愛された方が幸せとかいう風潮
結局、俺はリチャード氏の申し出を受けた。
初めは断ろうとしていた。執事の業務は多岐に渡る。ど素人がいきなり見習いやりまーすというのは無理な話だ。その仕事を目指して経験を積んできた人たちへの冒涜にもなる。
だが、よくよく聞いてみると、実際は書生のような待遇だった。雑用などの仕事をこなしながら、高等教育が受けられるよう取り計らってもらえるという。
贔屓丸出し過ぎて、いっそすがすがし……くねえ!
これは間違いなくやっかみの集中砲火を浴びる。俺は密かに怯えたのだが、屋敷の人たちはまるで反対の態度を取った。
「いつ来るかと楽しみにしていた。むしろ遅い」
「魔力には知力と体力で対抗しろ。武術を教えてやる、大切なものを守れる男になれ」
「手に職付けよう?」
「ジュリア様にドギマギしなかった坊やはお前が初めて」
「身の上話聞いて正直泣いた。ここで幸せを掴もうぜ」
「カイルの服が合うのではないかしら、ほら士官学校に入学したての頃の……」
にこにこと人好きのする笑みを浮かべたリチャード氏を真ん中に、屋敷中の人間が客間に詰めかけて俺を勧誘してきたのだ。
ちなみに、最後の台詞はリチャード氏の妻、キャサリン様。いくつか見繕ってちょうだいと、クロエさんにお願いしている。お話が早いです、奥様。
「まずは、通いでどうかというお話だ。おれも、お前のその頭脳を埋れさせるのは惜しいと思う」
いや、親方。俺は別に秀才でも天才でもないよ。多少、勉強は頑張っていたけど人並み程度なんだ。一定の年齢まで義務教育が施される、そういう環境の中にいただけなんだ。
リチャード氏が机に置いた一枚の紙を覗き込み、皆が大きく頷いた。先日俺がお屋敷を訪ねた時、ジュリア様お付きの学者先生から受けた口頭試問の結果だそうだ。俺はこちらの文字がまだあやふやだからな。その紙の文面も、やはり読めずに説明を受けた。
試験の内容は、元の世界の学生であれば普通に回答できるレベルのものだった。こちらの世界は、全体的に見ると教育水準が低い。加えて、魔法が発達している分、科学面は恐らく元の世界より数世紀前の段階といった具合だ。だから、俺の頭でもここではいくらか抜きん出て見えたのだろう。
つまり、異世界に来たからといって、創作物のようにチートになったわけでもなんでもなかった。現に俺はモブ男としてそのまま移動してきたし、おかげで魔力ゼロという中々に致命的な欠点を抱えることとなった。
「オースティンの言う通りだ。試験の結果は大変素晴らしかった。君はより多くを学べる場所へ行き、大きく羽ばたくべきだ」
その日は一旦話を持ち帰り、家で家族会議を行った。弟子トリオも加え、六人で頭を突き合わせての相談だ。
俺は提案にほぼ乗り気でいた。どうしても、俺が鍛冶屋でできることは限られてくる。魔力を込めながらの作業になるからだ。
教育を受けさせてもらえるのはありがたい。食っていくためには何かしら技能を身につけなければ。それに、魔力がないなら武術をとお誘いまでもらった。俺も男だ、少年漫画の修行編みたいだと少しそわそわする。
モブ男に伸びしろは期待できない。だが、漫画の主人公のようなヒーローにはなれなくとも、せめて迫ってくる変態を追い払えるくらいにはなりたいじゃないか。
カイルから話を聞いた時は突っぱねたが、段々と考えが変わっていった。そう、あいつのような奴から身を守るためにもこれは受けるべきなのではと。
「イアン。お前の帰る場所はここにあるからな。何かあれば、いつだって」
「嫌だな、親方。俺はどこにも行かないよ」
ぐいと抱きしめてきた親方に俺は手を回した。広く厚い、働く男の背中だ。俺もこれくらいムキムキになりたい。
自分の台詞がフラグくさいと気づいたのは、その夜の寝床の中だった。
***
そうしてお屋敷で働くことになった俺だが、早急に確かめておきたい事柄があった。
「カイル様」
言わずもがな、こいつは目上の人間なので、人前では基本的に敬語を使う。一対一でタメ口なのは敬語だと興奮すると言われたため。冗談じゃない。言う通りにするのは癪だが、貞操と天秤にかけて即決した。
人通りのある廊下のため、笑顔を保つ。ぎこちない自覚はあったが、カイルは嬉しそうに駆け寄ってきた。最近のこいつはいつ見ても機嫌がいい。
「イアン、どうした」
「今、お時間よろしいでしょうか」
「もちろんだ」
「ありがとうございます。少々、お話が」
できれば、場所を変えたく。
間違いなく唇の端が引きつっている。ならばどこか空き部屋をと勢い立つ変態を掴み、廊下の先まで引きずっていった。人目につかなきゃそれでいいんだよ。
「……あんたがリチャード様に話を持っていったのか」
「なんのことだか、僕には」
「とぼけるのも大概にしろよ」
リチャード氏から提案を受ける前に、こいつから話を聞いている。父親が始めにそんなことを口にしていたのなら、先だって漏らすような真似はしないはずだ。探りを入れろと言われたなら別だが、彼の話しぶりからそんな空気は感じ取れなかった。
ならば、発端はこいつだ。リチャード氏に確認するのが早いが、ここは本人を締め上げたい。
オラ、さっさと吐け。
壁に片手をついて逃げ道を阻み、俺はカイルを睨んだ。
「……ち、近い」
「は?」
「君の挑戦的な視線が僕を甘く刺激する……期待してしまいそうだ」
俺は即座に変態から離れた。
「今のはなんだ、何やら胸が高鳴った……」
壁に押しつけられて、強引に問いただされて……とモジモジしている。驚くほど可愛くない。
壁ドンと言いたいのか。元々の意味は違うが、大衆に認知されているのはこちらだよな。治安がよくない場所の裏通りにでも行けば、喜んでやってもらえるんじゃないか、お坊ちゃま。カツアゲという形で。
もう一度頼むとにじり寄ってくる変態から距離を取りながら、俺は再度問いただした。
「話を逸らすな。あんたが、俺を執事見習いにとリチャード様に進言したのか。どうなんだ」
「もう一度やってくれたら、話さないこともない」
「分かった、そういうことなんだな」
付き合いきれねえ。
立ち去ろうとした俺は背後に迫っていた壁へ、とんと押し付けられた。
「ど、どうだ。僕は先程ときめいたのだが」
「……色々と思い出しそうだ」
あったあった、こういうやつ。相手はサッカー部のエース(イケメン)。転がってきたボールを拾った俺を木陰に引きずり込んで、ゴール決めさせてくれとか言ってきたな。ひでえ下ネタだった。
別に、美形が全員アレなわけじゃない。男女問わず、真摯に想ってくれる人もいる。好きになるのに性別が関係ないことは、幼い頃から身をもって知っている俺だ。そこに差別心はない。ただ、ノンケかつブス専のため、どの美形も誠意をもってお断りする。そこで引き下がってくれたら、青春のほろ苦い一幕で終了だ。
だが、争いの中で大概が暴走していく。特に若者。障害のある恋に燃えるのだ。
ああ、思い出してたら泣けてきた。周りを美形が固めているせいで、ブスはみんな逃げていった。
あれだけ可愛い子が側にいるのに何故自分にと疑心暗鬼になるブス。女と見れば手当たり次第かとクズ扱いしてくるブス。○○様に近づくなんてこの【自主規制】! と罵倒する親衛隊のブス。イケメンと俺で何やら妄想して楽しむブス……。
なんだよ、俺がイケメンだったら全ては丸く収まっていたのか!?
「イアン……」
気がつくと、俺は解放されていた。カイルが切なそうな顔をしてこちらを見下ろしてくる。
傷は、深いか……。
小さく呟かれた言葉に、また勘違いかと思いつつ俺は胸を撫で下ろした。助かった、こいつには案外、庇護欲に訴えかける路線が上手くいくのかもしれない。
「……すまなかった、少し頭を冷やしてくる」
「カイル、」
こいつも元来はいい奴だ。しおれた背中に、少し悪かったかと思っていると更に小さな呟きが聞こえた。
「泣き顔は更にそそるのだろうな……」
くっ、僕はなんて罪深い……!
役者よろしく額に手を当てる奴を引きずり戻し、俺はきっちりと自白させた。
やっぱりこいつだった。君を守りたかった、目の届くところに置きたかったと半泣きで言われたが、微塵も情が沸かなかった。これでも仕事中は凛々しく采配を振っているというのだから、恐れ入る。
***
「お屋敷勤めは楽しい?」
「はい」
「そ、ならよかった」
イアンが楽しいと私は嬉しい。
グラスを傾けながらにっこりと笑うのはルーシーだ。就職祝いだと、近くの飯屋でご馳走してくれている。フラグは回避したいが、こういう好意はさすがに無碍にしない。
「よくしていただいてます。俺には、もったいないくらいです」
「イアンの人徳ね」
「いや、俺は別に……」
「ほら、そういうところ」
「え?」
「イアンは謙遜するでしょう。それってとても美しいことだと思う。もちろん、行き過ぎはいけないけど」
たまにやりすぎよー、と額を軽く指先で押された。国民性だと思います、はい。
「人の厚意の何もかもを、当たり前に受け取り始めたら崩れていくの。イアン、これから先も、何かに対する感謝の気持ちを忘れないでね」
「はい」
頷いた俺に、ルーシーはいい子と笑って俺の手を取った。
「それじゃ、いい男の新たな門出に祝福を」
あれお願ーい、とルーシーが店主に声をかけた。並ぶテーブルの真ん中に、演奏したり歌ったりする空きスペースがある。そこに連れ出された俺は、衆人の注目を集めた。
「ル、ルーシー、何を」
「祝福の躍りよ。神のご加護がありますようにーって」
「お、俺も一緒に?」
「そう。踊り子と一体となることで、力が流れるんだから」
「でも俺、躍りとかさっぱりですって、」
「大丈夫よ、教えてあげるから」
店主は音楽好きだ。任されたと快活に笑って、楽器を弾き始める。
右、左、右、右。ルーシーの指導に合わせて、なんとか足を動かす。難しいステップではない。むしろ、この動きには覚えがある。
そう、多分ここで。くるりと一回転。
読み通り、ルーシーがターンをした。
フォークダンスだ。今となっては懐かしいなと少し黄昏ながら靡く髪を追っていると、向かい合った彼女が大きく目を見開いていることに気づいた。
「イアン、貴方――」
なんだろうと思ったが、曲はそのまま続いていく。ルーシーははっとして笑顔になると踊りに戻った。
「――とってもよかったわ! 楽しかった!」
踊り終わると、ルーシーは「貴方に神のご加護を」と再度俺の手を握って一礼した。美しく平和なダンスだった。俺を巡った美形による争奪戦が起きていた運動会とは大違いだ。
周りから拍手喝采が起き、その場は終了した。いい手の加え方だったと、常連客のおばちゃんに肩を叩かれる。どうやら、本来の踊りとは違う箇所があったらしい。ルーシーに変化があったのは、あのターンのところだ。余計なことをしたから、ルーシーの気に障ったのだろうか。
彼女は表現者らしく感情豊かだ。よくないところがあればしっかりと口にしてくれるはず。だが、そんな言葉はなく、別れ際もとびきりの笑顔でキスしようとしてきたくらいだった。挨拶だそうだが、俺は苦手だ。身に沁みついた習慣に基づくと、やはり抵抗がある。
……おかげで聞けなかった。帰路につきながら、俺は胸騒ぎがしていた。一瞬見えたルーシーのあの表情、間違いなく何か勘違いをした時のそれだ。何だ、俺は何をやらかしてしまった?
妙なことにならなければいいんだが。こういう勘は当たってしまうんだよな。
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