#3 ゴシップガールの口は災いの元

 ◇ハーレムリポート 電子個人誌ジン版 #38◇


 紙媒体での連載が始まったからこっちの連載は滞ると思った? 残念でした~。


 絶賛通常運転中のレディハンマーヘッドだよ。こっちでも今まで通り、こっちのペースでフカガワハーレムのことを報告させてもらうんで引き続きご贔屓に。


 そんでもって皆さんご存知の通り学園島は初代理事長のノスタルジーを引きずって四月に年度が替わるんでフカガワミコトほかメインメンバーは初等部三年にそろって進級したよ。めでたいねっ。外の世界じゃ中学三年相当なのに初等部って呼ぶの超めんどいよね、これって慣れるまで微妙に大変で――。


 え、何、〝超″っていつ時代の人だよって? あははごめーん。こっちでは今、二千年紀ミレニアムブームでさあ、西暦一九九五から二〇〇四年くらいの旧日本カルチャーがキてるんだよ。そのせいでついね〝超″って使っちゃうんだ。つうか〝超″に引っかかるんなら 〝めんどい″の起原にも気を留めたらどう?


 話がそれちゃったんで戻すけど、それでメインメンバーはめでたく初等部最高学年になったわけだから、鬱陶しい先輩も高等部に進級してもう自分たちの天下ってわけだよ。最高学年になった十四から十五の子どもが人生で一番調子づくの、そういうのは今も昔もかわんないみたいだね。二千年紀ミレニアム前後からの小説や漫画・アニメなんかみてるとすっごくよくわかるんだ~。


 ――え、うるさい。お前の話はどうでもいい? つうかそうやって読者からのツッコミ入れられる体裁で話を進めるのサムい? 


 ごっめーん。サムくてごっめーん。ちなみにこういうシチュエーションを〝サムイ″って言い表すようになったのってこの時期にテレビで活動していた芸人の影響だよっ。やったね一つ知識が増えたよ、試験には出ない知識だけどっ。でも賢くなったんだからいいじゃん。本当の意味で賢くてステキな人間は無駄を排した合理的な生き方からは生まれないんだよ!

 

 おっとそろおそ本題に入らなきゃいけないんだった。――というわけでぇ、メインメンバーは晴れて初等部三年になったわけだけど、それってつまりどういうことでしょう?


 はい、名実ともに生徒会長キタノカタマコ様が初等部の代表になったってことね。


 二年在籍時にあくまでも民主的な選挙の結果選ばれた生徒会長たる方なんだからまさにだれしもが認めるだもん、いくら高圧的で高飛車なお姫様のマコ様だって実務では無茶苦茶はなさらない筈だけど、でもフカガワハーレムがらみでは別なんじゃないかな~ってうっすら危惧されてるよ。


 今の学園は嵐の前の静けさ状態。

 

 フカガワハーレムのメンバーになるとワルキューレとしての注目度があがる、初等部にして士官待遇の特級ワルキューレになれるのも夢じゃない。特級ワルキューレになれるのがムリでも注目を集めて世界のヒロインになれる可能性は高いって野心家ワルキューレ達の間に誤った考えが広まりつつあるから、凄いんだよね熱気が。ただでさえ亜熱帯性気候で暑苦しいっていうのに。

 

 目下、生徒会長マコ様の懸案はずばりそれ。ご愛用の鉄扇型ワンドでお口を隠してお嘆き中。フカガワ様にお目にとまれば特級ワルキューレになれるだなんて誤解も甚だしい。特級ワルキューレになれるのは己の資質と努力のみにかかっているというのに愚かしいこと……ってわけ。


 そんな風潮を生み、一部の不埒で未熟なワルキューレの間に混乱をもたらしたのも全て『ハーレムリポート』なる愚にもつかない個人誌ジンのせい――って。


 ――そうよ。レディハンマーヘッド的には心配なのは、マコ様がこの『ハーレムリポート』におかんむりって噂があること。


 ま、しかたがないかもねー。ご入浴中に不運にも乱入されたことまで書いちゃったんだもん。そりゃ怒るよねえ~、特級ワルキューレにしてキタノカタ家のお姫様の玉の肌がどこぞの男子の目に触れてしまったなんてことが全世界に公開されたんだもん。怒るのも無理ないよね~、学園島外のカストリメディアの中にはご混浴事件の際にマコ様はフカガワミコトと一線超えた関係になったなんて好き放題書き散らしてるものまであるみたいだし。ま、そういうメディアは軒並みキタノカタ家に握りつぶされているみたいだけど。怖っ。こっわ。

 

 ――あれ、消されたくないからマコ様ご混浴事件のことは封印するつもりだったけど結局また書いちゃってるわ。だからキタノカタ家がどんなに頑張ってもああいう下劣な噂が消えないんだろうね~。ってあたしのせいか。てへっ。


 つうわけで、『ハーレムリポート』が突然更新されなくなった時はマコ様率いる生徒会メンバーに表現の自由を侵害された時だったりなんかしちゃったりして(最近発掘した古い映像で知ったんだけど、この言い回し。クセになるよね)。


 読者の皆様におかれましては、口の滑りやすいレディハンマーヘッドの無事をお祈りしてやって頂戴ませませ。 


 ◇◆◇


 レディハンマーヘッドってあんたじゃないの?


 そう質問したことは勿論ある。


 しかしそれを聞いたワニブチジュリは愛用のマグカップにインスタントコーヒーの粉末を入れながらブフっと噴き出したその後、お腹を抱えて激しく笑っただけだった。

 その場にうずくまって数分ゲラゲラ笑い、ヒーヒー喉をならして呼吸を整えたあと、ずれたメガネと乱れた髪を整えてから立ち上がり湯を沸かしたばかりの卓上ポットを取り上げる。


「……僕が真面目くさった顔であの文章を書いてる所を想像してみろ、サメジマ。腹筋千切れるぞ」

「うん、うちも何度か想像してブフーってなった。ヤバかったわ〜」

「だろ? 死にたいくらい落ち込んだ時に脳内にこのイメージを思い浮かべるといい。きっと無駄に元気が出てくるから」


 自分のカップ、そして安コーヒーと粉末ミルクと大量の砂糖を入れているサランのカップにどぼどぼと沸かしたてのお湯を注いだ。


「訊いてくれたタイミングがコーヒーを口に含んだ時じゃなくてよかった。もしそうだったらぼくは今頃喉と鼻腔に深刻なダメージを負うところだった」


 その日のジュリはそうして一笑に付す。そしてその話題は終わったのだった。


 サランもヒヒヒ〜と笑いながらそのまま話を終わらせたわけだが、言われるまでもなくジュリはこの時答えをはぐらかしただけで、自分がレディハンマーヘッドであるかのかないのか否定も肯定もしていない。


 レディハンマーヘッドの正体はワニブチジュリ。正直、サランは十分あり得る話だと思っている。そして別にそれでもいいと思っている。

 理由は一つ、面白いから。


 読者も観察対象もおちょくり倒している、読んでいて時々イラっとする文章を発表してるのが面倒くさい自意識のこじらせかたをした一人称が「僕」の女子。これはイタい、サムい、恥ずかしい。でも面白い。


 ジュリはジュリなりに、よりよい世界を目指してフカガワハーレムのことを書き散らした文章を全世界に公開している、サランとは違って志のある低レアワルキューレだ。

 世界をよりよくすることを真面目に考えて行動するなんて、まるで二千年紀ミレニアム前後のジュブナイルの登場人物みたいなやつじゃないか。というよりも、堂々と居直ってそういうキャラクターになろうとしているべきか。


 このご時世に幸運にも安穏としたご町内に生まれて育ったサランは、二千年紀ミレニアム前後のジュブナイルみたいな無茶苦茶なキャラクターはなかなかこの世に現れないことをよおく知っている。

 そしてそういうキャラクターになろうとしているする子供は、同じ空間にいる子供から「サムイ」「ウザイ」なんて評価を下されてつまはじきに遭いやすいことも知っている。 

 サムくてウザい上にクサいジュリ。こんなヤツはきっとこの文化部棟でなきゃ生きていけないんじゃないだろうか。

 きっとジュリは自分があのままただの中学生になるという進路を選択していたら出会えなかった類の人間に違いない。

 ジュリと一緒にいれば、あのまま普通の中学生になっていれば体験できなかったことに遭遇できるのではないか……悲惨な戦場のリアルをつぶさに目の当たりにするといったことではない、わくわくするような特別な出来事に。

 

 そんな考えにたどり着き、サランはいつも恥ずかしくなる。

 

 自分の身に特別なことが起きるのではと期待してワルキューレになる選択をしたのはほんの数年前なのに、また性懲りも無くまだ自分の人生になにか特別なことが起きることを期待してしまうなんて。どこまでも十四歳という年齢を自覚せざるを得なくなる。


 

 そんなサランは、同時にレディハンマーヘッドの正体がジュリじゃない可能性だってそれなりに、いやその方がずっと高いことにも一応気づいていた。

 レデイハンマーヘッドの正体、それはきっとワニブチジュリではない。




「ちょっとワニブチ~、うちからの手紙読んだあ?」

 

 数学の時間の前にメジロタイガの襲撃を受けた日の放課後、文芸部部室に乗り込んですぐ先にいたジュリに迫る。

 ジュリはいつもの席のいつものカップであいかわらずコーヒーと呼ぶのもはばかられるような熱い液体を飲んでいた。今日の文化部棟にはワルキューレの歌声が響いている。合唱部あたりがどこかで練習しているのだろう。


「読んだぞ。返事だって送った」

「嘘だあ。全然通知が来なかった!」


 妙だな、と首を傾げながらジュリは右手を振ってみせる。するとその手に四つに畳んだノートの切れ端が現れた。返事が送れていなかったのだ。


「サメジマ、お前のメールボックス整理しろ。そっちが満杯で届かないんだ」

「えっ? そんな筈──うわわっ」


 右手を振って昔懐かしい赤い郵便受けを表示させたとたん、爆発するようにそこから無数のDMが溢れ出した。怪しいスパムに健康商品や化粧品のキャンペーンのおしらせにアダルトコンテンツの宣伝――、ありとあらゆるゴミDMがサランの前で山積みになる。

 この前、一念発起して掃除したばかりのメールボックスがすでに満杯になるというこの事態。その間にも空になった郵便受けへコトコトコトコトと異様に速い音を立ててスパムが届けられている。大量のスパム攻撃、これはワルキューレ間で昔から行われる非常に古典的な嫌がらせの一つだった。

 我に帰ったサランは慌てて右手を振って自分のコンシェルジュキャラクターを表示させた。老舗ファンシーグッズメーカーの看板で世界に通じるポップアイコンとしても有名な白猫のキャラクターだ。


 はーい御用はなあに〜? と尋ねる二頭身の白猫に食い気味に命じる。


「なんで送信元不明のDM受け入れてんの? 早くブロックして! それからスパムを今すぐ消去っ! それから文化部棟の掲示板にうちの誹謗中傷が書き込まれてないかチェックもね!」


 おっけいおっけーい、と白猫コンシェルジュは答えると何体もに分裂した。数体はいつの間にか書き換えられていたメールボックスの設定を変更しなおし、もう数体はメールの山からスパムと大事なおしらせをより分ける作業を始める。そして残り数体はモップや雑巾をもって誹謗中傷削除に駆け出す。


 机の上に肘をつきながらジュリは、第三者からの古典的な嫌がらせに頭に来ているサランを面白そうに見ながら自分も右手を振った。


 四角いワイプのかたちで表示させたのは文化部棟の掲示板だ。棟に部室がある部に所属するものなら誰でも自由に書き込める。

 サランが懸念した通り、様々なお知らせを押し流すいきおいで文芸部副部長サメジマサランの悪口が有る事無い事書き込まれている。サメジマサランはブスのくせに調子に乗ってるくそビッチ、後輩を泣かせるパワハラヤリマン……云々。

 掲示板にかけつけたサランのコンシェルジュが消しにかかるが、スプレー缶を手にして掲示板に誹謗中傷を書き込むお花のドレスを着たフェアリー姿の敵方コンシェルジュがそれを阻む。

 その有様を見物する文化部棟の低レアワルキューレたち。その数は続々増えてゆく。


 こんなことは文化部棟では日常茶飯事だ。どこぞのだれかの誹謗中傷合戦ならサランも面白がって野次馬になっていた。しかし当事者になってみるととても面白がれたものではない、当たり前だが。


 ムキイーっ! と三つ編みを逆だてる勢いでサランは怒る。


「ディスり合戦なんだからブスまでは譲ってやるけど、誰がビッチでヤリマンだあ!」

「――まあ、お前を罵倒するのにこれほど適さない言葉もないな」


 言いながらジュリはワイプに直接指を触れ素早く操作する。各部長が持つ権限で一時的に掲示板の使用を禁じてスプレー缶で書き込まれた誹謗中傷を削除するように命令をする。

 そして逃げ遅れたフェアリー型コンシェルジュを指で摘んで捕獲すると、インストールされている端末の情報を素早く照会した。


「サメジマ、誰かに恨まれるようなことしたのか?」

「……心あたりは無いこともないようっ、証拠はないけどねっ」

 

 表示させたゴミ箱に手動でもDMを放り込みながら、ぷりぷり怒りつつサランは答えた。


 数学の授業の前、今度話をきかせてもらいますからね! と一方的に言い捨てて教室を出て行ったメジロタイガが向かった出入口のそばに、実はもう一人の後輩がいたのだ。


 ストレートの髪を肩につくかつかないかのあたりで切りそろえ、左サイドの髪を耳にかけている。冷房がきいているとはいえこの暑い島でシャツの上からロングサイズのベージュのカーディガンを羽織り、その裾からやっぱり短く改造したスカートを覗かせるやっぱり二千年紀ミレニアム浪漫溢れるスクールガールスタイル。足元は紺のハイソックス。背丈はメジロタイガと同じくらいだったが、白い肌に柳の眉、二重の瞼の下からは翡翠色がかった茶色の瞳を覗かせているという端正な容姿を有する少女だった。タイガとは雰囲気はまるで異なり大人っぽい、というよりもぶっちゃけ雌っぽい。

 メジロタイガが教室から出てくるなりつつっと近寄り傍に微笑みながら密着する。

 たーちゃん遅いじゃない、授業が始まっちゃう……と甘ったるい声でその女子が話しかけている声を聞くともなしに聞いていた。それに対し、やー悪ィ悪ィ待たせちまったな……と大して悪びれも無さそうに頭をかいているメジロタイガがさっさと先へ行く。


 新聞部のヤツ、友達からたーちゃんなんて呼ばれてるのか。


 授業の準備をしながらその様子を見るともなしに見送った際、そのベージュのカーディガン女子は突然サランに視線を向けてキッと睨みつけたのだ。

 にこやかで優しげな女の子の顔をかなぐり捨てて、混じりっけなしの敵意をむき出しにされる。


 ……おいおい、なんだ?


 一瞬気になったけれど、その時のサランにはジュリへ向けて手紙を書くことしか頭になかった。やたら雌っぽい後輩のことなんて頭なかから追いやってしまった。

 

 その結果がきっとこれだ。


 DMの処理をコンシェルジュに任せ、サランは右手をふり初等部生の名簿を表す。そこから今年度の二年生の名簿を表示させた。全身写真を参考に、自分を睨みつけたあの後輩を即座に見つけ出す。


 メジロリリイ、それがサランを睨みつけた綺麗な顔をしたカーディガンとハイソックス娘の名前だった。

 ジュリもフェアリー型コンシェルジュから抜き取った情報と名簿に記された所持端末の情報を照らし合わせた。二つの情報は全て一致する。こうして犯人は特定された。


「……ああ、合唱部の問題児じゃないか」

「何? コイツ有名なのっ?」

「まあな。年度末の部長総会で話題になっていた。先輩を先輩とも思わない上にフカガワハーレムに接触しようとしているクソ生意気な一年がいるとかどうとか」


 サランの疑問にジュリは右手を振ってこたえる。シンプルな四角いワイプが現れる。映し出されるのは階段の踊り場らしき場所で歌っているワルキューレ数名。さっきから聞こえる歌声とほぼ重なっているところをみるとライブ映像なのだろう。

 四月らしく桜がどうのこうのと歌っているワルキューレのセンターに、サランを睨みつけたあの後輩はいた。その姿は行儀のいい上品でにこやかな乙女そのものだ。


 それにしても……メジロとは?


「メジロって、新聞部と同じ苗字じゃん。姉妹か何かなのお?」

「新聞部? ああ『夕刊パシフィック』のトランジスタグラマーか」

「まーた古い言葉仕入れたもんだねえ、そうだよそのトランジスタグラマーのトラ子だようっ」

「この前僕の所にも来たぞ。レディハンマーヘッドの件で」

「お前が追い返したせいで最近うちにつきまとってんだよう。もう本当にうざいったら」


 サランがぶつぶつ愚痴をこぼす間にジュリも自分のリング型端末から名簿を表示させてメジロタイガのページを開く。サランが開いているメジロリリイのページと読み比べ、「……ああ」と声を漏らした。


「出身施設が同じなんだ。目白児童保護育成会……ふうん、なるほど。それでお前へ嫌がらせか」


 世界の半分近くがのんきでも平和でもない時代、学園島に入学が許可される十二歳までのどこかで親や家族と離れて育ってきた、あるいは最初から知らずに育ったワルキューレは珍しくはない。

 そのことはサランだってよく知っていたのに、後輩二人が同じ苗字だと知ってとっさに「姉妹」だと判断してしまった。

 同じ苗字=家族ないし親族と判断してしまうような自分はいかにも平和なところで幸運に育った子供だと思い知らされる。それは猛烈に恥ずかしい。

 だからジュリが後輩二人が同じ施設出身で、その片方がサランに付きまといもう片方がサランへ嫌がらせをする理由に見当がついて面白そうにニヤニヤ笑っていることに気が付かない。

 そんなサランは恥ずかしさを紛らわせるために皮肉を口にする。


「……ワルキューレ因子を持つ女子を同時に二人も送り出す施設ねえ……どういう所なんだか」


 戦災孤児を保護する傍ら、非合法の人体実験で男子なら強化兵士に、女子ならば後天的に因子を植え付けてワルキューレに仕立て上げる。そういった怪しい機関の都市伝説はこの島ではおなじみだった。あながち都市伝説だと言い切れないあたりがタチが悪い。


 そうこうしている間にメールボックスの設定変更も済み、ゴミDMの整理も終わった。


 やれやれと一息入れとっちらかった拡張現実を一旦整理したそのタイミングで、二頭身の白猫コンシェルジュはサランに残った手紙を手渡す。

 だいじなおしらせ~、という声とともに。それを受け取ってサランはゲッと呻いた。


「出撃命令じゃん! ――うっわあ、あやうく無視するところだったあ!」


 突然の嫌がらせによって危うく届かないところだった出撃命令、集合時間は本日の19時だった。今は放課後、16時に差し掛かろうというところ。

 すんでのところで命令を無視するような懲罰必至の大失態はまぬがれたものの、ジュリとともに呑気で気楽な放課後を過ごしたのちに宿舎で晩御飯を食べて風呂に入って、ベッドで読みさしの小説の途中を読んで――と漠然と立てていた予定が全部変更になったショックと悲しさから、サランはバタンと机の上に突っ伏す。


 最悪だ。ああ最悪。

 あのメジロリリイとかいう合唱部の問題児に嫌がらせさえされなきゃあ、ちゃんと出撃に対する心の準備もできたのに……。


 人類と世界を少しでも明るい未来へいざなわねばならぬという使命感と意識に著しく欠ける怠惰な低レアワルキューレらしく、心の中でサランはさめざめと泣いた。そしてその悲しみはメジロ姓をもつ二人の後輩への怒りと恨みに変換される。


 右手を振ってサランは、以前メジロタイガから無理やり押し付けられた名刺を表示させた。ラインストーン状のスタンプで思う存分デコられた名刺のコールナンバーに触れる。そうすると名詞はすぐさまトラ耳のカチューシャをつけた二千年紀ミレニアム風黒ギャルを模した手のひら大のキャラクターに変化する。これがメジロタイガのコンシェルジュキャラクターらしい。サランの価値観からすると、端的に言って趣味が悪い。


 ほどなくして、黒ギャル風コンシェルジュの口が開く。そこからメジロタイガのはずんだ声が聞こえてきた。


『もしもしサメジマパイセンっすかっ? お話聞かせてくれるんすかっ?』

「おうおう、単なる話でいいならいくらでも聞かせてやるよ。お前と一緒にいた合唱部のアマがずいぶん舐めた真似をしてくれたじゃねえかこの野郎」

 

 アウトローばかり出てくる古い映画を真似た口調で突っかかると、メジロタイガはあからさまに戸惑う。


『……え? リリイのやつパイセンになんかしたんすか?』

「うちのメールボックスがパンクして出撃情報無視する所だったし掲示板に読むに耐えないような悪口書かれまくったよ」


 突っ伏していた姿勢から一転、むくりと起き上がると頬杖を突きつつ、目の大きな黒ギャルコンシェルジュを指でつついた。そしてジュリから手渡されたゲージに閉じ込められたフェアリー型コンシェルジュをメジロタイガへ向けて送信する。

 それが届いたらしく受話器の向こうでタイガは、うーわーあー……と呻き声を発した。


『すんません、リリイのやつがとんだご迷惑とご無礼を……! 申し訳ないす』


 声の調子からするとコンシェルジュの向こうで土下座でもしていそうだ。


「まーあんたに謝ってもらっても仕方ないんだけどさあ」

『了解しました! じゃあ今すぐリリイとっ捕まえてケジメとらせますんで!』


 ぶつ、と通話は切れた。と同時に黒ギャルコンシェルジュはくるりと回転して姿を消す。

 サランはしばらく黒ギャルの消えた後を見つめる。そしてため息を吐きながらまた机の上に突っ伏したタイミングで、ジュリがサランの前に白猫キャラのマグカップを置いた。白猫の頭の上から覗くと薄茶色の液体がゆっくり渦を巻いていた。サラン好みに粉末ミルクと砂糖を多めにしてくれたらしい。


「お疲れ」

「……ありがと」


 ようやく静けさの訪れた部室で、ジュリの淹れてくれた雑コーヒーをちびちびとすする。気の重さが糖分で和らいだ。


 ジュリのカップは各言語の「ありがとう」がプリントされている出入り業者の粗品で、サランのカップは昭和後期産のアンティーク品だ。ワルキューレとしてお給料を初めて手にした時に自分へのご褒美のつもりで買ったものだから、当然とても気に入っている。

 なのに文芸部内ではちょっと不評だった。ジュリなんてこのカップを使って雑なコーヒーを飲んでいる何回に一回は「子猫の脳みそを啜ってるようにしか見えなくてグロい」と無粋なことを口にする。


 そしてかつての文芸部には、このカップを見てジュリよりももっと無粋なことを言い放ったものがいたのだ。



 ――サメジマさん、ネオテニーって聞いたことある?

 ――そうそう、成体にならないまま交尾できるようになるってあれ。幼形成熟ってんだっけ? ミノムシとかさ。

 ――あんたってさ、なんかそれっぽい。



 ……気持ちがくさくさしたせいで余計なことを思い出したサランは、ジュリの淹れてくれた雑コーヒーをすする。


 部室が静かになり過ぎたせいで、忌々しい合唱がよく響く。


「そうだサメジマ。手紙、今直接渡そうか。それとも送信しようか」

「……ん。ちょうだい」


 そういえば事の発端は、授業開始直前にサランが送った手紙の返事がなかなか来なかったので文句を垂れたことだった。

 雑コーヒーをすすり飲みながらサランが手をさしのばすと、ジュリは拡張現実上にあるノートの切れ端を四つ折りにしただけの手紙を手渡す。


「僕のいないところで読んでくれ。大したことは書いてないがなんとなく気恥ずかしからな」

「ん、了解〜」


 手紙を空になったばかりのメールボックス内に収めた所、文化部棟内に響き渡っていた合唱が途中でかき消えた。そのあと怒号と悲鳴とそこらじゅうをドタドタ駆け回るような足音が響き渡る。


 あまりの騒々しさに廊下を見やると、カーディガン姿の女子がどこか楽しそうにキャーキャーと悲鳴をあげながらタタタタッと軽やかな足取りで文芸部前を駆け抜けて行く。

 そしてその後に現れたのがダダダダッと荒々しく追いかけるメジロタイガだった。


「待ちやがれコラアァァァっ! リリイィィィっ! てめえこれで何度目だぁぁぁっっ!」

「嫌あよ、だってたーちゃんが悪いんだもーん、うふふふふ〜」


 先行するメジロリリイの声は遠くから聞こえた。もう廊下の突き当たりにいる。

 追いかけるメジロタイガは文芸部の部室を通り過ぎようとしたところで急ブレーキをかけて、開け放ったドア越しにサランへ向けて頭をさげる。


「っと……この度はどうもすんませんしたあっサメジマパイセン!」

「いやだからあんたに謝ってもらっても仕方ないし……ちょ、何々?」


 メジロタイガはダカダカと文芸部の部室の中に駆け込む。


「リリイのヤツ昔から逃げ足はなかなかのモンなんすよっ、ちょ、失礼するっす」


 そう言うなり身軽な仕草でひらりた窓を飛び越えた。文芸部の部室は中庭の様子がよく見渡せる二階にあるが、メジロタイガはなんなく綺麗に着地すると、衝撃を物ともせずに文化部棟の非常階段めがけて即座に駆け出す。そこにはひょっこり姿をのぞかせたメジロリリイがいた。


「こぉら待てリリイィィィっ! 今日はもう許してやんねえからなぁぁっ!」

「いやーん見つかっちゃったあ〜」


 小学生の時、女子から黄色い声を集めていた俊足の男子を思わせるフォームでメジロタイガは嬌声を上げるメジロリリイをぎゅんぎゅんと追いかけ、その距離を詰める。逃げ足だけは異常に速いというメジロリリイは文化部棟の死角へ逃げ込み、文芸部部室にいる二人の視界からは見えなくなった。


 窓辺に肘をついてサランは雑コーヒーをすする。追いかけっこをする二人の声はまだ聞こえてきた。ここから追いかけっこを目撃するのは今日で二回目だ。四月に入ってから二度目。異様な頻度だと思う。


「……ワニブチぃ」


 サランはふと心臓の弱いところを一突きされたように心細くなり、窓辺に頬杖をつく。

 そんな気持ちになったのも、メジロタイガが見せつけた俊足自慢な小学生男子走りのせいだろう。


「うちは多分一生、こうやって他人が追いかけっこしてゆくのを見守る側に居続けるような気がすんるだあ」

「なんだ、今日のサメジマは詩人だな」


 数学の授業の前に書いた手紙を読んだジュリはそうやって冗談として処理してくれた。多感な時期の多感な胸の内に触れるのはお互い照れくさいものだ。


「……まあね。文芸部員だからたまにはそういう気持ちにもなるさあ」


 メジロ姓を持つ後輩二人はぐるりと文化部棟の周囲を一周しているようだ。遠ざかった声が近づいてくる。どうみてもあの二人はただ仲良くじゃれあっていた。

 


 うちにもフカガワハーレムのメンバーや、今下にいるメジロ姓の二人みたく、追いかけっこをするような相手がいずれ現れるんだろうか。

 

 そもそもうちはそういう相手が欲しいんだろうか。


 追いかけたり追いかけられたりしたいんだろうか……うへえ。


 ひょっとしてジュリと一緒にいたら体験できるかもしれないわくわくするようなことって、結局はこういう追いかけたり追いかけられたりするような出来事に収束してしまうんだろうか……。嫌だそんなの、ショボすぎる。


 ……つうか、こういう悩みっていかにも十四歳くせえ……。うげえ。


 部長として合唱部へ今回の騒動のことをリング型端末を介した通話で抗議しているジュリの気配を意識してしまうような自分にうんざりし、サランはぶんぶんと頭を振った。



 集合は19時、いくら怠惰な低レアワルキューレだとしても戦場でうっかり命を落っことしたくはない。


 あと数時間で瑞々しく多感な気持ちに胸を震わせるような恥ずかしい自分を封印せねばならないのだ。

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