第108話「動乱の幕開け」―藤桐・天都原―(改訂版)

 第六十八話「動乱の幕開け」―藤桐ふじきり天都原あまつはら


 天都原あまつはら南阿なんあ


 本州と支篤しとくという別の島に本拠を構える二つの大国間を分断する天南てな海峡は、その日、天都原あまつはら軍艦で埋め尽くされていた。


 本州中央南部の大国にして最古の歴史を誇る天都原あまつはら国。


 この由緒正しき、”あかつき、始まりの国”をまんまと支配下に収めた王太子、藤桐ふじきり 光友みつともは五百を越える戦艦と二万を越える揚陸部隊という大軍を率いて海の国境を越えた。


 天都原あまつはら軍、総勢五万三千。


 対して防衛する南阿なんあ軍、艦艇九十二、陸戦兵二千の総勢四千数百で、何より艦艇の半数以上が中型以下の旧型船で兵士も新兵が多数。


 もとより真面まともな戦になる戦力比では無かった。



 ――そもそも、この不釣り合いな戦の元を正せば……


 南阿なんあ先達せんだっての戦いで天都原あまつはらに侵攻したのが始まり。


 それを、当時の天都原あまつはら国軍総司令部参謀長、紫梗宮しきょうのみや 京極きょうごく 陽子はるこが擁する軍と彼女の神算鬼謀にて散々に返り討ちに遭い、直ぐさま復讐戦に挑んだが、またも京極きょうごく 陽子はるこの策により、味方の内部分裂を誘発され惨敗した。


 くして、敗戦国たる南阿なんあは不平等条約ともいえる講和条約を受諾させられるに至り、領土の半分をも失ったのだったが……



 「未だ首を差し出さぬか?かつ南阿なんあの風雲児と呼ばれた英雄とやらも死に際で晩節をけがすか……」


 海上にそびえる分厚い鉄の装甲に覆われた黒き城。


 要塞の天守から軍船で埋め尽くされた海を眺めてある男は呟く。


 両大国を分断する海峡に浮かぶ小島、小幅轟おのごう島の要塞は、ぐるりと三百六十度の絶壁に囲まれた天然の要害にそそり建つ黒き鋼鉄の壁、堅き黒甲羅を纏う大蟹だいかい、それは……


 ――難攻不落の”蟹甲楼かいこうろう


 永らく南阿なんあの守護神であった要塞それは、現在いま天都原あまつはらの鉄壁の壁として南阿なんあ軍を壊滅の危機に追いやっていた。



 「まさに!往生際悪く雑兵を従えて城に籠もりつつ、槍も交えずに交渉の使者を何度も送ってくる辺り、伊馬狩いまそかり 春親はるちかの懐事情が知れますなぁ」


 自分の呟きに応えた中年家臣の軽い言葉に、男は海上にやっていた鋭い視線を移動させて再び問うた。


 「例の如く抗議か?」


 「えっ……あ、はい、”約定違反”だと、性懲りも無く三度目の使者であります!」


 きらびやかな全身鎧プレートメイルと自家の紋章を施した華麗な白いマントの男。


 鋭い視線と自信に満ちた口元、身にまとった尋常で無い存在感は、男の尊大な態度で周囲に拡散され、その場の他者を圧倒する。


 そしてそれこそが、この若き男を”生まれながらの英雄”と認識させるに足る、天稟てんぴんの現れであった。


 「……約定」


 男の名は……藤桐ふじきり 光友みつとも


 大国天都原あまつはらの王太子にして政敵である京極きょうごく 陽子はるこを追い落としてからは、天都原あまつはら軍の最高司令官たる”大元帥”に就任したばかりか、病床に在る王の補佐として政治の最高位である”宰相”をも兼任する……


 事実上、現在の天都原あまつはらの国家元首といえる存在であった。


 「約定?……ふん、陽子はること結んだ約定など俺に何の意味がある」


 「は、はっ!まことに!」


 光友みつともは、彼の視線の鋭さに背筋を伸ばして硬直する部下から興味なさげに視線を海上に戻し、さもつまらなさそうに鼻を鳴らす。


 南阿なんあ天都原あまつはらに向けて再三に抗議する”約定違反”とは――


 先の戦にて二国間で締結された停戦条約には、三年間の不可侵条約が記述されていた。


 だが、現実には藤桐ふじきり 光友みつとも南阿なんあに攻め込んだ。


 そして当然あるべき南阿なんあからの二度にわたる抗議の使者を尽く斬り捨てていた。


 如何いかに条約を結んだのが当時の天都原あまつはら国軍総司令部参謀長、京極きょうごく 陽子はるこで、その本人が既に失脚したとはいえ……


 当時彼女は紛れもなく王の委任を受けた国の代表者。


 当然、この不可侵条約も国と国との約定に違いない。


 ……だが、藤桐ふじきり 光友みつともはそれをも易く反故にした。


 それは通常ならば許されざるべき行い。


 世界情勢が、各国がそれを許さない……はずであったが……



 「伊馬狩いまそかり 春親はるちかには俺の軍に対抗するだけのまとまった兵力も軍艦も無い。最早もはや、降伏を問う時間も無駄だ!直ぐに蹴散らしてこの取るに足らん”余興いくさ”に幕を引く!」


 藤桐ふじきり 光友みつともにとって在るべき最低限度の秩序など、各国の動勢などどうでも良い些末事である。


 国際的に非難されようと、孤立しようと、そんなものは力でねじ伏せれば良い。


 最終的に力を示せる者こそが世界の秩序であり、正義だ。


 絶対的実力者に弱者は媚びへつらい、持論を曲げて膝を屈する。


 とどのつまり……


 孤立して滅びるのは、いつも正論を吐くだけの無能者。


 無論、彼の行動は其所そこへ至るまでに多大な困難を要するだろうが、彼はそれをものともとしないだけの自信があった。


 ――この藤桐ふじきり 光友みつともが世界を統べずに誰が統べるというのか!


 根拠になるとは言い難い自信だが、それを実現させるのがこの男……


 無理をねじ込み道理を粉砕する、”歪な英雄”


 藤桐ふじきり 光友みつともその英雄ひとであったのだ。


 「で、では、さっそく総攻撃の指示を……」


 主君の命令で、心労により実年齢よりもずっと老けて見える中年家臣、かしわら 兼時かねときが全軍に伝令を出そうとしたその時……


 ダダダッ!


 横暴なる王が支配する空間に兵士が転がり込むように入って来た。


 「報告っ!至急、殿下……閣下にご報告をっ!!」


 「なんだ騒々しい、閣下の御前であるぞ……」


 傍若無人な主の機嫌を損ねてはと、兼時かねときがそういさめようとする声を兵士はかき消して叫ぶ。


 「尾宇美おうみがっ!尾宇美おうみ城が陥落っ!!いきなり現れた敵軍に為す術無く落城致しましたっ!!」


 ――っ!?


 その一言で、その場は静まりかえる……


 そして――


 ゾクリッ!!


 「か、閣下……」


 「ひ、ひぃっ!」


 かしわら 兼時かねときも、報告に転がり込んだ兵士も……

 見る間に殺気に染まっていく空間で、冷たい汗が一気に吹き出していた。


 「…………………………陽子はるこか?」


 「へっ!?」


 「京極きょうごく 陽子はるこかと聞いている」


 凍り付いた空間で、思いのほか静かに放たれた絶対的支配者の言葉に兵士は間抜けな返事をして、そして……我に返る。


 「は、はい……いっ!?ぐはぁぁっ!」


 ガラガラガシャァァーーン!!


 応えるや否や、兵士はそのまま蹴り飛ばされ、後ろの棚に激突していた。


 「か……閣下?」


 「ふ……ふぅ……はぁ……」


 その光景を見送り、震える兼時かねときの言葉に光友みつともは肩をいからせたまま、一、二度、ゆっくりと深呼吸していた。


 「大戦直後で……邪魔者共をことごとく追いやった直後で……手薄になっていた尾宇美おうみの防衛網を突かれたか……ちっ!……小賢しい……陽子はるこぉっ!」


 「お、落ち着いて下さい、閣下……紫梗宮しきょうのみや京極きょうごく 陽子はるこは小勢力です、直ぐに奪還の兵を向ければ難なく……」


 しかし藤桐ふじきり 光友みつともは態度とは裏腹に、ことのほか落ち着いていた。


 少なくともこの気苦労が多い中年の家臣よりは。


 「南阿なんあ兵力の大部分は前の戦で激減してから回復していない……」


 「……か、閣下?」


 「手こずりそうなの海軍も陸戦隊も同様だ。つまり南阿なんあの主戦力たる双璧、無敵艦隊と死兵の陸戦隊は機能していない」


 藤桐ふじきり 光友みつともは冷静であった。


 如何に虚を突かれ格下相手に領土を失ったとて、天都原あまつはら国の東部は最強国旺帝おうていと接した難所である。


 短絡的に大軍を派遣し、前線を刺激しては元も子もない。


 そもそも尾宇美おうみ尾宇美おうみ城で暫く戦は無いと甘く見積もり、の重要拠点に”十剣”の一人でも配置しておかなかったのは他でもない自分自身の失態だからだ。


 なにより自国の北部、西部には七峰しちほう長州門ながすどという大国が虎視眈々と隙を覗っているのだ。


 だからこそ、先ずは南阿なんあ……


 七峰しちほう長州門ながすどと事を構えようとしている今こそ、南阿なんあを滅ぼして自国の南を固める。


 南阿なんあが前大戦の被害から立て直す前に。


 最強とうたわれる南阿なんあ海軍と、死兵と恐れられる陸戦隊が整う前、南阿なんあの国色である”一領具足いちりょうぐそく”が再び機能する前に……


 そして、海軍の養成地たる”海練処かいれんどころ”と、陸戦隊の戦士養成機関と噂される”仲野練兵処なかのれんぺいどころ”……他国が咽から手が出るほど欲するこの二つの施設をどうしても手に入れたい。


 光友みつともの野望の先は其所そこにこそ向いていたのだ。


 「既に”海練処かいれんどころ”も、海軍の指揮官たる”長谷部はせべ 利一りいち”の身柄も抑えたのだったな?」


 「は、はい……中冨なかとみ 星志朗せいしろう殿が率いた軍で制圧は完了しております!」


 中年家臣は慌ててそう答える。


 ――他国まで名を轟かす”南阿なんあ三傑”


 南阿なんあの君主である伊馬狩いまそかり 春親はるちかの懐刀である有馬ありま 道己どうこ、”武”の織浦おりうら 一刀斎いっとうさい

 その二人に連なる”知”の長谷部はせべ 利一りいち……知謀を誇る海軍の将軍だ。


 「陸戦隊戦士養成機関と言われる”仲野練兵処なかのれんぺいどころ”へは確か……」


 「はっ、軍艦二百隻、総兵力一万二千にて、阿薙あなぎ将軍が先程向かったところで……」


 「ならば其方そちらじきに手に入るな……本丸の伊馬狩いまそかり 春親はるちかが籠もる尾甲おごう城には彼奴きゃつを?」


 「はっ!閣下の予想通り、山名内やまなうち 数砥かずとが自ら名乗りをあげました故、ご指示通り城総攻撃の総大将に任じました」


 続けざまの主君の問いにかしわら 兼時かねときは恐縮しながら答える。


 「ふふん、なら良い」


 「……」


 納得顔の主に兼時かねときは少しばかり怪訝な顔をする。


 「解らぬか兼時かねとき?……支篤しとく北東部”羽山浦わさうら領主、山名内やまなうち 数砥かずとは元南阿なんあの家臣にして前の戦で我が天都原あまつはらに寝返った男だ。新参故に早々に手柄を望んでいる。なにより南阿なんあの君主、伊馬狩いまそかり 春親はるちかに恨みもある」


 「それは……」


 かしわら 兼時かねときは一層、白髪交じりの眉をひそめる。


 何故ならそれは完全なる筋違い。


 ――裏切った者がその相手を恨んで攻め込む?


 かつて、現在いま支篤しとくの覇者である南阿なんあ国が形成される前、支篤しとくの小領だった南阿なんあ伊馬狩いまそかり 春親はるちかは若くしてその島を制した。


 それに屈して配下に収まった、支篤しとく古来の大領主である山名内やまなうち家。


 弱肉強食は戦国の世の習わし。


 ――それを……


 「彼奴きゃつは積年の鬱憤を晴らすべく、執着で執拗に、情け無用に攻め立てるであろう……ふふん……適任だ、その攻勢は残虐を極めるだろう」


 「……か、閣下」


 主の見せる冷たい表情に、兼時かねときはまたも背筋が凍る。


 「裏切り者の残虐さと理不尽さ……これで俺の所業は薄れる。世間の噂などどうでも良いが、これ以降やり易くするにはこういうのも処方のひとつだと思わんか?毒は毒の中に放りこんでこそ紛れる!」


 「光友みつとも閣下……」


 「まぁ、どちらにしろこれで南阿なんあは終わりだ、俺の一部となる!」


 圧倒的な自分本位と傍若無人……

 それは長年付き従った家臣にして言葉を失うほどの恐るべき資質。


 「か、閣下……紫梗宮しきょうのみや如何いかがなされるおつもりで?」


 「今は捨て置け、先ずは西方を固める!!七峰しちほう長州門ながすど……此奴きゃつらを抑える算段を整えるのが先だ、陽子はるこ如き小勢の相手はそれからで十分だ」


 「は、はっ!」


 かしわら 兼時かねときはサッと敬礼して、直ぐさま中途半端に中断していた総攻撃の準備に入るよう指示を出す。


 気苦労の多い中年家臣は完全に納得したのだ。


 尾宇美おうみ戦では”七峰しちほう”を牛耳る三兄弟の次兄、壬橋みはし 久嗣ひさつぐが主、藤桐ふじきり 光友みつともの要請を密かに受けて私兵を出陣したが散々な目に遭った。


 そしてそれを罰した長兄の壬橋みはし 尚明しょうめいは、その事をも利用する形で、尾宇美おうみでの長州門ながすどの裏切りを”粛正”の大義名分としての国へ侵攻した。


 壬橋みはし 尚明しょうめいとして挙国一致で大軍を長州門ながすどへと向ける機会を待っていたのだろう。


 弟の失態を直ぐさま国政に活かす手腕は、尚明しょうめいが唯の野心家で無い事を物語っている。


 最前線で指揮を執るばかりが名将では無い。


 こうして状況を創り出し、それを効率良く行うのも将の、司令官の資質で、そう言う意味では壬橋みはし 尚明しょうめいという男はその種類の傑物と言えなくも無い……


 が――


 やはり特筆すべきは主君、藤桐ふじきり 光友みつともだ。


 それをも利用し、七峰しちほう長州門ながすどの間隙を縫って予てから予定していた南阿なんあの完全攻略を開始した。


 それはもしかしたら、あの得体の知れない参謀……


 鵜貝うがい 孫六まごろくという新参の老参謀による献策かもしれないが、それでもそれを躊躇無く行動に移す決断力はやはり英雄!


 ――この御方は英雄……”歪な”などと揶揄されてはいるが……


 ――正真正銘の英雄なのだ!


 と、かしわら 兼時かねときは深く納得したのだったが……


 「ふふん」


 実のところ藤桐ふじきり 光友みつともの奥はもう一段以上は深い。


 藤桐ふじきり 光友みつとも尾宇美おうみを奪われ、激昂したのは事実だが、彼は直ぐに別の考えに至る。


 ――尾宇美おうみ陽子はるこの拠点になるなら、旺帝おうていとの接点はほとんど天都原オレとは無くなる


 ――ならば精々、此方こちらの準備が整うまで壁役を全うさせるだけだ


 「陽子はるこが不相応にも最強を名乗るの国を削れるだけ削れれば良し、また力及ばず瀕死に陥ればその時に改めて楽に奪還すれば良い……」


 「……か、閣下、光友みつとも閣下」


 「ん……?」


 ほくそ笑んだ表情でボソリと独り呟く光友みつともに気づかぬ中年家臣は、改めて判断を乞うていた。


 そして、何度目かの問いかけにようやく自分を見た主君に改めて問う。


 「では、南阿なんあの使者には……」


 「……」


 歪な英雄の眼光は静かにギラついた光りを取り戻す。


 「……斬れ」


 こうして藤桐ふじきり 光友みつともの手により、苛烈で血に染まるだろう南阿なんあ制圧戦は始まったのだった。


 第六十八話「動乱の幕開け」―藤桐ふじきり天都原あまつはら― END 

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