カントウの怪談

相生薫

怖いけど嬉しい

 東京といえば地下鉄が縦横無尽に走っているので、さぞかし便利だろうと地方の方は思っていらっしゃる方も多いと思いますが、東京でも城南地区と言われる神奈川県と多摩川で隔たれた地区は最寄り駅が近くにない場合が多いのです。二子玉川や自由が丘などは便利ですが、ちょっと離れてしまうと駅もなく、国分寺崖線と呼ばれる地域は急な坂道ばかりになってしまいます。


 そこで最寄り駅までバスということになるのですが、通勤通学時は恐ろしく混むし、時間もあてにならない。東急多摩川線はすぐ停まる。

 さらに雨など降れば最悪です。


 私が数年前に住んでいた世田谷区はまさにそうでした。「世田谷」と言えば高級住宅街というイメージがありますが、皆さんお金持ちなので電車通勤などしないのです。皆自分の高級外車で出勤するので駅が少しくらい遠かろうが構わないようです。ご近所にそんな愚痴を言うと、城南地区は急いでる時はみんなタクシーを使うわよ、と教えてくれました。しかし、住宅街だから朝の忙しい時にタクシーなんて滅多に来ません。

 おばさんにそう言うと「電話でタクシーを呼ぶのよ。この辺りでは皆そうしてるわよ」と教えてくれました。


 田舎なら電話でタクシーを呼ぶのは当たり前だが、東京でもそうなのか、と関心したものです。

 東京のタクシー会社の無線室には電話番号とその住所が登録してあるらしく、こちらから家の場所などを教える必要が無いので、固定電話で電話するといいと教えてくれました。


 田舎ではその土地特有のランドマークがあり、神谷部落の染谷さんの三軒右隣、等と教えてあげなければなりませんが、やはり東京は便利です。


 しかし、朝の忙しい時に限ってタクシー会社に連絡しても「話し中」になってしまい、中々繋がりません。


 そこに住んでいる間中、朝に電話がつながったことは一度もありませんでした。一方、夜などは比較的つながりやすいので、近くの駅前で会社の同僚が飲んでいて呼び出された時などはよくつかまりました。


 そんな訳で、私が自宅から電話でタクシーを呼び出せたのはいつも夜でした。

 でも、自宅から電話で呼び出すと、どうも運転手さんの様子が変なのです。赤坂や渋谷で手を挙げてタクシーを捕まえる時と明らかに態度が変なのです。

 なにか怯えてるような、そして暫くすると安心したようになったりもします。


 私は別になにか変なことをした訳でもないし、話さえしていないのに何故だろうといつも不思議に思っていました。


 ある時、家で飲んでいて、同僚から駅前の店にいるから飲みに来い、と連絡が入り、面倒臭いなぁ、と思いつつも、タクシーを呼ぶと、またもや玄関を開けた途端に、ホッとしたような、ガッカリした様な顔をしたのです。


 酔った勢いもあり、私はその時、その運転手に訊ねてみました。

 電話でタクシーを呼ぶとみんな運転手の態度がおかしいような気がする、と。


 運転手は暫く言い淀んでいましたが、暫くすると、「私はこう見えても工学部の出身でね。非科学的なことは信じないたちなんですけど」と前置きをした後に話してくれたのです。「このマンションの常連さんのことなんですけどね」




 その客はいつも電話でタクシーを呼んだ。

 しかも、深夜で客も家路についた頃なのでタクシー運転手としても嬉しい客だ。


 その客は必ず「ちょっと遠いんですが、いいですか?」と聞いて、カーナビに住所を入れさせる。運転手としても遠ければ遠いほど売上が上がるので嬉しい。


 その客がカーナビに入れさせる住所は必ず同じで、関東近県のとある県の端っこだ。料金は確実に二万から二万五千円はいくような遠隔地。

 最近こういう「おいしい客」は滅多にいないそうで、飛び跳ねて喜んでしまいそうになる。


 お客は三十代くらいの小綺麗な男性で、サラリーマン風。大人しくて無口だが、陰気とまではいかず、運転手の話には言葉みじかに答えてくれる。

 その辺にいくらでもいるサラリーマンといった感じだ。


 嬉しくて、しゃべりまくりたくなる運転手もかなりの遠隔地なので、話のネタが持たず、最後は黙りこんでしまう。


 高速に乗って、カーナビ通りのランプで降りてその先も延々と走り続ける。やがて街頭も無くなり、他に走る車も無くなり、ハイビームにしなければ走れないような田舎道に出る。


 漸く目的地に着き、「お客さん、こちらで宜しいですか?」後ろを向くと、誰もいない。


「しまった!無賃乗車だ!」と運転手は叫ぶ。

 しかし、よく考えてみると、客は固定電話から配車注文してるし、目的地もカーナビに入力してある。カーナビの住所がデタラメだとしても、電話をした住所は明らかだ。


 電話でタクシーを呼んだ際はよっぽどの馬鹿でないかぎり無賃乗車などしない。すぐに捕まるからだ。


 運転手は気を取り直し、カーナビに入れた住所のお宅へ足を向けた。

 恐る恐る、呼び鈴を押す。


 ピーンポーン。


 ピーンポーン。


 沈黙。


 ピーンポーン。


 家の電気が付き、インターフォンから迷惑そうな中年女の声が聞こえる。

「なぁに?」

「あの、〇〇タクシーですが…」

 そう言い終わらないうちに、家の奥からドタドタっと大きな音が聞こえ、バタバタバタ、スリッパで走ってくる音が聞こえる。


 ガチャガチャ、チャラチャラ。


 玄関の鍵を急いで開ける音。


 バタンッ、とドアが開き、中から中年の寝間着を着た女が出てきた。


「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。ツグトシでしょ?ああ、ゴメンナサイ」中年女はひたすら謝る。


 運転手は訳が分からず、とりあえず現状を報告する。


「あのぅ、世田谷の方からお客さんを乗せてきたんですが、ちょっといなくなっちゃって…」


「三十くらいの男でしょ?」


 運転手は黙って頷く。


「ああ、ゴメンナサイ。ツグトシだわ。お金は私が払います。遠くからごめんなさいね」

 そう言って1万円札を三枚渡す。大体の料金は知っているようだ。


「あっ、お釣りはいいですよ。ご迷惑かけちゃったんですから」


 運転手は更に訳がわからなくなる。



「そのお客さんなんですけど、いないんですよ…」



「気にしないで。ツグトシは五年前に死んじゃって、毎年この時期になると、タクシーで家に帰ってくるのよ。ホント、ごめんなさいね」


 女はドアを閉め、家の奥の方へ大声で叫んでる。


「おとうさーん、またツグトシが帰ってきたわよ〜」



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