第156話「一顧傾城」中編

 第四十三話「一顧傾城」中編


 「木場きば 武春たけはる、私も旺帝おうてい最強にして最高の将たる貴殿が裏切るとは思っていない。だけどこんな噂が広まっては軍の士気にも関わるし、ここは私の顔を立ててくれるか?」


 二十歳そこそこ……


 際だって高級そうな鎧に身を包んだ見るからに若い将は広間の上座に腰を下ろし、眼前二メートルほど離れた床に直接、ドッカと胡座あぐらをかいて座った偉丈夫にそう告げる。


 若き将の名は、燐堂りんどう 天房あまふさ


 旺帝おうていの王、燐堂りんどう 天成あまなりの嫡子で、今回の”志那野しなの”奪還作戦の総大将に任命されている。


 「…………」


 対して床に胡座あぐらをかいた偉丈夫の将は木場きば 武春たけはる


 志那野しなのの”咲き誇る武神”と異名を取る最強国旺帝おうていに在って地上最強と名高い武将だ。


 ――


 向かい合った歳若き将と歴戦の面構えで黙る偉丈夫。


 その周りを囲むように並んで控えた将達は、誰もがピリピリとした緊張感の中で声を発せられずに事の成り行きを見守っていた。


 「武春たけはるよ、貴様も旺帝おうていに仕える忠臣なら天房あまふさ様の心中を察せられるだろう。今回の戦において貴様ほどの武を失うのは軍としても辛いのだ……だが、やむを得まい」


 そして場の空気を読んで主君に代わり言葉を続けるのは、燐堂りんどう 天房あまふさの隣に控えて立つ全身朱色の鎧に身を包んだ男。


 かつての旺帝おうてい領土、香賀美かがみ領主だった燐堂りんどう 天房あまふさを幼少より傅役もりやくとして支えた伊武いぶ 兵衛ひょうえの後釜としてその任に着いた工藤くどう 祐永すけながだ。


 香賀かが城前平野の戦いで戦死した百戦錬磨の”魔人”、伊武いぶ 兵衛ひょうえにも劣らぬ猛将にして同じく”旺帝おうてい八竜”の一竜である。


 「……」


 だがその言にも見るからに不満顔で黙る木場きば 武春たけはるの複雑な心情は、周りの諸将も察するに余りあった。


 ――元を正せば前回の”那古葉なごは城攻防戦”


 正統・旺帝おうてい臨海りんかい連合軍と旺帝おうてい軍とで争った激戦は形の上では停戦講和で終結したが、那古葉なごは領を正統・旺帝おうていに、岐羽嶌きわしま領を臨海りんかいに割譲する形でもあった。


 それは実質的には旺帝おうていの敗北を意味し、その交渉にて、負傷した那古葉なごは領主、甘城あまぎ 寅保ともやすの代理として挑んだ山県やまがた 源景もとかげの責任論が浮上し、旺帝おうてい王、燐堂りんどう 天成あまなりの怒りは爆発……


 独断専行で領土を失った罪として、山県やまがた 源景もとかげは全兵権を取り上げられ、蟄居ちっきょの身に処せられた。


 それは武人としてはこの上ない恥辱であり、再起の目どころか命さえ危うい状況である。


 当時の那古葉なごは軍の戦況から戦場に身を置いた者達からすれば、これ以上の被害を出さない英断だったにもかかわらず……だ。


 その山県やまがた 源景もとかげ木場きば 武春たけはるの叔父である。


 更にはその”那古葉なごは城攻防戦”に参加もした木場きば 武春たけはる自身も、今回の”志那野しなの”奪還作戦に向けて少数の兵しか与えられずに死地へと追いやられた。


 言わずもがな、命を賭して”汚名をそそげ”との意味だ。


 生粋の軍人たる木場きば 武春たけはるは現場の声を聞かない理不尽に大いに思うところがあったはずだ。


 だがそれでも武春たけはるは”最強無敗”の名に恥じぬ八面六臂の活躍で志那野しなの南部を奪還、そして北部の城を次々と落としてここに至ったのだが……


 ここに来て自分に理不尽を押しつけた王である燐堂りんどう 天成あまなりの命でその嫡子、天房あまふさが大部隊を率いて介入し全権を奪ったのだ。


 ――面白いわけが無い


 だが、それよりも……


 天房あまふさの部隊と合流した後の城攻めの渦中で武春たけはるは今まで通りの活躍を見せたが、天房あまふさが引き連れてきた軍の先鋒部隊である諸住もろずみ 清定きよさだの隊は徹底的に敵によって叩かれた。


 それは不自然なほどに諸住もろずみ 清定きよさだへと敵は戦力集中をさせた。


 そしてその後に……何処いずこからか旺帝おうてい軍の中に不穏な噂が流布され出す。


 ――木場きば 武春たけはるに謀反の兆し在り!


 無論それは全くの虚報デマであったが、叔父を理不尽に追いやられ自身も冷遇される状況で自然とその虚報デマが真実味を増す中、計ったかのように敵である新政・天都原あまつはらと取り交わした文書などの証拠の数々が武春たけはるの隊内から見つかった。


 ――馬鹿らしい……敵の謀略以外のなにものでもない


 武春たけはるは一笑に付したが、天房あまふさ陣営はそうでは無かった。


 そもそ山県やまがた 源景もとかげ木場きば 武春たけはるは生粋の”燐堂りんどう 天成あまなり”新派ではない。


 燐堂りんどう 天成あまなりがより強固に権力体制を固めようと、自らに近い者達以外を要職から遠ざける為に”那古葉なごは城攻防戦”の結果を利用した節があるのだ。


 その一連の処遇に関する後ろ暗さからか、天房あまふさが下した判断は戦場で獅子奮迅で活躍する木場きば 武春たけはるの部隊を主戦力から外すという愚行へと繋がる。


 ――”親にしてこれを離す”……所謂いわゆる、”離間の計”だ


 ――全て”天房の狭量それ”を見越した“無垢なる深淵ダーク・ビューティー”の伶俐な策であるのだろう


 生粋の武人である武春たけはるにとって好かぬ謀略であるが見事と言う他無い!


 戦場では無類の力を振るう旺帝おうていきっての将は静かに唇を噛んだ。


「……………………承知」


 ――!


 朱色鎧の工藤くどう 祐永すけながに促されてからキッカリ数秒……


 木場きば 武春たけはるは短くそう応えた。


 ――


 途端に、居並ぶ将達からば詰まっていた息が排出され、その場に一時の安堵が漏れる。


 「……あ、と……ならば、と……」


 「木場きば 武春たけはる、この時より将軍の任を解く!貴様は直属の兵のみを従えて大蔵おおくら城まで退去を命じる」


 ただ”承知”の一言を残し黙してさえ圧倒的な存在感を見せる猛将、木場きば 武春たけはる


 それに気圧されて処断の言葉が上手く出てこない天房あまふさに代わり、命を発する工藤くどう 祐永すけなが


 「……」


 一通りのやり取りが終了し、がっちりとした肩幅に鍛えられた太い腕、そして厚い胸板のまこともって均整の取れた完成した肉体が立ち上がり、そして背を向ける。


 ――将軍職を解かれ、子飼いの兵のみを従えて大蔵おおくら城に退去


 川片平かびらだいら平地の川辺に並び立つ十二カ所の城の中でも、大きく外れた東の大蔵おおくら城への移動は事実上の戦力外通告である。


 ――


 だが、処断されてもなお意気がみなぎる彼の双眸は自信に満ち、しっかりとした鼻筋の下にある大きめの口は卑屈さの欠片も無い。


 諸将が固唾を呑んで見守る中、陽とした風貌にして実に見事な男ぶりの、天下に隠れ無き武人は堂々とその場を去った。


 こうして――


 京極 陽子はるこが率いる新政・天都原あまつはらを散々に苦しめた、志那野しなのの”咲き誇る武神”木場きば 武春たけはるは彼女の周到な策により、旺帝おうていによる志那野しなの奪還作戦から強制退場させられたのだった。


 ――


 「そ、それで……この後は……敵の援軍に後方を抑えられ、す、水源を抑えられた我らは、ど、どうする?祐永すけなが……」


 堂々たる背で去った武人とは全く対極に、見送った燐堂りんどう 天房あまふさは心細さを隠せない表情と声で腹心の将をすがるように見ていた。


 「なれば、天房あまふさ様。ここは策をもって対処しましょう」


 工藤くどう 祐永すけながは堂々とした態度で応える。


 その様を見るに、正直どちらが総大将かわからない程であった。


 「はっ!その件に関してはこの山道やまみち 鹿助かすけが総司令閣下に策を献上致します!」


 そしてその工藤くどう 祐永すけながの視線を受け、居並んだ将達の中から――


 額から鼻まで覆った黒い仮面を装着した男、露出したあごに立派な髭を蓄えた黒仮面の男が一歩前に進み出る。


 「敵は十二カ所と点在する城塞群のうち”九城”を抑えた我々の背後、犀畳さいじょう山の中腹に布陣致しました。その目的は残った自軍”三城”の支援と我等が城々への水源を断つ事……」


 眼前に在る””赤備あかぞなえ”の工藤くどう 祐永すけながや、強制退場させられた”最強無敗”の木場きば 武春たけはると同じく”旺帝おうてい八竜”が一竜である……”黒仮面の軍師”山道やまみち 鹿助かすけである。


 「しからば、此方こちらは敵の補給を断ちましょう!つまり……」


 山道やまみち 鹿助かすけの示した策はこうである。


 川片平かびらだいら平地に犀畳さいじょう山から流れ出る百支はくし川は幾つにも分岐し平地を無数に分断している。


 そんな複雑な地形に十二カ所の城塞群が並び建つが、既に占領拠点が”三城”のみとなった新政・天都原あまつはら軍の援軍は死守した三城さんじょうのどの城にも入城せず、旺帝おうてい勢力圏を大胆不敵にも素通りしてそのまま南側の犀畳さいじょう山に布陣した。


 それは意表を突く異例の敵中行軍であって、その戦果は戦に有利な背後と高地をまんまと抑えて更には水源をも断つという奇策だったのだが……


 「”無垢なる深淵ダーク・ビューティー”の目論見は水源を断たれ、長期戦を嫌った我が旺帝おうてい軍が焦って城攻めに転じるのを誘う事でしょう。そしてこれを自軍の城と高地の軍から挟撃、各個撃破する算段なのは明白、ならば……」


 明確に相手の策を読んでみせる山道やまみち 鹿助かすけ旺帝おうてい八竜に名を連ねるだけあって確かに有能ではある。


 「此方こちらは無理な攻めを行わず最低限の城守備兵を残して北側の川片平かびらだいら平原へ集結し、逆に敵の補給を断つのが宜しいでしょう」


 ――が、


 少しばかり歪んだ思考を持つと噂される黒仮面の策士は、顎髭の上にある口元をいびつに上げてそう進言する。


 「そ、それは……」


 部下の献策に、あからさまに焦りを見せる燐堂りんどう 天房あまふさ


 「うむ、攻め手の補給を断つのは戦の常だが……それは可能なのか?」


 またもやオタオタとする若い司令官に代わり、副官の工藤くどう 祐永すけながが問う。


 「は!無論です。新政・天都原あまつはらの援軍は何処どこから来ましたか?彼奴きゃつらがこの志那野しなのへ確保しているだろう行軍路ルートは現在は北に隣接する越籠こしご領からだけでしょう。ならば戦場北に我が本隊が陣取れば、奇策頼りで迂闊にも犀畳さいじょう山、我が旺帝おうてい制圧下の更に南側深く侵入した敵援軍を孤立させ兵站を断つのは容易、先に干上がるのは彼奴きゃつら新政・天都原あまつはら軍です」


 「な、なるほど……う、うん……」


 自信満々に陰気な笑みを浮かべる黒仮面軍師の言に天房あまふさは納得するが、それでも最終的な判断は出来ずに、隣に控えた赤備あかぞなえの将を横目でチラチラと伺っていた。


 「確かに……なけなしの兵力をかき集めただろう新政・天都原あまつはら軍はそれしか確保できていまい。近隣の情勢不安から戦を早期に決したいのは我らと同様だが、我慢比べなら志那野しなの南方と北方の九城を制圧下に収めた我ら旺帝おうてい軍に軍配は上がるな」


 工藤くどう 祐永すけながは解りやすく伝えて若き主君を補佐サポートし、決断を促した。


 「う、うん……私もそう思っていた。よし、ならば山道やまみち 鹿助かすけの策を是とする!」


 そして臣下の言に後押しされた天房あまふさは、全軍の方針を居並ぶ諸将に下知する。


 ――オウッ!!


 「……」


 ――まこともって御し易し、馬鹿息子にだいめ……


 返事と共に諸将が頭を下げる中、黒仮面の軍師は内心ほくそ笑む。


 取りあえずはこの戦で燐堂りんどう 天成あまなり王の意図通り、次期王である天房あまふさの為の実績作りに貢献する!


 それは自身のより一層の出世を確定させる手段である。


 が、その後は……


 野望でのしあがった曲者の天成あまなりは、なんだかんだで扱いにくい。


 だが、その父とは違い息子である天房あまふさは平凡もよいところ……


 ――早く王位に就かせ、より良い傀儡として我が意のままに……


 黒き仮面の下でいびつな笑みを浮かべた軍師は、人知れずそういう野望に身を焦がしていたのだった。


 第四十三話「一顧傾城」中編 END

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