筈だよう? 乙女であらねばならぬワルキューレがこのような破廉恥でふしだらなイラストを発表するなどけしからんとか、女性の尊厳を貶めてるとかさあっ。そういう美と表現を理解しない大衆にあれこれ言われる悔しさを理解しあえる同士なんじゃないかなあってうちは思うんだけどなあっ、二人はさあっ?」

「……」


 ワルキューレである以前に創作家であるというプライドを持つシャー・ユイの魂に働きかけようとしたサランの破れかぶれな説得は幸い功を奏したらしい。耳の下で切りそろえた黒髪をゆらし、小さく息を吐く。そして目を閉じたあとにようやく頷いた。


「――とにかく、あの人をまともな口調で喋らせてちょうだい。あれじゃ会話なんてできやしない」

「ん、オッケエオッケエ」

 

 なんとか席に着く気になってくれたシャー・ユイの両手を掴んで上下にぶんぶんと振った。そして同輩の気が変わらないうちにと、部室に戻る。

 一人椅子に大人し腰かえ、サランの淹れたコーヒーを飲み茶菓子を食べながら、ミナコは文庫本をぱらぱらめくっていた。九十九市でサランが買ってきた文庫本のうち一冊だ。


「ほええ、みーたん勝手に読ませてもらってましたけど大丈夫でしたあ~?」

「あー、大丈夫大丈夫、全然大丈夫っ。ごめんねえ、待たしちゃってさあ」


 とっさに逃げようとするシャー・ユイを引き留めながら、サランはダメ元で叫んでみる。


「ケセンヌマさん、チェンジ! お客は二千年紀ミレニアムのオタサーの姫じゃなく大正の女学生を御所望だっ! 憧れのミッションスクールに通うことになった中流家庭の女の子にチェンジだっ。目の前にいるのは憧れのお姉さまっ、はいよーいスタートっ!」


 やけくそでサランは両手をパチンと叩く。

 きょとんとしていたケセンヌマミナコだが、しばらく大きな目を瞬きしてから一旦顔をふせ、そして徐に面を起こす。見ただけでは特に変化はないが、その口調が一変していた。


「――ごめんなさい、沙唯先生。嬉しいからってついはしゃいだりしてしまって……。ミナコったら本当にお行儀の悪い子」

 

 指示を出したのは自分なのにもかかわらず、サランは思わずのけぞった。なんだこの反射の素早さに対応力はっ?

 あまりの代わりっぷりにシャー・ユイも対応できず、強張っている。

 その間にミナコは立ち上がりこわばる同輩の前に立つ。そして器用に大きな目を潤ませた。


「ねえ、沙唯先生。……いえ、今だけはどうかお姉さまと呼ばせてくださいませ……。お姉さま、どうか信じてくださる? わたし本当にお姉さまがお書きになる小説が好きなの。お姉さまのお書きになったものを読むと、心の中の宝石箱に美しい宝石が一つ増えるような心地がするの。――世の中には立派な小説や面白い小説はたくさんあるわ。でも、わたしに真実、夢をみさせてくれる小説はお姉さまがお書きになった小説だけ。本当よ?」


 ミナコとシャー・ユイの身長はほぼ同じだが、ウサギ耳のようなリボンのおかげで若干ミナコの方が背が高く見える。そんなミナコが断髪のシャー・ユイを「お姉さま」と呼びながら潤んだ目でひたむきに見つめる。

 なおかつ、小説の書き手としてのシャー・ユイの心を巧みをくすぐる。

 サランは驚きながらミナコの激変ぶりと意外な能力の高さについつい見入った。


 ケセンヌマさんのやつ、のみこみと頭の回転の速さが異常だな。さすが甲種と遭遇した時に迷わずユーラシア校に応援を呼べるだけのことはある。


「――なっ、なんなのっ。そんな、急にっ。あなた、漫研をやめて演劇部に入ればっ?」

  

 明らかにシャー・ユイは動揺していた。キャラの変わりっぷりに驚いたのもあるだろうが、まっすぐに小説を誉められたのが効いたとみた。薄化粧をほどこしている頬のチークが濃くなったようだ。

 それでも簡単に手折られはせぬとシャー・ユイは踏ん張ってみせる。


「大体、そんな風に自分のキャラクターをころころ変更するような人の言うことなんてとても信じられるわけ――」

「『舞台上で私はさまざまな仮面を被り、貴女に愛を囁いて参りました。貴女にとってはそれはただの台詞だったでしょう。しかし真実まことの姿を晒せぬ卑しい私にとっては、貴女への想いお伝えする唯一の手段にございました』」


 ミナコは突然、台詞がかった言葉を諳んじる。とたんにシャー・ユイの頬がいよいよ紅潮した。


「――よく覚えているわね、私が『演劇部通信』を担当するようになってすぐに発表したものよ。……ああもう、下手すぎて恥ずかしいわ」

「お姉さまのお書きになったものの中でミナコが一等好きな箇所です。このお話に登場するトップスターは役柄という仮面と他人の言葉で真実の想いを舞台の外では確執のある仲だと囁かれていた娘役に伝えていた――ミナコは初めてそれを読んで涙ぐみました。いつかこのような世界を描けるようになりたいと、お月様にお祈したのです」


 はい一本、それまで。


 二人のやりとりを見まもっていたサランは、場の空気を妨げないように安堵の息をもらした。

 これはもう、ケセンヌマミナコの圧勝だろう。シャー・ユイが次回発表する小説の挿絵をミナコに任せる話はこれで無事うまくまとまるはずだ。はー、やれやれ。

 サランの見通し通り、シャー・ユイはついに折れた。ついっと視線をそらして不機嫌そうな声を出してはみるが、こう告げる。


「――さすがに同学年の方から『お姉さま』はこそばゆいわ。『沙唯』か『シャー・ユイ』で結構よ。それから今後、小説の挿絵に関する打ち合わせ時の喋り方はあなたにとって自然なものでいいわ。残念だけど、あなた女学生口調があまり似合わないんだもの」

「――! かたじけないでござる! ありがとうでござるよ! 沙唯先生っ」


 大きな目を見開いたミナコは顔を輝かせて、シャー・ユイの両手を握る。秒で口調を元通りにした多才すぎる絵師の少女は、甲高い声のござる口調でぺらぺらとまくしたてるのだった。

 しかもようやく普段の自分に戻れたからか、その勢いが普段の数倍速かった。


「いや某も当学園に入学してすぐに様々なキャラクターを試みてはみたもののその中に女学生という選択肢はなかったでござるが故にサメジマ氏の指示で初めて挑戦してみたが正直そろそろ限界がくるところでござった沙唯先生が今後も某と口をきくときはあのキャラクターではないと許さぬと仰るなら某はその瞬間詰むなと覚悟していたでござるよやはり某にはこれが一番しっくりくるのでござるそれを許してくださるとは沙唯先生はお優しい方でござる感謝申し上げるでござるよそのお礼を込めて渾身の絵を仕上げるでござる――」


 ミナコの超音波声による早口まくしたてを至近距離で浴びたらどうなるかを知っているサランは、そっと二人から距離をとる。しかし、両手を包み込まれているシャー・ユイに回避は不可だった。

 キンキンペラペラした言葉の奔流(しかも語尾が「ござる」)の攻撃を食らうシャー・ユイは白目をむきそうになっていたが、とりあえず笑顔を強張らせて立っている。

 ともあれケセンヌマミナコにはきんきん声のござる口調が一番しっくりくるのは確かだな、と安全圏に逃れながらサランは心の中でうなずいた。


「それでは打ち合わせの時にまたお話するでござるよ沙唯先生――あ、それからサメジマ氏さっきまで某が読んでいた本お借りしてもよろしいでござるか続きが気になるでござるよ」

「いいよいいよ~、二冊とも構わないよ」

「かたじけないでござるそれではまた後日~」


 上機嫌で古い文庫本を二冊ぬきとると、ミナコは部室を悠々と去っていった。着た時と同じあの歌を、今度から頭から口ずさむ。

 ♪せーなかーにみーみをぴっとつけて~……という歌声が遠ざかり、聞こえなくなってから、それまでその場に棒立ちになっていたシャー・ユイはへなへなと崩れ落ちた。あわててサランはその場に駆け寄る。顔面蒼白で冷や汗を浮かべた同輩の肩をサランは抱く。


「大丈夫か、シャー・ユイっ! よく耐えた、よく頑張った! 副部長として感謝するようっ、今度学食でなんか奢るようっ!」

「その際にはデザートも付けて頂戴……っ!」

 床の上に手を突いたシャー・ユイは、不安気な呟きを漏らす。

「――私、早まった判断をしていないわよねっ?」

「してないしてない。してるわけがない。沙唯先生の小説にケセンヌマさんの挿絵がついたら鬼に金棒だよう!」

「そうじゃなくて……っ」

 

 おそらくミナコに普段通りの口調で喋っても構わないと許可したことを言いたいのだろうが、シャー・ユイは言葉を飲み込んだ。そしてふらふらと立ち上がる。


「……ちょっと外の空気を吸ってくるわ」

「大丈夫か? 一人で歩けるかっ?」


 平気だという風にシャー・ユイは手を小さく振り、部室の外に出る。壁づたいに歩くその足取りはよたよたしていて少し危なっかしい。

 付き添おうかとサランが廊下に出たタイミングで、やや強めの足音がシャー・ユイが向かった先とは反対から近づく気配があった。

 振り向くと、苦虫をかみつぶしたような表情のジュリが歩いてくる所だった。キタノカタマコからの呼び出しからようやく解放されたらしい。


「あ、お帰りワニブチ。――朗報だよ~、シャー・ユイがケセンヌマさんの挿絵をつけるの許可してくれた」

「そうか。それは目出度い」


 大してめでたくなさそうに、ジュリは呟くとサランの方をろくに見るでもなく部室に戻るなり自分の席に座ると、背もたれに思い切り背中を預けた。同時に両脚両腕もぐったり投げ出す。伊達メガネも外して、眉間やこめかみをもみほぐす。

 常に姿勢よくしている印象の強いジュリが疲労困憊した様子を晒すのは部長総会に出席した時、今の『ヴァルハラ通信』編集方針を文芸部OGから咎められた時、そしてキタノカタマコの取り巻きに呼び出された時に限られる。ツチカが学園を去って侍女の立場から解放された後、キタノカタマコの侍女に呼び出される機会はぐんと減っていたのだが、久々に呼び出されたが故に疲労が堪えたらしい。


 部室の隅にしつらえてある小さなシンクで、サランはジュリ愛用の粗品のマグカップを洗ってやる。雑コーヒーは今のジュリには刺激がつよそうなので、ポットから白湯を淹れて渡した。サランはこういう状態のジュリは白湯を好むと一年少々のつきあいでつかんでいた。ババくさいやつだなとこっそり思っていることは内緒である。


「キタノカタさんはなんて?」


 サランの手渡した白湯入りマグカップを受け取り、ジュリは体を起こす。久々に伊達メガネをかけていないジュリの素顔を見たので、なんとなくつい見入ってしまう。審美眼だけは太鼓判を押されている人物の監修が入ったその顔はやはり隙なく美しいのだ、たとえ苦虫をかみつぶすような表情を浮かべていても。


「『ハーレムリポート』について苦情が来た」

「――んーまあ、そりゃ来るよねえ。つうか今まであの独裁者生徒会長がよく今まで見逃していたって思うよう。あんな名誉棄損で一発アウトな悪ふざけ文」

「『ヴァルハラ通信』掲載版についての苦情じゃない、電子個人誌ジン版の最新号についてだ。――更新された後できるだけ早く記事を取り下げさせたのに、もうすでに把握なさっていたよキタノカタさんは」


 はーっとジュリはため息をつく。ツチカにさんざん振り回されていたときによく浮かべていた表情だ。

 文芸部の管轄ではない、シモクツチカ管轄の電子個人誌ジン版に対する苦情をジュリに伝える――ということは、つまり、キタノカタマコもレディハンマーヘッドの正体を掴んでいるということなのだろう。サランはそのことを頭の片隅においておきながら、話を進めた。


「なんでまた今回だけ急に苦情を? 今までフカガワミコトとおんなじ風呂に入って全裸を見られる羽目になったとかおっぱいポロリしたとか書かれてもほぼスルーだった癖にさあ」


 最新版になにかマズイことが書いてあったっけ……? とサランはさっと目を通しただけの頭に思い浮かべていてみたが「ハーレムリポート 電子個人誌ジン版 #44」に北ノ方グループ総帥令嬢の検閲に引っかかりそうな文章があったような記憶はないのだ。


 レディハンマーヘッドの正体がシモクツチカであると知っている人間にはキタノカタマコを盛大にあてこすっている文章であると分かる程度なものだ。なにせシモクツチカとキタノカタマコは、上流階級の子弟子女が集う学校で「とても難しい仲」だったと語り草にされるご関係だったのだから。

 しかしそれでも、フカガワミコトとかいうどこの馬の骨ともわからない男子との疑惑や関係をささやかれることになった混浴事件を風潮するより悪質であるとは、サランにはやはり思えない。


 自分用に甘めの雑コーヒーを淹れて、サランも席につく。

 白猫マグカップに口をつけるサランにジュリは右手を振って、一枚の紙切れを表示させてサランに手渡す。削除済みの「ハーレムリポート 電子個人誌ジン版 #44」のスクリーンショットだ。


『ワンドが振るえたら頭のネジの一個か二個外れた人間なんてプチっで片付いちゃうのに、プチっで』


「この前後、太平洋校初等部生徒会長として見逃せない。これではまるで自分が現行のワルキューレ憲章に不満を持ち人類を愛することを放棄しているように読めてしまう。そういう印象をもたれてしまうが故に生じる不利益を考えろ――というのが抗議の内訳だ」

「……ああ〜、はいはい」


 ジュリはずずっと音をたてて白湯をすすってから答える。


「今まではたかだかゴシップガールのいうことややることだからと甘くみてやってはいたが、これ以上調子に乗るようならそろそろお仕置きが必要になる、とまあそう警告なさったわけだよ。キタノカタさんは」


 来るべきときがついに来たなあ……、とジュリは呟いた。


「お仕置き? なんか上から目線だねえ、いちいちキタノカタさんのおしゃることは」

「あの人は――まあ昔からそういう人なんだよ。……ああそれにしてもなんて日なんだ、今日は」


 ジュリはうーんと伸びをした。確かにジュリにしてみればそうなのだろう。二年前に感傷的な気分に浸ってしまって書いた掌編私小説という地雷を踏まれ、さらにツチカのおそらく意図的なやらかしであまり親しい仲ではない生徒会長の抗議と警告を受けることになったのだ。疲れもするし、愚痴も吐きたくなるだろう。


「……」


 今のジュリには白湯のように刺激の少ない話しか受け付けなさそうだな、とサランは判断する。

 ケセンヌマミナコの頭の回転の速さや対応力、自分の書いたものを絶賛されてめろめろになってしまったのを悟られまいとしているシャー・ユイ、そのほか色々と語り合いたい雑談のネタはあったけれどまたの機会にすることにした。

 明日の放課後に話すか、手紙にして伝えるか。

 

 ──で。



 チンピラぶりっ子のくせに人間相手にワンドを振るわなかった先輩がにやあっと笑いながら言った言葉が耳に蘇る。


 サランは白猫マグカップの中の甘い雑コーヒーごとそれをのみくだす。


 健全なお友だち、一体それのどこが悪いというのだ?


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