#8 ゴシップガールとのファーストコンタクト

 ◇ハーレムリポート 出張版 vol.3(掲載版)◇


 はい、というわけで始まりました『ハーレムリポート』出張版。

 お送りするのはあたし、思わぬ所で古い知り合いに出会ってびっくりしたばっかりのレディハンマーヘッドだよ。春は出会いと別れの季節だなんて言うけど再会の季節でもあるのかな?

 つってもこの島じゃあ春夏秋冬なんて詩歌で接するだけのものだけど、ホラ、あたし北半球育ちだから。


 (中略)


 じゃあさっそく四月のフカガワハーレムの様子なんだけど、電子版を既にお読みのことはご存じの通り、どこかの誰かの無責任なおしゃべりのせいでフカガワハーレムのメンバーになったら特級ワルキューレになれるなんて噂が駆け巡っちゃったもんだからフカガワミコトは打像未曾有のワルキューレに追いかけまわされる羽目になったことから始まる騒動をお話しようかな~? その前にまず、そのどこかの誰かって誰なんだって話になるんだけど、誰なんだろうね~?


 (中略)


 学園島にいらっしゃる偉い方々御用達のお料理屋さんからお金にものを言わせて取り寄せた高級料理によってノコちゃんを味方に引き入れたマコ様が悠々とフカガワミコトを独り占めしていた時に(その間完全に人払いをされていた密室で星ヶ峰茶寮の松花堂弁当を食べた後何をなさってたかはわかんなーい。何かな〜? お勉強かな〜? トランプかな〜? それとも他の大切なお話かな〜?)に、タツミちゃんとカグラちゃんは本丸到達、そこで始まるマコ様とのワルキューレ一騎打ち。あたり一帯破壊したその結果は学園長の一括でまーるく治ったっていうのは電子版の方で書いた通り。……ごめーん、内容被っちゃってごめーん。



 ともあれその結果、今は生徒会室のある委員会棟は改築中。フカガワミコトがやってきてからこの学園はつねにいつもどこがが工事中。ま、原因のほとんどはトヨタマタツミちゃんの短気さにあるんだけどね~。すーぐワンド持ち出してブンブン斬撃放つんだもん。


 成績優秀、戦闘力も文句なしに高め、あのマコ様押えてトップに立つ首席ワルキューレなのにどうしてこんなに短気なのかなって先生方も頭を抱えていらっしゃるみたい。レディハンマーヘッド的にも素直になれないところがとってもかわいい正統派正ヒロイン・タツミちゃんの人気が上がらなくて頭をなやませ中。だってタツミちゃんの所業を正直に報告するとそうなっちゃうんだもん。


 でも本当にいい子なんだよ、タツミちゃんはっ……困ってる子をみると助けてあげずにはいられないような所があるんだから。


 タツミちゃん、新入生総代にもかかわらずオリエンテーションに大遅刻してきたって伝説があるんだけど、その理由なんて海辺での朝練中に演習場に迷い込んできたはいいけれど方向感覚を失って海に戻れなくなってきたウミガメを帰してきたためだっていうんだから、優しくない? 超優しくない? 竜宮城からのお誘いうけちゃんじゃない?

 

 ◇◆◇


 悔しいことに、初めて文芸部の部室に足を踏み入れた時のことをサランはよく覚えている。


 開いたドアからおそるおそる部室の中を覗き込み「失礼します」と声をかけたのにあわせて、窓の外を眺め何かを語り合っていたらしい二人が反応してこっちを向いた、あの瞬間のことを。


 程よい風が吹いている日だったからか窓は開け放たれていた。潮の匂いを孕んだ風が窓に吊るされたウィンドチャイムを鳴らした。

 逆光の中では少女たちの異様に力強い二組の双眸だけが目立ち、サランは一瞬射抜かれた心地がする。その後で二人のシルエットを把握したためか、脳が一瞬、おかしな錯覚をした。


 別世界の人間がいる。


 目が慣れるにつれて、窓辺にいる二人があのオリエンテーション時に講堂の後ろ側にいた二人組、特に毛先がゆるく波打ったロングヘアの方は校長のスピーチで一人爆笑していたシモクインダストリアルの令嬢だと判り内心かなり驚いた。

 生物学的には二人はこの世界の人類に違いない筈だが、運良く呑気で平和な町に生まれ育ったサランにとってはある意味別世界から来た二人だと言えなくもない。


 二人はサランを一通り見つめたあと、興味を失くしたらしくまた窓の向こうに視線を戻した。令嬢の方はそれっきりサランのことなど忘れてしまったような対応だったが、ポニーテールの方は視線を逸らす際にちょっとだけサランに対して目礼してみせた。

 

 それがサランとツチカ、そしてジュリが初めてお互い同士を認識した瞬間の全てである。



 新入生の前で不適切な発言をしたという理由で学園長が三ヶ月の減俸をくらったというお知らせとともに、各部活の勧誘チラシがメールボックスに投げ込まれるようになった四月の中旬。まだうまく使いこなせないリング型端末からこのワルキューレのみが接続できる拡張現実上にあるクラブ案内に目を通した。


 ワルキューレの養成学校に部活があると初めて知った時は随分変な気がしたけれど、各々の部活ごとにデザインが凝らされた賑やかで楽しげなチラシには十二年と数か月生きてきただけのサランを高揚させる力があった。面倒な体育会系の部活は遠慮したいが、文化系の部活にはちょっと興味がわいた。

 これまで本と物語が主なお友達だったサランは当然のように文芸部を覗いてみる気になる。


 初等部校舎から渡り廊下でつながった外見上は特に何の変哲も無い白い外壁の四角い建物が、文化系部活の部室が集められた文化部棟だという。新入生獲得のためか、壁のあちこちにチラシがはられ文化部棟全体に重ねられた拡張現実上にもさまざまな落書きが施された様子はお祭りのように賑やかだ。階段を上って二階にある文芸部の入り口からおそるおそる中をのぞきこみ、声をかけたのだった。


 失礼します、と、芸の無い一言を。



「……」

 

 椅子をいくつか並べた上に、サランは寝転がって本を読んでいた。紫外線防止処理を施したガラス扉の中でも経年劣化はどうしても免れず、日に焼けた濃いピンク色の背表紙をもった文庫本だ。

 

 ツチカの置き土産だ。


 日に焼けて茶色に変色した紙から甘い匂いのする文庫本の中で、文字が語る物語は甘いだけではない恋や愛の世界を取り扱っていた。お酒や香水、夜の街を思わせるアスファルトやガソリンを思わせる香りがしたり、体液めいた塩気を感じさせたり、体に触れる肌の気配を感じさせる、そんな小説。


 二千年紀ミレニアムより少し前、バブル期と呼ばれた時代の少女たちが放課後に主に恋や愛にまつわる大人の世界を垣間見るという小説。

 早く大人になりたいと背伸びをする少女たちの小説。


「……」


 寝ころびながらサランは足を組み替えた。器用に寝返りも打つ。ぎしぎしと椅子が軋む。そんなサランをジュリは雑コーヒーを飲みながら眺めている。

 癇性にサランは椅子の上で体をゆすり、パラパラと本のページをめくり、最終的に「うらあっ!」と叫んでバタンと本を閉じ、むっくりと体を起こす。その顔はこれ以上ない仏頂面だった。


「……どうだった? 今日は最後まで読み通せたか?」


 この文庫本を読むとサランが常に不機嫌になることを知っているジュリは、出来上がったばかりの『ヴァルハラ通信』最新号をぱらぱらめくりながら尋ねる。


「ワニブチ、この当時でも飲酒喫煙は二十歳をこえてからだったよな?」

「ああ」

「じゃあなんでこいつらは平気で酒場で酒飲んで平然と夜遊びしてるんだっ? 高校生だぞっ」

「平然とはしていないだろう? 少なくとも主人公はそういった世界に足を踏み入れることに最初は戸惑っている」

「でもそのうち慣れていくだろ、慣れていっていい女になった風な結末になってるだろっ?」

「大人の言いつけをよく守る良い子はダサく禁忌と戯れるのが粋であり大人だという価値観は普遍的なものだが、それが一層強かった時代の小説だからじゃないか?」

 

 ジュリはサランがどうしても読み通せないこの小説を既に読んでいるらしく、淡々と答える。


「その小説に書かれていることなんて可愛いものじゃないか。クラスの外にいるような女友達の体験を聞く、香水を纏う、無理して履きなれないハイヒールをはいて足を痛めながらしゃれた酒場でカクテルを飲む、その結果人として魅力が増して恋人を得る、そういう流れなんだから教育的だと言えるしさらにいうなら道徳的だぞ。もっと時代が遡るとエリート学生が留学先で現地の娘を妊娠させたりするんだから」

「近代文学を引っ張り出すのはナシだようっ! それにうちは別に登場人物の素行を責めたいわけじゃなくて……っ、風紀委員みたいになりたいわけじゃなくて……っ」

 

 言いたいことが言葉にならなくて、うう~っと唸りながら椅子の上で膝を抱える。

 はっきり言ってサランはこの小説が嫌いだ。ツチカが愛読していた古い小説。これを読むと、何かというとサランのことを子供だなんだとバカにしたツチカの声が蘇る。そして白猫キャラクターのマグカップで甘ったるくした雑コーヒーをすするのが好きなサランをコバカにするような価値観をツチカが育んだ経緯がわかりすぎて、その幼さ浅はかさに胸がいらいらざわざわするのだ。


 サランの頭には部室でこの文庫本を読んでいたツチカの姿が残像のようにこびりついている。

 壁にもたれ、あるいは椅子に座って机に頬杖ついて、片手で文庫本を持ちながら文字を追うツチカの姿は悔しいが様になっていた。いつも挑発的だった表情が真剣で一途なものに見える。

 

 やっぱりこいつはうちらとは何かが違う。


 お子様だ、ミノムシだなんたどからかわれて心底ムカついても、サランはツチカの別世界からきた人間のようなたたずまいや実力は認めていた。だからこそ、百年前の洒落た風俗が粋に語られた少女向け教養小説に感銘を受けるような、十四才未満の子供らしさを発見してしまうのは優越感を得てしまうのと同時に居心地が悪いのだ。


 このいらいらざわざわを何とか言葉にすると「お前も子供だった癖に!」になろうか、いや違う。何かが違う。

 「大人ぶっていたんだから最後まで大人ぶっていろ」か。

 

 でもそれをぶつける相手はここに居ない。いまもまだ前世紀末を模したテーマパークのような九十九市にいるのだろうか。



 サランは立ち上がって本棚に向かい、読み通せない文庫本をしまう。

 その並びには、サランが先日九十九市のさんお書店で購入した文庫本もある。

 

 ミュージシャンでもあった作家による妙なタイトルの文庫本が二冊。どちらも超能力や超常現象が関わっているというあらすじを読んで面白そうだから買ったのに思っていたのと何かが違って気に入らず、サランは文芸部員共有の本だなにこうやって突っ込んでいた。

 

 「何かが」気に入らなかったのではない。気に入らなかった箇所は自分ではわかっている。もう一度ぱらぱらめくって目に付いたところを読む。


『……友達なんかぁいらないと僕は思う。でも、なつみさんだけは違う。あの人はジルバもタンゴも踊らない気がする。きっと阿鼻叫喚の最中にも、少し離れたところにふわりといて、体育座りをしながら、「なんだか困ったことになっちゃったよ」と小首をかしげているような、そういう気がする。』


 平成五年四月十日初版発行と奥付に記された文庫本を、ふんっと鼻息とともに閉じて、本棚に並べ直した。




 今日の文芸部は静かだ。出撃要請がかかった者が多かったためか部屋には二人しかいない。中庭では二年生たちが相変わらずバドミントンに興じているけれど、メジロ姓の二人はいない。リリイの方は出撃に一昨日から出撃に出るという連絡があった。タイガは久しぶりにホームの新聞部にでもいる筈だ。

 リリイが帰ってくるまで文芸部には近寄るなとサランがじきじきに出禁を申し渡したのだから。



 昨日、タイガにはバドミントンに夢中になってリリイを放置したことに関して指導のために強めにチョップをくらわした。

 猫目の猫顔の癖に尻尾降る犬みたいに駆け寄ってくるや、脳天めがけてびしっと手刀をくらわせたせいで流石にタイガは涙目で抗議してきた。


「っぇ、何すんすかパイセン! 超痛ぇんすけど⁉」

「うるせえこの馬鹿、うちの食客の世話しろって約束だったくせに何無視して遊んでやがんだっ。お陰でリリ子にアイス食われちまったし最悪だようっ」

「……ああ~……」


 タイガはその時、妙にまじめな顔になってその日も咥えていた棒付きキャンディを口の中で転がしたのだった。その間合いが、サランはふと気になった。


 アイスは弁償するっすといって、タイガは売店に連れていくやサランにソーダ味のアイスキャンディを奢った。リリイに食べられたアイスの二十分の一の価格のアイスキャンディを売店前のベンチに座って舐める。

 この売店は、校舎と海辺の演習場の中間地点にある。葦簀よしずがかけられ氷とプリントされた小さな幟が揺れていた。旧日本的な夏休みの風情をベースに環太平洋域各地のローカル駄菓子屋文化が混在した店内は今日もキッチュでカラフルだ。

 演習帰りのワルキューレ達がかき氷やらチェーやらタピオカ入り飲料を買う傍らで、サランとタイガは葦簀の陰のベンチに並んで座った。


 ようやくアイスが食べられるまでに快復したサランは、昔懐かしいソーダのアイスキャンディを舐める。その右隣にタイガはいる。口の中でキャンディを転がしていることもあってタイガは何も買わなかった。ベンチの背もたれに腕を添わせたせいで左手が見える。


 その薬指にリングがはまっていた。通常利き手の薬指にはめるものであるリングが。タイガの利き手は右手だ。普段も右手に自身のリングをはめている。しかし今日は左手、意匠もタイガのものとは違う。


「リリ子は出撃してるんだっけな?」

「そうっす。ジャッキー姐さんのサポートメンバーに選ばれたっつってはしゃいでました」


 学園島のワルキューレに支給されるリング型端末の使用者は本人限定、共有は原則まかりならんとされている。

 が、指輪というロマンティックな小道具が十代の小娘たちが集う空間においてなんの意味も物語も生み出さない筈がなかった。いつのころから、親友もしくは義姉妹の契りを交わした相手とリングを交換し、左手の薬指に嵌めあう婚姻マリッジという儀式が流行りだしたのだ。ただの交換ではなく拡張現実にアクセスする共有アカウントを作成するなど手間のかかる手続きも踏んでいる。


 左手の薬指にリングをはめたワルキューレは誰かと婚姻マリッジ中――。


 人気のある先輩ワルキューレの左手薬指をチェックしあいながら、下級生ワルキューレは噂しあう。昨年文芸部同輩のシャー・ユイが沙唯さい名義でこんな古式ゆかしいエス小説を発表したことにより一般層にも周知され、人気に拍車をかけた。

 この習慣は、もともと左利きのワルキューレに大層居心地の悪い思いをさせることや、関係悪化による婚姻マリッジ解消の困難さや、アカウントの共有によるプライバシーの侵害などのトラブル発生など様々な問題を生んでいるため教職員からは禁じられているが、派手にやらかさない限り現状大目に見られていた。在籍中に何が起きるかわからない少女型兵器なんだからそれくらいの戯れはゆるしてやれ、ということらしい。

 

 そんなロマンティックな習慣に、終始タイガにべったりしたがるリリイが乗っからないわけがない。タイガが左手にリングをはめているときはリリイが出撃中、リリイが左手にリングをはめている時はタイガが出撃中、そんな関係が読めるようになっていた。

 ちなみに、出撃時のみリングを交換するのは婚約エンゲージと呼ばれた。婚姻マリッジへのお試し期間と見なされている。


「なんでおまえら婚姻マリッジじゃなく婚約エンゲージでとどまってんだよう? あのリリ子がよくそれで辛抱できてるな」

「……」

 

 タイガは答えず、口の中でキャンディをコロコロ転がす。


 なんだこいつ。と、いつもと様子の異なるタイガの様子をみてサランはいぶかしむ。なんか機嫌悪いな、アホの子の癖に。

 気にはなったけれど、サランは棒から滑り落ちそうなアイスの塊に神経がとられた。そのタイミングでタイガは口からキャンディを取り出して、サランの方を見て言った。


「一応断っときますけど、オレ別に遊び惚けてリリイを放ったわけじゃねえっすよ。心を鬼にしたんすよ。――アイツこのままだとオレがいねえと生きていけそうじゃねえじゃないすか」

「うん、まあ、それは感じるなあ」


 アイスの塊をほおばり、棒に「あたり」の刻印がないか一応チェックしながらサランは返事をした。残念ながらはずれだった。


「オレ、リリイにはオレなしでも生きられるようになってほしいんすよ。だからあの時、一人で文芸部に戻ったのを見送ったんす。一人でもやっていけるように」

「ふん」


 嘘こけ、あの時おまえめっちゃはしゃいでたじゃないかよう。よっしゃー! なんか言って。


 そう言おうとしたサランは、タイガの放った次の一言で息をのむ。

 

「オレ多分あいつより早く死ぬんで」

「……、あん?」


 サランは一瞬耳を疑った。アイスの棒を意味なく咥えて、隣にいるタイガの顔を見る。

 聞き間違いかと思ったがタイガの顔は柄にもなく真剣だった。猫目が笑いもせず遠くを見ている。


 しばらく待ったが、タイガがさっきの一言を打ち消すそぶりはみせなかった。

 冗談ではなく、本気なのだ。本気でそう言っているのだ。まだ十四にも達していない小娘が。


「オレ死んだあと、あいつ一人で生きていけないのは困るじゃないすか。ワルキューレつったって死んだら仕舞いだし。生き返れねえし」

「――トラ子?」

「だからオレがいないことにちょっとずつでもなれねえと……――っ痛ェ!」


 サランはさっきよりも強く力をこめてタイガの頭に手刀を入れた。タイガは完全に油断していたとみて身構えていなかったため本気で痛かったらしい。涙を浮かべた恨みがましい目でサランを睨んだ。


「なんなんすかパイセン! なんでシバくんすかっ。今のはガチで酷いっすよ」

「うるせえ、アホの子の癖に妙な雰囲気出す方が悪いんだようっ!」


 サランの無茶苦茶な言い分に、頭をさするタイガは唇を尖らせて睨んでくる。猫目の表面に涙がこんもり盛り上がる。サランはそれを見て少し動揺したが、気を取り直してサランは続けた。わざと先輩ぶって偉そうな態度をとる。


「トラ子、気を悪くするかもしれないけどなあ、うちは運良く呑気で平和な所で生まれて育って来たんだよう。ちゃんとした職を持つ二親がいて小さいけど戸建ての家で普通の学校に行けて危なげなくここまで大きくなったんだ」

「……なんすか、急に自慢っすか?」


 ずっとタイガは鼻をすすった。


「おうよ、自慢だよう。運よくそういう風に育ったからな、お前みたいなのが軽々しく死ぬとかそういうの聞くだけでビビるくらいのヘタレなんだぞって自虐自慢だ、文句あっか」

「……全然意味わかんねえすよ。分かるように言ってくださいよ」

「だからなあっ、そんな軽々しく死ぬとか言うなってことだようっ。お前みたいのが死ぬとか言うの怖いし悲しいじゃないか。大体どう考えてもお前はアホなんだから野性の勘とかで最後まで生き残る枠だろ。だから死ぬとか言うなっ。少なくともうちといる時は言うなっ。また死ぬとか言ったらもう二度とおまえなんかの相手してやんないからなっ」


 自分でも無茶苦茶言ってるなと呆れながらサランは開き直る。


 実際、自分はリリイより早く死ぬといやにきっぱり悟りきった口調で宣言した直後のタイガの横顔をみていた時、恐怖が背筋を駆けあがっていったのだ。普段、レディハンマーヘッドに関する情報をくれとねだったり、荒唐無稽なギャルドラマについてバカみたいに目をキラキラして語るのとは全く別の顔を見せたから。


 それに、この前無邪気にワルキューレになってよかったと語ったばかりの後輩が、人型兵器としてそれなりの覚悟をもってこの島にいるという事実が辛かった。


 思わず激したせいか、目じりから涙が一筋こぼれた。なんて忌々しい生理現象。欠伸をしたときに出た涙をぬぐう時のように、人差し指で目じりをぬぐう。


「――パイセン?」

「なんだようっ?」


 さらに忌々しいことに、タイガの方の涙は反対に引っ込んでしまったようだ。乾いた猫目を丸くして、涙をぬぐうサランのぶっきらぼうな口調を妙な具合に誤解したようだった。


 急にニヤアっと笑って、再び口にキャンディを咥えるとサランの方をみてベンチの上を滑って距離をつめてくる。背もたれに沿わせた左腕の中にサランが収まるような恰好なる。キャンディのフルーツ香料の匂いが強まる。

 スカート短くしてるんだから気をつけろと何度言ってもきかないタイガは足をくみかえた。

 なにやってんだコイツ? タイガの意味の分からないしぐさに目を奪われた瞬間、リリイのリングをはめている左手の指でまだ濡れているサランの左の目じりをぬぐわれた。予告もなくプライベートゾーンに踏み込まれて、サランの声から不機嫌な声が漏れる。


「ああっ?」


 睨みつけるとまだニヤニヤしているタイガの猫目がそれを受け止め、ちょっとのけぞった姿勢からサランを見下ろす。身長・座高がほぼ同じなので、上から見るにはそういう姿勢にならざるを得ないのだ。


「オレの言ったこと怖かったんすか? 怖かったんすか。……そっか~、怖かったんすか~。へぇぇ~」


 サランを見下ろしながらタイガはニヤニヤ笑う。さっき目じりを拭った左手が今度はサランのゆるい三つ編みに触れる。

 その馴れ馴れしさに、サランの感情は一気に怒りへ振り切れる。


 ただの生理現象によるうっかり涙をこぼしてしまったばっかりに、こんなアホの子の後輩に舐められるとは。不覚……!


 サランの怒りに気づいていないタイガは何やらひとり満足そうにうんうんと頷く。その顔は調子に乗っている十一才男子だ。さっきのはりつめたような痛ましい雰囲気はもはやどこにもない。


「や~、怖がらせるつもりはなかったんすけどね~。オレらほら、なんちゅうんすか? 常時ドンパチやってるようなとこで生まれてそだったから人が生きたり死んだりに鈍感になってるっていうか? そういう所あるから、さっきのサメジマパイセンみたいのみると新鮮すぎて胸が、こう、キューンってなるっていうか?」

「あーそう、狭心症なんじゃねえの、それ?」

「ていうかぶっちゃけ、サメジマパイセンのそういうとこ、なんちゅうか、……可愛いなあ~、っつうか?」


 タイガの左手がサランの肩に触れるのを払い、サランはタイガの両肩に両手を置くいて自分の方を向かせる。そしてタイガの猫目をまっすぐのぞき込む。

 目じりを拭ったり髪に触れたり肩をだこうとしたり、なにかと主導権をつかんだようにふるまっていたくせに、サランが視線を合わせるとニヤニヤ笑いをどこかにやり、顔をさあっと赤くする。

 猫目の瞳を気まずそうにすっとそらせたあたりはいじらしいといえなくもなかったが、残念ながら怒りにふりきったサランの脳は図に乗った生意気な後輩を速やかに罰せよと命じていた。


 小さく頭をそらせてからサランは額をタイガの額へ勢いよくぶつける。ごつっ、と鈍い音が響いた。


「リリ子がもどってくるまでお前は出禁だっ! その間うちの前に姿を見せんなようっ」


 ベンチの上で額を抑えて悶えて身を丸めるタイガをその場に置き去りにしてサランは売店を後にした。サランの額も痛いけれど、それを表にださず校舎へ戻った。




 

 一日たてば頭突きの痛みなんて消え失せているが、図々しくて小生意気でアホの子の後輩への怒りは胸の中でまだくすぶっていた。

 昨日の放課後、売店でニヤニヤしながら触れてきたタイガは明らかにサランを舐めて侮っていた。ツチカと思わぬ再会のあと、サランは舐められたり侮られることに関しては少々過敏になっていたのだ。

 だからツチカの置き土産の本をなんて読んでしまうし、せっかく買ってきた本もうまく楽しめない。


「サメジマは妙な本を見つけてくるのが上手いよな」


 部誌のチェック作業を続けながらジュリは声をかけた。誉めてくれるのは嬉しくくすぐったいけれど、その本を自分が気に食わなかったのは問題だ。


「気に入ったのならワニブチにあげる。――なんかその人の小説に出てくる女が嫌だ、みんなシモクに見える」

「? ツチカに? どこが?」

「もっさりした男子に『こいつは他のやつとはなんか違うきっと特別な女だ』って思われてるところ。シモクのやつ、そういうイメージにわざわざ寄せていくところあるだろう? 現に九十九市でもそんなキャラでやってた。……うちはアイツのそういう所が本当にイヤでイヤで……っ」


 そこまで言ってからジュリが少し困ったような表情をみせたのでサランはそこから先を言うのは控えた。一応、ジュリは少し前までツチカの親友というポジションにいたのだ。その関係は解消しても悪口は聞きたくないだろう。

 

 さっき簡易ベッドにしていた椅子の一つに座り、デスクに頬杖をついてサランは呟く。部室に二人しかいないから言えるようなことを。


「なあ、ワニブチ。なんでうち、こんなシモクのやつのことばっかり考えるんだろう?」

「……」

「『ツチカのことが好きだから』とかそういう答えはナシだからな。うちはそういう『いやよいやよも好きのうち』由来の発想は死ぬほど嫌いだからなっ。うちは本気であいつのことが嫌いなんだからな!」

「まだ何も言ってないじゃないか」

「大体、ひとのことガキだお子様だミノムシだなんだ正面切って嘲ってくるヤツのことを好きになったりするかっ? あんだけ人のことをクソミソに罵ってくるような奴を好きになんてなってたまるかっ! うちマゾじゃないし!」

「だから僕は何も言ってないだろう?」


 部誌チェックを続けながらジュリは答える。


「ただやっぱりそうやって拘ってる様子を傍でみていると、お前はツチカに対して何か感情をこじらせているのは確かだとしか言わざるを得ないぞ? 断じて恋愛感情ではないというサメジマの主張を尊重するが、僕以外の者が今のお前をみたら間違いなくサメジマサランはシモクツチカのことが好きだけど素直になれないだけだと早合点してニヤニヤしながら眺めたり黒板に相合傘でも書くことだろうな」

「……うあああ~……っ」


 そういえばほんの数年前までいた運よく呑気で平和な故郷の町の小学校でも、こういった噂はすぐ燃え上がったものだ。誰かが誰かのことが好きだの嫌いだの、火の無い所に煙を立てるやつらが一定数いたものだ。

 好きだの嫌いだの、あの空気に馴染めなかった居心地の悪さが蘇り、サランは身をよじる。

 



 あなたは誰が好きなのか? 好きな人がいない? そんなはずはない。

 誰にも言わないから教えて? 自分も好きな人を教えるから。

 今まで好きになった人がいないなんて、そんなのおかしい。

 サメジマサランって変なやつ。


 そんなことで安易に「変な子」の烙印を押された小学生時代の居心地の悪さが蘇ると、必然的に在りし日のシモクツチカの人をコバカにしたような表情が思い出される。

 文芸部に入部したてのある時期、新入生同士があつまって他愛ない雑談で盛り上がっていた時にサランがムカついた思い出として、クラスの女子から変な子扱いされた思い出を語り「うちは絶対恋愛なんてしない、興味ない」と宣言した時、それまで会話に参加しなかったツチカが突然口を開いたのだった。


「サメジマさんの場合、アセクシャルなんじゃなく単に感受性が未発達なだけなんじゃない?」


 背表紙が濃いピンク色のの文庫本を開き、視線を本に落としたままツチカはサランに言葉のラッシュを浴びせる。


「小学校時代のつまんない思い出にいつまでも引っ張られてることがその証拠。どこかのよくいる無粋な小学生のせいで恋愛そのものを嫌悪するなんて、子供そのもの。馬鹿みたい」


 それまで楽しく和気あいあいと盛り上がっていた雑談の場が、ツチカの発言で冷えて固まった。

 それまでジュリと、先輩としか口をきかなかったツチカが初めて自分と同じ新入生に関心を示した瞬間だった。どうしてその相手がよりにもよってサランだったのかは今でもわからない。


 ただサランはその時ストレートに、シンプルに、こう思った。――なんだ急にコイツ?


「子供そのものって、うちらまだ子供みたいなもんだし。おかしくないと思うよう?」

「そうね、子供みたいなものよね。――本当、いかにもバイオリンとトランペットのケースに着替えを積めて家出するお話を今でも読んでる子って感じ、サメジマさんって」


 ぱらりと文庫本をめくりながらツチカはそう言って唇の端を吊り上げてみせた。

 それを見て、サランの体が怒りで熱くなる。文芸部に入部時に発表した愛読書をネタに嫌味を吐かれたのだから無理もない。


「読んじゃ悪いのかようっ、メトロポリタン美術館に家でする話?」

「悪くないけど。物語そのものは素敵、名作。――あたしが指摘したい点は、愛読書に馬鹿正直に岩波少年文庫あげるサメジマさんの精神の無防備さについてなんだけど?」


 その時はじめてちらっとツチカは文庫本から視線をあげて、怒るサランを挑発したのだ。それがサランがツチカと視線を合わせた最初の瞬間だった。

 



 その日からサランはツチカのことがずっと嫌いなのに、好きだと誤解されるだなんて考えただけでも耐えられない。

 

「人に恋愛感情を抱けないというだけで他人の尊厳を踏みにじるようなヤツのことを好きになるなんて、うちはそんなド変態じゃないようっ」

「だったらあまりツチカのことを意識しないことだな。お前がそうやってツチカを意識した言動ばかり繰り返していると信憑性が削がれるだけだ」

「……それができれば苦労しないようっ」


 ぶすっとふくれて自分でいれた甘い雑コーヒーを飲む。それを見てジュリは苦笑してメガネの位置を戻す。

 

「まあ、ツチカの方もお前に会って動揺していたみたいじゃないか」

 

 部誌を捲って、『ハーレムリポート』のページを開く。そこに掲載されいてるのは、珍しくジュリが改稿を指示したあとの原稿だ。

 レディハンマーヘッドから送られる原稿の書き直しを、ジュリが命じることはそれまでなかった。しかしこの号の第一稿を読むや、渋い表情を浮かべたのだ。

 そしてあくる日、書き直しを命じていた。内容があまりに個人的すぎる、という理由で。


 ジュリとは一度も直接レディハンマーヘッドの正体がツチカだという話をしていないはずなのに、サランが既にそれを知っている前提で話を進める。

 サランならいちいち教えなくてもそのうち勝手に知るだろうと踏んだのか、アホの子とはいえ新聞部と接触していればいずれわかるだろうと睨んだのか、その辺は分からないがサランは気にせず受け流し、甘い雑コーヒーをすすった。


「……まあ、環礁ラグーン繭玉コクーンってだっせえ韻ふむくらいだったしなあ」

「動揺すると格好つけようとして余計にスベるところがあるからな、ツチカは。ああ見えて」


 白猫のカップに口をつけたままサランはジュリの表情を盗みみた。かつての親友を懐かしむジュリの口調は柔らかく、優しい。髪を切り、眼鏡をかけ、自分のことを「僕」と呼ぶようになってからジュリはめったに自分からツチカのことを話題にしようとはしなかった。だから、それはなかなか珍しい事態なのだ。


 どうしてジュリはツチカの隣にいることをやめたのか、サランはうすうす察するだけで詳しくは聞かないことにしている。


「久しぶりに出会って調子を崩しているのはサメジマだけじゃない、ツチカもそうだ。――まるで鏡像だな。お前たち二人は根本的に似た者同士なんじゃないか?」


 ジュリの放った言葉にサランはあやうくコーヒーを噴きかけた。

 サランとツチカが鏡像。よりにもよって、一体、どこが?


「ワニブチ、そのメガネに度を入れた方がいいぞう。格好つけて伊達メガネなんてかけてるから視力が下がったんだ。お前普通に裸眼で1.5はあったくせに」

「……ああ、本来必要ないのにファッションでメガネをかけているって事実を突きつけられるとたまらなく恥ずかしいな。今日もお前のせいで眠る前に枕に顔をうずめる羽目になる」

 

 口ではそう言う割にジュリはどこか愉快そうに笑った。今まで封じていたのにツチカの話題を出したきまり悪さをごまかそうとした風にも聞こえた。


 サランもそれに応じてヒヒヒっと笑う。笑うことで、ジュリの放った「鏡像」という言葉で生じた動揺を押し流す。

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