第76話「武者斬姫 壱」後編(改訂版)

 第三十六話「武者斬姫むしゃきりひめ 壱」後編


 かつ”咲母里さきもり”の地を拠点とする大登おおと家は”あかつき”の南西に浮かぶ島”日向ひゆうが”の北部一帯を支配下に治める雄国で、その権勢は日向ひゆうが随一であった。


 それは大登おおと家に仕える名将、次花つぐはな 秋連あきつらの功績による所が大きいと云われている。


 ――次花つぐはな 秋連あきつら……


 武力も一軍の将としての器も、また軍略家としても他の追随を許さない名将中の名将として”日向ひゆうが”はおろか、本州の国々までその武名を轟かせた人物だ。


 大いに主君を助け、”咲母里さきもり”の国を盛り立てた秋連あきつらであったが、彼はある時、敵対する句拿くな国との戦で進退きわまった主君の窮地を救うために単身、敵軍に残り奮戦した。


 無事主君を救出することに成功した秋連あきつらであったが、彼はその時の大怪我が元で下半身不随になってしまう。


 以降、戦場で武勇を示せなくなった秋連あきつらであったが、彼は以後は軍略で貢献した。


 部下数人に担がせた御輿に乗り、剣を杖に持ち替えて……

 それで輿の欄干を叩いて指示を出す。


 カンッカンッカンッ!と音が響けば鬼が来る!

 と、秋連あきつらの軍は他国の兵士達を震え上がらせる程であった。


 こうして戦場では軍師として、より一層の才を咲かせた秋連あきつらであったが……


 四十六にして跡取りを作れなくなった彼は自家の存続の危機を乗り越えるために当時六歳であった娘に自ら武芸を仕込み鍛え上げ、家督を継がせようと考えた。


 ――娘の名は次花つぐはな 千代理ちより……


 少女は十四で父、秋連あきつらと供に戦場に立ち、初陣にて十の敵将の首を取った。


 そしてその後も三十を超える戦に出陣し、そのどれもで驚異的な手柄を上げた千代理ちよりは敵兵達に彼女の所持する愛刀”雷斬らいきり”に因んで”武者斬姫むしゃきりひめ”と呼ばれ恐れられたのだった。


 暫くしてから……


 数々の戦で手柄を立てた千代理ちよりに主家である大登おおと家から、女ながらに次花つぐはなの家督相続許可が出たのは当然と言えるだろう。


 「結婚……ですか?」


 次花つぐはな 千代理ちよりはその年、十八歳になっていた。


 「うむ、わしも歳であるし、そろそろ隠居をとな……為末ためすえ様の血縁の方でな、大登おおと 臆彪むねとら殿、今年二十八になる我が家中の重鎮じゃ、お主もっていよう?」


 為末ためすえとは大登おおと 為末ためすえ……


 今、目の前に居る父、次花つぐはな 秋連あきつらと自分、次花つぐはな 千代理ちよりの主君の事で、大登おおと 臆彪むねとらはその遠縁にあたる武将であった。


 「…………」


 美しく成長した千代理ちよりは整った眉をひそめ、座した父を見る。


 娘の縁談……それも主君の家系筋で実力もある人物。


 なのに父の顔はどこか冴えない。


 「為末ためすえ様にまた……かんげんされたのですね?」


 だから千代理ちよりは気づいた。


 この縁談の絡繰からくりに……


 「うむ、まぁ……な」


 秋連あきつらは”ばつ”が悪そうに頷くと話を続ける。



 ――この頃、日向ひゆうがの情勢は急変していた


 南の国家、”句拿くな”で新たに跡目を継いだ柘縞つしま 斉旭良なりあきらが勢いを増し、日向ひゆうが全土を席巻していたのだ。


 日向ひゆうがの雄国である残りの二国、大道寺だいどうじ 重守しげもりが治める”比嘉ひが”はその領土の大半を失い、残るこの”咲母里さきもり”も負け戦が増えていた。


 圧倒的になりつつある”句拿くな”の柘縞つしま 斉旭良なりあきらの脅威の前に自暴自棄に陥った主君、大登おおと 為末ためすえは、最近は酒に溺れ、女に溺れ、国政をないがしろにすることが多くなったのだ。


 そしてその君主を諫める役回りが彼女の父、次花つぐはな 秋連あきつらであった。


 大登おおと 為末ためすえは先代である父君から、”困ったときは次花つぐはな 秋連あきつらの言うことを聞け”と遺言されていた。


 最初こそはそれに従い良く国を治めたが、徐々に過剰な自信をつけて太鼓持ちの様な取り巻きを周りにはべらせ、我を通すようになって……


 この”咲母里さきもり”の国を現在の状況にまで陥らせた。


 父の言う事に耳を貸さず、りとて今更頭を下げることも”誇りプライド”が許さない。


 なら、その娘に自分の息のかかった相手をあてがい、それを理由に隠居を迫る……


 ――なんて小さい男……


 千代理ちよりは自身の主君ながら尊敬の欠片も抱けない相手だと心の底から思った。


 「まぁな、大登おおと 臆彪むねとら殿が才気在る人物なのはわしも認める……全体的には良い縁談だろうて」


 「…………はい」


 そう言う父に千代理ちよりは頷くしかない。


 それに、もうそろそろ……

 ”次花 秋連ちち”を休ませてあげても良いと思ったのも事実だった。


 父は先代の主君から大登おおと家に仕えて数十年、年齢はそれほどでも無いが、半身不随という身体からだで戦場に立ち続けるのは辛いだろう。


 近隣諸国から”軍神”と恐れられ、その名に恥じない実績を残してきた”次花つぐはな 秋連あきつら”は、もう十分過ぎるくらいにおいえのために働いてくれたのだ。


 だから……もうそろそろ良いのではないかと……

 それが父を安心させる事ならばと……


 これも親孝行と自分に言い聞かせ、決断した彼女の選択がこの後の人生を波乱に満ちたものに変えるとは……


 この時、次花つぐはな 千代理ちよりは予想できなかった。



 ――そう、それから僅か二年後……


 大登おおと 為末ためすえが治める”咲母里さきもり”の国は滅亡の淵にあった。


 日向ひゆうが南方を拠点とした柘縞つしま 斉旭良なりあきらが率いる”句拿くな”が、中部を拠点とする大道寺だいどうじ 重守しげもりが率いる”比嘉ひが”を降し、勢いのままに”咲母里さきもり”に大攻勢をかけてきたのだ。


 元々人望の乏しい国主、大登おおと 為末ためすえの元からは多くの家臣が離反し、戦う前から勝負は決したも同然であった。


 ”咲母里さきもり”劣勢の中、次花つぐはな 千代理ちよりは戦場にて何度も句拿くな軍を撃退し、現在は婿養子である夫、次花つぐはな 臆彪むねとらの指揮する軍に貢献した。


 しかし全体の劣勢は覆し難く、”頑強なる鉄門”と呼ばれる柘縞つしま 斉旭良なりあきらの軍は正真正銘に強かった。


 千代理ちよりは何度も夫、臆彪むねとらに他国への援軍要請や柘縞つしま 斉旭良なりあきらへの和睦交渉を提案したがその度に……


 ”俺の守る”次花山つぐはなやま城”は勝っている、勝っている者が何故にそのような情けない真似をしなければならないのかっ!”


 とあしらわれるばかりだった。


 「”七峰しちほう”に援軍を求めてはどうでしょうか?主君、大登おおと 為末ためすえ様は”七神しちがみ”を信仰しておりますれば、今までも七神しちがみ信仰の総本山”七峰しちほう”には多額の援助と貢献を致して参りました、名のある者が直接懇願に参りますれば必ずやお応え頂けるかと」


 ――そんな状況の中


 千代理ちよりに仕える侍女の一人がそう囁き、千代理ちよりもその言に耳を傾ける。


 確かに、国主が熱心な信者であるこの”咲母里さきもり”と”七峰しちほう”は友好的な関係だ。


 なによりも今は藁をも掴む状況……


 「けれど奥方様……これは極秘裏に進めなければなりません。国主である大登おおと 為末ためすえ様は悲観して部屋に籠もりきりで、女と酒に溺れ聞く耳を持たないでしょうし、旦那様であられる臆彪むねとら様は他者を頼るような行為を良しとしないでしょう」


 千代理ちよりはこの侍女の言葉にも成る程と納得した。


 しかし、本州中部の宗教国家”七峰しちほう”への道のりは、離島”日向ひゆうが”にある”咲母里さきもり”からは遠い。


 途中、海を挟んだ地である本州西部の大国”長州門ながすど”を抜けねばならない。


 ”長州門ながすど”は”七峰しちほう”と敵対関係で、その”七峰しちほう”と友好な我が”咲母里さきもり”とも関係は険悪だ。


 ――それでもの地へ使者を送らねば……極秘裏に、それも名のある者を……


 その時、千代理ちよりに思いつくのは唯一人であった。


 「奥様、”七峰しちほう”では”神代じんだい”である六花むつのはな てる様という少女では無く、の国での実力者で”壬橋みはし三人衆”と呼ばれる壬橋みはし家の……中でも壬橋みはし 久嗣ひさつぐ様を頼られると良いでしょう」


 千代理ちよりの表情からその決意を察したのか、侍女はそう助言する。


 「壬橋みはし 久嗣ひさつぐ様は壬橋みはし家の次男ではありますが、こう言った予測外の事にも柔軟に対応される最もお話が通じる御方……是非」


 七神しちがみ信仰では神のしろたる”神代じんだい”が絶対的な存在だ。


 しかし、当世とうせ神代じんだい六花むつのはな てるという少女は僅か十歳という……

 成る程、そう言う事ならば納得のいく話だと。


 千代理ちよりは侍女の説明に頷いて決意を固めた。


 ――この大役は”次花 千代理じぶん”を置いて他に無い!


 主君である大登おおと 為末ためすえには最早失望しか無い。


 また夫である次花つぐはな 臆彪むねとらに告げずに去るのはむしろ都合が良い。

 自分はあの男がどうしても許せない……

 ”あの一件”から夫として見たことも無い。


 「…………」


 心残りがあるとすれば、隠居した父……次花つぐはな 秋連あきつらに何も告げずに去ることのみだった。


 こうして次花つぐはな 千代理ちよりは翌日の深夜……

 世界が近代国家世界に切り替わる寸前に”咲母里さきもり”の地を離れた。


 それは”戦国世界こちら”側でだけでなく”近代国家世界あちら”側でも同時に”咲母里さきもり”から姿を消すためだった。


 大登おおと 為末ためすえ次花つぐはな 臆彪むねとらに横槍を入れさせないために彼女はそう行動した。


 そうした経緯で次花つぐはな 千代理ちよりは、遙か本州の宗教国家”七峰しちほう”まで辿り着いたのだった。


 ――

 ー



 夜の帳が下りる頃。


 ”七峰しちほう”に在る、自らの権力を象徴するかのような立派な屋敷の一室にて――



 「…………」


 蝋燭の頼りなげな灯りのもとで正座した女は、自身の世間知らずを恥じていた。


 部屋には布団が一組……

 そして自分の身につけているものは白い薄手の夜着が一枚だけ。


 そうだ。

 あの時、侍女が囁いた……


 ”壬橋みはし 久嗣ひさつぐ様は壬橋みはし家の次男ではありますが、こう言った予測外の事にも柔軟に対応される最もお話が通じる御方”


 と言う言葉を。


 「柔軟……話が通じる……そう、そういうこと……なの」


 千代理ちよりは恥じ入る。

 二十年も生きてきて、戦場以外を殆どらない箱入りな自分を。


 「どうした?次花つぐはな 千代理ちより殿。今更後悔をしているのか……ちらはどちらでも良いのだぞ、離島”日向ひゅうが”の田舎国家ひとつの事など」


 薄暗がりの部屋で、薄絹一枚きりの着物を羽織っただけの自分の身体からだに男が下卑た視線を這わせて来る。


 「…………」


 千代理ちよりはそっと指先を、胸元で合わせられた絹地の襟元に添えた。


 「中々素直だな、”咲母里さきもり”の”武者斬姫むしゃきりひめ”よ……くくく、戦場で恐れられる女武者がどのような声で鳴くか……今宵は楽しみであるな、くくく」


 下卑た視線、下卑た言葉……

 こんな男が多くの門徒を持つ”七神しちがみ信仰”の実力者だとは……


 「……」


 千代理ちよりは悔しさよりも、恥ずかしさよりも……情けなさで瞳を閉じた。


 「くく、良い顔だ……さぁ、立って俺に見せろ」


 暗闇に灯された一本の蝋燭の前で……

 瞳を閉じる女の表情を別の意味に取った男は、より興奮した荒い息でせっついた。


 ――情けない……


 ――この下衆男が?それとも落ちぶれた我が領国が?


 ――それとも……次花つぐはな 千代理ちより……が……


 自問しても彼女は答えを得ない。


 「……」


 千代理ちよりは逆らうこと無く立ち上がり、彼女の白い身体からだは蝋燭の明かりに照らされて、薄い絹の下でハッキリとその体型シルエットを浮かび上がらせた。


 「良いぞ……良い!……脱げ、全部脱いで俺に”武者斬姫むしゃきりひめ”とやらの値踏みをさせてみよ!」


 「……」


 千代理ちよりの白い指は彼女の心中が葛藤を無視して唯一本だけの帯にかかり……


 シュルリ……


 いや、”葛藤”なんて上等なモノはこの時の次花つぐはな 千代理ちよりには存在しなかった。


 自問しても自答はしない。


 それは彼女のこれまでの人生そのもの。


 そして、この先も……


 ファサ……


 「おっ!おおぉぉっ!!」


 ――

 ―


 次花つぐはな 千代理ちより……この数年後に、天都原あまつはらの美姫、”無垢なる深淵ダークビューティー”から”一原いちはら 一枝かずえ”の名を与えられる武者斬姫むしゃきりひめ、その波乱に満ちた人生はこうして始まったのだった。


 第三十六話「武者斬姫むしゃきりひめ 壱」後編 END

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