第105話「通算成績」前編(改訂版)

 第六十五話「通算成績」前編


 俺がその広間に入った時、宗三むねみつ いちは広間の床に直に正座し背筋を伸ばして両目を閉じていた。


 ――カツ、カツ、カツ……


 いちの傍で腰に差した刀の柄に手を添えたまま、監視者として立っているのは、久井瀬くいぜ 雪白ゆきしろ


 「……」


 光に溶け込んでしまいそうな光糸こうしの輝くプラチナブロンドをひとつの三つ編みにまとめて肩から垂らし、輝く銀河を再現したような幾万の星の大河の双瞳ひとみ


 白金プラチナの軽装鎧を身にまとった純白しろ剣姫けんきは、相変わらずの冷徹クール表情かおで虜囚を見下ろしていた。


 ――カツ、カツ、カツ


 武器は取り上げられてはいるものの……


 通常の虜囚と違い拘束さえされていない宗三むねみつ いちの状況は、柄にも無く雪白ゆきしろが俺に気を遣ったからだろう。


 ――カツ……


 「雪白ゆきしろ、ご苦労だったな、少しいちと話がしたい」


 渇いた足音を響かせてそこまで歩いた俺は、立ち止まるとプラチナブロンドの少女にそう伝える。


 「さいか…………うん、わかった」


 そして、純白しろい美少女は一瞬だけ逡巡する素振りをみせかけるが、俺と視線を絡めた後は素直に頷いて、そのまま後方へと下がって控えた。


 「…………」


 「…………」


 広間ほぼ中央に佇む俺と、依然として正座し黙祷したかのような宗三むねみつ いち


 更に数メートル離れた位置で俺達二人を見守る様に並んで立つ、鈴原すずはら 真琴まこと佐和山さわやま 咲季さきの横に、たった今下がった久井瀬くいぜ 雪白ゆきしろがその列に加わっていた。


 部屋を警備していた兵士達は入って直ぐに真琴まことの指示にて外に出され、小津おづ城の二階広間には今はこの五名のみだ。


 「ほんと、真琴まことにしても、雪白ゆきしろにしても……気が利く良く出来た家臣で俺には勿体ないな」


 「……」


 呟いた俺の言葉にもいちは反応せずに無言を続ける。


 「そう思わないか?いち


 そして今度は明らかに問いかける俺に、坐した虜囚は……


 「臣下の者が正しき忠節を尽くせるのは、そのあるじたる御方が優れている証拠でしょう」


 目を閉じたまま……

 スッと背筋を伸ばして正座したままの男はそう応えた。


 ――宗三むねみつ いちらしい見解だ……


 本当に俺はそう思った。


 「そうか……なら、お前はどうだ?宗三むねみつ いち


 そして俺は続けて男の真意を問う。


 ――


 その言葉に、主君たる鈴原すずはら 最嘉さいかの問いかけに……


 虜囚のまぶたはゆっくりと開く。


 「主君にやいばを向けた恥知らずの”裏切り者”には死罪以外の何がありましょうか」


 ――っ!!


 その瞬間……


 俺の背後で真琴まことが息を呑む気配が伝わり、場の空気は冷たく沈む!


 ――そうか……やはり言い逃れはしてくれないか……


 俺は予測済みの”腹心の部下”の答えに溜息をくと、もう一度口を開く。


 「俺には”裏切り者”の姿なんぞ何処どこにも見えないが?」


 「……」


 いちは今度は応えない。


 あくまで臨海りんかいのため、俺の為に汚れ役を演じた事を言わないつもりだろう。


 「いち、事は済んだ。心配しなくても後のゴタゴタは俺が……」


 「法は曲げるべきでは無いでしょう、特に軍隊は規律無くしては成り立たない。公平なまつりごとも行えない為政者いせいしゃを民衆は認めることが無い……それが解らぬ”暗君”こそ、私にはこの広間には居ないと思いますが?」


 「くっ……」


 鋭い切り返しだ。


 ぐうの音も出ない辛辣かつ合理的な反論。


 ――”神ならざる人の身が国を治めるには法は曲げるべきでは無い、して軍隊は規律無くしては成り立たない”


 俺自身が以前まえ真琴まことに向けて放った言葉でもある。


 だが……


 「お前が決行した”策”をお前自身の口で話せ、そうすれば……」


 ――そうすれば……独断の罪だけで済ます事もあるいは可能


 「未練がましいですよ、鈴原すずはら 最嘉さいか殿。反乱者は死罪!私……俺は貴殿の全てを認めず、反旗を翻した。それが全てだ!」


 「っ!!」


 ――鈴原すずはら 真琴まことは言った。


 ”謀叛は例外なく死罪です”……と、


 ――京極きょうごく 陽子はるこは言った。


 ”致命的裏切りに対するのは死罪、それを覆すことは専制君主制への挑戦といえる。絶対的支配者たらんとする者は時に非情さを”……と、


 ――そして宗三むねみつ いちは言う。


 ”主君にやいばを向けた恥知らずの裏切り者には死罪以外の何がありましょうか”……と、


 「……」


 ――かつて……


 ――かつ嘉深よしみは……俺の妹は……


 皆が言う”それ”に殉じた。


 裏切りに対する処罰、君子の君子たる器、民衆の上に立つ者として……


 ”そういう”世のことわりに殉じたのだ。


 ”最嘉もりよし兄様は優しすぎるから、凄いのに……兄様は強くて優しくて……そしてやっぱり非道い……”


 空虚な俺の両腕に、芯の無くなった少女の身体からだの重さが甦る。


 力なく首の角度を落としたかつ嘉深いもうとだった魂の抜け殻が甦る。


 「……」


 ――殺せ、殺せ、殺せ……


 どうしてそんなに死にたがる?


 どうして皆、俺の為だと死んで行く?


 なぜ俺に殺させたがるんだっ!!


 戦国の世の摂理?


 秩序在る世界のために?


 世界を統べるにはそれが……


 「…………」


 ――腹が立つ……


 ――あぁ、腹が立つ!


 それは誰であろうと”その壁”を越えられないという諦めだろう。


 誰にも……


 俺には無理だと!?


 「…………」


 ――繰り返しだ


 ――ずっとずっと繰り返す……


 だから腹が立つ。


 決めつける奴等に、それを許容させる世界に……


 腹が立って俺は……


 「……」


 シャキ!


 「っ!」


 「……」


 「せ、先生!」


 右手に持った刀、宗三むねみつ いちの愛刀である鵜丸うまるを抜刀する俺に、後方で固唾を呑んでいた真琴まことが一瞬息を止め、雪白ゆきしろは見守り、咲季さきは思わず声を上げる。


 シャラン!


 「…………」


 そして、完全に抜き放たれた自らの刀身を目の前に、宗三むねみつ いちは何の抵抗も見せずに再び目をつぶった。


 「…………腹が立つな」


 俺は呟いて刀を振り上げる。


 ――腹が立つ……


 ――ああ、そうだ腹が立つ!


 シュオン!


 「っ!」


 「……」


 「ひっ!」


 苛立つほどに殊勝に死を待ち続ける宗三むねみつ いち鵜丸うまるを勢いよく振り下ろす俺!


 真琴まことが、雪白ゆきしろが息を呑み、咲季さきは短い悲鳴を上げた。


 ――が立つ……を……断つっ!!


 ガキィィィーーン!!


 直後に視界いっぱいに激しい火花が飛び散り、俺の手の中にある刀の柄から伝わる衝撃で右手が震えた。


 ――”鵜丸うまる”は業物わざものだ……


 ――俺の愛刀”小烏丸こがらすまる”と同じ鍛冶師に鍛え上げられた逸品


 だが!


 いちが坐した石床の近く、膝先数センチに激しく激突した鵜丸うまるの切っ先は回転しながら後方へ弾け飛び、俺の手には刀の柄と三分の一程になった刀身が残る。


 「っ!?……最嘉さいか……さま」


 「……」


 真琴まことが小さく驚きの声を上げ、いちは静かにまぶたを開いて俺を見上げた。


 ――刀という物は、どんな名刀でも所詮は鉄とその他の金属の合金……鉄塊てっかい


 硬い刀身はそれ故に使い手の技量が覚束おぼつかなければ信じられないほど簡単に砕ける。


 標的にやいばを合せることもでき無い。


 角度と力加減、タイミング……どれも切断するには程遠い。


 ――そんな未熟者ならどんな名刀も”模造刀”と大差ない!


 逆に言えば、それらを熟知してことごとく逆を選択すれば、天下の名刀を台無しにするのもまた容易い。


 ガシャン!


 俺は痺れる右手に残った、業物わざものだった”それ”をヒョイと目前のいちに投げ捨てた。


 「…………」


 それを無言で見つめる宗三むねみつ いち


 「お前の刀だ、返してやるよ」


 シャラン!


 俺はそれだけ言うと、今度は自身の腰に装備した小烏丸こがらすまるを抜き放つ!


 「せ、先生っ!?」


 俺の不可解な態度に、今度は咲季さきが若干非難を含んだ声を上げるが――


 「……」


 「……」


 真琴まこと雪白ゆきしろは変わらず無言で俺を見守ったままだった。


 「綺麗事言うなよな、宗三むねみつ いち……俺に不満があるんだろ?」


 俺はそう言いながら抜き放った切っ先を、未だ坐したままの男に向けたのだった。


 第六十五話「通算成績」前編 END

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