第117話「賭場と剃刀」前編(改訂版)

 第四話「賭場と剃刀」前編


 ――もう四年も昔の……


 私が十三、最嘉さいかさまが十四になったばかりの、まだ臨海りんかい国次期当主であられた頃の話だ。



 最嘉さいかさまは鈴原 真琴わたし宗三むねみつ いちを引き連れ、ある人物の元を訪ねられた。


 場所は臨海りんかい領内、扶路社ふじしろの外れにある屋敷……


 そこは十数年も放置された”ある古参の家臣”が所有する別荘で、大幅に改修して現在はその”古参の現当主”が住んでいるらしい。


 その人物は……


 数年前に家督を継ぎ、臨海りんかい国領主である鈴原すずはら 大夫たいふ様に数年間仕えたが……


 普段の素行の悪さから大夫たいふ様に疎まれ閑職に回された事で、そのまま自棄になって職を自ら返上してこの僻地へと移り住んだという話だ。


 ――


 「本当にこの頭数で訪ねるのですか?相手は……」


 私の横を歩く従兄いとこ宗三むねみつ いちが前を行かれる主人に問う。


 「別に問題無いだろ?敵に会いに行くわけじゃあるまいし」


 その問いに平然と答えられた最嘉さいかさまは、そのまま目的地を目指して先頭を進んで行かれる。


 「それはどうでしょうか?くだんの人物の良い噂は聞きません、なにやら良からぬ者達を集めて日がな一日、ただれた生活を送っているそうです。そんな輩ですから既に鈴原すずはら本家に忠誠心があるとは思えません」


 前を行かれる最嘉さいかさまにしつこくそう問う宗三むねみつ いち


 どうあってもこの従兄いとこは主君に再考を求めたい様子だ。


 「鈴原すずはらに忠誠心ねぇ、真琴まことはどう思う?」


 いちの執拗さを適当に聞き流している様に見える我が君は、それまで無言で付き従っていた私を振り返って問われる。


 「はい。”神反かんぞり 陽之亮ようのすけ”ですか?私は面識は無かったと思いますが、確かに良い噂は聞きません」


 その涼しい瞳に一瞬ドキリと胸を高鳴らせるものの、私は平静を装って応えた。


 私はいちの様に主人に変心を働きかける気持ちは無い。


 私の主人たる最嘉さいかさまのお考えに口を挟むなどあり得ない。


 鈴原 真琴まことにとって鈴原 最嘉さいかさまはそういう絶対的なお方なのだ。


 ――とはいえ


 私の知る限りその男は、臨海りんかい国の直参の家臣家系ではあるが家督を継いでから職を返上してこの僻地に隠遁するまでに、主君である鈴原すずはら 大夫たいふ様と何度も衝突し、挙げ句は職場放棄……


 そして現在は屋敷に”ならず者共”を囲い、酒と女三昧だと聞くどうしようもない男だったはず。


 そういう情報から私は最嘉さいかさまの御心に反しないまでも、いちの忠告にも一定の理解はしていたのだ。


 「けど”切れ者”だぞ?ことに数年前の天都原あまつはら日乃ひの領での戦……そこで奴が進言したという、南阿なんあ軍に対する切り崩しの内部分裂策アプローチは絶品の……」


 「”あれ”は人道にもとると思いますが?」


 不敬ながらいちが我が君の言葉を遮る様にそう言い、


 「姑息な策だと思います」


 私もいちの意見に大凡おおよそ賛同だと最嘉さいかさまに伝える。


 そう、その戦で”神反かんぞり 陽之亮ようのすけ”が献策したのは――


 わざと南阿なんあ軍を日乃ひの領へと上陸させ、占領させた村に仕込んだ遊女達を使って一部の船頭達を酔い潰して籠絡、或いはそれで動けぬ一部の孤立部隊兵士を人質に敵全軍を分断するというものだったそうだ。


 「そうかぁ?戦はなにも正面から矛を交えるだけが全てじゃないし、奴の策なら楽で味方の被害も……」


 「……」


 「……」


 最嘉さいかさまはそう言われるけれど、私はやはり戦場で女を売りにしたような方法は抵抗があるし、いちは戦闘結果での捕虜ならともかく、それを盾や人質にするような策は好まない。


 ――勿論、最嘉さいかさまがお命じになれば、私には異論などあるはずもないけど……


 「いや、まぁいい……とりあえずは訪ねてみよう。余人の無責任な噂、他人伝ひとづての不確定情報なんてものは、散々に”願望や思惑ベクトル”が加わってとても鵜呑みに出来る代物じゃないしな」


 最嘉さいかさまは私達二人の表情を見て取ると言葉を止め、そして軽く笑ってそう言われる。


 「……」


 ――そう、真琴わたしにとって最嘉さいかさまの出される結論は全て正しい!


 どんなときも真琴わたしはそう確信している。


 ――けれども今回は……


 職を失った奉公人、夜盗崩れ、浪人に遊女、そういう無頼の輩が群れるそんな場所に……


 私が本心では乗り気で無い理由は宗三むねみつ いちのそれとは少し違い、その人物の真偽ではなくて……


 私の最嘉さいかさまに!


 そういう”いかがわしい場所”には近づいて貰いたくないという事からだ!


 「……」


 酒に女……


 欲望に溺れる人生の落後者達。


 そんな輩を纏める屑男なんかに関わって最嘉さいかさまの御身に、


 いいえ!


 万が一、その男を最嘉さいかさまが気に入られた後で、裏切られ傷ついたりされたら……


 ――そう、一年前の”嘉深よしみ様の時”のように


 「……っ」


 ――私は最嘉さいかさまをイチミリだって傷つける可能性がある存在を絶対に許容しないっ!


 あの時の最嘉さいかさまのお姿を思い出し、私の胸は心臓を握り絞められたかのように苦しくなる。


 ――させない!万が一にも!


 我が君の後ろを歩く私の指は、無意識にギュッと強く握られていた。


 ――


 「てなわけでぇ……行くぞ、いち真琴まこと。やさぐれ男の巣窟へ!」


 最嘉さいかさまは宝探しにたわむれるわらべのように無邪気な笑みで先を指し示される。


 ――私は……


 「お供いたします」


 ――私がお護りする、この身に代えても!


 頭を下げて応え、堅くそう誓ってから我が君の背を追ったのだった。



 ――


 ――ガヤガヤ……


 「……」


 ――がははっ!


 ――きゃっ!ちょっとぉ!うふふふ……


 「……」


 予想以上というか、予想だにしないと言うべきか。


 ”神反かんぞり 陽之亮ようのすけ”の別荘とやらは耳を覆わんばかりの喧騒で、


 「なに……これ?」


 私は思わずそう独り言を吐き出してしまう始末だ。


 「おおぅ!?この”お坊ちゃん達”はどこのお偉方だぁ!?」


 「きゃはは!止めなよ、アンタみたいな怖面こわもてのおじさん見てさあ、このお嬢ちゃん固まっちゃってるでしょ?」


 ――ぎゃはははっ!!


 「……」


 くだんの”神反かんぞり 陽之亮ようのすけの館”は……


 上半身裸で酒を手に騒ぐ柄の悪い男達に、


 派手な化粧の半ばはだけた”しどけない”衣装の女達……


 ある者は博打に我を忘れ、ある者ははべらせた女と酒に溺れ、


 そしてまたある者は掴み合いの喧嘩に怒声をまき散らす。


 「……」


 屋敷の中に案内されて直ぐに、私は充満する商売女達の化粧と野蛮な男達の酒の匂いに自然と眉をひそめていた。


 「やぁやぁ、誠に申し訳ないねぇー、こんな片田舎までお運び頂いてこの有様……はははっ……で、鈴原すずはらの若様はどういった御用向きで?」


 歳の頃は二十代半ばから後半だろう。


 切れ長の眼をしたヒョロッとした色白い男が屋敷の中央にドッカリと腰を下ろし、左右に妙齢の女達をはべらせながら上機嫌に酒杯を上げて笑う。


 「……貴殿、神反かんぞり 陽之亮ようのすけか?」


 立ったままの私達、その中で宗三むねみつ いちが始めに言葉を発した。


 「あ?ああ……俺が誰かって?ああ……なるほど……って誰だっけ?ええと……ちょっと待ちなよ兄さん……ええと、どうだったかなぁ?天下の色男って事だけは覚えてるんだけどなぁ、どうだったけなぁ。おぉい、桔梗ききょう?どうだっけ?あははははっ」


 色白い優男は上半身の衣服をはだけ白くて貧弱な体を晒しながら巫山戯きった口調で、隣で酌をする女に問う。


 ――あ……だめだ


 隣で立ついちの顔を見て私は思った。


 男は肩に掛かる長さで無造作に垂らした髪を振りかざし、相変わらずのほろ酔いで軽口を発した口の形のまま、自らが”桔梗ききょう”と呼んだ右隣の女を抱き寄せてケラケラと笑っていた。


 「神反かんぞり 陽之亮ようのすけ。自らの口で我が主君に名を告げよ!それが臣下として最低限の礼節だ」


 言葉は落ち着いているけど……


 いちはかなり苛立っている。


 それはこの男が最嘉さいかさまに向ける態度が原因なのは明白で、かく言う私もいちと同様に怒りが臨界点だった。


 「はぁ?知ってるならそれで良いでしょ?でぇ?何の用かなぁ、す・ず・は・ら・のぉ!若君ぃ?」


 ――っ!!


 あまりの無礼に!私達二人が堪らず前に出ようとした瞬間だった!


 「神反かんぞり 陽之亮ようのすけ。お前を見込んで頼みたい仕事がある」


 最嘉さいかさまはスッとしゃがんでから、その巫山戯ふざけた男と目線を同じにされた。


 「…………」


 巫山戯ふざけた優男、神反かんぞり 陽之亮ようのすけは正面から最嘉さいかさまと視線を絡めたまま、薄笑いを浮かべたままで黙っている。


 「親父殿には随分と煙たがられているようだが、俺はお前を買っている。どうだ?」


 「…………」


 それでも返事を返さず黙ったままの神反かんぞり 陽之亮ようのすけ


 この無礼千万な男に対し……


 「このっ!我が君の質問に答えなさい!無礼者っ!」


 思わず怒鳴りつける私。



 「………………ふぅ」



 けれど目前の無礼な男は、ニヤけづらのまま溜息をひとつ、


 そして手にした酒杯を一気にあおった。


 「どういった任務か知りませんがぁ、どうせ命懸けの使い捨てでしょう?職務を放棄して日がな一日遊び惚ける穀潰しの使い道には持って来いだ。ははは」


 睨み付ける私と、全く動じない表情で男を見詰めておられる最嘉さいかさまに、神反かんぞり 陽之亮ようのすけは軽薄に笑ってから、


 ――ガシャン!


 手にしていた空の杯をそのまま床に落とした!


 「なにを勘違いしているのか知らないがなぁ?お坊ちゃん!俺は既に身分や肩書きを返上した!」


 打って変わって荒々しい口調で私達を睨み付ける男は先ほどまでとは別人の迫力を見せる。


 「そ・れ・にぃーーだっっ!!我が神反かんぞり家は鈴原すずはら当主家の直参であって、その命令権は当主に帰するんだよ!解るかい?現在は当主でもない”お坊ちゃん”にあれこれ命令される筋じゃないってことだ!」


 そして不敬にも、最嘉さいかさまの鼻先数センチまで顔を寄せて憎たらしい顔で暴言を吐く。


 「このっ!」


 これには、反射的に腰に装備した特殊短剣に手をやる私だが、


 「真琴まこと


 それを最嘉さいかさまは静かに制した。


 「……うう」


 ――納得いかない!


 いいえ!当然、最嘉さいかさまにでなく!


 この目前の無礼者を二つにして斬り捨てられない事にだっ!


 「……」


 けれど最嘉さいかさまは私とは違い、酔っ払いの無礼者とお顔を突き合わしたまま、ニヤリと口元を微かに釣り上げられた。


 ――あ……


 これは心中で、凡人には思いもつかないお考えを、なにか良からぬ事を考えているときのお表情かおだ!


 すごく頼りになって、ちょっとだけ意地悪な、私の最嘉さいかさまの……


 「……」


 私はその一瞬で全ての苛立ちを忘れ、頬が熱くなる。


 「合い分かった。ならば賭けで決めようか。そうだな、俺が勝ったら……」


 ――っ!?


 そして次に発せられたそのお言葉に……


 その場の全員が一瞬、そう予測通りに意味が解らず立ち尽くす。


 「は?……いや、ちょっと!?坊や?……何を言って」


 最嘉さいかさまのお言葉に神反かんぞり 陽之亮ようのすけだけじゃなくその場の全員が驚いて言葉を無くしていたのだ。


 ――ふふん!


 そうよ、私の最嘉さいかさまのお考えが、私を含め凡人に理解出来るはずも無い!


 誇らしい気持ちでお側に控える私だけど、


 ――でも、この雰囲気くうきで平然とそんな提案?


 ――いえ、どういう状況?


 私の誇らしいと感じる理由の通り、さっぱり見当もつかない。


 「だ・か・らぁっ!賭けだよ賭け!俺が勝ったら”陽之亮おまえ”は俺の所有物だ。今後は俺の麾下で馬車馬の如く働いて貰う」


 同列にポカンとした無礼な優男に我が君は再度、説明をされる。


 「い、いやいや……だからなんで賭け?やらない!やらないって!俺は此所ここで酒と女達に囲まれながら一生涯、面白可笑しく過ごす予定……」


 「なんでって?お前、ここは賭場とばだろ?賭場とばですることは賭け事しかないだろうが?」


 完全に呑まれたふうの優男の否定を最後まで言わせず、最嘉さいかさまはも当然とばかりに言い放たれる。


 「さすがは最嘉さいか様、ここは完全に……」


 いちの呟きに私は改めて周りを見回す。


 「ぎゃははっ!」


 「ざぁーんねんっ!親の総取りだぁ!」


 「ちっくしょう!もう一回だ!」


 この場は私達が来た時から、荒くれ者と商売女と酒盛り、とくれば……


 「……賭場とばですね」


 いちが言う。


 「……賭場とばだわ」


 そして私も賛同した。


 「い、いやいや!!……しかし!だからと言って俺がそんな賭けを受ける言われは……」


 「俺が負けたらお前の言う事を何でも聞くぞ、なんでもだ」


 またしても優男の否定を最後まで言わせず、最嘉さいかさまは平然と言い放つ。


 ――っ!


 尻込みする優男に向け、最嘉さいかさまの口から出たとんでもないお言葉は……


 騒がしかった荒くれ者共も思わず息を呑む内容だった。


 「あと……そうだなぁ、勝負の方法は陽之亮ようのすけに任せる。お前の得意な分野で勝負だ、どうだ、これでも逃げるか?」


 鼻面を付き合わせたままの距離で、意地悪く、挑発的に笑う我が君。


 「おおっ!やれやれ!」


 「神反かんぞりの旦那!まさかこんな子供相手にここまで言われて逃げねぇですよねっ!」


 いつの間にか周りの無頼達も巻き込んで場は大いに盛り上がっていた。


 「……う……むむっ」


 ――これだ!


 最嘉さいかさまはこんな風に、戦でも交渉でも周りの状況をもの凄く上手く利用される。


 私のウットリとした視界は、必然的に我が君で占められていた。


 「ほ、本当に……何でも聞いて頂けるので?」


 ある意味観念したのだろう、神反かんぞり 陽之亮ようのすけはタジタジながらも至近で最嘉さいかさまの挑発的な瞳を見返す。


 「お前の予測通り命懸けの任務を頼むんだ、此方こちらもリスクを背負しょって当然だろう?」


 そして――


 こういう時、私の最嘉さいかさまは決して逃げる事などしない。


 「ふふ……ふ……なるほど、成る程、成る程」


 色白の優男はドタンッ!と、


 後ろに両手を着いてからグッと仰け反って天井を仰ぐ。


 ――その姿は、心なしか……なんだか楽しそうにも見えて


 「ではでは……鈴原すずはらの若君、俺が勝ったら……」


 そして、その優男……


 神反かんぞり 陽之亮ようのすけの切れ長の瞳に、初めてギラついた光りが宿った!


 ――こ、この無礼な優男……


 その異様な迫力に、思わず私はゴクリと唾を飲む。


 「……」


 むねみつ いちも無言ながら、刀の柄に置いた手に力が入っている様だった。


 それほどまでに、この男の雰囲気は豹変したのだ。


 「そうですな、この神反かんぞり 陽之亮ようのすけが勝ったあかつきには……この女性にょしょう、”桔梗ききょう”を抱いて頂きますが……鈴原すずはら 最嘉さいか様?」


 ――はっ!?


 私はその瞬間、完全に頭が真っ白になった。


 「な……な……」


 そして咄嗟に言葉も出ない。


 「ふふん」


 対して、試すような、いやらしい視線を向ける神反かんぞり 陽之亮ようのすけ


 そして肝心の……最嘉さいかさまは……


 「わかった」


 短くそう答えられた。


 ――な!?なな!!


 「ふふ、それは重畳ちょうじょう……」


 返答を確認した神反かんぞり 陽之亮ようのすけの切れ長の瞳は……


 極上の愉悦に細められ、どんな美酒にも不可能な陶酔の底にて剃刀かみそりの如き鋭利な光を煌めかせたのだった。


 第四話「賭場と剃刀」前編 END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る