第71話「最終局面へのステップ」後編(改訂版)

 第三十一話「最終局面へのステップ」後編


 時は少しだけ遡り――

 鈴原 最嘉さいか赤目あかめ領を出て尾宇美おうみを目指した直後の夜と同日――


 「鈴原のわっぱが、万が一にも”尾宇美おうみ”の戦に介入する愚を犯すならば……松長まつなが 平久ひらひさよ、お主がこの赤目あかめを手中にすれば良い」


 白髪頭を後ろで結わえた長い髭の老人……

 人生経験をそのまま刻んだしわくちゃ顔だが、窪んだ奥のまなこが鋭く光る化物けもの染みた男が笑う。


 四十八家の一氏、多羅尾たらお 光俊みつとしの家臣である松長まつなが 平久ひらひさ宅に、その只者で無い老人は供を一人だけ連れて訪ねて来ていた。


 人物は……


 ”戦国の謀将”、”赤目あかめの妖怪”……鵜貝うがい 孫六まごろくだ。


 「わしらは”那原なばる”には向かわぬ、鵜貝うがいの手勢を引き連れてこの赤目あかめを去るつもりじゃ」


 開口一番、あの合議で諸将を説得した策を反故にするような事を口にした老人は、松長まつなが 平久ひらひさを値踏みするかの如き顔であった。


 「…………」


 そして、松長まつなが 平久ひらひさえて沈黙でそれを受ける。


 「そうじゃな、先ずは……」


 ”赤目あかめ”を餌に大国、天都原あまつはらの総参謀長であるきょうごく 陽子はるこに近しい臨海りんかい領主、すずはら 最嘉さいかの軍勢を引きつけて封じ込め、その隙にくにのお家騒動に介入するという……


 そんな感じの企みを語る鵜貝うがい 孫六まごろく


 そして、それを黙って聞いていた松長まつなが 平久ひらひさは……


 「鵜貝うがい翁は”赤目あかめ”を見捨てられるのか?裏切り行為を堂々と、この平久ひらひさに告げてどうされるおつもりか?」


 鵜貝うがい 孫六まごろくの対面に座したまま、床に置いた刀にそっと手を触れさせて、そう問う。


 「……ほぅ?そうじゃな……」


 「……」


 鵜貝うがい 孫六まごろくは全く動じない。


 平久ひらひさは……


 正面の妖怪、その後ろに控えて立つ人影が向ける鋭い眼光に、”それ”は無謀だと理解していた。


 ――軒猿のきざる……鵜貝うがい 孫六まごろくが子飼いの忍びで、その力量は赤目あかめ随一と噂される


 「…………」


 松長まつなが 平久ひらひさは床の上にある刀の柄に手を添えたまま、ジッと目前の妖怪が心中を推し量っていた。


 「赤目あかめ臨海りんかいわっぱの所有物になり下がったなら、ぬし天都原あまつはらに迎えると約束しよう」


 「……」


 鵜貝うがい 孫六まごろくは話の途中をすっ飛ばして、ある一つの結末での代価を示すが……


 「天都原あまつはら国王、藤桐ふじきり 光友みつとも様に掛け合い、赤目あかめに居るよりもずっと厚遇で迎えるが、如何いかに?」


 松長まつなが 平久ひらひさ鵜貝うがい 孫六まごろくが何を言っているのかを大凡理解していた。


 「…………それがしは、藤桐ふじきり 光友みつとも天都原あまつはらの王太子だったと記憶しておりますが?」


 そして、平然と故国に対して翻意を促す孫六まごろくに、平久ひらひさは戸惑うこと無く問い返す。


 だがその問いにも孫六まごろくはニヤリと……

 如何いかにも妖怪だといった気味の悪い笑みを浮かべて自信たっぷりに言う。


 「わしが王にする……じきにだ」


 「…………」


 またも無言を返す平久ひらひさ


 切れ者と評判の松長まつなが 平久ひらひさは、勿論理解出来なくて黙っているわけでは無い。


 事もあろうか、”あか”を率いる”四十八家”の代表たる御三家の一家である鵜貝うがい 孫六まごろく赤目あかめを捨て、そして天都原あまつはらの王太子、ふじきり 光友みつともに取り入ると宣言し、そして厚遇にて自分を天都原あまつはら家臣団に迎えてくれるという。


 りんかいに攻め立てられ、窮地のあかの状況を考えれば……

 故国や主家への忠誠や義理さえ無視するならば、なんとも有り難い話ではある。


 あるが……


 それも”条件付き”であろう。


 鵜貝うがい 孫六まごろくそもそもその前提にこう言ったのだ。


 ”赤目あかめ臨海りんかいわっぱの所有物になり下がったなら……”と。


 つまり……


 無言で、無表情に話を聞くてい松長まつなが 平久ひらひさも妖怪の話を値踏みしていた。


 そんな事さえも全て承知しているのだろうか……

 しわくちゃ顔に窪んだ眼光が鋭く光るろうかいは続けた。


 「じゃがな、仮に……鈴原のわっぱが万が一にも”尾宇美おうみ”の戦に介入する愚を犯すならば……松長まつなが 平久ひらひさよ、お主がこの赤目あかめを手中にすれば良い」


 「…………」


 ――矢張り……そら見たことか


 無表情を装う松長まつなが 平久ひらひさの眉が僅かばかり動く。


 「……なぁに、算段はつけてある。鈴原最嘉さいかという重しが無くなって浮つく臨海りんかい軍から離反する者を出させ、それにより戦力を裂いて、同士討ちをさせ動揺を誘う」


 平久ひらひさはそこまで聞いてから、刀から手を離してその場にゆっくりと座り直す。


 「臨海りんかい軍の将軍クラスを離反させるのは至難でしょう?」


 一応、そう否定してみるが……


 平久ひらひさの顔は満更でも無かった。


 りんかい王、鈴原 最嘉さいかという傑物が、”女なんていう下らぬ物”に判断を誤れば付け入る隙が生まれる。


 そして、その隙を利用する策までご丁寧に用意して、この松長まつなが 平久ひらひさあかを譲ってくれるという……


 あか全体でりんかいに抗するのでも無く、

 あかの主家、四十八家の誰でも無い。


 一介の武将たるこの松長まつなが 平久ひらひさに……


 東の最強国、旺帝おうていを散々に頼って利用してきた”あか”……いや、鵜貝うがい 孫六まごろくは今度は西の大国、天都原あまつはらに鞍替えをする。


 そしてその為に邪魔なりんかいあかを囮として、最悪、諸共に滅ぼさせる。


 なるほど、確かにあかを使い捨てる鵜貝うがい 孫六まごろくの言う事など誰も聞くまい。


 こういう事には……”適材適所”が必要だ。


 忠義で無く、義理で無く、誇りや名誉など問題外……


 そんな利のみで動く人間で尚且つその能力たり得る者。


 「そうでもない。あのわっぱが、たかが”女一人”のために血迷った判断をするならば必ず内部に亀裂は生じよう?そこに離間の計を仕掛けるのじゃ、赤目あかめの支配権を譲渡する代わりに臨海りんかい軍を共に追い出す手助けをして欲しいとな」


 鵜貝うがい 孫六まごろくの説明に、初めて松長まつなが 平久ひらひさは静かに頷いた。


 赤目あかめ梟雄きょゆうと呼ばれし松長まつなが 平久ひらひさは、最初からこの妖怪を正すつもりなど無かったのだ。


 それは、軒猿のきざるという強者に挑む危険を冒さないというよりも、そもそ平久ひらひさ孫六まごろくが話す内容に興味があった訳である。


 御三家で在り、赤目あかめきっての智将で在る鵜貝うがい 孫六まごろくが、わざわざとこの松長まつなが 平久ひらひさ如きを訪ねるというのなら、それはどんな話なのかと。


 自身にどのような利益がある話なのかと。


 松長まつなが 平久ひらひさはこの妖怪が自家を訪ねて来た時から、そういう算段であった。



 松長まつなが 平久ひらひさには、そもそも忠誠心という概念が無い。


 あるのは利害のみ……

 それは戦国の将の特性としてそう珍しくないが、彼はその特性に特化しすぎていた。


 能力はあるが信用ならない謀将。

 それが松長まつなが 平久ひらひさ梟雄きょゆうと呼ばしめる所以ゆえんだ。


 「なるほど、情勢を最大限利用するわけですな。文を出すだけなら大した労力でも無いし、失敗するようでもこの混乱に乗じてこの地を去ればよい。……その後は天都原あまつはらで召し抱えて貰えると?」


 前に提示されたように、りんかいへの反乱が失敗しても自分だけはその身を保障されている。

 最初に保険をチラつかせ、危険に対するリスクを曇らせる。


 ――鵜貝うがい 孫六まごろくとは本当に人心を操る悪魔……いや、妖怪であるな


 赤目あかめ梟雄きょゆうと呼ばれる松長まつなが 平久ひらひさにして、鵜貝うがい 孫六まごろくとはそういう老獪だと再認識させられる化物であった。


 「まぁな、じゃが”寝返り”が失敗すればそれはそれで、その書状をわざと人目に触れさせる様にするという手もある」


 「ほぅ、なるほど……臨海りんかい軍内部に離反者の情報を蔓延させ、疑心暗鬼に陥らせると?」


 「そうじゃ、さすれば居場所を失ったその者が今度こそ離反するやもしれぬしのう」


 「…………」


  ――後日の結果から言ってしまえば、


 宗三むねみつ いちにそんな杞憂は必要なく、アッサリと最初の書状で謀反を起こしたのであったが……


 「平久ひらひさよ、ひとつ聞くが……ぬしの主君、多羅尾たらお 光俊みつとしへの背信という罪悪感は……」


 「……」


 ――”松長 平久じぶん”がこの赤目あかめを手中にする。


 それはつまり、臨海りんかい軍の裏切り者を利用するのは勿論、あかの諸将をも利用する事。


 この状況を最大限利用し、全てを欺いて赤目あかめを我が手中に入れる!


 ――なるほど、それは大層、魅力的な話であるが……あかの”妖怪”はこの平久ひらひさを、都合の良い道具としてしか見ておらんだろう


 松長まつなが 平久ひらひさはそう訝しむが、それでも目前の餌の魅力に野心を抑えきれない。


 この老獪が何を企んでいようと自分がこの赤目あかめを手に入れられる好機なのは違いない!


 ――赤目あかめ主家への忠義?

 ――主君、多羅尾たらお 光俊みつとしへの背信の罪悪感?


 ――ははっ、それはむしろ願ったりだ……ふははっ


 一応、内心で成功率と失敗時の損害という計算をしてはいるが、平久ひらひさの心中の奥底では実は既に結論は出ていた。


 それは”魅力的な餌”よりも遙かに平久ひらひさの心の大部分を占めるもの。


 低俗な”損得勘定”などよりももっと質の悪い、救いようのない人間の闇、ドス黒い感情。


 ――罪悪感、忠誠心……それは心……この平久ひらひさの……そうだ……”心”……


 「…………」


 平久ひらひさの口端がいつの間にか歪んで上がっていた。

 

 ――そう、復讐心だ


 「……」


 黙って思考を巡らせる男を前に、その様子を注意深く見据えていた老人の窪んだ眼の奥にヌラリと何かを見取った光が揺らめく。


 ――”復讐”とは”破滅への入り口”とは……誰の言葉じゃったか……


 「松長まつなが 平久ひらひさよ……今宵はその傷も痛むまい?」


 そして鵜貝うがい 孫六まごろくは正面に座す男の顔面の傷を見てわらった。


 ――ほんに”適材適所”……鵜貝うがい翁は松長まつなが 平久ひらひさというくずり尽くしておる……


 眉間に刀傷がある痩せぽっちの老将もわらう。

 お世辞にも見栄えのしない男は平久じしんを嘲笑い、破滅を運んで来た”妖怪”の言を受けて口端をゆっくりと開いた。


 「……くくっ、それはありますまい……この傷が疼かぬ夜など生涯有りますまい、くくくっ……」


 それはあまりにも醜い笑顔。


 何をも信じぬ”梟雄きょゆう”……

 松長まつなが 平久ひらひさの真の顔であった。


 「ふふん、やはり、お主を抜擢して正解じゃったか」


 ――カッ!


 充分納得したとばかりに、鵜貝うがい 孫六まごろくは木製の杖をついて立ち上がった。


 「わしはもう行くが……そうじゃ、この反乱がより上手くいくようにでは無い地に”もう一つ”ばかり火種を用意してあるが……」


 平久ひらひさは座したまま頷く。


 「子細は軒猿のきざる殿にでも聞けば良いか?……くくくっ、火事ボヤは何も足元ばかりで起こるとは限りませんなぁ?」


 全て了承しているとばかりに、眉間に傷の目立つ男は肩を揺らせて笑っていた。


 第三十一話「最終局面へのステップ」後編 END

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