第190話「京極 陽子」前編

 第十五話「京極きょうごく 陽子はるこ」前編


「そうね、確かに私は光興みつおき陛下の為に十戒指輪クロウグ・ラバウグを必要とし、天都原あまつはらを統べる為に秘密裏に外部の有能な協力者を欲したわ。そう、都合の良い協力者……いいえ、手駒を。ふふ……貴方よ最嘉さいか


 奈落の双瞳ひとみを怪しく閃かせ、暗黒姫が薄く紅の端を上げる。


 「は、陽子はるこ様!その様な言い方は誤解を……」


 そんな主君に思わず横から口を挟んでしまう十三子とみこ


 臣下としては無作法この上ない行為だが、それだけ主君の言葉は辛辣で失うだけの皮肉しかない言葉だったからだろう。


 「……」


 故に、同じく控えていた七子ななこ実妹いもうとのそれをたしなめることは無かった。


 「貴方が"いまさら"察した通り、本人か愛しい者に発症する覆面怪人の呪いは、最嘉さいかと出会う以前に光興みつおき陛下に降りかかり、私の魔眼もその時既に奪われていた。つまり、最嘉さいかが見ていたのはその残滓の能力……」


 だが暗黒の美姫は部下には一瞥もくれずにそのままの態度で続ける。


 俺は……


 「いや、俺が悪かった、もう全て過去の事だった。赦してくれ陽子はるこ。俺はちゃんと話がしたくて来たんだ」


 あざけりの視線を真っ正面から受けながらも、その場で頭を下げる。


 ――っ!


 これにはその場の女達は全員言葉を失うほど驚いた様だった。


 「随分と……簡単に頭を下げるものね、安い男だわ」


 少し困惑気味にだが、高慢な態度を続ける美姫……


 「気づいた時からずっと嫉妬がくすぶっていて、まぁ、指摘された通り情けない限りだが……もっとショックな事がたった今あったからな。こうして素直にもなる」


 しかしそれこそ俺は、陽子かのじょの態度を気にもせずに全ての非を認める。


 そうだ、陽子はるこが心底から発した言葉――


 ”顔も見たくないくらい大嫌いだわ”


 恐ろしいほど冷たい氷の双瞳ひとみでそう言われた事自体よりも、この状況での彼女にそう言わせてしまった自分に俺は心底落胆したからの行動であった。


 俺は二度と過ちを繰り返さないと誓って此所ここに来たはずであったのだと……


 「……」


 「……」


 主君に向けられたあまりにも真正面な言葉に、二人の侍女は思わず頬を染めて視線を下げ静かに控えている。


 陽子はるこは――


 「…………」


 表情からはよく解らない。


 だが俺は続ける。


 「陽子はるこを失いたくない。何も成せず期待にも添えなかった俺だが、それでも俺は……」


 「……………………………………父……よ」


 「だから違う結末を欲してい…………えっ?」


 説得に躍起になる俺の耳に、蚊の鳴くような陽子はるこの言葉が零れ入っていた。


 「だから、天都原あまつはらの現王、藤桐ふじきり 光興みつおき陛下は京極きょうごく 陽子はるこの父親……よ」


 ――!?


 俺は一瞬言葉の意味が……


 いや!勿論意味は分かるが、それは――


 慌ててドア前に控えて立った二人の侍女に視線を向けるが、


 「……」


 「……」


 銀縁眼鏡の女と給仕メイド姿の女は、気まずそうに視線を下げたまま視線を合わせぬ様に突っ立っているだけ。


 「父おや?……天都原あまつはら王が?……陽子はるこの?」


 ――なるほど、この場で知らないのは俺だけ……か


 現在の天都原あまつはらは王太子の藤桐ふじきり 光友みつともが、政治的にも軍事的にも実質的支配をしている。


 だが、形式上の王位は未だ病に伏せる藤桐ふじきり 光興みつおきだ。


 そして京極きょうごく 陽子はるこはその藤桐ふじきり 光興みつおきの弟である京極きょうごく 隆章たかあきの第三子である。


 と――


 世間では認知されている。


 現在から十八年程前、戦国史の始まりであった二大国家である天都原あまつはら旺帝おうていによる終わりの見えない争いの結果、それに派生するように各地に乱立した国家群の収拾を図ろうとお互い矛を一旦収めるために成立した停戦。


 天都原あまつはら旺帝おうてい以外の国家をお互いが併合し、その後に改めて二大国にて雌雄を決しようという銘々の野望に満ちた算段で持ち上がった一時的な停戦案は……


 お互いの王家同士の婚姻関係により成立――


 天都原あまつはら王である藤桐ふじきり 光興みつおきの弟、京極きょうごく 隆章たかあきと、当時の旺帝おうてい王である燐堂りんどう 真龍さねたつの次女、陽南子ひなことの政略結婚による仮初めの同盟は締結されたのだった。


 しかし、現在の状況でも分かる通り、結果的には国々の併合もしてや最初からまやかしであった停戦も長く続く事も無く……


 「光興みつおき陛下と現在いまは亡き旺帝おうてい陽南子ひなこ姫は、それ以前に外交の場で面識があって、そして……」


 「……」


 陽子はるこの口から出た彼女の両親の秘話は大した話じゃ無い。


 いや、国家的には大したスキャンダルだが、俺が言いたいのはそう言う意味で無く……


 敵国同士という悲恋を外交的な謀略を利用して成就させたという、安っぽい恋愛小説に俺はさして興味は無いという意味だ。


 ――それより


 「お養父とう様……京極きょうごく 隆章たかあき公は兄王の心情をおもんぱかり一計をめぐらせたのよ。これをる者は義兄二人と私の側近たる近衛このえ 冬香とうか紗綾香さやか、後は……」


 「…………藤桐ふじきり 光友みつともか」


 未だ戸惑いが残ったままであるが、そう推測した俺の言葉に陽子はるこは頷いた。


 なるほど、そう言われると色々と納得がいく。


 そもそ藤桐ふじきり 光友みつともにしてみれば、才気溢れる従妹いとこ陽子はるこを政敵とするよりもだ、強引にでも妃に迎えて実質的な権力を剥ぎ取る方が安全で安易だったはずだ。


 なにより――


 あの”英雄色を好む”を地で行くような男が、この絶世の美姫に全く手を出さなかった事にもスッキリと筋が通る。


 「だから……最嘉さいか……さっきの私の言葉は……」


 俺が珍しく真っ正面から対峙したからだろうか?陽子はるこの方も今日は妙に素直な反応で、


 「でも、だからと言って……私の気持ちは……世界を……」


 ――とはいえ、そっちはそうだろうな


 「最嘉さいかが負けてくれれば全て上手くいったのよ。私たちはお互いを失わずに未来を迎えることができた……なのに……」


 ――”矜恃”とはそういうものだ


 「世界を統べる者は……やはり代償を背負うものなのね」


 ――”代償”


 王として、為政者として、秩序を守る者として、


 更に思いつくのは、魔眼の姫、神如き権能……


 そして…………嘉深よしみ



 事を成すには必ず等価交換とはとても言えない理不尽な代償が付きまとう。


 「代償か……俺はそれにはもうきだ」


 「最嘉さいか?」


 心底からの言葉を零し、俺は決意して今一度問う。


 「尾宇美おうみの戦で陽子おまえは俺に命乞いも、或いは身を捨てて部下達に交戦継続の命令もしなかったな」


 それはれまでの会話でも示す様に答えの解りきった問いだったろう。


 「…………既に盤上に無い王駒こまが言葉を発する事はしないでしょう?」


 案の定、陽子はるこは今更なにを?


 既に理解済みでしょう?


 と言う表情かおでそう答えて来る。


 ――まぁ”命乞い”なんてするような可愛げのある女では無いのは重々承知だったが……


 身を捨てての交戦維持を部下達に指示しなかったのはそういう理由だ。


 ――あの時点で尾宇美おうみの盤上には王駒こまは無い!


 つまり、王たる京極きょうごく 陽子はるこは既に死んでいたのだ。


 故に現在いま此所ここで話しているのは既に死んだ人間だと……


 陽子はるこにとってあの戦での敗北は死を意味し、故に”彼女が断罪される”という結果は、因果が逆になっているだけで必定であるのだ。


 「あの”棺桶”で勝敗をつけておけば……なんにせよ、京極 陽子わたし鈴原 最嘉あなた結ばれる結果ハッピーエンドは無くなったのよ」


 少しだけ過去を悔やみ蒸し返す様な陽子はるこらしからぬ未練を見せた彼女だが、直ぐに再び”無垢なる深淵ダークビューティー”の双瞳ひとみで俺を正面からしっかりと見据えたのだった。


 ――


 そして俺は――


 「聞いてくれ……俺の”本願”の話だ」


 ――それでも諦めてはいない


 「…………」


 雰囲気の変わった俺に、陽子はるこの表情も変化する。


 ――これからする話は、宗三むねみつ いち鈴原すずはら 真琴まことにも話してはいるが……


 「最嘉さいかが越えようとしている壁の話……ね」


 ――真の意味は理解していないだろう


 二人には”そういうふう”に話した。


 「……ああ」


 ――だが、陽子はるこなら


 「解ったわ……聞くだけ、聞いてあげるわ」


 そう言うと陽子はるこは部屋の片隅に目配せし、そして主君の意図を察した銀縁眼鏡の女と給仕メイド姿の女、二人の侍女はペコリとお辞儀してから静かに部屋を出る。


 俺が今から話す内容に配慮して場を作ったのだ。



 「俺は……」


 そして俺は洗いざらい話す。


 ――

 ―



 「人間ひとの行える範疇を超えているわ……」


 一通り聞き終わり、美しく整った眉をひそめる陽子はるこ


 それは俺の真意に気付いた証拠でもある。



 ――陽子はるこなら……


 そう思っていた通りだった。



 「でも……それなら、なおさら共存はあり得ない。話は終わりだわ」


 ”それ”に対する応えも予想通り。



 「抱く矜恃の違いか?」


 「そうよ」


 俺は再度確認し、そして陽子かのじょに対して再び頭を深く下げる。


 「なんのつもり?そんなことをしても……」


 「人には時に助けが必要だ!」


 被せるように俺は言う。


 「相容れないわ、助けなんて!私が今まで散々忠告しても聞かずに最嘉さいかはそうしてきたでしょう?自身が犠牲になり、要らない重荷を背負って……貴方が助けてきた者達の様に私も助けて下さるって事かしら?私の負う義務や抱える矜恃さえ背負うからって?バカにしないで……」


 ――ガシッ!


 俺は頭越しに苛立ちを降り注ぐ美姫に対し、床にぶつけるように膝を折る。


 「さい……!?」


 俺は――


 「助けが必要なんだ」


 土下座していた。


 誰のためでも無い。


 「さい……か?」


 俺の為に。


 「”俺”を……助けてくれ」


 そうして鈴原すずはら 最嘉さいかがこの戦国に立ってから――


 「…………嫌ならめれば良いだけ……私に頼むことじゃ」


 「頼む……陽子はるこだけなんだよ」


 いや、生まれ落ちてからしても初めてだったろう。


 「…………」


 「…………」


 俺は生まれて初めて――


 恥も外聞も無く、他者に助けを乞うていたのだった。


 「最嘉あなた陽子わたしに惚れているのでしょう?」


 「ああ、そうだ」


 土下座したまま即答する俺。


 「その相手に……”それ”を言うのね……非道ひどい男だわ」


 ――全くもってその通りだ


 床しか見えない俺には陽子はるこの表情は解らない。


 だが……


 「私だから……鈴原すずはら 最嘉さいか強請ねだるのね」


 陽子はるこの声は拒絶でもあざけりでも……して同情とかでは無く……


 「京極きょうごく 陽子はるこだから……俺は欲するんだろう……俺は」


 弱い本心を隠すこと無く晒していた。


 「……」


 「……」


 馬鹿な男が肯定しかないと信じて疑わない暫しの沈黙は――――


 「…………ほんとうに」


 「……」


 甘く甘美な待ち惚けの時間だった。


 「いわ、好きになさい」


 そしてやはり、俺の耳に零れ入る言葉はそうだった。


 陽子はるこの声は拒絶でもあざけりでも、して同情とかでは無く……


 ――満たされた母性に似た響き


 「はる……」


 そっと視線を上げる俺。


 「マジ……?」


 そう言いながらヨロヨロと立ち上がる俺。


 「いまさら貴方がそれを言うの?……ふぅ」


 呆れ気味に、陽子はるこの整った唇から溜息が漏れる。


 「そうね、けれどタダではないわ。私の条件も……」


 「ああ、もちろんだ。聞こう!」


 俺が頷いて応えると、陽子はるこはスッと至高の宝石を遮る様に視線を下方に――


 「聞かなくていいわ」


 同時に消え入りそうな声でそう言うと、


 自らの総身からだを抱くようにして……


 「聞かなくて……いいのよ」


 切なく揺れる漆黒の宝石で俺を見上げる。


 「こうして最嘉さいかと会う度に色々な立場で色々な言葉を交わしてきたわ……」


 「……そうだな」


 確かに俺達はお互いが国家元首という責任のある立場から、


 或いは、恋人未満ともいえる微妙な男女の間柄という個人の立場から、


 通常の男女と比べれば決して多くは無くとも、こうして会話を重ねて来た。


 「……」


 「……」


 視線は絡めたままで、陽子はるこは一歩だけ俺に歩み寄る。


 「はる?」


 それは歩を進めるというより、前のめりにつまずいたかのように頼りない足取り……


 「最嘉さいか、話したいことよりもなによりも……この瞬間ときは……」


 そして彼女は切なさが溢れて零れる寸前の双瞳ひとみで――


 ――とん


 「……」


 俺の腕の中に収まったのだった。


 「ただ逢うために……逢いたい」


 第十五話「京極きょうごく 陽子はるこ」前編 END

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