#7 ゴシップガールの第一印象
◇ハーレムリポート 出張版 vol.3(改稿前)◇
はい、というわけで始まりました『ハーレムリポート出張版』。
お送りするのはあたし、思わぬ所で古い知り合いに出会ってびっくりしたばっかりのレディハンマーヘッドだよ。春は出会いと別れの季節だなんて言うけど再会の季節でもあるのかな?
つってもこの島じゃあ春夏秋冬なんて詩歌で接するだけのものだけど、ホラ、あたし北半球育ちだから。
それはそうと『ヴァルハラ通信』さんでお世話になってるこちらの連載も3回目。文芸部さんの方からちょっとずつ評判も届き始めてるよっ。
やっぱ感想っていいね、嬉しいねっ。みんなどうもありがとう!
そんな読者のみんなへ文芸部さんからプレゼント。多分となりのページあたりにジャッキー姐さんのイラストピンナップがつくはずだよっ。漫研エース・みなのぬまこ先生のイラストだからきっとクオリティが高すぎてとんでもないことになっちゃってるんじゃないかな?
ぬまこ先生の実用性の高そうなピンナップは切り取って壁にはったり手帳にはさんだり、胸ポケットに入れるといいと思うよ。でもその場合、お友達に「俺、この戦争が終わったらこの子と結婚するんだ」ってやるときに見せる恋人の写真と間違えないようにね(……ん? この場合、間違えた方が死亡フラグ消滅で生存ルートが立ち上がるのかな? どうだと思う? 気になった方は実験してみて? でもって結果は教えてね、可能であれば)。
でもいい評判だけじゃないんだよね。あたしみたいな下品なおしゃべり娘の駄文なんてのっけちゃあ部誌の品位が下がるって意見も多くって~。
特に、ワルキューレは清純で麗しいヒロインであるべきなのに、男のケツを追いかけまわしていがみ合う様子なんか読みたくないって意見も多くって~。
でもそうやって文句言ってくださる方の方がよく読んでくださってるんだよね~。なんでかなー? ま、ありがたいけど。
というわけで読んでる? アンチの皆さん。今この文字の向こう側にいる? あたしこう見えて『演劇部通信』のファンだったりするよ? 特に現担当の
でも一言反論させてもらうけど、フカガワハーレムのメンバーだけど果たしていがみあってるのかな~? 男のケツをおいかけまわしてることは否定しないけど、タツミちゃんもカグラちゃんやノコちゃん、マコ様もジャッキー姐さんその他の皆さんも本当なら同じ学校の同じ学年にいても接触しなかったような子たちだよ。
それが同じ男のケツを追いかけまわすことで本来関わりあわなかった子たちがグループ作って、時にはケンカしながら時には手を取り合って強大な敵を倒すとか最高じゃーん。いがみあってるだけじゃないじゃーん……って考えた方が得だよ、得。
発想の転換、それがこのシケた世界であなたの人生を楽しくする唯一の秘訣だよっ。文字の羅列をどう読むかなんて、所詮あなた次第なんだから。
それにね~。
いがみ合っていた人類だけど、外世界からの侵略者に対しては初めて手を取り合って一致団結。ワルキューレはその象徴。国や組織のしがらみから解き放たれて、人類共通の敵を討つ。
……というのはやっぱり建前だもーん。ワルキューレだって一応人類の一員だから侵略者が来ない時は人間社会の約束事に縛られちゃうんだもーん。いやーん。
島にいた時は仲良く一緒に侵略者を倒していた朋輩なのに、学園島を卒業したあと敵対する軍隊やライバル関係にいる組織に所属して熾烈に争い合う……なんてことは当たり前、侵略者の狼藉による出撃要請が同窓会がわり、かつての乙女の麗しい友情は過去のものになりはてたという話なんて珍しくないんだもーん。いやーん。人権が制限されてるのに
学園の外って世知辛ーい。もうこの学園の外から出たくなーい、ずっとぬくぬくしていたーいってなっちゃう子がいたとしても無理なくなーい?
男のケツを追いかけまわしたり友達と清らかな友愛を育んだり、見た目た違っていても結局、
……え、前置きが長い? とっととフカガワハーレムの報告をしろ?
あははごめーん。古い知り合いに会ってテンションあがっちゃったかな? んじゃあこの期間にあったことだけど(後略)。
◇◆◇
本日をもって諸君らも栄えあるワルキューレとなった。
ならば今日この瞬間からこの世界をそして人類を愛し、平和と未来に貢献することをその胸に刻め。そして人類の模範たれ。
二年前の入学式でワルキューレ憲章第一項第一条および第二条を用いた式辞を垂れていた学園長が、そのあくる日に再び壇上に立った。
新入生一同を講堂に集めて行われたオリエンテーションでのことである。
のちに学園島内で「戦慄と絶望の学園長スピーチ事件」と語り継がれることになるちょっとした伝説の、サランは目撃者の一人だった。
純白のワルキューレ礼装を颯爽と着こなし、壇上で式辞を読む新しい学園長・ミツクリナギサはそれはそれは凛々しく美しかった。歌劇団のトップスターに引けをとらない見事な麗人ぶりだった。
勇猛果敢で豪放磊落、外世界侵攻作戦では自分の身も顧みない勇壮な特攻をかけたあの空飛ぶサムライガール・ミツクリナギサがこんなにも颯爽とした佳人に成長していたなんて……。
新入生たちはため息をつき、そして自分たちの将来を重ねて期待に胸を高鳴らせたものである。
しかし一日経っただけで、学園長の姿は恐ろしく様変わりしていた。
壇上に立つ二十代後半の女性は、だらしのないジャージの上下姿で短い髪は寝癖のせいかあちこち跳ねまくっている。
そして酒でも飲みすぎたような淀んだ目つきで壇上に立つや、しんと行儀よく静まりかえる新入生たちを煩そうに見下ろすなり「……あー」と唸り声を発したのだった。そして乱れた髪をバサバサとかいて言い放った。
「諸君らも十二
ざわ……と、講堂内の空気が波立った。
学園長の登壇から姿勢を正し静まり返っていた新入生たちも、これには動揺せずにはいられなかった。
どこの世界に自分の垂れた訓示を、あれは建前だから信じるな、そもそも自分は望んで学園長になったわけではないと馬鹿正直に打ち明けるものがいるというのだ?
新しい環境に体が慣れずよく眠れなかった為に睡魔に振り回されていたサランも、そのとき一瞬で目が覚めた。
この学園長、いや空飛ぶサムライガール・ミツクリナギサ、ちょっと変なヤツではないか?
確かに、繰り返し製作される第一世代のワルキューレたちを扱ったドラマやコミックなどで明るく素直で裏表のない天衣無縫の剣術少女であるがために世間知らずで「天然」として描かれがちな少女ではあったけれど。
ひそひそざわざわ……と口々にささやき出す新入生たちを、学園長はよく響く声でハッハッハッと豪快に笑うことで黙らせた。
音響に拘って設計された講堂で、その笑いは必要以上によく響いた。
そして顔の下半分が口になるような豪快で気持ちの良い笑い方は、様々な映像メディアで記録された往時のミツクリナギサそのものだった。チャームポイントの八重歯も健在だ。
「そうなるよなァ! しかし自分は元来建前というのは好かん。どうにも性に合わんのだ。それに仮にも第一世代のワルキューレの一人として諸君らを甘く綺麗な言葉で夢を見せ死地に赴かせるような加担することだけは御免こうむりたかった。よって自分が今ここに立っているのは諸君らにだけは本音で接したいという単なる自己満足の我儘だ。非常に大人気ないという自覚はあるが、悪いのはこんな自分を学園長に推した連中だ。恨むのなら其奴らを恨め。そして自分のことは許せ」
察せよ、とか、許せ、よくまあぬけぬけと言えたもんだなあ。さすが自ら「大人げない」とことわってくるだけのことはある。
眠気のふっとんだサランは、それを聞きながら口をあんぐり開けながら、妙なことで感心してしまう。
サラン以外の新入生たちも遠慮なく混乱と困惑の渦に叩き落としながら、学園長は続けた。
「ワルキューレはこの世界と人類を愛すべし。自分が昨日諸君ら前で厚顔にも垂れたこの文句は、ワルキューレでもなんでもなかったどこぞの大人が作った耳触りのいい御託だ。はっきり言おう、世界と人類を皆愛すなど、そんなことは到底達成できぬ目標だ。超人か聖人でもないかぎり不可能だ。ワルキューレは人型の兵器ではるが超人でも聖人でもない。目指す価値はあるか知らんが無理に目指すな。諸君らはワルキューレである前に人間で、しかも子供だ。子供を戦場に駆り立てねばならぬような不甲斐ない世界や人類など無理に愛する必要はない」
新入生たちのざわめきは一層大きくなった。
この世界と人類を愛せ、これはワルキューレ憲章にいの一番に記されているワルキューレの命題だというのに学園長自らが否定した。それも栄光の第一期生、現役時代は血しぶきを浴びようとと自身の身体機能が破壊されようと、誰よりも果敢に侵略者を退治して世界を、人類を、そして何より故郷を守っていたミツクリナギサその人が、だ。
ざわつく新入生たちを黙らせるように、壁際に控えた学年主任が咳払いをする。そこには壇上へ向けた余計なことを言うなというメッセージがが明らかに込められていたが、学園長は平然と無視をした。
「ワルキューレとなった以上はもう普通の人間には戻れぬ、普通の人間としての平凡な幸せを手に入れるという望みは一切合切捨てねばならぬ。そんなことは嫌だと儚く抵抗したところで、どうせ他の先生らが諸君らに兵器としての心得を嫌でも叩き込むことだろう。ここの先生方は優秀だと聞く、きっと諸君らも一年後にはこの世界の人類を愛し平和や未来に貢献するためには手足が一本もげようが惜しくないという立派なワルキューレに成長を遂げていよう。──かつての自分のようにな」
してやったり。
学園長はそんな言葉がぴったりなニヤニヤ笑いを浮かべていた。自分で口にした冗談に自分でウケている人そのものの表情だった。
しかし講堂に並ぶ新入生たちは、ついにざわめくことすらやめてしんと静まりかえった。
ミツクリナギサは侵略者たちの当時の大幹部との一騎打ちの末に四肢を失っている。今の彼女の服の袖や裾からのぞいてる形良い手脚は精巧な義足と義手であることは周知の事実だった。そんな彼女が自身をネタにしたブラックジョークは約十三年しか生きていない彼女らにはハイブロウすぎて捌き切れない。
講堂はお通夜のような空気に包まれた。
口が開けっ放しのサランは、口腔内が渇くことも忘れ、じわじわと自分の胸に不安が高まるのを感じていた。
ワルキューレになった以上普通の人間には戻れない。
学園長の口からはっきり聞かされるまで、サランはそのことを深く考えたことが無かった。そして今更その重みを感じて不安になり脅える自分の迂闊さが、身をねじ切られそうなくらい恥ずかしかった。
おそらくその場にいいた新入生の大半は、サランと同じように不安と恐怖と羞恥心に対峙ししていた筈である。
静まりかえる講堂、自分の放った冗談がウケていないことにアレ? という表情を学園長は浮かべたが、気を取り直したのかスピーチを続ける。
「――だからこそ自分は、諸君らが決別してきた故郷の少年少女が過ごすようなものと変わらない人間らしい毎日を過ごしてもらいたいがため、甚だ不本意であったが最終的にこの学園の長となることを引き受けることを決断した。自分はこの学園にいる間だけは諸君らに子供らしく、人間らしくあってほしいと願っている。せめてこの学園にいる間くらいは勉学に励むなり友と語らうなり将来の夢を育むなり可能な限り好きなように生活してほしい」
学園長の顔が、その時だけは優しい微笑みを湛えたものになる。新入生たちはそこでほっと一心地つき、静まり返った講堂の空気も和らいだ。
が、そこで学園長は優しい笑顔から面白い冗談を口にしたい人特有の明らかに調子にのった表情にもどって得々と付け足した。
「とはいえ、こんな太平洋の離れ小島では諸君らが青春を謳歌しようにも足りないものが多すぎて不便をかけてしまうことだろう。学舎の外は工廠と訓練場だけ、学食とカフェはかろうじてあるが放課後に寄り道したくなるような素敵なショップのあるオシャレな街もない。綺麗なビーチとサンゴ礁ははあるにはあるがただそこにあるだけだ。まるで監獄だ。アルカトラズだな」
せっかくゆるんだ講堂の空気が一瞬で冷え固まった。
それに気づいていなかったのは、やっぱり「してやったり」顔の学園長のみで、壇上で一人ウンウンと頷く。そして全世界のヒロイン・ワルキューレに選ばれたという興奮状態からようやく目が覚め、華やかな肩書に隠された人間兵器としての過酷な実態を軽い口調で告げられて硬直する新入生たちに学園長は爆弾を投げ込む。
「特に同年代の男が一人もおらん。これはよくない」
講堂は地獄めいた無音に包まれた。
どうやら学園長は、とてつもなく面白い冗談を思いついたので口にしている、ただそれだけのつもりだったらしい。得意そうな表情でそれは想像がついた。問題はそれが笑えるかどうかだった。
「ワルキューレに土壇場の馬力を出させたいのなら男で釣るのが手っ取り早い。人類や世界を愛せよなどと抽象的な言葉よりも男女共学にするのが一番だ、普通科でも用意して環太平洋域全体から見目のよい男子を入学させればよいと自分は理事に進言したのだが、セクシズムだルッキズムだのと御託を並べて奴ら聞き入れはせんかった。……まったく、ジジババどもは頭が硬いことよなア、男のおかげで思わぬ馬鹿力を発揮して武功を立てた生きる見本がここにいるというのに」
今度こそしてやったり、これはなかなか冴えた冗談だ……という表情で学園長はまたそんな風にニンマリと笑った。
しかし新入生たちの大半は無言で俯き凍り付いていた。サランも同じだ。
ワルキューレに全力を出させたいなら美男子を用意せよという発言は教育者の放つ冗談として問題がありすぎる。それは約十三年しか生きていなくても、いや、約十三年しか生きていないからこそ新入生の大半は硬直せずにはいられなかった。サランは率直に言ってこれ以上ないほどドン引きしていた。
よりにもよって、ミツクリナギサ、あんたがそれを言うのか。
サランもすっかり口元を引きつらせていた。
自虐がすぎる、こんな冗談笑えるか。
豪放磊落で天衣無縫、そんなミツクリナギサは故郷に残してきた幼馴染の男の子への想いから故郷を守るためにワルキューレになることを決意した健気でいじらしい少女でもあったとドラマやコミック、子供用の読み物を通じて全世界に知れ渡っていた。
ミツクリナギサがワルキューレとして世界各地で侵略者を退治しているときに、好きな男の子は別の女の子と恋人関係になっていたことも、そのことを笑顔で祝福した(入学式の式辞を除けば、嘘が嫌いだと少女時代から公言していた彼女がついた嘘はこれだけだ)数日後に豪雨の中で号泣することで初恋に自ら終止符を打ったことも、そして数年後にその故郷も侵略者のおこした二次災害で壊滅状態に陥り初恋の少年も恋人もともに故人となったことも、世界中の津々浦々に知れ渡っていた。
恋と悲劇にまぶされた第一期ワルキューレ・ミツクリナギサがらみのエピソードは幅広い世代から高い人気があり、特に少女ウケは抜群だった。
少女たちの多くにとってミツクリナギサはただの伝説的ワルキューレではない。本物の、親しみと憧れの対象たる純然たるヒロインだったのだ。
そのヒロインが、だらしない格好で自らそれをぶち壊すようなことばかり口にしている。ミツクリナギサ派ではなかったサランにとっても、ショックが激しい。
しかし、このスピーチで、学園長は一貫してただの事実を、本人の申告通りに嘘偽りなく告げただけである。それは新入生だって分かった。
ここは遊ぶようなスペースはほぼ無いに等しい流刑地のような太平洋の離れ小島。そしてこれからただひたすら外世界からの侵略者に対抗できる人型兵器として訓練するだけの日々が始まるのだ――。それは、全世界のヒロイン・ワルキューレに選ばれたという恍惚による興奮状態から期待と熱意と憧れを思いっきりへし折り、十二から十三才の少女を目を覚ますには十分すぎるものだった。
学園長が軽いつもりで言い放った冗談の重みを、心の中で噛みしめた新入生たちは皆だまる。黙るが故に講堂は静まり返る。それは針の落ちる音すら聞こえてきそうな深い深い沈黙だった。
沈黙に耐えられなかったのが誰でもない学園長自身であったらしい。落ち着かない表情で黙りこくる新入生たちを見下ろし困ったように笑った。
「ああ〜……今の、笑うところだぞ? 笑っていいんだぞ?」
真っ先に金縛りがとけたらしい学年主任が講堂の壁から咳払いをしてスピーチの終了を促す。
しかし学園長は皆が笑わぬ原因が分かったとばかりにぱっと顔を輝かせ、ぽんと手のひらに拳をぶつけた。
「なるほど、さっきの自分の発言はあまりにシスヘテロ的価値観に偏っていた。それ以外の性的志向を持つ者たちへの配慮を欠いた発言だったことは謹んで訂正しよう。あいすまなかった」
いや問題はそこじゃない。
そこも大いに問題、ていうか好きな人間がいれば馬力が発揮できるって考えかた事態イヤだし問題だけど、本筋はそこじゃあないよう……!
サランが口をぱくぱくさせながら心の中で思わず突っ込んだ時だった。
講堂の片隅で、フフッと、噛み殺しそこねたような笑いがもれる。そしてそのあと笑い声は続く。フフッ、クスクス……、静まり返った講堂に抑えていたものがついに堪え切れなくなったようなその笑いはよく響く。
アハハ……という誤魔化せない爆笑に発展し、新入生たちの視線はその発生源に集中する。サランもそっちを見たが生徒たちの陰に隠れて笑っている者の姿は見えない。
爆笑する新入生を「ツチカ!」と小声でたしなめる声が聞こえたが、笑い声は止まない。お腹を抑えて体を折り曲げて笑ってる誰かの様子が簡単に想像できた。
その爆笑によってお通夜のようだった講堂の空気がぱっと改まった。なにより学園長が嬉しそうに顔をほころばせる。
「おお! やっと笑った者がいた。……君、名は?」
「……」
呼吸を整えるような息遣いと間をおいて、爆笑していた少女は答えた。
「シモクです。シモクツチカ」
ざわっと、講堂内の空気がゆれた。今度のざわめきは、シモクという苗字に対する素直な驚きがメインだった。
冗談がウケて機嫌がよい学園長は、シモクときいても特に反応を見せなかった。にんまり笑って頷く。
「そうか。自分の冗談で笑うとはなかなか見どころのあるやつではないか。……さあ、諸君らはいわゆる箸が転んでもおかしい年ごろというやつだろう。笑え笑え。遠慮することはない」
当然、笑えと促されても笑うものはその場にいなかった。サランも笑わない。というよりも笑えない。
学園長のスピーチが頭の中でわんわんと響くのを振り切るためにも、自分の位置から姿の見えない笑い声の主に集中することにする。
シモクという姓から、静まり返った講堂で一人爆笑するような豪胆で笑いのツボが独特な奴がオリエンテーションが始まるまで講堂の後ろにいた目立つ二人組のうち一人だったと分かって、平凡に「へえ……」と思う自分を強く意識する。
シモクインダストリアルの令嬢、あんな声でしゃべるのか。ふーん。
これがサランのツチカに対する第一印象の全てであった。
「……」
ある日の部室で、サランは作業机に突っ伏して顔だけを本棚に向けていた。部誌の編集作業もひと段落し、凪いだような時間が部室に漂っている。
壁に沿って設置された本棚には、部誌のバックナンバーの他に、歴代の部員たちが残した本が雑多に並べられている。
ペーパーレス時代に突入して長いというのに文芸部員にはいつの代にも一定数、紙の本が好きだという変わりものがいた。
部室にある紙の本のほとんどは製本サービスを利用して造った私家版だが、二年前から本物の古書が少しずつ増えつつある。その中の一つ、文芸部内に静かな古書ブームを起こすことになるきっかけになった古い文庫本の、濃いピンクの背表紙をサランはむっつりと眺めていた所で、ドアが開く音が聞こえる。
「演劇部さんからのおすそわけです~」
現在の『演劇部通』担当を務める同輩のシャー・ユイが、部室に戻ってきてにこにこ笑顔で部員一人一人に箱からアイスクリームを配る。素材と製法にこだわった一流ブランドの高級アイスだったから、その場にいた全員は歓声をあげた。
たった一人、サランを除いて。
「……どうしたのサメジマさん? アイス、食べたくない?」
アイスクリームの箱を見るや、うう~……とうなりながら本棚にむけていた顔を作業机にうずめるようにして呻くサランをシャー・ユイは不思議そうに見つめる。
誰かが持ってくる差し入れのお菓子に真っ先に目を輝かせるのはサランだと言うことを文芸部員ならみんな知っていた。
「いやあ……食べたい気持ちはあるんだけどさあ。この前、メジロ姉妹の根性悪い方にカフェでメガ盛りパフェ奢らされてさあ……。正直アイスは当分いいかなって気持ちと腹の調子なんだわ……」
「あらそう。残念ね~。じゃあサメジマさんの分が欲しい人は手をあげて~」
「ちょ……まっ、ダメだってば! 今度食べるから! とっといてってば!」
アイス争奪じゃんけんが始まりそうだったところをサランは必死に引き留める。シャー・ユイ以下部員たちはそんな調子のサランがおかしそうに笑いながら、冗談冗談と口にしながら余ったアイスを冷凍庫に入れた。
甘いもの好きでいじきたないことをからかわれたことにむくれるサランを、ジュリも楽しそうに見つめる。傍らにはいつもの真っ黒な雑コーヒーを淹れた粗品にマグカップがあるが、シャー・ユイから配られたアイスの蓋を取り、その表面に後輩から手渡されたスプーンを突き立てていた。
その一挙手一挙手をサランは恨みがましそうにみつめる。
「……あんまりこっちを見るな。食べづらいじゃないか」
「だって、美味しそうなんだもん」
「だったらサメジマも今食べたらいいじゃないか。……実際、美味いぞ。これ」
「食べたいのはやまやまなんだってばあ。でも今一さじでもやたら冷たくて甘い乳脂肪の塊を口にしたら消化器系統が上から下からとんでもないことになる予感がして怖いんだ……」
文芸部員たちのにこやかなおやつタイムの様子を、恨みがましくサランは見つめる。
サランをこのような状態に陥れたメジロ姉妹は、今日もまた中庭で遊んでいる。相変わらずバドミントンではしゃいでいるらしい。
二日前、金魚鉢ほどのガラスボウルにアイスやフルーツ、ケーキにお菓子の類をてんこもりにしたパフェを注文した癖にメジロリリイはダイエットを言い訳に殆ど口にしなかった。つくづく見上げた根性の悪さだとサランは呆れ、感心した。
すげえ! ヤベエ! とアホの子全開の歓声をあげてパフェの写真を撮りまくった後、サランと一緒に甘いものの暴力じみたパフェに挑んだもののあえなく撃沈した同士のメジロタイガは、今ああやって元気に中庭をかけまわっている。こちらも人間離れした消化器官の持ち主だなとサランは呆れ、感心していた。
「……あの日に戻って、二日後には庶民の口には中々入らない高級アイス様がご到来遊ばすからリリ子のご機嫌とりなんてする必要ないって言ってやりたい……」
後悔先にたたずという諺の生きたサンプルとなっているサランをジュリは愉快そうに見つめていた。
「意外と後輩思いなんだな、サメジマパイセンは」
「違うし。そんなんじゃないし。文芸部の活動を円滑に行うための接待ってやつだし」
「まあ、そういうことにしてやろうか」
ジュリの声には余裕が混ざっている。無理して悪ぶるな、とその声が暗に伝えている。顔を机に向けたままジュリへ向けて口をとがらせて見せると、アイスを食べている最中のジュリはちょっとおどけたような笑みを返した。
無造作なショートカットに不格好なメガネをかけたジュリ。本棚に並んだスナップ写真の姿とはまるで別人のようなのに、それでも持ち前の本質的な美しさは隠し切れずににじみ出てしまう。こんな南の島にいるのに肌は白いし、まつ毛は長いし、鼻筋が通って、なにより幼さを感じさせないシャープなフェイスラインが反則だ。
つくづくコイツは美形だよな……と、アイスを食べるジュリを見上げながら、サランは親友の容貌を改めてシンプルに評価する。その瞬間、ジュリがメガネをかける以前の記憶が蘇る。必然的に当時ジュリの隣に立っていた誰かの印象も。
二日前の暴食のせいで重苦しい胃腸は、サランのもやもやとする記憶の蓋をこじあけてばかりいるのだ。うう~っと唸りながらサランはもう一度机に突っ伏した。
入学して早々、目立つ一群というものはあるものだ。
これから数分後に絶望の淵に叩き落されることを知らない無垢な新入生たちが集まった、オリエンテーション当日の講堂でのことをサランは振り返る。
サランを含めた大半が真新しい制服を着こなすのではなく着られた状態でキョロキョロあたりを見回したり同輩とぎこちない笑顔をかわし簡単な自己紹介を交えて不安を共有しあうその中、明らかに違う空気を放つ集団がいくつかのグループを作っていた。
髪を同じ形に整えた人形のような容貌の少女たちにかしずかれ扇子で口元を隠しながら側付きの少女に視線で何かを指示を与えていた、見るからにお姫様という風情の少女。
入学式で一番の注目を集めていたあの少女が北ノ方グループ総帥の令嬢だとざわざわひそひそと広まる新入生たちのささやきで知ったばかり。
その令嬢がチラチラと、まるでいつまでも片付かないゴミでもみるようなわずわらしげな視線を向けていたのが、講堂出入り口。
そこにいたのは制服を粋に着崩した、やたら眼力の強い少女の二人組。一人は明るい髪色の毛先がゆるく波打ったロングで、もう一人は高い位置で髪を結んだポニーテール。メイクもしている。毛先がゆるく波打ったロングヘアの方は、北ノ方令嬢の煩わしそうな視線を平然と受け流し、時々受け止めてはフフンと嗤ってみせていた。
そしてまた、入学式でのひそひそざわざわという噂の波で、あのロングヘアの挑発的な美少女がシモクインダストリアルのこれまた令嬢だと知らされたばかりだった。
北ノ方と撞木の令嬢は、上流階級の子女が通うことで有名な伝統と格式のある某大学付属幼稚舎からの同窓であり、とても難しい関係であることで有名だった……と、噂の小波は、うつらうつらしていいるサランの耳に気の重くなるような情報を運んで来たのだった。
ご町内限定の神童だった小学生時代、同じクラスの女子二人がケンカしあってクラスが二分され、どっちの派閥につくかを強制させられた思い出が蘇る。どっちにも与しなかったら「ああサランちゃんってそういう子だもんね」「我が道をゆくっていうか、うちらのこと見下してるもんね」等と両陣営からも敵視されるという非常に面倒な目に遭ったのだ。
少女兵器にして人類のヒロイン、ワルキューレになってすらそんなしょうもない人間同士の派閥争いから逃れられないとは……。思えばこの瞬間、初めてサランはワルキューレになるという自身の選択は正しかったのかと疑問を抱いたのだった。
そして数分後、サランは学園長のスピーチによって本格的にワルキューレになるとシンプルに決断してしまった自分を恥じいり呪うことになるのだが、この時点でその未来は予測していない。
まして、講堂出入口付近で制服を着こなすどころか粋に着崩していた二人と数日後に文芸部の部室で再会するなんて想像だにしていなかった。
「……う~ん、美味しい~。演劇部の皆さんっていつもこんなおいしいもの召しあがってるんですねえ~。うらやましいわあ~」
「そりゃああそこは全世界に後援会だってあるし大口のパトロンもいるんだからいいもん食べてて当たり前――」
耳に蜜をたらしこむような甘ったるい声に答えながら、サランはがばっと身を起こした。それはこの場に今いるはずのない者の声の筈だった。
なのにさっきまで空席だったサランのとなりには、いつのまにかやってきたメジロリリイが平然と座っていて、なおかつ当たり前のようにアイスを食べていた。
甘いものに対しては意地汚いサランは、シャー・ユイがからかいながらも冷凍庫にとってくれていたアイスはサランの分一つしかなかったことをしっかり目で確認していた。故にリリイがうっとりした表情で食べているものは、サランが数日後に食べる予定のものだったということになる。
あまりの事態に驚き立ち上がったはいいが、「ちょっ……、おま……っ!」以外の言葉が口にできなくなったサランに変わり、シャー・ユイが無作法な食客を厳しく問い詰める。
「ちょっとメジロさん、それはサメジマさんのものよ?」
「あらぁ~、存じませんでしたぁ」
「食べるなら食べるで一言くらい断ったらどうなの? 無断で勝手に食べるなんて――」
「余ってたアイスは一つしかありませんでしたぁ~」
ねっとりした笑みと声で、リリイはシャー・ユイの言葉を遮る。
「そしてそれはサメジマ先輩の分だった~、ということは私の分は無かったってことですねえ~? そもそも、私が席を外している間に美味しいものを自分たちだけで食べようってなさってたわけですよね~? そういうのって……イジメ? 仲間外れ? 村八分? 世間ではそう仰いません~? やだあ~、陰湿~。怖ぁい~」
「――っ、あなたねえっ……!」
現文化部棟で性根の曲がっていることに関しては間違いなくトップクラスにいる小娘に陰湿だと言われたことから、シャー・ユイは気色ばむ。和やかだった部室の空気の緊張感が一気に高まるが、それを無視してサランはリリイの頭に髪の分け目にそってチョップを入れた。
「
「うるせえ、この前ダイエットしてるとか言っといてなんだようっ。嘘こきやがって!」
「嘘なんかついてませ~ん。良質のものを適量食べるのは美と健康にとってもいいことなんですぅ~」
ぬけぬけとリリイは言ってのける。その表情に怒りを高めたサランが息をのんだ瞬間、外からは相変わらずバドミントンのシャトルを打ち合う音とのんきな歓声がまだ聞こえることに気づいた。
窓の外をちらっとみると、メジロタイガが他の二年生たちと一緒にバドミントンに興じていた。スマッシュを決めて、よっしゃー! 等と声を上げている。その様子にどこからかやってきたメンバーも楽しげに笑う。
サランのアイスを無断で奪ったリリイは平然とした風を装っているけれど、いつも浮かべている仮面みたいな笑みが剥がれかけている。
おそらく……と、サランは状況を推理してみた。
手のかかるリリイの世話をサランから命じられていたタイガは、二人の中でブームになっているバドミントンで遊んでいた。そこまではよかった。
しかし中庭で連日遊んでる二人をみて、興味をもった文化部の二年生たちがやってきたのだろう。何か楽しそうに盛り上がっている者をみかけると混ざりたがる者たちはどこにでもいるものだ。
入ーれーて~、の声に、いーいーよ~、とタイガが答えてしまったのだろう。リリイはおそらく露骨に不機嫌になった筈だが、バドミントンにハマってしまったタイガは気づかなかった。そして「放課後はリリイの面倒を見ろ」という約束をすっかり忘れて遊び呆けている、とまあそういうことだろう。
流石アホの子だ、明日ちょっと厳し目のチョップをくらわしてやろう。
心の中で決意してからサランは椅子に座りなおした。
脆い子供のそのものの顔をしてアイスを食べるリリイの横顔を見ているとそれ以上何も言えなくなる。とんでもなく陰湿な小娘だってわかっていても、だ。
「……リリ子なあ、それ食ったら機嫌直せよう。先輩命令だからなあ」
リリイは答えない。泣きそうな顔をしてアイスを機械的に口に運んでいる。
人の分を勝手に奪ったんだ。もうちょっと味わって食え、と言いたくなる気持ちを押し殺してサランはジュリの方を見た。
「ワニブチ、一口シェアする気とかない?」
「……さっき一さじでも口にしたら上から下から大変なことになりそうだって言ってたじゃないか?」
「こうなってしまった以上、大変なことになってもいいから食べたいとうちの体が叫んでる。今食べないと後悔すると言っている。だから」
親友という関係の気安さで、サランはジュリにむけて口をあーんと開けてみせた。餌をねだる雛鳥のように。
ジュリは少し間を置いてから苦笑し、空になったカップをサランに見せつける。
「残念だな」
サランは自分のふざけた振る舞いに合わせてヒヒっと笑った。
おどけてみせたお陰でリリイがやってきてから緊張した部員の空気も和らいだようだ。シャー・ユイもやれやれといった塩梅で微笑んでいる。
世界の至る所で人類は今日もいがみ合っている。
それを写し取ったように、文化部棟内のワルキューレたちの気持ちもすれ違い摩擦を生む。
ただしそれが自分たちがワルキューレである以前に人間であるという何よりもの証左であるのかもしれない。……めんどいけど。とんでもなくめんどくさいけど。
サランはそんなことを考えながら、再び机に突っ伏して重苦しい腹部に手を当てた。視線の先には本棚に刺さった古い文庫本の濃いピンク色をした背表紙がある。
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