第192話「再編」前編(改訂版)

 第十七話「再編」前編


 「今年は、だあまり蝉の声を聞かないなぁ……」


 ――七月に入る頃


 全面解放された窓の向こうから、薄いカーテンを揺らし来たる軽い空気の流れに前髪が弄ばれるのを感じながら俺はそう呟いていた。


 ――例年より少し静かな外界


 「ふぁーーーぁぁ」


 誰もいない臨海りんかい高校教室で独り机に座った俺は、両手をググーーッと天井に向けて目一杯に伸ばしてから、その後ゆっくりと立ち上がる。


 俺の前髪とたわむれていた風が示す様にその日は季節が一ヶ月半ほど遡ったかの初夏の爽やかさで……


 今し方、無人となった机上には書き終えられた課題用紙とその上に転がるペンが一本。


 ここのところ”戦争”にその”後始末”にと、絶えず大忙しだった俺は……


 ”近代国家世界”側でもその煽りを喰らって休み無し、学校にもろくに来られてなかったものだから出席日数が……


 ――で、


 めでたく”鈴原すずはら 最嘉さいか”は今日のこの休日登校に、つまり”特別補習”へ強制参加と相成ったワケだった。


 「……」


 我ながら高校三年のこの時期にして中々の状況である。


 ――だが、まぁ自分で言うのもなんだが……


 俺は成績の方は優秀なので卒業は全く問題視していない。



 ガラッ


 ともあれ、無事に学生としての義務を終えた俺は教室の引き戸を開けてその場を後にする。


 ――



 「おお……良い天気だ!」


 校庭に出て直ぐに、俺は恥ずかしい独り言を”まぁまぁ”の声量ボリュームで漏らしていた。



 ――天井知らずのどこまでも続く青い空に!モクモクと存在を誇示する入道雲!


 早朝から薄暗い教室に缶詰だった俺のテンションが多少は変に上がったとしても仕方が無いだろう。


 「夏だねぇ、すぅぅぅ!はぁぁ!!」


 気温はともかく、定番の夏景色に包まれながら思いっきりその夏を吸い込んで堪能する。


 ――今日の涼しさは今年が空梅雨だったのも関係しているのだろうか?


 ――だが、空気の味テイストは本当に初夏のそれだ!


 俺の機嫌は上々だった。


 それは……


 昼にはまだ少し早い時間帯に、色々と一段落付いた一時いっときの安息日として、今日の俺は珍しくこの後は自由時間フリーダムだったから!



 ――


 「…………お?」


 テクテクと校門に向けて歩いていた俺の視界に……


 「おお!あれってFUJIKIRI”KX-5”じゃないかっ!此処ここいらで見るのは珍しいな!」


 校門前に横付けされた一台のスポーツカーが入る。


 周囲の景色、抜ける青い空を鏡映しにした鮮やかなコバルトブルーのオープンカーがそこにあったのだ。


 「青い空に映えるなぁ」



 ――FUJIKIRI”KX-5”は……


 人気の二人乗りツーシータースポーツカーである。


 このコンパクトさ、軽量車体からの機動力!


 対して頻繁なロール発生など少々クセのある仕様と……


 だが、それ故に運転体感ドライブフィールは抜群で!


 ドライバーとの一体感を生み出すロードスターは一度乗ったら病み付きになるという。



 「……」


 久方ぶりの完全休日からくるハイテンションだろうか?


 些細な感動についつい浸ってしまう俺。


 ――おっと!


 つまり、そういう中々に魅力的な車種マシンであるのだ。


 「ふんふん……」


 校外へと鼻歌交じりで歩く途中も、俺は視線をそのマシンに占有されながら、


 やがてその横を通り過ぎ――


 「最嘉さいか


 「……ん?」


 俺は聞き覚えのある声に呼び止められていた。


 ――


 俺からは死角になっていた車の影からスッと、


 白い素足にかかと部分がベルトで固定されたオープンパンプスが前へ出て――


 「はる……」


 見知った美少女の登場に俺は少し虚を突かれたのだった。


 「休日に補習なんて、普段の怠惰な生活ぶりが想像できるわね」


 ふわりと爽やかな初夏の風が頬を触ったかと感じると、それで小さく踊った彼女の長い黒髪からほのかな甘い香りが二人の間を渡り俺の鼻腔をくすぐる。


 「ふふ、待っていたのよ」


 リボンと花飾りのあしらわれた小さめの日除け用麦わら帽子ストローハットを片手で押さえ、可憐な白い膝丈ワンピース姿で微笑む超の付く美少女。


 「えっと、待ってたって?陽子はるこ、ここは臨海りんかい市の……」


 初夏の似合う初々しい美少女の登場に俺の心臓は急に忙しくなる。


 「週末は別宅で書類仕事だったのよ」


 答える少女に俺は頷いた。


 確かに京極きょうごく家別宅のひとつは我が臨海りんかい市にもあったな……と。


 「それで何故なぜ臨海りんかい高校へ……」


 「ふふ、じゃぁぁん!」


 突然の事で少々戸惑う俺に、珍しいハイテンションで例のスポーツカーをお披露目する陽子はるこ


 「…………」


 清楚で可愛らしい袖無しノースリーブワンピース姿の彼女に見蕩みとれがちだった俺は、咄嗟にそのノリにはついて行けなかった。


 「……え……えっと…………ど、どう……かしら?」


 そんな俺の反応リアクションで急に陽子はるこも恥ずかしくなってしまったのか……


 彼女はフレアシルエットのスカート布を恥ずかしげに弄りながら、途端に語気が辿々たどたどしくなる。


 ――なにそれ?超可愛いっ!!


 俺は陽子かのじょ希少レアな仕草に大興奮だ。


 「良いな!!おお!夏らしくて最高だっ!」


 車にとも、彼女にともとれる絶賛を口に、そのまま歩み寄る。


 「免許取ったのか?春先に?今日はどうして?」


 「え、ええ。最嘉さいか、今日は休暇オフでしょう?だから海にでもと……」


 そのまま質問攻めする俺に圧倒されるように半歩下がった彼女は、


 指先でそっと広つば帽子のつばを深めにずらし、その影で少々染まった頬を隠す。


 ――海!?うぅぅみぃぃーーーー!!


 そして俺は耳に入った言葉に心中でガッツポーズを取っていた。


 「今日は泳ぐにはちょい肌寒いぞ?」


 とはいえ表面上は冷静に――


 “cool head but warm heart”だ。


 どんな駆け引きでも、勝つためには常にそれを心がける根っから勝負師な鈴原 最嘉オレ


 故に俺は、目一杯感情を抑え冷静クールにそう”確認”する。


 「その方が……他人ひとが少なくて良いでしょう?」


 陽子はるこは未だ照れの残った仕草で答えた。


 「人が少ないのは肌寒いからで……お、泳ぐとすれば……だな、」


 更に俺は、冷静を装い”そこ”を……


 ”その重要”な部分を確認……


 「だから、別に泳がないし」


 冷静に……


 「…………」


 「最嘉さいか?」


 そう、俺は冷静クールに……


 「えええええええええぇぇぇぇーーーーーーーーーーっっ!!」


 いいや!取り乱してエキサイティングに叫んでいた。


 「…………」


 そして――


 そんな俺を冷ややかクールな漆黒の瞳で夏色美少女は見ていた。


 「い、いや!違うぞ!!これは……」


 いまさら慌てて取り繕うも……


 「はぁ、あなたってひとは……最初の態度から理由はおおよそ推測できるけれど」


 「は?な、なにが?このお嬢様は、なにを言っているのか分からんなぁ?ピュー、ピー」


 とぼけつつ……


 そっぽを向いて口笛をピーピー鳴らす明らかに不審な俺。


 「水着持ってきてないわよ?」


 「えええええええええぇぇぇぇーーーーーーーーーー!!」


 「……」


 再び冷ややかな視線を俺に向ける美少女。


 「…………あ」


 素直で純真な俺は簡単に性悪な魔女の罠に引っかかる。


 「素直で純真な男は世間に”詐欺ペテン師”なんて揶揄されないわ」


 ――ぐっ!なんで俺の心の声が解る!!


 「い、いや、だから違うって!!断じて!!ほら?海なら泳ぐのが普通って言うか、なっ?鯛も平目も鰯も鯖も!奴らみんなバカみたいに泳ぐだろ?だから他意はないって言うか至極常識的な……」


 「随分と偏った面子メンツでのアンケート結果ね。最嘉あなたの常識って魚類限定なのかしら?」


 「うっ!」


 俺は魚類が面子の海にあえなく撃沈したのだった。


 ――


 「それで……行くの?行かないの?」


 どんよりと落ち込む俺に、彼女は問う。


 「……」


 麦わら帽子ストローハットのつば越しに見上げてくる陽子はるこの黒い瞳は……


 彼女にしてはちょっとばかし心配げで、自信無さげで――


 「行く!」


 それは、かなり可愛い仕草ベリーキュートだった。


 「そう、なら……」


 そして俺の応えに安堵しただろう彼女は、そんな感情をおくびにも出さないで背を向けて車の運転座席へと――


 「だが条件が在る!俺にこのナイスなマシンを運転させてくれればって条件を飲めばだっ!!」


 「……」


 何故か突然堂々と注文をつける俺に、夏色美少女は背中越しでも”はぁ”と溜息をひとつくのがわかった。


 「”下心見え見え男”が、どうしてそんな上から目線になれるのか到底、私には理解出来ないけれど……別にいわよ」


 俺はあきれられながらも運転席へと促される。


 「”下心見え見え男”って、なんか新手の怪人名みたいでだなぁ」


 とはいえ、希望が叶った俺は素直にシートに腰掛けた。


 「……」


 ――おおっ!これがFUJIKIRI”KX-5”の運転席コクピットか!


 「ちょっと、ごめんなさい」


 シートに座った直後、感動する俺の前を不意に隣の席から陽子はるこ身体からだが覆い被さるように遮った。


 ――おおっ!?こんなところでっ!?だ、大胆な……


 先ほどの距離とは違い、強めに香る甘い匂いで!


 至近の側面だからこそ見える袖無しノースリーブの白い脇で!


 「どうしたの?」


 「い、いや……」


 正常な男子が良からぬ事を考えるのは仕方の無い生理現象だ。


 「……?」


 女子の陽子はるこにはわからないだろうが……


 運転席の足下へ置いていた清潔なキャンバスシューズを一足、そっと手に取った陽子はるこはそれを自分の足下へと置き直す。


 ――な、なるほど、運転用の靴を置いていたのか


 ――俺はてっきり……


 「…………」


 「……なに?」


 またもよこしまな事を考えていた俺は笑って誤魔化す。


 「しかし、陽子はるこが免許取れるとは……」


 「貴方は……私に対しても平然と失礼な事が言える貴重な愚か者だわ」


 実際、陽子はるこの頭脳は神がかり的に優れているが機械関係にはめっちゃ弱い。


 物理や工学関係のテストなんかも無論、超優秀だがなぜか実践は壊滅的だ。


 とはいえ、そこをからかった俺の冗談にも彼女は言い返す言葉とは裏腹に楽しそうであった。


 「けど実際、良い車だなぁ。我が鈴原技研工業おれのところでも作るか?」


 「ふふ、そうしたら?利益優先のファミリーカーばかり作ってないで」


 陽子はるこは隣でコロコロと笑う。



 このFUJIKIRI”KX-5”は、藤桐ふじきり自動車工業という会社が製造しているコンパクトスポーツカーだ。


 しかし、藤桐ふじきりの名を冠しているといっても、藤桐ふじきり 光友みつともが代表を務める藤桐ふじきり重工業が系列親会社なだけで藤桐ふじきり自動車工業は実際は京極きょうごく家の会社である。


 故に、こうして陽子はるこが自慢げなのだ。


 まぁ実際、俺もかなり好きな部類の車種だし性能も良い、敢えて難点をあげるなら――


 屋根部分が電動で後部トランクに収納される構造のためか、トランク容量は二リットルのペットボトルが二、三本程度しか入らないという、おまけ的なお飾りなのがちょっと実用性に欠ける。


 そしてそれ故に居住スペースも狭く、如何いか二人乗りツーシーターとはいえ大人二人が乗ると肩が軽く触れあうほどに……


 「実際に乗ってみても良い車でしょう?」


 聞いてくる陽子はるこ


 「ああ。ちょい不満があるとすれば狭いくらいか?」


 俺はあちこち、インパネ辺りを興味津々でいじくり回しながら応える。


 「……」


 「おお、ステアリングも良く馴染むなぁ」


 「……」


 「それにこの――」


 「……………………………………それだから……”これ”にしたの」


 そんな色々と興味が尽きぬ俺の横で、陽子はるこは何事か小さく呟いていた。


 「……」


 そして心なしか朱に染まった頬でチラリと控えめに俺を見上げ――


 「おおおっ!カタログとかじゃわからなかったけど運転席からのこの視界!!低くて超カッコイイ!!」


 「……」


 「な?な?陽子はるこ!!レーサーの視界みたいだよなっ!…………て、なんか言ったか?」


 だがハイテンションな俺は色々聞き逃していた。


 「…………なんでもないわ」


 その時のお馬鹿な俺は、中々に貴重なチャンスを逃した事に一切気付いていなかったのだった。


 「最嘉さいか、そろそろ」


 「ああ、そうだな。けど……」


 少しご機嫌斜めになった陽子はるこに促された俺は、了承しながらもスッと校門の……


 角になったところの影に視線をやってから大きめの声で言う。


 「お嬢様はこっから俺が護衛エスコートするから、もういいぞ」


 ――


 反応は無い。


 「五美いづみ九久里くくり、良いわ。彼に従って」


 そして隣のお嬢様がそう付け足して初めて建物の影から二人の女が姿を見せた。


 「どうもぉ、臨海りんかいの領王閣下。お初にお目に掛かります、ウチは五味ごみ 五美いづみいいます」


 クリクリとした毛質のショートカットに特にこれといった特徴の無い目鼻立ちの地味な美人がスーツ姿でペコリとお辞儀する。


 「九波くなみ 九久里くくりですわ。鈴原すずはら 最嘉さいか様、ご機嫌うるわしゅう」


 続いて――


 長い巻髪で口元に少し意地悪そうな笑みを浮かべた女がその横に並び、先の女と同じスーツ姿なのにもかかわらず、まるでドレス姿の淑女の様に無いスカートを摘まむ仕草で軽く頭を下げて見せた。


 なるほど、近代国家世界とはいえ、超お嬢様の京極きょうごく 陽子はるこが護衛も無しに出歩くはずも無い。


 ――彼女らは王族特別親衛隊プリンセス・ガード隊員メンバーか……


 「鈴原すずはら 最嘉さいかだ、お勤めご苦労様。陽子はるこ姫は必ず無事にお送りするから安心して任せてくれ」


 俺は二人の女達を観察しながらそう言うと、車のスタータースイッチを押し込む。


 ギュルルルルルーー


 たちまち響く心地よいエンジン音と振動を感じながら俺は隣を見る。


 「じゃあ、お嬢様。ドライブデートと洒落込もうか?」


 意図的に軽薄な声を掛ける俺の隣で――


 「ふふ、そうね、ダーリン」


 夏色の美少女はノリ良く微笑んだのだった。


 第十七話「再編」前編 END

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