第78話「武者斬姫 参」後編(改訂版)

 第三十八話「武者斬姫むしゃきりひめ 参」後編


 「私を勝手に生かし、散々求めておきながらこの所行……貴方には恥というものが無いのか」


 恨めしそうな口調でそう言った私の言葉に、その男はこう返してきた。


 「強要した事は一度も無い、お前の意思だろう?」


 その時、不思議と私に怒りは湧かなかった。


 それよりもこう感じただけ。


 ――まただ……と、


 「……確かに……でも、それは……貴方がこの地の絶対権力者だから……強要されなくても私には断る術など……」


 「それがお前の意思だというのだ、分からんのか?」


 「…………」


 「俺が権力者だから?そんたくしたのか?それはどういう事だ?それはお前がで過ごすのに、生きるのに、俺を利用するために選択した結果では無いのか?」


 「っ!!そ、それは……」


 「相手がどういう態度を取ろうと、どういう身分だろうと、おのが行動はおのれしんで決める!たとえ理不尽にねじ伏せられる結果になろうともそれは自分の力不足……しかしお前はねじ伏せられる事を選ばずはなから従った、それは貴様の選択だろう」


 「っ!!!!」


 言葉にならなかった。


 勝手な理屈だ……


 人をねじ伏せる、踏み潰すことしか経験した事の無い支配者側の勝手な理屈……


 「…………」


 なのに私は抵抗を止めた。


 口論さえ億劫になった。


 「終わりか?なら俺は行く、覇者たらんとする者は色々と多忙でな……お前は後で来い、最後の最後で俺の役に立って貰う」


 そう言って去って行く男。


 つまずく事を危惧さえしない自信の塊のような尊大な男。


 そんな男の遠ざかる背中を眺めながら私は……


 「…………」


 相変わらず、無力に立ち尽くしていた。


 故国、咲母里さきもりから七峰しちほう天都原あまつはら、流れ流れて”次花つぐはな 千代理ちより”は……


 ――もう疲れ果ててしまった


 ――

 ―


 それから数時間後。


 全てを諦めた私は……


 「……」


 自身の両脇を天都原あまつはら兵士に挟むように確保されたまま、促されるままにその場所に居た。


 「従妹の京極きょうごく 陽子はるこ殿の件は了承した、俺にも異存は無い。なれば議題は先ほど話した通り我が天都原あまつはらの今後の戦略、日向ひゅうがを統べし柘縞つしま 斉旭良なりあきらが率いる句拿くな国との同盟についての……」


 その時も――


 「……」


 入り口付近で兵士に挟まれ立たされたままの私は常に下を向いていた。


 ――


 そんな私を置いて、傲慢な男の野望は進んで行く。


 「では諸公に異存は無いな。ならばこの同盟の件は以後、この藤桐ふじきり 光友みつともが進めて行く。さしあたり説明したように、この……滅んだ”咲母里さきもり”の大登おおと 為末ためすえが元家臣、”次花つぐはな 千代理ちより”を柘縞つしま 斉旭良なりあきらが重臣である次花つぐはな 臆彪むねとらに引き渡し、今後の関係のいしずえと……」


 ファサ……


 ――っ?


 諸公が聞き入るばかりの光友みつともが独壇場を、何かが遮る。


 それは――


 ごく軽く柔らかい”何か”が床に落ちる軽微な音であったが、それでも確かに諸公の意識は光友みつともから分散した。


 「…………」


 堂々たる演説を続ける尊大な男の会話を遮るには微々たるもの……


 しかし、その僅かな空気の流れが、その場の天都原あまつはら重鎮達の視線を主役であった”王太子”から……


 「……失礼」


 ”その少女”へと移させる。


 重鎮達が居並ぶ立派な席々より更に豪華にあつらえられた王族専用の椅子。


 そこに先ほどまで座していたであろう少女が控えめに言葉を発する。


 音の正体はその少女が不意に立ち上がった為に足元に滑り落ちた彼女の”膝掛け”

 カシミヤの”膝掛け”が床に舞い落ちた僅かな音だった。


 「……」


 思わず私も顔を上げ、その者達の視線の先を追ってしまっていた。


 ――っ!!


 緩やかにウェーブの掛かった美しい緑の黒髪。

 白い陶器の肌とそれとは対照的なあかい唇。


 そして……そして……奇蹟とも表現できる程の美少女が所持する漆黒の瞳は……


 対峙する者を尽く虜にするのでは無いかと思わせる、恐ろしいまでに他人ひとを惹きつける”奈落”の双瞳ひとみだった。


 「…………」


 そこに佇む、僅か十歳そこそこの少女は、既に大人をも魅了する希なる美少女であった。


 「姫様?」


 その美しい少女は、お付きの侍女が”それ”を拾い上げようとするのをそっと白い指先で制する。


 「貴女、拾って頂けるかしら?」


 ――!?


 何を思ったのか、美しき少女の漆黒の瞳は真っ直ぐに私の方へ……


 ――ゾクリッ


 魂を虜にする奈落の双瞳ひとみ

 およそこの世の存在全てを無価値に貶める美貌の少女。


 私は随分と年下の少女に圧倒されながらもなんとか応えた。


 「……あ……あの、私でしょうか?」


 「私の視線の先に貴女以外誰かいるの?早くなさい」


 戸惑う私に少女はも当然の事とばかりに命令した。


 「……」


 「……」


 周囲の天都原あまつはら国重鎮達も、少女お付きの給仕メイド姿の侍女も……

 それが彼女の普段なのだろうか?


 少しだけざわついた空気を漂わせた後は、黙って経緯を見守っている。


 「…………」


 ――もう、どうとでも……


 両脇の兵士達にしっかりと監視されたまま、私は少女の元へ数歩進んでそっと膝を折ってしゃがむ。


 「……」


 少女の足元へしゃがんだ私を見据える給仕メイド姿の侍女の視線は私の横で警戒していた兵士達とは格が違う鋭さ……


 解る……この給仕メイドは、暗黒のお姫様を守護する別格の実力者だと。


 「……」


 厳しい視線に晒されながらも、そもそも抵抗する気など毛頭無い私は指先を床上にある目的の物に伸ばした。


 ――っ!?


 その瞬間!

 ”膝掛け”を掴もうとした瞬間に……


 ――ぅっ!……


 私は感じたことの無い違和感に襲われた!


 ――なっ……なに?……指……が……動か……ない


 少女の眼前で片膝を着いたまま、彫像のように固まる私の身体からだ


 突如全身が凍り付いたかのように動かなくなった私の指先は、床上の”膝掛け”に触れるか触れないかの距離でゆらゆらと小さくさまう。


 「貴女、捨てたのね……そういう顔だと思った」


 「っ!」


 頭上から発せられた鈴の音のような澄んだ声に、私はぎこちなくあごの角度を上げた。


 「……ぁ……ぅぁ……」


 ――声も……出ない


 間近で見ると更に信じられないくらいに美しい少女。


 その双瞳ひとみが私を捕らえ、瞬間、”千代理わたし”の魂は完全に掌握されたかのような錯覚におちいる。


 ――す、捨てた?……いいえ、わ、私は……捨て……られたの……よ


 ――誰に?


 ――夫であった大登おおと 臆彪むねとら


 ――下衆の壬橋みはし 久嗣ひさつぐ


 ――傲慢な藤桐ふじきり 光友みつとも


 「……ぅ……く……」


 ――利用するだけ利用され、必要がなくなればボロ雑巾のように捨てられ……


 「違うわ、貴女は捨てたのよ……”千代理じぶん”が”次花つぐはな 千代理ちより”を!」


 「なっ!?」


 私の心を見透かしたような少女の言葉。


 「…………」


 その言葉で私の自問は……


 ――捨てた?”千代理じぶん”が”次花つぐはな 千代理ちより”を……


 ――何時いつ……


 使命を失った時……


 ――違うっ!


 夫である臆彪むねとらに裏切られた時に……


 ――これも違うっ!


 ――私は、次花つぐはな 千代理ちよりは常にそうしていた……繰り返しそうしていた……


 ”父”のためには仕方が無い。

 ”家”のためには仕方が無い。

 ”故国”のためには仕方が無い。


 ――”私”のためにはしかた……ぅっ……うぅ


 「……っ……ぅっ!……うぅ……」


 ポタリ、ポタリと石床に水滴が落下して染みこんだ。


 ――あぁそうだ、私はなにかに理由をつけてはくことを全うしなかった


 その結果が今の状況……


 その成れの果てがこの惨めな抜け殻……


 暗黒色の少女に見据えられたとき。


 恐ろしいまでに他人ひとを惹きつける奈落の双瞳ひとみに虜にされたとき……


 ――”次花 千代理わたし”は安易に自分を切り捨てて生きてきた事を思いった!


 「うっ……くっ!……あぁ……うっ……あぁぁぁっ!!」


 私はその場で項垂れたまま肩を震わせて嗚咽する。


 「……おい?」


 「な、なんだ?」


 突然の事に驚き、いぶかしがる周囲の奇異な視線に晒されても……

 はばかること無く感情は溢れ出た。


 「うっ……くっ……あぁ……うっ……」


 「…………」


 見下ろす十一歳の少女の前で、私は、武者斬姫むしゃきりひめ幼児おさなごの様に肩を震わせて泣き崩れる。


 「陽子はるこ、もう良いだろう?重要な議題も残っているのだぞ」


 「……はい、お父様」


 その状況に堪りかねたのか、恐らく彼女の父君であろう、暗黒姫の席の隣に座した威厳ある人物の言葉に、少女はそう応えて私に背を向ける。


 ――は……はる……こ?……陽子はるこ……さま……


 私は……”次花 千代理わたし”は……


 「は、陽子はるこさまっ!!」


 私の手は咄嗟に”それ”を掴み上げ、少女の背にそれを差し出していた。


 「…………」


 そっと振り向いて私の手の中にある自身の”膝掛け”を眺める少女。


 「そう……拾い上げられたの……貴女、まだめないのね」


 「!?」


 そう呟いた少女の愛らしい口元は……


 「は……るこ……さま」


 私には僅かにほころんでいるように見えた。


 「あっ……」


 少女の白く繊細な指先がそっと私の指先に触れ、直々に”膝掛け”を手に取る。


 「光友みつとも殿下、この者は私の近衛に頂きますがよろしくて?」


 ――ざわっ!


 少女の突然の宣言に議場はざわめいた。


 「はぁ?何を言っているんだ陽子はるこいつは……」


 「句拿くなとの同盟ですが……現在いまくにの重臣に収まっているとは言え、次花つぐはな 臆彪むねとらは外様、それほど国主の柘縞つしま 斉旭良なりあきらに影響力があるとは思えませんが?」


 ――ざわわっ!!


 そして再び場はざわついていた。


 といっても、今度は藤桐ふじきり 光友みつともの周りという特定の場所でだが……


 「……」


 この京極きょうごく 陽子はるこという少女は、藤桐ふじきり 光友みつともの思惑と真っ向から対立するのをいとわない。


 僅か十一歳にして、誰もが一目も二目も置く王太子”藤桐ふじきり 光友みつとも”を恐れない。


 そういう種類のざわめきであった。


 「だとしても……陽子おまえに譲ってやるよりも利益メリットはあると思うが?」


 しかし流石、光友みつともも一歩も退かない。


 議場の大テーブルに肘を投げ出したままという行儀の悪い姿勢で、正面の従妹いとこを見据えて威嚇する。


 「いいえ、あります……この場で彼女を私にくださるのなら”しんのうせん”、私が今回”紫梗宮しきょうのみや”を賜るという件は辞退致しますが、いかかしら?」


 「っ!!」


 ――ざわわわっ!!


 そして、この発言には今までで一番、議場はひっくり返った。


 「は、陽子はるこ……」


 「お父様、すみません、今回は陽子はるこの我が儘をお許しください」


 「ぬ!……ぬぅぅ」


 我が娘の”しんのうせん”、その筋書きを描いたであろう少女の父である王弟おうていたる”京極きょうごく 隆章たかあき”も難しい顔で娘を睨む。


 「正気か?……こんな抜け殻に”王位継承権”を放棄する価値があるとは……」


 「放棄するとは一言も言っておりませんわ、”今回”は……です」


 「…………」


 「…………」


 尊大な王太子と奈落の双瞳ひとみの少女……

 二人は暫し見つめ合い、お互いの思惑を探っているようであったが……


 「ふん、”京極そちら”がそれで良いのなら俺に異存は無い、そんなモノくれてやる」


 先に藤桐ふじきり 光友みつともが判断を下す。


 「ありがとうございます、光友みつとも殿下」


 そして応じて微笑む、暗黒色少女の姿がそこにあった。


 ――

 ―



 わぁぁぁぁっーー!!

 わぁぁぁぁっーー!!


 ――あれから六年近く……


 ――現在いまは戦場の最中さなか、私は”雷斬らいきり”と供に姫様の盾として立つ!


 「み、見えましたっ!!正面敵本陣!中冨なかとみ 星志朗せいしろうの陣ですっ!!」


 「…………」


 ――あの時……私が姫様に拾われたのは命のみでは無い


 ――私という存在、自身の尊厳……だからこそ私はっ!


 ”次花つぐはな 千代理ちより”でなく、王族特別親衛隊プリンセス・ガード、”一原いちはら 一枝かずえ”は……


 「貴様ら!?尾宇美おうみ、”無垢なる深淵ダーク・ビューティ”の手勢かっ!!」


 「ど、どこからっ!?」


 ザシュッ!


 ズバァッ!


 「ぎゃっ!」


 「がはっ!」


 狂気窮まる戦場を引き裂く”雷刃らいじん”!


 煌めく紫電の刀身を閃かせ、突入して行くは”武者斬姫むしゃきりひめ”!


 それはまさしく電光石火の闘姫が再来の日であった。


 第三十八話「武者斬姫むしゃきりひめ 参」後編 END

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