第156話「一顧傾城」後編

 第四十三話「一顧傾城」後編


 旺帝おうてい主力軍が川片平かびらだいら平地に集結してから数日……


 南側に流れる百支はくし川の支流が幾つも入り組んだ複雑な地形に点在する十二カ所の城塞群が、さらにその背後に聳える犀畳さいじょう山が在り、そこに布陣した新制・天都原あまつはら本軍を伺ってきたが一向に動きがない。


 「どういうことだ、越籠こしご領からの補給路を完全に遮断しているにもかかわらず動きがないとは……」


 額から鼻まで覆った黒い仮面を装着した男、露出したあごに立派な髭を蓄えた黒仮面の男、山道やまみち 鹿助かすけは訝しむ。


 新政・天都原あまつはら軍がこの志那野しなのへ確保しているだろう行軍路ルートは現在は北に隣接する越籠こしご領からだけのはず。


 ならば奴らが布陣した犀畳さいじょう山との間、この川片平かびらだいら平地に我らの主力が陣取れば南側深く侵入した敵軍を孤立させ兵站を断つのは容易、先に干上がるのは新政・天都原あまつはら軍の方である。


 だったのだが……


 慌てて動く様子も、打って出て対処しようとする気配もない。


 「この一手が致命的であることを理解できぬ”無垢なる深淵ダーク・ビューティー”とも思えぬが……」


 と、山道やまみち 鹿助かすけが京極 陽子はるこが布陣する犀畳さいじょう山を睨んでいた時だった、


 「き、緊急報告っ!!こ、越籠こしご領から新たな敵援軍が出現!!この志那野しなの国境付近への行軍をか、確認いたしましたっ!!」


 ――っ!?


 予期せぬ兵士の報告に鹿助かすけは目を見開く!


 「ば、馬鹿な!!新制・天都原やつらにそんな余力などっ!兵力は!!敵援軍の兵力は如何いかほどかっ!!」


 思わず怒鳴りつける山道やまみち 鹿助かすけに兵士はビクリと肩をすくめて答える。


 「く、詳しくは未だ……しかし斥候の報告では三百に満たないと」


 「……」


 その報告内容で山道やまみち 鹿助かすけは一転、ほっと胸をなで下ろした。


 ――そうだ、あり得んのだ、これ以上の兵など……


 補給を断たれると焦った敵が苦し紛れに兵を掻き集めたとしか思えない。


 犀畳さいじょう山の新政・天都原あまつはら軍を下山させれば我らの思うつぼであるし、残った三城からは兵を出せない。


 そういう困窮した状況での苦し紛れだろうが……


 「三百程度でなんとする?ははは、適当に二千ほどの兵を向かわせれば簡単に撃退を……」


 「率いる将は”鈴木 燦太郎りんたろう”の模様!」


 ――っ!!


 しかし黒仮面の軍師は続く兵士の報告に再び目を見開いていた。


 「な!!す……鈴木……”鈴木 燦太郎りんたろう”だ……とっ!!?」


 ――

 ―


 報告を受けた山道やまみち 鹿助かすけは取り急ぎ、総大将である燐堂りんどう 天房あまふさの元へと駆け戻り、そして訴える。


 「策の修正を!本作戦案の軌道修正を取り急ぎ具申致しますっ!!」


 「え?!!?」


 取るものも取りあえず、慌てた様子で駆けつけた黒仮面の軍師を前に、燐堂りんどう 天房あまふさはそれ以上に慌てふためいていた。


 「何事だ?軍師、貴様らしくもない」


 オタオタとする若き総大将に代わり、赤備あかぞなえに身を包んだ副官の工藤くどう 祐永すけながが問う。


 「越籠こしご方面から新たな敵の援軍が確認されました!早急に作戦修正が必要となります!」


 「それは聞いている。だが、高が三百程度であろう?その様な敵は……」


 「率いているのは”鈴木 燦太郎りんたろう”ですっ!!」


 ――!?


 山道やまみち 鹿助かすけの口から出た姓名に、工藤くどう 祐永すけながの眉間にも皺が寄る。



 ――”鈴木 燦太郎りんたろう


 くだんの”尾宇美おうみ城大包囲網線”で四大国連合軍を散々に翻弄した、顔面を包帯で覆い尽くした謎多き新制・天都原あまつはら軍の取って置きの隠し球だ。


 勿論、当時参戦した旺帝おうてい軍も手痛い目にあった。


 目前の山道やまみち 鹿助かすけを奇策で散々に翻弄し……いやなによりも!


 旺帝おうていは軍の要である”旺帝おうてい八竜”の尾谷端おやはた 允茂のぶしげ……そして、それに関連した”香賀かが城前平原の戦い”で、木場きば 武春たけはると並び最強の一角であった”魔人”伊武いぶ 兵衛ひょうえが一騎打ちにて討ち取られた。


 ――希代の驍将にして類い希なる智将、”鈴木 燦太郎りんたろう


 何故かそれまで全くの無名だった奇妙な顔面包帯男の名は、一躍”あかつき”有数の勇名となっていた。


 ”その男”がこの場面で再登場し、しかも僅か三百程度で奇襲などという愚策とは……


 旺帝おうていの面々が警戒しない方が無理というものであった。


 「の者が率いた部隊である以上は……兵三百は偽装、その十倍以上は伏せてあっても不思議ではない」


 兵力の底であったと思われる新政・天都原あまつはら軍の何処にそんな戦力が、と理解わかっていても真実は別にあると思わざるを得ないほどの人物。


 「…………我らは”無垢なる深淵ダークビューティー”と”鈴木 燦太郎りんたろう”という傑出した智者共に”まんま”と嵌められ、おびき出されたというわけか」


 鹿助かすけが取る物も取り敢えず、この大本営へと駆けつけたのも頷けると、赤備あかぞなえの将は低く唸るように呟いた。


 犀畳さいじょう山に布陣した新制・天都原あまつはら本軍へ越籠こしご領からの敵補給路を断つのなら、川片平かびらだいら平地に布陣するのが最も適所だとの判断を見越した敵の智者二人に、”ここに軍を動かさせられた”のだ。


 そしてこの位置は――


 南の犀畳さいじょう山の新制・天都原あまつはら本軍と北から迫る鈴木 燦太郎りんたろうの援軍との中間であり、遮るもののない無防備な平地。


 本来なら奪還した九つの城を用いて戦う有利さを、 


 川片平かびらだいら平地城塞群という地の利を、まんまと殺された旺帝おうてい主力部隊は挟撃の危機に瀕している。


 「ど、どうするのだ?祐永すけなが!?」


 「…………」


 見る間に落ち着きを無くす総大将、燐堂りんどう 天房あまふさすがる様な視線に、赤備あかぞなえの将は眉間に皺を寄せた表情のまま黙っていた。


 「心配めさるな、天房あまふさ様。敵は我が軍の裏をかいたつもりでしょうが、既に我にはそれに対応する秘策があります」


 そこに黒仮面の軍師が自信のある顔で割り込んだ。


 「おお!さすが鹿助かすけ、それはどういう……」


 現金にも表情を反転させる年若い総大将に、黒仮面の軍師は口端を捻上ねじあげる。


 ――それは総大将を安心させるというよりも小馬鹿にしたような含みのある笑み


 「はい、先ずは本軍を三隊に分けます。そのうち二隊の目的は……」


 ――

 ―



 現在、志那野しなのに展開する旺帝おうてい軍の総数は四万。


 そのうち一万は奪取した九つの城に分散され、各城に守備兵として在る。


 残った三万の兵を川片平かびらだいら平地に集結していたが……


 その中から右翼軍五千と左翼軍五千を編制し、夜陰に紛れて密かに犀畳さいじょう山へと登り、中腹に布陣して動かない京極 陽子はるこの軍、二万を後背の左右から奇襲にて追い落とす!


 混乱して麓へと押しやられる京極 陽子はるこ軍を、タイミングを見計らった城塞群の九つの城から打って出た兵力で磨り潰しつつ、そして――


 最後は川片平かびらだいら平地に追い込んで、此方こちらも密かに前進して城塞群の近くまで詰めた本隊二万にて完全に殲滅する!


 「折しも今夜から明朝は濃霧だという地元民の情報を仕入れておりますれば、霧と闇に紛れた我が軍の行動は成功間違いなしでしょう」


 ――なんという妙策!


 ――敵の裏の裏をかく妙案!


 流石は”旺帝おうてい八竜”に名を連ねし黒仮面軍師、山道やまみち 鹿助かすけと、方針は満場一致で決したのだが……


 ――

 ―


 「こ!これは!!どういうことだっ!!」


 山道やまみち 鹿助かすけは大きく口を開け、仮面から覗く両まなこを目一杯に見開いていた!!


 早朝……


 作戦通りなら落ち延びてきた京極 陽子はるこの軍を完全包囲して殲滅するはずの川片平かびらだいら平地南側の城群前で……


 ――ドン・ドン・ドン!!


 作戦決行、敵軍が落ち延びてくるだろう時間まで半時はある時間帯に……


 ――ドン・ドン・ドドドンッ!!


 密かに行軍していた旺帝おうてい燐堂りんどう 天房あまふさの本隊二万は、至近距離で新政・天都原あまつはら……


 霧の中から正面に突如現れた無傷の新政・天都原あまつはら軍二万と予期せぬ対面を果たしていたのだ!


 ――ドドンッ!!


 視界が覚束おぼつかない中で、鼓膜を叩く様な、新政・天都原あまつはら軍の勇ましい太鼓が鳴り止んだ。


 そして遠く霧の向こう、


 敵軍の中央付近に暗黒の美姫が居た。


 「……」


 戦場でさえ優雅で、一分いちぶの隙も無い佇まいの美姫。


 霧の中でさえ、腰まで届く緑の黒髪はゆるやかにウェーブがかかって輝き、


 白く透き通った肌と対照的なあでやかなあかい唇を少し意地悪く微笑させる。


 ――天都原あまつはら王位継承権第六位、紫梗宮しきょうのみや 京極きょうごく 陽子はるこ


 彼女以外全てを無価値に貶めるほどの美貌を所持する暗黒の美姫は、何時如何いついかなる時も堂々として存在していた。


 「陽子はるこ様、”絶禍輪ぜっかりん”の準備が整っております」


 槍を地面に置いて主君にひざまずく、銀縁フレームの眼鏡をかけた美女の言葉を受けて、陽子はるこあかい唇から静かに言葉が発せられる。


 「そう、では十三子あなたも行きなさい」


 深々と頭を下げ、馬に乗って去る”王族特別親衛隊プリンセス・ガード”が十三枚目。


 そしてそれを見送る陽子はるこ


 智神メーティスをも凌ぐ頭脳と美の女神アプロディタをも嫉妬させる美貌を合わせ持った不世出の才媛。


 彼女を決定的に他者と画するのは”双瞳ひとみ”――


 「五手詰み。虚影ルフォー黒騎士シュヴァリエ・ノアルで”王は詰みエシェック エ マット ”ね……白王ロア・ブランは終わりよ」


 戦場を冷徹に見据える漆黒のそれは一言で言うなら”純粋なる闇”


 恐ろしいまでに他人ひとを惹きつける”奈落”に沈む暗黒の双瞳ひとみ


 それは十二の邪眼を持ついにしえの”魔獣バシルガウ”が”魔眼の姫”の双瞳ひとみ


 序列二位である黒真珠ブラックパール双瞳ひとみは、世界の終焉をも見通す宝石ジュエリーであった。


 「”志那野ここ”はもういいわ、それより次は…………最嘉さいか


 彼女の艶やかなあかい唇から熱い吐息のような言葉が漏れ、透き通る白い頬は僅かに朱に染まった。


 言葉通り”一顧にて城を滅ぼす”絶世の美姫が瞳は随分と遠くへ向けられ、


 それは、戦場ここよりもさらに彼方かなたの……


 そこには、本当に欲して止まない”愛しい好敵手”に思いを馳せる少女の姿があった。


 第四十三話「一顧傾城」後編 END

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