第103話「策士の智」(改訂版)

 第六十三話「策士の智」


 ――赤目あかめ領内、小津おづ城にて


 「あれ如き輩にここまで追い詰められていたのか?ふん!平久ひらひさ、貴様も老いたなぁ?」


 多羅尾たらお 光俊みつとしは上機嫌で、鎧を装着する作業をお付き二人の兵士に任せながら、自分は酒皿を手に笑っていた。


 「……」


 その足下にこうべを垂れ、片膝を着くのは……


 眉間に特徴的な刀傷のある老将、松長まつなが 平久ひらひさである。


 「ちらに向かっている杉谷すぎや 善十坊ぜんじゅうぼうが、この城を出陣荒井あらい 又重またしげと合流すれば、まだまだちらにも勝ち目は大いにあると思わんか?ああ?平久ひらひさよっ!」


 今より少し前、手勢を率いて小津おづ城に到着した多羅尾たらお 光俊みつとしは、攻め込んで来た臨海りんかい軍の先鋒部隊を早々に撃破し、そしてその勢いのまま、城を囲む数部隊をも蹴散らしてから再び小津おづ城に戻っていたのだ。


 「……して、殿は何故に再び鎧を?」


 「はぁぁ?」


 こうべを垂れたまま、主君たる多羅尾たらお 光俊みつとしに質問する老将に、光俊みつとしはあからさまに不機嫌な声を返す。


 「解らんのか?本当にもうろくしたのか平久ひらひさ……懲りずに城前を彷徨うろついている敵部隊を再び蹴散らす為に決まっとろうが!?」


 「……」


 主君の自分を馬鹿にした態度を受け、平久ひらひさは無言でそっと顔を上げる。


 「……うっ」


 老将と思えぬ鋭い眼光……

 光俊みつとしが一瞬、酒も覚めたと言わんばかりに”たじろぐ”のも無理は無かった。


 ――


 老将の顔は確かに年相応の年輪を刻んではいたが、その目には間違い無く”現役”であるという光りが宿る。


 そう、”現役”の戦人ひとごろしであるという光りが閃く、鋭い眼光であったからだ。


 「あのようにチョロチョロと動き回るのは明らかな挑発……誘いである可能性が高いと、”老いぼれ”たるこの平久ひらひさは読みますが?」


 「ぬ……うぅ……だから何だと言うのだ!アレは確かすずはら 最嘉さいかの左腕と呼ばれる側近、すずはら 真琴まこととかいう小娘の部隊だと言うではないか、ならばその小娘をも撃破して捕らえて見せしめにしてくれよう!」


 主君が放った侮蔑、”老いぼれ”と皮肉を込めた言葉を、わざと自身で使用する老将の言に、余計に引き下がれなくなった光俊みつとしは最初の判断を貫き通すのに固執する。


 「……」


 そして実は”それこそ”が松長まつなが 平久ひらひさの術中。


 ”梟雄きょゆう”の思うままであった。


 「はははっ、地下牢には毛ほどの役にも立たなんだ裏切り者の宗三むねみつ いちを繋いでいるのだ、ならば其所そこに新たに鈴原すずはら 真琴まこととやらを放り込み、”鈴原最嘉ヤツ”の右腕と左腕を並べて繋いで、その後に捕らえたすずはら最嘉さいかの目前で順にくびり殺してやるというのも……」


 「……」


 「ふ、ふん……冗談だ、俺もそこまで事が上手く運ぶとは思っていない、だが我が軍の精強さは思い知ったであろう?目前の小娘の隊などに後れを取るとはお前も思うまい」


 「……」


 松長まつなが 平久ひらひさの押し黙った視線を受け、見る見ると自信が揺らいでいく主君、多羅尾たらお 光俊みつとし


 「ひ、平久ひらひさ……それに、側近たるすずはら 真琴まことを捕らえれば交渉の材料になろう?既に手にある、“鈴原 最嘉ヤツ”が憎んでも憎み足りない宗三むねみつ いちの首と同時に差し出せば、それなりの条件で和睦が結べると……」


 自身が向ける無言の視線による圧力にされたのか、打って変わって弱気な声でそう言い直す主君に対し、平久ひらひさは再びスッと深く頭を下げる。


 「……そこまでお考えなら、老兵は何も言いますまい」


 再び年輪を刻んだ顔を地面に向け、表情が見えなくなった松長まつなが 平久ひらひさ


 それを見下ろす多羅尾たらお 光俊みつとしは……


 「ふ……ふんっ!」


 すっかり着替えが終わり、調った鎧姿の多羅尾たらお 光俊みつとしは、それを手伝っていた共周りの兵士を八つ当たり気味に邪険に押しのけて、無理に胸を仰け反らせて張る。


 「れより城前を彷徨うろつく目障りな臨海りんかい軍の小娘を捕らえるために出陣するっ!平久ひらひさ!貴様も付いて参れっ!」


 部下の前で一度情けない態度を垣間見せてしまった男は、形だけは無理矢理に威厳をまき散らして宣言する。


 ザッ!


 「お、お待ちを……」


 「殿……」


 その後に兵士達が慌てて続いた。


 「…………恐れながら殿、わしは城に残って臨海りんかい軍本隊の動きに警戒しておこうと考えますが、お許し願えるでしょうか?」


 「……ぬっ!?」


 気を取り直し、颯爽さっそうとやり直そうとした出端でばなを挫かれた光俊みつとしはその足を一旦止めた。


 ――


 そして、一瞬だけ露骨に顔を歪めはしたが……


 「ふん、勝手にせいっ!」


 結局はそう吐き捨てて兵を引き連れ出て行ったのだった。


 「…………」


 果たして、其所そこに残ったのは地ベタに膝をついて頭を下げたままの老将が独り。


 「…………」


 ――”光俊わかぞう”にしては上策じゃ……


 「くくっ……ははっ」


 ――勝てぬ戦ならば、譲歩を引き出すための”駒”を手に入れる


 誰も居なくなった部屋で……


 頭を垂れたままの老将の肩が小刻みに震えていた。


 「じゃが……その”鈴原 真琴こむすめ”を”多羅尾 光俊ぬし”が捕らえられればじゃが……なぁ?」


 多羅尾たらお 光俊みつとしは気づいていなかったのだ。


 床に視線を落とし、顔を伏せた老将の口元が”その時”からずっと歪んでいたことに。


 「く……ははっ……」


 そして老将は――


 「我が策は成れり……かははっ!はぁーはっはっはぁぁーー!!」


 ゆっくりと年輪を刻んだ顔を上げて、今度ははばからずにわらう。


 「くくっ、ははっ!はははぁぁーー!!」


 そうやって壊れたように笑い続ける”梟雄きょゆう”の眉間に残る特徴的な刀傷は、


 さも愉しそうに揺れていたのだった。


 ――

 ―


 ――そして、小津おづ城を包囲するすずはら 最嘉さいかの拠点……


 「多羅尾たらお 光俊みつとし、率いる敵本隊は敗走する鈴原すずはら 真琴まこと様の隊を追い、かなり城から離れました……全て予定通りです」


 俺のそばに立つ、くせっ毛のショートカットにそばかす顔の快活そうな顔立ちの少女がそう報告する。


 「御し易いな、多羅尾たらお 光俊みつとし。この程度の虚構にも気づかないとは、噂通りの無能だな」


 報告に率直な感想を述べる俺に、”王族特別親衛隊プリンセス・ガード”の八枚目、八十神やそがみ 八月はづき……現在は本名の方を名乗っている佐和山さわやま 咲季さきが頷く。


 「ここに来ても戦場で松長まつなが 平久ひらひさの姿が一切見当たらないのが気には掛かりますが……予定通り久井瀬くいぜ 雪白ゆきしろ様に指示を出されますか?」


 「……」


 ――松長まつなが 平久ひらひさ赤目あかめの”梟雄きょゆう”か……


 「先生?」


 少しだけ考えこんだ俺の顔を咲季さきが覗き込む。


 「ん?ああ、そうだな……虎を調あざむき山から離れさせる、これは城を活用した防備を固める敵に対してよく使われる策の一つだが……」


 「”調虎離山ちょうこりざん”……兵法三十六計の第十五計ですね」


 俺の言葉に対する素早い咲季さきの返答に俺は頷く。


 「ここまで易く敵を引っかけるには多少の工夫が要る、つまりは状況だ」


 「状況……」


 その少女は俺の言葉を一言一句も聞き逃さないといった殊勝な顔つきであった。


 ――戦場では騙す者と騙される者の二通りしかいない


 「そう、状況だ。自軍が圧倒的優勢な時、仲間内で手柄を競った時、その逆に窮地に陥り起死回生を切望している時……」


 俺は胸中にそんな思いを秘めながら説明しつつ、そばに控えて俺の言葉に聞き入っている少女の瞳を見た。


 「ええと……今回は後者、敗色濃厚な敵に希望を見せて、それを餌に誘き寄せた訳ですね」


 満足のいく答えを少女から得た俺は更に頷く。


 ――そう……そして俺は、”策士おれたち”は何時いつだって騙す側だ


 「兵法自体はこの戦国の世では誰でもが学んでいるありきたりの知識ものだろう。だが、それを活かすのは使い方……相手の希望する”えさ”を如何いかにして、どの時期タイミングにチラつかせるか、それが大体の謀略の基本だ」


 俺は聡明な光りを宿す策士の卵に手解きしていた。


 「はい、それを作り出すのが”状況”なんですねっ!」


 佐和山さわやま 咲季さきの瞳は輝いている……


 それは尊敬の輝きに満ちた瞳だ。


 そして、”彼女の瞳それ”は未だ本当の意味で”けがれ”を知らない。


 とどのつまり、一人前の策士とは、謀将とは……

 どう言い繕っても”そういう”側の人間なのだと。



 ――八月はづきには才能がある……でも、私はそういうのは余り得意じゃ無いから最嘉あなたにお願いするわ


 我が愛しの”暗黒姫様”は、そう言って事も無げに、俺が尾宇美おうみを出る時に自身の部下を押しつけた。


 確かに……


 きょうごく 陽子はるこの様に生まれついての”大天才”様には凡人の教育など出来ないだろう。


 とはいえ……


 よくも自分の部下をこうもアッサリと貸し与え、あまつさえ……


 ――で、それなりに成ったら帰してもらえるかしら?その手の人材はまだまだ必要なのよ


 とまで言いやがった。


 なんの遠慮も無く、も当然の如く……


 「…………俺は陽子おまえの軍の二軍監督か養成官かよ」


 「先生?」


 「ああ……そうだな、こうしている暇は無いな」


 色々思いだしていた俺は、ついつい、愚痴が口に出てしまっていたようだ。


 つまりだ、八十神やそがみ 八月はづきを改め、現在いま佐和山さわやま 咲季さきが俺を”先生”と呼び、こうして臨海りんかい領土内の反乱鎮圧について来ているのには、そう言った経緯があったからだった。


 「では、久井瀬くいぜ 雪白ゆきしろ様に伝令を出しますか?」


 俺の手解きを受けながら、佐和山さわやま 咲季さきはテキパキと仕事をこなす。


 嬉々とした様子の彼女を見ていると……かつての俺を見ているようだ。


 とは言っても俺に師らしい師は居なかったが、それでも学んだ策や考案した戦術が実戦で効果を得た時、当時の鈴原 最嘉オレはただ快感と達成感でこれ以上無く充実していたものだった。


 得る者が居れば、当然、うしなう者もあるというのに……


 「進路上のざんごうに伏せさせている久井瀬くいぜ 雪白ゆきしろの部隊に伝令、先行する鈴原すずはら 真琴まことが反転攻勢に出るのを合図に、突出する暗愚な司令官の隊を後背から強襲せよっ!真琴まことの隊とで挟撃し、殲滅!一兵も逃すな!と」


 「はい、先生!」


 ――はは、今更綺麗事を……


 ――策士の”智”とは元来そういう類いの”智”なのだ


 本当の穢れを知らない無垢なる叡智に効率よい人殺しを手解きし、

 結局俺は、色々と複雑な思いを抱きながらもそう指示していたのだった。


 第六十三話「策士の智」END

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