カタカナの名前覚えにくいの俺だけ?
俺が住んでいる村は割と人の出入りがある。町と町の間に位置しているため、移動の際に立ち寄ることが多いのだ。
登場人物ラッシュで覚えるのに苦労していた俺は、ようやく村に定住している人を把握し始めていたところだった。それ以上の範囲は正直、手が届いていない。
特に職場であるお屋敷の使用人は数多く、そちらはまだ曖昧な人ばかりだ。それが完全にバレてしまっているので、会う人皆が自己紹介を欠かさない。リチャード氏の奥様まで、出会い頭にキャサリンよと挨拶してくる始末だ。流石に雇い主の家族は覚えてるわ。だから、キャシーと呼んでじゃないです、奥様。滅相もない。
そんな折、紹介したい人がいるとエブリンから話を聞いた。
――ちょうどこの村へ来るらしい。一緒に飯を食おう。
最近、話題としては特に出していなかったが、彼女とケイリーには毎日のように遭遇している。それぞれ、家が武器屋と防具屋である二人は、鍛冶屋である親方と親しい。元々、年の離れた兄のような存在であったらしく、幼い頃から付き合いがあるのだと言っていた。
親方の結婚が決まった時は喜んだし(ケイリー談)、子供に恵まれず寂し気な顔をするおかみさんには胸が締め付けられるような思いを何度もした(エブリン談)。弟子を迎えて賑やかになり、少し安堵はしたものの、夫妻が注ぎたい愛情は彼らに向けられないことを二人も理解していた。弟子には弟子に対する愛がある。
そんな矢先、待望の「子ども」が現れたわけだ。つまり俺。ここから先は言われずとも分かった。「大切な人の大切なものは自分も大切にしたい」理論である。
「おう、イアン」
待ち合わせた飯屋の前で、エブリンが大きく手を振っている。いつみても山のように大きい。
エリザもここに並ぶことになるのだろうか。別に2メートル級の身長がなくとも、ゴリゴリの筋肉になればアマゾネスとして十分だ。相変わらず、俺に内緒で特訓をしているらしい彼女は、時々、差し入れで焼きたてパンを持ってきてくれる。少し、身長が伸びた? と柔らかく笑いかけてくるエリザは本当に聖母だ。
ブスじゃないから恋愛対象にはならない、本来ならすることすらおこがましい美形だが、とてもいい子だと分かっている。いい子ちゃんはつまらないとか言う奴、平凡であることがいかに非凡か分かってねえな。表に出ろ。
飯屋は今日も盛況のようだ。賑やかに話し声が飛び交うそこへ、二人入った。ケイリーも後から来るらしい。ぐるりと店内を見渡したエブリンが、すぐに目星をつけた様子で頷いた。冒険者やらなんやらの人波をかき分けて、奥のテーブル席へ近づいていく。
「ジャンヌ、例の子猫ちゃんだ。連れてきた」
小柄な人影にエブリンは話しかけた。げっ、他所の人にもその呼び方してるのか。見たところ女の子じゃん、恥ずかしいからやめてほし――
あ、モブだ。
振り返ったその人の顔を見た瞬間、俺は悟った。相手も気づいたようだった。
「イアン、こいつはジャンヌ。南東の町で会ったんだ。なんか似てるだろ、お前たち。是非、引き合わせたいと思ってな」
互いにどうもと頭を下げた。予想通り、女の子だった。黒髪黒目、肩の辺りで毛先が揺れるポニーテールの他は、特にこれといった特徴なし。可愛くないが、ブスでもない。全体的に薄くて印象に残らない容姿だ。だが、明らかに日本人顔だった。これはもしや。
空いていた椅子に俺を沈め……いや座らせて、エブリンがカウンターの方を向いた。この店は客が自分で注文しに行くスタイルだ。俺が行こうと立ち上がりかけたが、オススメがあるのだと再び沈められてしまった。
「せっかくだ、二人で話でもしてな」
曖昧に頷いた俺に快活な笑顔を見せ、彼女はのしのしと歩いて行った。
それを見送り、少女――ジャンヌは俺をまじまじと見つめてきた。やっぱりどう見ても日本人だ。この世界に来て初めて会った。いや、ここでは日本人というカテゴリじゃないんだろうか。俺がそんなことを考えていると、少女は声を潜めて話しかけてきた。
「……もしかして、いつの間にか来てた感じですか」
その言葉だけで何を言いたいかすぐに分かった。期待に体が震えるのを押さえ、俺は答えた。
「はい、電車にやられて」
「私はトラックでした」
一瞬の沈黙。俺たちは無言でハイタッチを決めた。
内容は明るさからかけ離れているが、これは喜んでいい。別の世界から来た人だ。仲間だ。年もあまり変わらなさそうに見える。なんという奇跡!
「内緒にしてますか」
「してます」
「よかった。ここに来て、どのくらいですか」
「数か月です」
「そうですか。私は1年ちょっとくらいかな。生活には慣れましたか」
「まあ、そこそこ。えーと、ジャンヌさんは」
「私もそこそこです。意外となんとかなるもんですね」
少女は一旦そこで言葉を区切り、真顔で呟いた。
「笑えるでしょう、この顔でジャンヌなんです。名付けられたものなんですけど」
「それを言うなら俺だってそうです」
「否定しないところいいですね」
お互いに視線を合わせて深く頷く。だって俺たちモブなんだものな。
「うわーん、ジャンヌ様ぁっ、僕を置いてくなんてひどいですぅー!」
そこに、水を差すような少年の声がした。現れたのはふわふわくるくるの金髪猫っ毛、青目の紅顔美少年。小学生くらいか。泣きそうな表情で頬を膨らませている。
うわ、あざといショタってやつだ。美少年にもいい思い出はない俺が、思わず辟易した顔をすると、少年は俺に気づいてさっと身構えた。
「知らない男の人! あなた誰ですか? 僕のジャンヌ様に手を出したら承知しませんよ!」
「ええ……」
「こら、リュカ」
俺がドン引きする前で、そんなんじゃないと呆れた顔のジャンヌが少年の頭を小突く。対する少年はそれを嬉しそうに受けて彼女へ擦り寄った。
「よかった! そうですよね、ジャンヌ様には僕がいますから!」
おっ、美形になつかれてる。ますます親近感が湧くな。俺が静かに感動していると、もう一つ人声が上がった。
「お前のものではない。ジャンヌ様がお優しいからといって、いい気になるな」
「あいたっ」
リュカという少年の頭に思い切りのいい拳骨を落としたのは、スーパー美人だった。セミロングの髪は若葉色、その間から灰色に光る切れ長の瞳が覗く。
美女は腰に剣を帯びていた。この世界では割と日常風景だ。ジャンヌもリュカも武器を身に着けていた。俺も村の外に出る時は一応持っている。本当に持っているだけだ。お屋敷で少しずつ剣の稽古をつけてもらってはいるものの、現実は甘くない。実戦には程遠かった。
「お探ししておりました。ジャンヌ様、こちらは」
ジャンヌから、エブリンの知人だと紹介が行われた。クールビューティーは俺に感情のない瞳を向けると、淡々と話した。
「アンドレ。ジャンヌ様の右腕だ。この方に不埒な真似をすれば即切り落とす」
何をと聞くのはお約束なので言わない。なるほど、この人もジャンヌガチ勢らしい。何もかもこの一言でまとめるのはいけないと思うが、美形に迫られまくった俺の経験が告げている。これは濃厚な百合だ。主従ものの。
俺だって絶賛薔薇が咲いてるから人のこと言えないけどな。いや本当、性別なんて些細なことなんだよ。美形たちは全てを越えて俺を狙ってくるからな。
だが、この二人は目の前のモブ顔少女に心酔している模様。ありがたいことだ。苦労の種は少ない方がいい。
「アンドレ、失礼なことを言わないで。エブリンさんのお知り合いの方なんだよ」
「申し訳ありません」
俺に対しては、爪の先程も申し訳なく思っていないのがよく分かる。いいぞ。美形から関心を持たれないって素晴らしい。
しかしこの女の子、俺とよく似てる。モブ顔で美形に好かれて、おまけに異世界デビュー。これでブス……じゃなかった、ブサ専だったら完璧だ。
とは言え、ガチ勢の前で好みのタイプなんて聞けるはずがない。いらぬ誤解を招いてしまう。俺は大人しく頷いて、エブリンの帰りを待った。
「おまちどうさん」
やがて、六つのグラスと軽食を乗せた盆を抱えたエブリンが戻ってきた。絶対手伝った方がよかっただろこれ。いや、重さは無問題だろうが。
気にするなと頭を撫でられて、俺は椅子にめり込みそうになりながら自分の分を受け取った。ジャンヌも同じような状況になっている。
「エブリン。他にも誰か来るのか」
「あとはケイリーだけだな」
「ならば何故、そのようにグラスが」
「お前たちの分だよ。私の気に入りなんだ、裏メニューだぞ。飲んでいってくれ」
アンドレなる美女は目を瞬かせると、礼を言って椅子に座った。リュカも同じく倣って、ジャンヌを挟むように腰を降ろす。
「エブリン、いいのに」
「大切な出会いの場だ。気がねするな」
「出会いだと?」
「知人としてだ。先手を打つようだが、イアンはどうやら綺麗所に興味がないらしい。ジャンヌ、悪いな」
「お世辞が上手だね」
ジャンヌが朗らかに笑う。ほんとそれな。ごつさが目立つが、エブリンも相当の美形だ。戦神として外国の神話に出てきそうな。
だが嫌味に聞こえないのは圧倒的なこのイケメンぶりだろう。俺もこの人に弟子入りした方がいいかもしれない。男前の極意を習うために。
「魔王に魅入られなかったそうですね」
すっと居住まいを正して、ジャンヌが俺に話しかけてきた。
「あなたのことはエブリンからお聞きしています。少し気になるところがあって、直接お会いしたくなったんです」
ジャンヌ様、と険しい声が二つ飛ぶ。エブリンが宥めつつグラスを手に取った。一同、促されて食事に手を付け始める。
「ここでお話できることがあれば、是非」
「そうですね。なら、よかったらジャンヌさんのことも教えてください」
「はい」
様付けされているのが妙に気にかかった。あと、なんというか随分余裕のある雰囲気をしている。「ここで」という言葉に僅かな強調を感じた。
「――ちょっと待ってください、最初からぶっ飛んでる」
話を聞き始めて間もなく。俺は料理を飲み込んで、口を開いた。
「二人と出会うまではユニコーンと一緒に暮らしてたって、え? なんですかそれ」
「もちろん、普通の人間にはできぬ所業だ。彼らは獰猛な生き物、清らかなる乙女にしか心を許さぬと聞く。全て、ジャンヌ様が聖なるお方故のことだ。崇めよ」
「ええ……」
なんであんたがふんぞり返ってるんだよ。
アンドレに俺が再び引いていると、ジャンヌから制止が入った。
「イアンさんこそ、まるで舞い降りたかのように海辺に倒れていたって。祈祷師様に神のお告げが降りた、稀なる子だって噂がありますよ」
「いや、特に何ができるわけでも……」
「は、ただ人が魔王に勝てるか」
「アンドレ」
どうしてそんな喧嘩腰なの。
ジャンヌがアンドレを嗜めている。俺はなんとなく何かのズレを感じていた。
ユニコーンといえば、元の世界では幻獣だ。かなりの処女厨だということしか知らなかったが、どうやらその通りらしい。それはまあ、さておきだ。
この人、本当にモブなのか。トラックに轢かれて異世界トリップ、神聖そうな生き物と仲良く暮らした後は様付けされて美形に傅かれている……そんな人が?
背中に掛けられたそれがどうも竹刀袋のようだと思ったその時、少し離れた席で揉める声が上がった。
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