第77話「武者斬姫 弐」前編(改訂版)

 第三十七話「武者斬姫むしゃきりひめ 弐」前編


 日向ひゆうが南方を拠点とする柘縞つしま 斉旭良なりあきら


 その男が率いる句拿くな国に攻められ、滅亡の危機に瀕した咲母里さきもり国の次花つぐはな 千代理ちよりは主君、大登おおと 為末ためすえが信仰する七神しちがみの総本山、本州中央北部を治める宗教国家”七峰しちほう”に援軍要請のため使者となって単身訪れる。


 しかし、彼女の来訪を受けた”七峰しちほう”の重鎮、”壬橋みはし三人衆”と呼ばれる壬橋みはし家の次弟、壬橋みはし 久嗣ひさつぐは、卑劣にもその代償として彼女の身体からだを求めた。


 千代理ちよりは世の裏側を知らずに生きてきた自らの未熟を悔やみながらも、故国のために泣く泣くその要求を飲んだのだった。


 ――しかし……


 ダンッ!ダンッ!ダンッ!


 ”あかつき”本州中央北部にある宗教国家、七峰しちほう


 その領都”鶴賀つるが”に在る、一際立派な屋敷の廊下をけたたましい足音を鳴らせて進む若い女がいた。


 ダンッ!ダンッ!ダンッ!


 若い女は決して上品とは言い難い歩き方で……

 いや、最早走っているといえる程の速度で、”ある者”の部屋に向かっていた。


 ダンッ!ダンッ!ダンッ……


 ガラッ!


 そして目的の場所に到着した彼女は、挨拶も無しで襖を乱暴に開け放った!


 「ぬっ!?」


 部屋には女二人をはべらせた、だらしなく横になった中年が一人。


 「…………」


 行儀悪く部屋を訪れた若い女は、中で二人の女の膝枕に頭と足を投げ出して横になった中年男を睨み付ける。


 「おぉ?千代理ちよりか、どうし……」


 「我が故国、”咲母里さきもり”が先日”句拿くな”に降伏したと聞きましたっ!どういうことですかっ!!」


 細く涼しい瞳にキリリとした口元、如何いかにも勝ち気な美人……

 次花つぐはな 千代理ちよりは怒りに燃える瞳で中年の言葉を待たずに詰め寄る!


 「……ん?……ああ、あれはな……間に合わなんだのだ。援軍の手筈は整えておったのだがな……うむ、残念だ」


 「っ!」


 怒り心頭の千代理ちよりを見上げ、寝転んだままの男は悪びれも無くそう言ってのける。


 ――信じられない……信じられない……このっ!


 千代理ちよりの頭の中は、怒りと絶望と憎悪が目まぐるしくグルグルと廻る。


 「くっ……」


 そもそも自分がこの”七峰しちほう”を訪れてから既に数ヶ月……


 目前の壬橋みはし 久嗣ひさつぐなる男はその間一度も約定を守る素振りを見せず、生返事のみを返して”のらりくらり”と唯々時間だけを浪費していた。


 そして今日、千代理ちよりが知った情報が……故国、咲母里さきもり”の滅亡であった。


 「貴方は……貴方は私をまんまと騙して……」


 怒りに震える千代理ちよりの白い拳。


 しかし、当の男から返ってきたのは更に信じられない言葉だった。


 「滅んでしまったものは仕方が無いであろう?弱き者は消え去るのみ、弱肉強食の”戦国世界ここ”では当然の摂理だ、それよりも……」


 そして男の濁った目は、怒りに打ち震えて立ちすくむ千代理ちよりに、卑猥な視線を絡みつかせていた。


 次花つぐはな 千代理ちよりは細く涼しい瞳にキリリとした口元、如何いかにも勝ち気な美人という風貌である。


 しかしその反面、しっとりとした乳白色の肌に、たっぷりと艶のある黒髪、薄い唇に紅を引いた様は年若い娘とは思えぬほどの得も言われぬ色気もあった。


 「そんなことより、お主もこれで完全に行く当てが無くなった。俺との逢瀬を考えれば夫に合わせる顔もあるまい?今後は俺が囲ってやるからここに……」


 そう言いながら、何の悪びれも無く寝転んだ自身の傍をポンポンと叩く。


 「っ……っ!!」


 その後は……


 「このっ!!」


 只、男の胸ぐらを掴んで殴り飛ばし……


 無様に逃げ回る男の息の根を止めようと跳びかかる前に、隣室に控えていた護衛の兵士達に邪魔された。


 そのまま、駆けつけた”七峰しちほう”の兵士達を相手に大立ち回りを演じた後で……


 ――

 ―



 現在いま山中ここにいる。


 「…………」 


 次花つぐはな 千代理ちよりは気がつくと、血だらけで見知らぬ山中に立っていた。


 着ている服のが破れ、血が滲んでいる。


 「…………」


 ”あかつき”西南の島、”日向ひゆうが”でもその名を轟かす剛の者、”咲母里さきもり国”の”武者斬姫むしゃきりひめ”、次花つぐはな 千代理ちよりといえども多勢に無勢……


 いや、そもそも寸鉄も帯びていない状況で武装した兵士達に囲まれては大した事は出来ない。


 そう、七峰しちほうの精鋭を数十人程、打ち倒して逃げ延びるのが”精一杯”であった。


 「…………」


 興奮が冷め、ようやっと頭がハッキリとした千代理ちよりは辺りを見回してみるが……

 が何処かは解らなかった。


 故国から遠く離れた土地勘の無い本州の地。

 手持ちのものは何も無く、ただ傷ついた身体からだひとつで佇む自分。


 どうしてこうなってしまったのか……


 この数ヶ月間、自分は何をしてきたのか……


 あの男……壬橋みはし 久嗣ひさつぐなる下衆に良いように言いくるめられ、何度も何度も身体からだを要求され……


 ――”お主もこれで行く当てもなくなった、俺との逢瀬を考えれば夫に合わせる顔もあるまい”


 下衆げす男の”したり顔”と戯れ事が甦る。


 「夫?合わせる顔?……」


 千代理ちよりは独り呟く。


 ――不義の罪悪感?……あの男には……次花つぐはな 臆彪むねとらに対して、そんな殊勝な感情など浮かぶはずも無い……


 ――けれど……


 「……」


 ――故国のためと耐えてきた事が全て……すべて……


 ――あの下衆げす男、壬橋みはし 久嗣ひさつぐを喜ばせることだけだったなんて……


 「……」


 震えるほど固く握りしめられる白い両の拳……



 「いたっ!いたぞっ!!」


 「あそこだっ!女が居たぞっ!!」


 ――っ!!


 だが、彼女にはそうして自責の念に駆られている暇も無い。


 すっかり暗くなった森の中までも追ってくる壬橋みはし 久嗣ひさつぐの手の者達。


 「捕らえろっ!」


 ドドドッ!!


 馬を駆った兵士が数騎、捕り物用の長い棒と縄を振り回して駆け寄って来る!


 ドシュッ!


 「っ!」


 先頭の騎馬が突き出した棒先を紙一重でかわし、すかさず”それ”を掴んで……


 グイッ!


 「うっうわぁぁ!」


 兵士を馬上から引きずり落とす!


 ザシャァァーー!


 「……」


 そして落馬した兵士はそのままに、千代理ちよりは騎手不在になった馬に跳び乗った。


 ヒヒィィーーン!


 奪い取った捕り物棒を馬上で構え、続く七峰しちほうの追っ手に向かって馬を駆る!


 「がっ!」


 「ぐはっ!」


 「ぎゃぁ!」


 ――


 瞬く間に残兵を打ち倒し、そのまま走り去る血塗れボロ衣装の女。


 ダダダッダダダッ!


 ダダダッダダダッ!


 「はぁはぁはぁ……」


 ダダダッ…………


 「はぁはぁ……」


 ダダッ……


 夜の闇は次第に深くなり、そして空はやがて白み出す……


 ダダッ……


 「はぁはぁ……」


 そしてまた暗くなって日が昇る……


 あれからもうどれだけ走っただろうか?


 どれだけの時間が経っただろうか?


 七峰しちほう兵士の馬を奪い、兵士達が携帯していた僅かばかりの水と緊急用食料袋を奪って逃走すること数十時間……


 ダダダッ!ダダダッ!


 「はぁはぁはぁ……」


 最初は何度も追っ手に襲われたが、その都度なんとか逃れた。


 そして少し前からは追っ手が現れることも無くなった。


 ダダダッ!ダダダッ!


 ――自分が何処どこを走っているのか解らない。


 ダダダッダダダ……


 「はぁはぁはぁ……」


 ――自分が何を成せば良いのか解らない。


 ダダダッダダ……


 「はぁはぁ……」


 故国は滅び、命を賭したほどの使命を失った。


 ダダダ……


 「はぁ……は…………」


 ダ…………


 やがて馬の足は止まり……

 彼女は馬上で項垂れたまま。


 「…………」


 それは極度の疲労からくる姿勢なのか?

 それとも打ち拉がれたさまなのか?


 ブブルッ……


 疲弊した馬の足はもう棒のように硬直し、彼はもうこれ以上一歩も動く気が無いようだ。


 「……はぁはぁはぁ」


 傷ついた全身、疲れ切った身体からだと精神……


 右も左も解らない異国の地で、千代理ちよりは馬の首に前のめりに体重を預けて伏せる。


 「……はぁ……はぁ……」


 項垂れた背中が呼吸の出し入れに上下する以外、女は動くのを止めた。


 「はぁ……はぁ…………もぅ……いい……か」


 小さく呟くと、女はまぶたを徐々に下ろして……


 シュォォーーン!!


 「っ!?」


 ガキィィィーーン!!


 馬上で遂に力尽きようとしていた千代理ちより身体からだが、条件反射ともいえる動きで跳ね起きて、そして眼前で閃いた銀閃を薙ぎ払う!


 「くっ……なっ!?」


 半ば閉じられようとしていた瞳の直前で激しい火花が散り、七峰しちほう兵から奪った剣はその衝撃で真っ二つになっていた。


 突然降りかかった白刃らしき攻撃を咄嗟に剣で弾いた千代理ちよりだったが……


 「…………」


 意味も解らずにきょうじんが放たれたであろう方向を見る”死に体”の女は、その瞬間、僅かな生を取り戻していた。


 第三十七話「武者斬姫むしゃきりひめ 弐」前編 END

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