#10 ゴシップガールの目も届かぬ場所

 ◇ハーレムリポート 電子個人誌ジン版 #43◇


 予言されていた通り、成層圏の彼方からやってきた有翼巨人型甲種侵略者の侵攻から守られた世界の皆さんこんにちは、もしくはこんばんは。あるいはおはようございます。お送りするのは毎度おなじみのレディハンマーヘッドだよ。


 それにしてもいやーすごかったね! ジャッキー姐さんのライブのパワーで甲種も次元の彼方へ帰って行っちゃったね! ジャッキー姐さんをバックアップするために各地の養成校から集められた総勢四十八人の新人ちゃん達も皆可愛かったから、中継みながら新しい推しの子を見つけた読者の方もいたりする?


 でもいやーん、フカガワハーレム以外の所から推しの子を見つけちゃいやーん。浮気はダメ絶対。


 ……えっ、じゃあ前置きはいいからポロリの詳細を話せって? 前号で約束してたじゃないかって? そうだったー、ついうっかりー。


 んじゃあ以下に記すねー。いつものようにフカガワミコトを巡って火花を散らしたタツミちゃんとマコ様がビーチバレー対決をすることになったんだけど、その時によくある感じで水着が■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■で、その上にフカガワミコトが■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ったなった状態でさらに■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ってなったからもう大変だったーって話。


 流石に今回ちょーっと過激におしゃべりしすぎだったかも。流石に天下のトヨタマ家のお姫様とキタノカタの令嬢があーんな■■■■■■■■■■■■■■■なことになったことを公開しちゃったら、おっかない人たちにとっつかまっちゃってレディハンマーヘッドのお口にチャックがとりつけられちゃうかもー。


 この号が一部読めなくなっちゃったりしたら、その時はあたしのお口に何かあった時だと思ってね。












 ……なーんてね、びびった? びっくりした? 急に■■■■■■■■■■■■■■■なんて出てきたりして「検閲? 怖っ!」ってドッキリした人、安心してね。あと、あのうるさいゴシップ女もこれでお終い、ザマァってなったアンチの皆さん残念でしたー。


 ポロリ回の詳細はイラストつきで『ヴァルハラ通信』さんでお話のするからその時をお楽しみにねっ!


 それじゃあレディハンマーヘッドは怖い怖い風紀委員長さんから逃れるために今から雲隠れ〜。どろーん。



 ◇◆◇ 


 あのアマ。


 痛快、もしくは陰惨な暴力表現がウリの諸作品ではよく目にする罵倒だったけれど、実際口にしたことは一度もない。心の中ですらそんなどぎつい言葉がよぎったことすらない。


 しかしバスケットボールをぶつけられたと分かった瞬間、そして人を明らかにバカにしくさったツチカの表情を見た瞬間、その四文字が舌の上に乗ったような感触があったのだ。逆流する鼻血に翻弄されていなかったらきっと本当に口にしていたことだろう。


 医務室のベッドに仰向けに寝転がりながら、サランは思う存分心の中で悪態をついていた。あのアマあのアマあのアマあのアマ……っ!


 白いカーテンの向こうで人の気配を感じた。諸用で出ていた養護教諭が帰ってきただけかも知れないのでサランはは構わず心の中で怒りに浸る。あのアマあのアマあのア


「サメジマさん、大丈夫?」

「? ワニブチさん」


 鼻に脱脂綿がつまっているために鼻声になってしまうのが悔しい。

 カーテンの向こうで影が揺れている。不機嫌なサランはそっちに背中を向ける。


「何しにきたんだよう?」

「ツチカがやらかしてごめんねって謝りに来た」

「……だったらシモクさんをこっちに寄越すべきじゃないかなあっ」


 腹がたったのでうすい掛け布団を体に巻きつける。天井を眺めながら溜め込んでいた怒りと悔しさがなんの罪もないジュリに向けられるのを避けられない。


「ワニブチさんがシモクさんをそうやって甘やかすからダメなんだようっ」

「うん、そうだね。だから今日は流石に叱った。あれは無いって。そしたらあの子スネちゃって……。今家出中」


 家出っていうのかな、この場合? 校舎出? 学校出? と、ジュリはつまらないことにこだわった。要は学校の敷地内から出て行ったが学園島のどこかにいるのは確実だということらしい。


 怒られてスネて、家出。あの人を人とも思わないような常に半笑いで本気を出さない調子こいてるお嬢様が、怒られてスネて、家出。

 ジュリの報告で、サランの怒りがうっかり少しだけ和らいでしまった。


「シモクさんが快適に家出できそうな場所、この島にはなさそうだよう? あの人リュックサック背負って飛び出すようなができなさそうだしさあ」

「ううん、そうでもない。ツチカはわりと変な根性はある。あれで野宿とか駅のベンチで寝泊まりとか平気でやろうとするタイプだからいっつもヒヤヒヤした。お菓子の砂糖衣が熱で溶けたり虫がたかったりって程度のことで大騒ぎはしない」

「……へえー」


 爪や髪の先まで磨き上げられたようなシモクツチカと野宿のイメージが全く結びつかず、そのギャップを面白がるより先に、サランの胸にじんわり喜びが広まった。ジュリにというワードが説明せずに通じたのがしみじみ嬉しかったのだ。


「本当に好きなんだあ、『クローディアの秘密』」

「信じてくれてなかったんだ。……まあ無理もないか、あの状況じゃね」


 中に入っていい? とジュリが尋ねる。寝返りを打ってから、どうぞ、とサランが答えると、カーテンを少し開き身を滑らせるような形でジュリがベッドの傍に立った。まっすぐな髪を頭の高い位置で結んだポニーテールで形のいいフェイスラインが際立っている。二重瞼の大きな目でしっかりまっすぐひたむきにサランを見つめた。

 こうしてみると、シモクさんとはあんまり似てないな、とサランはふと思った。


「具合はどう? 相当痛かったんじゃない?」

「そりゃ痛かったよう」

「――本当にごめんね。弁解のしようもない。私が大人なら菓子折りもって平謝りしなきゃならないところだった」

「大人じゃなくても菓子折り大歓迎だよう。饅頭でも羊羹でもクッキーでもゼリーでもなんでもいいよう。でもシモクさんに持ってこさせてほしい」


 困ったようにジュリは笑った。表情と雰囲気が少し緩んだ。でもそれは、サランの言うことは面白がってくれてはいるが、ツチカに菓子折りを持ってこさせることの困難さを想像するだけで気が重い、そんな複雑な笑みだった。

 そんなジュリの表情と、ファンの女の子たちを追っ払えとツチカに命じられたジュリがため息をつきながらも従ったその様子が頭の中で重なる。


「――ワニブチさんて、今までシモクさんがなんかやらかすたびにこうやって謝りにいってたの?」


 ジュリは少し間を置いた。そして大きな目をわざとらしく見開いて、これから言うことは冗談ですよ、というようなややおどけた顔をつくる。


「私が大人だったら菓子折代で破産してたかもね。子供でよかった」

「ふーん……」

 

 大変だね、と言おうとしたけれどサランは飲み込んだ。今の段階ではそこまで言うのは踏み込みすぎの立ち入りすぎのような気がして躊躇われたのだ。


 思えばジュリがツチカと対等ではないと気づいたのはいつごろだろう。


 上流階級の子女が通うことで有名な小学校の同窓だったということで、キタノカタマコの侍女が時折ツチカに言伝を運びに文化部棟の文芸部室にまで姿をみせにくる。いついつにナントカ会の集まりがあるとか、カントカ会の文集に載せる作文を提出せよとか、そういうことをリングを使わずにわざわざ口頭で伝えにくるのだ。

 それに対応するのがいつもジュリだった。無個性な髪形と無表情で統一されたキタノカタマコの侍女をうるさげに一瞥すると、ツチカは傍らにいるジュリに伝える。ナントカ会には欠席する、文集の作文は期日までに仕上げる、等。それを聞くとジュリは侍女の元に近づき言われたことを伝える。キタノカタマコの侍女はそれを聞くと表情を変えずにするするとした足取りで文化部棟を後にする。文化部棟などに長居などしたくなさそうに。


 なるほど、これが二人がだったってやつか。


 入学したてのころにひそひそと囁かれていた噂話に納得したサランは、その時はまだシンプル考えていた。

 

 直接対応すりゃあいいのに。お嬢様ってのは面倒だなあ。


 だがそのうち、キタノカタマコが直接わざわざ文化部棟にまで出向くことがないかわりに侍女が直接やってくること、その侍女と対応するのがツチカではなく専らジュリであることに「ん?」とならざるを得なくなる。


 キタノカタマコと彼女の周囲に控える侍女にはある種の上下関係があるのは明らかだ。キタノカタマコの侍女はまるで定められたがごとく髪形や制服の着こなしをを整え居住まいを正し、口元を扇子で隠している主人の命を待っている。

 反対に、ツチカとジュリは一見は対等だ。似たような制服の着崩し方をしてお互いを名前で呼び合っている。時には冗談で笑いあう。それでも、キタノカタマコの侍女が言伝にきたときに対応するのは当たり前のようにジュリなのだ。そもそもキタノカタマコの侍女もツチカではなく、ジュリに直接声をかけることが多い。「シモクさんにお話があります」と。まるで自分からツチカに直接声をかけるのは恐れ多いと言わんばかりに。


 それらの点を考慮し出た結論は、ジュリはツチカの侍女であるということだ。ツチカにとってジュリは、キタノカタマコにとってのあの無個性な侍女と同じ存在である。

 それに気づいた瞬間、サランは亜熱帯の島にいるというのにすうっと寒くなった。比較的呑気で平和な一帯で育ったサランは、生まれ持って人は平等であると教わってきたのだから。


「サメジマさんって、どこの出身?」


 ベッドの傍の椅子に座って、ジュリが尋ねた。出し惜しみしてもしかたがないのでサランは米作が盛んな平野の中央にある地方都市の郊外であると明かす。いつ何が起きるかわからないこのご時世、旧日本自治州の人間が飢えることがないようにという政府の方針で管理運営された延々広がる広大な農地で有名な一帯だった。


「ああ。景色が奇麗でお水が美味しい良いところだね。お家があるエリアがそこだとしたらご両親はお役人さん?」

「んーまあ、そういうことになるのかなあ」

「お勤め先は農水省関係?」

「? いや普通に二人とも市役所職員だけど」

 

 いきなり親の職業を聞かれて目を丸くしたサランの表情をみて、なぜかジュリの方が酷く驚いた顔つきになった。その後、ジュリの顔がさあっと紅潮した。そのあと狼狽えたように視線を逸らす。

 そんな表情の変化をみて戸惑うのはサランの方だった。まるで人前で失敗した人のようだったから。


 同級生の親の勤め先を間違えたことってそんなに恥ずかしいことだろうか? 

 

 疑問に思うサランの前でとりつくろうようにジュリは少し頭を振って話をつづけた。自分の出身地は、かつて京浜工業地帯と呼ばれたあたりにあると言った。それを聞いて頭に浮かぶのは様々なメディアで目にする、まぶしくてものものしい工場群だ。サランの出身地では目にしないものだ。


「実家はね、鰐淵製作所っていう町工場。創業は昭和で平成不況も辛うじて乗り切って、今はシモクインダストリアルとのお付き合いでワンド製作に必要な道具や機材なんかを作ってる。世の中がワルキューレを必要とする間は家はきっと安泰。外世界の侵略者さまさまってやつ」


 外世界の侵略者を倒すワルキューレの学校内では不謹慎な冗談を口にして、ジュリはぺろっと舌を出した。それを見てサランも笑いながら、ジュリにどう返していいのかわからずに戸惑う。

 どうしてジュリはサランに対し、こんなに立ち入った話をするのだろうという不審に思う気持ちがまた表情に出てしまったのか、サランの顔をみてジュリは微笑んだ。


「サメジマさん、私たちの方をよくじーっと見てたじゃない。キタノカタさんのお取り巻きがお見えになる度ツチカが相手しないのは変だって表情になって。眉間にこーんなにしわ寄せて」

「……ああ~、バレてたんだあ」

「バレバレだったよ。首まで傾げてる時があった」


 その時のサランの顔マネをしてからジュリはおかしそうに笑った。自分はそんな表情をしているのかと突き付けられてサランも照れ笑いをする。ヒヒヒ~と敢えて滑稽な、あなたに敵意はありませんよという笑顔をつくる。

 四月に知り合い同じ部活動で活動しているという関係でしかないのに、ジュリは腹を割った話をしようとしている。サランは内心大いに戸惑っていたが、そうやっておどけて笑うことでそれを腹に封じたのだ。

 それで安心したような顔になり、ジュリは打ち明ける。背筋をぴんと伸ばして、膝の上に手をそろえて。ひたむきにまっすぐ真面目にサランを見つめる。


「菓子折りの代わりになるかどうかわからないけど、お詫びに教えてあげる。どうして私がツチカと一緒にいることになったのか」





「……う~ん……」

 

 ジャクリーン・W・スペンサーのバックコーラスメンバーとしての出撃を終え、無事帰還したメジロリリイは再び文芸部に顔を出すようになった。入れ替わりにメジロタイガに出撃要請がかかったらしい。リリイの左手薬指にこれ見よがしなリングがはまっていることでサランは判断した。

 不埒なふるまいに出たことはまだ許してやらないが、タイガの出禁を解いてやらないままだったのは流石に悔やまれた。あのどこまでもアホみたいな顔を前に、気をつけろよ、とか、チームリーダーの命令をよく聞くんだぞ、とか、当たり前でありきたりの声をかけてやりたかったのだ。だってあいつはアホの子だから。アホの子の癖にいっちょまえに死を覚悟したようなことを言いだしたりさえしたのだから。


 リリイがいることで文芸部内の空気がいささか緊張しているが、当人はいつものごとくお構いなしで、棒付きキャンディを舐めながら『ヴァルハラ通信』を捲っている。左手を振って、ここ最近の電子版『ハーレムリポート』も冊子の形で表示させる。

 いつもはなにか底意を感じさせる笑顔のみ浮かべているリリイが、珍しく真剣に、ちょっと不本意そうに首を傾げて唸っているから、サランは純粋に気になった。


「どうした、リリ子? お前が部誌を捲ってるなんて珍しいなあ」


 リリイは平然と無視をした。無視どころか、サランに対して背中を向けさえする。そうしてわかりやすく敵意をむき出しにする。


 出撃から帰還して、珍しく打って変わってジャクリーンの大型甲種掃討作戦ライブに参加した記念にもらったというグッズの類を文芸部メンバーに配りながら、サランの順番になると「……すいませえん、もうなくなっちゃいましたあ」とやった所からサランはまたこの面倒な後輩の機嫌を損ねたのだと察したのだった。


 原因は一つしかない。タイガがサランに対してちょっかいを出したことにスネているのだろう。あのアホの子は、リリイのリングがはまった左手でサランの目じりを拭ったりした。リリイの性格上、その場に残されるタイガの左手にはめるリングにスパイウェアの類をしこまないはずが無い。


 別にジャクリーンのライブTシャツだのサイリウムだの大して美味しくないお菓子だのが自分だけもらえなかったことなど痛くも痒くもないのだが、タイガが勝手にやったことでじっとりねちねちした悪意を向けられるのはあまり愉快ではない。

 帰還してからサランにだけ口をきくまいとしているリリイへ、何度目かの声をかける。


「リリ子、お前はあれかあ。パートナーが浮気した場合、浮気した本人じゃなくて浮気相手に怒りが向かうタイプかあ?」


 ぴく、とリリイの背中が反応する。それどころか文芸部内の空気までちょっと気まずいものになる。

 サランの向かいに座るシャー・ユイが、視線で「露骨だ」と注意する。しかし、それは狙ってやっていることだ。サランはリリイを土俵に引っ張りあげたかった。このまま陰気な嫌がらせを受け続けるのは鬱陶しくて気詰まりだ。それにこっちの言い分も通しておきたい。


「お前が帰ってきてからずーっと言ってきてるけど、ちょっかいをかけたのはトラ子でうちじゃないよう。その不機嫌、うちじゃなく直接トラ子にぶつけろよなあ」

 

 サメジマ、とジュリまで小声で注意してくる。気を遣ってやれ、と言うことらしい。でもサランは無視をする。


「ひょっとしてあれか、トラ子はああ見えて気が多くて手の早いやつなのか? だったらお前も苦労するなあ」


 サメジマっ、とジュリの注意が大きくなる。

 性根が歪んで陰湿で皆持て余しがちな食客なのに、リリイがタイガがらみで沈んだ表情を見せた時は文芸部員は一様にそっと気を遣うようになっていた。普段の陰険陰湿ぶりからは想像もつかない今にも泣きそうな幼い表情をみせるせいだろう。 好きな相手に振り向いてもらえない、蔑ろにされるという境遇への共感が、一時的に文芸部員を緩く結束させるようでもある。


 しかし、サランはその連帯の外にいた。タイガに一方的ににちょっかいをかけられて不愉快な目にあったこともあるし、そもそもサランには「好きな相手にふりむいてもらえない」なんて湿っぽい感情と無縁だったから。何せ、好きな相手そのものがいたためしがないのだから。

 故にリリイの悲しみなど忖度せずに(忖度してたまるかという気持ちもある)、ぐいぐいと切り込み、抉ってゆく。


「あんなアホの子と一緒にいると苦労するところもあるだろうけどな、あれと婚約エンゲージ中なら中でちゃんと躾けとけよう。あんな調子だとあいつそのうち何かやらかすぞ?」


 リングに反応があったのでさっと視線を滑らせる。ジュリからの白い一筆箋が表示されている。中を開くと走り書きですら美しいジュリの達筆で一文が認められていた。ただし中身はえげつない。

 「本妻に説教する二号があるか!」というジュリからのメッセージを読み、カチンのきたサランは白猫キャラのメモ帳を表示させてマーカーで「二号じゃねえし!」と殴り書いて返信。大体、誰が、誰の、二号だ。

 そんな思いを込めてジュリを睨みながら、サランはリリイへ声をかけ続ける。


「まあどうせ、あのアホの子のことだから深い考えなしにやったことだろうなってことくらい想像はつくから、妙な考えおこしてネチネチ鬱陶しい嫌がらせするんじゃ――」

「……わかってます」

「あ、何?」


 ふりむくと、リリイの背中は小刻みに震えていた。人体がこういう反応を示すときは大体怒り出すか泣きだすかだと、サランは知っていた。

 やべえ、やりすぎたか! と慌てるサランに向けて、リリイが体ごとぐるりとサランへ向ける。その勢いが激しくて、サランは思わずのけぞった。


「……深い考えがないからこそいっつもいっつも、困ってるんですう~っ」


 その顔面が、サランにだけ時折見せる般若めいたすさまじい表情になっている。それにサランは圧倒され、椅子ごと後ずさった。構わずリリイは般若の形相でサランに詰め寄る。


「たーちゃんはいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつも、いいいいいっっっつも、施設にいた時からずーっとずーっとずーっとずーっとずうううーっと、手がとんでもなく早いんですう~。キューンときたらすぐ誰かれ構わず手を出しちゃう子なんですう! 条件反射みたいなもんなんですっっ! キュン・即・斬! みたいな感じなんですぅ!」

「ざ、斬……?」


 般若の顔のリリイに気おされてサランがじりじりと後方へ退いた。お前よくそんな二千年紀ミレニアムに流行った少年漫画由来のセリフ知ってるな、そんなキャラじゃないのにとツッコむ余裕もなかった。

 しかし何故か、他の文芸部員たちが引くサランとは反対にぐっと前のめりになる。ジュリまで伊達メガネをきらりと光らせてするどく尋ねる。


「メジロ妹、その場合の〝斬″はどこからどこまでが含まれるっ?」

「『お前可愛いな』って手を握る所から目を見つめて『オレがお前のことを守ってやる』って言う所までですぅ~」

「それ以上のことはっ?」

「私の知ってる範囲ではありませえんっ。手が早い癖に照れちゃってそこから先へはいけない子なんですぅ〜っ」


 過去の辛いことでも思い出したのか、リリイはうわああんと演技がかった泣き声をあげて机の上に突っ伏した。

 しかし周りにいた文芸部員たちはあからさまにがっかりしていた。『手が早い』という所からもうちょっときわどい、艶っぽい行いを期待していたのだろう。なーんだ、という空気が作業机の周りに漂いだし、前のめりになった部員たちは白けた空気でおのおのの席に戻った。

 サランはその空気に対して呆れていた。おいおい、とツッコミを入れたくなる。

 

 メジロタイガは胸はでかいがまだまだ子供だぞ。十四にも満たない奴だぞ?

 ……ああでもシモクのやつは十三でとんでもない大スキャンダルをやらかしていたんだっけか……。


 その気配を察したのか、リリイががばっと顔を起こして文芸部員たちを恨みがましい顔つきで睨む。


「……今どうせ、『その程度?』ってお思いましたよねえっ。子供のままごとじゃないかって思いましたよねえっ。でも私たちがいた施設ではそれだけで百発百中だったんですうっ。みんな寂しくて不安で孤独だから、周りから邪険にされてきて汚くて不潔で可愛いなんて一度も言われたことが無い子ばかりだから、それだけでみんなたーちゃんにコロっと参っちゃうんですうぅっ。私だってそれで、そこから、私、ずーっとずーっとずーっとずうううっとおおおおお……っ」


 感情の堰が壊れたのか、リリイは目からぽろぽろ涙をこぼし、机の上に突っ伏した。たーちゃんのバカああっ! と喚きながらの大号泣だ。

 あまりのことに文芸部員たちはおろおろと立ち上がり、温かくて甘い飲み物を用意してやったりお菓子を用意したりと場当たり的な行動をとる。サランは怖い顔のシャー・ユイに指示されてリリイの背中をさすり始めた。


「あ、ああー、リリ子、落ち着け? なっ? 何か知らないがお前も苦労してきたんだなっ? 大変だったなっ? うん」

「……大変なんてもんじゃありませんでしたあっ。……どいつもこいつも後から来たヤツがわが物顔でたーちゃんの隣に座ろうとして、私からたーちゃんを引きはがそうとして、身の程知らずにもたーちゃんの一番になろうとしてぇ……っ」


 机につっぷしたまま漏れる声が不穏な様相を帯びる。ひょっとして施設にいた子供の一人や二人をどうにかしてきたんじゃないかコイツ、とサランは一瞬恐怖にかられる。

 とりあえず場の空気を和ませるためにサランは明るく言い放ってみた。


「全く本当に、トラ子のやつはやっぱアホの子だなあっ。リリ子もいつまでもそんな不誠実でケダモノじみたやつに縛れることないんじゃないかなあっ。ほらよくみてみろ、この学校トラ子なんかよりきれいなやつも可愛いやつも山ほどいるぞっ。周りに目を向けて――」

「いません」


 いやにはっきりリリイは言い切る。机に突っ伏していた顔を横に向け、そこからぎんっとサランを睨む。般若顔とはタイプはことなるが、静かで感情を純化させた凄絶美が漂う鬼女めいた表情だった。ヒッとサランは再び後ずさる。


「私にとってたーちゃんが一番なんです。一番、格好良くて強くて可愛い女の子なんです。たーちゃんが一番なんです。誰もたーちゃんの代わりなんてつとまりません」

「――そ、そうか。うん」

「大体、客観的な容姿なら私自身がそこいらのワルキューレより優っています。私以下のワルキューレがたーちゃんの代わりになるなんてことは絶対ありえませんから!」

「わ、分かった分かった。悪かった悪かった」


 そこまで言い切られてはサランも言い返せなかった。言い返す必要もないと思った。

 サランの中のメジロタイガはとりあえず、新聞部員のくせに語彙が貧困で荒唐無稽なギャルドラマに夢中になるようなただのアホの子だ。馴れ馴れしくしたときだってタイガはニヤニヤして完全にアホ全開だった。だが、リリイの語るタイガはまるで演劇部の男役のように凛々しく美化されている。記憶を綺麗に塗り替えているのではないかとサランは半分決めつけにかかるが、それくらいリリイにとってタイガが代替のきかない大切な存在である、ということなのだろう。その一点は汲むことにした。きっと二人が過ごしていた施設時代に特別な何かがあったのだ。


 感情が高ぶりすぎたのか、リリイは突然けたたましく咳をした。

 血を吐くようなはげしい咳だったため、文芸部員たちは一様にまたびくっと肩を震わせたが、当のリリイは一人おちついて体をむっくり起こし、右手でつまんでいた棒付きキャンディを口元に運ぶ。

 やっぱり口に入れてコロコロ転がすようなことはせず、舌をのぞかせて思わせぶりにキャンディの球を舐る。赤くなった目元で憮然とした表情のリリイがむすっとした顔つきでキャンディを舐める様子は、小動物のグルーミングを連想させた。


 キャンディを舐めていて気が静まったのか、しばらくしてからリリイはいつもの底意の見えない仮面のような微笑みを突然浮かべる。四月までの合唱部時代、ソロアイドルとして注目されていた頃を思わせる完璧な笑顔だった。


「お見苦しい所をお見せしちゃいましたあ」

「……お、おう」


 代表してサランが答えた。

 そして、リリイがこの笑顔の仮面と華奢な身体に封じ込んでいる経歴の過酷さと様々な感情の厚みを想像して少し辛くなる。


 無理してこんな風に笑わずに、さっきみたいに気持ちを前に出してりゃあいいのに。せめて、今、リングを預けているトラ子の半分くらい。



 中庭からはまだバドミントンに興じている初等部二年生の声が聞こえる。


 バドミントンブームをもたらしたタイガの出撃先は中米だとリリイから聞かされていた。タイガにとっては行きなれた出撃先で、地元の人々からピューマ憑きヴァルキュリャだの小娘ハリケーンだの威勢のいい仇名を貰っていたりするらしい。

 地元ゲリラやマフィアと人型侵略者ががっちり手を結んでいることが珍しくもない中南米エリアはベテランワルキューレでも出撃を渋るような面倒な一帯であるにもかかわらず、タイガは自ら志願し地元の人々から仇名を頂戴する程度の出撃をこなした上大した負傷もすることなく無事生還している。ということはつまり、初等部二年にしてかなり戦力になるワルキューレであるということだ。


 それでもあんまり心配かけてやるなよう、おまえアホの子なんだから。


 さっきの感情の決壊をなかったことにするように、ここ最近の『ハーレムリポート』を捲りながら一体何が不満なのか何度も首を傾げるリリイの顔を眺めながら、サランはここにはいないタイガへ呼びかけた。





「……二号はないよう、二号は!」


 真っ赤な夕日に照らされた宿舎までの道をジュリと連れ立って歩きながら、今日のことをサランはぷりぷりとジュリへ怒って抗議する。


「うちは一方的にトラ子に手を出されただけなのに、なんで愛人扱いなんだよう! それもよりにもよってあのアホの子の! 屈辱だよう!」

「すまない、本当に悪かった。気が急いて言葉が選べなかったんだ」


 ジュリはサランへ手を合わせて謝る。それでもサランは気が収まらない。頬を膨らませて怒る。


「大体、ジュリも二年坊主の色恋に食いつきすぎだよう! なんだよ、『その場合の〝斬″はどこからどこまでが含まれるっ?』って。フカガワハーレムの話でもないのに、がっついてどうするんだよう⁉」

「あー、悪かった悪かった。僕の悪い癖が出た。もう一度謝るから許してくれ、出ないとまた夜に眠れなくなる」


 今度のジュリは本気で恥ずかしそうだった。夕日に照らされているのとは違う意味で、頬が赤く染まっている。きまり悪さをごまかすためか、伊達メガネの位置を直す。


「……昔からの習慣なんだよ。どこの誰がどういう関係なのか、誰と誰が仲がよくて誰と誰が敵対しているのかそれを把握しておくのが。そうしないといつ足元を掬われるか分からなかった」


 昔、とは、ツチカといた頃のことを指すとサランは察したが触れはしない。お嬢様の侍女はやることが多くて大変そうだな、それ以前に過酷な子供時代を過ごしてたんだなワニブチも、と心の中で思うだけに留める。


 人をまっすぐひたと見つめる、大きな眼の力が尋常でないワニブチジュリ。

 

 いつも人をコバカにしてかかるシモクツチカとは違い、ジュリはまっすぐ背を伸ばし前をまっすぐにみているとどこか張り詰めた風情が出ていた。向かい合う人間に緊張を強いるような、ツチカとは別の意味で挑むような視線だ。

 文芸部にいる時、そしてツチカの親友としている時は幾分リラックスはしていたけれど、授業中や演習中、キタノカタマコの使者と対峙するときは常にぴんと気を張り詰めさせていた。


 いつも本気を出さずにふざけているツチカは軟派、胸元に刃を潜ませているようにぴんと張り詰めているジュリは硬派だとみなされていた。


 そんな硬派なジュリが、他人の色恋にやたら機敏に反応するということに気づいたのは文芸部部長に就任してからのことだった。特に言いふらしはしないが、ワルキューレたちのリングの位置をすかさずチェックし、誰と誰が婚約エンゲージ中か婚姻マリッジ中か、はたまたそれを解消しているかをしっかり把握しているのだ。

 そのころにはもうジュリは髪をばっさり切って伊達メガネをかける今のスタイルだったから、親友の以外と俗っぽい習性にサランは驚かされたものだ。だから当初は「ハーレムリポート」だってジュリの趣味で掲載を決定したのではないかと疑った程だった。


 伊達メガネの位置を直したジュリは、おどけたような声を出す。


「まあ、僕も十四だからな。助平な話には少なからず興味が湧くさ。しかもこんな離れ小島にいるんだから飢えもする」

「だからってあいつらに食いつくことはないよう。飢えすぎだよう」

「それもそうだな、全くサメジマの言う通りだ。やっぱり今日もまたのたうち回って眠れなくなるな。やれやれ今日も寝不足だ」


 むうっと膨れてみせるサランをみてジュリは明るく笑った。さっき感じた本気の恥ずかしさをもう押し流したようだ。


 むくれていたサランもその笑い声にあわせ、口をの両端を左右に引いてヒヒヒ~、と笑う。

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