第53話「暗躍する怪老」後編(改訂版)

 第十三話「暗躍する怪老」後編


 「…………」


 ――あか四十八家の合議から数刻後


 誰も居なくなり、ガランとした小津おづ城の一室には……


 「…………」


 薄暗くなった頃合いにもかかわらず、明かりもつけずに座する老人が独り。


 「…………」


 唯々、広い板敷きの床に地図を広げて何かを思案していた。


 ――


 「主よ……本当に我が鵜貝うがい軍のみで臨海りんかいを?」


 いつの間にか、部屋には確かに独りだけだった老人の背後に立つ男。


 闇に溶けるように全く気配の無い黒装束の男は、逆に闇が空間に染みてできたかのようにに存在する。


 「軒猿のきざるか……ふん、そのような”愚策”を何処どこの馬鹿者がとるのじゃ?」


 「…………」


 老人の言葉はあの軍議とは全く別のもので……


 しかし、問いかけた黒装束の男も半ばそれを察していたかのように、老人の背後で微動だにしない。


 「では、諸将が理解したように、”小津おづ”を囮にして”那原なばる”で決戦をというのは?」


 「カカッ、肉を切らせて骨を断つ?”小津おづ”は誰もが知る赤目あかめの要衝中の要衝じゃ、何処どこの世界の戦術に、囮として”頭”や”心の臓”を差し出す馬鹿者がおるか……ふん」


 老人は悪びれもせずにそう応える。


 「…………では?」


 「赤目あかめしまいじゃ、いいや、それこそが”完全なる世界”の第一歩……その為なら赤目あかめの存続など意味も無い些末事じゃろう」


 「…………」


 黒装束の男は、自らの主が放ったとんでもない発言にも、矢張り眉一つ動かさない。


 「軒猿のきざるよ、お主も知っておろう?今回の策はもう幾年も前から仕込んだわしの生涯の策……この天下を一つとするための一世一代の大策ぞ」


 「心得ております、主」


 「……うむ」


 忠実なしもべの返事に老人は頷く。


 そしておもむろに傍らに寝かしていた杖を手に……


 「先ずは”旺帝おうてい”!」


 カッ!


 老人は杖の先で”あかつき”随一の大国を指し示す。


 「次いで”七峰しちほう”」


 カッ!


 続いて宗教国家”七峰しちほう”を指した。


 「そして……”天都原あまつはら”のせがれ!」


 カッ!


 老人の杖先は、今度は天都原あまつはら七峰しちほうの国境を指し示す。


 「カカッ!流れによっては”長州門ながすど”も巻き込んでの”大包囲網戦おおとりもの”じゃ」


 老人はしわくちゃの顔を破顔させ、子供のようにはしゃいだ声を出していた。


 「カカカカッ!」


 「…………」


 上機嫌な老人と無言で立つ黒装束の男。


 「…………そこまで……そこまで必要なのですか」


 老人に付き従う忠実なる影は……軒猿のきざるは、珍しく主に疑問を発していた。


 「…………うむ」


 老人は笑いを収め、目の前に広げた地図に再び視線を落とす。


 赤目あかめの地図では無く……それは”あかつき”全土を現した地図。


 「必要じゃ……”かの者”を亡き者にし、その後に我が大策の続きを以て、この”あかつき”を統一すべき覇者に献上する」


 「…………」


 軒猿のきざるはもう疑問の言葉を発しない。


 ――


 只黙って主の横で膝をついてかしずいた。


 「策の第一段階は”かの者”……天都原あまつはら紫梗宮しきょうのみや、”京極きょうごく 陽子はるこ”を確実に抹殺する為の大包囲網戦……その前段階として、ともすれば邪魔に成りかねん臨海りんかいを我が赤目あかめ深く誘い込んだのだ」


 「…………」


 主の言うことは絶対だ。


 軒猿のきざるにとってそれは、勿論、忠義でもあるが、今までの経験からの真実こたえでもある。


 彼にとって主は、鵜貝うがい 孫六まごろくは、決して間違えることなど無い完璧な人物なのだ。


 「…………」


 ――だが、彼は今回に限り、心の中でこうも思う


 大国、天都原あまつはら京極きょうごく 陽子はるこが脅威なのは軒猿じぶんにも理解できる。


 あの姫の才覚は、認め難い事であるが我が主に匹敵する。


 近年の天都原あまつはらの破竹の勢い……それを見ても”無垢なる深淵ダークビューティー”の天稟は我が主、鵜貝うがい 孫六まごろくに伍するだろうと。


 そして古き良き安定を望む自身の主と、古き世の破壊と新たなる秩序の創世を是とするかの姫との価値観の違いは明白で、我が主にとってそれが決して天下を治めさせてはならぬ相手という事も……


 ――しかし臨海りんかいはどうだ?


 確かに最近の躍進には目を見張るものがあるが、とはいっても臨海りんかいは所詮小国だ。


 今回の主の策に、敵にりんかい如きが加わったところで何の障害になろうか。


 その王、鈴原 最嘉さいかなる人物は優れた将帥ではあろうが、果たして主が……鵜貝うがい 孫六まごろくともあろう者が赤目あかめの領土全てを引き換えにしてまで警戒するに値する相手なのだろうか?


 そこまでして警戒する男なのか……軒猿のきざるにはそれが未だに理解できない。


 「…………」


 ――できないが……


 彼は主である鵜貝うがい 孫六まごろくに絶対の信望を抱いているが故に、この場ではこの疑問は心の奥底に沈めたのであった。


 「軒猿のきざるよ、我らは早々に天都原あまつはらへ向かうぞ」


 「天都原あまつはら旺帝おうていではなく?」


 今回の”計画”……それのための大戦を先導させるのは懇意の”旺帝おうてい”ではないという事実に軒猿は少々驚いた。


 「カカッ、主には別件を任せておったからこの仕込みは知らせておらなんだの……旺帝おうていは確かに大国じゃし今回は大いに肩入れもした、じゃがのぉ……真の支配者たる者は他におる」


 「……」


 ――だとすると……


 そもそもこの策の第一段階は天都原あまつはら京極きょうごく 陽子はるこを打倒するための包囲網だったのだから、この場合、行き先の天都原あまつはらとは領都”斑鳩いかるが”では無いだろう。


 つまり、もう一つの王位継承権を持つ有力な人物……


 「…………いびつな……英雄」


 頭の回転の速い軒猿のきざるには主の指し示す相手が解った。


 「相手方には既に話を通してある、即刻下準備を整えよ!まごまごしておると他の四十八家ばかども同様、あの臨海りんかいわっぱに飲み込まれるぞ」


 「……はっ!」


 軒猿のきざるは一礼すると、音も無く一切の空気の揺らぎも無く……


 闇の中に溶けたのだった。


 第十三話「暗躍する怪老」後編 END

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