#11 ゴシップガールは潜伏中

 ◇ハーレムリポート 電子個人誌ジン版 #36◇

 

 はーい皆さんこんんちは、それともこんばんは。今までゲリラ公開していたこのリポートを『ヴァルハラ通信』さんでも連載するっておしらせした途端、軽めの炎上くらっちゃったレディーハンマーヘッドだよ。


 たかだかゴシップを報告するだけのくせに金をとるなど怪しからんとか、他人のふんどしで相撲をとるなんていいご身分だなとか、押し寄せる正論の大波にさすがのレディハンマーヘッドも凹んじゃう……と思った? 思った? 残念でしたあ。落ち込んだりすることもなく、あたしは元気だよ。

 

 だって今まで特殊戦闘地域にいる自分たちにはフカガワハーレムの最新情報が追えない、紙で読みたいって主に兵隊さんたちからの声がいっぱい届いてたんだもーん。あたしは世界平和に従事なさってる兵隊さんの味方だもーん。


 それに知ってた? 『ヴァルハラ通信』さんの売り上げの一部は太平洋校が運営する乙姫基金に納入されるんだよ? 乙姫基金はね、太平洋校のワルキューレ達の部活動で生じた利益を侵略者の破壊活動で済む家や家族を失った人や子供たちを救済・支援するために運営されてるんだよっ。つまり『ヴァルハラ通信』さんを一部お買い上げいただければその何割かが、新しいお家やこどもたちの教育費になるってわけ。

 人類すべてを愛さねばならないワルキューレたるもの、ただ単にお金儲けをいやしく追求しているわけじゃないんだよ?

 

 いいことじゃな~い。紙媒体進出いいことずくめじゃな~い。というわけで文句言いたい方はどんどん言っちゃって~。燃やせるもんなら燃やしちゃって~。

 でもその前にこんな太平洋の離れ小島にいる子供たちのラブコメ模様を必死でおっかけてる自分たちの姿を鏡でご覧になってね。


 ……それにしてもさあ、乙姫基金って名前、ダサくない? もうちょっとなんとかなんたかったの、これ。


 ◇◆◇


「やっぱりおかしいです~」

「んあ?」


 ある日の放課後、ビーチに打ち上げられた流木をベンチ代わりにして座り、売店で買ってきた雪花氷シェーホアピンをすくったスプーンをくわえたサランは隣を見た。

 隣に座ているリリイはせっかくパレオをまいた大人っぽい水着姿でビーチにいるというのにパラソルの下でここ数週間分の『ハーレムリポート』を冊子の形で表示させていた。そして難しい顔で何度も読み返す。右手にはいつもの棒付きキャンディがあり、いつものように思わせぶりな仕草でねっとり舐る。


「……お前な、こんな所に来てまでそんなもん読んでんじゃないよう。せっかく遊びに来てるんだっつうのに」

「この学園の生徒ならみんな一度は行くようなビーチで今更テンションあげられますぅ~? ――それはそうと、変なんです。サメジマ先輩」


 先日思う存分感情を爆発させたのがきっかけで吹っ切れたのか、リリイはサランの前では仮面のような笑みとわざと語尾を伸ばす喋り方を控えるようになった。そしてサランに対する態度がネチネチ陰湿なものからトゲトゲ直接的なもの変わった。そっちの方がサランとしては対処がしやすいので構わずに話を進める。


「変って何が?」

「『ハーレムリポート』に私が出ていません。出そうな様子も見えません。私結構頑張ったのに~」


 そう言ってぷうっとリリイは頬を膨らませ、珍しく子供っぽくふるまう。


 何言ってんだコイツ、という目で見るサランの疑問を先回りするように、リリイは右手を振った。タイガが無事出撃先から帰って来たのでリングは右手の薬指にはまっている。

 新たに表示させたのは四月に刊行された『夕刊パシフィック』のバックナンバーだ。そこからさらに特定の記事だけ抜き出すと、スクラップブックの形にまとめてサランに手渡す。読んでください~、とふくれっ面のリリイが言うのでサランは受け取り、言われるがままにページをめくり、そして絶句した。


 そこにあったのはリリイがフカガワミコトと腕をくんでツーショットで収まっている写真つきの記事。その隣にあるのは無数のワルキューレを出し抜いてフカガワミコトに弁当のおかずを箸でつまんであーんと食べさせようとしている写真。そのどれもがフカガワミコトではなくリリイにカメラの照準が合わせられている。見切れているフカガワミコトは明らかに腰が引けており、ぐいぐい来ているリリイに恐れをなしていた。

 記事に目を通すと、「フカガワハーレム新メンバー⁉ 合唱部の歌姫メジロリリイ 白昼堂々恋人候補宣言」など、煽情的な見出しが添えられている。記事本文は読む気にすらならない。


「四月からこーんなに頑張ってたのに『ハーレムリポート』には名前すら出てこないモブ扱い、骨折り損もいい所! 気合い入れて損しちゃいました」


 ぷりぷりとリリイは唇を尖らせつつ怒る。


「でも納得いかない。我ながらこうして結構な爪痕を残してるのに総スルーだなんて、レディハンマーヘッドったらどこに目をつけてるのかしら? ゴシップガールなんて名乗ってるくせにアンテナ感度悪すぎい!」


 十代の小娘丸出しの口調で不服を並べたてつつも、サランに向けて意味ありげな視線を配る。レディハンマーヘッドの正体について自分は気づいているのだぞと言いたげに見える。

 一旦サランはそれを無視することにして、隣に座る後輩へ呆れ切った視線を投げつける。


「――お前なあ、文芸部員はフカガワハーレムにおさわり禁止だっていうのになにやってんだようっ?」

「この記事が出たのは四月の中旬ですぅ。私、まだ合唱部に籍がありましたあ~」

「あーそれならまあ……じゃなくてだなあっ、お前、この前たーちゃんじゃなきゃ嫌だとかたーちゃんが一番なんだとか泣き喚いて癖に何やってんだっ⁉」

「ビジネスです」


 棒付きキャンディを舐めながら、涼しい顔でしれっとリリイは答えた。その態度にサランの呆れは怒りへと瞬時に移行し、一瞬言葉につまる。その隙にリリイは一旦棒付きキャンディを口から遠ざけ、サランの雪花氷シェーホアピンを無断で食べながら説明する。


「アイドルワルキューレをやっていくにはとりあえずまず全世界のワルキューレファンの方たちに名前を憶えていただかないと~。フカガワハーレムはなんの後ろ盾もない新人の名前を憶えて頂くのは恰好の場なんですう。――先輩、早く食べないと溶けちゃいますよお?」

「うるせえな、勝手に食ってんじゃないよう。スプーン返せ。――まあ確かに先月はそんな連中多かったな」


 サランはほんの一月前のことを思い出す。


 フカガワハーレムのメンバーがそろいもそろって初等部の特級メンバーぞろいと言う点から、「フカガワハーレムメンバーになれば特級になれる」と本末転倒な考えに陥った野心家かつ中~低レアのワルキューレたちがフカガワミコトに群れたかるという異常事態が発生したことを。

 その結果、初等部生徒会長キタノカタマコがフカガワミコトを保護の名目で生徒会室のある特別棟に軟禁。それを不服としたトヨタマタツミ・ミカワカグラ、そして助っ人として招き入れたかつての初等部風紀委員長で現高等部に籍を置くアクラナタリアとともに殴り込みをかけた結果、特級ワルキューレ同士の私闘に発展した結果、特別棟は崩壊。結局、学園長ミツクリナギサが直々に出てきて関係者に裁きを与えるという形で決着したという、騒々しかったこのひと月。その時崩壊した特別棟は現在も建設中で、工事の音がここまで届いている。


 つまりリリイはフカガワミコトに群れたかった精子のごとき有象無象のワルキューレのうち一人だったということになる。そういえばサランに誹謗中傷攻撃を行った時の評判も「フカガワハーレムに手を出す合唱部の問題児」だった。

 ともあれ、一連の大騒動の結果が野心家ワルキューレたちの頭を冷やしたらしく、ここ最近のフカガワハーレムは固定化されたメンバーでまったりとしたさや当てが続けられている。

 あまりにもまったりしているせいか、電子個人誌ジン版の『ハーレムリポート』の更新も#43以降しばらくご無沙汰だった。「どろーん」と雲隠れを匂わせて、それきり音沙汰がない。


 ともあれ、四月にフカガワミコトに群がったワルキューレたちは皆ハーレムメンバー入りは叶わなかったということだ。

 名前をあげることを目指して行動を起こしたものの、皆一括して有象無象のモブワルキューレとして片づけられたということになる。学園島のワルキューレ達の囁く噂話にリリイを含む彼女らの名前は登場せず、レディハンマーヘッドの『ハーレムリポート』ではその騒動の概要が面白可笑しく語られるのみで終わってしまった。

 ゴシップ誌の『夕刊パシフィック』ですら、リリイの起こしたスキャンダルを扱うスペースは小さい。この大きさではトップを飾っていない。他の有象無象たちもきっと同じ扱いだったことだろう。


「……」


 サランはふと引っかかるものを感じ、使い捨てのスプーンをかみしめる。


 いつの間にやら、フカガワハーレムは「フカガワミコトの周囲に群れ集う女子」という当初の意味から、「フカガワミコトの周囲に群れ集う女子として『ハーレムリポート』に登場する女子」にすでに変質してしまっているのだ。自分の名前が登場しないといってレディハンマーヘッドの決定に不服を述べ立てるリリイの言動がそれを象徴している。

 これではまるで、フカガワミコトのハートを射止めるのはだれか、フカガワハーレムをどう転がすかの決定権は当人たちではなくレディハンマーヘッド――シモクツチカ――にあると認識していると告白しているようなものではないか。

 しかもそれをフカガワハーレムを見守るオーディエンスたちはその不自然さに気づくことなく、いつの間にやら当たり前のことと見なしている。

 それも全てツチカがゴシップガール活動を開始して起きた現象だ。


 何考えてんだ、シモクのやつ。

 

 サランの胸が再びざわつく。気を抜くと先月、九十九市で出会った時の前世紀末期のギャル姿が蘇る。


 ――どっかの誰かが面白い遊びにさそってくれるって保証はないし、退屈を紛らわしたいなら自分が動くのが手っ取り早い。そう思わない、ミノ子?


 その際に浮かべていた、相変わらず人をコバカにしたような笑みも思い出され、腹立ちまぎれにがしがしと樹脂製のスプーンに歯を立てた。


 たかだか退屈しのぎにずいぶん大仕掛けを用意しやがって。しかも関係ない人間を巻き込みやがって。うちはアイツのああいうナチュラルに人をコマとみなしてるような所が……っ。


「先輩、溶けちゃいますよう?」

 

 リリイの声かけでサランは我に帰った。ツチカのはた迷惑な行動も問題だが、今はまずリリイの行動をツッコむのが先だ。まさかすぐそばにいた後輩が売名の為に軽々しい行動に走っていたとは。

 何やってんだコイツ、と先ほどとは異なるテンションで涼しい顔の後輩の横顔を見る。


「リリ子なあ……。率直に言ってその行動はかなり恥ずかしいし相当アホっぽいぞ? お前はトラ子よりは賢いやつだと思ってたけど買いかぶりかあ?」

「放っといてください。ビジネスが計画通りにいかなかったなんてよくある話でしょう?」

「でもなあ、うちは芸能人のファンになったことがないから分からないけれど、そういう炎上商法方式で名前を上げるのは長期的にみて損しかないんじゃないかあ? 単純に考えて男のケツ追いかけまわしていたようなアイドル応援する気になる根性の入ったファンなんてそうそう現れるとは思えないよう?」

「そうですかあ? フカガワハーレムの皆さんは男の子のお尻を追いかけまわしてますけど皆さん人気者ですよぉ?」

「そりゃああいつら芸能活動はしてないし、ジャッキー姐さんは元々スターだったし。お前とはスタート地点が大分違うじゃないかよう」


 何気なく言い放ったサランのこの一言がリリイを傷つけたらしい。


「――ええ、ええ、どうせ私は低レアで後ろ盾も無いどこの馬の骨ともわからないような新人アイドルですう。名前を売るためにはなりふり構っていられない、そういう立場なんですう」

「なんだよう、何急にスネてんだよう。お前最近の面倒くささが尋常じゃないぞ? 元々ひねくれた性根のくせにさらにねじってどうすんだ? 回転するなら反対向けに回れ」


 急に拗ねていじけだすリリイを見てサランはより呆れた。笑顔の仮面で感情を押し殺すよりちょっとでも気持ちを表にしてくれればいいとサランは願っていたものの、こういう形ばかりではそろそろお守りも御免こうむりたくなってくる。


 それに、リリイの行動には人として根本的に間違っているのではないのか? 


 色恋に価値を見出せないサランではあるが、14年と少しかけて身に着けた良識と常識が、好きな人がいると公言しているのにも関わらず別の相手に気を持たせるような行いをするのはいかがなものかと主張するのだ。。


「お前そんなことしてトラ子のやつに申し訳ないと思わないのか? お前あんだけトラ子が気が多くて辛いつってビービー泣いた癖に。おんなじことしてんじゃねえかよう?」

「ですから、ビジネスだったんです」


 しれっと、ぬけぬけと、リリイは答える。無断で食べた雪花氷シェーホアピンで口の中は相当甘ったるいはずなのに、やっぱりいつもの棒付きキャンディをゆったりと舐める(そういえばどうしてメジロ姓の二人はいつもこの飴をなめてるのだろう? と今更サランは不思議に思った)。


「たーちゃんだって了承ずみです。私がアイドルとして名前をある程度売るまでは少々無理はするってことは。……だってホラ、たーちゃん一人危ない目に遭わせるわけにはいきませんものぉ。私だってがんばらないと~」

「――」

「それに、たーちゃんってば私がこのビジネスを実行に移すって決めた時、こう言ってくれたんですよぉ? 『お前がするっていうなら止めても無駄だから停めねえけど、絶対無茶だけはするなよ』って。『フカガワミコトに何かされたら即呼べよ? どこにいてもオレが駆け付けてやっからな』ってぇ~。キャアっ!」

「どっちか言うとお前の方がフカガワミコトに何かするつもり満々だったのにな……」


 急に純情な乙女となって手のひらで顔を覆い、身をよじって照れに照れるリリイを見てさらに呆れた。このままいくと「呆れ」の限外を突破しそうだ。

 それにしても、タイガが通常初等部生には割り振られることがないような高難度の出撃先に自らすすんで志願したり、リリイがアイドルとして名前を売るためにあえてスキャンダルを狙いにいくような真似をしたり、客観的にみて何から何まで無謀としか言えないようなふるまいを、メジロ姓の二人は実行しているのか……?

 

 まるで生き急いでいるみたいじゃないか、とサランは思う。

 どうしてもサランの頭から、タイガに不埒なふるまいに出られたあの日の一言が離れないのだ。自分は早く死ぬと妙に悟りきったあの日のタイガ。


 そんなしんみりした気分を破る様に、シュノーケルをつけたタイガが突然、海面からざばっと勢いよく顔を出す。そのまま砂浜にあがり、二人の座る流木めがけて満面の笑みで大きく手を振った。白い砂とエメラルドグリーンの海をバックに、年齢と小柄な体格にしてはよく発達し且つよく締まった健康的なスタイルを強調したシンプルなセパレートの水着姿のタイガは映えた。小麦色の肌の腕や手足、脇腹ににいくつか大きな傷跡が目立つのだが。


「パイセン、リリイ! すげえ、今日の海の中マジやべえっ! 亀さんがいっぱいいるっ!」

 

 海から上がってきたタイガの語彙力は著しく減退していた。パラソルの下の二人はにっこり微笑みながら、駆け寄るタイガを迎える。リリイは慣れた様子で持参していた小さなバッグから、例の棒付きキャンディを一本取り出してフィルムを剥がし駆け寄るタイガの前に差し出す。


「たーちゃん、取材お疲れ様~。はい、あーん」

「あー……って、やんねえしっ。自分で舐めるしっ」


 身をかがめてそのままキャンディを咥えようとしていたタイガは、その様子をじっとサランが見ているのに気づいて、慌てた様子で棒をひったくる。日に焼けた肌を赤くしながらいつもの様にキャンディを口の中でコロコロ転がす。

 いっちょまえにサランの視線を気にし十一才の男子風な去勢を張っている風なタイガの挙動はとりあえず流すことにし、気になっていたことを訊ねることにした。


「お前らその飴しょっちゅう舐めてるけど、なにそれ。美味いの?」

「いや、不味いっす!」

「美味しくないですぅ」


 食い気味に答えるタイガとは逆にリリイはゆっくり答える。


「……じゃあなんで美味くもない飴舐めてんだよう?」

「薬なんすよっ」


 さらに食い気味にタイガが答える。真剣な顔がサランにぐいぐい近寄ってくる。

 後ろでリリイが唇に人差し指を添えるアクションをしてみせたが、タイガはみていない上に必死だった。

 出禁は解いたが、まだこの前の行動をサランは許すという旨の発言をしてはいない。だか前かがみになって顔をぐいぐい近づけて大きい猫目で必死に訴えてくるのだ。この前のことを許してくださいと眼力で訴えかける。

 こないだは調子こいてすんませんっしたあ! と、ここに来るまでの道中で勢いよく謝ったのにさらに謝意をかぶせて縋ってくる。流石に必死すぎてサランも引いていた。


「なんの薬なのかは詳しくいうわけにはいかないんすけど、とにかく薬なんすよ。『飴ですが薬です、薬ですが飴なんです』ってやつっす!」

「あーもうわかったわかった、近いっ。距離が近いっ。圧がエグいっ。下がれトラ子っ」


 身長のわりに大きく前に突き出た胸をもつタイガが前かがみにになると必然的に谷間が強調される形になる。タイガに対して不埒なアホの子以上の気持ちを抱けないサランであっても、至近距離で二千年紀ミレニアムのグラビアアイドルみたいな格好をされても困る。それに気づいたのかリリイがぐいと腕を引いて、タイガを自分の隣に座らせた。


「で、どうだったの〜? 亀さんファミリーは元気だったあ?」

「おう元気だった元気だった。お子さん4匹とも可愛かった〜」


 キャッキャとはしゃぎながらタイガは右手をふり、海中で撮ったばかりの写真を表示させる。亜熱帯の珊瑚礁を泳ぐ小さなウミガメ達の写真はなかなか趣きがあって見ごたえがある。アホの子が撮ったわりには構図も決まっていて、カレンダーにでもしたくなるような出来映えだ。


 このウミガメは二年前のオリエンテーションに大遅刻をしたトヨタマタツミが助けた迷いウミガメの子どもたちだった。

 迷いウミガメは自分を助けたトヨタマタツミを竜宮城に連れて行くようなことはしなかったが、このビーチや演習場が気に入ったのか時折姿を見せるようになった。そんな様子が愛らしい、和むと評判になりワルキューレのちょっとしたマスコットになっている。

 ウミガメファミリーの情報は新聞部ではスペースの埋め草的なほのぼのニュースとしての需要があるらしい。文芸部でサランにつきまとったりリリイの世話を焼いたりしているタイガに「お前は一体何部員だ?」と先輩から指導が入り、ウミガメファミリーの記事を担当することになったのだという。

 サランはタイガの取材に同行してここにいる。タイガにぜひともついてきてくれとせがまれた為である。そこでサランはリリイを同行させてついてきた。こうしておけばタイガも妙な気を起こさないし、リリイの陰湿行為もいくらか大人しくなるだろう。


「……いいなこの写真」


 きらめく水面をバックに悠々と泳ぐ子ガメの写真が気に入って、サランは手に取った。すると即座にタイガが反応する。


「気にいったんなら差し上げるっすよ、サメジマパイセン!」

「いやいいよ。おまえんとこの新聞に使う写真だろ?」

「いいんすよっ、この前のお詫びっす。こんなんでいいならいくらでもどうぞっすよ」

「何言ってんだよう、詫びなら前みたいなマネをしなきゃあそれでもう十分だからグイグイ来るなってば、グイグイ!」


 猫目で迫り来るタイガ、そしてそのうしろでむーっとふくれっ面になるリリイ。それに対峙せざるを得ないサランは心の中で唸る。あーめんどくせえ。


「遠慮せずに受け取ってくださいよ~、副部長さん」


 不意に掠れた低い声がかかったので振り向くと、そこには文化部棟で何度か顔をみたことのある高等部生がいた。

 痩せた長身、センターで分けた黒く長い髪、茶褐色の肌に瞼の厚そうな垂れた目とニヤニヤ笑う口元がどことなくぬるっとした粘膜めいた雰囲気を放ったワルキューレ。サランたちからみて向かって右半分の顔は赤い大きな痣に覆われている。手には売店で何かを買ったらしく、ふくらんだビニール袋をぶら下げていた。


「ゲルラ先輩、しゃっす!」


 その姿を見るなりタイガはぴょんと立ち上がりぺこんと頭を下げる。サランも立ち上がって一礼する。文化部棟であっても先輩へは最低限の敬意は尽くすべしという太平洋校の気風は染みついている。向こうから来たタイガの先輩は、それに手をあげて応じる。

 上級生はタイガが差し出した写真の束に一通り目を通し、二枚ほどより分けてサランに手渡した。うち一枚はサランが気に入った写真だった。

 

 にたり、という擬音が似合いそうな笑みで上級生はサランを見下ろす。

 

「差し上げます。それで普段ウチのメジロが世話になってる礼になるってんなら安いもんです。――すんませんねえ、お忙しいところお呼びしちまいまして」

「こちらこそ、メジロをいいよう用に使わせていただいて『夕刊パシフィック』さんにはいつもご迷惑をおかけしてますう。一度ご挨拶にあがらなきゃと思ってたんですが、遅くなりましてぇ」


 モンゴロイド幼女くささが未だ抜けきらない丸顔童顔をフル活用した万人受けする営業用スマイルを浮かべて、サランは頭を下げた。うけとった写真をアルバム型の画像保存ファイルに収める。

 それを迎えて、顔に赤い花が張り付いたような痣をもつ上級生ワルキューレもにっと笑った。南の島の容赦ない太陽の下には似合わない、熱帯の密林に咲く食虫植物めいた雰囲気に圧倒されそうになるので、つとめてサランは名子役のような笑みを自分の画面にはりつけた。

 

 『夕刊パシフィック』のデスク兼エース記者、パトリシア・ニルダ・ゲルラ。

 シモクツチカのスキャンダルでキャンペーンをはったため、本来太平洋校の校域ではない西アフリカへの懲罰出撃をくらった過去を持つワルキューレだ。顔の痣ははその際に負ったものである。サランの記憶にも、彼女がしばらく顔や全身に包帯を巻いた姿で、それでも堂々と文化部棟を歩き、すれ違う文芸部員たちににやあっと笑いかけていた記憶が色濃い。

 異様な雰囲気を放ちながらも礼儀正しくサランに「一寸お待ちいただけますか?」と声をかけると、気をつけの体勢で待機していたタイガの頭を猫か犬にするようにわしわしと撫でた。


「帰ったばっかでご苦労だったね、今日はもういいよ。あーしは副部長さんと話がある。リリイちゃんと水遊びでもしてきな」

「ですってぇ。行きましょう、たーちゃん」

 

 すかさずぴょんっと流木から立ち上がったリリイがタイガの手を取って、波打ち際へ引っ張ってゆく。タイガは若干不満そうにしていたが、結局海で遊ぶという誘惑には勝てなかったらしく、婚約マリッジの相手と競争するように駈け出してゆく。ざぶんと海の中に駆け込むと、海水を掛け合ったり海の中にもぐりこんだりと大はしゃぎだ。

 さっきまで陽があたらないようにとパラソルの下から出なかったリリイも、人が変わったように無邪気な歓声をあげる。そんな二人の様子を、パラソル下の流木に座ったパトリシアはニヤニヤ笑いながら評した。


「……いやあ、いいもんじゃあございませんか? 水着姿の可愛いらしい女子が思うさま無邪気にはしゃぐ様を見物する。天国たあこういう場所のことを言うんじゃないかと思う時があーしにはあるんですが、副部長さんはどうです?」

「さあねえ、うちには分かりかねます。『夕刊パシフィック』さんのおっしゃる天国は若干オヤジくさくありませんかねえ?」


 営業用の名子役風スマイルを引っ込めてサランも流木の上に座り直した。そろそろ半分甘ったるいミルク味の液体になりつつある雪花氷シェーホアピンを慌てて掬って口に入れる。

 そこへすっと、ジャガイモを使ったスナック菓子が差し出された。隣を見るとパトリシアが、スナック菓子を片手にニヤニヤと笑っている。


「副部長さんは甘党だとお聞きしてたんですが、甘いものを食った後では塩気のあるものの方が良いんじゃないかと。食いますかい?」


 スナック菓子は封を切られ、サランが摘まめばいいだけの状態になっている。つぶしたジャガイモを短いスティックにして揚げたお菓子を、とりあえず勧められるままに摘まみサランはかりこりとかじった。


 タイガがぜひともサランに着いてきてほしいと頼み込んだのはこれが理由だった。自分の先輩が文芸部の副部長と話をしたいから連れてきてほしいと頼まれたので来てほしい、そういった趣旨の内容を独特の語彙でまくしたてたのだ。

 突然、学園島でのゴシップをめぐる確執がないではない『夕刊パシフィック』のエース記者に呼びだされる理由はなんなのか。タイガをいいように利用していることへの注意もないではないだろうが、それだけならわざわざこんなところに呼び出す必要はない。


 なんなんだろう、急に? というサランの気持ちが表情に出たらしく、パトリシアは唇の端を吊り上げてにたりと笑う。


「文芸部の部長さんは出撃中だと聞きましたが?」

「――ああ。どこに出て行ったかはまだ聞いてはいませんが。流石ですねえ、お耳が早い」

「副部長さんは部長さんとはリングの交換はなさらないんですかい?」


 パトリシアの視線がスナック菓子を摘まむサランの右手に注目している。そこにはいつも通り、サラン自身のリングが嵌められている。

 気持ちが少し波だったのを感じつつも、サランはそのまま続けてかりこりとスナック菓子をかじった。


「うちとワニブチはそういった好いた腫れたの仲ではないんで」

「なるほど、というわけですかい」

「仰る意味がわかりかねますが、まるで百五十年くらい昔の少女小説じみたリリカルな習慣はくすぐったくてうちらには似合わねえっていうだけの話ですよう。――ま、そんな小説を書いてるやつもうちにははいるんすが」

「沙唯先生ですね。あの人の書くものはいい。あーしはこのような人様のスキャンダルを嗅ぎまわる卑しいワルキューレでござんすが、あの人の書くものを読むとなんつうかこう……枯れはてたと思っていた乙女心っつうのが息を吹き返す心地がいたしまさァ。いや全く柄にも無ェ話で」


 ケセンヌマさんといい妙なところに妙な隠れファンがいるなシャー・ユイのやつ……と、些細な事に驚きながら、サランはパトリシアの出方を伺う。

 という言い回しに、サランを挑発する意思を感じ取ったためだ。

 ゴシップ誌のエース記者であるパトリシアは、おそらくサランが恋愛を好まないことを抑えている。であるからこそあのような皮肉をまぶした言い回しをする。そこを突いてなんらかの感情を引き出そうとしている。


「部長さんはもう文章はお書きにならないんで?」


 この発言もそういったジャブの一つだろう。


「編集に専念すると申してますよう。創作より性にあってるらしいんで。──ワニブチが創作していたことをよくご存知ですねえ、ゲルラ先輩?」

「あーしが入学して以降『ヴァルハラ通信』さんは毎号かかさず目を通させていただいとりやすんで。こうみえて愛読者なんですよ。――しかし部長さんのあの瑞々しい文章をもう読めないてェのは残念だ。河原でキャッチボールをする幼馴染をただ見つめる女の子が出てくる掌編があったでしょう? あれが特に良かった。シモクのお嬢様のお書きになった小説よりよっぽどあーしの胸を打ちましたよ」

「それを既にお読みなら、お察しいただけるんじゃないですかねえ?」


 パトリシアはにっと笑って自分でもスナック菓子をかりこりとかじった。


「……あまり警戒せんでくださいよ。誰と誰がくっついただ離れただ、民間呪術師に心臓えぐられそうになっても他人様の惚れた腫れたを追いかけるのがやめられない、ヤクザな性分が出ただけでさァ」

「はあ。──なんでもいいですけどなんでまたそういう不自然な喋り方なさるんですか、ゲルラ先輩は? 何キャラなんですかあ、それ?」

「ゴシップなんぞ追いかけ回してると見る必要ないものを見ちまうこともありゃあ、ワルキューレの癖に可愛くねえゲスなガキだと大人から扱われることもある、そういった諸々で精神がスレちまいましてねェ。気づけばこんな喋り方をするようになっちまいやした」


 にっ、とパトリシアは笑う。作ったキャラを突いて恥ずかしがらそうとしてもそうはいかないぞ、という笑みだとサランは理解する。

 十四才も数年過ぎれば、面の皮も多少は厚くなるらしい。


「副部長さん、あんたなかなか可愛らしい顔をして人の弱点を抉る角度がシャープでいい。ゼロ距離でブッさしてくるエグい根性もあーし好みだ。流石シモクツチカを本気でキレさせた二人目の女なだけはある」


 ツチカの名前を出されてサランの表情に変化が出てしまう。パトリシアにカウンターを返された形になった。

 防御の姿勢を取る前に、にたっと笑ったパトリシアは追撃する。


「副部長さん、あんた先だってうちのメジロに愉快なお話を吹き込んでくださったみてェじゃねェですかい。レディハンマーヘッドの背後にはワルキューレ産業に群がるの大人たちが絡んだ陰謀が動いてるだなんだっていう。――いや全く流石の文芸部さんだ、いかにもありそうでなさそうな際どい線のストーリーを拵えるのが巧みでいらっしゃる」

「……っ。お褒めにあずかりどうもです」


 パトリシアのニヤニヤ笑いで数日前にタイガにレディハンマーヘッドの正体を明かした日のことが思い出される。あの日の自分はいっちょまえにワルぶったりして今思うと相当だった……と、サランが恥ずかしさに身悶えする結果になってしまった。ものの見事な返り討ちだった。


 そして、目の前にいるヌメヌメした質感の先輩は懲罰出撃から生還してきた強者だと警戒心を強める。それにしても、だ。


「……トラ子のやつ……っ、誰にも言うなって言ったのに……!」

「おっと、メジロの名誉の為に言っときやすがあいつはなんもバラしてはいませんぜ。悪い大人の陰謀話をちゃーんとあの大っきい胸に収めてましたさァ。……『今言うわけにはいきませんがレディハンマーヘッドの裏には陰謀が』って前置きは散々口にしていましたけどね」


 それを聞いてサランは頭を抱えた。こんなにもタイガはアホの子だったとは……。

 そういえばさっきもあの棒付きキャンディについても「詳しくは言えないが薬だ」と、自分たち二人には始終クスリを舐めていないといけないような特殊な事情があると白状するも同然な説明をよこしていた。


「ゲルラ先輩……、トラ子のやつ、新聞部に向いてないんじゃないですかあ?」

「ま、率直に申し上げまして記者には不向きでさァね。特にあーしらみたいな種類だと。取材もとの情報ポロポロ明かされちゃあおまんまの食い上げだ。下手すりゃ命もおっことしちまいかねない」

「だったらなんで置いてやってんです、あのアホの子……」

「目白児童保護育成会出身って所が気になりやしてね」


 水着の二人は一旦波打ち際ではしゃぐのはやめて、膝をついて砂を掘り始める。砂の山かお城でも造る気なのか。全く無邪気なものだ。

 かりこり、とパトリシアはスナック菓子をかじった後に答える。


「副部長さんを信用してお話するんですが、ウチの部全体で乙姫基金の洗い直しっつうちいっと面倒なキャンペーンの準備中でしてね。その過程であーしらがこうやって死にそうな目に遭いつつも納めてるカネの一部が目白保護育成会に流れてるってな筋も見えてきている」


 波打ち際の二人は山を作ることにしたらしい。二人、というよりもタイガが率先して砂の山を作り、トンネルを開通させることに夢中になっている。リリイはそれを楽しそうに見守っている。


「……あそこの二人が普通のワルキューレじゃねえっつうこたァ、副部長さんもお察しでしょう? あの飴玉一つとっても明らかだ。目白っつうところは怪しい人体実験やってるなんつう噂が百年単位でとぎれねェ病院抱えた研究機関が母体になってる団体だ。しかも北ノ方との縁戚関係もある」

「ふうん。つまりはうちらがこうやってせこせこ儲けて収めたお金の一部が人造ワルキューレを作ると称した児童虐待に使用されている恐れアリ、という訳で? ……『夕刊パシフィック』さんこそ大衆ウケのよさそうなストーリーをお作りになるのが巧みでいらっしゃいますなあ。うちらですら思い描けない物語ですよう。本にすりゃきっと売れますよう?」

「ゴシップと都市伝説はこのシマじゃあもともとあーしらの専売特許だ、言っちゃ悪いがおたくさんらと年季がちがいますよゥ」


 先ほどのカウンターの意趣返しのつもりだったが、パトリシアはニイッと笑って受け流すだけだった。

 ぬるぬるした見た目の通り、サランの攻撃がパトリシアには刺さらない。


 ふうっと息を吐いてサランは白旗を振ることにした。今の自分ではパトリシアには勝てない。勝ち目のない勝負にこだわるのは主義ではない。低レア自認のサランは自分の実力を過大評価してはいなかった。


「んで、うちをこんな所に呼びだしたほんとうの理由ってのはなんなんですかあ?」 

「いやなに。どうも副部長さんはシモクのお嬢様周りの追求をあーしらにぶん投げようって魂胆のようですから、そりゃあムシが良すぎますぜって忠告させて頂きたかっただけでさァ。さっきも言いました通り、部全体で手のかかるキャンペーンに煩わされやすんで、正直、面白がりでお気楽なゴシップガールなんぞに関わりあってる暇などありゃしません。ご期待に添えなくて申し訳ねェです」


 これはそのお詫びでさァ、とパトリシアはがさっとぱんぱんに膨らんだビニール袋を押し付ける。中は売店で買ったと思しき甘い菓子類がぎゅうぎゅうに詰まっていた。

 完敗の形になったサランは、無言でそれを受け取る。そして膝の上に突っ伏した。恥ずかしい。ああもう恥ずかしい。この島で交錯するストーリーラインを、自分は全く把握しきれていなかった。それなのに調子に乗っていた……っ。


 羞恥心からうう~っと唸るサランを見て、哀れ心を催したのかパトリシアがやや優しい声で慰める。


「ま、私怨っつううのは自分の手で晴らしてナンボですぜ。スッキリの度合いが違いまさァ」

「……ゲルラ先輩はツチカの奴に私怨をはらそうと思わないんですかあ?」

「死に体で反撃してくる根性に免じてお教えしやしょう。あーしに懲罰出撃を命じたのは撞木の筋じゃあございやせん」

「?」


 どういうことだ、と思わず顔をあげたサランを、パトリシアはにやあっと笑って迎えて流す。


「そっから先は是非ご自分でお考えなすってください。しばらくは退屈せずにすみやすぜ」

 

 そしてわざとらしくパトリシアは話を変えた。


「それにしても部長さんの文章がもう読めねェっつううのはつくづく残念な話で。あーしがそう申し上げていたとワニブチさんがご帰還遊ばしたら是非お伝えくだせェ」


 二年前、まだツチカの侍女だったジュリはいくつか短い私小説めいた掌編を発表していた。

 家族のことや小さなころの思い出をコンパクトにまとめた文章だ。パトリシアが特に好きだったと言っている文章は、幼馴染の男の子が夕暮れの河川敷で友人とキャッチボールに興じている様子を声をかけることなく見つめていた様子を綴った、さりげないものだった。


「チンピラみたいなキャラ作ってずいぶん少女趣味ですねえ、ゲルラ先輩は」

「やっぱりあーしもワルキューレの端くれ、乙女心は消すに消せないようでござんすよ。いや全くお恥ずかしい」


 やっぱりサランの攻撃はこの先輩には刺さらない。


 波打ち際ではまだメジロ姓の二人が砂遊びに興じている。トンネルが無事開通したらしい。

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