第149話「奈落の匕首」

 第三十六話「奈落の匕首あいくち


 「違うわ、”植田うえだ城”からよ」


 わざわざと新年の挨拶に来たという――


 紅白地にヴィヴィッドな大輪の牡丹と桜をあしらい、金駒刺繍がふんだんに煌めく豪華な晴れ着姿の、


 基本ベース古典的クラシカルであっても、現代風モダンな華やかさをも放つ逸品をその身にまとった至高の美姫は俺の質問にそう応えた。


 「それより最嘉さいか、形式張った挨拶も済んだことだし、其方そちらに行っても良いかしら?」


 そして俺の質問に早々に返した美女は、俺の返事を待つ気も無く、対面のソファーから俺の横へと移動を始める。


 ――大国”天都原あまつはら”の公爵令嬢にして、若くして政治・軍事の中枢たる場所で天賦の才を遺憾なく発揮した”元”総参謀長……”無垢なる深淵ダークビューティー”の京極きょうごく 陽子はるこ


 従兄いとこの皇太子によって国を追われた現在いまは、自らが建国した”新政・天都原あまつはら”の代表として君臨している。


 ――スッ


 「お、おい!はる……」


 普段は腰まで降ろされた緩やかにウェーブがかかって輝く緑の黒髪を、毛先をまとめずに”ふわふわ”に散らせて巻いた西洋風ドレッシーなスタイルの振り袖アップ髪型ヘアに。


 そこにあしらったピンクパールの大胆な大輪の髪飾りの豪奢さと、おくれ毛のキュートさという、普段の彼女とはまた違った魅力を溢れさせる出で立ち。


 「ちょっ!?このメス猫……京極きょうごく様っ!!」


 大国の令嬢がみせる大胆な行動を前に、ソファーに座した俺の背後に立って控えていた真琴まことは慌てて声を張り上げて阻止を試みる!


 その際、咄嗟のことでつい本音が出てしまいそうになったが……流石にそれは言葉尻でなんとか修正して誤魔化したようだ。


「…………」


 そして俺の背後で立った真琴まことと同様に暗黒姫の後ろに控えた侍女は、真琴まことが発しかけた主君に対する侮蔑の言葉に美しい眉を少しだけ顰めたが、俺と目が合うとスッと静かに頭を下げる。


 細い銀縁フレームの眼鏡をかけたお堅い秘書といった趣のある中々の美人、十三院じゅそういん 十三子とみこ


 彼女とも尾宇美おうみじょうでの戦後処理以来だ。


 「今日はね、少し”最嘉と私ふたり今後みらい”について話そうと思って来たのよ」


 ギシリと……


 ”唯我独尊”我が道を行く美姫の座ったソファー座部が少しだけ沈み、彼女の方へとやや傾いた俺の右腕に肌理きめ細やかな白い肌の指先がそっと添えられる。


 「なっ!?」


 俺と陽子ふたりはぱっと見、寄り添う体勢かたちで……


 大きめの瞳を見開いた真琴まことなんかはまるでいないものとばかりに、暗黒の美姫たる京極きょうごく 陽子はるこ白氷はくひょうの肌に一際映えるあかい唇が、俺の隣で薄くほころぶ。


 ――性格悪っ!!けど……か、可愛い……すぎる


 「…………じゃなくてっ!」


 俺は思わずボーとなる頭を振り払い、そして叫んだ!


 「”植田うえだ城”からってどういう事だよっ!陽子はるこ、おまえ……」


 それでも変わらず薄い微笑みを常備するあでやかなあかい唇。


 だが、その彼女の白く透き通った肌と対照的な魅惑の唇よりも何よりも、


 ――対峙する者をことごとく虜にするのでは無いかと思わせる美しい眼差しでありながら恐ろしいまでに他人ひとを惹きつける”奈落”の双瞳ひとみ!!


 何年も彼女に付き従った古参の家臣であっても、彼女の美貌……特にその双瞳ひとみの前には真面まともな自我など保てないという。


 「植田うえだ城は”植田うえだ城よ、志那野しなの植田うえだ城。最嘉さいかは地理も知らないのかしら?」


 「ぐっ……」


 そう、京極きょうごく 陽子はるこ双瞳ひとみ……


 ――それは一言で言うなら”純粋なる闇”


 それほどに抗い難い、まことに希なる美貌の京極きょうごく 陽子はるこ

 その極めつけは、彼女を”無垢なる深淵ダークビューティー”と言わしめる”暗黒の双瞳ひとみ”なのだ。


 「最嘉さいかさまっ!」


 「お、おう……」


 そして俺は、多少苛立った感じテイスト真琴まことの声に頷く。


 ――志那野しなの領の植田うえだ城……


 ――勿論、そんなのは知っている


 旺帝おうてい領土である志那野しなの領の植田うえだ城……


 京極きょうごく 陽子はるこが本拠とする”香賀美かがみ領”や”尾宇美おうみ領”からではなく、志那野しなの領から俺の居る”岐羽嶌きわしま領”へ来たと言うことは、つまり考え得るのは……そういうことだろう。


 「俺はまた……はるにしてやられたってことかよ」


 気がついた時、ここに居る誰に言うでも無く俺は呟いていた。


 「最嘉さいか旺帝おうていの主力の注意を引きつけておいてくれたから出来たのよ」


 ――そりゃそうだろうよ……


 あの”最強無敗”とか相手に散々に苦労した俺を前にして、まんまと”鳶に油揚げ”の実行犯の暗黒姫様は、何の呵責もない素敵な笑顔をお恵み下さる。


 「周到だな陽子はるこ。ならやはり紗句遮允シャクシャインの手によって旺帝おうていの”陸狗みちのく領”で廣崎ひろざき城が早々に落ちたのもお前の仕業か?」


 あのタイミングの良さは、やはり臨海オレへの支援というよりは俺をブラインドにした新政・天都原じしんの領土拡大……


 つまり、いつも通り俺は彼女に”利用”されたって訳だ。


 「最嘉さいかは何かと忙しそうだから、”北来ほらい”には私が手を打っておいてあげたのよ。そのついでに多少の恩恵は得たでしょうが、”労少なく最大成果を得る”のに務めるのは為政者たる者の必然でしょう?」


 「……そ……そうだが……なんか納得いかない」


 事の一部始終で背後の真琴まことから厳しい視線を受けながらも、陽子はるこに対して俺はそれが”せいぜい”だ。


 「ふふ」


 そんな不甲斐ない俺を魅惑的な漆黒の瞳で見つめながら、至上の美姫は続ける。


 「それで、私はこの先、東と北を統べる予定だけれど、最嘉さいかには西を任せたいのよ」


 ――東と北?


 ――それは旺帝おうていと”可夢偉かむい”連合部族国を攻め取るという意味か?


 ――ならば……


 「西とは俺の方で”いびつな英雄”の相手をしろと?」


 ”いびつな英雄”とは勿論、天都原あまつはらの皇太子で今は実質的な支配者、藤桐 光友みつともの事だ。


 目の前の陽子はるこを追いやった政敵でもある。


 流石にそんな身勝手な言葉には、如何いか陽子はるこに惚れている俺とて不機嫌を隠せないが……


 「なにも天都原あまつはらと全面戦争しろとは言っていないわ。貴方には支篤しとくを……元、南阿なんあの領土の一部を奪還してもらえれ……」


 「何を勝手なっ!!」


 そこまで話しかけた陽子はるこの言葉を、俺の背後の少女が猛烈な勢いで遮った。


 「最嘉さいかさまが苦労して切り崩しかけた旺帝おうてい版図の成果を横取りし、あまつさえ自身の身内の不始末を最嘉さいかさまに押しつけようなんて厚かましいにも程がありますっ!!」


 流石に堪りかねたのだろう真琴まことの激しい言葉にも……


 「…………」


 陽子はるこは毛ほどの関心も示すこと無い様子で俺を見つめたままだ。


 「こ、このっ!!毎回毎回、最嘉さいかさまのご厚意を姑息な手段で利用して!!恥ずかしいとは思わ……」


 今まで抑えていた感情が溢れる真琴まこと


 「お待ちを!その言は聞き捨てなりませ……」


 主君への度重なる真琴まことの態度に、流石に抗議の声を上げそうになる十三院じゅそういん 十三子とみこ


 冷静で人一倍場を弁える彼女でも”王族特別親衛隊プリンセス・ガード”として主君への冒涜は看過できないのだろう。


 だが、そんな状況下でも俺は、陽子はるこの漆黒の双瞳ひとみがなにか……


 「南阿なんあの領土をこの時期に奪還するのがそんなに急務なのか?」


 俺の為に怒ってくれている真琴まことには悪いが、その漆黒の奥底になにか特別な意図を孕んでいるような気がして……


 真琴まことの言葉を遮り、思わずそう聞いていた。


 「うぅ……最嘉さいか……さま」


 しょげる真琴まことには悪いが……


 多分これは決して欠かしてはいけない、そんな最重要事項が潜んでいると!


 そう俺の本能が告げている!


 「…………」


 暗黒の美姫はそんな俺を見つめたまま。


 「はる……」


 「長州門ながすどはね……近いうちにちるでしょうね」


 「……」


 数瞬置いて、まるで俺の反応を確認するように、あかい唇から零れたのは意外な言葉だった。


 ――長州門ながすどが?


 ――いや、確かに”七峰しちほう”が”長州門ながすど”へと侵攻中だが……


 「あの”覇王姫”、ペリカ・ルシアノ=ニトゥが負けるかよ?」


 俺はそれが信じられない。


 馬鹿げた運を持つ”戦の子”、菊河きくかわ 基子もとこに、ナンバーツーで知恵袋である”白き砦”のアルトォーヌ・サレン=ロアノフ。


 そして”長州門ながすど”君主であり、”焔姫ほのおひめ”または”覇王姫はおうひめ”と呼称されるほどの個の武勇を天下に轟かせるペリカ・ルシアノ=ニトゥという、”三要塞の魔女トリアングル・マギカ”は本州西の大国”長州門ながすど”の不敗の象徴であるのは”あかつき”全土で周知の事実だ。


 ――こと、真面まともな戦場では現時点で俺にも勝ち目が思いつかない


 如何いかな宗教国家という特異な結束を誇る”七峰しちほう”でも及ぶとは考えられないのだ。


 そんな俺の思考を察したのだろうか、暗黒の美姫は言う。


 「あの”花火女”。良くも悪くも”長州門ながすど”のかなめはあの女の英雄的資質カリスマよ、アレが倒れれば……」


 ――倒れる?


 ――倒される?あの”覇王姫”が?


 ――ほのお闘姫神ミューズたるあのペリカ・ルシアノ=ニトゥが?


 「それこそ考えられないな、ペリカを倒すなんてのは最強無敗、木場きば 武春たけはる天都原あまつはらの鬼阿薙あなぎを倒すよりも高難易度だ。数で押し潰すにしてもそれは並大抵ではないぞ、大体な、彼女には例外的な能力ちからも……」


 ――そうだ、”武力それ”だけじゃない!


 覇王姫かのじょいにしえの……”魔眼の姫”でもあるのだ。


 時折見せる拳に宿るあの”炎”


 恐らく戦闘に特化した魔眼の所持者だと……


 陽子はるこの魔眼が戦闘に適していなくて大した力が無いからと、他の魔眼保持者がそうとは限らない。


 くだんの怪人、”幾万目貫いくまめぬき”との邂逅、そしてその脅威を何度も体験した俺は、最近そう考えるようになっていたのだ。


 「流石ね、最嘉さいかの慧眼は。確かに間違っていないわ……でもそれは”例外”が唯一無二の場合かしら」


 ――!?


 ――”例外”が唯一無二”!?


 ――そ、そうだ、確かにそもそも魔眼の姫は五人……


 ――だが……


 ――それは……


 その可能性に思わず思考停止する。


 いや、その先を考えたくないという本能が働く俺を見て……


「ふぅ……」


 暗黒の美姫はあからさまに溜息をいた。


 「相変わらず優しいのね、最嘉あなた……でも他の女に向ける”それ”は気にいらないわ」


 そして本当に不機嫌にそう言うと彼女は続ける。


 「魔眼姫れいがいには魔眼姫れいがい、序列三位には序列四位を、つまり序列三位、”紅玉ルビーの姫”であるペリカ・ルシアノ=ニトゥを屠るには序列四位、”白金プラチナの姫”である…………久井瀬くいぜ 雪白ゆきしろ


 ――雪白ゆきしろ……


 話の流れで充分予測できるその名を、一瞬、俺の頭は拒否した。


 だが……


 「”とある筋”からの情報で、最近どうやら”魔眼集め”に行動移行しているらしい”幾万目貫いくまめぬき”なる怪人の次なる狙いは、序列三位”紅玉ルビーの姫”というのよ」


 ――”とある筋”……ちっ!


 「あの破戒坊主!いやその後ろで糸を引く奴か!気にくわないな」


 それは俺の率直な気持ちだった。


 「最嘉さいかの気持ちは分からなくも無いわ、けれど”信憑性の高い情報”でもある。それこそ”災厄の魔獣”関連なら彼らに一日の長が有るのは認めざるを得ないでしょう?」


 ――ちっ!


 確かに、仏法僧等ヤツらの言うことを真に受けるなら、災厄の元凶に対する備えを第一の目的とする仏法僧達は五百年も昔から、”戦国世界こっち”と”近代国家世界あっち”が切り替わるようになるより前の、世界が引き裂かれるよりもずっと以前からそれに取り組んできたという事になる。


 ――”邪眼魔獣バシルガウ”つまり”幾万目貫いくまめぬき”なる怪人に関しては専門家スペシャリストという事だ


 「……なら雪白ゆきしろの事も予見出来ていたってことか?……数酒坊かずさのぼう、あの生臭坊主っ……」


 「…………」


 俺は思わず小声でそう呟いていたが、陽子はるこの視線に直ぐに気持ちを切り替える。


 「それで新政・天都原あまつはらの”無垢なる深淵ダークビューティー”嬢は、俺達臨海りんかいに旧南阿なんあ方面から海を渡り、長州門ながすどを支援しろと?」


 「…………いいえ。新政・天都原わたしには”長州門ながすど”なんてどうでも良いのよ、してあの”花火女”の命なんて興味も無いわ」


 私情を捨てきれない俺を冷ややかに見ていたはずの暗黒姫はしれっと私情入りまくりの台詞を放つ。


 「重要なのは、人類共通の敵と言えるだろうあの怪人の魔眼収集を阻止すること。この一点だけよ」


 「……」


 ――取りあえず、ペリカがどうでも良いかは置いておいて……確かにあの幾万目貫いくまめぬきが災厄の元凶の可能性が高い以上はそれが最優先事項だろう


 「その為の旧南阿なんあ奪還……いや、一時的に長州門ながすどを支援するだけなら天南てな海峡に浮かぶ”小幅轟おのごう島”……”蟹甲楼かいこうろう”を手に入れるだけでいいだろう」


 俺の言葉に陽子はるこも頷く。


 「だが、臨海おれたちが苦労して足がかりを築いた旺帝おうてい攻略の道をタダ同然で陽子はるこに譲る理由は無い!人類の敵?俺がそんな世迷い言で貧乏くじを引くとでも?」


 流石に俺でもそこまで陽子はるこに譲歩は出来ないと、


 多少の意地も無くは無かったが、その言葉に背後の真琴まことは大きく頷き、陽子はるこは……


 「なら雌雄を決しましょう。予定よりは少し早いけれど私の新政・天都原あまつはら最嘉あなた臨海りんかいで全面戦争ね、それが最嘉さいかの望みなら是非も無いわ」


 ――!?


 駆け引き?


 挑発?


 しかし確かに美しき口元に含んだ隠しきれない期待への薄笑み。


 ゾクリと背筋に走る殺気は本物だ。


 「………………はる


 その瞬間、”暗黒の美姫”、”無垢なる深淵”の吸い込まれそうなほど純然たる奈落の双瞳ひとみは、決して脅しでは無い微笑みをもって俺を見据えていたのだった。


 第三十六話「奈落の匕首あいくち」 END

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